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研究開発戦略策定のためのハンドブック - JST研究開発戦略策定のためのハンドブック ~目次~ はじめに 3 第1部 「科学技術政策」から「科学技術イノベーション政策」への転換…

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研 究 開 発 戦 略 策 定 の た め の ハ ン ド ブ ッ ク~ 目 次 ~

はじめに…………………………………………………………………………… 3第 1 部 「科学技術政策」から「科学技術イノベーション政策」への転換 … 5

1.科学技術イノベーションとは …………………………………………… 51.1. 科学技術イノベーションの定義 …………………………………… 51.2. 科学技術イノベーションプロセスのSLモデル ………………… 8

2.「科学技術政策」から「科学技術イノベーション政策」へ …………… 102.1. イノベーション・エコシステムと「場」 …………………………… 112.2. 科学技術イノベーション政策の課題 ……………………………… 142.2.1. 「入口」に関する政策課題 ………………………………………… 142.2.2. 「場」の形成に関する政策課題 …………………………………… 152.2.3. 「出口」に関する政策課題 ………………………………………… 17

第 2 部 研究開発戦略立案の方法……………………………………………… 201.研究開発戦略策定の基本的スタンス …………………………………… 20

1.1. 研究開発におけるリニアモデルの終焉 …………………………… 201.2. 現代の研究開発戦略策定に求められる「二面性」 ………………… 22

2.研究開発戦略立案プロセス ……………………………………………… 232.1. 科学技術の専門分野からのアプローチ …………………………… 252.1.1. 俯瞰マップの作成 ………………………………………………… 25

1)俯瞰マップの意義 …………………………………………………… 252)俯瞰マップを作成する分野の設定 ………………………………… 253)俯瞰マップの例 ……………………………………………………… 27

①電子情報通信分野俯瞰マップ …………………………………… 27②物質・材料分野俯瞰マップ ……………………………………… 29③ライフサイエンス分野俯瞰マップ ……………………………… 30

4)俯瞰マップの作成作業 ……………………………………………… 305)重要研究開発課題の投影 …………………………………………… 32

2.1.2. 研究者集団が重要と考える研究開発課題の抽出 ……………… 321)研究者が重要と考える課題リスト(ロングリスト)の作成 …… 322)ロングリストの作成上での社会ニーズの取り扱い ……………… 33

2.1.3. 戦略スコープ候補の作成 ………………………………………… 331)俯瞰マップ・研究開発課題のロングリストからの  戦略スコープ候補の作成 …………………………………………… 332)社会ニーズ課題からの戦略スコープ候補の作成 ………………… 343)新興・融合分野を対象とする戦略スコープ候補の作成 ………… 35

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4)国際俯瞰ベンチマーキング調査の活用 …………………………… 362.1.4 戦略スコープの選定 ………………………………………………… 37

1)戦略スコープ選定の意義 …………………………………………… 372)具体的な戦略スコープ選定の方法(専門分野をまたぐ) ………… 373)具体的な戦略スコープ選定の方法(社会ニーズ課題から) ……… 384)戦略スコープの確定と作成 ………………………………………… 385)戦略スコープ選定の実践的な留意点 ……………………………… 39

2.1.5 戦略プロポーザルの作成 …………………………………………… 391)戦略プロポーザル作成のためのチーム活動 ……………………… 392)深掘ワークショップの開催 ………………………………………… 433)プロポーザル執筆とレビュー ……………………………………… 444)深掘ベンチマーキング調査について ……………………………… 45

2.1.6. 戦略プロポーザルの形式とチェック方式 ……………………… 451)提言の類型 …………………………………………………………… 452)プロポーザルのフォーマットと内容 ……………………………… 46

2.1.7. 戦略プロポーザルのフォローアップ …………………………… 461)戦略プロポーザルの活用 …………………………………………… 462)自己点検・評価 ……………………………………………………… 47

2.2. 社会ビジョン・社会ニーズからの研究開発戦略の立案 ………… 482.2.1 社会ビジョン・社会ニーズの導出と構造化 ……………………… 482.2.2. 社会ビジョン・社会ニーズからのアプローチ ………………… 51

1)「生活の質の向上」からのアプローチ ……………………………… 512)「産業の国際競争力の強化」からのアプローチ …………………… 53

①産業の国際競争力と日本の現状 …………………………………… 54②「アンブレラ産業」と「エレメント産業」の定義 ……………… 55③「アンブレラ産業」が弱く、「エレメント産業」が強い日本 … 55④研究開発戦略立案のための産業技術俯瞰図 ……………………… 56⑤「CRDS アンブレラ産業」 ………………………………………… 57⑥ MGUP(Multi-generational Umbrella Plan)および

MGEP(Multi-generational Element Plan) …………………… 57⑦ MGUP、MGEP に基づく研究開発戦略の立案 ………………… 58

3)「地球規模問題の解決」からのアプローチ ………………………… 58おわりに…………………………………………………………………………… 63付録 Good Proposal Practice(抄) …………………………………………… 65

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は じ め に

一国の科学技術政策を論ずる場合、二つのレベルで考える必要がある。第一には、科学技術の研究開発を担当する研究者集団をどのように構築し、どういう任務を期待するのか。その数と質をどのように最適化するのか。そのような研究開発システムに対してどのような制度設計を行い、予算をどう配分し、その成果を如何に測定するのか、といったいわばマクロな科学技術政策である。第二はそのような研究開発システムの中で、誰がどの科学技術分野のどういうテーマを研究開発していくのかという、研究開発分野・課題の優先順位の設定である。これはいわばミクロな科学技術政策であり、ここではこれを研究開発戦略の立案とよぶことにする。その中にはこの優先順位の実行を予算誘導で行うのか、研究開発機関のミッションを設定することによって行うのか、ということも含まれる。

研究開発戦略センター(以下 CRDS と呼ぶ)のミッションを、上記のミクロな科学技術政策としての研究開発戦略の立案であるとした。ここでいう研究開発戦略とは、日本全体を視野に入れた上で公共政策として国が関与すべき研究開発戦略1の策定である。

しかしながら、CRDS では研究開発戦略を立案する過程で、研究開発システムに問題を発見する場合がある。その場合にはマクロ的な政策であってもあえて提言してきた。その最も重要なものがイノベーション政策への転換に向けた提言2である。

一方、マクロな科学技術政策の策定は主として総合科学技術会議のミッションであると理解される。実際、総合科学技術会議は、競争的資金の制度改革、大学や国立研究所のシステム改革に取り組んできた。研究開発の主な担い手である大学や国立研究所が既存であるがため、マクロな科学技術政策は白紙に新たな絵を描くようにゼロから出発した政策を立てることは不可能であり、どうしても現状の改革というスタンスを採らざるを得ない。現状改革のためには、当然わが国の研究開発システムの現状を分析した上で問題を抽出し、それを改善するという手法を採るべきである。その場合国が担う研究開発の現状をエビデンスベースで合理的に分析しなければならない。

1 特定の省庁に関連する研究開発戦略に限定するのではない。日本全体を見渡した上での研究開発戦略から、例えば文部科学省に関わる研究開発戦略も切り出せるという立場をとる。

2 JST 研究開発戦略センター イノベーション戦略プロジェクトチーム.戦略プロポーザル:科学技術イノベーションの実現に向けた提言-ナショナル・イノベーション・エコシステムの俯瞰と政策課題-.2007、戦略プロポーザル:科学技術イノベーションの実現に向けて、いま、何をなすべきか-早急な対応が必要な政策課題と提言-.2007

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国のマクロな科学技術政策の刷新は、科学技術基本法のもとに 5 年ごとに策定される科学技術基本計画の立案のときである。CRDS は第 3 期基本計画の立案にあたって、イノベーション政策を提言し「イノベーション」が基本計画の重要な柱の一つとして採用された3。イノベーション政策の実施に関しては現在様々な施策が試行されている段階であり、これからその成果が現れてくると期待される。「イノベーション」という言葉は多くの意味を含んでおり、さまざまな思いを込めて多様に使われる。このような定義のあいまいな言葉を政策用語として用いることは不適切であるので、CRDS ではマクロな科学技術政策における「イノベーション」を「科学技術イノベーション」と呼称し、その持つ意味を明確に定義づけた4。その定義は総合科学技術会議においてもほぼ同じ意味で使われている5。

イノベーションをこのように定義した上で、「科学技術政策」を「科学技術イノベーション政策」に転換するにはどういう施策を実行するべきかについて、過去のイノベーションの事例分析と Branscomb らの行ったイノベーション創出に関する調査研究6を基に、検討を行ってきた。その一部はすでに政策提言7

として公開してきたが、本書第 1 部ではその研究開発戦略策定に有用なイノベーションの本質とイノベーション政策に関するエッセンスを記述する。

ついで、本書第 2 部では、過去 5 年間に CRDS で培ってきた、ミクロな科学技術政策である研究開発戦略の立案の手法を詳述する。これは科学技術政策をエビデンスベースで立案するための汎用的プロセスであり、開発の途上にある。

ここで第 1 部と第 2 部の関係について注意しておいてほしい。上述の通り、第 1 部(マクロ)と第 2 部(ミクロ)はと次元を異にする説明内容となる。しかし、第 2 部に述べる方法による研究開発戦略は、いくつかの付加的な補強を行うことにより、科学技術イノベーションの「入口・場・出口」の整備を行う政策のうちの、主として入口の部分の設計と位置づけられ、「マクロな科学技術イノベーション政策」の一部分としても有効であると考えられる。3 第三期科学技術基本計画では、政策目標のひとつとして「イノベータ日本」として取り上げられた。また、計画文書中において、「イノベーション」は頻用されるキーワードとして使用されている。

4 CRDS では、「科学技術イノベーション」を「科学的知識を新しい社会的・経済的価値に転換するすべてのプロセス」と定義した。本書第 1 部参照。

5 第三期科学技術基本計画では、「科学的発見や技術的発明を洞察力と融合し発展させ、新たな社会的価値や経済的価値を生み出す革新」としている。ここで重要なことはイノベーションが生み出すものとして「社会的価値」を加えていることである。

6 Lewis M. Branscomb, Philip E. Auerswald. Between Invention and Innovation, An Analysis of Funding for Early-Stage Technology Development. NIST GCR 02-841. 2002

7 CRDS. 戦略プロポーザル 科学技術イノベーションの実現に向けた提言-ナショナル・イノベーション・エコシステムの俯瞰と政策課題- . CRDS-FY2006-SP-11. 2007.、および、CRDS. 戦略プロポーザル 科学技術イノベーションの実現に向けて、いま、何をすべきか-早急な対応が必要な政策課題と提言- . CRDS-FY2007-SP-01. 2007.

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第 1 部では、マクロな科学技術政策について、世界各国で進行中の「科学技術政策」から「科学技術イノベーション政策」への転換について述べる。このような転換はかなり当たり前のように喧伝されているが、それでは実際どの様な政策・施策の変更がなされるべきかは、未だ試行錯誤の繰り返しで現場レベルで一貫した施策がなされているとは言い難い。産学連携の推進、知財関係の法律の整備、規制緩和や税制改正、イノベーション指向の研究拠点の形成、サービスイノベーションのための施策などイノベーションを目指した施策は各省で実施されているが、それらが統合的に有効に機能する為には、マクロな視点での統一的な方策が必要である。ここでは「科学技術イノベーション」を公共政策の視点で明確に定義し、イノベーションをより高い確率で迅速に誘起させるために必要な政策課題について述べる。

1.科学技術イノベーションとは1.1. 科学技術イノベーションの定義

CRDS では、「科学技術イノベーション」を「科学的知識を新しい社会的・経済的価値に転換するすべてのプロセス」と定義した。これは、国の政策課題が、単に新たな科学的知識の創造(基礎研究)や新しい技術の創出(研究開発)に止まらず、そこから更に一歩進めて、新しい経済的価値の創造や社会的課題の解決に役立たねばならないということを反映したものである。

CRDS で提案した「科学技術イノベーション」の概念8は、第 3 期科学技術基本計画(2006)の基本を構成する重要な柱の一つ、「イノベータ日本」として採用された。米国では、2004 年 12 月に米国の競争力評議会(Council on Competitiveness)から Innovate America(通称パルミサーノレポートと称される)が刊行され、アメリカの競争力強化の原動力としてのイノベーション創出力の増大に向けての政策提言として注目を集めた。アメリカではその後この流れをくむ競争力強化に向けての法律が行政、議会において活発に議論され、そのいくつかが法律として制定された9。このレポートは、当時の

8 第 3 期科学技術基本計画(p.4)「知的資産の増大が価値創造として具体化するまでには多年度を要することから、第 1 期・第 2 期基本計画期間の投資により向上した我が国の潜在的な科学技術力を、経済・社会の広範な分野での我が国発のイノベーション(科学的発見や技術的発明を洞察力と融合し発展させ、新たな社会的価値や経済的価値を生み出す革新)の実現を通じて、本格的な産業競争力の優位性や、安全、健康等広範な社会的な課題解決などへの貢献に結びつけ、日本経済と国民生活の持続的な繁栄を確実なものにしていけるか否かはこれからの取組にかかっている。」(下線編者)

9  例 え ば、The America COMPETES Act (2007) ( 正 式 名 は、The America Creating Opportunities to Meaningfully Promote Excellence in Technology, Education and Science Act)、Tax Relief and Healthcare Act (2006) などがある。

「科学技術政策」から「科学技術イノベーション政策」への転換第 1 部

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日本におけるイノベーション政策にも大きな影響を与えたのであり、パルミサーノレポートにおけるイノベーションの定義は CRDS の提案したものと軌を一にするものである10。

イノベーションには多くの定義や考え方があるが、CRDS で定義した「科学技術イノベーション」の起源は、シュムペーターが著わした「経済発展の理論」(1911)の中で提案されている「新結合」の概念11 に遡る。シュムペーターは、一般均衡から脱出して経済を発展させる原動力は「5 つの新結合(イノベーション)」であるとした。第 1 に、未知の新財貨や新品質の生産をして消費者に供給する。これは現代流に言えば「プロダクト・イノベーション」を指す。第 2 は、新生産方式の導入で、今で言う「プロセス・イノベーション」のことである。第 3 は流通チャンネル、新販路の開拓による新市場への参加で、「マーケット・イノベーション」を意味する。第 4 が原料、半製品の新供給源の開拓、最後に第 5 は、新組織の実現による独占的地位の形成、または独占の打破である。彼はこの 5 つを「新結合」と呼び、「非連続的な新結合」は動態的な経済発展をもたらすだろうと述べた。シュムペーターはこのような「新結合は」既存の価値を破壊し新たな価値を生み出すからその効果は大きい。これこそが経済を大きく発展させる原動力であると主張した。そして

「創造的破壊」こそがイノベーションの本質と喝破している。当時は科学技術が未発達であったこと、その後 20 世紀においては科学技術の著しい発展とそれに基づくイノベーションが大きな価値を生み出し、社会全体を大きく変貌させたことを考えると、現在の未曾有の経済不況を救済し、新たな経済発展を促すのはこの「科学技術イノベーション」であると言える。

国が支援して惹起すべき「科学技術イノベーション」は、例えば製造プロセスの合理化や新製品・新技術の創出といった、個別の実用的・実利的成果を生み出す「イノベーション」とは異なる。これは個別の企業や一研究者が達成できるもので、これは「技術革新」と呼称されるものである12。もちろん、

10 パルミサーノレポートでは、新技術、新プロセス、新着想を新商品(財やサービス)に転換して市場に投入し、新たな経済的な価値を生み出し、さらには生活の質(QOL)の向上に資する、こういったすべての行為が「イノベーション」である、とした。また、そのために社会システムの構造改革が必要である、とした。これが、今日の米国で言われているイノベーションである。本レポートが議論しているイノベーションでは、長期的基礎研究の重視、出口が見えない研究へのピアレビューを経ないファンディングの必要性など、いわゆる出口志向の研究とは全く異なる研究のあり方が提言されている。

11 シュムペーターは、与件が不変と仮定すると経済は均衡に向かい、そして循環する、とした。ここで与件とは、市場の構成や消費者の嗜好を指す。また、物と労働とを結合させることが生産であり、このような仮定のもとで、経済は循環するが発展はしない、「静態的な変化」をする、という考え方である。これに対して、右肩上がりの発展は、「非連続的な新結合」の遂行によってのみ達成されるとし、これを「動態的な発展」と呼んだ。

12 我が国ではイノベーションを技術革新と翻訳し、同一のものとして取り扱われてきたが、イノベーションを単に技術革新とするとイノベーションの本質を見誤ることになる。

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この「技術革新」のプロセスを公的に支援することはある。「基礎研究の成果として蓄積された科 学的な知識が、社会的課題やニーズへの適用可能性を見出され、様々な試行錯誤や工夫を乗り越えて実用化され、社会に浸透することで経済的利益を生み(=経済的価値の増大)、あるいは我々の生活に密接に関わる安全、健康、環境等に関わる社会的要請を充足し(=社会的価値の増大につながる)、そして社会と生活のあり方を抜本的に変え“物心共に豊か”になること(=社会経済的価値の増大)」、が「科学技術イノベーション」である。(図 1)

図 1 科学技術イノベーション

特に、国が政策として推進すべき「科学技術イノベーション」は、次の 4つの条件を満たすものに限定すべきである。第 1 にそのイノベーションが創造的破壊を伴い、科学技術の世界に新たなパラダイムシフトを起こさせるようなものであること。このような技術は通常、非連続的な技術であり、過去の技術を反故にする。例えばアナログからデジタルへの転換はその例である。第 2 にそのイノベーションが社会システムに大きな変化をもたらすものであること。このようなものは、通常、社会から大きな抵抗を受ける。社会の新規なものに対する受容性がイノベーション成功のカギを握る。第 3 に、そのイノベーションによってもたらされる経済的な価値の増大が国の経済発展を促すほど大きいものであること。その結果として産業競争力が強化され、経済成長の原動力となる。第 4 に、そのイノベーションが広く社会的な問題に解決策を与え、社会のニーズに応えられる、すなわち、社会的な価値を大きく増大させるものであること。

以上のように、「科学技術イノベーション」は、本質的に現在価値を創造的に破壊し、既得権益の否定を伴うものであるから、現存勢力からの抵抗を受け、その意味において「本質的な死の谷」が存在する。従って、単なる技

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術革新と「科学技術イノベーション」を区別して考える必要がある13。

また、効率的な研究開発、いわゆる「出口志向の研究開発」もここで言う「科学技術イノベーション」とは異なるので区別しなければならない14。初めに出口を設定したものは、「出口」そのものが既存価値によって導かれたものであるから、既存価値の破壊と既得権益の否定を引き起こし得ないので科学技術イノベーションを起こさない。逆にスタート時点で出口の見えない、応用が考えられない長期的で基礎的な研究をサポートすることがイノベーションの第一歩となるのである15。科学技術イノベーションのプロセスは一見するとリニアモデルに似ているが、よく調べると全く異なり、次に述べる科学技術イノベーションプロセスのモデルで示すように、フィードバックが有効に働くことが非常に重要で、これが大きな特徴となっている16。

1.2. 科学技術イノベーションプロセスの SL モデルCRDS では、「科学技術イノベーション」のプロセスを、以下に述べる 5

つのステップでとらえている17。これらのステップはリニアに接続している(いわゆるリニアモデル)のではない。5 つの進展プロセスが進む各段階には、“フィードバックループ”と名付けたものが存在する。どのステップにあってもより発見・科学的知識のステップに近いステップに戻るループが必ず存在することが重要であり、入り口と出口の間のステップ&ループプロセスは総体としてみるとリニアにつながっているのではなく、不確実で、確率的過

13 以上みてきた「科学技術イノベーション」に当てはまらない事例が「イノベーション」として取り上げられる場合が非常に多いので、我々は特に注意して区別するようにしなければならない。例えば、現在の半導体チップ生産では、線幅 45 ナノメーターの露光技術が量産技術として使用されているが、線幅をそれ以下にするには、大きな技術革新が必要になる。しかしいったんその技術が実現されれば市場は喜んでその技術を採用する。その場合にも古い技術は市場では使われ続ける、そういう場合には既存技術を破壊しないから、死の谷もない。このような場合を「技術革新」と呼んで区別しておく必要がある。従って「科学技術イノベーション」は創造的破壊を伴うものであり、従って国の支援が必要であり、社会システム全体から受容されるような政策が必要になる。

14 ここでは「科学技術イノベーション」との違いを強調しているのであって、公共政策としての出口志向の研究開発を行うことを否定しているのではないことに注意。

15 パルミサーノレポートではこの点が強調されている事に注目。

16 光通信は非常に良いイノベーションの例である。3つの分野にイノベーションが起こった。一つは光源の半導体レーザーである。1954 年にレーザー技術の原点である、メーザー発振があった。1957 年に半導体レーザーの提案があり、1960年には固体レーザーの発振があった。半導体の発振は 1960 年代に 3 カ所の研究機関で成功し、1970 年に室温連続発振や、長波長化などの性能の改善があって、高速、高容量の通信用レーザーの実用化に至る。この間、ノーベル賞を 3 つと、日本国際賞、京都賞などをもらった研究者が続出した。ノーベル賞を取るような非常な基礎研究がイノベーションに寄与するのだ、という良い例である。

17 「戦略プロポーザル:科学技術イノベーションの実現に向けた提言-ナショナル・イノベーション・エコシステムの俯瞰と政策課題-」(2007)には、トランジスタから IC へ、液晶ディスプレイ、光ファイバ、半導体レーザ、酸化チタン光触媒、人工心臓の事例挙げられている。また、Lewis M. Branscomb, Philip E. Auerswald. Between Invention and Innovation, An Analysis of Funding for Early-Stage Technology Development. NIST GCR 02-841. 2002 も参照。Branscomb らは Basic Research, Proof of Concept/Invention, ESTD(Early Stage Technology Development), Product Development, Production/Marketing の 5 段階に分けている。

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程となる。したがって、科学技術イノベーションのプロセスにおいては、単線的に出口を見据えた出口志向の研究は含まれない。この様子を示した図 2を、CRDS では、“Step & Loop モデル”と名付けた18。

図 2 科学技術イノベーション Step & Loop モデル(1)科学的知識:イノベーションのアイデアの宝庫としての科学的知識の創出と蓄積(2)新概念の証明:科学的知識を実用可能なアイディア(技術・プロセス)に落とし込む作

業(発明の知財化)、アイデアを売れる商品に転換する着想(商品企画)(3)プロトタイプの試作(Early Stage Technology Development: ESTD):商品のプロトタ

イプを実現させるための一連の作業(開発・設計・製造)(4)製品の開発と市場への投入:プロトタイプを市場に投入するための一連の活動(マーケ

ティング)、市場を立ち上げる一連の活動(販促・広告)(5)経済的成功と社会への還元:企業の利益獲得と成長、それによってもたらされる社会へ

の還元*図 2 は、Branscomb ら(2002)に基づいて CRDS で作成したものである。

図 2 に示す各段階にはそれぞれバリアがあるが、最も大きなバリアは「発明・概念の証明」から「マーケット投入」の間に存在する。新しく生まれた発明や概念に基づく新製品・サービスが、既存の製品・サービスに打ち勝ち、あるいはまったく新規な価値を生み出して市場に受け入れられ経済的にも成り立つまでには、生物が危険な環境の中でその生存を賭けた競争を繰り広げ、

18 Klein らは、イノベーションの進展プロセスには、フィードバック作用が含まれており、新たな科学的知識を生み出す研究が様々な段階で必要となりうることを示す chain-link model を提唱していた。CRDS の Step&Loop モデルはこれを発展させたものである。(Klein,S. And N. Rosenberg [1986], “An Overview of Innovation,” in R.Landau and N.Rosenberg (eds.), The Positive Sum Strategy, National Academy Press.)

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あるいは周囲の環境を利用して進化するのにも似たプロセスを経る必要がある。その様子を、あたかも多くの外敵が待ち受ける危険な海を渡りきることになぞらえて「ダーウィンの海」と称している19。図 2 の 5 段階をスムーズに接続する社会システムが、後述する「イノベーション・エコシステム」である。

以上で、科学技術イノベーションの国の科学技術政策レベルでの位置づけ、SL モデルに特徴的なフィードバックが起こること、全体として確率的なプロセスであって、出口志向研究開発とは大きく異なった考え方であることが理解されたはずである。

2.「科学技術政策」から「科学技術イノベーション政策」へ

科学技術政策から科学技術イノベーション政策への転換とは何を意味するのであろうか?これまでの科学技術政策は、社会ニーズや企業における研究開発の活動を考慮しつつ、大学や国立研究機関、その他の公的研究機関など、研究開発を担う機関をどの様に配置し、どの様な制度設計の基に、最適な予算配分するかというものであった。すなわち、その目的が、新しい科学的な知識の創造及び新たな技術の創出であった。前節までに明らかになったように、科学技術イノベーション政策はそれだけでは不充分であり、新しい科学的知識や新技術が社会に実装され国民生活に新たな価値を生み出すための政策が新たに付加されねばならない。

国が支援すべき「科学技術イノベーション」の達成プロセスは、極めて長期間に亘り、複数の組織や大勢の異分野の人々がそれぞれのフェーズで関与する複雑なプロセスである。多くの試みが失敗に終わり、初めから計画通りに進むものではない。本質的に「ダーウインの海」が存在する。従って「科学技術イノベーション政策」はイノベーションの試みが首尾良く「ダーウィンの海」を泳ぎ切って社会へ実装あるいは上市される仕組みを作ることであるといえる。あるいは、イノベーションが成功する確率を増加させる「社会的な仕組み」を作るのが、従来の科学技術政策に比較して、新たに付加されるべきイノベーション政策の課題である。

本節では、過去の科学技術イノベーションの成功例を分析し、SL モデルとの対応を考慮して、CRDS で考案された「イノベーション・エコシステム」について述べ、イノベーションの成功確率を増大させるために重要な「場」

19 「死の谷」と称することもあるが、乾燥した不毛の土地を連想させるので、ここでは Branscomb らの使用した「ダーウィンの海」を採用する。

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の考え方と、それに基づく科学技術イノベーション政策の課題・要素を挙げる。

2.1. イノベーション・エコシステムと「場」「イノベーション・エコシステム」とは、「科学技術イノベーション」が実

現する様子を生態系(エコシステム)になぞらえて表現したものである。生態系では、種が周囲の環境に適合し、また多様な種と出会う中で、より優勢な種として進化していくもののみが生き残る。これと同様に、新概念、新技術20 は様々な「敵(既存の技術、製品、概念など)」と戦い自己を進化させたり、周囲の条件(環境、制度、規制、税制など)に適応することで生き残りをかけ、社会へ実装され、あるいは上市される。この有様は生態系に於ける進化に類似している、その場合、周囲の条件も不動で与件されたものではなく、変化するものである。そこに科学技術イノベーション政策の課題が存在すると考える。またイノベーションの関与者である大学・研究機関、民間企業(特にベンチャー企業)、投資家、消費者、政府等が、社会的環境の中で自律的に活動し、かつ相互作用することを通じてイノベーションが達成される。イノベーションを起こす社会システムは固定されたものではなく、常に変化・進化する柔軟なものである。このように柔軟な社会システムを設計し、構築する政策は今までには無かったもので、新たなアプローチが必要となる。

「科学技術イノベーション政策」の課題を見つけるには過去の代表的なイノベーションのプロセスを分析し、イノベーションを高い確率で迅速に起こさせるような条件を見いだすことである。そのためには図 2 に示した SL モデルの各ステージにおいてどのような条件が存在するかを見いだせばよい。まず図 2 の左端の「アイデアの海」に豊富な科学的知識が蓄積されていることである。ここは科学者の好奇心に基づく研究の成果であって、ここでの研究は広く基礎研究と認められているものである。このような基礎研究の成果は公開されることが原則であって、一国が囲い込むべきものではない。イノベーションを国の競争力強化の源泉と考える人は多いが、科学的知識は国境を越えて流通すべきである。そのほうが結局は科学の発展に寄与するからである。

科学的知識から実社会に役立つ技術や新概念を創出する「発明」の段階から科学技術イノベーションのプロセスがスタートする。ここではすでに市場における利害関係が発生する。そこで、発案者の権利を守り、新技術を普及させるために特許が存在する。さらにそのアイデアはダーウィンの海を泳ぎ切り図 2 の右端の市場に投入される。多くのアイデアは製品を作る前に死滅

20 SLモデルに於ける第 2 ステージ

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する。死滅する理由は様々であろうが、そこを分析し死滅する確率を最小にすること、逆に言えばダーウィンの海を泳ぎ切り上市出来る確率を最大にするのが「科学技術イノベーション政策」の最も重要な課題である。さらに上市した後市場に受け入れられ、シェアを拡大し利益が出るようになればイノベーションは成功したことになる。そして成熟期を過ぎてその技術あるいは製品は市場から消えていく。これがイノベーションのサイクルである。

このようなプロセスを政策の観点から眺めてフレームワークとして図 3 に示す。図2のSLモデルと対応すればそれぞれの意味はよく分かる。「入口」は、様々な研究活動を通じて新たな知識が創造され、技術的な概念の実証に結びついてゆく段階である。ここでは科学者は単に知識の創造に止まらずに、「場」に投入すべき新概念や実証された技術のアイデアを創出することが要請される。

図 3  NIES のフレームワーク

「出口」は、新しい製品やサービスが実現することで価値が創造され、経済的利益や生活の質の向上に結びついてゆく段階である。自由市場経済では、既存の市場において様々な障害を乗り越えて自律的に市場のシェアを獲得する必要がある。一方社会的な問題の解決に資する場合は国や地方自治体が政策として新概念や新技術を社会に実装していく場合も想定される。

両者の間にある「場」が、「入口」の成果である新概念や新技術を受け取り、

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プロトタイプや試作品に結びつけ「出口」へと渡す。この「場」が、科学技術の知識を社会的、経済的価値に結びつける科学技術イノベーションの実現には、最も重要な段階であると言える。

科学技術イノベーション政策の重要課題は、「場」の設計である。この「場」には様々な人が介在する。新技術を作り出した科学者、研究者、起業しようとするアントレプレナー、投資家、ベンチャー、既存の企業などである。この「場」を適切に形成することが、イノベーションの成功する確率を高める。よくいわれるようにシリコンバレーではこの「場」が自然と形成されている。

市場においても新しいものを積極的に受け入れる、あるいは取り入れる風土が必要である。また新規なものへの購買意欲がある前向きな革新的市場の存在が重要である。さらには公共調達で新技術・新製品を購入し、イノベーションを促進する政策をとっている国もある。

またこのイノベーションのすべての段階で重要なものが、お金の供給(ファンディング)、教育・人材育成、そして新規なものに対する社会的受容性である。それらの要素はそれぞれの段階で異なるが、一国の状態を診断するにはここで挙げた要素がイノベーションを成功させるのにプラスに働いているか、マイナスに働いているかである。従ってこのモデルを用いて各ステージに於ける政策課題が抽出される。

元来イノベーション・エコシステムの構築は一国内において、国の競争力強化策の一貫として考えられる場合が多い。しかし、このグローバル化が進展する社会で、一国の競争力強化という観点のみでイノベーションを考えるのはもはや時代遅れである。そこで CRDS では、この NIES(National Innovation Ecosystem)21 のコンセプトを更に発展させ、地球規模の問題解決の為のイノベーション・エコシステムの構築(図 4)を提案した。これをグローバル・イノベーション・エコシステム(GIES:Global Innovation Ecosystem)と名付けて過去 3 回に亘って国際会議を開き22 その普及に努めている23。地球規模問題の解決と経済発展を両立し、持続可能な発展を実現するためには、GIES の確立が不可欠である。GIES において、各国が競争と協調を通して、人材・制度・資金を公的部門と民間部門のそれぞれにおいて

21 CRDS. 戦略プロポーザル 科学技術イノベーションの実現に向けた提言-ナショナル・イノベーション・エコシステムの俯瞰と政策課題- . CRDS-FY2006-SP-11. 2007

22 Global Innovation Ecosystem 2006, 2007, 2008 (http://crds.jst.go.jp/GIES/)

23 CRDS. 戦略提言 地球規模の問題解決に向けたグローバル・イノベーション・エコシステムの構築-環境・エネルギー・食料・水問題- . CRDS-FY2007-SP11. 2008

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活用し、科学技術の知識を基盤とした新たな経済社会的価値を創造することが必要である。

図 4  GIES のコンセプト

2.2. 科学技術イノベーション政策の課題上記の NIES のフレームワークを用いて、「科学技術イノベーション政策」

の課題に関する要素群について主なものに限って見てみよう(図 4)24。

2.2.1. 「入口」に関する政策課題1)イノベーションの入口としては、単なる科学的知識の創造だけではなく、更に一歩進めて新概念・新技術の創出が鍵を握る。今までのように研究者は論文を書くことだけに満足せずもう一歩先までを考え、その研究成果がどの様に社会に役に立つかを考えて、科学的知識を社会ニーズからの要求に応じて組み替えた「新概念」にまで高めて提示することが要請される。その新概念が「場」に投入されイノベーションを生むきっかけを作るからである。

24 CRDS では、2007 年 1 月、科学技術イノベーションが起こりやすい環境を整備することは、国の役割であるとする提言、「戦略プロポーザル:科学技術イノベーションの実現に向けて、いま、何をなすべきか-早急な対応が必要な政策課題と提言-.2007」を発行した。この提言では、前節で示した NIES のフレームワークを踏まえた上で、科学技術イノベーションの実現に寄与する政策課題を 5 つの要素群としてまとめ、図 4 のように俯瞰した。

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2)科学研究費補助金のように研究者の自由な発想に基づく研究は、科学の進歩に沿った新たな知識を創造するからイノベーションに重要であるが、それに止まらず将来の産業構造の変化や我が国の産業競争力の強化、社会的な問題解決に重要な科学技術分野、あるいはイノベーションがより多く期待できる研究分野に戦略的に投資する。

3)科学技術予算を広く薄くばらまかず、重要な科学技術領域毎に臨界マスを超えた研究者を集結させ「真の COE」を形成して、効率的で世界水準の研究を遂行できる場を形成する。また研究者間の共同研究を促進する共用施設の建設や異分野研究者の共同研究を促進する場を形成する。

4)限られた予算を最も有効に活用できる省庁をまたぐファンディングの方法を開発する。また期待される成果が必ずしも自明でないが、成功した暁には大きなインパクトが得られる研究を積極的にファンディングするプログラムを開発する。

5)イノベーションは既存分野の融合や全く新規な学問分野で起こるから新規・融合分野の研究を積極的に推進する。またイノベーションを目指して産業界と大学が真剣に取り組む共同研究を推進する。

2.2.2. 「場」の形成に関する政策課題1)「ダーウィンの海」を泳ぎ切るには、ベンチャーを起業して新製品を創り、市場で成功するのが一般と考えられている。この場合は、「場」の形成はベンチャーを起業し易くし、育成する政策が最も重要ということになる。しかし現実問題として日本ではなかなか技術を持ったベンチャーは生まれてこないし、市場で成功することは困難である。それには種々の原因があるが、過去の経験からみて日本では大学の研究成果を既存の企業が事業化し、経済成長に貢献するというモデルをもっと追求すべきである。

2)ベンチャーを起業し易くし、市場で成功させる政策は図 5(18 ページ)に示したようにいくつかの重要な要素がある。その第一は、異なった分野の専門家がネットワークを形成し、交流してベンチャーを成功に導く仕組みづくりである。ベンチャーは技術だけでは成功しない。経営の専門家、財務の専門家、法律・知財の専門家、マーケティングの専門家、そしてその技術の専門家が集まり、イノベーションを達成する。そのような異なった分野のプロをベンチャーの持つ特性に応じていつでも供給できる体制を創ることである。ベンチャー成功で定評のあるシリコンバ

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レーにはこういう人のネットワークがある。このような仕組みを国の主導で作ることは政策課題の一つである。さらに現在は一つのユニークな技術を持っていても市場で成功する確率は少ないから種々の優れた技術を持ち寄ってイノベーションを起こす必要がある。その意味からも異なった技術を持った専門家集団の協力体制を形成することも必要である。いわゆるオープンイノベーションの環境作りである。

3)ベンチャーを成功に導くもう一つの課題は資金の提供である。ベンチャーはリスクを伴うから、リスクをとる資金がベンチャーの初期の段階で必要になる。アメリカではいわゆるエンジェルズといわれる金持ちの個人的な投資家による資金提供である。日本ではこのようなエンジェルズの数は少ない。さらにいわゆるベンチャーキャピタルといわれるもう少しリスクの低い投資を好む資金がある。我が国でも政府系(あるいは自治体)資金、銀行系資金、独立系の資金などがあるが、その総資金額は世界で最も少ない方に属する。また性急にリターンを要求する資金が多いから、もっと「辛抱強い資金」の必要性が叫ばれている。リスクを取れる資金としては日本では特に政府による援助を行う必要がある。元来日本の政府系資金は安全で確実な運用を好むが、発想を転換して政府こそより大きなリスクを取り大きなリターンを得ようとする資金を提供すべきである。全体として国民にプラスになると言う考えを社会が受容する風土を醸成する必要がある。

4)さらにイノベーションをより高い確率で迅速に起こさせる「場」形成の要素として、税制がある。研究開発費に対する特別減税措置が恒久化されたことや、初期のベンチャーに投資する場合の減税措置はイノベーション政策としては有効である。更にアジアの一部で行われているある地域(特区)における法人税の減免などもイノベーション創出には有効である。

5)さらに日本の場合東京への一極集中は地方の疲弊を誘起し、日本全体の経済発展を阻害している。地域からのイノベーション創出と地方経済の活性化は現在我が国の置かれた状況を鑑みるに焦眉の急である。そのためには様々な政策課題が存在する。特に地方大学をイノベーションの拠点として整備する必要がある。この際注意すべきは、従来は地場産業にマッチした学部や学科を作っていたが、これからは大学で生み出された新技術を基に地場産業を作るという逆転の発想が必要である。そのためには地方の大学をもっと強化しなければならない。国立大学の法人化

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後はますます中央を向いた大学経営が行われている。それは運営交付金が年々減じられ、競争的資金によって大学が生き残る必要があるから、中央政府の競争的資金獲得に地方大学が動かざるを得ないからである。地方大学の研究能力の強化は地域イノベーションにとって極めて重要である。そのためには様々な政策課題がある。道州制などを敷き、地方の行政単位を大きくし、大学への自治体からの研究投資を自由化することもその一つである。地方大学に有る特定分野の COE を建設し、中央政府と同時に地方自治体が財政援助し、その地域の産業界と協力して、地元経済の発展に貢献する枠組みを作ることは有意義である。今までの産業クラスターや知的クラスター、また地方の自治体による様々な企業誘致の試みがより一体化され、大きな活動の流れを作る必要がある。そのためには文科省、経産省、総務省、地方自治体、地域の商工会議所などが一体となってイノベーションを進める必要がある。

2.2.3. 「出口」に関する政策課題1)イノベーションの最終段階は市場での競争を勝ち抜くことである。一般に経済的な価値創出の最終ステージは自由市場に於ける競争の原理のなかで既存の価値を打ち破りシェアを伸ばすこと、あるいは全く新しい市場を創出することである。この場合は政府の出番は少なく、すべてを自由競争に任せた方がよい。その市場が新しい製品や価値をどれだけ受け入れるかはイノベーションの成功確率と関係している。この新しい価値の受容性は社会の姿と関係している。成熟して安定を望む社会は新しい価値を排斥する傾向にあり、イノベーションに対してはネガティブに作用する。また急成長を遂げ活気ある社会の市場は新しい価値を受け入れる余地が大きい。現在の中国やインド、1980 年代の日本はまさに成長のまっただ中にあってイノベーションが顕著に起こったといわれている。

現在の日本は保守的傾向が強く、イノベーションが起こりにくい風土を有する。また、政府の制度や規制が時代に合わなくなっていたり、国際化していないためにイノベーションの妨げになっているケースもある。

変化を阻害していた既得権者を破壊し、新しい価値の受容性を増す効果を持つ様々な規制撤廃は自由競争を促し、イノベーション創出にはポジティブに働く。旧態依然の価値を守ろうとする風土ではイノベーションが起こらない。

2)一方政府が規制することによってイノベーションが促進される場合もある。自動車の排ガス規制によるクリーンエンジンの開発や、エネルギー消費の低減による CO2 の削減の為のエンジン開発は 100 年間本質的な改

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革をもたらさなかった自動車界に極めて重要なイノベーションであるハイブリッドカーを生みだした。この経済的効果は大きい。このように政府による規制や義務化はときに大きなイノベーションの原動力となる。

3)さらに経済的な価値ではなく、むしろ社会的な要請である種の新技術が実用化される場合がある。安全、健康、環境に関連する分野で社会的な問題解決や生活の質の向上といった観点から政府や自治体が行政的な措置として新技術を社会に実装し、イノベーションを完成させる場合が想定される。その場合でも初期の社会へ実装は行政的措置として実行されるが、それが長続きするためには、やはり経済的価値創造によって市場に自律的に受け入れられねばならない。すなわち、社会的価値を経済的価値へ変換することでイノベーションが完成する。

4)さらに政府や公共機関の調達によって新技術を育成し、イノベーションを促進するような政策課題が存在する。特に米国では、莫大な軍事予算を持っているから、新しい技術導入を軍で初めて行いそれを改良して民間に普及させることが可能であり、実際そういうケースは多く存在する。日本でも政府調達を用いて積極的に新技術を導入する試みはもっと試行されるべきである。

図 5 科学技術イノベーションの要素と要素群参考文献 IMD. IMD World Competitiveness Yearbook 2006, 2006.

OECD. OECD Science, Technology and Industry Scoreboard 2005, 2005.

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科学技術政策を科学技術イノベーション政策に転換する流れは全世界の傾向である。我が国でも第 3 期科学技術基本計画でイノベーション政策が掲げられたのは正しい政策転換であった。しかし、イノベーション政策の中味は未だ定番が無く文科省も経産省も試行錯誤でイノベーション政策のなんたるかを探っている。本稿では国が支援すべき「科学技術イノベーション」をできるだけ明確化し、イノベーションの生まれる過程の分析から SL モデルを提案し、それを基に政策課題の重要な事項を抽出して示した。これからの科学技術イノベーション政策の実行に当たってはこのような考え方や課題抽出が極めて重要である。そしてこれらの政策課題を個別に行うのではなく、お互いに関連させて統合的に実施することが大事である。

第二部に述べるミクロな科学技術政策すなわち研究開発戦略の立案に際しては、科学技術イノベーションを誘発することが現在の日本の活性化には最も重要な課題であることを常に考慮しなければならない。科学技術イノベーションこそが経済発展を促し、地球問題の解決を図り、生活の質の向上に資するものであり、日本の産業競争力強化の原動力である。

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ミクロな科学技術政策の重要な部分である「国はどの科学技術分野・領域を重点的に財政支援すればよいか、そのなかで具体的な重要研究開発課題は何か」ということをエビデンスベースで抽出することが「研究開発戦略の立案」と定義し、その手法について以下に述べる。この手法は CRDS が発足以来試行錯誤して開発してきたものであるが充分成熟したとはいえない。しかし、その骨子はある程度確立できたと考えている。

この作業の困難さは、異なった科学技術分野の研究開発課題を、その重要性を考えて相互に比較し取捨選択しなければならないことにある。そのためには科学技術分野の全体像を俯瞰し、分野間の関係性を明らかにしたうえで、異なった専門分野の研究者を集めて議論しなければならない。そこでの難しさは、専門家は自己の関係する狭い領域しか見えないことであり、その分野を最も重要と考える傾向にあることである。これは専門家を非難しているのではなく、それであるからこそ専門家であるという本質に根ざす。従ってそのような専門家を集めて、我々の目指す戦略を立案する際には、ある種の手法が必要になる。以下にその手法について記述する。

1.研究開発戦略策定の基本的スタンス1.1. 研究開発におけるリニアモデルの終焉

20 世紀の科学技術の発展を促す重要な原動力が国の科学技術政策であった。科学技術政策の先進国である米国においてその原点を探ると、Vannevar Bush の Science - The Endless Frontier(1945)25 に求めることが出来る。この提言は時の大統領ルーズベルトの諮問に応えたレポートで、太平洋戦争の終結直前に大統領が、「戦時中に培われた基礎研究の振興を平和時に於いて維持するために、政府は如何なる政策をとるべきか?」という問いに答えたものである(他に 3 つの質問26 があった)。Bush はそのレポート中で政府の財政的な研究支援を一本化して行うために NRF27 を設立すること、

25 米国 NSF のサイトに掲載されているので是非一読されたい。http://www.nsf.gov/od/lpa/nsf50/vbush1945.htm

26 (2 番目の問い)病とたたかう科学に特に関連して、医学と関連科学においてなされてきた研究を将来に亘って継続するための計画の策定に関して今、何ができるのか。(3 番目の問い)公共ないし民間機関による研究活動にたいして(連邦)政府として、現在、また将来に、何ができるのか。(4 番目の問い)我が国の科学研究を将来にわたり戦時中になされたレベルで継続することが保証できるように、アメリカの若い科学にかかわる才能を発見し育てるために有効なプログラムを提案することができるか。

27 National Research Foundation:NRF そのものは設立されなかったが、その設立の趣旨は、紆余曲折を経て現在のNSF に受け継がれている。例えば、http://www.nsf.gov/about/history/nsf50/nsf8816.jsp など。

研究開発戦略立案の方法-社会ビジョンの実現および科学技術の基盤充実とフロンティアの拡大を目指した研究開発戦略の立案-

第 2 部

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政府は基礎研究を支援すること、そうすれば応用研究は自ずと進行し新たな有用な技術が生まれること、また研究支援は研究者自身が中核になって行うべき事など重要な提言を行っている。これが、いわゆる研究開発の「リニアモデル」を生み出すとともに、安全保障を含む国の力の原点を科学技術におくという米国における国民的な合意を形成する下敷きとなった。

この Bush の考えは「基礎研究至上論」であって、国は基礎研究のみを支援するべきであり、良い基礎研究の成果から自然と応用研究が起こり、それを用いて企業が技術開発を行うべきであるという考え方である。研究開発の

「リニアモデル」は、米国では第一次石油ショックを契機として、主として企業の研究において疑問が呈せられた28。その後米国の経済不況が拍車をかけ、多くの企業から基礎研究が消えていった。その代わり、NSF は大学に研究センターを新設し29、企業において基礎研究を行っていた多くの優秀な研究者を招聘し研究の場を提供した。その結果大学の研究が著しく発展した。

「リニアモデル」あるいは「基礎研究至上論」の終焉は、1999 年の世界科学者会議によるブダペスト宣言30 において明瞭に現れているとみることが出来る。この背後には、企業に於ける「リニアモデル」に基づく基礎研究が商業的な価値を生み出さなかったという反省31 に加えて、現代に於ける基礎研究には莫大なお金が掛かるという事も併せて考えておく必要がある。現代国家に於いては税金によって基礎研究が支援される32。科学技術の基礎研究とその応用が新たな技術を生み出し、国力の増強をもたらすと同時に国民に新たな価値を提供できるという事は、以前にもまして顕著になってきているから、政府が税金を投入して科学技術を発展させることは、政策の重要な部分を占める。こうして、政府といえども研究開発への財政的支援を純粋な研究支援ではなく「研究投資」と考えなければならなくなった33。これに呼応して、

28 企業に於ける基礎研究の牙城であったベル研究所に於いてさえその方針に変化の兆しが読みとれた。

29 NSF が設立した ERC(Engineering Research Center) は、バイオエンジニアリング、設計・生産・製品開発システム、地震工学、マイクロエレクトロニクスシステム・情報技術の 4 つの分野に焦点をあてた構成となっており、産学連携による研究開発が行われている。現在 20 の ERC が活動している。http://www.nsf.gov/pubs/2000/nsf00137/nsf00137a.htm

30 「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」:この中で 21 世紀の科学は次の 4 つの「為の」を満たさねばならないと宣言した。1)知識のための、進歩のための、2)平和のための、3)開発のための、4)社会のための、文科省のホームページに日本語訳があるので是非一読をされたい。http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/10/991004a.htm

31 ローゼンブルーム、リチャード・S.(西村吉雄訳)中央研究所の終焉 . 日経 BP 社.1998。

32 一部の金持ちがパトロン的に基礎研究を支えるという図式は一般的には成り立たなくなった。しかし、欧米においては寄付による財団が基礎研究を支援している重要な例もある。例えば、Rochefeller Foundation (米国)、Bill & Melinda Gates Foundation(米国)、Wellcome Trust(英国)、Cancer Research UK(英国)など。

33 CRDS の戦略プロポーザルの構成要素「研究投資する意義」は戦略プロポーザルの中でも最も重要な記述の部分とされている。ここには、「科学技術上の効果」と「社会・経済的効果」を両者を統合して記述することが求められる。「社会・経済的効果」*のみ*ではないことにも同時に注意されたい。

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研究者の側では使った研究費に対する社会への「リターン」を考えなければならないことである。ここで言う「リターン」とは、経済的な効果のみではなく、国民にとっての新たな価値を生み出すことがリターンである。基礎研究といえどもその成果が科学者の世界だけで閉じていてはならない。大学の研究といえども研究者の趣味的な行為に止まることが許されない時代になったのである34。

1.2. 現代の研究開発戦略策定に求められる「二面性」以上に述べた歴史的背景を踏まえて、科学技術政策の策定と研究開発戦略の

立案の手法を開発する必要がある。すなわち国民から集めた税金をいかに有効に研究開発に投資し、国民の負託に応えるとともに科学技術そのものを発展させるかという、二面性を同時に満足させねばならないということである35。この二面性は科学技術政策の面のみでなく、研究開発プロジェクトの評価の本質でもある。すなわちその研究開発によってその分野の科学技術がどれだけ発展したか、ということと、それによって一般社会にどれだけの価値を提供し得たかを評価するということである。ここでいう価値とは必ずしもお金に換算出来るものである必要はない。国民の求めているものに応えられたかである。新しい知識の創造は国民に理解される形で提供されれば大きな価値を与えたと認識される。研究開発評価もこの二面性を基におこなうべきである。

以下に述べる CRDS で発展させてきた戦略立案の手法は、以上のような歴史観に立って構築されたものである。政策立案において考慮されるべき二面性のうちの科学技術の発展性に関しては、その分野の専門家のみが正しい判断を下すことが出来るという昔からの考え(peer review)は現代にあっても変更されないと思われる36。むしろ専門の細分化が進みこの傾向は強まっているかもしれない。したがって政策立案にあたっては研究者自身が主役を担う事が要請される。しかし専門の細分化故に自己の専門分野にのみ興味を抱く研究者は政策立案には適さない。広い視野と見識を持った専門家が戦略立案に関与すべきである37。

34 このことはイギリスのサッチャー首相によって基礎研究がもはや「ブルースカイリサーチ」でなくなった事と軌を一にしている。例えば、HEFCE(Higher Education Funding Council for England:イングランドの高等教育機関における教育 / 学習の卓越性の増進、公正な機会拡大、研究の卓越性の向上、高等教育の経済・社会への貢献拡大、を進めるためのファンディング機関 http://www.hefce.ac.uk/)が 1992 年に設立され、大学の研究が厳しい評価を受けその結果に応じて研究費が配分されるようになった。

35 ここにいわゆる財政支援機関(ファンディングエイジェンシー)の研究開発戦略の担い手としての最も重要な役割があることも併せて注意されるべきである。

36 ピアレビューの原点は、例えば、マックス・ウエーバー . 職業としての学問 .1936 が説いた、「専門分野内での作業への専念」に見いだせる。

37 ここで述べた条件は、CRDS ミッションの第 1 番目と関連が深く、また、以下で詳述する「研究者集団が重要と考えている研究課題の抽出」を研究開発戦略立案の第 1 の出発点とする立場につながっている。

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科学技術政策は上記のような二面性をもたなければならない。したがって、CRDS の運営のビジョンを、「我々は社会ニーズを充足し、社会ビジョンを実現させるために科学技術の有効な発展に貢献します」、とした。CRDS では、設立以来 5 年間に亘ってこの科学技術政策の二面性を満足させる研究開発戦略立案のプロセスを、試行錯誤を繰り返しながら探索してきた。その結果、今後さらに検討が必要であるが、現在ではその手法がある程度確立されたと考えている。その手法を以下に詳述する。

2.研究開発戦略立案プロセス

研究開発戦略の立案とは、限られた科学技術予算をどの分野のどういう研究テーマに配分すれば、上述の二面性を満たす政策が実行可能になるかを示すことである。すなわち広い科学技術分野の中で研究開発テーマに優先度を付ける作業である。これは極めて困難な作業である。なぜならば、例えばライフサイエンスのある研究テーマとナノ材料のある研究テーマのどちらが重要であるかを判断することになるからである。しかし CRDS ではそのような判断を直接下すのではなく、ある一定の大きさの予算内で国が重点的に財政支援すべき研究テーマを選定し、複数のテーマを提言することにしている。

このようなテーマ選定に際しては、上述二面性のなかの社会ニーズからのアプローチと科学技術の専門分野からのアプローチが考えられる。現実には、研究開発予算の配分は専門分野あるいは適用分野からテーマ選定が行われている。一方、社会ニーズ側からのテーマ選定も行われる場合がある。例えば、癌に関する特定研究はそれに属する。しかし癌研究は、専門分野からみても極めて重要であることが自明であるので、スムーズな支援が行われている。環境問題の解決はどちらかというと、適用分野であるが、社会からの要請が重要であることは自明である。さらに例えば安心・安全社会を作るという要請に関しては、専門分野からどの分野のどういうテーマを支援すればよいか必ずしも自明ではない。また我が国では研究者の創意による研究を支援する高額の科学研究費補助金があり、研究者の自由発想に基づく基礎研究の遂行が担保されている。ここで論ずる政策的な財政支援は、この科研費に加えて行われるものであることに常に留意する必要がある。

科学技術の専門分野を出発点にするアプローチでは、当該科学技術領域を俯瞰し、対象とする科学技術分野を網羅的、システマティックに俯瞰する俯瞰マップを作成する。その中に研究者集団が重要と考える研究開発課題を洗い出し、ロングリストを作成するとともに、俯瞰マップ上に投影する。それ

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が戦略立案のよりどころとなる重要研究開発課題の俯瞰マップとなる。その中から社会ビジョン、ニーズを考慮して国が重点的に支援すべき研究開発分野、領域、課題を選定する。それが CRDS で戦略スコープと呼ぶものである。戦略スコープは「何故今国が支援しなければならないか、それによってどういう科学技術が進歩するか、そしてその研究開発を遂行すれば国民に対してどういう価値を提供できるか」、などのシナリオを含んだものである。さらに、海外で行われている国のプロジェクトとか実際進行中の研究開発と比較し、妥当性を検討しなければならない。そのような戦略スコープは以下に述べるプロセスを経て、戦略プロポーザルとなって、政府に提言され、外部に公表される。

図 6 CRDS における研究開発立案の基本プロセス

一方、図 6 の社会ビジョン、ニーズから国が支援すべき研究開発課題を抽出するアプローチも必要である。そして、この二つのアプローチから選定された研究開発課題に整合性があれば理想である。以下ではまず、専門分野からのアプローチについて述べ、次に社会ビジョン、ニーズからのアプローチを述べる。

政府は、恣意性を排除して必要で十分な研究開発を戦略的に支援すべきである38 から、戦略立案にあたっては、常に「中立・公正・衡平」の原則のも

38 現状では、政府の重点化は、過去の実績の延長や一部の人の意見、世界的な流行に流されるなどの嫌いがあったことは否めない。そこを改善することが CRDS に課せられた課題である。

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と、エビデンスに基づくことを第一に考えなければならない。ここで述べる戦略立案の手法は科学技術に関する公共政策立案の基本的手法であるとともに、企業に於ける研究開発戦略立案の手法としても、わずかの修正によって応用可能であることを付言しておく。

2.1. 科学技術の専門分野からのアプローチ2.1.1 俯瞰マップの作成

1)俯瞰マップの意義俯瞰マップは戦略立案を行おうとする科学技術領域で行われている研究

開発の現状の全体像39 を見渡し、研究開発の大きな流れ(動向)を一瞥して理解するための重要な戦略策定の起点である。また、俯瞰マップによって、これから行おうとする戦略策定に「漏れ」がないかを確認することができる。

俯瞰マップ作成の最も重要な点はマップを表す座標軸の設定である。この座標軸は科学技術分野ごとに異なったものとなる。またこの座標軸の設定に当たって重要なことは、学術的な完全性を求めるのではなく、あくまでも研究開発課題設定の戦略を作る上でもっとも便利な俯瞰マップを作成する上での座標軸設定を目指すということである40。さらに分野によっては直交する 2 軸を設定することが困難な場合もあるし、それが 3 次元構造、あるいは多次元になる場合もある。また座標軸で表現せず、ドメイン(空間内の領域)間の関係で表現したほうが良い場合もある。

俯瞰マップの作成には、いくつかの基本的なルールがある。たとえば、2 つの軸はお互いに独立した事象に対応すること、また、ドメインで表わす場合はドメイン間の関係が客観的に記述できることなどに留意する。

上述のように、俯瞰マップは、分野全体像を見渡すための大きな構造を、適切な座標軸を設定し可視化しておくことである。この大きな構造の中に、以下に述べるロングリスト上の重要な研究開発課題を位置づける。

2)俯瞰マップを作成する分野の設定俯瞰マップの作成の前提として、どの分野で俯瞰マップを作成するかと

39 一般的な意味での「科学技術領域全体」を一度に俯瞰することは実際上困難である。ここで言う「全体像」とは、実際に俯瞰図を作成する「ユニットが担当する範囲」を俯瞰することによる戦略立案に実際に使用する「全体像」である。

40 たとえば、科研費の分類表にある項目はこの俯瞰マップ作成には余り役に立たない。またそれぞれの学会が出版しているハンドブックの項目も役に立たない。

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いうことを決めなくてはならない41。CRDS で対象とする分野はいわゆるビッグサイエンスを除くものであって、なおかつ純粋科学は対象ではない。すなわち「科学に基づく技術」と「技術を作り出す科学」とした。

まず、分野設定を科学技術の中の「科学の分野」で行うか「技術の分野」で行うかを考える。先に述べたように、俯瞰マップ作成の目的としている戦略立案には「二面性」を考慮する必要がある。現代科学と技術と社会との関係を図示すると図 7 のようになる42。このように考えると、二面性を考慮した戦略策定の起点としての俯瞰マップは、双方とのインターフェースをもつ「適用技術領域」と「専門技術領域」の両領域の各分野43(「科学に基づく技術分野」)で作成するのが良いと思われる。

ただし、ライフサイエンスは、未だ技術分野が成熟していないから、「サイエンス」分野で俯瞰マップを作成している。また、現在の CRDS では、技術分野の俯瞰マップでも技術の歴史的な専門性に基づく分野と技術が適用される分野が混在している44。実際には、CRDS 発足当初は、第 2 期基本計画の重点分野に基づいて、ライフサイエンス、電子情報通信、環境・エネルギー、ナノテク・材料、の 4 分野で俯瞰マップを作成した。その後紆余曲折を経て現在では電子情報通信、物質・材料、ナノテクノロジー、ライフサイエンス、計測技術、環境技術、臨床医学の各分野で俯瞰マップを作成している。この俯瞰のための分野設定は今後も見直される可能性がある。

41 本来なら国が戦略的に投資する科学技術分野全体で俯瞰マップを作成すべきである。しかし、それは膨大な作業で、CRDS のミッションの外にある。

42 生駒俊明による。

43 適用技術とは、例えば鉄道輸送技術のような現実の社会に適用される技術であり、特定の専門技術にとどまることなく、さまざまな専門技術を組み合わせることによって実現する。専門技術とは、どのような知識を使って技術を生み出すかという観点から分類される技術で、機械技術、通信技術、情報技術など。(小林信一、小林傳司、藤垣裕子、「社会技術概論」、放送大学教育振興会、2007 年の p.16「技術の分類」の記述を参考にした。)

44 物質・材料、ナノテクノロジーは、物質科学に深く根ざした専門分野としての技術領域、計測技術、環境技術、臨床医学は適用分野である技術領域、電子情報通信は、その両方にまたがる分野と考えられる。

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図 7 科学と技術と社会との関係

俯瞰マップは作成時点での当該分野の俯瞰図であるから、本来時間軸は入らない。時間を止めての研究開発課題の相互関係が可視化されたものである。一方俯瞰マップに盛られた研究開発課題そのものは時間とともに変化し、将来を見越しての時間軸を入れた展望を描く必要がある。これはロードマップと呼ばれるものである。ロードマップと俯瞰マップは区別しなければならない。しかし俯瞰マップもその技術分野全体の進歩とともに変化する。それは座標軸の取り方の再吟味やドメインの構造の改訂を要請する。従って俯瞰マップを有る一定の期間毎に見直す必要が有る。CRDS では 2年ごとに俯瞰マップの改訂を行っている。

3) 俯瞰マップの例CRDS で作成したいくつかの俯瞰マップの例とその特徴を以下に示す。

① 電子情報通信分野俯瞰マップこの分野の俯瞰マップは、座標軸は設定せずドメインの間の関係を示す

タイプである。エレクトロニクス、フォトニクスは当該分野の基盤を形成し、コンピューティング、ネットワーク、ロボティクスの各専門分野(総合して IRT と呼称)が構築され、実社会(人・社会・地球)へとつながっていく。IRT と実社会の間に Service Enabling Platform と呼ばれる領域が存在しているとすることがこのマップの特徴である。2004 年におこなった俯瞰では実社会と技術の境界は単にインターフェースとしてとらえてい

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たが、2008 年に改訂されたマップ(図 8)ではこのインターフェース領域に新たな技術分野が生まれ拡大していることを認識してマップ上に示すに至った。これはサービス科学・工学という分野が重要になっていることをあらわしている。また、物質(科学)、生物(科学)、社会科学・技術、数学とのインターフェイスが重要であることを表現している。

図 8 電子情報通信分野の俯瞰マップ(2008 年)

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② 物質・材料分野俯瞰マップここでは、対象とする物質材料を組成、形態、構造等によって分類し、

それらの研究領域で重要なテーマを浮かび上がらせ、社会ニーズの充足、応用分野との関連を主として上下方向の軸に沿って示す構造を採用した。共通な基本課題として、規制、計測、人材育成などを網羅する形を採用している。上下方向の軸にドメイン間の関係を重ね合わせた俯瞰マップとなっている。

図 9 物質・材料分野の俯瞰マップ(2008 年版)

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③ ライフサイエンス分野俯瞰マップライフサイエンス分野の俯瞰マップ(2008 年)の一部を図 10 に示す。

ライフサイエンスは極めて膨大な領域であるからすべてを一枚のマップに表すことは不可能である。そこでまず、研究が極めて活発に行われている領域や社会的な要請が強いために是非研究を重点化しなければならない領域を選定し、その領域毎にマップの作成を試みた。その領域とは、ゲノム・機能分子分野、脳・神経分野、発生・再生分野、免疫分野、癌分野、植物科学分野である。それぞれの領域毎に軸の設定を探索した結果、どの領域でも縦軸に形態(分子から集団へ)を、横軸に機能(単純から複雑へ)を取ると研究開発の動向を良く表せることが判明した。図 10 はそのうち、ゲノム・機能分子分野の平面に現れる研究領域を機能軸-構造軸平面に投影したものである。

図 10 ライフサイエンス分野の俯瞰マップ(2008 年)の一部

4)俯瞰マップの作成作業俯瞰マップを作成する作業は、文献調査、専門家によるワークショップ

(俯瞰ワークショップ)、専門家へのインタビューなどを組み合わせて行う。

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分野ごとにユニット45 を構成して、担当する。この活動は、俯瞰マップの2 年周期の改訂に合わせて計画的に進めていくが、必要に応じてユニットで小規模な改訂も行っている。しかし、この俯瞰マップは戦略策定の基本であるから、ある期間固定したものを使用しないと意味が無くなることに留意する必要がある。

俯瞰マップは、全体の大きな流れを可視化できる軸を設定して描くマップであるが、このマップの作成は、通常次節に述べる研究者集団が重要と考えている研究開発課題の抽出(ロングリストの作成)と同時に行うことになる。重要な研究開発課題がもっとも良く可視化できる配置を考えながら、全体構造を示すのがマップの作成であるから、この作成には、視野の広い多数の専門家の意見を結集して構築すべき作業である。フェローは研究開発課題相互の関係性をよく考え、座標軸の設定や俯瞰マップ中のドメインの相互配置を決定しなければならない。

これらの活動の中でも、俯瞰ワークショップは重要な位置を占めている。俯瞰ワークショップの開催に際しては、フェローの会議運営能力、ファシリテーション能力が成功の重要な決め手となる。特に、俯瞰ワークショップの計画実行には少なくとも半年くらいかかる。そして、俯瞰作業全体で2 年スパンで取り組む。俯瞰ワークショップ開催の際、特に注意すべきポイントを挙げる。

ⅰ 俯瞰ワークショップの場では、社会ニーズとの関係はメインテーマではない。あくまで研究者集団からみた俯瞰を第 1 の目的とする。

ⅱ 俯瞰ワークショップ参加のメンバーは、優れた業績を挙げつつ、且つ広い視野をもつ専門家で構成されるように設計できれば理想的である。現実的には、広い視野をもつ専門家と、領域毎にさらに詳しい知見をもつ専門家の組み合わせでカバーするようにする工夫することが必要となることが多い。俯瞰する分野がいくつかの領域に分かれる場合は、分科会で議論を深めるのも一方法である。

ⅲ 俯瞰ワークショップの目的と意義を、参加メンバーによく理解してもらえるようにワークショップを準備すること。この準備を怠ると、通常の研究トピックスのレビューの場と勘違いされるなど、俯瞰の目的からはずれた議論の場になりかねない。

ⅳ 予め俯瞰マップの案を CRDS のメンバーで考えておき、それを提示して会議をスタートさせることが肝要である。そうすることによって、

45 俯瞰マップ作成を行う組織単位を CRDS では「ユニット」と呼んでいる。

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専門家の議論を我々の得たい成果の方向に集中させて、短時間で目指す成果を出すことが出来る。

ⅴ 俯瞰ワークショップ終了時に俯瞰マップが完成していることが理想である。ただし、本来俯瞰マップの作成は CRDS フェローが行うものであり、俯瞰ワークショップ終了後直ちに、合宿等を開き集中的に審議して、俯瞰ワークショップを充分レビューし、俯瞰マップを完成させるべきである。

ⅵ 俯瞰ワークショップに参加した研究者は所定の許可を得た上で、研究者データベースにインプットし、研究開発戦略立案に活用できるように整備しておく。この際領域毎に俯瞰に大きく貢献した研究者を記録しておくことは重要である。

5)重要研究開発課題の投影俯瞰マップ上には、研究者集団が重要と考える研究開発課題(後述する

「ロングリスト」)を投影して、どのような研究開発が行われているかを具体的に示すことにしている。研究開発課題は次節で詳述するロングリストに入った研究開発課題を整理分類し、似たものは一つに統合し、相互関係を明らかにして俯瞰マップ上に投影する。このように作成された図(俯瞰マップ上に研究開発課題名を重ね合わせた図)も「俯瞰マップ」とよんでいる(図 8,9,10)。また過去に行われた研究開発課題や国外で行われている研究開発課題を同時にマップ上に投影して分析することは極めて意味深い作業である。これにより、研究の大きな流れがつかめると同時に、外国との比較が可能となり、我が国の特徴が浮き彫りにされる。さらにこの作業はマップの座標軸の正当性が検証される過程でもある。

2.1.2. 研究者集団が重要と考える研究開発課題の抽出先に述べたとおり、俯瞰マップはその分野を見渡すため、現在の研究開発

の大きな構造を可視化したマップである。通常この俯瞰マップの作成と同時に、俯瞰作業ではマップ内の各領域で専門の研究者、技術者が重要と考えている研究開発課題を網羅的にリストアップ(以下では「ロングリスト」とよぶ)する。

1)研究者が重要と考える課題リスト(ロングリスト)の作成研究者が重要と考える課題リスト(ロングリスト)を作成するためには

俯瞰ワークショップの参加者である研究者からの意見を求めたり、あるいは専門家にインタビューして情報を収集する。ここで得られた研究開発課題リストは戦略策定のための原データである。通常研究者は自分の専門分

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野を優先的に重要と考えるから、この時点では我々が追求する中立・公正・衡平は担保されていない。

しかしながら、我々が作成しようとするロングリストは、広い視野で選択がなされているという意味で正しく、妥当なものでなければならない。このロングリストを妥当なものとするためにはいくつかの配慮すべき点がある。ロングリストの作成には俯瞰しようとする分野の研究者から情報を得るしかないが、我々が頼りにし、第一に意見を聞くべき研究者は、優れた業績をあげている研究者で、なおかつ一定の広い視野を持った研究者である46。また、そのような優れた業績をあげている研究者へのヒアリングやワークショップにおいて重要な研究開発課題を引き出すには、適切な質問をする必要がある。その質問によってそのロングリストが単なる「科研費の応募テーマの羅列」とは異なった価値47 を持ったものになる。例えば、向こう十年程度のスパンで考えたときの研究開発課題は何であるかとか、研究開発の大きな流れの中で考えたときの課題は何であるかという質問を投げかける。また、研究者が充分に理解している専門近辺の領域での課題の抽出を頼むなどしてクロスチェックをしながら補足し、ロングリストの妥当性を高めていく。

2)ロングリストの作成上での社会ニーズの取り扱いその分野の専門家としての研究者に、ロングリストに入る研究開発課題

と社会ビジョンや社会ニーズの関係まで積極的に問う必要は全くない。このステップで必要なのは研究者集団が重要と考えている研究開発課題を抽出することだからである。研究開発戦略策定にかかわる「二面性」について検討は、我々 CRDS フェロー自ら行うべき我々の業務である。ただし、ロングリストを作成する途上に気づく社会ニーズとの関係は重要な情報として記録しておかねばならないことは言うまでもない。

2.1.3. 戦略スコープ候補の作成1)俯瞰マップ・研究開発課題のロングリストからの戦略スコープ候補の作成

研究者集団の意向を反映した研究開発課題のロングリストを俯瞰マップ上に位置づけることができたら、それを用いて戦略プロポーザルを作成す

46 第一に意見を聞く研究者は世界的な業績を挙げている一流の研究者でなければならない。しかし、こういう一流の研究者の中には自分の研究のみに興味を持ち、拡がりのある情報を得がたい場合がある。そのような場合、研究者の意見を聞くことは意味があるが、我々自身で必要な情報を補足的に収集する。

47 科研費はこの中から主としてサイエンスメリットの観点から優れたものがピアレビューによって選定される。しかし、国が重点的に支援すべきとして我々が研究開発戦略を立案の対象とする研究開発課題は、科研費の場合と全く違った視点から選択せねばならない。この判断基準が、繰り返し述べてきた研究開発戦略策定の要諦をなす「二面性」なのである。

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るために更に深掘調査する課題(「戦略スコープ」と呼んでいる)を見いだすプロセスに入る。俯瞰マップの構造やその意味や、ロングリスト上に現れた重要な研究開発課題から、政府が重点的に財政支援すべき研究開発課題に関するシナリオを作るのである。このシナリオは「何故この課題を今国が支援しなければならないか、それによってどういう科学技術が進歩するか、そしてその研究開発を遂行すれば国民に対してどういう価値を提供できるか」という内容を書き下ろしたもので、戦略スコープの中味となる。このシナリオはこの段階では仮説であって良い。これをさらに検証し、プロポーザルに持っていくのが以下に述べるチームの役割になる。この作業(戦略スコープ候補の作成)は、研究開発の俯瞰を行ったユニットを中心に行う。

シナリオ書きの選定基準48 となるのは、過去から現在までの研究開発の動向を基にした将来動向の推定、海外での研究開発の動向と政府支援の傾向の調査結果、社会のビジョン、ニーズにどう向き合っていけるかなどの社会的な効果などである。個々の戦略スコープ候補を作成する段階ではこれらの選定基準の詳細な検討は不要である。詳細な検討は、次ステップの

「戦略スコープの選定」で行う。ただ、すでにその課題の重要性が顕在化していて、十分な政府支援が行われているのではないか、過去に十分支援が行われてきたが成果が挙がっていないのではないかということにはこの段階で充分留意しなければならない。このような観点での調査は、俯瞰ワークショップを中心とするユニットの日常的活動で良く掴んでおかねばならない情報である。また、分野毎に 3 年間に取り上げる戦略スコープ候補を予め時間的な優先度とともに選定しておき、これを毎年改訂するように計画するのが良い。このように毎年今後 3 年分の戦略スコープ候補を時間軸上で優先度付けしておくことが分野毎の中期計画である。

2)社会ニーズ課題からの戦略スコープ候補の作成CRDS では、「2.2. 社会ビジョン・社会ニーズからの研究開発戦略の立

案」に述べるように、社会ニーズとして、国際的な産業競争力の強化、生活の質の向上、地球規模の問題解決、の三つを取り上げ、これらについて、内容をより具体的、詳細に把握し、社会ニーズの構造化を試みており、これらにつながる研究開発課題を整理してきた。この整理を基にした戦略スコープ候補を作成することが可能である。

作業の概要は次の通りである。これらの社会的ニーズを分析し、要素分

48 戦略プロポーザル策定要領(研究開発戦略センター .Good Proposal Practice. 2007:付録参照)が指針となる。

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解を行う。その要素を適当な座標軸を設定し、要素どうしの関係を座標上に位置づけ、社会ニーズの構造化を行う(図 14,16)。その上で、それぞれの課題要素を関係付け、関係づけられたひとくくりの課題毎に、それらを実現するために必要な科学的知識や新規技術(通常複数の技術、これを技術パッケージと呼ぶ)を列挙しておく。さらに、それらの新知識や新技術パッケージを創出するために必要な研究開発分野や課題を抽出しておけば、専門分野から上がってくるロングリストからの研究開発課題と照合して、適切な戦略スコープ候補として設定することができる(図 11)。

図 11 社会ニーズの構造化を通じた戦略スコープ候補の作成

3)新興・融合分野を対象とする戦略スコープ候補の作成上述の戦略スコープの抽出過程では、既存の専門分野を出発点とするか

ら、新興・融合分野の課題抽出は原理的に困難である。分野融合がある程度進んでいる場合(例えば医学と工学など)はその融合された分野の俯瞰マップを作ることが可能である。その場合は、今まで述べた手法で課題の抽出が可能である。しかし、未知の新興・融合分野では俯瞰マップが描け

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ない。この場合は、次のような手法により新興・融合分野を探索し、その新興・融合分野での研究開発課題の抽出を試行錯誤することが出来る。

(1) 「異分野融合フォーラム」による方法(ア)融合を起こすべき分野を指定し、融合が期待される複数分野の

専門家によるフォーラムを開催し、異分野間の専門家による意見交換により、融合分野の研究課題とその推進方法を明らかにする方法49。

(イ)異なる分野の新進気鋭の優秀な研究者を集め、比較的経験の豊かな研究者を少数交えた自由討論の場を設定し、有能なファシリテータの下で自由な討論で新興分野を探る方法50。

(2) 「難問解決」による方法それぞれの分野で研究実績のある研究者を集め、現在の科学技術では

解決できないような「社会的な難問」を提示し、それを解決する方法を探索する過程で生まれる新興・融合分野をピックアップする方法51。

新興・融合分野の掘り起こしと推進は世界的な課題であるが、未だ有効な方法が確立していない。科学技術イノベーションは新興・融合分野で起こるといわれているから、イノベーション政策の面からも新興・融合分野の促進策が望まれている。「異分野融合フォーラム」の開催は過去に多くの試みがあり、歴史的に見ると、ある程度の成功を収めている。新進気鋭の研究者による新興分野の探索は今のところ余り成功していない。その一つの理由は若手研究者は当面自分の分野の研究に集中することで手一杯で、他の分野のことに関心が持てないからであると言われる。難問解決型の試みは CRDS で初めて行われたが、ある程度の成功を収めたと言って良い。この手法を磨くことは 21 世紀の科学技術を生み出す重要な試みであると思われる。

4)国際俯瞰ベンチマーキング調査の活用戦略スコープ候補作成そのものの作業ではないが、その際に参照するこ

とが有益な資料として「国際俯瞰ベンチマーキング調査報告書」がある。これは、ユニットの担当する重要分野について、特任フェロー等の外部専

49 分野融合ワークショップ「次世代生物生産・利用を実現する分野融合ワークショップ(2005 年 9 月)」「ナノとバイオの融合研究ワークショップ(2005 年 10 月)」「次世代医療を実現する異分野融合ワークショップ(2005 年 9 月)」(これらの 3 つのワークショップは一連の分野融合ワークショップとして開催された。)

50 分野融合フォーラム「ライフサイエンスにおける新しい研究潮流」(2007 年 1 月)、分野融合フォーラム「生命システムの大局的な状態を測り、解析し、操ることにチャレンジする」(2007 年 11 月~ 2008 年 2 月)

51 研究開発戦略センター新興・融合分野研究検討グループ . 新興・融合分野研究検討会報告書 . 2009. CRDS - FY2008- XR01

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門家の協力を得て、現地調査によらず、国際比較調査報告書をとりまとめているものである。調査する項目を決定すること、各項目の執筆者の選定が最も重要なポイントである。この調査は執筆をお願いする外部専門家の見識に基づいてとりまとめるものであり、俯瞰マップとともに戦略スコープ候補の作成に有益である。

2.1.4. 戦略スコープの選定1)戦略スコープ選定の意義

CRDS まず、一年に一度、各ユニットにおいて各(俯瞰の対象とした)分野毎に作成された戦略スコープ候補群をまとめてひとつの集合とし、CRDS での集中的な検討対象とする。この集合の要素から CRDS として次年度に取り上げるべき課題を取捨選択する。この選定は、ユニット毎ではなく、CRDS 全体で集中的検討によって行う。単独の分野だけに閉じない統合的な議論の場で、異なる俯瞰マップから抽出された戦略スコープ候補をシナリオというレベルで比較し、優先度を付けることが、先に述べたリニアモデルを越えた「二面性」を満たす戦略の策定にはどうしても必要となるからである。特に、社会ニーズの課題と構造化を手がかりにする方法では、専門分野を超えた議論が必須となる。

この段階ではじめて異なる分野同士での比較を行わなければならなくなる。この選別の過程では、多様な専門分野を担当するフェローが、担当する分野だけに拘ることなく、中立・公正・衡平の立場に立った統合的議論により戦略スコープ候補の優先度をつけることが求められる。このプロセスにおいて、学会、産業界、官界との意見交換の機会をもつことも重要である。

2)具体的な戦略スコープ選定の方法(専門分野をまたぐ)まず、それぞれの戦略スコープ候補単体のレベルで、戦略スコープ候補

シートに記載されているシナリオが説得性のあるものかどうかがチェックされる。一般に、異なる分野から抽出されてくる戦略スコープ候補は、中期計画上の同じ時間軸に配置されていないし、切り出される素地となる俯瞰マップやロングリストが異なるために原則として優先度をつけることは困難であるが、戦略スコープ候補全体を見渡すことにより、よりレベルの高い戦略スコープ候補へ組み直していくことができる。

戦略スコープ候補集合全体を一段高い立場から観察すると、内容やシナリオにおいて複数の候補の間に類似性があったり、複数候補を統合するこ

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とが適当であったりする場合が必ず出てくる。また、異なる分野から抽出されてきた戦略スコープ候補であっても、シナリオレベルで、共通な枠組みが発見されたり、比較が可能となる場合が多い。これらの場合、分野を超えた立場から新たにシナリオを組み直してよりよい戦略スコープ候補が構成される。また、CRDS では既に 50 を越える戦略プロポーザルを発行しており、それらとの関連を全体としてチェックすることも重要である。

3)具体的な戦略スコープ選定の方法(社会ニーズ課題から)科学技術の専門分野とは独立な社会ニーズの価値軸を検討の要素として

入れることにより、比較・優先度付けが可能となる場合がある。また、社会ニーズ課題から戦略スコープ候補が切り出されている場合には、上記 2)のプロセスと組み合わせてより視野の広い戦略スコープを得られることがある。また、戦略スコープ候補の全体としてのバランス52 や、社会ビジョンの実現や社会ニーズの充足という観点からの整理を優先度付けの手段とすることができる。

4)戦略スコープの確定と作成戦略スコープの作成(すなわちシナリオ書き)は、今何故政府がその課

題を取り上げ財政支援しなければならないのか、その支援の結果どういう研究開発課題をどの規模で研究し、その結果どの様な成果と効果が期待され、それがどの様な社会的経済的価値を生むのか、海外に比べて日本はどういう位置にあるのか(ベンチマーキング53)といった事項をシナリオとして書き綴ったものである。このシナリオ書きにはスキルが必要とされる。これは戦略立案に携わる者に要求される能力である。戦略スコープを構成する要素は、戦略スコープ名、期待される研究成果、考えられる研究課題、提案の根拠、提案の位置づけ、時間軸について(SL モデル上の位置)、国内外の状況、主たる研究者名などとしており、上述のシナリオを分かりやすく表現しなければならない。シナリオの説得力は、来年度提案する必要性があるかどうか、国が支援・推進する必要があるのかどうか(官民の役割)、期待される研究成果が得られるかどうか(研究開発のフィージビリティ)、既存の計画や進行中の研究開発との相違はなにか、国際優位性、SL モデル上での位置、などの観点から充分に検討されなければならない54。

52 具体的なツールとしては「戦略プロポーザル構造図」(2008)がある。

53 国際俯瞰ベンチマーキング調査の結果などがエビデンスとなる。

54 「戦略プロポーザル策定要領」(CRDS. Good Proposal Practice. 2007(付録)に収載)も参考にする。

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5)戦略スコープ選定の実践的な留意点この優先度付けのプロセスには充分な時間と労力をかけて次年度計画の

作成に間に合うように、且つ、来年度以降、直ちに戦略プロポーザル作成のプロセスに入れるように準備され、スケジュールされなければならない。CRDS では年に約 10 件のプロポーザルを提言するから、毎年約 10 件の戦略スコープを年度末に確定し、次年度のプロポーザル候補として選別している。

このプロセスは極めて高度なレベルの議論が求められる。全フェローには、このレベルでの議論に耐えうるだけの専門性と視野の広さを常に磨くように求められている。多様な専門性をもつフェローが集積していることは CRDS の特徴であり、自分の専門分野だけに閉じこもらず科学技術全体の俯瞰を常に心がけねばならないことはいうまでもない。

2.1.5. 戦略プロポーザルの作成1)戦略プロポーザル作成のためのチーム活動

取り上げるべき戦略スコープが選定されたら、更に深くそのスコープに描かれたシナリオが正しいか、本当に国が財政支援すべき課題か否かを深く検証するためにチームが編成される。チームは最終的に戦略プロポーザルを作成し政府に提言するまでの過程を受け持つ。チームは CRDS のフェローからなるが、場合によっては特任フェローも加わることがある。チームはその専門分野の人のみで構成しない方がよい。専門家のみのチームではどうしても偏った見方になりがちだからである。むしろ異なった分野の人を積極的にチームに入れる。

もしスコープに描かれたシナリオが完全であれば、チームの仕事は少ない。そのシナリオを検証すればよいからである。しかし実際にはシナリオは不完全であり、多くの場合初めからシナリオを作らねばならない。その場合には以下のことを順次考慮して作業手順を設計する必要がある。

① そこで支援しようとしている研究開発課題を明らかにする。そして支援する研究期間内に達成可能な「期待される研究開発の成果」を明確にする。

② ついで、その成果が科学技術の進歩にどれだけ貢献するかを明らかにする。

③ その成果がもたらす社会的・経済的効果を社会ビジョン・社会ニーズに照らし合わせて明らかにする。

④ 何故今国が支援しなければならないかを明確にする。企業に任せる

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べきではないか?大学や国研などで研究開発が可能なのかなどを考察する。

⑤ 外国の状況と比較して日本がどういう位置づけになるかも重要なポイントである。日本が強ければ更に強くする必要があるのか?弱ければ本当に強くしなければいけない理由は何か?など。

⑥ その課題を実施出来る体制にあるか?実施する場合どういう体制で研究開発が行われなくてはならないか?単独の小グループの研究なのか、強力なリーダーシップのもとにゴールを共有してのプロジェクト型か、さらに研究体制を一カ所に集中的に集めて行った方が良いかなどの研究開発の推進体制に関する考察も必要である。

⑦ 研究開発の時期は何時が良いか?緊急性は?また研究期間は?などの時間軸に関する配慮も必要である。

上記項目は、戦略プロポーザルの書き方を示したテンプレート55 の各項目と対応している。

これらの事項を検討した上で、盛られた中味が最適化されているかを専門家を交えて良く吟味し、適切でなければ初めに戻って検討し直す。このループを回すことが間違いのないプロポーザルを提言し続ける重要な注意事項である。多くの場合走り出したら、引き返すことを嫌い、問題を抱えながらも最後まで突っ走るケースがよくある。これは避けねばならない。またこの過程でプロポーザルとして適切でないことが判明したらプロポーズしない勇気を持つべきである。何が何でもプロポーザルまで持っていこうとする気持ちは良く理解できるが、我々は恣意性を排除して中立・公正・衡平を旨とし、エビデンスベースを堅持することを心がけなければいけない。

戦略スコープ作成チームのチームワークの発揮により、CRDS 内外の知を結集し戦略プロポーザルを原則 1 年の期間で制作する。この作業にはチームワークが必須である。どうしても一人で書ききろうとする傾向が見られるが、ここでは複数の人の意見を広く採り入れて作業すべきである。「3人寄れば文殊の知恵」という格言が良く生きる工程である。それには、いつまでに何をやるべきかという作業の手順・スケジュールを作成することから始める。この作業手順書が出来ればこれをチームで共有して分担を決め、それぞれが作業手順に従って仕事をする。決められた時期に結果を持ち寄り議論し、作業の変更があれば変更し、良ければ手順に従って先へ進むという手法を取る。

55 CRDS. Good Proposal Practice. 2007(付録参照)

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この作業過程では会議を開き議論することがプロポーザル作成の成功の鍵を握る。通常の組織では会議は出来るだけ少なく、短くしろというのが原則であるが、CRDS では会議での議論が重要である。ただし会議の進行には充分な工夫が必要である。単なるプレゼンテーションに適当な質疑応答という会議は、戦略プロポーザル作成には無意味である。CRDSの会議はチーム内であれ、ユニット内であれ、また CRDS の全体のフェロー会議であれ、ある目的を持って集まる。従って時間内にその目的を達成するために議論をするべきである。そこでは進行役が重要な役割を果たす。いわゆるファシリテーションの機能をもった司会者が進行係を努めねばならない。

議論の仕方はいわゆる弁証法における止揚する議論形態が大事である。ある命題に対して各自の態度を明確にし、賛成であれば賛成、反対であれば代案を提示し、皆で知恵を出し合って原案を代案と併せて、更に高い質を持った新案に止揚していくのである。テーゼ、アンティテーゼそしてジンテーゼを繰り返していけば、最初の原案はいっそう良い案に変容していく。このような議論が出来るのは、その構成員が高い資質と知識を有していることが必須要件となる。従って CRDS のフェローの資格として・専門の分野をもち、専門分野の一流の研究者と対話が可能であること、・科学技術政策の基本的知識を有して、立案のプロセスを知っていること、・そして、もう一つ、「考える力」を持っていることを付加しよう。

戦略プロポーザル作成の第一歩は仮説の作成である。ここでいう仮説とは「これこれの研究課題に研究投資すればかくかくの研究成果が挙がると期待され、それが社会に対して、これこれの価値を提供してくれる。従って国はこのテーマに財政支援すればかくかくの価値を手に入れることが出来るから支援すべきである」といったものである。その仮説対して、「いや、それならばこういうテーマの方が科学的な価値も高いし社会経済的に見て効果が大きい」とか「それならその研究にこういうテーマも付加して同時進行的に研究させた方が効率が上がる」と言った議論が期待できるわけである。こうして原案は更にブラッシュアップされ、質の高いプロポーザルに変身していく。

このように戦略スコープを戦略プロポーザルに高めていく過程では論理的な思考法が極めて重要である。先入観をもってある結論に導こうという考えを捨てなければならない。そうでないと結論が当たり前の物になってしまうし、様々な批判に絶えられないプロポーザルになってしまう。結果は同じであっても合理的な論理によって導かれたプロポーザルは説得力が

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あるし、新たな発見、すなわちオリジナリティを包含するものである。多くの場合経験豊かな研究者が戦略プロポーザルを作る場合は、論理的なプロセスを経ないで結論を導く傾向にある。それでは CRDS のレゾンデーテルが失われる。これは中立・公正・衡平を守るということからも、回避せねばならない。

このような検討のプロセスではいくつかの手法がある。仮説を専門家によって論理的に掘り下げ、とことん妥協することなく批判的に吟味していく。これを zoom-in プロセスとよぼう。この場合はその課題を推奨する者だけではバイアスが掛かった結論になるから、その周辺の専門分野で課題に批判的な研究者の意見を聞くことが極めて重要である。合理性に基づく論理的な検討プロセスは行き詰まる場合があるし、時には合理的に間違った結論を導くことさえある。論理が行き詰まった場合には、一度白紙に戻して出直すことが良い。これをゼロベースでの再出発と呼ぶ。また論理的に到達した結論が正しいかどうかを違ったアプローチでクロスチェックする必要がある。

zoom-in が一段落したら、今度は視野を拡げ・視角を変え、先に得られた結論が正しいかを吟味する zoom-out のプロセスに入る。zoom-out では先に立てた仮説以外にもっと重要な仮説の存在を吟味する必要がある。この zoom-in と zoom-out を繰り返して、先に行き着いた結論が唯一無二であるかを良く吟味する。そこからまた新しい仮説が生まれて新しい高い段階に議論が進んでいく場合もある。この過程は、通常は複数のメンバーによる効率の良い、よくファシリテートされた会議によってのみ可能である。

議論が行き詰まった場合には、新しいアイデアが必要とされるので、チームだけに閉じずに、CRDS の他のチームやユニットと議論する、外部の専門家等と議論するなどして打開する。フェロー戦略会議の議題56 にする、所内WSを開催して部外者の意見を聞いて議論の幅を広げるなどの手段が有効である。戦略のアイデアはこのようなプロセスを経て妥協を許さず徹底的に詰めなければならない。戦略スコープから「提言の内容」57 を見いだすプロセスが最も重要である。この段階で徹底的に詰めておかないと、必ずその後のプロセスで行き詰まることになる。

56 フェロー戦略会議のアジェンダは、本来、こうしたフェローのプロアクティブな提案によって決められていくべきものである。

57 CRDS. Good Proposal Practice. 2007(付録)で定義している「提案の内容」。

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2)深掘ワークショップの開催戦略スコープのシナリオを更に専門家集団によって深く掘り下げて検討

するワークショップを、「深掘ワークショップ」と呼んでいる。深掘ワークショップは、戦略コンテンツを明確にする目的で開催する。提案する内容に関する適切な「仮説」を提示し、専門家集団に議論してもらう課題を明確にしてからワークショップ58 に臨む。このワークショップは学会が良く催す未来を展望するシンポジウムとは全く異なったものである。通常このようなワークショップは研究者にはなじみのないものなので、よほど事前に準備し、出席者に趣旨の説明とその人の役割をよく理解してもらわないとワークショップは不成功に終わる。したがって、設定したワークショップの目的にふさわしいメンバーの選定と、参加メンバーへのワークショップの趣旨の理解を徹底することが非常に重要である。単なる参加者の研究発表会のような会議は我々が行うワークショップではない。ワークショップは何度も開催できる余裕はないので、ワークショップの準備と、ワークショップ当日の会議の運営やファシリテーション59 が重要な鍵となる。

ワークショップは、CRDS の活動に関連する研究者コミュニティおよび政策立案者等と議論する機会でもある。また、戦略プロポーザルの内容を同時進行的に発信していくという場60 でもあることを忘れないで欲しい。そのため、深掘ワークショップには、政策立案者やファンディングに関連する者をオブザーバ等として案内することも忘れてはならない。また、これから提案しようとしている内容が新規性をもつ場合には、そのような研究開発課題に実際に携わることのできる研究者集団への情報発信という意義もあることも同時に忘れてはならない。このように、ワークショップは提言する戦略プロポーザルの内容を明らかにすることが主目的であるが、ファンディングを実現するための布石であることも重要な役割である。

ワークショップが終わったら、直ちに内容についてレビューを行い、得られた成果を共有・確認し、必要なフォローアップを行う。ワークショップ

58 実際のワークショップの形態や規模、回数は取り扱う戦略スコープによって最適化して決める。できれば 1 回のワークショップで必要な情報を得るのが望ましい。

59 会議運営能力はフェローにとって重要な技能であり、フェローは、普段から自らの会議運営を振り返って、絶えずファシリテーション能力を向上させ、議論をさばくための訓練を積んでおかねばならない。

60 CRDS ミッションの第一「場の形成」は、「科学技術政策・戦略の立案に携わる人達と研究者との意見交換ができる場を形成します。」としており、俯瞰ワークショップは、ここで述べられている研究者コミュニティとのつながりを創り維持するための「場の形成」そのものとしても機能する。

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報告書は迅速にとりまとめる61。また、ワークショップに参加した研究者等は所定の手続きを経て、JST の研究者データベースにインプットし、研究開発戦略立案に活用できるように整備しておく。

3)プロポーザル執筆とレビューワークショップの開催によって提言したい具体的内容を固めることがで

きれば、国際比較調査(深掘ベンチマーク)などの補足的調査を行い、戦略スコープの選定の段階で作成していたシナリオがさらに説得力のある提言の内容へと進化していく。ワークショップでは不充分な場合には少数の専門家による更なるブラッシュアップが必要である。ワークショップに参加して主導的な役割を果たした研究者、専門家に再度集まってもらい、詳細の検討を行う会議を持つことが有効である。また他の専門家へのインタビューによってワークショップの内容、結論をクロスチェックしてもらうことも有益である。要するにあらゆる手段を駆使してプロポーザルの内容を盤石のものにしておく必要がある。

戦略プロポーザルの内容が決まれば、戦略プロポーザルの執筆要項に基づいてプロポーザルを書き始める。それには予め決められたフォーマット62 を用いる。フォーマットには各項目のタイトルとそこに書くべき内容がきちんと示されている。それに従って記述する。もしそこに示された項目と書くべき内容がしっくり来ない場合は、プロポーザルの内容の吟味が不充分である証しである。この場合はもう一度検討過程へ戻って仕切直ししなければならない。中途半端なままプロポーザルの執筆に入ると、タイトルに書かれるべき内容とは異なった内容を書き記すことになり、結局やり直すことになる。とくに「研究投資する意義」の項目は最も重要であるにも拘わらず、杜撰に書かれることが多い。ここがすらすら書けない場合は検討不足であると考えるのが正しい。執筆が完成すればレビューグループへ提出して、レビューを受ける。チーム以外の CRDS メンバーの意見を聞いて戦略プロポーザル案をブラッシュアップする。このプロセスは、チームにとって有益なのはいうまでもないが、実際にレビューを行うチームに所属しないフェローにとっても非常に有益な機会である。レビューグループは他のチームのフェローから構成されることになるので、自らも積極的にレビューに協力するようにする。

61 提言を入れたワークショップ報告書が見受けられるが、そのようなことは不必要である。記録として迅速にとりまとめる。ワークショップで得られた成果を事実として記載するだけで充分に価値があるのであり、又そういうワークショップでなければならない。提言は戦略プロポーザルにとりまとめればよい。

62 CRDS. Good Proposal Practice. 2007(付録)に定義されている。

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レビューが終了し、運営会議に報告して発行が認められれば速やかに出版しなければならない。出版が終了した段階でチームは解散する。チームの活動期間は原則として 1 年である。以降の出版された戦略プロポーザルをもとにした活動は原則として関連のユニットに委ねられる。

4)深掘ベンチマーキング調査についてプロポーズする研究開発の領域や課題に関しては海外の動向を十分踏ま

えて、日本の立ち位置を明らかにして、国が支援すべき理由を明確にしておかねばならない。そのためには欧米、アジアにおける研究開発とファンディングの状況を把握しなければならない。これを深掘ベンチマークと呼ぶ。諸外国との比較は文献調査、ウェブ上での調査、海外に詳しい研究者からの情報提供、そして現地調査などを持って行う。中でも最も有効なのは国際的に活躍する研究者によるベンチマークである。現地調査を行う場合は、その実施前に充分な事前調査を行い、調査事項と相手への質問事項を予め決め、相手側に通知するなどして現地へ赴くことが必須である。そして、報告書作成に当たっても、その当否を相手側に確認する位の慎重さが必要である。このベンチマーク活動はよくある海外調査報告とは全く異なった、一つの意志を持ったものでなければならない。

この調査の際には、必ず当該分野の専門家に同行をお願いし、通り一遍ではない、現地に入った専門家の視点でないと絶対見抜けない一段深い調査を行う。そのためには、同行して頂く専門家と事前によく意思疎通し、我々の関心を共有し、どの人物、施設等にコンタクトするかについて慎重に検討し実行する。同行して頂く専門家がアカデミアに属する場合は、とりわけその人的ネットワークが重要となる。また現地でもその都度問題意識を共有するための会議を開いて進行させる。このようにして実行した調査の報告書は単体でも貴重な報告となることがあり、必ず報告書を迅速にとりまとめるようにする。

2.1.6. 戦略プロポーザルの形式とチェック方式1)提言の類型

CRDS の行う戦略提言には、その内容に応じて戦略プロポーザルと政策提言がある。これらは出版物として発信すると同時に CRDS のウエブ上に掲載する。戦略プロポーザルは、その内容によって 3 つに分類する63。「戦略イニシアティブ」:今後国がファンドすることにより創り出すべき

63 「戦略プロポーザル」と分類された戦略プロポーザルが 2 件発行されている。これは本来、「戦略提言」と名付けられるべきであった。

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研究開発戦略の大きな方向性を提案する。「戦略プログラム」:研究開発の大きな流れの中で、ある目的を達するた

めに多くの科学技術的なアプローチが存在し、それらを競争的にあるいは協調的に探索的な意味での研究を進めるべき場合、これらの提案の範囲を戦略プログラムとして提案する。技術パッケージの提案がその典型的なものである。戦略イニシアティブから複数の戦略プログラムが切り出される場合がある。「戦略プロジェクト」:国として投資すべき目標がはっきりしている場合、

研究開発課題を明確に示して目標に向かって行う研究投資を提案する。ただし、単なる出口志向ではないことに十分注意しなければならない。「政策提言」:第 1 部に記述したマクロな政策により近いもので、研究シ

ステムの改革とか、基本計画やイノベーション政策に関するものである。

2)プロポーザルのフォーマットと内容提言の形式と内容については、Good Proposal Practice(2007)(付録参

照)に詳述されている。戦略プロポーザル中で最も重要な項目は、「研究投資する意義」64 である。「研究投資の結果どのようなリターンが得られるかを、科学技術上の効果と社会・経済的効果に分けないで、両者を統合した形で非専門家にも分かりやすく書く。」とされている。ここを理解しないと Good Proposal Practice(2007)が目指す戦略プロポーザルとはならない。「科学技術上の効果と社会・経済的効果に分けないで」の意味を理解するには、研究開発戦略立案の二面性をよく理解していなければならない。「研究投資する意義」の項で敷衍して書くべきことは、両方の効果がどのようにお互いにドライブし合うのかである。また、「戦略プロポーザル策定要領」にも注意を払って提言をとりまとめる。

2.1.7. 戦略プロポーザルのフォローアップ1)戦略プロポーザルの活用

戦略プロポーザルは出版されると、関連する行政部署のほか協力していただいた研究者等へ直接的な発信を行うとともに、CRDS のホームページで公開する。

CRDS の提言は、第 1 に科学技術政策を企画、実施する行政機関に向けられる、そして第 2 には行政を左右する政治家と研究開発を実施する研究機関に向けられる、そして第 3 には一般国民に向けられる。提言は実行されて初めて効果を顕すから、提言を発信した後のフォローアップが重要となる。政策提言では政治家を初め国家の政策を立案・決定する組織に

64 CRDS. Good Proposal Practice. 2007. 9 ページ。

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プレゼンテーションするなどの活動が必要である。特に総合科学技術会議とのパイプを太くしておくことが重要である。プロポーザルに関しては関係の府省への提言の送付と必要に応じての説明が大事である。またワークショップの議論の場には、学会、産業界からの参加はもちろんのこと、関連する府省の担当者を招待し、政策立案の初期段階から情報提供することを心がけている。いわば同時進行で政策立案するのである。これは時間的な遅延を防ぐことからも最も効率的な方法である。

戦略プロポーザルでは未来を先取りした提言をする場合がある。とくに研究者集団では未だポピュラーな課題ではないが、これから重要となると判断して提言する課題に関しては、直ちに財政支援を実施しても、受け手の研究者がいない場合が想定される。そのような場合にその分野や課題の重要性をキャンペーンする目的でシンポジウムを開催して、研究プログラムの開始の助走を行うことを考える必要がある。これを CRDS ではSpreading Symposiumなどと呼んでいる。このように、研究者コミュニティに対してその課題の重要性の理解を促しその方向への研究テーマの誘導を図らないといけないこともある。国による戦略的な財政支援の一つの目的は新しい研究分野へ研究者を誘導するということである。

2)自己点検・評価CRDS が提言した研究開発課題がどれだけ実施に移されたかは CRDS の

存在価値を左右する問題である。提言が行政で取り上げられるか否かは、提言の質にのみ依存するものではなく、様々な要因に左右されるから、そのまま CRDS の評価にはつながらない。しかし我々としては提言が何故採用されたか、何故採用されていないかを分析し、自らの活動評価と改善に結びつけて行かねばならない。そのためには定期的に自己評価を行い反省材料として業務改善に励まねばならない。

またプロポーザルの質と活動の効率性、有効性に関してはより高い立場からの評価が必要である。そのためには外部有識者による厳しい評価を受けねばならない。そのために、CRDS では外部評価委員会(アドバイザリ委員会)を設置し、毎年アドバイスを受けるとともに、自己点検・評価を行うことにしている。自己評価の結果は、Good Proposal Practice の改訂や各種マニュアルやハンドブック(本書)の改訂として組織知として蓄積して情報共有する。

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2.2. 社会ビジョン・社会ニーズからの研究開発戦略の立案2.2.1. 社会ビジョン・社会ニーズの導出と構造化

元来、科学技術政策立案に用いる社会ビジョンとは、国民がどういう社会になることを望んでいるかを、時の為政者が汲み取り、政策の目標として表出することによって決められるべきものである。社会ニーズとは社会ビジョン実現のための、国民が求めるより具体的な事項であって、政策の実施細目によって実現されるものである。従って研究開発戦略の策定に当たっては、これらは予め与えられているはずのものである。また社会ビジョンはその国の中に限定されることなく、世界の中の日本という形で発信され、またそれが世界ビジョンとして展開されるべきものである。昨今の環境問題が喫緊の地球規模の解決されるべき課題であることから、地球規模のビジョンへとつながっていくべきものであることは自明である。

しかし、我が国の現状ではこれらの事項は明確に規定されていない。そこで CRDS では、歴代首相の施政方針演説、経済団体や学術会議などからの提言、新聞記事などから、その時点で国民が求めていると思われる「社会ビジョン」を抽出している(図 12)。これらの社会ビジョンは政権が交代し首相が替わるときや、大きな社会的出来事が起こり社会のあるべき姿が変化する時点で改訂すべきものと考えている。

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図 12 社会ビジョンの抽出

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現在の所、こうして CRDS で作成した社会ビジョンを次の 7 つに集約している。「尊敬される国」、「科学技術リーダーシップでアジアと共生」、「持続可能な経済発展」、「活力と競争力のある国」、「安全で安心な社会」、「健康で快適な生活」、「学習する社会」。これらは、いずれも我々が生活する社会に欠かせない理念や価値を短いフレーズで表現したものである。

一方社会ニーズはこれらの社会ビジョンを如何に実現していくかを考え、できるだけ具体的な項目として、相互関係を考慮して構造化したものである。社会ニーズを導出する為に上記の社会ビジョンを構造化して示したものを図13 に示す。

図 13 社会ビジョンの関係性最上位に「尊敬される国」という最も抽象的で主観的なフレーズを配し、アジアとの連

携を重視した「科学技術リーダーシップでアジアと共生」をその直下に挙げた。「活力と競争力のある国」の重要性を表現するために中心に据える。「安全安心な社会」と「健康で快適な生活」という個人生活に近い事項をその下に並置し、「学習する社会」を個人にもっとも近い位置に設定した。

この図に示した社会ビジョンを、大きなくくりでまとめると、個人生活に関する社会ニーズとしては「生活の質の向上」、活力と競争力、及び経済発展に関するものは「国際的な産業競争力の強化」、環境問題、科学技術外交を「地球規模の問題解決」という風にとらえることができる。

これらの社会的課題から研究開発戦略を策定するためには、以下の手法を採用する。まず課題毎に、課題の内容を細目化し、要素分解を行う。その要

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素をある種の座標軸を設定しその座標軸上に投影して、お互いの関係を座標上に明確に位置づける。その上で、それぞれの課題要素を関係付け、関係づけられたひとくくりの課題毎に、それらを実現するために必要な科学的知識や新規技術群(これを技術パッケージと呼ぶ)を列挙する。それらの新知識や新技術パッケージを創出するために必要な研究開発分野や課題を抽出し、国が支援すべき研究開発領域あるいは課題として切り出す。こうして切り出した国が推進するべき研究開発課題と上記の専門分野からの課題探索と照合して、最終的な重要研究開発分野・課題が抽出される。

2.2.2. 社会ビジョン・社会ニーズからのアプローチCRDS では、社会ビジョンを、「生活の質の向上」、「産業の国際競争力の

強化」、「地球規模問題の解決」という 3 つの大きなくくりで捉えた。これらのビジョンごとに、社会ニーズを構造化し、そこから必要とされる科学技術についての知識や技術パッケージを見いだすというアプローチを 2008 年度より取り組んできた。その成果を以下に紹介する。

1) 「生活の質の向上」からのアプローチ65

まず「生活の質の向上」とは何かについての考察を行った。国民が生活の質向上という枠組みの中で何を望んでいるかを洗い出し、それらを要素分解し、要素の間の関係性を調べ、俯瞰マップ上に投影することにした。俯瞰マップとして、CRDS で様々な検討を行った結果、個人を出発点として各自がどういう生活の質向上を望んでいるかを調べ、個人を座標の原点に置き、個人生活からの距離(ノルム)とその種別を角度で表示する極座標を用いると便利であることを見いだした。

その一例を図 14 に示す。この図は未だ開発途上であるが一例として示した。原点からの距離は「個」からの「近さ」「遠さ」を表す。すなわち「個」を原点に位置付け、家族・親戚、職場・学校、村・町・市、地域、府県、国、圏、地球、宇宙という風に拡がる。極座標の角度には色々な表示があろうが、ここでは横軸が人間としての生存に最低限必要な要件が左端にあり、右に行くにしたがって高度な文化的、精神的(すなわち人間が人間らしく生きるための)生活要素が配置される。また縦軸は社会的基盤としての要素からより個人的な選択という要素が配置される。

どの様な生活の質の要素を取り上げるかは更なる検討が必要である。またこの配置も未だ最適化されていない。今後の改良が必要である。

65 CRDS.“生活の質”の構造化に関する検討(Ⅰ)社会シーズを技術シーズに結びつけるために 平成 20 年度検討報告書 . 2009. CRDS-FY2008-XR-03

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図 14 個人の視点からみた「生活の質」の構造化マップ

次にこうして選択された生活の質向上の要素の中で科学技術が貢献できる要素を選定し、その要素を実現させるためには如何なる科学技術を発展させるべきかを探索する。更にそれを国が支援すべき研究開発課題まで落とし込めればそれが戦略プロポーザルとして提言されうるものになる。この場合は、多くの場合複数の異なった分野の技術が組み合わされたものになる。これを「技術パッケージ」とよぶ。このようにして選び出された「技術パッケージ」は必然的に既存の科学技術分野をまたぐものとなる。

図 15 に一例を示す。ここでは「健康の増進」を構成する「生きることへの意欲」という社会ニーズを実現する科学技術パッケージを示す。これにはライフサイエンスと IT 分野の技術が直接関わる。さらにこれらの技術パッケージを支える技術として材料技術や計測技術などが背後に控えることになる。

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図 15 「健康の増進」から得られた「技術への要求仕様」と技術項目の関連

このような研究開発戦略の立案のアプローチは CRDS においても 2008年度から開始されたばかりであり、未だその成果が実応用されていないが、こうした手法による戦略立案は今後重要となってくると考えられる。

2)「産業の国際競争力の強化」からのアプローチ66

「活力と競争力のある国」の実現は、「安全で安心な社会」および「健康で快適な生活」の二つを目標としている。この目標を達成するためには、「持続的な経済発展」は不可欠であり、我が国においては特に、産業の国際競争力の強化は必須の課題である。「持続的な経済発展」はこれからの時代が求める「心の豊かさ」を国民が享受するための土台となる。

イノベーションは国力の源泉であり、次の時代の経済成長を担保するためには、科学技術イノベーションを誘発する研究開発戦略が不可欠である。CRDS では、「アンブレラ産業」と「エレメント産業」という新しい産業種別の概念を導入し、産業の国際競争力強化のための研究開発戦略を、より精緻に立案する手法を開発した。

66 研究開発戦略センター . 戦略提言 . 国際競争力強化のための研究開発戦略立案手法の開発  ―日本の誇る「エレメント産業」の活用による「アンブレラ産業」の創造・育成―.2009. CRDS-FY2008-SP-10

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①産業の国際競争力と日本の現状天然資源の乏しい我が国において外貨獲得産業は特に考慮すべきもの

で、GDP 向上において、輸出競争力を保つことは重要である。外貨獲得産業は、統計的に見て製造業が主体である。2006 年 83 兆 5 千億円の輸出総額の中で製造業が占める割合は 8 割である。製造業の中でも我が国が強いのは、部品・材料産業および特殊な素材産業である。

CRDS では、日本に籍をおく特定の業種の企業の集合体としての産業が、世界市場において発揮している、他国のその産業との相対的な競争力を「産業の国際競争力」と定義した。その上で、国内で生産されている製品の輸出入額、貿易収支、日本も含め世界各国で生産されている日本企業の製品の世界シェア、日本で生産されている製品の生産性の国際比較などを、産業の国際競争力評価の尺度とし、日本の産業の国際競争力の特徴を明らかにした。結果の一部を以下の図に示す。

日本の最終組み立て製品産業のうち、輸出額が大きく、世界シェアで優

位にあるものは限られており、それらの産業は、乗用車を中心とした輸送機械関連産業と一部の一般機械関連産業である。部品・材料および特殊素

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材産業の国際競争力は非常に強い。これらの製品は、中間財として世界の最終組み立て製品に組み込まれ、それらの国の製品の付加価値向上に大きく寄与している。

このような分析結果に基づき、CRDS では日本の誇る部品・材料産業を中心とした「エレメント産業」を活用し、より高付加価値の「アンブレラ産業」を創出する戦略を掲げ、それを実現するために必要となる具体的な研究開発課題を抽出し、それらの課題解決に時間軸を導入し、推進するという、産業の国際競争力強化のための研究開発戦略の可視化手法を開発した。以下にその手法を紹介する。

②「アンブレラ産業」と「エレメント産業」の定義部品や材料を組み合わせ、システムとして構築したもの、あるいはそれ

らハードウェア技術と、全体システムとして最適な機能を発揮するためのソフトウェア技術とを組み合わせ、付加価値の大きなシステムを構築し、産業連関的にも、社会的・経済的にも大きな価値を与えるシステムを生産する産業を「アンブレラ産業」と定義した。アンブレラ産業が生産する製品はアンブレラシステムである。これらのアンブレラシステムは、場合によってはヒューマンウェアと組み合わせ、より多様な価値を創出することができる。

これに対して、アンブレラシステムに組み込まれる構成要素としての部品・材料や、独立性の強いソフトウェア技術をエレメントと定義し、それらを生産する産業をエレメント産業と定義した。

③「アンブレラ産業」が弱く、「エレメント産業」が強い日本現在、日本の輸出額の上位を占める製品は、機械関連、自動車関連、情

報通信機器関連製品である。これらのうち、特に自動車産業は、アンブレラ産業として産業連関的に大きな波及効果をもたらしている。しかし、GDP に対する寄与度が大きいのは、アンブレラ産業である自動車産業よりも、エレメント産業である自動車用関連部品・材料産業および特殊素材産業などである。

日本のエレメント製品は、海外における様々なアンブレラシステムに数多く組み込まれている。代表的例は、世界各国の自動車、韓国、台湾の薄型テレビ、米国アップルの携帯音楽プレーヤー(iPod)、フィンランドのノキア、韓国のサムソン、米国のモトローラなどの携帯電話などである。日本のエレメント産業の優位性は高い一方で、自動車を除くと、日本はアンブレラ製品生産国としての優位性を失いつつある、あるいは最早、保持

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していないとも言える。日本は優れた科学的、工学的技術力を有しながら、それを活用すれば本

来より多く獲得できるはずの高付加価値を、他国に譲っているのが現状である。

④研究開発戦略立案のための産業技術俯瞰図CRDS では、先に述べたアンブレラ産業の定義に基づき、37 の「CRDS

アンブレラ産業」を創り上げた。この「CRDS アンブレラ産業」を横軸、「エレメント産業」を縦軸とし、イノベーティブな研究開発課題を抽出・可視化でき、研究開発戦略を練り上げることができる、「科学技術イノベーションを誘発する研究開発戦略立案のための産業技術俯瞰図」を創り上げた。

産業技術俯瞰図では、横軸の「アンブレラ産業」と縦軸の「エレメント産業」から構成されるマトリックス部分に、アンブレラ産業が実現した際の経済効果、研究開発におけるイノベーティブなシステム課題、社会的課題、およびエレメント課題が記載される。システム課題はアンブレラ産業に、エレメント課題はエレメント産業に対応付けられる。

システム課題とは、アンブレラ産業の製品であるアンブレラシステムを、システムとして最適に機能させ続けるための科学技術課題である。エレメント課題とは、個々のエレメント製品を開発するために必要な科学技術課題である。産業技術俯瞰図の概念図を以下に示す。

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⑤「CRDS アンブレラ産業」「CRDS アンブレラ産業」を創出するにあたって、以下の 4 つの基準を

おいた。①地球規模課題の解決を指向したものであること、②その産業を創造するには、科学技術イノベーションを必要とすること、③社会的・経済的価値が大きく、日本の GDP 向上に大きな貢献ができるものであること、④日本が創造することが世界的にも優位で、日本はそのポテンシャルを有し、世界からも期待されていること。

CRDS アンブレラ産業は、グローバルな視点を持ち、かつ日本の強みを理解している、産業界のトップリーダー経験者や CTO 経験者および産学官の識者からなる、ワークショップおよびインタビューによって創出した。

創出した 37 の CRDS アンブレラ産業は以下の 9 つの産業に分類される。1.エネルギー産業(低炭素エネルギー社会創造)2.資源開発産業(新工業資源創造)3.環境産業(国際貢献を加味した環境負荷低減)4.情報通信産業(人を中心とした情報通信)5.輸送産業(低炭素・省エネ型輸送、新交通システム)6.食料産業(持続可能な食物生産)7.医療産業(健康寿命延伸のための総合健康管理システム)8.建設産業(強健な国の基盤づくり)9.教育産業(持続的な生産活動を支える人材育成)

⑥ MGUP(Multi-generational Umbrella Plan)および MGEP(Multi-generational Element Plan)MGUP および MGEP は、アンブレラ産業およびエレメント技術を世代

発展的に実現する計画を描くことによって、具体的な研究開発戦略を立案する手法である。MGUP および MGEP では、超長期、長期、中期という3 種類の世代を、アンブレラ産業を実現する時期として設定し、各世代での実現を目標に掲げて研究開発を着実に積み重ねていく。

超長期を約 30 年後とし、そこに至るまでの前の段階として、長期を約20 年後、中期を約 10 年後に設定した。現在から最も近い世代を 10 年後の中期としたのは、それよりも近い世代は、各企業の長・中期計画あるいはプロジェクト的に実現できる産業の計画の範囲内にあるためである。ただし、企業の長・中期計画の時間設定が産業の種類によって異なるように、MGUP および MGEP においても、30 年、20 年および 10 年という年数は目安であり、該当するアンブレラ産業の性質によってこれらは伸縮する。

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各世代のアンブレラ産業およびエレメント技術を確立するために解決される科学技術課題は、次の世代のアンブレラ産業およびエレメント技術の実現の基盤となるように、連続的に受け渡されていく。かつ、途中の各世代においてアンブレラ産業を実現することにより、最終的なアンブレラ産業の目的に到達するまでにも、確実に経済発展に寄与できる科学技術イノベーションのための研究開発戦略となっている。

⑦ MGUP、MGEP に基づく研究開発戦略の立案CRDS では、MGUP および MGEP という計画を描き、これらに基づく

科学技術イノベーションのための研究開発の推進指針を提示した。この指針に則るのであれば、比較的近い将来の利益確保を優先している企業や産業界と、長期的視座に立つべき国が、「CRDS アンブレラ産業」を実現するという目標を共有できるようになる。その結果、我が国は総力を結集して、焦点を絞り、無駄をそぎ落とした研究開発に取り組むことができるようになる。

今後、このような手法で研究開発戦略を立案すれば、科学技術政策における資源投資の選択と集中を、より一層、先鋭化することが期待できると考える。

3)「地球規模問題の解決」からのアプローチ67

社会経済のグローバル化が進む中、一国や一地域だけで取り組むことが困難であり、国際社会が共同で取り組むべきことが求められる問題が顕在化している。これらの地球規模問題を解決するために科学技術はどのような貢献ができるのか、以下のような検討を行った。

地球規模問題の構造化国内外の主要機関のレポートや白書等の資料から、地球規模問題を示す

キーワードを抽出した。それらを 6 つのカテゴリーに分類し、さらにカテゴリーごとに大綱目を設けて体系化した(表 1)。

67 CRDS. 科学技術による地球規模問題の解決に向けて 調査報告書 ―グローバル・イノベーション・エコシステムとアジア研究圏―. 2009

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表 1 地球規模問題の分野と大綱目

カテゴリー 大 綱 目

環 境 地域の環境汚染/地域の環境管理/メガシティの環境問題/地球レベルの環境問題

資 源 天然資源/エネルギー資源/資源管理災 害 自然災害感染症 集団発生/新型病原体食 料 食料不足/食の安全

社 会 格差社会/宗教/人権/政治/治安/都市/人的災害/知的財産権

次に、体系化した地球規模問題を俯瞰する 2 次元の構造図を作成した(図16)。縦軸は問題の地域性を示す。その影響が及ぶ範囲は各地域に限定されるが、地球規模で共有でき る問題は地域性(Local)が高く、その影響が世界に及ぶ問題は世界性(Global)が高い。一方、横軸は科学技術への依存性を示す。生命科学への依存が高い(Life)問題か低い(Non-Life)問題かによって位置づけた。

この構造図から、解決すべき問題群を設定できる。例えば、食料、水、自然エネルギー、都市等、どのような視点から問題を設定するのか、どのような問題群の解決を目的とした研究開発戦略を立案するのか、また他の問題とどのような関連性があるのか等、構造図を活用して議論を深めることができる。

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図 16 地球規模問題の構造図

科学技術による解決策と研究開発ニーズの例示地球規模問題の内、特に食料に関する問題について、科学技術による解

決策と研究開発ニーズを検討した。その結果、表 2 のように明確化できた。

表 2 食料に関する地球規模問題に対する科学技術による解決策と研究開発ニーズ

解決策 研究開発ニーズ持続可能な農業生産 農業生産の拡大と生産性の向上/環境配慮の向上安定した食料供給 食料安全保障食料の品質向上 高品質食料の供給/食の安全の確保

解決に資する技術群の例示それぞれの研究開発ニーズに対して、必要な技術カテゴリーを設け、

さらに、各技術カテゴリーを構成する主要技術と、各主要技術に含まれる個別技術を検討した。その結果を図 17 に示す。例えば、持続可能な農業生産に向けて、農業生産の拡大と生産性の向上を図ることが必要であ

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る。そのためには、生産技術とポストハーベスト技術が必要であり、そのうち生産技術については、品種改良、栽培技術、農業機械、灌漑排水、土壌改良、畜産・水産に関する各主要技術を組み合わせることが求められる。さらに、栽培技術は肥培管理、作付け体系、病虫害・雑草防除の各技術から構成されており、研究開発ニーズに応じて効果的に組み合わせることが重要である。

図 17 食料に関する地球規模問題の解決に資する技術群

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検討した解決策を実際に実行し、地球規模問題を科学技術によって解決するためのシステムが、グローバル・イノベーション・エコシステム(GIES:Global Innovation Ecosystem)である(図 18)。GIES の「場」において、人材や資金、制度等の要素が相互作用することによって、地球規模問題の解決と経済成長を両立するための新しい価値が創造される。近年グローバル化が急速に進んでいるが、世界は一様ではない。異質性、多様性、歴史性に富んでおり、それぞれの地域に合わせたプログラムやシステムづくりが重要である。そのためには、地球規模問題に対する科学・技術を基盤とした分析、解決策の検討と社会への実装、若手人材の養成と交流を行うための国際的枠組みの検討が求められる。

図 18 グローバル・イノベーション・エコシステムの構造的概念

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お わ り に

第 2 部で述べた研究開発戦略立案の手法は、科学技術が社会のビジョンを実現し、ニーズを充足するとともに、科学技術のフロンティアを拡大するという二面性基準に依拠したものであった。これは多分に旧来の「科学技術政策」の思想に立脚し、ブダペスト宣言を取り入れて、「科学のための科学」から 「社会のための科学」へスタンスを変更したものであった。それでは 「科学技術政策」から「科学技術イノベーション政策」へ変更されたとき、上記の手法に如何なる変更が必要であろうか?

「科学技術政策」と「科学技術イノベーション政策」の違いはすでに第 1 部でのべた。すなわち 図 3 で、「入口」の科学的知識の創造から新技術の創出すなわち、発見と発明、新概念の証明などに関する政策課題が「科学技術政策」の主たる課題であったのに対して、科学技術イノベーションが加わることによって政策課題はさらの拡大し、社会制度や仕組みまでを、新価値が発展し社会に受容されやすいように導く政策を付加することであった。それでは「入口」を司る研究開発戦略にはどの様な変更を加えればよいか?

まず、研究開発戦略立案の基準に、ブタペスト宣言を取り入れたことはすでに「科学技術イノベーション」を意識していることに注意すべきである。さらに、我々が切り出したプロポーザルが科学技術イノベーションの SL モデル中のどこに位置づけられるかを明確にする必要がある。常に科学技術イノベーションのプロセスを意識して戦略を立案し、必要ならば「入口」をでて「場」に関する政策提言も併せて行わねばならない。たとえば、プロポーズしようとしている研究開発の分野・課題が、ダーウィンの海の中にある場合は、研究開発課題のみでなく、科学技術イノベーションを成功させるための施策も併せて提案しなければならない。いままで「迅速な臨床研究の推進」を政策提言したのはそのためであるし、またナノテクノロジーに関する共同研究施設の充実を提案したのもそれに類する。

また、「科学技術イノベーション」を起こす確率が大きい研究開発テーマの提案も意識的にする必要がある。「科学技術イノベーション」は科学技術の成熟度によってその確率が違っていると思われる。出口が見えているような研究課題は、国が推進すべき「科学技術イノベーション」ではない。企業が行う効率の高い開発も科学技術イノベーションにはつながらない。むしろ、好奇心に基づく研究や、未だ不明なことが多い余り多くの研究者が群がっていない初期の研究テーマを取り上げる必要がある。研究者の好奇心に基づく研究は科学研

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究費補助金が支援しているものであるから、これは国が戦略的にトップダウンで財政支援すべきものではないであろう。従って科学技術イノベーションを起こしやすい研究開発テーマへの戦略立案は原理的に難しい。現実的には、科研費で行われている研究から顕著な研究成果が出たものを迅速に財政支援することが最も良いであろう。山中教授の iPS 細胞にいち早く財政支援したのはその良い例である。また新興・融合分野は未開拓なテーマが多くあるから、この分野への意識的な財政支援は科学技術イノベーション誘発の確率が高いと一般的に考えられている。したがって新興分野・融合分野の研究を振興させる戦略立案は科学技術イノベーション政策から見て重要である。これについては前述した。

さらに科学技術イノベーションを起こさせるには、応募課題の審査法にも工夫が必要である。現在行われているピアレビューは既存概念に捕われやすいし、研究者の過去の実績に引きずられた判断をし易い。この審査法にも新しい手法が持ち込まれねばならない。また国が財政支援する場合には、現在は評価を厳しく行うことが法律で義務づけられている。評価を意識すれば易しいテーマにしか挑戦しなくなる。研究は挑戦度が高くないと科学技術イノベーションは引き起こせないから、現在の行き過ぎた評価制度も再考が迫られることになる。

科学技術政策から科学技術イノベーション政策への変更は、研究開発戦略立案にも様々な「新たな考慮すべき課題」を突きつける。これらは未だ緒に就いたばかりであり、これからの立案過程でそれぞれが考えていくべきことである。

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戦略プロポーザルは、社会ビジョンの実現に向けて我が国が取り組むべき重要な研究開発に関する政策提言であり、研究開発戦略センターの最も重要な成果です。

政策立案者等がセンターの戦略プロポーザルに興味・関心を持ち、その重要性が十分理解されるよう、質の高い提言が判りやすくかつ正確に書かれていることが必要です。

したがって、戦略プロポーザルの作成にあたっては十分な議論を重ね、その内容や表現についても十分に推敲される必要があります。

ここでは、戦略プロポーザルの策定および執筆にあたり、センターとしての共通的な見識の下、一定の質を確保できるように、チェックすべき事項や基本構成、記述時の留意事項を要領としてまとめています。戦略プロポーザルを作成する際は次の要領等を必ず参照し、質の高い戦略プロポーザルを目指してください。

1.戦略プロポーザル策定要領戦略プロポーザル策定の準備・計画段階において、グループ内での検討やフェロー

会議における審議などにおいて議論されるべき事項を記したものです。

2.戦略プロポーザル執筆要領戦略プロポーザルの執筆にあたり記載すべき事項を記したものです。対象とする分野に応じて下記 1)2)および両者に解説を加えた下記 3)で構成され

ています。1)戦略プロポーザル執筆要領 ※研究開発分野向け2)戦略提言執筆要領(研究システム等)3)戦略プロポーザル執筆要領(補足説明)

Good Proposal Practice (抄)付録

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戦略プロポーザル策定要領

平成19年10月2日センター運営会議決定

研究開発戦略センターならではの戦略プロポーザルを策定するために、抽出したテーマを戦略プロポーザルにまとめるにあたっては、以下の点をフェロー会議等においてチェックするものとする。

項番 チェック項目

策定の意義

1 策定の目的、期待するアクションは明確か(誰に何を提案するのか)

2 今提案する必要性があるか(重要性、緊急性、優先性はあるか、タイミングは適切か、あえて提案しなくとも実施される内容ではないか)

3 国が支援・推進する必要性があるか

4内容が実施されたときに具体的かつ大きな効果が期待できるか(産業の強化・創成、社会ニーズへの対応、基盤技術の開発・強化、科学技術フロンティアの開拓などの効果が大きいか)

5 新規性・優位性はあるか(既存の計画、現行の状況との相違、代替案に対する優位性、実施されたときの国際的優位性などが明確か)

6 客観性があるか(俯瞰マップでの位置づけ、WS・ヒアリングでの意見、G-TeCでの調査・分析などで確認されているか)

7 プロポーザルとしての切り口、粒度は適切か(総花的でないか、狭過ぎないか、寄せ集めではないか)

8 実現性のある内容か(科学技術シーズ、研究者、費用、期間などが実現不可能な内容ではないか)

9 研究開発のマイルストーンが示せるか(いつまでも続く内容ではないか)

策定のプロセス

10 プロポーザルの策定計画は的確か(間延びしていないか、手順を踏んでいるか)

11 策定担当者、体制は必要十分か(関係機関、省庁との連携、特任フェローの協力など)

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戦略プロポーザル執筆要領

平成18年 2月 7日  平成18年 4月24日改訂平成18年 7月25日改訂平成18年 9月 5日改訂平成18年12月19日改訂平成19年10月 2日改訂センター運営会議決定

戦略プロポーザルは、主として政策立案者・意思決定者を対象に本提案内容への研究開発投資等を促すものであり、その主旨を充分に踏まえつつ、執筆に際しては、必ず本執筆要領及び補足説明を熟読して最終的にチェックシートにて確認するものとする。

また、必要に応じて他グループメンバー等への事前査読を推奨する。

戦略プロポーザルの執筆は、プロポーザルのコンセプトと関連するプロポーザルの構造化・階層化(イニシアティブで大きな流れを示して、プログラム・プロジェクトでシリーズ化する等相互の位置付けと関連性の明確化)及び基本的には 5 ~ 10 年のタイムスパンを念頭に置きつつ、以下の要領で行う。

[執筆要領の目的]1.戦略プロポーザルの質の確保

(ア)用途、読者を意識した必須条件の明確化(イ)センター内でのレベル合せ

2.執筆の際の無駄な手間の排除(ア)記載すべき項目の明示

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記載事項

記載項目は章のタイトルを踏まえること(「1.~とは」、「2.~に研究投資する意義」、以下同じ)とし、原則変更しない。ただし、本記載項目に対応する内容がない場合には無理に記載する必要はない。

また、主として研究システム・推進方法に関する提案が中心となる場合等は、研究システム等用の執筆要領や「臨床研究に関する戦略提言」を参照とする。

記載項目 説明

タイトルタイトルは修辞をできるだけ排し、内容が明確に分かるように推敲する。正確に定義できる言葉のみを使う。

エグゼクティブサマリー(和文)

意思決定者がこれだけで直ちに提案内容が理解できるように、最重要事項に絞って明確に記す。2 ページ以内(含図表)。

1 提案の内容

提案する研究の内容及び推進方法を簡潔にまとめて記す。(・・とは、を記す。)非専門家に理解できるように。研究投資する意義は書かない。2 ページ以内(含図表)。

2 研究投資する意義

本提案を実施することで得られる成果を基に国が投資する意義について記す。研究投資の結果どのようなリターンが得られるかを、科学技術上の効果と社会・経済効果に分けないで、両者を統合した形で非専門家にも分かりやすく書く。国内外の状況を比較して、日本が強いから投資するのか、弱いがキャッチアップしなければならないのか、その理由などを書く。研究遂行上のリスクにも必要に応じて言及(対策については4 章に記載)。3 ページ以内(含図表)。

3 具体的な研究開発課題 具体的な研究開発課題とその内容。既存のテーマとの差が分かるレベルの深さで記す(1 章の敷衍)。

4 研究開発の推進方法 研究開発の具体的な推進方法を記す。国と民間の役割分担、研究遂行上の留意点などを含める。

5 科学技術上の効果科学技術上どの様な進歩が見込めるかを記す(2 章の敷衍)。成果を論文とするか、新技術のデモなどにするかにも言及。

6 社会・経済的効果社会・経済上どのような効果が見込まれるかを記す

(2 章の敷衍)。社会ビジョン、ニーズの充足にも言及。必要に応じて負のインパクトにも言及。

7 時間軸に関する考察 研究の開始時期、必要期間、期限とその根拠及び理由等を記す。時間軸は絶対軸あるいは相対軸を選定。

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8 検討の経緯 本提案に至った経緯(WS、G-TeC 等を含む)を記す。3 ページ以内(含図表)。

専門用語説明非専門家にも分かりやすいように、専門的な用語や略語について説明をつける。より詳しく説明する場合は、本文中コラムとしても よい。

これ以下は付録(必要があるときのみ)または参考文献とする。

9 研究開発課題の詳細3 章を更にブレークダウンした詳細な研究開発課題を記す。CRDS 外の専門家による執筆の場合は、執筆者を明記する。

10 国内外の状況 関連する分野の研究の現状と海外との比較(G-TeC等)を明記する。

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戦略提言執筆要領(研究システム等)領

平成18年 7月25日  平成18年 9月 5日改訂平成19年10月 2日改訂センター運営会議決定

記載事項・留意事項特に政策立案者への速報性を重んじる場合は、第 3 章を最優先することとして、本記載項

目に必ずしもこだわる必要はない(参照事例:臨床研究に関する戦略提言)。

記載項目 説明

タイトルタイトルは修辞をできるだけ廃し、内容が明確に分かるように推敲する。正確に定義できる言葉のみを使う。

エグゼクティブサマリー(和文)

意思決定者が読んだ時に直ちに提案内容が理解できるように、最重要事項に絞って明確に記す。2 ページ以内(含図表)

1 提言の内容提言の内容を簡潔にまとめて記す。(時間軸(短中長期)を記す。)非専門家に理解できるように。2 ページ以内(含図表)。提言を実施する意義は書かない。

2 現状の課題と提言を実施する意義

本提言を実施することで得られる成果について、現状の課題を踏まえて国が実施する意義を記す。提案を実施した結果どのようなリターンが得られるかを、特に現状の問題の所在を踏まえつつ、科学技術上の効果と社会・経済的効果に分けないで、両者を統合した形で非専門家にも分かりやすく書く。3 ページ以内(含図表)

3 具体的な提言の内容

具体的な提言の内容。具体的な政策手段(法制、税制、ファンデング制度等)を記す。既存の施策との差(問題点とその対応)が分かるレベルの深さで記す(1 章の敷衍)。必要に応じて、国と民間の役割分担などを含める。

4 科学技術政策上の効果 科学技術振興にどのように貢献するのか等を具体的に記す(2 章の敷衍)。

5 社会・経済的効果

社会・経済上どのような効果が見込まれるかを記す(2章の敷衍)。社会ビジョン、ニーズの充足にも言及。必要に応じて負のインパクトにも言及。社会・経済上どのような効果が見込まれるかを記す(2 章の敷衍)。社会ビジョン、ニーズの充足にも言及。必要に応じて負のインパクトにも言及。

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6 時間軸に関する考察

着手時期、必要期間、期限とその根拠及び理由等を記す。時間軸は絶対軸あるいは相対軸を選定。必要に応じて、科学技術基本計画(現行あるいは次期策定への課題として)及び政府関連施策を併記したロードマップについても言及。

7 検討の経緯 本提言に至った経緯(WS 等)を記す。

専門用語説明非専門家にも分かりやすいように、専門的な用語や略語について説明をつける。より詳しく説明する場合は、本文中コラムとしても よい。

これ以下は付録(必要があるときのみ)または参考文献とする。

9 詳細な提言の具体的内容

3 章を更にブレークダウンした詳細な提言の具体的内容を記す。

10 国内外の状況 関連する課題に関する現状と海外との比較を記す。

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戦略プロポーザル執筆要領(補足説明)

平成18年 9月 5日  平成18年12月19日改訂平成19年10月 2日改訂センター運営会議決定

記載事項の補足説明

タイトルタイトルは修辞をできるだけ排し、内容が明確に分かるように推敲する。正確に定義でき

る言葉のみを使う。

【解説】

修辞的用語は通常、だれでも考えているようなニーズないしは(最悪の場合)願望のみを表し、当該提案の科学的特長を表わさないことが多い。他の提案と差が分らない修辞は無意味。

新たに提案する概念・用語・造語の場合は、( )による説明、副題による補足を行う。ただし、副題を付ける場合は主題と別の意にならないよう留意する。また、アピール

度を高めるために略称を付与することも効果的である。なお、英語の副題は付けない。

参考事例:「IRT―IT と RT の融合―」、「アグロファクトリー~動植物を用いたバイオ医薬品の生産~」、「統合的迅速臨床研究(ICR)」

-悪い例 1:“超高性能**”、“低環境負荷**”などは、そのようなものができればうれしいのは自明であり、それをどうやって達成するかという提案の本質を表わさない。

-悪い例 2:“**に寄与する”、“**のための”などは、結果的に効果がわずかでも寄与したといえる。そうした形容句では他の提案との差を表わせない。

エグゼクティブサマリー(和文)意思決定者がこれだけで直ちに提案内容が理解できるように、最重要事項に絞って明確に

記す。2 ページ以内(含図表)。

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【解説】

エグゼクティブサマリーは、意思決定ができる人(文部科学省の政策担当課長レベル以上を想定)が理解できるよう、最も重要なことを書く。読んだだけで、その 1 冊を読む代わりになるようなもの。全体としてどういうことが書いてあるかをまとめた要旨ではない。

短時間で読めることが重要。執筆の途中で言いたいことを箇条書きにして優先順位をつけて並べ、その中で 2 ページ以内で書ける内容のみを取り上げ、他は切り捨てる、といった工夫も良い。

最初に最も言いたいこと、結論、提案の内容を記載して、歴史的背景・意義等は後に記載する。

-悪い例:「本プロポーザルでは**について検討した。」、「**する方法について提案した・・」-単なる作業報告。読者が知りたいのは提案された内容(方法など)そのもの

参考事例:「IRT」、「VLSI の~」のエグゼクティブサマリーは良い事例として参考になる

1.提案の内容提案する研究の内容及び推進方法を簡潔にまとめて記す。(・・とは、を記す。)非専門家

に理解できるように。研究投資する意義は書かない。2 ページ以内(含図表)。

【解説】

“「**」<提案タイトル>とは”で始めることを原則とする(推進方法を提案する場合はこの限りではない)。そこから論旨を展開できるような思考パターンで提案内容そのものを検討することが重要。

そのためには「**」そのものが新しい概念でなければならない。“**を目指す****”、“**に寄与する**”、“最先端の**を用いた**の研究開発”といった提案タイトルでは、この書き方ができない。

研究投資する意義はこの章には書かず、研究の必要性と併せて「2.研究投資する意義」に記載する。

この章にコラム、図があるとわかりやすい。

2.研究投資する意義(これが最も重要)本提案を実施することで得られる成果を基に国が研究投資する意義について記す。研究投

資の結果どのようなリターンが得られるかを、科学技術上の効果と社会・経済的効果に分けないで、両者を統合した形で非専門家にも分かりやすく書く。国内外の状況を比較して、日本が強いから投資するのか、弱いがキャッチアップしなければならないのか、その理由などを書く。研究遂行上のリスクにも必要に応じて言及(対策については 4 章に記載)。3 ページ以内(含図表)。

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【解説】

科学技術上の効果と社会・経済的効果について章や節を分けた書き方はしない。詳細は第 5,6 で述べるので、本章では短時間で両方が分る書き方を目指す。

あまり上位の目的、意義を書かない。やるべき課題と目的、意義をつなぐ説明の道のりが遠すぎないように注意する。また、ある程度世間で受け入れられている意義について長々と説明しない。その意義はありきで、そこから先を書くことも有効。

研究投資における官民分担、国、地方公共団体、民間、各セクターの役割分担を記載する(S&Lモデル(13 ページ参照)に沿った時間軸も考慮する)。

意義は、「第一に、第二に、」とできるだけ具体的に記載する(可能であれば達成目標も記載する)。

-悪い例 1:“わが国の繁栄に寄与する”では、他の提案と区別が付かない、大きすぎ。もっと具体的に、この提案で何が達成できるかを書く。

3.具体的な研究開発課題具体的な研究開発課題とその内容。既存のテーマとの差が分かるレベルの深さで記す(1

章の敷衍)。

【解説】

どこから研究開発に手をつければよいかが分るように書く。個々の研究開発課題間の関連性を記載する。可能であれば、研究開発課題の具体的事

例(参考資料でも可)、定量的目標(例:5 年後に 1/100 を達成 等)をその根拠とともに記載する。

-悪い例 1:悪い例:“***する技術”、“***できる技術の研究開発”などは願望、あるいはせいぜい目標であり、課題ではない。

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4.研究開発の推進方法研究開発の具体的な推進方法を記す。国と民間の役割分担、研究遂行上の留意点などを

含める。

【解説】

3 章の研究開発課題を推進するのに必要な組織(国研、研究開発独法、大学等)、体制、設備、役割分担、阻害因子(あれば)と解決策等を書く。

例えば、研究の進行上まだ初期の段階で個人のアイデアが大事なら、小額を多種類の研究にばら撒く、方向がある程度決まっていれば複数のチームを競わせる方法、また極めてはっきりとゴール設定ができていれば、一つのチームで強い統率の下の研究(場合によっては研究所設立もあり得る)などを考慮。

研究推進方法の事例として、「IRT」で提唱された「プラットフォームにおける研究の進め方」(「IRT」p.17 参照)は汎用性の高い概念なので、一読の上、必要に応じて活用する。

5.科学技術上の効果科学技術上どの様な進歩が見込めるかを記す(2 章の敷衍)。成果を論文とするか、新技

術のデモなどにするかにも言及。(補足)あくまで、本プロポーザルによって得られる科学技術上の成果、アウトプットに

ついて具体的に記載する。波及効果(アウトカム、インパクト)は、必要に応じて記載する。

6.社会・経済的効果社会・経済上どのような効果が見込まれるかを記す(2 章の敷衍)。社会ビジョン、ニー

ズの充足にも言及。必要に応じて負のインパクトにも言及。

【5 および 6 の解説】

図 1 のどのレベルから上を社会・経済的効果、下を科学技術上の効果とするかは明確には決まっていないが、一般にメリットが明らかなものは社会・経済的効果に入れ、使い方によってメリットがいろいろありうる、あるいはメリットが不明なものは科学技術上の効果とする。

イノベーション創出の観点からも言及することが望ましい。イノベーション効果を章にしても良い。ただし、あまり飛躍しないように注意して、本プロポーザルで達成される具体的効果を記載する(S&Lモデルのフェーズ 1:発見・科学的知識や 2:発明・概念の証明に関係する提案等、社会・経済的効果として適切な内容がなければ記載しないことも考慮する)。

-悪い事例:人類福祉、持続ある社会の形成 等

7.時間軸に関する考察研究の開始時期、必要期間、期限とその根拠及び理由等を記す。時間軸は絶対軸あるいは

相対軸を選定。

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【解説】

S&Lモデル上の位置を意識しながら、環境・政治・経済・社会的要因によって、所定の期限までに成果を出す必要があるものは、その期限、あるいはそのために必要な着手時期と、研究期間を絶対時間軸で書く。

着手期限や成果の期限がないものは、研究にどのくらいの時間がかかるか、あるいは、どのくらいの時間を掛けるべきか、という相対軸で記述。

予備検討と本格着手のように時系列的にフェーズが変わるものはそのシーケンスとそれぞれの所要期間を書く。

たとえ最終成果が出るまでに非常に長期間を要するものであっても、同一テーマで無期限にダラダラやるべきではなく、マイルストーンを定めてやるべきであり、この章はそれを意識して計画を立てるためのもの。

8.検討の経緯本提案に至った経緯(WS、G-TeC 等を含む)を記す。3 ページ以内(含図表)。

【解説】

本提案を導くに至ったワークショップ等の概要と主要な結論(必要に応じ図表を使用する)を簡潔に記載するとともに参加者リスト、訪問先(面談相手)を記載する。また、別途ワークショップ報告が出ている場合や、その他の文献の記述等に基づいている場合は、それらを参考文献として記載する。

専門用語説明非専門家にも分かりやすいように、専門的な用語や略語について説明をつける。より詳し

く説明する場合は、本文中コラムとしてもよい。

これ以下は付録(必要があるときのみ)または参考文献とする。

9.詳細な研究開発課題本提案に至った経緯(WS、G-TeC 等を含む)を記す。3 ページ以内(含図表)。

10.国内外の状況関連する分野の研究の現状と海外との比較(G-TeC 等)を明記する。

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【9 および 10 の解説】

戦略プロポーザルが広範囲な影響力を持ち、あるいは相当期間の有効性を持つことを期待する場合には、様々な者が本プロポーザルを読むことが想定されることから、結論に至るまでの検討のプロセス、検討の手法、根拠、国内外の状況についての説明を完結して付記しておくことは、読者の理解の促進と本プロポーザルの信頼性向上に資すると考えられる。

このため、CRDS の検討プロセスを知らない者に対しても、合理的な検討プロセスである旨伝達されるような記述を記載することが望ましい。

また、プロポーザルが導き出された根拠(重要な判断や前提として科学的根拠)を説明する記述を記載することが望ましい。

具体的な方法として、-第 3 者でもわかることを意識しつつ、そのような記述をおく。以下の方法でそれ

が代替できるならそれでもよい。・ワークショップや G-TeC で得られた結論に至った根拠をまとめて付記する・ワークショップや G-TeC の報告書が発行されている場合は、抜粋を添付する・プロポーザル本文中にワークショップや G-TeC の報告書の該当部分を参照ページ

として示す・ワークショップや G-TeC の報告書の該当部分を参考資料として添付する

等が考えられる。

(その他)・政府予算関係等参考資料については、ワークショップ開催時点等ではなく、プロポーザル

発行時における最新版のものを使用する。

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■研究開発戦略策定研究会メンバー■

生駒 俊明 (前 CRDS センター長)有本 建男 (CRDS 副センター長)石正 茂 (戦略推進室長、フェロー)安藤 健 (産業技術ユニット、シニアフェロー)前田 知子 (政策・システムユニット、フェロー)福田 佳也乃 (政策・システムユニット、フェロー)

(所属は執筆当時のもの)

研究開発戦略策定のためのハンドブック独立行政法人科学技術振興機構

研究開発戦略センター2009 年 4 月 21 日

〒 102-0084 東京都千代田区二番町 3 番地電話    03-5124-7481ファックス 03-5124-7385http://crds.jst.go.jp/Ⓒ 2009 JST/CRDS

許可無く複写/複製することを禁じます。引用を行う際は、必ず出典を記述願います。

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