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成果を出し続けるための生き方を見つけ、 他者の生き方も認めよう。 大学にある技術の事業化や製品化に携わる仕事をしている MVP株式会社の武田泉穂さんは、5つもの会社に所属し、株 主と役員を兼ねている。そのうちのひとつは自身で起こした会社 で、代表取締役を務める。もともと生物物理学の研究者で、研 究の道を突き進んでいくと心に決めていたはずの武田さんが今 に至るまでには、どのような心境の変化があったのだろうか。 研 究 成果を世に出すため、 フルスピードで走り続ける 今の武田 泉穂 さん をつくっている もの・こと ライフワークバランスを重視し、 労働時間ではなく成果主義である 経営者の道を選んだこと 医科大学TLOへの インターンシップでビジネスの世界に 足を踏み入れたこと MVP株式会社 専務取締役 武田 泉穂 さん MVP株式会社の経営に参画し、 自らが発掘したシーズを 製品化し、 研究成果で 社会の役に立つことを経験したこと

研究成果を世に出すため、 フルスピードで走り続ける - JST › shincho › yomimono › pdf › JST_case04... · 2015-06-10 · た内容ばかりで、研究者から出る質問とは全然違っ

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Page 1: 研究成果を世に出すため、 フルスピードで走り続ける - JST › shincho › yomimono › pdf › JST_case04... · 2015-06-10 · た内容ばかりで、研究者から出る質問とは全然違っ

成果を出し続けるための生き方を見つけ、他者の生き方も認めよう。成果を出し続けるための生き方を見つけ、他者の生き方も認めよう。

大学にある技術の事業化や製品化に携わる仕事をしているMVP株式会社の武田泉穂さんは、5つもの会社に所属し、株主と役員を兼ねている。そのうちのひとつは自身で起こした会社で、代表取締役を務める。もともと生物物理学の研究者で、研究の道を突き進んでいくと心に決めていたはずの武田さんが今に至るまでには、どのような心境の変化があったのだろうか。

研究成果を世に出すため、フルスピードで走り続けるフルスピードで走り続ける

今の武田 泉穂さんをつくっているもの・こと

ライフワークバランスを重視し、

労働時間ではなく成果主義である

経営者の道を選んだこと

医科大学TLOへの

インターンシップでビジネスの世界に

足を踏み入れたこと

MVP株式会社 専務取締役

武田 泉穂 さん

MVP株式会社の経営に参画し、

自らが発掘したシーズを

製品化し、研究成果で

社会の役に立つことを経験したこと

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武田泉穂さん

 東京工業大学大学院の博士課程在籍時に所属していたのは、いわゆるビッグラボといわれる研究室で、JST の ERATO プロジェクトにも参加していた。博士号取得後もポスドクとして同じ研究室で研究を続けていたが、自身の研究費を取得するため科研費などの申請をしていく中で、新しいプログラムの公募をたまたま目にしたのがすべての始まりだった。 それは、東京工業大学に新しくできたプロダクティブリーダー養成機構のインターンシップ・プログラムだった。企業等で活躍するための人材としてのキャリア能力を養成することを目的とした機構で、ポスドクとして採用されると、給与が支払われることに加え、期間内に希望する企業でインターンシップできることになっていた。そこで、武田さんは、あくまで研究を続けるための資金を獲得するという目的で応募してみることにした。

 面接に行ってみると、会場には企業の方がおよそ30人ずらっと並んで応募者を待ち構えていた。この

「研究者ではない人々」に向けて、自分の研究を発表しなくてはならなくなってしまったのだ。「『この研究は将来、世の中に出ていくと思いますか』といった内容ばかりで、研究者から出る質問とは全然違っていました。基礎研究をしていた私にとっては、とても刺激的でしたね」と武田さんは当時を振り返る。研究をしていると、ふとこれは何の役に立つのだろうと思うことがある。この疑問に対する答えを、「大風呂敷を広げてでもいいから、こういう夢に向かってやっているのだということを明示しなければならない場がある」ということを実感したという。 「これは落ちたな」という武田さん自身の感触とは異なり、無事に採用が決まった。企業へのインターンシップはさっさと済ませて研究室に戻り、論文を書きたいと考えていたというが、実はこれが、現在の仕事につながる扉を開く瞬間だったのだ。

 採用が決まると早速、インターンシップ先の選定に取りかかることになった。このとき武田さんは、なんと乳児を抱えていた。「ですから、なるべく家の近くの企業で、しかも時間にちょっと融通が利くところを希望しました。研究だったら自分でスケジュールをデザインできるけれども、企業では時間で区切られてしまうので。今となっては反省点ですけれど、当時はそういった条件ばかりに目がいっていましたね」と武田さんは苦笑いする。

思いがけないところで、研究の外の世界を知る

運命を変えた仕事との出会い

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東京工業大学での研究生活で培われた知識やスキルはビジネスでも活かされている。

 他の採用者たちは、自分の研究と関連のある大手製薬企業や医療機器メーカーなどを選ぶ中、武田さんは、プロダクティブリーダー養成機構の担当者が紹介してくれた、今も連携パートナーとして所属する MPO 株式会社というベンチャー企業に行くことになった。MPO は聖マリアンナ医科大学の指定技術移転機関だ。医師の研究成果を世の中に出していくのが MPO の役割といえる。 突然、これまでの研究とはまったく異なる仕事に飛び込むことになり、戸惑うことはなかっただろうか。武田さんは、「視野が広がってすごく楽しかったですね。研究を具現化していくところのおもしろさを実感したんです」と、目を輝かせながら当時を思い出す。研究では誰ともしゃべらず黙々とやらなければならない時間も長いが、MPO では医師と研究の話で盛り上がったり、一緒にグラントの申請書を書いたり、特許のコンサルテーションをしたりすることがとにかくおもしろかった。自分も知らなかった一面が引き出されるようで、「この仕事が私の天職かもしれない」と思ったという。 1か月間だけのつもりで始めた MPO でのインターンシップは、結局期間いっぱいの1年間継続し、最終的には就職するに至った。「いろいろ迷いつつも、研究に戻らずにこちらに飛び込むことにしたんです」。就職の際、代表からは、武田さんの分の給料はグラントの申請書を一緒に書いて取ろうという話をされたが、「研究者じゃなかったら戸惑っていたかもしれませんよね。自分の分は自分で稼ぐというところが研究の世界と一緒だったので、特に驚きもなく、受け入れられました」。 MPO のインターンシップでは、業務を細かく教えられることはなかった。「何かを教えてもらうのを待つというよりは、自分でどんどん業務を遂行させていただける環境だったんですね、それを当時の代表でもある今のボスが優しく厳しく見守ってくれていたというところが、私にフィットしていたんだと

思います」。そうでなければ就職していなかったかもしれない、と武田さん。それまでの研究生活で身につけてきた、人から習うのではなく自分で何でもやるというスタイルが活かされている。

 事業化できそうなシーズは、研究者との雑談から見つかる場合もある。研究者自身、それが事業のタネであることにまったく気づいていないことも多いのだ。武田さんがそんな会話の中から拾い上げたシーズから製品となったものに、食物アレルギーの負荷試験食がある。 アレルギーをもつ子どもは多い。以前は、そういったアレルゲンを含む食品は一切食べさせないという方法がとられていたが、現在は、少しずつ食べさせていって減感作させ、治療するという経口減感作療法が行われている。しかし、家庭での毎日の食事で、たとえば卵を少しずつ食べさせ、量を段階的に上げていく……といったことをするのは難しい。病院で行われる負荷試験でも、自宅から持ってきたゆで卵の重さをナースが量るという煩雑な作業がある。「うちの子もアレルギーなので、負荷試験専用の食品が欲しいなと思っていたんです。小児科のお医者さんとお話ししていたら、偶然、親も子どもも医療関係者も大変な思いをしているという話を聞きました。それで、負荷試験にも使えるお菓子をつくりましょうということになったんです」。 こうして、3 大アレルギーといわれる卵、乳、小麦の3種類に対して、負荷試験のガイドラインに沿ったアレルゲン含量のボーロの開発が始まった。論文など参考になる知見が何もないところから外部資金の調達を行ってプロジェクトを進め、現在、ついにボーロとしてでき上がってきたところだ。商品を目の前にすると興奮するというが、次はパッケージデザインを考えたりホームページを整えたりするなど、今まさに販売へ向けた最終フェーズへと走り出す。 「お菓子やジュース、医療機器などの製品が完成して実際に売り出されるときが、一番エキサイティングですね。研究成果の事業化が現実のものになり、ついに社会にこれを出した、役に立てた、というところですね」とワクワクした瞳で語る武田さんは、研究経験を糧に自分のビジネススタイルを身につけ、興奮する瞬間に向けてひた走る。

社会の役に立つエキサイティングな仕事

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MVP株式会社のオフィス。大学の基礎研究が具現化されていく場所だ。

武田

泉穂

さん

息子さんからもらったどんぐりのお守り。今でも大事に持ち歩いている。

負荷試験のガイドラインに沿ったアレルゲン含有のボーロ。あと1ステップで商品化に漕ぎ着ける。

 現在は、2 人の男の子の母親でもある武田さん。第 1 子は博士課程在学中に出産したが、これまで研究もビジネスもフルスピードで頑張ってきた。そこには時間のやりくりなどさまざまな苦労もあっただろう。研究室では同僚の男性が 24 時間研究している横で自分は帰らなければならないこともあり、悶々とすることも多かった。「でも、泣き言は言わないですね。もうやるしかない、という感じでした。今も悩む暇がないぐらい忙しいというのが実情です。悩む時間のあった昔の自分を振り返ると、実はそんなに忙しくなくて、むしろ暇だったんじゃないかな、と思うんです」と、あっけらかんとした様子だ。 ビジネスの世界に入っても、妊娠・出産・育児などのライフイベントでどうしても機会損失につながってしまうケースがある。だから武田さんはフルスピードで走り続ける。それは将来の自分のためだ。 「家族は大事にしたいんです。研究を続けて大学のポストを得ていこうとする中で、子どもと 5 年間離れて生活していたというような方に会ったこともありますが、正直、私はそうなってまで研究者という仕事を続けたいのかなと疑問に思っていました。でも、自分で事業を創出して稼げるようになれば、研究の最前線に立つのは諦めなければいけないけど、働く女性にとって課題でもあるライフワークバランスを保ちながら、研究を糧に社会の役に立てるかもしれない、と思ったんです」と胸の内を明かす。 「私のライフプランのリスクヘッジは、ビジネスのリスクヘッジとちょっと共通していて、常に考えています。たとえば、もし夫が転勤することになれば、家族が離れて生活するか、家族一緒に転居するか、選択することになります。私が雇われの身であれば、仕事を選ぶと家族と離れた生活となり、家族一緒を

選ぶとおのずと退職することになりますが、自分の事業があれば世界中どこにいても仕事ができる。もちろん、身ひとつで戦うので、容易なことではありません。一方で、社員という身分は本当に魅力的でもありますので、それぞれに合った立場を選択するのがベターだと思います。MPO に入って社員としての最初の 5 年間は無理もしましたが、その間に自分の会社も立ち上げるなどやりたいことを実現でき、今はちょっとだけ、その頃の無理が実を結んでくれたかなと思っています。当時も今も、支えてくれる夫には心から感謝しています」。 海外出張に行ったり夜遅くに仕事に出たり、休日にも仕事があったりする日々。核家族での生活において夫と子どもの協力は欠かせない。海外出張に行く前に息子からもらったどんぐりのお守りは、今でも大切な宝物だ。普段仕事が忙しい代わりに、休日は家族の時間をできるだけつくろうと努力し、勉強なら何でも教えると子どもと約束をしている。「テレビはなぜ色が映るかというとね、光の三原色というのがあってね……」と、小学生の息子に全力投球で説明しているそうだ。 武田さんのやりたいことは、大学で研究していた頃から変わっていない。「論文でも商品でも、自分の成果を残し世の中の役に立ちたい」。今後は、組織として成長できるように経営者の視点を勉強し、より深めていきたいと思っている。 思いがけないきっかけから自分の居場所を見つけた武田さん。研究で鍛えられた視点と経営者としての視点を兼ね備えたビジネスパーソンへと、まだまだ階段を駆け上がっていく。

家族と将来の自分のために