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発展世界史(3年)・世界史B(2年)課題
令和2年4月10日発送
4桁番号 氏名 .
提出日:5/6(水)以降の学校再開日 厳守
【問題について】
・問題文をよく読んで解答すること!
・「説明しなさい」「まとめなさい」等の問いに対しては、必ずしも文章でまとめる
必要はありません。図や地図、絵なども用いて、自分のノートしてまとめること。
・空欄補充の問題については、解答を同じページに掲載しています。
ただ写すのではなく、まずは自分で取り組んでから、答えを確認すること。
【提出について】
・上記の期日を厳守。
・提出においては、本課題プリントではなく、自身のノートでも構いません。
※その際、4桁番号、氏名を分かりやすい場所に記入すること。
・提出場所・・・4L(社会科)教室
【成績について】
・課題の取り組み状況(提出日・内容等)を成績に反映させます。
・授業再開後、課題の範囲のテストを実施し、成績に反映させます。
第7章アジア諸地域の繁栄~3トルコ・イランの世界②~
世界史B
オスマン帝国の成立と発展
7-3‐3
★問:オスマン帝国の建国~最盛期(スレイマン1世統治)までの歴史を君主ごとにまとめなさい。※参照:教科書193~4P、資料集178~9P
★問:オスマン帝国の統治(異民族・異教徒支配含む)についてまとめなさい。
※参照:教科書194~6P、資料集178~9P
●問:オスマン帝国の動揺に関する以下の図表の空欄を埋めなさい。 ※参照:教科書194P、資料集178~9P
◆VS スペイン艦隊・・・〔1 レパントの海戦 〕(1571)
⇒オスマン帝国の敗北・・・依然として東地中海を自由に航行
◆〔2 第2次ウィーン包囲 〕の失敗(1683)
⇒〔3 カルロヴィッツ 〕条約(1699)・・・ハンガリーなどを失う
7-3‐4
①
② ②
③
※チャレンジ
16世紀後半以降、オスマン帝国は経済面で
徐々に力を失っていく、それは何故だろうか。
ヨーロッパの情勢を踏まえて考えてみよう。
★問:以下の空欄に適する語を答えなさい。
解答:1レパントの海戦2第2次ウィーン包囲3カルロヴィッツ
解答:①ミッレト②ティマール③イェニチェリ
第7章アジア諸地域の繁栄~4ムガル帝国の興隆と衰退①~
世界史B
ムガル帝国の成立
●インド=イスラーム文化にいて教科書・資料集で学習をしておくこと
特色 イスラーム文化と伝統的ヒンドゥー文化の融合
宗教 イスラーム教とヒンドゥー教の融合←イスラーム神秘主義とバクティ信仰の類似性
言語 ペルシア語(公用語)+インドの地方語⇒〔1 ウルドゥー語 〕 ※現パキスタンの国語
絵画・イラン風細密画の影響・宮廷の保護・・・ムガル絵画
・インド伝統的絵画・・・ラージプート絵画
建築 インド様式+イスラーム様式⇒〔2 タージ=マハル 〕 ※シャージャハーン帝時代(場所 アグラ)
7-4‐1
★問:ムガル帝国の成立、帝国の基礎を築いたアクバル帝の治世について説明しなさい。
※参照:教科書197~8P、資料集180~1P
ムガル帝国の衰退
南インドの状況
〔1 ヴィジャヤナガル 〕王国成立(14~17世紀半ば)
・建国地・・・デカン高原 / 宗教・・・〔2 ヒンドゥー 〕教
・繁栄・・・インド洋交易で西アジアから馬を入手 ※軍事力強化
⇒南インドに支配を拡大(全盛期16世紀)
・衰退・・・イスラーム勢力と抗争⇒衰退(17世紀)・・・南インドで地方勢力の自立化
7-4‐2
東南アジア交易の発展
東南アジア16世紀、ヨーロッパ勢力が進出
〔4 マラッカ王国 〕・・・占領される(1511) ※王は拠点を転々と移動〔3 ポルトガル 〕
ムスリム商人・・・拠点を移動させて対抗⇒アチェ王国・マタラム王国が新たな交易中心地として発展
タイの〔5 アユタヤ朝 〕、ビルマのタウングー朝⇒特産物(米・鹿皮)交易で繁栄を継続
★問:アウラングゼーブ帝の政策を、アクバル帝と比較しつつ100字程度で説明せよ。
★問:ムガル帝国6代皇帝の治世を3代皇帝の治世と比較しつつまとめなさい。
また、6代皇帝死後の帝国の状況についてまとめなさい。 ※参照:教科書199P、資料集180~1P
※南インド、東南アジア交易の発展について、教科書199~200Pをよく読んで理解しておくこと。
第12章 アジア諸地域の動揺~1オスマン帝国支配の動揺と西アジア地域の変容①~
世界史B
オスマン帝国支配の動揺
アラブ民族の目覚め
●アラビア半島情勢
★問:ワッハーブ派の改革運動について説明しなさい。 ※ポイント:ワッハーブ派の性質、指導者、影響など
※参照:教科書284P、資料集242~3P
12-1-1
★以下の図表の空欄を埋めなさい。 ※参照:教科書283~4、資料集242~3P
オスマン帝国の改革
★問:オスマン帝国の改革運動とその結果(タンジマート~ベルリン条約)までの経過をまとめなさい。
※参照:教科書286P、クリミア戦争(263P)、ロシア=トルコ戦争(269、70P)、資料集242~3、232P
第12章 アジア諸地域の動揺~1オスマン帝国支配の動揺と西アジア地域の変容②~
世界史B 12-1-3
イラン・アフガニスタンの動向
サファヴィー 朝の滅亡(18世紀前半)
●イランの動向
アフシャール朝(1736~96)※建国者・・・ナーディル=シャー
〔1 カージャール 〕朝(1796~1925)
・建国者・・・アーガー=ムハンマド
・民族・・・トルコ系 カージャール族
・都・・・テヘラン
〔2 ロシア 〕の進出
・対外政策・・・〔3 南下 〕政策
※カフカスをめぐり争う
侵攻
カージャール朝の敗戦
⇒〔4 トルコマンチャーイ 〕条約(1828)
・ロシアに治外法権を認める
・関税自主権の喪失
・東アルメニアを割譲
カージャール朝の専制に対して蜂起 ※社会改革を唱える
⇒〔6 バーブ教徒の乱 〕(1848)
・思想・・・シーア派の系統
・主張・・・救世主(マフディー)の再臨を解き、
混乱した政治・社会の改革を訴える
・中心・・・農民・中小商人
・結果・・・政府軍により鎮圧(1850)
東方・・・〔5 イギリス 〕の圧力
●アフガニスタンの動向(19世紀)
アフガン王国 ※18世紀半ば以降独立を維持 カージャール朝が侵攻・・・〔7 ロシア 〕が支援
※北部の領有権を主張
侵攻
〔8 イギリス 〕・・・介入
・ロシアの南下を警戒
・インドの権益をまもる必要介入
3次にわたる〔9 アフガン 〕戦争へ
(1838~42、78~80、1919)
・構図・・・アフガン王国 VS イギリス
アフガン王国の敗北
⇒第2次アフガン戦争後・・・イギリスの保護国化(1880)
※英・・・外交権確保、英領インドとの境界を定める
12-1-4
★問:19世紀前半のイランの動向、19世紀のアフガニスタンの動向に関する以下の図表の空欄を埋めなさい。
※参照:教科書286~7P、資料集242~3P
※解答
1カージャール、2ロシア、3南下、4トルコマンチャーイ、5イギリ
ス、6バーブ教徒の乱、7ロシア、8イギリス、9アフガン
西欧勢力の進出とインドの植民地化
17~18世紀のインド・・・各地で政治・経済活動が活発化⇒地方勢力が力をつける
◆ヨーロッパ各国の東インド会社・・・インド各地に商館をおき、商業活動に従事
・オランダ・・・ジャワを拠点 ※アジア諸地域間を結ぶ取引に重点
・イギリス・・・インドのマドラス・カルカッタなどに商館 ※本国とインドを結ぶ交易に重点
・フランス・・・インドのポンディシェリを中心に活動
◆商業活動
★問:西欧勢力進出と東インド会社に関する空欄1・2を埋めよう。
第12章 アジア諸地域の動揺~2南アジア・東南アジアの植民地化①~
世界史B 12-2-1
ヨーロッパ インド
金・〔2 銀 〕
〔1 綿布 〕・対外貿易の拡大
・金・銀の流入
⇒農産物の現物分配で成立する
インド社会に変化をもたらす
★問:英仏のインドをめぐる抗争~イギリスのインド支配の確立までの過程を整理してみよう。
※参照:教科書287~8、資料集244~5P
※参照:教科書287・8P、資料集244~5P
【作業】
イギリス・フランスのインド支配の拠
点を地図に書いてみよう。
英:マドラス、ボンベイ、カルカッタ
仏:ポンディシェリ、シャンデルナゴル
※解答:1綿布、2銀
植民地統治下のインド社会
●東インド会社の支配
<ザミンダーリー制>
ベンガル総督
ザミンダール(地主)
小作人小作人小作人
土地所有の承認 地租
貢租
<ライヤットワーリー制>
州(植民地)政府
小作人小作人小作人
地租土地所有の承認
12-2-2
<従来>
様々な職種の人々が総生産物の
一定割合を現物得る権利
インド社会に深刻な影響<新制度>
・一人だけが土地所有者として認定
⇒他の人が持っていた権益は無視
・税額・・・重い+長期間、現金で設定
⇒農産物価格の下落・・・負担大、生活は困窮
貿易政策
〔5 保護関税 〕貿易体制→〔6 自由 〕貿易体制へ
イギリス・・・〔3 産業革命 〕の進展
⇒〔4 産業資本家 〕成長・・・東インド会社の貿易独占に不満
・〔7 インド 〕貿易独占権廃止(1813)
・〔8 中国 〕貿易独占権廃止・商業活動停止
(1833、34実施)
⇒東インド会社・・・インドの〔9 統治機関 〕へと変身
●東インド会社の支配
インド
イギリス製の綿布・綿糸の流入⇒インド製品を圧倒
※1810年代末・・・輸出入が逆転
イギリス製の綿布・綿糸の流入⇒インド製品を圧倒
※1810年代末・・・輸出入が逆転
インド(19世紀前半)
◆対イギリス貿易
・輸出品・・・綿花・藍などの〔10 原材料 〕
・輸入品・・・〔11 工業製品 〕を大量に輸入
⇒貿易赤字へ
◆対中国輸出品・・・〔12 アヘン 〕・綿花
◆対東南アジア
アフリカ輸出品・・・綿製品
※多角的な貿易構造の形成で対応
※赤字を補うために・・・
第12章 アジア諸地域の動揺~2南アジア・東南アジアの植民地化②~
世界史B
統治
・目的・・・富の収奪(より多く、より効率的に)
・収入源・・・地税
・徴収法 ※地域によって使い分ける
〔1 ザミンダーリー 〕制(北インド(ベンガル地方など))
=ザミンダール(地主)に近代的土地所有権を認め、徴税
〔2 ライヤットーワーリー 〕制(南インド・シンド地方)
=農民(ライヤット)に近代的土地所有を認め、直接徴税
※土地・・・国家的土地所有
★問:東院会社の支配に関する、以下の図表の空欄を埋めなさい。※参照:教科書288~90P、資料集244~5P
※解答
1ザミンダーリー、2ライヤットワーリー
3産業革命、4産業資本家、5保護関税
6自由、7インド、8中国、9統治機関
10原材料、11工業製品、12アヘン
※19世紀後半・・・世界的な経済活動の回復⇒インド経済も回復の動きが出始めるが・・・
★問:インド大反乱(背景・過程・結果)~インド帝国の成立までの過程を整理しよう。 ※参照:教科書290~1P、資料集244~5P
12-2-3インド大反乱とインド帝国の成立
<穴うめ論述問題>
「木綿織布工の骨は、インドの原野を真白にしている」とはある時代のインド社会の窮乏を端的に表現した言葉である。
この窮乏の原因を当時インド支配を強めつつあったイギリスの経済的連関と関連づけ200字程度で述べよ。
18世紀後半以降、(① )により木綿工業が発達したイギリスは、(② )家が説く(③ )貿易
主義が強まるなか、インドを自国の機械製綿製品の販売市場・(④ )供給地にしていった。このため(⑤ )
輸出国だったインドは1820年代にはイギリス製(⑤ )輸入国に転落し、手織の(⑤ )産業は壊滅的な
打撃を受けた。さらに近代的な地税制度や(⑥ )など輸出用作物の栽培が強制されて、自給自足的な村落社会が
崩壊したため、インド社会は困窮化した。
解答:①産業革命②産業資本③自由④原料⑤綿布⑥綿花
世界史B
東南アジアの植民地化
初期の目的・・・商業権益の拡大
※〔1 香辛料 〕貿易など
●西欧勢力の動き
●オランダ
16世紀初・・・ジャワ島到達 ※目的・・・香辛料の確保
・根拠地・・・〔3 バタヴィア 〕
〔4 アンボイナ事件 〕(1623)⇒イギリスを駆逐・・・ジャワでの領土獲得へ
〔6 ジャワ戦争 〕(1825)・・・オランダが鎮圧
●イギリス ※東南アジア進出の目的・・・中国への貿易活動拡大⇒マレー半島・ビルマ(ミャンマー)へ
◆マレー半島
18世紀末~19世紀初め・・・ペナン、マラッカ、シンガポール領有 ※シンガポール・・・〔9 ラッフルズ 〕が領有(1819)
※英・・・ジャワ占領→英蘭協定(19世紀)・・・ジャワ返還、マラッカ海峡以北に進出
〔2 領土 〕の獲得へと移行
⇒植民地で農産物や鉱物資源の開発を推進・・・世界市場と結びづける
18世紀半ば・・・〔5 マタラム王国 〕を滅ぼすジャワ島の大半を領有
19世紀・・・オランダ政庁による直接支配
・商品作物(コーヒー・サトウキビ・藍など)を導入
⇒一方的に作物の種類・土地・生産量・労働者数を指示、買いとり価格を決定
住民の生活は困窮⇒抵抗へ抵抗
オランダ本国の財政悪化
⇒〔7 強制栽培 〕制度を導入(1830)
・推進者・・・総督〔8 ファン=デン=ボス 〕
・内容・・・商品作物の栽培を農民に強制 ※作物の買いとり価格を強制
ジャワの農村・・・飢饉が頻発
⇒生活は疲弊
19世紀前半・・・ペナン、マラッカ、シンガポール⇒〔10 海峡植民地 〕とする(1826)
1870年代・・・港市だけの支配→領域的支配へ
※英・・・錫をめぐる利権争い(中国人秘密結社・マレー人スルタン)に介入⇒支配地域を拡大
・19世紀末・・・〔11 マレー連合州 〕を結成(1895)=マレー半島の支配確立
・20世紀・・・〔12 錫 〕の採掘・〔13 ゴム 〕のプランテーション実施
↑ 自動車生産との結びつき ※労働力・・・〔14 インド 〕人移民を導入
◆ビルマ(ミャンマー)進出
・タウングー朝・・・中国人の反乱をきっかけに滅亡
⇒〔15 コンバウン朝 〕の成立(1752~1885) ※アッサムに進出
←イギリス・・・〔16 ビルマ戦争 〕に勝利(1824~86・3次)⇒〔17 インド帝国 〕に併合(1886)
12-2-4第12章 アジア諸地域の動揺~2南アジア・東南アジアの植民地化④~
★問:東南アジアの植民地化に関する以下の図表の空欄を埋めなさい。 ※参照:教科書291~3、資料集246~7
解答:1香辛料、2領土3バタヴィア、4アンボイナ事件、5マタラム王国6ジャワ戦争、7強制栽培、8ファン=デン=ボス、9
ラッフルズ、10海峡植民地、11マレー連合州、12錫、13ゴム、14インド、15コンバウン朝、16ビルマ戦争、17インド帝国
●スペイン
●フランス・・・ベトナム・カンボジア・ラオスに進出
フランス
宣教師〔9 ピニョー 〕が援助
※タイ・ラオスも援助
〔11 仏越戦争 〕(1858)
・契機・・・カトリック教徒迫害⇒フランスが軍事介入
・結果・・・フランスの勝利⇒〔12 サイゴン条約 〕(1862)
※フランスが〔13 コーチシナ東部 〕(メコン川下流域)を獲得
16世紀・・・ 〔1 フィリピン 〕に進出 ※根拠地・・・〔2 マニラ 〕
・アカプルコ貿易・・・〔3 メキシコ 〕銀による中国貿易⇒太平洋ルートの確立
・政教一致体制・・・住民を〔4 カトリック 〕に強制改宗⇒信仰・行政を支配
対欧米政策・・・排除→マニラ市開港(1834)⇒商品作物生産増大(砂糖・マニラ麻・タバコなど) ※世界市場に組みこまれる
⇒〔5 プランテーション 〕開発がすすむ・・・大土地所有の進展
ベトナム
〔7 阮福暎 〕・・・西山朝を滅ぼす
=〔8 阮朝 〕朝を創設(1802)
清朝
⇒越南国王に
封じる
援助
行政制度整備・・・〔10 清 〕の制度導入介入
劉永福が組織する
〔16 黒旗軍 〕が抵抗
抵抗
フランス・・・北部に進出
⇒〔17 ユエ条約 〕(1883)・・・ベトナムを保護国化清朝・・・ベトナムの宗主権を主張
〔18 清仏戦争 〕(1884~85)・・・清朝の敗北
⇒〔19 天津条約 〕(1885)
※フランスのベトナム保護権を承認
ベトナム+カンボジア
⇒〔20 フランス領インドシナ連邦 〕の成立(1887)
・総督府・・・〔21 ハノイ 〕 ※ラオス編入(1899)
★問:タイが独立を維持できたのは何故だろうか。まとめてみよう。 ※参照:教科書294P、資料集246~7P
12-2-5
16世紀以降
黎朝の名目的支配・・・政治的に分裂
⇒西山の乱・・・南北統一⇒〔6 西山朝 〕成立(1778)
領土の拡大
・〔14 カンボジア 〕保護国化(1863)
・〔15 コーチシナ西部 〕領有(1867)
タイの情勢
★問:東南アジアの植民地化に関する以下の図表の空欄を埋めなさい。 ※参照:教科書291~4、資料集246~7
解答:1フィリピン、2マニラ3メキシコ、
4カトリック、5プランテーション6西山朝、7阮福暎、
8阮朝、9ピニョー、10清、11仏越戦争、
12サイゴン条約、13コーチシナ東部、14カンボジア
15コーチシナ西部、16黒旗軍、17ユエ条約、
18清仏戦争、19天津条約、
20フランス領インドシナ連邦、21ハノイ