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立命館経済学(第 一三八 (四六四) 八世紀イギリス 本稿は一八世紀イギリスの貿易構造とそo変化 がどのように貿易面に投影されているかを検証せんと る重商主義体制の最盛期であり、一八世紀末は産業革命の -貿星構造をいちじるしく変革しつつあったときに当る。 そこでまず、最新の成果によって一八世紀イギリス(正しくはイ (1) を示したのが笏一表である。策一表を一見して明らかな点は、一八世紀 れたわけではなく、むしろ輸出入とも総体的には停滞的であったということ いて考察したように、一八世紀前期はいわゆる重商主義的保護政策にもかかわら (2) 況期を形成していたと考えてよいだろう。これに対して、一七四〇年代の終り頃から れる。そして産業革命がはじまったとされる一七六〇年頃には、一八世紀のはじめと比べ 衣っている。その後アメリヵ独立戦争中には一時的下落がみられるが、一七八○年代及び九〇

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立命館経済学(第十巻・第三号)

一三八 (四六四)

八世紀イギリスの貿易構造

角   山

        は し が ぎ

 本稿は一八世紀イギリスの貿易構造とそo変化のあとをたどることによって、一八世紀のイギリス経済の発展

がどのように貿易面に投影されているかを検証せんとするものである。いうまでもなく、一八世紀前期はいわゆ

る重商主義体制の最盛期であり、一八世紀末は産業革命の成果が急速な生産力の上昇を示しつつ、イギリス産業

-貿星構造をいちじるしく変革しつつあったときに当る。

 そこでまず、最新の成果によって一八世紀イギリス(正しくはイソグラソドおよびウェールズ)の輸出入統計

           (1)

を示したのが笏一表である。策一表を一見して明らかな点は、一八世紀前半は必ずしも順調な貿場の拡大がみら

れたわけではなく、むしろ輸出入とも総体的には停滞的であったということである。この点われわれが別稿にお

いて考察したように、一八世紀前期はいわゆる重商主義的保護政策にもかかわらず、貿場面においても一種の不

                 (2)

況期を形成していたと考えてよいだろう。これに対して、一七四〇年代の終り頃から明らかに貿場の発展がみら

れる。そして産業革命がはじまったとされる一七六〇年頃には、一八世紀のはじめと比べて貫場額はほぼ二倍と

衣っている。その後アメリヵ独立戦争中には一時的下落がみられるが、一七八○年代及び九〇年代になると、毛

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一八世紀イギリスの貿易構造(角山)  

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っとも急斜面的な上昇カーブを描いており、産業革命

の貿易面への影響はこの時代にこそもっとも集中的に

看取されるのではないかと思われる。また、一八世紀

中をつうじて再輸出を含めた輸出総額は、たえず輸入

総額を上廻っており、いわゆる貿易収入の増加をつう

じての資本の蓄積は、イギリスにきわめて有利に展開

しつつあったと思われるのであるが、この点はのちに

ものべるように再検討の余地がないわけではない。

 ところで、われわれははじめにのべた趣旨にしたが

って、重商主義の一つのピークをなしていたと忠われ

る一八世紀初頭の貿易構造と、産業革命に突入して生

産ならびに貿易が飛躍的に発展しつつあった一八世紀

末の貿易構造とを対照しつつ、そ○問の貿場構造の変

化を貿場統計に依拠しつつのべてみたいと思うのであ

るが、この時代の貿場統計表を利用するに当って、そ

れがもつ特徴と限界とを、あらかじめ史料批判的に検

討しておく必要があるだろう。

            二二九 (四六五)

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   立命館経済学(第十巻・第三号)                         一四〇 (四六六)

註(1) ヨ{墨ぎ亭}ooq}oo争q8勺o汁實一■秦奏30ミ葛“§『、sき望ミ“り、、的・室篭、皇ミ・(岩3)弓、巨、。。H・-串

 (2) 拙稿「イギリス一八世紀前期は不況期か」経済理論、六二号。但し、最近一八世紀前期不況説に対する有力た反論があ

   らわれたことに注目する必要がある。 >・甲言}P.>。。潟O♂O{冒品旨}■8目O昌{O○、。ミ亭{、一亭。ヨ、。。汁}、岸。{

   葦■菅庁§亭O邑;<.専§§頁目ら簑・;昌・■○(嚢H)

         一 一八世紀の貿易統計の史料的価値

   - 貿房統計の目的  国際収支の観点

 ここで利用される一八世紀イギリスの貿場統計は、輸出入の貿身総監({易君9冒由竃胃巴)として知られた役

人の作成したものであり、数字はすべてつぎの二つの原資料にもとづいている。すなわち、一つは『イソグラソ

ドの輸出入台帳、一六九七-一七八○』 -&鷺富o{H昌り冒試竃q向■り冒a◎{向長庁己彗qオ巴o。。守◎昌室竃

8H轟9他は『イギリスの航海、商業、収入の状態にかんする報告書、一七七二1』 内8冒ag艘¢co冨8◎{

艘¢オpく赫P饒◎PO◎昌昌o昌9四づq射oく¢目自窃◎{05註団{$ぎ{冒艘¢}¢pHooミSo箏オ}HOoo である。 そして

この二つの数列はオーヴァーラップしているために、全一八世紀についての連続的数列を示すことができる。と

いっても、こんにちの水準からみれば、もとより統計ン、れ自身には少なからず欠陥が口につくけれども、当時と

                              (1)

してはフラソスやオラソダにもまだこれだけのまとまった貿場統計はなく、先進因イギリスの面目を伺うことが

できるとともに、歴史家にとってはきわめて貴重な資料となっている。

 さて、イギリス一七世紀末において輸出入貿場総監が任命され貿場統計が作成された本米の□的は、イギリス

と他国民との国際収支についての知識を提供するという重商主義的バラソス政策にあった。したがって、 『輸出

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入台帳』は貿易された個六の商品を細かな品目に分けた上で、それらの商品の輸出・輸入先を国別に分瓢し、そ

してたいていの場合、それらの商品の数量と単価が詳述されている。それによって個六の国民との貿場額とバラ

              (2)

ソスを算出するのが目的であった。

 そのような目的にてらすかぎり、第一表においてみたように、各国別のバラソスはともかく、全体として、多

くの年において輸出総額は輸入総額よりも大であって、数字の上では一応所期の日的は達成されているようにみ

                        、   、   、   、

える。けれども、実は輸出入の数字にはつぎのようなからくりがあった。すなわち、輸出の数字は外国の港で引

渡されるときの商品の価値、つまり保険料と運送費を含んだ価値であり、一方輸入の数字は、外国における出港

のときの価値をあらわしており、したがって保険料や運送費のコストを含んでいないと考えられるのである。

 『輸出入台帳』は国際収支の如識をめざしながら、こうした貿場外勘定を正しく把えていないことのほか、つ

                 (3)

ぎのような勘定も考慮外におかれている。たとえば、ニューファウソドラソドの海岸でイギリス人漁犬が補獲し

                                       (4)

た魚を直接外因人に販売してえた所得とか、イギリス船舶が外国の港問の運送でえた運送費、外国船舶に対する

イギリスの保険契約料、海外におけるイギリス役人や代理人の所得、イソグラソドに住むアィーレラソドや植民地

地主の収入のごとき貿易外収入が無視される一方、貿房外支出では、植民地で建造され、イソグラソドに住む商

人などに販売された船舶、あるいはイギリスの株式を所有する外人株主への配当支払についてもまったく考慮が

      (5)

払われていない。

 こうして、一八世紀の貿場統計がその意図にもかかわらず、国際収支の考察にはほとんど直接役立ちえないこ

       (6)

とは明らかである。

   一八世紀イギリスの貿場構造(角山)                      一四一 (四六七)

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   立命館経済学(第十巻・第三号)               .        一四二 (四六八)

註(1) ただし、スウェーデソには一七三八年ないし三九年から詳しい貿易統計が存在している。 向・司.}。。片。。。}一、、一。.旨自三.

  軍竃豪貝冒季H鼻ら9彗二ぎ冒曇肇奉。・、、向8.曽』・茅=…-・・一・一芦;・ド(委○)づ・婁・

(2)○.オ.9薫ニミ;皇恥妻S§ミミ等・麦貢、§,ミ~・(嚢・。)二・ご↓・・。・>。。享。箏二、、向姜、、、一。

  婁ざミ県向亀§、ミ\§Oミミ.(委m)事婁、芦

   したがって、 『台張」の基本的分類は地理的であった。それによって個々の外国との貿場の発展や変動を跡づけんと欲す

  るものにとっては、そのような配列は便利であるけれども、特定の商品の貿易にっいての知識を『台帳』に求めんとするも

  のは・厄介た作業をしなければならない。すなわち、特定の商品にっいての一年問の輸出.輸入の統計をえるためには、八0

  1九〇の個六の数字を抽出しなければならない。こうしためんどうな作業をおこなって作成された統計が■・■・○o。プ自ヨ巾、.

  汁撃一吋ミこ§oミ葛§いH,s、“りミ汀、8.\qめ\1\~Q~.(H塞○)である。

 (3)H.・。.ま軍・P・や、一.;.旨H・

(4)。一.甲星多.、睾己曇・一〇言・ニニプニ星事・。写勺夏三自・。耳二彗、曇○・、、、、、一、、ミ亀ミ向。。・皇い一・、、。一・

  誉芦g乙.(お睾)

 (5) この点にっいては、すでに当時}昌q旨彗ユ箏(三代口の貿易総監)によって指摘されていたところでおる。9オ・

  O-図H片一◎寸.、“二〇.心ド

 (6) しかし、それは短期の景気変動を跡づける目的には大へん役立っでおろう。こうした見地から、アシュトソは一八世紀

  貿屠における策気変動を分析した。H・Uo・>。n享○p専ミoミ“、ミミ“§、Q妻~向一曳ミ呉ミ§jミ§・(Ho畠)勺や艶、。。。。.

皿 公定単価

 さきにものべたように、 『輸出入台帳』には各商品の公定単価が記され、ン、れに収引枇を乗ずることによって

貿場額を算出するという方法がとられている。ところが、公定単価は時価でないために、長期分析に貿房額を利

用するには、少点めんどうなことが起る。しかし、始めのうちは公定単価の時価への接近が試みられた。すなわ

ち、初代の貿場総監ウイリァム・ヵリフォード(オ旨巨昌2一毒◎乙)は、各商品の公定単価を決定するに当って、

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外国貿房に従事している商人たちと相談し、設定後一、二年間は、若干の商品にーついて、その公定単価を時価の

変動と密接な関係におくために改訂を施した。カリフォードの後継者であったチャールス・ダヴェナソト(O罫-

{窃o翼¢§巨)およびヘソリー・マーチソ(声彗q峯胃饒目)もしばしば同じような改訂を試みたのであるが、

一七二〇年代の終り頃には、そうした改訂の試みは事実上中止されてしまい、商品の公定単位はもとのまま放置

された。それがために物価騰貴がいちじるしかった一八世紀末になれば、古い公定単価は時価からまったくかけ

放れてしまうという事態が起った。すなわち、一七八一年に護送税Oo毫2まqが課せられたとき、商人たち

は彼らの輸出した商品の価値を申告することを要求せられたが、 そうした商品についての商人の中告価格ま-

                       (1)

oH胃&肩{8はほぽ時価を示しているものと考えてよい。ところがそのときの商人の中告価格と、古い公定単価

                           (2)

とを比べてみると、なかには公定単価の方が高いものもあったけれども、一般的にいって公定単価の方が中告価

                       (3)

格よりもいちじるしく低かったことはいうまでもない。したがって、第一表に示した輪出入統計は公定単価によ

っているから、たとえばイソグラソドおよびウェールズの輸入額は一七〇一年の五九〇万ポソドから一八○○年

には二八四〇万ポソドに増加し、他方輸出額も六九〇万ポソドから四〇八○万ポソドヘ増加しているというわけ

                                                (4)

で、輸入が約五倍、輸出が約六倍蛸加したと主張するのは、決し正しい給論でないことに注意する必要がある。

 ところで公定単価のもつ欠陥については、すでに初期の貿身総監白身がよく承知していたところで、従ってさ

きにものべたような時価への接近的改訂の試みがなされたのであるが、やがて貿場総監白身、むしろ基準価格を

改訂しないで一定にしておく方が、一見して輸出入の商品数最の増減を知ることができるとさえ考えるようにな

 (5)っ

た。だから、策一表の貿易統計は一八世紀はじめの基準価格商品の数量的増加を示しているにすぎない。とい

   一八世紀イギリスの貿易構造(角山)                      一四三 (四六九)

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   立命館経済学(第十巻・第三号)                        一四四 (四七〇)

って、それは数量的増加を正しく反映しているかどうか、つまり、第一表の数字は価値を正確にあらわしていな

いにしても、それでは果して貿易量の増減をある程度正しくあらわしているものと考えることができるかどうか、

つぎにこの間題について若干ふれておきたい。

註(1) ちなみに、当時の有能な貿易総監であったHぎ昌鶉}ま品は、多くの製造品に対して、中告価格と公定単価とのち

  がいの比率を示すリストを提示した。弓・OO・>。。葦OPき“専O・岸心勿“.県向秦N§辻二ざミきO§ミミ.やHS・

 (2) たとえば、ビーバー帽、リソネソ、帆布がそれでおる。

 (3) 未精錬銅の中告価格は公定単価を一四〇九%こえていたが、これは極端な例で、その他鍛鉄は一〇三%、毛織物で三八

  %こえていた。

 (4) 一八○○年における大ブリテソの輸入の公定価値は三〇六〇万ポソド、同じく輸出は四三二〇万ポソド。これに対して

  HHく一品は実質市場価値で輸入を五五四〇万ポソド、輸出を五五八○万ポソドと計算している。H・UO・>。・葦○Pミ・ミ・一勺・HS.

 (5) }昌q旨胃三一自身、こうした批判と見解をつぎの二著のなかで展開している。すなわち、O茅ミ§ぎ姜“も§ミ“

  xs○ミミミ向べ、ミ汀ミ迂\§寸ミご\ミミk§葛§~“ミ吹ミo、ミ乏§§ミミ・および\ミ■向塞kざsミミ向、ミミミ的“ざ

  向ミミ§“べoミ、}、、ミ“『、s~“』ミミミミ\§ミO“\“乏ミ婁\、o~ざ○¥ミ乏§婁\\\やがそれである。ともに○・オ・O巨H〆

  喜.ミ.一に収録されている。霧勺.勺.轟.勺?竃-べ.なお後者は無署名であるが、それが声肖胃庄目の著でおるというのは

  アシュトソの考証による。申■.OOOH;昌潟痔■{.〔“、.一H鼻;(巨OごO目げ}弓.○O.>。・葦○P勺・○◎.

   皿貿場商品数几皿の間魎

 ここでの間題点は、主として、通関申告の際における商品数姑の過大・過少申告の間題と、貿場統制からくる

帝質場の検行、したがってそれらにもとづいて貿身数最を再検討しなければならないという間題である。

 一八世紀においては、他の時代におけるように、輸出品に関税がかけられるような場く口は、商人たちは輸出商

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品の数量を過少に申告する傾向がある。また輸出奨励金(す◎昌q)がついていたり、あるいは再輸出に対する戻

税(qsオ罫鼻。・)がついている商品の数量については、逆に過大に申告する傾向がある。

 いま、一八世紀における輸出関税政策を概観しておくとつぎのごとくである。

 一七世紀中頃以降、輸出関税は総じて漸減政策がとられ、名誉革命以後にはさらに進んで、国内製造業振興の

ために輸出関税を撤廃する政策がとられた。すなわち、一六九一年には豚肉、牛肉、バター、チーズ、ローソク

の輸出関税は廃止され、ニハ九九年には羊毛製品、穀物、肉類、パソその他多くの商品に対する輸出関税が廃止

されたことは決定的な意義をもっている。とくに羊毛製品に対する輸出関税は、一五五七年の大幅な税率引上げ

以来、王室財政の大きな収入源を提供してきたので、ン、の廃止の意義はきわめて大きい。ついで一七〇九年には、

イギリス船舶に積み込まれる限りにおいて、石炭の輸出税が廃止された。しかしこうした一連の輸出関税撤廃政

策は、一七二一年ウォルポールによってほぽ完成され、外国船舳に積み込まれる石炭、鉛、馬、未仕上げ毛織物

                               (1)

など一四-五品目を除き、大部分の製造品に対する輸出関税は廃止された。そればかりでなく、国産品の輸出奨

励のために、穀物、帆布、リソネソ、絹、キャリコ、紙、滑し皮、石鹸、ピールその他重要品に対して輸出奨励

金または戻税がひきつづき課せられた。関税免除品の数は一七八○年代のピツトの関税改革によって増加したが、

フラソスとの戦争中、新しい輸出関税が課せられてその数は再び減少した。

 ところで、こうした一八世紀の輸出閑税政策によって、貿房統計がどれだけ過少申告ないし過大申告の影響を

                                               (2)

うけたかは言明できない。けれども、シュムペーター女史はン、の影響は大したものではなかったであろうという。

 それよりか問題なのは、むしろ留貿易の間題である。それは完全に官憲の眼からのがれていた貿易であり、と

   一八世紀イギリスの貿易構造(角山)                       一四五 (四七一)

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   立命館経済学(第十巻・弗三号)                        一四六 (四七二)

くに一八世紀におけるそれは、高率関税、・ある種の商品に対する輸出入の禁止、あるいは航海法による貿易制限

の白然的結果である。

 密貿易は密輸出と密輸入とに分けられる。まず密輸出については、かの一七二一年のウォルポールの政策によ

ってたいていの輸出品に対する関税は撤廃せられたために、密輸出の必要はあまりなかったと考えられる。けれ

どもなお輸出禁止がしかれている商品があった。たとえば羊毛がそれである。したがって、密輸出の主な対象と

なった商品は、そうした禁制品であったわけであるが、それがイギリス輸出旦里に大きな比重を占めていたと考え

         (3)

ることは危険であろう。

 これに対して密輪入の方は広くおこなわれていた。一八世紀の密輸入品のなかでもっとも重要なものはタバコ

      (4)

と茶とであった。とくに茶は、東イソド会杜の船員のなれあいによる密輸入が若干あったほかは、大部分はヨー

ロツバ市場から直接密輸業者によって運び込まれたものである。密輸商品は全輸入額(公定単価による)のx~

           (5)

%を占めていたといわれるから、貿場総監の数字は長期ないし中期の貿場量の坤減を示す正確な指標となりえな

    (6)

いであろう。

 以上、一八世紀イギリスの貿場統計の問題点を二、三指摘したわけてあるが、なお残された間題がないわけで

はない。けれども、それらの間題点については行論の折にふれることとして、まず以上の三点にあらかじめ注意

を促しておいた上で、つぎに実際の貿場統計についてイギリス一八世紀o貿場構造とその変化を諭じてみたい。

註(1) 』c一;C£)一峯昌一五〇c一ミ竃、Sミ;ミ串け“c~ミあミ一き一一(H寄H)H〕.Nc。ド

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(2)F早・。・巨毫・季一号二一一.ニミ・3・庄昌~H.・・.ま享;;.P

(3)\ミ.ら.P

(4)とぎq崖・9..>・。ぎユ雪。・奪<・{冒罫・ …。8品。・;。・二専§婁ざ隻き§H一(HoS)一考.>.9一9。.箏昌計

 -目■-oqげ汁@o自汁}-O¢自↑自HkOo目ヒoqoq-目oq二向○Q.申.寓.N箏qo[¢『.一くO-.メ一自O.○o.(Homoo)

(5)茶の場合は、全密輸商品のX~光を占めていた。考.>.Oo-9喜.ミニ勺.So.

(6) なお、舶来の商品はときどぎ密輸入され、そしてイギリス製品として外国に輸出された。したがって公定単価は、再輸

 出の真の量を過少に記録する傾向がおる。

       二 一八世紀初頭の貿易構造

                                (1)

箪二表は一八世紀はじめのイギリス海外貿易を地域別に分類したものである。

 まず、輸出市場として北西ヨーロッバと

南ヨーロッバ(両者併せて約八○%弱)と

が圧倒的に重要性をもっていたこと、およ

び再輸出の約六〇%が北西ヨーロッパであ

ったことが注口される。これに対して、輸

入市場は同じく北西ヨーロッバ、南ヨーロ

ッバoほか、東西両イソド市場が重要であ

った。これによって国際収支を判断するこ

とは、さきにものべたように若干疑間があ

   一八世紀イギリスの貿目勿構造(角山)

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Page 11: 立命館経済学(第十巻・第三号) 八世紀イギリスの貿易構造ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/10311.pdf立命館経済学(第十巻・第三号) 一三八 (四六四)

   立命館経済学(第十巻・第三号)                        一四八 (四七四)

るけれども、北西ヨーロッバにおける圧倒的な輸出超過は、他の諸地域の輸入超過を補ってなお余りあったこと

                                        (2)

が分る。したがって、北西ヨーロツパとくにオラソダこそ一八世紀初頭のイギリス最大の市場であった。

 以下順を追って、各地域別の貿易構造を検討してみたい。第三表-第七表はいづれも第二表を地域別に詳しく

分析したものである。

北西ヨ  ロツ

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貿oo

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291

 品ソ 他品料糸料材他 品物他品類 他料

払マの糧棚の私織の糧魚の

1・エリ そ食原織染木そL工毛そ食穀 そ原

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入内          出内

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  そuエキ そ食砂タ胡そ原染

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   :訳

   出内

   輸

   再

 他

絹の

 そ

 この地域はイギリス最大の輸出市場である。この輸出品の大宗を占めていたのはいうまでもなく毛織物であっ

た。イギリスの輸出品目中、毛織物が占める割合は、一七世紀後半以降しだいに減少しつつあったとはいえ、な

お最大の輸出品であって、その約半分が中世末以来の伝統的市場であるこの地方へ向けて輸出されていたのであ

る・またこの地方は、再輸出総額の約六〇%を占め、再輸出の最大市場を形成していた。再輸出の主な品口はキ

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ヤリコ、タバコ、砂糖、絹などであった。

 ところで、イギリスの全輸入額の約刃を占め、輸入市場としても大きな比重をもっていたこの地域は、主とし

てドイソ産のリソネソを供給していた。当時イギリスヘ輸入されたリソネソは、のちにものべるように若干のア

ィルラソド産のものを除けば、ヅィッのリソネソが大量にイギリスヘ入ってきていたのである。

 しかし、ここで注意すべきはフラソスとの貿房である。第三表の輸入食糧品とあるのは、そのうちの約半分が

フラソスから輸入されたブドー酒、ブラソデーから成っている。フラソスとの貿易は、ブドー酒などの奮修品を

輸入する不生産的な片貿易的性格をもっていて、当時東イソド会杜間題をひき起したと同じような逆貿易的性格

                                   (3)

が、外交上における英仏両国の不和とあいまって、朝野の論議をまきおこしていた。けれども、最近の研究によ

                           (4)

れば、従来信じられていたほどは赤字大きくなかったといわれる。

北ヨ  ロ ツパ

 篤二表から明らかなように、この地域は全貿易額からいえば、それ程大きな比重を占めていなかったが、イギ

リス海運業にとって基幹的な重要性をもっていた。というのは、第四表が示すように、この地域との貿房の特徴

は、亜麻・大麻、鉄・鋼、木材のごとき船舶必需品の輸入に依存していたからである。したがって、毛織物など

少姓の輸出はあるが、全体としてみれば輸入超過である。

 輸入超過は銀の輸送で決済されたから、東イソドと並んで、この地域への銀の流出は大姓にのぽったといわれ

ているけれども、この地域はイソドのように必ずしも銀本位制をとっていなかったから(たとえば、スウェーデ

   一八世紀イギリスの貿昇構造(角山)                      一四九 (四七五)

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立命館経済学(第十巻・第三号)

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 17〕表

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第16

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29品糧食

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出輸再

3品製業工訳内

68品糧食

一五〇 (四七六)

、-コソ

56コ

“、

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「 12他のそ

料原

                                         (5)

ソは銅を中心とする銅銀複本位)、銀の流出はそれ程大鈷にのぼらなかったともいわれている。

 皿 南 方 地 方

 この地方は北西ヨーロツパについでイギリスの重要な輸出市場である。しかも、この地域からの輸入額は総輸

入額の%をやや越えており、一八世紀はじめの輸入市場としては一位をラソクしている。再輸出額を加えて、わ

ずかに輸出が輸入をこえている。

 ところで、この地域への輸出の最大品〕は毛織物であって、さきにのべた北西ヨーロツバヘの輸出とほぽ匹敵

する輸出額を占め、イギリスの二大毛織物市場を形成している。ン、して北西ヨーロツバが巾世末以来の伝統的な

毛織物市場であったのに対し、ここは新與の毛織物市場である。すなわち、イギリスの毛織物工業が一七世紀中

      ウールソ    ウーステツ.ト

頃以降急速に紡毛織物から硫毛織物生産へ革新的発展をとげたのに対応して、薄手o硫毛織物市場が、地中海方

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 0)    、..。

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南の55業

 11,工  そ

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表175

一:訳

 9入内

第9

一L6

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747品糧食\;!.694

561

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796

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  織の

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39

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                          (6)

両およびスベイソ、ポルトガルの西イソド植民地に拡大されたのである。一七〇二-二二年のスベイソ王位継承

戦争は、この広大な毛織物市場にして同時に金銀の宝庫であったスペイソ領植民地の遺産をめぐるイギリス・フ

           (7)

ラソスの血みどろの死斗である。

 ところで、箪五表はスペィソ、ポルトガル、地中海方而がたんに毛織物市場として重要であったばかりでなく、

絹、ブドー酒・ブラソデーの輸入市場として、たえず敵対関係にあったフラソスにかわる重要性をもっていたこ

とを示している。けれども、第五表には含まれていないけれども、スペィソ、ポルトガル(とくに一七〇三年の

メッユェソ条約以後)からは大最の金銀が輸入されたことは注口する必要があろう。いったい、スベィソ領西イ

ソドからスベイソ本因に輸入された銀は、イギリスとオラソダ両国によってほぼ切半されるかたちで流出した。

イギリスに流入した銀は、東洋および北西ヨーロッパの決済にあてられるために再び流出した。けれども、さき

   一八世紀イギリスの貿屠構造(角山)                      一五一 (四七七)

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   立命館経済学(第十巻・第三号)                        一五二 (四七八)

にのべたように北西ヨーロツバヘの銀の流出はそれ程大したことはなかった叱いわれるから、イギリスからの正

                                            (8)

貨の流出は、主として銀本位制をとっていた東洋とりわけイソドヘの銀の流出であったと想像される。

 こうしてこの地域との貿易は、主として毛織物を輸出し、奮修品たるブドー酒を輸入するほか、東イソド貿房に

                                                (9)

欠くべからざる銀を獲得するという、イギリスの商業ならびに工業発展q枢要的地位を占めていたといってよい。

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  鯛岬  07研50姑〃岨、幽、パ  脆〃蝸  巧閉爪肌}23

  の£   1

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  ソ胤  品ソ他品料毛脂他  晶品料  品品コ糖他料

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  669                            輸

  脇G輸            輸     再

 ここで重要なのは、アイルラソド械民地とのあいだにおけるリソネソ、羊毛の輸入貿場である。

 植民地のなかでもっともイソグラソドに近いところで羊毛工業を発展させはじめていたアイルラソドは、一六

九九年「アィルラソドおよびイソグラソドから外国への羊毛輸出を阻止し、イソグラソドにおける羊毛工業を奨

                                             (10)

励するための法令」によって、イギリス毛織物工業を保護奨励せんとする重商主義政災○犠牲となった。これが

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ために、アィルラソドはン、の毛織物を植民地を含めた外国への輸出を禁止され、原料の羊毛と穀物を本国へ供給

                      (u)

することと、本国産業と直接競合しないリソネソの生産にわずかに活路を見出さざるをえなくなる。

V 栽

 易0)

貿oo

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表一

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第16

 〔(

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252品製業工訳内、---一.

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一Lo  4

1ソネソリ

コリヤキi-/

05他のそ

34品糧食

26料原

 この地域との貿場は、砂糖、糖蜜、タバコなどのプラソテーシヨソの特産物の輸入に特色があった。したがっ

て、いちじるしい輸入超過となっている。その輸入品の大部分は、そのまま再輸出されたか、あるいは国内で加

工された上で再輸された。とくに西イソド諸島およびアメリヵ南部杖民地との取引は、やがて一八世紀中頃には

イギリス貿場のもっとも活況的部分となる。西イソド諸島だけでイギリスの全輸入の約%を供給することとなる。

サゥルはつぎのようにのべている、 「これら発展しっっある植民地との貿場の独占の価値は、生産力水準と購買

力水準とが他方では除六にしか上昇していない時代にあっては、重要であり且つ国内における工業発展のための

   一八世紀イギリスの貿易構造(角山)                      一五三 (四七九)

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   立命館経済学(第十巻・第三号)

               (12)

刺戟と資本を提供するに大いに役立った」と。

w 東 イ ソ

ノ87

 0)

易oo

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表1

8一

第99

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一五四 (四八○)

70

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業       4

工毛金そ食原1

訳       :

内       出

       輸

       再

 一七世紀はじめ東イソド会杜が設立されて以

来、東イソドとの貿易は東南アジア、シナの特

産物である香料と絹の輸入、これに対してイギ

リスからは銀を輸出するという特徴を保持して

きたのであるが、一七世紀の六、七〇年代以降、

急速にイソド産のキャリコの輸入が格大しはじ

め、ついにキャリコ輪入がイギリスの国民的産

業たる毛織物工業と利害の対立を生み出すほどの重大な影響をもち姶めた。、!、こで東イソド会杜のキヤリコ輸入

の是非をめぐる激しい論争をひきおこしたが、一七〇一年および一七二一年の法令によってキャリコの使用は禁

止され、保護主義の側の勝利となった。第八表は、東イソドからの輸入のうちキャリコが約半分を占め、いかに

それが莫大な輸入額に達していたかを示すとともに、他方靖三表、第五表、箪七表においてホ唆されているよう

に、その輸入キャリコのかなりの郁分が再輪出されていること、およびン、の再輸出の大部分が北西ヨーロツバ市

場へ向けられたことが分る。

 第八表は、正貨O輸出を含んでいないOで、どれだけの正貨とくに銀が東イソドヘ流出したか明らかで、べいけ

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                               (13)

れども、少くとも一八世紀中頃までは年六イギリスから○銀○輸出は増大し、それがためにイギリス国内○銀貨

不足をひきおこす二ヵ、金○嵐口一富少、仏流入とあいまって、一七七四年に複本位制○廃止↓金本位制○確立へ○最初

                   (14)

の前進的処置をとらしめることとなるのである。ちなみに、一八世紀中頃以降、キャリコにかわってシナ産○茶

が急に重要性を帯びて登場してくるのであるが、この点についてはのちほどふれるであろう・

ま  と   め

 中世末から一七世紀中頃までのイギリス外因貿房の性格は、一貫して農村工業の産物である毛織物の輸出貿場

という性格をもっていた。すなわち、一六七〇年頃までは、ロソドソからの輸出の八○1九〇%は毛織物であっ

た。毛織物輸出がさかんなときはイギリス経済の全体が繁栄し、逆に毛織物輸出が不況になると、毛織物製造業

老や羊毛生産者はもとより、労働者も苦境におちいり、解雇されて、失業者が町にあふれるといった深刻な事態

     (15)

をひき起した。

 ところが、一七世紀末から一八世紀はじめになると、イギリス貿房は新しい性格をもつようになった・毛織物

は少なお,池輸出品目中首位牟、占めていたけれども、もはざ!、れはいままでのような決定的な優位を占めていなかっ

た。すなわち、一六九九-一七〇一年にはイギリスの輸出のわずか四七%しか毛織物は占めてい奈忌一それ

にかわって新しく輸出プ旧にあらわれてきた発展は  市民革命以前にはほとんど現われていなかったけれども

  主としてアメリカ、西イソド諸島ヤ東洋o生産物の再輸出の発展であった。それはいまや全輸出額○約三〇

%を占めていた。ちなみに、一六四〇年においては、再輸出は全輸出の三-四%を占めていたにすぎなバ~こ〇

   一八世紀イギリスの貿易構造(角山)                       一五五 (四八一)

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   立命館経済学一第十巻.第三号一          茎一一四八二一

ような発展を反映しているものは、第二表にみられるようなアメリヵや東洋からの輸入のいちじるしい増大であ

る・こうしてイギリス海外貿易は、全体としてはなはだしくヨーロツパ外的世界に依存することとなった。R.

                                (18)

デイヴィスはこのようなイギリス貿易の変化を一種の革命とさえみている。

 こうした外国貿房の構造的変化がイギリス経済にどのような影響をもたらしたか。それはまず輸出産業への投

資を増大せしめたほか、注口すべき点は、再輸出の発展は決して国内産業への投資を誘発しなかつたことである。

むしろ商人たちは内外商業の発展に対応するために、その方面に多くの資本を必要とした。したがって、イギリ

                                       (19)

ス仲介貿易の発展は、工業投資を伴わないで商業への大且盟投資をひきおこしたのであった。名誉革命以後のイギ

リス重商主義の性格については、論争のあるところであるが、それが産業資本のための政策であったにせよ、ま

た商業資本ないし初期資本のための政策であつたにせよ、こうした外国貿易の構造的変化を無視しては、語りえ

ないであろう。

註一-一戸冒音・員妻・毒雪ぎ3嚢;…二睾申=箏・。。。、-く。一・く芦目。・。・一妻一事嚢、雷.より作成。

一2一一;.『麦琴貫.。童葦竃一貫墨け二・身、、、=プ、旨。、。、目…。。汁。。二。。。』二目ら。。。、.・、。一.身目。.

  N.(H竃O)事S0』べ・

 (3) 拙著-資本主義の成立過程」(昭三一)二三九頁以下。

一4二;.勺ユ邑享.、真竜§=邑二目ら葦昌ぎ…巨。』、一、、、。。。。、一一、cく。、。。。ざ妻、妻・二向、。.こ一.

  N目qO・O『二<◎-1-<一目O.H(HOmH)

 (5)向.『尋麦・言二>ミ・ら・嚢・

一6一・葦三・一琴戸.。妻;;…一・…一・;言;け一・;;、;?け一、一、、、一、一、一一。・。。く。、一片。。、一、一一。。、一片一、、・、.司、。.一;.

  茅二5<。一.葦二さ.ド(嚢◎)事竃、鼻

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(7) 大塚久雄「スペイソ継承戦役の経済的背景  一八世紀初頭のイギリス重商主義の一面-1」、同「一八世紀初頭に於

 げるイギリスの対スベイソ貿易」(いづれも同著『近代化の歴史的起点」(昭二三)所収)参照。

(8) ■.単oogq昌勺9實一喜二一“二↓註5Hを参照。

(9)大塚久雄著『近世欧洲経済史序説』上、第一篇、第二章。

(10) アイルラソドの羊毛工業を禁圧すべきか否かをめぐって、実は朝野にかなりの論争があった。それは同時代のもっとも

 激しい論争をひぎ起したかの東イソド会杜のイソド産キャリコ輸入をめぐるトーリーとウィッグの論争とはやや性格を異に

 しており、むしろ国王と下院との政治的紛争をっうじてクローズ・アップされたアイルラソド間題が、他面経済間題として、

 イギリス羊毛工業との関係において論議された背景をみのがすことはでぎない。オ・O■箏巳品プp貝..Hぎ戻{『易。。{○目o{

}。オ、-。、一く、目ま彗9冨9H屋一彗ら二向秦茅“串迂ミざミN守e“§一き一L・しかし、一六九九年の「アイルラソド羊毛

 工業禁圧令」は、イギリス毛織物工業におげる初期資本の利害、とりわげイソグラソド西部の織元の利益と結びっいていた

 ことは明らかである。 }.司・内¢彗目O}...H-O勺○旨饒O巴吋90〆Oq8自箏ら汁O向目0q-{O。}旨害OP箏↑;O。昌・-0爵ーミ○○・、。向S・串・

申N邑。。員く・「呉昌.・。.(H婁)事萎-・。9

(u)・{・O・雲ガ穿・ミミH・嚢ご嚢ま麦ミ.(H婁)

(12)}・。・・。竃ニミき二;・一董Qミ§ニミこ~\こ§.(嚢o);やべ-。・.

(!3) ■・}○o争自昌潟9■喜.、“二弓争-0H一を参照せよ。

(14)}一・}。きP向ミ…ミ婁一・ミく■ミ膏-妻宕=P(妻・・)-勺二;

(15) 拙著一、イギリス毛繊物工業史諭」(閉三五)第四章。

(16) 戸ウ、く7。亨ミ・一勺・旨○・しかし、実際の毛織物輸山はこの数字よりも下廻るであろうといわれる。H)プニ豪Uo彗P

..ビ一。9、号巨一。二げ。室童二く・・一;三鼻・二ニブニ誓一§艘O邑{二言妻一く婁.奏一.・・;三一一彗)-

 勺マN8.旨co.

一17)勺こ!、一、。、・.、■・己昌、。・一喜・二ぎ・三二ぎ■邑二・・巨§艘o;一5二豊』申姜。・c・.-き一.三(冨

 閉○)や-邊.

(18) 戸b享7{.ミニ?H竃.

(19) きミ.二).H竃.

一八世紀イギリスの貿易構逃(角山)

一五七 (四八三)

Page 21: 立命館経済学(第十巻・第三号) 八世紀イギリスの貿易構造ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/10311.pdf立命館経済学(第十巻・第三号) 一三八 (四六四)

立命館経済学(第十巻・策三号)

一五八 (四八四)

三 一八世紀後半の貿易構造

H 輸 入 構 造

                                         (1)

 箪九表は一八世紀後半のイギリスの輸入構成を、一八世紀初頭?/、れと比較したものである。

 噌好食糧品  第九表で喀好食糧品(0q『◎82)というのは、茶、コーヒ、クバコ、砂糖、米、胡抜、1、の他の

熱帯産一亙熱帯膿・または東洋産の食糧品を指している。これらのうち、秒糖、糖蜜が価値において最大の品口

であった・砂糖についで重妥なものは、東イソド会杜がツナから輪入した茶であった。イギリスに輪入された食

糧品の約半分はふつう再輸出されたが、嗜好食糧品の輸入は一八○○年には全輸入楓の三五%を占め、一八世紀

前期と比べるとそ○輸入貫臼勿における重要性は丁1、う増大している。

 リソネソ  一七〇〇年に輸入○蹄二位を占めていたリソネソは、一八世紀をつうじてしだいに、!、の地位を低

下していった・すなわち、リソネソははじめ主としてドィッおよびバルチツク海諸国から輸入されていた。、!、こ

では麻の準傭.紡糸工程の労賃が安かったからである。けれども大姑○未仕上げ麻織物は、最初はオラソダから、

しかし○ちには主としてアィルラソドからの輪入が増加した。という○は、一七四二年に付加閑税が外因産○リ

ソネソに課せられ、そしてその閑税○利益をもってイギリス産リソネソ○みならずアィルラソド産○リソネソ○

輸出○ため○輸出奨励金を支払うために宛てられたからである。

 イソド産Oキャリコ.反物  これは一八世紀をつうじてイギリス輸入貿易〇五-六%牟、構成していたけれど

も・イギリス因内におけるキャリコ使用供止(一七〇一年、一七二一年○法令)に上つて、、1,Oほとんどすべて

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○年には忽ち全輸入額の六%を占めるにいたっている。

な発腿とともに、イギリス木棉工業における産業革命の遊展を反映している。

 木材  家崖、船舶の姓逃に必要な木材については、イギリスはバルチソク海に依存していた。大麻、ピソチ、

タール、〆、の他o船舳必俗^についてもn様である。一七〇五年、杣民地からの船舶必小w…の輸入に奨励金が与え

られたにもかかわらず、ひきつづきン、れらは北郁ヨーロツバの供給に依杵していた。

 フトー湘  輪入フトー洲の多くはポルトカルからもたらされた。というのは、フラソスのフトー湘には禁止

的な閉税が課せられていたからである。一八世紀のはじめには、ブドー酒の輪入は大批に○ぼったが、一八世紀

末にはあまり重奥な地位を{めなくなっていた。“率閑税にもかかわらず、大虻oフラソス製ブラソデーが輪入

   一八世紀イギリスの貿場構逃(角山)                      一五九 (四八五)

は再輸出されたであろう、

 その他の繊維製品  トルコ、イタリヤ、イソトからの絹糸、撚絹○

輸入は減少の傾向をみせ、また亜麻・大麻の大陸から○輸入は一八世紀

をつうじてたえずコソスタソトの比率を保持しており、こ○傾向は一九

             (2)

世紀前半においてさえ不変である。

 棉花  一八世紀後半の輸入面におけるもっとも注口すべき点は、レ

ヴァソト、西イソド諸島、ついでアメリヵ大陛からの棉花輸入がいちじ

るしく増大していることである。一七〇〇年において全く輸入がみられ

ないにかかわらず、一七五〇年以降急速に頭角を現わしはじめ、一八○

       これはいうまでもなく、のちにのべる綿織物輸出の急速

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   立命館経済学(第十巻・第三号)                       ニハ○ (四八六)

され、また密輸入された。

 穀物  穀物は注口すべき動向を示している。それは一七六五年までは輸出商品であった。ところが、一七六

五-七四年および一七九二-一八一四年のあいだ、穀物輸出に支払われる輸出奨励金はほとんどり!、の問支払われ

ず、それどころか、外国穀物は税率を引き下げられたり無税で輸入が認められた。そして穀物輸入は年ごとに増

大し、一七七二年には全輸入のわずか○・七%を占めるにすぎなかったが、一七九〇年には四.四%に、一八○

○年の飢鰹の年には八・七%へと増大した。

 まとめ  一七五〇年以降のイギリス輸入貿場の主な特徴をまとめてみると、つぎのごとくである。

 1 酉イソドおよび東洋からの食糧品輸入が全輪入の%近くを占める程重要性を増し、とくに秒糖、コーヒー、

茶の地位が坤大したこと、しかもこれらの輸入食糧品の大部分は再輸出されたことである。しかし、こうした仲

介貿笏の繁栄は、決して一八世紀後半以降の新たなる発展ではなく、一八世紀はじめの貿場構造のたんなる拡大

的展開にすぎなかった。

 2 食糧品についで繊維関係の輸入が更要であったが、そのなかでリソネソの役割が低下し、国内産業のため

の原料とくに棉花、染料が一八世紀末に急激に増大した。これは明らかに、木棉工業がいちじるしく発展しつつ

あったことを反映している。(綿糸、綿織物の輸出の狽を併せて参照せよ)

 3 穀物は、一八世紀前期の輸出商品の地位から、一八世紀末期には輸入商品の地位へ逆転したばかりか、一

そう輸入増大の慨向が顕著になったことである。これはいうまでもなく、一八世紀後半以降の急激な人口増大と

くに郁市○工業人口の増大による穀物俗要激増を反映しているであろ、つ。

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註(1) ■」w.○oo}…ヨ一〕9實一ヨ“曳{§○ミ、§;Hミき~ミミ“2さ\ド畠§・(お8)一勺.■.なお、以下の叙述は掌ミ・一ヨ).ごード

  におけるアシュトソのコメソトに負うところ大でおる。

(2)>』.○{■オ.≠寄。・;幸邑>二.・・};員尋○・ミきミミきミきミ一、ミ婁萎向、、、、。。、ミkし§、

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    (1)                                              一

 第一〇表は一八世紀後半のイギリスの輸出構成を、一八世紀初頭のそれと比較したものである。

 第一〇表によれば、一八世紀をつうじて、毛織物、リソネソ、絹織物、綿織物、綿糸など繊維工業の生産物の

輸出が支配的であった。それは一八世紀のはじめ、および末期において全輸出の%を構成していた。けれども同

じく輸出繊維品のなかでも、その品目構成にはきわめて注目すべき変化がみられる。

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一八世紀イギリスの貿易構造(角山)

 まず、中世以来イギリス輸出貿易の大宗をなしていた毛織物は、

一七〇〇年にはしだいに比重が低下しつつあったとはいえ、なお

     (2)

%を占めていたけれども、一八世紀後半以降輸出量の増大にもか

かわらず、その相対的地位は急速に下落してゆき、一八○○年に

はその輸出構成比は三〇%を割る程の凋落を示している。これは

伝統的な毛織物工業がもはやイギリスの中心産業でなくなったこ

とを示しているであろう。

 こうした毛織物輸出の比重低下に対して、一八世紀末以降いち

                 一六一 (四八七)

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   立命館経済学(第十巻・第三号)                       ニハニ (四八八)

じるしい躍進的増加をみせているのが、綿織物・綿糸の輸出である。ン、れは一七六〇年代頃に急速に増加しはじ

め、八○年、九〇年代の上昇は驚異的でさえある。一八○○年は綿製品の輸出額は公定価値においても毛織物と

ほとんど肩を並べ、一八〇二年にはついに毛織物を追いこして第一位に進出する。当時進行しつつあったイギリ

ス産業革命の姿は、かかる綿製品の輸出統計のうえにもっとも集中的に反映されているであろう。

 リソネソおよび絹織物の輸出は、国家から特別の奨励をうけていた。なかでもリソネソは、輸出品目中一七七

二年には第四位を占め、一八○O年においても第五位を占めていた。

 食糧品  まず穀物は、一七五〇年代頃までは収穫期の状態によって変動はあったが、輸出趨勢は上向きで、

一七五〇年には全輸出の約二〇%を占めるという異常な輸出ブームを現出した。けれども、一七六五年以降国内

の供給は増大する人口の必要を充たすことができず、その問一時的な豊作による輸出がみられたにしても、さき

にものべたように一八世紀末にはイギリスはまったく大姓の穀物輸入国になってしまう。

 精糖輸出は、一七〇〇年の○・九%から一八○○年には四・五%へと斎実に増大している。これは西イソドに

おける糖蜜牛産の発展と、ブリストル、ロソドソにおける精糖業の発展によって糀糖の輸出が増大したためであ

る。とくに一七八○、九〇年代に急速に発展した。

 鉄  一八世紀のはじめには、イギリスは外国への販売よりか多くo鉄を外国から輸入していたが、一八世紀

末になると、イギリスの鉄および鉄製品の輪出は、輸入の五倍に達し、輸出額において繊維製品についで箪二位

を占めろにいたった。イギリスが鉄○輪入}から輪出因へ逆転したOは、アブラハム・ダー、ヒーによって始わら

れた技術革新○結果であって、年代的にはほぼ一七四〇年代が逆転期であったように思われる、鉄○輸出は主と

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して鍛鉄、金物、釘から成り、輸入はスウェーデソ、ロシャからの良質○木炭鉄から成(ノていた。輸入鉄は海軍

や高質鉄鋼業者に需要があった。

 なお、第一〇表にはあらわせなかったが、石炭の輸出も輸送面と高い輸出関税の障壁があったけれども、着実

な発展をみせ、一八世紀中にほとんど六倍の増加をみた。

 まとめ  一八世紀後半から同世紀末におけるイギリス輸出貿臼勿の主な特徴はつぎの二点てある。

 1 輸出の中心は繊維工業の生産物である。しかし、毛織物は量的には増大したが、相対的に比重が低下し、

これに対して新興の綿製品は急激な上昇を示している。産業革命における木棉工業の役割と毛織物工業のたちお

くれを反映している。

 2 産業革命の進行を示す他の指標として○鉄工業い第一部門における先進的な技術革命、その結果としての

鉄の輸入国から輸出国への転換。

註(1) 向・}・○oo-;昌℃9員ミ.〇一“.ら.畠.以下の叙述はきミら一)」ドお.におけるアシユトソのコメソトに負うところ大である。

 (2) この数字は、一五五頁の声O葦7の数字と約一〇%のひらぎがあるが、計算方法のちがいにもとづくものと思われる。

 昌市場構造

    (1)

 第二表abは、さきにかかげた一八世紀はじめのイギリス海外貿場(第二表)と対比すべく、一八世紀末O海

外貫場を地域別に分類したものである。ここでわれわれが検討したい点はつぎの二点である。まず第一に、一八

世紀後半以降における輪出入o構迭変化が、海外市場の構造変化とどのような閉連をもっているか、つまり輸出

入、o構逃変化を海外市場o側向から検討することである。第二は、一八世紀はじめい重商主義時代におけろ海外

   一八世紀イギリスの貿易構造(角山)                       ニハ三 (四八九)

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立命館経済学(第十巻・第三号)

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              一六四 (四九〇)

市場と比較しつつ、一八世紀末H産業革命開始期の海外市

場の構造変化を検討することである。さしあたり、各地域

別の貿易構造を順を追って検討してゆこう。

北西ヨ

ロ ツ

 この地域との貿易は、一八世紀はじめには総輸出(再輸

出も含む)の約半分、輸入は約%を占め、イギリス海外市

場のうちでももっとも重要な市場であったが、一八世紀末

には、輸出は%弱、輸入にいたっては一一%しか占めなく

なり、その地位はいちじるしく後退した。そして一八世紀

はじめには、大陸との取引の中心はオラソダであったが、

いまやドイツが圧倒的な地位を占めるにいたった。という

のは、一八世紀をつうじてイギリス人はとくに仲介貿易に

おいてオラソダ人の強力な競争に直面し、フラソス革命戦

争・ナポレォソ戦争中は、アムステルダムの貿易の多くが

ハムブルグに移ったからである。また一七九〇年以降、イ

ギリスの中央ヨーロッパとの取引もドイツの諸港をつうじ

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ておこなわれ、こうしてドイツは急速に輸出市場として圧倒的な地位を占めるようになった。ドイツヘの輸出品

は主に綿織物、毛織物、砂糖であった。

 フラソスとの貿易は、一七八六年のイーデソ条約と一七九三年の戦争勃発の短い期問に活液な収引がおこなわ

れた以外、両国の政治・外交・関税上の長期にわたる帆櫟によって、貿場は少額にとどまっていた。

   一八世紀イギリスの貿易構造(角山)                      一六五 (四九一)

Page 29: 立命館経済学(第十巻・第三号) 八世紀イギリスの貿易構造ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/10311.pdf立命館経済学(第十巻・第三号) 一三八 (四六四)

立命館経済学(第十巻・第三号)

一六六 (四九二)

 皿北部ヨーロッバ

 この地域と○取引の性格は一八世紀はじめと変らたかった。すなわち、イギリスは相かわらずここから木材、

船舶必需品、良質の銑鉄○供給をえていたが、一七六〇年以降は主としてロシャとの取引○増大○ために輸入は

増加した。しかし輸出はたいして延びなかった。

 皿南ヨーロッパ

 一八世紀はじめには全輸出額○×を占め、イギリス第二の輸出市場であった南ヨーロッパは、いまや%にも充

たない額しか占めない。かかるスペィソ、ポルトガル市場○後退は、イギリス毛織物工業○地位の相対的低下と

関係があるが、直接的にはイギリスとスペィソとのあいだの相つぐ戦争のためである。ただアフリヵとの貿身が

一七六〇年以降輸出がいちじるしく増大し、一八世紀末にはやや減少したが一〇〇万ポソド近くを占め、この方

面では最高の輸出額を示している。

 w アイルラソドその他の小島

 この地域との貿場は、一八世紀はじめには年輸入額は三〇万ポソドであったが、一八世紀末には二五〇万ポソ

ドとなり、一方輸出額は二五万ポソドから三〇〇万ポソドヘといちじるしく蛸大している、アイルラソド帆民地

はイギリスエ業製品01市場となり、イギリスヘは家畜、バタユ!、O他○農、産物を輸出して、刈大する人口○企糧

Page 30: 立命館経済学(第十巻・第三号) 八世紀イギリスの貿易構造ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/10311.pdf立命館経済学(第十巻・第三号) 一三八 (四六四)

需要を助けた。たんに貿易面において意外に大きた役割を果した○みならず、激増する北部工業地帯○労働力需

要に対して、多量の安い労働力を供給することによって、アィルラソドはイギリス産業革命の陰の功労者となっ

ていることを忘れるべきではない。

V 栽

植植 民 地

 この地域との貿易は、一八世紀末には他の地域をはるかに圧してもっとも重要な市場となった。輸入、輸出と

もほぼ%近くを占めており、かつての南ヨーロッバ市場と盛衰が入れかわったかたちである。

 まず西イソド植民地との貿易は、イギリス本国の精糖業および木棉工業が大きな発展をするにつれて、ますま

す原料供給地としての役割が増大し、貿易額も着実な上昇を示した。一方、アメリヵ植民地はイギリス重商主義

の束縛から脱して独立戦争を起したので、その間に貿場は停滞したけれども、独立達成後は再びイギリスとの貿

易が回復した。アメリカはイギリスヘ棉花、穀物など第一次生産物を輸出し、イギリスからは繊維製品、鉄製品

など工業生産物を輸入し、国際収支は大幅の輸入超過であった。彼らはこの逆調をイギリス領西イソドヘ木材、

魚類などを輸出することによって埋め合わせた。イギリスは西イソドとは輸入超過で、こうした三角貿場の決済

によって、東イソドヘのごとく正貨を輸送する必要は殆んどなかった点が特徴である。ちなみに、一九世紀中頃

になれば、アメリヵの国内における産業革命、生産力の順調な発展○ためにイギリスと○貿場収支は黒字になる。

w 東  イ  ソ

一八世紀イギリスの貿易構造(角山)

一六七 (四九三)

Page 31: 立命館経済学(第十巻・第三号) 八世紀イギリスの貿易構造ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/10311.pdf立命館経済学(第十巻・第三号) 一三八 (四六四)

   立命館経済学(第十巻・第三号)                       ニハ八 (四九四)

 この方面との貿易はあいかわらず東洋の特産物の輸入超過(輸入貿房では栽植植民地についで第二位)で、銀

の輸出をもって支払われていた。けれども、一八世紀のはじめと終りとでは輸入品目に大きな変化があらわれて

いた。すなわち、一八世紀はじめはイソド産のキャリコが中心であったが、一八世紀後半からはツナ産の茶が大

量に輸入されるにいたった。また、一八世紀末にはイギリスエ場制の産物である綿織物がベソガルに市場を見出

しはじめたことは、この方面の貿易もいまや大きな曲り角にきつつあったことを示している。

註(1) ■・口・oo争自昌喝ざ■民ミ“6“○ミ葛§向H§き9ミ室“3§ミーミ§・(H80)一勺やミー一〇◎・より作成。