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東レリサーチセンター The TRC News No.119(Jun.2014) 17 1.はじめに アモルファス酸化物半導体(Amorphous oxide semi- conductorAOS)は、透明でかつ成膜条件により様々な 電気特性が得られることから各種デバイス材料に用い られている。例えば、IZOIn-Zn-O)は、透明で高い 導電性示す透明導電性酸化物(Transparent Conductive OxideTCO)として、各種平面ディスプレイや太陽電 池の透明電極材料に必要不可欠な材料である。また、 IGZOIn-Ga-Zn-O)は、アモルファスな構造ながらも 高いキャリア移動度をもつことから薄膜トランジスタ Thin Film TransistorTFT)の活性層材料としても 注目を集めている 1︶ 。これらの材料をディスプレイや太 陽電池の電極などデバイスに使用する際には、電子や正 孔の輸送効率を高めるため、仕事関数や価電子帯上端エ ネルギー位置、光学的バンドギャップを電極と接合する 材料に最適となるよう制御することが重要である。特 に、高性能な製品を作製するためにはAOSの電子状態を 把握することが極めて重要である。 本稿では、TCOの一つであり、表面平坦性が優れた IZOについて、反射電子エネルギー損失分光法(Reflected Electron Energy Loss SpectroscopyREELS)による 光学的バンドギャップ測定およびX線光電子分光法 X-ray Photoelectron SpectroscopyXPS)による価 電子帯および仕事関数測定の実施例について紹介する。 2.REELSおよびXPSの電子状態測定 2.1 REELSによる光学的バンドギャップ測定 REELSの概念図を図1に示す。超高真空中に挿入し た試料表面に一定のエネルギー(数百 eV程度)の電子 線を照射し、表面(数 nm)で弾性散乱(反射)もしく は非弾性散乱した電子をアナライザーで検出する。非弾 性散乱電子のエネルギー損失過程には、価電子帯から伝 導帯へのバンド間励起やプラズモン励起があるが、プラ ズモン励起過程により生じるエネルギー損失はバンド間 励起により生じるエネルギー損失より大きい。そのた め、数 eV程度でエネルギーを損失する過程はバンド間 励起が支配的となり、そのしきい値と弾性散乱電子のエ ネルギー差から試料のバンドギャップが求められる。 REELSにより求めたバンドギャップは、紫外-可視-赤外吸収分光法で求めたバンドギャップと比べて、より 最表面の情報であり、極薄膜のバンドギャップを求める 際に有用である 2,3︶ 2.2 XPSによる価電子帯および仕事関数測定 XPSは、試料表面に軟X線を照射し表面から放出され る光電子をアナライザーで検出する。光電子の結合エネ ルギー値から表面の元素情報が、また各ピークのエネル ギーシフトから価数や結合状態に関する情報が得られ る。ピーク面積比を用いて定量することも可能である。 なお、本分析手法における検出深さは数 nmである。光 電子スペクトルは物質の電子状態密度を反映しているた め、価電子帯の情報も得られる。導電性がある試料に関 しては、試料にバイアスを印加することにより表面近傍 の仕事関数を求められることも可能である 4,5︶ XPSによる仕事関数測定の概念図を図2に示す。軟X 線(1486.6 eV)を試料に入射し、発生する光電子の運 動エネルギー(EK)を分光し、スペクトルを得る。低運 動エネルギー側(高結合エネルギー側)の光電子スペク トルは、光電子の非弾性散乱によって発生した二次電子 の情報が支配的である。価電子帯上端のエネルギー位置 [EK︵VBM︶]と二次電子の最小の運動エネルギー位置 [EK︵0︶]を測定することによって、理論上、試料のイ オン化ポテンシャル(または仕事関数)が求められる。 フェルミレベルに状態密度が存在しない場合、価電子 帯上端のエネルギー位置を測定することになり、イオン 化ポテンシャルが得られる。フェルミレベルに状態密度 が存在しない材料では、試料上に金属膜を成膜し金属の フェルミレベル位置を基準にすることで仕事関数値を求 める。本稿で紹介するIZO膜においても、IZO膜上に金 [特集]電子材料 (3)IZO電子状態解析 表面解析研究部 安居 麻美 表面解析研究部 小川 慎吾 図1 REELSの概念図 図2 XPSによる仕事関数測定の概念図 ●[特集]電子材料 (3)IZO電子状態解析

[特集]電子材料 (3)IZO電子状態解析...はBurstein-Moss(BM)効果の影響を受けることが知ら れている7,8︶。BM効果とは、キャリア密度が増加すると

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Page 1: [特集]電子材料 (3)IZO電子状態解析...はBurstein-Moss(BM)効果の影響を受けることが知ら れている7,8︶。BM効果とは、キャリア密度が増加すると

東レリサーチセンター The TRC News No.119(Jun.2014)・17

1.はじめに

 アモルファス酸化物半導体(Amorphous oxide semi-conductor:AOS)は、透明でかつ成膜条件により様々な電気特性が得られることから各種デバイス材料に用いられている。例えば、IZO(In-Zn-O)は、透明で高い導電性示す透明導電性酸化物(Transparent Conductive Oxide:TCO)として、各種平面ディスプレイや太陽電池の透明電極材料に必要不可欠な材料である。また、IGZO(In-Ga-Zn-O)は、アモルファスな構造ながらも高いキャリア移動度をもつことから薄膜トランジスタ(Thin Film Transistor:TFT)の活性層材料としても注目を集めている1︶。これらの材料をディスプレイや太陽電池の電極などデバイスに使用する際には、電子や正孔の輸送効率を高めるため、仕事関数や価電子帯上端エネルギー位置、光学的バンドギャップを電極と接合する材料に最適となるよう制御することが重要である。特に、高性能な製品を作製するためにはAOSの電子状態を把握することが極めて重要である。  本稿では、TCOの一つであり、表面平坦性が優れたIZOについて、反射電子エネルギー損失分光法(Reflected Electron Energy Loss Spectroscopy:REELS)による 光学的バンドギャップ測定およびX線光電子分光法(X-ray Photoelectron Spectroscopy:XPS)による価電子帯および仕事関数測定の実施例について紹介する。

2.REELSおよびXPSの電子状態測定

2.1 REELSによる光学的バンドギャップ測定 REELSの概念図を図1に示す。超高真空中に挿入した試料表面に一定のエネルギー(数百 eV程度)の電子線を照射し、表面(数 nm)で弾性散乱(反射)もしくは非弾性散乱した電子をアナライザーで検出する。非弾性散乱電子のエネルギー損失過程には、価電子帯から伝導帯へのバンド間励起やプラズモン励起があるが、プラズモン励起過程により生じるエネルギー損失はバンド間励起により生じるエネルギー損失より大きい。そのため、数 eV程度でエネルギーを損失する過程はバンド間励起が支配的となり、そのしきい値と弾性散乱電子のエネルギー差から試料のバンドギャップが求められる。REELSにより求めたバンドギャップは、紫外-可視-近赤外吸収分光法で求めたバンドギャップと比べて、より

最表面の情報であり、極薄膜のバンドギャップを求める際に有用である2,3︶。

2.2 XPSによる価電子帯および仕事関数測定 XPSは、試料表面に軟X線を照射し表面から放出される光電子をアナライザーで検出する。光電子の結合エネルギー値から表面の元素情報が、また各ピークのエネルギーシフトから価数や結合状態に関する情報が得られる。ピーク面積比を用いて定量することも可能である。なお、本分析手法における検出深さは数 nmである。光電子スペクトルは物質の電子状態密度を反映しているため、価電子帯の情報も得られる。導電性がある試料に関しては、試料にバイアスを印加することにより表面近傍の仕事関数を求められることも可能である4,5︶。 XPSによる仕事関数測定の概念図を図2に示す。軟X線(1486.6 eV)を試料に入射し、発生する光電子の運動エネルギー(EK)を分光し、スペクトルを得る。低運動エネルギー側(高結合エネルギー側)の光電子スペクトルは、光電子の非弾性散乱によって発生した二次電子の情報が支配的である。価電子帯上端のエネルギー位置[EK︵VBM︶]と二次電子の最小の運動エネルギー位置[EK︵0︶]を測定することによって、理論上、試料のイオン化ポテンシャル(または仕事関数)が求められる。 フェルミレベルに状態密度が存在しない場合、価電子帯上端のエネルギー位置を測定することになり、イオン化ポテンシャルが得られる。フェルミレベルに状態密度が存在しない材料では、試料上に金属膜を成膜し金属のフェルミレベル位置を基準にすることで仕事関数値を求める。本稿で紹介するIZO膜においても、IZO膜上に金

[特集]電子材料

�(3)IZO電子状態解析表面解析研究部 安居 麻美表面解析研究部 小川 慎吾

図1 REELSの概念図

図2 XPSによる仕事関数測定の概念図

●[特集]電子材料 (3)IZO電子状態解析

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を成膜し、金のフェルミレベル位置を基準に仕事関数値を求めた。

3.IZO膜の電子状態解析

3.1 試料 成膜条件の異なるIZO膜の電子状態を調べるため、Si基板上に In2O3-ZnOターゲット(In2O3:89.3 wt%,ZnO:10.7wt%)を用いて DCマグネトロンスパッタ法によりIZO(In-Zn-O)膜を室温にて成膜した。成膜時の酸素流量比を0%、1%、 5%(全圧0.7 Pa, O2/Ar+O2)とし、キャリア密度が変化する3試料を準備した。今回の条件で作製したIZO膜は、成膜時の酸素流量比が減少するとキャリア密度が増加することが分かっている(図3参照︶6︶。各試料のIZO膜厚について、酸素流量比0%品は480 nm、酸素流量比1%品は450 nm、酸素流量比5%品は370 nmであった。なお、主成分の元素組成について、ラザフォード後方散乱法(Rutherford Backscattering Spectrometry:RBS)やXPSにより、試料間で顕著な違いは認められないことを確認している。

3.2 REELSによる光学的バンドギャップ測定 IZO膜のREELSスペクトルを図4に示す。全試料ともにREELSで得られた光学的バンドギャップは3 eV程度であった。光学的バンドギャップは、酸素流量比が5%から0%へと減少するにつれて2.8 eVから3.1 eVへと僅かに増加した。光学的バンドギャップとキャリア密度の関係はBurstein-Moss(BM)効果の影響を受けることが知られている7,8︶。BM効果とは、キャリア密度が増加すると生成したキャリアが伝導帯の底部を占有し、バンド間の電子遷移に本来のバンドギャップよりも大きな励起エネルギーが必要になる現象のことである。今回測定した試料は、前述したように成膜時の酸素流量比の減少に従ってキャリア密度が増加する。今回観測された光学的バンドギャップの変化は、BM効果の影響を受けていると考えられる。

3.3 XPSによる仕事関数測定 XPS測定で得られたIZO膜のEK︵0︶領域のスペクトルを図5に示す。金の仕事関数を基準として、IZOの仕事関数を求めた。なお、仕事関数値の算出はFowler関数フィッティングにより求めた₉︶。その結果、酸素流量比が5%から0%へ減少(キャリア密度が増加)するにつれて仕事関数が4.8 eVから4.4 eVへと減少する傾向が認められた。これは、キャリア密度の変化によりフェルミ準位が変化していることを示唆している。

3.4 XPSによる価電子帯測定結果 価電子帯スペクトルを図6に示す。今回、価電子帯測定に用いたXPS装置は磁場レンズ付属型であるため多角度の光電子を集光する機能がある。このため、価電子帯のような光電子強度が弱い領域においても高感度な測定

図3 IZO膜成膜時の酸素流量比とキャリア密度の関係

図4 REELSスペクトル (a)全体図 (b)拡大図

図5 XPSのEK(0)領域のスペクトル

●[特集]電子材料 (3)IZO電子状態解析

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が可能である。価電子帯領域を調べることは材料の電気伝導性を議論する上で非常に重要である。価電子帯形状には顕著な違いは認められなかったが[図6︵a︶ 3 eV付近参照]、フェルミ準位近傍のピーク強度は、酸素流量比が減少(キャリア密度が増加)するにつれて増加する傾向が認められた[図6︵b︶参照]。このピークは、バンドギャップ内または伝導帯底部の電子状態(ギャップ内準位と呼ぶ)と考えられ、ギャップ内準位強度とキャリア密度は相関を持つと考えられる。また、試料作製時の酸素流量比の変化は、酸素欠損量に影響を及ぼしていると考えられ、今回観測されたギャップ内準位は、酸素欠損に由来する準位に対応している可能性がある。

3.5 IZO膜のバンドダイアグラム REELSにより算出したバンドギャップおよびXPSにより算出した仕事関数から求めたバンドダイアグラム

を図7に示す。なお、全試料の価電子帯上端エネルギー位置と構造から決まるバンドギャップ(光学的バンドギャップと異なる)が同一と仮定した。酸素流量比5%のフェルミ準位はバンドギャップ中に、酸素流量比1%品および0%品のフェルミ準位は伝導帯中に位置するモデルが考えられる。このことは、キャリア密度が1018 cm︲3

以上である酸素流量比が1%品と0%品では、伝導帯に自由電子が入り込み、フェルミ準位が伝導帯中に存在する縮退した状態を示していると考えられる。また、今回の測定結果から求めたバンドダイアグラム測定結果は、キャリア密度の変化により起こるBMシフトを捉えていると考えられる。

4.まとめ

 透明導電性酸化物の一つであるIZO膜のキャリア密度と電子状態の関係について、REELSを用いた光学的バンドギャップ測定やXPSによる仕事関数測定事例を紹介した。XPSおよびREELSによりバンドダイアグラムを求めたが、材料のバンドダイアグラムの把握は精密なデバイス設計において必要不可欠である。このように、今回ご紹介した手法が、透明導電性酸化物の電子状態を把握する分析方法の一つとして活用できるものと考える。

5.謝辞

 本稿の作成にあたり、貴重な試料の提供とともに、有益な議論をして頂いた青山学院大学理工学部 重里有三教授に深く感謝致します。また、様々なご指導、ご協力頂いた皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。

6.参考文献

1) T. Kamiya, K. Nomura, and H. Hosono, J. Display Technology, 5, 273-288(2009).

2) 小川慎吾,辻 淳一,山元隆志,The TRC News, 104(2008).

3) S.W. King, B. French, and E. Mays, J. Appl. Phys., 113, 044109(2013).

4) 日本表面科学会「新訂版・表面科学の基礎と応用」編集委員会編,新訂版・表面科学の基礎と応用,エヌティーエス(2004).

5)吉武道子,表面科学,28,7 (2007).6) T. Ashida, A. miyamura, Y. Sato, T. Yagi, N.

Taketoshi, T. Baba, and Y. Shgesato, J. Vac. Sci. Technol. A, 25 (2007).

7) N. Ito, Y. Sato, P.K. Song, A. Kajio, K. Inoue, and Y.

図6 �XPSによる価電子帯スペクトル:(a)価電子帯(全体図)(b)フェルミ準位近傍の拡大

図7 IZO膜のバンドダイアグラム

●[特集]電子材料 (3)IZO電子状態解析

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Shigesato, Thin Solid Films, 496, 99-103 (2006).8) Y. Sato, T. Ashida, N. Oka, and Y. Shigesato, J.

Appl. Phys. Express, 3, 061101 (2010).₉)宮崎 誠一,表面科学,29,84 (2008).

■安居 麻美(やすい あさみ) 表面解析研究部 表面解析第1研究室 趣味:旅行

■小川 慎吾(おがわ しんご) 表面解析研究部 表面解析第1研究室 研究員 趣味:電車を見る。乗る。

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