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1 石油・天然ガスレビュー アナリシス 石油探鉱開発における技術革新 と石油鉱業(その 3) 京都大学大学院工学研究科 本田 博巳 第 1 章(2 0 1 5.1 1 Vol.4 9 No.6)での石油需要の形成過程を受けて、第 2 章(2 0 1 6.1 Vol.5 0 No.1)では、 石油に対する供給システムの形成を軸に石油鉱業の歴史の変遷を記述した。鯨油灯油が供給限界に至っ た段階で、Drake井(1859年)が、坑井によって地下から石油を地表に汲 み上げることが可能であるこ とを示した後、既往のKierの灯油精製設備に呼応して、石油灯油の生産量が伸びた。坑井によって汲 み上げた多量の石油を精製して灯油を生産し、鉄道の拡張により、効率的に消費地に輸送し、灯油需要 を充たした。石油需要は、灯油需要から溶鉱炉や窯業炉の燃料、発電用ボイラ燃料、内燃機関燃料など に拡大していった。天然ガスはパイプラインの敷設によって、製鉄業・窯業の炉燃料として利用が進ん だ。鯨油を代替して登場した石油は、その需要拡大に伴って、既往燃料であった石炭と共存しつつ、並 行して拡大傾向を示した。 石油市場の拡大において、J.D. Rockefeller, Sr. らの設立した組合から始まって供給ビジネスモデルを 確立し、それを拡張することでその組合は急速に石油市場の独占を図り、発展した。例えば、1 8 7 0 年 には、その組合を発展させ、企業として巨大化し、オハイオ州で Standard Oil 社が設立された。その寡 占状況を現出する挙動は、市場における公平な競争を基礎とする資本主義自由市場の形成を阻害、また は破壊するとして、米国連邦政府からカルテル行為として禁止、さらに 1 9 1 1 年には独占企業として企 業解体を命じられた。アメリカ合衆国の国家経済活動を左右するほどにまで、石油の市場は急速に大き く拡大発展した。 じめに アメリカ合衆国における 19 ~ 21 世紀初頭までの石油探鉱開発技術と原油生産量の変遷 図1 出所:生産量データは、DOE/eia(米国エネルギー省エネルギー情報局)の統計による smic Preparatory Period Early Period North-eastern states 1859 Drake well 1901 Spindletop Gusher 1948 Ghawar Field 1931 East Texas Field 1885 I.C. White “Geology of Natural Gas” 1917 AAPG 1927 Schlumberger Development Period Seismic Imaging Period Shale Age Onshore and Oshore Mulchannel-seismic imaging Inversion Cube Fracture- Monitoring- seismics US Shale Gas/Oil 1885 L.B. Eötvös torsion balance DSDP-IPOD--ODP Direct Surface Geological Observaon Subsurface Observaon Local Observaon Regional Observaon Global Observaon Local High Resoluon 1861 T.S. Hunt “Rock Oil” 1858 H. Rogers “Geology of Pennsylvania” 1840 W. Rogers “Rock Oil” Development of Anclinal Theory Play Concept and Petroleum System Telaga Said Oil Field (Indonesia) Appalachian age Orton’s Worry Hubbert’s Peak Oil Tight reservoir Boom Tight Reservoirs BBbl 4 3.5 3 2.5 2 1.5 1 0.5 0

石油探鉱開発における技術革新 と石油鉱業(その3)...1石油・天然ガスレビュー JOGMEC K Y M C アナリシス 石油探鉱開発における技術革新

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1 石油・天然ガスレビュー

JOGMEC

K Y M C

アナリシス

石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その 3)

京都大学大学院工学研究科 本田 博巳

 第1章(2015.11 Vol.49 No.6)での石油需要の形成過程を受けて、第2章(2016.1 Vol.50 No.1)では、石油に対する供給システムの形成を軸に石油鉱業の歴史の変遷を記述した。鯨油灯油が供給限界に至った段階で、Drake井(1859年)が、坑井によって地下から石油を地表に汲

み上げることが可能であることを示した後、既往のKierの灯油精製設備に呼応して、石油灯油の生産量が伸びた。坑井によって汲み上げた多量の石油を精製して灯油を生産し、鉄道の拡張により、効率的に消費地に輸送し、灯油需要を充たした。石油需要は、灯油需要から溶鉱炉や窯業炉の燃料、発電用ボイラ燃料、内燃機関燃料などに拡大していった。天然ガスはパイプラインの敷設によって、製鉄業・窯業の炉燃料として利用が進んだ。鯨油を代替して登場した石油は、その需要拡大に伴って、既往燃料であった石炭と共存しつつ、並行して拡大傾向を示した。 石油市場の拡大において、J.D. Rockefeller, Sr.らの設立した組合から始まって供給ビジネスモデルを確立し、それを拡張することでその組合は急速に石油市場の独占を図り、発展した。例えば、1870年には、その組合を発展させ、企業として巨大化し、オハイオ州でStandard Oil社が設立された。その寡占状況を現出する挙動は、市場における公平な競争を基礎とする資本主義自由市場の形成を阻害、または破壊するとして、米国連邦政府からカルテル行為として禁止、さらに1911年には独占企業として企業解体を命じられた。アメリカ合衆国の国家経済活動を左右するほどにまで、石油の市場は急速に大きく拡大発展した。

はじめに

アメリカ合衆国における 19 ~ 21 世紀初頭までの石油探鉱開発技術と原油生産量の変遷図1

出所:生産量データは、DOE/eia(米国エネルギー省エネルギー情報局)の統計による

Seismic Preparatory Period Early Period

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22016.3 Vol.50 No.2

JOGMEC

K Y M C

アナリシス

 J.D. Rockefeller, Sr.らの石油鉱業の展開におけるビジネスモデルの設定は、市場の商品に対する需要とその供給を単一の輸送経路で結合するモデルであり、それは、実質的な価格形成権を掌握し、市場での需要の変化に伴うリスクを吸収するモデルであった。すなわち、需要側に近い消費地への商品(灯油)の供給・販売からスタートし、供給源である製油所を所有・操業し、さらに製油所に原油を供給する油田、パイプラインにより大型の炉のある製鉄所、窯業所に天然ガスを供給するガス田を所有・操業するといったように、いわゆる石油鉱業界の消費地商業である下流部門から、輸送を取り仕切る中流部門、さらに上流部門へとリスクの少ない側から次第に商品の流れをさかのぼって、全体を掌握する方向にビジネスを展開していった。 石油の需要喚起の要因として、鯨油生産の行き詰まりによって市場に供給の穴が開いたことが挙げられるが、もう一つの要因は、石油を精製することによって灯油を得られることの化学的実証がなされたことがある。 そもそも、近代石油鉱業の嚆

こう

矢し

となったDrake井は、地表漏出原油の化学分析の結果から動機づけされたものである。銀行家George Bissellらの依頼によって、Yale大学のBenjamin Silliman, Jr. 教授がその北西ペンシルベニアの原油を分析した。この分析結果によって、石油の経済価値を認めたSilliman教授が報告書の対価の多寡を、その報告書の引き渡しに際し、争ったほどのものであった。この報告書の分析は、石油には灯油に適した温度抽出分画が含まれ、精製によってその灯油分画を取り出せば、商機が得られることを示していた(Silliman, Jr., 1855)。この分析を実行したのはThomas Sterry Huntであり、そこには独創的な分析方法の案出があり、他にない分析報告書であったことも争いの原因となった。 銀行家たちは、この19世紀半ばでの分析から石油の商機を確信し、Seneca石油社を設立し、Edwin Drakeをその実行者として、分析された原油の産出地であるTitusvilleに送り込んだ。これがDrake井の端緒である。なお、石油鉱床の探査から石油製品の組成まで、広く利用される有機分析が利用できるようになったのは、ガスクロマトグラフィーが発明され普及した1950年代以降のことになる(T.S. Huntは、地球化学、鉱物学、鉱床学において顕著な業績を上げた人であるが、いささかお人好しの性格からか、著作権上の問題に巻き込まれている)。 今回の第3章では、アメリカ合衆国の石油鉱業史を、その歴史的変遷において、転換点となった油田の 発 見 を 里 程 標 に し て、 技 術 的 観 点 か ら 全 体 の 歴 史 を 四 つ の 段 階 に 分 け た(Preparatory Period→Seismic Imaging Period)。図1は、1800年から2015年までの期間をとって、アメリカ合衆国の原油生産量の変遷の上に、石油鉱業上流に関わる諸事件、技術背景を記したものである。 第1段階はDrake井掘削前までの段階である。Drake井を準備した段階と言える。第2段階はDrake井の成功からSpindletop 油田の発見までの段階である。巨大井の発見により、大量の石油を供給するめどが立つまでの段階で、着々と需要を拡大し、石油の社会的な位置付けを確立した時期である。半面、寡占企業であったStandard Oil社によって、資本主義の下でのビズネスの仕方を示すモデルが形成されていったのは、この独占企業の出現の積極的結果であった。 第3段階は、Spindletop油田の発見・開発以後、原油を熱源、燃料源、素材とする機械・材料(自動車、艦船、航空機、電力、化学合成物〈繊維、プラスチックなど〉)が出現し、「石油の時代」を形成した段階である。アメリカ合衆国の原油生産能力が衰退期に入る直前までの段階である。 1950年代に至り、East Texas油田の衰退傾向の顕在化により、中東地域に主要原油生産地域が移動し始める。OPECが1960年に結成され、資源国のナショナリズムの昂

こうよう

揚、原油の生産調整を通しての資源生産量の適正化(絞り気味に調整し、油価を生産国に有利に決定する傾向)、数度にわたる中東戦争での国際政治交渉裏で有利を得る手段として原油が使われるようになった(第1次・第2次石油ショック

〈1973年と1979年〉)。 M.K.Hubbert(1956)による石油の資源としての利用の量的・時期的な限界に対する警告も公表され、世界ピーク説に基づいて、1995 ~ 1998年の間に生産量はピークに至るとする予測が公表された。これに対しては、アメリカ合衆国の原油生産ピークが1970年に到来し、世界ピークも1988年頃に、到来が危惧されるようになった(Campbell〈1997〉)、Campbell and Laferrère〈1998〉、Deffeyes〈2001〉)。

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3 石油・天然ガスレビュー

JOGMEC

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石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その3)

 19世紀前半におけるDrake井以前の近代石油鉱業準備期(図1、図2)には、未知の入植地の資源の様相を知る目的で、植民地の開拓あるいは国家の成立に伴って、国土調査(特に、農地調査・資源調査)が進行した。アメ

リカ合衆国の独立後、同様の趣旨の下に、州単位で地形調査、地質調査、資源調査が実施された。この時期の報告は資源分布調査における油徴・ガス徴の観察と記録に限定されていた。早期の報告書として、Logan(1846)

2. 準備段階:Drake井まで;直接観察記載による背斜説による石油探鉱の準備

 今回は、まず背斜説の成立過程から今日の深海石油探鉱、シェールガス/オイルの開発までの探鉱開発における理念と技術の推移を概観し、そのなかで石油鉱業の発展に伴い背斜説がどのように変容・進化したかを考えたい。北米大陸において、その変容の過程が顕著であるので、北米、特にアメリカ合衆国での変容を世界の石油鉱業の発展・推移を含めた考察における雛

ひな

型として分析の対象としたい。第1の里程標はDrake井での試掘の成功とした。 第2の里程標は1901年に掘削されたSpindletop油田であろう。この試掘の成功によって、大量の原油を1本の坑井から生産するいわゆる巨大井(gusher)の存在が確認された。この後、1908年にT型フォードが生産・発売され、自動車の普及が進み、ガソリン需要が急速に膨らんだ。第3の里程標は、1948年のサウジアラビアのGhawar油田の発見であろう。Ghawar油田は世界最大規模の油田とされる。Ghawar油田をはじめとする中東の原油生産によって、世界の原油生産量に占める供給源が中東に遍在することが確定した。同時期に、アメリカ合衆国の最大油田であるEast Texas油田の減退が明確になった。

 平原・平野、海上での石油探鉱の進展には、間接探査法としての物理探査法の進歩が不可欠であった。 掘削技術に関しては、綱掘り技術が19世紀初頭に確立され、以後、綱を上下動させる動力が人力・役馬・役牛から蒸気機関へと順次改良され、1859年のDrake井掘削時には、蒸気機関機械綱掘りによる掘削方式が坑井保護のケーシング技術を含め使用された。試掘位置の決定方法に関しては、露頭での自然観察からの背斜構造と油徴との直接的な関係の記載記録が次々と公表されてきており、Drake 井もオイルクリークの背斜軸上に掘削された。綱掘り機械リグは20世紀前半まで使用された。20世紀に入り、ロータリー式掘削管による坑井掘削が普及した。これにより、地下の地層の岩相の記載、その地層の深度の記録の精度が著しく向上した。地下の地質(層序、地質構造)の分析がより精度の高いデータから出発できるようになった。19世紀における地表地質観察の地下への投影によって地下データそのものから地下の地質を解析し、石油鉱床の広がりの予測、探掘井の位置決定などが合理的な根拠をもってできるようになっていった。その技術の発展と地質学的な情報の集積の進むなかで、石油地質学と呼ばれる地質学分野が成立していった。

1. 第3章:石油地質学の誕生と石油探鉱の理念の展開─Whiteの背斜説(1885年)までと、それ以降現在までの展開─

 第4段階は、第3段階の末期であった1990年代後期から、現在までである。いわゆる、シェール革命が準備され顕在化した段階である。アメリカ合衆国のシェール原油(実際は多くがコンデンセート)の生産量は1970年のピーク到達以後、アラスカ原油の寄与により顕著な減退を回避してきた。その後の減退は、深海探鉱の結果が、開発技術的な障壁により軽減されるまで成果を生まず、生産量を回復できないままであった。シェールガス/オイルの生産は、この減退傾向を反転させ、2007年から2015年まで急激に生産量が増加し、1970年のピーク生産量に接近してきた。2016年以降、このような生産量回復の持続が可能となる社会、経済環境がどのようなものか、見通すことが求められよう。

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アナリシス

(1) 背斜説による仮説(試掘位置決定)と試掘による検証

実験の段階

 19世紀後半、Drake井以後の石油井の試掘への意欲から、発見井から延びる直線状に次の坑井を掘る直線法など、経験則の適用もあったとされる。しかし、より合理性のある地質家の地質構造の地質図を基に背斜軸上の試掘を実施するようになっていった。この過程で、いわゆる石油探鉱での基本理念である背斜説が確立されていった。T.S. Hunt(1861,1863)、E. B. Andrews(1861)、E. W. Evans(1864, 1866)らの背斜構造の露頭での油ガス徴候の観察の記録とその整理、解釈が公表された。 図3に、Andrews(1861)が示す背斜の露頭スケッチと地下でのガス/油/地層水の垂直分布スケッチを示す。T.S.

Huntはほとんど全部の記載を図面などは使用せず言語のみで現象を記述している。彼の記述では、石油の根源岩を層位下位の石炭層とし、そこで生じた石油(原油または天然ガス)の泡が浮力によって、裂

れっ

罅か

(割れ目:fissures)などを通路とし、より多孔質の砂岩あるいは断裂の著しい石灰岩などまで上昇する。その際、層位上位に堅牢な堅い層があるとその下でとどめられ、その形状が背斜のように上向きに閉じる形状であれば石油鉱床を形成するとした。この解釈は今日まで有効な解釈である。大村一蔵が『石油地質学通論』(1934)において、T.S. Huntをもって背斜説唱道の開祖とする理由はここにある。 Edwin Drakeが、上記の観察記録、情報を得ていたと考えるのが妥当であろう。また、彼が製塩井の掘削技

3. 確立段階:Drake井以後

が挙げられる。Loganは、カナダ・ケベック州Gaspé地方での地域的な背斜軸の伸びと油ガス徴候の分布の重なりを報告している。Drake井以後、石油井の掘削が盛んになった後、1865年にカナダ地質調査の正規報告書

(Logan, 1965)を出版した。また、ペンシルベニア州の地質調査所で1830年代から地質調査にあたっていた

Henry Rogersは、その兄William Rogersの示唆もあり、州 の 地 質 学 的 記 載 の 報 告 書(2 巻 )“Geology of Pennsylvania”を1858年に刊行し、背斜構造と油ガス徴の相関を記載している。Loganの下で、調査にあたったT.S. Huntは、観察事実の言語記載を1961年になって、カナダの一般科学誌に公表した。

アメリカ合衆国石油鉱業の準備段階から早期への技術展開:背斜説による仮説(試掘位置決定)と試掘による検証実験の段階図2

出所:生産量データは、DOE/eia の統計による

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5 石油・天然ガスレビュー

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石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その3)

師を自分の石油試掘に雇用したことを考え合わせても、1850年代までに石油に関わる知識を吸収していたと考えてよい。したがってEdwin Drakeが、Samuel Kierの灯油精製所のあるTitusville南西のOil Creekの背斜軸部に機械化綱掘りリグを設置したのは、必然であった。Drake井の成功は、それ以前に準備された技術的基礎の上になされたものであることは明白であろう。それ故に、銀行家BissellらがDrake井が難掘に陥って、所期の投資額(当時価額US$2,500)を費消したため、掘削の継続

を止めた後も、Drakeは当時の価額でUS$500を自分で借入し、仲間を呼び戻し、掘削を継続したことも理解できよう。1859年8月28日の早朝、坑口を覆った原油にたどり着いたことは、ひとえにEdwin Drakeの功績とすべきものであった。 T.S. Huntらの自然観察とその記述は、自然観察の記録としてとどまったが、Israel Charles Whiteが1885年にScience誌に公表した論文「天然ガスの地質学」は、試掘のために確立された目的志向的な方法論としての背斜

A few miles south

E.B. Andrews(1861);• Sketches of anticlinal structures.• Estimate of subsurface structures.• Vertical segregation of gas/oil/water.

T.S. Hunt (1861)

Direct eye-observationof outcrops and oil/gas seepage・mother rock (coal)・migration paths=fissures・driving force=buoyancy by difference of densities of oil(gas) and water.・reservoir=porous rocks・seal rocks=solid overlying rocksNo attention to practical use

I.C. White (1885)

Based on some test drillingon anticlinal sites; with positive results・An arch of rocks of an anticline must be in a considerable magnitude・reservoir=porous rocks of a considerable thickness or well fissured tight rocks..No remarks to source rock or seal rock. Attention to practical use for thermal sources; clean factories in iron and glass manufactures.

I.C. White (1892)

E.B. Andrews (1861); Direct observation of outcrops, and estimated subsurfaces.

Mannington Oil Field, West Virginia.Regional distributions of bands of water, oil and gas in a map.

Relationships of oil and gas fields and regional structure of beds bearing oil and gas pools.

Dry structures and oil/gas fields.

Recognition of significance of bed-deformations and unconformities

Source rock geochemistryPetroleum migrationReservoir bedsSealing mechanismTrapping mechanism

Sedimentary Basins

ConceptualIntegration

Weighing risk factors

Petroleum Syste and Playby Magoon and Dow (1994)

出所:スケッチは、E.B. Andrews (1861)による

アメリカ合衆国の石油鉱業の準備段階から早期確立段階での、背斜説論文内容の比較に認められる背斜説の進展表

アメリカ合衆国石油鉱業の準備段階での背斜構造と油ガス徴の関係を観察した事例図3

出所:E.B. Andrews(1861)の背斜構造のスケッチ

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62016.3 Vol.50 No.2

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アナリシス

説を提唱した。アメリカ合衆国東部アパラチア山脈西部における試掘の進展という成果によって、背斜説は確立されていき、石油鉱業は発達した。アメリカ合衆国全域で、少数ながらも石油鉱床の試掘が行われるようになった。この間、欧州、インドネシアなどでも石油の試掘が行われるようになった(Fennema, 1886)。図5は、Fennema(1886)による北スマトラ、Telaga Said地域の地質断面スケッチである。既に、地質学は進歩し、地質図学もこの図よりも進んでいたが、Fennema の断面図は、描いてあるだけという水準であった。White以後、背斜説は自然観察(自然科学的な観察)から人間の活動における指導原理として機能するようになった。すなわち、背斜説が、それに基づく油ガス田の存在位置の推定(仮説)を試掘という直接観察によって検証するという工学的原理に変容したのである。表に、自然観察記載段階の諸記載とWhite(1885)の記載を比較して、違いを示した。

(2)背斜説の同時多発性(開祖を争う者たち)

 White(1885, 1892)の論文公表後も多くの者によって、背斜説の提唱者は誰かが争われた。準備段階には既に多数の者が背斜構造と油ガス徴の正の相関関係に気付き、記載していたことは既に記した(例えば、Munn〈1909〉)。とりわけ、T.S. Hunt(1861)の記述が背斜構造、その軸

部での油ガス徴、浮力による地下深部からの上昇、上昇経路を裂罅(fissures)に認定、多孔質の貯留層、その上位の堅牢な地層(シール層)、下位の石炭層を根源岩に認定している点で、石油の生成、移動、集積という石油鉱床形成の主要要因を正確に認識しており、開祖と呼ばれるに相応しいとする者がいる(大村一蔵〈1934〉)。 他方、A.I. Levorsenのように、I.C. White(1885)をもって開祖とする者もおり、多数の追従者を持つ。ここでは、背斜説に期待する機能が実践的鉱業における石油鉱床発見の原理としての工学的性格であることを重視し、Whiteを開祖と考える。 Whiteは、Huntのように石油鉱床の形成過程を解明しようとするのではなく、石油鉱床の賦存状態、位置がどこかを重視しており、1892年公表のMannington油田の記載において、広域図のなかに、狙いの層の地質構造(地質断面まで提示;ウェストバージニア州西部での水油ガス産状の記載)と油ガス田の位置関係を層序学、構造地質学の基本的な記載手法に従い、記載している。White(1892)では、ウェストバージニア州西部の広域地質図のなかの油ガス田を記載している(図4)。Whiteが堆積盆全体を観察し、油ガス田の存在位置がどうなっているかを理解しようとしたことが示されている。これは試掘位置の決定に直結する理解である。

West Flank of Appalachian Mountains; Several gentle anticlinal trends of NE-SW. ¥

I.C. White(1892)の「図版 6」の示すウェストバージニア州西部の油ガス田地帯における、貯留層流体の天然ガス・原油・地層水のゾーニングと地質構造図4

出所: I.C. White, 1892; The Mannington Oil Field and the History of its Development Geological Society of America Bulletin, January 1892, v. 3, no. 1, p. 187-216, Pl. 6..

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7 石油・天然ガスレビュー

JOGMEC

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石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その3)

(3)背斜説に対する反論

 背斜説に対する反論は、背斜軸近傍を試掘しても油ガス層を発見できないという単純な理由から生じた。この背斜説に基づく試掘の不成功は、すべての背斜構造が水理学的に、あるいはシール層と貯留層の境界面と、重力の方向と直交する水平面との交線が閉曲線を成さないことが第1の原因であった。また不整合による貯留層の削

さく

剥はく

欠如、シール層の破れ、あるいは断層によるシール層の破断も原因であった。このような背斜説の不成立の場合をWoolsey(1906)は整理した。Woolseyは背斜説の反対者の代表として今日でもその名を挙げられることが多い。しかし、彼は背斜説の不成立の場合を整理したことにより、背斜説を強化したというべきであろう。

(4)原油生産量の確実な伸び

 第2章で既述したように、この段階で、石油探鉱目的

の試掘はアメリカ合衆国全域に広がっていった。また、アパラチア山脈西翼部からオハイオ州東部での石油探鉱開発が進み、石油資源の枯渇の心配すら示されるほどの生産量の増大が生じた(Orton, 1889)。いわば19世紀版

“Hubbert Peak”の危惧である。石油業界は、石油探鉱の領域を山地、丘陵地から平原・平野部に拡大して、この限界危惧感を乗り越えようとしていった。

(5)南北戦争の石油鉱業への影響

 1861 ~ 1865年の間にアメリカ合衆国で起きた南北戦争(Civil War)は兵器(銃、砲など)の部品の互換性の不備を露呈させた。壊れた銃を同一方式の銃の部品で修理できないことが問題であった。ネジ一つにもこの問題が生じた。南北戦争後、アメリカ合衆国は工業化が進むなかで、工業製品の規格化・標準化を政策として進めたのはこの軍事面での問題が大きな要因であった(橋

Telaga Said 油田開発後の、地質学的解析の進歩した時期における地質断面図図6

出所: Garritson, C., 1939; Geschiedenis der Koninklijke, 3 Vols., N.V.A. Oosthoekes’s Uitgeverij, Utrecht.

インドネシアで最初に発見された Telaga Said 油田(北スマトラ)の開発早期段階での地質断面図図5

出所:R. Fennema(1886)

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アナリシス

本,2013;Rybczynski, 2001)。これに伴う工業化の推進政策は、アメリカ合衆国内での石油需要を増進することとなった。 教育制度としても、19世紀後半には、多数の州立大学が設立された。多くの大学は、資源開発の視点をもって地質学・鉱山学専攻の部門を設置し、石油の探鉱開発に必要な学識を施すこととなった。旧来のキリスト教を背骨とする学術中心の大学(東部のIvy-League Schools 8校が典型)とは趣を異にする職業学校としての性格を、

これらの州立大学の地質学・鉱山学専攻の部門は帯びていた。現在もこれら大学、部門の性格は継承されている。このような大学教育の効果は、油ガス田の情報の整理とそ の 結 果 の 表 示 の 様 式 に も 明 白 に 現 れ る。図5

(Fennema,1886)と図6(Garritson, 1939;Skeels and Cooper, 1985)は、オランダでの事例であるが、インドネシア北スマトラの同じ背斜構造(Telaga Said油田)についての地質断面であり、両者を比較すれば、地質学の素養の有無による地質構造解釈の進歩が歴然とする。

4. 発展段階:Spindletop油田の発見以後

(1)総論

 図7に発展段階に生じた事件などを原油生産量推移とともに示す。戦争、大恐慌など、極めて大きな国際社会を揺るがす事件が生じた段階であった。 1901年の、北部メキシコ湾岸、テキサス州の最東南部の平野でのSpindletop油田の巨大井による発見は、石油の枯渇危惧感を吹き飛ばした。Spindletop油田の探鉱では、特徴のある丘陵地形に着目するほか、重力偏差計による重力探査法が用いられた。多数の試掘・探掘の結果、坑井間の層序対比によって、岩塩ドームの構造が判明し、その試掘・探掘の方法も判明していった。この発見以後、ガソリンエンジンによる自動車の実用化に拍車がかかり、1908年にT型フォードが発売された。この自動車の普及により、著しいガソリン需要が形成された。 発展段階での社会環境の事件として石油鉱業に大きな影響を残したものとして、戦争(世界各地、世界全体ともに)が起きたことが挙げられる。日露戦争(1904年2月~ 1905年9月)での日本海海戦はその一つである。石炭ボイラによる蒸気機関を動力源とするバルチック艦隊の戦艦の巡航速度から戦闘時の最高速度への切り替えの困難が勝敗を分ける重要な要因であったことから、英国海軍は軍艦燃料の重油化政策を採った。これにより重油需要が急速に増大し、カリフォルニア州のVentura-Los Angeles地域での油田開発が盛んになり、この需要を充足した。このカリフォルニア州での油田開発においては、19世紀のゴールドラッシュによる州の道路網、人口の再配置などが伏線としてあった。  自動車エンジンに向けたガソリン・軽油需要の増大と並び、戦争における航空機の使用は、一般航空機の燃料需要も含めて、その改良にしたがって、航空機エンジン

燃料需要を増大させた。軽質油(ガソリン、ケロシン)が求められた。これには、オクラホマ州、カンザス州、テキザス州などが需要を充足した。これらの州の原油は、West Texas Intermediate(WTI)の呼称の下に、現在でもNew York商品取引市場(NYMEX)での基準油種として油価比較の基準となっている。

(2)石油生産の生産統制

 オクラホマ州、カンザス州、テキサス州などの産油ガス州では、巨大井が出現すると、需要を上回る生産量が生じることがしばしばあり、値崩れを起こして道路脇に原油が満タンのドラム缶が多数放置され資源浪費が生じた。多くの産油ガス州はこのような資源浪費を繰り返さないために、テキサス州は、1891年に鉄道を監督させる目的で設立されていたテキサス鉄道委員会(Railroad Commission of Texas;Texas RRC;http://www.rrc.state.tx.us/)に対して、1917年に裁判権を、また1919年に石油生産井の適正間隔遵

じゅん

守しゅ

の監督権を、1920年には石油生産の社会性からその調整権を与えて、適正かつ合理的な石油生産と供給を実現できる制度を確立した。これにより1928年には、最初の生産調整指令を発している。このTexas RRCの生産調整制度は価格維持機能を有し、後にOPECにより模倣された。他方、ピークオイル出現時(テキサス州の生産量では1971年3月)に、その出現を探知し確認する機能を発揮した(Wall Street Journal〈12 March, 1972〉)。

(3)発展段階の背斜説と学会の設立

 1917 年のアメリカ石油地質学者協会(American Association of Petroleum Geologists:AAPG)の設立は、

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9 石油・天然ガスレビュー

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石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その3)

その学問領域であり、技術集積である石油地質学(Petroleum Geology)の進歩の大きな節目となった。Hagerの教科書“Practical Oil Geology”(1916)と、AAPG設立後、10年を経て編纂され、1929年に出版された特集号(2巻)“Structures of Typical American Oil Fields, A Symposium”の間の進歩は歴然としたものである。 石油地質学に並行して、石油の母体となる堆積物、堆積岩の形状、孔隙、透水性などに関して、学術研究がなされるようになった。この研究分野は進歩によって独立した専門分野となり、AAPGの下部機関としての堆積地質学会(Society for Sedimentary Geology:旧名称

Society of Economic Paleontologists and Mineralogists:SEPM)となった。名称が示すように、創立時には、重鉱物あるいは化石の層序対比を専門とする地質学専攻者の集合体であったが、現在は、地層形成、古生物一般を対象としたアカデミックな学会となっている。この堆積地質学会は国際化し、国際堆積学協会も設立されている。 現在では、堆積学は石油地質学の重要な分野として、後述する石油システムの評価において基礎的な技術となっている。さらに堆積学的解釈を震探記録に反映させて震探層序学、シークェンス(Sequence)層序学が1970~ 1980年代に確立されていった。

 図8に震探イメージング段階での原油生産量推移と関連事件を示した。物探技術のこの段階での進歩と寄与については、松岡・本田(2014a)に譲る。 中東での石油鉱業はイランでの古くからの産油が知られており、英国は早期にその原油生産活動に参加した。Anglo-Persian石油会社(Anglo-Iranian石油会社に改称)である。1908年のMasjid Suleiman油田の発見が嚆矢である。イランのザグロストレンドの延長上のイラク北東部にKirkuk油田が発見・開発された。これ以後、石油探鉱開発の場は、1930年代になって、バーレーン、

サウジアラビアに展開し、さらにクウェート、イラク南部などに波及した。特にこの地域では、中生界の炭酸塩岩が貯留層であり、このためアメリカ合衆国での古生界の炭酸塩岩貯留層の研究を基礎として中生界炭酸塩岩貯留層の研究が盛んになった。 砂漠下の地質構造を探査するため、地形学的方法

(デューン形状の配列など)、物理探査法(反射震探法)が適用された。Ghawar油田は発見時には、三つほどの油田として別個に扱われたが、探掘・開発が進むにつれ、その超巨大な姿が現れることとなった。

5. 震探イメージング段階:サウジアラビアGhawar油田発見以後

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アメリカ合衆国石油鉱業の発展段階図7

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アナリシス

 こうした中東での1930年代からの石油探鉱・開発の成功が、石油生産に結びつくのは1950年代になってからであった。その生産の急速な伸びは、アメリカ合衆国の生産量を追い抜くほどになっていた。その生産量は1950年代は伸びている時期であったが、中東地域の生産能 力の高さは驚 異的と言えた。このような時 期にHubbert(1956)は、アメリカ合衆国の原油天然ガスの資源の有限性と生産量のピークの到来年の予測を発表した。加えて原子炉による発電を推進することが提案された。

(1)見えない地下地質のイメージング技術と実体予測

 この時期は、地表での堆積過程の直接観察を重視し、堆積過程と堆積相の層形状から、堆積環境を推定する技術が確立されていく段階にあった。この進歩により、坑井層序情報による地下層序学・堆積学の著しい進歩が達成され、地表露頭での層序解釈、堆積相解釈だけによる貯留層の坑井間対比の精度の向上が実現した。特に砂岩層については、河川成、浅海成、深海成の砂体の連続性、形状の情報が集積され類型化が進み、堆積過程を反映させた層序対比、砂体のマッピングが可能となった。いわゆるFacies Modelsは石油探鉱開発に従事する地質技術者の必携知識となっている。炭酸塩岩についても同様に層序解釈に大きな進歩があった。 地球化学が無機化学、有機化学両面での分析機器の進歩に伴って進歩した。造岩鉱物の元素構成、組成比から堆積環境の特定が可能となり、安定同位体比の測定値から、造岩鉱物の晶出時の温度、生物の関与の有無、堆積

環境などが特定しやすくなった。U、Th、Sr、Cなどの放射性同位体から放射年代を決定することができるようになり、相対的な地質年代と組み合わせて、精度の高い層序対比が具体的年代とともに得られるようになった。 反射法地震探査による地下地質構造のイメージングが高解像度で可能になる以前は、地下地質学は、地表での地層の観察と構成がもたらす地下の地質情報を統合して、地下の地質状況を解釈することが第一であった。 層序学での同一時間面設定の精度が向上したが、単純に時間面での石油地質学的評価はできない。この時間面の構造形態を岩相層序の同一岩相のその形態と比較する必要がある点、注意が必要である。石油の集積、離散分布の形成においては、その層の水理学的物性の連続性が重要な要因となるからである。背斜構造の閉塞形状も、必ずしも水平面基準ではない。地形の標高差が著しい場合や、異常高圧領域が近傍にある場合など、油ガスと地層水の接触面が傾斜することがあるため、岩石の水理学的物性の空間分布は一層重要になる(本田,2015)。 坑井情報と地震探査法により地下の地層の成す形状の情報が地表地質情報と統合されるようになるのは、電子計算機の進歩によって、より多量の数値データを短時間に処理され、所定の計算結果を確認できるようになったからだ。また、電子機器の発達によって、多重チャネル反射法地震探査法でのデジタルデータの収録が容易に得られるようになった。また、高分解能の震探記録とそのインバージョン記録によって地下岩石物性と推定岩相が得られるようになっている。これらのデータ収録と処理

1956

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アメリカ合衆国石油鉱業の発展段階での背斜説などを軸とする探鉱を支えた技術の発達図8

出所: 生産量データは、DOE/eia の統計による

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11 石油・天然ガスレビュー

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石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その3)

により、3次元擬岩相キューブとして得られるようになっている。 19世紀後期から20世紀末までに、石油鉱床の探査における背斜説は、直接観察から物理学的手法による間接探査技術へと発展した。すなわち、準備期から初期での、露頭による構造地質学の地層形状の幾何学的観察からの推論に始まり、早期の確立・発展段階において、間接探査法としての重力測定・電磁気測定など、物理計測の導入によって、直接観察できない平原・平野部に背斜説を展開していった。さらに地震探査法による地下6,000m以深の深部までの構造地質学的、堆積学的あるいは古地形学的イメージング技術へと進歩した。 増加するデータを探鉱開発に反映することも必要になった。特に坑井データの集積は、1カ所の坑井掘削は基本的に1回であることから、古いデータを新しいデータと整合させつつ利用することが重要になった。局所的な事象を大局的な目で解析していく地質学の進歩は、そのような古い坑井データを地下地質の理解のために、新しい観点から整理する方法を与えてきた。また層序学・構造地質学の垣根を越えて、地層に濃集した有機物の時間的・熱的変化を捉える視点も加わっている。地下イメージング技術はそのための鍵となっている。地震波は一種の弾性波として扱えられることから、岩世紀の弾性を地震波記録から逆算して推定することも可能になっている。また、計測時をずらした記録の比較から、生産の進行に伴う油ガス田の変化をも捉えることができるようになった。 そのような記録の解析においては、一旦は専門分野の分化の進行が顕著であったが、やがて同時並行的に1970年頃から地質学と地球物理学・地球化学・水理学・統計学など、多部門の分野の統合、分化した分野の再統合の方向が顕著になった。解析対象地域の広域化(あるいは地球規模化)に伴う堆積盆発達史、堆積盆の類型論などが進んだ。石油探鉱開発技術の総合工学化の傾向である。目的達成のためには「何でも」役に立てば使うという精神である。特に探鉱プロジェクトではその成功率の

低さから、この傾向が強い。 背斜説の要素となってきた根源岩、移動、集積については広域に視野が拡大することで、石油システム概念を構成するに至った。試掘との関係では、試掘における油ガス田発見率の向上を期して、試掘リスク評価とプレイ

(play)概念が導入され、背斜説はその原型として現在も機能し得る探鉱開発での基本理念となっている。背斜説は最も分かりやすい、試掘におけるリスクの低い探鉱理念と言える。 このような進歩は、目に見える状況から見えない状況への活動の場へとその重心を移してきたこと、見えない状況で見えない地下を間接的にイメージ化すること、間接的なイメージを岩石と地層流体としていわば色づけることによる技術的進歩であった。常に、活動対象の最前線を広げようとする努力がなされたということである。

(2)層位トラップの油田の認識

 Levorsen(1940,1960)による層位トラップ型の油ガス田の事例の類型整理によって、背斜説によらないとされる油ガス田の石油探鉱開発への貢献のあり方が提示された。層位トラップ型の油ガス田形成の要因は、①堆積時の多孔質堆積物の偏在によって、水理学的に浮力の方向に直行する面で閉塞する場合、②あるいは堆積後・埋没後に削剥不整合を被り、多孔質層が偏在し、その直上位を泥質あるいは粘土質の層が広く覆った場合、③さらに底面、側面も泥質層と直接接している場合には、層位トラップが形成される可能性がある。 偶然発見された層位トラップ型の油ガス田の研究からは、特に不整合型の油ガス田(East Texas 油田が典型)をモデルとして、類型研究、スメリングの探査など直接原油・天然ガスの存在を示す証拠・徴候を用いた探査方法の研究が進められてきた。層位トラップではシール層の機能が重要なカギとなるため、その成立のための必要条件(毛管圧理論;Berg〈1975〉,Schowalter,〈1979〉)の研究が進んでいる。

6. 石油システムとプレイ概念

 石油システムとプレイ概念により、各プロスペクトの成功率(逆に言えばリスク)が評価される。石油システムとプレイ概念は地質学的な知識、情報を利用したリスク評価法である。

 図9に石油システム概念をキッチン、石油移動経路、石油集積場を連結したモデルを示す。石油システムは堆積盆概念、そのなかでの石油の生成場(キッチン)、石油の移動経路、集積場による石油鉱床形成のメカニズムの

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アナリシス

把握と表現によって構成される。いわば、石油探鉱開発活動での基本地図を与える概念である。これによって、石油の探鉱開発家は、探鉱開発活動の領域を設定する。試掘・探掘の配置、掘削深度の決定の根拠を与えるものとなる。ターゲットとする位置・深度を決めた後、そのターゲット領域の個々の試掘探掘対象(坑井掘削によって油ガス田の有無を研修する地質学的対象:プロスペクトあるいはleadと呼ぶ)の成功率を探鉱開発家の経験に基づいて数値で評価する。この評価は感覚的であり、構成的であるが、0(結果ドライと予想する場合)から1(経済水準の有効層厚〈Net Payと呼ぶ〉を持った石油胚

はいたい

胎多孔質層を必ず発見すると予想する場合)までの数値で、評価を示す。各要素の相互関係を考えて、各評価値を乗じるか、加えるか区別する必要がある。また相反事象は分枝するように評価計算を行う。 さらに単一の石油システムの要素に関し、同類型・同程度のプロスペクトの集合をプレイと呼ぶ。あるプレイに属するプロスペクトはプレイと呼ばれ、探鉱開発リスクを共有し、一つの具体的なプロスペクトが試掘された場合、成功であれば、そのプロスペクト全体が肯定的に評価される。逆に一つのプロスペクトがドライであれば、

そのプレイに属するプロスペクト全部が否定的に評価されることとなる。

 第4段階シェールガス/オイルの時代については、紙面の都合もあり、第4章(次号)に、将来への展望の前置きとして記述することにした。

まとめ

 石油探鉱活動の歴史的変遷を、大規模な油田の発見を里程標とする4段階にわたって、二つの石油探鉱理念の発生、展開、進化について観察した。その基本理念の一つは石油探鉱での古典概念である背斜説であり、その確立過程とそれに貢献した人々を挙げ、提唱説を紹介し、比較した。もう一つは、堆積盆概念である。石油探鉱の領域を限定し、坑井により、石油鉱床賦存の当否を直接的に確認する必要のある石油探鉱でのリスクの軽減を図

るために有用な地域画定である。

(1)石油探鉱開発の4段階

 第1の段階はDrake井を準備した段階と言える。その意味で準備段階と呼ぶ。試掘位置の選定基準は、油ガス徴の存在であり、背斜軸部であることであった。これは、試掘位置が油ガス徴のある場所であり、背斜軸の位置とすることの経験的合理性を与える帰納的な推論であっ

Kitchen Area Accumulation Area

Hydrocarbons generation

在来型石油鉱床の形成における石油システム概念図図9

(注)この図は基礎として,北米中部,San Juan 堆積盆を想定している。出所: Magoon and Dow(1994)

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13 石油・天然ガスレビュー

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石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その3)

た。掘削技術は、機械式綱掘りが利用でき、特に熟練した掘削職人が製塩井の掘削のために存在していた。地表滲しんしゅつ

出油の池から汲み出した原油を精製する製油所があった。灯油として販売する市場が存在した。これらの条件がDrake井を成功に導いたと言えよう。 第2段階はDrake井の成功からSpindletop 油田発見までの段階であり、かつ背斜説の確立段階である。Drake井以後、石油の大量供給を可能にすべく背斜説に従って、既存の発見を展開していった段階である。需要の項目の拡大、州単位での地質調査の進展により、単一の背斜から地域を広く見た背斜構造の評価を行うように進歩した。 第3段階は、Spindletop油田の発見・開発以後、原油を熱源、燃料源、素材とする機械・材料(自動車、艦船、航空機、電力、化学合成物〈繊維、プラスチックなど〉)が出現し、「石油の時代」を形成した段階である。アメリカ合衆国の原油生産能力が衰退期に入る直前までの段階である。背斜構造だけでなく、地層の堆積形状から生じる油ガス田の存在が認識された(Levorsen〈1940〉など)。層位トラップ型の油ガス田である。実際は層位トラップは、背斜説による探鉱でも偶然に発見されていた(松岡・本田, 2014a)。この第3段階では、Hubbert(1956)による石油の資源としての利用の量的・時期的な限界に対する警告も公表され、このアメリカ合衆国のピークオイルは1970年に顕在化した。さらに世界ピークについて、1995年から1998年に生産量はピークに至るとする予測が公表された。これに対しては、アメリカ合衆国の原油生産ピークが1970年に到来し、世界ピークも1988年頃に、実現が危惧されるようになった(Campbell, 1988, 2004、Campbell and Laferrère, 1998、Deffeyes, 2001)。 第4段階は、平原・平野から海上に石油探鉱開発の場を移した段階である。背斜構造の探究も地震探査による

地下イメージングを実行し、堆積学等の進歩を背景としたその堆積盆規模の石油探鉱評価、それを基礎とする個々の試掘対象の評価を行うようになった。

(2)石油システムとプレイ

 石油システム概念は、プレイ概念と並行して、石油探鉱での試掘リスクの低減と試掘数の適正化を図る概念である。すべての探鉱対象となり得る試掘候補集油可能地質構造の石油鉱床賦存の当否を最小の試掘数で、効率よく検証するための作業計画を立案する方法を与える。 19世紀半ば以降、探鉱における評価要素をその分析方法と各要素の評価結果の統合の過程で、今日まで、石油探鉱を推進してきた基本的な理念と行動基準を読み取りたい。第4章(次号)で記述する予定のピークオイル騒動後(2005年以降)の近未来における石油探鉱のあり方を考える基盤となる。

(3)結語として

 背斜説の推移の段階は一つの地下の地質構造を描く方法、地下構造を想像する基礎となるデータの変遷によることを示した。その道具の変遷・進歩によって石油探鉱開発の前線が山地・丘陵地→平原・平野→浅海→深海あるいは極浅海→北極海などと、広がっていくこととなった。石油探鉱開発には、非常なまでの冷徹な判断、断固とした決断が求められ、自己制御による探鉱への意欲の持続と拡大意思が求められる。ピークオイル論でのS字状のロジスティック曲線の実現には、石油資源の真の枯渇まで内的成長率を一定に維持する必要があり、持続意思の放棄は直ちにCampbell crush につながる。その回避と代替資源確保までの時間稼ぎが不可欠である。Drake井からシェールガス/オイルまで約150年の技術の積み上げが必要であったことを考え、今、将来の石油をいかに扱うべきか、考えるべき時である。

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Page 15: 石油探鉱開発における技術革新 と石油鉱業(その3)...1石油・天然ガスレビュー JOGMEC K Y M C アナリシス 石油探鉱開発における技術革新

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石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その3)

執筆者紹介

本田 博巳(ほんだ ひろみ)1975~2012年まで、石油資源開発(株)、インドネシア石油(現・国際石油開発帝石〈株〉)などで、主に探鉱プロジェクトに従事。現在、京都大学大学院工学研究科で、シェール資源を中心に非在来型資源に関し勉強中。古都京都の歴史の重層性のなかで、横道に迷いつつ、思わぬ出会いを楽しんでいる。その多くは美味を伴うのが、幸せなこと。野外調査では、時に川で泳いだりし(川中での足の不如意で)、還暦を疾

うに過ぎた年寄りの冷や水かと思いつつ、いまだに地表調査に出かける。趣味は将棋、詰め将棋、読書など。博士(工学)。

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6.(Appendix(p. 204-216):(p.204)The “Anticlinal Theory” of Natural Gas(originally published as “Natural Gas Supplement” in the American Manufacturer in April, 1886, p.11-13, and(p.205-216)“Enunciation of Anticlinal Theory” should be highlighted.)

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