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64 (東女医大誌 第38巻 第3号頁!80-183昭和43年3月) 〔臨床報告〕 両側総頸動脈蛇行症の1例 東京女子医科大学外科学教室(主任 乃 木 道 男・富 ミチ トミ 榊原 仔教授) 秀諺7; 聖隷浜松病院外科 オオ サワ ミキ オ’ (受付 昭和42年11月7日) 頚動脈蛇行症(Tortu・us carotid artery, Car・tid kinl〈ing, Buckling of the carotid artery) e[ltLt 較的稀な疾患であるが,高令の婦人の,右側頚部 に好発する.本症は,総頚動脈または三頭動脈が 屈曲蛇行し,搏動性腫瘤として認められるもの で,頚部動脈瘤との鑑別上重要である. 剖検上では1852年Coulson1)が右総頚動脈の異 常屈曲の1例(82才女性)を報告,臨床上では 1925年Brown2)がはじめて報告して以来,数多く の報告がなされている. 本邦においては,!958年大原ら3)が報告して以 来,菱田ら4)の11例,井口ら5’の1例,神ら6)の4 例,斉藤7)の3例などがある. われわれも,高血圧を伴う本症を経験したが, 外見上は右側頚部のみに腫瘤が認められたが,血 管造影を行なったところ,左側頚動脈も蛇行して いた.従来,右側に多いとされた本症も,左側頚 動脈にも潜在的に蛇行があるのではないかと考 え,また,発生原因を考察する上でも参考になる 症例と考え報告する. 患者:H.K.57才女性,主婦. 主 訴:右頚部の搏動性腫瘤,頭痛,肩凝り. 家族歴:両親とも87才で,脳盗血にて死亡. 既往歴:27才,両下肢の静脈瘤の手術を受けた.52 才,膝関節リウマチに罹患,2ヵ月間入院,関節穿刺な どの治療を受けた. 現病歴:5,6年前から肩凝りがあった.2年前よ り,右頚部に揖指頭大の搏動性腫瘤を触れるようになっ た.段々大きくなり,他人に腫瘤を指摘され,蛇が蛙を のんだようだ等といわれ不安感を抱くようになった.こ の腫瘤は体を多く動かした日には大きくなったという. 昭和39年9月,内科受診,高血圧の診断を受け,投薬 をうけた.この時の血圧は180/98mmd9であった・同年11 月,精査のため外科へ入院した. 入院時所見:体格中等度,肥満型,栄養良.顔 面に軽度の浮腫を認める.貧血なし.脈搏72扮, 整,緊張良。血圧,左144/100,右150/90㎜Hg. 頚部右側に蛇行状,境界不明確な長さ約8cmの搏: 動性の腫瘤を認める.上行性の血行を有し,立位 より坐位で著明に認められる.圧痛はない(写真 1). 胸部では,心拡大左右に軽度あるも,心雑音は ない.肺の理学的所見は正常.腹部では,肝・ 脾・腎ふれず.両下肢屈側に静脈瘤の手術搬痕を 認める. rVlichio NOGI, Seti’chi TOMINAGA (Department of Surgery, Tol〈yo IMIikio OSAWA (Department of Surgery, Seirei Hamamatsu Hospital) common carotid artery. 一一 180 一

両側総頸動脈蛇行症の1例 · 2018-02-10 · 屈曲蛇行し,搏動性腫瘤として認められるもの で,頚部動脈瘤との鑑別上重要である. 剖検上では1852年Coulson1)が右総頚動脈の異

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Page 1: 両側総頸動脈蛇行症の1例 · 2018-02-10 · 屈曲蛇行し,搏動性腫瘤として認められるもの で,頚部動脈瘤との鑑別上重要である. 剖検上では1852年Coulson1)が右総頚動脈の異

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(東女医大誌 第38巻 第3号頁!80-183昭和43年3月)

〔臨床報告〕

両側総頸動脈蛇行症の1例

東京女子医科大学外科学教室(主任

乃 木 道 男・富ノ ギ ミチ オ トミ

榊原 仔教授)

秀諺7;聖隷浜松病院外科

大 沢オオ サワ

幹 男ミキ オ’

(受付 昭和42年11月7日)

緒 言

頚動脈蛇行症(Tortu・us carotid artery, Car・tid

kinl〈ing, Buckling of the carotid artery) e[ltLt

較的稀な疾患であるが,高令の婦人の,右側頚部

に好発する.本症は,総頚動脈または三頭動脈が

屈曲蛇行し,搏動性腫瘤として認められるもの

で,頚部動脈瘤との鑑別上重要である.

剖検上では1852年Coulson1)が右総頚動脈の異

常屈曲の1例(82才女性)を報告,臨床上では

1925年Brown2)がはじめて報告して以来,数多く

の報告がなされている.

本邦においては,!958年大原ら3)が報告して以

来,菱田ら4)の11例,井口ら5’の1例,神ら6)の4

例,斉藤7)の3例などがある.

われわれも,高血圧を伴う本症を経験したが,

外見上は右側頚部のみに腫瘤が認められたが,血

管造影を行なったところ,左側頚動脈も蛇行して

いた.従来,右側に多いとされた本症も,左側頚

動脈にも潜在的に蛇行があるのではないかと考

え,また,発生原因を考察する上でも参考になる

症例と考え報告する.

症 例

患者:H.K.57才女性,主婦.

主 訴:右頚部の搏動性腫瘤,頭痛,肩凝り.

家族歴:両親とも87才で,脳盗血にて死亡.

既往歴:27才,両下肢の静脈瘤の手術を受けた.52

才,膝関節リウマチに罹患,2ヵ月間入院,関節穿刺な

どの治療を受けた.

現病歴:5,6年前から肩凝りがあった.2年前よ

り,右頚部に揖指頭大の搏動性腫瘤を触れるようになっ

た.段々大きくなり,他人に腫瘤を指摘され,蛇が蛙を

のんだようだ等といわれ不安感を抱くようになった.こ

の腫瘤は体を多く動かした日には大きくなったという.

昭和39年9月,内科受診,高血圧の診断を受け,投薬

をうけた.この時の血圧は180/98mmd9であった・同年11

月,精査のため外科へ入院した.

入院時所見:体格中等度,肥満型,栄養良.顔

面に軽度の浮腫を認める.貧血なし.脈搏72扮,

整,緊張良。血圧,左144/100,右150/90㎜Hg.

頚部右側に蛇行状,境界不明確な長さ約8cmの搏:

動性の腫瘤を認める.上行性の血行を有し,立位

より坐位で著明に認められる.圧痛はない(写真

1).

胸部では,心拡大左右に軽度あるも,心雑音は

ない.肺の理学的所見は正常.腹部では,肝・

脾・腎ふれず.両下肢屈側に静脈瘤の手術搬痕を

認める.

rVlichio NOGI, Seti’chi TOMINAGA (Department of Surgery, Tol〈yo Women’s Medical College),

IMIikio OSAWA (Department of Surgery, Seirei Hamamatsu Hospital): A case of tortuous bilateral

common carotid artery.

一一 180 一

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写真1

写:真2

一般検査:血液;血色素76%Sahli,赤血球数

400×104,白血球数4,800.尿;タンパク(一),

糖(一),ウロビリノーゲン(十).肝・腎機能異常

なし.血清;総タンパク7・029畑,A/G比1.47,

GOT23.0単位、 GPT19.0単位,総コレステロ

ール191mg/dl, ASL-0価50Todd単位, C R Pテ

スト陰性,梅毒血清反応陰性.

眼底所見:乳頭境界やや不明確,眼底動脈硬化

皿度.

胸部レ欝欝では,左第4弓の突出および大動脈弓

の突出が認められた(写真2).心電図では,軽度

写真3

写真4

左心室肥大があるが,ST,Tの変化はなかった

(写真3).血管造影法は,左肘静脈より,経静脈

性に心臓血管造影法を行なった,写真4の如く,

左右総頚動脈の著明な屈曲を認めた.

この患者は,精査の後退院,自宅にて内科的治

療を行なっているが,未だ,肩凝りと軽度の頭痛

がある.

考 按

頚動脈蛇行症は,高令の女性の右側頚部にみら

れる事が多く4)8)9)10),ほとんどの例が高血圧,動

脈硬化を伴っている4)5)6)7).著者らの症例も,52

才の女性で,高血圧(180/98mmHg)と,動脈硬

化を伴っていた.

症状は,高血圧によるもの,あるいは,単に腫

一 181 一

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瘤に対する不安感のみであり,血管の蛇行屈曲に

よる症状はない,といわれている,しかし,時に

患側の肩凝り,前頚部の圧迫感など,蛇行屈曲し

た動脈による圧迫症状と思われるものもある4)5).

本症は,若年者でも,大動脈絞窄や,大動脈弁

閉鎖不全のある場合に起こりうるという10).

成因について,Honigら9)は,動脈の硬化性変

化によって,動脈が伸展拡張するためと考え,同

時に左室肥大が生ずると,上行大動脈が営外上方

へ伸展,大動脈弓が上方へ押し上げられるため,

腕頭動脈,総頚動脈も上方に押し上げられてたる

みを生じ,屈曲蛇行するという.

また右側に屈曲蛇行が起きやすいのは,右総頚

動脈が,上方は甲状軟骨の部分で頚筋膜に固定さ

れ,一方,鎖骨下動脈の起始部近くが幾つかの分

枝で丁度錨を下したようになっているため9)11),

大動脈弓につき上げられると,この部分の腕頭動

脈や,右回頚動脈が相対的に長すぎる結果とな

り,蛇行屈曲が起きるという.

血行力学的に,右下頚動脈の方が,左側よりも

血流の衝撃を直接強く受けるのではないかという

意見もある3).

しかし,婦人の高血圧症,動脈硬化症の中で,

本症の見出される事は非常に稀であり,やはり,

斉藤7)の言う如く何らかの基本的素因を考えた

い.本症例も,両親とも脳温血で死亡しており,

患者も27才という若さで,両下肢の静脈瘤の手術

を受けた等,何らかの血管系の素因があるのでは

ないかと考える.

組織学的には,井口ら5)の手術例の検討による

と,切除血管の内膜は軽度肥厚しているが,アテ

P一ム様の変性は認められなかったという.また

菱田ら4)の例では,内膜の軽度のアテローム様肥

厚があり,中膜弾性線維には,部分的な消失はな

いが,全体としてやや配列が疎となっていたとい

う.

本症は,時として外来などで,動脈瘤との鑑別

が必要となるが,腫瘤が時により出現したり,消

失したりする,大きさを変え,移動する,動脈

性搏動の伝わり方が平等でない,経過が比較的長

く,経過期間に比して腫瘤の増大が著明でない等

の点が参考となる4).

正確には,動脈撮影を行なって鑑別するが,本

例の如く左総頚動脈にも屈曲が潜在していること

があり,閉門動脈または右総頚動脈のみでなく,

両側の総頚動脈を造影す旧きであると考える.経

静脈性心臓血管造影法によっても容易に両側頚動

脈造影を行なうことができる9)10)12).

治療は一般に必要としない,あるいは,手術

の危険性を考えて,禁忌であるという意見が多

い10).井口5),菱肝)らも原則として手術に反対

であるが,愁訴の強い患者に対し切除手術を行な

い,肩凝りの消失した例を報告している.

高血圧の治療を行なえば,蛇行性の減退,ある

いは消失をみるという報告もあり7)8)1。),本症が

両側性に来うることからも,1側性の手術は慎重

を要するとの意見もある7).すなわちParkinsoni3)

は474例中2例に,斉藤7)も3例中1例に両側蛇

行症を報告している.Kellyt4)の報告では,150

例中1/3が両側性であったという。

著者らの症例も,外見は1側性であったが,心

臓血管造影法により他側にも屈曲蛇行を認めた.

結 語

57才女性の高血圧症を伴った右側の総頚動脈蛇

行症に対し,血管造影法を行なったところ,左側

の総頚動脈も強度に蛇行しており,従来,右側に

多く注意を払われていた本症は,左側にも屈曲蛇

行が潜在する事があり,注意を要すると考えた.

また本症の発症には,何らかの素因が関係するの

ではないかとの意見もあり,その点でも参考にな

る症例と考え報告した.

稿を終るにあたり,御懇篤なる御指導御校閲を賜わ

った恩師榊原 任教授に深甚の謝意を表します.

文 献

1) Coulson, W.: J Path Soc London 3 302

(1852) 〔7より引用〕

2) Brown, G.E. & L.G. Rowntree: JAMA

84 1016 (1925)

3)大原 到・他:治療 401179(1958)

4)菱田泰治・他=手術13633(1959)

5)井口潔・他:外科22786(1960)

一 182 一

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6)神 交雄・他:外科治療9112(1963)

7)斉藤義一・他:治療4699(1964)8) Deterling, R.A.:. Angiology 3 483 (1952)

9) Honig, E.1. et al; Ann lnt Med 39 74

(1953)

10) Hsu, 1. et al: Arch lnt Med 98 712 (1956)

11) Anson, BJ. & W.G. Maddock: Callen一

der’s Surgical Anatomy, Third Edition, W.

B. Saunders Company, Phil. London P. 224

(1953) 〔4より引用〕

12) Honig, E.1. et al: Radiology 58 80 (1952)

13)Pa2㎞son, J.=Brit Heart J 1345(ユ939)

14)Ke皿y, A・B。: Jof Laryng.& otoL 4015

(1952)〔7より引用〕

一183一