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吉田初三郎の観光鳥瞰図にみる 回遊行動誘発システム 東京近郊の鉄道沿線鳥瞰図に着目して A system of inducement to travel on Hatsusaburo Yoshida’s bird’s-eye view - Focusing on the pictures railroad companies surrounding Tokyo - 05_21740 細井彩 Aya Hosoi 指導教員 齋藤潮 Adviser Ushio Saito 第1章 序論 1-1 背景と目的 鳥瞰図は上空から眺めるように描かれ、絵画的要素と地図 的要素を併せ持つ図である。鳥瞰的構図を持つ絵図は古くか ら描かれていたが、大正から昭和初期にかけて観光鳥瞰図と して大流行した。そのきっかけとなった人物が吉田初三郎で あり、作品は 2000 万部以上発行された。また、初三郎の描 いた鳥瞰図(以下、初三郎鳥瞰図)は観光案内としての他、 旅行土産として購入されており、視覚的な面白みがあると考 えられる。近年では全国各地で展覧会が開催されるなど、初 三郎鳥瞰図は 80 年以上経過した現在でも注目されている。 そこで本研究では、初三郎鳥瞰図にはその面白さとして仮 想の回遊行動が誘発される仕組みが隠されているとの仮説の もと、その特徴を抽出することを目的とする。 1-2 研究の位置づけ 関連する既往研究には、(a)吉田初三郎に関する研究、(b) 初三郎鳥瞰図を資料として用いた研究、(c)鳥瞰図に関する研 究がある。(a)として経歴や鳥瞰図のリストをまとめた水野ら の研究 (b)として初三郎鳥瞰図を用いて官庁街を分析した 松浦の研究 (c)として松井天山の鳥瞰図を詳細に分析した 中西の研究 が挙げられる。本研究は仮想の回遊行動の誘発シ ステムという観点から鳥瞰図と分析するという点で、先行研 究とは着眼が異なる。 1-3 研究の構成 第2章で初三郎鳥瞰図の概要を示すと共に対象鳥瞰図の選 定を行い、第3章では全体の構成を分析し、第4章で文字情 報や名所の空間描写を分析する。第5章において3章、4章 をもとに鳥瞰図上の回遊行動システムに関して考察し、第6 章で結論とする。 第2章 初三郎鳥瞰図の概要と対象鳥瞰図の選定 2-1 鳥瞰図の歴史と初三郎鳥瞰図登場の背景 鳥瞰的構図は古くは奈良時代の「春日曼荼羅」に見られ、 宗教的な意図を持つ絵画に用いられてきた。江戸時代に入り 旅の一般化するとともに、鳥瞰図にも変化が起こり、宗教画 から名所案内として描かれるようになった。更に大正時代に なると鉄道旅行ブームが起こり、また印刷技術の発達から鉄 道網を描いた色彩鮮やかな観光鳥瞰図が大流行した。 2-2 吉田初三郎の略歴と初三郎鳥瞰図の概要 初三郎は生涯に 1600 点以上の作品を描いたと言われてお り、制作年代により揺籃期、形成期、爛熟期、衰退期、終焉 期と分類できる 。また依頼者や内容により、神社仏閣鳥瞰図、 博覧会鳥瞰図、温泉名所鳥瞰図、都市鳥瞰図、鉄道沿線鳥瞰 図、航路鳥瞰図に分類できる 2-3 対象鳥瞰図の選定 本研究では、①明確な交通網②名所等の空間描写の2点か ら鉄道沿線鳥瞰図に着目し、③観光地と都心を繋ぐ路線沿線 であり、④形成期後半、爛熟期の⑤東京近郊の作品という 5 項目及び入手可能なものから「東武鉄道沿線名所圖繪」「小田 原急行鉄道沿線名所圖繪」「京王電車沿線名所圖繪」を対象と する。 第3章 初三郎鳥瞰図の全体構造分析 3-1 描画範囲の分析 図中の文字情報を地図上にプロットすることで、鳥瞰図の 描画範囲を把握した。その結果、タイトル路線を中心に国内 では北海道から九州、国外では上海や南洋諸島まで描かれて いることがわかった。 3-2 構成要素の抽出 鳥瞰図を構成する要素には、地形【①山②海③平野】、交通 網【④鉄道⑤道路】、【⑥文字情報】、【⑦名所】が描かれてい る。そのうち、タイトル路線は画面左右方向に直線的にかつ 他路線よりも太く強調され、道路は沿線名所と最寄り駅の関 係を重視して描かれていることがわかった。 3-3 構成要素による鳥瞰図の構成 3-2 で抽出した7要素をもとに鳥瞰図をレイヤーに分解し、 これらを組み換えることで鳥瞰図の構成の特徴を解読した。 例として「小田原急行鉄道沿線名所圖繪」で組み換えたもの を以下に示す。 鉄道レイヤーのみを抽出すると、一般に見られるような路 線図状の画像となる(図2)。地形レイヤーだけを抽出すると 1 小田原急行鉄道沿線名所圖繪(1927)

吉田初三郎の観光鳥瞰図にみる 回遊行動誘発システム吉田初三郎の観光鳥瞰図にみる 回遊行動誘発システム 東京近郊の鉄道沿線鳥瞰図に着目して

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Page 1: 吉田初三郎の観光鳥瞰図にみる 回遊行動誘発システム吉田初三郎の観光鳥瞰図にみる 回遊行動誘発システム 東京近郊の鉄道沿線鳥瞰図に着目して

吉田初三郎の観光鳥瞰図にみる 回遊行動誘発システム

東京近郊の鉄道沿線鳥瞰図に着目して

A system of inducement to travel

on Hatsusaburo Yoshida’s bird’s-eye view - Focusing on the pictures railroad companies surrounding Tokyo -

05_21740 細井彩 Aya Hosoi

指導教員 齋藤潮 Adviser Ushio Saito 第1章 序論 1-1 背景と目的 鳥瞰図は上空から眺めるように描かれ、絵画的要素と地図

的要素を併せ持つ図である。鳥瞰的構図を持つ絵図は古くか

ら描かれていたが、大正から昭和初期にかけて観光鳥瞰図と

して大流行した。そのきっかけとなった人物が吉田初三郎で

あり、作品は 2000万部以上発行された。また、初三郎の描いた鳥瞰図(以下、初三郎鳥瞰図)は観光案内としての他、

旅行土産として購入されており、視覚的な面白みがあると考

えられる。近年では全国各地で展覧会が開催されるなど、初

三郎鳥瞰図は 80年以上経過した現在でも注目されている。 そこで本研究では、初三郎鳥瞰図にはその面白さとして仮

想の回遊行動が誘発される仕組みが隠されているとの仮説の

もと、その特徴を抽出することを目的とする。 1-2 研究の位置づけ 関連する既往研究には、(a)吉田初三郎に関する研究、(b)初三郎鳥瞰図を資料として用いた研究、(c)鳥瞰図に関する研究がある。(a)として経歴や鳥瞰図のリストをまとめた水野らの研究1、(b)として初三郎鳥瞰図を用いて官庁街を分析した松浦の研究2、(c)として松井天山の鳥瞰図を詳細に分析した中西の研究3が挙げられる。本研究は仮想の回遊行動の誘発シ

ステムという観点から鳥瞰図と分析するという点で、先行研

究とは着眼が異なる。 1-3 研究の構成 第2章で初三郎鳥瞰図の概要を示すと共に対象鳥瞰図の選

定を行い、第3章では全体の構成を分析し、第4章で文字情

報や名所の空間描写を分析する。第5章において3章、4章

をもとに鳥瞰図上の回遊行動システムに関して考察し、第6

章で結論とする。 第2章 初三郎鳥瞰図の概要と対象鳥瞰図の選定 2-1 鳥瞰図の歴史と初三郎鳥瞰図登場の背景 鳥瞰的構図は古くは奈良時代の「春日曼荼羅」に見られ、

宗教的な意図を持つ絵画に用いられてきた。江戸時代に入り

旅の一般化するとともに、鳥瞰図にも変化が起こり、宗教画

から名所案内として描かれるようになった。更に大正時代に

なると鉄道旅行ブームが起こり、また印刷技術の発達から鉄

道網を描いた色彩鮮やかな観光鳥瞰図が大流行した。 2-2 吉田初三郎の略歴と初三郎鳥瞰図の概要 初三郎は生涯に 1600点以上の作品を描いたと言われており、制作年代により揺籃期、形成期、爛熟期、衰退期、終焉

期と分類できる4。また依頼者や内容により、神社仏閣鳥瞰図、

博覧会鳥瞰図、温泉名所鳥瞰図、都市鳥瞰図、鉄道沿線鳥瞰

図、航路鳥瞰図に分類できる5。 2-3 対象鳥瞰図の選定 本研究では、①明確な交通網②名所等の空間描写の2点か

ら鉄道沿線鳥瞰図に着目し、③観光地と都心を繋ぐ路線沿線

であり、④形成期後半、爛熟期の⑤東京近郊の作品という 5項目及び入手可能なものから「東武鉄道沿線名所圖繪」「小田

原急行鉄道沿線名所圖繪」「京王電車沿線名所圖繪」を対象と

する。 第3章 初三郎鳥瞰図の全体構造分析 3-1 描画範囲の分析 図中の文字情報を地図上にプロットすることで、鳥瞰図の

描画範囲を把握した。その結果、タイトル路線を中心に国内

では北海道から九州、国外では上海や南洋諸島まで描かれて

いることがわかった。 3-2 構成要素の抽出 鳥瞰図を構成する要素には、地形【①山②海③平野】、交通

網【④鉄道⑤道路】、【⑥文字情報】、【⑦名所】が描かれてい

る。そのうち、タイトル路線は画面左右方向に直線的にかつ

他路線よりも太く強調され、道路は沿線名所と最寄り駅の関

係を重視して描かれていることがわかった。 3-3 構成要素による鳥瞰図の構成 3-2で抽出した7要素をもとに鳥瞰図をレイヤーに分解し、これらを組み換えることで鳥瞰図の構成の特徴を解読した。

例として「小田原急行鉄道沿線名所圖繪」で組み換えたもの

を以下に示す。 鉄道レイヤーのみを抽出すると、一般に見られるような路

線図状の画像となる(図2)。地形レイヤーだけを抽出すると

図 1 小田原急行鉄道沿線名所圖繪(1927)

Page 2: 吉田初三郎の観光鳥瞰図にみる 回遊行動誘発システム吉田初三郎の観光鳥瞰図にみる 回遊行動誘発システム 東京近郊の鉄道沿線鳥瞰図に着目して

図2 鉄道レイヤー(小田原急行鉄道沿線名所圖繪より作成)

図3 地形レイヤー(小田原急行鉄道沿線名所圖繪より作成)

表1 文字情報ラベルの種類一覧

表2 各鳥瞰図のラベル数

図4 箱根山へのアクセスルート

表3 「小田原急行鉄道沿線名所圖繪」拡大名所一覧

図5「東海道写真五十三次勝景」 部分 五雲亭貞秀画(1860)

風景画のような画像となる(図3)。また、名所文字レイヤー

と地形レイヤーを重ねると近世の名所図のような画像となる。 これらより、初三郎鳥瞰図は少なくとも鉄道利用の便宜、風

景観賞、名所廻りという側面を統合したものだと言える。 第4章 初三郎鳥瞰図の詳細分析 4-1 文字情報の分析 4-1-1 文字情報の表記方法 文字情報は表1のように楕円や長方形で囲まれ描かれてい

る(以下、ラベル)。ここで鳥瞰図の題名に含まれる路線をタ

イトル路線と呼称する。タイトル路線は青い楕円、その他の

路線の駅は赤もしくは白の楕円であり、序列化されている。

名所についても同様である。 4-1-2 文字情報の抽出 各鳥瞰図から文字情報を抽出し、ラベルごとにまとめると

表2のようになり、駅数が多いほど名所数も多くなっている。

4-2 名所及び周辺の空間描写 4-2-1 名所分類 空間描写のある名所を「拡

大名所」、ないものを「通常名

所」と定義する。拡大名所は

さらにその描き方により、【第

1種名所】建築物等の簡単な

描写のみ、【第2種名所】敷地境界が明確で複数の建築物があ

るもの、【第3種名所】名所内に別の名所があるものと分類し

た。 4-2-2 拡大名所の抽出 表3は「小田原急行鉄道沿線名所圖繪」の拡大名所を抽出し

たものである。 4-2-3 名所と交通の関係 4-2-2で示したもののうち、【第3種名所】について交通ルートと名所の関

係を分析した。例として「小田原急行

鉄道沿線名所圖繪」の箱根山を示す。 箱根山には、小田急線の終点小田原

駅から市電に乗り換えアクセスできる。 市電沿線には複数の温泉が、蘆ノ湖付近には名所として神社

や関所址が描かれており、鑑賞者に周遊を意識させるように

配置されていると考えられる。 第5章 考察 5-1 五雲亭貞秀の鳥瞰図 五雲亭貞秀は吉田初三郎が参考

にしたといわれる近代の絵師の一

人である。貞秀の「東海道写真五十

三次勝景(図5)」は東海道に沿っ

て俯瞰的視点で地形、宿場町、名所

が描かれているが、交通路の表現が

曖昧であるために仮想の移動が困

難であるとともに、文字ラベルの序

列化が弱い。これと比較すると、初

三郎鳥瞰図はラベルの序列化や交

通網の描き方、拡大名所の詳細描写

より、鑑賞者の視線が誘導的に且つ

随所で止まりながら動いていく図

であると言える。

5-2 回遊行動誘発システムに関する考察 初三郎鳥瞰図では詳細な名所から世界地図規模までが同時

に描写されており、仮想の回遊行動に広がりが感じられる。

また詳細に描写された名所は名所内部の空間においてミクロ

スケールの回遊も可能である。描画範囲や交通網の描写によ

って誘発される移動と名所の空間描写によって誘発される名

所内外での行動を組み合わせることで回遊行動となる。さら

に、要素の序列化により目的地検索、移動手段の選択が容易

になり、仮想の旅程が組み易くなっている。 第6章 結論 初三郎鳥瞰図には以下のような特徴があり、これらが観察

者に仮想の回遊行動を誘発するものと考えられる。 1. 描画範囲がタイトル路線沿線を中心に世界規模にまでわたることで、観察者はタイトル路線上の移動から日本、世

界に及ぶ旅の広がりを仮想することができる。 2. 鳥瞰図は鉄道路線図、風景画、名所図の要素を兼ね備えていることから鉄道の乗り換えや風景観賞、名所探訪とい

った通常の観光旅行で経験しうることを観察者が仮想体験

できる。 3. 詳細な名所・沿道描写により、鉄道移動、最寄り駅から名所への移動、名所の周遊を仮想的に体験できる

4. 文字表記にヒエラルキーがあることで、目的地検索が容易に行え、仮想旅程を組上げやすくなっている。

1.水野信太郎・水野由美「都市鳥瞰図と吉田初三郎」金沢学院大学都市学研究所 1999 2.松浦健太郎「吉田初三郎鳥瞰図に描かれた昭和初期の官庁街の立体的空間構成:近世城下町を基盤とする県庁所在都市 18都市を対象として」日本建築学会計画系論文集 2006 3.中西僚太郎「昭和初期の市街鳥瞰図に関する一考察—松井天山の「千葉市街鳥瞰」を事例として—」千葉大学教育学部地理学研究報告 2000 4.佐藤達一郎「大正・昭和戦前期の沿線案内名所図絵(初三郎式鳥瞰図) 吉田初三郎・金子常光両画伯の略譜」月刊古地図研究 第 13巻 6号 1983 5.前掲(4)