2
自然界や日常生 活のいたるところで目にする球体、たとえばビー 玉やパチンコ玉はまん丸に見える。しかし、実は 数十 μm程度に過ぎないものの歪 いびつ である(図 1 )。理想の真球に比べれば、最高級の転がり 軸受用鋼球ですら 0.1μm 以上は歪んでいる。 完全無欠な真球を作り出すことは技術的には おろか、造化の神の手に拠っても叶わないので ある。 地球も丸いと思われているが、正確には両極 直径と赤道直径の差異が40数 kmもある。その ため地球を扁球体と見る向きもあるが、卵に譬 えると殻の厚さにも満たない偏差である。すなわ ち、地球の直径(約 12,800km)に対するこの偏 差比率 3×10 -3 は、径 10mmφの球体に置き換 えると数 μm の歪みに相当することになり、軸受 用鋼球には及ばないまでも、ビー玉などより 1 桁 高い“丸さ”ということになる。 図 1 中国製健康ボールと真円度 相対精度の譬 えとして、シリコンウエハの研磨技術(平坦度: 数 μm)がしばしば引き合いに出される。後楽園 球場のグランドを凹凸数 mm の平坦さに均すこ とに匹敵する、というメタファーである。球場の広 さ(100m 程度)に対するグランド表面凹凸数 mmの相対比(この例では10 -5 オーダ)から両者 は同等の難易度とされる訳である。これはもの づくりの経験から発する技術思想である。すな わち、製品精度を確保するための加工の難易 度は、幾何偏差の絶対精度そのものよりも、製 品寸法に対する相対精度によるところが大きい のであり、この論理では、1mmφ 小球の真球偏 差:10nmと100mmφ大球の真球偏差:1μmを 比べると、両者の加工難易度を同等と見るので ある。 たますり 昨今、ナノテクノ ロジーを標榜して、表面粗さの絶対値“ナノメー タnm”をもってハイテク技術を誇示する嫌いがあ るが、幾何偏差の相対精度の方が製品機能に とってより切実である。相対精度によって加工 法と計測機器を比べたのが図2である。先ほど のシリコンウエハの平坦化は、同図では超精密 ~ナノ技術の領域に属している。一方、玉磨 たますり 術はと言えば更にその上、超ナノテクノロジーの 領域にあることに気付かされる。 相対精度の意義は計 測技術にも通じている。1m を 1mm の目盛で測 定する物差しの相対精度 1×10 -3 は、1mm当た 50μm 5× 10 ‐4 50μm 12回連載 技術エッセイ 球体のはなし 12回連載 技術エッセイ 柴田順二(芝浦工業大学名誉教授) 第4 “丸さ”を測る難しさ 50 砥粒加工学会誌 Journal of the Japan Society for Abrasive Technology Vol.56 No.1 2012 JAN. 50-51 50

球体のはなし · 2017. 11. 9. · かろうじてjis b 1501 「玉軸受け 用鋼球」に“鋼球の表面に外接する最小球面 と鋼球表面の各点との半径方向の距離の最大

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Page 1: 球体のはなし · 2017. 11. 9. · かろうじてjis b 1501 「玉軸受け 用鋼球」に“鋼球の表面に外接する最小球面 と鋼球表面の各点との半径方向の距離の最大

丸 いようで丸 くない球 玉 自 然 界 や日 常 生

活 のいたるところで目 にする球 体 、たとえばビー

玉 やパチンコ玉 はまん丸 に見 える。しかし、実 は

数 十 μm程 度 に過 ぎないものの 歪いびつ

である(図

1)。理 想 の真 球 に比 べれば、最 高 級 の転 がり

軸 受 用 鋼 球 ですら 0.1μm 以 上 は歪 んでいる。

完 全 無 欠 な真 球 を作 り出 すことは技 術 的 には

おろか、造 化 の神 の手 に拠 っても叶 わないので

ある。

地 球 も丸 いと思 われているが、正 確 には両 極

直 径 と赤 道 直 径 の差 異 が 40 数 km もある。その

ため地 球 を扁 球 体 と見 る向 きもあるが、卵 に譬

えると殻 の厚 さにも満 たない偏 差 である。すなわ

ち、地 球 の直 径 (約 12,800km)に対 するこの偏

差 比 率 3×10-3 は、径 10mmφの球 体 に置 き換

えると数 μm の歪 みに相 当 することになり、軸 受

用 鋼 球 には及 ばないまでも、ビー玉 などより 1 桁

高 い“丸 さ”ということになる。

図 1 中 国 製 健 康 ボールと真 円 度

相 対 精 度 と技 術 の難 易 度 相 対 精 度 の譬

えとして、シリコンウエハの研 磨 技 術 (平 坦 度 :

数 μm)がしばしば引 き合 いに出 される。後 楽 園

球 場 のグランドを凹 凸 数 mm の平 坦 さに均 すこ

とに匹 敵 する、というメタファーである。球 場 の広

さ(100m 程 度 )に 対 するグランド表 面 凹 凸 数

mm の相 対 比 (この例 では 10-5 オーダ)から両 者

は同 等 の難 易 度 とされる訳 である。これはもの

づくりの経 験 から発 する技 術 思 想 である。すな

わち、製 品 精 度 を確 保 するための加 工 の難 易

度 は、幾 何 偏 差 の絶 対 精 度 そのものよりも、製

品 寸 法 に対 する相 対 精 度 によるところが大 きい

のであり、この論 理 では、1mmφ 小 球 の真 球 偏

差 :10nm と 100mmφ 大 球 の真 球 偏 差 :1μm を

比 べると、両 者 の加 工 難 易 度 を同 等 と見 るので

ある。

玉 磨た ま す り

は超 ナノテクノロジー 昨 今 、ナノテクノ

ロジーを標 榜 して、表 面 粗 さの絶 対 値 “ナノメー

タ nm”をもってハイテク技 術 を誇 示 する嫌 いがあ

るが、幾 何 偏 差 の相 対 精 度 の方 が製 品 機 能 に

とってより切 実 である。相 対 精 度 によって加 工

法 と計 測 機 器 を比 べたのが図 2である。先 ほど

のシリコンウエハの平 坦 化 は、同 図 では超 精 密

~ナノ技 術 の領 域 に属 している。一 方 、玉 磨た ま す り

術 はと言 えば更 にその上 、超 ナノテクノロジーの

領 域 にあることに気 付 かされる。

“丸 さ”の測 定 � 理 相 対 精 度 の意 義 は計

測 技 術 にも通 じている。1m を 1mm の目 盛 で測

定 する物 差 しの相 対 精 度 1×10-3 は、1mm 当 た

���: 50μm������:5×10‐4

50μm

12回連載 技術エッセイ

球体のはなし

12回連載 技術エッセイ

柴田順二(芝浦工業大学名誉教授)

第4話 “丸さ”を測る難しさ [����]

10‐2

10‐3

10‐4

10‐5

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図 2 加 工 ・測 定 技 術 の相 対 精 度

り 1μm の分 解 能 に相 当 する難 易 度 である。呼

び 寸 法 10mmφ の 軸 受 用 鋼 球 の 直 径 不 同

100nm を保 証 するには、測 定 精 度 1×10-5 の計

測 機 器 を要 する訳 だが、図 2 に見 るように、これ

に 対 応 するの は容 易 ではない。況 んや、球 径

100mmφ/真 球 偏 差 100nm(相 対 精 度 1ppm)

という Si 単 結 晶 標 準 球 の絶 対 寸 法 とその偏 差

を共 に検 出 できる計 測 法 が直 ぐに思 い浮 かぶ

であろうか? このことは、真 球 度 の判 定 に必 要

とされる相 対 偏 差 :数 十 ppm(×10-6)オーダの

検 出 を 3 次 元 絶 対 座 標 系 の測 長 機 器 によって

臨 むことの無 謀 さを示 唆 している。そのため、球

体 偏 差 を ppm の分 解 能 で測 定 するに当 たって

は、データム(基 準 位 置 )からの偏 差 量 を検 出

するのが定 石 となっている。真 球 度 の測 定 にお

けるデータムには、球 面 データムが望 ましいのは

当 然 である。真 円 度 計 コンパレータには、×20

~100 万 倍 の検 出 感 度 を謳 っているブランド機

種 も見 られる。

“� さ”の 3 次 元 評 価 現 実 の球 体 は、立

体 的 に歪 んでいる(図 3)。したがって本 来 、真

球 度 はこの偏 差 の 3 次 元 的 な評 価 数 値 でなけ

れ ば な ら な い 。 そ れ に は 交 差 す る 回 転 2 軸

(R×R)によって創 成 される赤 道 座 標 系 球 面 デ

ータムに基 づく評 価 法 が理 想 である(図 4)。し

かし球 体 全 面 を計 測 するには、その途 上 で被

測 定 球 体 の把 持 換 えを一 度 やり直 さなければ

ならないことが乗 り越 え難 い死 の谷 となって、こ

の実 用 化 を阻 んでいる。結 局 、真 球 度 に関 する

公 式 な規 格 が未 だ定 まらず、曖 昧 なまま今 日 に

至 っている。かろうじて JIS B 1501 「玉 軸 受 け

用 鋼 球 」に“鋼 球 の表 面 に外 接 する最 小 球 面

と鋼 球 表 面 の各 点 との半 径 方 向 の距 離 の最 大

値 ”とする真 球 度 定 義 の文 言 が見 られるのみで

ある。実 務 的 には、球 体 輪 切 り断 面 の真 円 度

(ISO や JIS 規 格 )による近 似 評 価 によって妥 協

しているのが実 情 である。すなわち、真 円 精 度

測 定 機 によって検 出 した複 数 の真 円 度 を採 取

することで球 体 の 3 次 元 偏 差 を近 似 的 に判 定

することが慣 習 化 した。JIS B 0621 の真 円 度 定

義 において、「円 」→「球 」に読 み替 えることで、

特 段 の不 都 合 も無 く過 ごしてきたのである。なお、

球 体 の 2 次 元 真 円 度 と 3 次 元 真 球 度 の比 “真

円 度 /真 球 度 ”は、平 均 0.33 程 度 であるという

研 究 報 告 もある。

図 3 球 体 の 3 次 元 的 な歪 み

図 4 球 極 座 標 系 による球 体 偏 差 の測 定

50

砥粒加工学会誌

Journal of the Japan Society for Abrasive Technology Vol.56 No.1 2012 JAN. 50-51

50

Page 2: 球体のはなし · 2017. 11. 9. · かろうじてjis b 1501 「玉軸受け 用鋼球」に“鋼球の表面に外接する最小球面 と鋼球表面の各点との半径方向の距離の最大

丸 いようで丸 くない球 玉 自 然 界 や日 常 生

活 のいたるところで目 にする球 体 、たとえばビー

玉 やパチンコ玉 はまん丸 に見 える。しかし、実 は

数 十 μm程 度 に過 ぎないものの 歪いびつ

である(図

1)。理 想 の真 球 に比 べれば、最 高 級 の転 がり

軸 受 用 鋼 球 ですら 0.1μm 以 上 は歪 んでいる。

完 全 無 欠 な真 球 を作 り出 すことは技 術 的 には

おろか、造 化 の神 の手 に拠 っても叶 わないので

ある。

地 球 も丸 いと思 われているが、正 確 には両 極

直 径 と赤 道 直 径 の差 異 が 40 数 km もある。その

ため地 球 を扁 球 体 と見 る向 きもあるが、卵 に譬

えると殻 の厚 さにも満 たない偏 差 である。すなわ

ち、地 球 の直 径 (約 12,800km)に対 するこの偏

差 比 率 3×10-3 は、径 10mmφの球 体 に置 き換

えると数 μm の歪 みに相 当 することになり、軸 受

用 鋼 球 には及 ばないまでも、ビー玉 などより 1 桁

高 い“丸 さ”ということになる。

図 1 中 国 製 健 康 ボールと真 円 度

相 対 精 度 と技 術 の難 易 度 相 対 精 度 の譬

えとして、シリコンウエハの研 磨 技 術 (平 坦 度 :

数 μm)がしばしば引 き合 いに出 される。後 楽 園

球 場 のグランドを凹 凸 数 mm の平 坦 さに均 すこ

とに匹 敵 する、というメタファーである。球 場 の広

さ(100m 程 度 )に 対 するグランド表 面 凹 凸 数

mm の相 対 比 (この例 では 10-5 オーダ)から両 者

は同 等 の難 易 度 とされる訳 である。これはもの

づくりの経 験 から発 する技 術 思 想 である。すな

わち、製 品 精 度 を確 保 するための加 工 の難 易

度 は、幾 何 偏 差 の絶 対 精 度 そのものよりも、製

品 寸 法 に対 する相 対 精 度 によるところが大 きい

のであり、この論 理 では、1mmφ 小 球 の真 球 偏

差 :10nm と 100mmφ 大 球 の真 球 偏 差 :1μm を

比 べると、両 者 の加 工 難 易 度 を同 等 と見 るので

ある。

玉 磨た ま す り

は超 ナノテクノロジー 昨 今 、ナノテクノ

ロジーを標 榜 して、表 面 粗 さの絶 対 値 “ナノメー

タ nm”をもってハイテク技 術 を誇 示 する嫌 いがあ

るが、幾 何 偏 差 の相 対 精 度 の方 が製 品 機 能 に

とってより切 実 である。相 対 精 度 によって加 工

法 と計 測 機 器 を比 べたのが図 2である。先 ほど

のシリコンウエハの平 坦 化 は、同 図 では超 精 密

~ナノ技 術 の領 域 に属 している。一 方 、玉 磨た ま す り

術 はと言 えば更 にその上 、超 ナノテクノロジーの

領 域 にあることに気 付 かされる。

“丸 さ”の測 定 � 理 相 対 精 度 の意 義 は計

測 技 術 にも通 じている。1m を 1mm の目 盛 で測

定 する物 差 しの相 対 精 度 1×10-3 は、1mm 当 た

���: 50μm������:5×10‐4

50μm

12回連載 技術エッセイ

球体のはなし

12回連載 技術エッセイ

柴田順二(芝浦工業大学名誉教授)

第4話 “丸さ”を測る難しさ [����]

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図 2 加 工 ・測 定 技 術 の相 対 精 度

り 1μm の分 解 能 に相 当 する難 易 度 である。呼

び 寸 法 10mmφ の 軸 受 用 鋼 球 の 直 径 不 同

100nm を保 証 するには、測 定 精 度 1×10-5 の計

測 機 器 を要 する訳 だが、図 2 に見 るように、これ

に 対 応 するの は容 易 ではない。況 んや、球 径

100mmφ/真 球 偏 差 100nm(相 対 精 度 1ppm)

という Si 単 結 晶 標 準 球 の絶 対 寸 法 とその偏 差

を共 に検 出 できる計 測 法 が直 ぐに思 い浮 かぶ

であろうか? このことは、真 球 度 の判 定 に必 要

とされる相 対 偏 差 :数 十 ppm(×10-6)オーダの

検 出 を 3 次 元 絶 対 座 標 系 の測 長 機 器 によって

臨 むことの無 謀 さを示 唆 している。そのため、球

体 偏 差 を ppm の分 解 能 で測 定 するに当 たって

は、データム(基 準 位 置 )からの偏 差 量 を検 出

するのが定 石 となっている。真 球 度 の測 定 にお

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当 然 である。真 円 度 計 コンパレータには、×20

~100 万 倍 の検 出 感 度 を謳 っているブランド機

種 も見 られる。

“� さ”の 3 次 元 評 価 現 実 の球 体 は、立

体 的 に歪 んでいる(図 3)。したがって本 来 、真

球 度 はこの偏 差 の 3 次 元 的 な評 価 数 値 でなけ

れ ば な ら な い 。 そ れ に は 交 差 す る 回 転 2 軸

(R×R)によって創 成 される赤 道 座 標 系 球 面 デ

ータムに基 づく評 価 法 が理 想 である(図 4)。し

かし球 体 全 面 を計 測 するには、その途 上 で被

測 定 球 体 の把 持 換 えを一 度 やり直 さなければ

ならないことが乗 り越 え難 い死 の谷 となって、こ

の実 用 化 を阻 んでいる。結 局 、真 球 度 に関 する

公 式 な規 格 が未 だ定 まらず、曖 昧 なまま今 日 に

至 っている。かろうじて JIS B 1501 「玉 軸 受 け

用 鋼 球 」に“鋼 球 の表 面 に外 接 する最 小 球 面

と鋼 球 表 面 の各 点 との半 径 方 向 の距 離 の最 大

値 ”とする真 球 度 定 義 の文 言 が見 られるのみで

ある。実 務 的 には、球 体 輪 切 り断 面 の真 円 度

(ISO や JIS 規 格 )による近 似 評 価 によって妥 協

しているのが実 情 である。すなわち、真 円 精 度

測 定 機 によって検 出 した複 数 の真 円 度 を採 取

することで球 体 の 3 次 元 偏 差 を近 似 的 に判 定

することが慣 習 化 した。JIS B 0621 の真 円 度 定

義 において、「円 」→「球 」に読 み替 えることで、

特 段 の不 都 合 も無 く過 ごしてきたのである。なお、

球 体 の 2 次 元 真 円 度 と 3 次 元 真 球 度 の比 “真

円 度 /真 球 度 ”は、平 均 0.33 程 度 であるという

研 究 報 告 もある。

図 3 球 体 の 3 次 元 的 な歪 み

図 4 球 極 座 標 系 による球 体 偏 差 の測 定

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砥粒加工学会誌

Journal of the Japan Society for Abrasive Technology Vol.56 No.1 2012 JAN. 50-51

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