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1 石油・天然ガスレビュー アナリシス 石油大国イラクの行く末は? -国家分裂の危機に直面する OPEC 第2の産油国- (1)「イスラーム国(IS)」とは一体どんな組織なのか まず、混乱を招きやすい組織の呼称について。ISIS と は「イラクとシャームのイスラーム国(Islamic State in Iraq and al-Sham)」の頭文字である。アラビア語で Shamとは、おおむね現在のシリア、レバノン、ヨルダン、 イスラエル、パレスチナなどを含めた地域を指し、日本 では「大シリア」「歴史的シリア」とも訳される。一方、 同地域を指す言葉として欧州列強が 2 0 世紀中頃まで用 いていた「Levant」という呼び名も存在する。このため、 国連関係者や米高官などは「イラクとレバントのイス ラーム国(ISIL)」という呼称を採用している。 ちなみにISIS(ISIL)はアラビア語では「al-Dawla al- Islamiya fi Iraq wa al-Sham」と表記され、その頭文字を 取ってアラビア語圏では一般的に「Dā‘ish」と呼ばれて いる。6 月 2 9 日に ISIS 指導者のアブー・バクル・アル・ バグダーディー(Abu Bakr al-Baghdadi al-Husseini al- Quraishi〈本名 Ibrahim Awwad Ibrahim Ali al-Badri al- Samarrai/ 写1写2〉)がカリフ制国家の樹立を宣言し JOGMEC 調査部 増野 伊登 イラクは原油の埋蔵量では世界第 5 位に位置し、開発コストの比較的安いイージーオイルの宝庫とし て大きなビジネスポテンシャルを有している。しかし、イラク建国から約1世紀がたとうとしている今、 第一次世界大戦後に欧州列強の手で人為的に画定された国境を破壊し、イスラーム国家の再興をもくろ むテロ集団がイラクを混乱に陥れている。 2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」 (当時は「イラクとシャー ムのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していたのであ るが、曲がりなりにも米軍の軍事訓練を受けたイラク正規軍が、北部最大の都市を 1 武装勢力の手に明 け渡してしまうなど誰が予測できただろうか。 現在 ISはスンナ派住民が多数を占める北西部を中心に着々と支配域を広げており、イラク軍だけで なくクルディスタン地域政府(KRG)軍ペシュメルガも苦戦を強いられているのが現状だ。これを受け 米国は 8 月 7 日に空爆の断行を承認し直接的な軍事介入に踏み切った。治安回復に向け一定の成果が期 待されるが、依然として IS の勢力は衰えていないように見受けられる。 一丸となって事態の打開に臨むべきイラク政府はといえば、モースル陥落時には奇 しくも国民議会選 挙を終えたばかりという微妙かつ不安定な時期にあり、各政党間で連立交渉が行われているさなかで あった。資源の帰属をめぐり 6 月以降、更に悪化した KRG との対立で組閣は暗礁に乗り上げることが 予想された。しかし選挙後 3 カ月という短期間でイラク連邦議会は議長と大統領の選出にこぎ着け、8 月 1 1 日にはシーア派のハイダル・アバディ氏が新イラク首相に指名された。規定ではこの後 3 0 日以内 に新政権が正式に発足する運びであり、世界中がその行方に注目している。 本稿では、 ISの侵攻がイラクの資源開発、引いては中東からの原油に依存するわが国にとってどういっ た意味合いを持つのかを検証したい。 なお、本稿は 2 0 1 4 年 8 月 2 6 日時点の情報に基づいている。 じめに 1. 「イスラーム国(IS)」によるイラク侵攻

石油大国イラクの行く末は?...2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」(当時は「イラクとシャー ムのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していた

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石油大国イラクの行く末は?-国家分裂の危機に直面する OPEC 第2の産油国-

(1)「イスラーム国(IS)」とは一体どんな組織なのか

 まず、混乱を招きやすい組織の呼称について。ISISとは「イラクとシャームのイスラーム国(Islamic State in Iraq and al-Sham)」の頭文字である。アラビア語でShamとは、おおむね現在のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、パレスチナなどを含めた地域を指し、日本では「大シリア」「歴史的シリア」とも訳される。一方、同地域を指す言葉として欧州列強が20世紀中頃まで用いていた「Levant」という呼び名も存在する。このため、

国連関係者や米高官などは「イラクとレバントのイスラーム国(ISIL)」という呼称を採用している。 ちなみにISIS(ISIL)はアラビア語では「al-Dawla al-Islamiya fi Iraq wa al-Sham」と表記され、その頭文字を取ってアラビア語圏では一般的に「Dā‘ish」と呼ばれている。6月29日にISIS指導者のアブー・バクル・アル・バグダーディー(Abu Bakr al-Baghdadi al-Husseini al-Quraishi〈本名Ibrahim Awwad Ibrahim Ali al-Badri al-Samarrai/写1、写2〉)がカリフ制国家の樹立を宣言し

JOGMEC調査部 増野 伊登

 イラクは原油の埋蔵量では世界第5位に位置し、開発コストの比較的安いイージーオイルの宝庫として大きなビジネスポテンシャルを有している。しかし、イラク建国から約1世紀がたとうとしている今、第一次世界大戦後に欧州列強の手で人為的に画定された国境を破壊し、イスラーム国家の再興をもくろむテロ集団がイラクを混乱に陥れている。 2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」(当時は「イラクとシャームのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していたのであるが、曲がりなりにも米軍の軍事訓練を受けたイラク正規軍が、北部最大の都市を1武装勢力の手に明け渡してしまうなど誰が予測できただろうか。 現在ISはスンナ派住民が多数を占める北西部を中心に着々と支配域を広げており、イラク軍だけでなくクルディスタン地域政府(KRG)軍ペシュメルガも苦戦を強いられているのが現状だ。これを受け米国は8月7 日に空爆の断行を承認し直接的な軍事介入に踏み切った。治安回復に向け一定の成果が期待されるが、依然としてISの勢力は衰えていないように見受けられる。 一丸となって事態の打開に臨むべきイラク政府はといえば、モースル陥落時には奇

しくも国民議会選挙を終えたばかりという微妙かつ不安定な時期にあり、各政党間で連立交渉が行われているさなかであった。資源の帰属をめぐり6月以降、更に悪化したKRGとの対立で組閣は暗礁に乗り上げることが予想された。しかし選挙後3カ月という短期間でイラク連邦議会は議長と大統領の選出にこぎ着け、8月11日にはシーア派のハイダル・アバディ氏が新イラク首相に指名された。規定ではこの後30日以内に新政権が正式に発足する運びであり、世界中がその行方に注目している。 本稿では、ISの侵攻がイラクの資源開発、引いては中東からの原油に依存するわが国にとってどういった意味合いを持つのかを検証したい。 なお、本稿は2014年8月26日時点の情報に基づいている。

はじめに

1. 「イスラーム国(IS)」によるイラク侵攻

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Page 2: 石油大国イラクの行く末は?...2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」(当時は「イラクとシャー ムのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していた

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て以降は「イスラーム国(IS:Islamic State)」と名称が変更されたため、本稿で今後同組織の活動に言及する際にはISと呼ぶこととしたい。 ISは、かつてAbu Musab al-Zarqawi(2006年没)が率いた「タウヒードとジハード団」を前身とする組織である。イラク戦争さなかの2004年に日本人男性が誘拐・殺害された事件の首謀者と目されるのがこの「タウヒードとジハード団」であり、本国メディアでも大きく取り上げられた。諸勢力との連携や合流、またアルカーイダへの忠誠を宣言するなどの変遷を経て、2013年には

「イラクとシャームのイスラーム国(ISIS)」と改称した。しかし、アルカーイダの指導者ザワーヒリー氏への不従順や過激な思想・活動内容が問題視されるようになり、アルカーイダとの関係が悪化、後に袂

たもと

を分かったとされる。 ISの活動目的は、スンナ派イスラーム教徒の保護や、第一次世界大戦後欧州列強によって一方的に取り決められた国境を破壊し、預言者ムハンマドの代理人であるカリフを指導者に冠したイスラーム法に基づくカリフ制国家を樹立することである*1。これを実現すべく、2013年3月にはシリア北部の都市ラッカを制圧、2014年1月にはバグダードの西60 ㎞に位置する都市ファルージャを占拠するなど、着々と支配地の拡大を図ってきた。6月29日にカリフ制国家の樹立を宣言して「イスラーム国(IS)」と改称したのと時を同じくして、5年後を見据えた領土拡張計画図(図1)がツイッターなどを介してネットに配信された。このような版

はん

図と

拡大は実現可能性が極めて低いということは誰の目にも明らかではあるが、中世のスンナ派イスラーム帝

国(あくまで彼らが理解する形での)時代に回帰するとともに、その領土を復活させたいとする彼らの方向性を改めてうかがうことができる。 組織の規模については諸説ある。イラク国内で活動する戦闘員数は3,000人から最大1万人とも言われ、6月のモースル制圧以降2万人に膨れ上がっているとの見方もある。広報戦略に長

けていることは多くの専門家が指

IS 指導者 アブー・バクル・アル・バグダーディー写1

モースルの大モスクで金曜礼拝の導師を務めるバグダーディー指導者を写したとされる写真

写2

出所:Centre for Research on Globalization出所:Rewards for Justice

IS の領土拡張計画図1

出所:Time to Wake Up News

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石油大国イラクの行く末は? -国家分裂の危機に直面するOPEC第2の産油国-

摘するところであり、多言語を駆使したSNSによる情報発信でネットワークを広げ、アラブ世界のみならず欧米諸国からも多くの戦闘員をリクルートしている。また、ヌスラ戦線(シリアを拠点に活動するスンナ派過激組織。2011年結成)などの他組織と比べ入隊基準が緩いことも動員能力の高さを下支えしている要因の一つと言われている。この他、必要に応じてイラク各地に散らばる旧フセイン政権の残党やスンナ派武装勢力からの協力を得て、イラク北西部を中心に銀行からの略奪や油ガス田の占領などを通して資金を調達している。BBCによればその資産総額は20億ドルになるという。 7月28日には国連安保理がイスラーム系武装勢力による石油ガス資源の掌握に懸念を表明するとともに、ISやヌスラ戦線から原油を買い付けた者に対し制裁を科す旨の警告を発している。8月26日現在、ISは、アンゴラの国営石油会社Sonangolが2014年2月に撤退を決定したナジマ油田とカイヤラ油田、またキルクーク近郊のアジール油田、ハムリーン油田、バラド油田、8月に入って北端のアインザラ油田とバトマ油田も制圧している。 8月12日に発表された国際エネルギー機関(IEA)の月間報告によると、これら油田の生産能力は合わせて8万b/dになると見られる(8月12日付のブルームバーグは、

7油田の実際の生産量は3万b/dを超えない程度であると伝えている)。Iraq Energy Instituteの創設者であり、ブルッキングス研究所ドーハ・センターの客員研究員を務めるルアイ・アル・ハティーブ(Luay al Khatteeb)によれば、ブラックマーケットを介してISがシリアとイラクの油ガス田から得る1日の収入額は200万ドルに上る。また、モースルなどの勢力圏内においては、シーア派住民に対する弾圧、キリスト教徒の追放などを推し進める一方で、スンナ派住民に対しては食料品配給をはじめとする種々の社会サービスの提供を通して懐柔を図っているとされる。

(2)ISによる侵攻状況

 6月10日のモースル制圧を皮切りに、ISは猪ちょとつ

突猛進とも言える南下を果たし、同日ベイジで国内最大規模の製油所を包囲。11日にはティクリートを制圧、更に12日にはシーア派の聖地サマッラに攻め入った。このペースでいけば同月中旬までには首都に侵攻するかとも見られたが、イラク中央軍やシーア派武装民による応戦もあり、6月17日のバアクーバ(バグダードから北東に約60㎞)進撃以降南下の勢いは減速している。8月26日現在、ISはシリア北東部からイラク北西部にまたがる支配地域で

図2 シリアからイラクにかけての IS の勢力図(2014 年 7 月 8 日時点)

出所:Institute for the Study of War

KEYISIS Control ZonesISIS Attack ZonesISIS Support Zones

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基盤強化を進めており(図2)、イラクにおいては、主にアンバール県、サラーフッディーン県、ディヤーラ県を中心にイラク軍、また一部地域でKRG軍ペシュメルガとの攻防を続けている(図3)。8月7日にはオバマ米大統領が北部における空爆の実施を承認したが、同9日にはISの侵攻を阻止するには時間を要すると発言し、軍事介入の長期化を示唆している。 大まかな視点で見た場合、イラクはスンナ派クルド人が主に居住する北部、スンナ派アラブ人が主に居住する中西部、そしてシーア派アラブ人が主に居住する南部に分けることができる(図4)。スンナ派武装組織であるISが活発に勢力を広げているのはこのうち北部(クルド自治区を除く)と西部であり、つまりスンナ派住民が優勢な地域におおむね限定されていると言える。ただし、バグダードの南30 ~ 40㎞の都市でもISによる襲撃が続いているため、首都の防衛という観点から見れば予断を許さない状況である。 ISやその他各宗派の武装勢力によるものと見られる殺害事件や爆破テロも、北西部をはじめ、バグダードやその周辺部でも相次いで発生している。7月22日にバグ

ダードで起きた爆破事件では30名以上の死者が出て、翌日ISが犯行声明を出している。イラク治安部隊によれば、7月28日までの3日間だけでバグダード各地で発見された身元不明の遺体は約30体に上ったという。首都を襲う爆破テロの勢いは8月に入っても衰えていない。 7月後半には、首謀者は特定できないものの南部の各地でもテロが起きている。バスラ南部で複数のモスクが襲撃に遭い死傷者が出ているほか、シーア派の二大聖地ナジャフとカルバラでもシーア派聖職者を標的にしたと見られる爆破テロが数件発生している。8月25日にはカルバラのイマーム・フセイン廟付近他で起きた爆破により10名弱が死亡したと見られる。 国連の報告によれば、イラクの6月の死者数は、前月比3倍となり、2008年以来最多の2,417人(民間人1,531人、イラク軍兵士886人)であった。また2014年に入って以降、紛争によって移動を余儀なくされた避難民数は100万人を超えたとのことである。赤十字国際委員会は6月20日の報告で、モースルだけでも避難民数はおよそ80万人になると発表している。 6月から8月23日にかけてのISの侵攻状況ならびに関

AnbarAnbar

KirkukKirkuk

NinevehNineveh

DohoukDohouk

ErbilErbil

WasitWasit

NajafNajaf

QadissiaQadissia

MuthanaMuthanaBasrahBasrah

Thi-QarThi-Qar

MaysanMaysan

BabilBabil

DialaDiala

Salah-aldeenSalah-aldeen

BaghdadBaghdad

SulaimaniaSulaimania

KarbalaKarbala

Northern RegionNorthern Region

Southern RegionSouthern Region

Center RegionCenter RegionMiddle Euphrates RegionMiddle Euphrates Region

RegionsRegions

図3 イラクの県

出所:Iraqi News

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5 石油・天然ガスレビュー

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連する主な政治動向については表1を参照されたい。なお、それぞれの出来事の主要関係者別に色分けを施した。

(3) ISが抱える課題──スンナ派武装勢力間の合従連

衡体制は維持できるのか

 着々と勢力を拡大しているISであるが、その限界を指摘する専門家もいる。6月末にはシリアで活動するヌスラ戦線のうち一部の勢力がISへの帰順の意を表明したとされる一方、イラク北西部各地では忠誠を求めるISとそれを拒否するスンナ派部族や武装勢力間で武力衝突が続いている。イスラーム国家の樹立とバグダーディー氏によるカリフ位の襲名(カリフ名はイブラーヒーム〈アブラハム〉)に対するイスラーム過激派組織間の反応はさまざまである。ザワーヒリー率いるアルカーイダは公式な形での言及を避けているが、「アラビア半島のアルカーイダ(AQAP)」やその関連組織「アンサール・アル・シャリーア(AAS)」の一部は支持を表明している。 一方、米民間情報機関SITEによれば、「イスラーム・

マグレブ諸国のアルカーイダ(AQIM)」は、アルカーイダへの忠誠を改めて誓うとともに、ISによるカリフ制国家の建国を非難する旨の声明を発出している。また、バグダード北東のディヤーラ県ではMujahideen Armyが ISのカリフ宣言を否定する内容のパンフレットを配布したなどの情報も見受けられる。 ISはこれまでイラク各地のスンナ派武装勢力や旧フセイン政権時代の元軍人などから協力を得て軍事行動を展開してきたが、かつてシリアではヌスラ戦線など他のライバル組織から成る連合軍によってアレッポから放逐されたという苦い過去を持つ。シーア派政権の打倒という共通のゴールを共有できたとしても、イスラームの実践法や獲得権益の分配方法など、複数の勢力間で常に意見の画一化を図ることは困難である。事前の合意を得ずに攻撃対象を選定するなど、しばしば逸脱行為に走るISに対し、スンナ派内部でも批判的な見方が存在する。こうした結果、最終的に連携体制が瓦解するというケースはこれまでの長い歴史のなかで幾度となく繰り返されてきた。

図4 イラクにおける IS の侵攻状況と主要油ガス田の位置

出所:各種情報を基に JOGMEC 調査部作成

タージタージ バアクーババアクーバ

サマッラサマッラ

ヒッラヒッラカルバラカルバラ

ナジャフナジャフ

タルアファルタルアファル

シンジャール山シンジャール山モースルモースル

ベイジ

ティクリートカイムカイムアブカマルアブカマル

アブグレイブアブグレイブ

ラマディ

ハディーサ

ファルージャファルージャ

ワリードワリード

ルトバルトバ

トライビールトライビールミサン油田群

カイヤラ油田カイヤラ油田

アッカス・ガス田アッカス・ガス田

キルクーク油田キルクーク油田

バイ・ハッサン油田バイ・ハッサン油田

マンスーリーヤガス田マンスーリーヤガス田

ガラフ油田ガラフ油田

ナジマ油田ナジマ油田

アフダブ油田アフダブ油田

マジュヌーン油田マジュヌーン油田

シーバ・ガス田シーバ・ガス田

ルメイラ油田ルメイラ油田

ズベイル油田ズベイル油田

西クルナ油田(1・2)西クルナ油田(1・2)

ハルファヤ油田ハルファヤ油田

バドラ油田バドラ油田

アジール油田・ハムリーン油田アジール油田・ハムリーン油田

アインザラ油田・バトマ油田アインザラ油田・バトマ油田

シリア

クウェート

イラン

サウジアラビア

イラク

ヨルダン

トルコ

シリア

クウェート

イラン

サウジアラビア

イラク

ヨルダン

トルコ

エルビルエルビル

キルクークキルクーク

モースル・ダムモースル・ダム

ISが制圧した地域

戦闘中の地域

スンナ派部族が制圧した都市

油ガス田

クルド自治区

クルド人が主に居住

スンナ派が主に居住

シーア派が主に居住

ISが制圧した地域

戦闘中の地域

スンナ派部族が制圧した都市

油ガス田

クルド自治区

クルド人が主に居住

スンナ派が主に居住

シーア派が主に居住

バグダードバグダード

バスラバスラ

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 イラク研究家トビー・ドッジ(Toby Dodge)氏(英London School of Economics中東研究所長)はISの限界を以下のように指摘する。「もし歴史が繰り返すならば、国家を超えたカリフ制の樹立という目標ゆえに、またそ

の過激な思想や非常に不合理とも言えるイスラームへのアプローチゆえに、ISISは、他のスンナ派武装勢力との連携を維持することはかなわないだろう」と。

(次ページに続く)

表1 IS の侵攻状況と関連する政治動向

1月 初旬 ファルージャ制圧

6月 6日 モースルで治安部隊と衝突 ⇒イラク軍兵士は武器を捨てて敗走

9日 モースルの空港・県庁舎を占拠

10日モースル制圧 トルコに続く主要な高速道路を押さえる

ベイジ製油所(生産量23万b/d)を包囲

11日ティクリート制圧

ムサンナ(首都から北西に約70㎞)の旧化学兵器製造工場を占拠

12日バグダードほか、シーア派の聖地ナジャフとカルバラの征服を計画している、と声明で発表

サマッラを包囲

14日イランの革命防衛隊傘下の民兵2,000人がイラク東部に到着したとの報道(ガーディアン)

ケリー米国務長官、ジバリ・イラク外相と電話会談し、挙国一致体制の実現を要請

15日 北部タルアファルを一部占拠

17日

ベイジ製油所が稼働を停止

バアクーバ(首都から北東に約60㎞)に侵攻

英、イラン大使館を再開。イラク対策でイランとの協力を強化する狙いか

キルクーク近郊の町を襲撃したISをペシュメルガ(KRG自衛軍)が撃退。キルクークやその他周辺の油田(Bai Hassan、Jambur、Khabaz)に関しては、KRGの事実上の支配下に

18日

ジバリ・イラク外相、米に対し空爆による後方支援を正式に要請

⇒米「標的を定めるための情報が足りない」と消極姿勢。当面空爆の実施は見送るもよう

イランのロウハニ大統領、「なんとしてもシーア派聖地を守るべき」と軍事介入を示唆

サウジのサウード外相、宗派的な排他主義によってシーア派のみを優遇している、とマリキ政権を非難。「イラクの内政に干渉すべきではない」とイランをけん制

20 ~ 21日 シリア国境沿いの検問所カイム(首都から約400㎞)を制圧

21日 ラーワ(カイムから90㎞)とアーナ(ラーワから2㎞)を制圧

22日

ルトバ(首都から西に400㎞強)制圧

スンナ派部族がシリア国境沿いのアル・ワリード検問所を制圧

ヨルダン、イラクとの国境に警備兵を増員

23日

スンナ派部族が、ヨルダンに続く唯一の検問所トライビールを制圧

北部タルアファルの空港を制圧

ケリー米国務長官、バグダード訪問。マリキ首相に対し挙国一致内閣の早期樹立を要請⇒マリキ首相、7月1日までに議会を召集、組閣に向けて取り組むことを約束

24日ケリー長官、エルビル訪問。バルザーニKRG大統領に対し挙国一致内閣への参加を要請

米が派遣予定の軍事顧問300名の第1陣が任務を開始。イラク治安部隊との合同作戦本部の設置や、イラク軍の現状評価、ISISの情報収集など後方支援に徹する構え

25日

ティクリート近郊のアジール油田(生産量は1万~ 2万b/d)を制圧

ヌスラ戦線の一部(アブカマル支部)がISISに帰順する意を表明

マリキ首相、退陣要求退け、野党勢力が主張する「救国政権」を「憲法と政治プロセスに対するクーデターである」と非難。事実上、挙国一致体制を拒否

26日バルザーニKRG大統領がキルクークを訪問⇒支配の既成事実化を狙う

ヘイグ前英外相、バグダード訪問。マリキ首相に対し政治的団結の必要性を訴える

IS(6月28日まではISIS)  部族・身元不明の武装勢力等  イラク政府  クルディスタン地域政府(KRG)  その他

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7 石油・天然ガスレビュー

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石油大国イラクの行く末は? -国家分裂の危機に直面するOPEC第2の産油国-

27日ヘイグ前英外相、エルビル訪問

イラク軍、キルクーク空爆を開始。サマッラから1,000人規模の地上軍を投入

28日イラクが戦闘機スホーイ5機をロシアより購入

バルザーニKRG大統領、イラクからの独立の賛否を問う住民投票実施の意向を表明

29日ラマダン初日

ISIS指導者アブー・バクル・アル・バグダーディーが自身をカリフ(イスラーム共同体の指導者)とする「イスラーム国」の樹立を宣言

30日 米、イラクに200名の兵員を増派。これにより派遣された米兵は合わせて800名弱に

7月1日

デンプシー米統合参謀本部議長、イラク政府軍独力でバグダード防衛は可能とする一方、後方支援がなくてはその他の都市を奪還するのは困難と発言

首相選出に向けて議会を召集するも、意見が対立。開会後まもなく閉会

2日マリキ首相、次回議会の開催を7月8日と発表 

バイデン米副大統領、ヌジャイフィー前国民議会議長とバルザーニKRG大統領と電話会談。挙国一致内閣の設立を促す

3日

KRG大統領、住民投票実施のための選挙委員会の設置と投票日の選定を指示

ヘーゲル米国防長官、バグダードに続きエルビルにも共同作戦本部を設置したと発表

サウジアラビア、イラクとの国境に3万人の兵を配備

シリア最大のOmar油田(2011年まで3万b/d)やTanak油田を占拠。これにより、ISはシリアの主要原油生産地Deir al-Zorのほぼ全域(都市部除く)をことごとく制圧

北部マンスーリーヤ(首都から北東に100㎞)でイラク軍による掃討作戦が開始

4日 イラク軍、シリア国境沿いのカイムを空爆⇒これによりISのバグダーディー指導者が重傷を負い、シリア側に逃れたとの報道もあり

5日 IS指導者バグダーディーがモースルの大モスクで金曜礼拝(4日)の導師を務める20分間ほどの動画が公開される。公の場に姿を現すのは初めて

8日イラク議会、議長の人選で合意が得られず、次回議会は7月8日から8月12日までの延期が決定

次回議会の開催を7月13日に再度変更。約1カ月にもわたる延期に対して国内外から非難の声が高まったためと見られる

9日

ラフサンジャニ元イラン大統領、これまで公式には否定されていた革命防衛隊によるイラク軍への後方支援の事実を初めて認める。米との協力の必要性を指摘

スドゥールダム(バグダード北東に位置)を制圧。奪還を試みるイラク軍と戦闘中

KRG軍ペシュメルガが防衛するキルクークへの攻撃が激化。都市南西部で軍事行進を実施

ISが制圧したシリア国境沿いのカイムをシリア軍が空爆

マリキ首相、ISや旧フセイン政権の残党を支援しているとしてKRGを非難⇒これに対しKRG、「イラク政府から原油を購入した企業は、代金の17%相当を直接KRGに支払わなければ法的措置に訴える」旨の声明を発出

10日

ムクダーディーヤ(首都から北東に80㎞)の端に位置する軍事基地に侵攻(都市の北側は既にISによって制圧)

モースル大学から未濃縮ウラン約40㎏を強奪⇒IAEA、放射能の濃度が低いため兵器として使用される可能性は低いとの見解

11日

ペシュメルガ、キルクークやバイ・ハッサンをはじめとする油田の生産施設を占拠(生産量は合わせて約50万b/d)

ジバリ外相(クルド人)、クルド人閣僚による業務停止と次回議会のボイコットを表明

マリキ首相がジバリ外相を解任すると発表

13日

イラク議会、またしても議長選出ならず。次回議会は火曜日(15日)を予定

ISがバグダードの北約80㎞に位置するドゥルーイーヤを一部制圧(市庁舎を占拠)

ムクダーディーヤ近郊で、ISとスンナ派武装組織ナクシュバンディー教団信者軍(JRTN)が衝突⇒12名の遺体が発見される

シリア東部Deir al-Zorからヌスラ戦線やAhrar al-Shamなどライバル組織を一掃

14日バグダード南西部のBayaa地区と中央部のAlawi地区で爆破テロ

軍事基地および発電所のあるTajiの商業地区で爆破テロ

15日 イラク議会、サリーム・アル・ジャブーリー(スンナ派)を議長に選出。次回の本会議は7 月23 日に開催予定と発表される

17日バグダード市の中心および北側の検問所でISによる爆破テロが2件発生。9名死亡

KRGがキルクーク油田からの送油を開始

19日 バグダードで一連の爆破テロが発生。約30名が死亡

21 ~ 22日 イラク軍、中部ファルージャ(バグダードから西に60㎞)への空爆を実施

(次ページに続く)

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Page 8: 石油大国イラクの行く末は?...2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」(当時は「イラクとシャー ムのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していた

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22日 バグダードで爆破テロが発生。死者約30名

23日

IS、19・22日にバグダードで発生したテロ事件に関する犯行声明を発表

建設中のバードゥーシュダム(モースルから北西に20㎞)を制圧

ラティーフィーヤ(バグダードから南に約40㎞)でISとイラク軍が戦闘

イラク議会、大統領選出のための投票を1日延期すると発表

24日イラク議会、新大統領にクルド愛国同盟(PUK)のフアード・マアスーム氏を選出

パン・キムン国連事務総長、ナジャフを訪問。イラク・シーア派宗教界の最高権威でもあるシスターニー師と会談。イラク情勢の鎮静化に向けた方策について意見交換

28日ラマダン明けの祭日初日

バグダード内の複数カ所で合わせて15名の遺体が発見される

国連安保理、イスラーム系武装勢力がシリア・イラクで複数の油ガス田を制圧したことに対し懸念を表明するとともに、ISやヌスラ戦線と取引を行った者は制裁対象になると警告

8月 2日 北東部のズマールおよびアインザラ油田とバトマ油田を制圧

3日北部シンジャール(シリアとの国境付近)を制圧

モースル・ダム(国内最大規模の水力発電ダム)を一時占拠

6日

北部カラクーシュ(エルビルから西に90㎞)を制圧。ペシュメルガ撤退

ファビウス仏外相、安保理に対し緊急会合の開催を要請

バグダードの複数カ所で爆弾テロが相次ぎ、51名が死亡

7日 オバマ米大統領、緊急声明を発出。イラクへの空爆を承認

8日 KRG、モースル・ダムがISによって制圧されたと公式に発表

9日オバマ大統領、「短期間ではISの侵攻は阻止できない」と米による軍事介入の長期化を示唆

オバマ大統領、キャメロン英首相、オランド仏大統領とそれぞれ電話会談。少数派住民の人道支援が必要との認識で一致

10日

ファビウス仏外相、治安回復の方途について協議するためバグダードを訪問

在エルビル米国総領事館から館員の一部が退避

クルド自治区の主都エルビルから約50㎞の地点にまで一時攻め入る

首相選出の期限を守らなかったとして、マリキ前首相がマアスーム新大統領を非難。連邦裁判所に提訴する構え

11日

シーア派のハイダル・アバディ氏、新イラク首相に任命される

アバディ新首相の就任に対しオバマ大統領が歓迎の意を表明。地上部隊投入は改めて否定

アバディ氏の首相就任を違憲とし、マリキ前首相が続投に向け武力の行使も厭(いと)わないと発言

米国防総省、空爆の結果一定の効果は認められるものの、最終的な解決にはつながっていないと評価

英空軍、イラク北部のキリスト教系避難住民に人道支援物資を投下

ファビウス仏外相、EUに対し武器供与を求めるクルド自治政府の要請に早急に応じるべきと発言

12日

アバディ新イラク首相の就任に対しサウジアラビアのサウード外相が歓迎の意を表明

アバディ新イラク首相の就任に対しイラン国家安全保障最高評議会のシャムハーニー書記が歓迎の意を表明

シュタインマイヤー独外相、イラクに軍事的支援をする可能性を示唆

13日

マリキ前首相、連邦最高裁判所の裁定が下るまでは退陣しないことを改めて明言。一方、武力の行使は行わないと約束

米国防総省、ヤズィーディーなどイラク北部の避難民救助のため、海軍と特殊部隊から軍事アドバイザー130名を追加派遣

14日 マリキ前首相、内外からの圧力を受け、続投を断念すると発表

15日 国連安保理、ISやヌスラ戦線などによる国外からの戦闘員のリクルートと資金調達を阻止するための決議を全会一致で採択

16 ~ 17日 米がモースル・ダム奪還のため空爆を実施

18日 オバマ大統領、イラク軍とペシュメルガがモースル・ダムを奪還したと発表

19日ISによる米国人記者ジェームズ・フォーリー氏の斬首刑映像がネットで公開される

米国務省、イスラーム過激派組織への対応策について協議するため、9月末に安保理の首脳級会合を主催すると発表

20日 独、クルド自治区への武器供与を決定したと発表

22日 ディヤーラ州でスンナ派のモスクが襲撃され、約70名が死亡

23日 イラク各地で爆破テロが発生。エルビル(死者は出ていないもよう)、キルクーク(約20名が死亡)等出所:各種情報を基に筆者作成

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Page 9: 石油大国イラクの行く末は?...2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」(当時は「イラクとシャー ムのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していた

9 石油・天然ガスレビュー

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石油大国イラクの行く末は? -国家分裂の危機に直面するOPEC第2の産油国-

 ISがバグダード征圧に向け着々と支配域を拡大していくなかで、国家分裂の危機がそこかしこで叫ばれるようになった。しかし「国家」をめぐる問題は、ISという組織が誕生するよりもはるか以前、まさに欧州列強によって国境が画定されたその時からイラクに影を落としている。 オスマン帝国時代のイラクは、大まかに言えばモースル州、バグダード州、バスラ州の三つの行政区分から成っていた。オスマン帝国研究家の鈴木董

ただし

氏が指摘するように、多民族・他宗教を抱える帝国は、その広大な領土をゆるやかな専制体制によって統治していた。1533年からイラク地方が帝国領に組み込まれて以降、19世紀末に中央集権化改革が実施されるまでの間は、主要都市を除くその他の地域はかなり広範な自立性を保っていた。例えば、大シリア(Sham)の一端を形成するモースルは、その地理的近接性からシリアやトルコと強い結びつきを持ち、バグダードや、シーア派の二大聖地ナジャフ、カルバラはイランとの、またバスラは湾岸地域やインドとの密接な関係性を有していた(図5)。三者三様の特色を持つこれらの地域は、宗派、民族、部族、階級、地域(都市/地方)といった異なる要素と織り交ざり、それらが複雑で重層的な関係を形成していた。 しかし、第一次世界大戦が勃発し、オスマン帝国からの解放者を謳

うた

った英国がイラクに侵攻したことで状況は一変する。領土の配分に関し英仏露間でサイクスピコ協定が締結された結果、モースル州、バグダード州、バスラ州は英国の取り分になった。それぞれに独自性を持つ三つの州がひとまとめにされたこの協定こそが、現在のイラクの国境線の基となっている。折しも新興国アメリカの台頭とウィルソン米大統領によるヴェルサイユ体制の提唱、また国際連盟の発足(1919年)とも相まって、国際体制は大きな転換期を迎えようとしていた。 「民族自決」の理念と帝国主義的野心の間で折り合いをつけるべく、英国は預言者ムハンマドの子孫であり、メッカの太

たいしゅ

守を務めていたハーシム家フセ

インの三男ファイサルをイラクの国王に迎えることを決めた。こうして1921年にファイサル1世が即位しイラク王国が樹立された。うわべだけでもアラブ人の指導者を据えることで、国際社会に対する弁明責任を果たし、同時にイラク国内で高揚していた反英運動とナショナリズムをも抑えられるという狙いが英国にはあった。 一方で、当時のインド総督ハーディング卿は以下のように指摘している。「あまり認識されていないようだが、バグダードとバスラの人口の3分の2はシーア派であり、またバグダード州内に位置するカルバラやナジャフといったシーア派聖地は、メッカとも(スンナ派の)シャリフ(ムハンマドの子孫)とも何の縁

ゆかり

もない」*2。また、後にイラク暫定内閣の初代首相を務めたバグダードの名士、アブドゥル・ラフマーン・アル・ギーラーニー(Abd al-Rahman al-Gilani)も、かつて「ヒジャーズ(メッカを含むサウジアラビアの西部地域)はヒジャーズ、イラクはイラクであって、(イスラームという)信仰を別とすれば両者の間には何の関係もない」と明言している*3。 しかしこれらの問題提起もむなしく、「安価で効率的

2. 国家分裂の危機を迎えるイラク―問題の起源は1世紀前に遡る

現在の国境線

トルコ

バグダードバグダード

モースルモースル

バスラバスラ

英領 インド へ

トルコ

シリア

アラビア半島

ヨルダン イラク

イラン

図5 オスマン帝国時代の 3 州の経済的文化的広がり

出所:各種情報を基に JOGMEC 調査部作成

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Page 10: 石油大国イラクの行く末は?...2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」(当時は「イラクとシャー ムのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していた

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な支配」を目指すチャーチル(当時植民地相)の路線に沿って英国の統治政策は方向づけられていった。この後、ファイサルを名目上の頂点に、オスマン帝国時代の旧官僚や地方の名士らをはじめとするスンナ派親英勢力を中心とした政府づくりが進められていった。行政経験の乏しいシーア派は英国によって後進的・狂信的と見なされ、国民統合プロセスのなかでその存在は無視されたも同然であった。イラクが抱える難題──国としての一体感の欠如──は英国統治時代の偏った国家形成に端を発していると言える。 1958年に軍事クーデターが起こり、半世紀もたたないうちに英国が打ち立てたイラク王国は崩壊する。しかしシーア派に対する差別意識はこれ以降もバアス党

(1968年から2003年にフセイン政権が崩壊するまでの間一党独裁体制を敷いた政党)によって受け継がれ、更なる国民統合への原動力として利用された。そればかりか、反アラブ・反国家主義を意味する「シュウービーヤ

(shu‘ūbīya)」という思想形態へと進化を遂げ、一党独裁体制の強化を狙うフセイン政権時にも、共産党員やシーア派など反政府的と見なされるあらゆる勢力を弾圧するための格好の手段として用いられるようになった。英国のイラクに対する偏狭的理解と帝国主義的価値規範に基

づく政策策定のあり方は、英国の影響力が減じた後も目に見えない傷跡を残し、イラクにおいて近代国家の樹立を更に困難なものにしたのである。 サイクスピコ協定に基づく国境画定も後に多くの課題を残した。既述したとおり、モースル、バグダード、バスラの3州はそれぞれに自立しており、異なる地域的広がりを持っていた。こういった当時の領土認識とのずれが、後々になってイラン・イラク戦争、イラクによるクウェート侵攻、そしてキルクークとその石油資源をめぐるイラク中央政府とクルド人の対立の原因をつくり出したと言える。 国家財政を圧迫する軍事費用と増加する戦死者数、早期撤退を迫る国内世論などを背景に、英国は北部油田など一部の利権を残し徐々にイラクへの介入度合いを減じていった。イラク王国の樹立から約80年後、米国の手によってサッダーム・フセインによる強力な支配システムが排除されて以降、イラクには全体をまとめられる単一の権力が存在しない。欧米諸国、周辺国のイランやサウジアラビアなどの思惑も絡むなか、新政府の設立は一体どのような形に落ち着くのか。現在までの動きについて以下にまとめてみた。

3. 挙国一致内閣への道

 2014年4月30日に実施された国民議会選挙で、マリキ首相率いる「法治国家連合」が全328議席中最多となる95議席を獲得したが、過半数に満たないため連立政権樹立に向けた他党との交渉が行われることになった。そのような重要な時期に起きたのがモースル制圧という大事件である。前回の選挙(2010年)では組閣までに9カ月を要したという経緯もあり、今回も交渉が長期化することは既に懸念されていたが、ISによるイラク侵攻によって事態は更に複雑化した。北部での混乱に乗じ、クルディスタン地域政府(KRG)の自衛軍ペシュメルガがキルクークを制圧したからである。その結果、以前より石油収入配分をめぐって交渉が難航していたKRGとイラク中央政府との間の対立が激化した。 6月17日、ハウラミKRG天然資源大臣は、北部最大のキルクーク油田とKRG領内を結ぶパイプラインの建設が完了したと発表し*4、同油田の帰属がKRG側にあることを改めて強調した(KRGが占領下に置いているキ

ルクークおよび近郊のバイ・ハッサン油田からの生産量はそれぞれ25万b/d弱と20万b/d弱)。同26日にはバルザーニKRG大統領がキルクークを電撃訪問するなど、支配の既成事実化を狙った動きも活発化した。同28日には、バルザーニKRG大統領がイラクからの独立の賛否を問う住民投票実施の意向を表明し、7月3日には住民投票実施のための選挙管理委員会の設置と投票日の選定を指示するなど、権利拡大に向けた動きも加速化している。これ以降マリキ首相とKRG間に批判の応酬があり、同11日には「クルディスタン民主党(KDP)」出身のジバリ外相がクルド人閣僚による業務停止と次回議会のボイコットを表明。これに対し同日マリキ首相がジバリ外相を解任するといった事態に至った。7月17日にはKRGがキルクーク油田からクルド自治区領内への送油を開始したとの情報も伝えられている。 事態の収拾を図るため、6月末にはケリー米国務長官とヘイグ前英外相がそれぞれバグダードとエルビルを訪

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11 石油・天然ガスレビュー

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石油大国イラクの行く末は? -国家分裂の危機に直面するOPEC第2の産油国-

問し、イラク政府とKRG両者に挙国一致内閣の必要性を呼び掛けた。通常、選挙後にはまず議長(慣例的にスンナ派から選出)が選ばれ(過半数の票が必要)、以後30日以内に議会が大統領(慣例的にクルド人から選出)を選定(3分の2以上の票が必要)、更に15日以内に大統領が首相(慣例的にシーア派から選出)を任命するというプロセスが踏まれることになるが、シーア派優位の政治体制に異を唱えるクルドやスンナ派勢力とのわだかまりが解けず議会は紛糾した。 7月1日、8日、13日と成果の出ないまま時間だけが過ぎたが、4回目となる15日の議会でやっと穏健派のサリーム・アル・ジャブーリー(Salim al-Jabouri)(スンナ派)が全328票中194 票を得て議長に選出された。クルド人閣僚による議会ボイコットの機運は落ち着きを見せ、同24日の議会で「クルディスタン愛国同盟(PUK)」出身のフアード・マアスーム(Fuad Masum)が211票を獲得し、新大統領に選出された。こうして、選挙後3カ月弱で議長と大統領の選出にこぎ着け、政権樹立に向け一定の前進が見られた。 イラクでは大統領という役職は多分に象徴的な意味合いを帯びているが、政府内部のシーア派勢力とも友好的な関係を持つとされる穏健派マアスーム氏の大統領就任は、シーア派勢力とクルド勢力間の関係改善を示唆する動きとも見て取れる。 一方で、新大統領就任と時を同じくして、イラク石油輸出公社SOMOが、原油の独自販売を継続しているクルド自治区に対し徹底抗戦の姿勢を改めて表明している。また、クルド原油100万バレルを積んだカーゴ(1億ドル相当と見られる)が7月27日に米ヒューストンのGalveston港沖合に到着したことを受け、翌28日、イラ

ク石油省はテキサス裁判所に対しカーゴの所有権をめぐりKRG天然資源省を告訴するなど、2者の確執は根本的な解決には至っていないようである。また、クルド内部も必ずしも一枚岩というわけではない。クルド自治区は、大まかに言えばKDPの支配する西部とPUKの支配する東部の二つの勢力圏から成る。統一会派を組む二大勢力

(今選挙での獲得議席数はそれぞれ25と21)は、これまで資金の配分やトルコへの姿勢をめぐって対立した過去を持つ。今後はイラクからの独立を志向するKDP(バルザーニKRG大統領)と、それには懐疑的なPUK(マアスーム新イラク大統領)の間でいかなる譲歩が行われるかが鍵となるだろう。 首相の選出は大統領のそれ以上に難航するものと見られたが、8月11日にシーア派諸政党から成る連合勢力が、前月第1副議長に就任したばかりのハイダル・アバディ

(Haider al-Abadi)氏を首相に指名した。これを受けマアスーム新大統領も直ちに同決定を受け入れた。アバディ氏任命までのプロセスが憲法上の所定の手続きを踏んでいなかったとして、マリキ前首相が連邦裁判所に提訴、一時は武力の行使すら辞さない構えを示した。しかし内外からの圧力を受け、マリキ氏は8月14日に退陣要求を受け入れる旨を明らかにした。 アバディ氏の任命に対し、11日にはオバマ大統領が、また翌12日にはサウジアラビアのサウード外相とイラン国家安全保障最高評議会のシャムハーニー書記がそれぞれ新首相の誕生に歓迎の意を表明している。規定によれば、首相就任から30日以内に議会の承認を得て政権を樹立せねばならない。イラクの今後を左右する新政府発足に向けた動きが注目される。

4. 今後の展望―地政学的リスクの評価

(1)北西部の治安回復には時間を要する

 イラク北西部では既に複数の都市が武装勢力の手に落ちており、今後治安回復の道のりは非常に困難なものとなるだろう。6月17日にはサラーフッディーン県に位置する国内最大のベイジ製油所(建設当初の想定能力は31万b/dであるが、実際の生産量は20万b/d強と見られる)がISの襲撃を機に稼働を停止、北部各地で燃料不足が深刻化している。クルド自治区の主都エルビルではガソリンを買い求める客が長

ちょう

蛇だ

の列を成したとの話も聞かれ

る。8月以降北部における武装組織の侵攻は勢いを増している。同3日には、KRG軍ペシュメルガとの度重なる攻防の末、モースルに位置する国内最大の水力発電ダムがISによって一時占拠された。米軍が8月16日から2日間にわたって付近で空爆を実施した結果、イラク軍とクルド軍は18日にダムを大方奪還している。しかしISの勢力が根絶やしになったわけではない。図4にもあるとおり、武装組織はダム周辺の都市や油田を依然として占拠下に置いている。8月10日にはエルビルから約50㎞

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の地点にまでISが一時攻め入っている他、同23日には首謀者不明の爆破テロがエルビル市内で発生している

(死者は出ていないもよう)。これらの事態を受け、クルド地域に進出している国際石油会社(IOC)は相次いで人員の削減や操業の一時停止に踏み切っている(詳しくは6〈3〉をご覧いただきたい)。 イラク軍は、兵士数約27万人と、中東ではエジプトやイランに匹敵する規模の軍事力を持つものの、モースルでは数で圧倒的に劣る武装勢力を前にイラク人兵士が武器を捨て敗走したとのニュースが紙面を賑わし、これ以降、イラク軍の戦闘能力について疑問視する声が多く聞かれるようになった。イランは革命防衛隊を数千人規模で派遣していると言われているほか、上述のとおり8月8日以降、米国が北部で空爆作戦を実行しているが、ISの侵攻を完全に食い止められていないのが現状だ。事実、8月11日に米国防総省は、空爆の実施でISによるクルド自治区などへの進軍のペースを削

いだとする一方、組織そのものの弱体化や他地域への勢力拡大の防止にはつながっていないとの見解を示している。

(2)バグダードへの影響

 現時点でとりわけ注目されるのは、バグダードの防衛である。7月1日、デンプシー米統合参謀本部議長は、イラク軍独力での地方都市奪還は困難であると評価する一方、バグダード防衛網は堅固であるとし、首都陥落の可能性が低いことを示唆している。しかし、バグダードとその近郊ではISをはじめ種々の勢力によるものと見られる襲撃や爆破テロなどが続いており、予断を許さない状況である。7月4日にはISがバグダード国際空港のムサンナ空軍基地(バグダードから西に16㎞)に侵攻しているとの情報もある。22日にはバグダードでISによると見られる爆破事件が発生し、30 名以上の死者が出ている。この他、シーア派武装民によると見られるスンナ派住民の殺害事件なども発生しており、身元不明の遺体が市内各所で相次い

で発見されている。とはいえ、首都の治安状態は以前から悪化していたため、6月以降目に見えて悪化したとの印象は受けない。 図4からも分かるように、ISはバグダードの北、西、南西方面数十キロメートルのところにまで侵攻してきている。英国在住のイラク人研究家アイマン・アル・タミーミー(Aymenn al-Tamimi)は、ISが武力によってバグダードを攻め落とす可能性は低いとしても、壊滅的打撃を与える能力を持つと指摘する。事実、7月9日にはスドゥール・ダムが、同23日にはバードゥーシュ・ダム(建設中)が制圧された他、8月3日にはモースル・ダムも一時占拠されたことで(同18日にイラク軍とペシュメルガが奪還)、ティグリス川から首都に供給される水が不足するのではないかという懸念が高まった。7月28日には、首都の北東に位置するハムリーン・ダムにおいてイラク軍とISが衝突している。同ダムが制圧された場合にも、周辺のバアクーバだけでなく、バグダードにも少なからず影響が出ると見られている。加えて、万一、発電所と軍事基地がある要衝タージ(バグダードの北30㎞)や、バグダード南部のドーラ製油所(処理能力18万b/d。実

サウジアラビア

クウェート

イラク

イラン

トルコトルコ

シリアシリア

(建設中)バードゥーシュ・ダムバードゥーシュ・ダム

モースル・ダムモースル・ダム モースルモースル

バグダードバグダード

バスラバスラ

スドゥール・ダムスドゥール・ダム

ハムリーン・ダムハムリーン・ダム

ファルージャ・ダムファルージャ・ダム

ハディーサ・ダムハディーサ・ダム

ティグリス川

ユーフラテス川

ISによって制圧されたダム

ISによって襲撃されたダム

図6 IS によるダムの襲撃状況

出所:各種情報を基に JOGMEC 調査部作成

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13 石油・天然ガスレビュー

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石油大国イラクの行く末は? -国家分裂の危機に直面するOPEC第2の産油国-

際の生産量は 14 万 b/d程度と見られる)が襲撃を受ければ首都の都市機能は根本的に麻痺することになるだろう。その場合イラク政府の行政機能にも影響が出ることが予想される。

(3)南部油田地帯と周辺産

油国への影響

 スンナ派住民が多数を占める北西部においては、一部のスンナ派部族やスンナ派武装勢力の協力を得て支配地を拡大しているISであるが、シーア派人口が優勢な南部では孤立無援の戦いを強いられる可能性が高く、むしろISにとってリスクの高い地域である。また、ISが攻撃目標と定めている南部のナジャフやカルバラといった都市は、シーア派にとっては最も重要とされる二大聖地である。6月18日、イランのロウハニ大統領は、どんな手段を使ってでも両都市を防衛すべきであると発言しており、武力介入の可能性をも示唆している。南部の主要油田地帯はどうか。図7をご覧いただければ分かるように、南部油田地帯は、ナジャフ・カルバラよりも更に南東の、イランとの国境寄りに散在している。国境のイラン側にも油ガス田が広がっていることもあり、イラク南部の防衛はイランにとっても重要な問題である。 サウジアラビアにも同様のことが言える。ペルシャ湾沿いに油田が集中している同国にとって、イラク南部の油田地帯における治安悪化は他人事ではない。事実、ISや一部スンナ派部族による西部国境地帯の制圧や、ISのシリア東部における主要油田の占拠を受け、サウジアラビアはイラクとの国境地帯(北部アラル周辺)に3万人の兵員を派遣している。サウジアラビアをはじめとする湾岸の王制国家にとっては、国家の基盤とも言える王制の維持・防衛こそが最優先の課題であり、過激思想の流入や国内のシーア派問題への波及を避けるため、今後も厳しい姿勢で対応していくものと思われる。 今後の見通しとしては、イラク南部がシーア派住民が

多く居住する地域であるということ、またイランとサウジアラビアが睨

にら

みを利かせているということもあり、ISが現在の勢力圏から距離的にも離れた南部油田地帯にまで侵攻してくる可能性は高くないと考えられる。しかし留意すべき点があるとすれば、バグダード防衛体制の強化を目的に現在イラク軍の多くが首都に集結しているとの情報もあり、南部の守りが手薄になるのではないかということである。また、南部の治安については6月以降も大きな変化はないとはいえ、7月後半以降、首謀者不明のテロが数件起きている。バスラ南部では複数のモスクが襲撃に遭い死傷者が出ているほか、シーア派の二大聖地ナジャフとカルバラでもシーア派聖職者を標的にしたと見られる爆破テロが数件発生している。また、西部アンバール県を支配下に置くISがユーフラテス川上流をコントロール下に置いていることも不安要素である。これまでもISはファルージャ・ダムを利用し故意に洪水を発生させるなど数回にわたりイラク軍をかく乱する作戦を実行に移してきた。万一ユーフラテス川からイラク南部への水の供給が途絶すれば被害は甚大なものとなるだろう。

クウェート

シリア

イスラエル

レバノン

ヨルダン

イラン

カタール

バーレーン

イラク

サウジアラビア

トルコ

UAE

バグダードバグダード

アラルアラル

ダーランダーラン

リヤドリヤド

ジッダジッダ

図7 シリア、イラク、イラン、サウジアラビアにおける油ガス田の分布

出所:各種情報を基に JOGMEC 調査部作成

アナリシス_増野.indd 13 14/09/03 13:25:49

Page 14: 石油大国イラクの行く末は?...2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」(当時は「イラクとシャー ムのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していた

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 以下では、イラク国内(クルド自治区を除く)における資源をめぐる現状と、ISの侵攻が及ぼす影響について述べる。

(1)原油生産・輸出への影響は限定的

 世界第5位の埋蔵量(1,500億bbl)を誇るイラクは、2009年以降4回にわたる入札ラウンドの実施(第3次はガス田対象、第4次は探鉱鉱区対象)を通し、メジャーをはじめとする外資企業の参入を得て着々と生産量を伸ばしてきた。今やイランを抜きサウジアラビアに次ぐ第2位のOPEC産油国に躍り出た。2012年10月にはIEAがイラク特集(Iraq Energy Outlook)を発表している。 1980年代以降の3度にわたる戦争や国連の経済制裁を理由に、イラクでは過去30年間、石油開発が十分に行われてこなかった。世界規模で減退しているとされるイージーオイルが、イラクでは未開発のまま残されているのである。これを受けIEAは、今後20年間イラクが世界の石油生産増大を牽

けんいん

引する唯一最大の国になるとの予測を打ち出している。また、世界の余剰原油生産能力

(約353万b/d)の観点から見ても、全体の約8%を占めるイラクはサウジアラビア(約70%)に次ぐ重要国である(2014年7月IEA石油市場報告)。増産を牽引する南部巨大油田を中心に、外資企業にとってのビジネスチャンスは更に広がっていくことが予想される(2012年のIEA予測では累積投資額は5,300億ドル〈約53兆円〉と見込まれる)。 しかし、スンナ派武装組織ISの台頭によってイラクにおける資源開発の将来を不安視する声も出てきた。以下では6月10日のISによるモースル制圧の前と後で原油の生産量と輸出量にいかなる影響が出ているかを明らかにした上で、今後の展望について考察したい。

①IS侵攻以前の生産と輸出量 2013年夏に南部のガラフ、マジュヌーン油田が相次いで生産を開始しているほか、2014年3月末には西クルナ油田(第2フェーズ)の商業生産も開始している。これに伴いイラクの生産能力は400万b/dに到達したと言われている。ここ最近の生産量としては、2012年4月以降300万b/d前後で推移し、2014年2月には1979年以来の最高量を記録している。2月の生産量341万b/d(うち南部279万b/d、北部62万b/d)に対し、3・4月にはそれぞれ30万b/dほど減少したものの、5月には約318

5. 原油生産と資源開発への影響

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

3,500億bbl

イラク

0万 b/d

100 200 300 400 500 600

ブラジル

カナダ

カザフスタン

サウジアラビア

米国

図8 世界の石油確認埋蔵量比較(2014 年現在)

出所:2014 年 BP 統計を基に作成

図9 2035 年における原油増産見込み

出所:IEA World Energy Outlook 2012 を基に作成

アナリシス_増野.indd 14 14/09/03 13:25:49

Page 15: 石油大国イラクの行く末は?...2014年6月10日、内戦中のシリアで既に勢力を拡大していた「イスラーム国」(当時は「イラクとシャー ムのイスラーム国」)がモースルを制圧した。実はイラク北部はこれ以前から治安が悪化していた

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万b/d(うち南部276万b/d、北部42万b/d)に持ち直した。 一方輸出に関しても、2月に過去35年間で最高となる280万b/d(うち南部からの輸出量は251万b/d)を記録している。3月は約240万b/d(うち南部237万)と前月比で40万b/dほど減少したが、4月251万b/d、5 月 258 万 b/dと徐々に増加に転じている。 特筆すべきは、5月の南部からの輸出量が2003年以来の最高量である258万b/dになったことである。北部に関しては、トルコ向けパイプラインが度重なるテロ攻撃を受けた結果、2月の北部からの輸出量29万b/dに対し、3月は2万4,000b/dと2006年以来の最低水準を記録した。3月2日には同パイプラインが完全に稼働を停止したため、4月以降北部からの輸出量はゼロとなっている。このため、クルド自治区による独自輸出を除けば、イラクの原油輸出は南部からの出荷のみに依存しているというのが現状である。

②IS侵攻以降の生産と輸出量 6月10日に起きたモースル陥落以降の治安悪化を受け、イラクの原油生産にはどのような影響が出ているのであろうか。今のところISは北西部を中心に展開しており、現生産量の9割近くを支える南部油田地帯では通常どおりの操業が続けられている。事実、6月の南部からの生産量は前月比5万b/d増の281万b/dとなっている。IOCの対応については後述するが、ExxonMobil(西クルナ1 油 田 )、Eni( ズ ベ イ ル 油 田 )、CNPC(ルメイラ、西クルナ1、ハルファヤ、アフダブ油田)など一部企業が外国人駐在員の避難措置を取っている一方で、CNOOC( ミ サ ン 油 田 )、Lukoil( 西 ク ル ナ 2 油 田 )、Gazprom Neft(バドラ油田)、Shell(マジュヌーン、西クルナ2油田)などは非常事態対処計画を準備、警備体制を

強化し状況を看視しているとの報道がなされている*5。 ISの侵攻によってむしろ懸念されるのはキルクークをはじめとする北部油田に及ぼす影響であるが、実は北部(クルド自治区を除く)からの生産は6月以前から既に

百万 b/d 百万USドル

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

9,000

10,000

0.00

0.50

1.00

1.50

2.00

2.50

3.00

3.50

4.00

10月 12月 2月 4月 6月 8月 10月 12月 2月2012年 2013年 2014年

4月 6月

イラク原油輸出による歳入額( )百万USドル )南部ルート輸出量(百万b/d

百万b/d )北部ルート輸出量( )輸出合計(百万b/d 原油生産量(百万b/d )

図12 イラク原油生産量、輸出量(南北別)、輸出による歳入額の推移(2012 ~ 2014 年)

出所:イラク石油省統計を基に筆者作成

2012 年 2013 年 2014 年1月 3月 5月 7月 9月 11月 1月 3月 5月 1月 3月 5月7月 9月 11月

2,900

2,800

2,700

2,600

2,500

2,400

2,300

2,200

2,100

2,000

1,900

1,800

1,100

1,000

900

800

700

600

500

400

300

200

100

0

千 b/d(南部)

千 b/d(北部)

西クルナ 2生産開始

ガラフ , マジュヌーン油田生産開始

南部 北部(中部含む)

図11 地域別イラク原油生産量(2012 ~ 2014 年)

出所:イラク石油省統計を基に筆者作成

196

5

196

7

196

9

197

1

197

3

197

5

197

7

197

9

198

1

198

3

198

5

198

7

198

9

199

1

199

3

199

5

199

7

199

9

200

1

200

3

200

5

200

7

200

9

201

1

201

3

湾岸戦争

イラク戦争イラン・イラク戦争4,000

3,500

3,000

2,500

2,000

1,500

1,000

500

0

千 b/d

図10 イラク原油生産量(1965 ~ 2013 年)

出所:BP 統計を基に筆者作成

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減少傾向にあり、輸出に至っては既述のとおり4月以降停止している。出荷の途絶は更なる生産量の減少につながり、2014 年 2 月の 62 万 b/dから 3 月 49 万 b/d、4 月43万b/d、5月42万b/dと月を追って減退していた。これに、国内最大規模のベイジ製油所がISの襲撃を受け6月17日以降稼働を停止していることや、ISによる小規模油田の制圧、クルド軍ペシュメルガによるキルクーク油田の占拠も相まって、6月の北部からの生産量は前月比約12万b/d減の30万b/dにまで減少している。北部(30万b/d)と南部(281万b/d)を合わせた6月のイラクの生産量は311万b/dであり、前月の318万b/dに比べおよそ7万b/d落ち込んだことになる。 一方輸出量に関しては、6月は約243万b/dと、前月の258万b/dから約15万b/d減少している(前述のとおり、4月以降クルド自治区を除く北部からの輸出は停止しているため、ここで言う輸出量とは南部からの輸出量を指している)。現地関係者の証言によれば、バスラ石油ターミナルにおけるバースの改修と拡張工事が行われているとのことで、これが輸出量減少の主要因と見られる。また、7月の南部からの輸出量は244万2,000b/dであり、6月の243万b/dからわずかながら増加している。 イラク政府が発表していた7月の目標輸出量260万b/dには届かない数値であるが、貿易関係者の証言によれば、海上での天候の悪化が出荷の遅れにつながったとのことである。このように、7月末日時点では、スンナ派武装勢力の侵攻による治安の悪化がイラクの原油生産に影響を及ぼした案件としては、ベイジ製油所の稼働停止とISやKRGによる油田の占拠にとどまっている。しかし何よりも重要なことは、南部の生産・輸出には今のところISの影響が見られないということである。

③�原油生産の今後の見通しと展望

 原油生産の見通しについては、イラクでの治安悪化を受け、IEAと米国エネルギー省エネルギー情報局

(EIA)はともにイラクの原油生産見通しを一部下方修正している。2014 年 6 月の 中 期 石 油 市 場 報 告

(M e d i u m T e r m O i l Market Report)で、IEA

は2019年の生産能力予測を前回予測比47万b/d減の454万b/dに変更した。一方、EIAは同年7月に発表され た 短 期 エ ネ ル ギ ー 見 通 し(Short Term Energy Outlook)において、成長予測を2014年と2015年にそれぞれ30万bblずつ減少させ、2015年末にかけて生産量は330万b/dを超過しないだろうとの新たな予測を加えている。 また、イラク政府の生産目標量については、2013年6月 に 統 合 国 家 エ ネ ル ギ ー 戦 略(INES:Integrated National Energy Strategy)が発表され、イラクは2020年の生産目標量をそれまでの1,200万b/dから900万b/d

(中水準シナリオ)に修正した。900万b/d達成に向けての短期目標として、シャハリスターニ副首相は2015年の目標量を470万b/dと設定している。INESの発表を受け、各油田の目標プラトー生産量の下方修正交渉も進んでいる。イラク政府が締結している石油開発契約上の目標生産量合計は以前の約1,200万b/dから100万b/d程度引き下げられた。しかし、900万b/dという目標設定は、現状の生産量から考えても、またIEAとEIAの予測に鑑

かんが

みても実現は困難であると予想される。 これからの展望であるが、ISによる影響力の増大を受け、クルド自治区を含め北西部においては資源開発の歩みが停滞することは避けられない。しかしIEAは7月の月間報告において、中期的視点で見れば、地政学的リスクの高まりよりもむしろ南部油田におけるインフラ整備の遅れこそが増産目標における最大の障害になると結論付けている。2011年の4カ年計画で既に出荷能力や貯蔵能力の不足が指摘されていたわけであるが、北西部

図13 IEA とイラク政府の原油生産シナリオの比較

200

300

400

500

600

700

800

900

1,000

統合国家エネルギー戦略(2013年)(中水準シナリオ)

IEA予測(2012年)(中心的シナリオ)

IEA予測(2013年)

IEA中期見通し(2014年)

実際の生産量(2014年に関しては1~6月の平均生産量)

万b/d

年2011201220132014201520162017201820192020202120222023202420252026202720282029203020312032203320342035

出所: IEA報告書とJOGMECテクノフォーラムにおけるガドバン・イラク首相顧問会議議長のプレゼンテーション(2013年5月)を基に作成

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の治安悪化によって、南部以外の出荷ルートの開拓が以前にも増して困難になったことは明らかである。加えて、国内最大のベイジ製油所が稼働を停止したことで、治安の比較的安定している南部でいち早く精製能力の増強を図ることが求められる。 他に懸念されることは、武装勢力がティグリス・ユーフラテス川上流域を支配下に置いたことにより、水の供給に支障が出る可能性があることである。油田掘削に必要な水が不足する事態に陥れば、南部における原油生産にも直接的な影響が出てくるだろう。また、ISやその他スンナ派勢力が北西の物流経路を手中に収めていることから、開発事業を進める際に必要な物資の入手ルートが限定されることは間違いない。

(2)資源開発の現状―生産・輸出能力の拡大は喫緊の課題

 以下では、個々の油ガス田の開発案件について概観するとともに、前節でも取り上げた出荷インフラの整備状況についても報告したい。①油ガス田ごとの開発生産状況ルメイラ油田(BP)

   ルメイラ油田(権益比率:BP 38%、CNPC 37%、SOMO1 25%)の最近の動向としては、原油処理プラント建設事業の認可や目標生産量の修正交渉に時間がかかっているほか、掘削契約の承認手続きの認可が下りないため2月にはBPは100名近くのコントラクターを帰国させる結果になった。また、2013年に改善されたはずのビザ発給問題が再び浮上し、関係者筋によれば2月1日以降ビザ発給の認可が下りなかったという。しかし、5月にはイラク政府がEPC契約を中国石油工程建設公司(CPECC)と、またマネジメント・サービス契約を英Petrofacと締結するなど、事態の進展が見られた。IS侵攻以降のBPの対応としては、一時約半数のスタッフを退避させたが(6月18日付ロイター通信)、7月29日の第2四半期決算報告会で同社のダドリー最高経営責任者(CEO)が避難措置の解除を明らかにしたと伝えられている。

   2014年に入り生産量は140万b/dに到達したものの、含水率の上昇で一時120万b/dに生産量を抑制した後、6月中旬には130万b/dに回復しているという。また、目標プラトー生産量(現状285万b/d)の210万b/dへの引き下げについては、未

いま

だイラク政府からの最終的な承認が下りていないようである。

ズベイル油田(Eni)   ズベイル油田(権益比率:Eni 32.81%、Missan Oil

Company 25 %、Occidental Petroleum 23.44 %、Kogas 18.75%)は、2013年に目標プラトー生産量を120万b/dから85万b/dに修正しており、現生産量は約30万b/dにとどまっている。ISのイラク侵攻に対し、Eniは6月16日に避難は実施しない旨発表したが(同日付ロイター通信)、同20日にこれを撤回し(同日付ANSA)、予防措置として非中核スタッフの削減に踏み切っている。しかし6月18日の同社報道担当者の発言によれば、政情不安による操業への影響は出ていないとのことである(6月19日付ロイター通信)。

   7月31日には同社のデスカルシ最高経営責任者がズベイル油田からの撤退を視野に入れていることを明らかにしているが、同氏は「主要な問題は治安ではない」ことを強調し、イラク政府の意思決定の遅さと圧入用の海水輸送事業(CSSP: Common Seawater Supply Project)の遅れの二つを主な理由として挙げている。

西クルナ油田1(ExxonMobil)   2013年にPetroChina とPertaminaが新たにファー

ムインした西クルナ油田の開発フェーズ1(権益比率:ExxonMobil 25%、Oil Exploration Company 25%、PetroChina 25%、Shell 15%、Pertamina 10%)については、2014年2月に目標プラトー生産量を283万b/dから160万b/dに引き下げることでイラク石油省との間で合意している。しかしイラク政府からの正式な認可は未だ下りていないようである。生産量に関しては一時50万b/dに達するも、含水率の上昇と圧入水の不足により30万b/dを下回るレベルに抑えられているとの情報もある。IS侵攻以降の対応として、ExxonMobilは大部分の駐在員を退避させているとされる(6月18日付ロイター通信)。

西クルナ油田2(Lukoil)   西クルナ油田の開発フェーズ2(権益比率:Lukoil

75%、North Oil Company 25%)は2014年3月末に生産を開始したばかりであり、生産量は当初の12万b/dから、6週間で25%増の15万b/dに増加、7月末時点で25万b/dまで上昇しているとのことである(業界紙によれば、8月の生産量は28 ~ 32万b/dに達しているとの情報もある)。オペレーターのLukoilによれば、2014年末までの目標生産量は40万b/d、2017年には目標プラトー生産量120万b/d(180万b/dから下方修正済み)を達成したいとしている。

   6月5日には、西クルナ2油田とツバ貯蔵タンクおよびファオ貯蔵タンクをつなぐ2本のパイプライン(約

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120㎞)建設に関してイラク石油省との間で合意が取り交わされている。IS侵攻以降の対応として、Lukoilは警備体制を強化するなどの対応は取っているものの、退 避 は 見 送 って いる 状 況 だ(6 月16日 付 Iraq Oil Report)。こんな中、8月19日には原油の輸出が開始されたとの発表が為されており、Lukoil OverseasのKuzyayev社長は、今年中に少なくとも2800万bblを輸出し、20億ドルの収益を上げたいとしている。

マジュヌーン油田(Shell)   2012年7月以降生産が停止していたマジュヌーン油

田(権益比率:Shell 45 %、Petronas 30 %、Missan Oil Company 25%)は、度重なる延期の末2013年9月に生産を再開した。当初17万5,000b/dであった生産量は、2014年に入って最高レベルの21万b/dを記録し、4月には原油輸出の開始が発表されたばかりである。一方で、目標プラトー生産量(現状180万b/d)の修正交渉が続いている。イラク側の120万b/dという提案に対し、オペレーターのShellは十分な回収率確保のため100万b/dへの引き下げを主張しており、近く100万b/dに修正される見込みである。IS侵攻以降のShellの対応としては、非常事態対処計画を策定し状況を看視しているところだ(6月16日付Iraq Oil Report)。

ガラフ油田(Petronas)    石 油 資 源 開 発 株 式 会 社(JAPEX)の2014年3月期の決算発表によれば、2013年8月の生産開始時から同年末までのガラフ油田(権益比率:Petronas 45%、〈株〉ジャペックスガラフ 30%、NOC 25%)の平均生産量 は 6 万 4,000b/dで あ り、2017年中に23万b/d(目標プラトー生産量)にまで引き上げることを目指している。

ハルファヤ油田(PetroChina)   2014年8月20日、ハルファ

ヤ 油 田(PetroChina 37.5%、T o t a l 1 8 . 7 5 %、P e t r o n a s 18.75%、South Oil Company

25%、)の生産量に関してCNPC(PetroChinaの親会社)は、第2開発フェーズの完了に伴い生産量が現状のフル生産能力20万b/dに到達したと発表している。今後2016年までに40万b/d、最終的に53.5万b/dへの増産を予定している。

   同21日のイラク国営ミサン石油公社(Missan Oil Company)の発表によれば、ハルファヤ油田やバザルガン油田(CNOOCが操業するミサン油田群〈現生産量約12万b/d、目標プラトー生産量45万b/d〉の一部)とファオの貯蔵タンクを結ぶ全長272 km、42インチ、送油能力100万bblのパイプラインが完成している。

�バドラ油田(Gazprom�Neft)    バ ド ラ 油 田( 権 益 比 率:Gazprom Neft 30 %、

Kogas 22.5%、Petronas 15%、TPAO 7.5%)に関しては、オペレーターのGazprom Neftによれば、2013年12月に1本目の坑井から、5月31日には2本目からファーストオイルを産出しているほか、同油田から南部輸送ネットワークをつなぐパイプライン(全長165

図14 イラクの主要油ガス田とインフラ

出所:各種情報を基に JOGMEC 調査部が作成

エルビルエルビル

40 E 42 44 46 48

28 N

32

30

34

36

38

0 km400200

チグリス川

チグリス川

ユーフラテス川

ユーフラテス川

メソポタミア堆積盆地

メソポタミア堆積盆地

ザクロス褶曲帯

ザクロス褶曲帯

ヨルダンルー

トパイプライン(計画中)

計画中

トルコルートパイプライン(2014年3月2日以降稼働停止)トルコルートパイプライン(2014年3月2日以降稼働停止)

サウジアラビアパイプライン(閉鎖中)

サウジアラビアパイプライン(閉鎖中)

(ジェイハンへ)(ジェイハンへ)

シリアルートパイプライン

シリアルートパイプライン(閉鎖中)(閉鎖中)

イラク戦略

パイプライン

イラク戦略

パイプライン

ドホーク県ドホーク県アルビル県アルビル県

スレイマニア県スレイマニア県

ブズルガン油田ブズルガン油田ファッカ油田ファッカ油田

アブギラブ油田アブギラブ油田ミサン油田群ミサン油田群

カイヤラ油田カイヤラ油田

ガラフ油田ガラフ油田

ナジマ油田ナジマ油田

アフダブ油田アフダブ油田

Phase2Phase2

マジュヌーン油田マジュヌーン油田

ルメイラ油田ルメイラ油田

ズベイル油田ズベイル油田

西クルナ油田西クルナ油田

11

12

9

12

5

8

3

4

7

6ハルファヤ油田ハルファヤ油田

10 バドラ油田バドラ油田ドーラドーラ

バスラバスラ

ベイジベイジ

コルアルアマヤターミナルコルアルアマヤターミナル

バスラターミナルバスラターミナル

シーバガス田シーバガス田

マンスーリーヤガス田マンスーリーヤガス田

アッカス・ガス田アッカス・ガス田

1

2

3

6

7

911

12

4

5

10

8

ティクリートティクリート

ハディーサハディーサ

ナジャフナジャフ

サマワサマワ ナシリアナシリア

アフワーズアフワーズ

アバダーンアバダーン

カフジカフジ

モースルモースル

バグダードバグダード

シリア

クウェート

イラン

サウジアラビア

ヨルダン

トルコ

シリア

クウェート

イラン

サウジアラビア

ヨルダン

トルコ

油ガス田

地質区境界

国境

県境

パイプライン

都市

出荷ターミナル

製油所

クルド地域

油ガス田

地質区境界

国境

県境

パイプライン

都市

出荷ターミナル

製油所

クルド地域

第1次入札対象油田

第2次入札対象油田

第1次入札対象油田

第2次入札対象油田

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石油大国イラクの行く末は? -国家分裂の危機に直面するOPEC第2の産油国-

㎞)の工事も既に完了している。2014年8月からの出荷開始を予定しており、3カ月間のテスト生産の後、同年中には商業生産に移行すると見られる。能力6万b/dの原油処理施設ユニットも3カ月以内の完了を予定している。5月時点の生産量は1万5,000b/dと見られ、2014年後半には6万b/d、2017年までに目標プラトー生産量17万b/dの達成を目指している。IS侵攻以降の対応として、Gazprom Neftは非常事態対処計画の準備は整えているものの、今のところ人員の削減は計画していないようである(6月18日付ロイター通信)。

カイヤラ油田・ナジマ油田   Sonangolは、2014年2月、ニネベ県の治安悪化を

理由に撤退を決定している。6月以降はスンナ派武装勢力ISが両油田ともに占拠下に置いている。

キルクーク油田   石油省の報告によれば、キルクーク油田(権益比率:

NOC 100%)からの輸出量は、2013年12月の29万6,774b/d、2014年1月の26万1,300b/dから、同年2月には21万4,000b/dにまで減少した。減退の原因は油層管理にあるとされており、同油田の再開発に関してはBPがアドバイザーとして助言を行っている。北部パイプラインの修復作業の遅れ、貯蔵能力不足や水不足などの問題が山積していたこともあり、6月に

KRG軍に占領される前の生産量はおよそ14万~ 16万b/dであったという。7月にはKRGがパイプラインによる送油(2万~ 2万5,000b/d)を開始している。

   南部への送油を視野に入れて、キルクークと西部ハディーサ(アンバール県)の貯蔵供給施設をつなぐ180kmに及ぶパイプラインの建設が計画されていたが、当面は治安の悪化により工事に着手できる状態ではないと思われる。

ナーシリーヤ油田(ナーシリーヤ統合開発プロジェクト)   日本企業もPQ(Prequalification〈事前資格審査〉)を

取得したナーシリーヤ統合開発プロジェクト(埋蔵量44億bblのナーシリーヤ油田の開発と製油所建設から成る統合プロジェクト)に関しては、2014年6月18日に3度目となる入札期限の延期が決定された(12月19日→1月23日→6月19日→未定)。また、同年5月には、ガドバン経済担当首相顧問が、2013年10月以来2度目となる契約条件の改定を検討中であることを明らかにしている(ちなみに業界紙によれば、2013年6月に公表された初回の改定の際に、同顧問は、落札企業に対し能力30万b/dの製油所から生産される製品のうち最大50%については輸出を認めると発表した)。ガドバン顧問によれば、PQを取得したIOCのなかには公開入札ではなく直接交渉を望む企業もあるとのことである。

表2 イラク政府が契約する油田開発案件と生産目標値の引き下げ率

*:2013 年 8 ~ 12 月の平均生産量(JAPEX2014 年 3 月期決算説明会資料より)出所:報道等を基に作成

油田名 参画企業(下線の企業がオペレーター) 生産開始 目標生産量

百万b/d下方修正後

百万b/d 引き下げ率 現生産量百万b/d

1

第一次入札

ルメイラ BP(英)、CNPC(中) 1954 2.85 交渉中(2.1) ― 1.3

2 ズベイル Eni(伊)、Occidental(米)、Kogas(韓) 1950 1.2(当初1.125) 0.85 29%▼ 0.3

3 西クルナ1 ExxonMobil(米)、Shell(英・蘭)、CNPC、Pertamina(インドネシア) 1976 2.825

(当初2.325)交渉中(1.6) ― 0.3 ~ 0.5

4 ミサン CNOOC(中)、TPAO(トルコ) 1976 0.45 ― ― 0.12

5

第二次入札

マジュヌーン Shell、Petronas(マレーシア) Sep 2013 1.8 交渉中(1.0) ― 0.2

6 ハルファヤ Petro China(中)、Petronas、Total(仏) 2005 0.535 ― ― 0.2

7 カイヤラ Sonangol(アンゴラ)→撤退 ― 0.12 ― ― ―

8 西クルナ2 Lukoil(露) Mar 2014 1.8 1.2 33%▼ 0.25

9 ガラフ Petronas、JAPEX(日) Aug 2013 0.23 ― ― 0.06*

10 バドラ Gazprom(露)、Kogas、Petronas、TPAO (2014) 0.17 ― ― 0.01

11 ナジマ Sonangol→撤退 ― 0.11 ― ― ―

12 随契 アフダブ CNPC Jun 2011 0.115

(推定値) ― ― 0.13

目標生産量合計 ― 12.2 11.2(8.48) ― ―

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アッカス・ガス田(Kogas)   イラク西部アンバール県に位置するアッカスは、イ

ラク国内で進行中のプロジェクトでは最大規模の非在来型ガス田である(権益比率:Kogas 75 %、NOC 25%)。2015年9月までにフェーズ1から100MMcf/dを生産する予定であったが、治安の悪化や道路の閉鎖による機材到着の遅れにより掘削開始時期は2014年第1四半期から第3四半期に延期する措置が取られた。同ガス田が人口密集地から離れていることや、イラク軍が警備を担当していることもあって、2013年4月の襲撃事件(作業員2名死亡)から2014年6月までの間は大きな事件は発生していない。

   このため同社は、2017年までに全開発フェーズを完了させるという目標設定を維持していたが、ISが西部で勢力を拡大したことにより、オペレーターのKogasは苦境に立たされている。この他マンスーリーヤ・ガス田(埋蔵量2Tcf、権益比率:TPAO 37.5%、NOC 25 %、Kuwait Energy Company 22.5 %、Kogas 15%)にも権益を保有しているKogasであるが、アッカスと同じ理由から、通常どおりの事業継続は難しいと見られる。

②出荷インフラの整備状況 原油の輸出を南部の出荷ルートのみに頼っている現状では、海上での天候悪化やメンテナンスによる設備の稼働中断が輸出量に致命的な影響を及ぼすことになる。出荷網の多様化をエネルギー政策上の重要課題として位置づけてきたイラクは、2013年に統合国家エネルギー戦略を発表した。図15に見るように、北部からの輸出能力はトルコ向けが160万b/d、シリア向けが215万b/d、計375万b/dを2017年までに達成するという目標を設定、また南北連結パイプラインについては2017年までに輸送能力 315 万 b/d、南部からの出荷能力に関しては2014年までに680万b/dの達成を目標に定めている。 これらが実現されれば、南北からの輸出能力は合わせて1,055万b/dとなる。しかし、6月以前から北西部の各地では武装勢力によるものと見られる各種のテロ攻撃が頻発しており、北部パイプラインは3月に稼働を停止するなど出荷能力の拡張計画は思うように進んでいなかった。6月以降、ISが北西部での攻勢を強め複数の都市を占拠下に置いたことによって、出荷ルート多様化への道は更に遠のいた感がある。トルコ向け・シリア向け・ヨルダン向けパイプラインの増強・新設計画は、北西部での治安が回復されない限り、夢物語に終わるであろう。 唯一実現性のある南部でのインフラ整備に関しても、

以前より事業の遅れが問題になっていた。これに対し、2014年5月バスラのマージド・アル・ナスラーウィー

(Majid al-Nasrawi)県知事は、2040年に向けたバスラ開発計画(製油所、ファオ港、鉄道〈トルコ向け〉、工業団地、石油化学プラント、新空港、居住施設、モールなど種々の事業が予定されている)に関し、「中央政府に任せておいたらいつまでたっても完成しない」と不満を表明し石油収入配分の増額と投資決定における権限の強化を求めている。今後、南部油田からの生産量を着実に伸ばすためには、情勢の安定している南部でいち早く出荷体制の強化を図ることが肝要である。イラク中央政府と地方が足並みを揃えて対応することが望まれる。 次項では、パイプライン、出荷施設、貯蔵タンク、製油所、石油化学プラントなど、これまで着手された、あるいは計画されている下流事業の進

しんちょく

捗状況について報告する。

イラク・トルコ間パイプライン   トルコのCeyhan(ジェイハン)に向かうイラク・ト

ルコ間パイプライン(ITP)については、石油収入配分に関するイラク中央政府とKRGの対立から2013年末に稼働を一時停止した後、2014年3月2日のテロ襲撃以降再び稼働を停止している。治安面の問題から修復工事は難航を極めており、Ceyhan向けの原油輸出は今のところ再開の目途が立っていない。また、老朽化の問題も指摘されており、当初160万b/dが想定されていたITPの輸送能力は、現在では最大でも60万b/dにとどまると見られる。これを受け、イラク政府はハディーサからベイジ(40インチ。輸送能力85万b/d)、更にベイジ・トルコ間を結ぶ新パイプライン(全長340km)の建設を計画している。目標どおり2017年までに能力を160万b/dに引き上げるためには、迅速な治安確保が必要不可欠となるが、道のりは険しい。

イラク・シリア間パイプライン   新シリア・イラク間パイプライン建設(旧ラインは

1982年以降閉鎖)については、2010年にパイプライン2本(150万b/dと125万b/d)の建設に関し両国間で合意に至ったものの、シリア情勢悪化の煽

あお

りを受け計画自体中断している。6月以降シリア・イラク間の国境地帯がスンナ派武装勢力の手に落ちたため、再開については全く目途が立てられないというのが現状だろう。

戦略パイプライン(南北連結パイプライン)   戦略パイプライン(双方向輸送が可能な南北油田を

結ぶ42インチパイプライン)は、イラク中部ハディー

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サ(K3)からルメイラ油田(PS-1)、更にファオをつなぐが、当初の予定能力80万b/dに反し、ポンプ能力不足とパイプラインの老朽化により現輸送能力は20万b/dを下回ると言われており、現状ではもっぱら国内供給向けに使用されている。能力増強(南部→北部90万b/d、北部→南部100万b/d)に向けた修復作業が大方の工事を終えているとのことであるが、アンバール県での治安悪化を受けて、ハディーサまでの50kmに及ぶ部分については保留状態になっている。

�バスラ・アカバ間戦略パイプライン(ヨルダン向け)

   供給ルートの多様化を図ることを目的に、バスラからハディーサ、更にヨルダン、エジプトを結ぶ新戦略パイプラインの建設計画が進んでいた。当初原油の輸送開始は2017年末あるいは2018年初めを予定していたが、イラク・ヨルダン間で敷

設せつ

条件をめぐり合意が得られていないことに加え、入札手続きの遅れや、治安状態が劣悪なアンバール県を通過するパイプラインであるため、工事の着工すら危ぶまれる。ちなみに、ヨルダンへの輸出にはタンクローリーが使用されていたが、2014年2月初旬以降アンバール県での治安悪化を理由に輸送走行を中断している。

   建設計画の詳細については、バスラ・ハディーサ間パイプライン(全長680km。56インチ。輸送能力225万b/d)の建設にはEPC契約が適用され、2014年末または2015年初めまでの契約締結を目指している。国営SCOP(State Company for Oil Projects)によれば、業者の選定は8月3日を予定しているとのことだった。

   ハディーサ・アカバ間パイプライン(全長1,000km。42インチ。輸送能力100万b/d)の建設はBOOT(Build, Operate, Own, Transfer)契約の下で行われ、日本企業3社を含む12の企業とJVがショートリストされた。法律顧問を務める大手国際法律事務所Vinson & Elkinsによれば、技術提案書の提出期限は2014年9月(IOC側からの要請を受け、5月末から延長された)、2014年

末までの入札、2015年秋までの契約締結を予定している(以前は2014年末までの契約締結を予定していた)。

   原油パイプラインと並行してガスパイプライン(36インチ。能力138MMcf/d)を敷設する計画もあるが、Vinson & Elkinsは、イラクにおけるガス開発が当初の予定より遅れていることから、計画自体を再検討する動きもあると発表している。

イラン・イラク間ガスパイプライン   イランのガスを輸入することを目的に、イラン・イ

ラク間ガスパイプラインが建設中である。イラン側コントラクターの発表によれば、イラン歴本年(2013年3月から2014年3月)中には稼働を開始する予定であった。一方、ISが犯行声明を出している5月24日の爆破テロでは、イラン人技術者のうち少なくとも4名が死亡している。ISは6月以降特にディヤーラ県で勢力を拡大しており、建設作業への影響が心配される。

南部出荷施設の拡張   バスラ出荷施設の拡張については、2月には新たな

CMMP(Central Metering & Manifold Platform)が、6月1日には3基目となるSPM(1点係留ブイ)が稼働を開始している。後者の積み込み能力は1基につき90万b/dで、同レベルのSPMを今年中に新たに1基、更にス

図15 統合国家エネルギー戦略(INES)に見る出荷能力増強計画

出所:Iraqi Institute for Economic Reform ホームページ

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ペアとしてもう1基追加する予定である。CMMPの新設によって、完全とは言えないもののSPM3基の同時積み込みが可能になった。これにより、6月以降南部からの出荷能力は、理論上では430万b/dに達している。 しかし、貯蔵能力やポンプ能力の不足といったインフラ上の制約もあり、バスラ港からの実際の積み出し能力は160万b/d、コール・アル・アマヤ港については30万b/dにとどまると見られている。このほか、海水を油田開発に利用するための海水輸送事業(700万b/dの処理水を南部油田に供給することを計画)においても事業の遅延が目立っており、将来的に南部上流事業の拡大を妨げる恐れがある。

③貯蔵タンクの増設計画 イラクは原油輸出能力の拡大と併せ、貯蔵施設の増設も推進している。ナーシリーヤでは2014年中もしくは2015年初めまでに、ビンウマルでは 22 基中 8 基に関して2014年半ばまでに建設の開始を予定しているほか、作業の遅れが深刻化しているファオにおいても8基が2015年中の完成を見込んでいる。計画中のタンク91基が全て稼働すれば、最終的にタンク能力が約5,750万bbl増強されることになる(表3)。

クウェート

イラク

イラン

シリアシリア

ヨルダンヨルダン

サウジアラビアサウジアラビア

Zarqa RefineryZarqa Refinery

HadithaHaditha

BaijiBaiji

KirkukKirkuk

‘Aqaba Export Terminal‘Aqaba Export Terminal

BaghdadBaghdad

PS-1APS-1A

PS2PS2

PS3PS3

PS4PS4K3K3

KarbalaKarbala

Basra Oil TerminalBasra Oil Terminal

バスラ・ハディーサ間パイプラインハディーサ・アカバ間パイプライン既存パイプライン修復中のパイプライン製油所

図16 計画中のイラク・ヨルダン間パイプライン

出所:各種情報を基に JOGMEC 調査部が作成

場所 タンク数 能力(タンクごと)万bbl 能力(合計)万bbl

ビンウマル 22 47 1,034

ナーシリーヤ 7 47 329

ファオ 8 36 288

ツバ 8 41 328

PS1A 28 82 2,296

PS5A 18 82 1,476

合 計 5,751

表3 建設が予定されている原油貯蔵タンク

出所:State Company for Oil Projects(SCOP)と報道などを基に作成

稼働中

場所 現状(万b/d) 設計時(万b/d)

ベイジ 23 31

 サテライト設備 7 9

ドーラ 14 18

サテライト設備 5 7

バスラ 13.5 21

 サテライト設備 3.5 6

小 計 66 92計画中

場所 予定能力(万b/d) 完成予定年

カルバラ 14 2018年

アップグレード工事 6 2018年

ナーシリーヤ 30 2018年以降

ミサン 15 2018年以降

キルクーク 15 2018年以降

小 計 80 ―

総 計 146 ―

表4 既存および計画中の製油所

出所:報道などを基に作成

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6. 資源開発が進むクルド自治区

(1)資源の所有権をめぐるイラク政府とクルドの対立

 クルド自治区における資源開発の現状について述べる前に、その背景にあるイラク政府との確執について触れるべきだろう。①KRGによる原油輸出──これまでの経緯 イラク政府は、クルドによるいかなる形での原油の販売も許してはいない。しかし、実際は2年以上にもわたってタンクローリーによるトルコへの輸出は行われてきた。トルコのMersin港、Dortyol港へと運ばれた原油は、イタリアなどの西ヨーロッパ、時にはイスラエルに向けて出荷されたと見られている。また、タンクローリーによる輸出と並行して、KRGはクルド域内の油ガス田をつなぐパイプラインの建設も進めている。2013年12月以降、トルコのCeyhan貯蔵施設に向けて送油が開始された。パイプラインでトルコに輸送されたクルド原油に関しては、中央政府との意見の相違を克服できず、約半年間も手つかずのままCeyhanにとどめ置かれた。 2014年以降は中央政府からの予算配分が差し止められるなどの措置が続いたため、資金源の確保に窮したKRGは、5月22日、Ceyhanから初となるカーゴの出荷

を強行し、販売開始に踏み切った。これによりイラク政府から非常に強い反発を受けることになる。法律事務所Vinson & Elkinsに弁護を依頼したイラク当局は、2014年5月、KRGが2国間友好条約(1946年)とイラク・トルコ・パイプライン合意(2010年に署名)に違反したとして、国際商業会議所(ICC)に仲裁の申し立てを行った。クルド原油の購入者に対しては法的措置を取ることも辞さないことを明らかにしている。タンクローリーの輸出に関しては「認めない」としつつも未だに具体的な対策を講じていないイラク政府であるが、パイプラインによる輸出については見過ごすことのできない脅威として位置付けていることが分かる。 これに対し、KRGは5月23日の声明で、中央政府の反対に関係なく原油の販売を続行する意向を表明した。ま た、 今 回 の 原 油 販 売 か ら 得 た 収 入 は ト ル コ のHalkbankに預けられ、今年初めから一部配給が差し止められているクルド向け予算の一部と見なすとの強硬姿勢を見せている。 5月22日の初カーゴの積み込みを皮切りに、6月22日までの1カ月間で合わせて4カーゴが出荷された。1カー

④精製能力の強化 2030年にかけてガソリンとディーゼルの国内需要が倍増することが予想され、製油所の増設は統合国家エネルギー戦略において重要課題の一つと位置付けられている。現在イラク国内には主要な製油所が、北部ベイジ、中部ドーラ(バグダード近郊)、南部バスラの3カ所に点在している。これまで行われた拡張・増設工事により、イラクの精製能力は2009年の45万b/dから2013年には60万b/dに上昇しており、2月初旬にはバスラ製油所(14万b/d)の蒸留設備(7万b/d)が稼働を開始している。現精油能力は66万b/dであるが、2014年5月までの1年間で実際に処理された量は60万b/dを下回ると見られる。 表4にもあるとおり、精製能力を2018年までに94万b/d、2020年までに150万b/dに引き上げる計画が進められている。現在イラク政府は400億ドル規模の下流設備拡張事業を推進しており、その第1フェーズとして、10年弱で精製能力を100万b/dに増加させる目標を設定している。2014年5月のガドバン経済担当首相顧問の発言によれば、計画が予定どおりに進めば、10年以内にガソリ

ンの輸入量を5万6,000b/d、ディーゼルの輸入量を2万5,000b/d分(計年間約60億ドル分に当たる)削減できるとし、2020年にはイラクはこれら燃料油の純輸出国に転じるとのことである。しかし、周知のように、ベイジ製油所は6月17日より稼働を停止している。新設工事が計画されていたキルクークに至っては、同日以降KRG軍が占拠下に置いているため、中央政府とKRG間で何らかの歩み寄りがない限り、キルクーク製油所の建設計画は実現性が乏しいと言わざるを得ない。

⑤石油化学工場の増設 イラク政府は石油化学産業の拡充にも力を入れている。現在Shellが中心となって、Lukoil、Total、Hanwa(韓国)とともにバスラで110億ドル規模の石油化学プラント建設計画が進行中である。これも、先に述べた下流設備拡張事業の第1フェーズの一部に位置付けられる。石油化学プラントは今のところバスラに1カ所あるのみだが、10年弱以内という目標どおりに新設備が完了すれば、国内の石油製品供給の安定化につながることは間違いない。

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ゴにつきおよそ原油100万bbl(1億ドル相当)を積んでいるものと思われる。行き先はさまざまで、一つ目のカーゴは2カ月以上経った今もモロッコのMohammedia港沖合に停泊中である。6月10日に出荷された第2カーゴは6月16日にマルタ沖合で別のタンカーに積み替えられ、イスラエルのAshkelon港で下ろされた後、近郊の製油所へと輸送されたと見られる。6月21日にCeyhanを出発した第3カーゴは、シンガポールとマレーシアの近海で存在が確認されており、報道によれば7月末に積み荷の一部を別のタンカーに移し替えたと見られる。翌22日に出荷された四つ目のカーゴは、1カ月以上たった7月27日に米テキサス州のGalveston港沖合に到着した。7月28日、イラク石油省はテキサス州の裁判所に対し、カーゴの所有権をめぐってKRG天然資源省を告訴した。 米国務省は「クルド原油を買い付けた者はそれ相応の法的リスクを負うことになる」と警告を発する一方で、問題の解決はイラク政府とKRG間で図られるべきと発言し、カーゴの積み下ろしに介入する意図がないことをはっきりと示していた。しかし、イラク石油省からの要請を受けたテキサス裁判所は、連邦保安官に対しカーゴの差し止めを指示している。これを受け、クルド原油の購入実績がある米の石油化学企業LyondellBasellは、8月1日にKRGからの購入を停止する旨を発表した。タンカーによる原油の出荷は6月22日の第4カーゴを最後に一時中断している。これによりCeyhan貯蔵タンクがフルの状態になり、クルド・パイプラインからの送油も7月後半以降一時的に停止している(7月30日付ロイター通信)。 カーゴの出荷が再開したのは1カ月以上経った8月初めに入ってからである。過去にクルド原油を購入した事実 を 認 め た 米 の ア ス フ ァ ル ト・ メ ー カ ー Axeon Specialty Products(第5カーゴの売却先と考えられる)は、11日になってカーゴの受け入れを拒否する旨のプレスリリースを発出したが、同日にはトルコのDortyol港を出発したタンカー(約30万bblを積んでいると見られる)が予定通り米ニュージャージー州のポールズボロに到着している(ポールズボロにはAxeonが所有する製油所がある)。購入先を失ったタンカーは8月13日にはキプロスに目的地を変え出港したとされる。また、8月頭には100万bblを積んだ別のカーゴがCeyhanから出港し、17日に一時シナイ半島沖合で消息を絶った後、イスラエル沖合に再度出現しており、同国にて積み荷を降ろしたと見られている。この他、マルタ沖合で別のタンカーに積み替えられたとされるカーゴはクロアチアのOmisalj港に到着しており、クルド自治区にも進出しているハンガリーのMOLが8月18日に原油60万bbl弱を

購入したことを認めている。 8月末に入ってからの動向としては、25日に米連邦地方裁判所がGalveston港沖合に停泊中のタンカーに関し、

「クルド自治区による原油の輸出はイラクの法制上違法と見なされるかもしれないが、米の海商法を犯してはいない」との判決を下し、差し押さえ命令を撤回している。これにより、事実上カーゴの積み下ろしが認められることになった。資源保有の正当性をめぐるKRGとイラク政府の対立はどのような形に収束していくのか。今後の動きが注目される。

②KRGによるキルクーク油田の制圧 時期が前後するが、ISがモースルを制圧した6月10日を境に、KRGとイラク政府の関係は新たな局面を迎えた。キルクーク近郊でISを撃退したKRG軍ペシュメルガが、キルクークやその他周辺の油田(Bai Hassan、Jambur、Khabaz)を事実上の支配下に置いたのである。これら油田の生産量は合計約50万b/dになると見られる。これ以降、6月26日にバルザーニKRG大統領がキルクークを訪問、独立の賛否を問う住民投票の実施を表明するなど、キルクークの支配を既成事実化させ、独立の機運を高めようとするKDPの意図が色濃く表れてきた。6月17日には、ハウラミKRG天然資源大臣が、ロンドンで開催された国際会議Iraq Petroleum2014(同会議にはガドバン首相顧問も出席)の席上で、キルクーク油田のAvana DomeとKRG領内のKhurmala Domeをつなぐパイプラインを建設したと発表、建設工事自体は5週間前から開始していたことを明らかにした(クルド自治区の原油を送り出す目的で既に建設されていたパイプラインを逆方向輸送用に再利用したものと見られる)。 7月11日にキルクークやその他周辺の油田の生産施設を完全に掌握したKRGは、このパイプラインを利用して2万~ 2万5,000b/dと少量ではあるがキルクーク油田からの送油を開始したと伝えられている。一方で、元々同パイプラインを管理していた北部石油公社(NOC)によれば、最大6万b/dの輸送が可能とのことである。

(2) クルド自治区における資源開発の歩み

 クルド地域の資源開発には現在約50社の外資企業が参入 し て お り、 そ の な か に は ExxonMobil、Chevron、Total、Gazprom Neftなど大手企業の顔ぶれも見られる*6

が、クルド原油の生産を支えているのは、主要油田を操業するGenel Energy、DNO、Gulf Keystoneなどの独立系外資企業である。2014年4月に発表されたKRGの定期報告書によれば、クルド原油の生産量は、2008年以

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降の相次ぐ油田生産開始を背景に好調に伸びており、2012 年には 20 万 b/dを上 回った。DNOが 操 業 するTawke油田(クルド自治区北部)とGenel Energyが操業するTaq Taq油田(同中部)からの生産量が増加したこともあり、IEAによれば6月の生産量は36万b/dを記録している。このうち3分の1ほどが輸出に回されていると見られ、EIAの数値では6月のトルコ向け原油輸出量は14万b/dに上った(うちタンクローリー 5万b/d、パイプライン9万b/d)。今後の原油生産目標として、バルザーニKRG首相は2014年6月に、現状の約20万b/dから2014年末までに50万b/dに拡大させたいと発言している。 探鉱開発案件の最近の動向としては、MarathonがHarir鉱区のMirawa-1探鉱井で大規模石油ガス資源を発見し、複数の地層から原油1万1,000b/d、ガス7.2MMcf/d、コンデンセート1,700b/dのフローを確認している。また、Oryx PetroleumがHawler鉱区Demir Daghプロスペクトにおいて開発を進めており、キルクーク油田との地理的類似性を強調、確認および推定埋蔵量は2億5,800万bblと見ている。この他、Zey Gawra、Ain Al Safra、Bananプロ ス ペ クト で も 発 見 が あ り、Zey Gawraの確認および推定埋蔵量は7,100万bbl、4坑井の確認・推定・予想埋蔵量の総計は12 億7,000 万 bblである。同社は、2014年第2四半期に7,000 ~9,000b/d、第4四半期には2万5,000b/d、2016年には10万b/dの生産を目指している。 一方で、中央政府との対立の長期化

や資金源確保の困難さから、参入企業のなかにはファームアウトを視野に入れている企業もある。現在売却の余地 が 検 討 さ れ て い る と さ れ る の は、TalismanのTopkhanaにおける権益、Western Zagros Resources(カナダ)のKurdamir(2014年8月20日に商業発見宣言が行われた)とGarmian鉱区(同社によれば年末までにGazprom Neftにオペレーターシップを譲渡するようだ)における権益、Dogan Energy(トルコ)のErbil heavy oil鉱区(オペレーター:DNO)における権益、クルド自治区における資源開発のパイオニアでもあるHunt Oil のAin Sifni 鉱区の権益などである。とりわけ注目されているのが、英独立系Gulf KeystoneがShaikan油田において保有している権益である。この他、HessのShakrok、Dinarta鉱区と、AfrenのBardarash鉱区における権益についてもファームアウトの可能性が議論されているようである。

図17 クルド自治区からの原油生産量

出所:KRG 天然資源省統計

0

50

100

150

200

250

2003

2004

2005

2006

2007

2008

2009

2010

2011

2012

2013

千 boe/d

油田 オペレーター 生産開始年 生産量(注1) 生産能力 2014年の目標生産量

2015年の目標生産量 備考

Taq Taq Genel Energy 2008 8.4(注2) 13 20 20 ―

Khurmala Kar 2009 8.4 11 14 16 ―

Tawke DNO 2007 3.8(注3) 13 20 20 ―

Khor MorDana Gas/ Crescent Petroleum

1990(2008に再開) 2 2 2 2

Shaikan Gulf Keystone 2010 0.9 2.1 4 6原始埋蔵量を137億バレルから92億バレルに下方修正

合計 23.5 41.1 60 64

表5 クルド主要油田の生産見通し

注 1: 2013 年 1 月の KRG 天然資源省公表データに基づく。注 2: 業界紙などによれば Taq Taq 油田の第 1 四半期の生産量は 9.2 万 b/d であり、6 月のみの生産量は 11.3 万 b/d に上るとみられる。注 3: 業界紙などによれば Tawke 油田の第 1 四半期の生産量は 8.4 万 b/d であるが、6 月のみの生産量は 11.6 万 b/d に増加しているとみられる。出所:報道等を基に作成

万 b/d

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 KNOCなどの国営石油会社(NOC)もクルド自治区における資産の整理を行っている。同社は、購入元と購入価格については明らかにしていないが、2014 年5月にSangaw South鉱区の権益を新たに30%買収している(獲得した権益の一部は韓国の民間企業に売却することを検討しているようだ)。一方、探鉱の成果が出ないBazian鉱区の権益(2014年末に探鉱契約の期限満了を迎える)については手放す方向で検討しているほか、今年末までの目標量 2 万 5,000b/dに向け生産量を伸ばしているHawler鉱区については、権益15%を保持する意向である。

(3)地政学リスクの高まりと開発事業への悪影響

 6月以降イラク北部で急速に支配圏を拡張しているISであるが、6 ~ 7月にかけてのクルド自治区の守りは固く、ベイジ製油所の稼働停止が燃料不足を引き起こしていることを除けば大きな影響は出ていなかった。しかし8月に入って風向きが変わる。ISが自治区に向けて侵攻の勢いを強めており、同6日に北部カラクーシュ(エルビルから西に90㎞)を制圧した際にはKRG軍ペシュメルガを撤退に追い込んでいる。また8月10日にはエルビルから約50㎞の地点にまで一時ISの侵入を許すなど、事態は緊迫化している。 8月3日にはモースル・ダムがISによって一時占拠されたとの報道が世界中を駆け巡った。国内最大規模の水力発電ダムがテロ勢力の手に渡ったことのインパクトは大きい。KRGの発表によれば同8日までにダムは完全に武装勢力の手に落ちたと見られる。8月16日より開始した米軍の空爆作戦が功を奏し、18日にはオバマ大統領がダムを奪還したと発表している。しかし懸念が完全に払拭されたわけではない。8月7日に空爆の実施に踏み切った米国の関与も未だ限定的なものにとどまっており、ISの完全放逐にはほど遠い。 英政府は8月8日にクルド自治区のドホーク県、エルビル県、スライマーニーヤ県に滞在する自国民に対し退避勧告を発出しているほか、続く8月10日には米国防総省が在エルビル米国総領事館から

館員の一部を避難させたと発表した。また航空機の運行にも影響が出ている。8月13日付のブルームバーグによれば、ルフトハンザ航空、エティハド航空、エミレーツ航空がエルビルに向かうフライトの一時欠航を決めている。このような状況の中で、クルド地域に参入しているIOCは相次いで人員の削減や操業の一時停止を決定した

(8 月 26 日 現 在 ま で で 確 認 で きる の は ExxonMobil、Chevron、Total、Genel Energy、Oryx Petroleum、Marathon Oil、Afren、Taqa、Petrocelt ic、Hess、Talisman、WesternZagros、OMV)。しかし、主力油田であるTaq Taq、Tawke、Shaikanは通常通りの操業を行っているものと見られる。トニー・ヘイワード(BPの元CEO)が代表を務めるGenel Energyは、Taq TaqとTawke油田から非中核スタッフを避難させたことを明らかにする一方、両田からの生産量23万b/dは維持する方向である(8月8日付ロイター通信)。Tawke油田についてはオペレーターのDNOも事業の継続を発表しているが、輸出業者や作業請負業者の避難を受け、2014年中に目標生産量20万b/dを達成できない可能性もあることを示唆した(8月21日付ブルームバーグ)。この他、Gulf Keystone Petroleumが操業するShaikan油田からの生産も大きな影響は受けていないようである(8月8日付ロイ

石油パイプライン

石油パイプライン ( 計画中 )

製油所

製油所 ( 計画中 )

係争中の境界線

Tawke 油田

Tawke 製油所

Bazian 製油所

Kalak (Erbil) 製油所

Atrush 油田

Barda Rash油田

Khurmala油田

Kurdamir 油田Khor Mor油ガス田

Miran油ガス田

Taq Taq油田

Shaikan油田

Chemchemal ガス田イラク

クルド自治区

トルコ

シリア

イラン

モースル

エルビル

キルクーク

Fishkhabur

図18 クルド:稼働中 / 計画中パイプライン

出所:KRG 天然資源省ホームページ

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ター通信)。このとおりISの台頭が原油の減産に直結するといった事態には至っていないが、8月23日にはエルビル市内で爆破テロ(死者なし)が起こるなど先行きは未だ持って不透明である。今後計画されている開発事業が停滞し、新規案件の立ち上げが困難になることは避けられないだろう。

(4)インフラの整備状況

 上流事業の拡大に対する下流設備の不足は以前からKRGが抱えている課題であるが、治安の悪化がインフラ整備の進捗にも影を落とすことは免れないだろう。①パイプライン トルコ国境のFishkhaburから直接ITPにつなぎ込みトルコへ輸出することを念頭に置いて、独自パイプラインの建設が進められてきた。既に稼働中のパイプラインは、北部Tawke油田からトルコ国境沿いのFishkhabur間パイプライン(輸送能力10万b/d)であり、この他南部Taq Taq 油田・Fishkhabur間のパイプライン(同30万b/d)についても建設が完了している。これを受けKRGは2013年12月以降、トルコ向けのパイプライン輸出を強行している。 しかし、後者パイプラインについては、ポンプ能力の不足やずさんな工事など技術的な問題がネックとなり、想定能力の半分ほどしか輸送できない状態にあったという(8月8日付ロイター通信は実際の送油量を12万b/dとしている)。しかし、同21日にロイター通信が報じたところによると、補強工事によって20万b/dの輸送が可能になったとの情報もある他、業界紙では9月初めに30万b/dに増加すると見る動きもある。Shaikan油田を操業するGulf Keystoneはタンクローリーでトルコに向けて原油を輸出しているが、輸出量が7万b/d以上になる場合に

はパイプラインの使用が必要不可欠であると発言している。このことからも、パイプラインの十分な整備こそが今後生産量の増大を図るための鍵であると言える。

②精製能力の拡張 主要な製油所は3カ所あり、クルド地域全体の製油能力は現状14万b/d弱と見られる。このうちBazian製油所に関しては、蒸留施設の拡張事業(8万4,000b/d)の入札を実施中であり、最大規模のKalakについても蒸留能力の拡大(10万b/d)が計画されている。このほかクルド北端部Tawke油田の製油所においても、処理能力を現在の5,000b/dから将来的に20万b/dに増強することを検討中である。全拡張工事が予定どおりに進めば、2018年には製油能力が21万b/d弱にまで上昇する見込みである。 6月17日のベイジ製油所の稼働停止によって、クルド自治区においても燃料不足が深刻化している。IS侵攻以前は、石油製品需要の50%を自治区内の主要製油所である Kalak製油所と Bazian製油所によって、また30%をベイジ製油所、残りをトルコからのトラック輸入で賄っていた。需要量の3割分を補うためにも増強工事の早期完了が期待されるが、治安の悪化が事業の遅延につながることは必至の情勢である。

まとめ

 6月10日に北部最大の都市モースルを制圧したIS(当時はISIS)は、同月中旬には早くもバグダードの北東60㎞の地点まで進軍したものの、それ以降、南下の動きは減速している。イラク軍やシーア派武装民兵がバグダード周辺の主要都市の守りを強化していること、またIS自体シリア北東部からイラク北西部にまたがる勢力圏の維持・

強化に注力していることなどもあり、8月26日現在では主要油田が集中する南部には直接的な被害は出ていない。 このため、原油生産全体の約9割を占める南部油田は通常どおりの操業を続けている。南部からの更なる増産を可能にするためには、ISの侵攻以前から問題となっていた出荷網や貯蔵タンク、また製油所の不足などをいち

製油所 オペレーター 現処理能力 目標処理能力 目標達成年

Kalak Kar 8 10 2014

Bazian Qaiwan 3.4 8.4 2018

Tawke DNO 0.5 ― ―

その他 ― 2 ― ―

合計 13.9 20.9

表6 クルド製油能力の達成見通し

出所:報道等を基に作成

万 b/d

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早く解消することが肝要である。 治安回復が難航する北西部においては、クルド自治区における資源開発の行方が注目される。中央政府との対立が深刻化する一方、近年クルド自治区からの原油の生産量と輸出量はともに好調に伸びていた。しかし6月17日のベイジ製油所の稼働停止に始まり、特に8月以降は自治区周辺でのISの活動が活発化している。8月3日以降は北部に水と電力を供給するモースル・ダムが一時制圧されるなどの事態に見舞われた。これを受け、クルド地域の資源開発に乗り出しているIOCは相次いで人員の削減や操業の一時停止を決定している。米国は8月7日に空爆の実施に踏み切ったが、北西部の政情安定には時間を要することが予想される。 今後、バグダードや南部油田地帯が武力によって制圧される可能性は低いと考えられるが、米国による介入が未だ限定的であることやイラク軍の兵力が首都に集中し南部の守りが手薄になっているなどの不安要素も存在する。また、ISがティグリス・ユーフラテス川の上流地

帯や複数のダムを支配下に置いていることから、水の供給に支障が出る可能性も否めない。更に西北の物流ルートも武装勢力の手中にあるため、バグダードの政治機能が麻痺、あるいは南部油田の操業に少なからず影響が出ることも懸念される。 不測の事態に対しイラク政府として団結して対応すべく、組閣に向け各政治勢力間で交渉が続いている。8月11日にはシーア派のハイダル・アバディ氏が新イラク首相に任命されており、政権樹立に向けて大きく前進した。しかし、アバディ氏率いる新政府が誕生したとしても、彼が対処すべき課題は山積みである。北西部の治安回復や首都以南の防衛に向け有効な対策を講じることができるか、資源の帰属問題に関してクルドとの間でどう折り合いをつけるのか、またイラク経済の生命線とも言うべき南部油田の開発を遅滞なく進め、原油増産目標を達成できるのか。これらを実現できるか否かに石油大国イラクの行く末がかかっていると言って過言ではない。

<注・解説>*1: カリフ(アラビア語ではハリーファ)とは、神(アッラー)の使徒(預言者ムハンマド)の代理人(あるいは後継者)で

あり、ウンマ(イスラーム共同体)の代表者を指す。このため、カリフ制(ヒラーファ)とは、カリフを首長とする政治体制を意味する。詳しくは『岩波イスラーム辞典』(岩波書店、2002年)をご参照いただきたい。

*2: Hardinge to Wingate, FO 882, 28 Nov., quoted in H.V.F.Winstone, Gertrude Bell(London:Barzan Publishing, 2004), p. 259.

*3: Sir Arnold T. Wilson, Mesopotamia, 1917-1920:a clash of loyalties; a personal and historical record(H. Milford, 1931), p. 340.

*4: キルクーク油田とKhurmala油田(KRG領内)の間をつなぐパイプライン(クルド自治区の原油を送り出すことを目的に既に建設されていたパイプラインを再利用していると見られる)であり、最大能力は6万b/dと推定される。

*5: CNPCとCNOOCの対応状況については6月18日付ロイター通信を参照されたい。*6: ExxonMobil は、2011年、イラク南部で操業する企業としては初めてKRGとPSC契約を締結し、クルド域内6

鉱区の権益を獲得した。同社はクルド北部のPirmam鉱区で掘削を行っていたが、同事業への共同参画に関してはRosneftと交渉中であるとの報道も過去見受けられた。

執筆者紹介

増野 伊登(ましの いと)愛媛県松山市出身。学  歴:2008 年、慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。職  歴:2011 年 8 月から 2013 年 8 月にかけ、専門調査員として在アラブ首長国連邦(UAE)

日本国大使館に勤務。2013 年 11 月より JOGMEC 調査部で中東北アフリカ地域(主にイランとイラク、そしてエジプト・リビアを除く北アフリカ)を担当。

趣  味:25 年来の趣味は漫画。とにかく面白い漫画を発掘することに至上の喜びを感じる。近  況:仕事でも趣味でも目を酷使しているので、視力の低下はもちろんのこと、ドライア

イをこじらせて困っている。

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