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. 歴史と社会学 「歴史」というのは,今日の日本において微妙な位置にある。歴史をめぐる文学作品が人 気を集め,同時に着実な手続きを経て確実な史実はどんどん蓄積されつつある。ただし,そ の一方で歴史という知そのもののあり方を問う仕事はまったく不人気で,放置されている。 少し離れた地点から眺めようとするならば,今日の日本で,歴史とはすでに固定された型の 知であり,固定された型の中で情報量を増やし,それを好きな人々が愛好すればよいと考え られているようである 言い換えれば,今日の日本では「歴史哲学」がほぼ停止している。しかし,「歴史」を深く 考えるという課題は決して消滅していない。多くの人々が当然のこととして語る「歴史」と いうのは,いったい何なのか。 本稿の関心は,様々な形で行われる「歴史」への取り組みを社会学理論の方から捉え直す ことにある。ここで「方法」として意識しているのは,いうならば「歴史の歴史性」や「社会 の社会性」といった捉え方である。人間の意識,そして思考にはそれ自身についての自己言 及性(自己参照性,あるいは自己への反照性)があり,たとえば,それが歴史であると考え ることは強度に歴史的である。また社会について考えることもまた社会的である。あたりま えのことで,人は何度も反復的,循環的に概念に立ち返ることで歴史や社会について考える ことができるからである。 しかし,あらためて「歴史の歴史性」や「社会の社会性」について考えると,さらに歴史の 社会性や社会の歴史性について考えようとすると, 20 世紀の百年間に展開してきた様々な理 論的,哲学的な議論が別様に見えてくるから面白い。たとえば,歴史学は社会学理論が扱う ような問題を除外しようとする一方で,社会学も歴史の問題を除外しようとする。理由は簡 単で,「歴史の歴史性」や「社会の社会性」が各々の学科の中で循環しているからである。学 問の知には,いうならば純粋化への志向がある。つまり,自分自身にとって異質な要因であ ると思われるものをできるだけ排除して「純粋」になろうとする。ただし,ようするにやっ ていることは「歴史」や「社会」という概念の中で自己言及的に認識が循環しているだけのこ 87 社会にとって歴史とは何か? EH・カー『歴史とは何か』を社会学理論から読む― 犬 飼 裕 一

社会にとって歴史とは何か?学の分野ではイギリスの歴史家エドワード・ハレット・カー(Edward Hallett Carr 1892-1982)『歴史とは何か』(What

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  • 序 . 歴史と社会学

    「歴史」というのは,今日の日本において微妙な位置にある。歴史をめぐる文学作品が人

    気を集め,同時に着実な手続きを経て確実な史実はどんどん蓄積されつつある。ただし,そ

    の一方で歴史という知そのもののあり方を問う仕事はまったく不人気で,放置されている。

    少し離れた地点から眺めようとするならば,今日の日本で,歴史とはすでに固定された型の

    知であり,固定された型の中で情報量を増やし,それを好きな人々が愛好すればよいと考え

    られているようである

    言い換えれば,今日の日本では「歴史哲学」がほぼ停止している。しかし,「歴史」を深く

    考えるという課題は決して消滅していない。多くの人々が当然のこととして語る「歴史」と

    いうのは,いったい何なのか。

    本稿の関心は,様々な形で行われる「歴史」への取り組みを社会学理論の方から捉え直す

    ことにある。ここで「方法」として意識しているのは,いうならば「歴史の歴史性」や「社会

    の社会性」といった捉え方である。人間の意識,そして思考にはそれ自身についての自己言

    及性(自己参照性,あるいは自己への反照性)があり,たとえば,それが歴史であると考え

    ることは強度に歴史的である。また社会について考えることもまた社会的である。あたりま

    えのことで,人は何度も反復的,循環的に概念に立ち返ることで歴史や社会について考える

    ことができるからである。

    しかし,あらためて「歴史の歴史性」や「社会の社会性」について考えると,さらに歴史の

    社会性や社会の歴史性について考えようとすると,20世紀の百年間に展開してきた様々な理

    論的,哲学的な議論が別様に見えてくるから面白い。たとえば,歴史学は社会学理論が扱う

    ような問題を除外しようとする一方で,社会学も歴史の問題を除外しようとする。理由は簡

    単で,「歴史の歴史性」や「社会の社会性」が各々の学科の中で循環しているからである。学

    問の知には,いうならば純粋化への志向がある。つまり,自分自身にとって異質な要因であ

    ると思われるものをできるだけ排除して「純粋」になろうとする。ただし,ようするにやっ

    ていることは「歴史」や「社会」という概念の中で自己言及的に認識が循環しているだけのこ

    87

    社会にとって歴史とは何か?

    ―E・H・カー『歴史とは何か』を社会学理論から読む―

    犬 飼 裕 一

  • 社会にとって歴史とは何か?

    とである。一言でいえば,「歴史は歴史だ」「社会は社会だ」といっているだけである。

    ここでは,そのような概念内部での循環を一旦停止させ,隣接する循環に目を転じること

    にする。歴史から歴史への循環から,歴史と社会の循環に目を転じると,そこには少し昔の

    学問が取り組んでいた懐かしい種類の問題が顔を出す。しばしば「歴史社会学」というのが

    社会学創始期の古めかしい研究分野であるようにみなされるのはこのためである。

    ただし本稿の力点は,その種の通念を再確認することではなくて,むしろ以前の人々には

    よく見えていたものが,後の時代の人々にはかえって見えにくくなってしまっている問題を

    再確認することにある。ただし,それは単に過去の人々の認識を再生することではなくて,

    今現在の認識にとっての問題である。そのことは,「歴史の歴史性」や「社会の社会性」を考

    える場合には常に痛感されられるとおりである。誰も過去の人々の認識をそのまま追体験す

    ることなどできないからである。また他人が置かれている社会的状況をその人に成り代わっ

    て追体験するなどということもありえない。つねに時間の経過の中で,人々の関係の間で認

    識は揺れ動いているからである。

    ここで社会学の歴史に寄り道をすると,社会学という思考が成立する根は,社会学の二人

    の創始者─「立法者」という印象的な言い方もしばしば目にする─がすでに暗示してい

    た。一人は教育学出身のデュルケームであり,もう一人は歴史学出身のマックス・ウェーバー

    である。

    この二人の出自は実は社会学のその後を決定することになった。特定の形の望ましい人間

    を育てることに全力を注ぐ教育学と,時代によって価値が変っていくことを前提とする歴史

    学は,多くの点で視点が異なる。教育学は特定の望ましい人材を確保しようとするが,歴史

    学の人々はその種の望ましい人材の可変性を強調したがる。教育学は社会にとって望ましい

    人格像を構築しようとするが,歴史学は時代によってそれらが異なっていることを強調しよ

    うとする。

    当然,「歴史の社会性」や「社会の歴史性」を問う場合にも,デュルケームとウェーバーで

    は異なってくる。デュルケームならば,歴史の流れの中でも変ることなく人々をつなぎ止め

    る社会について強調しようとするだろう。そこでは歴史も社会的な紐帯に寄与しなければな

    らない。歴史は社会の根拠として人々をつなぐ絆を根拠づけなければらない。これに対して,

    ウェーバーは人々が「社会」と呼んでいることすら時代によって変ることを強調することで,

    社会の歴史性を明らかにしようとするだろう。時代によって人々を結び付け動員する関係性

    も長期的には大きく動いているのだというわけである。

    デュルケームは「社会」の一貫性や必要性を強調するのに対し,ウェーバーは「社会」の動

    態─時間の経過において常に変化していく様子─について強調しようとする。社会は

    人々の上にあって人々を操る存在なのか,あるいは人々が日々作り出している関係や意味な

    のか。

    このように考えてくるならば,「歴史」について社会学から接近しようとする場合,デュ

    88

  • 社会にとって歴史とは何か?

    ルケーム流に「歴史の社会性」を問う視角と,ウェーバー流に「社会の歴史性」を問う視角の

    両方が可能になる上に,両者の間の緊張関係も視野に入ってくることになる。本稿の考察は

    「歴史」についての語りが,それ自体として動いていくことを取り扱っていくことにする。

    1. 有名な本の有名な文句

    どんな分野にもある時代を画する有名な著作というのがある。誰もが知っていて,読んで

    いなくても有名な一節は見たことがある。時には引用したこともあるのかもしれない。歴史

    学の分野ではイギリスの歴史家エドワード・ハレット・カー(Edward Hallett Carr 1892-

    1982)『歴史とは何か』(What is History?)だろうか 1)。1961年にケンブリッジ大学で行なわれ

    た講演を同年秋に出版したのが同書で,翌1962年には社会学者の清水幾太郎の翻訳で岩波

    新書から刊行されている。日本でも刊行されるや一躍ベストセラーとなり,いまでも版を重

    ねている。

    ただし,「歴史とは過去と現在の対話である」という一句をのぞいてこの本の内容が広く

    知られているのかといえば,ひどく心許ない。第一章の末尾に登場する部分では次のように

    ある。

    「そこで,「歴史とは何か」に対する私の最初のお答えを申し上げることにいたしましょ

    う。歴史とは歴史家と[彼の]事実との間の相互作用の不断の過程であり,現在と過去

    との尽きることを知らぬ対話なのであります。My first answer therefore to the question

    “What is History?” is that it is a continuous process of interaction between the historian

    and his facts, an unending dialogue between the present and past. 」(カー『歴史とは何

    か』,40頁,以下書名なしは同書)

    では,「歴史とは過去と現在の対話である」とはいったいどういうことなのか。一見明快

    に当たり前のことを言っているようでいて,実は当たり前でもなければそれほど明快な主張

    をしているわけでもない。毎度おなじみの名句はそれ自体が生き物のように一人歩きする

    が,実際にはほとんど何も理解されていないことが多い。たとえば,「歴史家」とは誰で,「彼

    の事実 his facts」とは何なのか?「対話」とは何で,「相互作用の不断の過程」とはどんな過

    程なのか。そもそも「相互作用」と「過程」とは何なのか。なぜ著者は「相互作用」と「過程」

    を強調したがるのか。問題はいくらでも出ててくるだろう。長年見慣れた名句も少し視点を

    ずらすと,実は何一つ自明なことはないのである。

    本稿では後ほどこの名句についても考えていくことにするが,それにはかなりの準備を必

    要とする。この本がどのような人物によってどのような背景で,どのような意図に基づいて

    書かれているのか。この著者カーは子細に知れば知るほど興味深く,しかも重要な貢献をし

    た人物であることがわかってくる。

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  • 社会にとって歴史とは何か?

    著者のカーはソビエト革命を専門とする歴史家で,第二次世界大戦勃発直後に刊行された

    『危機の二十年』(The Twenty Years’ Crisis 1919-1939)が国際的な名声を獲得したことで政治

    学者としても著名である。ライフワークは全14巻からなる『ソビエト・ロシアの歴史』

    (History of Soviet Russia)で,1950年から1978年にわたって刊行された。まさにイギリス歴

    史学にあって「ソビエト・ロシア」の最高権威者であった。そして,時は流れる。1978年に

    カーがライフワークを完成してから約10年後にはソビエト社会主義体制が維持困難に陥る。

    そして,1989-91年の動乱を経てソビエト政権は崩壊し,その結果社会科学の思想や理論が

    根底から修正を迫られることになった。

    このように考えてくると,「ソビエト」について専門的に研究していた人々の苦悩が見え

    てくる。だからこそ,イギリスのソビエト史専門家が書いた「歴史とは何か」が,ソビエト

    や社会主義をめぐって振幅の激しい社会学者の清水幾太郎の翻訳で紹介され,今日まで名著

    として読みつがれているという事実は,それ自身が興味をそそる。刊行時の1960年代はイ

    ギリスでも日本でも,まだソビエトや社会主義の威信が高く,読書界には素朴な憧憬が行き

    渡っていた。カー自身に『カール・マルクス』(Karl Marx: A Study in Fanaticism, 1934)があ

    るように,当時のマルクスとマルクス主義への評価も,21世紀の今日とは比較にならない。

    いわゆる「冷戦」の当時,多くの人々が,「(アメリカ)資本主義」と「(ソビエト)社会主義」

    というのが交替可能な選択肢であると信じていた。このことは,マルクス主義が,いわゆる

    「グローバル資本主義」への非難としてしか通用しなくなってしまった現代とは大きく異

    なっている。

    そんな時代に「ソビエト・ロシア」の歴史をライフワークとしたカーは,この20世紀に登

    場した史実に強い共感を抱いていた。当人がいうように,「歴史家が,自分の書いている人々

    の心と何らかの触れ合いが出来なかったら,歴史は書くことが出来ないもの」(31頁)なの

    である。膨大なライフワークに30年以上も取り組んだカーの「心の触れ合い」は,すでにそ

    れだけで通常の研究者と比較できるものではない。

    当然,今日の視点から見れば明らかにソビエト社会主義寄りの見解が散見されるのは事実

    で,そのことがむしろかえってカーの議論の時代性を際立たせ,いうならば「脱魔術化」「脱

    神格化」を容易にするともいえる。カーの専門分野をよく知る人々ならば繰り返すまでもな

    いように,マルクスやレーニンやスターリンの書いた文書を何でも有り難がって深読みし,

    おおよそ当人が考えていないことまで読み込んで崇拝するといった態度は,あまり知的であ

    るとはいえない。単に先行する権威者の立場を盲信し,なぞっているだけで,当人が真剣に

    考えていないからである。当然,その種の態度は時の流れや時代の変化で容赦なく陳腐化し

    てしまう。一度目は真面目な悲劇でも,二度目には笑うべき喜劇になってしまう。しかし,

    困ったことに,その時点で当人が気づくことは難しい。

    その点では,1961年にイギリスのソビエト愛好者や追随者が書いた文書を60年近く経て

    読み込んでいく場合ははるかに容易だろう。しかも,すでにその時点で読むに値するという

    90

  • 社会にとって歴史とは何か?

    事実だけで,カーは偉大な著者の仲間入りをする資格を得ている。

    本稿の考察の課題は,60年の時間を経たいまではたいして支持を得られなくなっている立

    場の外国文献が,今なおもっている意義を再発見し,そこから虚心に学び直すことである。

    それはおそらく今後の時代にも意義のある思考を「歴史」やその他の人文社会科学領域の

    人々が実現していく手がかりになるに違いない。

    思い返せば,20世紀は高度の情報化の時代であり,特定の型の知識がそれまでにはなかっ

    たほどの速度で古くなり,時代遅れになり,陳腐化する時代でもあった。以前の時代には人

    間解放の福音であると思われた思想が,実は人間奴隷化の呪いであり,後には気に入らない

    現状への単なる罵詈雑言になってしまう。そんな状況にあって,いまだに生命を保っている

    思考には,ぜひ見習うべき知性が表現されているはずである。

    それは本稿の筆者も経験した20世紀を本当の意味で卒業し,さらに新たな展開を実現し

    ていくための下準備でもある。同じ時代を経験した多くの人々が,そんな下準備を足場に

    各々の新たな展開に向かえるのならば,これ以上に望むことはない。

    ここで方法論をめぐる考察を追加しておきたい。それはここまで論じてきたこととも深く

    関係している。19世紀と20世紀は,様々な分野で個人崇拝が盛んな時代であった。個人崇

    拝はそれに応じた思考方法を作り出してきた。特定の偉大な人物は後年の凡庸な人々が思い

    もつかない偉大な思考に貫かれており,後年の人々はできうる限りのあらゆる手を尽して偉

    大な人物の「真の意図」や「真実の姿」を発見するべきだと考える。偉大な人物はどんなに些

    細な言葉にも無限に深い意味を込めている。だから,軽率な批判をするよりも,何度でもテ

    キストに立ち帰ってそこに偉大さを再発見するべきであるというわけである。

    あえて名づけるならば,「再発見史観」とでも呼ぶべきだろうか。しかし,何かまとまっ

    た文章,本や論文を公刊したことがある人物ならば,おそらく実感しているように,「著者」

    というのはそこまで万能でもなければ,用意周到でもなく,思慮深くもなく,後の時代まで

    見通しているわけでもない。当人は今ここで自分が考えていることを文章に表現しているだ

    けで精一杯なのである。百年後,百五十年後の読者が自分の文章を深読みして「・・・の真意」

    や「真実」を「発見」したとしても,多くは当人の関係することではない。およそ人間にはそ

    んなことは考えられないのである。発見された真意や真実は,あくまでも後の人たちが作り

    出している関係を根拠づける「語り」でしかない。

    私見では,それらはほとんどすべて特定の型の語りの伝統であり,それを共有する人々の

    間だけの価値であるにすぎない。しかし,多くを「語り」として片付けた人々は,さらに別

    の難問に直面することになる。すなわち,特定の人々が共有する「語り」以外に何か重要な

    問題があるのか?というという難問である。

    「再発見史観」がよくできた思考方法である理由は,あたかも科学的な真理が発見された

    かのような語りを用いることで,自分たちの日頃の価値観を再確認できるからであった。た

    だし,科学は通常誰がどこでやっても再現できる法則を発見しようとするのに対し,「再発

    91

  • 社会にとって歴史とは何か?

    見史観」が発見するのは過去の知名人の権威でしかない。そして,このような「再発見」を

    あきらめると,過去の権威に寄りかかって議論をすることが難しくなってしまう。

    ようやく本来行なうべき仕事が見えてくる。それは,昔の有名な人物の書いた文章にいま

    の自分たちに好都合な内容を「発見」することではなくて,自分で考えることである。その

    点カーのような人物は好都合である。理由は簡単で,カーは崇拝の対象ではないからである。

    『歴史とは何か』も,一種の「古典」としての地位は確立しているが,教典のような扱いは受

    けていない。むしろ,神秘のベールが一切かかっていないからである。

    ただし,カーの『歴史とは何か』には別の困難が待ち受けている。まさにそれこそがこの

    本自体の主題に関係する。つまり,歴史について語ることとはどういうことなのかという問

    題がこの本の主題である以上,この本について語ること自体も本の内容との間で緊張を生み

    ださざるをえないのである。しかも,問題は先に触れた「再発見史観」とも関係してくる。

    哲学や思想,そして歴史の分野でも古典的な著者を研究する人々は,しばしばごく素朴な意

    味での実証主義者である。テキストの中には真実が隠れていて,緻密に検討していくと真実

    が発見できる。まさに「再発見史観」そのものである。もちろん肝心の著者が実証主義者の

    場合は問題ない。ところがそうではない場合困った事態が生じる。

    たとえば,著者が実証主義を批判している場合,あるいは実証主義的な方法では真理を発

    見できないと考えている場合,その著者のテキストを実証主義的に研究することに意味があ

    るのだろうか。さらにいえば,小説や詩といった文学作品を実証主義的に研究することにも

    再考の余地がある。著者が最初から虚構として創作した文学を細かく検討することで発見で

    きる「真理」とは何なのか。もちろん実証主義的な手法によって著者自身ですら気づいてい

    なかった事実が発見でき,しかもその事実が著者や作品を理解する上で決定的に重要である

    ということも可能だろう。

    しかし,この種の思考の過程はあくまでも解釈や意味の次元での問題を取り扱っていると

    うことを注意すべきである。言い換えれば,実証主義は文学作品などの解釈の次元で貢献す

    る可能性があるが,それらが明らかにするのは決して不動の真理ではない。つまり他にもあ

    りうる可能性を,論者自身もまた新たに作り出しているのである。

    まさにここにこそ文学を解釈する人々と,他の領域の古典を研究する人々の分岐点があ

    る。文学を研究する人々は,自分たちが科学的な真実を発見しようとしているなどとは考え

    ない。これに対して,社会科学や歴史学を実証的に研究する人々は,しばしば自分たちが科

    学的な真実を明らかにできると信じている。文学にあって「事実」というのは創作者が作り

    出した事実であるのに対し,社会科学や歴史学の事実は研究者が明らかにする事実だからで

    ある。文学を研究する人々がどれだけ実証主義的に事実を究明したとしても,それによって

    創作者の創作の介在を否定することはありえない。どこまでいっても文学ややはり「作りも

    の」なのであり,作りもの(創作)であるからこそ実現できる価値こそが重要なのである。

    これに対し,社会科学や歴史学にあっては,「事実」の意味が違っている。社会科学や歴

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  • 社会にとって歴史とは何か?

    史学の実証主義者は 2),事実を延々と蓄積していけばやがて科学的な真実が明らかになると

    信じているからである。このことは議論を逆にしてみればすぐに理解できる。つまり,社会

    科学や歴史学が科学的な真実を明らかにするため以外に,なぜ事実を実証主義的に蓄積しな

    ければならないのか。端的にいえば,なぜ事実の量や厳密さにこだわる必要があるのか。当

    然事実の蓄積には膨大な手間と時間がかかる。そんな負担をしてまで事実を蓄積しても科学

    的な真実が明らかになるわけではないのならば,一体何のためなのか。このように考えてく

    れば,社会科学や歴史学の実証主義者が事実の蓄積の彼方に科学的な真実を想定せざるをえ

    ないことがおのずと理解できるだろう。

    少し意地悪い言い方になるが,実証主義者はそう考えるほかに選択肢をもっていないので

    ある。まさにここにこそ元来自然科学の方法として発達してきた実証主義がそれ以外の領域

    に応用されることの根本問題がある。

    2. 事実崇拝の危険

    歴史家カーが「19世紀の異端説」と呼ぶのが,「歴史とは議論の余地のない客観的事実を

    出来るだけ多く編纂することだ」という説である。

    「この異端説とは,過去百年間,近代史家の上に破滅的な影響力を振い,ドイツ,イギ

    リス,アメリカの諸国に,無味乾燥な事実史の,微に入り細を穿ったモノグラフの,果

    ては跡形もなく事実の大海に沈んでしまうような,益々小さなことを益々多く知るイン

    チキ歴史家の,巨大な,いや,日増しに巨大になる一大集塊を生み出すに至ったのであ

    ります。」(15頁,先の短い引用も同所)

    この問題についてはそれほど多くの言葉を付け足す必要はないだろう。『歴史とは何か』

    の冒頭に,ジョン・アクトンによる『ケンブリッジ近代史』編集の逸話が登場するのは,こ

    の講演が行なわれたケンブリッジ大学を意識している。

    格言「権力には腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」で有名な歴史家アク

    トンは,カーによれば19世紀の歴史学観(歴史観ではない)を代表する人物である。それは,

    あらゆる学問,あらゆる知が次第に完成に向かっていくと信じられていた19世紀後半に頂

    点に達する歴史学全般への楽観的な見通しであった。アクトンは,まだ「完全な歴史」が成

    立するに至っていないとしながらも,「19世紀が後代に伝えようとする知識を剰すところな

    く記録し,これを申し分なく多くの人々に役立たせるには,現在がまたとない好機」である

    と自信をもって語っている。

    つまり,歴史学を含めた様々な学問が手を携えて進歩,発展していくならば,現在よりも

    はるかに完成度の高い研究,すなわち「完全な歴史」が実現するのだというわけである。

    そんな「完全な歴史」への志向が生まれた背景には,もちろん19世紀の世界観があった。

    93

  • 社会にとって歴史とは何か?

    現在までの人類には欠点が目立ち,弱点だらけだが,今後欠点や弱点を補うことができるよ

    うになれば,さらに完成度の高い存在になることができるに違いない。それこそが19世紀

    の人々が考えた「進歩」だったのである。

    今日では,「古き良きイギリス保守主義の代表」といった扱いを受けることが多いアクト

    ンが,実は来るべき進歩を夢見ていた。おそらくそれによって,アクトンは,より完全な伝

    統(歴史)がイギリスに実現すると考えたのだろう。そして,より完全な歴史が手に入れば

    はるかに過去の経験に学ぶことができると考えたに違いない。

    まさにこの点が人間の思考の面白いところで,過去の経験を何よりも大切にする保守派

    も,肝心の過去の経験─歴史─を知る手立てが進歩することについては反対しない。む

    しろ積極的に「歴史」を完成させようと努力する。努力が成果を挙げたなら,今よりもはる

    かに確実な経験則に学ぶことができる。

    今までの不完全な知識が,人々の努力によって少しずつでも完成していく。まさにこれこ

    そが19世紀の思考である。そして,この思考そのものは当時の人々の間の対立をも越えて

    共有されていたのかもしれない。

    「十九世紀は,大変な事実尊重の時代でありました。〔チャールズ・ディケンズの小説〕

    『辛い世の中』の主人公グラドグラインド氏は次のように申しました。「私が欲しいのは

    事実です。・・・人生で必要なのは事実だけです。」一八三〇年代,ランケは道徳主義的

    歴史に対して正当な抗議を試み,歴史家の仕事は「ただ本当の事実を示すだけである」

    と申しましたが,この必ずしも深くないアフォリズムは目覚ましい成功を収めたもので

    あります。約一世紀の間,ドイツ,イギリス,いや,フランスの歴史家たちでさえ,「本

    当の事実」という魔法の言葉を呪文のように唱えながら進軍して参りました。そして,

    この呪文も,大部分の呪文と同じように,自分で考えるという面倒な義務から歴史家た

    ちを免れさせるように作られたものでありました。」(4頁)

    カーの議論が今日に至るまで意義をもっている理由は,何よりもまず19世紀に始まった

    歴史学の方向性が今日でもほとんど変っていないからである。カーの時代の歴史家はすでに

    十分に「事実の大海」に沈んでいたのだが,60年近く経た今はなおさらである。それは深海

    に深く潜行してなかなか浮上しない原子力潜水艦を思わせる。

    ただしあらゆる知識が多くの歴史家のように事実の海に深く潜行しているのかというと,

    必ずしもそうではない。むしろ,歴史学以外の知識が領域を広げることで視野の広がりを

    補ってきたと考えることもできる。おそらくその代表が社会学なのだろう。社会学が19世

    紀の末ごろに次第に成立していく動きは,歴史学が「完全な歴史」へ向かって事実至上主義

    的な傾向を示し始める動きと関係しているようにみえる。

    社会学の一部は,古い時代の歴史学がもっていた理論的な側面や,哲学的な側面を歴史学

    94

  • 社会にとって歴史とは何か?

    から切り離す形で成立したとみなすこともできる。原文の “would-be historians knowing

    more and more about less and less” を,社会学者清水幾太郎が「益々小さなことを益々多く

    知るインチキ歴史家」と訳しているのは興味をそそる。インチキなのかどうかは別として,

    多くの歴史学者が社会学者や哲学者の関心から外れた専門研究─微に入り細を穿ったモノ

    グラフ─に向かって来たことは事実である。

    私見では,学問には少数の人々が独創的に推進する部分と,大勢の人々が綿密な分業で共

    同で進む部分とがある。一方が方向を示し,他方が精緻化する。もちろん,両方とも不可欠

    である。大切なのは両者の釣り合いで,一方に傾くと他方がそれを修正しようとする。20世

    紀の前半は,方向を示す独創的な人々が大勢登場しすぎて,対立に彩られていた。自分たち

    が生きる時代は何なのか?という巨大な問いに真っ正面から立ち向かったのが20世紀前半

    の特徴であった。

    ただし,緻密な分業によって事実を蓄積していくという路線には,すでに20世紀初頭の

    時期に繰り返し警告が行われていた。それらの議論を簡単に要約すれば,「事実は無限にあ

    るので,重要なのは事実そのものよりも事実を選び出す観点である」ということに尽きる。

    新カントから解釈学,さらにマックス・ウェーバーの理解社会学に連なる議論がそれである。

    もちろんカーの議論もそれらの延長上にあり,事実を選び出す観点を他人任せにして,既存

    の観点に沿って事実を集めていくだけでは行きづまってしまう。行き詰まりとは,一面では

    議論が細かくなってしまうことであり,また他の観点から見ればおおよそ何の意義があるの

    かわからない膨大な知識がまるごと意味を失ってしまうことである。特定の観点から集めら

    れた事実は,観点が変らない以上,より細かくなるのが自然であり,特定の観点から集めら

    れた事実である以上,他の観点からは価値がわかりにくくなるのも自然だろう。

    大勢の人々を動員して綿密に気長に続けられてきた探求と蓄積が,まとめて無意味化して

    しまうということが,時に起こってしまう。現に,しばらく続けられてきた教育改革や大学

    改革が,古くから続けられてきた研究分野をかなり乱暴な形で「古臭い」「時代遅れである」

    と一刀両断する様子は,今日の日本でも決して珍しくはない。それを知識や学問に対する冒

    涜であると怒る人々がいる一方で,長らく続けられてきた内向きの再生産が多くの人々の関

    心や必要から離れてしまっていると判断することもできる。

    人間の知は,あらゆる場合に無限にある可能性からの選択であり,選択である以上は選択

    されたものの他にはるかに多くのものが取り逃されている。特定の知識が選ばれて記述さ

    れ,それ以外の知識が捨てられ無視されるのならば,その理由を説明する説明責任がある。

    個人的な好みや,単なる伝統以外に,多くの人々の関心を満たすことができるのか。「古臭い」

    「時代遅れである」と呼ばれてしまう学問は,そんな責任を果たすのが難しくなっているの

    である。

    当然反論の機会は常に与えられている。そこで多くの人々を説得できる反論が不可能なら

    ば,「古臭い」「時代遅れである」と呼ばれた学問は後退して行かざるをえない。消滅するこ

    95

  • 社会にとって歴史とは何か?

    とはないとしても,単なる過去の記録として保存されるだけになる。

    私見では,「インチキ歴史家」へのカー(と清水幾太郎)の危機感は,歴史そのものの自浄

    作用でかなりの部分が解決される。特定の時代には多くの人々を動員して熱心に進められて

    いた研究も,時代が変れば退屈な過去の遺物になってしまう。おそらく歴史は多くの歴史家

    よりもはるかに速く動いてしまうからである

    その一方で,歴史家が,マックス・ウェーバーをも含めて程度の差こそあれ相対主義的な

    思考を身につけているのは,まさにこのためである。まさにこれこそが「歴史の歴史性」で

    ある。何が歴史として意味があるのかということ自体が歴史的に変化してしまう。そして,

    こういった変化を残念がったり問題視したりするのではなくて,むしろ強調する点にこそ,

    (歴史)相対主義の思考が成り立っている。

    カーの『歴史とは何か』が,今でも原書の英語版も日本語も含めた各国語訳もいまだに版

    を重ねていることは,60年前のこの辛口批評がいまだに意義を失っていないことを証明して

    いるともいえる。カーが考えたように「歴史」は,確かに袋小路に突き当たっているのかも

    しれない。

    ただし,本稿の関心は既存の学問研究の成り行きやその後について評価したり批判したり

    することではなくて,むしろ「歴史」が今日において「社会」について何か貢献できないか,

    さらには,「社会」が「歴史」について何か参考にできる思考を提供できないのかということ

    である。

    3. 相対主義の功罪

    どのような議論があるにせよ,歴史という思考は,ある部分では永遠に不変なのだろう。

    それは常に揺れ動いて未来においてどのような状況が生じているのか予測できないという思

    考である。歴史は,未来が今日の人々の思考を常に裏切ると考える点で,一面では反理性的

    な知でもあるといえる。なぜなら,今時点での最良,最強の知性でも,未来には無効になっ

    てしまい,後から考えれば愚かな盲信でしかなかったという判断を下す可能性があるからで

    ある。しかし,歴史にも決定的な弱点はある。それは論理的に今現在の視点で何も未来につ

    いて判断できないことである。過去については得意の後知恵で実に雄弁に語るのだが,未来

    については何も言えない。

    おそらくここにこそ人文・社会科学をめぐる人間の知の可能性と限界が出ているのだろ

    う。人々は未来を予想して自分(と仲間)がより有利な状況に向かうことを望むのだが,他

    者も同じことを考えている。だから同じように予想された未来に向かって対立や競争が生

    じ,勝者と敗者や様々な妥協が生まれる。無数にある「自己」が互いに日々刻々関係性を作

    り出しているのだから,それは人間の認識能力にとってはほとんど「無限」と呼ぶべきだろ

    う。しかも,人間は「他者」を介してしか「自己」について考えることができない。もちろん,

    「他者」は実は「自己」の投影であり,自己言及でしかない 3)。

    96

  • 社会にとって歴史とは何か?

    19世紀の歴史学者の苦闘を回顧して後,カーの『歴史とは何か』に最初に登場する難題は,

    歴史哲学者コリンウッド(Robin George Collingwood 1889-1943)に代表される歴史観をめぐ

    る問題である。しばしば歴史相対主義の代表的論者として言及されるコリンウッドは,カー

    によれば二つの点で「危険」をはらんでいる。まず,1. 歴史上になされた判断はすべてその

    時代においては合理的で正しかったと主張する点であり,次に,2. 歴史家は己の利害や意図

    に沿って自由自在に歴史を書くことができると主張する点である(25頁以下)。

    もちろん,これらの主張はコリンウッドだけに限定されるわけではなくて,むしろこの時

    代に「歴史相対主義」と呼ばれた議論によくみられる考えであるというべきだろう。簡単に

    いえば,歴史の主導権は今現在を生きる歴史家の側にあり,歴史家は自分の好きな歴史を好

    きなように書くことができるという考えに行き着く。それは「歴史上の事実は無で,解釈が

    一切」(35頁)と言い換えることもでき,カー自身が指摘しているように,現在と未来の「生」

    がすべてであるというニーチェの哲学につながっていく(35頁)。

    それは,もちろん本稿で先に触れたマックス・ウェーバーの立場とも通じる。ウェーバー

    が「理解社会学」と呼んだ立場は,コリンウッドが歴史哲学で行った議論と呼応関係にある

    と考えることもできる。たとえば,個人の思念において行動の意味を解釈することを主眼と

    するウェーバーの理解社会学は,歴史家の思念において史実を解釈することを強調するコリ

    ンウッドの歴史哲学と平行関係にあると見ることができる。

    このように考えてくると,カーの議論が単に歴史学や歴史哲学だけではなくて,社会学の

    問題でもあることがわかってくる。もちろん社会学にも,事実と解釈の間の緊張関係は別の

    形を取っているにせよ,存在するからである 4)。

    カーは先に過度な事実崇拝,つまり客観的な史実を編纂すればそれで「完全な歴史」が完

    成するという立場を批判したが,正反対の立場にも批判的である。一方は史実(事実)のみ

    を究明しようと主張し,他方はすべては解釈であると主張する。

    「このように,歴史家と歴史上の事実との関係を吟味して参りますと,私たちは[二匹

    の怪物が待ち構える]二つの難所 5)の間を危うく航行するという全く不安定な状態にあ

    ることが判ります。すなわち,歴史を事実の客観的編纂と考え,解釈に対する事実の無

    条件的優越性を説く支持し難い理論の難所と,歴史とは,歴史上の事実を明らかにし,

    これを解釈の過程を通して征服する歴史家の心の主観的産物であると考える,これまた

    支持し難い理論の難所との間,つまり,歴史の重心は過去にあるという見方と,歴史の

    重心は現在にあるという見方との間であります。」(38-39頁)

    「スキュラとカリブディス」,ギリシア神話に登場する二匹の怪物は狭い水路の両側で待ち

    構えていて通行する航海者を捕まえて食べてしまう。過去の史実に忠誠を誓うのか,それと

    も現在の解釈を優先するのか。カーがこれらを「怪物」にたとえるのは,狭い水路を航行す

    97

  • 社会にとって歴史とは何か?

    る歴史家がしばしば一方に捕まって逃げられなくなってしまうからである。

    社会学の問題としてとらえ直すならば,一方には実証的な手法で集められた客観的な事実

    を積み重ねていけば真実の社会が見えてくるという立場があり,他方には個々の社会学者に

    とって有意義で有用な─「使える(プラグマティック)」─事実を自由に選び取り,しか

    も自由な解釈が可能であるという立場がある。社会学が収集した事実も,それが今現在から

    切り離されているという点では過去に属する。一方は特定の観点や方法による知識の蓄積を

    盲信し,もう一方は様々な観点の争いを強調したがる。

    いうまでもなく,歴史家も社会学者も,自分の立場についてこんなあからさまな表現を使

    うことはまれだろう。当然誰もが自分は中庸的で,様々な立場のよいところを採り欠点はで

    きるだけ避けていると考えたい。しかし,根幹をなす方法論の次元での問題は,個々の研究

    者の意図とは別に研究全体を決定づけてしまう。

    歴史学と社会学を対比する仕事は,理論という交差点で考える場合,実り多い結果をもた

    らす可能性を秘めている。人々が過去を振り返るとき歴史学の知が成り立ち,人々が現在自

    分たちが置かれている状況を考えようとするとき,社会学の知が語り始める。それは歴史学

    ほどは相対主義的ではないが,教育学ほど道徳主義的でもない。社会学は「社会」をめぐる

    道徳的な使命感や責任感と,多様な価値に対する相対性の両極から強い影響を受けつつ進ん

    できた。時代によって,地域によって価値は異なっているが,それでも人間は他者との間で

    社会を作り出し,しかも社会に認められることで喜びや充実感,生きる意味を獲得する。

    しかも,人間にはそれ以外の選択肢がないのである。ヨーロッパの近代にあって,一部の

    思想家が「自由で独立した個人」という理念を開発し,それを広めてきた。人間の歴史にとっ

    ては驚きの新思想で,過去のヨーロッパにも,ヨーロッパ以外の世界にも未知の思考である。

    「自由で独立した個人」は一人で生きていける。他人に何も依存しなくても自分にとって最

    良の行動を選択できる。しかも,「個人」には生まれつきの天命みたいなものが備わっていて,

    若い頃には不明でも努力すればそれを発見できるとされる。「自由で独立した個人」は,あ

    らかじめ決定された「天職」を見つけるために試行錯誤を繰り返すが,いつかは成功する。

    もちろん「天職」は環境や人間関係で左右されるものではない。

    それは実証主義的な社会観と補完し合う考えでもあった。実証主義が「社会の真実」といっ

    たものを明らかにしようとするように,「自由で独立した個人」も自分の真実を発見して,

    いつかは完全無欠の理想社会を作り出すことができると考える。そして,自分もまた「自由

    で独立した個人」である研究者(社会科学者,社会学者)が,実体としての性格をもった「社

    会」を客観的に研究し,悪いところは改良する。時には,すべてを一旦破壊してゼロから理

    想社会を建設するなどという思考もこの線に沿って登場してくる。

    私見では,近代史学と社会学は同時期に生じてきた知の営みである。歴史学が人物中心の

    政治史というかなり固定的な形(パラダイム)から離れ,経済史や社会史に主軸を移してい

    く過程は,明らかに社会学という学問が成立していくのと呼応している。ナポレオンやカエ

    98

  • 社会にとって歴史とは何か?

    サルのような偉大な個人でも,経済や社会の圧倒的な影響力を無視して自由に活動すること

    などできない。むしろ経済や社会のあり方こそが偉大な英雄や政治家といった古くからおな

    じみの人物たちを生み出したのだという考えが支配的になる。

    これに対して,社会学は教育学のデュルケームと歴史学のウェーバーの間の緊張関係から

    展開してきた。ありうるべき理想社会への探求のかたわらで,理想そのものが変化していく

    ことをも強調する。緊張関係の中で無数の「社会学」が生まれてきた。それは社会学という

    学問が当初からはらんでいる遠心力である。デュルケームは人々を結びつける価値を作り出

    す「社会」の絶対的な意義を強調したが,肝心な価値そのものはウェーバーによると常に動

    いていて将来どうなるのかはわからない。さまざまな妥協案,折衷案が試みられても,その

    種の約束はすぐに反古にされてしまう。しかも,デュルケームのような人物は,最初からそ

    の種の反論を織り込んでおり,変化しつつも不変の社会と人間のかかわりを探求しようとし

    た。

    カーの立場に戻ると,歴史をめぐる「二つの難所」を,社会をめぐる「難所」としてとらえ

    直すことで,歴史学が積み重ねてきた探求を社会学にも生かすことができるのではないだろ

    うか。それは実証主義と解釈主義(意味学派)がそれぞれに陥りやすい極論を避けて進んで

    いくことである。事実偏重の歴史学は事実(史実)だけを追っていけばより完成した歴史学

    が可能になると考えたが,事実偏重の社会学もまた特定の視点と方法による事実を積み上げ

    ていけばより緻密で「科学的」な社会学が可能になると考える。

    これに対して,解釈主義(意味学派 6))の社会学は,歴史を歴史家の主観の産物と断定し

    た歴史学(歴史哲学)と同じく,社会をすべてにわたって個々人の主観の産物であるとみな

    そうとする。

    「意味学派」に対比して「事実学派」という言葉がここで可能かもしれない。事実学派の社

    会学は,社会とは実在であり,厳密に探求すれば明らかになると考えている。これに対して

    意味学派は社会などという実在は存在しないという考えを強調し,常に生じては消えていく

    意味こそが重要であるとみなす。

    カーの議論に再び照らし合わせるならば,事実学派は過去から無時間的─時間の流れに

    おいて不変─に存在する社会についてこだわる。社会は過去から基本的に不変なので,過

    去こそが重要である。基本的に変化しない状態が「存在」しているのならば,存在の早い時

    期の状態を検証することこそが有意義だと考えるのは,自然なことである。これに対して,

    意味学派は,いまここで生じている関係こそが重要であり,過去からのつながりや過去の関

    係の関連は二次的な問題であると考える。過去はどうであれ,いまここで自分が直面してい

    る関係こそが最重要なのである。

    これら二つの立場は,おそらく文系の学問,特に社会科学において長い間にわたって重要

    な問題でありつづけるのだろう。事実学派の人々は多くの人員を動員し多くの人々が思い浮

    べる社会問題について,その時代の標準的な理解を何とかして固定しようと考える。しかし,

    99

  • 社会にとって歴史とは何か?

    数百年の「社会科学」の歴史を観察すると,実はかなり短い期間で「パラダイム」が変化して

    いるのも事実で,変化を強調すると意味学派に向かうことになる。

    カーの議論を検討しながら考えてくることで,問題は歴史学の範囲だけではなくて,社会

    学にとっても重要であることがわかってきた。しかも,カーに感謝するべきなのは,「二つ

    の難所」─過去と現在,事実と意味─がもつかなり立体的な性質が視野に入ってきたこ

    とである。言い換えると,なんと呼ぶにせよ,事実学派(実証主義)と意味学派の対立は社

    会学で古くから知られてきたが,それを歴史学の方向からとらえると,過去と現在の対立に

    変換できる。つまり,過去にでき上がった特定の理論や方法に従って研究する社会学と,今

    ここで生じている社会関係に注目する社会学の相違である。これは従来の社会学の議論では

    見られなかった論点である。

    4. 事実学派と意味学派

    カー自身の考えは,二匹の怪物のどちらに捕まってしまうのもよくなくて,あくまでも中

    間の隘路を通っていくことである。一方の怪物に捕まって特定の型の史実を延々と集めるだ

    けになってしまうのも,また他方の怪物に捕まって好き放題な解釈や歴史的思弁にふけるの

    も避けるべきだというのがカーの主張である。

    それと同じく,社会学も同じような調査結果を同じようなやり方で延々と積み上げていく

    のも,また好き勝手な社会思想にふけるのも,同じく怪物に捕まった状態であるといえるだ

    ろう。極端な事実学派も極端な意味学派も,怪物に食われて胃袋の中で安住しているという

    点で,相手の立場を無視し,また両者の間の緊張関係を知らないといえる。

    このように考えてくると,すでにこれまでの社会学にとって有意義で教えられるところの

    多い論点がいろいろ連想される。とくに,「意味学派」に分類される現象学的社会学が実証

    主義の社会学に対して行った批判や,その逆の批判を見てきた人ならば,二匹の怪物の間を

    うまく通り抜けることの難しさは毎度思い知らされているところである。

    ここに論争やイデオロギー対立の根幹が登場する。対立する立場が強力であれば強力であ

    るほど,それに対抗するには極端な主張をせざるをえない。相手の立場を極端化し,しかも

    醜く戯画化することで,自分たちの立場の正当性や優越性を強調する。相手は偏狭で無知な

    連中であり,対する自分たちは寛容で様々な知識を集めている。

    しかも,困ったことに熱心な論争者や過激な党派心の持ち主は,多くの場合,異なった立

    場の人々から学ぼうとはしない。カーが強調したいのがまさにこの点である。

    事実学派と意味学派の違いは,カーの理解によれば過去と現在のどちらに力点を置くのか

    にあるが,動かない事実と動かせる解釈の違いとも読み替えることができる。動かせない事

    実はたとえそれが現時点で不明であったとしても,探求困難であったとしても,いつか明ら

    かになり,探求できるようになれば万人が認めなければならない。これに対して,動かせる

    解釈は常に刻々と変っていくことが身上で,今ここで生きる人々のあり方をそのまま反映し

    100

  • 社会にとって歴史とは何か?

    うる。ただし,その反面でまさに今現在の人々の力関係もまたそのまま反映してしまう。動

    かせるとは,ようするにより力強く動かせる人々の存在に直結するからである。

    近代の学問観,科学観にとって事実学派の方がはるかに相応しく思われたのは,それほど

    考えなくとも理解できることである。意味学派は恣意的であるように思われ,対する事実学

    派は堅実な学問探究を暗示する。たとえゆっくりでも着実に確実な事実を積み上げていけ

    ば,より高度な学問が実現する。まさにこれこそが事実学派の信条である。

    ただし,事実学派の信条が本当に実現するのかどうかを問い直すのが意味学派でもある。

    確かに事実学派は事実を積み上げるのに長けてはいるが,カーが言うように特定の視点と方

    法に基づいてそれらに好都合な事実ばかりを集めていることが多い。事実学派は学問の進展

    によって視点や方法がおのずから改良,改革されることを願うが,むしろ形骸化の方が多い。

    歴史学と社会学はそれぞれの分野でやはり同じ問題の直面してきたのだが,直面する中で

    それぞれに人間の知的探求の可能性や限界を明らかにしてきたともいえる。カーがギリシア

    神話の二匹の怪物にたとえて論じた限界は,同時に可能性でもあった。現に,多くの歴史家

    も社会学者も二匹の怪物に完全に捕まっている例はむしろまれで,優れた事実学派は意味の

    世界にも通じており,やはり優れた意味学派は事実の重みに敬意を忘れない。むしろ無数に

    ありえる組み合わせこそが常に新たな可能性を生み出しているのだろう。実は,先の引用に

    続けてカーは次のように書いていた。

    「しかし,私たちの状況は,外見ほど不安定なものではありません。なお,私たちは,

    事実と解釈という同じ対立が本講演を通じていろいろと姿を変えて─特殊的なものと

    一般的なもの,経験的なものと理論的なもの,客観的なものと主観的なもの─現われ

    るのに出会うでしょう。歴史家の陥っている窮境は,人間の本性の一つの反映なのであ

    ります。[中略]歴史家は事実の慎ましい奴隷でもなく,その暴虐な主人でもないのです。

    歴史家と事実との関係は平等な関係,ギヴ・アンド・テークの関係であります。実際の

    歴史家が考えたり書いたりする時の自分自身の仕事ぶりを少し反省してみれば判ること

    ですが,歴史家というのは,自分の解釈にしたがって自分の事実を作り上げ,自分の事

    実にしたがって自分の解釈を作り上げるという不断の過程に巻き込まれているもので

    す。一方を他方の上に置くというのは不可能な話です。」(39頁)

    同じことはもちろんそのまま社会学についてもいえる。やはり社会学者も,奴隷でもなけ

    れば,暴君でもない 7)。

    ただし,概念や理論の世界はその性質上極端な語りを得意とする。言い換えれば,何でも

    極端な物言いに走りがちである。売り言葉に買い言葉,極端な敵が極端な言葉で非難してき

    たならば,こちらも同じくらいかそれ以上に極端な言葉で反撃する。そして,攻撃の応酬が

    続く中でますます極端化していく。

    101

  • 社会にとって歴史とは何か?

    いうならばそれは概念や理論がもたらす困難である。人間は問題を深く考えるために,あ

    るいは普遍的な次元で考えるために,抽象化することで概念や理論を作ってきた。しかし,

    いったん出来上がった概念や理論は,人々の思考を特定の経路へと誘導する。結果,多くの

    人々は,あたかもそれ以外の可能性が一切存在しないかのように考えてしまう。

    学問をめぐる困難の多くは,まさにこうして生じている。さらにいえば,「イデオロギー」

    と呼ばれるものの対立も各々のイデオロギーを構成する概念や理論が,それを信奉する人々

    の思考を誘導していくからである。さらにいえば,各々のイデオロギーには,特有の物言い

    (修辞法,レトリック)があり,いかにもそれらしい語りというのは驚くほど容易に再現で

    きる。そして,それがあまりにも容易であるためにレトリックがむしろ優先されてしまう。

    その結果,言っていることが互いに矛盾していても,それらしい語りをしているならば,

    同じイデオロギーを共有している人々から,真摯に個々の問題に取り組んでいると高く評価

    されることも難しくない。主張している内容よりも,いかにも「・・主義者的な語り」を共

    有することの方が重要になってしまう。こうして修辞法(レトリック)を共有するレトリッ

    ク共同体がいくつも生まれてくる。つまり何らかの思想を表現したり,探求したりすること

    よりも,レトリック共同体を維持することに力点が移っていくのである 8)。

    議論を元に戻すと,事実学派の思考はデュルケームと親和性をもち,他方,意味学派はそ

    の思考の源泉としてウェーバーを仰いできた。半ばそれだけで一人歩きしてきた「社会をモ

    ノとして研究する」というデュルケームの言葉は,モノである社会について確実な知識を積

    み重ねていけば,科学としての社会学の完成度も上がるということになる。もちろん,ウェー

    バーの流れを汲む人々は,その種の科学観をそのまま受け入れることはない。そもそも,意

    味学派にとって社会はモノであるどころか,実在ですらない。

    ただし,彼らの思考をもう少し子細に観察していくと事情は異なってくる。特にデュル

    ケームの場合は,当人が愛用する実証主義的(あるいは,科学主義的)なレトリックと,実

    際に行っている議論の間に齟齬が生じていることがよくある。ごく単純化していうならば,

    「社会をモノとして研究する」というまさに唯物論(素朴な自然科学主義)的なレトリックを

    用いながら,実際にデュルケームがやっている議論ははるかに観念論(理想主義)的である。

    現に,デュルケームの論じる「社会」というのは,個々人の意図を超越しているとはいえ,

    明らかに「モノ(物質)」ではない。デュルケームの「社会」は,人々が意のままに加工する

    物質というよりも,逆に人々を意のままに操る大きな力であるように見える。このようにい

    えば,デュルケームを時代遅れの科学主義であるとする一般の決めつけが,ひどい誤解であ

    ると考える多くのデュルケーム研究者の同意や共感が得られるのではないだろうか。

    簡単にいえば,デュルケームの場合,多くの主要著作で当人の思考と用いているレトリッ

    クがずれている。理由を推察するならば,当時は実証主義や科学主義の最盛期で,それらの

    レトリックを使わなければ進歩的な「科学」であると読者に印象づけることが難しかったこ

    とが考えられる。ドイツ留学も経験しドイツの学界についても深く通じていたデュルケーム

    102

  • 社会にとって歴史とは何か?

    が,当時ドイツで大きな勢力を振るっていた意味学派の動態,特に新カント派の自然科学主

    義批判を知らなかったはずなどない。デュルケームは隣国での意味学派の勃興を知りなが

    ら,自らは事実学派(実証主義)の立場を堅持しようと,それらしいレトリックを使い続けた。

    そして,実際には「観念論(理想主義)」に近い思考をつづけたデュルケームが,いうなら

    ば「唯物論」の代表者として理解されてきた事情に注意が向かうことにもなる。社会科学に

    とってレトリック(修辞法)の影響の大きさを思い知らされる体験がこれである。社会科学

    からレトリックの影響を減らすにはどうしたらよいのか。

    それは,著作の「語り方」とは別に,著者が本当は何が言いたかったのかという問題でも

    ある。もちろん過去の思想家や著述家の再評価や再理解というのは,まさにこういう形を取

    るのが普通なのだろう。いうまでもなく,それは解釈の問題であり,先にカーが指摘した怪

    物の一方が猛威を振るう場でもある。よくある政治家の「失言」のように,ある人の著作の

    中の言葉の断片を取り出して,好き勝手な解釈を組み立てることは難しいことではない。

    しかし,その種の仕事の多くが不毛なのは,結局のところ特定の人物の知名度や権威を利

    用しているだけであって,それを手掛かりにして自分で真剣に考えているわけではないから

    である。文章を書く仕事を長くやっていると,技術は上がってきて,以前に書かれた文章を

    使って再構成することは容易になる。大学院の教育などはまさにこれで,先行研究への配慮

    や文献の使い方などを学習することで学術文献を書く訓練をする。もちろんこれは必要なこ

    とである。しかし,訓練の成果が上がりすぎると,今度は自分で考えることよりも,延々と

    「編集」をするようになってしまう。その種の仕事から自分で考える仕事へと移動するとき

    がいつか来なくてはならない。これは勇気がいる仕事で,勇気だけではなくて向こう見ずな

    勇敢さも必要だろう。過去の優れた著者の書いた本を読むことが何よりも有意義なのは,教

    科書的にまとめられた「思想」というよりも,むしろはるかに,自分の思考への移動がみら

    れるからである。

    5. 歴史を書く,社会を書く

    ここまで考えてくると,カーが歴史を「歴史家と彼の事実との間の相互作用の不断の過程

    であり,現在と過去との尽きることを知らぬ対話」と呼んだのは,現在の解釈にこだわる意

    味学派と,過去の事実にこだわる事実学派の間の相互作用の過程を強調していたと考えるこ

    とができる。事実と解釈の二匹の怪物は歴史家という航海者だけではなく,社会学者の進路

    にも大口を開けて待ち構えていて,すぐに噛みついて離さない。相互作用の過程とは,どち

    らか一方に特化して留まるのではなくて,常に両方を見据えて考えを進めていくという困難

    な仕事のことである。

    カーの『歴史とは何か』が今日でもなお読まれ続けている理由は,特定のイデオロギーを

    弁護しているからでもなく,また特定の方法論を読者に伝授しているからでもない。むしろ,

    歴史家がなぜ歴史を書くのかという根本の問題をめぐって真剣に考え続けているからであ

    103

  • 社会にとって歴史とは何か?

    る。この本には,文章を書く人間ならば強い印象を受ける一節がある。

    「私自身について申しますと,自分が主要史料と考えるものを少し読み始めた途端,猛

    烈に腕がムズムズしてきて,自分で書き始めてしまうのです(the itch becomes too

    strong and I begin to write)。これは書き始めには限りません。どこかでそうなるのです。

    いや,どこでもそうなってしまうのです。それからは,読むことと書くこととが同時に

    進みます。読み進むにしたがって,書き加えたり,削ったり,書き改めたり,除いたり

    というわけです。また,読むことは,書くことによって導かれ,方向を与えられ,豊か

    にされます。書けば書くほど,私は自分が求めているものを一層よく知るようになり,

    自分が見出したものの意味や重要性を一層よく理解するようになります。」(37頁)

    書きたくていてもたってもいられなくなり,書いてしまう。まさにこれである。歴史は調

    べてから書くのか,書いてから調べるのか?鶏か卵かという話に似ているが,カーの結論は

    鶏は卵であり,卵は同時に鶏でもある。順番は無意味で,むしろ同時進行。何らかのまとまっ

    た「意味」をもつ創作物は,いったん生み出されるとそれ自体が生命を持つかのようになり,

    それ自体がそれ自体を作り出していくようになる。意味が意味自体を作り出し,秩序がそれ

    自体を自己産出する。

    もちろん,同じことは社会学についてもいえる。書くことは発見すること,書くことは理

    解すること,そして読むことは同時に発見することでもあり,書くことでもある。関係は循

    環し,循環が繰り返されると意識の中では一体になる。歴史を書くのは書かざるをえないか

    らである。

    同じことが社会学についてもいえるはずである。腕がむず痒くなるのかどうかはともか

    く,「社会」をめぐる様々な方法を用いた研究は,人々に書かざるをえなくなるという体験

    をもたらすにちがいない。歴史学や社会学といった学科の垣根を越え,人間の知の営みには

    共通した性質があるのではないだろうか。

    人は自分が関心をもつ問題について調べ,調べていくなかで記録する。記録された内容は

    元々当人が関心をもった問題に関係しているので,記録されること自体が記録した当人の思

    考を刺戟する。逆にいえば,自分の関心ではない問題についていくら多くの情報が与えられ

    ても,それらに対して関心を抱くことはない。ほとんどすべては素通し,通過していくだけ

    で,研究者にとっては存在しないのと同じである。

    これに対して,人々が関心をもつ問題については,それ自体が一人歩きを始める。一人歩

    きといっても,それはあくまでも擬人法というレトリックであって,実際には研究者自身が

    通常よりもはるかに強い関心を抱いているだけである。そして,強い関心に突き動かされた

    研究者たちは,自分たちが作った学問があたかも静物であるかのように自分たちにとって好

    都合な事実(史実)を果てしなく集めるようになる。

    104

  • 社会にとって歴史とは何か?

    本稿ではカーの思考に触発されて事実学派と意味学派の関係に行きついた。事実学派と意

    味学派もまた各々内部で循環しているはずである。事実学派は,当初に掲げられた理論や史

    観に沿った事実を果てしなく集め,事実を集めることによって新たな知見が得られることを

    期待してきた。これに対して,意味学派は自分たちの思想(理論,哲学,方法,モデル)を

    再生産していく。もちろん,思想にはいろいろな種類がある。どちらも特定の考えに基づい

    て知識を収集するという点では共通している。

    人間の思考は,おそらく特定の枠組を与えられることでより一層活発になることができる

    のだろう。様々な形の利益と結びついた「学派」というのも,枠組に従うことによって生まれ,

    再生産される。そこで再生産されるのは,同じ立場を共有する人々にとっての「事実」であり,

    「理論」「思想」である。しかも,それらは共有する人々全体の利益に奉仕しなければならない。

    そうでなければ,共同体から追放されてしまうか,そうでなくても内部で不利な立場におか

    れてしまうからである。

    そして,人々は自分がおかれた状況について深く考えながら,自分の立場を定めようとす

    る。常に自分は何者なのかと考えながら,歴史家も社会学者も仕事を続けている。仕事を続

    けるなかで,また自分の歴史における,社会における居場所についても気づくようになる。

    なによりも興味深いのは,歴史学と社会学の自己言及性だろう。本稿では先に,「歴史の

    歴史性」や「社会の社会性」について論じてきた。歴史家が従う特定の史観が歴史的に動い

    ている一方で,社会学者が作り出している社会的関係もごくごく社会学的である。カーが主

    張するように,歴史家も社会学者も,決して完全な奴隷ではないし,専制支配の暴君でもな

    い。

    むしろ人々は環境に完全に依存する状態も,逆に環境を完全に変化させることも避けて思

    考しているのだろう。このことは自己言及という問題を考えてみれば,かなり理解しやすい。

    完全な依存は,突き詰めていけば同じものの再生産でしかない。カーボンコピー,判で押し

    たような同じものが連続することを,人は基本的に耐えられない。他方,旧来の思考をすべ

    て否定することもまた,すべての人々にとって耐えがたい。両方の極ともよほどの強い精神

    力がなければ不可能で,ほとんどすべての人々は各々の思考の中に,両極の中で揺れ動いて

    いる自己について考えている。

    極論すれば,人間が考えることは,実はすべて自己言及なのだが,他者を介さなければ「自

    己」として認識することはできない。自己の生き方や,自己の利害,自己の理想を真っ向か

    ら否定してくる「他者」があるからこそ,人は「自己」でありうる。自己に目覚めることがで

    きるのである。

    そして,人間の思考はすべて自己言及でありながら,そこに敷居を設け,「自己」と「他者」

    を設定することで,「社会」に直面することになった。社会はそれ自体が人々にとっての自

    己言及なのだが,それをあたかも他者であるかのように語ることで,はじめて「社会科学」

    は生まれた。その結果,社会科学は「社会」をあたかも巨大な物体であるかのように固定す

    105

  • 社会にとって歴史とは何か?

    るという思考習慣が生まれることにもなった。

    こうして社会科学としての社会学が成立する。社会学は,すべてにわたって自己言及でし

    かない「社会」を,あたかも自分とは無関係な「客観的な事実」として論じることで,学問と

    しての地位を確保してきた。あらかじめ誤解の可能性をふさいでおくならば,「客観的な事

    実」を,極端な意味学派のように拒否する必要はない。論理的に突き詰めていくならば,意

    味学派がいうように「社会」という事実など厳密には存在しない。強弁すればすべて否定し

    去ることもできるだろう。しかし,そのような極端は,カーがいうように人間の姿とは異なっ

    ている。

    人間にとって意味や価値はどうやって生じていくのか。そして,「歴史」や「社会」はどう

    やって生まれたのか。カーの強い感性は,思考していく中でその実態に接近している。独立

    した存在としての個人が独立した存在(機械)としての社会のボタンを押して,社会という

    機械がガチャガチャ作動するといった理解はここにはない。社会に訴えかける個人も社会か

    ら影響を受けており,社会からそう求められるからこそ自分が「個人」であると考える。そ

    もそも「自分」「自我」「Self」というのも,完全に社会的な現象でしかない。関係は常に揺れ

    動いており,むしろ動きの中から様々な現象が生じているといえる。

    そして,ある状況の下で特定の価値が重要であると言い聞かされると,人々はそれに沿っ

    て自分たちの関係を作り出し,それを「社会」と呼ぶ。さらに,社会的な関係の中で特定の

    要請─価値─に添って考えることで,自分が「自分」「自我」,あるいは「個人」であると

    感じる。しかも,ある種の考え方に従っていると,「個人」以外はすべて虚構であるかのよ

    うにすら感じられる。

    おそらく人間は様々な意味の連なりのなかで微妙に揺れ動いて均衡を探しているのだろ

    う。しかし,その一方で言語と結びついた「概念」が人々に純粋さや論理的な一貫性や厳密

    性を要求する。人々は言語で考えているつもりでいながら,おそらく同じくらい言語に,概

    念に考えさせられている。そうやって人々は常に均衡を見つけ出す。カーという均衡の思想

    家 9)が教えてくれる学問観がここに開かれるのである。

    文献

    E・H・カー『歴史とは何か』,清水幾太郎訳,岩波新書,1962年

    E・H・カー『カール・マルクス』,石神良平訳,未來社,1961年

    E・H・カー『危機の二十年』, 原彬久訳,岩波文庫,2011年

    E.H. Carr, Preface to the Second Edition, in: E.H. Carr, What is History, 2d edition, Penguin Books,

    London 1987

    デイヴィッド・キャナダイン編『いま歴史とは何か』,平田雅博,岩井淳,菅原秀二,細川道久訳,

    ミネルヴァ書房,2005年

    犬飼裕一「歴史について語ること─歴史認識と社会学」,『社会学論叢』第 191号(日本大学社会

    学会),2018年

    106

  • 社会にとって歴史とは何か?

    犬飼裕一「おのずから生ずる秩序の語り方─フリードリヒ・ハイエクと社会学理論,そして社会

    修辞学」,『研究紀要』第 96号(日本大学人文科学研究所),2018年

    犬飼裕一「自己言及としての社会─ 21世紀から「社会」を考える社会学理論」,『社会学論叢』

    第 193号(日本大学社会学会),2018年

    犬飼裕一「社会的構築の彼方─自己言及性から社会構成主義・社会構築主義,そして社会修辞学」,

    『研究紀要』第 97号(日本大学人文科学研究所),2019年

    河村有毅「マートンの「中範囲の理論」再考─「著された理論」と「実際の探求過程」の媒介に

    ついて─」,『立命館産業社会論集』,第 40巻第 4号,2005年

    カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』,高橋徹・徳永恂訳,『世界の名著 56』,中央公

    論社,1971年

    ロバート・キング・マートン『社会理論と社会構造』,森東吾・森好夫・金沢実・中島竜太郎訳,

    みすず書房,1961年

    西村邦行『国際政治学の誕生─ E・H・カーと近代の隘路』,昭和堂,2012年

    西村邦行「世界にとどまる:E・H・カー『歴史とは何か』の政治思想」,『北海道教育大学紀要』65

    巻 2,人文科学・社会科学編,2015年 12月,13-28頁。

    1) E・H・カー『歴史とは何か』は広く知られている割には,理論的な検討がそれほど多く加え

    られてきた文献ではないという点で,すでに特徴的である。日本の先行研究としては,近年

    では政治学者の西村邦行が長くカーの政治思想について研究を行っており,いくつかの論文

    や著書によって多くの知見を頂戴した。タイトルからして歴史学(あるいは,歴史学理論)

    の文献である『歴史とは何か』はそれらの分野で読まれてきたが,西村は,これを「政治思

    想の書として読み直す」(西村邦行,「世界にとどまる」,14頁)。本稿は西村の試みに触発さ

    れて社会学理論として読んでいくことを意図している。

    2) イギリス人のカーは,イギリスの知的伝統と歴史学の実証主義が親和性をもっていることを

    強調する。それは一貫した現場主義に通じるものでもあり,現場で働く無数の人々の貢献に

    対する尊敬心に裏付けられている。現場で一心不乱に努力したのだから,当然他の人々には

    ない成果を挙げるべきであると考えるのである。

    「科学としての歴史ということを熱心に主張する実証主義者たちは,その強大な影響力

    に物を言わせて,この事実崇拝を助長しました。先ず,事実を確かめよ,然る後に,事

    実から汝の結論を引き出すべし,と実証主義者たちは申しました。イギリスでは,こう

    いう歴史観は,ロックからバートランド・ラッセルに至るイギリス哲学の支配的潮流で

    ある経験論の伝統と完全に調和しました。経験主義の知識論では主観と客観との完全な

    分離を前提いたします。感覚的印象と同様に,事実は外部から観察者にぶつかって来る

    もので,観察者の意識から独立なものだというのです。」(カー『歴史とは何か』,4-5頁)

    この種の考えは,当事者たちの努力や思い入れが強いだけに,それだけ強いこだわりを生み

    出すことになる。観察者とは完全に独立した対象は,独立しているがゆえに,観察者の努力

    に正比例して真実を究明されなければならない。理由は簡単で,研究者と研究対象,観察者

    107

  • 社会にとって歴史とは何か?

    と観察対象は完全に切り離されているからこそ,一方による他方に対する働きかけが完全に

    有効となるからである。仮に,働きかけられた研究対象の側が,働きかけてきた研究者に報

    いようと好都合な研究成果を意図的に作り出したのならば,当事者の好意は度外視して,研

    究全体が無意味になってしまうだろう。まさにここに実証主義による人文社会科学の根幹が

    出ている。主観と客観が完全に分離されていてはじめて,この種の「科学」は根拠を確保し

    ているからである。

    3) 人間にとって「社会」とは究極的には自己言及でしかないという問題については,最近の拙

    稿で集中的に論じたの参照されたい。犬飼裕一「自己言及としての社会」2018年。

    4) たとえば,カール・マンハイム(Karl Mannheim 1893-1947)は『イデオロギーとユートピア』

    において,社会学の分野でも盛んに論じられていた相対主義のジレンマから脱出する方策と

    して,「相関主義(Relationismus)」という立場を提案した。マンハイムの議論は,ウェーバー

    が提起した「価値自由(没価値性,没評価性Wertfreiheit)」が相対主義へ向かわざるをえな

    いという批判に応える形で,価値自由は必然的に相対主義に行き着くのではなくて,相関主

    義という選択しもありうると主張した。マンハイムによると,「相関主義とは何かといえば,

    それは,ただあらゆる意味の要素が相互に関連しあっていること,および,それらがたがい

    に基礎づけあいながら,ある特定の体系のうちで意味をもつということにすぎない」(マン

    ハイム『イデオロギーとユートピア』,197-198頁)。つまり,知識は歴史にあっても社会学

    にあっても,相対主義が考えるようなばらばらの恣意性に向かうのではなくて,マンハイム

    のいう「存在拘束性(Seinsverbundenheit)」の下で互いに関係し合っていると考えるわけで

    ある。ただし,相関性は歴史上のある時点においての相関性であって,別の体系が生じたな

    らばまた別様の相関性が生まれる。

    5) 原文ではギリシア神話に基づく成句「スキュラとカリブディスにはさまれたように between

    Scylla and Charybdis」というのを下敷きにして,前者が「Scylla」で後者が「Charybdis」と

    なっている。両方とも怪物の名前で,怪物たちは旅をするオデュッセウスの一行を殺そうと

    狙っているのだが,一行は犠牲を出しながらも何とか間を通り抜ける。

    6) 意味学派は,現象学的社会学や象徴的相互行為(シンボリック・インターアクション)論,

    エスノメソドロジーなどに代表される「意味」を中心に据えた社会学の立場を指して,社会

    学者の吉田民人(1931-2009)が用いた呼称。

    7) 互いに極論からなる二匹の怪物の中間にあって,中庸の理論構成を実証研究に生かそうとい

    う考えは,社会学では,ロバート・キング・マートン(Robert King Merton 1910-2003)のい

    う「中範囲の理論(middle-range theory)」を想起させる。マートンはマンハイムの知識社会

    学の考えを受け継ぎ,理論(知識)が社会との間でどのような相関性をもっているのかを考

    えていった。その中で登場してきたのが「中範囲の理論」である。それは過度の一般化によっ

    て社会的現実との関連性が見えなくなってしまうような理論を志向するのではなく,あくま

    でも経験的に検証可能な範囲の命題で構成された理論と,それらを統合する一般的な概念枠

    組を志向する立場である。マートン『社会理論と社会構造』。

    マートンの「中範囲の理論」が理論研究と実際の多様な探求との間でどのように形成され,

    どのような帰結に向かうのかという問題については,河村有毅の論文「マートンの「中範囲

    の理論」再考」に多くを教えられた。ここに謝意を表したい。

    8) 筆者は,とりわけ 20世紀のイデオロギーをめぐる争いを観察しながら,「イデオロギー」と

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  • 社会にとって歴史とは何か?

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