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大阪市大『季刊経済研究』 Vo l .22No.3 , Decemtx!r1999 , pp.17-44 ISSN 0387-1789 世界市場および世界価値に関する諸学説 ( Ⅰ) 問題提起 世界市場 に関す る諸学説 世界価値に関する諸学説 (以上 本号) 問題提起 国際価値論争再考 マルクスの世界市場論 マル クスの世界価値論 へ-ゲル (Hegel , GeorgWilhem Friedrich)は,その ≪Grund l inienderPh i losophie desRechts≫ (『法の哲学』, または 『法権利 の哲学』 または 『法の哲学要綱』)の 「区 分」 において, まず 「即 日かつ対 日的に自由な意志 (dasanundfursichfrei.enWillen) ●●●●●● の,理念 (Idee) .の発展 の段階順序 か ら言 えば」 と して, 「抽 象的 な権利 ない し法, あるい ●●●●●● ●●●● ●● ●● は形式的な権利 ない し法の圏,「道徳の圏」および「人倫 (倫理)(Sittlichkeit) の三 つを挙げ,ついで第三の 「人倫 (倫理 )的実体(sitt l icheSubstanz)についても,同様 につ ぎの三 つを区分 してい る. ●●● ●● 「a)第一 に 自然的精神 ;- 家族 (dieFamilie) であ り, ●● ●● ●● b)第二 に,それ (人倫 〔倫理〕的実体) の分裂 と現象 においてあ るあ り方 ;- 市民 ●● 社会 (dieb i bgerliche G esellsch aP)であ り, C)第三に,特殊的意志の自由な自立性においてあ りながら同様に普遍的かつ客観的な ●● 自由として,国家 (derStaat)で あ る.- α) ある民族の,そのような現実的 かつ有機的な精神は, β)特殊的なもろもろの民族精神の関係を通 じて, γ)世界 (derWeltgeschichte)のなかで,自分が普遍的な世界精神に実際に成 りもし, かつ 自分 を普遍的 な世界精神 と して現実的に開示 しもす るのであ って, この普遍的 ●● ●●●●● な世界精神の権利が最高のものである (強調はいずれ も--ゲル)I ) . ここに「人倫 (倫理)的実体」 として登場す る 「家族,「市民社会, 「国家」および 「世界史」の順序 と くに 「市民社会」 か ら 「国家」-, 「国家」か ら 「世界史」-の順序は , 〔キーワー ド〕 世界市場,世界価値,国際価値論争,古典派経済学,重農学派

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大阪市大 『季刊経済研究』

Vol.22No.3,Decemtx!r1999,pp.17-44

ISSN0387-1789

世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ)

中 川 信 義

Ⅰ 問題提起

Ⅱ 世界市場に関する諸学説

Ⅲ 世界価値に関する諸学説

(以上 本号)

Ⅰ 問題提起

Ⅳ 国際価値論争再考

Ⅴ マルクスの世界市場論

Ⅵ マルクスの世界価値論

Ⅶ 結 論

へ-ゲル (Hegel,GeorgWilhem Friedrich)は,その ≪GrundlinienderPhilosophie

desRechts≫ (『法の哲学』,または 『法権利の哲学』または 『法の哲学要綱』)の 「区

分」において,まず 「即日かつ対日的に自由な意志 (dasanundfursichfrei.enWillen)●●●●●● ●

の,理念 (Idee).の発展の段階順序から言えば」として, 「抽象的な権利ないし法,あるい●●●●●● ● ●●●● ●● ●●

は形式的な権利ないし法の圏」, 「道徳の圏」および 「人倫 (倫理)」 (Sittlichkeit)の三

つを挙げ,ついで第三の 「人倫 (倫理)的実体」 (sittlicheSubstanz)についても,同様

につぎの三つを区分 している.●●● ●●

「a)第一に自然的精神 ;- 家族 (dieFamilie)であり,●● ●● ●●

b)第二に,それ (人倫 〔倫理〕的実体)の分裂と現象においてあるあり方 ;- 市民●●社会 (diebibgerlicheGesellschaP)であり,

C)第三に,特殊的意志の自由な自立性においてありながら同様に普遍的かつ客観的な●●

自由として,国家 (derStaat)である.- α)ある民族の,そのような現実的

かつ有機的な精神は, β)特殊的なもろもろの民族精神の関係を通 じて, γ)世界

史 (derWeltgeschichte)のなかで,自分が普遍的な世界精神に実際に成 りもし,

かつ自分を普遍的な世界精神として現実的に開示 しもするのであって,この普遍的●● ●●●●●

な世界精神の権利が最高のものである」 (強調はいずれも--ゲル)I).

ここに 「人倫 (倫理)的実体」として登場する 「家族」, 「市民社会」, 「国家」および

「世界史」の順序とくに 「市民社会」から 「国家」-, 「国家」から 「世界史」-の順序は,

〔キーワー ド〕 世界市場,世界価値,国際価値論争,古典派経済学,重農学派

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18 季刊経済研究 第22号 第3号

マルクスの経済学体系のプラソに多大の影響をあたえたものであった.

マルクスが経済学批判体系について最初に明らかにした構想は, 「「経済学批判要綱」-

の序説 (Einleitung)」の 「経済学の方法」の末尾虹示された,.つぎの五部編成からなるプ

ラソであった.

「(1)一般的抽象的諸規定.それらはしたがって多かれ少なかれすべての社会諸形態に通 じ

るが, ・・・・・.(2)ブルジョア社会の内的編制 (dieinnreGliederungderbむgerlichen

Gesellschaft)をなし,また基本的諸階級がその上に存立 している諸範噂.資本,賃労働,

土地所有.それら相互の関連.都市と農村.三大社会階級. これら三階級のあいだの交換.

流通.信用制度 (私的).(3)ブルジョア社会の国家の形態での総括 (Zusammenfassung

derburgerlichenGesellschaftinderForm desStaats).自己自身にたいする関連での

考察. 「不生産的」階級.租税.国債.公信用.人口.植民地.移民.(4)生産の国際的関係.

国際的分業.国際的交換2) .輸出入.為替相場.(5)世界市場と恐慌」3).

マル クスの構想は,粁余曲折 を経てほぼ最終的 には, 『経済学批判』の 「序言」

(Vorwort)に示 された, Ⅰ資本,Ⅱ土地所有,Ⅲ賃労働,Ⅳ国家,Ⅴ外国貿易,Ⅵ世界市

場からなる六部編成のプラソに集約されることになる.この六つの項 目の関係については,

周知のように, 「始めの三項 目では,わた しは近代ブルジョア社会を構成 している三つの大

きな階級の経済的諸条件を研究する.その他の三項 目のあいだの関連はおのずから明らかで

ある」4)と述べられている.

現行 『資本論』は,このプラソのどの範囲を占めるかをめ ぐって争われた論争が,かのプ

ラソ論争であった. 「資本一般」説を取るにせよ, 「前半三部門」説に立つにせよ, 「後半

三部門」すなわち国家 ・外国貿易 ・世界市場が 『資本論』全三部のどこにも含まれていない

ことは明らかである.マルクスの世界市場論および世界価値論を明らかにすることによって,

1)Hegel,G.W.F.,GTundlinienderPhilosoL)hiedosRechts,Werke7,SuhrkampVerlag

Frankfurt/M.,3.Auf1.,1993,SS.87-88(ヘーゲル 『法の哲学』藤野渉 ・赤滞正敏訳, 〔世

界の名著35〕中央公論社,1967年,226貢).なおここに挙げられている 「人倫 (倫理)的実体」

の 「人倫または倫理」とは,つぎのようなものを意味する. 「ヘーゲルは,人倫は抽象法の外面

性と道徳の内面性とをひとつに総合したものであると言う. ・・・・・ヘーゲルが,あえて人倫

ないし人倫共同体というとき,それがギリシアのポリス共同体をひとつのモデルとしていること

は疑いえない. ・・・・・ポリス共同体への憧懐は,すでにテユーピソゲソおよびベルソ時代の

初期ヘーゲルに存在していた.しかしそこでは,古代の人倫の世界は,現実の市民社会に対置さ

れた理想としてあった. ・・・・・」 (藤原保信 「人倫」加藤尚武他編 『ヘーゲル事典』弘文堂,

1992年,所収).詳しくは,藤原保信 『ヘーゲル政治哲学講義- 人倫の再興』 (御茶の水書房,

1982年)参照.

2)中川信義 「国際的交換」 (木下悦二 ・村岡俊三編 『資本論体系 8国家 ・国債商業 ・世界市場』

有斐閣,1985年,所収)参照.

3)Marx,Okα仰mischeMayuLSkh'zde1857/58.MEGA,II/1.1,S.43.

4)Marx , ZurKritikdgかJitischenOkmomie.MEW,Bd.13,S.7;OkmomischeMayuskriLdeundSchriJten1858-181.MEGA,II/2,S.99.

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世界市場および世界価値に関する諸学説(I) 19

マルクスに独自な経済学の方法- 発生史的方法または弁証法的方法- の一端を明らかに

した い .

ここでは,本稿の出発にあたって,つぎの三つの点を問題提起としておきたい.

第 1は,世界市場に関する諸学説の考察である.ここでの考察は,世界市場め成立以前に

古典派経済学や重農学派は世界市場- 「世界貿易と世界市場とは,16世紀に資本の近代的

生活史を切 り開 く」5)- をなんと呼んでいたかという問題に発する.詳 しくは,表 1にテ

クス トとしてまとめてある世界市場に関する諸学説を参照されたい.

故高木幸二郎教授の 「『経済学批判要綱』における 「資本と労働の交換」について」6'の

影響を受けて,筆者は,当時 「『経済学批判要綱』における世界市場論- 「資本の文明化

作用」と世界市場の創遷」を準備 していた.この小論は,のち大阪市立大学経済研究所編

『経済学辞典 第 3版』所収の論稿7)に,その一部を 「資本の文明化作用」・としてあてた.

その論稿の準備過程で明らかになったのは,その中心の位置をヘーゲルの 「欲求の体系」と

しての 「市民社会」論が占めることであった.すなわち,この 「資本の文明化作用」とりわ

け第 1の 「絶対的剰余価値の生産と世界市場の創造」,第2の 「相対的剰余価値の生産と市

民社会 (bむgerlicheGesellschat)の創造」および第3の 「資本に基礎づけられた生産と世

界勤労 (universellelndustrie)の創造」- ここでのキイ概念は世界勤労であり,この創

造が 「資本の文明化作用」の究極の内実である- の三つの契機のうち,第二の契機のなか

でマルクスは,--ゲルの 「市民社会の弁証法」- 「市民社会は,こうしたそれ自身の弁

証法 (Dialektik)によって駆 り立てられ,さしづめこの一定の社会であるおのれ自身を越

えて,外-進出していき, ・・・・・自分より遅れている国外の他民族のうちに,購買者を

求めるとともに,必要な生計の資を求める」8)- とは違った仕方で,世界市場とくにその

ゲネシス,その創造の理論的展開を行なっている.ヘーゲルとマルクスの 「世界史成立-世

界市場成立」論を石母田正 「世界史成立の前提」9'を参考にして,考えてみたい.

第2は,世界価値に関する諸学説の考察である.∫.S.ミル (Mill,JohnStuart)が

「国際価値」 (internationalvalues)という用語を用いたのは,1848年のことで 『経済学

5)Marx,Karl, DasKaZdtal,I.MEW,Bd.23,S.161.

6)高木幸二郎 「『経済学批判安納』における 「資本と労働の交換」について」 (経済学史学会編

『資本論の成立』岩波書店,1967年,所収).

7)当時準備していた 『経済学批判要綱』における世界市場論のうち 「資本の文明化作用」に関す

る論稿は,中川信義 「世界市場 ・世界商品・世界労働 (Ⅰ) (Ⅱ)」 (本誌,12巻1号,14巻1

号,1989年6月,1991年6月)および大阪市立大学経済研究所編 『経済学辞典 第3版』岩波書

店,1992年,所収)の二つであった.

8)Hegel,G.W.F.,Gr㍑ndlinienderPhilosoLlhiedesRechts,S.39(--ゲル 『法の哲学』藤野

渉 ・赤津正敏訳,471貢).

9)石母田正 「世界史成立の前提」 (同 『歴史と民族の発見- 歴史学の課題と方法』東京大学出

版会,1952年,所収 ;のち 『石母田正著作集 第十五巻歴史 ・文学 ・人間』岩波書店,1990年に

所収)参照.

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20 季刊経済研究 第22号 第3号

原理』 (PrinciplesofPoliticalEconomy)の第3篇 「交換」の第18章 「国際価値について」

(ofInternationalValues)においてであ り,マルクスが 「国際価値」 (lavaleur

internationale)という概念をは じめて用いたのは,1872-75年の 『フう ソス語版資本論』

(LeCapital.TraductiondeM.J.Roy,enti占rementrevis6eparl'auteur)の第22章

「国民的賃金率における差異」 (Diff6rencedansletauxdessalairesnationaux)にお

いてであるが,この二つの 「国際価値」概念は根本的に異なる.詳 しくは,表2にテクス ト

としてまとめてある世界価値に関する諸学説を参照されたい.

そして第3に取 り上げるのは,.次号の国際価値論争再考である.それは世界価値実体肯定

説とその否定説- 従来は国際価値関係説と言っていた- の二大潮流,端的に言ってその

「実体説」と 「関係説」の再考である.その再考にあたっては,筆者は 『資本論』第一部の

つぎの 「第二版後記」を出発点としたい. 「第一章第一節では,それぞれの交換価値が表現

される諸等式の分析による価値の導出 (Ableitung)が,科学 (学問)的に (wissenschaftlich)

いっそう厳密になされている.また,第一版ではただ暗示されているだけの,価値実体と社

会的に必要な労働時間による価値量の規定 との関連 (Zusammenhangzwischender

WertsubstanzundderBestimmungderWertgraBedurchgesellschaftlich-notwendige

Arbeitszeit)も,明確に述べてある.第一章第三節 (価値形態)は全部書・き替えた---.

第一章の最後の一節 「商品のフイティシュ性格 (物神的または呪物的性格,Fetischcharakter)」

は,大部分書き改めた」10).

わが国における価値論争史- 商品論争史と言わねばならない- をたどれば,1949年刊

行の遊郭久戒 『価値論争史』ll)では,まだサブタイ トルに 「『資本論』第一巻第一章第-,

二節の研究」とあったように,研究対象は,抽象的労働や社会的必要労働時間などをめぐる

争点に留まっていたが,10年後の59年に刊行された鈴木鴻一郎 『価値論論争史』12)に いたっ

てようやく 「簡単な価値形態- 久留間教授の所説にふれて」が取 り上げられ 価値形態論

の-争点 「価値形態論における 「移行」(Uebergang)規定について」が論 じられた.その

後,久留問鮫造 『価値形態論と交換過程論』13'を皮切 りに,続いて中野正 『価値形態論』14),

1970年代後半に尼寺義弘 『価値形態論』15),80年代にはいって武田信照 『価値形態と貨幣』16)

がつぎつぎと刊行されていった.

さらに1983年マルクス没後100周年を記念する事業の一環として翌年刊行されたもっとも

10)Marx,Karl,DasKa〆tal,I.MEW,Bd.23,S.18.

ll)遊部久蔵 『価値論争史』 (青木書店,1949年)参照.付録として,戦前 ・戦後 (1948年まで)

の 「価値論争史文献目録」が収められている.

12)鈴木鴻一郎 『価値論論争史』 (青木書店,1959年)参照.価値形態論が中心を占める.

13)久留間鮫造 『価値形態論と交換過程論』 (岩波書店,1957年)参照.

14)中野正 『価値形態論』 (日本評論新社,1958年)参照.

15)尼寺義弘 『価値形態論』 (青木書店,1978年)参照.

16)武田信照 『価値形態と貨幣』 (梓出版社,1982年)参照.

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 21

包括的な 『資本論体系 2商品 ・貨幣』の第Ⅲ部 「研究と論争」.では,・武田信照氏が 「価値

形態論と交換過程論 ・貨幣の必然性に関する論争」17)を,西野勉氏が 「物神性論に関する諸

学説」18)を書いている.故虞松渉氏19)の 「疎外論の地平から物象化論への地平へ」説や宇野

経済学派の 「断絶」説などがあ り, 「それ自体として固有に論 じられることは少なかった」

と断 じた西野氏は, 「その理由は,疎外論との関係に議論が集中 していたことによると思わ

れるが,最近になってそれ自体の論理構造が論 じられるようになってきたとい う状況にある」

20)と言っている.

このような状況のなかにあって,1993年の竹永進教授によるルーピソ (Py6HH,HcaaK

HJIbHtl;Rubin,Isaaklllich)の主著 《OtlePKH nOTeopHHCTOHMOCTHMapKCa,

1930≫(『マルクス価値論概説』)21)の全訳の画期性をあげておきたい.従来は,英語版

《Essaysm Marx'ThewyofValue,Detroit,1972≫に,よっ て きただけだ し,ルーピソ価

値論 と くに第 Ⅰ篇 「マル クスの商 品の フェテ ィシズム (物神崇拝 また は呪物崇拝,

中eTt4uJH3hb の理論」をめ ぐる論争については明らかではなかった.付録IIとして 「批判者

たち-の回答」 (原書 cTP.24ト357;訳265-434頁)によって, この論争部分がは じめて日本

語で読めるようになった.

17)武田信照 「価値形態論と交換過程論 ・貨幣の必然性に関する論争」 (種瀬茂 ・富家良三 †浜野

俊一郎編 『資本論体系 2商品 ・貨幣』有斐閣,1984年,所収).

18)西野勉 「物神性論に関する諸学説」 (種瀬茂他編 『資本論体系 2商品 ・貨幣』,所収).

19)故虞松渉氏は,その晩年, 『今こそマルクスを読み返す』 (講談社現代新書,1990年).および,

この著と相補い合うものとして企画された 『マルクスと歴史の現実』 (平凡社,1990年 ;平凡社

ライブラリー,1999年),そしてこれら両著とやや間をおいて刊行された 『マルクスの根本意思

は何であったか』 (情況出版,1994年)の計三冊の本を著わした.筆者が故虞松氏の著作を再度

- 一度目は 《DieDeutscheIdeolog2'e.・Neuwb伽 IichungmitText-kritischenAnmerkungen.

Hrsg.YonWataru Hiromatsu≫ (マルクス/ェソゲルス 『ドイツ・イデオロギー 第 1巻第

1篇』虞松渉編訳,河出書房新社,1974年)の折り- 読む気になったのは,この三冊を読んで

からであった.手はじめに 『資本論の哲学』 (現代評論社,1974年)を,ついで 『物象化論の構

図』 (岩波書店,1983年)および同編 『資本論を物象化論を視軸にして読む』 (岩波書店,1986

年)を読んだ.その後, 『虞松渉著作集 第十二巻』 (岩波書店,1996年)・に収められた 「増補

ルービンの問題に言寄せて」を読んだが,これは残念ながらルーピソの英語版の解説をもとに

したものであった.虞松氏が参考にしたこの英語版の解説は,西口直次郎 「Ⅰ.Ⅰ.ルービンの価

値論- マルクス価値論の発生論的理解について] (大阪市立大学 『経済学年報』第38号,1978

年2月)である.

20)西野勉,前掲論文,387頁.

21)Py6HH,HcaaKHJIbHtl,OtlePKHnOTeopHH CTOHMOCTH 爪apKCa, ≪OTBET

KPHTHKA的≫,H3EAHHE tlETBEPTOE,rocyLLaPCTBeHHOe H3LLaTeJIbCTBO,

爪ocKBa JleHHHrPaLL,1930(ルービン 『マルクス価値論概説』竹永進訳,法政大学出版局,

1993年)参照.なお,英語版のRubin,Isaaklllich,EssaysonMarx'ThewyofValue.

Detroit,BlackandRed,1972は,第 Ⅰ篇 「マルクスの商品フェティシズム (物神崇拝または

呪術崇拝)の理論」,第Ⅲ篇 「マルクスの労働価値論」のみの英訳であって,付録 Ⅰ「マルクス

の用語法について」,付録Ⅲ 「批判者たちへの回答」がない.

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22 季刊経済研究 第22号 第3号

Ⅱ 世界市場に関する諸学説

名著 『ミケーネ社会崩凄期の研究- 古典古代論序説』22)の太田秀通博士は,1970年代後

半に 「奴隷制」, 「奴隷概念」の再検討23)を行なった.検討の結果,太田博士は 「奴隷制が

典型的な発展を示 した古典古代においては,奴隷の人格否認が徹底 し,奴隷は一般に人間 と

認められなかった」24)と言 う. しか し問題は, 「奴隷制」 とい う用語や 「奴隷概念」 などが

なかった古典期ギ リシアや ローマにおいて,いったい奴隷がなんと呼ばれていたかである.

太田博士の場合は,アジア的生産様式論争 も踏まえて,古典古代の奴隷,中世の農奴以外に

第三の隷属者の範噂が必要だとい うことになり,博士 自ら 「第三範時論」25)- 「単純な一

系発展図式を破砕 して」26),原始的生産様式-アジア的 または古代東洋的生産様式一古典古

代的生産様式一中世封建的生産様式一近代ブルジョア的生産様式一社会主義的生産様式-

と呼ぶ歴史理論を提起 した.

なぜ このようなことを書 くかとい うと,マルクスの 『資本論』第一部独仏語版に出て くる

《derWeltmarkt≫, 《lemarch6universel≫ (世界市場)に も,同様 の問題があ り,

「世界市場は16世紀に資本の近代的生活史を切 り開 く」のだが,その場合の 「世界市場」 と

はなにか.古典派経済学や重農学派は当時 この 「世界市場」 をなんと呼んでいたのか. これ

がここでの問題であ り,本稿の課題の一つである. この点で参考になるのは,故大塚久雄教

22)太田秀通 『ミケーネ社会崩壊期の研究- 古典古代論序説』 (岩波書店,1968年)参照.

23)太田秀通 「奴隷制と奴隷制社会について」 (『歴史学研究』447号,1977年8月),同 「奴隷

概念の再検討」 (『思想』641号,1977年11月)および同 「--ゲルの奴隷観の一断面」 (『歴

史評論』334号,1978年2月)参照.のちに同 『奴隷と隷属農民』 (青木書店,1978年)に所収.

24)太田秀通 『奴隷と隷属農民』,12貢. 「古典期ギリシアでは,奴隷を 「一種の生きた財産 (古

典古代語は省略,以下同じ- 引用者)」とされ (アリス トテレス 『政治学』1253b32),また

「生きた道具」とされて 「生命なき奴隷」たる道具と対比された (アリス トテレス 『ニコマコス

倫理学』1161b4).これだと家畜との区別がつかなくなる恐れがあるが,ローマでは道具が三

つに分けられ,本来の道具は 「ものいわぬ道具」,家畜は 「半ばものいう道具」,奴隷は 「もの

をいう道具」とされた (ウァロー 『農業論』 1・17・1).ローマ法は奴隷を所有の客体である

「物」とし,奴隷身分を, 「自然に反 して一人の人間が他人の所有権のもとに隷従する万民法上

の規定」とした (『ローマ法大全』Digesta1.5.4.1)」.同様の問題は,どの時代,どの地域の

社会科学的範噂にも兄だせる.たとえば, 「現在,イスラーム国家についての議論はさまざまに

揺らいでいる.アラブ人ムスリムによる大征服の結果,アラブ帝国としてのウマイヤ朝 (66ト75

0年)が成立 し,次いでイスラーム国家としてのアッパース朝 (750-1258年)が誕生したことは

事実であるとしても,世界史的に見た場合に,これらはいったいどのような性格の国家であった

のか,またそもそもここでいう 「国家」に相当するアラビアのタームは何なのか」 (佐藤次高

「イスラーム国家- 成立としくみと展開」 (『岩波講座世界歴史- 10イスラーム世界の発展』

岩波書店,1999年,5頁).

25)同上書および太田秀通 『世界史認識の思想と方法』 (青木書店,1978年),同 『東地中海世界』

(岩波書店,1977年)も参照.

26)太田秀通 『世界史認識の思想と方法』,217貢.

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 23

授にその起源を発する,16世紀に始まるこの 「世界市場」を,西洋経済史家が 「前期的資本」

(商人資本および高利資本または高利貸 し資本)の跳梁験属する 「前期的世界市場」27)と呼

んでいることである.本稿でもこの 「前期的世界市場」を前提にする.

世界市場について,ブローデル (Braudel,Fernand)は,シスモソデイ (Sismondi,

∫.C.LSimondede)が 「世界市場」の最初の名づけ親であると見立てて,つぎのように言っ●●●●

ている. 「世界経済 (1'ecmomiemondiale)は地球全体 (laterreenti占re)に広がってい

る.それが意味するところは,シスモソデイが語った通 り, ≪全世界の市場≫ (lemarch6

detoutl'univers)のことであり, 「人煩あるいは人類のある部分全体が集合をなして通

商 してきて,今日ではすでにいわば単一市場 (seulmarch6)を形成するにいたった」とい

うことである」 (強調はブローデル)28).

しかしブローデルのこの見立ては,表 1の世界市場に関する諸学説 (テクス トⅠ)および

表 2の世界価値に関する諸学説 (テクス トⅡ)29)において見るように,シスモソディの先行

者で,かつ 「普遍的交流」 (communicationg6n占ral)や 「基礎的平均価格」,あるいは

それに 「立脚する中位の状態」や 「価格の世界的相殺」 (Compensationuniverselledes

prix)など外国貿易 ・世界市場の理論的展開にさい して多 くの広 が りを もつケネー

(Quesnay,Francois)のプライオ リテ ィを無視す るものである. 「世界市場」 (le

march6del'univers;lemarch6universel)という単なる名称の点では確かにシスモソディ

が先行 していたが,内容の点ではケネーの 「異なる数カ国にまたがる世界商業共和国」 (la

r6publiquecommercanteuniverselledanslesdiff6rentspays)のほうがはるかに優れ

ているからである.ケネーのこの学的系譜は,古典派経済学の創始者ペティ (Petty,Sir

William)の労働価値学説の流れと同様,イギ リスではスミス (Smith,Adam)や リカー

ドウ (Ricardo,David)が,フラソスではシスモソディがそれぞれニュアソスを伴いつつ

継承 して,それがマルクスの経済学批判体系のなかに合流 しているのである.

それだから,英仏古典派経済学にたいする 「三月前期」 (1848年 3月の ドイツ三月革命以

前)の批判者 リス ト (List,Friedrich)はスミスの先行者がケネーであると認めて,また

両者を一緒 くたにして, 「ケネーが夢見てアダム ・スミスがつ くりあげた支配的な理論は,

27)大塚久雄 『欧州経済史序説』 (時潮社,1938年 ;『近代欧州経済史入門』と改題,時潮社,

1949年)および同 『近代欧州経済史序説 上巻』 (時潮社,1946年 ;〔再版〕日本評論社,1946

年 ;〔改訂版 ・二分冊〕弘文堂,1951-52年).のち両署ともに, 『大塚久雄著作集 第二巻』

(岩波書店,1969年)に所収.

28)Braudel,Fernand,Letempsdumonde:Civilisatiα柁materielle,ecmomieetcaPitalisme

xvLxⅧEsiecle,tome3,LibrairieAmandColin,Paris,1979,p.12(ブローデル 『世界

時間Ⅰ』 〔物質文明・経済 ・資本主義 15-18世紀 Ⅲ-1〕村上光彦訳,みすず書房,1996年,

11貢).

29)この裏 1,表2の内容については,中川信義 「世界価値論序説 (Ⅱ)」,本誌,18巻2号,

1995年6月,参照.

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24 季刊経済研究 第22号 第3号

表 1 世界市場に関する諸学説

年 代 世界市場に関する諸学説 (テクス トⅠ)

1690年

ペティ (Petty,SirWilliam)

『啓治算術』第4章 「イソグラソド国王の人民および諸領域は,その富および力に関 して,フラ

ンスのそれらと自然的にはほぼ同じ重要さがあること」

「わたしの知る娘りでは,イソ グラソド人とオラソダ人が貿易していない国と直接または間接●● ●●●●に貿易しているようなヨーロッパ人は一人もいないから,全商業世界,すなわち貿易世界 (the

wholeCommercialWwld・orWorldofTrade)は,.・.・・・・約 8千万の人間から成 りたって● ●いる」.「全国民の音は,金,銀,宝石その他の普遍的宮 (UniversalWealth)をほとんどもた

らさない普通の肉類,飲料および衣服等について行なわれる国内交易よりも,む しろ主として全●●商業世界との外国貿易 (ForeignTradewiththewholeCommercialWwld)における彼らの

分け前に存するのである」 (Petty,William,PoliticalArithmetick,London,1690.The

EconomicWritingsofSirWilliam Petty,ed.byC.H.Hull.vol.Ⅰ,1899,p.295〔ペティ

『政治算術』大内兵衛 ・松川七郎訳,岩波文嵐 1955年,115貢〕,強調はペティ).

「〔フラソスは〕イソグラソドよりも人民が多いからイソグランド等々の人民は,フランスの●●●■人民の三倍だけの外国貿易を掌握 し, さらに全商業世界の貿易 (theTradeofthe.whole

CommercialT41wld)の約 9分の 2,全船舶の約 7分の2を掌握 している」 (Jbid.,p.297〔同上

訳,117-18貢〕∴強調はペティ).●●● ● ●●●

同上第10章 「イソグラソ ド国王の臣民は,全商業世界の貿易 (theTradeofthewhole●■●●●■●●●●●■ ■CommercialWord)を運営するために,十分かつ便利な資財を持っていること」●●●●

「ここでわれわれが提議 したいのは,果た してイソグラソドには,全商業世界の貿易 (the

TradeofthewholeCommercialWorld)を運営するために十分かつ便利な資財がないかどうか,

ということを考察することである」(Ibid・・.p・311〔同上訳・144貢〕・強調はペティ)・●● ■ ●● ●●●「以上によって,イソグラソドは,オランダおよびジーラソド (Zealand)がその二州内に持っ

ているのと同じだけの土地をその国内に持っており,なおこのほか,産業にとって不便のない土●●●●●●

地をおびただしく持っていること,また,イソグラソドには,現在そうしている以上に,幾百万●●●

もの貨幣を稼 ぐに足るほどの有休の人手 (spareHands)があること,さらに.,数百万 〔ポソド〕

を (イングランド自身の消費からだけでも)稼く・べき仕事口 (Employment)もまたあることが

明らかになった.そこでこのことから,また前節において貨幣 ・土地双方の資財を拡充すること■●●●●■ ●●● ●●●●●について論 じたことからイソグラソド国王の臣民にとっては,全商業世界の普遍的貿易 (the

UniZWSalTradeofthewholeCommercialWorld)を獲得 して しまうということは,不可能で

ないどころかまことに実行 しやすい問額であるという結果になるのである」 (Ibid.,p.312〔同

上訳,146貢〕,強調はペティ).

1766年

ケネー (Quesnay,Francois)

「経済表の分析」

「異なる数カ国にまたがる世界商業共和国 (lar6Publiquecommercanteuniverselledans

lesdiff6rentspays)について言えば,そ してまた, これ ら巨大な共和国の構成部分 (les

partiesdecetter6publiqueimmense)にすぎず,その首都ないし主要海外支店として見なさ

れうるような純粋の商業中国民 (lespetitesnationspurementcommerQanteS)について言え

ば,これらの国の鋳貨圭はその転売商業の規模に比例する」 (Quesnay,Francois,AMlysedu

Tableauecmomique,1766.凪uvres6conomiquesetphilosophiquesdeFranQOisQuesnay,

6d.parAugustsOncken,Paris1888,pp.326-27(島津亮二 ・菱山泉訳 『ケネー全集 第二巻』

有斐閣,1952年,257貢 ;平田清明 ・井上春夫訳 『ケネー経済表』岩波書店,1990年,97頁).

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 25

1767年 ステユア- 卜 (Steuart,SirJames)『経済学原理』第 1編 「人口と農業について」第2章 「国民の精神について」

「アメリカやイソドの発見,産業や学問の勃興,商業や香惨的な技芸の導入,公信用制度の確

立,それに広範な租税体系によって,過去三世紀のあいだに起こったヨーロッパの事態の大変化

それは封建的で軍事的なもの (feudalandmilitary)から,自由で商業的なもの (freeand

commercial)となった.わたしは政治上の自由に封建制を対置するのであるが,それはもつぱ

ら,封建的形態の枢要な部分をなしていた臣下のあいだでの連鋲的な従属関係 (chainof

subordination)が今日で浸見られないことを示すためにである.かつては支配者といえどもわ

ずかな権力しか持たず,下層の住民にはほとんど自由がなかった.いまでは,つつましく生活す

る勤勉な人間 (industriousman)はすべて,ほとんどどんな統治形態 (fomsofgoVernment)

のもとにあつても自由で独立 して (freeandindependent)いる. .....」 (Steuart,Sir

James,AnInquiryintothePrinciPlesofPoliticalGconomy,1767.TheWorks,Political,

Metaphisical&ChronologicalofSirJamesSteuart,London,1805,Vol.Ⅰ,pp.13-14

〔ステユアー ト『経済学原理- 第 1.第2編』小林昇監訳 .竹本洋他訳,名古畳大学出版会,

1998年,10-11貢〕).

1776年1817年 スミス (Smith,Adam)

『諸国民の富』第4篇 「政治経済学の諸体系について」第 1章 「商業の体系,すなわち重商主義

体系 (mercantileSysterp',syst占memercantile)の原理について」

「すべての大商業共和国 (allgreatcommercial.Countries;touteslesgrandesnations

commerQanteS)には, .....三部頬の金銀のほか,外国貿易の諸目的のため交互に輸入さ

れたり輸出されたりするかなり多額の地金がある.こういう地金は,あらゆる個々の国々で流通

している国定鋳貨と同 じ仕方でさまざまの商業諸国 (differentcommercialcountries;〔la

r6publiquecommercante〕paysdiff6rents)のあいだを流通 しているから,大商業共和国

(thegreat.mercantilerepublick;lagrander6publiquecommercante)の貨幣と考えて差

し支えない. .....両者はともに交換を促進するために使用されており,前者は同じ国民の

なかのなかのさまざまの個人間の,後者はさまざまな国民のなかのさまざまの個人間の,交換を

促進するために使用されている」 (Smith,Adam,AnlnquiryintotheNatureandCausesof

Natわ鮎,1776,5.ed.,1789.TheGlasgow EditionsoftheWorksandCorrespondence

ofAdam Smith,γol.Ⅰ,0ⅩfordUniVersityPress,1976,p.443〔スミス 『諸国民の富 Ⅰ』

大内兵衛 .松川七郎訳,岩波書店,1969年,664頁〕;do.,Recherchessurlanaiureetcauses

delarichessenatims.II.TraductiondeGermainGarnier〔T.1-5.ParisanX-1802〕,

revueparAdolpheBlanqui.IntroductionetindexparDanielDi.atkine,Paris,Framma-

rion〔Classiquesdel'虫conomiePolitique〕,1991,pp.28-29).

リカー ドウ (Ricardo,David)

『経済学および課税の原理』第 7章 「外国貿易について」

「完全な自由貿易制度 (asystem ofperfectlyfreecommerce)のもとでは,各国は当然そ

の資本と労働を自国にとって もつとも有利 となるような用途 に向ける. この個別的利益

(indiVidualadVantage)の追求は,全体の普遍的利益 (theuniVersalgoodofthewhole)

と見事に結びついている.インダス トリ (industⅣ)を刺激 し,イソジニユイティ (ingenuity)

に報い,_また自然によって賦与された特殊の諸能力をもっとも有効に使用することによって,そ

れは労働をもっとも有効にかっもつとも経済的に配分する,一方,諸生産物の全般的数量を増加

させることによって,それは全般の利益 (generalbenefit)を普及させ,そ して 利益と交通と

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26 季刊経済研究 第22号 第3号

にわたる諸国民の世界社会 (theuniVersalsocietyofnationst.hroughouttheciVilized

world)を結成する.ワイソはフラソスとポル トガルで醸造されるべきであり,穀物はアメリカ

とポ-ラソドで栽培されるべきであり,そして鉄器頬およびその他の財貨はイギリスで製造され

るべきである,といったことを決定するのは,この原理 (principle)である」 (Ricardo,

David,伽 thePriwiPlesofPoliticalEc抑myaTuiTaxatim,1817,3.ed.,1821.TheWorks

andCorrespondenceofDavidRicardo,ed.byPieroSraffa,vol.I,Cam bridgeUniversity

press,1966,pp.133-34〔リカー ドウ 『経済学および課税の原理』堀経夫訳 『リカー ドウ全集

Ⅰ』,雄松堂,1972年,156貢〕).

1819年1820年 シスモソデイ (Sismondi,J.1二.-L.Simondede)

『経済学新原理』第4篇 「商業的富について」第4章 「いかにして商業的富は所得の増加にとも

なうか」

「その生産が消費を越えているすべての国民は,いずれもひとしくその眼をこの外国市場

(march66tranger)に向けるのであって,その限界が不明であるために,その広がりは無限に

みえる. しかし,航海術が完全となり,交通路が開かれ,危険がいっそう十分に保証されるよう

になると,つぎの ことが明 らかにな りは じめ る.すなわち,世界市場 (lemarch6de

l'uniVers)もまた,前に各国の市場がそうであったように限られているということ,外国人に

売ろうとするすべての生産者の一般的な確信が,いたるところで生産を需要以上に増加させると

いうこと,および一国の生産者たちが他国の消費者にたいして行なうにいたった大値引きの申し

出 (1'offred'ungrandrabais)は,この同じ国の生産者に彼らが投げつけた死刑の宣告であ

るから,この商業戦 (guerredecommerce)にたいする抵抗は激烈であり混乱を極めるという

こと, しかしこの場合,この抵抗が一見それと反対の様相を呈するにせよ,とにかくその国の全

住民を包括する消費者の利益の点ではほとんどつねに一般に歓迎される.

それゆえ,国内市場 (lemarch6int6rieur)はただ,国民的繁栄 (laprosp6rit6nationale)

と国民所得の増大によってのみ拡張されうるという,われわれがこの章の冒頭において見たこと

は,その生産者を外国人に向けて世界貿易 (lecommercedumonde)を勧めるすべての国民

にとつての世界市場 (lemarch6del'uniVers)についても,再び真理となり,世界の販路拡

大 (1'augmentationdurabituniversel)はただ,世界的繁栄 (laprosp占rit6uniVerselle)

の結果と してあ りうるだけである. .....」 (Sismondi,∫.-C.-L.Simondede,

NM auXjwfwiLm d'6cmomique,肋delarichessedamsesra卿 sazpcla妙 latim,Paris,

1819,2.6d.,1827,tome1,pp.361-63(シスモソデイ 『経済学新原理 上巻』菅間正朔訳,

七一 (Say,Jean-Baptiste)

『恐慌に関する書簡』 「マルサス氏への手紙- 第一の手紙」

「まずはじめに,現時の全関心がそこにそそがれていて, したがってわたしの注意をひきつけ

ているものは,損をして (aperte)売られる商品がたえまなく運びこまれているところの,世

界の全市場 (touslesmarch6sdel'uniVers)の一般的な混乱はどこから来るのか,という問

題です.各国の内部に,産業上のいっさいの発展に役立つように行動 しようという欲求 (besoin)

がありながら,しかも儲けのある仕事を見つけるのに人々がだれもかれも経験するあの困難はいつ

たいどこから来るのですか.そしてこの周期的の疾患の原因がひとたび識別されたとしますか,

それを終蔦させる手段はなんとすぼらしいもので しょう」 (Say,Jean-Baptiste,LettresdM.Malthus,surdiffirentssujetsd'economie♪olitique,notammenisurlescausesdela

stagnationgeneraleducommerce,1820.Coursd'占conomiepolitiqueetautresessaiS,

Paris,Flammarion〔Classiquesdel'虫conomiePolitique〕,1966,p.224〔中野正訳 『恐慌

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 27

同上書 「マルサス氏への手紙- 第三の手紙」

「世界の諸市場 (lesmarch6del'univers)にある過剰な商品の大量は目をおどろかせ,そ

の価格の低下は商業をおびやかしもしましよう.とはいえ,それらは生産され,消費される各種

商品のごく一部にすぎないでしょう.もしも倉庫にあるあらゆる種類の商品の生産が世界の各地

(tousleslieuxdumonde)において同時に停止されるようなことになれば,しばらくして空

にならない倉庫は一つもありません」 (hid.,p.281〔同上訳,90貢〕).

1848年

J.S.ミル (Mill,JohnStuart)

『経済学原理』 「緒論」

「普通にいわゆる文明世界 (thecivilizedworld)なるものの種々の部分が示すところの経済

現象の差異はここで述べたとおり (富裕化の程度や商取引などの差異- 引用者)であるが,な

おまたわれわれが前に見てきたところの初期の状態が,いずれも世界のかなたこなたに残存して

現在に及んでいるのである.アメリカには今日なお狩猟社会 (huntingcommunities)がある

し,アラビアや北アジアの草原には遊牧社会 (nomadic)が残存している.東洋の社会は本質的

な点において以前と変わっていない.ロシアやハンガリー (1859年の第2版以降は 「大ロシア帝

国」 〔thegreatempireofRussia〕- アシュリ〔Ashley,W.∫.〕)は,多くの点において,

いまなおほとんど変わらぬままの封建ヨーロッパ (feudalEurope)のイメージである.要する

に,人間社会の重要な諸タイプは,エスキモー人やパタゴニア人のそれにいたるまで,その全部

が現存しているのである」 (Mill,JohnStuart,PrinciL)lesofPoliticalEcmomy:WithSome

oftheirApplicationstoSocialPhilosophy,ed.byW.J.Ashley,new impression,London,

Longmans,GreenandCo.Ltd.,1926,p.20〔J.S.ミル 『経済学原理 (-)』末永茂音訳,

岩波書店,1959年,60-61貢〕;do.,Priyu:iPlesofPoliticalEcmomy.CollectedWorksof

JohnStuartMill,BooksI-Ⅱ,UniversityofTorontPress,Routledge&KeganPaul,

1965,p.20).

もっぱ ら未来の, いやそれ どころか もっとも遠 い未来の世界主義的要求 (kosmopolitische

Forderungen)だけを,注視 している」30)と批判す ることがで きたのであ る.

世界市場 に関 して言 えば, イギ リスで最初 に16,17世紀 の 「世界市場」,すなわち 「前期

的世界市場」 を対 オ ラソダ,対 フランスとの関係 において取 りあげた古典派経済学 の著作 が

ある.それは創始者 ペテ ィの著作 『政治算術』 であ り,17世紀 末の1690年の ことであった.■●●●

表 1の世界市場 に関す る諸学説 (テ クス トⅠ)のぺテ ィの第 1群 には, 「全商業世界,す な●●●● ●●●●

わち貿易世界」 (thewholeCommercialWwld,orWwldofTrade)」, 「全商業世界 と●●●●

の外国貿易」 (Foreign Tradewith thewholeCommercialWwld)お よび 「全商業世界

の貿易」 (theTradeofthewholeCmmercialWwld)とい う一句があ り,マル クスは,

のちに 『経済学批判.原初稿』 (ZurKn'tikderPolitischenOkmomie.Uuext)のなかで,

「い か な る国 民 の 富 も, 国 内 商 業 (the domestictrade) よ りは , つ ま り普 遍 的 富

(universalwealth)で あ る金銀 をほ とん ど もた らさない食 料 品や飲料 や衣類 の国内商業

(derheimischeHandel) よ りは,む しろ主 と して,世界市場 (全商業世 界) との対外貿

30)List,Friedrich,Dasnatio抑αleSystem der♪olitischenOkmomie.HerausgegebenYon

ArturSommer.Berlin1930.BandⅣ derSchriften,Reden,Briefe,S.42(リス ト『経済

学の国民的体系』小林昇訳,岩波書店,1970年,46貢).

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28 季刊経済研究 第22号 第3号

易にその国民がどれだけの割合を占めているかにある」31'と最後の一句を 《auswartiger

Handelnitdem Weltmarkt(thewholecommercialworld)≫ と独訳 しているので,ペ

ティの 「全商業世界」はマルクスにあっては ≪Weltmarkt≫ (世界高場),ただ しさきに見

たように 「前期的商業資本」がその活動の舞台とする 「前期的世界市場」ということになる.●●●● ●●

第 2群の 「全商業世界の貿易」(theTradeofthewholeCommercialWwld)も 「全商業●● ■ ●●●

世界の普遍的貿易」(theUniwrsalTradeofthewholeCommercialWwld)も同様である.

テクス トⅠの表 1の世界市場に関する諸学説のぺティの長 く続 く文章のあとに,ケネーの

1766年の 「経済表の分析」から有名なつぎの短い一節を掲げてお く.その一節 とは, 「異な

る数カ国にまたがる世界商業共和国」は, 「巨大な共和国」であり 「その首都ない し主要海

外支店として見なされうるような純粋の商業中国民」は,その 「構成部分」にすぎないとい

うものである.この一節は,ほかならぬスミスに影響を与えたもので,スミスの 「商業社会」

(commercialsociety)論 と一緒に論 じられねばならない.またこの一句の ≪lar6publique

commerGanteuniverselledanslesdiff6rentspays≫は リカー ドゥの 「文明世界全体にわ

たる諸国民の世界社会」にも継東 されている.

ステユアー ト (Steuart,SirJames)の 『経済学原理』 (大陸版 『諸国民の富』32))をこ

こで取 り上げるのは,彼がこのなかで 「紙券を社会の貨幣 (moneyofthesociety)と呼

べるとすれば,鋳貨はいわば世界の貨幣 (moneyoftheworld)である」33)と論 じている

理由によるが,その 「世界」,彼の場合は18世紀の ヨーロッパ経済をどのように認識 してい

たかである.アメリカやインドの発見,産業や学問の勃興,商業や奪惨的な技芸の導入,公

信用制度の確立および広範な租税体系の五つを挙げ, 「過去三世紀のあいだに起 こったヨー

ロッパの事態の大変化」は,いたるところでその 「統治の方式」を一変させたこと, 「それ

は封建的で軍事的なもの (feudalandmilitary)から, 自由で商業的な もの (free■and

commercial)となった」 ことだと言 う. 「かつては支配者 といえどもわずかな権力 しか持

たず,下層の住民にはほとんど自由がなかった.いまでは,つつましく生活する勤勉な人間

(industriousman)はすべて,ほとんどどんな統治形態のもとにあっても自由で独立 している」.

31)Marx,Okwu)mischeMayuskZmlteundSchriPen1858-1861.MEGE,II/2,S.34.

32) 「その内容は∴理論 ・歴史 ・政策を滞然と体系化したという点で, 『国富論』と相似 し,ヨー

ロッパ諸国を対象とした点ではこれも 『諸国民の富』」であり, 「北ヨーロッパ社会での大衆的

で自由な勤労 (イソダストリ)にのみ近代社会の成立と発展を見るというステユアー トの観点は,

スペイソ-ロソバルディア (イタリア)的社会の認識との対比の上に築かれたものである.とも

あれ,大陸での彼の積極的学習態度にもとづく見聞の長いあいだの蓄積は,その 『原理』に大陸

版 『諸国民の富』 (大陸版 『国富論』)とも呼ぶべき特徴を賦与した」 (小林昇 『最初の経済学

体系』名古屋大学出版会,1994年,4,35貢).

33)Steuart,AnInquiryintothePrinciplesofPoliticalqconomy,1767.TheWorks,

Political,Metaphisical&ChronologicalofSirJamesSteuart,1805,vol.Ⅲ,p.216(ステユ

アー ト『経済の原理- 第3・第4・第5編』小林昇監訳 ・竹本洋他訳,名古屋大学出版会,

1993年,269貢).

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 2,9

マルクスのステユアー トにたいする評価は,この最後の点に関連 している.マルクスは

『経済学批判』のA 「商品の分析の史的考察」において,つぎのように言 う. 「ステユアー

トが彼の先行者より抜きんでていた点は,交換価値に表わされる独自の社会的労働と使用価

値を目的 とす る現実的労働 とをはっきり区別 した ことである.彼は言 う.その譲渡

(alienation)によって一般的等価物を創造する労働を,わたしはイソダス トリと呼ぶ.彼

はイソダス トリとしての労働を現実的労働から区別するだけでなく,労働の他の社会的形態

からも区別する」34). いずれにせよ,このイソダス トリは,世界価値の実体である世界勤労

(universellelndustrie,世界イソダス トリ)に関連 している.

ステユアー トの大陸版 『諸国民の富』のあとには,スミスの1776年の 『諸国民の富』が続

く.フラソス語は,ガルニエ (Garnier,German)の訳である.この一節の意味は明瞭で

ある. 「すべての大商業共和国」 (allgreatcommercialcountries;touteslesgrandes

nationscommercantes)には外国貿易の諸目的のために輸出入する多額の地金がある.こ

の地金は 「さまざまの商業諸国」 (differentcommercialcountries;〔lar6publique

commercante〕paysdiff占rents)のあいだを流通 しているから, 「大商業共和国」 (the

greatmercantilerepublick;lagrander6publiquecommercante)の 「貨幣」と考えて差

し支えない.

マルクスはこの 「貨幣」すなわち世界貨幣を, 『フラソス語版資本論』の貨幣 (商品流通)

章の 「世界貨幣」 (Lammnal.euniwrselle)論のなかで, 「ジェイムズ ・ステユアー トが

呼ぶように, 「世界の貨幣」 (monnaiedumonde〔moneyoftheworld〕)であり,彼

のあとでアダム ・スミスが述べたように,大商業共和国の貨幣である」35)とそれぞれがつけ

た固有の名で呼んでいる.

言 うまでもなくスミスには,世界市場や世界労働という概念はないが,この両概念に相当

するものの重大な発見がある.それは,わが国の二人の経済学史家,小林昇教授による 「商

業社会」 (commercialsociety;soci6t占commerQante,教授の場合 「商業的社会」)論お

よび故内田義彦教授による 「結合労働」 (jointlabour;travailr6uni)論の発見36)である.

次号でわが国最良のこれらスミス学者に学びつつ,マルクスの世界市場および世界労働の概

念的把握を試みてみたい.

ペティからスミスへと続けば,古典派経済学の最後の人にしてかつ代表者であるリカー ド

34)Marx,ZurKritikderかIitischen(勤momie.MEW,Bd.13,S.44;(勤momischeMaruLSkriZ)ie

undSchh'ften1858-1861.MEGA,II/2,S.136.

35)Marx,LeCaかtal,p.59.

36)たとえば,小林昇 『経済学の形成時代』 (未来社,1961年),のち 『小林昇経済学史著作集

Ⅰ国富論研究(1)』 (未来社,1976年)に所収 ;内田義彦 『経済学の生誕』 (未来社,1953年 ;

〔増補〕1962年)および同 『経済学史講義』 (未来社,1961年),のちそれぞれ 『内田義彦著作

集』の第-,第二巻 (岩波書店,1988,89年)に所収.

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30 季刊経済研究 第22号 第 3号

ウの 『経済学および課税の原理』を取 り上げねばならない.その外国貿易章は,固有のリカー

ドウ理論としては, 「外国貿易の拡張は ・・・・・」という冒頭から始まる価値量不変,・使

用価値 (富)量増加および外国貿易による超過利潤の取得と一般的利潤率へのそれの速やか

な解消の部分と, 「一国における諸商品の相対的価値は ・・・・・」に始まる比較生産費説

の部分とに分けられる.テクス トⅠの一節は,この第二部分に続 く文章として書かれている.

自由貿易制度のもとでは,各国はその資本と労働を自国にもっとも有利な用途に向ける.こ

の 「個別的利益」の追求は, 「全体の普遍的利益」 (theuniversalgoodofthewhole)

と見事に結びついている.第 1にイソダス トリを刺激 し,第2にイソジニュイティ (器用,

巧妙,発明の才,工夫力,ingenuity)に報い,そして第3に自然によって賦与された特殊

の諸能力をもっとも有効に使用することによって,労働をもっとも有効かつもっとも経済的

に配分する.その結果,諸生産物あるいは使用価値 (富)の全般的数量を増加させる. 「そ

れは全般の利益を普及させ,そして利益と交通という一つの共通の紐帯 (Onecommontie

ofinterestandintercourse)によって,文明世界全体にわたる諸国民の世界社会 (the

universalsocietyofnationsthroughoutthecivilizedworld)を結びつける」として,

ワイソはフラソスとポル トガルで醸造されるべきであり,穀物はアメリカとポーラソドで栽

培されるべきであり,そして鉄器煩およびその他の財貨はイギリスで製造されるべきことを

決定するのは,本稿後半に説明する比較生産費の 「原理」であると言 う.

シスモソディは,その 『経済学新原理』の 「商業的富」篇のなかで,生産が消費を越えて

いる国民は,その眼を外国市場に向けるが,その限界が不明であるために,その広がりは無

限にみえる, しかし航海術の完全,交通路の開拓,危険の保証によって, 「世界市場 (le

march6del'univers)もまた,前に各国の市場がそうであったように限られているという

こと,外国人に売ろうとするすべての生産者の一般的な確信が,いたるところで生産を需要

以上に増加させるということ,および一国の生産者たちが他国の消費者にたいして行なうに

いたった大値引きの申し出は,この同じ国の生産者に彼らが投げつけた死刑の宣告であるか

ら,この商業戦にたいする抵抗は激烈であり混乱を極めるということ, しかしこの場合,こ

の抵抗が一見それと反対の様相を呈するにせよ,とにかくその国の全住民を包括する消費者

の利益の点ではほとんどつねに一般に歓迎される」と言っている.それゆえ,国内市場 (le

march6int6rieur)はただ,国民的繁栄と国民所得の増大によってのみ拡張 されるという

真理は,世界貿易の拡張 をはかるすべての国民 にとっての世界市場 (lemarch6de

l'univers)についても,再び真理となり,世界の販路拡大 (1'augmentationdurabit

universel)はただ,世界的繁栄の結果としてありうるだけであると言う.

ここでセ- (Say,Jean-Baptiste)のような人物を取 りあげるのは,彼が 「世界市場」に

触れているからである. しかしこれはシスモソディのさきのひと続きの世界市場に関する文

章をそのまま写 したものにはかならない.テクス トⅠに見るように, 「損をして売られる商

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世界市場および世界価値に関する諸学説(I) 31

品 がたえ まな く運 び こまれて い るところの,世界 の全 市場 (touslesmarchesde

l'univers)の一般的な混乱はどこからくるのか」 とか, 「世界の諸市場 (lesmarch6de

l'univers)にある過剰な商品の大量は目をおどろかせ,その価格の低下は商業をおびやか

しもしましよう」などと言っている. しかしこの引き写 しは, この同 じ 『恐慌に関する書簡』

のなかで,シスモソディ恐慌論の核心部分,すなわち過少消費にもとづ く 「市場の閉塞」

(engogementdesmarches)37)を引用 しているからも明らかである.セ-は,たびたびシ●●

スモソディを引用 していて, しかもいたるところでけちさえつけている.

最後は世界市場競争開始期の経済学者に して相互需要説の提唱者の∫.S.ミル (Mill,

JohnStuart)である.テクス トⅠに見 るように, 『経済学原理』の 「諸論」のなかで,

「いわゆる文明世界」 (thecivilizedworld)は, 「初期の状態が,いずれも世界のかなた

こなたに残存 して現在に及んでいる」と言っている.その例 として,アメリカにはまだ 「狩

猟社会」があるし,アラビアや北アジアの草原には 「ノマ ドの社会」 (遊牧社会,nomadic

communities)が残存 していると言 う. 「東洋の社会は本質的な点において以前と変わって

いない」 し, ロシアや 「大 ロシア帝国」,-ソガ リーなどは,多 くの点において当時でもほ

とんど変わらぬままの 「封建 ヨーロッパのイメージ」そのままである. 「要するに,人間社

会の重要な諸 タイプ (thegreattypesofhumansociety)は,エスキモー人やパタゴニ

ア人のそれにいたるまで,その全部が現存 しているのである」.

マルクスは, ミルその人をさして, 「もっと教養のある, もっと批判的な意識は,分配関

係を歴史的に発展 した性格を承認するのであるが, しか し,そのかわ りに,生産関係そのも

のの,変わることのない,人間の本性から生まれて くる, したがっていっさいの歴史的発展

から独立な性格を,ますます固執する」38)と批判 している. この批判に対応するミルの言葉●● ●●

は, ここでは, 「生産の法則 と異 なって,分配の法則は,一部は人為的制度 (human

institition)に属する,なぜなら,ある特定の社会において富が分配 される様式 (manner)

は,そこに行なわれている法規 もしくは慣習 (statutesorusages)に依存 しているからで●● ●●

ある」として,最後に 「生産および分配の法則,ならびにこれらの法則から演梓できる若干

の実際的帰結, これがこののちにつづ く所論の題 目をなす」 (強調は ミル)39)と結び,自ら

の著作の課題を明らかにしている.

37)Sismondi,N aiWauXZrim'Lx7Sl'dcom 'e如Iitique,2.6d.,Paris,1827,tome1.Avertissement

surcettesecondeedition,p.Xm (シスモソディ『経済学新原理 上巻』菅間正朔訳,366貢);Say,

LettresaM.Malthus,surdiffirenissujetsd'6cmomieかIitique,notammenisurlescausesde

lastagMtim generaleducommerce,1820.Coursd'6conomiepolitiqueetautresessais,

Paris,Flammarion〔Classiquesdel'宜conomiePolitique〕,1996,p.229〔七一 『恐慌に関

する書簡』中野正訳,21頁).

38)Marx,DasKaZdtal,D.MEW,Bd.25,S.885.

39)Mill,伽 m'〆esofPoliticalhm y,p.21(ミル 『経済学原理 (-)』末永茂音訳,62貢);do.,

Prim'L)lesofPoliticalEcw my.CollectedWorksofJ.S.Mill,BooksI-II,p.21.

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32 季刊経済研究 第22号 第 3号

Ⅲ 世界価値に関する諸学説

●表 2の世界価値に関する諸学説 (テクス トⅡ)に添って,ペティ40)から始める. 「土地が

● ● ●● ■

富の母であるように,労働は富の父であり,その能動的要素である」 (強調はペティ)と言

うのが,ペティの価値論につきまとっていた土地-富観であり,これの制約解除が続 くスミ

スや リカー ドゥの課題になり,18世紀後半から19世紀前半にかけて,労働価値学説の古典的

完成を見る.つぎの二つの文はまだ土地-富観,土地-労働等価論の制約に縛 られている.● ●●

「すべての物は,二つの自然的単位名称 (naturalDenomination),すなわち土地およ

び労働によって価値づけられねばならない」 (強調はペティ).あるいは 「われわれは一隻

の船または一枚の上衣が,これこれの数量に土地,ならびに別のこれこれの数量の労働に値

いすると言わねばならない」.

表 2 世界価値に関する諸学説

年 代 世界価値に関する諸学鋭 (テクス トⅡ)

1662年

ペティ

『租税貢納論』第4章 「種々の課税方法について ・・・・・」

「しかし一歩を進めて,副次的な問題であろうが, この穀物すなわち地代がイソグラソドの貨

幣でどれほどに値いするかという問題がある.わた しは答える.それは,別の一人の人が,同じ

期間中,かりに貨幣の生産 ・製造に専心従事 したとして,自分の費用のほかに貯蓄 しえただけの

貨幣である,と.すなわち,別の人が,銀の生産される地方におもむき,そこでそれを採掘 し,

それを精練 し,それを他の人が穀物を栽培 しているところにもって くるとしよう,そ して同 じ人

がそれを貨幣に鋳造する等々のことをし,さらにこの人は,銀のために働いているあいだに,坐

計に必要な食事も集め,衣服も手にいれる等々をするとしよう.わたしは言 う.一人の人の銀はI

他の人の穀物 と同一価値 (theSilberoftheone,-- equalvaluewiththeCornofthe

other)に評価 されねばならない,と.すなわち,一方はおそ らく20オソス,他方は20ブッシェ

ルであろうが,このことから,この穀物 1ブッシェルの価格は銀の1オソスであるという結果に

なるのである」 (Petty,SirWilliam,ATreatiseofTaxesandContributions.London,

1662.TheEconomicWritingsofSirWilliam Petty,ed.byC.H.Hull.vol.Ⅰ,p.43〔ペ

ティ 『租税貢納論』大内兵衛 ・松川七郎訳,岩波書店,1954年,77貢〕,強魂はペティ).

「イソグラソドでは,われわれは金や銀を,ポソ ド・シリング・ペソスというように,種々の

名称で呼び,そしてこれらすべては,三者のうちどの名称を用いても呼べるし,また理解もでき

る. しかし, この問題についてわたしの言いたいことは,すべての物は,二つの自然的単位名称

(naturalDenominations),すなわち土地および労働によって価値づけられねばならない,と

いうことである.すなわち,われわれは一隻の船または一枚の上衣が, これこれの数量に土地,

ならびに別のこれこれの数量の労働に値いすると言わねばならない.そのわけは,船も上衣 も,

ともに土地およびそれに投ぜられた人間の労働 (mensLabour)の創造物であるからである.● ●このことは真実であるから,土地と労働とのあいだに一つの自然的等価関係 (anaturalPar)

を発見 しうるならば,われわれはさぞうれ しいであろう.もしそうなるならば,われわれは土地

と労働のいずれか一方のみで,両者をもってするのと同様あるいはそれ以上十分に,価値を表現

40)ペテ ィについては,つねに,渡辺輝雄 『創設者の経済学- ペテ ィ ・カソテ ィロソ ・ケネー』

(未来社,1961年) と,わが国ペテ ィ研究の到達点,松川七郎 『ウィリアム ・ペテ ィ 〔増補版〕』(岩波書店,1967年)を参考 に してい る.

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 33

しうるであろうし,またペンスをポンドに還元するくらい容易に, しかも確実に,一方を他方に

還元しうるようになるであろうからである」 (1bid.,pp.44-45〔同上訳,79頁〕,強調はペティ).

同上書第 5章 「貨幣賃料について」

「もしある人が, 1ブッシェルの穀物を生産できるのと同 じ時間で, 1オソスの銀をペルーの

大地のなかからロンドソにもって くることができるとしよう.この場合,一方は他方の自然価格

である (oneisthenauralpriceoftheother).ところでもし新 しい, しかももっとも楽に

〔採掘できる〕諸鉱山のおかげで,ある人がかつて 1オソスを獲得 したのと同じ容易さで, 2オ

ンスの銀を獲得できるようになるならば,そのときは,他の条件が等 しい限り,穀物は 1ブッシェ

ルが10シリソグでも,これまで 1ブッシェルが5シリソグであったのと同じに安価だということ

になろう」 (Jbid.,pp.50-51〔同上訳,89-90貢〕).同上書第 9章 「ご用金について」

「土地が富の母であるように,労働は宮の父であり,その能動的要素である (ThatLabour

istheFatherandactivePrincipleofWealth,asLandsistheMother)J (Ibid.,p.68

〔同上訳,119貢〕,強調はペティ).

1758-

59年

1766年

ケネー

「人間論」

「他国との相互的な,容易かつ完全に自由な輸出入の商業を営む王国にあっては,価格は,す

でに述べたように,いさささかも著 しい変動を示 さない.なぜなら,この王国における価格は,

他国に通用する平均価格 (prixcommun)に等 しいからである.この場合, この王国における

凶作および豊作は,通常,価格になんの変化も及ぼさない.というわけは,同じ年に,ある国は

豊作であるし,他の国は凶作であるが,これら諸国間の自由かつ容易な商業によって,ある年度

に欠乏状態にある国々は,豊富な国々から供給を受け,前者は他の年度においては,こんどは代

わって欠乏状態にある後者に供給するからである.かくしてこのような普遍的交流 (communication

g6n6ral)により, しかも豊富と欠乏との継続的,相互的な交替により,価格はつねに,商業に

よって結びつけられたこれらの国における基礎的平均価格 (prixcommunfondamental)に立

脚する中位の状態 (6tatmitoyen)に留 まるのである」 (L'Article"Homme''deFrancois

Queslu2y,Zublie如rEtiemeLkzuer,Lwofesseural'UniwsitedeBale,Revued'histoiredes

doctrinesdconomiquesetsociales,1eann6e,1908,Nol,pp.29-30〔ケネー 「人間論」坂

田太郎訳 『ケネー 『経済表』以前の諸論稿』春秋社,1950年,所収,262貢〕).

「商業論」

「自由競争による商業交流 (communicationducommerceparlalibreconcurrence)の

効果は,相互に通商するさまざまな諸国民の価格を平準化すること (d'entretenirleniveau

entrelesprix)である. この価格の世界的相殺 (Compensationuniverselledesprix)は,価

格の自然状態 (6tatnaturel)を形成するものであって,この状態のもとにおいては,諸国民は

交換による損失 も,価格の不平等 (1'in占galit6desprix)による損失 も受けないのである. こ

こで,価格の自然状態という意味は,商業の競争が運送や航海によって容易にされるところでは

どこででも,商業の自由競争が商業-の自然的な依存関係にあるからである.こうして良好な道

路 ・河川 ・運河 ・海は極端に低廉な価格を引き上げるものであるから,かりにもし人が暖味な言

葉によって,富の年々の再生産 (productionannuelledesrichesses)のために有効な原因と

その手段ないし副次的条件とを混同するような場合には,む しろ道路 ・河海等々の方が,商業よ●●りも生産的 (Zwα払ctifs)であると見なされても仕方がないであろう」 (Quesnay,Francois,

伽 commerce,1766,偲uvres6conomiquesetphilosophiquesdeFrancoisQuesnay,6d.

parAugustsOncken,pp.463-64〔島津亮二 ・菱山泉訳 『ケネー全集 第三巻』有斐閣,1952

午,所収,205貢〕,強調はケネー〕).

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34 季刊経済研究 第22号 第3号

年 代 世界価値に関する諸学説 (テクス トⅢ)

1767年1776年 ステユアー ト (Steuart,SirJames)

『経済学原理』第3編 「貨幣と鋳貨について」第12章 「この研究で立てられた諸原理に向けられ

る反論 .....」

「交易国 (tradingnation)では,諸商品の価格 (priceofcommodities)は私的合意

(priVateconVention)によってではなく,市場価格 (marketprices)によって定められる.

海外市場が穀物価格を規制 し,その穀物価格が他のすべての物の価格を大いに規制す る

(regulate,inagreatmeasure).そして穀物価格は,穀物の購買にあてられるポソド.スター

リソグにたいして他の諸国家が支払 う価値によって規制される.だから,かりに鋳貨の軽量化

(lightness)が海外市場でポソド.スターリソグの価値を下落させるとすれば,同一の理由で,

それは上記のポソド.スターリングで購入される穀物価格を当然引き上げる.なんとなれば,ポ

ソド.スタ- リソグの く名目)価値 (Value)は,海外の穀物価値になんら影響を及ぼさないか

らである.自国で穀物を買いつける商人たちの国内競争が,農業者に外国における穀物価値につ

いての情報を与える.そのため農業者はあれこれの状況を勘案 しなくても,穀物の国内消費にた

いして,それが海外市場でもつている価値に比例 して,すなわち鋳貨の実質価値 (theactual

Valueofthecoin)に比例 した価値でそれを評価 し販売するのである.かくして,イソグラソ

ドの農業者は,売買にあたって鋳貨の重量に注意を払わないにもかかわらず,穀物の価格をあた

かもそうしているかのように正確に規制する (regulatetheirpriceseXactlyasiftheydid)

のである.

・.... (中略)

だから以下の諸原理を立てることができる.第 1に,鋳造料が無料である大プリテソのような

交易国においては,個数貨幣 (tale-money)の価値は全通貨の平均重量に正確に比例する.第

2に,貨幣単位が鋳貨にもっぱら結びつけられている場合には,貨幣単位は鋳貨の重量に正確に

比例する.第 3に,全鋳貨の内在的価値 (intrinsicValue)がその呼称と正確に比例しない場合

には,交易の作用がその均衡点 (average)つまり平均値 (meanproportional)を算定する.

第4に,平均値が定まると,人々がそれを知っていようがいまいが,平均値以上の価値の鋳貨を

個数で支払う人は,実質上損失者 (reallylosers)であり,この価値以下の鋳貨を個数で支払 う

人は実質上勝利者 (reallygainers)である」 (Steuart,SirJames,Anlnquiryintothe

PriciPlesofPoliticalqcmomy,1767.TheWorks,Political,Metaphisical&Chronological

ofSirJamesSteuart,London,1805,Vol.Ⅱ,pp.370-72〔ステユアー ト『経済の原理-

第3.第4.第5編』小林昇監訳 .竹本洋他訳,名古畳大学出版会,1993年,73-74貢〕).スミス

『諸国民の富』第 1篇第 1章 「分業について」

「文明で盛大な国 (aciVilizedandthriVingcountry;unpayciVilis6etflorissant)のもつ

とも普通の工匠または日雇労働者の家財道具を観察したまえ,そうすれば諸君は,この家財道具

を調達するために,たとえわずか-小部分にすぎなかったに しても,その勤労 (industry;

industrie)の一部分を費やした者の数が測 り知れないほど多いということに気づ くであろう.

たとえば,日雇労働者が着ている毛織物の上着は,その外観がどれほどごつごつしたものであろ

●●●●うとも,たい-んな数にのぼる職人の結合労働 (joint-abour;travai-r岳uni)の生産物である.

この質素な生産物でさえ,これを完成させるためには,牧羊者,羊毛の選毛工,琉毛工,染色工,

● ● ●●●■●租税工,紡績工,織布工,仕上工その他多くの人々のすべてが,そのさまざまの技術を結合 し

(alljointheirdifferentartsinordertocomplete;tousontmisuneportiondeleur

indu●striea1'achbvement)なければならない.そればかりではなく,これらの職人のある者

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 35

1808年1817年 ほど多 くの商人や仲介人が従事 しなければならなかったことであろうか !染色工が使用するとこ

ろの, しば しば世界の果ての果 て (theremotestcornersoftheworld;eXtr6mit6sdu

monde)からもたらされる薬剤を集積するために, とりわけどれほど多 くの商業や航海業が従

事 し,またどれほど多数の造船工,水夫,帆布製造人, ロープ製造人が従事 しなければならなかつ

たことであろうか !.....水夫の船,縮械工の水車または織布工の織機 さえそ うであるが,

このような複雑な枚枕は言 うまでもないとしても, きわめて単純な横桟,すなわち牧羊者の羊毛

を刈りとるのに使 う大勢刀を作 りあげるのにさえ,どれほどいろいろさまざまの労働が不可欠か,

ということだけでも考えてみようではないか.すなわち,それを生産するためには,鉱夫,鉄鉱

石を溶解するための溶鉱炉の建設者,用材の伐採者,溶鉱場で使用する木炭の炭焼人,煉瓦製造

工,煉瓦横工,溶鉱炉の見張職人,枚械据付工,鍛鉄工,か じ工, これらのすべてがそのさまざ

●● ●●●●まの技術を結合 し (a1-0fthem jointheirdifferentartsinordertoproduce;aienttous

contribu6,parlar6uniondeleurindustrie,alaproduction)なければならない. ...-

わたしは言 う, もしわれわれが以上すべてのことがらを検討すれば,そ してそれらのおのおのに

●●ついてどれほどさまざまの労働が費やされているかを考察すれば,われわれは,幾千人もの助力

●●● ●●●や協働なしには (Withouttheassistanceandoperationofmanythousands;sansl'aideet

leconcoursdeplusieursmilliersdepersonnes),文明国 (acivilizedcountry;unpays

civilis6)のもっともいや しい者に,われわれがはなはだ しく誤 って簡易で単純な様式だなどと

想像 しているような,あ りふれた家財道具を整えてやることさえできないとい うことに気づ くで

あろう, と. .....ヨーロッパの一人の君主の調度が,勤勉で倹約な一人の農民の家財道具

をどれほどしのいでいようとも,その程度は,必ず しもつねに後者の家財道具が一万人の裸の野

蛮人の生命や自由の絶対的支配者であるアフリカの多 くの王者のそれをしのいでいるほどずばぬ

けたものではない, とい うことはおそらく真実であろう (Smith,Adam,Anlnquiryintothe

NatureapuiCawesofNatiw LS. TheGlasgowEditionsoftheWorksandCorrespondence,

γol., Ⅰ,pp.22-24〔ス ミス 『諸国民の富 Ⅰ』大内兵衛 .松川七郎訳,78-80貢〕,強調は引

用者;do.,Rechenhessurlanatureetlescausesdelarl'Chessedesnatims,I,Traduction

deGemainGamier〔T.ト5.ParisanX-1802〕,reVueparAdolpheBlanqui.Ⅰntroduction

etindeXparDanielDiatkine,Paris,Frarrmarion〔C1assiquesdel'虫conomiePolitique〕,1991,

pp.78-79).

卜レソズ (Torrens,Robert)

『エコノミス ト論駁』第 5章 〔外国貿易または商業について〕

「だから,商業から引 きだされる利益の額を確定する唯一の方法は,対外分業が人間の勤労の

生産性を増大 させた程度を確定することである.か くて もしわた しが,イギ リスがフラソスに

100ポソ ドの価値を広幅ラシャを,100ポソ ドの価値の レースと引 き換えに与えることから生 じる

利益の大 きさを知ろうと望めば,わたしはイギリスがこの取引から得た レースの分量をとって,

イギリスが同 じ労働と資本の支出でもつて,国内で レースを製造 したものを越えて残った レース

が,イギ リスがこの交換から引 きだす利益の総額である」 (Torrens,Robert,TheEcmomist

Refuted:oranlnquiryintoiheNaiurea拙才ExtentoftheAdznntagesderivedfrom Trade,

London1808,p.53〔卜レンズ 『エコノミス ト論難(1)』中川信義訳, 『経済学雑誌』第72巻第

1号,1975年 1月,72-73貢〕).

リカー ドウ

『経済学および課税の原理』第 7章 「外国貿易について」

「外国貿易の拡張は,商品の数量 (massofcommodities)したがって享楽晶の数量 (sum

ofenjoiments)を増大 させるにはきわめて有力に貢献するであろうが, しか しけっしてただち

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36 季刊経済研究 第22号 第3号

(valueofforeigngoods)は,それらと引き換えに与えられる,わが国の土地と労働の生産物

の分量によって測定される (ismeasun∋dbythequntityoftheproduce)から,われわれは,

かりに,新市場の発見によって,わが国の財貨の一定量と引き換えに外国財貨の二倍豊を獲得す

る (obtaindoublethequntityofforeigngoods)としても,より大なる価値を得ない

(havenogreatervalue)であろう.

●●●●● (中略)

一国における諸商品の相対的価値を規制するのと同じ法則 (thesamerulewhichregulates

therelativevalue)が,二つあるいはそれ以上の国々のあいだで交換される諸商品の相対的価

値を規制 しないのである」 (Ricardo,David,OnthePrinciplesofPoliticalEconomyand

Taxalim,1817,3.ed.,1821.TheWorksandCorrespondenceofDavidRicardo,ed.

byPieroSraだa,γol.Ⅰ,CambridgeUniversityPress,pp.128,133〔リカー ドウ 『経済学

および課税の原理』堀経夫訳 『リカー ドウ全集 Ⅰ』,150,156頁〕).

同上書第20章 「価値と音,それらの特性」

「「人は,彼が人間生活の必需品 (necessaries),便宜晶 (conveniences),および娯楽品

(amusements)を享受 しうる程度に応じて富んでいるかあるいは貧しいかである」とアダム ・

スミスは言っている.

そうしてみると,価値 (value)は本質的に宮 (riches)と異なっている,というのは,価値

は豊富 (abundance)に依存するのではなくて,生産の難易 (difficulty)に依存するからであ

る.製造業における100万人の労働は,つねに同一の価値を生産するであろう.しかし必ず しも

つねに同一の富を生産 しないであろう.機械の発明,熟練の向上,よりよい分業,あるいはより

有利な交換がなされうる新市場の発見によって,一つの社会状態において,100万の人は,彼ら

はある他の状態において生産 しうるであろう富の,すなわち, 「必需品,便宜品,および娯楽品」

の,二倍または三倍の量を生産するかもしれない,しかしそれだからといって,彼らは価値に少

しも付加しないであろう,というのは,あらゆる物の価値が騰落するのは,それを生産すること

の難易に,換言すれば,その生産に使用される労働量に,比例 してであるからである」 (laid.,

p.273〔同上訳,273貢〕).

1838年

シスモ ソデ ィ

『経済学研究』第2巻第16試論 「通貨 ・流通資本 ・銀行について」

「第13試論 (160貢)で見たように,商業は富の本性 (caract6reessentieldesrichesses)で

ある効用 (1'utilit6)を消 して しまうのだが,それはただ富の偶然的な性格 (caract6re

accidentel)である交換価値 (valeur6Changeable)を存在させるためである.商業が導入され

る以前,人々が自分で調達することしか考えなかったときは,生産物の量の増大は富の直接的増

大であった.当時は,個々の有用物がどれほどの量の労働と引き換えに獲得されるかは問題では

なかった.家長 (p占redefamille)は,彼の穀物倉庫が2倍になったとき2倍に豊かになった

と感 じた.たとえこのたっぷりの収穫が不作の場合と同じ程度の労働しか費やさなかったとして

もそうであった.彼の妻は,2倍の布地を所有 したとき,2倍豊かになったと感じた.たとえこ

の布地が,改良された織機 (m6tierperfectionn6)で織られ,これまでの半分の時間で (en

deuxhismoinsdetemps)作られたとしてもこれを気にかけることはなかった.なによりも,

欲求されたものは,それを獲得するためにいっさい労働を必要としなかったときでも,その効用

を失ったりはしない.小麦と布地は,その所有者たちがそれを道で拾ったり,それが空から降っ

てきたとしても,効用が小さくなったりはしないであろう.疑いなく,宮の其の評価 (lavraie

appr6ciationdelarichesse)は,効用であり,享楽 (lajouissance)である.しかし人々が彼

ら自身の欲求を自ら補給することをやめるやいなや,彼の生計を,彼らがはいりこむ交換すなわ

ち商業に依存するようになるやいなや,人々はもう一つの評価,すなわち交換価値の評価,すな

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世界市場および世界価値に関する諸学説(I) 37

わち効用にもとづ く価値ではな く,全社会の欲求 (lbbesoin detoutlasoci6t6)とこの欲求

を満たすために必要な労働量 (laquantitedetravailquiasuffipoursatisfaireceheSOin),

あるいはむ しろ将来それを満たすことので きる労働量との割合 (rapport)にもとづく価値と結

びつくことをよぎなくされる.この交換価格 (prixdchangeable),市場価格 (prixmarch6)

は,経済科学という,抽象性においてかくも豊かな科学が提示する概念のなかでももっとも抽象

的な概念の一つである」 (Sismondi,J.C.L.Simondede,Eludessurl'ccmomiePolitique,

tome2,Bruselles,Socidt6TypograiqueBelge,1838,pp.266-67).

1848年

∫.S.ミル

『経済学原理』第 3篇第18章 「国際価値 (ⅠnternationalValue)について」

「ラシャはすべてイギ リスで作 られ, ワイソ古事全部スペイソで作 られるのであるから,これら

のものは,生産費の法則 (law ofcostofproduction)は当てはまらないとさきにわた したち

が判定 した,ある事情のなかにあるわけである. したがって,わた したちは,前に同じような困

惑に際会 したときになしたと同 じように,それに先行するところの法則に,すなわち需要供給の

法則 (law ofsupplyanddemand)に,たち帰 らなければならない」 (Mill,JohnStuart,

PriciPlesofpoliticaleconomy:Withsomeoftheira♪L)licationstosocialI)hilosoPhy,ed.by

WJ.Ashley,p.584〔J.S.ミル 『経済学原理 (三)』末永茂音訳,岩波文庫,280貢〕;do.,

PriciPlesofZx)liticalecmomy.CollectedworksofJ.S.Mill,BooksⅢ,1965,p.596).

古典派経済学の創始者ペティが重要なのは, 『租税貢納論』の第4,第 5章に散見される

つぎの二つの文章である.テクス トHでは逆になっているが,一つは,ペティの労働価値論

を最初に表明した有名な文章である.

「もしある人が, 1ブッシェルの穀物を生産できるのと同じ時間で, 1オンスの銀をペルー

の大地のなかからロソドソにもって くることができるとしよう.この場合,一方は他方の自

然価格である (oneisthenaturalpriceoftheother).ところでもし新 しい,しかももっ

とも楽に 〔採掘できる〕諸鉱山のおかげで,ある人がかつて 1オソスを獲得 したのと同じ容

易さで,2オンスの銀を獲得できるようになるならば,そのときは,他の条件が等しい限り,

穀物は1ブッシェルが10シリングでも,これまで 1ブッシェルが5シリソグであったのと同

じに安価だということになろう」.

いま一つは, 「一歩を進めて,副次的な問題であろうが,この穀物すなわち地代がイソグ

ラソドの貨幣でどれほどに値いするかという問題がある」と言って,ペティはつぎのように

答える. 「それは,別の一人の人が,同じ期間中,かりに貨幣の生産 ・製造に専心従事 した

として,自分の費用のほかに貯蓄 しえただけの貨幣である,と.すなわち,別の人が,銀の

生産される地方におもむき,そこでそれを採掘 し,それを精練 し,それを他の人が穀物を栽

培 しているところにもって くるとしよう,そ して同じ人がそれを貨幣に鋳造する等々のこと

をし,さらにこの人は,銀のために働いているあいだに,生計に必要な食事も集め,衣服も● ●●

手にいれるて等々をするとしよう.わたしは言 う.一人の人の銀は他の人の穀物と同一価値

(theSilberoftheone,- -equalvaluewiththeCornoftheother)に評価されね

ばならない,と.すなわち,一方はおそらく20オソス,他方は20ブッシェルであろうが,こ

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38 季刊経済研究 第22号 第3号

のことから,この穀物 1ブッシェルの価格は銀の1オソスであるという結果になるのである」

(強調はペティ).

この二つの文章は,前稿41)でも見たように,この穀物と銀の交換は,ペティが明確に 「1

オンスの銀をペルーの大地のなかからロンドソにもって くる」と言っているように,非産銀

国イギリスの穀物と産銀国ペルーの銀とのあいだの国際的交換である. しかも諸鉱山の生産

諸力の二倍の増進,すなわち銀の 「自然価格」の半分以下-の低下が,穀物価格を二倍に上

昇させると言っている. 「前期的世界市場」における 「前期的商人資本」による 「自然価格」

の成立,すなわち等価性の確立は,世界価値論の最初の表明であったと言わねばならない.

さらにまた,ペルーの銀とイギ リスの穀物は ≪equalvalue≫,すなわち国際的等価交換と

言っている.わが国ペティ研究者の言 うようにペティは労働価値論の最初の提唱者であった

ばかりか,このように世界価値および国際的等価交換の最初の表明者でもあった.

スミスの分業論- 実は国際分業論- と繋 ぐために,ペティ分業論にたいする 『経済学

批判 第 1分冊』 (ZurKn'tikderPolitischen(勤w mie.ErstesHeft)の 「商品の分析の

史的考察」のマルクスの評価を最後に見ておくことにしたい. 「ペティは分業を生産力とし

ても, しかもアダム ・スミスよりももっと大規模な構想で展開 した. 『人類の増殖に関する

試論』 (AnEssaycopu:emingmultiplicationofMankiyui)第3版,1698年,35-36頁を参照.

彼はこの書物のなかで,のちにアダム ・スミスがピソの製造についてやったように,生産に

とっての 〔分〕業 (der〔Theilungder〕Arbeit)の利益 (Vortheile)を懐中時計の製造

について示 しているだけでなく,同時にまた一都市や一国全体を大工場施設という観点から,

考察することによって示 している」42). スミスのマニュファクチュア的分業を越えて一都市

や一国全体を大工場施設という観点から,ペティは考察 していると言 うが,筆者は残念なが

らこの書物を見ていない.

つぎにテクス トⅡには,さきに見たように,ケネーが 「普遍的交流」や 「基礎的平均価格」,

あるいはそれに 「立脚する中位の状態」や,世界価値または世界価格形成を示唆 した 「価格

の世界的相殺」など18世紀後半の段階で外国貿易 ・「前期的世界市場」の理論的展開を示す

文章を掲載 してある.これらは,いったいどのような論稿の文脈において語られた言葉であ

ろうか.

ケネーには, 「絶対価格」 (prixabsolu)と呼んでいる価値, 「良価」 (bonpri芙)と

呼んでいる生産価格などの概念のほかに, 「前期的世界市場」における 「自由競争による商

業交流」によって 「諸国民の価格を平準化すること」や, 「この価格の世界的相殺」は 「価

格の自然状態」を形成することなどが述べられ,穀物価格に限定されているが,世界価値ま

41)中川信義 「世界価値論序説 (Ⅱ)」および同 「国際的交換」 (木下悦二 ・村岡俊三編 『資本論

体系 8国家 ・国際商業 ・世界市場』,所収)参照.

42)Man,ZurKritikderZDlitischen(勤wu)mie.MEW,Bd.13,S.38;OkmomischeMalWkTIZdeundSchriften1858-1861.MEGA,II/2,S.131,N.2).

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 39

たは世界価格の成立を示唆 している用語がある.ここでは,これらの用語を含む二つの文章

だけ掲げておこう43).

第 1の 「人間論」は,ディドロ (Diderot,Denis)らの 『百科全書』44) (EwycloPddie)

に寄稿を予定されていたが,中断のため印刷に付されず,のち1908年にバアウ- (Bauer,

Etienne)によって発表されたものである.第2の 「商業論」のほうは,1888年のオソケソ

(oncken,Augaste)編の 『ケネー経済学 ・哲学著作集』 (Cuweseconomiqueset

Zdu'losoPhiquesdeFrancois砂上eSMy)に所収されているものである.

「他国との相互的な,容易かつ完全に自由な輸出入の商業を営む王国にあっては,価格は,

すでに述べたように,いさささかも著しい変動を示さない.なぜなら,この王国における価

格は,他国に通用する平均価格 (prixcommun)に等 しいからである.この場合,この王

国における凶作および豊作は,通常,価格になんの変化も及ぼさない.というわけは,同じ

年に,ある国は豊作であるし,他の国は凶作であるが,これら諸国間の自由かつ容易な商業

によって,ある年度に欠乏状態にある国々は,豊富な国々から供給を受け,前者は他の年度

においては,こんどは代わって欠乏状態にある後者に供給するからである.かくしてこのよ

うな普遍的交流 (communicationg6n6ral)により, しかも豊富と欠乏との継続的,相互

的な交替により,価格はつねに,商業によって結びつけられたこれらの国における基礎的平

均価格 (prixcommunfondamental)に立脚する中位の状態 (占tatmitoyen)に留まるの

である」.

「自由競争による商業交流 (communicationducommerceparlalibreconcu汀enCe)

の効果は,相互に通商するさまざまな諸国民の価格を平準化すること (d'entretenirle

niveauentrelesprix)である.この価格の世界的相殺 (Compensationuniverselledes

prix)は,価格の自然状態 (6tatnaturel)を形成するものであって,この状態のもとにお

43)横山正彦 『重農主義分析』 (岩波書店,1958年),河野健二 『フラソス革命の思想と行動』

(岩波書店,1995年),および平田清明 『経済科学の創造- 『経済表』とケネー』 (岩波書店,

1965年)の研究を,前稿中川 「世界価値論序説 (Ⅱ)」においても紹介しているので,ここでは

二つの論稿に関連する故平田教授のつぎの一文を引用しておく. 「後年の論稿 『商業論』に登場

する 「価格の自然状態」とは,初期論稿 『人間論』における 「基礎的平均価格に立脚する 〔価格

の〕中位の状態」にほかならぬ.それは,かのイギリスで見られるような 「売手の平均価格」と

「買手の平均価格」とがほぼ合致 した状態であり, ・・・・・小麦の価格が18リーヴルである.

この 「自然状態」における価格18リーヴルは, 「基礎価格」〔「経費」+「借地料」+「タイユ」〕以外に 「適度の利潤」を含むフェルミエ取得分を内包する.この価格をケネーは 「良価」 (bon

prix)と呼ぶ.この 「良価」は, 「所有の安全」と 「自由競争」のうえに成立するものであり,

また 「良価」こそ,穀物の世界的交流の自立的原理にはかならない」 (平田清明 『経済科学の創

造』,156頁).

44) 『百科全書』については,桑原武夫編 『フラソス百科全書の研究』 (岩波書店,1954年),漢

たディドロについては,中川久定編 『ディドロ,18世紀のヨーロッパと日本』 (岩波書店,1991

年) ;同 『啓蒙の世紀の光のもとで- ディドロと 『百科全書』』 (岩波書店,1994年)参照.

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40 季刊経済研究 第22号 第3号

いては,諸国民は交換による損失も,価格の不平等 (1'in6galit6desprix)による損失 も

受けないのである.ここで,価格の自然状態という意味は,商業の競争が運送や航海によっ

て容易にされるところではどこででも,商業の自由競争が商業への自然的な依存関係にある

からである.こうして良好な道路 ・河川 ・運河 ・海は極端に低廉な価格を引き上げるもので

あるから,かりにもし人が暖味な言葉によって,富の年々の再生産 (productionannuelle

desrichesses)のために有効な原因とその手段ないし副次的条件とを混同するような場合●●●

には,むしろ道路 ・河海等々の方が,商業よりも生産的 (Productifs)であると見なされて

も仕方がないであろう」.

ここでケネーを締め括るにあたって,彼の 「経済表」 (TableauEcmomiqw)にたいする●●

マルクスの最高の賛辞をつぎに掲げておく. 「こうした試みは,資本の生産過程全体を再生●●●産過程として説明し,流通を単にこの再生産過程の形態としてだけ,すなわち貨幣流通をた

だ資本の流通の-契機としてだけ説明すると同時に,この再生産過程のなかに,収入の源泉,

資本と収入とのあいだの交換,再生産消費と最終的消費との関係を含ませ,また資本の流通

のなかに消費者と生産者とのあいだの (実際には資本と収入とのあいだの)流通を含ませ,

最後に生産的労働の二大区分- 粗生産と製造業- とのあいだの流通をこの再生産過程の

諸契機として説明し,そ してこれらすべてのことを,実際にはつねに六つの出発点または復●

帰点を結ぶ 5本の線だけからなる一つの表 (Tableau)で- 経済学の幼年期である18世紀

の第二の三分の一期において- 説明しようとする試みだったのであり,そうした試みは,

最高の天才的な,疑いもなくもっとも天才的な着想であったし,いままでに経済学がそのお

かげをこうむってきた着想であった」 (強調はマルクス)45).

ステユアー トは,簡単に済まそう.世界価値,その実体としての世界労働に関連 している

のは,さきの表 1の世界市場に関する諸学説 (テクス トⅠ)において見たように,イソダス

トリ概念である.これは,さきの太田秀通博士ではないが,中世封建的生産様式の解体のな

かから生誕 し,近代資本主義的生産様式,社会主義的生産様式あいともに貫通する概念であ

り,ここでは体制貫通的な近代労働概念46)としておく. しかしこれはまだ,一面の真理 しか

ない.

筆者が 「資本の文明化作用」の第三の契機と呼ぶ 「資本に基礎づけられた生産と世界勤労

(universellelndustrie,世界イソダス トリ)の創造」のとくに世界イソダス トリは,マル

クスによれば, 「剰余労働,価値を創造する労働」と把握されている.マルクスはさらに続

ける. 「このようにして,資本がは じめて,市民社会 (burgerlicheGesellschaft)を,そ

して社会の成員による自然および社会的関連それ自体の世界的領有 (universelleAneignung)

45)Marx,ZurKritikder♪olitischenOkonomie(MaymskriPt1861-1863).MEGA,II/3.2,SS.655-56.

46)筆者が 「体制貫通的な近代労働概念」という用語を最初に使ったのは,吉村正晴 ・中川信義

「貿易理論 1」(大阪市立大学経済研究所編 『経済学辞典 第3版』,1200貢)においてであった.

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 41

を創造するのである.ここから資本の偉大な文明化作用 (thegreatcivilisinginfluence

ofcapital)が生 じ,資本による一つの社会段階の生産が生 じるのであって,この社会段階■●●●●●

に比べれば,それ以前のすべての段階は,人類の局地的諸発展 (lokaleEntwicklungen)

と自然崇拝 (Naturidolatrie)として現われるにすぎない」 (強調 〔下線〕はマルクス)47).

ステユアー トのインダス トリ概念に示唆を受けたマルクスの世界イソダス トリ概念は,マ

ルクスの世界労働 (universelle;Ar_beit)概念同様,世界価値の実体として把握できるばか

りか,いや世界労働以上に,近代資本主義的および社会主義的生産様式を貫 く体制貫通的な

近代労働概念として把握されねばならない.

つぎの文章は,ステユアー トの 『経済学原理』のなかにも,価格とくに穀物の価格認識が

あるということを示 したもので,それ以上の意味はない. しかし穀物価格であれば,地代論

の研究が必要となるが,彼にはそれがない.

「交易国 (tradingnation)では,諸商品の価格 (priceofcommodities)は私的合意

(privateconvention)によってではなく,市場価格 (marketprices)によって定められ

る.海外市場が穀物価格を規制 し,その穀物価格が他のすべての物の価格を大いに規制する

(regulate,inagreatmeasure).そして穀物価格は,穀物の購買にあてられるポソド・

スターリソグにたいして他の諸国家が支払 う価値によって規制される.だから,かりに鋳貨

の軽量化 (lightness)が海外市場でポソド・スター リソグの価値を下落させるとすれば,

同一の理由で,それは上記のポソド・スター リソグで購入される穀物価格を当然引き上げる.

なんとなれば,ポソド・スター リソグの く名目)価値 (value)は,海外の穀物価値になん

ら影響を及ぼさないからである.自国で穀物を買いつける商人たちの国内競争が,農業者に

外国における穀物価値についての情報を与える.そのため農業者はあれこれの状況を勘案 し

なくても,穀物の国内消費にたいして,それが海外市場でもっている価値に比例 して,すな

わち鋳貨の実質価値 (theactualvalueofthecoin)に比例 した価値でそれを評価 し販売

するのである.かくして,イソグラソ ドの農業者は,売買にあたって鋳貨の重草に注意を払

わないにもかかわらず,穀物の価格をあたかもそ うしているかのように正確に規制する

(regulatetheirpricesexactlyasiftheydid)のである」.

世界価値に関する諸学説と言 うからには,価値論あるいはスミス外国貿易論とくに 「余剰

捌け口」説を取 り上げると思われるかもしれないが,そうではない. 『諸国民の富』の全五

篇からなる第 1,第2の両篇の基礎理論のうち冒頭章の分業論,それも末尾に書かれた国際

分業論だけを取 り上げる.結論先取 り的になるが,ス.iスの荘洋とした労働生産力と分業,

ス トックの性質と蓄積,さまざまな国民における富裕の進歩の差異,政治経済学の諸体系お

よび主権者およびコモソウェルスの収入の五簾からなる彼の主著から,本稿の課題,世界市

場および世界価値に関する諸学説にとって必要不可欠な,世界的広がりをもった 「結合労働」

47)Man,Ok脚 乃ischeMaruwkTiLde1857/58.MEGA,II/1.2,S.322.

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42 季刊経済研究 第22号.第3号

としての 「世界労働」論や,世界的規模における 「商業社会」 (世界的または国際的 「市民

社会」あるいは 「文明社会」)としての 「世界市場」論を抽出 してみたい.

この長大な文章を読み解 くキイ概念は,故内田義彦教授の 「結合労働」論48)である.また

マルクスにあっては,その 『経済学批判 (186ト1863年草稿) 第一分冊』の 「相対的剰余

価値」b「分業」のなかにある,マソディヴィル (Mandeville,Bernard)の引き写 しだと

するスミス分業論批判49)が導きの糸となる.この文章を読み解 くキイ概念は,マルクスにあっ

ても, 「「文明国」では,すなわち生産物が一般的に商品の形態をとっているところでは,

たとえば単なる日雇労働者の家財,衣料,道具を彼に提供するのにも,さまざまな国のきわ

めて多種多様な,多方面にわたる種類の労働者が協働 している (konkurieren)ことを説明

している」とあるように, 「協働 している」および 「結合労働」,すなわち,ガルニエの訳

の 「勤労をもって協働する (concourir)」, 「たいへんな数にのぼる労働者の結合労働

(travailr6upi)」から取 った一句である・.

世界労働論,あるいはステユアー トに起源を持つ 「世界勤労」論の観点からは,まず この

長文は,マルクスがこの著作で引用 しているつぎの三つの部分に分けることができる.

マルクスが 「文明で盛大な国 (acivilizedandthrivingcountry;unpaycivilis占et

florissant)のもっとも普通の工匠または日雇労働者の家財道具を観察 したまえ」とい う言

葉でスミスの結語は始まっているというのが,引用の第一部分である.

第二部分は,続 くスミスの解答である. 「そうすれば諸君は,この家財道具を調達するた

めに,たとえわずか-小部分にすぎなかったにしても,その勤労 (industry;industrie)の

一部分を費や した者の数が測 り知れないほど多いということに気づ くであろう.たとえば,

日雇労働者が着ている毛織物の上着は,その外観がどれほどごつごつ したものであろうとも,●●●●

たいへんな数にのぼる職人の結合労働 (jointlabour;travailr6uni)の生産物である」

(強調は引用者).

48)故内田義彦教授の 「結合労働」論は, 「スミスとマルクス」視角に立つわが国経済学史上の-

大発見と言える. 「・・・・・スミスは,分業が細分化された労働の結合であるという反面をも●● ●●●●認め,労働の細分化が富の基礎として意味をもつのは,労働が社会的労働に結合され,社会的総●●労働の一部として存在する場合のみである,ということをも同様に強調している」 (『増補 経

済学の生誕』,231貢 ;『内田義彦著作集 第-巻』,207貢,強調は内田) ;「スミスは,技能

とか,労働の強度とか,機械的技術といった生産力の諸構成要田が,分業から (また分業を前提●●・してはじめて)発展するものだとしているわけです./この場合の要点は,_第1に,分業を結合●● ●●●●● ●●●労働として読むということです.‥ ‥ :●= ●分業を労働の分割としてだけ読み・その裏の労働の

結今ということを見忘れると分業論でスミスのいうところがまったく技術的に理解され,のちの

理論とつながりのないものになってしまいます.分業を,結合され細分された労働と読むこと,

これが分業論を正しく読む第1点です」 (『経済学史講義』,166貢 ;『内田義彦著作集 第二

巻』,1661づ7貢,強調は内田)._.

49)Marx,ZurKritikder♪olitischenOkono読ie(MqnuskriPt1861-1863).'MEGA,I/3.1,S.271.

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世界市場および世界価値に関する諸学説(Ⅰ) 43

そして 「A.スミスはこの考察をつぎの言葉で結んでいる、」というのか,第三部分である.

「ヨーロッパの一人の君主の調度が,勤勉で倹約な一人の農民の家財道具をどれほどしのい

でいようとも,その程度は,必ず しもつねに後者の家財道具が一万人の裸の野蛮人の生命や

自由の絶対的支配者であるアフリカの多 くの王者のそれをしのいでいるほどずばぬけたもの

ではない,とい うことはおそらく真実であろう」.

しかしマルクスがこの著作で省略 した部分も,引用 している部分同様,世界労働の概念把

握にとって貴重な論材になるので,ガルニ工の訳もつけて,つぎに挙げておく.

第一の部分. 「この質素な生産物 (日雇労働者が着ている毛織物の上着- 引用者)でさ

え,これを完成させるためには,牧羊者,羊毛の選毛工,琉毛工,染色工,粗琉工,紡績工,●●●●■●I●●■●

織布工,仕上工その他多 く一の人々のすべてが,そのさまざまの技術を結合 し (alljoin

theirdifferentartsinordertocomplete;tousontmisuneportiondeleurindustrie

al'ach占vement)なければならない」 (強調は引用者).

第二の部分. 「それ (船,水車,織機など複雑な機械か ら大勢刀などの単純な機械まで一

一引用者)・を生産するためには,鉱夫,鉄鉱石を溶解するための溶鉱炉の建設者,用材の伐

採者∴溶鉱場で使用する木炭の炭焼人,煉瓦製造工,煉瓦横工,溶鉱炉の見張職人,機械据●●●●●●●●●■●

付工,鍛鉄工,かじ工,これらのすべてがそのさまざまの技術を結合 し (allofthem join

theirdifferentartsinordertoproduce;aienttouscontribu6,parlar6unionde

leurindustrie,alaproduction)なければならない」 (強調は引用者).

第三の部分. 「もしわれわれが以上すべてのことがらを検討すれば,そ してそれらのおの

おのについてどれほどさまざまの労働が費やされているかを考察すれば,われわれは,幾千●●●●●●●●●

人もの助力や協働なしには (Withouttheassistanceandoperationofmanythousands;Bans

l'aideetleconcoursdeplusieursmilliersdepersonnes),文 明国 (acivilized

country;unpayscivilis6)のもっともいや しい者に,われわれがはなはだしく誤って簡易

で単純な様式だなどと想像 しているような,ありふれた家財道具を整えてやることさえでき

ないということに気づくであろう」 (強調は引用者).●● ●●● ●●●●

しかしマルクスは, 「この章句と観察の仕方とは,そっくり,÷ソディヴィル 『蜂の寓話』

(MandeLn'lle"FableofBees")の引き写 しである」とスミスを批判 している.そ して 『蜂

の寓話』からの長い引用のあと, 「それから彼は,航海,諸外国,一言で言えば,世界市場

がこれにたいしてどのように協働 しているか (wie---derWeltmarktdazuconcurrirt)

に移っている」50)と結んでいる.

そしてマルクスは, 「〔職業の〕この列挙が意味するのは,実は,つぎのことでしかない」●●

として, 「商品が生産物の一般的形態になると,言い換えれば,生産が交換価値の基礎上で,

したがってまた商品交換の基礎上で行なわれるようになると,第 1に,各個人の生産が一面

50)Ebenda,S.271.

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44 季刊経済研究 第22号 第3号

的になる一方,各個人の欲求は多面的になる.したがって,個人の欲求を満たすには,その

もっとも単純 な欲求を満 たすのにさえ,限 りな く多 くの 自立 した労働部門の協働

(concours)を必要とする. ・・・・・」51) (強調はマルクス).

スミスまたはマソディヴィルが列挙 した個別的職業,マルクスが注目した多種多様な個別

的労働,これらの職業,労働は,商品が生産物の一般的形態になるにつれて,社会的労働ま

たは社会的分業の有機的な一環 (Glied・)とな・る.:きちに19世紀にはいって世界市場競争開

始期のJ.S.ミル,続いて世界市場競争展開期のマルクスの眼前には,中国やイソドなど

アジアの地方的生産物,ロシアやポーラソドなど東ヨーロッパの国民的生産物の商品大量が

世界市場向けに販売され,これらの生産物も世界商品になるにつれて, 「世界的または国際

社会的 (ケネーの 「世界商業共和国」やリカー ドゥの 「文明世界全体にわたる諸国民の世界

社会」など)再生産を担う労働」.と規定され,かつ 「世界貿易に媒介される世界分業の諸環

(Glieder)」として具体的に把捉できる,世界価値の実体としての世界労働概念が誕生す

るにい たる. .

(未 完)

(1999.12.2.受理)

51)Ebenda,S.272.