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おそれがあることにかんがみ」云々とい う文言があります。悪文の典型ですが、 いわんとするところは、社会の制度や慣 行がジェンダーフリーの立場から見て問 題と見なされれば、是正させる、というこ とです 。現にこの法律ができてから、全 国でおかしな運動が繰り広げられるよう になりました。特に教育現場では、正常 であるとは思えない状況が繰り広げられ ています。男女混合で徒競走や騎馬戦 をしてみたり、高校の男女の生徒を同じ 部屋で着替えさせたり。中には、夏の高 原教室で小学校5年生を同じ部屋やテ ントに泊めたケースもあります(5頁・資料 5参照)。一応、男子の 列と女子の 列を 分け、申し訳程度に間に低い仕切りをつ くったりしていたようです。私などはそこ いと思います。 八木 私はこの法律の根底に、男女の関 係を支配、被支配の構図でとらえるフェミ ニスト独特の、いわゆるジェンダーフリー、 すなわち男女の性差を区別すること自 体を差別と見なすという思想があ ると考えています 。例えば基 本法の第4条に「社会にお ける制度又は慣行が、性 別による固定的な役割分 担等を反映して、男女の社 会における活動の選択に対 して中立でない影響を及ぼ すことにより、男女共同参画社 会の形成を疎外する要因となる 男女を区別しない考え方 反町 男女共同参画社会基本法(以 下、基本法/4頁・資料2参照)制定の経 緯と問題点についてうかがってまいりた 男女の区別を認めない思想は どこから来たのか 男女共同参画社会基本法の根底には、いわゆるジェンダーフリーの思想があり、 それがさまざまな問題を引き起こしているとされる。 そう指摘する高崎経済大学地域政策学部助教授・八木秀次氏にお話をうかがった。 八木秀次 高崎経済大学地域政策学部助教授/慶應義塾大学総合政策学部講師/フジテレビジョン番組審議委員 聞き手 株式会社東京リーガルマインド代表取締役 反町勝夫 西尾幹二・八木秀次著『新・国民の油断「ジェンダーフリー」と「過激な性教育」が日本を亡ぼす』(PHP研究所・2005年) 八木秀次著『国民の思想』(産経新聞社・2005年) 男女共同参画社会基本法は抜本的な見直しが必要 科学的、生物学的にも認められる性差、男女の区別を認めないという現実と乖離した男女共同参画の政策、仕組みは見直すべき。

男女の区別を認めない思想は どこから来たのか · 2007-03-12 · か、何を得意とするか、男女でその傾向 には違いがあるはずで「何もかも一律同

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おそれがあることにかんがみ」云々とい

う文言があります。悪文の典型ですが、

いわんとするところは、社会の制度や慣

行がジェンダーフリーの立場から見て問

題と見なされれば、是正させる、というこ

とです。現にこの法律ができてから、全

国でおかしな運動が繰り広げられるよう

になりました。特に教育現場では、正常

であるとは思えない状況が繰り広げられ

ています。男女混合で徒競走や騎馬戦

をしてみたり、高校の男女の生徒を同じ

部屋で着替えさせたり。中には、夏の高

原教室で小学校5年生を同じ部屋やテ

ントに泊めたケースもあります(5頁・資料

5参照)。一応、男子の列と女子の列を

分け、申し訳程度に間に低い仕切りをつ

くったりしていたようです。私などはそこ

いと思います。

八木 私はこの法律の根底に、男女の関

係を支配、被支配の構図でとらえるフェミ

ニスト独特の、いわゆるジェンダーフリー、

すなわち男女の性差を区別すること自

体を差別と見なすという思想があ

ると考えています。例えば基

本法の第4条に「社会にお

ける制度又は慣行が、性

別による固定的な役割分

担等を反映して、男女の社

会における活動の選択に対

して中立でない影響を及ぼ

すことにより、男女共同参画社

会の形成を疎外する要因となる

男女を区別しない考え方

反町 男女共同参画社会基本法(以

下、基本法/4頁・資料2参照)制定の経

緯と問題点についてうかがってまいりた

男女の区別を認めない思想はどこから来たのか男女共同参画社会基本法の根底には、いわゆるジェンダーフリーの思想があり、それがさまざまな問題を引き起こしているとされる。そう指摘する高崎経済大学地域政策学部助教授・八木秀次氏にお話をうかがった。

八木秀次氏 高崎経済大学地域政策学部助教授/慶應義塾大学総合政策学部講師/フジテレビジョン番組審議委員

聞き手 株式会社東京リーガルマインド代表取締役 反町勝夫

西尾幹二・八木秀次著『新・国民の油断「ジェンダーフリー」と「過激な性教育」が日本を亡ぼす』(PHP研究所・2005年)八木秀次著『国民の思想』(産経新聞社・2005年)

男女共同参画社会基本法は抜本的な見直しが必要科学的、生物学的にも認められる性差、男女の区別を認めないという現実と乖離した男女共同参画の政策、仕組みは見直すべき。

21法律文化2005 June

まで配慮するなら、どうして別々の部屋

に泊めないのか、と思うのですが、男女

を区別してはいけない、と言われた教師

は、思い込みからそのようなおかしなこ

とをしてしまう。意識を改革するための

思想統制のようなことも行われています。

例えば文部科学省が財団法人日本女

子社会教育会(現在は「財団法人日本

女性学習財団」と改称)に委嘱して作成

させた子育て支援のパンフレット『新子

育て支援 未来を育てる基本のき』は、

「無意識のうちに、子どもたちに『女らし

さ』や『男らしさ』を押し付けるような子

育てをしていませんか」としながら、女の

子だったら「優しい愛らしい名前」、男の

子だったら「スケールの大きい、強そうな

名前」を付けてはいけないと具体的な名

前の例まで挙げている。私的な領域にま

で権力が介入しようとしていて、全くもっ

て大きなお世話です。また、女の子は

「赤いランドセル」や「暖色系」の服装、

「お人形」、男の子には「黒いランドセル」

や「寒色系の服装」、「ミニカー」や「サッ

カーボール」などのプレゼントなどと列挙

したあげく、「ひな祭りのお雛様」や節句

祝いの「鯉のぼりと武者人形」まで挙げ

ています。

反町 伝統文化や慣習にまで踏み込ん

でいるのですね。

八木 三重県教育委員会が作成した

小学校5年生の道徳の時間に使う『ハー

モニー』という名の副読本があります。

そこには「男らしく、女らしくと言われた

ことはありませんか?かずみさん、ひかる

さんと考えてみましょう」と、名前からもイ

ラストからも性別が分からない二人の人

物が登場するのですが、最後まで読ん

でも二人の性別は明かされない。チェッ

ク表もついていて、「あなたのこだわり度

は?」として、「男の子は泣いてはいけな

いと思う」、「重いものは男の子が持った

ほうがよいと思う」といった項目に「はい」

「いいえ」で答えさせる。もちろん「はい」

と答えれば、あなたは男らしさ、女らしさ

にこだわっていると断罪されることにな

ります。子供たちに対して、このような考

えを植え付ける教育が行われているの

です。

反町 基本法の成立を受け、この法律

に沿うようなかたちで、全国で男女共同

参画社会関連の条例がつくられている

ようですね。

八木 既に千葉県を除くすべての都道

府県と政令指定都市で制定されていま

す。千葉県は、日本一の男女共同参画

条例をつくる、という触れ込みで検討が

進められましたが、上がってきた条例案

を見て、自民党県連がさすがに「待って

ほしい」ということになりました。例えば

県内の事業者に対して、男女共同参画

の推進状況に関する報告義務を課した

上で「公契約を請け負う事業者で男女

共同参画に熱心な事業者に優遇措置を

とる」とした。要するに「自分たちの思想

に合わないところには経済制裁をかけ

る」という脅しです。しかし、現実として

建設業界などは男の世界です。従業員

の男女比について言われても、すぐには

対応できませんし、そもそも性別による適

性というものもあるはずです。何をしたい

か、何を得意とするか、男女でその傾向

には違いがあるはずで「何もかも一律同

じように」と言い出せば、混乱は避けら

れない。女性の社会参画などで、数値目

標を設け、女性の比率を何割以上とす

ることがよく行われていますが、そうなれ

ば、能力が後回しになったり、形式的な

ものになりかねません。さまざまな分野に

自然なかたちで女性が増えていくという

のであれば時代の趨勢として分かります

が、権力をもって無理やりに実現しようと

すれば、いろいろな歪みが出てくるはず

です。

反町 国がつくったのは基本法です。

基本法には、罰則などの規定はありませ

ん。後ほどこれを具体化する法律なり条

例なりが制定され、これに強制力を付け

るという性質の法律ですが、これに問題

が生じているということですね。

八木 条例によって各地で苦情処理委

員会、苦情処理機関が設けられていま

すが、これが問題です。行政や教育の

あり方、ときには市民の一般生活につい

てまで、けしからんと思うものを告発し、

「勧告」という名の是正命令を出せると

いう機関です。現に自治体の広報活動

にクレームを付けるといった活動を既に

展開しています。例えば鳥取県では半

官半民の組織が「育てよう、明るく元気

な中学生を」という青少年健全育成の

ために作成したリーフレットの中に「言う

べきときには、自信を持ってびしっと子ど

もに言えるお父さんに」、「できあいのも

のより、お母さんの手づくりを」と呼びか

ける表現がありましたが、それを「父と

母、つまり男女の役割を固定した表現で

あり、県の条例に反する表現である」と

して指弾して、つくり直させています。よ

り広く知られた例としては、埼玉県にお

ける県立高校の一律共学化の問題が

あります(5頁・資料5参照)。同県で名門

とされる県立高校は別学が多いのです

が、それを、たった3人で構成する県の男

女共同参画苦情処理委員会が「すべ

て共学にせよ」と言い出しました。共学

校があり、別学校があり、多様な選択肢

から選ぶ、私などはそれが成熟した社会

ちょっと待った!�男女共同参画社会基本法�~科学的・生物学的見地から抜本的改正を~�

22 法律文化 2005 June

せん。これを憲法は実質的平等と言って

います。人間の本性からの個性が違う

一人ひとりを区別することなく扱え、など

と憲法がいうわけがありません。正しい

憲法の解釈から見ると、基本法は、かな

り逸脱した文言があるように思われます。

八木 平等に関する憲法の解釈は「合

理的な差別は許容する」というものです

が、この基本法の考え方にあるのは「男

女を区別すること自体を差別と見なす」

というものであり、憲法の精神から逸脱

している疑いがあります。伝統的な男女

に関する考え方は、男女には身体上の

差異のほか、精神面にも違いがある、と

いうものであり、確かにその性差が過度

に強調されていた時代もあるでしょう。今

日のように、女性の社会進出が進み、従

来、主に男が担っていた役割に女性が

参画したり、女性が担っていた仕事を男

性がするようになったりすることについ

ては、私も時代の自然な流れだと思って

います。しかし、今出ている

男女共同参画やジェンダー

フリーという考え方は、その

ようなものではないのです。

おぼろげながら男の役割、

女の役割というものがあり、

そこに相互乗り入れをして

いこう、というような話ではな

く、そもそも男らしさ、女らし

さはというのは社会的、文

化的につくられるものであ

り、男女には生物としての

本質的な差はほとんどない、

とする。「確かに肉体的な

差として女だけが子どもを

産めるという違いはあるが、

精神的には違いはないのだ

から、男女に固定的な役割

分担を求めるのは誤りである。男女とも

にジェンダーから解放されなければなら

ない。男と女は一切区別すべきではな

い」というものです。現に、そのような教

育や施策が進められているのです。とこ

ろが私がそう指摘すると、推進派は「そ

こまで極端なことは言っていない」と否

定して、私の言動を「バックラッシュ」など

と言って攻撃する。彼らに公開討論を申

し込んでも無視するだけです。私が指

摘するような事例は本来、男女共同参画

社会が目指すものではない、ということ

であれば、それらを是正して欲しい。そ

うであれば、私もここまで批判を展開し

ません。しかし、そのような措置は行わ

ず、野放しにして、私が具体的な事例を

指摘すると、そのような例はどこにあるの

かと、隠そうとする。しかし、現場で目撃

した人もたくさんいますし、自治体が作

成したパンフレットなど印刷されたもの、

書かれたものもたくさんあります。私はそ

れらを一つひとつ例を挙げて指摘して

いるだけです。背後に、男女の区別を認

めない社会を密かにつくっていこうとす

る強固な意思が存在すると判断せざる

を得ません。

反町 国会でも「ジェンダーフリー」とい

う言葉が取り上げられました。

八木 男女を区別しないという奇妙な

教育や施策を無理に進めようとした結

果、社会がそれを拒否し始めた。そこで

推進派は戦術を転換したのか、「ジェン

ダーフリー」という言葉は使わないように

しよう、と言葉隠しを行うようになりまし

た。代わりに「ジェンダーに敏感な視点

で」といった言い換えをしたり、「G-free」

という言葉を新たにつくっています。ま

た、男女の特性を否定するという意味で

「男女平等」という言葉を用いて「男女

のあり方ではないかと思いますが、委員

会の面々はそれが容認できないらしく、

一律に共学化せよとした。それには県民

が反発して、27万人もの反対署名を集

めて何とか押しとどめましたが、同様の

問題は他県でも発生しています。宮城県

でも、県の施策として一律共学化の話が

出ており、それに対して在学生や保護

者、OBの反対運動が現在起きていま

す。

憲法との関係

反町 日本国憲法第14条(5頁・資料6

参照)が謳う法の下の平等は形式的な

平等ではありません。実質的平等を定め

ています。つまり、男と女が生物学的に

持つDNA・遺伝子による性や性差は人

間の本質的差異です。これに基づく差

別は合理的根拠のある差別です。この

ような差別をしても憲法違反ではありま

23法律文化2005 June

平等を否定するのか」と極端なレッテル

張りをして反対派を押し込めようとして

います。「ジェンダーフリー」という言葉が

公式に否定されたのは一歩前進です

が、そのような言い換えから判断する限

り、基底にある思想を何ら変える気がな

いのは明らかです。

反町 基本法がつくられるに至った立

法過程に問題があったのでしょうか。

八木 小渕政権時代の国会で全会一

致で成立したのですが、残念ながら、そ

の時点では、この法律が持つ本当の性

格が理解されていなかった。議員たちは

「男女共同参画」という語感から「良い

ことだ」と善意の誤解をしたのでしょう。

しかし、その概念は正確に理解されず、

基本法の前文にある「性別にかかわり

なく」という文言が持つ重要な意味を知

る人もごく少数でした。この基本法の法

案起草で重要な役割を果たしたことを自

らも認める、あるフェミニストの学者は、こ

れを「ジェンダーからの解放(ジェンダー

フリー)」と位置付け、その解説をある書

物で展開しています。別のところでは、

文化や社会がつくり出した男らしさや女

らしさという通念は人工的につくり出さ

れたものであるから、人の意識的な営み

によって崩せる。そのようなことも述べら

れている。それらの発言を追えば、立法

者の意思として、基本法がジェンダーフ

リーを目指すものとしてつくられたもの

であることに疑う余地がありません。

国連から下りてきた考え

反町 基本法の立法プロセスに生物学

などの科学的な知見は反映されなかっ

たのでしょうか。

八木 審議の過程に生物学者は一人

も入っていないことからも、

この法律の偏りが分かりま

す。ご指摘のように、ことは

自然科学の領域にかかわ

る問題です。現在、多くの

生物学者は「男らしさ、女ら

しさという意識は、男女の生

物としての違いに起因する

ところもある。男女には身体

に限らず、脳の構造にも違

いがある。機能にも意識に

も差異がある」そうとらえて

います。しかしながら、基本

法はこのような科学的な見

解を否定している。立法に

至る一連の議論では、生物

学的な性差を前提として、

男女が協調してよりよい社

会をつくる、というしごくまっとうと思える

方向性も提示されたのですが、議論に

参加した件のフェミニストがよほど巧妙

にリードしたらしく「男女は生物として違

わない」という科学的合意のない、無理

な考え方が受け入れられた。そのジェン

ダーフリーの思想はどこから来たものな

のかといえば、淵源を辿ると、アメリカで

一時注目された、ある考え方に突き当た

ります。現在では否定されている性科学

者ジョン・マネーの学説です。マネーは半

陰陽の患者の研究から、「新生児は、性

心理が白紙の状態で生まれ、男として育

てれば男になり、女として育てれば女に

なる」と主張して、その証拠として生後

まもなくペニスを失った双子の男児の一

人を女の子として育てたところ、見事に

女の子として意識形成された、という例

を示します。それが男女の精神に生来

的な差はない、とするフェミニストたちの

主張の決定的な論拠とされ、マネーは権

威として祭り上げられ、もてはやされるこ

とになります。しかし実はその実験は無

残な失敗に終わっており、マネーがその

事実を隠蔽していたことがやがて発覚

するのです。つまり、わが国の基本法は、

既に破綻した、一時代前の誤った考え

方に基づいたものと言えます。その本質

が国会で問われることもなく基本法が成

立してしまった。それに続いて基本計画

が策定され、さらに全国各地で同様の条

例が次々につくられた。その結果、さまざ

まな混乱が生じているのが現状です。

反町 ジョン・マネーの学説は、その後他の

学者により批判され、破綻したそうですが。

八木 アメリカではミルトン・ダイヤモンド

という学者が1997年に完全論破し、現

在はマネーを支持する学者はほとんどい

ません。しかるにわが国で基本法が制

定されたのはそれから2年後の1999年

のことです。わが国では教育や施策の

かたちで思想が具体化されることによっ

ちょっと待った!�男女共同参画社会基本法�~科学的・生物学的見地から抜本的改正を~�

この問題は単に自治体のおかしな条例

が起こしている珍事と見るのではなく、

そのような世界的な動きの中でとらえる

べきなのです。

日本の中高生の意識

反町 そうしますと日本の基本法は、抜

本的な見直しが必要ということになるの

でしようか。

八木 もし公が権力をもって一般国民

の意識にまで踏み込む施策を講じようと

するのであれば、それは、よほど社会的、

科学的に合意形成がなされたことでな

ればならないはずです。しかし、この基

本法はそうなっていない。最初からボタ

ンのかけ違いがあるのですから、個々

の条文を微調整したところで限界があ

るでしょう。国民が見ている前で、もう一

度、この基本法の根底にある考え方につ

いて審議し直すべきです。そのときには

自然科学の領域の最新の成果も踏まえ、

科学的にも合意のできる男女平等のあ

り方を求めていただきたい。おそらく、そ

れは男女がそれぞれの違いを理解して、

尊敬し、協力し合い、共に暮らしていけ

る社会を目指す、というものになるはず

です。しかし、現行の基本法はそうなっ

ていません。論じるまでもなく、わが国は

自由社会ですから、個人ならいかなる思

想信条を持つことも許されるべきです

が、ごく少数の人間しか納得できない特

殊な考え方を、そうは思っていない大多

数の人たちに強請する。しかも権力を用

いて、押し付ける。そこが基本法や条例

の最大の問題点だと思います。

反町 市民社会のあり方に福利をもた

らすべき基本法として、有害であると。

八木 公が個々の市民に「意識を変え

ろ」と指導する。場合によっては強制力

まで使ってくる。思想信条の自由という

点で、憲法との関係においても極めて重

大な問題を含むものです。表現の自由

も大幅に制約される可能性がある。今

のところ一応、公的な広報の表現の是

正などの動きにとどまっていても、いずれ

は一般市民社会における表現に対する

規制に発展しかねない。条例の中には、

苦情処理委員会の判断に対して苦情を

申し立てることができない、という規定を

含むものまで存在するのです。また今、

国会への上程が持ち上がっている人権

擁護法案※にそれを強化する性格があ

ることを考え合わせれば、私などはある

種の思想統制社会の樹立に向けた動き

につながっていくのではないかという懸

念さえ持ちます。

反町 男女共同参画社会を推進する中

央政府の機関として、「男女共同参画会

議」が内閣府に設置されていることが極

めて重要です。

八木 この機関が大変な権限を付与さ

れているのです。経済財政諮問会議に

しても専門の局を持ちませんが、ここは

男女共同参画局という独自の局を持ち、

すべての省庁を完全に串刺しにし、命

令に従わせることができるかたちになっ

ています。その参画局を操っているのが

男女共同参画会議であり、その中にいく

つかの専門部会がありますが、そのメン

バーを見れば、自民党政権下でこういう

人が審議会のメンバーに入っているの

か、と驚きを禁じ得ない人々が入り込ん

でいるのです。もちろん財政面の問題も

大きい。男女共同参画推進関係予算は、

政府関係だけで10兆円もあります。それ

だけの金額が、一般の納税者にとって

はとても受け入れ難いような施策や啓蒙

て初めて一般国民がそのおかしさに気

付き始めました。基本法の根底に存在

する考え方に社会一般の良識が拒否反

応を示している。その摩擦が男女共同

参画をめぐるもろもろの出来事です。

反町 アメリカでは、共和党のブッシュ大

統領は、家庭という伝統的な価値観を重

んじる姿勢を示しています。

八木 アメリカで1970年代の半ばから十

年ほどフェミニズム論争が繰り広げられ

ました。その結果、アメリカの左派、フェ

ミニズム勢力は敗れたのですが、論争に

敗れた彼らが駆け込んだのが国連だっ

た。そして1979年に女子差別撤廃条約

をつくらせました(2頁・資料1参照)。条

約の第2条に「男女を区別することを差

別と理解する」という趣旨の文言があり

ます。それを受け、国連から下りてきた

のが現在のジェンダーフリーなのです。

反町 アメリカは国連から、ケースによっ

ては一定の距離をとっているようですが、

日本は国連神話がありますから、国連の

決定を無批判に受け入れるようなところ

がありますね。

八木 アメリカ連邦政府は、国連にはそ

のような勢力が巣くっているという構図

を熟知しており、またこの条約の性格も

知っていますから、条約自体を批准して

いません。もちろん男女平等は認めます

が、男女の区別まで差別と見なす、といっ

た極端な思想を含む条約を拒絶してい

るのです。しかるに日本政府は、1985年

にそれを知ってか知らずか批准してし

まう。それが1985年の男女雇用機会均

等法の制定につながります。その時点

ではまだ雇用における男女平等という理

解でしたが、この条約には仕掛けがあ

り、今日の基本法に至る筋道が埋め込

まれていたということなのです。つまり、

24 法律文化 2005 June

※ 人権擁護法案:人が生まれながらにして持っている権利としての人権を護るため、人権侵害に関する相談に乗ったり、加害者に人権侵害をやめさせたり、あるいは被害の回復を得られるよう人権侵害の被害者を援助する仕組みとしての人権救済手続を整備すること、その担い手として独立行政委員会としての人権委員会を中心とする人権擁護のための組織体制を整備することなどを目的とする法案。人権侵害の定義があいまいであることや、一部の団体の関与が懸念されるなど、法案の中身について根本的な疑義が寄せられている。

のために費やされている。私

も、私的なサークルの中で自

分たちのお金で彼らがその

ようなことをしている分には

文句を言いませんが、税金

を使い、そうは思っていない

一般の人たちに考えや行動

を押し付け、それによってさ

まざまな混乱が引き起こされ

ているとなれば、看過できま

せん。特に私が憂慮するの

が教育の現場です。まともな

判断力を持つ成人の大多数

であれば、男は男らしくあっ

てよい。女は女らしくあってよ

い、と思っているとしても、幼

い頃から、それを否定するよ

うな思想を延 と々叩き込まれたら、その精

神にいかなる影響が及ぶのでしょうか。

次の世代のことが危惧されます。既にそ

の兆候として、日本の子どもたちの間に、

特異な意識が広がっていることを示す

調査結果があります。2004年2月17日付

けの「読売新聞」が朝刊一面で報じた

ことですが、日本青少年研究所と一ツ橋

文芸教育振興会という二つの財団法人

が、日本、アメリカ、中国、韓国4カ国の高

校生約1,000人の意識調査を行ったとこ

ろ、「女は女らしくすべき」という設問に

対して、肯定的に答えた割合は、米国が

58%、中国が72%、韓国48%でしたが、

日本は28%と極端に少なく、同様に「男

は男らしく」という設問も米国が64%、中

国81%、韓国54%に対して、日本は43%

でしかありませんでした。また、結婚前

は純潔を守るべきだという答えも、日本

だけ極端に少ないのです。同紙は、これ

を男女共同参画の推進の影響と分析し

ていますが、その国際比較からも、日本

においてかなり特殊な教育がなされ、し

かも一定の「成果」を上げつつあると見

ることができます。ジェンダーフリーを推

進しようとする勢力は次の世代にねらい

を定めたということかもしれません。今

は一般の成人に理解されない少数者で

も、次の世代には多数者になれるかもし

れない、そのようなことをもくろみ、大人

から見れば、過激な性教育を含め非常

識なことを教育の場で実践しているので

はないか。しかし、やがてそれが「常識」

にされるとき、家庭も、それを基盤とする

社会も国家も大変な危機に直面するで

しょう。

反町 家庭の崩壊であるとか、少子化を

促進する可能性もあるということでしょうか。

八木 自分が男か女かよく分からない、

そのような者同士で、果たして結婚し、

家庭をつくり、次の世代を残そうというこ

とになるでしょうか。家庭とは何か。フェ

ミニストの中には女性を抑圧し、搾取す

る装置と見なして、解体したがっている

人たちがいますが、家庭生活の形態は、

何も特定の権力者が勝手につくったも

のではありません。長い歴史の中で私た

ちの祖先が、試行錯誤をしながら、男女

がよりよい形態として探り当ててきた結

果です。それが今、誤った知識をもとに、

主観的な発想によって否定されている。

しかも価値観をひっくり返そうとする勢

力が現実の権力を握っている。とても座

視できる状況ではありません。

25法律文化2005 June

読者の皆様のご意見・ご感想をお寄せください。

[email protected]

高崎経済大学地域政策学部助教授/慶應義塾大学総合政策学部講師/フジテレビジョン番組審議委員

八木秀次(やぎひでつぐ)

1962年広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業。同大学院政

治学研究科博士課程中退。高崎経済大学助教授(現職)、慶

應義塾大学総合政策学部講師(現職)。平成14年第2回正論

新風賞受賞。主な著書に、『夫婦別姓大論破!』(洋泉社・

1996)、『論戦布告』(徳間書店・1999)、『誰が教育を滅ぼした

か』(PHP研究所・2001)『反「人権」宣言』(ちくま新書・2001)、

『明治憲法の思想』(PHP新書・2002)、『日本国憲法とは何か』

(PHP新書・2003)、『新・国民の油断』(共著/PHP研究所・

2005)、『国民の思想』(扶桑社・2005)などがある。

ちょっと待った!�男女共同参画社会基本法�~科学的・生物学的見地から抜本的改正を~�