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û û û û û (219)

資料紹介 『英名八犬士』(四) - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052069/Jinbun38-13.pdf資料紹介 『英名八犬士』(四) ― 解題と翻刻 ― 木

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Page 1: 資料紹介 『英名八犬士』(四) - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052069/Jinbun38-13.pdf資料紹介 『英名八犬士』(四) ― 解題と翻刻 ― 木

資料紹介『

英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

前号に引き続き『南総里見八犬伝』の魯文による抄録本

『英名八犬士』の七編を紹介する。

この本は最初は袋入本として出されたようで、錦絵風摺

付表紙本はやや後からの出板のようであることは、既に述

べた。さて、もう一種類の「曲亭馬琴著」と改竄後印され

た袋入本であるが、手許に欠けていた初編二編を山本和明

氏のご厚意で拝見させていただけたので、以下簡単に紹介

しておきたい。

書型

中本八編八冊

表紙

松葉色無地表紙に亀甲繋ぎに紋の浮出模様

外題

「曲亭馬琴著\里見八犬伝

一(〜八)」

見返

「曲亭馬琴著\里見八犬伝

全八冊\木村文三郎」

さとみはつけんでん

じよ

序文

「里見八犬傳の序

ほうさう

たいしゆあはのかみよしさね

こく

ぬし

房総の太守安房守義実ハ二ヶ國の主たりと云へど

そのゐんえんつたな

かうほういまたつきす

かあひじよふせひめ

がい

も其因縁拙くして業報未不尽�愛女伏姫は人界

せう

きちく

ともなは

おく

くわんをんげう

に生を得ながら鬼畜に伴れ冨山の奥に觀音經を力

によぜちくせうほつぼたいしんこれ

さとみ

はちゆう

となし如是畜生發菩提心是ぞ里見の八勇士みなに

さんらん

ひら

いにしへきよくていおう

みやうさく

みなよの

散乱の根を開くそハ故

曲亭翁の妙著にして皆世

ところ

いま

たいくわん

はつさつ

つゞ

よみやす

人の知る所を今や大巻を八冊に綴り讀安からんを

だいぜん

大全と壽るのみ」(初編一ノ三オ、新刻。年記序者

名なし)

さとみはつけんでん

内題

「里見八犬傳初(〜八)編

曲亭馬琴﹇乾坤一艸亭﹈」

刊記

「日本橋區馬喰町二丁目壹番地\文江堂\木村文

三郎」(八編後ろ表紙見返)

備考

なお、架蔵本の他の一本(七八巻のみの端本)は

同本であるが、表紙が青磁色である。

この本は、各編巻頭に付されていた序文と口絵(三丁程)

さとみ

を削り、そこに新たに序文(一編)と口絵(二編「�仁里見

はちけんし

のうち

いぬゑしんべいまさし

いぬかはさうすけよしたう

八犬士之内\犬江親兵衛仁」、三編「�義犬川荘助義任」、四篇「�禮

いぬむらだいかくまさのり

いぬさか

たねとも

いぬやまどうせつ

犬村大角礼儀」、五編「�智犬坂毛野胤智」、六編「�忠犬山道節

(219)

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たゞとも

いぬつか

もりたか

いぬかひげんはちのぶみち

いぬた

忠與」、七編「�孝犬塚信乃戌孝�信犬飼現八信道」、八編「�悌犬田

こぶんごやすより

小文吾悌順」)を加え、題名を「里見八犬伝」と改題した上

で、角書や内題下に「曲亭馬琴著」と入木し、明治に入っ

てから木村文三郎に拠って出された改竄本である。なお、

七編については改題後印された際に、三〜四丁、十一〜十

二丁、十五〜二十丁、二十七〜三十丁、三十七〜三十八

丁、四十九丁が改刻されている。

本文は基本的に原本の切り貼りに拠っているのである

が、六編迄に比べると大幅に省略が多くなり、それだけ繋

ぎの部分に魯文の手になる文が挿入されている。表記の変

更や振仮名の省略は以前も見られたが、訓みの難しい熟語

に振仮名が施されていない反面、漢語を平仮名で表記する

ため却て意味が取りにくくなるなど、読み手に対する配慮

は余り見られない気がする。

なお、この第七編は原本『南総里見八犬伝』の第六輯五

十六回から第九輯第百三回の中途までに相当するのである

が、前編までに比べると回数から見てもかなり抄録を急い

でいる様子が見て取れる。尤も、原本の九輯だけでも全体

の量からいえば半分あるわけで、それを八編だけで終わら

せているのではあるが……。

【書誌】

英名八犬士

七編

書型

錦絵風摺付表紙、中本一冊

えいめいはつけん

外題

「英名八犬士\第七編」

見返

「英名八犬士第七編」

「于時安政四丁巳春\花笠文京誌﹇印﹈」

改印

﹇改﹈﹇巳二﹈安政四年二月

ゑいめいはつけんしたいしちしう

内題

「英名八犬士第七輯一帙/江戸

魯文鈔録」

板心

「八犬士七編」

画工

「一燕齋芳鳥女画」

丁数

四十九丁

ゑいめいはつけんしたいしちへん

尾題

「英名八犬士第七編尾」

板元

「東都神田松下町三丁目

公羽堂

伊勢屋久助上

梓」

底本

架蔵本・国文学研究資料館本

諸本

【初板袋入本】二松学舎・服部仁(六七欠)

【改修錦絵表紙本】国文学研究資料館(ナ四―六八

〇)・館山市立博物館・江差町教育委員会(四八

欠)・林・高木(初二三六存)

【改題改修袋入本】国学院・向井・山本和明・高

木(三〜八、七八、四)

千葉大学人文研究

第三十八号

(220)

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【凡例】

一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮

名、仮名遣いをはじめとして、異体字等も可能な限り

原本通りとした。これは、原作との表記を比較する時

の便宜のためである。

一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったもの

と思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたものは、

そのまま「ハ」とした。

一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、句点

に限り私意により「。」を付した。

一、大きな段落の区切りとして用いられている「○」の前

で改行した。

一、丁移りは

」で示し、裏にのみ

」15のごとく数字で

丁付を示した。

一、明らかな衍字には〔

〕を付し、また脱字などを補正

した時は〔

〕で示した。

一、底本には架蔵本を用いたが、架蔵本が欠損している部

分の図版に限り、国文学研究資料館蔵本に拠って補っ

た。

一、なお、図版の二次利用に関しては国文学研究資料館に

利用申請を必要とする。

【七編表紙】

(221)

『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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英名八犬士\第七編

せうせつ

めづ

ばきん

しらざる

よくばきん

およそ小説を愛るもの。馬琴を不識ハなく。善馬琴をしる

はつけんし

いはざる

それはつけんし

せうせつ

くこく

ものに八犬士を不言ハなし。夫八犬士の小説たるや。駒谷

さんじん

がうるいせつよう

やくめう

いだ

けんし

さかん

こと

山人の合類節用に役名を出せり。そのかみ犬士の隆なる�

また

しか

けんし

ほか

しよけん

も亦しるべし。然れども犬士の名を見る事外に所見なし。

ばきんひとりはや

あまた

せうせつ

わたり

くしん

いつか

馬琴独早く見つけて。許多の小説に抄猟。苦心して一家

だいけうげん

ばきん

たくけんおも

すじゆ

せうせつ

の大狂言と成れり。馬琴の卓見思ふべし。數種の小説なれ

まづはつけんでん

だい

おう

せいすこぶ

はくぶん

きやうき

る中に。先八犬傳を第一とす。翁が性頗る博聞。強記に

ことさらじゆ

なが

ゆうよさい

たも

かうふくこのうへ

して。殊更壽も永く。八十有余歳を保てる事。幸福此上や

ろぶんこのごろはつけんし

せうろくすじつ

すで

あるべき。魯文頃日八犬士の鈔録數日ならざれども。既に

けつきよくちか

このこんき

おう

せい

結局近しと聽けり。此根氣をもて翁が年まで出精なせバ。

しん

さくしや

こと

うけあい

あゝうらやま

眞の作者となる事。請合なり。嘆浦山しきかな。

于時安政四丁巳春

花笠文京誌﹇印﹈

﹇改﹈﹇巳二﹈

【見返・序】

千葉大学人文研究

第三十八号

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【口絵第一図】1

【口絵第二図】2

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『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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【口絵第一図】1

かはごひごんのすけもりゆき

河鯉權佐守如

ゐあひしものしらうじつ

いぬさかけ

のたねとも

坐撃師物四郎實ハ犬坂毛野胤智

どくふふなむし

毒婦舩虫

おぼろけのかりの筆かはをみなへし

あたをもつくす花のひとゝき

蟹麿

【口絵第二図】2

ひきたごんのかみもとふぢ

蟇田權頭素藤

いぬえしんびやうゑまさし

犬江親兵衛仁

はつひやくびくにみやうちん

八百比丘尼妙椿

きえぬへき露のしら玉神も手に

とりてもていぬえにハふりしな

岩の屋蟹麿

しら波のよるべの磯にかひハあれと

みるめあやうきあまのおこなひ

曲亭馬琴

【本文】

ゑいめいはつけんしたいしちしう

英名八犬士第七編一帙

江戸

魯文鈔録

ふたゝびとく

まくはりだいき

よくりう

犬田小文吾ハはからずも馬加大記に抑畄せられ心な

つぎ

やよひなかば

いた

このや

しもべしなしち

らずも次の年の三月中旬に至りける頃當家の老僕品七とい

ものには

そうじ

よのなか

ものがた

こと

へる者庭の掃除に來りけるが小文吾と江湖の物語りせし言

はし

きうあく

ひとくだり

ちうしんあひばらおほとたねのり

の端に大記が旧悪の一ト條なる千葉家の忠臣粟原首胤度

ざんそ

どうはんこみやまいつとうだよりつら

うた

とは

がた

を讒訴して同藩篭山逸東太縁連に撃せし事を問ず語りにし

ひそか

たんそく

つねたけ

いへ

かまくら

たりしかバ小文吾竊に歎息す。此ころ常武が家に鎌倉よ

あさけの

でんがくき

だいきとゞ

おき

り旦開野といへる女田楽來たり居けるを大記畄め置てある

こぶんこ

をくざしき

せう

しゆゑん

さかづき

かのあさけの

日小文吾を後堂に請じ酒莚をまうけ盃をすゝめ彼旦開野に

きやう

もてなし

よくはて

のち

興をそへさせさま��に饗應

ふき

曲果て後大記ハ小文吾を

たいぎうらう

みかた

對牛樓上にいざなひおのが味方になさん」3としけるを小

はぢ

文吾に耻しめられ心中大い

いかる

いへどもたはむ

に怒と

戯れ言にいゝなして

まゝ

こゝ

いんじぐわんせう

つねたけ

かんけい

其儘に別れける。爰に往�寛正六年冬十一月常武が奸計

ざんそ

おと

こみやまいつとうだよりつら

うた

の讒訴に陥しいれられて籠山逸東太縁連に撃れたる千葉家

ぞく

らうどうあひばらおほとたねのり

のこしだね

たねとも

の一族の老黨粟原首胤度が遺腹児に犬坂毛野胤智といふ

たねのり

てかけたづくり

おほどざんし

ちと

少年あり。こハ胤度が妾調布といへる女首惨死の後些の

ゆかり

さがみのくにあしがらこほり

くだん

由縁を心あてに相模州足柄郡犬坂といふ山里に在て件の

うめ

はゞか

毛野を生り。されども千葉家の聞えを憚り女の子にして

やういく

とぼし

まゝ

たづくり

みすき

養育し世のたづき貧き侭に調布ハ女田楽になりて業をし毛

千葉大学人文研究

第三十八号

(224)

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いら

あさけの

よび

はゝたづくりやまひ

野をも其道に入し旦開野と呼なししが母調布病に臥その

あさ

おや

すじやう

つげまくはりこみやま

枕辺に旦毛野を近づけ親の素性を如此

��々々と告馬加籠山

ふたり

あだ

つい

両個の仇の事までも聞へ知らし終に身まかりけれバ毛野ハ

かな

くち

あだ

むく

でんがく

わざ

悲しく朽おしくいかでか仇を報はんものと田楽の技にかこ

ふじゆつ

やゝじとく

ちか

つけて日夜武術に心をゆだね三年に及て稍自得し」近ごろ

ぢよむな

かたきつねたけ

まね

此地に來りしが天助空しからずして求ずも仇人常武が招き

おう

いしはま

じやうちう

こよひ

しゆゑん

に應じ石濱の城中にある事廿日あまり今宵の酒宴折こそよ

つねたけおや

おちこち

ゑひふし

けれと心待してありける程に常武親子

しゆう��

主従ハ彼此に酔臥

しの

まくらべ

なのり

たれバ一刀ひさげて潜びより常武が枕辺につゝ立名乗かけ

よびさま

おき

おどろ

つねたけ

ちやくしくらやご

て呼覚し起んと駭く常武が首をたまらず打落し嫡子鞍弥吾

ころ

たいぎうらう

かたへ

かべ

かたき

其余の者をも残りなく殺し尽し對牛樓の傍の壁に仇人の血

あだうち

よし

よげん

しる

さけ

をもて報讐の事の起を五十餘言に書誌し常武か首引提小文

こも

つて

吾が閉りたる一と間に来り如此

��々々のゆへを告人傳に聞犬

ぎやうでう

まれ

ころ

田が行状世に稀なる勇士ならんを捨殺しにすべくもあら

ともな

いきつぎ

ときしめ

ねバ相伴ふて走り去らんと息吻あへず説示せバ小文吾ハ

かんたん

のが

みち

しゆきう

こし

いさ

聞事に感嘆し脱れ出る路を問ふ。毛野ハ首級を腰につけ誘

かう

とのかた

斯来給へと先に立小門の笠木に飛つきて外面へをり立つゝ

たやす

とさし

とびら

もろともまくはり

輙く鎖をねぢきり捨門扉を開て」4小文吾諸共馬加が屋敷

しろ

ひがし

かきなは

はし

を出城の東の土手の上より用意の釣索を取出し其端をこな

むすびとめ

はし

なは

むかひ

なげ

たの松に結畄て片端の索の先に付たる鋼丸を前面に擲るに

やなぎ

みき

わた

楊の幹へくる��とからみ付にぞさらバ向へ渡さんと小文

たやす

なは

あしふみ

ほり

なん

わた

こゑあし

吾を輙く

せをい

て件の索に足踏かけ塹を難なく渡り越足ばや

すみだかはら

おもむ

にはか

さはか

あつむ

たいこ

に墨田河原に赴く折しも城中猛に騒しく人数を集る太鼓

はげ

の音いとも烈しく聞へしかバ両人これを聞つゝも早く向へ

わた

ふね

そう

渡さんとするに舩一艘もなかりけるに夜ハはかなくも明は

はるか

あしおとけ

これ

なれて遥に聞ゆる人馬の足音毛野小文吾ハ是を見て心いら

おり

しば

わづか

きし

こぎ

だつ折しもあれ千住の方より柴舩の僅に岸をはなれつゝ漕

きた

たすけ

まね

こぎ

いか

来れるを天の祐と招けども漕よせざれバ毛野ハ怒りて丘よ

おどろ

ふみすへこぎもど

り舩へ飛入つゝ駭く舩人足下に踏居漕戻さんと艪を推せ

いきほ

をしなが

ども箭よりも早き出水の�ひ思ふにも似す推流されて川下

とほ

たねともあだ

しゆきう

ひきさげ

遠くなりまさるを小文吾」【挿絵】〈胤智仇人の首級を引提

ふくしう

らいゆ

もろはだ

て犬田に報讐の來由を告ぐ〉」5」うち見て諸肌ぬぎ水中へ

おど

ぬきで

なが

はげ

たか

つい

跳り入抜手を切ておよげども流れ烈しく波高けれバ遂に

をいつく

なんぎ

そう

追着ことを得ず。いとも難義に及びし折から太平駄舩一艘

こぎ

から

のりうつ

千住の方より漕來れバ小文吾ハ辛くして件の舩に乗移れバ

おどろ

さは

うた

ろかい

うばふ

舩子共ハ駭き騒き撃んとするを身をかはし艪櫂を奪て舩子

わが

よび

とゞむ

等を打ひしがんとしつるとき我名を呼て禁るものあり。こ

べつ

かね

よりすけ

かいなげ

れ別人ならず豫て相識る犬江屋の依助なりけれバ櫂投捨て

きゝう

つげ

のり

おは

ゆきがた

危急を告毛野が乗たる柴舩の跡を追するに往方しらずなり

せん

とも

つき

しかバ今ハはや詮すべなく依助等と倶に舩を市川に着犬江

かどべ

あない

屋の門辺になづき案内につれて内に入に妙真大八もおらざ

いぶ

ひざ

かの

れバふかく心に訝かりて座につくに依助ハ膝をすゝめ彼

わるものかぢ

しん

かく

わけ

悪者舵九郎か事大八の新兵衛が神隠しになりたる訳妙真文

のち

五兵衛ハ安房に至りし後犬江屋の跡式を依助にゆづりたる

(225)

『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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おち

ときしめ

事」6且文吾兵衛か安房にて病死せしよしを落もなく説示

なみだ

せバ小文吾ひたんの涙にくれおのが上をもつばらに告扨

ほたいしよ

おもむ

せきとう

たて

菩提所に赴きつゝ父文吾兵衛が為にこゝにも石塔を建べき

ついぜんどきやう

こも

事と二親の追善讀經を念頃に頼み聞へ次の日より喪に籠り

とむら

ちういんはて

七日��々々の佛事を吊ひけるにはやくも五十日の中�果けれ

ふうふ

つげまどひ

ゆくへ

バ依助夫婦に告別し往方も定めず出行けり。

のぶみち

きうなん

あらめやま

○爰に又犬飼現八信道ハ去歳の七月七日の急難に荒芽山に

おつて

きりしりぞ

しなのぢ

てき

を防ぎやうやく追兵を殺退けて辛くして信濃路さして行

どうせつら

たへ

たへ

おもむ

ども��道節等に絶てあはずやうやくに思ひ絶て下総に赴

ぎやうとく

ちやく

き行徳に着し案内知たる古那屋の門に入らんとするに人影

たづぬ

いた

ハあらず。あたりの人に尋るに文吾兵衛ハ安房に至りしと

つばら

て詳ならず。市川なる犬江屋の事を問にこれもおなじく

おもむ

〔まづ〕

安房に赴き家にハ畄守居のみなりと聞て現八望を失ひ且

むさし

つりなは

わた

こぶんご

とも

いしはま

武蔵」【挿絵】〈釣索を渡りて毛野小文吾と倶に石濱の城中

のが

までしりぞ

を遁る〉」7」�退きて又ともかくもすべけれとその夜の出

おもむ

しなのぢ

あゆ

舩に便り求めて荏土に赴き信濃路さして日に歩み夜に宿り

りよしゆく

めぐ

花の洛に着つゝも旅宿を定めて犬士等をたづね巡るに年立

りよしゆく

きやうと

ぶげい

て春を旅宿に迎へけり。斯て現八ハ京都に居て武藝を人に

をしへ

あは

教つゝこゝろともなく三年を過し又四犬士にたづね會んと

たれかれ

ふるさと

しんそく

にはか

扨門人の甲乙にハ舊里なる親族より猛に招かるゝ一義あり

あづま

とみ

たびよそほひ

て東國へ帰るといゝなして頓に行装をとゝのへ別を告て京

しもつけのくにまかべごほりあし

都を立出日を歴て下野州真壁郡網苧の里に着けれバとあ

千葉大学人文研究

第三十八号

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やすらひ

てう

てつほう

ばり

る茶店に休息ぬるに一挺の鳥銃と六七張の半弓を並べ掛た

おきな

れバあるじの老人にゆへを問バ荅るやう。こゝより五六里

かうしん

えうくわいへんげ

へだゝりて庚申山といへるハ妖怪変化常に往く人の命を

ゆへ

ひとりたび

みちしるべ

とる事あり。この故に白昼といふとも獨行ハ路案内の者を

やと

まもり

やつがれ

かりびと

あしを

もづ

傭ふて身の衛にせらるゝなり。

僕ハ元獵師にて足緒の鵙

平といへる者なるが」8年老たれバ野かせぎせず。をさ��

りよにん

かのみちあんない

そのをり

ようじん

旅人にやとはれて彼道案内を仕つり。其折の用心にもてる

ぶげい

〔たの〕

こしら

のみ。又丸竹の半弓ハ武藝を恃む一人歩の賣物に制へおけ

そも��あかいはかうしんざん

ゆくこと

り。

赤岩庚申山ハ此里より行事十町あまりにしてつま

やまぢ

すて

とうげ

いた

さき上りの山路なり。既にして登ること二十町嶺に至り

みち

くしん

又下ること十町なり。路の苦辛ハいふべくもあらず。斯て

おほよそ

せきもん

又登りゆくこと大約三里あまりにして第一の石門に到る。

とぞく

たいないくゞり

おく

おそ

土俗これを胎内竇とよびなしたり。是より奥へハ人みな怕

たえ

あかいはむらがうしあかいはいつかくたけとほ

れて絶てゆく者なかりしに近ごろ赤岩村郷士赤岩一角武遠

ぶげい

をく

いん

きは

といへる武藝の達人この奥の院を見尽めんと門人等に語ら

みな��

はてことばひと

いさむ

かの

すひやくさい

ふに門人衆皆呆れ果詞等しく諫るやう彼山中にハ数百歳

やまねこ

たけ

とら

歴る山猫あり。その猛き事虎の如くもし山中に入る者あら

たちまちひきさきくら

とゝま

バ忽地引裂啖ふといへり。此事思ひ止り給へといふをも聞

そのつぎ

まだき

かうてい

とも

かず一角ハ其次の日の未明より同心の高�四人と倶に

かうしんやま

だい

いしばし

ほとりまで

いた

庚申山の第二の石橋の辺�」至りけるに門人等一角に打

かよ

くわはん

向ひ人の通はぬこの山に過半入給ふたれバ是よりとく��

かへ

かたみかはり

とゞむ

還らせ給へと迭代に禁れども一角ハいつかなきかず門人等

(227)

『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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また

くたん

はし

わた

はて

をこゝに俟せ件の橋を渡り果て見る間に見えずなりにけ

かく

まつ

かたむ

り。斯て俟事二�あまりにして日ハ傾けども一角ハかへり

たゝごと

だんかう

來ず。こハ平事にあらじとて門人等商量しつゝ赤岩なる

しゆくしよ

かへ

のちぞひまどゐ

つげ

つぎ

あさにはか

宿所へ還り一角が後妻窓井に報その次の旦猛に里人五六

かりもよふ

かうしんざん

のぼりかのいしばし

ほとり

十人を駈催し門人等先に立て庚申山によぢ登彼石橋の辺

おそ

わた

だんかう

まで來つれども怕れて渡る者ハなく又商量に�を移せバ斯

はて

あす

ましくは

ふたゝ

わた

てはけふも事果じ翌又人数を倍加へ再び來りて渡らんと又

たいないくゞり

たちまちあとへ

いたづらに引かへし胎内竇を出んとせし�忽地後辺に人あ

よび

すなは

よろこ

りて呼かくるを見かへれば是則ち一角なり。皆々歓び

ひきかへ

つゝが

ことのもと

ほゝゑみ

引返し恙なきを祝しつゝ縁故をたづぬれバ一角微笑いへ

おく

いん

るやう。われきのふ奥の院をおがみ果てたどる��もかへ

ふみすべ

たにそこ

る」9をりから思はず足を踏辷らし渓底へまろび落たり。

つゝが

ふちかづら

たぐり

からく

然れども幸ひに恙なく藤蔓に手繰つき辛してよぢのぼる事

いちふしゞう

ときしめ

半日あまり。やうやく爰にかへり來しと一五一十を説示せ

がいたん

かううん

あいが

いたは

バ皆々聞て駭嘆し其高運を相賀して且勦る事大方ならず。

きりよく

こと

もろ

みち

されども一角ハ氣力日ころに異なることなく衆人を途より

つま

帰し門人従者を将て宿所にかへり来にけれバ妻のよろこび

さい

うま

ちやくし

いへばさらなり。先妻に生したる嫡子角太郎ハ天性孝心

そなは

つゝが

たもと

とひなぐさむ

備りけん。今恙なくかへりぬる親の袂にまつはりて問

かあい

ひとくだり

るもいと可愛し。この一條ハ十七年の昔になりぬ。赤岩ぬ

こと

ふもと

しハ彼山を異もなけにいはれしかどかゝりし後もかの麓に

て折々人の亡る事今に至りてかはらねバ登山するものあり

千葉大学人文研究

第三十八号

(228)

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かうさい

まと

とハ聞えず。かくて赤岩の宿所にハ後妻の窓井その十一月

みごもり

うま

より有身て次の年八月のころ又男子を産れしかバ牙二郎と

名つけたり。一角ぬしいかなる故にや二男の生れし」【挿

ふね

こぶんごきうこ

かいこう

絵】〈舩を遂ふて小文吾舊故に邂逅す。﹇玉﹈﹇亭﹈/市川の

やど

より

もてな

さいばら

宿に依助小文吾を管持す〉」10」ころよりして前妻腹なる角

にく

むら

がうし

太郎をいと憎みぬ。この時赤岩に程近き犬邨の郷士犬村

かもりのりきよ

蟹守儀清といへるハ一角の前妻の兄なるが角太郎をあはれ

むすめ

こひ

げい

み我女児にめあはせんと六歳の時より乞とりて文学武藝を

まなば

きは

学せしに年十五六に至りては文武の奥義を極めたり。その

ひたい

そり

げんぶく

とりおこな

やうふ

いみな

後角太郎の額髪を剃とらし元服の義を執行ひ養父の諱の

さづ

まさ

ぎぬ

こん

一字を授けて犬村角太郎禮儀と名告せ女児雛衣と婚礼させ

にひ

親ハさらなり里人等さへよき新夫婦といゝあへり。儀清の

ふせ

つい

妻ハその次の年風のこゝちとうち臥しが遂にむなしくなり

ふゆ

やむ

にけり。儀清もその冬より病事二年あまりにしてこれも

よみぢ

ひと

さき

ぞい

まど

黄泉の客となりぬ。これより先に赤岩にて後妻の窓井ハ牙

あるひとんし

二郎か三ッ四ッになりける�一日頓死をしたりける。これ

ふなむし

てかけ

より一角は舩虫といふ妾をもとめていたく心にかなひけ

ほん

ゐざい

ん。いく程もなく正妻に推し」11のぼしぬ。此舩虫が遺財

うは

おつと

を奪はん為にしも良人にすゝめて角太郎夫婦のものを呼と

うけ

ひなぎぬ

り両家を一ッに合。こゝに雛衣ハ今年の夏より身おもくな

なん

さりでう

なかうど

りし。舩虫ハ難くせつけて角太郎に休書かゝせ雛衣を媒人

もと

が許に遣しぬ。其後角太郎をも遂に勘當なしゝかバその身

まゝ

おい

の儘に追出され世をあぢきなく思ひにけん。赤岩と犬村の

あはひ

あざな

たまかへし

ところ

くさ

いほり

間なる字を返璧とか呼べる地方に草の庵をむすびてをり。

かたち

ぞく

しかず

かしこ

さばれ貌ハ半俗にてその行ひハ法師も不及と彼処より來て

いたま

がほ

ときほこ

いふものあり。いと痛しき事ならずやとしたり皃して説誇

さたん

たへ

かい

さてん

おきな

わか

れバ現八聞て嗟嘆に堪ず彼弓箭を買とりて茶店の老人に別

つげ

ふもとぢ

あし

まか

いそ

かくて

れを告おぼつかなくも麓路を足に信して急ぎけり。却説現

八ハ不知案内の深山路を上りつ下りつゆく程に思ひがけな

いと

せき

く最大きなる石門のほとりに來にけり。この時現八ハ心つ

もつ

ときしめ

たい

くゞり

きこハさきに鵙平が説示せし庚申山にありといふ胎内

おどろ

あしを

さてん

げん

もづ

ふるき

に似たりけりと驚き」【挿絵】〈網苧の茶店に現八鵙平が舊

ものかたり

あき

ぼうぜん

ふか

まよ

物語を聞く〉」12」呆れて忙然たりしがかく山深く迷ひ入れ

さら

たやす

まづ

バ今更麓まで至らんこと輙きにあらざれバ今宵ハ旦この

やま

あか

しめ

いはや

に暁して里へ下るべしと弓箭を引つけ坐を占てなほ

〔ふく〕

まもり

ひがし

深る夜を戌てをれバ丑三にやと思ふ頃東のかたより火の

ひか

さし

まゝ

ゐぎやう

光りこなたを投て近づく随に現八あやしみよく見るに異形

えうくわいしゆう��

こだま

〔うた〕

たい

くゝり

の妖怪

主従三箇木魂の馬を歩せつゝ胎内竇のかたに來に

ばけ

けり。さきに火の光りと見へたるハ妖ものゝ大將とおぼし

がん

〔ひか〕

さは

き馬上の變化の両眼の燿れるなり。現八騒ぐ氣色なく大樹

のぼ

ふみ

かた

の上によぢ登り程よき枝に足踏畄め弓に箭

つが

ふてひき固め

たけ

はな

矢声も猛く發つ箭に件の騎馬なる妖怪ハ左の眼をのぶかに

おち

したが

射られて馬より

だう

と墮しかば従ふ両箇の妖ものハ手

の手

ひき

にげ〔うせ〕

をとり肩にかけ馬を牽つゝ逃亡けり。現八ハ樹よりをり

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『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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ところ

かへ

やうす

地方を易て様子を見んと胎内竇を西のかたへゆきぬけてひ

じやく

たすらによぢ登り十三間なる細谷橋を自若として渡り果

またよぢのほりゆく程に岩

むろ

の中に人」13あれバ現八ハ妖

がまへ

怪ならんと弓ひき固め身構するにこハ素より妖怪ならず。

とほ

ゑんこん

赤岩一角武遠が寃恨にして前に射たる妖怪ハ幾百歳を歴る

野猫の化たるなり。今年より十七年前一角武遠この深山の

ひと

とり

奥の院を見んと第二の石橋に高弟従僕を残し置其身一己岩

かみ

窟のほとりまで登るをり件の野猫が為に啖殺され又山猫ハ

すがた

おか

うま

一角が貌に変じ窓井を犯して牙二郎を産し精気をへらして

〔た〕ちいん

ほん

にく

命を断淫婦舩虫を正妻とし角太郎を憎みひそかに殺さん

そな

〔ぎ〕よく

つゝが

と欲せども角太郎ハ身に具はる瑞

玉あれバ恙なし。斯て

後角太郎が妻雛衣ハ密夫の子を身ごもりぬといひ立られ

さか

おひ

もと

いもせ

の中を裂れし上に角太郎さへ追出されし顛末を現八に

かた

かたき

つぶさに語りねがふハ和殿わか児を助けて怨讐をうたし給

ふたが

こうたん

へかしとさめ��として頼むにぞ現八聞て胸塞れ洪歎や

くさ

の〔たち〕

るかたなかりける。その�一角の寃魂ハ一種の短刀とわが

どく

せうこ

髑」髏とをとり出し證拠の為にわたすにぞ現八これを請と

たまかへし

さし

りて一角か寃魂に立別れその暁がたに山を下り返璧を投て

ゆく程にその日巳の頃ほひに角太郎が庵に來にけれバ内の

まさ

やうすをかいまみれバ主人角太郎禮儀は無言の行に観念の

とち

しば

眼を閉て餘念なけれバ現八ハしのびかね柴の戸けわしくう

たゝ

のれ

たへ

いらへ

ち敲きいくたびとなく名告とも内にハ絶て應せざれバ折戸

千葉大学人文研究

第三十八号

(230)

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ずみ

かゝる

のこなたに立在て行の果るを待わびけり。浩処に前

なほ

いや

り角太郎が妻雛衣なるべし。年尚わかき女房の身のさま賤

〔敲〕

しからざるが庵の外にあゆみより敵けどさらにいらへなけ

うらみこち

なきしづ

れバつれなき人と怨言。垣にすがりて泣沈み疑れたる身ご

いゝわけ

さだ

もりのその言訳ハ死してせんと思ひ訣めてかへり行を現八

じう

もし

なげ

始終を立聞たれバ�雛衣が渕川へ身を投る事もやと跡より

〔つか〕

おこ

走り著んとする�角太郎の行終り身を起しつゝ現八がゆか

おりど

せう

しよたいめ

んとするを呼畄め」14折戸を開て内に請じ初對面の口儀終

みつ

りその来由を問程に現八ハ彼密事をはじめより明白に告ず

ものかたり

ゐせい

四方山の物語して扨犬塚犬川犬山犬田犬江等の異姓の兄�

かた

かんとく

すい

もち

六人の上をしも語り出思ふに和殿も感得の瑞玉を持たまは

あらは

ずや。その玉にハおのづから礼の字の顕れたるものならず

かいたん

すい

ひそう

やと問れて角太郎駭嘆し某実にさる瑞玉を年来秘蔵したり

つまひなきぬふくつう

やくしる

かの

しが一日妻雛衣腹痛苦しく百薬驗しなきまゝに彼玉をひた

のま

けい

ふなむし

かい

しつゝ水を飲せんとしたる折繼母舩虫その玉を掻とらんと

あはてふため

あやまつ

くだん

のみ

せし程に雛衣

慌忙きて愆て水もろ共に件の玉を飲てけり。

ひなぎぬ

はら

みごもり

斯て後雛衣か腹しだいにふくだみ有身たるものに似たり。

やう

ひやう

まくら

ならべ

くわいたい

其養父の病中より妻と枕を並し事なきに雛衣が懐胎こゝろ

ことば

えだ

みつ

たね

えかたしといひし言葉に枝いで來てさらハ密夫の胤ならん

りべつ

といふものあれバうちも置れず。不便なからも離別して

なかうと

あづ

むこやう

いさめ

媒人に預け置たり。さりながら某ハ聟養子」【挿絵】〈

こば

かくかうしん

だい

いしばし

わた

ひなきぬ

を拒んで一角庚申山第二の石橋を渡る〉」15」にして雛衣ハ

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『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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やう

むすめ

ちと

あやまり

つま

養父母の女児なり。些の愆ありとても去るべき妻にあら

もと

さがていじゆん

ず。素よりその性貞順にて外心のなき事ハ某これを知る

りべつ

といへども離別してかへせしハ深き情由あることぞかしと

かた

をり

のりもの

てう

をりと

語る折から外面に女轎子一挺と又一挺の辻竹輿を折戸口に

かきおろ

たて

のりもの

扛卸せバ先に建たる轎子の戸を開せて出るものハ赤岩一角

つま

しもべ

おとな

こゑ

けん

ふすま

か妻舩虫なり。奴僕が呼ふ聲と倶に角太郎現八を紙門のあ

さけ

はし

ふなむし

ともな

なかうど

もろとも

なたへ辟しめて出向ふ端に舩虫ハ相伴へる媒人氷六等共侶

かご

いほり

には

かき

のぼ

に後方に立せし辻輿ハ庵の庭へ舁入させ先に立つゝうち登

かく

あんひ

ふなむし

れば角太郎ハ舩虫に礼をのべ父の安否を問けれバ舩虫ハ

ほゝゑみ

おこ

よんべ

したち

まきわら

微笑て否持病ハ發り給はねど昨宵初心の弟子連に巻藁を射

をしへ

さし誨給ひしその折にその箭あやまちて大人の左の眼を

やぶ

おどろ

きづ

やうす

大く傷られ給ひにきと告るに駭く角太郎痍の淺深を問ひな

なかうど

あづか

どする中

媒の氷六ハすゝみ出いぬる頃より預りたる」16雛

し〔ば〕くれ

なけ

はるか

衣どのけふ柴榑橋より身を投んとせられしを遥に見つゝ

つきとゞ

とゝ

走り著止めんとすれとも禁まらす。其折赤岩のおん母御前

まう

日出の社へ詣て給ふかへるさに其処を通らせ給ひしかハ加

たの

いさめ

〔おさま〕

〔だん〕かふ

�に憑みまゐらせてやうやく諫こしらへて扨

治りを商量

のたま

せしにかう��せはやと宣ふをちからに同道いたしたりと

いへバ舩虫語を續て雛衣を角太郎に再縁させんと他事もな

さと

うはへ

あたなさけ

かく

かうへ

たれ

く諭す表皮の空情。角太郎ハ有旡の荅に頭を低ていらへな

すゝ

さと

かく

けれハ氷六そはより勸め諭すにぞ左も右も計らせ給へとい

ふに舩虫よろこひて氷六にこゝろ得さし雛衣を竹輿より出

千葉大学人文研究

第三十八号

(232)

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さりてう

し休書もとして舩虫もろとも家路をさしてかへりけり。さ

れハ又舩虫かこの地へ流浪し赤岩一角の後妻となりたる來

れき

おとゝし

かれ

あさかや

暦をたづぬるに去々歳の秋の頃渠ハ武蔵の阿佐谷村に在し

たふ

�夫並四郎ハ小文吾に

きり

仆され其身ハ千葉の家臣畑上語路

からめと

たいないくゝり

けん

えうくわい

五郎に搦捕られて石濱の」【挿絵】〈胎内竇に現八妖怪を

まくはり

たすけ

から

みち

射る〉」17」城にひかるゝ折馬加大記か資によりて辛く途よ

ちくてん

そはめ

り逐電し當國に落畄り程へて一角か側室になりついに後妻

とり

にく

さん

に執立られ角太郎夫婦を憎み讒言をのみ事として件の夫婦

やう

てんはた

を追出しそか養家相傳の田畑家財を畄めて返さす。又一角

ざんにん

か二男なりける赤岩牙二郎ハその心さま直からす。殘忍不

くせ

ふること

善の癖者なれハ同氣ハ相求める古語に似て舩虫ハ牙二郎を

いつくし〔み〕へたつ

おつと

のみ愛慈み隔る心なかりけり。かゝりし程に舩虫ハ良人の

やきず

ひやう

失傷平愈の爲日出詣のかへるさに氷六に呼かけられはから

もとのよめ

とゝ

たちまち

ずも舊�雛衣が入水を禁め忽地心にもくろみあれバいと

まめやか

なくさ

ときすゝ

つい

はらのうち

正実に慰めて角太郎に説勸め遂に夫婦を全うしたる肚裏に

はかりこと

ハ計策の速に成れるを歡びやがて宿所に立帰り一角に箇様

おの

さゝや

しき

ほめ

やま

と己が

たくみ

を聶くにぞ一角ハ大ひによろこび頻りに誉て已

さりけり。

○夫ハ扨置角太郎ハ人々のかへりゆくを見送り果て現八を

げん

呼出し」18雛衣を引あはすに現八ハさきに舩虫をかいまみ

ゑみ

やいは

かく

わざはひ

笑の中に刄を隠せるおもゝちあれバあるじ夫婦に殃危あら

おもむ

こと

きよじつ

さく

とゝむ

ん。某赤岩へ赴きて縡の虚実を探るべしと角太郎か禁をき

いほり

みち

しつ

せう

かで庵を出て路を急ぎ日もはや西に淪むころ赤岩の荘に來

けん

たゝずみ

うち

りけり。斯て現八ハ坂のほとりに立在て裡面より人の出る

まつ

たひよそほ

いか

いつこ

ともびと

を俟をり行装ひ苛めしき一箇の武士従者五六人を将て出來

けん

すみ

あや

り。現八か立在たるを怪しけに見かへりつ

やか

て赤岩一角が

とう

きやく

しやう

家に入れバ若黨はやく出向へ客の間へ請じけり。抑此旅の

たづぬ

こみやまいつと〔うた〕

武士を甚麼なるものそと原るに是則別人ならす籠山逸東太

よりつら

かれ

しゆうめい

いつは

あひ

縁連也。彼ハ十七年前主命を矯り�戸に近き松原にて粟

しゆう��

きりころ

おの

しゆくい

はた

あらし

原主従を残害し己か宿意を果すものからその折嵐山の尺

ざゝ

とう

とうぞく

うばひ

よりつらつみ

八と小笹落葉の両刀を盗賊に奪とられしものから縁連罪を

のか

ちくてん

もと

免るゝよしなくその場より逐電し赤岩一角が許にたより�

わかとう

すいきよ

かけ

子若黨にて在けるを一角が吹挙により」長尾景春に仕へけ

かげ

かうつけ

あるひ

るが景春ハ去歳の秋より上毛白井の城にありて一日井をほ

たんとう

かんてい

よりつら

りて一ト口の短刀を得たりしかハ一角の鑒定を乞んと縁連

しや

がり

よりつらしゆう

を使者として赤岩許つかはしけり。斯て縁連主命を

またゝび

とき

たつさ

へ來つる木天蓼丸の箱をさしよせ

ひも

觧とき中より

はくきたちのほ

きへうせ

白気立昇り一角がほとりになびきて消失たるを心付ずそが

まゝふた

かのたん

儘蓋をかい取れバ中にハ袋のみにして彼短刀ハなかりけ

よりつらおとろ

うれ

つみ

のか

はかりこと

り。縁連驚き憂へつゝ身の罪を免るへき計策を問けるに

なくさ

えん

もよふ

よりつら

一角しか��と慰めてやかて酒宴を催しける。其�縁連ハ

そとも

けん

つぐ

外面にたゝすむ現八か事を思ひ出ししか��と告るにそ内

みのだんご

ひはん

はつとう

きつたりはつ

�子の月蓑團吾玉坂飛伴太八黨東太�足�太郎なんどいふ

わかもの

けん

せう

まとゐ

とも

けん

せきばつ

つらな

壮士等現八を内に請じ圓居の席へ伴なへば現八ハ席末に列

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『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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ししゆく

よろこ

なにがしなにがし

ひとり

りて今宵止宿の歡ひを述しかバ一角比ハ乙某丙某と一箇

みな

ひとしくひさ

ふしき

しゆく

��々々に告しらすれバ衆��皆齊一膝を進め」19不例の對

を祝

うつ

ふけい

ほこ

はつ

しける。斯て�移るまで酒宴して武藝に誇る�太郎東太

もろともけん

をしへ

うけ

こふ

けん

いなむ

共侶現八に太刀筋の教を受んと乞程に現八ハ推辞によしな

ひはん

うち

く稽古所におり立て先飛伴太を撃倒し續てかゝる東太團吾

はつ

さま

こみ

よりつらしん

�太郎をいと目覚しく打伏るにこらへかねたる籠山縁連真

けん

ねちふせうこ

剱をもて立向ふを左へ拂ふて引組つ

とゝう

と揉伏動かさす。

おし

ひさけ

けん

うた

牙二郎見るに口惜く刀を引提て現八を撃んと進むを一角ハ

とゝ

けん

よりつら

たすけおこ

制し禁めて再び立せす。その間に現八ハ縁連を扶起し

ひきしりそ

けん

ほめ

めぐ

かけ

引退けハ一角ハ現八か武術を誉又盃を巡らすにぞ物の蔭

たんそく

なる舩虫ハ歎息しつゝ退きける。

かくて

こにん

うち

ねた

○却説一角ハ五名の�子等を撃伏られしを娼み怒れる気色

ふけそめ

はいばん

なく又現八をもてなす程に夜ハやうやくに深初たれハ盃盤

けん

ふしど

まうけ

ねふり

けん

を納めさし現八か臥房を儲とく睡につき給へとすゝむに現

〔り〕

のま

おもむき

ふしと

八席をくたち別を告て案内につれ客房に赴て既に臥簟に入

はら

うち

たまかへし

しば

けんはちひな

りつゝも肚の裡に思ふ」【挿絵】〈返璧の柴の戸に現八雛

きぬ

ゑんげん

たち

衣が怨言を竊聞す﹇呂﹈﹇文﹈〉」20」やう一角われをもてな

たばかりしさい

かれ

まなこ

まさ

したるその奸詐子細そあらん。且渠が左の眼を正しく我に

みとめ

はかり

きやつ

たいし

射られしをわれとハ認えず見るになほよく謀て彼を退治し

おやこ

むじつ

とか

赤岩犬村親子の爲にこの年來の冤を釋んと目睡もせて在け

まゝ

ねむ

るを深ゆく隨にねむけさせバなほ睡らじと思ひつゝ何の程

まどろみ

まもりふくろ

しん

すい

くだく

にか目睡けん。護身嚢の中なりける彼信の字の瑞玉の碎る

千葉大学人文研究

第三十八号

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おと

おどろ

まなこ

ひら

むね

さは

如き音せしに驚き覚て眼を開けバしきりに胸のうち騒げハ

ゑんがは

せうし

あやし

心いよ��安からず。そと身を起し縁�の障子開るに怪む

つまづか

からくみ

べし外方に多く物を並べ躓せんと操組たりと思ふものから

ふしど

こし

おび

ゑんがは

ぜんさい

臥簟にかへりて両刀を腰に帯又縁頬のかたに出前栽に下り

あさなは

わた

なは

立バ麻索を引渡してありけれバ件の索をうちこえつ。小門

とざし

ねぢすて

もど

あまた

の鎖を揉捨て又縁�に立戻り障子引よせ夥の物を元の如く

よせ

かげ

ひそま

うし

かね

に倚かけて木立の蔭に身を潜してうかゞへバ丑三�の鐘を

しの

やたり

くせ

ふさ

合圖に潜び近づく八箇の癖者出口々々をきり塞きて間の

けはな

てやり

ほさき

紙」21戸を蹴放ちて閃かしたる短鎗の刄頭に

よぎ

の上よりぐ

さす

さて

にげ

さと刺に手こたへもせずぬしもなし。扨ハ

すい

して逃たるな

とくおつかけ

のゝし

よせ

つまづ

らん。疾追蒐よと罵りつ出んとするに倚かけ置たる物に跌

もんちやく

よりつら

けん

にけうせ

き捫擇する事大かたならず。其時縁連舩虫ハ現八の逃亡し

のぞみ

ふしど

たなくび

ふとん

と聞て望を失ふものから臥床に手首さし入て夜着も蒲團も

ぬく

ひつてう

かく

かり

温まりさめねバ必定そこらに躱れてをらん。とく猟出せと

はせめぐ

わた

あさなは

とら

下知するに心得たりと走巡るに庭に渡せし麻索に足を捕れ

けん

あらは

くひ

おと

てふしまろべバ現八得たりと顕れ出先なる一人リの首打落

たふ

ひはん

たんごはつ

てやり

し今一人を

きり

倒せバ牙二郎飛伴太東太團吾�太郎ハ短鎗刀

えもの

さげ

きそ

かしこ

得物��を引提て現八をうたんと競ふを爰にあらはれ彼處

かく

ひばん

はつ

おもて

に隱れ一上一下と手を尽せバ飛伴太�太郎ハ重痛を

ふて

たふ

たん

ふかで

すで

倒れけり。牙二郎東太團吉等ハ未深瘡を

おは

ねども既に味方

しき

よりつら

つるおと

を多くうたれ頻りに加�を呼程に縁連弓に箭をつかひ弦音

ふなむしかんけいいぬむら

かんきよ

高く射かけし」【挿絵】〈舩虫奸計犬村が閑居を訪ふ〉」22」

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『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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はら

いどみ

しだい

かバ現八これを

きり

拂ひなほ牙二郎等と挑あらそひ漸��あけ

に跡しさりして小門のほとりに近つきて左の手にて戸を開

うしろ

たて

ながら後さまに走り出はやく其戸を引閉つゝ大きなる

かつらいし

もろて

よせ

葛石に双手をかけて引起し引戸へしかと倚かけなから

ちかたな

さや

たまかへし

さし

いほり

刀血ぬくひて鞘におさめ返璧を投て走り來つ。角太郎か庵

ことば

に入ありし事どもしか��と言語せわしく告白らすれバ角

ふうふ

おとろ

かん

とだな

かく

をひく

まつ

太郎夫婦ハ驚き感じ先現八を戸棚に隱し追來る人を待程に

こみやまよりつらわかとうしもべ

うしろ

しばのと

赤岩牙二郎籠山縁連若黨下部を後に立し柴門せましと込入

ぬすひと

はて

てとく盗人を出し給へといはせも果ず角太郎こハ心得ぬぬ

よば

す人呼はり。出せといはるゝ覚はあらじといふにせきたつ

よりつらが

おく

すゝ

もど

縁連牙二郎家さがしせんと奥へ進むをさハさせじと引戻し

いど

あらそ

かき

には

にてう

挑み争ふ折からに何の程にか舁もて來にけん。庭に二挺の

のりもの

せい

とめ

かみくら

つき

轎子の裡面より出る一角夫婦牙二郎を制し禁はや上坐に著

おそ

うやま

こととひ

かしこ〔ま〕

しかバ角太郎夫婦ハ怕れ敬ひ」23縡問かねてぞ畏

る。一角

よりつら

ひなきぬ

ハ縁連を赤岩にかへらしめ角太郎雛衣等に日ごろに似げな

じあひ

ことば

ふかんどう

ふうふ

よろこ

き慈愛の言葉。今日勘當をゆるすなりといふに夫婦ハ歡び

てひたすら親をもてなす程に一角ハ夫婦にむかひ事あらた

ひなきぬ

たいない

めて雛衣が胎内にある子をとり出し父に得させよとありけ

ひなぎぬ

あき

ふなむし

つほ

れば角太郎雛衣ハ只呆れたる斗りなり。舩虫

たづさ

へたる壺

あはひ

すへ

を夫婦が間に居るに一角ハきつとしていへるやう。われ

おとつい

あやま

まなこ

やぶ

くすし

一昨の宵愆つて眼を傷られ醫師を招きて見せけるにこの

かんそう

うつも

またゝひ

眼瘡にハ妙薬あり。百年土中に埋れし木天蓼の細末と四ヶ

はらこもり

なまきも

ざう

月已上の胎内なる子の生膽とその母の心の臓の血をとりて

さいまつ

ねりあは

ふく

ふたゝ

いえ

あさやか

かの細末に煉合しこれを服せバ目の玉の再び愈て鮮明なり

やくさい

しばら

といはれにけれど二ッながらいとも獲がたき薬剤なれハ姑

ふしき

わたゝび

く思ひ捨たるにきのふ不測にかの木天蓼の百年あまり土の

うづも

をし

中に埋れたるが手に入りぬ。親の為にハ命たも」惜まじと

かう

やくしゆ

てうたついなみ

かね

いふ孝行にあまへて頼む薬種の調達推辞ハせじと豫てより

ふびん

ぬぐ

思へバいとゞ不便にこそといひつゝ拭ふ

そらなみた泪を見まねに

ふなむしはな

さたん

たへ

いなむ

ふらひ

船虫鼻うちかめば角太郎ハ嗟嘆に堪ず推辞を聞かぬ無頼の

いなま

じさつ

はて

やいば

ぬか

とゞむ

一角推辞バ自殺なし果んと刄を抜んとする程に角太郎が禁

うば

よは

はて

るをまたで舩虫牙二郎左右よ

すかりつき

著て刀を奪へバ弱り果た

くみ

ひなきぬ

たゝふししつ

つい

のか

る角太郎か心を汲て雛衣ハ只伏沈み居たりしが竟にハ脱れ

てうかう

かくごきは

わたゝびまる

きつさき

ぬ定業ぞと覚期究めて舩虫がさし出したる木天蓼丸を刀尖

ふか

つきたて

ちしほ

深く乳の下へくさと衝立引めぐらせバ颯とほどばしる鮮血

あらは

いつこ

れいぎよくいきほ

てつほう

ひふた

と共に顕れ出る一箇の霊玉

�ひさながら鳥銃の火蓋を切

はな

むかひ

むなほね

うちくだ

さけ

て放せし如く前面に坐したる一角が胸骨はたと打碎けバ叫

はて

たふ

こと

ふしき

おどろ

ひも果ず仆れける。縡の不測に舩虫牙二郎驚きながら見

あた

きり

かいとう

さや

かへりて角太郎を仇としつ殺てかゝれバ角太郎ハ戒刀を鞘

にき

もちうけなか

はら

とめ

ながらに握り持受流しうち拂ひ禁ても」24〔き〕かぬ無法の大

ふせ

ひぢ

刀風禦ぐのみなる角太郎ハ右手の臂を一寸ばかりかすり

きゝう

ふすま

しゆりけん

でおひ

たる危急の折から戸棚の紙戸の間より打出す手裏釼に

たふ

牙二郎ハ乳の下をつらぬかれ刃を捨てぞ仆れける。程もあ

ふすまと

けはな

らせず現八ハ衾戸はたと蹴放ちて棚より

だう

と飛下り逃んと

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第三十八号

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きゝ

とつ

なげ

うろたふ舩虫が利手を捕て引かつぎ向ふざまに投しかバ火

かど

まみ

たふ

盆の稜にあばらを打れ灰に塗れて仆れけり。角太郎ハこの

ていたらく

おどろ

のり

かいたう

為体に駭き怒り親族の仇そこのきそと名告かけて戒刀引

あぐ

かいくゞ

とり

抜ふり揚る刃の下を現八ハ掻潜り捕畄めたる角太郎が二の

ちしほ

どくろ

ちしほ

腕より流るゝ鮮血を懐よりいだす髑髏にしたゝる鮮血の吸

まみれ

おやこ

めいしやう

きどく

込如く塗着たる親子の明証。竒特に勇む現八ハ思はず聲

たふ

をふり立てはやり給ふな犬村ぬし。打仆されし一角ハ御辺

とくろ

たけとほ

の眞の親ならず。この髑髏こそ真の亡父赤岩一角武遠ぬし

はくこつ

の白骨なるをしらざるや。告べき事多かるに怒りを」【挿

ゆう

ふるつ

けん

しゆきやう

とりひし

絵】〈勇を奮て現八よく衆兇を挫ぐ﹇文﹈﹇魚﹈〉」25」おさめ

て聞れよと突放されて角太郎ハ思ひがけなき竒特を見つ�

しくひざ

かい

ひ折けて折布膝に戒刀の柄おし立てその故きかんと詰よす

たんそく

おとゝひあしお

もす

れハ現八ハ歎息して角太郎に打向ひ一昨網苧の茶店にて鵙

ふみ

くゞり

平が問すかたりを聞し事より庚申山に踏迷ひて胎内竇の

ばけ

むろ

辺にて猫に類せる怪物の左の眼を射たりし後岩窟の中にて

なきたま

一角の亡魂にあひ彼山猫か事しか��と告角太郎に對面し

かれ

たす

にせ

せうこ

て渠を資けてわか仇なる假一角等を退治して給へとて證処

の二種をわたせし事且ハ里見殿に因縁ある八犬士の起る由

れいぎよく

ゐせい

ものかたり

來�玉感得の事異性の兄�なる事までおちもなく語説證

ふたしな

がく

処の二種さしよすれば角太郎ハ愕然とはしめて夢の覚たる

おどろ

むねうちなでくわいきうひたん

たへ

如く驚き耻て胸拍拊懐舊悲歎に堪ざりけり。

すかう

○かくて犬村角太郎ハ数行の涙をやうやくおさめて後悔

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『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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ざんぎ

つまひなきぬ

いけ

慚愧やるかたなく現八か厚意を謝し」26妻雛衣をよび生て

ひなきぬわづか

ひら

しか��のよし聞ゆるに雛衣僅に目を開きよろこはしや

まゝいき

たへ

かね

とばかりにてそが儘息ハ絶にけり。豫て期したる角太郎ハ

しうねん

ひなぎぬ

なきから

愀然として立かねたりしを現八ハはげまして雛衣が亡骸を

かた

たちまちいき

おこ

しゆりけん

片よせんとする程に牙二郎忽地息出て身を起しつゝ手裏釼

かい

げん

なげ

つか

うけ

を掻つかみ現八のぞんて投かへすを柄もて丁と受畄たり。

いか

えら

すゝ

牙二郎怒りてよろめきながら

あい

手を擇まずうたんと進むを

ひらめ

ほそくび

おと

ふし

にせ

角太郎が閃かす刀に細首打落せバむくろハ俯たる假一角に

かさな

たふ

ひゞき

おんあ

しぜん

つう

うち累りてぞ仆れける。物の響と恩愛のその気や自然に通

にせ

たちまち

こゑ

もろて

じけん。死せしと見えたる假一角忽地うめく声を出し双手

はつ

おこ

すで

ふる

ねこ

きくわひ

を張て身を起せバ既に年老山猫のすがたをあらはす竒怪の

さうぼうきば

つめ

あたり

つくいき

さぎり

相貌牙を鳴らし爪を張四下をにらんで吻息ハ狭霧となりて

もうろう

えうくわい

たい

ちつと

さわ

ちがたな

さけ

朦朧たり。角太郎ハ妖怪の本體を見て些も騒がず血刀引提

まぢか

しばら

すき

うかゝ

あとべ

はら

つんさき

ひなきぬ

間近くよせ姑く透を窺へバ後方に引」【挿絵】〈腹を劈て雛衣

あだ

たふ

そへ

もし

たすけ

讐を仆す﹇玉﹈﹇光﹈〉」27」添現八も�手に餘らバ資んとて

ひと

よせ

ねこ

とびめぐ

等しく心を配りつゝ寄るを寄じと山猫ハ飛鳥の如く蜚遶る

しき

おひつめ

を頻りに勇む角太郎ハ是首に追詰彼首に攻つけうち閃かす

ひる

えうくわい

たけ

まど

かう

刃に怯まぬ妖怪ます��哮り狂ふて窓の格子に爪うちかけ

のが

うつ

しゆれん

脱れ去らんとする処を、丁と撃たる角太郎が手煉の刀尖

あやま

たけ

はな

愆たず。さしも猛ける山猫ハ腰

つがひ

をきり

放されまろぶを得

のんど

きりつらぬ

たりとのひかゝつて吭のあたりをいくたびとなく斬貫けバ

たへ

すで

かた

たん

やうやく息ハ絶にける。既にして角太郎ハ父の像見の短刀

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第三十八号

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かな

れい

きず

あらは

もてとゞめを刺せバ竒なる哉彼礼の字の�玉ハ瘡口より顕

いたゞ

れ出しを血を押ぬぐひうち戴き現八に見せしかバ現八も又

こみ

よりつら

さわ

よろこぶ折から籠山逸東太縁連ハさいぜんかゝる騒ぎのま

いきふき

にけ

ひき

ぎれに息吹かへし迯亡たる舩虫をいましめて牽立來つゝ其

こし

うや��

ぬか

身も腰刀をしりぞけて恭しく額をつき二犬士に身の非を打

こと

もと

ふなむし

わび縡の顛末ハさいぜん」28よりも立聞したるに此舩虫が

にけ

とら

あづか

たん

逃走るを矢庭に捕へ

いましめ

たり。某主君より預り來つる短刀

にせ

くだ

さいはい

ハ假一角がぬすみ取

さや

を摧きて薬にせしとか。されど幸に

たまは

して短刀ハあるなれバ此舩虫共侶に賜らバ白井の城へ引も

たね

たら

てかへりてまうしわきの種にしつべし。某おもひ足ずして

つれなく

つみ

ゆる

両君子に強面あたりし罪ハ万死に當れども免させ給はゞ大

おん

かなし

ねいべんじやけいにく

のゝし

恩なりと哀み告る佞弁邪計憎しと思へど詈りせめず。乞

ゆるし

よび

みの

まゝにその義を免て村人等を呼つどへんとする程に月蓑團

とう

ゐるい

たづさ

ねこ

けんそく

吾八黨東太ハ異類のくひを携へて入來り。是ハ山猫の眷属

てん

したが

うちでし

すがた

へん

はつ

なる

まみ

貂なり。山猫に相従ふて塾生に形を変じ飛伴太�

よんべ

かひ

きり

太郎と呼れたるが昨宵犬飼ぬしの大刀風に殺立られ深痍を

にげ

さしころし

とり

われ��

て逃んとしけるを某等刺殺て首を捕たりと俺們も又人

りん

かう

ふもと

しんつう

ねこ

倫ならず。庚申山の麓なる土地の神と山の神也。神通山猫

かりつかは

よは

に及ねハ心ならずも役使れて團吾東太」と呼れし也。さ

わかれ

かう

らば��と別を告庚申山の方に飛去けり。かさね��の竒

くわゐ〔じ〕

げん

くだん

てん

異怪事に角太郎と現八ハ件の首を引寄し見るに

まみ

も貂も

よの尋常ならず只是のみにあらすして牙二郎が首も又さながら

ねこ

いつ

よりつら

わか

猫に似たりけり。斯て逸東太縁連は二犬士に別れを告

わたゝび

たん

のり

木天蓼丸の短刀を乞うけ舩虫をわが轎物にうち乗し白井を

はせさり

かく

さして走去けり。さる程に犬村角太郎ハ里人をつどへて

えうくわい

なきから

やき

ひなきぬ

たけとう

はつこつ

妖怪親子の亡骸を焼捨させ雛衣が亡骸と父武遠の白骨を

ほうむ

せきとう

つくり

ふつ

おこた

香華院にあつく葬り石塔を造立七七の佛事怠る事なく犬

かいけん

とうりう

飼現八ハ其間赤岩に逗畄して自餘の犬士等が事一五一十を

ごと

かたり

なくさ

かく

かんげき

日毎に物語して慰めけれバ角太郎ハ聞く毎に感激しいよゝ

したは

いみはて

けん

とも

ゆうれき

めぐりあは

五犬士の慕しく忌果て後現八倶に諸國を遊暦して環會んと

はて

はた

思ひけり。かゝりし程に中浣も果けれバ角太郎ハその田畑

くら

わた

ほたいしよ

しどうりやう

なこう〔ど〕

家庫を賣渡し二百金を香華院に布施して祠堂料とし媒人

まづし

せきやう

氷六をはじめ」29赤岩犬村の民の貧きに二百金を施行し村

りうべつ

しゆしよく

だいかく

長里人氷六を招きて畄別の酒食をすゝめ犬村大角礼儀と名

げん

もろとも

かとで

かまくら

を改めて現八共侶に吉日をゑらみ首途をなしまづ鎌倉へ出

しなのし

かうつけ

めぐ

さがみの

たびね

んとて信濃路より上毛武蔵をうち巡り相模州鎌倉に旅寐し

めぐりあは

ちまた

ていかでか五犬士に環會んと日々に巷に遊びくらしぬ。

こもり〔こみ〕

いつ

よりつら

から

うらみ

○夫ハ扨置

山逸東太縁連ハ辛く二犬士の怨を免れ

からめとり

たびのりもの

のし

しん

搦捕たる舩虫を行轎にうち乗て白井を投ていそぐ程に信

しうくつかけ

しゆく

つなぎ

州沓掛の駅に宿を求ける夜に枕辺に繋たる舩虫ハ逸東太か

かんが

わたゝび

たん

寐息を考へ辛くし

いまし

めのなは〔を〕切て彼木天蓼の短刀

うば

にげ

と三十金の路用を奪ひ何方ともなく逃去けり。その明の旦

よりつら

おどろ

さは

たつね

かげ

しよせん

縁連ハ目覚て後に駭き騒ぎ索さがせど影さへ見えねば所詮

かへ

むね

やま

もくろみ

白井へハ還りがたしと胸を労して思案するに計較やうやく

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『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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おもむ

あふぎがやつさだまさ

定りけれバ

やが

て五十子の城に赴き扇谷

定正に仕へける。

どくふ

たんとう

さらハ毒婦舩虫ハ金と短刀」【挿絵】〈妖邪を斬て禮儀亡父

りよ

にげうせ

の怨を雪む﹇文﹈﹇魚﹈〉」30」をぬすみとりその夜旅宿を逃亡

ゑちごのくに

おもむ

がうだう

あく

て越後州へ赴き又強盗の妻になりてさま��の悪事を做せ

とも

ふなむし

しが此�犬田犬川の二犬士倶に越後にめぐりあひ舩虫が夫

がうだう

しゆてんじ

ひと

みなごろし

の強盗童子

がうし子酒顛二はしめ小

ぬす

�を鏖にせしをり又舩

おば

ぞく

から

にけ

のが

虫は媼内といへる手下の賊と辛くも其処を逃去武蔵へ逃れ

ばはま

こいへ

ふうふ

て司馬濱に程近き谷山に小屋を求め媼内と夫婦になりて又

あく

つい

大悪事をはたらきけるが終に二人リながら犬士等の為に

うしざき

これのち

牛劈にせられける。こハ是後のはなしなり。

たねとも

あたまくはり

つねたけ

うつ

○爰に又犬坂毛野胤智ハ父の仇馬加大記常武を撃て小文吾

いしはま

じやう

のが

すみだ

わか

ふるさと

と倶に石濱の城中を遁れ出墨田川にて犬田に別れ舊里なる

おもむ

しの

かたきよりつら

うちはた

犬坂村に赴きて三年ばかり身を忍び夫より冤縁連を撃果

しなのぢ

さすら

さんとて信濃路に流落ひ犬田犬川二犬士にめぐりあふて初

ゐせい

けうたい

よりつら

て異姓の兄�たる事を知りけれど未縁連をうたざれば二犬

かき

さいくわひ

いづこ

こゝ

士に書置して再會を期し何処ともなく出去けり。爰に犬村

かく

かいけん

たづね

大角」31ハ犬飼現八と共侶に自餘の犬士を索んと鎌倉に

たびね

たび

旅寐せしかど些の便りも得ざりしかバ旅より旅に月日を送

むさし

さいくはい

り二年を歴て武蔵なる千住河原にて犬塚犬山に再會し穂北

がう

ひかき

なつゆき

ねり

ぞくとしまののぶもり

の郷士氷垣殘三夏行ハ道節が故主煉馬の一族豊嶋信盛に仕

たいりう

どうせつ

おん

へたる者なりけれバ四犬士此家に帯畄して道節が怨

てき

たる

あふぎがやつ

うち

しろ

うかゞ

定正を撃とらんと五十子の城を窺ひけり。さる程に

千葉大学人文研究

第三十八号

(240)

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わか

あだよりつら

犬坂毛野ハ犬田犬川の二犬士に別れて父の仇縁連をうたん

むさし

ゆしま

けい

ほう

もの

とて武蔵州豊嶋郡湯島なる天満天神の境内にて放下家物四

へん

ゐあひ

ぬき

くすりはみかき

うりすがた

郎と変名し坐撃を抜て薬歯磨を賣形をやつし居ける折か

ゆしま

まうでき

ら扇谷定正の内室蟹目前ハ湯島の神社へ詣來給ひしに日比

てうあい

がひ

さるほだし

ひも

いてう

こずへ

より寵愛深き手飼の小猿絆の紐や緩みけん。銀杏の梢に

はし

よべ

かなめ

つき

かはこひ

走り登り喚どもさらに下らねバ蟹目前ハ奥隷の老黨河鯉

ごんのすけもりゆき

てだて

権佐守如に命てこれをとらゆる便�あると問給へども数

みき

かけ

丈の幹に足を掛」【挿絵】〈舩虫謀て縲絏を脱る﹇文﹈﹇魚﹈〉」32」

もの

じゆ

かぎなは

なげかけすみやか

へき處なし。其時毛野の物四郎ハ彼老樹に鈎索を投掛

さる

もりゆき

に登りゆきて猿をとらへて地上に下り守如にわたすにぞ蟹

すみやか

ごんのすけ

もの

目前主従ハその神速を感じけるが権佐守如ハ彼物四郎を

かなめのまえ

さいぜんより凡人ならずと見てけれバ蟹目前が下向の後其

とゝま

きみつ

たの

身ハ此處に畄りて機密を告て一大事を憑みける。其訳ハ主

さたまさねいじん

君定正侫臣縁連を用ひ彼がいふにまかせて小田原の北條氏

わぼく

かげはる

かうつけゑちご

かへ

と和睦して長尾景春との和睦を破り上野越後をとり復さん

よりつら

しせつ

おもむ

とし給ふより彼縁連を使節とし相州に赴かしめ給ふになん

かんけい

ながをけ

きうあく

是みな縁連が奸計にて當家と長尾家と和睦せバおのか舊悪

くん

あらはれんと思へバ主君を斯ハすゝめしなり。和殿いかで

よひ

びんぎ

よりつら

か今宵より便宜の處に伏かくれて那縁連をゑらみうちに

うちはた

たねかしま

づゝ

撃果し給へかしと金十両と種子島の小銃を送り頼むにぞ物

うへな

すせう

おや

四郎は異儀なく諾ひ其身の本名素性をあかし彼縁連ハ親の

ごろいづこ

おもかけ

みし

仇なり。」33年來何所にありとしも面貌たにも認らねハ心を

(241)

『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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うん

しゆんくわん

苦しめ身をやつしあふを限りと思ひしに天運こゝに循環し

あだ

ぶつだ

めうぢよ

て求めす仇をうつに至るハ神明仏陀の冥助なり。よろこば

いさみ

もりゆき

かん

だんかう

しやと勇立バ守如しきりに感悦し猶も商量なしつゝもや

どうせつ

ほきた

がう

しよけんし

かて別れて立去りける。此折犬山道節ハ穂北の郷に諸犬士

もろとも

しの

いさらご

じやうちう

共侶身を忍ひつゝ其身ハ日々五十子の城中をうかゞひける

ものゆき

みつぎ

ひと

が此日はからす爰に來かゝり守如毛野が密議を立聞獨りう

なづき帰りける。

ときにぶんめい

みつのとう

むつき

いなのめ

○于時文明十五年癸卯の春正月二十一日の黎明に犬坂毛

たねとも

しゆくもう

たねのり

あだ

こみ

いつとう

野胤智ハ多年の宿望�至り父胤度の仇なりける籠山逸東

だよりつら

しゆくんさたまさ

とき

かの

ほうでうけ

みつ

太縁連が主君定正を説すゝめて那小田原なる北条家へ密議

つかい

ふくし

ともびとしたが

いさらご

じやうない

の使をうけ給はり副使と共に伴當従へ五十子の城内より

かどで

すゞ

あらは

今朝首途して鈴の森まて來にける�をまちうけて立顕れて

のり

たづさ

てつぽう

よりつら

むなさか

名告かけ携へたる鳥銃もて先にすゝみし縁連か馬の」胸頭

きりふせ

よりつら

てやり

打たふして若黨四人を殺伏たる。そのひまに縁連ハ短鎗を

さげ

みち

しりぞ

とぶ

引提足場をはかりて田路の方へ引退けバ犬坂ハ飛が如くに

おい

よりつらもんだう

いとま

やり

追付てうたんとすゝむ勇士の太刀風縁連問荅の遑もなく鎗

ひねつ

わた

しゆれん

とつせんよりつら

たゞむきみだ

を捻て亘りあふ一上一下修煉の突戦縁連はやく腕

乱れ

あさで

しよ

こゝ

せんど

たゝか

淺痍四五ヶ処

おひ

ながら茲を先途と戦ふたり。かゝりし程に

よりつら

うま

あゆま

ふくし

かまどやすなりわにさき

縁連か後方に馬を歩せたる副使の二の手竈門既済鰐崎悪四

よりつら

たすけ

ほり

せま

郎等ハ追々にはせつけて縁連を助んと欲すれどゆくてハ陜

くろ

いつき

かけひきふべんあんき

こゝ

はか

き水田の畔にて一騎打なる進退不便安危を茲に料りかねさ

すゝ

むざん

うなくハ找み得ず。いかにすへきとたゆたいみれハ無慙や

よりつら

やり

うちなやま

すで

縁連ハはや下鎗になるまでにしば��毛野に撃悩されて既

あやふ

ありさま

わにさきあく

たけとら

えたえ

のりはな

に危き光景なれハ鰐崎悪四郎猛虎ハ見るに得絶す馬乗放ち

やりわきばさ

くろ

はし

こゝ

よりつら

挟みて水田の畔を足にまかして走りゆく。爰に縁連が

のて

すぎらくぞう

しん

とば

やす

三隊なる越杉駱三仁田山晋吾ハ馬を飛して來にけれハ既

なり

とうさい

ふたて

わか

済も又馬をよせ多�をたのみ東西より」34二手に別れて

かけゆき

をりおも

わらづか

かげ

いちど

つきた

駈行〔し〕折思ひがけなき藁塚の蔭より一度に突出す鎗に

こすぎかまど

うま

ふとはら

ふたり

くろ

越杉竈門が馬の太腹ぐさとさゝれて両個の武士ハ田の畔へ

のけぞり

ときとうさい

かけわらけたふ

いぬた

こぶんごいぬかはせうすけ

仰反たり。その�東西の掛藁蹴倒し犬田小文吾犬川荘介

あらは

いで

いぬさか

うしろみ

よば

やには

たぜい

とり

顕れ出て犬坂が後見なりと呼はりて矢庭に多�を打取つ。

かまど

こすぎ

きりふせ

なか

にたやましんご

小文吾ハ竈門荘助ハ越杉を殺伏けり。そが中に仁田山晋吾

むち

にげ

これ

さき

よりつら

ちかぜ

ハ馬に鞭うち逃たりける。是より先に縁連ハ毛野が太刀風

はげ

きりたて

をり

せま

たなか

くろぢ

わにさきたけとら

烈しさに切立らる折からに陜き田中の畔路より鰐崎猛虎

はせきた

ひら

やり

走來れハ縁連是にちからを得てしきりにおめき閃めかす鎗

すきま

ちか

うしろめ

かけ

よりつら

に透間ハなけれども毛野ハ近づく猛虎を後目に掛つゝ縁連

おと

かたな

ぬか

ところ

ひとこゑ

やいば

が鎗のひるまき

きり

落し刀を抜んとする処を一聲たける刄の

いなづま

ひだり

かたさき

しりゐ

たふ

ほど

電光縁連ハ左の肩先

きら

れて尻居に倒れけり。程もあらせず

あだのが

つきだ

うけなか

とたち

猛虎ハほうばいの仇逃さじと突出す鎗を受流し十合あまり

つい

うた

このおりよりつらわれ

そ戦ふたりしがこれも終に討れけり。此折縁連我にかへり

かたな

ぬい

たち

いぬ

ゆしま

しやとう

さいしくすり

刀を抜て立あがり又犬」【挿絵】〈湯島の社頭に才子藥を

さか

うつ

すき〔か〕

ぬきうち

賣る〉」35」坂に打てかゝるを毛野ハ透さず身をかはし抜打

よりつら

かうべ

ちじやう

おと

つゞひ

ちか

ぼうふ

に縁連が首を地上へ打落し續て近づく

てき

もなけれバ亡父の

いだ

たむれ

がつしやう

ところ

位はひをとり出し縁連か首を手向しづ��合掌する処に

千葉大学人文研究

第三十八号

(242)

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はせきた

おこ

にけんし

犬田犬川走來るにぞ毛野ハいそがはしく身を起し二犬士に

むか

それかし

あだうち

うち向ひ什麼いかにして某かけふの仇打を知られけん。さ

わくん

たすけ

つい

きに和君們の助あれども問ふにいとまのなかりしが終に

よりつらたけとら

かくうちはた

この

縁連猛虎ハ斯殺果して候なりといふに二犬士うなづきて此

いぬやま

づか

はか

義ハ犬山犬塚の謀りしなれどそハあしこなる茂林かげに

しりぞき

ゐちう

つぐ

さき

たちうちつれだち

すゞ

退

て意衷を告べしとく��きませと先に立打連立て鈴の

おもむ

これ

さき

いさらご

じようない

茂林辺に掛〔赴〕きけり。是より先に五十子の城内にハ

よりつら

ふくし

ともびとしだい��

にげ

ちうと

いへん

うつたふ

縁連并に副使等が伴當漸々に逃かへり中途の異変を訴る

あふぎがやつさだまさ

くだん

きゝ

ぼつねん

いかり

たへ

われ

に扇谷

定正ハ件のよしをうち聞て勃然として怒に堪ず我

おひかけ

かのやつら

からめとり

ちゆうりく

ものども

うま

みづから追蒐て彼奴等を搦捕て誅戮せん。兵毎はやく馬ひ

もの

かた

ゑ〔ん〕がはちか

ひきすへ

うま

ひら

けと物の具に身を固め縁�

近く牽居たる馬に閃りとうち

のり

うちいで

ほど

かはこひごんの

すけもりゆき

いまおくでん

乗てはや打出んとせし程に河鯉権」36佐守如ハ今奥殿より

はせきた

ひろには

はし

くだ

さだまさ

うま

くつわつら

おしとゞめことば

走來り廣庭に走り下り定正の馬の�面を推駐

詞せわしく

いさむ

さだまさ

ちつと

きか

のゝし

たちまち

あぶみ

あげ

諫れども定正ハ些も聞ず罵りながら忽地に鐙を抗て

はた

と蹴

あはれ

もりゆき

むね

るに憐むべし守如ハ胸を蹴られて

だう

とふす。定正これを見

ものどもつ〔ゞけ〕

むち

にし

はし

もかへらず兵毎

續けと鞭を鳴らし西の城門より走らすれ

したが

しそつ

にんみなをく

バ従ふ士卒二三百名皆後れじといそきけり。

かくてあふぎがやつ

しそつ

したが

はた

もみ

○却説

扇谷

定正ハ士卒を従へ旗をすゝめ揉にもんでいそ

すゞ

りへん

ちか

ほど

こだち

うち

あらは

いづ

ぎつゝ鈴の茂林辺に近づく程に樹柆の内に

てき

ありて顕れ出

ぐんぜい

なか

たいしやう

ゐふう

つい

もろごゑたか

る軍�の中に二人リの大將あり。威風も對の両聲高く來た

あふきがやつ

くわんれいさだまさ

せんねんいけふくろ

たゝか

なんぢ

ため

れるものハ扇谷の管領定正か。先年池袋の戦ひに汝が爲

めつぼう

ねりまますもり

きうしん

いぬやまどう

たゞとも

に滅亡せられし煉馬倍盛の舊臣なる犬山道〔節〕忠與がけふ

(243)

『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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あだうち

だいいちぢん

ゐせい

ぎきやうだいいぬかひげんはちいぬむらだいかくこゝ

まち

復讐の第一陣ハこれ異姓の義兄�犬飼現八犬村大角爰に待

すゝ

けつ

おゝぢせま

たち

しを知ざるや。找みて

せうぶ

を决せよと大路陜しと立たりけ

さだまさ

うちきゝ

このち

らうぜきもの

かのいぬざかけ

る。定正これを打聞て原來ハ這地の狼籍者ハ那犬坂毛野と

たゞさんにん

としま

すゞのもり

ひたまち

やらん。只三人のみならず豊嶋」【挿絵】〈鈴森に伏て毛野

よりつら

ねりま

ざんとう

またかのむれ

縁連等を撃つ﹇玉﹈﹇舎﹈〉」37」煉馬の殘黨も又彼隊に在り

おつとり

うち

したが

さき

ぐんびやうどつ

けるぞや。推捕こめて撃たれと下知に従ふ先鋒の軍兵咄

そのときげんぱちだいかく

やり

ちかづく

とおめいてうたんとす。其�現八大角ハ鎗をひねつて近付

ひま

つきふせ

ゆうせう

した

じやくそつ

てき

をまたたく間に突伏たる。勇將の下に弱卒なけれバその

ぞうひやう

きよにんゆう

たゝか

ほど

さだまさ

手の雜兵三十許名勇をふるふて戦ひけり。

さる

程に定正の

ごぢん

をこ

さき

ひとり

たいせうてんち

ひゞ

こゑ

後陣のかたに

てき

起り先にすゝみし一個の大將天地に�く聲

するど

これ

せんぼうねりま

らうしん

とうさく

尖くやをれ定正たしかにきけ是ハ先亡煉馬の老臣犬山道策

がちやくなん

どうせつ

たねん

ちつくわい

いた

�嫡男なる犬山道節こゝにあり。多年の蟄懐けふに至れ

やいば

うけ

のゝし

てぜい

せめたつ

びやう

り。刃を受よと罵つて隊�をすゝめ攻立れバ定正が軍兵

ぜんご

ひきうけ

うた

ものかず

しら

からう

等前後に

てき

を引受て討るゝ者数を知ず。大将定正ハ辛じて

わづか

いつほう

きりひら

そつ

にんあいしたが

しなかは

かた

はし

僅に一方を殺披き士卒八九名相従へ品革の方へ走る程に

たゞいつきうま

とば

おつかけき

ちか

まゝ

ゆみ

道節ハ只一騎馬を飛して追蒐來つ。箭ごろ近くなる儘に弓

ひきかた

しゆれんたがは

はち

彎固め

ひやう

と射る。修煉差す定正

かぶと

の鉢を射摧きたる。

ちじやう

おち

ひゞきにしのびの緒ハちぎれ

ハ地上に落たりける。定正

むね

つぶ

くらつぼ

かうべ

にげはし

あなやと胸を潰し鞍局に頭を」38ふし其首ともわかず逃走し

るを道節なほもおふたりける。かゝれとも定正ハわつか死

まぬか

たか

おち

あとべはるか

したが

を免れて高なは手まで落て來つ。後方迥に見かへれバ従

きんじゆ

うた

たゞふたり

きんしん

ふ近習ハ道に打れて只二個の近臣のみ死さることを得たれ

千葉大学人文研究

第三十八号

(244)

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しよいたて

もりゆき

いさめ

きか

ども数ヶ所痛痍を

おふ

たれは定正はじめて守如の諫を聴ぬを

かうくわい

いさらご

しろ

よせく

ふせ

後悔しとく五十子の城にかへり寄來る

てき

を防がんと又八

はし

いさらご

しろ

かた

くろけむりそら

こか

九町走りつゝと見れハ五十子の城の方に黒烟天を焦し

ひやうくわすで

さか

しう��

おどろ

あき

とゞ

兵火既に煽り也。主従是に又驚き呆れて馬を駐めたり。

かゝるところ

けん

もうそつ

よにん

あいぐ

ちか

いで

処に現八大角猛卒十余人を相倶して近道をへて出て來

しう��

つ。定正主従をうたんとす。定正今ハのがるべくもあらざ

きんしんふたり

たゝか

みちのへ

おか

はせのぼ

はら

かく

れバ近臣二人が戦ふ間に路傍の阜に馳陟り腹を斫らんと覚

こつぜん

ぐんひやうおか

うしろ

はせいで

この折から忽然として一手の軍兵阜の後より走出たりと

よにん

いぶか

たゝいつてう

のりもの

ぞうひやう

見れハ其�三十餘人又訝しきハ只一挺の轎子を雑兵に

はた

もた

かはごひこんのすけもりゆき

かゝしたるそが先に小幡を持して河鯉権佐守如といふ大

もんじ

しる

のりくた

すく

よば

文字を写しけり。定正よろこひ馬乗下し守如救へと」呼はり

たせい

はせいり

かゝり

きんじゆ

て多�の中へ馳入けり。恁し程に道節ハ定正の近習等を一

もら

うち

かつ

さだまさ

人も漏さす打はたし且い落したる定正

かふと

ひやう

を兵に持しつゝ

たねとも

なほもらさじとおふたりける。又犬坂毛野胤智ハさきに

そうすけ

もろとも

かげ

しりそ

はか

すけたち

荘介小文吾等と共侶にもりの蔭に退きて料らす助太刀せら

ことよし

はしめ

きのふゆしま

しやとう

みつだん

れたる縁由を初てきくに昨日湯島の社頭にて守如と密談を

たちきゝ

をり

道節に立聞せられふしきにたすけを得たる事及道節その折

くんふ

あた

さだまさ

ほり

てくばり

をもて君父の仇たる定正をうたんと欲する。けふの隊配又

まさのり

どういんぐわ

けんし

すべ

おち

犬村大角礼度も同因果の犬士たる事都て遺なくしることを

かんたん

ほか

すゞ

あなた

とき

こへきこ

得て感嘆の外なかりしに鈴のもりの東方に當りて鬨の聲聞

さて

はか

ごと

しつちん

えしかバ扨ハ犬山の計りし如く定正の出陣せしとおぼえた

つれたちきた〔り〕

みかた

たゝか

り。さらバ力をあはせんとて三人連立來りけるに味方の戦

せうり

にく

おふ

ひ勝利を得て道節等ハ北るを追て其処におらず。又道節ハ

たすけ

つはもの

けん

つぐ

きゝ

たへ

定正を援の兵あるよしを現八大角が告るを聞ていこんに堪

おひ

とも

すなほ追かけんとしたりしを現八大角倶にいさ」39めて

いさむ

とゞむる折から荘介小文吾毛野も來りて諫る程に道節やう

とゞま

しよたいめん

かうぎ

のべ

やくに禁りけれバ犬飼犬村ハ毛野と初對面の口儀を述しか

たちまち

そなへ

としなほ

バ毛野も礼をかへす折から忽地

の隊の中より年尚わかき

ひとり

ほとり

たちいで

一人の武者へだての川の向上に立出いかに犬坂犬山の両氏

まうさ

かはこひもりゆき

ひとりこ

たかつく

にもの申ん斯いふハ河鯉守如が一子佐太郎孝嗣とよばるゝ

ねがは

ものなり。願くハ出給へとこへたかやかによばゝれバ

どうせつ

なのり

たいめん

たかつぐにけんし

道節毛野ハ立出て名告をしつゝ對面す。其とき孝嗣二犬士

もりゆきちうしん

ことな

ないしつかなめのまへ

にうちむかひ我父守如忠信たに異れバさきに内室蟹目前の

ないめい

ねいじんよりつら

のそか

ためきのふゆしま

しやとう

内命をうけ當家の佞臣縁連らを除ん為昨日湯島の社頭にて

のそ

よろこ

犬坂氏をかたらひ君の為にとどくを除きしハ歓はしき事な

たゝよりつら

てうにん

まよ

さめ

しつば

ようい

れども君ハ只縁連を寵任の迷ひ醒給はす猛に出馬の准備あ

いさめ

あふみ

きづおも

いまなほふし

り。父守如これを諫て鐙にかけられその痍重く今猶臥て

のりもの

しつば

のちはいぐん

ざふひやう

轎子にあり。斯て我君出馬の後敗軍の雑兵のかれかへりて

しか��

やつ

どうせつさだまさ

かぶと

ひとや

こと恁々」【挿絵】〈谷山に道節定正か甲を一箭に射る〉」40」

つげ

ようい

と報しかハとく加�をまゐらせんと准備にとりも乱せし折

のもりたか

はか

犬山氏等の義兄�犬塚信乃戌孝とか聞えたる勇士の為に謀

いさらご

やきうち

そつ

うせ

ゆくへ

られて五十子の城を火攻せられしかバ士卒ハ落亡て往方を

ちか

しらず。かゝる折から我父それがしを呼近づけ我はじめ

あやまつ

ねり

ざん

さか

きみつ

て煉馬の殘黨なる犬坂に機密をもらしゝかバ我君の一

(245)

『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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つい

ぬか

大事に及び遂に城さへ抜れたり。かゝれば我忠信ハ不忠に

なんぢ

せんじやう

はし

すく

なりぬ。汝ハ戦場へ走りゆき我君を救ひ奉れと其意を得

おや

すてころし

のりもの

たすけのせ

たれど親を棄死にせんハさすがにて斯轎子に扶乗こゝに

ひつし

きはめ

あり

來りて思ふか如く君の必死を救ひまいらせ死を極て在ける

こと

もとすへ

か犬坂氏ハ犬山氏の軍議を知らで初戦西の言の顛末聞えし

かんず

かバいと訝しく此一義に及ぶのみといはれて感る毛野より

せつ

うなづ

しやとう

だん

ぎゝ

も道節ハうち頷ききのふ湯島の社頭にて彼密談を立聞して

其仇討の趣を義兄�等に告しらせ犬田犬川を助太刀させ犬

坂が事五十子の城内へ聞へなハ加」41�を出す。その

きよ

うかゝ

てくばり

覗ひ城を抜き仇を討んと軍議を定め隊配なしゝに仕合よく

さだまさみづか

しゆつは

定正自ら出馬したれバ斯の仕義に及びたり。かゝれバ犬

りやく

坂氏は我軍畧を知るよしなし。定正のがれてあらずなりし

よう

あと

した

に和郎等親子をうたんハ要なし。とく��主の迹を慕ふて

さす

もと

其投方へゆきねかしといふにぞ毛野も前にすゝみ某素より

つう

えとく

もりゆきう

犬山に内応せざりし趣を既に會得せられし上ハ守如大人に

くわ

對面して我意中をも報申んに病臥不便なるべけれど此義を

ゆる

たかつぐ

をし

許し給はずやと他事なくいはれて孝嗣ハ轎子の戸を推開く

ざん

はらかきゝつ

しゝ

あき

に無慙や守如ハ腹掻切て死居たれバ毛野道節ハ共に呆れて

ことば

しばし

なみだ

なう

詞も霎�なかりけり。其時孝嗣涙をぬぐひ喃犬坂ぬし親の

じさつ

かな

やいば

自殺のみならす蟹目前もこの事より刄に伏て果給ひき。

てき

さか

まし

ながらも理義に賢しき諸犬士と刄を交えん事素より願ふ所

まゝ

くん

なれバ思ひの隨に戦死せば親の遺訓にかなひなん。とく

千葉大学人文研究

第三十八号

(246)

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しゆう

けつ

ことばを

いそ

��雌雄を决しねと詞雄々しく死を急ぐ忠と孝義」【挿絵】

のりもの

もりゆきしゆう

すく

いさき

轎に坐して守如主を救ふ﹇文﹈﹇魚﹈〉」42」そ潔よき。毛野

たかつく

けなけ

まこと

わかもの

道節ハ孝嗣かいと健気なるを感るものから寔にあたら壮士

うちはた

のか

を今撃果して何かハせんと此場を見遁し別れけり。

いぬつかし

くんき

ものゝくさしもの

うは

○爰に犬塚信乃と犬山か軍議を助て

てき

の武具標幟を奪ひと

り味方に著せて五十子の城中へまきれ入火攻にして城を抜

そうこ

倉庫を開て米錢を民に施す處に犬山犬川犬田犬飼犬村の五

てのものしたか

かんけき

犬士ハ隊兵従へ當城に來り犬塚か軍功を感激し有し事と

ものかたり

も如此

��々々と話説又犬坂毛野ハ守如か知己の義を思ふの

ときしめ

故に辞して當城へ來さりし事箇様々々と觧示し其且道節ハ

なはて

さきに射て落したる定正

かふと

と打取たる首級を高畷に

きゆうしゆ

もろとも

梟首して五十子の城を捨諸犬士と共侶に爰処より舩に打

ほきた

乗て穂北をさしてそ走らせける。あ

そん

いぬ

〔禄〕

○爰に又房総二州の守里見義実朝臣ハ往る長録二年の秋伏

きすい

かなまり

ちゆたい

姫富山に自殺の折大かたならぬ竒瑞あり。且金碗入道ヽ大

たつね

坊ハ其折八方へ飛去たる八箇の」43明玉の往方を索んとて

もとめ

あまさきてる

さす

辞し去又賢を招き士を徴ん為に蜑崎照文をその投方へ遣せ

おとつれ

いんとん

じやう

しに稍久しく信もなきこの比より義実ぬしハ隱遁の情願あ

そう

り。是より後御曹子義成に家督を譲り伏姫の一周忌に義実

とんせい

〔そ

こ〕

遁世の宿志を果し給ひ瀧田の城内に別舘を造らし其首に閑

とつねんこ

居の折からハ突然居士と自称して敢て政事を見かへり給は

まろ

す。然ハ山下麿安西か亡ひてより上総の武士等悉く義実の

(247)

『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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せうあく

威風に靡きて其掌握によらさるハなし。然れとも邊境にハ

きゝう

つき

折々野心のものありしを義成箕裘を嗣安房郡稲村に在城し

つかさと

おさ

て房総の賞罸を掌るに及ひいよゝます��徳を脩め給ひし

ふくしう

かバ上総ハさら也下総まで既に半國服従して地を廣る事甚

はじめつかた

多かり。かゝりし程に年を歴て文明十年秋七月

初旬に蜑

崎照文か犬江親兵衛の祖母妙真と犬田小文吾の父文吾兵衛

ともな

ちゆた〔い〕

おとつれ

を伴ふて下総よりかへり來にけれハ丶大坊か」

信も知ら

かの

はつかう

ゆくゑ

のくに

れ又那仁義八行の玉の往方も知るよしあり。此頃上総

いしみのこふり

ひきたこんのかみもとふち

よひなす

夷�郡舘山の城主に蟇田権頭素藤と喚做ものあり。その

さかねいかんしやち

ふけ

おこり

性佞姦邪智にして酒色に耽り奢侈を極め朝皃夕皃といへる

ふたり

そはめ

けらく

つひへ

かく

両個の美女を側室とし酒宴快楽に財用の費をいとはす恁て

なほあく

ゑんきよく

おとめ

も尚飽ことなけれハ艶曲歌舞に妙なる少女を京鎌倉にも

きやう

とめ左右に侍らし酒席の興をそ添にける。さる程に文明十

めて

ふたり

そはめ

とも

四年の夏の頃素藤か愛おもふ朝皃夕皃の両個の側室ハ倶に

のけ

おか

時疫に犯されてかはる��に死亡けれハ素藤ハ左右の手に

またま

くだ

むね

あいぼ

おもひ

持る真璧を碎きし如く心もだえ胸こがれ哀慕の念やるかた

こめ

なくたれ籠てのみありけるか其頃若狭の八百比丘尼とよひ

ひとり

なしたる一個の老たる女僧ありけり。うち見ハ四十あまり

よはひ

ごもり

なれど人その年齢を問ハ八百餘歳といふ也。年來山蟄し

さいど

て在けるが衆生済度の為諸國を編歴して此地に來れりとて

かつか〔う〕

こひはれ

おういやちこ

貴賤渇仰」44せざるハなく雨を祷晴を祈るに感應灼然なる

ねん

うく

びやう

ぶく

のみならず十念を受る�ハ死病立地に本復すといへり。

おつと

そが中にひとしほ竒しきハ人の妻まれ良人まれ死して年を

あいぼ

ほり

歴たりとも哀慕の念ひ切にして一たひ見まく欲する者よし

たま

けむ

あらは

を比丘尼に乞ときハ其亡魂を煙りの中に顕して見するよし

くたん

まね

を素藤聞て心に悦び件の比丘尼を城内へ招きよせて對面し

そばめ

じゆつ

過去し側室等を見まほしけれバ其術をほどこし給へと乞

めうちん

うべな

よひ

程に八百比丘尼妙椿は一義に及ばす諾ひて今宵丑三時候に

たち

すで

こそ那美女達を見せまゐらせんといふに素藤打よろこび既

ふけ

やうい

に其夜の深ゆくまゝに妙椿と倶に准備の一間に坐をしむれ

つくゑ

むか

とつゝみ

じゆもん

とな

かう

バ妙椿ハ机案に對ひ香一裹とり出し口に咒文を唱へつゝ香

くゆ

あやし

うち

こつぜん

あらは

薫らすれハ怪むべし烟の裏に忽然と顕れ出る美人あり。其

かたち

ばいすぐ

もとふぢ

たましうか

とろけ

容色側室等に百倍勝れて見へけれバ素藤ハ魂浮れ心蕩て

狂ふがことく」【挿絵】〈毒尼夜る返魂香を焼て逆將に婬を

いだ

かたち

きえ

勸む〉」45」抱き止んとせし程に形ハ滅てなかりけり。しば

もとふぢ

らいゆ

らくして素藤ハ妙椿に打對ひ彼美人の來由を問に妙椿ハ

くだん

よしなり

そく

はまぢ

ほゝ笑て件の美女ハ安房の國司里見義成の息女濱路姫が

おもかげ

こたへ

もとふぢ

めうちん

面影なりと答にければ素藤ハ是より妙椿を城内にとゞめ濱

ながらえ

じやう

路姫をめとらんと同國長柄郡榎夲の城主なる千代丸

づしよのすけとよとし

いた

圖書介豊俊を頼みて安房に至らせ里見家に言入けれど�

とゝの

いら

はか

整はねば大ひに苛立妙椿と計りて野心をさしはさみその次

よしなり

ちやく

ぞうし

とのゝだい

の年義成の嫡子太郎御曹司義通が殿臺の辺なる諏訪の社

さんけい

とりこ

うちとり

へ参詣ある折伏�をもて擒にし近臣多く討取ぬ。此事安房

おや

ぐん

に聞へしかハ義成親子ハ安からぬ事に思ひ群臣をつどへて

千葉大学人文研究

第三十八号

(248)

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ぐんき

よしなり

いんぞつ

くに

てう

軍議をこらし義成自ら三千餘騎を引率し上総州に出張あり

をし

もみ

やくら

て頓に舘山の城に推寄揉にもんで攻立れば其時前門の城樓

あらは

こゑ

の上に武者四五人立顕れ聲高やかに呼はるやう抑我主君

ごんのかみ

よしみちわくこ

いけとり

權頭」46が義通孺子を生拘しハ害さんとてのわざならず。

そくちよはまぢひめ

とうじやう

よしみち

かへ

まよ

息女濱路姫を當城におくり來さバ義通を返すへし。惑ひて

いまもくせん

ほふ

いさゝかうき

不の字をいはれなば今面前に義通屠りて聊

憂目を見せん。

いらへおそ

しんし

わかれち

よしみちきみ

回荅遅くハ親子の別路よく見給ひねといたわしくも義通君

やくら

をいましめてさるぐつわをはませしを城樓の

はしら

しばりつけ

柱に

着たん

ぬききつさき

むなさき

おしつけ

おそ

せめ

びら引抜刃尖を胸前へ推着つゝいらへ遅しと責たりける。

され

よせて

しよぐん

のりい

いきほ

いつきよ

くち

然バ寄隊の諸軍兵ハ乗入らんとせし�ひを今此一挙に折か

こふし

にぎ

やくら

にらん

たつ

れて拳を握り歯をくひしばり城樓を疾視で立たりける。

よしなり

みそなは

いかり

えたへ

たて

たんへいきう

義成これを臠して怒に得堪ず声ふり立その義ならハ短兵急

せめやぶ

はら

よしみち

はんそく

に攻破りて腹をいやさん。なまじひに義通を叛賊の手に

うしなは

とふや

かけ

すゝ

しよそつ

れんより遠箭に被て射てとらん。進め��と諸卒をは

ひきしぼ

ちつきん

げまし弓とり直して箭をつかひ弯絞らんとし給ふを眤近の

しよさむらひおどろ

あは

をしとゞ

いさ

とまつこのところ

駭き慌て推禁めさま��に諫め申せバ一ト先此処

しりそ

ほど

きやくしやうこうし

とりこ

よせて

を退きけり。

さる

程に義」【挿絵】〈

逆將

公子を虜として寄隊

ひれい

こんいん

もと

なり

きんしん

いさ

に非禮の婚姻を需む〉」47」成ハ近臣等に諫められ心ならす

かこみ

とか

にひと

じん

ぐんぎ

ところ

も囲を觧し新戸の陣へ退き給ふてひたすら軍議をこらす処

たつた

らうかうよしさねあそん

あまさき

てるふみ

に瀧田より老侯義実朝臣のおん使として蜑崎十一郎照文が

きこ

なり

むか

まゐりたりと聞えしかハ義成ハ諸臣と共にこれを迎へて来

きゝ

てるぶみ

うや��

命の趣を听給へバ照文も恭しくおん使のよしを告て美酒十

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『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―

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たはら

もたらしつき

たゝか

ありさま

かへ

駝乾魚百苞を齋

就て戦ひの光景をも承り還れとある。お

しや

〔昨〕

おもむ

ん使にまゐりたりといふに義成恩を謝し作今城攻の赴き

ふるまひ

かけひきよしみち

ありさま

はじめをはり

つまびらか

ときしめ

の挙動味方の進退義通の光景さへ首尾までいと詳に觧示

がいたん

しりぞ

かくて

せバ照文駭嘆してやかて御所を退きけり。却説里見義成主

しよぐんへい

てくばり

まだき

たて

せめ

ハ次の日二千餘の諸軍兵を隊部して未明より舘山の城へ推

とほまき

うた

寄給ひしかど遠巻にして攻も撃ず城を去こと二丁あまり

くつきやう

えら

たきつゞ

おこた

究竟の地方を擇みて夜

かゞり

火を焼續け用心に懈らずおさ

かゞやか

のどくび

とりしば

ちうたい

けんぢんこま

��武威を赫焚しよ

てきじやう

城の咽吭を扼りて沖對の堅陣濃や

たて

ひやうらうやたねたまぐすり

かなるものから」48舘山の城内にも戦粟箭種火藥にともし

くつ

いざ

よせ

やつばら

さま

き事なかりしかバ氣を屈せず卒や寄手の奴們にねむりを覚

しそつ

いきほひ

しめ

させくれんずと士卒に下知して打出んとする�を示しある

よしみち

やぐら

つりのぼし

せめ

おん

そつ

�ハ又義通君を成樓に吊登て責さいなむに大音なる士卒を

えらみ

のゝし

しき

ありさま

擇て罵らすること初の如く寄手を連りに招く光景に里見の

いかり

えたへ

せめかゝ

なりきび

とゞめ

士卒ハ怒に得堪す攻蒐らんとひしめくを義成緊しく制させ

もしぐんれい

そむ

はね

ふれ

ゆうし

て�軍令に背く者ハ首を刎んと徇られしかバはやる勇士も

もうそつ

むね

しづ

たき

らうこうよしさねあそん

猛卒も胸を鎮めて止りけり。爰に瀧田の老侯義実朝臣ハさ

てるぶみ

にひと

ぢんしよ

かちまけ

きに照文を新戸の陣所へ遣してかしこの勝敗を聞せ給ひし

はじめぎやくしやうもとふぢ

みち

のぼ

せめ

に始

逆將

素藤が義通君を城樓に登し責さいなみつゝ寄

ひれい

こんいん

よしなりくはそく

あだ

とうまき

隊に向ひ非礼の婚姻をもとめし事義成火速に寇を攻す遠巻

びんぎ

また

のたま

おもむきすべ

にして便宜の折を等んと宣ひし事の赴

都て分明なりしか

いさゝかなぐさ

きよ

バ聊

慰め給ふものからそれより三十許日を歴て二月下旬

よしみちぎみ

いきしに

になるまでに躬方に利あるよしハ聞」えず義通君の存亡を

千葉大学人文研究

第三十八号

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かゝ

をり

知るよしとてもなかりしかバつら��思ひ給ふやう恁る折

かの

たすけ

ししゆく

に那犬士們が在らバ幇助になりぬべし。穂北に止宿と聞え

よびむかへ

たうけ

とく

おとろへ

しを徴迎んはさすがにて當家の武徳ハ衰たる�と思ハれ

はづか

かく

むね

ふせひめきみ

もせバ耻しからん。とやせん斯やと胸をなやまし伏姫君の

めうぢよ

いの

神�の冥助を祈りておはしけり。

ゑいめいはつけんしたいしちへん

英名八犬士第七編尾

魯文鈔録◇文

一燕齋芳鳥女画﹇印﹈

東都神田松下町三丁目

公羽堂

伊勢屋久助上梓」49

(251)

『英名八犬士』(四)―解題と翻刻―