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-148- 銀箔の黒変による表現の研究 田 口 涼 一 TAGUCHI Ryouichi 序章 はじめに、私が銀箔の黒変を造形手段とし、表現の一端とする理由について考察したい。ま ず、作り手にとってひとつの造形活動に夢中になれるということは、即ちその造形活動により 生み出される造形物、表現世界に作家自身が惚れているということを示している。 作り手独自の価値観に基づいた創意に富む作品の創造、これは作り手にとってまだ見ぬ世界 への冒険であり、開拓でもある。そして、その地点で納得せず貪欲にその先を常に見据えてい るからこそ研究制作は継続されるのだと考えている。 其処への到達を目的として、私も研究制作をおこなう。私の場合、まず日本画において特徴 的な素材と考えられている箔の表現に魅了された経緯があった。そして、多様にある箔表現を 用いる中で、箔表現の一端として銀箔の黒変を用いた焼箔技法に、研究の焦点を合わせること となった訳だ。 銀箔が変色するという一つの事象に邂逅したとき、それを解明、解析、分析しようと思う好 奇心がまず私の中に存在した。それは、当初表現とは隔絶した、化学的とも言える実験、分析 対象であった。しかし、実験を繰り返し、検証する内、新しい造形的発見に遭遇することにな り、その新しい発見が、私の現作品制作において大きな創意となっていると思われる。銀の黒 変研究が、研究制作の中で、大部分を占める普遍的な価値観、表現へと昇華されているのだ。 さらに、研究制作の継続を考える上で、これからの指針までも銀の黒変研究が示唆してくれて いるように思えてならない。本論では、私の表現研究の一端である銀の黒変研究が、私の制作 に与えた影響とともに、その意味分析も含め論述していきたいと考えている。 第一章では、私の研究制作と金属箔表現との関わりについて述べ、そこから派生した銀箔の 黒変研究までの経緯について述べる。次に第二章では、銀箔の黒変の歴史的、文化的背景につ いて、先行研究を検証しながら考察したい。第三章では具体的な焼箔技法を紹介し、四章では 銀箔の黒変による表現の研究

銀箔の黒変による表現の研究-148- 銀箔の黒変による表現の研究 田 口 涼 一 TAGUCHI Ryouichi 序章 はじめに、私が銀箔の黒変を造形手段とし、表現の一端とする理由について考察したい。ま

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-148-

銀箔の黒変による表現の研究

田 口 涼 一TAGUCHI Ryouichi

序章

はじめに、私が銀箔の黒変を造形手段とし、表現の一端とする理由について考察したい。ま

ず、作り手にとってひとつの造形活動に夢中になれるということは、即ちその造形活動により

生み出される造形物、表現世界に作家自身が惚れているということを示している。

作り手独自の価値観に基づいた創意に富む作品の創造、これは作り手にとってまだ見ぬ世界

への冒険であり、開拓でもある。そして、その地点で納得せず貪欲にその先を常に見据えてい

るからこそ研究制作は継続されるのだと考えている。

其処への到達を目的として、私も研究制作をおこなう。私の場合、まず日本画において特徴

的な素材と考えられている箔の表現に魅了された経緯があった。そして、多様にある箔表現を

用いる中で、箔表現の一端として銀箔の黒変を用いた焼箔技法に、研究の焦点を合わせること

となった訳だ。

銀箔が変色するという一つの事象に邂逅したとき、それを解明、解析、分析しようと思う好

奇心がまず私の中に存在した。それは、当初表現とは隔絶した、化学的とも言える実験、分析

対象であった。しかし、実験を繰り返し、検証する内、新しい造形的発見に遭遇することにな

り、その新しい発見が、私の現作品制作において大きな創意となっていると思われる。銀の黒

変研究が、研究制作の中で、大部分を占める普遍的な価値観、表現へと昇華されているのだ。

さらに、研究制作の継続を考える上で、これからの指針までも銀の黒変研究が示唆してくれて

いるように思えてならない。本論では、私の表現研究の一端である銀の黒変研究が、私の制作

に与えた影響とともに、その意味分析も含め論述していきたいと考えている。

第一章では、私の研究制作と金属箔表現との関わりについて述べ、そこから派生した銀箔の

黒変研究までの経緯について述べる。次に第二章では、銀箔の黒変の歴史的、文化的背景につ

いて、先行研究を検証しながら考察したい。第三章では具体的な焼箔技法を紹介し、四章では

銀箔の黒変による表現の研究

京都精華大学紀要 第三十六号 -149-

これまで絵画で使用されたと見られる黒変表現について検証する。

第1章 銀箔の黒変世界、黒変研究への経緯

この章では、本論で取り扱う銀箔の黒変研究に私が至るまでの研究経緯について述べる。

まず、私が金属箔表現に着目した研究課題で制作を行っている経緯について説明したい。

私は学生時代、自由課題として、よく銀箔やアルミ箔、洋箔等を用いた研究作品を制作してい

た。その当時は、金属箔を押すことの意味、必然性を深く考えていた訳ではなく、ただ日本画

の材料の中で、金属箔という素材の真新しさ、描画とは違う制作過程の面白さの中に興味を持

ち、好んで使用していた。

しかし、金属箔を使った研究制作を重ねるうちに、金属箔の中の両極する性質に気がつく。

つまり、金属箔を顔料と比べた時、画面の中で明らかに異質である金属箔の存在感の強さが、

画面に強さを与え、効果的に生える場合もあれば、その異質さが災いして時には絵のバランス

を崩す要因ともなってしまうことである。また、金属箔を押すことで、簡単に得られる画面構

成が、私自身の造形表現の広がりを悪い意味で限定してしまう危険性もあることにも気がつい

た。そんな金属箔の持つ、諸刃の剣のような両面性に疑問を感じたことから、しばらくは金属

箔の使用を意識的に控え、金属箔を使用せずに金属箔の持つ存在感に負けない顔料だけを使用

した画面作りを目指す時期に至るが、その中でもやはり私の頭の片隅にはいつも金属箔の持つ

圧倒的な存在感の魅了があった。やはり、金属箔には顔料には替え難い魅力的な色味や独特の

質感があるのだ。金属箔の両面性を正しく理解し、必然的に用いることができれば私の研究制

作において、大きな武器になることは間違いないと確信し、現在、金属箔を主体とした制作を

行っている。

次に、金属箔の特徴について論述し、そして金属箔によって作られる空間の意味を考察する。

金属箔の特徴として挙げられることは、まずその色味である。金属を展延した金属箔は金属そ

のものの色味、風合いをそのままに画面に置くことが出来る。顔料同士の混合において全くの

金属色を再現出来ないのと同様に金属箔の金属色は顔料には置き換えることの出来ない金属箔

固有の色味だといえる。そして顔料と金属箔を比べた時の差異として、顔料が「点」であるの

に対して金属箔が「面」であるということも金属箔の大きな特徴である。このことは金属箔の

異質な存在感の要因だと言える。それでは、この金属箔を敷き詰めることによって構成された

空間とは何を意味するのか?

金属箔が隙間なく押された空間に働く美意識は、余白の美に似ていると考える。余白の美と

は文字通り何も描かれていない余白に感じる美意識である。同様の美が金属箔の空間にもある

-150-

と考えられないだろうか?余白の美とは精神世界の美だ。本来何も描かれていない空間にはゼ

ロの認識が働くはずだが画面全体の中での余白にはゼロの認識というよりは「無」や「虚」、

「空」という精神世界を連想する。そこには言葉によって説明や意味を与えられるような簡単

な世界ではなく、現実的な時間や季節の流れからは逸脱した非現実的な世界、ただ鑑賞者の心

が何らかの美に惹かれる高次元な世界がある。そして、この余白同様の美を私は箔の空間にも

強く感じている。

しかしながら、上記のような簡潔にも関わらずに高次元な世界を見事に表現するこの余白の

美は残念なことに今の日本画界においてはあまり見ることは出来ない。特に近年の展覧会にお

いてはなお更で、展覧会志向の作品には余白の美意識は疎遠になりがちな傾向にある。空間や

余白の使い方、空間の見方が違うということだ。自然を描く時の描写の仕方が洋画的になりつ

つあり、物質的な世界と精神的な世界のバランスが前者に偏り過ぎた現実がそこにはある。

このようなことから、私が金属箔の研究制作を行う理由には、上記で述べた精神世界、余白

の美への回帰も含まれている。日常や現実から絵を完全に切り離し昇華させることによって、

その世界に表現、または反映された自分自身の造形のあり方を見つめ、考えたいと思うのであ

る。

現在、私はこの余白の美を再考するとともに、金属箔の持つ力と可能性を検証する制作を行

っている。そして金属箔表現の研究一端として、銀の黒変研究を本論の題目とする訳であるが、

数ある箔の中から銀箔を選択した理由を以下に述べる。

銀箔という素材は、金箔と共に日本絵画において重要な役割を持ち、多様に使用されるが、

金箔とは決定的に違う特性がある。それは変色である。(実は金箔も金とは違い銀を微量に含

むことから全く変色しないとは言い切れないが、銀箔と比べると圧倒的に安定している〔図-

1〕)

銀箔の変色によって得られる表現とは、単純な銀の色変化だけには留まらない。箔という金

属の形態との兼ね合いによ

り、顔料では不可能な表現、

その銀色を意図的に自由に変

化させることで金属箔のみの

色だけでは通常は行えない複

雑な色調を表現することが可

能になると考えている〔図-

2〕。

銀箔の黒変による表現の研究

図1 金箔の変色

京都精華大学紀要 第三十六号 -151-

そもそも銀箔の変色という

ものは、環境にもよるが経年

において自然に起こる現象で

あり、その変化は薄い金色か

ら始まり茶色、赤、紫、青、

黒と文字通り七色の変化を見

せる〔図-3〕。しかし、その

不安定な性質は、絵画素材と

しては考え物で、銀箔の変色

は作家の悩みの種でもある。

故に、私が受けたこれまでの

指導、および技法書に記され

ている銀箔を使用する際の約

束事は、銀箔を押した後変色

防止の為に礬水を引くこと

や、銀箔を押す画面に朱など、

水銀系の絵の具を用いてはい

けないこと等、銀箔を変色さ

せないためのことばかりであ

った。銀箔を焼く方法については詳しく言及されることがなく、銀箔の焼けに関しても、酸化

と言う人もいれば硫化だという人もおり、言及できる人が少ないという実態であった。これは

銀箔に関するこれまでの見識が、白銀色の保持に関してばかり問われ、変色する銀箔の性質を

問題視している所以であろう。銀箔の変色を善とする見聞は極めて少なく、現在この銀の変色

を効果的な表現として用いる事が出来ていないのではないかという疑問も生じた。銀箔を変色

させる技法「焼箔」法についての見聞の少なさには次の理由も考えられる。「焼箔」に関して、

先行研究で最も古い資料である『和漢三彩図会』に「深秘にて識る者無し」注1とある。ここか

らは焼箔技法が専門的な特殊技法に位置する為、門外不出の秘伝となる場合が多く、昔から一

般には深く認知されていない、または公にされていない技法であったことが推察される。つま

り、焼箔技法に関しては、絵画表現としての積極的な研究はあまり行われず、あくまで金属箔

表現の中の一部としての特殊技法に止まっている実態があると言える。これは大変残念なこと

で、銀箔を用いる上での一つの絵画表現としての可能性の欠損とも考えられ、また銀箔は変色

するという実態のみの一人歩きが、変色する銀箔そのものの使用の躊躇にも繋がっているとも

図2 銀箔の変色表現例

図3 銀箔の変色:加熱時間による色の違い

-152-

考えられる。銀箔の経年における自然変色の実態があるのに対し、意図的な銀箔の変色である

「焼箔」という特殊技法があったという事実。では、この焼箔表現というものは全くの一時的

な期限付きの表現なのであろうか?数年で真っ黒になる、もしくは色変わりする技法によって

作成された箔製品が製品として成り立っているとは私には到底考えられず、銀の色変の自然終

着が真っ黒になるということも、事実として考えがたい疑問が生じ、検証することにしたので

ある。

まず、焼箔の表現を専門的に考え、研究制作の中で実践した。それによって見えてきたもの

は金属箔表現の一部としての特殊技法ばかりではなく、絵画表現としてこれまでに無かった大

きな可能性であった。また、銀という限定した素材を用いて導き出された黒変した黒銀色の世

界に、大きな広がりと魅力を感じた。それは、銀箔の黒銀色に潜む変幻自在の黒色の美意識だ。

ここには、日本独特の美意識と考えられる移ろいゆくものに感じる「あはれ」や、悠久の時間を

経ることにより物にやどる「味」の様なものが感じられる。そして銀に感じられる寂寥感も兼ね

備えて、黒銀色は渋々たる趣の魅力に満ちている黒色と考えるのだ。私はこの銀の黒銀色に着

眼し新しい表現の可能性として活かしたいと強く想う。

次に、銀箔という一つの素材に着眼する理由として次の理由もある。現在の展覧会志向にお

いての日本画界では、自然描写の仕方が西洋画に代表される印象派の影響を受け発展してきた

経緯があり、そしてこの自然表現の西洋画的移行に従い、多様な新色料が作られた。このこと

によってそれまでにない色彩豊かな表現が可能になり、展覧会ではより一層西洋画的描写表現

の影響を受けた作品が多く見られるようになった。しかし、これはあくまで東洋的な精神世界

を目指した自然描写表現とは別の世界観に影響された発展である。岩絵具の多様化が日本画の

表現を多様にした一方で、本来あった東洋的自然表現から外れ、表現が凡庸になってしまって

いる。

私は、色の氾濫によって生じた、色の乱発への疑問から、色の幅が増えることによって生ま

れる新しい表現の幅よりも、銀箔という一つの素材についての徹底した理解と研究の中に日本

画本来の可能性を探求したいと思うのだ。

第2章 銀箔の黒変とその背景

日本画素材で扱われる銀箔は、通称「本銀箔」と呼ばれ純銀100パーセントから組成され、

その製法は金箔同様に純銀の延金を箔打ち紙に挟み、槌で叩くことにより徐々に延ばす工程を

繰り返し行われる。原料の銀が持つ展延性が金に次いで大であることから、その厚みは最終的

には一万分の2mmまで薄く延ばすことが可能となる(金箔は一万分の1mm、錫箔は一万分の

銀箔の黒変による表現の研究

京都精華大学紀要 第三十六号 -153-

25mmとされる)。そして、本銀箔の箔サイズは、一般的に127mm角とされ、109mm角の純金

箔、プラチナ箔に比べ一回り大きいものとなっている。

その色味は、純銀のことを白銀色と呼ぶにふさわしく、全金属箔中最も白味が強い箔であり、

その色味に完全にとって替われる物は無いと言える。

まず、銀箔の代用として古来より錫箔があるが、色味は白銀色ではなく黄色味が掛かった銀

色である注2。そして近年、本銀箔に似た銀色を持つ新しい金属箔として、アルミ箔、プラチナ

箔等があるが、アルミ箔は本銀箔に比べて金属味の強い冷たい印象を受ける。ルネッサンス期

の修復家であったクルト・ヴェールテ(Kurt Wehlte 1897-1973)も著書の中でアルミは銀の

輝きには達し得ないと述べている。また、金属箔中最高級品とされるプラチナ箔も、本銀箔と

比べると、何処と無くねずみ色がかかった銀色であり、本銀箔の白銀色とは異なる銀色を呈す

る物である。しかし、色味は銀箔の白銀色に及ばなくとも、これらの箔を銀箔の代わりに使用

せざるを得ない理由がある、それが以下に述べる銀箔の持つ変色するという性質だ。

銀箔の変色についての

記述は西洋、東洋問わず

多くの文献に見られる。

ここで整理しておきた

い。

まず、共通して述べら

れていることは、銀箔の

変色は、2、3ヶ月空気

中にさらすと淡い褐色を帯びて錆色を表し〔図-4〕、そして数十年(五六十年)で完全に黒変

し、暗黒色となる注3。

その原因は、自動車の排ガス、工場の重油の燃焼による硫黄酸化物等、硫黄を多く含む大都

会の大気による汚染が挙げられる。つまり銀箔変色の要因は、大気中の硫黄酸化物で、二酸化

硫黄SO2(亜硫酸ガス)や三酸化硫黄SO3であるとされる注4。

オゾンによる酸化も考えられるが、大気汚染としてオゾン濃度が高くなることは無いとされ

る為、直接的な原因とは考えがたい注5ということだ。

そして、この銀箔の変色する傾向を欠点とし、西洋では、銀箔使用に関する警告も記されて

いる注6。チェンニーノ・チェンニーニ(CeninoCennini 1360-1440)は、銀は出来るだけ用い

ないようにしなければならない。と提唱する。白銀色に耐久力の無い銀を作品に用いることは

避けるべきだということだ。

図4 銀箔の自然変色

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この銀の変色は一見汚染のようにも思われる。一点の曇りも無い白銀色が大気に曝されるこ

とにより変色、黒変していく様は、確かに汚れや、劣化を案じさせる。

しかし、自然界での銀のあり方を考えた場合、黒変した硫化銀の形態とは、実は銀本来の安

定した形である。そもそも銀は、自然銀として採掘されることは稀で、硫化銀等化合された形

で採掘されたものを灰吹き法等で精錬して生銀を得る。つまり、銀の変色や黒変は、精錬され

た銀Agから、自然界で安定な銀の形態である硫化銀AgSへの転移であるといえるのだ。

どうも、西洋と東洋では銀の変色に関しての、捉え方に違いがあると思い、西洋と東洋での銀

の変色に置ける価値観の違いについて検証したい。

西洋では東洋以上に富裕層、貴族階級を中心に銀食器が盛んに使われてきた。その理由とし

て銀の見た目の美しさや華やかさ以外に、食器に盛り付けられた料理に含まれる毒物の有無を

見定める為に使用されていたとするのは有名な話である。銀食器が硫黄化合物や砒素などの毒

物に反応して変色することにより、食品中の毒物を事前に検知出来たということ注7、また銀

には科学的な滅菌作用があるため、銀食器には食中毒等の防止効果があったことも銀食器が重

宝された理由として考えられる。

上記の理由から、西洋では銀食器、銀製品は常にピカピカに手入れされ、手入れされた銀食

器を用いての食事が貴族のステータスとされた。また一点の曇りもなく研きぬかれた銀の状態

を保つ為には、こまめな手入れが必要なことから、研き抜かれた銀製品は優秀な使用人を抱え

ている名家を象徴することにもなった。そして現在でも銀製品の手入れの状態は、家の質やホ

テルの質を定める基準にする風潮が欧米を中心にはある。

つまり、西洋人にとって銀、銀製品といえばピカピカに研き抜かれていて当然で、銀の色とい

えばあくまでも白金色と考えられていることがこの事例から解る。

しかし、ここから伺えることは西洋の銀の変色に関する価値観は、あくまで化学変化によっ

て黒ずむという銀の特性に見出した価値であって、黒銀色という色味に働く美意識のようなも

のではない。銀の黒銀色には、どちらかといえば毒物により表れる黒色としてのマイナスイメ

ージが多く抱かれていたと推察されるのだ。

では東洋、特に日本ではどうだろうか?日本ではこの銀黒色を「燻し銀」とも表現する。燻

し銀には「燻し銀の芸」と表現されるように地味な中に落ち着いた輝きのある実力や実質を備

える意味が含まれており。日本人にとって銀黒とは、研きぬかれた銀とはまた違った愛着のあ

る色味であったと考えられ、西洋にはない銀の銀黒色としての価値が認められていると考えて

いる。

谷崎潤一郎著『陰影礼賛』にはこのように記されている。

「ぜんたい我々はピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである。西洋人は食器など

銀箔の黒変による表現の研究

京都精華大学紀要 第三十六号 -155-

にも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いて、ピカピカ光るように研きたてるが、われわれはあ

あいう風に光るものを嫌う。われわれの方でも、湯沸しや、杯や、銚子等に銀製のものを用い

ることはあるけれども、ああいう風に研ぎたてない。却って表面の光が消えて、時代がつき、

黒く焼けて来るのを喜ぶのである。」

まさに白銀が銀黒になっていく変化を楽しむ東洋独特の文化がここからも見て取れる。はじ

めは白銀色の銀色を楽しみ、使用するうちに艶が消え鈍くなっていく銀色に新たな価値を見出

しさらに愛着を持った訳だ。

このように、新品の物以上に使う過程で味の出た物を尊ぶ文化、その風化を善とする幅が広

いことは、東洋および日本独特の文化だと私は考える。

そして、銀黒色に見出された新しい価値観も同じであり、中には新品の銀に最初から強制硫

化や鍍金により味わいのある銀色に変えてしまう銀古美仕上げという手法がある注8こと等、東

洋、日本人の銀黒色に寄せる愛着は西洋人以上のものがあったと考えるのだ。

第3章 焼箔技法について

銀箔を変色させて色付けした焼銀箔が市販されているのは、現在日本が唯一である。焼銀箔

の他に焼箔技法を用いて、銀平箔に着色装飾した物を西陣織の材料とする等、銀箔を変色させ

る技術は、今日でもこの国では用いられているのだ注9。そこで銀箔を焼いて着色する「焼箔技

法」の変遷について考察したい。

まず、積極的に銀の変色が日本で研究されたのは江戸時代であり、当時金への憧憬、贅沢思

考による金の需要増から、安価な金色の獲得方法として、亜鉛、銅、錫、銀を用いた合金の研

究、銀や錫に着色して代用の金色を作成する技術が試行、研究された注10。

そして、その延長線上に、銀箔の焼箔技術もあった。いわば、金を獲得する為の技術研究か

ら生まれた副産物的な技法だった訳である。これは、西洋でも金を獲得する為に、錬金術が研

究され、その副産物に今日の化学に繋がる技術が多く生まれたことに良く似ている。しかし、

日本では生み出された代用金箔は紛金箔、贋金箔注11と命名されるように、金色をしているが金

では無い物、つまりイミテーションの金箔としてはっきりと区別されていたことがその名称か

ら伺える。あくまで金そのものの生成を目指した錬金術とは研究の意識が異なり、色味として

の金色の研究であったことが推察される。

このようなことから、焼箔技法の研究は代用金箔として、あくまで金色の色味に価値を置い

た上での研究であったことが考えられる。そして、現在行われている研究も、焼箔によって得

られる中金色等、銀の変色における中間色を獲得する為の技法研究と、それを持続的に保護す

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る為のコーティング技術注12の研究が殆どである。

しかし、その変色防止技術には、やはり限界があるようだ注13。その為、現在金属箔に着色す

る方法は、銀箔の硫黄を用いて変色させる焼箔技法から、銀箔の上に樹脂顔料で着色すること

で変色防止のコーティングを同時に施す手法や、変色しないアルミニウム箔に樹脂着色する方

法が一般的な手法となりつつある。つまり、着色箔の製造における焼箔技法は、変色の問題と、

樹脂着色技術の発達から、ますます衰退していく可能性が考えられる。銀箔が変色するという

欠点を、箔の着色法として活かし、発展してきた歴史を持つ焼箔技法が、現代社会では変色の

問題が受け入れ難く、着色箔の技法として消滅しようとしているのだ。焼箔による着色箔の色

味は、変色の問題を含んではいるが、樹脂着色した着色箔よりどこか品があるように思われる。

一時的ではあるが、美しい色味を持つ着色箔としてまだまだ魅力があるように私は感じるのだ。

次に、この「焼箔技法」について、具体的な手法を説明し考察したい。

まず、硫黄を用いた銀箔の着色方法は、二つの方法に分類できる。

一つは硫黄粉と松脂の混合物を密室内にて加熱し発生した気化ガスにより、銀箔表面を変色

させ着色する薫燻方法、いわゆる「箔くすべ」という方法注14である。市販されている焼銀箔の製

造方法がこれにあたる。焼銀箔の製造工程では、銀箔一枚一枚を箔くすべ専用の和紙の間に挟

み、網棚にならべた状態で薫燻箱に収め、下部から燻すことで着色する。和紙に挟む理由は、

硫黄ガスを銀箔に直接当てないようにする作用もあるが、和紙という間接媒体を通しての硫化

を行うことで、銀箔表面の化学反応の時間を遅らせ、変色した色の見極めを容易にする為であ

る。この焼銀箔製法に用いられる「箔くすべ」方法の利点は、銀箔をムラ無く着色出来る点に

ある。研究制作で造形表現として行う場合、硫黄ガスが空気よりも比重が重いことを利用し、

画面の上で金属缶などに入れた硫黄粉を燃やせばよい。硫黄ガスが銀箔地を這い、容易に銀箔

を変色させることが出来る。しかし、この箔くすべ法は、膨大な硫黄ガスが発生する為室内で

は試行し難いことと、画面全体で銀箔の変色が起こる為、微妙な変色による調子付けを制御し

難い難点がある。

もう一つが「焼箔」という方法で、硫黄粉とアイロンを用いる方法だ注15。記述されている文

献は非常に少なく、記述されている方法のそのままの実験では上手くいかない場合が多いが、

文献の焼箔の項には、硫黄を染み込ませた紙、あるいは布を銀箔上に当てるとある。

硫黄を含ませた紙や布を直接、銀箔地に置き加熱することで硫化を促進させ銀箔を変色させる

方法である。しかし、この方法ではアイロンで加熱の際に液化した硫黄が箔上に溶け出し、銀

箔上に硫黄分が強く残留する事が多く見られた。銀箔上に残った硫黄分は、錆び止めの礬水等

のコーティング後も内側から銀箔を変色させ続けるため厄介である。そのため、「焼箔」を行

銀箔の黒変による表現の研究

京都精華大学紀要 第三十六号 -157-

う場合、出来ることならもう一枚新聞紙の様な薄紙で当て紙をして、硫黄と銀箔とが直接接し

ないような工夫を施すことが望まれる。硫黄の染み出す点を改善することが出来れば、扱いや

すく硫黄の使用も最小に止めることが出来、良法な表現技法になると考えている。硫黄の液化

による、硫黄流出の問題点の改善方法については、独自の方法としてすでに考案済みであり、

現在私が用いている箔焼法はこの方法の応用である。

次に、これら「箔くすべ」「焼箔」方法以外にも銀箔を変色させる簡易な方法がある。日本

画の技法書では、こちらの方法を銀箔の変色技法として取り上げられる場合が多い。

まず、箔押しした銀箔上に硫黄粉を直接蒔くという方法注16。加熱を行わないので変色には黒

銀色に変わるまで2、3日の時間が掛かる。そして若干、黒銀色は青みを帯びるようだ。この方

法は箔焼きの材料が、硫黄粉のみで行うことが出来る手軽さと、加熱しない為、硫黄ガスの悪

臭が発生しない良点がある。しかし、この方法は硫黄分が画面に大量に残留する為、銀箔や基

底材の劣化も早くなり、長期的に考えると好ましくない。硫黄粉を蒔いて変色後、掃除機や箒

で硫黄粉を除去した後、水で洗い流すことで対策としているが、硫黄分を完全に取り去ること

は、視覚的にも判断し難く困難である。また銀箔と硫黄が直接触れる黒変が起こるため微妙な

色の変化を付けることは出来ない。

銀箔に直接硫黄分を与える方法として六一〇ハップを塗る方法もある。硫黄粉を用いる方法

と同じく加熱しない為、変色には時間がかかる。乾燥後その上からアイロンで加熱して、銀箔

を黒変させる方法もあるが、この場合は硫化ガスの悪臭が発生する。変色させた後の硫黄分の

除去も液体を画面に塗っている為、硫黄粉よりも困難となる。六一〇ハップを塗る方法も硫黄

の形体は違うが硫黄粉を撒布するのと同様、画面上に強い硫黄分を残留させることになる。

この硫黄粉を撒布する方法、六一○ハップ等液体の硫黄を塗る方法が技法書などで多く取り

上げられる理由は、やはり「箔くすべ」「焼箔」の焼箔技法に伴う硫黄ガスの発生が原因であ

ろう。私が箔焼において良法と考える「箔くすべ」「焼箔」は、前述した通り、共に硫黄のガ

スを用いた銀箔の変色技法である。技法書では硫黄ガスが人体に及ぼす健康面を考慮して、こ

ちらを一般的手法として取り上げられていることが推察される。また、硫黄ガスを用いる方法

を使用する場合は、空気の換気等に注意する他、硫黄ガス用防毒マスク、換気扇等専用の設備

が、健康被害を避けるため必要不可欠となり大掛かりとなってしまう為、技法としての手軽さ

と安全性を考えた場合こちらの手法に歩がある為、普及していると考えられるのだ。しかし、

硫黄分を残留させてしまうこの二法は、後の銀箔の二次変色が起こり易いため造形表現として

私は好ましくないと考える。

-158-

第4章 既存の絵画に見られる銀箔の黒変表現

絵画に見られる、銀箔の黒変表現、陰画法について考察したい。

この造形技法は、簡単に説明すると銀箔地に変色する部分と変色させない部分を作り、銀箔

を変色させることによって銀箔地に黒銀色と白銀色のコントラストを付ける表現技法である。

木田寛栗はこの手法を陰画法と称し、大変面白みのある表現と記している注17。

この表現方法は、銀箔の変色する特徴と、礬水による銀箔の変色防止効果〔図-5〕を上手

く利用した手法であるが、銀

箔を焼く工程が前提として必

要となる為、作品制作におい

て使用されることは稀であ

る。その表現は、黒銀色の上

に残された白銀色が浮かびあ

がるような効果があり、方法

を伏せておけば一見黒銀地の

上に銀泥で盛り上げるかのよ

うに白銀色が施されたかのよ

うに思わすことが出来る。水

墨画で使用される白抜き表現

のように、残された銀地に強

い意味と、存在感を与える効

果がある為、黒銀色の上に銀

泥や胡粉を持って描くよりも

鮮烈な形象となるのだ。

しかし、この手法を効果的

に用いたとされる作品を、私

は過去の例として見たことが

無い。尾形光琳(1658-1716)

の紅白梅図屏風の流水紋の表

現に用いられたとする仮説

〔図-6〕を受けて日本画家の

銀箔の黒変による表現の研究

図5 礬水による変色防止効果の実験サンプル

図6 陰画法を用いた流水紋再現

図7 波紋再現

京都精華大学紀要 第三十六号 -159-

加山又造(1927-2004)先生が波紋模様の表現に使用された例〔図-7〕を知るぐらいである。

その理由として考えられるのが、礬水の変色防止効果の限界というものであった。木田寛栗

氏も礬水で錆止めを施しても、長期的な錆止めの効果は無いと述べている注18。この陰画法によ

り作成された銀形象も銀箔地同様に、礬水で描いた銀形象はいずれ周辺の黒銀地に同化し消滅

する形象なのだ。つまり、過去にこの手法で作成された絵画があったとしても今は失われてい

る可能性が高いことが考えられる。もちろん適切な焼箔が行われ、適切な保存がされていれば

長期間形象を保持することは可能だとも私は考えているが、長期に渡って検証するすべが無い

のでこの技法によりもたらされた銀の形象は、あくまでも一時的な物だと現段階では考えざる

をえない。

おわりに

私が銀箔の変色に着目した研究、研究制作をはじめてほぼ2年が経つ、初めは研究制作に応

用できるのかどうか、銀の変色の問題も含めて全くの未知数であったがどうにか表現技法とし

て、制作に使えるまでの形になってきたと考えている。

図8 銀箔の変色を用いた研究作例

-160-

焼箔技法は化学的な要因が多い為、温度管理、用量、用法など絵画表現以外のところで大変

苦労したが、一度正確に数値化してしまえば逆に今度は化学的な変化として反復して行うこと

は容易である。健康面でも正しい知識と経験があれば健康に被害が及ぶことも無いと考え、後

年の変色もしっかり画面をコーティングし、硫黄分の残留に気を付ければ、数年で画面の色が

極端に変わることも無いだろう。焼箔技法を表現手段の中心として位置づけたことで、箔の使

い方、顔料との組み合わせ等により、研究制作の課題に幅を持たせることが出来たと考えてい

る。今後も研究制作の実践を通し、模索から確実な形を求めていきたいと思う。

1 寺島良安『和漢三彩図会』8、1987(原1712)年、pp.179より

唐 贋金薄である。銀 [一両]・松脂[七銭]・硫黄[三銭]、以上を薫じて金色にする。薫陸

[少し許り]を加えれば青色を帯びる。この製法は深秘で、識っているものはいなかった。寛永年中

(一六二四~四四)、京師の人が大明の人に習い、以来多く作られるようになった。弄戯の器などにこ

れが用いられる。-硫黄に松脂、薫陸(琥珀の粉末)を加え燻す方法が記されている。

2 寺島良安『和漢三彩図会』8、1987(原1712)年、pp.179より

錫薄 近年、これを製するようになったが、一月もたたないうちに変色する。それで現今では用いな

い。鉛薄も同様である。ともに銀薄の贋物である。

3 木田寛栗『 画の栞』松聲社、1902年、pp46より

銀地或は銀泥は、二三ヶ月も空気中に暴露せば、漸次に淡褐色を帯びて銹び来る可し、更に多くの年

月を経れば次第に黒色をなし、五六十年を経たるものは全く暗黒色となる。

4 田邊三郎助、他『美術工芸品の保存と保管』1994年、pp.344より

硫黄酸化物は主として二酸化硫黄(SO2)(亜硫酸ガス)で三酸化硫黄(SO3)も含まれる。硫黄酸化

物は工場の重油の燃焼によるものが大部分である。

5 田邊三郎助、他『美術工芸品の保存と保管』1994年、pp.343より

オゾンは酸化力がきわめて強いので、多量に含まれた空気中では、有機物が酸化されて脆くなったり、

金属が錆びたりするが、大気汚染としてのオゾンはさほど濃度が高くなることはない。

6 チェンニーノ・チェンニーニ『藝術の書』1964年、pp.121-122より

何よりもまず、銀は出来るだけ用いないようにせねばならぬという事を記憶するがいい。何故ならば、

壁の上でも、木の上でも、それは耐久力がなく黒変するからである。壁の上では一そう早く色を失い、

打錫や、伸錫に先立って変色する。同様にまた半金も避けるがよい。これも黒くなる。

7 寺島良安『和漢三彩図会』8、1987(原1712)年、pp.180

(『本草綱目』からの引用部分)

銀箔の黒変による表現の研究

京都精華大学紀要 第三十六号 -161-

銀は黄連・甘草・慈石に弱く、錫と合わない。

荷葉・クサビラの灰は銀を粉にする。羊脂・紫蘇の子・油はよく銀を柔らかにする。近頃の人は銀器

で飲食するが、毒に遇うと黒色に変わる。だから毒にあたって死ぬ者があれば、銀物でどれが毒かを

探り試みるとよい。

8 塩田力蔵『東洋絵具考』1942年、pp.149

銀銹びの適度なるは、一種の雅味があるので、硫黄を薫じて、古色を附ける例もある。

9 京都金銀糸工業協同組合『京都金銀糸平箔史』1987年、pp.123

〝箔くすべ〟を専業とする店もあらわれ、現在でも一軒(吉田家)残っている。

10 京都金銀糸工業協同組合『京都金銀糸平箔史』1987年、pp.90

銀を硫黄でいぶして金色を出す、これがいわゆる紛金箔の出発点であり(この方法は今日〝中金箔〟

として続いている)、金に似せるための着法に先達の努力がかさねられてきたのであった。

11 京都金銀糸工業協同組合『京都金銀糸平箔史』1987年、pp.90

稀少性や奢侈禁令の制約のなかで、人々の夢を満たすためにさまざまな創意工夫が試みられるように

なった。その代表格が、紛金箔である。

12 京都金銀糸工業協同組合『京都金銀糸平箔史』1987年、pp.222

昭和52年ごろから、銀の変色によるトラブルが多発するようになり、西陣織物工業組合(以下西工)

を中心に箔ヤケ防止懇談会がもたれた

13 木田寛栗『_画の栞』松聲社 1902年、pp46

之を防ぐには基銀地の上に礬水を引くべし、これを銹押へといふ、されども銹押への礬水を引きたる

銀地も、長き歳月の中には矢張り次第に幾分か銹を帯来るを免れず、故に銀地に書きたる画は遥か後

世に傅ふること能はざるものとす

14 京都金銀糸工業協同組合『京都金銀糸平箔史』1987年、pp.107

<紛金糸(中金箔)>

銀平箔を、硫黄粉と松樹脂を混合して陶器皿に入れたものと共に密室内に置き、これを加熱すると気

化ガスの作用で銀表面に稀薄な硫化銀膜ができ金色になる。ガスの量が湿度・時間などによって茜色

や茱子紺色にすることもできる。これは今日でも行われている。

15 京都金銀糸工業協同組合『京都金銀糸平箔史』1987年、pp.258

<焼箔>

銀が硫化して変色する性質を利用したもの。

①本銀箔紙を台上に広げてのせ、硫黄をしみこませた紙あるいは布をあてる。

②上からアイロンで熱を加える。

硫黄を含ませる分量や熱のかけ方(アイロンの押さえ方)によって、金色・赤色・青色・黒色の四色

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を基本とした色が得られる。

16 木田寛栗『 画の栞』松聲社、1902年、pp47

基法は硫黄を薫して基蒸気を銀地に触れしめ、或は硫黄を煮沸して之を引き、或いは硫黄華(硫黄の

粉)を撒布する等の法あり

17 木田寛栗『 画の栞』松聲社、1902年、pp47

銀の容易に銹びる性質を利用して面白き陰画の画を得べし、即ち第八図は小き銀屏風にして、礬水を

以て秋草を書きたる上を硫黄にて薫せは、其秋草は依然として銀色にて現はれ、其他は銹びて黝黒色

となり、頗ぶる雅致ありて面白きものを得可し

18 木田寛栗『 画の栞』松聲社、1902年、pp46

之を防ぐには基銀地の上に礬水を引くべし、これを銹押へといふ、されども銹押への礬水を引きたる

銀地も、長き歳月の中には矢張り次第に幾分か銹を帯来るを免れず、故に銀地に書きたる画は遥か後

世に傅ふること能はざるものとす

参考文献

クルト・ヴェールテ(佐藤一郎監修+戸川英夫+真鍋千絵=共訳)

『絵画技術全書』美術出版社、1993年

R.J.ゲッテンス、G.L.スタウト『絵画材料事典』美術出版社、1973年

塩田力蔵『東洋絵具考』アトリエ社 1942年

寺島良安『和漢三彩図会』8、東洋文庫476、平凡社、1987(原1712)年

チェンニーノ・チェンニーニ『藝術の書』中央公論出版、1964年

『よみがえる日本画』東京藝術大学、2001年

田邊三郎助他『美術工芸品の保存と保管』フジテクノシステム、1994年

木田寛栗『 画の栞』松聲社、1902年

京都金銀糸工業協同組合編『京都金銀糸平箔史』1987年

銀箔の黒変による表現の研究