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国際石油価格の高騰とポピュリズムの邁進 ~ニカラグアの事例~ 平成18年11月30日 1 在ニカラグア日本国大使館 専門調査員 阿南宏扶 1 本稿は 2006 11 30 日までの情報を基に作成されたものである。

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国際石油価格の高騰とポピュリズムの邁進 ~ニカラグアの事例~

平成18年11月30日1

在ニカラグア日本国大使館

専門調査員 阿南宏扶

1本稿は 2006 年 11 月 30 日までの情報を基に作成されたものである。

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目次

1.本稿の目的 ............................................................................................................................ - 1 -

2.ニカラグアの政治構造概観 ................................................................................................... - 2 -

2.1 オルテガ崇拝の起源 ...................................................................................................... - 2 - 2.2 オルテガ・アレルギーの起源 ........................................................................................ - 3 - 2.3 期待に応えきれない右派 ............................................................................................... - 4 - 2.4 新勢力の台頭 ................................................................................................................. - 6 - 2.5 勢力構成......................................................................................................................... - 7 -

3.国際原油価格の高騰 .............................................................................................................. - 9 -

4.原油価格高騰のニカラグアへの影響 ................................................................................... - 12 -

5.IMFによる融資プログラム ................................................................................................. - 15 -

6.ベネズエラによる選挙支援 ................................................................................................. - 17 -

7.結論 ..................................................................................................................................... - 18 -

8.参考文献 .............................................................................................................................. - 20 -

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1.本稿の目的 2006 年 11 月 5 日に行われたニカラグアの大統領選挙は、左派・サンディニスタ民族解

放戦線(Frente Sandinista Liberación Nacional: FSLN)のダニエル・オルテガ候補が 38%の得票率で勝利し、16 年ぶりに大統領に返り咲くこととなった。1980 年代に反米政策をと

り、キューバのカストロ議長とベネズエラのチャベス大統領と並んで米国に毛嫌いされる

オルテガの復権の決定は、 近のラテンアメリカ全体の左傾化の潮流をより一層強める形

となった。 米国は国際場裡において常に反米的姿勢を貫くベネズエラ及びキューバの急進左派によ

って牽引されるラテンアメリカの左傾化を食い止めたかったはずである。まして、両者と

深い信頼関係にあるオルテガが大統領に復帰することは、ラテンアメリカの反米構造の更

なる強化を意味することから、米国は断固として阻止したかったことは容易に推察できる。

現に米国は、オルテガの復権を阻止するために、反対勢力に介入するなど、内政干渉とも

解釈できる手段を数多く執ったことは、ニカラグアの新聞を読んでいれば誰にでも一目瞭

然であった。結局、米国は米国型資本主義主導の自由市場経済への統合の魅力をニカラグ

ア国民へ充分に浸透させることができず、今回の選挙の結果に至った。 1980 年代のオルテガ政権時代の経済的混乱や人権侵害の記憶が未だに深く残るニカラグ

アにおいて、今回オルテガが再選できたのには、(1)対抗候補の分裂による共倒れ、(2)

対抗勢力の汚職によるイメージの低下、(3)1990 年の民主化以降 3 代続いた右派政権に

よる開発成果の不作等に起因すると一般的には評価されている。しかし、本稿では、2004年から急激に強まった国際原油価格の高騰傾向が、今回のオルテガの勝利の大きな要因で

あり、今後のラテンアメリカ全体の更なる左傾化の要因とも成り得ると議論する。そして、

現在の高水準で国際石油価格が推移する新しい世界経済情勢の中での更なる左傾化の阻止

策として、米国は(1)対中東政策の転換による国際石油市場の安定化、(2)代替エネル

ギー促進政策によるエネルギー不足の緩和、(3)IMFへの働きかけによる対途上国融資プ

ログラムの条件の柔軟化、(4)社会セクターへの国際援助政策による、国際経済の変動の

貧困層へのショックの緩和、の 4 つの政策をとることが可能であると主張する2。 ニカラグアでは貧困層が原油価格の高騰によって大きな影響を受けたが、ニカラグア政

府は、IMF の融資プログラムによる制約のため、社会セクターへの政府支出の緊縮が余儀

なくされ、貧困層を保護するための政策が充分にとれなかった。また、原油価格の高騰は、

ベネズエラに好景気をもたらし、反米姿勢を掲げるチャベス大統領による FSLN への選挙

活動支援を可能とし、オルテガの勝利を後押ししたとも推測できる。これらの結果、貧困

層の多くは、米国主導の下に秩序が成っている国際経済システムの荒波の中で、常に不安

定な貧困生活を送っていくよりも、米国とは距離を置き、自由市場経済からは取り残され

2本稿は決して左傾化を阻止することを目的とはしていない。あくまでも、現行の国際情勢

の中で、左傾化の潮流は如何にして弱められ得るのかのみを考察することを目的としてい

る。

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つつも、 低限の生活が保護されるポピュリズム的左派政治を選択したと筆者は本稿で主

張する。 本稿の構成は、まず、ニカラグアの政治構造に関する概観を次章でまとめ、続いて第 3

章で国際原油市場の現状、第4章において国際原油価格のニカラグア社会への影響を簡潔

に整理する。第 5 章と第 6 章においては、IMF とベネズエラそれぞれの対ニカラグア政策

と国際石油価格の高騰との関係を分析し、 終章の結論に結びつけることとしたい。 なお、本稿は議論の誘発を目的とした筆者個人の大胆かつ挑発的な見解を記したもので

あり、筆者が所属する組織の見解ではない。

2.ニカラグアの政治構造概観 2006 年のニカラグア大統領選挙は、米国に主導される自由市場主義及び資本主義経済に

今後も従っていくべきなのか、それとも新しい国際秩序を目指すキューバやベネズエラと

肩を並べ、貧困層に配慮した社会主義を選択するのかという 2 つのビジョンがせめぎ合う

中で、左派からはサンディニスタ民族解放戦線(Frente Sandinista Liberación Nacional: FSLN)のダニエル・オルテガ及びサンディニスタ刷新運動(Movimiento Renovador Sandinista:MRS)のエドムンド・ハルキンの 2 人、右派からは立憲自由党(Partido Liberal Constitucionalista: PLC)のホセ・リソ及びニカラグア自由同盟-保守党(Alianza Liberal Nicaragüense- Partido Conservador:ALN-PC)のエドゥアルド・モンテアレグレ、そし

てどちらとも言い切れないが、どちらかと言えば左派の部類に入る「変化のための第三の

道」(Alternativa por el Cambio:AC)のエデン・パストーラの合計 5 人の候補者が出馬し

て行われた。以下、その背景と構図を説明する。 2.1 オルテガ崇拝の起源

ニカラグアは、1821 年の独立以降、サンディニスタ革命が起きた 1979 年まで、ある特

定の家系が国家のあらゆる権力を握り国家を私有化する、いわゆる「寡頭政治国家」とし

て運営されていた。そのため、国内の権力、富、資源、特権が極一部の富裕層に集中し、

多くの国民はその富裕層に服従する貧困層を成すという社会構造が長い間定着していた。

20 世紀には、3 代に渡るソモサ一族による独裁政治が 42 年間、1937 年から 1979 年まで続

いた。ソモサ一族は国内の生産活動の殆どをその支配下に収め、その資本総額は 2,000 百

万ドルにも達していたと言われている。また、1 代目のソモサ政権時代だけでも、約 2 万人

以上の国民が処刑されたとも言われている。利己的目的を追求したソモサ政権時代、ニカ

ラグアは失業率 36%、文盲率 74%、幼児死亡率 20%、適正な家を持たない人口 73%、栄養

不良 60%、非就学児童 80%という状況にまで陥っていた3。また、国民は自由を奪われ、ソ

モサ政権を批判した何百人もの学生が投獄された。更に 1972 年、大地震により首都マナグ

3 エドワルド・デル・リウス(1988)『リウスのニカラグア問題入門』第三書館

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アが大破し、約 25 万人が住居を失うと共に、ほぼ全ての経済・商業ビルが崩壊し、国家経

済が大打撃を受けた際にも、ソモサ政権は復興のために寄せられた国際援助を利己的な目

的のために横領した。 1979 年、ソモサ独裁政権を倒し、この社会構造を打破したのがダニエル・オルテガの率

いる FSLN が中心となって導かれたサンディニスタ革命である。サンディニスタ革命は、

国民を従属から解放し、社会に平等をもたらすという基本理念を有した点において多くの

国民の支持を得た。そして、革命活動中に独裁政府に何年にも渡る投獄生活、虐待、暗殺

の危機を強いられながらも、勇敢に戦い続け、革命を達成した FSLN の指導者に対する多

くの国民、特に貧困層の敬意は宗教的な匂いさえ感じることもある。ソモサ一族による独

裁政権国家中の極めて惨めで苦しい貧困生活を知る多くの国民は、未だに独裁国家を打破

した FSLN を宗教的に支持している。そして、これらのオルテガ崇拝票は、ソモサ時代を

知る 1979 年以前生まれの 27 歳以上の年齢層が大多数を占めると考えられる。もちろん、

投票権を有する 16 歳以上 27 歳以下の若年層にもサンディニスタ支持者は多くいるはずで

あるが、その「信仰度」もしくは「崇拝度」は 27 歳以上の年齢層に比べて低いと筆者は推

察する。 2.2 オルテガ・アレルギーの起源

革命後、1990 年まで続いたFSLN政権は極めて左傾的な政策を執り、例えば富裕層の私

有資産の接収及び国有化、マスコミの検閲、先住民の強制移住を行った。これらの政策は

市場主義的思想を持つ国民の反発を呼び、内戦が勃発した。当時ソ連との冷戦の真 中に

あった米国は、アメリカ大陸における左傾化に敏感に反応し、反政府軍(コントラ)へ巨

額の武装支援を行った。対するFSLN政府は国家予算の約 50%をコントラ鎮圧のための軍事

費用に充てたため、政府の社会機能は大幅に低迷した。更に、多くの若者が内戦のために

徴兵され、暴力の犠牲となった。内戦は、死者 4 万人、孤児 4 万人、75 万人分の食糧不足、

避難民 100 万人、国家対外債務 1,600 百万ドル(1 人あたり 600 ドル)、産業の約 33%の破

壊、20 万家族の住居破壊という副産物を産んだ4。そして、内戦が終了した時点においては

ニカラグア人の 70%は医療サービスを受けることができず、子供の 20%が 4 歳になるまで

に死亡していた5。 又、米国はニカラグアに対し経済制裁も課したため、ニカラグアは 大輸出市場を失い、

経済はマイナス成長に転じた。FSLN政府の末期には、ニカラグアの経済はかなり衰退して

おり、一人当たりGDPは 423.5 ドル(1991 年)で、1940 年代の水準まで後退していた。

中央銀行には外貨準備が殆んど無く、インフレ率は 865.6%(1991 年)にも達していた。

対外債務は 10,000 百万ドルを超えており、この額は対外輸出総額の 33 年分に相当してい

4 同上 5 田中高編著(2004)『エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアを知るための 45 章』

明石書店

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た6。従って、現在に至っても 1980 年代のFSLN政権下の内戦、徴兵制度、非民主的政治、

人権侵害、物資不足、経済崩壊の悲惨は二度と経験したくないと願うニカラグア人も貧富

の差を問わずに多く存在する。これらのニカラグア人は、オルテガの復権を脅威と捉える、

オルテガ・アレルギー層と呼べるであろう。 一方で、同様の経験を味わいつつも、引き続き FSLN を崇拝する国民もいる。彼らは、

FSLN 時代の苦しみは米国の経済制裁とコントラ支援によってもたらされたと信じる反米

主義者であることが多く、キューバやベネズエラの急進的左派秩序に同調する傾向にある。

2.3 期待に応えきれない右派

1990 年、冷戦の終結により、コントラとの消耗戦を継続できなくなった FSLN は、国際

社会によるプレッシャーもあり、民主的な大統領選挙による権力移管の実施を受け入れた。

同選挙には1984年より大統領を務めていたダニエル・オルテガも参戦したが、僅差の結果、

右派の国民野党連合(Unión Nacional Opositora: UNO)のビオレタ・バリオス・デ・チ

ャモロが選出された。その後、1996 年及び 2001 年に行われた大統領選挙にも繰り返しダ

ニエル・オルテガは FSLN の大統領候補として出馬したが、それぞれ、中道右派連合・自

由同盟(Alianza Liberal: AL)のアルノルド・アレマン及び、アルノルド・アレマンを頭

領とする立憲自由党(Partido Liberal Constitucionalista: PLC)のエンリケ・ボラーニョ

スに敗北した。これら 3 回の選挙では、オルテガ崇拝者による固定票によってオルテガは

善戦したが、1980 年代の内政混乱期への回帰を怖れるオルテガ・アレルギー票と中道右派

期待票がオルテガ崇拝票に勝ったとの乱暴な説明が可能である。 しかし、これらの 3 期に渡る中道右派系の政権は、親米的な経済自由化、民主化政策を

執ってきたが、その間にニカラグアの貧富の差は拡がり、貧困問題を著しく改善すること

はできなかった。例えば、1995 年から 2003 年の 8 年間にニカラグアの 1 人当たりGDPは合計で 3.7%しか成長しておらず7、年間平均成長率は 0.5%を下回っており、これからイン

フレ率を差し引くと、経済状況はほとんど改善されることがなかったと断言できる。この 3期に渡る右派政権の不完全燃焼は、多くの貧困層による右派政権への期待を徐々に薄れさ

せ、逆に、より社会的保護に焦点を置くポピュリスト政策の魅力を甦らせたと言える。1980年代の内戦時代を知らない若者で、現状として貧困のどん底の状態にある者は、左派政権

が政策を誤っても、これ以上失うものもなく、右派でだめなら、左派に賭けてみようとい

う気になったとしても何も不思議でない状況にあった。また、16 年間も生活の改善が見ら

れない中で、同様の政策路線を継続的に支持しきれるほど辛抱強くない人が多くいるのも

事実であろう。 6 同上 7 Nicaragua. Banco Central de Nicaragua. “Nicaragua: principales indicadores macroeconómicos.” 29 Nov. 2006. <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/indicadores/principales/NIC_1.htm> の数値を基に

計算。

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過去 3 回の大統領選挙では、反オルテガ・反サンディニスタ勢力が比較的にまとまって

おり、中道右派は 1 つの同盟を築いていた。その大部分を占めていたのがPLCである。と

ころが、PLCは徐々に、アルノルド・アレマン元大統領を頭領とする頭領政党に進化し、

アレマンが絶対的な影響力を持つようになった。しかし、アレマンは大統領任期中に約 100百万ドルの国家資金を横領したとの疑いが掛かっている8(120 百万ドルとも言われている

9)。そのため、アレマンと同じPLCの出身で、アレマン政権時代に副大統領を務めたボラ

ーニョス大統領は、アレマンの次に自分が大統領に成るやいなや10、ある意味アレマンを裏

切る形で、アレマンを汚職の罪で逮捕した。その結果、ボラーニョス大統領は所属政党で

あるPLCの支持を失い、PLCは様々な方法でボラーニョス政権の権力遂行を妨害する行動

をとるようになった。そして、PLCはライバルであったFSLNとさえも、打倒ボラーニョス

政権という共通の目的の下に手を結び、公に談合政治(Pacto)と称される関係が築かれ、

2 大政党間の利害関係に重点を置いた政治取引が多く行われるようになったとの悪評が国

内で広まるに至った。例えば、PLCはアレマンの減刑のためにFSLNと多くの取引を行った

とされ、国益や公益よりも、アレマンとオルテガの利害関係の下に機能していると広く認

識されている。 ボラーニョス政権中、PLC と FSLN は国会の 91 議席中それぞれ 40 議席と 38 議席、合

計 78 議席を有していたことから、2 大政党が結託したことにより、憲法改定法案、大統領

罷免、及び一般法案の大統領拒否権を無効化できる構造が出来上がった。この大統領と国

会の決裂の結果として生じた国家の意思決定が滞るという事態は、国民の政治に対する不

信感を募らせた。また、PLC と FSLN は 高裁判所及び 高選挙委員会の判事の任命をも

談合で決定していることも公に周知されており、民主主義制度への驚異として認知される

ようになった。 これらの理由により、打倒FSLN政権の唯一の現実的な選択肢であったPLCへの国民の信

頼と期待は大きく揺らいだと言える。そして、今回の選挙にPLCの大統領候補として出馬

したホセ・リソは、ボラーニョス政権中に副大統領を務めていたが、ボラーニョスよりも

アレマンとの信頼関係の方が厚く、アレマンの手下というイメージが強く、これがPLCの

支持者離れの原因ともなった。他方、地方では、アレマン政権時代の 1998 年に約 2,000 人

の死者及び約 500,000 世帯に被害を与えた11ハリケーン・ミッチの災害からの復興のために

行ったPLC政府の支援の記憶が残っていることと、長期に渡って築き上げられたPLCの組

織基盤が根付いていることから、PLCの支持率は完全に崩れきるには至らなかった。

8 Anupama Narayanswamy. “OAS support eyed to protect Bolanos.” Washington Times 3 Sept. 2005. 9田中高編著(2004)『エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアを知るための 45 章』明

石書店 10 ニカラグアでは憲法により、大統領の連続任期再選は禁止されている。 11 “Hurricane Mitch’s Damage Reports.” USA Today 8 Jun. 1999.

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2.4 新勢力の台頭

PLC 内部では少数ではあるが、汚職と談合政治の印象が強くなったアレマンから去った

者もいる。その中心的存在が、ボラーニョス政権中に財務大臣及び大統領府官房長官を務

め、今回の選挙に先立ちニカラグア自由同盟-保守党(Alianza Liberal Nicaragüense- Partido Conservador:ALN-PC)を中心となって結成し、同党から立候補したエドゥアル

ド・モンテアレグレである。モンテアレグレは、談合政治によるオルテガとアレマンの影

響下にある PLC の代替候補として君臨し、FSLN と PLC に所属する政治家の利己的目的

のために行われる政治を強く批判し、政治家による談合政治を打破するための選択肢とし

て台頭した。 しかし、モンテアレグレは、ハーバード大学出身の金融業界のエリートであることから、

ボラーニョス大統領と同様に強い財界志向のイメージを有し、貧困層から信頼を得るにあ

たってのハンディとなった。特に、財務大臣在任中に相次いで国内の銀行が倒産した際に、

ニカラグア政府が国民の税金によってとった政策が、ある特定の金融業者に理不尽な利益

を与えたという対抗勢力の主張は、「モンテアレグレは国内で極めて少数派のエリート富裕

層の利権を代表する大統領候補である」というレッテルを貼った。又、ボラーニョス政権

中に多くの公約が達成されなかった点についても、元財務大臣としての批判の的となった。 今回の選挙にあたり、反FSLN勢力が分裂する一方、FSLN派も分裂が進んだ。オルテガ

が過去3回の大統領選挙に連続して出馬しながらも、毎回敗戦し、その都度得票率が下降

するにつれて、オルテガの再出馬を疑問視する傾向も徐々に強まった。FSLN革命時代の指

導者及びFSLN政権時代の閣僚のほとんども少数を残して、オルテガの思想、政策に同感で

きずに今回の選挙前には離党しており、サンディニスタ刷新運動(Movimiento Renovador Sandinista:MRS)に鞍替えしていた。FSLN内部においても、2004 年までマナグア市長を

務めたことから知名度及び人気が共に備わっていたヘルティ・レヴィテスがFSLNの大統領

候補としてのオルテガの定位置を脅かしたが、オルテガはFSLNの大統領候補の座を譲らず、

結局レヴィテスも離党してMRSの大統領候補として出馬するに至った。レヴィテスは 2006年 7 月に心臓発作のため急死したが、その時点の世論調査では支持率が、オルテガ候補の

23%に対して 15%と引けを取らない状況にあった12。 レヴィテス候補の他界後、MRS は副大統領候補であったエドムンド・ハルキンを大統領

候補に充てた。ハルキンはレヴィテス程の知名度は有していないが、レヴィテスの MRS 票

をある程度引き継いだ上に、本人は米州開発銀行(IDB)での勤務経験が長いことから経済

学に明るく、雄弁であることから MRS の人気を維持した。ハルキンは、オルテガの急進左

派的な政策によってニカラグアが国際社会から孤立してしまうのを怖れつつも、そのオル

テガと談合政治を結んでおり、汚職のイメージの強い PLC のリソにも、財界優先のイメー

ジが強いモンテアレグレにも肩入れしきれない市民の有力な選択肢となった。

12 “Rizo congelado en las encuestas.” La Prensa. 29 Jun. 2006. (Cid-Gallup社世論調

査結果)

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これらの候補の他に、国会議員 1 名を有する極小野党、「変化のための第三の道」

(Alternativa por el Cambio:AC)よりも、エデン・パストーラが出馬した。パストーラは

元 FSLN の司令官であり、革命時に国会の占拠を成し遂げたが、その後 FSLN の思想と対

立し、コントラの一部としても FSLN 政府と戦ったことで知られている。パストーラの支

持率は 1%程度であり、選挙全体の結果に大きな影響を及ぼすには至らなかった。 2.5 勢力構成

ニカラグアで初めて民主的な大統領選挙が行われた 1990 年から 2001 年までに実施され

た 3 回の大統領選挙では、左派及び右派勢力(リベラル派)が共にまとまっており、事実

上、FSLN のオルテガと、PLC(1990 年の選挙では PLC も一部を構成する Unión Nacional Opositora)からの候補の一騎打ちという形で行われてきた。そのため、有権者は比較的シ

ンプルな投票の意志決定が可能であった。 しかし、今回の選挙では、左派では過去 3 回の選挙に敗れ、多くの元 FSLN 幹部からも

見放されたオルテガの大統領候補としての正当性の疑問の高まりによって、より中道寄り

で柔軟かつプラクティカルな政策を掲げる代替候補が浮上したことによって票が割れた一

方、右派では、汚職のイメージに染められたアレマン元大統領を頭領とし、FSLN との談

合政治によって、PLC が有権者の信頼を失ったことから、右傾でありつつも、反アレマン・

反 PLC 勢力の候補が求められ、PLC 外から出馬したモンテアレグレが票を大きく割った。

その結果、今回の選挙はニカラグアの民主主義史上初めて、選択肢が右派か左派かの事実

上の 2 択肢から、4 択肢へと拡がり、投票に際し有権者は、以前の様に単純明快に一番勝た

せたい候補に投票するのではなく、絶対に当選を阻止させたい候補を勝たせないためには

誰に投票するべきかをも考えた上で投票しなくてはいけなくなった。 例えば、オルテガ・アレルギーを持つ有権者は、従来は単純に PLC 候補に投票すればよ

かったのであるが、今回の選挙では、モンテアレグレかリソかハルキンの中で、 もオル

テガより勝ると考えられる候補を選ぶことが、 も合理的な投票方法となった。いくら

もハルキンに大統領になって欲しくとも、世論調査においてオルテガの支持率が も高く、

ハルキンの支持率は到底オルテガに及ばない程低いようでは、ハルキンに投票しても自分

の票は死票となってしまうのが目に見えており、 もオルテガに勝利できる可能性のある

別の候補に投票するのが合理的である。 今回の選挙では、選挙前の 後の世論調査において、オルテガが 33.8%でリードし、続

いてモンテアレグレが 25.4%、リソが 17.1%、ハルキンが 14.8%、パストーラが 0.6%、不

明が 8.2%という結果が出ていた13。ニカラグアの選挙法では、大統領になるためには、40%以上の得票率、又は 35%以上 40%未満の得票率で 2 位との差が 5 ポイント以上という条件

を満たさなければ、得票数 1 位と 2 位の候補による決選投票が行われることとなっている。

そのため、不明と答えた 8.2%の有権者が投票しないと、オルテガの得票率が 36.8%となり

13 “Ventaja de Ortega.” La Prensa. 27 Oct. 2006. (M&R社世論調査結果)

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35%を上回り、また 27.6%の得票率で 2 位となるモンテアレグレとの差が 5 ポイント以上

となることから、大統領当選の 低条件を満たすことが容易に予測できた。リソ、ハルキ

ン、及びパストーラへ投票しても、票が死票となるのが見えており、この段階において、

合理的な有権者の選択肢はオルテガかモンテアレグレの 2 人に限定されていたはずである。 しかし、過去のニカラグアの選挙は事実上 2 人の候補による一騎打ち型式でしか行われ

たことがなく14、有権者が今回のような構成の下で選挙をした経験がなかったためか、 後

の世論調査の結果に基づいて投票先を変えた者は少なく、 終的な選挙結果は、オルテガ

が 37.99%、モンテアレグレが 28.33%、リソが 27.11%、ハルキンが 6.29%、パストーラが

0.29%であった15。この結果は、1)未決断であった 8.2%の票が 5 候補の得票率に加算さ

れた上、2)若干の有権者が合理的にオルテガ及びモンテアレグレに投票先を変えたのと、

3)世論調査では正確に反映されなかった地方農村部の票が、農村における組織力の強い

PLCのリソに集中し、逆に農村部において組織力の弱いモンテアレグレとハルキンの得票

率を下げたためであると筆者は推察する。 1990 年からの大統領選挙の投票結果の推移を辿ると、1990 年にはチャモロ票 54.74%に

対しオルテガ票 40.82%、アレマンとオルテガの他に得票率 5%以下の候補が 20 人も出馬

した 1996 年には、アレマン票 51.03%(右派系 16 党の合計 60.93%)に対しオルテガ票

37.75%(左派系 6 党の合計 39.07%)、2001 年にはボラーニョス票 56.3%に対しオルテガ票

42.3%という結果になっており16、常に右派票は 55%以上の得票率を維持しているのに対し、

左派票は 高でも 42.3%の得票率しか得ていない。 今回の選挙でも、モンテアレグレとリソの合計得票率は 55.44%に上り、オルテガとハル

キンを合わせた 44.28%を大きく上回っており、右派と左派の全体的な勢力構成に大きな変

化はなかった。従って、55.44%を占めた右派票がモンテアレグレとリソに真二つに割れた

一方、ハルキンが左派票をさほど割ることができなかったことが、37.99%という低い得票

率ながらもオルテガが勝利できたことは明快である。 しかし、筆者は本稿を通し、オルテガが今回の選挙で勝利したのは、オルテガが勝利に

必要な 低限の浮遊票を勝ち取ったためであり、もし国際原油価格が高騰していなければ、

又は高騰していても IMF がより柔軟に社会的弱者にさほど厳しくない政策を執っていたな

らば、浮遊票はそれ程オルテガに流れなかったはずであり、又、モンテアレグレの票はよ

り延びており、オルテガとモンテアレグレの票差は 5%以下となり、決選投票に持ち込まれ

た結果、モンテアレグレが勝利したはずであると主張する。 2006 年 6 月に実施された各候補の支持率に関する世論調査結果は、オルテガ 23%、モン

14 1996 年の大統領選挙には 22 人の候補が出馬したが、5%以上の支持率を有していたのは

アレマンとオルテガのみであった。 15 “Resultados Provisionales Elecciones Nacionales año 2006 CERTIFICACION, Consejo Supremo Electoral.” La Prensa. 15 Nov 2006. 16 “República de Nicaragua.” Base de Datos Políticos de las Américas. 9 Nov. 2006. <http://pdba.georgetown.edu/Elecdata/Nica/nica.html>

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テアレグレ 17%、レヴィテス 15%、リソ 11%、その他 3%、未定 32%であり17、左派が合

計 38%、右派が合計 28%、未定が 32%という状態にあった。この世論調査の結果を鵜呑み

にすれば、少なくとも、オルテガは選挙直前の約 5 ヶ月間で支持率を 15 ポイントも伸ばし

たことになる。このことにより、オルテガが本選挙で得た 37.99 ポイントの内、少なくと

も 15 ポイントは、オルテガ崇拝者による固定票ではなく、左傾政権と右傾政権との政策的

インプリケーションを天秤に掛けた結果オルテガに投じられた浮遊票であったことが分か

る。事実、5 年置きに選挙が行われるたびに、ソモサ独裁政権時代とFSLN革命を知らない

若い有権者層の全有権者数に占める割合が高くなるのであるから、熱狂的なオルテガ崇拝

票の全体票に占める割合は毎回減る傾向にあるはずであり、今回の選挙でオルテガが

37.99%の支持率を維持することができたのは、それだけ若年層の間にも左派思想が浸透し

ており、崇拝的理由ではなく政策的理由によって、右派政権の継続よりも左派政権による

変化を求める有権者が増えたためであると説明できる。 今回の選挙の選挙人台帳に記載された有権者 3,665,141 人の 30.19%(1,106,653 人)が

ソモサ独裁政権時代を知らぬ 25 歳以下であったため18、今回の選挙で有効票を投じたとさ

れる 2,449,902 人19の内、単純に 69.81%(1,710,277 人)が 26 歳以上であったと想定し、

それら 26 歳以上の有権者が前回の選挙と同様に投票をした(42.3%=723,447 人がダニエル

に投票)と仮定しても、25 歳以下の投票者数(2,449,902 人の 30.19%=739,625 人)の約

28%(207,415 人)がオルテガに投票しないと、今回の選挙においてオルテガが得た 930,862票には達さないことから、オルテガはソモサ独裁時代を知らぬ若い有権者層の間でも着実

に支持者を増やしたと言える20。

3.国際原油価格の高騰 国際原油価格は 2004 年頃から急激に高騰した。2003 年末に 1 バレルあたり 30.15 ドル

であった価格は 2004 年 10 月に 高 52.13 ドルをマークし、2005 年には 高 67.09 ドル、

平均 54.72 ドル、2006 年には 8 月に一時期 78.22 ドルまで高騰し、選挙が実施された 11月 5 日までの年間平均価格は 65.91 ドルという高い価格領域を推移した21。簡単には、3 年

間で原油の国際価格は平均で約 2 倍になったと言える。 17 “Rizo congelado en las encuestas.” La Prensa. 29 Jun. 2006. (Cid-Gallup社世論調

査結果) 18 米州機構によって選挙監視団に配布された参考資料。 19 “Resultados Provisionales Elecciones Nacionales año 2006 CERTIFICACION, Consejo Supremo Electoral.” La Prensa. 15 Nov 2006. 202001 年に既に選挙権を有していた 21 歳以上の有効票が 2001 年と同様に今回の選挙でも

42.3%オルテガに投票されたと仮定すると、20 歳未満の投票者数(336,372 人)の内、36,839人が新たにオルテガ派に加わったとの計算となる。 21 United States of America. Energy Information Administration. “Selected Crude Oil Spot Prices.” 24 Nov. 2006. <http://www.eia.doe.gov/emeu/international/crude1.html> のブレント価格の数値を基に

算出。

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この原油価格の上昇は、1)中国を始めとする国際石油需要の拡大、2)中東の政情不

安、そして3)製油施設の設備不足からなる3つの大きな要因によってもたらされている

と考えられる。また、これらの3つの要因によって上昇した原油市場に投機目的に投資家

が群がったために、原油価格の高騰傾向は一層過熱化し、また変動的になった。 まず、石油の需要は中国、インド、ブラジルで著しく拡大している。特に中国における

石油需要の急増は著しく、その総消費量は米国に次いで世界 2 位につけるに至っている。

2000 年から 2004 年の間、世界の石油需要は 1 日平均 76.69 百万バレルから 82.59 百万バ

レルにまで 5.9 百万バレル拡大(7.7%)したが、その内の 1.6 百万バレル(27%)が中国、

1.0 百万バレル(17.4%)が米国、0.3 百万バレル(5.5%)がインドによる成長であった22。こ

れは近年の世界の石油需要の増加の半分がこれら 3 カ国によってもたらされていることを

意味する。中国に関しては、2005 年の 1 日平均消費量が 6.9 百万バレルとなり、2004 年か

ら 1 年で 7%以上の増加を見せており23、その勢いは加速している。 この間、世界の石油供給も需要に見合う形で増加し続けた。しかし、増産余力は徐々に

減っており、例えば 2001 年から 2004 年の間のOPECによる供給余力は約 7 割も減少し24、

2002 年に 1 日平均 6 百万バレルあった世界の増産余力は 2003 年半ばには 2 百万バレルを

切り、2004 年と 2005 年には 1 百万バレル未満にまで減少した25。その結果、供給余力は

世界の総需要の 1%程となり、世界的に石油供給の安定性は極めて低くなったため、供給経

路上に、紛争、台風等によるリスクが生じただけでも石油価格は簡単に上昇するようにな

り、また、需要側において厳冬、好景気等が予測されただけで価格が上昇するようになっ

た。中国の経済が成長し続ける限り、石油の需要も比例的に増え続けることから、同様に

供給量が増加し、供給余力率が保たれない限り、国際石油価格は上昇し続けると考えられ

る。 このように、世界の石油需要が成長し続け、石油価格が供給国の政情等により敏感にな

る中、2003 年 3 月 19 日、米国はイラクとの戦闘を開始した。また、ブッシュ大統領はイ

ランをもイラクと北朝鮮と共に「悪の枢軸」と位置づけ、国際場裡においてイランに挑戦

的な姿勢をとるようになった。イラクとイランの原油供給能力はそれぞれ 2003 年時点にお

いて、1 日 4.2 百万及び 2.3 百万バレルとなっており26、全世界の石油供給能力の約 8%を

22 United States of America. Energy Information Administration. “World Petroleum Consumption 1980-2004.” 24 Nov. 2006. <http://www.eia.doe.gov/pub/international/iealf/table12.xls> の数値を基に算出。 23 United States of America. Energy Information Administration. “Top World Oil Consumers.” 24 Nov. 2006. <http://www.eia.doe.gov/emeu/cabs/topworldtables3_4.html> 24 経済産業省『通商白書 2005 年版』

<http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2005/2005honbun/index.html>(2006 年 11 月 24日アクセス> 25 “History and Analysis –Crude Oil Prices.” WTRG Economics. 24 Nov. 2006. <http://www.wtrg.com/prices.htm> 26 United States of America. Energy Information Administration. “Projections of Oil

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占めており、両国の政情不安は、直接的に世界の石油の安定的な供給に負の影響を及ぼす

と解釈され、国際石油価格の上昇に繋がった。現に、イラクの石油生産量は 2002 年には1

日平均 2.0 百万バレルあったのが、米国による攻撃が開始された 2003 年の生産量は 1 日平

均 1.3 バレルにまで 35%も減少し27、先に述べた世界の供給余力減少の大きな要因ともな

った。さらに、ペルシャ湾における石油供給能力は 1 日平均 23.7 百万バレル28であり、全

世界の供給能力の約 29%を占めていることから、ペルシャ湾の海路の安全保障の観点から

も、同地域における紛争は石油価格の上昇に繋がったと言える。 石油価格が上昇したもう一つの大きな要因として、石油精製施設の世界的な整備不足が

挙げられる。2000 年から 2004 年に掛けて世界の石油需要は 1 日平均 76.69 百万バレルか

ら 82.59 百万バレルにまで 5.9 百万バレル(7.7%)拡大したが、その間の世界の石油精製能

力の増加率は 1%弱であった29。需要の伸びが際だつ中国及び米国に至っても 2000 年から

2004 年の間の精製能力の伸び率は、それぞれ 4.2%及び 2.3%であり、それぞれの同時期の

需要増加率(33%及び 5.2%)を大きく下回っている30。その結果、精製余力は継続的に減

少し、 近、例えば米国では製油施設の稼働率が 9 割以上となっている31。従って、原油の

生産を増加しただけでは、石油供給量が、一途に成長し続ける石油の需要に追いつかない

との懸念が生じ、価格の高騰に拍車を掛けたと言える。 これらの事情をごく簡潔に纏めると、中国、インド及び米国の石油需要が伸びる中、供

給源の大部を占めるペルシャ湾周辺国の政情が悪化し供給の安定性が下がり、更に精油設

備への投資が追いつかなかったことから、世界的に石油の価格が高騰したと言える。 他先進国が省エネ化・代替エネルギー開発を進め、米国を除く G7 の 2001 年から 2004

年の間の石油消費量は実質 0%の増加率であった中、米国は 5.2%の需要増加率を記録した

ところ、米国は先進工業国の中では相対的に省エネ化・代替エネルギー開発が遅れており、

石油価格の上昇に大きく貢献したと言える。また、イラク及びイランの政情の悪化も米国

による介入が主な要因となっている。もし、米国がイラクに対する武力行使に踏み切って

いなければ、現在の中東の情勢は全く異なっていた筈である。イランに関しても、米国が

Production Capacity and Oil Production in Three Cases.” 24 Nov. 2006. <http://www.eia.doe.gov/oiaf/ieo/pdf/ieooil.pdf> 27 United States of America. Energy Information Administration. “World Crude Oil Production, 1980-2004.” 24 Nov. 2006. <http://www.eia.doe.gov/pub/internatonal/iealf/table22.xls> 28 United States of America. Energy Information Administration. “Projections of Oil Production Capacity and Oil Production in Three Cases.” 24 Nov. 2006. <http://www.eia.doe.gov/oiaf/ieo/pdf/ieooil.pdf> 29 United States of America. Energy Information Administration. “World Crude Oil Distillation Capacity Estimates.” 24 Nov. 2006. <http://www.eia.doe.gov/pub/international/iealf/table36.xls>の数値を基に算出。 30 同上。 31 経済産業省資源エネルギー庁(2006)『エネルギー白書 2006』 <http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2006EnergyHTML/index.html>(2006 年

11 月 24 日アクセス)

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挑発的な姿勢を執っていなければ、「西側の有害な影響と闘う」と表明したアフマディーネ

ジャードが 2005 年 8 月に大統領に就任することも、彼が過激な「イスラエルいらない」発

言等をし、より中東の情勢を不安にすることもなかったかもしれない。精油施設開発に関

しても、全世界の石油消費量の 25%を占める米国の精油余力の減少が国際原油価格に影響

を与えるのは予測できたことであり、米国は前もって対処することができていたはずであ

る。要するに、米国政府による政策は世界の原油市場に大きな影響を与え、世界の石油需

要大国である米国がそれなりの政策を執っていれば、国際原油価格の高騰はある程度抑え

られたはずである。 4.原油価格高騰のニカラグアへの影響 石油需要の 100%を輸入に頼るニカラグアは 2005 年、540.91 百万ドル相当の原油及び石

油製品を輸入した32。この額は国際原油価格が急激に上昇する以前の 2003 年の 404.31 百

万ドルに比べて 34%上昇しており、この結果、2005 年のニカラグアの総輸入額及び貿易赤

字に占める石油製品輸入額の割合はそれぞれ 20.8%及び 31.1%となった。この額はニカラ

グアの同年のGDPの約 11%に匹敵する。ニカラグアでは 2003 年から 2005 年の間に総輸入

額が 38%増え、貿易赤字は 56%増えたが、この総輸入額増加の 19%、及び貿易赤字増加の

22%が石油製品輸入額の増加によるものであった。2006 年に関しては、9 月末までに既に

504.45 百万ドル相当の石油製品が輸入されており、総輸入額及び貿易赤字に占める石油製

品輸入額の割合はそれぞれ 23.44%及び 41.29%と更に増加している33。 国内では、原油価格の高騰によって燃料費、交通運賃、農業投入物の価格上昇に牽引さ

れる形で全体的に物価が上昇した。まず投入側への影響を見ると、2003 年に 1 ガロン平均

33.3 コルドバで販売されていたガソリン価格は 2004 年に平均 39.9 コルドバ、2005 年に平

均 49.5 コルドバ、そして 2006 年 1 月から 9 月までの平均は 61.0 コルドバへと推移し、2年間で約 53%も上昇した34。農業投入物の価格は 2002 年と 2003 年にはそれぞれ 4.3%及び

1.5%のペースで増加していたのに対し、2004 年には 24.3%と急激に上昇し、2005 年は 2.9%と一度は落ち着いたものの、2006 年には原油価格の再高騰に連動して 8 月末までに再び

14.5%という高い水準で上昇している35。特に、基礎穀物の生産費用の上昇は著しく、2003

32 Nicaragua. Banco Central de Nicaragua. “Importaciones CIF de petróleo y derivados.” 24 Nov. 2006. <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/exterior/11.pdf> 33 Nicaragua. Banco Central de Nicaragua. “Balance comercial de mercancías.” 24 Nov. 2006. <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/exterior/2003/default.shtm>, <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/exterior/2004/default.shtm>, <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/exterior/2005/default.shtm>, <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/exterior/2006/default.shtm>. 34 Nicaragua. Banco Central de Nicaragua. “Precios promedio de los principales derivados del petróo.” 29 Nov. 2006. <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/indicadores/2-14.htm> 35 Nicaragua. Banco Central de Nicaragua. “Índice de precios al productor agropecuario.” 24 Nov. 2006. <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/indicadores/2-1.htm>

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年 12 月から 2006 年 8 月までに 73.5%も増加している36。また、ニカラグアは電力の約 75%が火力によって発電されており、電力価格は直接的に石油価格に連動しているところ、電

力価格も 2003 年から 2006 年の 8 月迄の間に 1 キロワット当たりの平均末端価格が約 1.6倍にも上昇した37。

しかし、この末端価格の上昇は充分ではなく、そのために電力供給業者が電力を購入で

きず、2006 年には計画停電が毎日のように実施されるようになった。ニカラグアでは国際

金融機関の圧力の下、2000 年に電力供給セクターが民営化され、スペインのフェノサ社

(Unión Fenosa)が電力の末端販売業者となった。フェノサ社は発電業者及び配電公社

(Empresa Nacional de Transmisión Eléctrica, S.A.: ENTRESA)から電力を購入し、国

内の約 90%の電力を 終消費者に販売しているが、電力の末端価格はニカラグア・エネル

ギー機関(Instituto Nicaragüense de Energía: INE)によって監督されている。そのため、

石油価格の高騰によって発電費用が上昇し、フェノサ社は電力の購入によって高額の費用

を支払わなくてはいけなくなったのであるが、費用に見合った価格でその電力を販売する

ことができず、2006 年 9 月までの間に約 21 百万ドルの赤字経営を強いられるまでに至っ

た38。フェノサ社は発電業者に需要に見合った電力の購入額を支払うことができなくなり、

2006 年の 4 月頃から計画停電の実施頻度を増やし、7 月末からはほぼ毎日、一日 6 時間か

ら 15 時間の計画停電が全国で実施されるようになった。9 月、ボラーニョス政府がフェノ

サ社に対して 9 百万ドルの補助金を与えようと試みた際には、既にフェノサ社は国民の信

頼を失っており、多くの国民はフェノサ社の撤退をデモ等によって大きく訴えたところ、

国会はフェノサ社への補助金法案を否決する一方、小規模電力消費者へ対する電力消費税

を 15%から 7%へ下げる法案を可決した。しかし、この国会の対応は国内の電力供給問題の

解決に繋がるはずがなく、本稿の作成時点においてもニカラグアでは継続的に計画停電が

実施されている。ニカラグア国民の多くは、電気代は上がり続ける一方で毎日数時間に亘

る停電生活を強いられ、大きな不満を感じている。そして、中には、これは市場経済主義

を取り入れたことに起因すると解釈する者も出た。 更に、ニカラグアでは水道水の供給に電力ポンプが利用されているため、連動的に停電

によって断水が生じ、国民は毎日長時間、電気と水という2つのライフ・ラインを断たれ

ることとなった。水道価格は、2003 年から 2006 年の 8 月迄の間に 7%しか上昇していない

が、経営は非常に非持続的であり、このままでは水道公社も破綻してしまうため、水道料

の値上げの必要性も頻繁に議論されている。

36 同上 37 Nicaragua. Banco Central de Nicaragua. “Precios promedio de la energía eléctrica.” http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/indicadores/2-15.htm38 “Nicaragua- Parlamento reforma ley para evitar apagones: rechaza crédito a Fenosa.” El Economista. 24 November 2006. <http://www.eleconomista.es/economia/noticias/76688/11/06/NICARAGUA-Parlamento-reforma>

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消費側における石油価格の高騰の影響は、上述の要因等による国内の物価上昇という一

言に尽きる。2001 年、2002 年、2003 年の国内のインフレ率はそれぞれ 4.8%、3.9%、6.5%であったのに対し、2004年はインフレ率が9.3%にまで上り、2005年にも9.6%を記録した。

2006 年は 10 月までに 6.8%上昇している。特に食糧価格と交通費に係るインフレ率が著し

く、それぞれ 2003 年末から 2006 年 10 月までに 31.43%及び 45.51%も増加している39。

首都マナグアで 1 世帯が 低限の生活に必要な 53 品目の購入に掛かる一月当たりのベーシ

ック・バスケット価格は、2003 年に平均 2,208.9 コルドバであったが、2006 年 10 月には

2,999.00 コルドバ(約 166 ドル)まで 35.77%も上昇した。ニカラグアの一世帯当りの平均

構成人数は 6 人と言われているところ、一人当たりの 低必需消費額は月当たり 500 コル

ドバ(約 28 ドル)となる。16%程であったこの間のニカラグア通貨(コルドバ)の為替下

落率を差し引いても、物価は 20%も上昇していることになる。ニカラグアの経済成長率は

2004 年に 5.1%、2005 年に 4.05%であったが、人口増加率を差し引くと、一人当たりGDPの成長率はそれぞれ 2.4%及び 1.3%でしかなかったことから、物価の 20%の上昇は平均的

な国民、特に貧困層の生活の質を下げているといえる。しかも、国民の 77.8%が 1 日 2 ド

ル以下、42.6%が 1 日 1 ドル以下で生活しているニカラグアでは40、この物価上昇率と経済

成長率の差の拡がりは、大多数の国民の 低限の生活を脅かしていると言える。 そのため、2005 年 4 月に石油価格の高騰の影響を受け、マナグア市内の路線バス運賃が

2.5 コルドバから 3.0 コルドバに値上がりされることとなった際には、学生を中心とする低

所得層が暴力を伴う猛反対をし、又バス組合とも闘争する騒ぎが起こった。しかし、バス

組合側も赤字運行を続けるわけにもいかず、ストライキに突入し、マナグア市民の交通手

段が大きく制限される事態が起きた。このストライキ騒ぎに、タクシー業者及び運搬業者

も燃料に掛かる税金の削減を求めるために便乗し、国内の交通状態が大きく悪化した。 また、物価上昇に収入の伸び追いつかないために、他の労働者も頻繁にストライキを起

こした。2005 年には、全国に約 35,000 人存在する教員の内約 25,000 人が 3 週間のストを

決行し、約 7 万人の生徒に影響が及んだ。更に、2006 年には、司法府で勤務する職員、歳

入局職員及び国立病院の医者がそれぞれ給与の増額を求めてストライキを行った。 要約すると、石油価格の高騰は、ニカラグア国内の物価を上昇させることにより国民の

多くの購買力を下げ、もともと貧困により脆弱な状態にあった国民大半の生活水準及び人

間の安全保障を脅かしただけでなく、電力、水道、交通、教育、医療、司法サービスの中

断を引き起こし、全国民に不便、不満をもたらした。 FSLN 政権後、16 年間に渡る右派政権によって執られてきた自由経済政策の有効性が国

民に疑われる 中、まさに石油価格高騰による国民への影響は、自由市場経済によっても

たらされる生活保障へのリスクと社会主義型政策の魅力を国民に再認識させる形となった

39 Nicaragua. Banco Central de Nicaragua. “Índice de precios al consumidor nacional por capítulos.” 24 Nov. 2006. <http://www.bcn.gob.ni/estadisticas/indicadores12-3.htm> 40 Vargas, Oscar-René (2004). “25 Años Después (1979-2004).” (2001 年数値)

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と言えよう。 5.IMF による融資プログラム 前章で述べた石油価格の高騰によるニカラグア国民に対する影響を緩和するため、ニカ

ラグア政府は補助金の交付、公務員給与の増額、税金の削減等を国民に求められたが、ニ

カラグア政府は 2003 年より IMF による貧困削減・成長ファシリティ(Poverty Reduction and Growth Facility: PRGF)の貸付を受けており、その貸付条件(コンディショナリティ)

による制約のために、国民の希望に沿った対策を自由に執ることができなかった。 2006年初頭、ニカラグアは IMFのPRGFによる60.9百万ドルの融資が計画されており、

その条件として、財政政策、金融政策、及び構造改革政策に関する目標を課された。また、

IMF 以外にも世銀、イギリス、オランダ、ドイツ、スイス、ノルウェー、スウェーデン及

びフィンランドも同年、ニカラグア政府に対して総額 162.6 百万ドルに上る財政支援を予

定しており、これらの援助もニカラグア政府による IMF の PRGF の融資条件の履行がオ

ン・トラックであることが原則条件となっているところ、ニカラグア政府は合計 223.5 百

万ドルの資金源の確保のためには IMF の条件を守らざるを得ないという状況に立たされた。 2006 年、IMFによってニカラグア政府が掛けられた主な目標は、1)対GDP比 低 17.6%

の税収、2)財政赤字を対GDP比 5.1%以下に削減、3)公共セクターの赤字を対GDP比2.2%以下に抑える、4)免税枠の拡張禁止、5)貧困削減支出を対GDP比 13.4%に確保、

及び6)公務員給与総額を固定(名目コルドバ額で 高 9%まで増加)することであった41。

2004 年及び 2005 年の条件も数値が若干違うものの、対照項目は概ね同様であった。 これらの条件は、前章で説明した国家公務員による賃上げ要求ストライキ、バス運賃値

上げ問題、電力問題、そして低所得者層を保護するための税金削減問題の解決を長引かせ、

IMF に従順なボラーニョス体制に対する国民の不満と不信を拡大させる大きな要因となっ

た。 まず、2004 年、ガソリン等の燃料費の購入価格の上昇を抑え、インフレの緩和を図るた

めに、ニカラグア商工会議所(Cámara de Comercio de Nicaragua)及びニカラグア農牧

業者組合(Unión Nacional de Agricultores y Ganaderos)は国会に対して、燃料費に対す

る消費税を下げるよう要求した際には、当時のモンティエル財務大臣が、IMF の定めた基

準を満たす税収の確保が必要との理由により、同提案に反対した。 2005 年の教員による賃上げストの際には、政府による 114 百万コルドバの追加支出によ

り、それまで給料の一部として公債で支払われていた 706 コルドバが現金で支払われるこ

とで決着し42、教員の平均 低賃金は約 1,950 コルドバ(約 119 ドル)に増額されることと

なったが、その額は先に述べた約 166 ドルのベーシック・バスケット価格に達していない43。

41 Avendaño, Nestor (2006). “Los Compromisos del Gobierno de Nicaragua con el FMI en 2006.” 42 “Finaliza huelga de maestros.” La Prensa. 19 Feb. 2005. 43 “Tras tres semanas de huelga, el gobierno no negocia con maestros.” Adital. 15 Feb

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又、一方でニカラグアの人口増加率は 1.92%(2005 年44)となっており、教室及び教員の

需要が増加しているが、IMFの予算制限によって、政府は教員を増員できないでいる。こ

のため、2006 年には約 5 万人の児童の登校が阻まれており、学校へのアクセスが悪い等の

理由から通学できない児童 20万人及びその他の理由で登校できない児童の数と合わせると、

ニカラグア全国教員協会(Asociación Nacional de Educadores de Nicaragua: ANDEN)

のセパダ事務局長の計算では、2006 年には約 107 万人の子供の登校が阻害されたとされて

いる45。 バス運賃の値上げ問題の際には、学生を中心とする低所得層が暴力を伴う猛反対をした

ため、バス運賃を値上げすることができなくなり、マナグア市役所は赤字運行をするバス

業者に対する中央政府による補助金を要請した。しかし、ここにおいてもニカラグア政府

はIMFのコンディショナリティにより財政赤字をこれ以上膨らませることはできないとし、

バス運賃の値上げを求めたため、事態はなかなか解決されず、マナグア市民は約 3 週間に

渡ってバスのない生活を強いられた。結局、政府は渋々一時的な補助金の支払いを約束す

ることにより、問題の解決を先延ばしにされて凌がれたが、補助金の支払いは頻繁に滞り、

そのたびにバス業者によるストライキが起きた。2006 年度の国家予算は予め 180 百万コル

ドバがバス業者への補助金として計上されたが、バス業者組合は合計 240 百万コルドバの

補助金、もしくは差額 60 百万コルドバを賄うための運賃値上げを要求し46、2 月 6 日から

14 日にかけて、再びストライキを実行した。この際は、2 月 14 日、ガソリン供給業者の利

益に 3%の税金を課すことによって補助金を賄う政策が提案され、ストライキは終結した。 医者のストライキは 2005 年の 11 月から給料 30%の増加を求めて開始されたが、ニカラ

グア政府は、2006 年度の国家予算案は IMF 及び世銀との融資条件に基づいて作成されてお

り、これ以上財政赤字額を増大することはできないとの理由により、他セクターの公務員

の給与を削らない限り、医者の給料増加はないという姿勢を堅持した結果、医者が 終的

に妥協することによって決着がつくまでには、約 6 ヶ月を要した。ストライキ中、医者は

IMF や世銀の事務所前でもデモを行い、ストライキの影響による患者への被害の責任を

IMF の経済政策に掛けるようなことも行った。 電力問題に関しては、国会が可決した小規模電力消費者へ対する電力消費税を 15%から

7%へ下げる法案は、IMF の PRGF の税収目標の達成に障害を及ぼすとの理由によってボラ

ーニョス大統領は拒否権を行使しかけて波紋を呼んだ。同法案は 終的には適応されたよ

うだが、供給側の問題が解決されない理由も、IMF のコンディショナリティによるためで

あると信じている人はかなり多い。 また、IMF は財政政策だけではなく、金融政策に関する条件をもニカラグア政府に課し

2005. 44 United States of America. CIA. The World Factbook. 21 Feb. 2006. <http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/nu.html> 45 “Un millón fuera de aulas .” La Prensa. 31 Jan. 2006. 46 Avendaño, Nestor. Personal interview. 13 Feb. 2005.

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ており、その 1 つに過去にニカラグアで銀行が倒産した際に生じた不良債権の処理のため

に政府が発行した公債の支払いが含まれている。この債務額は約 500 百万ドルにも上り、

モンテアレグレとの繋がりの強い銀行もこの債権を年利 20%という破格な条件で購入した

とされている。又、銀行が倒産した理由も、富裕層及び政治家による身内への計画的な不

良貸付が原因とされている。このことは、国家予算が限られている中、ニカラグア政府は

貧困層が切実に必要と考えている社会セクターへの支出を切り詰め、銀行家達(富裕層)

に多額の利子を支払っていると一般に解釈されるようになった。これでは、石油価格高騰

により生活が苦しくなった多くの国民が、社会的サービスの確保よりも一部の富裕層に恩

恵する国内銀行への債務返済に優先順位を置く IMF の政策、及びその政策を遵守すること

によって恩恵を得るモンテアレグレに敵対心を抱くようになったとしても理解できない話

ではない。 6.ベネズエラによる選挙支援 ニカラグア国民が石油価格の高騰による経済的及び社会的な影響に不快と不満を感じ、

自由市場経済に対する疑問を抱く中、ポピュリズム政治を基盤とする急進的左派のチャベ

ス大統領の率いるベネズエラ経済は石油景気によって絶好調であった。チャベス大統領は

反米姿勢を貫いているところ、同様に左派で反米姿勢をとり、反米世界秩序構造の同盟と

もなりうるオルテガを支援する動機があったことは否定しようがなく、また支援するため

の経済的能力があったことは明瞭である。 2005 年 11 月、ベネズエラで開催された第 1 回イベロアメリカ組合大会において、ベネ

ズエラ国家とニカラグアを含む中米の組合の間で、「命のための肥料」(Fertilizantes para la vida)と題する尿素供与イニシアティブが合意され、2006 年 4 月 28 日、ベネズエラは尿

素 10,000 トンをニカラグアのFSLN系の農業組合に供与した。この尿素は、FSLN系組合

によって一般市場価格より 15%から 30%安い価格で生産者に販売され、農生産者に裨益を

与えるとされているが、その他に、売上高がFSLNの選挙活動費に充てられたとの噂もある。

その真相は不明であるが、少なくとも恩恵を受けた多くの農業生産者はFSLNとベネズエラ

の影響に対して悪い印象は受けなかったはずである。また、同イニシアティブは中米にお

ける米州ボリーバル代替統合構想(Alternativa Bolivariana para las Américas: ALBA)の

到来として位置づけられ、多国籍資本主導の自由市場経済圏構想に替わる中南米人の利害

を代表する経済構造構築の象徴となった。これは、現状に不満足な農生産者に、左派的思

想による新たな希望を与えるためには効果的な宣伝方法であった。この枠組みにより、再

度 9 月にも 8,095 トンの尿素がベネズエラよりFSLN系組合に供与された47。 更に、ニカラグアにおける石油価格の影響を緩和するために、FSLNは直接的にチャベス

大統領と接触し、2006 年 4 月 25 日、ベネズエラの国有石油会社とニカラグア国内のFSLN

47 “!Éxito Programa de Urea Solidaria!” ALBA Latinomaerica. 29 Nov. 2006. <http://www.albalatinoamericana.org/modules/smartsection/item.php?itemid=9>

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派市長 53 人を含む市協会(Asociación de Municipalidades: AMUNIC)との間で石油取引

が合意された。この合意はオルテガの右腕的存在で現在マナグア市長のディオニシオ・マ

レンコによって交渉され、署名式にはオルテガも同席した。このために、ニカラグアでは

国内にニカラグア・アルバ・ペトロール(Alba Petroleos de Nicaragua: ALBANIC)とい

う石油輸入及び普及組織が構築され、ベネズエラから年間 10 百万バレルの石油が輸入され

ることとなった。支払い方法は、ALBANICがベネズエラに対し、90 日以内に石油価格の

60%を支払った後、残りの 40%は利率 1%で 25 年間(猶予期間 2 年)で支払われることと

なっている48。ALBANICによって輸入される石油は、主にバス及びタクシー業者に販売さ

れることとなっており、国内の交通費用の上昇を抑えるための解決策として国民に期待さ

れた。 この合意により、大統領選挙を約 1 ヶ月後に控えた 10 月 7 日、ベネズエラより 84,000ガロンのディーゼルがニカラグアに到着した49。84,000 ガロンは比較的に少量であったこ

とから、国内の交通業者に平等に普及されることができず、AMUNICはこのディーゼルを

国内の電力問題解決のために、発電所に販売しようとしたが、ニカラグア政府はこのオフ

ァーを断ったため、ある意味「解決策を提案するFSLN」と「解決策を拒否する右派」とい

う印象も少なからず与えられた。結局、このディーゼルは地方都市の交通業者に売られ、

国内の交通運賃上昇問題の解決に 直接貢献することはできなかったが、この売り上げの内、

ベネズエラへの支払い(60%)を除いた額はFSLNの選挙運動資金として使われたのではと

の憶測もある。 いずれにせよ、オルテガの今回の選挙キャンペーンの盛大さは他の候補のそれから突出

していた。マナグア市内では、フセイン時代のイラクのような独裁国家の至る所で見られ

る大統領の巨大肖像画を髣髴されるかのように、オルテガの大看板が町中に溢れていた。

また、オルテガは地方遊説にもチャベス大統領にプレゼントされたとの説が非常に強いヘ

リコプターに乗って出向いていた。ニカラグアでは法律により、選挙キャンペーンに他国

の援助を受けることは禁止されているところ、その真相は明らかではないが、FSLN は地

方の組合組織等を上手く利用して合法的にベネズエラから多額の援助を受けていた可能性

があることは排除できない。 7.結論 もともと経済力が低く、国民の約 8 割が 1 日平均所得 2 ドル以下という極めて脆弱な状

態にあるニカラグアのような国では、国際原油価格の高騰による社会・国民への影響は大

きい。これはニカラグアに限らず、石油資源を輸入に頼る多くの発展途上国に当てはまる

ことであろう。多くの貧困者が社会保護を求める中、IMF はニカラグア政府に財政緊縮、

48 “Nicaragua Network Hotlines for May 3, 2006.” Nicanet. 24 Nov. 2006. <http://www.nicanet.org/hotline.php?id=213> 49 “Paran Diesel en el Rama” El Nuevo Diario. 8 October 2006.

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税収拡大、債務返済優先という経済政策を義務づけた。その結果、ニカラグア政府は国際

原油価格による社会への影響を緩和することが困難となり、自由市場経済的思想を持つ

IMF の政策とそれに追随する右派政治に対する国民の疑問は増し、同時に社会的弱者の保

護に重きを置く左派勢力の魅力が際立たされと言える。そして、その結果が今回のオルテ

ガの勝利であったと言えよう。 この傾向を見る限り、石油価格が高い水準で推移し続け、IMF が自由経済志向の融資条

件を脆弱な途上国に課し続ける限り、必然的に途上国の人口の大半を占める貧困層は苦し

み続け、社会保護を求めるがあまりに左傾化するのは避けられないと考えられる。現に、

ラテンアメリカではこの 1 年間に、ボリビア、チリ、ペルー、ブラジル、エクアドル及び

ニカラグアにおいて左派が大統領選挙に勝利し、左傾化が進んでいる。この動向は、IMFに従順な右派政権を拒絶する貧困層の切実な思いが反映された結果であり、ある意味、民

主主義の賜であるとも言える。 このことから、今後の左傾化を抑える手段として、1)安定したエネルギー供給源の確

保及び省エネ・代替エネルギーの推進、並びに2)より貧困層に優しい市場経済の応用が

挙げられるであろう。今回のニカラグアの選挙においては、明らかに、「自由市場経済を応

用すると(例えば石油価格の高騰のような)気まぐれな国際経済情勢に国内経済が曝され

てしまい、IMF の言う通りに緊縮政策をとっていると国民は苦しむ一方である」という途

上国の現実が左傾化を強めたことが実証されたように見える。 今後、もし米国が世界の更なる左傾化を食い止めたいのであれば、世界のエネルギー需

要の 4 分の 1 を占め、世界のエネルギー市場において大きな影響力を持っているにも拘わ

らず疎かにされていたエネルギー政策を見直し、また IMF にも大きな発言力があるはずな

のであるから、IMF による強固な構造改革政策をより柔軟にすることが賢明であろう。 裏を返せば、例えば中国がこのまま石油消費量を拡大し続ければ、もしくはベネズエラ

を含む石油産出国が石油価格を高水準で保てれば、米国及び IMF が政策を改めない限り、

世界は左傾化し続け、米国主導の国際秩序は大きく揺るがされることとなるかもしれない。 また、自由市場経済は、一般的にその発展過程において一時的ではあるものの貧富の格

差を拡げ、貧困問題を悪化させる傾向にあるところ、米国は途上国の貧困層による理解と

辛抱を得るためには、単に自由貿易協定を押し通すのではなく、それらの政策によっても

たらされる貧困層への副作用を軽減するための援助や政策を行うことも必要であろう。

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8.参考文献 <邦文文献> エドワルド・デル・リウス(1988)『リウスのニカラグア問題入門』第三書館 経済産業省『通商白書 2005 年版』

<http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2005/2005honbun/index.html>(2006年 11 月 24 日アクセス>

経済産業省資源エネルギー庁(2006)『エネルギー白書 2006』

<http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2006EnergyHTML/index.html >(2006 年 11 月 24 日アクセス)

田中高編著(2004)『エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアを知るための 45 章』明

石書店 <欧文文献> Anupama Narayanswamy. “OAS support eyed to protect Bolanos.” Washington

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