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21 福山市立大学 教育学部研究紀要 2016, vol.4, pp.21-32 doi: http://doi.org/10.15096/fcu_education.04.03 音楽科教師と音楽家における音楽指導観の比較研究 古山 典子 (1) ・瀧川 淳 (2) A comparative study on a view of music teaching in elementary school teachers and musicians KOYAMA Noriko (1) and TAKIKAWA Jun (2) The aim of this paper is to compare elementary school teachers’and musicians’view of teaching music. Is there any difference between teaching music in school and as professional education? We believe that school teachers build the value of music in unique ways which hold their teaching. Here, we’ll try to clarify the view of teaching music possessed by school teachers and musicians by interviewing them and through the method of case study. The first part is the consideration of the interviews. We interviewed 4 interviewees. Two are school teachers and, others are concert pianists who also teach piano in university. The second part is case studies of grade six music class and university piano lesson. From these considerations, we clarify that elementary school teachers take music as a means to nurture the sociality and learn cooperativeness. And observation of professional education will give indication to music education in school. Keywords : a View of Music Teaching, Music Education, Elementary School Teachers, Musicians, Interview and Case Study Ⅰ 問題の所在 音楽科教育では,小学校・中学校・高等学校を通し て,「豊かな情操を養う」ことを目標としている。こ こでの「情操」とは,主に美的情操を指す。「小学校 学習指導要領解説音楽編」では,「美的情操とは,例 えば音楽を聴いてこれを美しいと感じ,更に美しさを 求めようとする柔らかな感性によって育てられる豊か な心のこと」とされている 1) 音楽のもつ「美しさ」とは何か。言い換えると,音 楽の美的価値はどのように理解されているのか。この 問いは,音楽を教える者たちそれぞれの音楽観や音楽 指導観の根底にあって,日々の指導を支えているはず である。では,学校教育と専門教育における指導者と しての立場の違いは,音楽の「美しさ」の捉え方に差 異をもたらすのであろうか。 「美」について佐々木健一(1995)は,「ある物あ る事態の完全性もしくは価値が,端的な形で直感的も しくは直観的に,快や感嘆の念をもって把握された場 合の,その完全性をいう」と定義する 2) 。また同時に, 「端的な完全性」について,「そのものの概念」に限定 されず,そのものがなにものかを知らなくても見事さ を認識できる,という 3) 。ここでやはり問題となるの は,「見事さ」を判断する基準はどこにあるのか,と いうことである。 (1) 福山市立大学教育学部児童教育学科 (2) 上野学園大学音楽学部音楽学科

音楽科教師と音楽家における音楽指導観の比較 ... - Hiroshima ...harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/fcu/file/12065/20160316113550/...22 23 福山市立大学 教育学部研究紀要

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古山 典子・瀧川 淳

音楽科教師と音楽家における音楽指導観の比較研究

古山 典子(1)・瀧川 淳(2)

A comparative study on a view of music teaching in elementary

school teachers and musicians

KOYAMA Noriko(1) and TAKIKAWA Jun(2)

 The aim of this paper is to compare elementary school teachers’ and musicians’ view of teaching music. Is there

any difference between teaching music in school and as professional education? We believe that school teachers build

the value of music in unique ways which hold their teaching.

Here, we’ll try to clarify the view of teaching music possessed by school teachers and musicians by interviewing them

and through the method of case study.

The first part is the consideration of the interviews. We interviewed 4 interviewees. Two are school teachers and,

others are concert pianists who also teach piano in university. The second part is case studies of grade six music class

and university piano lesson.

From these considerations, we clarify that elementary school teachers take music as a means to nurture the sociality

and learn cooperativeness. And observation of professional education will give indication to music education in school. Keywords : a View of Music Teaching, Music Education, Elementary School Teachers, Musicians, Interview and Case Study

Ⅰ 問題の所在

 音楽科教育では,小学校・中学校・高等学校を通し

て,「豊かな情操を養う」ことを目標としている。こ

こでの「情操」とは,主に美的情操を指す。「小学校

学習指導要領解説音楽編」では,「美的情操とは,例

えば音楽を聴いてこれを美しいと感じ,更に美しさを

求めようとする柔らかな感性によって育てられる豊か

な心のこと」とされている1)。

 音楽のもつ「美しさ」とは何か。言い換えると,音

楽の美的価値はどのように理解されているのか。この

問いは,音楽を教える者たちそれぞれの音楽観や音楽

指導観の根底にあって,日々の指導を支えているはず

である。では,学校教育と専門教育における指導者と

しての立場の違いは,音楽の「美しさ」の捉え方に差

異をもたらすのであろうか。

 「美」について佐々木健一(1995)は,「ある物あ

る事態の完全性もしくは価値が,端的な形で直感的も

しくは直観的に,快や感嘆の念をもって把握された場

合の,その完全性をいう」と定義する2)。また同時に,

「端的な完全性」について,「そのものの概念」に限定

されず,そのものがなにものかを知らなくても見事さ

を認識できる,という3)。ここでやはり問題となるの

は,「見事さ」を判断する基準はどこにあるのか,と

いうことである。

(1)福山市立大学教育学部児童教育学科(2)上野学園大学音楽学部音楽学科

Page 2: 音楽科教師と音楽家における音楽指導観の比較 ... - Hiroshima ...harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/fcu/file/12065/20160316113550/...22 23 福山市立大学 教育学部研究紀要

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古山 典子・瀧川 淳

 今道友信は「一般的に芸術は,主観的客観性により

優劣の差が知られるもの」と述べている4)。つまりそ

れは,その時代や地域に生きる者が共有する「ものさ

し」によって判断されるものの,正確な数値では示す

ことのできないものであることを意味する。この「共

有するものさし」は,統一,秩序,均斉といった言

葉に表される何ものかであるといえるのかもしれない5)。

一方,「美の判定能力」を,美学ではさまざまな概念

を含む「趣味taste」として,「美的体験のなかで与え

られた感覚的印象を反省的に賞味しつつ,対象の微妙

な差異を見分ける能力」を表すものとして捉えられて

きた6)。

 このような美学における知見から,音楽教師にお

ける「美の判断基準」は,「共有するものさし」が存

在する可能性を否定できないものの,彼らの背景にあ

る美的経験,そして置かれた音楽指導を巡る環境の違

いによって差異が生じていることが予想されるのであ

る。

 音楽科教育は他教科と同様に,教科教育として育成

した子どもの学力や態度の顕示が求められている。そ

のため,音楽科教育で育むべき美的価値観といった目

に見えるものとして現れにくい内容よりも,可視化

できる教育内容への偏重が見られるのではないだろう

か。 

 また教師は,「教室」という独特の文化的文脈の中

で,所定のプログラムを遂行しなければならない責務

と,「教師」としてどうあるべきかという思念,また,

教師としての経験から構築された「音楽科教育として

の価値」に関する信念によって,その音楽指導観を形

成しているものと推察できる。つまり,音楽科教育に

おいて,「美しさとは何か」という問いが,「音楽科教

育として何を良しとするか」という問いにすり替わっ

ているといえるのではないだろうか。

 教師がもつ音楽指導観は評価と直結しているが,音

楽科における実践的な評価研究は,到達目標の内容や

評価のためのルーブリック作成に重きが置かれてい

る。この目標の策定と評価を繰り返しながら,教師と

しての価値観は築き上げられる。そしてそれが「教師

の力量」として肯定されることで,独自の価値観の構

築は加速していく。これを背景として,教師は学校教

育特有の価値体系を自らの内に築いていると考えられ

る。

 一方,専門教育に目を向けてみると,音楽家として

成功するためには,優れた音楽性やそれを表現する高

い技術が求められている。それを追求する過程で,自

ら演奏者であり指導者でもある音楽家は,音楽をいか

に捉え,学習者に何を学ばせようとしているのか。

 学校教育と専門教育ではさまざまな条件が異なるこ

とは自明である。しかし,これからの音楽科の在り方

を問う時,純粋に音楽を追求する視点は重要な手がか

りとなるのではないだろうか。

 本研究はこれらの課題意識をもとに,学校教育に携

わる教師と専門教育にかかわっている音楽家の音楽

観,及び音楽指導観にどのような差異があるのかを,

具体的に明らかにすることを目的とする。

Ⅱ 研究の方法

 本稿は,音楽科教育において児童の音楽経験や表

現を評価する際に働く小学校教師の価値観と,自ら

が音楽家として活動しつつ,音楽家を養成する立場で

もある専門教育の指導者の価値観について,比較検討

を行うことを目的とするものである。そこで,小学校

教師と音楽家たちへのインタビュー調査と指導場面の

フィールドワークを行うこととした。

 なお,インタビューは,2014年にゆるやかに構造化

された質問によって行った。

Ⅲ インタビュー調査

1 小学校教師へのインタビュー調査の概要

1)被験者について

 被験者は2名である。(以後,A氏,B氏,とする。)

本稿での被験者が勤務する地域では,公立小学校にお

いて音楽専科制度は採られておらず,音楽専科を配置

するかどうかは各学校の采配に任されている。した

がって,音楽を専門としない教師が音楽授業を担当す

ることもある。ただし実際には,音楽を得意とする教

師が音楽専科となっていたり,講師の音楽専科教師を

配置したりする学校も多く見受けられる。専科教師が

配置されている場合も,基本的に低学年は担任が音楽

授業を担当し,その後は音楽専科が音楽指導を行うこ

とが多い。本稿で取り上げる教師のうち,担任のA氏

は,低学年の担任で音楽授業を現在担当しており,B

氏は音楽専科教師として高学年の音楽指導を担当して

いる。

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古山 典子・瀧川 淳

 A氏は教員養成系大学を卒業して公立小学校の教師

となっている。インタビュー当時は教師歴4年目で1年

生の担任を務めており,音楽実技や音楽教育を専門と

していない全科担当の教師である。ピアノを小学1年

生から中学2年生まで習い,大学入学後から卒業まで

の間に,再度ピアノレッスンを受けている。中学・高

校生時には運動部に所属しており,この時期は,学校

外での専門的な音楽経験は行っていないという。

 一方,B氏は公立小学校の常勤の音楽専科講師とし

て8年の経験があり,それ以前の4年間は非常勤の音楽

講師を務めていた。フルートを専攻し,音楽大学を卒

業している。フルートのほか,小学2年生から中学卒

業時まではピアノの個人レッスンを受けており,高校

は音楽を専門に志す生徒のためのコースに進んだ経歴

をもつ。中学1年生からフルート演奏を行い,現在も

個人レッスンを月に2回,受け続けている。

2)インタビューの内容

 小学校教師に対しては,彼らの音楽指導観がいかな

るものか,それはどのように形成されたのか,また音

楽科教育が果たすべき役割をどのように捉えているの

かを明らかにするため,主に以下の内容がわかるよう

インタビューを進めた7)。

 ・音楽歴及び指導歴

 ・音楽科教育において何を教えるべきか

 ・指導観はどのように形成されたか

 ・音楽科教育と専門教育の差異について

 ・音楽科の教科内容について

 ・音楽科は小学校教育に必要か

2 音楽家へのインタビュー調査の概要

1)被験者について

 音楽家の被験者も,小学校教師同様2名である。(以

後,C氏,D氏,とする。)

 両氏ともに,東京藝術大学を卒業し,首都圏の大学

で教えているピアニストである。C氏は教員養成系大

学の教授,またD氏は音楽大学の准教授として後進の

育成に当たっている。

 C氏は,大学での教育歴が30年弱あり,大学では主

にピアノ実技を指導している。またソリストとして,

さらには伴奏者,室内楽奏者としても活躍している。

 一方,D氏は,音楽大学で10数年の指導歴をもち,

加えて音楽高校や自ら主宰する音楽教室でピアノを指

導している。またピアニストとしても定期的に演奏会

を開催している。

2)インタビューの内容

 音楽家へのインタビューについては,現在の地位に

至るまでの音楽学習歴や指導歴を確認するとともに,

音楽観や指導歴が明らかになるような質問項目を設定

した。さらに音楽家としての立場から学校教育におけ

る音楽科の必要性についても尋ねた。インタビュワー

としては,以下の設問を念頭に置きながら,話の流れ

に応じてインタビュイーたちが自由に語る形でインタ

ビューを進めた。

 ・音楽科に必要な資質能力について

 ・レッスンを進めていく上で大切にしている理念

 ・その理念と達成するために教えるべきこと

 ・音楽学習歴・指導歴

 ・指導観がどのように形成されたか

 ・理想とする指導方法

 ・専門家になるために目指すべき理念と,音楽科

で目指すべき理念について

 ・音楽科に求めること

3 小学校教師の音楽観・指導観―インタビューから

1)小学校教師が音楽授業で大切にしていること

 小学校教師は異口同音に,音楽授業で大切にしてい

ることとして,音楽を通して何かに挑戦する姿勢を身

に付けさせること,一つのことをやり遂げる達成感を

味わわせることを挙げ,重視していた。

 たとえばA氏は,次のように語っている。

昨年最後にみんなで歌おうとなった時に,「輪に

なって歌おう」とある子どもが言い,全員で輪に

なって手をつないで歌った。この時には,みんな

が一つになっている気がして,ぐっと来た。ほか

の教科ではできないこと。一つのことをつくり上

げる喜び。手をつないで歌う,ということは実際

には歌いにくいはずだが,子どもがみんなの顔が

見えるように,と自分たちの判断でそうしたこと

に感動した。

 つまり教師は,より良い歌唱表現というよりもむし

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ろ,子どもたちが他者と手を取り,顔を見合わせ,一

体感をもって表現しようする姿に感動しているのであ

る。

 またA氏は,「音楽を好きになる,ということを大

切にしている」と語る。「無理強い」をして音楽を嫌

いにさせるよりも音楽を好きになること,楽しいこと

が第一である,という。

 ここでいう「無理強い」とは,技術面での訓練を指

している。これは,「鍵盤ハーモニカやリコーダーで

基本的な技術を身に付けてほしいが,嫌いになったら

伸びる力も伸びないので,楽しく好きになることが一

番」との発言からも察することができる。

 音楽作品をいかに解釈し,表現し,人に伝えるか,

を追求する専門教育とは異なり,音楽科では子どもた

ち自身の「楽しさ」を優先させる現状が垣間見える。

その「楽しさ」は,音楽の追求によって得られる楽し

さではなく,負荷をかけ過ぎずに歌う,演奏するといっ

た,音楽表現を「行うこと」による楽しみに主眼を置

いているものであることがうかがえる。

 この音楽科の現状の背景には,音楽に関する専門性

のなさに対する教師の負い目が存在する可能性があ

る。別の担任教師からは,「ある程度になると,その先,

何を指導したらよいかわからない」,「自分は音楽がわ

からないから」,「自分自身に音楽の専門的な知識がな

い」との言葉も聞かれた。つまり,音楽の質を追求し

ていくだけの専門性が自分にないのではないか,と考

えていることが背景にあると推察できるのである。

2)小学校教師が考える音楽科の必要性

 インタビューを行ったA氏,B氏ともに,音楽科は

学校教育に必要だ,と答えている。その理由として,

「普段なかなか触れられない,さまざまな音楽を知る

場であること」,「表現の幅が広がること」,「1つのも

のを皆でつくり上げる喜びが感じられるものであるこ

と」が挙げられていた。

 またある教師は,他教科で発言できない子どもが,

声を発して歌う姿に音楽科教育の価値を見出してお

り,音楽を介した「自己表現」や「自己解放」が他教

科ではできない,とも述べている。

3)音楽科の教育内容について

 音楽専科教師であるB氏は,「音楽科に何を求める

か」ということに関連して,「クラシックって楽しく

ない」と発言している。ここから,音楽科で取り上げ

られるクラシック音楽について,子どもが「楽しさ」

を味わいにくいものと捉えていることがわかる。やは

り,授業で求めるのは,短時間で得られる「楽しさ」

であり,クラシック音楽のもつ芸術性を指導すること

と音楽を楽しむことは別物である,という意識が表れ

ていると考えられる。つまり,音楽専科教師であって

も,「小学校教師」としての視点で音楽科教育を捉え

ていることがうかがえる。

 では,なぜ小学校教師は音楽の質の追求を第一義と

しないのだろうか。知識や技術がなければ音楽を楽し

むことができないし,質を追求することによって得ら

れる喜びがあることも教師は当然認識していよう。し

かし,ある時点で音楽の質の追求から,他者と声や音

を合わせる,といった側面に重点が移されている可能

性がある,ということではないだろうか。

 音楽を追求することで得られる喜びに至る前に,授

業時間数の問題があること,基本的にクラス単位の集

団指導であるということ,そして教師自身の音楽指導

に対する自信のもてなさを背景として,表面的な内

容に向かわざるを得ない苦しさも感じ取ることができ

る。これは,教員養成における大きな課題でもある。

4 音楽家の音楽観・指導観―インタビューから

1)音楽家に必要な資質能力について

 まず本稿で対象とするインタビュイーは,2人とも

ピアニストであることから,以下の意見は演奏家であ

るピアニスト,という音楽家の考える資質能力である

ことを断っておく。

 C氏 は, ド イ ツ・ ロ マ ン 派 の 作 曲 家Schumann,

Robert(1810〜1856)の言葉を借りて,音楽家の使

命は「作品にある光を受け止めて,人に伝えること」

と述べている。光を感じることは勉強を重ねた音楽愛

好家にもでき得るが,その光を感じて,それを体現し,

人に伝える事はより特別な能力で,これが演奏家の使

命だと述べている。そして一生涯の内にそう何度もで

きることではないが,素晴らしく芸術的な演奏は,聴

いている人の人生を変えることもできるのではない

か,と言う。

 D氏は,音の違いが聴き分けられることが演奏家の

資質能力としてまず大切だと述べる。極端に言えば,

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ピアノは10本の指で同時に10の音を出すことができ

るが,大切なのは,各音のバランスである。同じ複数

の音が鳴っていてもバランスによって音色(響き)が

異なるため,バランスの違いが分かり,その時々に望

まれる音色を出せるようにならなければならない。

 2名の言葉から,演奏家として必要な資質能力とし

て,まず聴くこと,そして聴いたことを伝わるよう表

現することが重要であることがわかる。

 聴くことの次元は,楽譜を通して作曲家の声を「聴

く」ことから,現象として鳴り響いた音を「聴く」レ

ベルまで,幅広い。またそれを表現する技術も,単に

音を鳴らすという意味ではなく,自分自身が内的に聴

いた音や作曲家が思い浮かべた音を響かせるために必

要な技術である。

 

2)音楽家の指導観について

 2名ともに,演奏家として必要な資質能力の捉え方

や演奏家としての音楽観が,そのまま指導観に繋がっ

ている。

 C氏が指導で大切にしている理念は,「作品の意義

を受け止めること」であり,学生がそれを達成するた

めに次の3点を指導の方針として掲げている。

  ①メカニックでないテクニックの習得

  ②愛情・愛着を感じること

  ③知識

 「メカニックでないテクニック」とは,単に超絶技

巧を披露するための技術ではなく,音楽表現の実現を

目指した技術であること,また愛情とは,「音楽作品

のもつハーモニー」8)を感じ取る感受性であり,また

すべてを聴く力だとC氏は指摘する。

 そしてこの3つが統合されて演奏として表現される

ことが理想とし,そのように指導できるよう研究を続

けていると語る。

 D氏は,先に述べた資質能力の「音の違いを聴き分

けること」を指導の理念としている。その獲得のため

にまず大切なことは,ピアノを演奏するための自然な

姿勢だと強調する。

 正しい姿勢を獲得することで,正しいテクニックの

習得ができ,それによって音質も向上する。正しい姿

勢とテクニックが習得できれば,自分の集中力とエネ

ルギーをすべて「音」に集中させることができ,音を

聴くことができるようになる,と述べている。

 専門教育を行う大学は,初等教育と比べて,学生た

ちがすでに基礎的なテクニックを身に付けて入学して

いる。したがって,専門教育で要求されるテクニック

は,演奏するためのものではなく,「芸術」を表現す

るために必要なものだと言えよう。このインタビュー

において,音楽家は音楽を表現する者として,作品を

演奏するためのテクニックとは何であるか,聴くこと

の重要性,さらには演奏に付随する様々な知識につい

て語っている。そして,こういったものがすべて統合

され,バランスを保って機能することで,音楽の表現

が現出する,という彼らの指摘は,学校教育における

音楽授業で目指す表現にも,大きな示唆を与えてくれ

るのではないだろうか。

3)学校教育に音楽科は必要か

 まずC氏の勤める教員養成系大学では,学生のほと

んどが教師を目指している。C氏はその学生たちを,

音楽家を育てるのとの同じように指導していると主張

する。

 この主張の背景には,「教師も楽曲に対する色々な

引き出しをもっているべきであり,それはクラシック

音楽を学ぶことで知ることができる」という考えがあ

る。またD氏も音楽家を育てることと,音楽科教師を

育てることに隔たりはないのではないか,と述べる。

 2名とも現場の現状はよく知らない,と断りながら

も共通して指摘していることは,「聴くこと」の重要

性である。C氏は,音が氾濫している現代にこそ,良

い音を聴くことのできる教育が望ましく,それができ

れば音楽から離れることもないと強調する。またD氏

は,一斉授業という学校教育の特徴に触れ,大勢で作

るハーモニーの心地よさや美しさを聴き,感じること

のできる実践がより必要ではないか,と述べる。

 表現する演奏家たちが,演奏者として,また指導者

として一貫して「聴くこと」を重視している。このこ

とから,聴くこと(すべてのレベルによる聴く行為)

によってのみ,作曲家や演奏者自身が望む表現が可能

になるという思いを推察することができよう。例え

ば,ハーモニーの美しさを聴く,あるいは表現するた

めには,自分自身の声のみならず他者の声を聴きなが

ら,その響きの中に自分の声を溶け込ませ,自分の声

でも他者の声でもない渾然一体とした響きを創り出さ

なければならない。そこには相手への思いやりが必要

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古山 典子・瀧川 淳

となってくる。ここから,音楽家の述べる「聴くこと」

は,人間形成へも繋がると言えるのではないだろうか。

ここからも,音楽家たちの言葉には,学校教育におけ

る音楽指導への多くの示唆が含まれていると考えられ

る。

Ⅳ フィールドワークによる音楽指導の分析

1 研究の対象,及び方法

 フィールドワークを行ったのは,小学校音楽専科教

師1名と教員養成系大学教員でピアニスト1名の計2名

による音楽授業,及び大学でのピアノ個人レッスンに

おける指導場面である。

 調査方法は,まず対象教員に対して音楽指導観等の

インタビュー調査を行ったあと,実際の指導場面を観

察した。なお,小学校の事例については,より多角的

に音楽科教師の指導観を明らかにするため,前述のA

氏,B氏ではない音楽専科教師による指導場面を取り

上げる。

 ここでは,音楽科の指導と専門教育での指導を比較

するため,双方ともに楽曲指導の初期段階の分析を行

うこととし,観察時のフィールドメモと併せて,許可

を得て撮影した映像を元にフィールドノーツを作成し

た。分析は,フィールドノーツによるデータとインタ

ビューでの発言に対して行った。

 なお,研究対象とした2名の詳細は以下の通りであ

る。

1)音楽科教育:小学校音楽専科教師

 指導を行うのは,国立大学小学校教員養成課程音楽

専修を卒業し,公立小学校教員歴24年の音楽専科教師

である。この指導者は担任の経験もあるが,音楽専科

としての経歴の方が長い。幼少の頃からピアノを習っ

ている。

2)専門教育:教員養成系大学教員

 大学教員歴30年,ピアノ指導歴として40年弱の指導

歴をもつピアニストである。ピアノ専門として教員養

成系大学で学生の指導にあたりながら,ソリスト・伴

奏者・室内楽奏者として活躍している。

2 学習形態・学習内容・学習者の状態

 小学校での指導場面,及び専門教育として大学での

指導場面の概要は表1,表2の通りである。

3 小学校音楽授業の分析

1)フィールドノーツの分析

 フィールドワークを行った小学校では,学内での音

楽発表会に,数年にわたり全校を挙げて取組んでいた。

この行事への取組みは,行事以外のさまざまな場面に

有機的に機能している様子がうかがえた。(後掲の事

例のフィールドノーツを参照されたい。)

 この事例では,音名・音価の理解と運指の習得が確

実ではない状態であったこともあり,小学校教師の指

導内容は,音名と鍵盤の指使いを一致させること,音

価の理解を促すことに重点が置かれている。(フィー

ルドノーツ①を参照。)

 また,ここで取組んでいる<剣の舞>には反復記号

が多く用いられていることもあり,技能的に十分に演

奏できていない子どもがいても,なるべく通して演奏

させ,曲の全体の流れを把握させようという意図も感

じられた。(フィールドノーツ⑤,インタビュー発言

⑥を参照。)

 またこの教師は,子どもたちが演奏する際には,必

ずクラベスで拍を取り,子どもたちの演奏に合わせて

音名で歌っている。これは前述したように,音名と音

価の把握,及び音名と指使いの一致を図るためと考え

られる。

学習形態 小学 6 年生の一斉授業ならびにグループに分かれてのパート練習。

学習内容

学年全体で演奏する音楽集会に向けての器楽合奏練習。楽曲はハチャトゥリアン作曲《ガイーヌ》から〈剣の舞〉。各セクションでは練習を始めているが全体で通すのは初めての状態。

学習者の状態

主にリコーダーと鍵盤ハーモニカの指導が中心の場面で,それらを担当する児童の中には,運指がおぼつかない,あるいは音価を正確に演奏できない児童や楽譜のルール(反復記号)の把握が不十分な児童が見られる。

学習形態 1 対 1 の個人レッスン。ただし複数人が同室し,レッスンを聴いている。

学習内容レッスン曲は教員が指定した楽曲,もしくは時代や作曲家の中から学生が自由に選曲したもの。

学習者の状態声楽を専門とする副科学生。課題曲は J. S. バッハ作曲《インベンション》第 8 番ヘ長調。1 回目のレッスンで,途中でミスが見られる。

表1 小学校の音楽授業の概要

表2 大学(専門教育)での指導場面の概要

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福山市立大学 教育学部研究紀要 2016, vol.4, pp.21-32doi: http://doi.org/10.15096/fcu_education.04.03

古山 典子・瀧川 淳

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 この事例の中では,小学校教師の発言にフレージン

グへの指導が含まれておらず,比喩を用いることもな

かった。事例で見られた教師の音名唱においても,フ

レージングをつけたものではなく,明確に音価を示す

ためのものであった。(フィールドノーツ②を参照。)

2)小学校教師の音楽指導観の特徴

 これらの音楽授業事例の分析を通して,指導の特徴,

及び音楽指導観の特徴として,次の4点が挙げられた。

①音楽指導に「段階」がある

 取り上げた事例は譜読みの段階の指導場面であっ

た。その中で,まず音名や音価の理解と演奏技術の獲

得が目指され,それが達成できてから曲の全体像を把

握させる。そして,そのあとに強弱や,教師の言葉で

言う「味付け」が行われており,そこに「段階」が存

在することがわかる。「曲の全体像の把握」には,反

復記号といった楽譜のルールを理解することも含まれ

るが,後日この教師がインタビューで語った言葉であ

るインタビュー発言⑨から,速度をインテンポで通す

ことによって,曲の細部にこだわるよりも先に,全体

像を捉えさせ,曲への憧れを引き出し,モチベーショ

ンを高めることを意図していることがうかがえる。

②音楽の楽しさの捉え方

 フィールドノーツ④において,「鍵盤もリコーダー

もまったく違うことを一緒にやっていくんよ。(略)

それが楽しいとこ。でも1番,それだから難しいとこ

なん」と発言している。ここから,音楽の楽しさの一

つに,難しいことができるようになる楽しさがあると

考えていることがわかる。

③「体験すること」の重視

 インタビューでの発言⑩で見られるように,指導の

最後の段階として,「強弱や味付け」をどのように指

導するのかという筆者の質問に対する答えから,主旋

律の大切さについて,それを省略して演奏させ,聴か

せて理解させようとしている。つまり,体験を通して

実感させることを重視していることがわかる。

 目の前にある課題への対処を重視し,どのように音

楽的に表現するのかについての指導は,段階的にあと

になる点や,楽曲の文化的コンテクストに関する指導

は行われにくい,という点も特徴として挙げられる。

④「人間教育としての音楽教育」という指導観の存在

 フィールドノーツ③から④にかけての発言にも表れ

ているように,他者の音を聴き,パートの役割,つま

り主役や脇役に意識を向けさせて,強弱等の必要性を

子どもたち自身に認識させることを指導のテクニック

として用いていることがうかがえた。

 しかし,③④の発言があった演奏箇所は,リコーダー

パートと鍵盤ハーモニカパートが全く異なる旋律を演

奏しており,実際には別の旋律を聴きながら演奏する

ことは困難な箇所である。また,この授業でのパート

練習でも子どもたちの位置は,互いの音を聴き合える

ような配置ではなかった。ここから,教師の発言の背

景に,他者を尊重する,という「人間教育としての音

楽教育」が潜在的に指導観として存在していると考え

ることができる。加えて,「自分の音」ではなく,「他

者の音」を聴くことが目指されている点も,音そのも

のというよりも,他者とのかかわりを大切にする指導

観を反映しているといえる。

4 音楽家の音楽指導場面の分析

1)音楽家の指導の特徴

 ここで取り上げた大学での専門教育の事例では,表

2に示している通り,90分を1コマとする授業時間内

で複数の学生を指導する,グループレッスンという形

態が取られている。ここでは1対1という指導を基本と

しながらも,複数の学生がレッスン室に入り,他の学

生のレッスンを聴き,また自分のレッスンも他の学生

に聴かれている。レッスンを受ける順番は学生たちが

決める。またレッスン時間は各自均等になるよう教師

が配慮しているが,実際に観察した事例では,曲の長

さや学生が曲をさらってきた程度に応じていくらか流

動的であった。この方法について教師(C氏)は「他

の学生のレッスンを聴くのは,多くの曲について知る

ことができ,テクニックについても触れることもでき

る。また教え方を観察することもできるので良いと思

う」と述べている。なお,考察の対象としたレッスン

の受講学生は,あまりピアノが得意ではない。学生が

課題としたのは, Bach, Johann Sebastian(1685 〜

1750)による《インベンション》第8番である。これ

はバッハが初学者の学習のために書いた作品で,それ

ほど難易度は高くない。

 この事例に見る教師の指導の特徴としては,次の3

点を挙げることができる。

①模範演奏を多用する。

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 レッスン室にはピアノが2台配置され,1台は学生

用,またもう1台は教師用に割り当てられている。そ

のため,教師は学生を移動させる必要もなく,レッス

ン中にいつでもピアノを弾くことができる(このよう

な形は大学におけるピアノ指導ではよく見られる)。

教師は,曲やフレーズの模範演奏を示すこともあれば,

一緒に弾くこともあり,またフレーズを獲得するため

の練習方法を示すこともあった。

②シラブルや歌を多用する。

 模範演奏は多くのピアノ指導者に見られるが,この

教師のように旋律や内声を歌ったり,シラブルを用い

て旋律のニュアンスを伝える教師はあまり多くはない

だろう。インタビューで教師はもともと歌が得意だっ

たと語っているが,そのことが彼の指導にも表れてい

る。楽器の構造上,音と音をつなぐことが難しいピア

ノ演奏において,歌で示すことでその欠点が補われ,

シラブルは旋律のニュアンスをより伝えることができ

ると考えられる。

③曲を通して,音楽演奏に必要なことを伝える。

 単に楽曲の完成を目指すだけではなく,楽曲の指導

を通して,作曲家について,演奏スタイル,形式や様

式観にも頻繁に触れることで,音楽的な演奏の実現を

目指している。

2)音楽家の指導観の特徴

 次に,教師の指導観に着目すると,以下の特徴が導

き出された。以下,【番号】は後掲の大学教員逐語録

を参考にされたい。

①作曲家のスタイルや形式観の重視

 例えば,【①】の発言に見られるように,音を単に

並べる譜読みの段階であっても,作曲家が選んだカノ

ンという形式を重視し,聴く者がそれを聴き取ること

ができるような練習方法を提示している。また【②】

の発言からも,この教師が演奏の中で音楽の形式を聴

いていることは明らかであり,それ自体がこの教師の

音楽観の一つを表していると言えよう。

 このように,楽譜に書かれた音を,鳴り響く音楽に

する際に大切な事柄の一つが「形式観」といえるが,

また作曲家の思いを追求することも音を決定する重要

な要素の一つとなっていることは,【④】からうかが

うことができる。またバッハを演奏する際のスタイル

について,実際に指導する場面が【⑤】に見られる。

②音楽を表現するためのテクニックの重視

 教師はインタビューにおいて,メカニックなテク

ニックではなく音楽的なテクニックの獲得の重要性を

指摘しているが,このことは指導場面においても見る

ことができた。教師は【②】や【⑦】で,何も考えず

ただ楽譜の音を音化することを「スポーツ」的と評し

注意している。そして簡単な楽曲で,作曲家が想定し

た形式観を聴かせることがいかに難しいのかについて

説明している。

③音を聴くことの重視とその難しさ

 音楽を表現する演奏家である教師が最も大切にして

いることが「聴くこと」である。事例においても,そ

のことはたびたび見ることができた。ここでは,音楽

を聴くとはどういうことか,ということに言及された

発言に着目したい。【⑧】で教師はバッハの作曲した5

声の《平均律》を聴くことは自分でも難しいと言う。

このことから推察できることは,音楽を聴くというこ

とは,単に並べられた音を聴くことではなく,旋律と

して有機的に響いた音の連なりを聴くことであり,こ

こに挙げられた多声音楽の場合には,複声部ある旋律

を同時に聴きながら,その関わりを把握すること,で

ある。

Ⅴ おわりに―教師と音楽家の音楽指導観

 本稿では,小学校で音楽指導を行っている担任教師

及び音楽専科教師と,指導者でもある音楽家に対する

インタビュー調査,ならびに指導場面のフィールド

ワークを通して,彼らの音楽観や音楽指導観を明らか

にすることを試みてきた。

 その結果,小学校教師には,音楽の質そのものの追

求を行う中で副次的に社会性が身に付く,といった捉

え方ではなく,音の追求よりも,社会性,協調性と

いった側面が重視される傾向が存在することが明らか

となった。

 専門教育においては,楽譜に書かれた記号の意味を

読み解き,1音1音の在り方を吟味していく。アーティ

キュレーションやフレージング,響きのバランス,音

色,速度など,さまざま要素を説得力のある解釈で表

現することが求められる。その専門教育では多くの場

合,学習者がすでに基礎的な技能を身に付けている状

態であるという点は,音楽科教育との差異において看

過できない要因であろう。しかしながら,「芸術」と

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しての音楽を扱うはずの音楽科にとって,専門教育か

ら得られる示唆は重要な意味をもつ。音楽科教育,専

門教育を問わず,本来芸術的な価値に迫る営みの中に,

自己を見つめ,他者とかかわることは自ずと含まれる

はずである。

 音楽授業において,楽しそうに歌い,演奏する子ど

もたちに,「音楽する子どもたちの姿の尊さ」を感じ

ずにはいられない。子どもたちが自分の感情の発露と

して歌を歌い,友達と視線を合わせ,音や声を合わせ

て微笑む姿に,音楽授業の価値は容易に見いだすこと

ができる。その一方で,音楽科が抱える課題は多い。

授業時間数の少なさ,教育活動の成果として学力の明

示が求められているという背景,さまざまな音楽経験

を有する集団の学習者を指導するという条件,そして

教員養成の大きな課題でもある教師自身の音楽の専門

性の向上。これらは,音楽を追求することで得られる

喜びに至る指導の前に立ち塞がる障壁となっている。

しかし,その存在意義を脅かされ続けているからこそ,

音楽科教育において,音楽そのものを深く追求するこ

とで得られる学びがあることを改めて認識したい。

 小学校教師へのインタビューを通して,音楽科教育

は,一つのことを他者と力を合わせて成し遂げる喜び

を味わえる教科である,という教師たちの認識が明ら

かになった。この認識は,教育的な意義を訴える上で

大きな力となろう。しかし,今後の音楽科教育にとっ

て,音楽そのものを追求することで味わえる楽しさを

いかに担保するのかということこそが,極めて重要な

課題となるのではないだろうか。

 したがって今後も,音楽科教育と専門家教育,そし

て音楽と同様に芸術分野として美術分野及び美術教育

における芸術的価値観に着目し,教師の価値観につい

て,ひいては音楽科教育の本来もつべき「真正性」に

ついて検討を続ける必要がある。

付記1.本 研 究 は, 科 学 研 究 費 助 成 事 業( 基 盤 研 究C) 課 題 番 号

26381240「音楽科教育における教師の評価基盤としての価

値体系の解明」(平成26-28年度,研究代表者:古山典子)

の助成を受け,行っているものである。

2.本稿は,2014年8月の日本学校音楽教育実践学会第19回全

国大会(熊本大学)での発表内容,同年10月の日本音楽教

育学会第45回大会(聖心女子大学)での発表内容,そして

2015年7月の日本学校音楽教育実践学会第8回中国支部例

会(福山市立大学)における古山の発表内容の一部を基に,

再構成したものである。

注 1) 文部科学省(2008)『小学校学習指導要領解説音楽編』

pp.9-10。

2) 佐々木健一(1995)「美」『美学辞典』東京大学出版会,p.12。

3) 同書,p.13。

4) 今道友信記念文庫編集班編(2015)『新訂 美について考

えるために』ピナケス出版,p.143。

5) 美の要素として,統一,秩序,均斉を挙げたのは,聖ア

ウグスティヌスである。

6) 佐々木,前掲書「趣味」,p.191。

7)インタビューで用いた項目については,古山(2009)の

研究成果を踏まえて設定した。なお,筆者の研究から明ら

かとなっている教師の価値観形成と変容にかかわる項目は

以下の通りである。

 ・これまでの教師自身の音楽経験

 ・目の前の子どもとのかかわり

 ・過去の指導経験

 ・影響を受けた人物,またはその授業

 ・研修会や研究授業での新たな知見

 ・所属する組織や他の教師の価値観への帰属意識

 ・学習指導要領など,外部から示される指針

8) C氏はハーモニーを「和音の響きのみならず旋律と和音と

の関係や,リズムとの関係など作品を成り立たせるすべて

の要素の調和のこと」と捉えている。

参考文献今道友信記念文庫編集班編(2015)『新訂美について考える

ために』ピナケス出版。

クラウス・モレンハウアー(2001)『子どもは美をどう経験

するか―美的人間形成の根本問題』玉川大学出版部。

古山典子(2009)「小学校音楽科教師の価値観形成に関する

研究―授業研究およびインタビュー調査を通して―」『就実

教育実践研究』2,pp.29-42。

古山典子/瀧川淳(2009)「音楽科教師の価値体系の形成に

ついて―小学校教諭の音楽観・指導観に関するアンケート

を通して―」(研究成果報告書,代表執筆古山典子)『就実

教育実践研究』2,p.128。

佐々木健一(1995)「美」『美学辞典』東京大学出版会。

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古山 典子・瀧川 淳

文部科学省(2008)『小学校学習指導要領解説音楽編』。

ロベルト・シューマン(1958)『音楽と音楽家』岩波文庫。