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非線形振動子の大域的な位相-振幅記述と Koopman 固有関数 白坂 , 紅林 , 中尾 裕也 1 東京大学先端科学技術研究センター, 青森大学ソフトウェア情報学部, 東京工業大学工学院 1 はじめに 多数の変数で記述される高次元の非線形力学系を少数の主要な変数で記述する次元縮約理論は,スパース モデリングの重要な手法のひとつと考えられる.非線形力学分野では,そのような手法の例として,分岐点 近傍での中心多様体縮約法(あるいは同様の結果を与える標準形の方法や多重スケール法など),また,特 に安定な非線形振動を示す力学系に対しては,その周期軌道まわりの位相縮約法がよく知られている.近 年,非線形力学系のダイナミクスを,その状態変数の時間発展ではなく,状態変数の観測関数の時間発展に 着目して解析する方法に関する関心が高まっている.特に,非線形振動現象に対しては,観測関数の時間発 展を記述する線形な Koopman 作用素の主要な固有関数が位相縮約法において主要な役割を果たす漸近位相 に直接対応することが示され,またその考え方を一般化して,力学系の縮約記述,すなわちスパースモデリ ングに応用できることが明らかにされつつある.以下,そのような方向への研究のひとつとして,安定なリ ミットサイクル軌道を持つ非線形力学系の位相-振幅記述法について,白坂ら [1] に基づいて概略を述べる. 2 位相関数,振幅関数および Koopman 固有関数 力学系の状態変数を X R d として,常微分方程式 dX/dt = F (X) に従って発展するとする.F : R d R d は十分に滑らかなベクトル場であり,この系は周期 T の漸近安定なリミットサイクル解 X 0 (t) = X 0 (t + T ) を持つとする.また,その振動数を ω = 2π/T とする.このリミットサイクルを χ と表す. 位相縮約法では,リミットサイクル χ に沿って常に一定の振動数 ω で増加する位相 θ を導入し,これを χ 吸引領域 B に拡張する.つまり,任意の X B に対して dΘ(X)/dt = Θ(X) · dX/dt = Θ(X) · F (X) = ω を満たす X から位相への関数 Θ(X) : B [0, 2π) を考える.ここで,Θ(X) は状態 X における Θ(X) の勾配ベクトルである.そのような位相は漸近位相と呼ばれ,漸近位相の等高面は isochron と呼ばれる. 摂動 p(t) R d を受けた力学系 dX/dt = F (X) + p(t) に対して,位相 θ = Θ(X) の時間発展は dθ/dt = Θ(X) · (F (X) + p(t)) = ω + Θ(X) · p(t) に従う.さらに,摂動 p(t) が十分に弱く X χ の近傍に留ま る場合について,勾配 Θ(X) χ 上の位相 θ の点 X = X 0 (θ) で評価して,これを Z (θ) = Θ(X)| X=X0(θ) と表すことにすると,弱い摂動に対して閉じた位相方程式 dθ/dt ω + Z (θ) · p(t) が得られる.これによ り,元の d 次元力学系が χ の近傍で 1 次元の位相方程式に近似的に縮約され,この大幅な次元縮約により, リミットサイクル振動子の同期現象の詳しい解析が可能となる.これが従来の位相縮約法である. 位相関数と同様の考え方により,振幅関数を導入することができる.すなわち,任意の X B に対し て,dR(X)/dt = R(X) · dX/dt = R(X) · F (X)= μr を満たす X から振幅への関数 R(X): B C 考えることができる.リミットサイクル χ 上では R(X 0 (t)) = 0 を満たすとする.これにより,摂動 p(t) 受けた振動子の振幅 r = R(X) の時間発展は dr/dt = R(X) · (F (X)+ p(t)) = μr + R(X) · p(t) に従う. 位相の場合と同様に,p(t) が十分に小さいとき,R(X) の勾配を χ 上の位相 θ の点 X = X 0 (θ) で評価して, これを I (θ)= R(X)| X=X0(θ) と表し,弱い摂動に対する振幅方程式 dR/dt μR + I (θ) · p(t) が得られる. なお,μ χ Floquet 指数であり,これらが d - 1 個の異なる値をとるとすると,対応して d - 1 個の振 幅変数が存在する.χ を安定としているので,μ の実部は全て負である.振幅関数の等高面については,近 isostable と呼ぶことが提案されている [2,3]力学系 dX/dt = F (X) に従う状態変数 X B に対して,その観測関数を g(X): B C とする.滑らか g(X) を考えると,その無限小時間発展は,Liouville 作用素,あるいは Koopman 作用素の generator A = F (X) ·∇ として,dg(X)/dt = Ag(X) と与えられる.この観測関数に作用する A は,F (X) が非線形 であっても線形である.λ (X)= λϕ λ (X) を満たす A の固有値 λ と固有関数 ϕ λ (X) を考えると,リミッ トサイクルの双曲性の仮定のもとで,X B について λ は離散固有値のみを持ち,それらは χ Floquet 指数を含む.なお,時間 t の間の観測関数の時間発展を表す Koopman 作用素は U t = e At で与えられ,A 1 E-mail: [email protected] 1 科学研究費補助金 新学術領域研究「スパースモデリングの深化と高次元データ駆動科学の創成」 最終成果報告会 (2017/12/18-20)

非線形振動子の大域的な位相 振幅記述とKoopmanmns.k.u-tokyo.ac.jp/~sparse2017/pdf/34.pdf · SIAM Review, 57, 201222 (2015). [4] A. Mauroy and I. Mezi c, Global Stability

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Page 1: 非線形振動子の大域的な位相 振幅記述とKoopmanmns.k.u-tokyo.ac.jp/~sparse2017/pdf/34.pdf · SIAM Review, 57, 201222 (2015). [4] A. Mauroy and I. Mezi c, Global Stability

非線形振動子の大域的な位相-振幅記述とKoopman固有関数

白坂 将, 紅林 亘, 中尾 裕也1

東京大学先端科学技術研究センター, 青森大学ソフトウェア情報学部, 東京工業大学工学院

1 はじめに多数の変数で記述される高次元の非線形力学系を少数の主要な変数で記述する次元縮約理論は,スパースモデリングの重要な手法のひとつと考えられる.非線形力学分野では,そのような手法の例として,分岐点近傍での中心多様体縮約法(あるいは同様の結果を与える標準形の方法や多重スケール法など),また,特に安定な非線形振動を示す力学系に対しては,その周期軌道まわりの位相縮約法がよく知られている.近年,非線形力学系のダイナミクスを,その状態変数の時間発展ではなく,状態変数の観測関数の時間発展に着目して解析する方法に関する関心が高まっている.特に,非線形振動現象に対しては,観測関数の時間発展を記述する線形な Koopman 作用素の主要な固有関数が位相縮約法において主要な役割を果たす漸近位相に直接対応することが示され,またその考え方を一般化して,力学系の縮約記述,すなわちスパースモデリングに応用できることが明らかにされつつある.以下,そのような方向への研究のひとつとして,安定なリミットサイクル軌道を持つ非線形力学系の位相-振幅記述法について,白坂ら [1] に基づいて概略を述べる.

2 位相関数,振幅関数およびKoopman 固有関数力学系の状態変数を X ∈ Rd として,常微分方程式 dX/dt = F (X) に従って発展するとする.F : Rd → Rd

は十分に滑らかなベクトル場であり,この系は周期 T の漸近安定なリミットサイクル解 X0(t) = X0(t + T )を持つとする.また,その振動数を ω = 2π/T とする.このリミットサイクルを χ と表す.位相縮約法では,リミットサイクル χ に沿って常に一定の振動数 ω で増加する位相 θ を導入し,これを χ の

吸引領域B に拡張する.つまり,任意のX ∈ B に対して dΘ(X)/dt = ∇Θ(X)·dX/dt = ∇Θ(X)·F (X) = ωを満たす X から位相への関数 Θ(X) : B → [0, 2π) を考える.ここで,∇Θ(X) は状態 X における Θ(X)

の勾配ベクトルである.そのような位相は漸近位相と呼ばれ,漸近位相の等高面は isochron と呼ばれる.摂動 p(t) ∈ Rd を受けた力学系 dX/dt = F (X) + p(t) に対して,位相 θ = Θ(X) の時間発展は dθ/dt = ∇Θ(X) · (F (X) + p(t)) = ω + ∇Θ(X) · p(t) に従う.さらに,摂動 p(t) が十分に弱く X が χ の近傍に留まる場合について,勾配 Θ(X) を χ 上の位相 θ の点 X = X0(θ) で評価して,これを Z(θ) = ∇Θ(X)|X=X0(θ)

と表すことにすると,弱い摂動に対して閉じた位相方程式 dθ/dt ≈ ω + Z(θ) · p(t) が得られる.これにより,元の d 次元力学系が χ の近傍で 1 次元の位相方程式に近似的に縮約され,この大幅な次元縮約により,リミットサイクル振動子の同期現象の詳しい解析が可能となる.これが従来の位相縮約法である.位相関数と同様の考え方により,振幅関数を導入することができる.すなわち,任意の X ∈ B に対し

て,dR(X)/dt = ∇R(X) · dX/dt = ∇R(X) · F (X) = µrを満たすX から振幅への関数 R(X) : B → Cを考えることができる.リミットサイクル χ上ではR(X0(t)) = 0を満たすとする.これにより,摂動 p(t)を受けた振動子の振幅 r = R(X)の時間発展は dr/dt = ∇R(X) · (F (X) + p(t)) = µr+∇R(X) · p(t)に従う.位相の場合と同様に,p(t)が十分に小さいとき,R(X)の勾配を χ上の位相 θの点X = X0(θ)で評価して,これを I(θ) = ∇R(X)|X=X0(θ)と表し,弱い摂動に対する振幅方程式 dR/dt ≈ µR+ I(θ) · p(t)が得られる.なお,µは χの Floquet指数であり,これらが d− 1個の異なる値をとるとすると,対応して d− 1個の振幅変数が存在する.χを安定としているので,µの実部は全て負である.振幅関数の等高面については,近年 isostableと呼ぶことが提案されている [2,3].力学系 dX/dt = F (X)に従う状態変数X ∈ Bに対して,その観測関数を g(X) : B → Cとする.滑らか

な g(X)を考えると,その無限小時間発展は,Liouville作用素,あるいはKoopman作用素の generatorをA = F (X) · ∇として,dg(X)/dt = Ag(X)と与えられる.この観測関数に作用する Aは,F (X)が非線形であっても線形である.Aϕλ(X) = λϕλ(X)を満たす Aの固有値 λと固有関数 ϕλ(X)を考えると,リミットサイクルの双曲性の仮定のもとで,X ∈ B について λは離散固有値のみを持ち,それらは χの Floquet指数を含む.なお,時間 tの間の観測関数の時間発展を表す Koopman作用素は U t = eAt で与えられ,A

1E-mail: [email protected]

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科学研究費補助金 新学術領域研究「スパースモデリングの深化と高次元データ駆動科学の創成」最終成果報告会 (2017/12/18-20)

Page 2: 非線形振動子の大域的な位相 振幅記述とKoopmanmns.k.u-tokyo.ac.jp/~sparse2017/pdf/34.pdf · SIAM Review, 57, 201222 (2015). [4] A. Mauroy and I. Mezi c, Global Stability

の固有関数 ϕλ(X)は U tϕλ(X) = eλtϕλ(X)を満たす U t の固有関数 (Koopman固有関数)でもある.固有関数の組 {ϕλ(X)}を用いて一般の観測関数 g(X)を展開して,その時間発展を表すことができる.さて,上の弱摂動下における縮約方程式をを吸引領域全体に拡張することを考える.上で導入した位相

関数Θ(X)に対して,Ψ(X) = eiΘ(X)という観測量を考えると,これはAΨ(X) = iF (X) ·∇Θ(X)eiΘ(X) =iωΨ(X)を満たす.すなわち,位相関数 Θ(X)は固有値 iωに対応する Koopman固有関数 Ψ(X)の対数となっている.同様に,振幅関数については,AR(X) = F (X) · ∇R(X) = µR(X)となることから,R(X)は固有値 µに対応するKoopman固有関数となっている.このように,位相と振幅に対応するKoopman固有関数を新たな変数とすることにより,摂動を受ける非線形力学系 dX/dt = F (X) + p(t)を,リミットサイクル χの吸引領域 B 内で原理的には大域的に

dt= ω +∇Θ · p(t), dR

dt= µR+∇R · p(t) (1)

という簡潔な方程式で記述できる [1].なお,X は Θおよび全ての µに対する Rの関数として表される.さらに,例えば位相に加えて振幅の減衰率 µのうち実部が最も 0に近いもののみを残し,他の振幅は速

やかに減衰するものと考えれば,d次元の力学系が近似的に 2次元の力学系に縮約される.この位相-振幅記述を実際に用いるには,位相関数Θ(X)と振幅関数 R(X)の勾配∇Θ, ∇Rが必要となるが,これらの勾配は,リミットサイクル χに緩和する与えられた軌道を X1(t)としたとき,この軌道上でそれぞれ随伴方程式 d∇Θ(X)/dt = −J t(t)∇Θ(X), d∇R(X)/dt = −[J t(t) − µ]∇R(X)に従うことが示すことができる [1].ここで,J t(t)は軌道X1(t)上での点X = X1(t)での F (X)の Jacobi行列の転置である.

3 数値計算例

白坂らの論文 [1]では,生化学振動現象を表す 3次元の Goodwinモデル [5]

dx

dt=

α

1 + zn− x,

dy

dt= x− y,

dz

dt= y − z (2)

のリミットサイクルへの緩和軌道X1(t) = (x(t), y(t), z(t))に対して,位相 θと,実部が 0に近い方の固有値に対応する振幅 Rの勾配が計算された.これを図 1に転載する.パラメータは α = 1.8, n = 20である.これらの勾配を用いて,例えば,この非線形振動モデルへの最適な制御入力などを議論することができる.

Figure 1: 非線形振動を示す Goodwin モデルに対する計算結果.(a) リミットサイクルに緩和する軌道(x(t), y(t), z(t)). (b) この軌道に沿う位相関数の勾配.(c) 振幅関数の勾配.

References

[1] Sho Shirasaka, Wataru Kurebayashi, and Hiroya Nakao, Phase-amplitude reduction of transientdynamics far from attractors for limit-cycling systems, Chaos 27, 023119 (2017).

[2] A. Mauroy, I. Mezic, and J. Moehlis, Isostables, isochrons, and koopman spectrum for the actionanglerepresentation of stable fixed point dynamics. Physica D: Nonlinear Phenomena, 261, 1930 (2013).

[3] D. Wilson and J. Moehlis, Extending phase reduction to excitable media: Theory and applications.SIAM Review, 57, 201222 (2015).

[4] A. Mauroy and I. Mezic, Global Stability Analysis Using the Eigenfunctions of the Koopman Oper-ator, IEEE Transactions of Automatic Control, 61, 3356 (2016).

[5] B. C. Goodwin, Adv. Enzyme Regul. 3, 425 (1965).

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