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非管利會 5。 4. 3. 2. 1. 簿記の意義 複式簿記理論の成立ピ其の根祇 技術論的複式簿記ご非螢利簿舐 (幽) まへがき 個別経濟の中に群起する纒濟現象のうちで、螢利経濟を中心 ものはない。從って之等の現象を把握統制化する管利會計管利簿記 てゐるこごは明自な事實である。翻って同じ會計現象の中でも 非螢利 現象の把握統制化の重要性は、前記管利維濟の會計現象捕捉に比すれば 第†六懸(七=)非管利會計ぜ複式簿紀 第六霧

非管利會計ご複式簿記・ - Meiji Repository: ホーム...非管利會計ご複式簿記・ 武 田 孟 5。 4. 3. 2. 1. 結 び技術論的複式簿記ご非螢利簿舐複式簿記理論の成立ピ其の根祇簿記の意義ま

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非管利會計ご複式簿記・

5。  4.  3.  2.  1.

ま へ が き

簿記の意義

複式簿記理論の成立ピ其の根祇

技術論的複式簿記ご非螢利簿舐

結 び(

幽) まへがき

 個別経濟の中に群起する纒濟現象のうちで、螢利経濟を中心とする會計現象程複雑多楼性の

ものはない。從って之等の現象を把握統制化する管利會計管利簿記が、就中重要な役割を演じ・

てゐるこごは明自な事實である。翻って同じ會計現象の中でも 非螢利経濟を中心こする経濟

現象の把握統制化の重要性は、前記管利維濟の會計現象捕捉に比すれば 其の性質上及ばざる

    第†六懸(七=)非管利會計ぜ複式簿紀         第六霧 茎二

    嬉+六春(七=一)非轡利會計ご複式簿記         第六號 三四

こご勿論ではあるが、然し現代の維轡状態のもこに於ける會計庭理の上で、其の内容を講成す

る會計封象の量並に質の何れに於ても、昔日の如く軍純容易であると誰か漸言し得るであら

ふか。帝口に内容に於て複難豊富εなつたが爲に非管利経濟の會計的庭理の問題が重要こなつπ

ご云ふ許りでなぐ、か、る會計現象を経螢の立場より把握して、それに依つて経螢の合理化を

企圖する爲には、當然螢利會計の場合ご同様、最も重要覗すべき充分の理由をもつものであ

る。こ》に於て筆者は先に、本誌第十六憲第二號にて 非管利會計に封す・~靱吟昧を行ひ、以

て從來兎もすれば一般會計學の領域から.研究の将外に置き忘れられたるこの方面に、注目を

要する二三の根慷を指示して、斯道に關心を有する人士の留意を促した次第であるが、こ、に

更に非獅利簿記に封する一考察を試みて、會計上庶子的取扱を受けつ、あるこれ等不幸見に、

一道の光明を求めんと希求するものである。

(二) 簿記の意義

 簿記(ヒ⇔8葬Φ畳ロσq)の如何なるものであるかは、これ等簿記自身に取り扱はる、内容並に方

法に依って設明せられるのが普通一般であるが、之を形式的立揚よ6技術的に概観する時は、

.篠認とは會計記鎌を作ること、換言するご會計的記鎌を書き記すことである。

 試に簿記い歴史を湖るならば、古代に於ても信用取引が行はれた所では、何等かの方法でこ

                                  ロ       げ

れが記録計算を行ったであらうこごは想像するに難くない。陀穿如何なる方怯でこれが行はれ

たかは、資料が乏しぐて考讃に困難であるが、或は縄に節を捲へ彪う.木片に切り傷を附けな

り、進んでは赤玉ご青玉ごを使つたりして所有物や、返濟を要する貸備關係の藪量を計鉾存置

し杉こごもあつたであらふざ推測せられる。これ等も或る意味では簿記の先騙とも見られぬこ’

こもないが、然し今日我々が簿記ご稽する場合には、紙又は其の代用物に何等かの方法を以て

文字及び数字を記載し、會計事項を表現するこごを指すのみならす、其の表現方法に特定の様

式が備つてゐなければならない。かように或る意味に於て組織的に記録計算を行ふやうになつ

だのは、か、る簿記を必要とする脛濟組織が進渉駿達したからである。

 簿記は會計記録を作るこεであるから、其の内容とするものは會計現象であることは言ふま・

でもない。故に簿記の存在は、縄濟現象就中會計現象の存在的必要を前提とする。而て経濟現

象は趾會現象の一であるから、結局簿記は就會的要求に依つて存在的偵値を有してゐるわけで

あるが、一般に緯濟購係は肚會の覆達に俘つて進歩するが故に、簿記の内容として盛られる會

    笹冊十六嬢脚 (七一一二) 塾π麟四利會計電複式傭榊即闘                      頗理よハ 號肥  留一五

    第十Lへ嬢一 (七一四) 非普H利邑暫計ご複串八簿謂四                     第六號   一ユ六

計現象が複雑こな@ば,勢ひ簿記形式も進化せなければならなぐなつて 必要に懲じて各種の

簿記膿系が存在するこご、なる、共うち最も重要なるものは、一般に電式簿記(.宣艶。プ。切、。(γ

冨ぎp=σq)ご複式簿記((ξ噂・ぎ曽。げ7鉱鈴茸σq)である

 抑々人:1廣義に於けるーーが経濟生活を督むが爲には 必す種々の生活資料を必要ず」する

ものである。今此等の資料を財と名づけ.財が人に属してゐる時之を財産と稗し、それ等の財

産か多数に同一の目的に依つて統括せられるごき、之を特に財團と指稽するならば(岡田誠一

著簿記通論一頁参照)簿記の任務とする曾計記録の作成は、即ちこの財團の統制的計算記鎌を

行ふことである。

 人は軍濁でも共岡でも 又自然人り場合に於ても法人の形式に於ても 如何なる場合、如何

なろ目的に依るとを問はす、活動する以上は経濟生活を螢まなければならないから、必す夫々

の財團に属する財の會計的計算を必要巴するものである。而して之に随伴して起るところの財

の上の一切の會計現象は その財團の構成分子だる各財産の取得ご、並にその喪失との全ぐ相

反てる二個の流れから成る.然もこの財團の構成舜子だる財産に庵する財匹の取得、喪失の異

rる二分野に於て登生する會計現象は、假倉其の経濟生活が如何なる入に依って、叉如何なる月

㈱によクて瞥まれでも、毫も憂るこごばない。故に簿記は、要するにこの二個の流れに基ー會

計的現象を記鎌計算する技術的方法であるごへ謂ひ得られる。然しながら、かぐの如く會計的

}切の現象叩は常に、財産の取得喪失の二方向に限られるごは錐、その會計現象の依つて起る経

濟活動には、又根本的に異る

  L 利用厚生を目的とする清費的活動

  鉱 剰鯨橿値の獲得を目的ごする管利的活動

 との二標的がある。

 前者は厚生経濟を需πる目的とする人  廣義1の生活であるから、之が経濟活動を慮理

する會計を一般に滑喪會計 或は螢利を直接目的こせざるが故に非螢利會計こも呼ぴ、後者の

螢利活動を根本的要件こする螢利維濟の會計を廣く管利會計ざ名づけて雨者を明瞭に偏別す

る。從ってこの爾者には、同じ◎経濟活勤に伸つて生する財産の得喪であっても、其のR的は

全然本質的に相異る會計現象である。かくの如く、経濟活動の目的に於て雨者は根本的に相反

するものではあるが、共に財團の経濟的攣化に封して財團構成財産の取得喪失の會計現象を惹

薙すこεは雨者共一致する共通の経濟現象である。之か爲に、これ等會副的記録の實蹟的要求

    聴ー六巻 (七一五) 非螢利會計ご複式簿認                第六號  三七

    第+六餐(七工ハ)非管利曾計ご複式簿記         第六鍍 三八

セある、簿記の必要なる所以も,自ら溜費會計、管利會計共に其の軌を一にするから、當然雨

者に各々簿記が存在する理であるo

 .一、まで述べ來つたところによって、現代の経濟肚會に於て、會計現象把握統制の手段と

             ノ

して用ひられる簿記法に最も重要なるものごして,軍式簿記.複式簿記の二膿系の存すること

並に経濟活動のよってもって螢生する根抵の如何に依り、又螢利簿記ご非管利簿記の二っある

ことを了解するに到つたのであ為。

 電式簿記は、粗宋的簿記であ沼から非螢利的活動には勿論螢利的活動にても、初期の時代よ

う用ひられ、今日尚其の経濟現象の軍純なるものには利用せられて充分儂値あるものである。

反之、複式簿記は後逃する如右、資本主義繰濟の登達に伴つて螢利簿記こして登達せるもので

あって、この簿記の進歩ご資本束義経濟の費達ごは恰も影の形に伴ふが如く常に不離の關係に

・あるものである。さればこの簿記の有する簿記理論は、沿革的に其の簿記の内容を規定する理

論構成が、賛利會計に属するものであるが、今日非管利會計庭理に於ても亦、螢利會計ご同榛

複式簿記を探用する必要をもつが、然るごきは、果してこの爾者の間には會計理論的叡矛盾搬

、着を生じないものであるだちうか,今この蜘を明確にする嬬、先づ複式箔…記理論の登生する根

祇を探究するこごにする。

(三) 複式簿記理論の成生ε其の根祇

簿記に封する理論的内容は、現實的に笙する経濟的肚會關係の中に議づけられて生れる

ものである。それ故に理論簿記學が生成せられるには 一定の具膣的な経濟的肚盒日關係を根祇

として・その現實的ファクトのうちから,之.に適憾する簿記理論なるものを抽出し、それに依

つて形成せられるのである。然しこの場合、か・る理論簿記學の研究樹象となるものは、是

の現實的な、具燈的の経濟的諸現象に内在する支配的制約的な根本法則ではない。換言すれ

ば、縄濟現象自盟の直接研究ではなくてIlこれは理論経濟學の範園であって、無論理論簿記

研究には、補助的關係的に重要なるものではあるがー--寧ろこれ等具髄的経濟現象を一定の形

式によつて捕捉する,現象把握の方法を封象乞て研究するのである。そ.こ理論欝響理

論簿記學との關聯も螢生するご同時に、叉理論簿記學の根抵をなす樹象も明瞭ぐ・なるわけでめ

るo

 抑々現實に起る具髄的な経濟關係なるものは、超歴史的に登生するものではなくて、総て關

    第十六蜷 (七一+) 非誉利會計ぜ複式簿託                第六號  三九

    第+六巻(七天)非螢利會計亡複式簿記         第六鼓 四〇

係的相樹的に登生するものであるから 勢ひ歴史的に規定せられて生するこご、なる、從つ

て、か、、る現實關係から生成し且っ登展する簿記理論は、當然,歴吏的制約を受けて攣遷する

こご、なるのは止むを得ない。

 今日、簿記のうちで最も進歩せる形をとり、從つて資本主義企業の高度に綬達した現代経濟

界に最も適當し、爲に廣く普遍的に實用化せられ、利用せられτゐる複式簿記が、初めて其の

オリヂナルタイプを成就したのは、中世紀南欧イタソァの地に於てゴあるが、この事貿は一腔

何を意味するものであらうか。

 言ふまでもなく、當時のイタリァは地中海貿易の覇権を掌握してゐた爲に、商業的繁榮を極

め、就中ヴエニス.ジエノア、フローレンネ等自由都市の著しき勃興は彪大なる富の蓄積、亘

額なる資本の集積をもたらしたのである。然も貨幣は、消費の目的に供せられる軍なる財産と

して使用せられπ許りでなく、更に新だなる貨幣償値を生み出すざころの資本こして登現する

に到ったのである。かくして.この資本圭義経濟の出現は、奮式な計算記録檬式の不備を招い

て、この新らしき内容を盛る器には不適當となり、こ、に新なる形式の皮嚢が造らるsに到つ

て、現代に比すれば勿論幼稚ではあるが、複式簿記なるものが生成せられたのである。

 貨警が…軍に財産的貨幣こして役立つのみならす、これが更に、新陀なる貨幣償値を増殖する

資本こして利用せられるごき、肚會關係は一鍵して、資本主義なる特殊の歴史的螢展段階に入

って來たのである。而て資本主義的経濟の特色は利潤獲得による資本壇加であるから、資本投

下によつて螢まれる事業は、即ち之を會計的槻察を以てすれば、εりもなほさす利潤追求の脛

濟過程に外ならない。利潤追求の経濟行程の結果が、如何なる状態に終始せしかを容易且つ簡

便に知る爲に・其の計算手段こして 「勘定」の出現εなり、勘定を以て計算a統制を期する

複式簿記の登生とはなつたのである。そのこごは、其の後資本主義的経濟機構の組織内容範園

の籏大強化によゐ、複式簿記利用に件つて盆々其の間の關係を明瞭ならしむるに到つた。即ち

現代の経濟肚曾に於ては、簿記の任務が、輩に資本循還過程の計算記録に罫する簡易明瞭性を

要求するに止まらす、それと同時に、増加資本の源泉たる成果計箕の必須的要求が如何に強烈

であるかによつて観るも明らかである。資本循環過程計算の終局的目的は、資本培加ー1資本

減少をマイナス塘加と観てーーの計算であり、経管成果による資本増加は、即ち剰徐利盆の獲

得ーー資本滅少は逆にマイナメ増加だから欠損となるー計算であるから、之を原因の側より

行ふ損盆計算こその取扱ふ素材は異つても,要するに楯の爾面にて結果に於て同一こなるぺ

    第十六巻 (七網九) 非督利曾計ピ複式揮記                第六蟹  四一

    鍛十山ハ巷  (七二〇) 非曲冒甜刑會『計亡縦隅式傭偶即閤                      餓叩六 號   四ご

きである。通常、複式簿記に於て設明せられるごき、記録の内容ごなる財産、資本の樹立餉二

重計算概念は,之を資本観すれば、同一事實の異る計算であって土ハに成果計算である。

 斯く観る時、資本主義肚會の経濟現象把握の方法εして形成せらる、簿記理論は、其の資本

主義的経濟階段を背景とする歴吏的産物である以上 この歴史性を反映して攣蓬螢達せるもの

であおが故に、從って、今日肚會の現猴展段階に於て最も支配的勢力をもつ資本主義的肚會關

係にのみ適慮する簿記理論であるこピは當然の露結である。

 複式簿記理論に於ては、右の如く経濟的概念の上に築かれだる現實關係、即ち資本循環過程

に、其の成生の根源ををかなければならないから、當然資本主義的内容を包含するものであ

る。從って、同「経濟肚會に於ても、利潤の獲得を追求せざる非螢利的會計現象の把握統制の

爲に複式簿記を探用する場合には、到底前述せる如き簿記理論の該當し得ないことは議論の徐

地はない。然らば非瞥利簿記は資本生義的内容を有せざるが故に、複式簿記理論に包概し得ら

れないから、か、る會計的腱理には複式簿記の利用は理論的に不可能なるものこ断すべきであ

らうか。

 之を技術論的に考察すれば,複式簿記は軍なる計算型式であつて、毫も理論的複式簿記の如

ぐ暫質的内容をもだざる、超歴吏的の盟なる一個の技術的概念に過ぎない。

 騒、 畠中顧一著 勘定學設研究、第「章参照

(四)技術論的複式簿記ご非螢利簿記

 複式簿記を實践的技術上の形式的簿記の観鮎より眺めるごきは、輩純なる}つの計算機構で

あつて、勘定型式に依り、複記する二どによって借方貸方の突含せを爲し、それに依って記録

計算の正確を期する手段に過ぎない。即ち「勘定」に依つては會計現象中の必要なる事項の曾

計状態を知悉するこごが可能なるのみならす、叉如何なる場合にも一切の勘定への記入に際し

て、勘定の一方へ記入すれば必す他の勘定の反封側へ同額を以て複記入するが故に、借方合計

とは常に李均を維持して、簿記技術の上に於て至便なる計算記入の自動的槍謹が出來得るので

ある。かNて複式簿記は一方に記帳技術の優良性を登揮し、他方には計算方法の簡便化を計り

更にこれ等計算の全膿的統噌を企て、ゐる。されば複式簿記は、軍に一切の會計現象を把握統

制して計算記録するに止らす、その記録計算に依って得られた材料を以て、魯計報告書を作成

し、その依つて起る経濟活動を司裁する人の生活に最も有釜適切な塞考資料を提供する手段ご

    第+六巻(七二じ諜轡利會計ご複武鐘認        第六菰 四三

゜      第ヤ六巻 (七ニニ) 非瞥利會計ピ痩式簿託                第六鱗  四働

 なるものである。從つてか、る意味に於ては、其の内容に全然計算封象の制約を含ないから、

 結局.噸個の無内容なる計算技術の形式であっで、詮じっめれば計算の結果を突合せて二れを

吟味する方法に外ならない。故に如何なる経濟的意義をもつ會計現象を内容こして、之を利用

するもこの本質には毫も攣りはない。そしてこれが今日の商人會計の内容を有することによつ

 て、今日の所謂複式簿記の内容をもつこご、なつたのである。

 損盆計算は、管利事業の會計に重要であり、これが事業逡行の成果を示す唯}の準嬢である

 から 複式簿記が螢利事業の會計に適用せられる限り、損盆計算の鮎から見た計算の突合せが

意義をもつことは當然である。然るに若しこれが他穐の會計に適用され〉ば、・別の立場からす

 る突合が必要こなる。複式簿記を突合せて計算を吟味する計算形式なりこするごきに其の範園」

 は獲大し、却つて其の意義は明かとなる。(雑誌會計、第三十三憲第二號太田教授の複式簿記

 の再吟味参照)斯の如く解するごき複式簿記は軍に一の形式的技術的概念で、其の方法は之に

 もらる、會計内容の経濟現象の如何に關せざる超歴史的性質を帯びだるものであつて,從つて

之が機構のうちには、假令、其の計算機構が馨利會計慮理の爲に成生襲達しだものであるとは

 いつても、必す菅利活動に依る経濟現象のみを封象とせなければならないと云ふ制肘はあり得

ない。理論的には、當然消費経濟活動に依る非螢利的會計現象も亦、複式簿記の封象となり得

るものであるが、其の採否は一に個々の現實的必要の程度に依って定まるのである。されば、

姻家や自治團膿の事業會計や、購買組合、病院.學校等の非督利會計に於て、これ等の會計庭

理は輩に螢利を目的こせざるが爲にと云ふ理由のみを以て、螢利簿記の專用陀るかの如き観め

る複式簿記の将外に置くこごは決して要當なこごではあり得ない。宜しく必要に慮じては、管

利簿記ご同檬な複式簿記計算制度を用ひ、之が長所を利用して計算の正確と記録の簡明ごを、

期すべきである。而てそれは、螢利事業ざ同一の運替を爲すが故に、之に模倣して、同一會計

庭理法を便宜どするご云ふ借用的まにあはせ的性質のものではなくて、寧ろ技術的形式的簿記

の有する、無内容無制肘の計算機構なるが爲に.非螢利事業ご錐、亦複式簿記を探用して可な

りと云ふ 理由を存するのである。

 さはさりながら、複式簿記の形式的登達の原因は、もざより無内奪無制肘のま、にて 軍な

る形式的計算機構其のものとして、今日の技術的進歩をなせるものではない。資本圭義的経濟

登展階段による企業の登達に相關聯して、其の進歩を遂げたものであるから、簿記理論の構成

内容が必然的に螢利簿記であるこごは勿論である。

    第十六巷 (七二三) 非響利會計ピ複式薄記                錯六舘  咽五

第十六巷(七二四)非螢利會計、・」複式簿記

  (五)結 び

第六號  四六

 前項にて述ぺたる如く、複式簿記を技術的概念の立場に於て観察する時は、軍なる計算型式

であるから、之の型式に如何なる内容を有する曾計現象をもるも、全く恣意的である、從つて

螢利會計にあらざる學校會計 病院會計、官聴曾計等に於ても、之を使用すれば軍式簿記によ

つて記帳計算するよりも更に利用効果の大なるものがある。

 註 小宮山敬保著 特蘇會計 二〇〇頁

「學稜會計の庭理法には輩式簿記法ご複式簿記法ごがある。輩式簿記法によるものは記帳容易

なるも帳簿組織が不完全で財政の状態を完全に表示し得ない。我國官公立諸學按は會計法規に

拘束せられるから軍式記帳法による。反之複式簿記法によるものは記帳梢複雑なるも財政朕態

の完全なる表示が可能である。我國の學校會計で複式簿記法によって慮理しおるもの幾何ある

かは知らないが、米國の例によれば大部分この法で虚理したるもの、如くであるQ」

 複式簿記を某調こする理論簿記は、経濟的概念をもつて本質こするものであり、從つて其の

實質的内容を構成するものは、既に述べたる如く、纒濟螢農に俘ふ肚會現象の中心的勢力が資

本生義的である其の歴臭的支配を受けて、資本循環過程を記録内容ごする利盆追求の損盆的成

果計箪で翻る。簿記理論の核心をなす勘定學説墾遷の獲達的段階を概観するごき、.簿記が経濟

的祉會現象ご密接不可分の關係にあり、爲に之が理論構成にあπって、其の内容が現實的経濟

現象ご一致する所以である、現實酌維濟現象は就會進歩の登達段階に伜つて、ヌ登達するもの

でめるから、この現象把握を封象こする簿記埋論も亦、進歩して今日に到つたもので、從つて

將雛も亦これによつて礎り得るのである。

 維濟現象の進歩に伜つて襲達したものは、軍に簿記理論のみではない。それと同時に理論の

實践化たる技術的簿記も亦、當然之ご併行的に進歩したこビは設明の籐地をもたない。

 今日経濟現象中、最も支配的勢力を有するものは、資本主義的螢利繹濟活動であるが、莫の

鏡鋒は、理論的にも實践的にも漸次、歪められて其の方向を轄じなければならない。経濟活動

の規模内容の複難横大せるものは、蕾に螢利経濟の方面許りではなぐ、國家又は自治團膿の讐

む官公事業の如きは、純粋螢利事業た於ける加速度的資本増大と相匹敵するに足る。更にか》

る特殊の場含を除きて之を普遍的に観るも、例へば學校病院等、其の本質を非螢利に立脚せる

もの、事業的内容の複雑籏大化は、基金集中の縄濟的利盆ざ、多数協同の人的便宜ごに拍車を

かけられて、漸次形式内容共に進歩しっ、ある爲、之に件ふ゜會計現象の複雑化は免れられな

    餓μ十六巻  (七二五) 非管利曾口吐ピ糧一式躍印四                      第 ゐハ牒   四七

    粥十六巻 (七二六)非膏利會計ε複式簿記                第六蟹  四八

い。こ、に非螢利會計の進むぺき道が拓かれなければならない。

 從來非管利會計には軍式簿記が用ひられつ、あるのであるが、輩式簿記は理論的にも技術的

にも複式簿記に劣る。故に會計現象の輩純なるものには技術的に簡便なるを以て 爾之が探用

を可こするこどあるも先きに本誌に於て述べたる如く 非螢利會計も管利會計ご同様ーー目的

は異るもIl原償計算、並びに豫算統制の必要なるものある今日、これ等の複雑なる會計塵理

が、奮態依然ピして軍式簿記に依るは、不可にして、宜しく複式簿記法による庭理の研究を行

ふべきである。           、

 然るごき非螢利簿記としての複式簿記理論は,利潤追求の計算だる股盆主義に基づかざる爲

に、資本主義的簿記理論ではあり得ない。

 如何こなれば、非鱒利簿記に於ける財産は、軍純なる財産であって断じて警利會計に於ける

が如ぐ牧盆の源泉たる資本の憂態ではない。資本に非ざるが故に、生活に封する犠牲は費用で.

はあつても、牧盆の直接的墓礎ではない。從つて損盆計算は有せざるも、財産増減の原因を明

瞭にする爲にはこれ等財産の牧支計算以外に、術牧入費用の別計算を試みる必要があり、これ

等を総括して全般の統制をはかるべきである。              (完)