Upload
others
View
1
Download
0
Embed Size (px)
Citation preview
現地説明会資料平成 25年 10月 26日(土)
(公益財団法人)兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部
〒 675-0142 兵庫県加古郡播磨町大中 1-1-1 兵庫県立考古博物館内
URL:http//www.hyogo.ctc.or.jp
-8-
【まとめ】 今回の南構遺跡の調査では、古墳時代から奈良・平安時代に至る多くの遺構が発見されるとともに、
須恵器や土師器だけでなく、縄文土器や緑釉陶器、勾玉などの遺物も大量に出土しました。南構遺跡
の北あるいは北東の約1㎞圏内には、奈良時代の官衙(役所)跡と考えられる定谷遺跡や第2次但馬
国府跡と推定されている祢布ヶ森遺跡などが所在しており、奈良時代以降の南構遺跡については、そ
れらの遺跡との関連も含めて、検討していく必要があります。
調査は、来年度以降も引き続き行われる予定であるため、今後、南構遺跡の調査成果を踏まえ、地
域の歴史が解明されていくものと思われます。
-1-
南構遺跡N S
定谷遺跡
南構遺跡
国分寺跡
国府跡
N
S■南構遺跡の位置と、大正時代の地図からみた遺跡周辺の地形のようす
■南構遺跡を含む南北断面図
南構遺跡は、神鍋地域から東流する円山川の支流、稲葉川左岸の標高約 30mの段丘上
に立地しています。今回の調査では、「南構」という地名の由来となった館跡(別紙の第
1図)を囲む約 5,000 ㎡を対象としています。しかし、南構遺跡は館跡を中心に、県
道 259 号線の北側および東西両方向にも広がっており、その面積は約 15,000 ㎡を超
えるものと考えられます。
調査区全域および周辺にみられる大小さまざまな溶岩の塊は、神鍋山から噴出したも
ので、稲葉川に沿って約 15 ㎞下流の円山川まで及んでいます。南構遺跡も、溶岩流の
道筋に位置しており、25,000 ~ 1,0000 年前には、地面は溶岩の塊で覆われた状態
でした。その後、この溶岩の上に火山灰が降り積もり、植物が生い茂り、腐植する過程
を繰り返すことで、人間が生活することのできる地面が形成されたと考えられます。
定谷遺跡
等高線
河川 ・水路
南構遺跡の調査範囲
館跡 ( 構 ) の範囲
国土交通省豊岡河川国道事務所による、一般国道 483 号北近畿豊岡自動車道(八鹿豊岡南道路)の建
設に伴い、兵庫県教育委員会の委託により、(公財)兵庫県まちづくり技術センターでは、豊岡市日高町
久斗に所在する南構遺跡の発掘調査を行っています。調査は、8月から始まり、11 月下旬までの予定で
すが、遺跡の状況が明らかとなりましたので、現地説明会を実施し、発見された住居跡や石室、出土した
遺物などをご覧いただきます。
南みなみ が ま え
構遺跡
A 地点
兵庫県教育委員会
火山灰が堆積した土と、 住居跡にたまっている土
との境目がわかりにくいので、 さらに掘り進める。
掘り進めた結果、黄色い地面で
遺構を発見!
【遺跡周辺の地形のなりたち】 南構遺跡は、神鍋地域から東流する円山川の支流、稲葉川左岸の標高約 30 mの段丘上に立地しています。
今回の調査では、「南構」という地名の由来となった館跡(8P の A 地点)を囲む約 7,000 ㎡を対象とし
ています。しかし、南構遺跡は館跡を中心に、県道 259 号線の北側および東西両方向にも広がっており、
その面積は約 18,000 ㎡を超えるものと考えられます。
調査区全域および周辺にみられる大小さまざまな溶岩の塊は、神鍋山から噴出したもので、稲葉川に沿っ
て約 15 ㎞下流の円山川まで及んでいます。南構遺跡も、溶岩流の道筋に位置しており、25,000 ~ 1,0000
年前には、地面は溶岩の塊で覆われた状態でした。その後、この溶岩の上に火山灰が降り積もり、植物が生
い茂り、腐植する過程を繰り返すことで、人間が生活することのできる地面が形成されたと考えられます。
①神鍋山の噴火(約 25,000 ~ 10,000 年前)
溶岩が流れ、火山灰が降り積もる
②溶岩と火山灰によって地表面が形成(約 10.000 年以降)
柱穴礎板
竪穴壁
壁際溝
■竪穴住居の模式図(文化庁 2010『発掘調査のてびき -集落遺跡発掘編-』同成社を一部改変)
■横穴式石室の模式図(文化庁 2013『発掘調査のてびき -各種遺跡発掘編-』同成社を一部改変)
-2- -7-
天井石
(せんどう)
(げんしつ)
10m
01/100
①3基の横穴式石室
②古墳時代の竪穴住居跡
【遺跡の概要】 調査では、竪穴住居跡 12 棟の他、多くの土坑や柱穴が発見されました。柱穴は 1000 基以上におよびますが、掘立柱建物跡とし
て考えられる柱の並びは、約 10 棟を数えています。また、県道に近接する調査区の北端からは、埋没した3基の横穴式石室も発見さ
れました。
調査区の全域からは、コンテナ(遺物収納箱)150 箱を超える土器が出土しており、古墳時代前期(約 1,800 年前)から平安時
代中期(約 1,100 年前)に至る時期の須恵器や土師器、緑釉陶器などがみられます。また、数は限られていますが、縄文時代早期の
土器(約 8,000 年前)や石器も出土しており、遺跡周辺が古くから人々の生活場所であったことが分かりました。
①
②
③
③古墳時代の竪穴住居跡
南構遺跡 遺構平面図
-4- -5-
2号石室 3号石室
1号石室
2号石室
3号石室
1号石室
※1 線でつながった赤丸が掘立柱建物と推定できる柱穴の並び
※2 緑色で塗られている部分が竪穴住居跡
■緑釉陶器皿(緑色の釉薬がかかったやきもの)■須恵器坏の中から発見された『和同開珎』
■古墳時代の土器がかたまって出土したようす
火山灰が堆積した土と、 住居跡にたまっている土
との境目がわかりにくいので、 さらに掘り進める。
掘り進めた結果、黄色い地面で
遺構を発見!
③人々が暮らしはじめた地表面(約 1,800 年前)
④現代人が生活していた地表面(発掘調査前)
⑤発掘調査で現れた地表面(発掘調査後)■出土した子持勾玉■出土した和同開珎
-6- -3-