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おばけ屋敷に近い感覚で 寄生虫館を取材することに …shousetsu-gendai.kodansha.co.jp/content/files/special_25.pdf155 川瀬七緒の法医学昆虫学者なりきりリポート

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川瀬七緒の法医学昆虫学者なりきりリポート155

おばけ屋敷に近い感覚で

 寄生虫館を取材することになった。

「川瀬は『法医昆虫学捜査官』の著者だ

し、虫好きだし、きっと寄生虫なんかも

イケるはず」

 おそらくこんな流れで決まったと思う

のだが、私の守備範囲からは完全に外れ

ている。興味はあるが気乗りしない。こ

れが正直なところだったけれども、いざ

行ってみたら完全に目を奪われることに

なった。

 目黒通りにあるタイル貼りの小綺麗な

ビルが、六十年の歴史をもつ「目黒寄生

虫館」である。これといった看板もなく、

積極的に客寄せをしている節もない。寄

生虫たちが涼しい顔で都会にまぎれてい

る気がして、私は急におもしろくなって

いた。ここは知る人ぞ知るマニアックな

場所……という括りで間違いないはずだ

が、なぜかデートスポットとしてもしょ

っちゅう取り上げられるという異質さを

もっている。

 まあ、おばけ屋敷に近い感覚で、恋人

たちが続々と引き寄せられてくるのだろ

う。「キモイ!」とか「グロイ!」など

と言い合って盛り上がり、互いにぐっと

距離を縮めようというもくろみがあるの

はわかる。

 が、そんなハイテンションも館に一歩

足を踏み入れれば消え失せる。整然と陳

列されているホルマリン浸けの標本と、

特色豊かな掲示物や資料群。好奇心がお

おいに刺激されるはずだ。恋人たちは新

たな知識を共有して寄生虫館を出ていく

こと請け合いで、ある意味、距離が縮ま

ることにもなるから一石二鳥である。

ハリガネ愛

 さて、私が入館してすぐ目を留めたの

はハリガネムシの標本だ。二時間ほどの

取材見学のなかで、ハリガネムシだけに

ほぼ半分を費やすという異常な熱の入れ

ようだった。それというのも、私のなか

でもっともメジャーな寄生虫であり、子

どものころからの馴染みだったからだ。

 ハリガネムシはカマキリに寄生してい

る。当時小学生だった私は、だれに教わ

ることなくこれを突き止めていた。おそ

らく、多くの子どもたちが遊びのなかで

知ることになる事実ではないだろうか。

 すべてが偶然だった。カマキリを捕ま

えて水辺へもっていったとき、急に尻か

ら細長い何かが飛び出してきて仲間内を

騒然とさせたのだ。まるで素麵のような

細長い物体が、のたうちまわるような動

きをしながら止めどなく押し出されてく

るのである……ずるずる、ずるずると。

 想像してみてほしい。それは一メート

ルはありそうな長さで伸縮性はなく、到

底、生き物には見えない「ハリガネ」な

のに激しく身をくねらせるのである。総

毛立つほど気味が悪いという経験を、私

はこのとき初めて味わった。

 ハリガネムシは水生の線形動物だが、

多くの時間を昆虫の体内で過ごす寄生虫

だ。孵ふ

化か

したハリガネムシの幼生は、水

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中でカゲロウやユスリカなどの幼虫に捕

食され、それらが羽化することで初めて

地上に出ることになる。そして終宿主と

なるカマキリやカマドウマなどに捕食さ

れ、時がくると特殊なタンパク質によっ

て宿主を完全にコントロールする。宿主

に入水自殺をさせるのだ。よってハリガ

ネムシは水中へと戻り、交尾・産卵をし

てまた一からの寄生スタートとなるので

ある。

 こういう輪廻系の寄生虫を見ると、な

んのためにここまでややこしいことをす

るのだろうかと思わずにはいられない。

そのあたり、館を案内してくださった研

究員の巖い

城きた

隆かし

さんに尋ねたところ、「特

別な意味はない。そういう生き物なんだ

から」というシンプルな答えが返ってき

た。もっともである。

 ハリガネムシ研究の第一人者である、

神こう

戸べ

大学の佐さ

藤とう

拓たく

哉や

准教授によるとこう

だ。ハリガネムシに寄生されて入水した

昆虫は、無駄なく魚のエサとなる。これ

はわずかな量ではなく、川魚が食べるエ

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川瀬七緒の法医学昆虫学者なりきりリポート157

サのうちの半分以上に当たるのだとい

う。そうなると、魚は水生昆虫を活発に

食べなくなるため、水の中に棲む虫はお

のずと増える。そして水生昆虫が食べる

藻の消費量が増え、川の水質も保たれる

という「風が吹けば桶屋が儲かる」のよ

うなカオス理論さながらの様相を見せる

のだ。

 感動すら覚えるほど壮大な生態系は、

ハリガネムシというおかしな寄生虫が、

川辺に虫を連れてくることで成り立って

いるのだからすごいと思う。こんなよう

なことを、巖城さんと小一時間も話し込

んでいた。

 ちなみに、カマキリにハリガネムシが

入っていることを突き止めた私たち小学

生軍団は、ほかの虫にも入ってるんじゃ

ないかと色めき立った。そして、さまざ

まな昆虫を水辺へと連れていった結果、

ハリガネムシがずるっと出てきたのが、

トノサマバッタとカマドウマ、そしてエ

ンマコオロギである。

 余談だが、私の住んでいた東北地方に

はイナゴを食べる習慣がある。あるとき

私は、佃煮のイナゴにハリガネムシが入

っているのを見つけてしまった。

「ばあちゃん、イナゴにハリガネムシ入

ってる……」

「ああ、煮てっから差し支えねえよ。栄

養も増えっから」

「ばあちゃん、それはない……」

 昔からイナゴが嫌いな理由がこれであ

る。

法医昆虫学の領域から見えること

 法医昆虫学においても、寄生種は無視

できない重要な存在だ。もっとも、寄生

虫館に展示されているものとは若干種類

が異なっている。館には、宿主を生かし

ながら体内に巣食う内部寄生虫が多かっ

た。一方で、法医昆虫学に登場するのは、

宿主を喰い尽くして殺す捕食寄生虫がほ

とんどなのだ。

 生き物の腐敗分解にかかわる虫は、大

きく四つのグループに分けられる。「法

医昆虫学捜査官」シリーズの読者の方な

ら、このへんはもうおわかりだろう。そ

の主要グループの二番目に入っているの

が寄生種だ。

 第一グループは屍肉食種。おもにウジ

や甲虫で、このウジ目当てに寄生アリや

寄生バチが四方八方からやってくる。寄

生バチは体長一ミリにも満たないほど小

さく、ウジの体の表面に卵を産みつけ

て、宿主をじわじわと喰いながら成長す

るのだ。最悪の種であることは言うまで

もない。しかも寄生された一匹のウジや

蛹さなぎからは、最大で数百匹ものハチが羽化

するというのだからますますいやな話だ。

 ウジではないけれども、瀕死の蛾の幼

虫から糸ミミズのようなものがわんさか

出てきたところに出くわしたことがあ

る。あまりのおびただしさに見ていられ

ず、上から土をかけて埋めてしまったの

だが。

 法医昆虫学にとって重要なのは、こう

した寄生バチが特定のウジのみを宿主に

選ぶところだろう。ウジがハエとなって

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飛び去ってしまっても、寄生バチが死体

にどんなウジがいたのかの証言者になっ

てくれる。

 なんというか、生態系というのは実に

論理的で無駄がないとしみじみ思う。本

能に忠実だからこそ、それを取り巻く関

係性が鮮やかに浮かび上がってくる。

ヒトと寄生虫

 先日も、サンマの刺身からアニサキス

が検出されたとニュースになっていた。

もはやメジャー入りを果たした風情のア

ニサキスだが、ヒトの体内では生きられ

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ないことを私は寄生虫館で初めて知っ

た。特定の魚介を通じて体内に侵入し、

激しい腹痛や嘔吐などを引き起こしたす

えに、寄生虫は死滅して排出されるそう

だ。

 酢でしめてもアニサキスは死なない。

これを聞いたとき、父が釣ってきた魚を

捌さば

いていた母の言葉が瞬時に思い出され

た。

「酢でしめたサバだから、安心して食べ

られるよ。悪いものはみんな酢で死ぬか

らね」

 とんでもないうそっぱちである。しか

もひと晩寝かせたほうがおいしいとい

って、わざわざ鮮度を落としたサバが

食卓に並んだあの日を思うとぞっとす

る。

 ところで、寄生虫館でのいちばんの目

玉はサナダムシの標本だろう。八・八メ

ートルもあるサナダムシが、ほぼ完璧な

状態で展示されているのは圧巻だ。いっ

たいこれが、どうやって体内に収まって

いたのか……同じ長さの綾テープを手繰

りながら考えた。ちなみに、サナダムシ

の長さが体感できるよう、館には親切に

も八・八メートルのテープが置かれてい

る。複雑な気分になるが、カマキリにも

一メートル近いハリガネムシが入ってい

たのだから案外余裕なのかもしれな

い。

 サナダムシはヒトの腸粘膜に吸着して

おり、下痢や腹痛などの自覚症状も出る

という。寄生経路はサケやマス類の生食

で、海での生活歴があるものに限られる

こと以外は不明な点が多いようだ。私は

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今まで生な

牡が

蠣き

でしかあたったことはない

けれども、生食がいかに危険と隣り合わ

せであるかが身にしみる。まるで賭けの

ようだ。

 そういえば、「サナダムシダイエット」

なるものがヴィクトリア朝時代に流行っ

ていたという俗説を知っているだろう

か。オペラ歌手のマリア・カラスが、百

キロ以上もある体重を短期間で半分にま

で落とすことに成功したとかなんとか。

あるハリウッド女優もサナダムシを体内

で飼っているなんて噂もあったけれど

も、事実だとすればイカれているとしか

言いようがない。サナダムシが生きるの

に必要なカロリーが少ないことを考えれ

ば、瘦せる直接の理由は自覚症状として

出る嘔吐、下痢のほうだろう。

 めっぽう体に悪いが、カプセル入りの

サナダムシの卵が密かに売られていて、

アメリカとイギリスでは売買が禁止され

る事態になっているらしい。挑戦する強

者がまだいるということだろうか……。

機械仕掛けのイモムシ

 あるとき、ナショナルジオグラフィッ

クチャンネルが配信しているドキュメン

タリー番組を何気なく観ていた。それは

カタツムリの体を乗っ取った寄生虫の生

態を追ったもので、名前はロイコクロリ

ジウム。とにかく目が離せなくなるよう

な奇抜な姿をしており、映像が脳裏に焼

きついて離れなかったほどだ。その生き

た実物が、なんと寄生虫館に期間限定で

展示されていたものだから小躍りしてし

まった。

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川瀬七緒の法医学昆虫学者なりきりリポート161

 寄生虫のターゲットは、オカモノアラ

ガイというカタツムリを平べったくした

ような陸地に棲む巻き貝だ。落ち葉や生

き物の死骸などを食べている極めて地味

な生き物なのだが、ロイコに寄生された

が最後、近寄りがたいほどの狂気を宿し

た見た目に

変する。

 まず、貝の体内で孵化した大量のロイ

コの幼生が、一斉に宿主の「目」に移動

して黄緑や黄色やオレンジといったど派

手な縞模様をつくる。二本の触角はグロ

テスクに膨ふ

らみ、それを伸縮させること

で模様をくねくねと動かしはじめるの

だ。まるで機械仕掛けのからくりのよう

で、カタツムリらしからぬ激しさを見せ

るのである。

 これはイモムシに似せて鳥に喰わせる

ための作戦であり、宿主をコントロール

して行動をも支配する。わざわざ鳥に見

つかりやすい葉の上などに連れ出してい

るさまは、ハリガネムシと同じく自殺へ

の誘導だ。そうしてまんまと捕食させ、

ロイコは鳥のフンに混じって再び地上へ

落ち、また別の貝がそれを食べると同時

にゾンビ化することを繰り返している。

鳥に喰われるまで死なせないという、容

赦のない飼い殺し状態だろう。

 この奇妙な姿から、アマゾンとかコス

タリカなどのジャングルに生息している

のかと思いきや、東京でもそのへんのじ

めじめした場所に普通にいるそうだ。

 冒頭で気乗りしないとか守備範囲では

ないとか散々なことを言ったけれども、

担当編集の読み通り私は寄生虫もわりと

イケるらしい。あらためて、デートスポ

ットにも強くおすすめする次第であ

る。