32
からみた 1.はじめに じめ, 多く アプローチが らか している えに「 」がある。 して をおく あり,「 」 あいまって, ある によって される える。 1 わち, ある一 にしたがって わせられ られるが,各 ち,一 にしたがって していく。確 かに, わせ あらわせ く, ありえ を待た い。 2 しかし がら, に意 く,それが一 けれ ,多く いだろう。 あろうか。 が, にそ るモノ く, 体を いう を扱うモデル れられている。た いう っている にそれが「一 ある いう だけ く,9 か,プロ があって,一 るこ するさまざま つこ ある いえる。 しかし,これらが「 か,それ

語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 21

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張*

菊 田 千 春

1.はじめに

 統語論をはじめ,現代の言語学の多くのアプローチが何らかの形で前提と

している考えに「語彙主義」がある。語彙主義とは,情報の貯蔵庫としての

単語に重点をおく考えであり,「構成性の原理」とあいまって,文の意味は,

その構成要素である単語の意味によって決定されると考える。1 すなわち,単

語はある一定の規則にしたがって組み合わせられ句や文が作られるが,各単

語は意味を持ち,一定の規則にしたがって文全体の意味を構成していく。確

かに,句や文の意味が単語の意味の単純な組み合わせのみではあらわせない

ことは疑いなく,構成性の原理が唯一絶対の原則でありえないのは論を待た

ない。2 しかしながら,個々の単語に意味がなく,それが一定の手順で文全体

の意味に寄与しなければ,多くの文は統一的な意味をもたない音の連鎖でし

かないだろう。

 では,語彙の意味とはなんであろうか。語彙の意味が,単純にその指示す

るモノや出来事ではなく,百科辞書的な知識の総体を含むという考えは,認

知言語学や言語処理を扱うモデルなどで広く受け入れられている。たとえば,

「野球」という語を知っているとは,単にそれが「一種の球技」であるという

ことだけでなく,9人で行うとか,プロの球団があって,一流選手は高い年

俸を得ることなど,野球に関するさまざまな知識をもつことであるといえる。

しかし,これらが「野球」の「語彙情報」と呼ぶべきものか,それとも野球

Page 2: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春22

という球技についての「一般的・語用論な知識・情報」であるかは必ずしも

明確ではない。たとえば,フレーム意味論では,「野球」という出来事のフ

レームの中にこれらの情報は含まれるが,その知識総体を「野球」の「語彙

情報」と位置付けるわけではない。3  語彙情報と語用論的知識の区別の境界

線はあるのだろうか。

 伝統的な言語学では,語彙の意味はごく限定された指示的な内容で,その

表すものが現実に社会の中でどのような特性や事象と結びつくかということ

は,いわば「語用論」の問題として区別していた。しかし,近年では,その

境界線が明確には引けないというのが一般的な了解となってきている。近頃

発展を見せるRadical Pragmatics(急進語用論主義)という立場では,かつて

は「言語外」の情報を扱うと考えられていた語用論が想像以上に「言語内」

のふるまいに影響を持ち,たとえば統語論の領域で扱われていた問題も語用

論的な説明が試みられるようになってきている。逆に,Lexical Pragmatics (語

彙的語用論)という概念も生まれてきている。また,認知言語学などのよう

に,従来の領域の区別そのものに意味がないと考える立場もある。4そこで

は,「語彙情報」という特別なレベルはなく,すべて百科辞書的な意味の一部

として考えられている。一方,Pustejovsky (1995)の提案する生成語彙論では,

「語彙辞書」の記載範囲を大きく広げ,百科辞書的な意味や情報構造も「語

彙」の問題として考えようとしている。

 かつて,1970年代後半,生成文法の標準理論の末期に,意味を基盤として

統語構造が作られると考える生成意味論が生まれた。その考えは多くの支持

者を集めながらも,統語構造の複雑化を生み,生成文法の目指す一般化,単

純化,抽象化の志向とはあわないことから,標準的な生成文法の発展からは

はじき出されてしまった。その生成意味論者の中から意味の中心性をさらに

重視し,統語という独立したレベルを否定する認知言語学や認知文法が生ま

れて来たことはよく知られている。一方,生成語彙論を主張するPustejovsky

も,かつては生成意味論者であった。彼は,意味を基盤に統語構造が生まれ

Page 3: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 23

るという生成意味論の中心的な主張を固持しつつ,多様な意味のありかを統

語ではなく語彙に求めた。その結果,生成意味論という共通の出発点をもち

ながら,生成語彙論と認知文法は,次のような点で違いをもつ。生成語彙論

は統語レベル,また,「文」という単位を認めるが,認知文法は一切の離散的

な区別の重要性に懐疑的である。同様に,言語情報と言語外情報の区別につ

いても,前者はある程度認めるが後者ははっきりと否定する。さらに,生成

語彙論は生成文法であるので厳密化,形式化をめざすが,認知文法はその意

義を否定する。

 本稿では,強い語彙主義に立つ生成語彙論の有効性を日本語の主要部内在

型関係節を用いて検証する。研究プログラムとして生成語彙論を取り上げる

のは以下の理由である。まず,言語にいろいろな情報が複雑に絡み合ってい

るということは真実としても,それだけでは,それらがどのように絡み合っ

ているのか,本当に混沌としていて整理するすべがないのかもわからない。

そこで,説明のための「言葉」として,生成文法の明確な構造と予測力をもっ

た理論をあてはめてみることには意義があるだろう。もし,傾向やパターン

が抽出できれば,説明構造の有効性が示されることになろうし,抽出できな

ければ,説明構造が不備であるか,現象自体がそのような構造化にそぐわな

いものであることが示されることになるだろう。

 また,後に述べるように,主要部内在型関係節には言語表現の背景にある

情報や知識構造が深く関わる一方,独立した2つの文の間に働く語用論的な

推論に比べると,はるかに限定された推論しか許されず,言語的にコード化

された情報としての語彙的な意味が重要な制約として働いていることがうか

がえる。そこで,言語情報と百科辞書的な知識をつなぐ生成語彙論には,内

在型関係節の構造をより深く検証する力があると期待できる。5

 以下では,まず,第2節で,主要部内在型関係節を簡単に説明する。主要

部内在型関係節の非明示ターゲットの可能性を調べ,言語的にコード化され

た情報と一般的な知識や文脈情報の区別には意味があることを論じる。第3

Page 4: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春24

節では生成語彙論を紹介し,第4節ではそれをもちいて,主要部内在型関係

節の非明示ターゲットの例をどのようにとらえることができるかを考える。

生成語彙論の枠組みがかなり有効であることが示されるであろう。しかし,

その一方で,現在の生成語彙論ではとらえられない例もあることを第5節お

よび第6節で指摘したうえ,その解決についての示唆を与えたい。第7節は

まとめである。

2 . 主要部内在型関係節

 主要部内在型関係節とは,次の文の下線部のような構造をさす。

(1) a. [ 昨日おばにリンゴをもらった ] のを食べた。

b. [ 先週末,ブンチョウが死んだ ] のを庭に埋めた。

これらの構造は,それぞれ,「リンゴ」「ブンチョウ」を指すと考えられるが

(以後,ターゲットと呼ぶ),それらは埋め込み文のなかに位置したままであ

り,統語的な主要部となっているわけではない。次のような,ターゲットが

埋め込み文の外に出て,統語上も主要部となっている名詞修飾構造を一般的

に関係節と呼ぶところから,(1)を主要部内在型関係節と呼び,(2)の主要部

外在型関係節と区別する。

(2) a. [ 昨日おばにもらったリンゴ ] を食べた。

b. [ 先週末死んだブンチョウ ] を庭に埋めた。

 主要部内在型関係節と主要部外在型関係節は,単に統語的な違いだけでは

なく,意味にも多くの違いがあると指摘され,現在では,全く別のものとし

て扱うのが一般的である。主要部内在型関係節のターゲットは,主文の動詞

によって要求されてはいるものの,主文の項として統語的にはあらわれず,

Page 5: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 25

埋め込み文の項としてあらわれている。しかし,埋め込み文の項が主文の項

に対応することを示すような明示的な「印」がつけられているわけではなく,

そのターゲットをどのように同定するかが問題となっている。(1a)の例では,

「食べる」の目的語となるべき項は主文内にはあらわれないが,埋め込み文の

中の項「りんご」がそれに相当する。統語上,ターゲットの同定を保証する

ものはなく,意味的な共起可能性(この場合であれば,「リンゴは可食物であ

る」ということ)がその同定を保証している。統語的なアプローチでは,そ

の同定の手続きとして,不可視な項を想定し,それとリンゴが同一指標をう

けるという方法がとられることもある。

 しかし,ターゲットを何らかの形で埋め込み文の項と完全に同定すること

にはいくつもの問題が指摘されてきた。まず,ターゲットが埋め込み文の中

にあらわれる項と同一とは単純に言えない(3)のような例がある。

(3) [ ミネラルウォーターを冷凍庫で凍らせた ] のをアイスコーヒーに浮かべた。

この場合のターゲットが,埋め込み文の中に同一指標を受ける項として存在

するとすれば,「ミネラルウォーター」としか考えられないが,「ミネラル

ウォーターを浮かべた」というのは奇妙である。明らかに,埋め込み文内で

の当該の項は水を指すが,ターゲットは氷を指す。6

 さらに,Kuroda (1974-77)が指摘するように,ターゲットは,単一の項で

はなく,候補となる項の集合体を指すこともある。(4)はそのような例であ

る。

(4) [ 警官が泥棒を追いかけていた ] のが2人とも川に落ちてしまった。

通常の統語論の考えでは,たとえば同一指標が単一の項だけでなく,項の集

合体にも付与されるというメカニズムは想定できない。

Page 6: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春26

 直接的・統語的なアプローチの限界をさらに如実に示したのが,野村

(1998, 2001)の挙げる,非明示的ターゲットの例である。

(5) a. [ 2階のふろ場の浴槽があふれた ] のが下まで漏れてきた。(野村 1998)

b. [ 今朝顔を剃った ] のが,夕方にはまた伸びてきた。(野村1998, 2001)

c. [ 土を2メートルほど掘った ] のを上から覗き込んだ。(野村 1998, 2001)

(6) a. [ 宴会で足が出た ] のを幹事が立て替えた。(野村 1998, 2001)

b. [ インク瓶を机の上に倒してしまった ] のを拭き取った。(野村 1998, 2001)

(5a-c)のターゲットはそれぞれ「湯(水)」,「ひげ」,「穴」であり,(6a-b)の

ターゲットはそれぞれ「赤字(不足分)」,「インク」であろうが,それらは埋

め込み文の項ではない。

 このようなことから,ターゲットと埋め込み文の中の項の関係は直接的・

統語的な同一指標付与のメカニズムではなく,より間接的で,文脈的な法則

などによって支配されるという考えが一般的となっていった。尾谷(1997),

野村 (1996, 1998, 2001)は,認知言語学の視点から,内在型関係節を参照点

構造と分析し,ターゲットは,「埋め込み文で表現された出来事の際立った参

与者」であると論じた。その参与者は認知的な際立ちをもつことから,言語

化される可能性が高いものの,言語化は必要条件というわけではないので,

言語的には明示されなくても(5)-(6)の例のようにターゲットとなることがで

きる。統語的な分析でも,Murasugi (1994)をはじめ,「副詞節分析」が多く

提案されている。それによれば,内在型関係節は一種の副詞節のようなもの

で,主文は音形を持たない proのようなものを本当の項(ターゲット)とし

て持つ。このproの先行詞は,内在型関係節内の項が何らかの形で優先され

るものの,それには限定されず,最終的には文脈により決定される。7 

 このような文脈依存型の分析によれば,内在型関係節のターゲット同定の

Page 7: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 27

メカニズムは,一般的な文にみられるproや代名詞の先行詞同定のメカニズ

ムと,基本的に一致すると予測される。事実,(7)にみられる文(節)境界を

越えた照応の例は,(1a)の主要部内在型関係節との強い類似性を示す。8

(7) a. 昨日おばにリンゴをもらった。 そこで,それを食べた。

b. 昨日おばにリンゴをもらったので,φ食べてみた。

 同様に,上の(5)-(6)の例も次の(8)-(9)のように,文(節)境界を越えた照

応に対応する。

(8) a. 2階のふろ場の浴槽があふれた。そして,それが下まで漏れてきた。

b. 今朝顔をそったが,夕方にはまたφ伸びてきた。

c. 土を2メートルほど掘って,φ上から覗き込んだ。

(9) a. 宴会で足が出たので,それを立て替えた。

b. インク瓶を倒したので,タオルでそれを拭き取った。

 しかし,内在型関係節のターゲットと文(節)境界を越えた照応の間には

大きな違いがある。とくに重要なのは,内在型関係節の場合,埋め込み文に

あらわれる言語情報のみが重要な意味をもつことである。たとえば,文(節)

境界を越えた照応では,直前の文に限らず一般的な文脈情報から先行詞を特

定できる。

(10)(いただきもののナシがとてもたくさんあった。)昨日,おばさんからリ

ンゴをもらったので,ご近所におすそわけすることにした。

(10)の場合,容認度には差があるだろうが,「おすそわけ」したのは,リンゴ

Page 8: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春28

ともとれるし,ナシともとれるだろう。しかし,内在型関係節では,この曖

昧性は生じない。

(11)(いただきもののナシがとてもたくさんあった。)昨日,おばさんからリ

ンゴをもらったのをご近所におすそわけすることにした。

(11)もやや不自然な文だが,少なくとも,この場合には,ターゲットはナシ

にはなり得ず,リンゴに限られる。このように,一般の文(節)境界を越えた

照応では広い文脈情報が関与する可能性があるのに対し,内在型関係節では,

埋め込み文の中の言語化された情報がなによりも大きい意味を持つことがわ

かる。

 また, (5)-(6)の例の場合も,非明示的ターゲットとはいえ,かなりコード

化された言語情報の中にターゲット同定のカギが含まれている。たとえば,

たしかに,(5)の例で,埋め込み文の中にそのままターゲットを明示化するこ

とはできない。

(12) a. *浴槽が湯があふれた

b. *顔をひげをそった

c. *土を穴を掘った

 しかし,それぞれのターゲットは,埋め込み文の述語動詞の項として,与

えられた項と交替して,明示的にあらわれることができる。

(13) a. 湯があふれた/浴槽があふれた 

b. ひげをそった/顔をそった

c. 穴を掘った/土を掘った

Page 9: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 29

 次のような例も,項の交替可能性が非明示ターゲットに関わることを示唆

する.

(14) a. [ やかんが沸騰した ] のを湯呑みに注いだ。 (野村 2001)

b. やかんが沸騰した/湯が沸騰した 

 また,項の交替ではないが,(6)の例も,(6a)の「足が出る」はイディオム

として,「赤字が出る」「不足分が出る」と対応し,(6b)の「インク壷」は「壷」

ではあるが,「インク」を入れるものであるということは明示されているの

で,語彙的な情報が関与すると考えられる。

 これらについて,野村(1998, 2001)は(5)や(14)のような項交替と見える例

や(6a)のイディオムの例を「意味的に分析可能」な例,(6b)を「形態論的関

連性」の例と呼んでいる。9  ただし,野村は,あくまでも,これらの2つの

語彙的要因は必要条件ではなく,認知的な際立ちを高める助けとなっている

にすぎないと考えている。この2つの要因が決して必要条件ではないことを

示す例として(15)を挙げる。

(15) [ バケツを倒してしまった ] のを拭き取った。(野村 2001)

たとえば「水を倒した」とは言えないので意味的な分析は可能ではなく,ま

た「バケツ」の中に「水」を示す形態素は含まれないので,形態論的関連性

も認められない。もちろん,先程の「項交替」にもあてはまらない。それで

もこの非明示ターゲットが成り立つのは,「バケツ」は「水を入れて使うのが

普通で,バケツを蹴飛ばしてしまったら,中の水が撒き散らされるに違いな

いという意味論的/語用論的推論」によって際立ちが保証されるからである。

 確かにこの分析は,主要部内在型関係節の性質を認知言語学的に正しく捉

えているだろう。また,たとえば単純な項交替のような語彙情報によって非

Page 10: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春30

明示ターゲットがとらえられないのも事実である。しかし,(15)の例は,語

彙情報の重要性への反例といえるだろうか。さらに,「認知的な際立ち」とい

う属性は曖昧で,予測性に乏しい。「どういう場合に非明示的ターゲットが許

容されるのか」というと「際立っている場合」であり,「どのようなものが際

立っていると認定されるのか」というと,「非明示的ターゲットとなれる場

合」である,というように,定義そのものが循環論に陥る危険性が高い。そ

こで,以下では,この「際立ち」を高める要因をより客観的,明示的に捕ら

える有効な方法を探るために,生成語彙論に目を向けてみる。

3 . 生成語彙論

 生成語彙論(Generative Lexicon)は Pustejovsky (1993, 1995)によって提案さ

れた。この理論のユニークな点は,語彙が大変構造化され,豊かな内容を含

んだ情報構造としてとらえられていること,きわめて強い語彙主義を具現化

した理論であるという点である。上に述べたように,主要部内在型関係節の

ターゲットの同定が,文脈情報のみに帰することができるのではなく,埋め

込み文の内容に強く依存するというのならば,それは,語彙情報として取り

込むことができるのだろうか。また,ターゲットになれるものと,なれない

ものを予測することができるだろうか。データ自体の判断の揺れ,個人差な

どを鑑みると,個々の事例について,可能か不可能かを絶対的に予測するの

は,むしろ適切ではないと考えられるが,少なくとも,いろいろな個人差を

越えて見られる傾向を説明したり,関与する要因をとらえることができるだ

ろうか。

 Pustejovsky は,生成文法であるという立場から,コード化された情報の自

律性が重要な意味を持つと考え,そして,統語的なふるまいも,そのコード

化の様式によって,ある程度予測できると考えている。Pustejovsky (1995)は

語の多義性に特に関心をよせている。同じ語彙でも異なる意味で異なる統語

環境にあらわれることができる場合に,単にその多義を列挙したり,意味公

Page 11: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 31

準によって「この文脈ではこの意味で用いられる」というように記述するに

とどまらず,語彙構造自体が,そのような多義的な振る舞いを体系的に保証

し,ある一定の限定された単純な手続きによって自動的に生成できる仕組み

を持つべきであると考えている。

 生成語彙論での語彙構造は以下のような4つの表現レベルからなる。

   

1 項構造(Argument Structure):論理項の数とタイプ,そしてそれらが統語

的にどのように具現化されるのかを規定する。

2 事象構造 (Event Structure):語彙項目や句の事象のタイプを記述する。

3 クオリア構造(Qualia Structure):語の意味を4つの側面から定義する。

4 語彙概念継承構造(Lexical Inheritance Structure):語彙構造が,タイプの

束(lattice)の中で,ほかの語彙構造にどのようにつながっていくかを規

定し,全体の語彙目録の構造を決めていく。

このうち,クオリア構造は以下の4つの役割からなる。

1. 構成役割(constitutive role):その対象の構成要素。名詞の場合には,そ

の材質や部品など。

2. 形式役割(formal role):より大きな領域の中での特徴づけ。

3. 目的役割(telic role):対象の目的と機能。

4. 主体役割(agentive role):対象の発生の要因や起源。

 クオリアとは,ラテン語で「事物の質」をあらわす。これは,アリストテ

レス哲学の説明モードに由来し,Moravcsik (1975)によって,自然,命題,行

為の理解に関与する概念として引用された。この4つの要素は人間が世界の

事物や関係を理解するうえでの基本的方向づけを行ない,いろいろな事物を

名づけたりする能力にも深く寄与すると考えられる。

Page 12: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春32

 語のあらわす意味内容にはさまざまな側面があり,いわゆる百科事典的知

識として蓄積された知識や喚起されるイメージや連想は,原理上,果てしな

い広がりを持つ可能性がある。しかし単文そのものの解釈に必要な語の意味

は,かなり限定された側面に限られることが多い。クオリアはそのような広

がりのある知識を整理して表現する働きをもつ。クオリアの各役割は,コー

ド化された情報として語彙構造の中で記述する必要のある情報をとらえ,語

句の意味の多義性をとらえるうえでの「構造的枠組」テンプレートになる。

重要なことは,クオリアは単に情報の整理のみを目的とした機能的な概念で

はないということである。クオリアは,世界の事物を理解するうえで,人間

が否応なく意識をむけざるを得ない方向をあらわしている。

 たとえば,すべての事物はいろいろな事象・事物と関係づけられて意味を

もつ。「パン」は暗黙のうちに,「焼く」という行為や「食べる」という行為

と結びつく。「本」は「書く」という行為や「読む」という行為と結びつく。

それは事物の理解のうえで,人間が自然に目を向ける方向といえるが,この

それぞれの行為は,実は,主体役割と目的役割をあらわす。そして,この2

つの事物が主体役割をもつということは,「パン」や「本」が人工物であると

いう共通のタイプに属していることを意味する。たとえば通常「石」のよう

な自然物には,主体役割として定義されるものがない。また,「パン」が「食

べる」という目的役割をもつことは,to finish the breadが「パンを食べ終え

る」という意味をもつことを保証する。to enjoy the bookが「本を読むことを

楽しむ」という意味をもつのも同様である。

 膨大な動詞や名詞を体系的にタイプ分けし,隣接するさまざまな語彙と無

駄なく関係付けるためには,意味的な基本タイプに分解し,語彙の一般属性

を抽出し,複数の語彙の共通面などをとらえる必要があることはいうまでも

ない。生成語彙論では,語彙概念パラダイム(lexical conceptual paradigm:

lcp)のラティス構造がそのような語彙の体系化の一翼をになうとされ,各述

語の事象タイプを規定する。たとえば,buildやmakeは創造動詞(creation verb)

Page 13: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 33

という lcpを持つゆえに,その一般属性を共有すること,また,その両者は

ともに,完成動詞(accomplishment verb)の下位タイプであることから,た

とえば進行形を用いる時にはその行為の達成が含意されないことなどが導か

れる。名詞に対しても,「人工物」「人間」といった存在論的タイプが規定さ

れる。10

4 . 生成語彙論を使って

 では,このような生成語彙論は,主要部内在型関係節の非明示ターゲット

に対する制約をとらえることができるだろうか。前節で,非明示ターゲット

の例には,「あふれる」「そる」「掘る」などの述語の項構造が関わりを持つ可

能性を指摘した。(15)の例などは,項構造だけでは説明ができないことを示

していたが,まずは,項構造を出発点に,生成語彙論での分析の可能性をみ

てみよう。

 生成語彙論は,多義関係を単に語義を列挙するのではなく,体系的にとら

えることを主眼としている。その項構造が含むのは,単なる統語的に下位範

疇化された項に限らない。Pustejovsky (1995)は項や付加詞を真の項(true

argument),デフォルト項(default argument),影の項 (shadow argument),真の

付加詞 (true adjunct) の4つに分ける。このうち,常に統語的な項として具現

化されるのが真の項,論理表現を修飾するがその定義には関与せず,統語的

な項としてはあらわれないものが真の付加詞である。一方,デフォルト項と

は,クオリア構造の論理表現にあらわれるが,統語的には必ずしもあらわれ

ないパラメータである。また,影の項とは,語彙項目に意味的に組み込まれ

ており,そのまま統語的に表現されると,冗長にひびくので,より詳細な情

報を加えることによってのみ具現化することができる。たとえば,「(字を)

書く」という場合には,必ずペンや墨や鉛筆などと,紙などが必要であろう

が,それらはデフォルト項であり,必ずしも統語的な項となるとは限らない。

「字を書く」という行為を行なう場所を表す「部屋」などは真の付加詞である。

Page 14: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春34

 このような枠組みでは,(5)の場合の項がそれぞれ真の項であるとすると,

ターゲットとなっていたのはデフォルト項と考えられるだろう。たとえば

「あふれる」を論理的に定義するには「液体(または気体,個体の集合のこと

もある)」が物体(項)の外に出ると規定する必要があるからである。

 デフォルト項が非明示ターゲットの候補になるという仮説は,つぎの例で

も検証できる。

(16) [習字をしていた ] のが手について真っ黒になった

この場合,非明示ターゲット「墨」は交替可能な項ではないので,「項交替」

という条件にはあてはまらないが,「習字をする」には明示されていなくても

「墨」を使ったという情報が含まれているので,「墨」はデフォルト項である

と考えられる。

 しかし,デフォルト項がただちに非明示ターゲットになれる訳ではもちろ

んない。

(17) a.*[ 部屋を片付けた ] のを捨てた

b. 部屋を片付ける/ごみを片付ける

「片付ける」という述語は,目的語として「不用物(ごみ)」をとる場合と,

その不用物が取り除かれる「場所」をとる場合がある。「不用物」はデフォル

ト項と思われるが,しかしよほど文脈の助けがないと,(17a)で非明示ター

ゲットとして「ごみ」を指すことはできない。非明示ターゲットになるには,

すくなくとも次の2つの要件を満たさなくてはならないと思われる。

 まず,第1にそのターゲットがある程度限定されていることである。上の

(17a)は,片付けるのは,ごみとは限らず,本でも食事でも,また,もっと

抽象的な「仕事」でもよいので,限定性が低いことが問題と考えられる。文

Page 15: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 35

脈によって,ごみであることが明らかであると可能になるのは,その裏返し

である。

 第2に,その非明示ターゲットがある行為に関わっているというだけでは

なく,行為の結果状態の規定に大きく関わっていることが必要である。

(18) a. *[ 食器を洗っていた ] のが床にこぼれた

b. *[ さかなを3枚におろした ] のを研いだ。

c. *[ やかんが沸騰した ] のを消した。 (野村 1998, 2001)

「洗う」「おろす」という行為には,「水」や「包丁」が不可欠の論理項として

関与していると考えられるが,非明示ターゲットにはなりにくい。「あふれ

る」と「洗う」が同じように水や湯を不可欠としているにもかかわらず,こ

のような差があるのは,前者ではその結果状態の規定に水(液体)が関与す

るのに対し,後者では,結果状態の規定には関与しないからであると考えら

れる。「おろす」についても,包丁は行為には関与するが,結果状態には関与

しない。(18c)は野村(1998, 2001)の例で,(15)と対比をなし,「やかん」と交

替可能(意味分析可能)な「湯」は非明示ターゲットになれるが,そうでは

ない「火」はなれないことを表すのに用いられていたが,これも,「結果状

態」に関与しない例と分析しなおすことができる。11

 ところで,このような「結果状態の規定に関与する」という特質は,生成

語彙論の項構造のみではとらえられない。また,すでに見たように,上の

(14a)の例もデフォルト項の概念ではとらえられない。そこで,ターゲットを

より正確にとらえるために,生成語彙論のクオリア構造に目を向けてみよう。

 Pustejovsky (1995)では,主に名詞の語彙構造に力点が置かれていた。主要

部内在型関係節については名詞だけでなく動詞も重要であるので,動詞の語

彙構造を考えよう。動詞は事象構造をもつ。たとえば完成動詞であるbuildな

どの場合,その過程(process)に相当する下位事象(subevent)と結果状態

Page 16: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春36

に相当する下位事象に分解され,それぞれ,クオリア構造における主体役割

と形式役割によって規定される。未完了的(atelic)な事象の時には主体役割

のみが規定される。上で述べたように,buildは完成動詞の中でも,創造動詞

という下位タイプであるので,それがあらわす事象は,主体的行為としての

建築行為(building act)と,その結果何らかのものが存在するようになると

いう存在状態の複合事象である。そして,建築行為に関する参与者は項構造

に規定された項(主体と材質)に関係づけられ,その結果状態に関する参与

者も項構造内の項(建造物)と関係づけられる。このようにbuildという動詞

が主体,材質,建造物の3項と関係づけられる一方,その目的語として真の

項となるのは材質ではなく建造物である(つまり,to build bricksではなく to

build a house)というようなことは,創造動詞のタイプをもつ動詞に共通し

てみられることで,これは,クオリア構造に付与された語彙概念パラダイム

が創造タイプ(create-lcp)であることから導かれる。次の(19)がこのような

buildの語彙構造をやや簡略して表したものである。

(19)

 では,内在型関係節の場合はどうだろうか。非明示ターゲットが事象の結

果状態に関与するものに限られるということから,その要件にはクオリア構

buildE1 = e1: processE2 = e2: stateRESTR = <α�HEAD = e1

animate_indFormal = physobj

artifactConst = 3Formal = physobj

materialFormal = mass

ARG1 = 1

ARG2 = 2

D-ARG1 = 3

create_lcpFormal = exist(e2, 2 )Agentive = build_act(e1, 1 , 3 )

EVENTSTR=

ARGSTR =

QUALIA =

Page 17: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 37

造の形式役割の規定が関与することが推測される。(18)の例の「水」「包丁」

は,デフォルト項であると考えられるかもしれないが,それらは「洗う」「お

ろす」の主体役割には関与しても,形式役割の規定には関与しない。一方,

(5)では,「水(湯)」「ひげ」「穴」は「あふれる」「そる」「掘る」の形式役割

の規定に関わると考えられる。

(20) 浴槽があふれる

(21)(皿を)洗う 12

ahure

EVENTSTR =E1 = e1: processE2 = e2: stateRESTR = <α�HEAD = e1

ARG1 = 1 artifactFormal = physobjTelic = contain(e3, 1 , 2 )

liquidFormal = mass

D-ARG1 = 2

state_change_lcpFormal = be_out_of(e1, 2 , 1 ,)Agentive = go_out_of(e2, 2 , 1 ,)

ARGSTR =

QUALIA =

araw

EVENTSTR =E1 = e1: process

ARG1 = 1 animate_indFormal = physobj

artifactFormal = physobj

materialFormal = liquid

ARG2 = 2

D-ARG1 = 3

state_change_lcpFormal = wash_result(e2, 2 )Agentive = wash_act(e1, 1 , 2 ), use_act(e3, 1 , 3 )

E2 = e2: stateRESTR = <α�HEAD = e1

ARGSTR =

QUALIA =

Page 18: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春38

 もちろん,動詞だけではなく,名詞のクオリア構造も非明示ターゲットの

可能性に大きく寄与する。もういちど(5a)や(14a)の例をみてみよう。

   

(5) a. [ 2階のふろ場の浴槽があふれた ] のが下まで漏れてきた。(野村 1998)

(14) a. [ やかんが沸騰した ] のを湯呑みに注いだ。(野村 2001)

(5a)の場合,「あふれる」の情報だけでなく,「浴槽」自体もその目的役割と

して,「水(湯)を入れる」という役割情報を持っていると考えられる。「や

かん」も同様に,「湯を入れる」容器としての役割情報を持っている。項交替

の可能性が非明示ターゲットの必要条件も十分条件でもないことはこれまで

の例でもみてきたが,あたかも項交替であるかのように見えていたのは,じ

つは,このような名詞の目的役割の規定のせいであるといえる。すなわち,

ある種の名詞と動詞の組み合わせでは,動詞が統語的には事物を表す名詞を

項としてとりながらも,実はその目的役割の中の項が本当の論理項となって

いたり,また,その事物と目的役割の中の論理項がどちらも動詞の統語的な

項となれたりするようである。

 名詞の目的役割の関与は,先に挙げた,項交替をふくまない例を説明する

上でも,きわめて有効である。

(6) b. [ インク壷を机の上に倒してしまった]のを拭き取った。(野村 2001)

(15) [ バケツを倒してしまった ] のを拭き取った。(野村 1998, 2001)

(22) ?? [ 壷を机の上に倒してしまった ] のを拭き取った。(野村 1998, 2001)

 上述のように,このうち(15)は,野村(2001)によれば,意味論的 /語用

論的推論によってのみ認知的な際立ちが保証され,明確な形式的な言語学的

規定の不備を示す例とされる。しかし,生成語彙論の枠組みで捉えなおすと,

この不明瞭に見える例の基底にも,語彙の意味情報が明確に且つ体系的に存

Page 19: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 39

在していることが見えてくる。つまり,「バケツ」は目的役割としてなにか液

体を入れる容器であるという規定を持つと考えられる。ところが,「壷」はい

くつかの用途があり,必ずしも液体を入れるとは限らず,それゆえ,文脈を

離れた(22)は容認度が低い。一方,(6b)のように,複合語を構成する「イン

ク」がその目的役割を特定化すると容認度が高くなる。つまり,これらの例

は言語的なコード化としてとらえられない推論一般が重要であることを示し

ているのではなく,むしろ,かなり限定された言語のコード化に沿って非明

示ターゲットの特定が進むことを示しているといえる。このように,生成語

彙論の想定するクオリア役割は,一見したところ語彙情報ではないと思われ

る例にも,適切な語彙的説明を与えることができる。

5 . 存在論的意味分解の必要性

 前節では,項構造やクオリア構造といった仕組みにより,内在型関係節の

非明示ターゲットも,言語的にコード化された情報としてとらえられること

を見てきた。しかし,実際には,これだけでは,すべてのデータに対応する

ことはできない。

(23) a. [ いわしがこげた ] のをこそげて取った

b. [ シャツが真っ黒に汚れた ] のを洗い落とした 

 (23a-b)では,ターゲットとなるのは,それぞれ「こげ」,「汚れ」であると

考えられるが,それらはもちろん,明示項ではなく,また,「いわし」や「シャ

ツ」の目的役割に関与するわけでもない。動詞「こげる」「汚れる」の結果を

表す形式役割は,何らかの対象が be-burnt, be-soiled, be-brokenというような

状態にあると解されることになろうが,そこには「こげ」「汚れ」というよう

な論理項はみられない。しかし,あきらかに,これらの形式役割と「こげ」

「汚れ」の間には密接な関係があり,その関係ゆえに非明示ターゲットが認可

Page 20: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春40

されていると考えられる。

 その関係をとらえるために,ここでは,仮に「存在論的意味分解(ontological

decomposition)」とも呼べる強要的な(coercive)タイプ変換関数を想定した

い。それは,形式役割の規定の「結果(状況)状態」be-state(e,x)を,「存在

状態」exist-at(e,x,y)へと転換する(あるいは関係付ける)。たとえば, (23)の

例の形式役割は次のように変換される。

(24) a. be-burned(e, x) --> exist-on(e, burn, x)

b. be-stained(e, x) --> exist-on(e, stain, x) (or dirt)

 つまり,存在論的意味分解とは,品詞論的に言うと,形容詞を名詞でとら

えなおす,あるいは形容詞表現と名詞表現のつながりを明示する操作と考え

られよう。もちろん,be-tallのように,いくら強要しても,すべての状況状

態が存在状態へと転換できる訳ではないだろう。しかし,そのような転換が

可能な状況状態もあり,そして,そのような場合にのみ非明示ターゲットが

可能になると考えられる。実は,前節で見た(20)の「あふれる」の形式役割

も,この存在論的意味分解を行なった結果であるといえる。cf. be_overflowed

(e, x) --> be_out_of(e, water, x) x: bathtub. 13

 品詞の違いをこえた語の共通性については,Pustejovsky (1995)でも,たと

えば動詞 examineと名詞 examination,動詞 purchase と名詞 purchase,動詞

constructと動名詞 constructingのような語彙の間の関係についての言及があ

る。しかし,そこでは,それらのクオリアの共通点などに言及するにとどま

り,パラフレーズ関係を支える具体的な仕組みについては明確にされていな

い。しかし,次の例にもみるように,状況状態(属性)をあらわす形容詞述語

と名詞表現間にはパラフレーズ関係が広くみられる。

(25) a. Swimming in the sea is dangerous = There is danger in swimming in the sea.

Page 21: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 41

(25) b. Mary is angry. = There is anger in Mary. =Mary holds anger in herself.

ここで提案する存在論的意味分解は,このような多くの状態述語に当てはめ

ることができ,名詞表現とのパラフレーズ関係をとらえるために,一般的な

有効性をもつ操作であると考えられる。

 ところで,このような存在論的意味分解は,推論や文脈や一般知識に関与

するものというよりも,基本的な語彙概念パラダイムのラティスの体系にあ

る個体(Entity)と属性(Property)や関係(Relation)をつなぎ,言語表現レ

ベルでのパラフレーズ関係をとらえるものといえる。つまり,これにより

dangerousという属性タイプをあらわす概念が dangerという抽象的な個体タ

イプの概念結びつけられたりするのである。そして,形式役割として与えら

れる論理述語についても,状況状態から存在状態への強要(coercion)的なタ

イプ変換転換操作が可能な場合には,存在論的分解をうけたものに関連付け

られると考える。14

6 . さらなる問題点とその考察:修正語彙主義

 前節では,生成語彙論のクオリア構造を用い,新たな存在論的意味分解を

導入することにより,主要部内在型関係節の非明示ターゲットを言語的に

コード化された情報としてとらえることができることを見た。しかし,存在

論的意味分解を語彙構造にとりいれても扱えない例がさらに存在する。本節

では,そのような例を取り上げ,語彙主義を守りつつも,語用論との接点や

その相互作用に目を向ける必要があることを示す。

 野村の例文(6b)をもう1度考えてみよう。

(6) b. [ インク壷を机の上に倒した ] のをタオルで拭き取った。

この場合,たとえ「インク壷」が倒れたという結果状態を存在状態に転換し

Page 22: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春42

たとしても,壷の中身の「インク」の状態へは言及できない。この非明示ター

ゲットが可能になるのは,「(インク)壷」が容器であるというクオリアの情

報と,「倒す」が,本来あるべき位相的状態を逸脱することを意味していると

いう事象情報に加え,容器がそのような事象にまきこまれると,その中身が

外に出ることが予測されるからである。15 しかし,容器がひっくり返ったと

いって,中身が外に出るとは限らないし,「中身が出る」というのは,意味論

的な含意ではない。この点で,「倒す」は「あふれる」と対比をなす。

(26) a. #浴槽があふれた。でも,湯は浴槽の外に出なかったよ。

b. インク壷を倒したの。でも,中身は出なかったわ。

「あふれた」と「中身(湯)が外にでなかった」は矛盾を起こすが,「倒した」

の場合には問題はなく,「中身が外に出る」のは,取り消し可能な推論でしか

ないことがわかる。このことから,非明示ターゲットの同定には,語用論的

な知識を取りこむ必要があることが示唆されるであろう。

 しかし,「倒す」から「中身が外に出る」という推論が成り立つのはまった

く文脈次第で,「出る」か「出ない」かは五分五分であるというわけではな

い。容器がひっくり返ったとき,中身が外に出るという推論が成り立つのは,

いわばデフォルトであり,それを否定するには(26b)の「でも」のような特

別な打ち消し表現を必要とする。(27)に示すように,「でも」のあとに「出た」

が続くことはできない。逆に,予測通りにすすんだことを示す「だから」の

あとには,「出た」しか続くことはできない。16 つまり,「倒す」から「中身

が出る」が導かれるのは,文脈に依存する推論というよりも,むしろ,中立

的な文脈で成立するデフォルトである。

(27) a. #インク壷を倒したの。でも,中身が出たわ。

b. #インク壷を倒したの。だから,中身は出なかったわ。

Page 23: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 43

c. インク壷を倒したの。だから,中身が出たわ。

 含意や推論に関するデフォルトという考え方は,語彙意味論と語用論との

相互関係をとらえるためにLascarides, Copestake, and Briscoe (1996), Lascarides

and Copestake (1998)などで提案されている。無限の広がりをもちうる一般的

な推論とは別に,打ち消し可能な語彙的一般化(d e f e a s i b l e l e x i c a l

generalization)である「デフォルト含意」というものがあり,それが解釈の

可能性を絞り込み,適切で効率的な人間の言語伝達を可能にしているという

のである。たとえば,Pustejovskyが「本」の目的役割を「読む」とし,それ

により,John enjoyed the bookは「本を読むことを楽しんだ」という解釈が

生じるとしたが,文脈次第では別の行為を楽しんだ可能性(たとえば,John

がヒツジであれば「本を食べること」)も否定できない。このことから,この

「読む」はデフォルト含意であると論じている。

 本節で問題としている「倒す」から,「中身が外に出る」という推論は,同

じような観点でデフォルト的な事象の結果と考えられるが,「本」の例のよう

に,クオリア役割の1つとして直接語彙構造に取り込まれる情報ではない。

そこで本稿では「デフォルト推論」と呼ぶことにするが,この場合,「含意」

か「推論」かの区別は非常に微妙で,区別すべきであるかも明確ではない。

 重要なことは,主要部内在型関係節の非明示ターゲットになれるのは,そ

のデフォルト推論の論理項までにほぼ限られるということである。インク壷

がひっくり返ったところに紙が置いてあって,それにしみがついたり,ガラ

スコップに当たって,それが割れたり,というようにいろいろな場合が想定

できるが,そのようなさまざまな状態の論理項にまで,非明示ターゲットの

可能性を広げることはできない。

(28) a. #テーブルには真っ白いクロスがかかっていた。あろうことか,うっ

かりインク壷を倒したのをあわてて洗濯した。

Page 24: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春44

b. #インク壷の横には高価なワイングラスが置いてあった。うっかりイ

ンク壷を倒したのをあわてて一枚一枚拾い集めた。

 興味深いことに,たとえば(28a)の場合,(29)のように,内在型関係節では

なく文(節)境界を越えた照応にすると自然な文になる。

(29) テーブルには真っ白いクロスがかかっていた。あろうことか,うっかり

インク壷を倒したので,(それを)あわてて洗濯した。

つまり,文(節)境界を越えた照応の場合には,推論の範囲を広げることが可

能になり,「クロス」が「洗濯する」の目的語として解釈できるのである。

 このように,主要部内在型関係節には,どうしても語彙の意味を越え,語

用論的な知識を取り入れる必要のある例がある。しかし,その場合にも,無

制限に語用論的な情報や一般知識が関与するのではなく,かなり限定された,

語彙的にデフォルトとして想定されうる推論までしか関与しないといえる。

7 . むすび

 本論では,生成語彙論をもちいて主要部内在型関係節を検証した結果,そ

のターゲットになりうるのは,(1)明示的な項,(2)非明示的ではあるが,

存在論的な強要タイプシフトの結果,形式役割の規定に関与する論理項,

(3)デフォルト推論に関与する論理項であると示した。そして,語彙的な意

味とそれ以外の一般的な知識や情報を区別する必要性と,その一方で語彙主

義をやや修正する必要性を論じた。本稿の分析は,フレームやスクリプト,

スキーマなどの概念を用いた分析と共通する部分がある。また,認知文法に

よる分析(尾谷 1998, 野村 2001)にも共通する点がある。違うのは,あくま

でも,言語的なコード化としての「語彙構造」あるいは語彙情報を特別なも

のとして位置付けし,語彙主義の有効性を認めながら,その範囲をどの程度

Page 25: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 45

広げる必要があるのか,また,それ以外の百科辞書的な知識とどのように関

わるのかを問題としている点である。

 接続詞を用いてつながる文や2つの独立した文の連続とは異なり,主要部

内在型関係節は2つの節から成りながら,それぞれが独立した文の構造を

持っていない。その構造ゆえに,主要部内在型関係節は語彙情報と文脈情報

の微妙な競合を呈している。一般的な文(節)境界を越えた照応に比べ,内

在型関係節では,あくまでも言語的なコード化された(あるいはコード化し

うる)情報が特に重要な意味を持ち,許される推論の範囲も限定される。そ

のため,主要部内在型関係節の非明示ターゲットの問題をとらえるには,単

に狭い意味での語彙情報を超える必要がある一方,無制限に文脈情報や一般

知識にすべてを帰してしまうことも適切であるとは言えない。本稿で示した

ように,Pustejovsky (1995)の生成語彙論はターゲットの傾向を明示的にとら

えることができる仕組みとして強い有効性を持つ。しかし,一方,それだけ

では不充分であり,その限界を越えるしくみとして,おおまかではあったが,

存在論的な意味分解を行なう強要的タイプシフトのメカニズムや,さらに,

デフォルト推論までを許す推論システムという考えを提案した。

 このような強要的な変換やデフォルト推論の取り込みは,かならずしも生

成語彙論の理論的な限界を示すのではなく,むしろ実際のデータの容認度の

ばらつきや個人差などの不明瞭な点を説明するてだてを提供してくれる。語

彙に対して与えられている構造のレベルから,どこまで強要的なタイプ変換

をおこなったところまで容認できるか,また,デフォルト推論をどこまで容

認できるかは,実際の言語使用の場面や文脈の助けや個人の想像力などによ

る差が大きく関与すると考えられるからである。

 最後に,デフォルト推論やデフォルト含意という考え方が語彙情報や百科

辞書的な一般知識との関係について示唆する問題について触れておく。結局

のところ,デフォルト含意もデフォルト推論も,問題は2つの事象がどの程

度強く結びつくかを表す。このことは,その結びつきの強度が,実は,現実

Page 26: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春46

の継起の頻度,またそれにもとづいた確率に依存することを示している。

100%に近い確率で継起する場合には,その事象は極めて強く結びついている

わけであるし,80%の確率で継起する場合にも,それはかなり安定して想定

しうると解釈できるであろう。たとえば30%にも満たなければ,蓋然性の低

いものとして,文脈の支えがない限り,人が予測をしないものである。

Copestake (2001)は,生成語彙の考え方を頻度に基づくメカニズムと合わせる

ことで,より現実的で強力な理論となることを示唆している。このような

データの生起頻度や統計的な確率という考えは,文法性の判断にも関わり,

単に言語運用の問題ではなく,言語能力に直接かかわる言語体系の問題にも

深く関わる。それは,人間の言語習得はデータの蓄積なしには起こらないし,

通時的な言語変化も,ある種の逸脱文が生起頻度を増やし,広まっていくこ

とによって起こるという,極めて常識的な観察によっても裏付けられる。現

在,頻度や蓋然性,確率を記号に基づく言語理論の中に取り入れる動きは確

実に広がってきており,今後もいっそう理論的な進展が期待される。17

* 本稿は,次の2つの機会で発表した内容を大幅に改訂し発展させたものである:日

本認知科学会ワークショップ 1997年7月(NTT厚木);Pacific Asia Conference on

Language, Information, and Computation 2000年2月(早稲田大学)。各々の機会での

質問やコメントに感謝の意を表したい。中でも石川彰氏と松本裕治氏のコメントは,

生成語彙論のアプローチのもつ問題点や理論的な意義に目を向けるきっかけとなった。

01 「語彙主義」には,語彙の何が(意味,統語情報)全体に寄与していくかについ

ては,立場によって主張が異なる。ここでの「意味」という語はあえて曖昧な意味

で用いている。

02 周知のように,厳密で単純な構成性の原理は否定する言語学者や論理学者が多い。

しかし,構成性の原理を否定する認知文法でさえ,イディオムでない限り,句の意

味は基本的にその構成要素の意味がなんらかのかたちで寄与しあって生じていると

考えている。

03 フレームとは,複数の概念が構造を持って結び付けられたものである。たとえば,

Page 27: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 47

「学校」のフレームには「運動場」「教室」「先生」「生徒」「勉強」などの概念が結び

付けられており,文脈の中で「学校」という語があらわれるとその「学校」フレー

ムが喚起され,明示的にあらわれなくても「勉強」や「先生」などの概念が活性化

され,その存在が含意されることになる。フレームには,このような「もの」をめ

ぐって構造化されるものもあれば,「旅行」「試験」「レストラン」などの出来事や場

面をめぐって構造化されるものもある(Minsky 1986)。

04 認知言語学と重なって,言語処理の理論や語用論でも,百科辞書的な意味と語彙

の意味の区別は不要であるという立場もある。フレーム意味論(スキーマ,スクリ

プトも含む)や,理想認知モデルという考え方は,そのような語彙の意味を特化す

るする必要を否定した立場である。

05 加えて,筆者は主要部内在型関係節の統語的な側面について,派生を想定しない

生成文法であるHPSGでの分析をこれまでからおこなっており,生成語彙論は,言

語観のみならず,素性構造や情報の単一化の方法などの理論構造の点でHPSGとの

親和性が高いこともある。

06 この種の内在型関係節は「変化IHRC」として,独立したタイプと考える立場もあ

る(外崎 1997)。特徴は,「の」を「もの」で言い換えたり,形容詞で「の」を修飾

できる(e.g. カチカチの)ことである。しかし,野村(1996)も示唆するように,こ

れを普通の主要部内在型関係節とは別と考えることには疑問もある。

07 Shimoyama (1999)はE-type anaphorとして分析している。しかし,それでは,固有

名詞をターゲットとする例が充分に説明できず,問題が残る。

08 野村(1998)も主要部内在型関係節と英語の「推論に基づく照応」との類似性を

指摘するが,内在型関係節の方がより限定性が高いことは指摘していない。

09 「意味的に分析可能」とは,「ヤカン」を「湯」と置き換えたり,「足」を「不足

分」と置き換えたりできることを指す。

10 菊池,白井(2000)が指摘するように,何を lcpのタイプとするのかは大きな問題

である。すべての語彙にそれぞれ個別のタイプ名を付与するというのはもちろん論

外であるが,先験的に基本タイプ(primitive)となるものがあるわけではない。こ

れまでの言語学,認知言語学や計算言語学の研究の中で,有効と思われるタイプが

いくつか提案されており,ここでも,同じような少数の基本タイプを想定する。

11 「結果状態」ということから,非明示ターゲットが許されるのは,埋め込み文(内

在型関係節)の述語が Telic動詞であることが導かれる。

12 Pustejovsky (1995)では一般的な「道具格」項の参与のしかたなどは具体的に論じ

られていないこともあり,この「洗う」のデフォルト項「水」がどのようにクオリ

ア役割の規定に関わるかについては明確ではない。ここでは,仮に,主体役割

wash_actを複合的な行為と考えて「用いる」という述語で結合させた。本来ならば,

それにともなって,事象構造も複合的に書きなおす必要があると思われるが,論理

Page 28: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春48

項を増やすたびに事象構造を複合的にするのが妥当であるかという問題もあり,こ

こでは省略した。いずれにせよ,ここでの問題は,「水」に相当するデフォルト項が

形式役割の規定には参与しないということで,その点については疑問の余地はない

だろう。

13 そもそも,形式役割の規定に関わる論理表現にどの程度の種類のものが用いられ

るべきかは重要な問題でありながら,Pustejovsky (1995)ではあまり明確にされてい

ない。そこでは,build, make, bake, construct, developなどの創造動詞の場合の形式

役割にのみexistを論理述語として用いており,それ以外の変化動詞の場合には,そ

の語彙のまま,たとえばexamine_result, open_resultのような述語を用い,また,break

の形式役割にはbrokenを述語としている。すくなくともexistという論理述語によっ

て形式役割が規定されるというのは,創造動詞というタイプの動詞のみの特性とし

ているようである。

14 このような存在論的意味分解は,単に語句や文のパラフレーズ関係をとらえる記

述のためだけの装置ではない。人間の言語(あるいは,それを支える認知のレベル)

にとって,「存在論的な意味分解」は基本的な操作であり,これは,状況状態と存在

状態を常に関連付け,また,それは,属性表現を名詞表現を常に結びつける「パス:

通路」となっていることを示唆すると考えられる。

15 これは,いうまでもなく,(15)の例について野村(2001)のいう「バケツを蹴飛ば

してしまったら,中の水が撒き散らされるに違いないという意味論的 /語用論的推

論」に直接結びつく。このように,この推論は「インク壷」の例にも同様に関わる

一般的なものである。

16 もちろん「でも」が打ち消すものは範囲が広すぎ,それのみをデフォルト推論を

考えるテストにすることはできない。このことは,「結論」で述べる,蓋然性の問題

と関わる。

17 確率・統計的手法は,コーパスに基づく自然言語処理研究の中で盛んに持ちいら

れ,その有効性が検証されてきているが,最近の言語理論として有効性が確かめら

れつつある最適性理論(Optimality Theory)の影響をうけ,制約に基づく文法理論

の中でも離散的なシステムの限界が認識され,動的でアナログ的なメカニズムを取

り入れる方法が探られている(cf. Manning 2002)。

参考文献

Copestake, A. 2001. “The Semi-Generative Lexicon: Limits on Lexical Productivity,”

Proceedings of the 1st International Workshop on Generative Approaches to the Lexicon,

available at http://www.csli.stanford.edu/~aac/papers.html.

Page 29: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 49

菊池隆典,白井英俊 . 2000. 「語彙意味情報に基づく日本語名詞句の意味解析―「A

のB」を例に」『制約に基づく文法の連続量の概念を取り入れた拡張の研究』平成 9

年度~平成11年度科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))研究成果報告書 pp. 67-94.

Kikuta, C.U. 2000. “Qualia Structure and the Accessibility of Arguments: Japanese Internally-

Headed Relative Clauses with Implicit Target” Proceedings of the 14th Pacific Conference of

Language, Information, and Computation.

Kuroda, S-Y. 1974-77. “Pivot Independent Relativization in Japanese.” Reprinted in Kuroda,

S-Y. 1992. Japanese Syntax and Semantics: Collected Papers, 114-174, Kluwer Academic

Publishers, Dorecht.

Lascarides, A., A. Copestake, & T. Briscoe. 1996. “Ambiguity and Coherence,” Journal of

Semantics, 13.1, 41-65.

Lascarides, A. & A. Copestake. (1998) “Pragmatics and Word Meaning,” Journal of Linguistics,

34.2, 387-414.

Manning, C.D. 2002. “Probabilistic Syntax”, Probabilistic Linguistics, ed. by B. Hay and

Jannedy, MIT Press, Cambridge, MA.

Matsumoto, Y. 1997. Noun-Modifying Constructions in Japanese: A frame-semantic approach,

John Benjamins, Amsterdam.

Minsky, M. 1986. The Society of Mind, Simon & Schuster. (安西祐一郎訳 . 1991.『心の社

会』東京:産業図書 .)

Moravcsik, J.M. 1975. “Aitia as Generative Factor in Aristotle’s Philosophy.” Dialogue 14,

622-638.

Murasugi, K. 1994. “Head-Internal Relative Clauses as Adjunct Pure Complex NPs,” Synchronic

and Diachronic Approaches to Language: A Festschrift for Toshio Nakao on the Occasion of

His Sixtieth Birthday, ed. by S. Chiba et al., 425-437, Liber Press, Tokyo.

野村益寛 . 1996. “Aspects of the Japanese Internally-Headed Relative Clause Construction:

From the Viewpoint of Cognitive Grammar.” 日本英語学会ワークショップ口頭発表 .

野村益寛 . 1998. 「『主要部』を欠く主要部内在型関係節」『日本女子大学文学部紀要』

第 47号 , 39-49, 日本女子大学 .

野村益寛 . 2001. 「参照点構造としての主要部内在型関係節構文」山梨正明他(編)『認

知言語学論考 No. 1』229-255, 東京:ひつじ書房 .

尾谷昌則 . 1998.「構文の拡張とその動機付けに関する認知論的研究:日本語の主要部

内在型関係節について」富山大学大学院修士論文 .

Ohara, K.H. 1996. “A Constructional Approach to Japanese Internally-Headed Relativization.”

Ph.D. dissertation. U.C. Berkeley.

Pustejovsky, J. 1993. “Type Coercion and Lexical Selection,” Semantics and the Lexicon, ed.

by J. Pustejovsky, 73-94, Kluwer Academic Publishers, Dorecht.

Page 30: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春50

Pustejovsky, J. 1995. The Generative Lexicon. The MIT Press, Cambridge, MA.

Pustejovsky, J. 2000a. “Type Construction and the Logic of Concepts,” The Syntax of Word

Meaning, ed. by P.M. Bertinetto, V. Binachi, J. Higginbotham, and M. Squartini, Cambridge

University Press, Cambridge.

Pustejovsky, J. 2000b. “Events and the Semantics of Opposition,” Events as Grammatical

Objects, ed. by C. Tenny and J. Pustejovsky, CSLI Publications, Stanford, CA.

Shimoyama, J. 1999. “Internally Headed Relative Clauses in Japanese and E-Type Anaphora,”

Journal of East Asian Linguistics, vol. 8, 147-182.

外崎淑子. 1997. 「日本語における2種類の主要部内在型関係節」『日本言語学会第114

回大会予稿集』47-53.

吉村公宏 . 2001.「人工物主語―クオリア知識と中間表現」山梨正明他(編)『認知言

語学論考 No. 1』257-313, 東京:ひつじ書房 .

Page 31: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張 51

Synopsis

Lexical Semantics and Pragmatic Inference:A Generative Lexicon Approach to the Japanese

Internally-Headed Relative Clause

Chiharu Kikuta

This paper examines the viability of Generative Lexicon in accommodating

the challenging set of Internally-Headed Relative Clause (IHRC) in Japanese.

The IHRC is different from the Externally-Headed one (EHRC), or the usual

type of relative clause, in that its target is not the syntactic head of the relative

clause. The target of the IHRC is embedded in the clause without any mark,

and the identification necessarily draws on semantics and pragmatics. In the

most challenging type of Internally-Headed Relative Clause, the target is not

even an argument of the embedded clause. The target is implicit, and it has to

be inferred.

Cognitive Grammar explains the target identification with the notion

“saliency.” The event denoted by the embedded clause evokes a group of

salient participants, which function as the candidates of the target, and the

verb semantics picks up the most suitable one among them. Cognitive

Grammar approach proved particularly promising in identifying the implicit

target (Nomura 1998).

However, the notion “saliency” lacks clear delineation. One is tempted to

ask: How can we measure the saliency? How salient ought it to be to serve as

the target? If context could prompt the saliency of a particular object, for

instance, could it affect the target identification? The notion “saliency” is

Page 32: 語彙意味論と語用論的推論の境界 ―主要部内在型関係節からみた生成語彙 … · 語彙意味論と語用論的推論の境界―主要部内在型関係節からみた生成語彙論の限界と拡張

菊 田 千 春52

unable to answer these questions. If something serves as the target, it is a sign

that it is salient enough. Then when is it not salient enough to be the target?

––It is when it fails to serve as the target. Thus, the account runs into circularity.

The case of IHRC with implicit target obviously calls for something more

than linguistically expressed. However, it is not all that clear if we must delve

into the infinite realm of world knowledge, or if there is a limitation.

Generative Lexicon (Pustejovsky 1995) proposes a richly structured lexicon.

The information encoded in the lexicon is detailed enough to explain the

apparently incompatible combination of words. We say that one started a

book, meaning that the one started reading a book or writing a book. The

interpretation is available because the verb start requires an eventive object,

and the noun book has as part of its lexical information the sense that its

primary purpose is reading and that it comes into being by someone’s writing

it.

Generative Lexicon regards lexicon as a structured information package,

from which we draw pieces of information to construct a coherent interpretation

of a sentence. It naturally involves pragmatic information, encapsulated in a

word. Thus, GL extends the limit of linguistic information, while maintaining

the primacy of lexicon over pragmatics.

This paper examines Japanese IHRC with implicit target to find out how

inference is supported. It shows that the clause serves as a crucial unit in

limiting the possible inference. Target identification is much more

linguistically supported, and immune to contextual manipulation, than the

notion “saliency” may seem to suggest. GL with Qualia structure is an effective

mechanism in clearly capturing the targethood of the IHRC. However, it is

also suggested that GL needs to be expanded even more to account for the full

range of Japanese IHRC without an explicit target.