71

都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

  • Upload
    others

  • View
    1

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人
Page 2: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

年報 都城 27(公財)向日市埋蔵文化財センター2016.3 No.27 都城

Page 3: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

目   次

Ⅰ 平成 26(2014)年度の組織及び事業概要1 組織及び役職員名簿(平成 27 年3月 31 日現在)�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

(1)組織

(2)役員

(3)職員

2 役員会の審議事項�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

3 事業の概要�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

(1)埋蔵文化財調査の受託と実施

(2)書籍の刊行

(3)普及啓発事業

(4)その他

4 決算報告�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10

Ⅱ 調査した遺跡の概要(1)長岡宮跡第 501 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14

(2)長岡宮跡第 502 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16

(3)長岡宮跡第 503 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18

(4)長岡宮跡第 504 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20

(5)長岡京跡左京第 570 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22

(6)長岡京跡左京第 573 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24

(7)長岡京跡左京第 574 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26

(8)長岡京跡左京第 575 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28

(9)長岡京跡左京第 576 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30

(10)長岡京跡左京第 577 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32

(11)長岡京跡右京第 1090 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34

(12)長岡京跡右京第 1105 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36

(13)中海道遺跡第 69 次調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38

(14)詳細分布調査�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42

Ⅲ 研究報告 「天満塚」出土埴輪とその意義�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45 ~ 66

Page 4: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 1 ―

Ⅰ 平成 26(2014)年度の組織及び事業概要

1 組織及び役職員名簿(平成 27年3月 31日現在)(1)組織

(2)役員

理 事 長 杉原 和雄  元大阪国際大学

常務理事 松崎 俊郎  (公財)向日市埋蔵文化財センター事務局長

理  事 國下 多美樹 龍谷大学文学部特任教授

理  事 鈴木 久男  京都産業大学文学部教授

理  事 山岸 常人  京都大学大学院工学研究科教授

理  事 吉川 真司  京都大学大学院文学研究科教授

理  事 渡辺 博   向日市教育委員会文化財調査事務所所長

監  事 物部 年孝  向日市総務部長

監  事 小東 武夫  元京都銀行

(3)評議員

井上 満郎  京都市歴史資料館館長

奥野 義正  向日市教育委員会教育長

中小路 忠也 国登録有形文化財中小路家住宅当主

早川 和子  考古イラストレーター

半田 信夫  医療法人社団行陵会総務企画室

和田 晴吾  立命館大学文学部教授

(4)職員

事務局長 松崎俊郎� 調査係/普及係 係長 梅本康広(本冊編集担当)

総務係 係長 松崎俊郎(兼務)�         主任 中塚 良

    主査 高林美香�         主任 中島信親

<理事会>理事長常務理事1名理事  5名

監事2名

<評議員会>評議員6名

事務局長(常務理事)

総務係長・総務係(1名)

調査係長・調査係(3名)

普及係長・普及係(調査係と兼務)

Page 5: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 2 ―

3 事業概要(1)埋蔵文化財調査の受託と実施①調査件数

○国庫補助対象事業の埋蔵文化財発掘調査業務 7件 (調査面積 711.00㎡、出土遺物 13 箱)

○公共事業に伴う埋蔵文化財発掘調査業務 1件 (調査面積 22.40㎡、出土遺物 1箱)

○開発等に伴う原因者負担の埋蔵文化財調査業務 5件 (調査面積 812.45㎡、出土遺物 25 箱)

○国庫補助対象事業の詳細分布調査(168 件、別紙一覧表添付)

○開発等に伴う原因者負担の詳細分布調査(10 件)

②調査指導

〇五塚原古墳第6次調査 白石太一郎(近つ飛鳥博物館長)   都出比呂志(大阪大学名誉教授)

            廣瀬和雄(国立歴史民俗博物館名誉教授) 福永伸哉(大阪大学教授)

            北條芳隆(東海大学教授) 寺澤薫(桜井市立纏向学研究センター所長)

            寺澤知子(神戸女子大学教授) 南部裕樹(奈良文化財研究所)

③現地説明会等

○五塚原古墳第6次調査  現地説明会 平成 26 年 10 月 18 日(土) 参加者約 650 名

2 役員会の審議事項1 評議員会

○定時評議員会 平成 26 年5月 26 日(月)

 議案第1号 平成 25 年度事業報告及び収支決算について         承認

 議案第2号 役員の選任について                    可決

2 理事会

①5月定例理事会 平成 26 年5月8日(木)

議案第1号 平成 25 年度事業報告及び収支決算について         承認

議案第2号 平成 26 年度定時評議員会の招集について          可決

議案第3号 高年齢者雇用確保措置の導入について            可決

議案第4号 発掘調査作業等安全衛生規則の改正について         可決

②臨時理事会 平成 26 年 10 月 14 日(火)

議案第6号 平成 26 年度補正予算(第1号)               可決

③3月定例理事会 平成 27 年3月 24 日(火)

議案第8号 平成 26 年度補正予算(第2号)               可決

議案第9号 公益財団法人向日市埋蔵文化財センターの規程について    可決

議案第 10 号 平成 27 年度事業計画及び収支予算について         可決

④書面により理事の同意を得た事項

議案第5号 理事長及び常務理事の選定について   平成 26 年 5 月 26 日可決

議案第7号 職員給与規程の一部改正について    平成 26 年 12 月 17 日可決

Page 6: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 3 ―

             報 道 提 供  平成 26 年 10 月 16 日(木)

 説明会、報道提供ともに五塚原古墳第5次調査を実施していた立命館大学と同時に開催した。

(2)書籍の刊行 発掘・立会調査の成果を以下にまとめた。調査報告書は各 300 冊、年報は 500 冊を刊行した。

○平成 24 年度の開発事業に伴う原因者負担の発掘調査の報告書

『向日市埋蔵文化財調査報告書』第 99 集 長岡京跡・渋川遺跡

〇平成 26 年度国庫補助事業に伴う発掘調査の報告書

 『向日市埋蔵文化財調査報告書』第 102 集 長岡京跡ほか

〇『平成 25 年度財団法人向日市埋蔵文化財センター年報 都城』26

(3) 普及啓発事業①史跡長岡宮跡史跡等・埋蔵文化財公開活用業務

○朝堂院公園の文化財案内員配置及び維持管理業務

 5名の案内員を配置し、史跡長岡宮跡の案内のほか、朝堂院公園案内所において埋蔵文化財の広報普

及活動を行った。案内員による史跡解説の他、「AR長岡宮」の利用案内、タブレットの貸出等の業務

を行った。平成 26 年度の案内所稼働日数は 350 日、来園者数は 6,645 人であった。

平成 26年度の朝堂院公園案内所来所者数

○府史跡物集女車塚古墳石室一般公開時に解説を行った。なお、一般公開期間外も、学校等の要請に応

じ解説を行っている。

日  時  平成 26 年5月 26 日(月)~平成 26 年6月1日(日) 午前 10 時~午後4時 30 分

参 加 者  465 人(市内の参加者 146 名、市外の参加者 319 名)

  

来園者数(内、団体)稼動日数

午前 午後 計

平成 26 年度

4月 193 名 309 名 502 名(122 名) 30 日5 月 566 名 351 名 917 名(595 名) 31 日6 月 444 名 332 名 776 名(583 名) 30 日7 月 234 名 144 名 378 名(230 名) 31 日8 月 59 名 161 名 220 名(128 名) 25 日9 月 186 名 159 名 345 名(166 名) 30 日10 月 340 名 277 名 617 名(362 名) 31 日11 月 714 名 302 名 1,016 名(659 名) 30 日12 月 223 名 50 名 273 名(165 名) 26 日1 月 111 名 97 名 208 名(100 名) 27 日2 月 245 名 167 名 412 名(86 名) 28 日3 月 760 名 221 名 981 名(716 名) 31 日計 4,075 名 2,570 名 6,645 名(3,912 名) 350 日

平成 25 年度 3,665 名 2,351 名 6,016 名(3,214 名)平成 22 ~ 24 年度 9,398 名 6,852 名 16,250 名(8,124 名)

累  計 17,138 名 11,773 名 28,911 名(15,250 名)  

Page 7: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 4 ―

○市民考古学講座

 長岡京がなぜ向日市を中心とする乙訓の地につくられたのか、各時代の都を訪ね、長岡京成立の背景

を考える『王都に学ぶ~歩いて学ぶ考古学 2014 ~』を開催した。現地講座5回と講演会1回を実施し、

講演会で外部講師を招いた他は、当財団調査担当職員が講師を務めた。

第1回 「長岡・平安二都の霊峰に登って学ぼう~ワイドビュー比叡山~」(約 10.0㎞)

平成 26 年6月8日(日)京阪坂本駅集合、叡山電鉄修学院駅解散� 参加者 14 人

第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約 5.5㎞)

平成 26 年7月6日(日)JR二条駅集合・解散� 参加者 25 人

第3回 「平城京を歩く~羅城門から大極殿へ~」(約 8.0㎞)

平成 26 年9月 21 日(日) 近鉄大和郡山駅集合、近鉄西大寺駅解散� 参加者 19 人

第4回 「藤原京から平城京へ~王都刷新の『下ッ道』をはかろう~」(約 20.0㎞)

平成 26 年 10 月 19 日(日) 近鉄畝傍御陵前駅集合、近鉄大和郡山駅解散� 参加者 19 人

第5回 「王都誕生前夜~倭王宮から倭京へ~」(約 12.0㎞)

平成 26 年 11 月2日(日) 近鉄大和朝倉駅集合、近鉄橿原神宮駅解散� 参加者 25 人

講演会 「桓武天皇の実像と長岡遷都」講師 西本 昌弘氏(関西大学教授)

 平成 26 年9月 14 日(日)午後2時~4時 於 向日市文化資料館研修室� 参加者 140 人

○スタンプラリーの開催

 6箇所の史跡等をめぐる、自由参加型のウォークイベントである。スタンプポイントは、朝堂院公園、

大極殿 ・小安殿跡(史跡大極殿公園)、 内裏内郭築地回廊跡(内裏公園)、 元稲荷古墳(勝山公園)、 向

日神社、向日市文化資料館である。スタンプ台紙の他、市内の史跡解説資料『大発見 向日市』(向日

市教育委員会)を配布した。なお、事業の実施に際し、ボランティア 12 名の協力を得た。

行 事 名  史跡めぐり「大発見 向日市~長岡宮から桓武天皇ゆかりの地を望む~」

日  時  平成 27 年2月8日(日) 午前 10 時~午後1時

受  付  集合:朝堂院公園、ゴール:向日市文化資料館

参 加 者  150 名

○調査研究成果展

 元稲荷古墳の被葬者の政治・経済拠点と考えられている鴨田遺跡、上植野村の土豪・秋田氏の居館・

上植野城跡の調査研究成果を中心に、展示会を開催した。展示期間中、外部講師を招き講演会を開催した。

タイトル 「古代・中世の豪族の住まい」

期  間 平成 26 年5月 31 日(土)~平成 26 年6月 29 日(日)

場  所 向日市文化資料館ラウンジ

来館者数 1,037 人

○講演会

展示期間中、外部講師1名を招き、次の講演会を開催した。

 演  題 「城館跡が語る戦国時代の社会―乙訓地域を中心として―」

講  師 中井 均氏(滋賀県立大学教授)

Page 8: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 5 ―

日  時 平成 26 年6月 15 日(日) 午後2時~4時

会  場 向日市文化資料館研修室

 参 加 者 70 人

○長岡宮発掘 60 周年記念連続講座「古代王権と都市」の開催

開催趣旨 長岡宮誕生の背景を古代都市と王権の変遷から考える。

会  場 向日市民会館第1会議室、

開催時間 午後2時~4時

第1回 「継体天皇の王宮をめぐって-淀川水系と倭王権-」古市 晃氏(神戸大学准教授)

平成 27 年1月 11 日(日)  参加者 134 人

第2回 「飛鳥諸宮と藤原京」小澤 毅氏(三重大学教授)

平成 27 年1月 25 日(日)  参加者 98 人

第3回 「平城京の構造」武田 和哉氏(大谷大学准教授)

平成 27 年2月8日(日)   参加者 111 人

第4回 「紫香楽宮とその時代」栄原 永遠男氏(大阪市立大学名誉教授)

平成 27 年2月 21 日(土)  参加者 118 人

第5回 「国家形成と都市」佐々木 憲一氏(明治大学教授)

平成 27 年3月7日(土)   参加者 88 人

第6回 「複都難波の歴史的意義」積山 洋氏(大阪文化財研究所)

平成 27 年3月 22 日(日)  参加者 98 人

○長岡宮発掘 60 周年記念誌の発行

初めて長岡宮の遺構が確認された昭和 30 年から平成 26 年までの代表的な調査成果を、年度毎にまと

めた。市内の公共機関の他、関係諸団体に配布した。

書  名  長岡宮発掘 60 周年記念誌『長岡宮発掘 60 年のあゆみ』

      付図『長岡宮大極殿・朝堂院・内裏地区 地形図・遺構分布図』

規 格 等  A5判、カラー、131 頁。付図はA3判、四折、カラー、封筒入

数  量  1,000 冊

② 情報誌の刊行

近年の発掘調査成果、普及啓発事業を一般に広く紹介するため、1冊を作成した。

京都・向日市遺跡情報誌『まいぶんfan』vol. 6(A3判2つ折)3000 部

③ ミニ講座『まいぶんサロン』の開催

市内の歴史的建造物で開催する少人数の講座を新たに開催した。講師は各回とも当財団職員が務めた。

第1回「くだもの考古学ことはじめ~古代フルーツセラピーの世界へ~」�講師 調査係主任 中塚良

平成 26 年9月7日(日)午後1時~4時 於 中小路家住宅� 参加者 17 名

第2回「中世やかたびとのふだんのくらし~上植野城発掘調査成果から~」� 講師 同上 中塚良

Page 9: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 6 ―

平成 26 年 10 月5日(日)午後1時~4時 於 中小路家住宅� 参加者 20 名

第3回「はじめての考古学~無口な遺跡と対話する方法~」� 講師 調査係長  梅本康広

平成 27 年2月 15 日(日)午後2時~4時 於中小路家住宅� 参加者 12 名

第4回「はじめての遺跡めぐり~飛鳥の宮跡と古墳を訪ねて~」� 講師 同上  梅本康広

平成 27 年3月 15 日(日)午前9時~午後5時� 参加者 14 名

④ 発掘体験の受け入れ・市内学校への講師の派遣等

○職場体験学習

 向日市立勝山中学校   平成 26 年 10 月 28 日(火)~ 10 月 31 日(金) 4日間 第2学年3名

 向日市立寺戸中学校   平成 26 年 11 月4日(火)~ 11 月7日(金) 4日間 第2学年3名

○地域の歴史学習(物集女車塚古墳石室見学、出土遺物を用いた出前授業)

 向日市立第2向陽小学校 向日市の古墳について(物集女車塚古墳の石室見学と出前講座)

             平成 26 年5月9日(金)� 第6学年3クラス 92 名 

 向日市立第6向陽小学校 物集女車塚古墳の石室見学と出前講座

             平成 26 年5月 19 日(月)� 第6学年2クラス 73 名 

 向日市立第3向陽小学校 物集女車塚古墳の石室見学と出前講座

             平成 26 年6月 12 日(木)� 第6学年2クラス 73 名 

 京都市立上里小学校   物集女車塚古墳の石室見学

             平成 26 年5月 13 日(火)� 第6学年2クラス 51 名 

○総合的な学習(向日市ふるさと学習)

 向日市立第2向陽小学校 向日市の歴史について~今と昔の都市計画図より~

             平成 27 年2月6日(金)� 第6学年3クラス 92 名 

○その他学校への講師の派遣等

 京都府立桂高等学校   体験学習「考古学へのいざない~食の古代史体験」

             平成 26 年7月 16 日(水)� 第2学年2クラス 80 名 

 京都府立桂高等学校   講義と体験学習「考古学へのいざない」

             平成 26 年 12 月 17 日(水)� 第2学年1クラス 27 名 

⑤ 他機関と共催して行った事業

○まちづくり市民の会

 「7.67 ふれてみよう!わがまちの歴史!」 平成 26 年8月2日(土) 向日神社境内

○ 2014 向日市まつり

 「ドキ土器!むかしたいけんクラブ」 平成 26 年 11 月 15 日(土)・16 日(日) 向日町競輪場

○全国埋蔵文化財連絡協議会他 

 第7回 関西 ・考古学の日 2013 スタンプラリー 平成 26 年9~ 11 月 

〇全国埋蔵文化財法人連絡協議会

Page 10: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 7 ―

 第 20 回近畿ブロック埋蔵文化財研修会

「古代遺跡の最新調査・研究成果」 平成 26 年 12 月 12 日(金)枚方市立メセナひらかた会館

 研究発表「調査成果から見た長岡京の実態」      調査係主任 中島信親

 〇乙訓文化財事務連絡協議会 スライド会「スライドでみる長岡京発掘 60 年」

平成 27 年3月1日(日) 長岡京市立中央公民館 3階市民ホール

報  告 「桓武天皇の宮殿と今」          調査係主任 中島信親

⑥他機関からの依頼による職員の派遣等

○京都乙訓ふるさと歴史研究会 乙訓歴史研修会 講演「上植野城の実像を探る」

 平成 26 年6月 15 日(日)向日市文化資料館� 調査係主任 中塚 良  

○公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター第 128 回埋蔵文化財セミナー

「京都の中世社会を解明する―平成 25 年度京都府内遺跡発掘調査成果速報―」

「中世 やかたの暮らしぶり―向日市上植野城の調査から―」

 平成 26 年8月 23 日(土)向日市民会� 調査係主任 中塚 良  

○鶏冠井公民館 講演会「このまちにあった天皇の宮殿―長岡宮発掘 60 年の成果から―」

 平成 26 年9月 27 日(土)鶏冠井公民館� 調査係長  梅本康広  

○大阪府立近つ飛鳥博物館 平成 26 年度秋期特別展考古学セミナー「向日丘陵古墳群の消長と倭王権」

 平成 26 年 11 月 16 日(日)大阪府立近つ飛鳥博物館� 調査係長  梅本康広  

○京都大学総合博物館 土器づくりイベント「考古学者になろう―土器づくりからみた昔のくらし―」

 平成 26 年9月 21 日(日)京都大学総合博物館� 調査係主任 中塚 良  

○桜井市教育委員会 桜井市纏向学研究センター平成 26 年度定例研究集会

 発表「初期ヤマト王権とオトクニ―大型建物と古墳にみる統合祭祀の地域展開―」

 平成 27 年2月 21 日(土)・22 日(日)桜井市纏向学研究センター� 調査係長  梅本康広  

⑦ その他

○ホームページの更新(11 回)

○イオン向日町ミニミュージアム展示

向日町サティ(当時)の協力により店舗2階に平成9年に設置され、以来無償で提供されている展示

コーナーである。平成 27 年3月、店舗閉鎖に伴い展示を終了した。

○キリン物流(株)事務所エントランスホール展示

(4)その他①資料の貸出・掲載許可等

○長岡京復元図(鳥瞰図)

NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会「SKIふれあいフェスティバル」出展パネル

株式会社メディアックス『初心者にもわかる天皇 125 代』

Page 11: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 8 ―

株式会社毎日放送『ちちんぷいぷい』コーナー「昔の人は偉かった」

有限会社地人館 『新・日本の歴史シリーズ』第二巻(株式会社小峰書店)

○『向日市埋蔵文化財調査報告書』第 91 集 長岡宮遺構分布図・「西宮」復原図

 長岡宮まちづくり協議会報告書

○元稲荷古墳後方部石室・寺戸大塚古墳浮彫式獣帯鏡他写真

大阪府立近つ飛鳥博物館『平成 26 年度秋期特別展』展示パネル・図録

○五塚原古墳第3次調査「東くびれ部全景」「隆起斜道」写真

 左京第 563 次調査「上植野城調査地全景」「上植野城堀・虎口近景」写真

(公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター『第 29 回小さな展覧会―平成 25 年度京都府内遺跡発掘

調査成果速報―』展示パネル・展示図録

京都府立山城郷土資料館 企画展『京都発掘だより 2014』展示パネル・展示図録等 

○左京第 563 次調査「上植野城」出土資料 48 点

 (公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター『第 29 回小さな展覧会―平成 25 年度京都府内遺跡発掘

調査成果速報―』

②資料の収集と公表

○地域歴史資料研究人材育成事業(緊急雇用創出事業)

向日市文化資料館から委託を受け、緊急雇用創出事業として次の業務を行った。本業務のため新たに

雇用した臨時職員は2名である。

業 務 名  地域歴史資料研究人材育成事業

期  間  平成 26 年5月 13 日~平成 27 年3月 20 日

内  容  常設展示可能な資料の目録(カード)作成

文化資料館保管資料の保管管理業務

上記の業務を実施することによる歴史資料研究人材の育成             

○所蔵資料整理業務

向日市から委託を受け、向日市文化財収蔵庫(物集女西浄水場内)に保管している向日市教育委員会

及び公益財団法人向日市埋蔵文化財センターに寄贈された資料の分類と整理を行った。

期  間  平成 27 年1月 19 日~平成 27 年3月 31 日

③受領図書 

 受贈図書 1,050 冊、蔵書総数 38,574 冊

Page 12: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 9 ―

 6 現地説明会開催状況(五塚原古墳第6次)

 2 調査研究成果展記念講演会(中井 均氏)

 7 長岡宮跡発掘 60 周年記念連続講座(栄原永遠男氏)

 3 市民考古学講座(比叡山山頂より京都盆地を臨む)

 8 まいぶんサロン第3回(中小路家住宅)

 5 土器作り体験(向日神社境内にて)

 1 調査研究成果展「古代・中世の豪族の住まい」

 4 市民考古学講座記念講演会(西本昌弘氏)

Page 13: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 10 ―

貸 借 対 照 表

平成 27 年 3 月 31 日現在

(単位:円)   科      目 当年度 前年度 増減

Ⅰ.資産の部

  1.流動資産

     現金預金 28,903,901 14,420,144 14,483,757

     未収金 7,726,260 5,335,900 2,390,360

     前払金 740,065 6,000 734,065

    流動資産合計 37,370,226 19,762,044 17,608,182

  2.固定資産

   (1) 基本財産

     定期預金 10,000,000 10,000,000 0

    基本財産合計 10,000,000 10,000,000 0

   (2) 特定資産

     什器備品等減価償却引当資産 4,144,854 3,501,177 643,677

     財団設立記念事業引当資産 1,719,397 1,324,000 395,397

    特定資産合計 5,864,251 4,825,177 1,039,074

   (3) その他固定資産

     什器備品 1,220,749 1,794,428 △ 573,679

     ソフトウェア 110,836 180,834 △ 69,998

    その他固定資産合計 1,331,585 1,975,262 △ 643,677

    固定資産合計 17,195,836 16,800,439 395,397

    資産合計 54,566,062 36,562,483 18,003,579

Ⅱ.負債の部

  1.流動負債

     未払金 17,364,122 13,800,474 3,563,648

     前受金 14,752,800 0 14,752,800

     預り金 220,019 174,453 45,566

    流動負債合計 32,336,941 13,974,927 18,362,014

    負債合計 32,336,941 13,974,927 18,362,014

Ⅲ.正味財産の部

  1.指定正味財産(市出捐金) 10,000,000 10,000,000

    (うち基本財産への充当額) 10,000,000 10,000,000 0

    (うち特定資産への充当額) 0 0 0

  2. 一般正味財産 12,229,121 12,587,556 △ 358,435

    (うち基本財産への充当額) 0 0 0

    (うち特定資産への充当額) 5,864,251 4,825,177 1,039,074

    正味財産合計 22,229,121 22,587,556 △ 358,435

    負債及び正味財産合計 54,566,062 36,562,483 18,003,579

4 決算報告

Page 14: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 11 ―

正味財産増減計算書

平成 26 年 4 月 1 日から平成 27 年 3 月 31 日まで

(単位:円)   

科      目 当年度 前年度 増減

Ⅰ.一般正味財産増減の部

 1.経常増減の部

  (1) 経常収益

    基本財産運用益 2,500 3,000 △ 500

    特定資産運用益 985 1,209 △ 224

    事業収益 45,891,325 44,718,249 1,173,076

    受取補助金等 38,164,000 37,105,000 1,059,000

    雑収益 78,078 72,386 5,692

   経常収益計 84,136,888 81,899,844 2,237,044

  (2) 経常費用

    事業費 65,806,391 65,228,428 577,963

    管理費 18,688,932 17,689,045 999,887

   経常費用計 84,495,323 82,917,473 1,577,850

    評価損益等調整前当期経常増減額 △ 358,435 △ 1,017,629 659,194

    評価損益等計 0 0 0

    当期経常増減額 △ 358,435 △ 1,017,629 659,194

 2.経常外増減の部

  (1) 経常外収益(過年度未払計上差額) 0 923,854 △ 923,854

  (2) 経常外費用(什器備品除却損) 0 1 △ 1

    当期経常外増減額 0 923,853 △ 923,853

    当期一般正味財産増減額 △ 358,435 △ 93,776 △ 264,659

    一般正味財産期首残高 12,587,556 12,681,332 △ 93,776

    一般正味財産期末残高 12,229,121 12,587,556 △ 358,435

Ⅱ.指定正味財産増減の部

    当期指定正味財産増減額 0 0 0

    指定正味財産期首残高 10,000,000 10,000,000 0

    指定正味財産期末残高 10,000,000 10,000,000 0

Ⅲ.正味財産期末残高 22,229,121 22,587,556 △ 358,435

財 産 目 録

平成 27 年3月 31 日現在

(単位:円)   貸借対照表科目等 金額

(流動資産) 普通預金 運転資金 28,903,901

未収金 公益目的事業・調査及び普及啓発業務の受託料 6,636,260

埋蔵文化財調査研究事業に係る受取補助金 1,090,000

前払金 公益目的事業・次年度調査業務に係る前払等 740,065

流動資産合計 37,370,226

(固定資産)

基本財産 定期預金 普通預金、管理目的保有財産 10,000,000

特定資産 什器備品等減価償却引当資産 普通預金、共用財産 4,144,854

財団設立記念事業引当資産  普通預金、公益目的保有財産 1,719,397

その他固定資産 什器備品 公益目的保有財産 15 点 、 管理目的保有財産5点 1,220,749

ソフトウェア 公益目的保有財産4点 110,836

固定資産合計 17,195,836

資産合計 54,566,062

(流動負債) 未払金 公益目的事業・現地調査 、報告書作成費用等 17,364,122

前受金 公益目的事業・調査業務受託料の前受け額 14,752,800

預り金 職員他の源泉徴収所得税・住民税 220,019

流動負債合計 32,336,941

負債合計 32,336,941

正味財産 22,229,121

Page 15: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 12 ―

※ :国庫補助対象事業 7件、調査面積 711.0㎡、出土遺物コンテナ数 13 箱

無印:開発等に伴う事業 6件、調査面積 834.85㎡、出土遺物コンテナ数 26 箱

Ⅱ 調査した遺跡の概要 平成 26(2014)年度は、13 件(長岡宮内4件、京内8件、京外1件)の調査を実施した。その総面

積は 1,545.85㎡であった。出土遺物はコンテナ 39 箱を数える。

 重要な成果としてここでは、2件のトピックを紹介する。長岡京跡では左京第 574 次調査で三条条間

北小路の南北両側溝がみつかり、条坊復原の定点をとらえることができた。また、五塚原古墳の第 6次

調査では、前方部で「斜路状平坦面」を確認し、箸墓古墳と共通する墳丘構造であることが判明した。

調平成 26(2014)年度発掘調査地一覧表

  遺跡名 調査次数 推定地等 所在地 調査期間調査面積(㎡)

出土遺物(箱)

担当者

1 長岡宮跡 第 501 次 北辺官衙(北部)、北京極大(小)路 寺戸町小佃 12-3 14.07.15 ~

14.07.22 70.00 1 松崎※

2   第 502 次北辺官衙(北部)、北京極大路、笹屋遺跡南東部

寺戸町小佃 12-3 14.08.26 ~�14.09.12 80.00 1 松崎

3   第 503 次 内裏南方官衙 鶏冠井町稲葉 22-20(A・B号地)

15.01.26 ~�15.03.06 362.25 2 中島

4   第 504 次 朝堂院南面築地、乙訓郡衙跡 上植野町南開 58-4 15.02.03 ~�

15.02.06 8.00 1 松崎※

5 長岡京跡 左京第 570 次 左京二条三坊六町 鶏冠井町西金村 3-1 14.04.14 ~�14.05.02 60.00 1 中島

6   左京第 573 次 左京四条二坊七町、中福知遺跡北東部

上植野町持丸 5-5、5-18

14.08.04 ~�14.08.06 22.40 1 中島

7   左京第 574 次三条条間北小路、左京三条三坊二町、鶏冠井清水遺跡

鶏冠井町南七反田14-1・2、15-1・2

14.08.26 ~�14.10.03 200.00 6 中島※

8   左京第 575 次左京四条二坊四・五町、東二坊坊間西小路、中福知遺跡

上植野町妙峠 1-1・6

14.11.10 ~�14.12.05 176.00 15 松崎

9   左京第 576 次 左京一条三坊八町、戌亥遺跡

森本町戌亥 3、3-1・7・8・9、4-1、 5-1・18

15.03.16 ~�15.03.18 144.00 1 中島※

10   左京第 577 次

左京一条三坊七町・一条条間小路両側溝・東三坊坊間西小路東側溝、高田遺跡

森本町高田 13-2・4 15.02.06 ~�15.03.13 150.00 3 松崎※

11 長岡京跡五塚原古墳右京第 1090 次第 6次

右京一条二坊八町、前方部南東隅角・前面・東側斜面

寺戸町芝山 3-1、 6他

14.08.04 ~�14.10.31 109.00 1 梅本※

12 長岡京跡 右京第 1105 次 右京四条一坊七町 上植野町吉備寺2-1・6、3、4

15.01.21 ~�15.01.23 30.00 0 梅本※

13 中海道遺跡 第 69 次 中海道遺跡北東部 物集女町ヲサン田 6 14.10.01 ~�14.10.31 134.20 6 中塚

Page 16: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 13 ―

平成 26(2014)年度発掘調査地位置図

長岡宮

左京右京

L577

R1090L576

L573

P501

R1105

L574

P504

中海道遺跡第69次

五塚原古墳第6次

L575

L570

P502

P503

Page 17: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 14 ―

(1)長岡宮跡第 501 次(7ANBKD-2地区) 寺戸町小佃

   ~北辺官衙(北部)、北京極大(小)路、笹屋遺跡~

 本調査地は、標高 20.0 m前後の段丘・下位面の縁辺部に位置する。長岡宮では北辺官衙(北部)、北

京極大(小)路、宮城北辺に相当する。調査地の南側では宮第 111 次、北側と東側では宮第 316 次、西

側では宮第 494 次、笹屋遺跡第4次調査が実施されている。宮第 316 次調査は北京極大路及び以北で実

施され、京外に広がる長岡京期の遺構を確認している。本調査でも、北京極大(小)路北側溝と以北で

の遺構検出が期待された。調査は5× 14 mの南北トレンチを設定して実施した。

 その結果、北京極大(小)路北側溝は旧建物基礎撤去時に攪乱されており検出することができなかった。

しかしながら、旧耕作土以下が遺存する箇所を南北の2箇所検出することができた。確認された層序は

濁青灰色土[旧耕作土]以下、淡灰黄色土[床土]、灰茶色土・灰色土[鎌倉・室町時代の遺物を含む]、

礫・明黄色土ブロック混じり灰褐色土[長岡京期の整地層]となる。長岡京期の遺構面は整地層と弥生

時代から古墳時代の堆積土上面となる。南遺存部は馬の背状に残っていた。耕作土以下の各層と長岡京

期の整地層以下黒灰色系の弥生時代の流路埋土を確認することができた。北遺存部は面的に広がりを持

ち、耕作土以下の諸層と長岡京期の整地層以下、灰色土ブロック混じり明黄茶色土の古墳時代前期の堆

積を確認することができた。当初目的とした長岡京期の遺構を検出することはできなかったが、撹乱以

外の場所では旧耕作土以下の層が明瞭に遺存することことから、調査対象地内に長岡京期遺構が残って

いる可能性が高いと思われる。� (松崎俊郎)

 文献:『向日市埋蔵文化財調査報告書-第 102 集-(2015)』

調査地全景(南から)

Page 18: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 15 ―

調査地平面図(1:100)

Page 19: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 16 ―

(2)長岡宮跡第 502 次(7ANBKD-3地区) 鶏か い冠井

で町小佃

   ~北辺官衙(北部)、北京極大(小)路、笹屋遺跡~

 本調査地は、標高標高20.0m前後の段丘・下位面の縁辺部に位置する。長岡宮では「北苑」域に該当する。

同一敷地内で実施した宮第 501 次調査では長岡京期の整地層が確認されている。北側と東側で行われた

宮第 316 次調査は、北京極大路及び大路以北で実施され、京外に広がる長岡京期の遺構を確認している。

同調査第3調査区は当調査地の北 50 mに位置する。同調査区では南北方向の築地跡と東西方向の大規

模な掘立柱建物が検出されており、本調査地内に長岡京期の遺構が広がっていることが想定された。ま

た、縄文時代から古墳時代の集落跡である笹屋遺跡の範囲内でもある。こうした状況のもと長岡京期及

び笹屋遺跡に関連する遺構の確認を目的に南北方向のトレンチを設定して実施した。

 その結果、トレンチの東半部は現代の工事によって壊されていたが、西半部は水田耕作土以下の層が

遺存しており、長岡京時代の東西溝3条、弥生~古墳時代の流路跡2条を検出した。遺物は、弥生土器、

古墳時代の古式土師器、須恵器、土師器、須恵器、瓦、瓦器が出土した。

 長岡京期の遺構面は整地層および弥生時代から古墳時代の堆積土上面となる。長岡京時代の東西溝は、

ほぼ等間隔に配されている。宮第 316 次調査時で同様な溝が検出され造営の過程で設けられた排水用の

溝と考えられている。今回の溝も同様に土地利用の痕跡と考えられ、周辺に長岡京の施設が設けられて

いたことがより明らかになったと言える。弥生~古墳時代の流路はどちらも調査地外に広がっており全

容は不明である。下位は砂礫で埋まっておりかなりの流れがあったことが判明する。今回の調査では長

岡京期の建物は確認できなかったが、笹屋遺跡の南辺付近の様相を確認することができた。�(松崎俊郎)

調査地全景(北から)

Page 20: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 17 ―

調査地平面図(1:100)

Page 21: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 18 ―

(3)長岡宮跡第 503 次(7ANEIN-5地区) 鶏か い で

冠井町稲いなば

   ~内裏南方官衙、宮内東一坊坊間西小路~

 調査地は標高 19.0 ~ 20.8 mの段丘・下位面の縁辺部に位置する。長岡宮の官衙復原では内裏南方官

衙の南東部に位置し、三条条間北小路の南北両側溝が調査地内を通過する。周辺では北約 50 mで宮第

324 次調査、西約 50 ~ 100 mで宮第 76・122・271 次調査、南約 50 mで宮第 417 次調査が行われているが、

段丘の縁辺ということもあり、いずれも後世の土地改変によって長岡京期の遺構は確認できていない。

 調査地は以前の造成で東側が大きく削られており、2.0 m近い段差が設けられていた。この段の上面

にあたる調査地の西部に東西 25.5 m、南北 9.5 mの第1トレンチ、段の下面にあたる東部に東西 7.5 m、

南北 16.0 mの第2トレンチの、2箇所の調査区を設定して調査を開始した。左京域における基幹排水

路の一つである三条条間北小路は、北側溝が第1・2トレンチ、南側溝が第2トレンチに推定ラインが

かかっており、宮内における排水路の様子を明らかにすべく、条坊遺構の検出を主目的として調査を進

めた。しかし、新設建物の基礎が浅いため、掘削深度制限が課せられており、十分な調査が行えなかった。

第1トレンチでは、段丘層である黄褐色砂礫層を確認し、その上面で遺構検出を行い近世以降のピット

を20基検出した。第2トレンチでは断割を除き、ごく一部しか黄褐色砂礫層まで到達できなかったため、

顕著な遺構を確認できなかった。

 まとめとして、調査の目的であった長岡京期の条坊遺構をはじめ、顕著な遺構を確認することができ

なかった。周辺の調査と同じく、近世以降の開発で削りとられたと考えられる。� (中島信親)

第1トレンチ全景(西から)

Page 22: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 19 ―

調査地平面図(1:400)

第2トレンチ全景(北から)

Page 23: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 20 ―

(4)長岡宮跡第 504 次(7ANFMK- 26 地区) 上かみうえの

植野町南び

   ~朝堂院南面築地、山畑古墳群、乙訓郡衙跡~

 本調査地は、標高 29.5 m前後の段丘・中位面に位置する。長岡宮の官衙配置では、朝堂院南面築地

南半部位置する。長岡京以外の遺跡では古墳時代の山畑古墳群や奈良時代の乙訓郡衙跡の範囲内でもあ

る。周辺では長岡宮跡第 116 次調査、宮第 437 次、宮第 443 ~ 445 次、宮第 446 次など朝堂院西第四堂、

長岡宮南面回廊・南面築地関連の調査が実施されている。調査の主目的は南面築地基壇南半部の状況確

認、山畑古墳群、乙訓郡衙関連遺構の確認である。調査は、朝堂院南面築地南半部からそれ以南にかけ

て南北トレンチを設定し行った。調査面積は8㎡である。

 その結果、北半部では撹乱土直下で整地層を確認したが、南半は竹林の土取りと思われる落ち込みに

より段丘相当層まで削平されていた。

 整地層及び段丘相当層上面で精査を行ったが、解体などに伴う撹乱や落ち込みが見られるのみで南面

築地基壇南端に関連する遺構を確認することできなかった。遺物は撹乱土中から丸瓦片、整地層中から

瓦片、須恵器片が出土した。

 今回の調査では、目的として朝堂院南面築地やその他の遺跡に関係する遺構を検出することはできな

かった。しかしながら、隣接する宮第 446 次調査で確認できなかった段丘相当層の状況を確認できたこ

とで長岡京造営時に於ける整地の範囲や、宮造営以前の地形について情報を得ることができた。

� (松崎俊郎)

 文献:『向日市埋蔵文化財調査報告書-第 102 集-(2015)』

調査地全景(南から)

Page 24: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 21 ―

調査地周辺地形図(1:2000)

調査地平面図(1:200)

Page 25: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 22 ―

(5)長岡京跡左京第 570 次(7ANENR-5地区)� 鶏か い で

冠井町南みなみかなむら

金村

   ~左京二条三坊六町、鶏冠井遺跡~

 調査地は標高約 14.0 mの氾濫原に位置する。長岡京の条坊復原では左京二条三坊六町の北西部に、

また縄文~古墳時代の集落跡である鶏冠井遺跡の中央部にあたる。昨年度行った左京第 567 次調査(試

掘調査)と同一の敷地において行う本発掘調査である。左京第 567 次調査では、長岡京期の東三坊坊間

西小路東側溝と古墳時代の土壙、縄文時代の流路跡などが確認されている。これをふまえ、調査地の北

部、左京第 567 次調査トレンチの東に、東西6m、南北 10 mの調査区を設定し、当該期遺構群の確認

を目的に調査を開始した。

 調査では、第4層上面で平安~中世の南北方向の溝2条(溝SD 57001・02)、第5層上面で長岡京

期の南北溝1条(溝SD 57003)とこれに取りつく東西溝4条(溝SD 57004 ~ 07)、凹み2基(凹み

SX 57008・09)、長岡京期以前の落ち込み1基(落ち込みSX 57010)を確認した。南北溝SD 57003 は、

幅 0.9 ~ 1.0 m、深さ 0.2 mの規模で、埋土は第4層系の黒褐色粘質土である。少量であるが長岡京期

の土師器、須恵器、平瓦が出土した。溝下端中央の国土座標値は、X=- 117567.00 Y=- 25632.56

である。左京第 567 次調査で確認した東三坊坊間西小路東側溝SD 56702(西肩南端の座標値:X=-

117567.00、Y=- 25637.50)との間隔は 5.0 m弱であり、築地の内溝と考えるにはやや間隔が広いと思

われる。

 まとめとして、長岡京期の溝群を確認し、左京二条三坊六町北西部おいて、宅地利用の一端を明らか

にすることができた。� (中島信親)

調査地全景(南から)

Page 26: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 23 ―

調査地平面図(1:50)

Page 27: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 24 ―

(6)長岡京跡左京第 573 次(7ANFMR-5地区)� 上かみうえの

植野町持もちまる

   ~左京四条二坊七町、中福知遺跡~

 調査地は標高約 15.5 mの氾濫原に位置する。長岡京の条坊復原では左京四条二坊七町の東端中央に、

また平安時代前期~鎌倉時代中期の官衙跡・集落跡である中福知遺跡の北東部にあたる。周辺では、南

隣接地で左京第 443 次調査、西隣接地で左京第2次調査(府立向陽高校体育館)が行われている。これ

らの調査では、奈良時代の流路跡、長岡京期の井戸・流路跡・護岸施設、平安時代前期の掘立柱建物・

柵・土壙を検出し、長岡京期~中世の墨書土器・土師器・須恵器・軒平瓦・土製品(土馬)・灰釉陶器・

黒色土器・瓦器などが出土している。

 本調査は、平成 26(2015)年3月に行った左京第 569 次調査(7ANFMR-4地区)と同一敷地で行っ

た。左京第 569 次調査では平安時代・長岡京期の顕著な遺構は確認できなかったが、水流を調節する施

設(しがらみ)を伴う流路を確認し、墨書土器(記号「○」)を含む奈良~長岡京期の遺物が出土した。

同調査が終了した後、道路布設位置の変更が判明し、未発掘の道路部分を追加調査する必要が生じたた

め、調査地の北東部に調査区を設定し、当該期の遺構群の確認を目的に調査を開始した。

 調査では時間的および面積的な制約が大きく、また多量の湧水の中、第3層(左京第 569 次調査の第

4層に対応)までを重機によって遺物を探しつつ掘削し、平面図・断面図の作成を行った。よって遺構

は確認できなかったが、第3層から奈良~長岡京期の土師器・須恵器がコンテナ1箱出土した。

� (中島信親)

 文献:『向日市埋蔵文化財調査報告書』第 103 集(2016)

調査地全景(南から)

Page 28: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 25 ―

調査区平面図(1:100)

調査地周辺地形図(1:500)

調査地全景(北から)

Page 29: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 26 ―

(7)長岡京跡左京第 574 次(7ANEMN地区) 鶏か い で

冠井町南みなみしちたんだ

七反田

   ~三条条間北小路、左京三条三坊二町、鶏冠井清水遺跡~

 調査地は標高約 12.5 mの氾濫原に位置する。長岡京の条坊復原では左京三条三坊二町の北西部に位

置し、調査地の北に三条条間北小路が通る。また縄文晩期~古墳時代後期の集落跡である鶏冠井清水遺

跡の北西隅にあたる。二町は四周を区画する条坊遺構がすべて確認されているが、町内の様子は遺構検

出例が少なく全く不明であった。以上をふまえ、調査地の北東部に第1トレンチ、南東部に第2トレン

チの2箇所に調査区を設定し、長岡京期遺構群の確認を目的に調査を開始した。

 調査では、第1トレンチで、中世の溝2条(溝SD 57401・02)、長岡京期の三条条間北小路北側溝(溝

SD 57403)、南側溝(溝SD 57404)、溝5条(溝SD 57405 ~ 09)、第2トレンチで、中世の溝2条

(溝SD 57401・02)、長岡京期の凹み1基(凹みSX 57410)、溝2条(溝SD 57411・12)を確認した。

三条条間北小路北側溝SD 57403 は、幅 1.1 ~ 1.2 m、深さ 0.5 ~ 0.6 mの規模で、埋土は3層に区分で

きる。中層から下層にかけて長岡京期の遺物が出土した。また全体では、弥生土器・古式土師器・土師

器・須恵器・黒色土器・瓦器・軒平瓦・鴟尾ヵ・丸瓦・平瓦・土製品・石製品、木製品などが出土した。

 まとめとして、三条条間北小路南北両側溝を検出し、その位置および規模を確認した。北側溝は既往

の検出例と同じく大形で、長岡京左京域における基幹排水路の一つとして機能したと思われる。また二

町内では、宅地の性格がうかがえる遺構は確認できなかったが、整地跡と思われる、長岡京期の土器類

がまとまって出土した凹みなどを検出し宅地利用の一端を示す成果を得た。� (中島信親)

 文献:『向日市埋蔵文化財調査報告書』第 102 集(2015)

第1トレンチ全景(北から)

Page 30: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 27 ―

調査地周辺地形図(1:1000)

Page 31: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 28 ―

(8)長岡京跡左京第 575 次(7ANFMG-2地区) 上う の

植野町妙う う

   ~左京四条二坊四町・五町、東二坊坊間西小路~

 調査地は、小畑川の旧流路が形成した標高 16 m前後の緩扇状地に立地し、長岡京では左京四条二坊

四・五町、東二坊坊間西小路に相当する。また、長岡京廃都後から営まれた平安時代~中世の集落であ

る中福知遺跡の範囲内でもある。

 調査は、東二坊坊間西小路推定位置を含めた東西方向のトレンチを設けて実施した。検出遺構には近

世以降の東西方向の溝2条と 10 ~ 13 世紀代と考えられる柱穴や溝・土壙・井戸・落ち込み、それ以前

の旧小畑川に伴う砂礫堆積がある。長岡京期及びそれ以前の遺構は検出できなかった。

 調査地の基本層序は耕作土以下、近世の遺物を包含する灰黄色系土(第2層)、平安~中世の遺物を

包含する黒色系土・黒色系土混じり砂礫(第3層)、旧小畑川の流路堆積の灰色系砂礫(第4層)となる。

第4層上面は、調査区に中央から東半部が北西から南東方向に凹んでおり、第2・3層系土で埋められ

ている。出土遺物には、落ち込みから出土した弥生土器、土師器、須恵器、軒丸瓦、緑釉陶器、黒色土

器、青磁・白磁、瓦器などがある。落ち込み下位の土器は破片が大きく摩滅が少なく、上位の土器は小

片である傾向が見られる。遺物の大半が土師器の供膳具で煮沸具や貯蔵具は極めて少ない。

 今回の調査成果は、①旧小畑川の堆積層上面で柱穴などの遺構を検出することができた、②遺構の分

布からは西側に遺構の広がりを見て取ることができる、③大量の土師器供膳具を含む落ち込みを検出し

たが落ち込みの全体の規模は不明である、④長岡京期の遺構を検出することはできなかった、である。

� (松崎俊郎)

調査地全景(西から)

Page 32: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 29 ―

調査地遺構変遷図(1:200)

Page 33: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 30 ―

(9)長岡京跡左京第 576 次(7ANDII-9地区) 森もりもと

本町戌いぬい

   ~北一条大路、左京一条三坊八町、戌亥遺跡~

 調査地は標高 15.8 mの氾濫原に位置する。長岡京の条坊復原では、左京一条三坊八町の北東部に位

置し、北一条大路南側溝が調査地を通過する。また平安~室町時代の集落跡である戌亥遺跡の東部にあ

たる。左京一条三坊八・九町では、調査地と同一敷地で左京第 173・179 次調査が、南隣接地で左京第

193・203・274 次調査が行われている。左京第 203 次調査で出土した文字資料の検討から、長岡京造営

に関連する京内津が確認された。管理棟と思われる雑舎と広場が確認され、川は岸を掘削して拡張され

ていた。川から榑を進上した木簡が出土しており、水運によって運ばれた材木を陸揚げし、広場で板材

などの建築部材に加工して造営現場へ運んだと想定されている。また北西の北一条三坊二・三町では、

左京第 435・436 次調査で平安京遷都時に仮の内裏として使用された離宮・東院の内郭、西外郭が確認

されている。調査地は左京第 173 次調査の成果から、広範囲にわたって攪乱されている可能性が高かっ

た。また向日市と京都市の市境にまたがっており、京都市文化財保護課と共同で遺構の有無を確認する

試掘調査として行なった。向日市域に東西 24 m、南北6m、京都市域に東西 56 m、南北3mのトレン

チを設定し調査を開始した。その結果、重機で約 1.5 m掘削するもほぼ全域が攪乱されている様子を確

認した。ごく一部で灰褐色粘質土を確認し断ち割り調査を行ったが、下位に攪乱層が堆積している状況

を確認した。また下層の様子を確認するため3箇所で G.L. - 2.2 ~ 3.9 mまで深掘りを行ったが、旧耕

作土以下本来の堆積層はまったく確認できなかった。� (中島信親)

 文献:『向日市埋蔵文化財調査報告書』第 104 集(2016)

調査地全景(西から)

Page 34: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 31 ―

調査地平面図(1:300)

調査前風景(中央に日本電産ビルを望む:南東から)

Page 35: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 32 ―

(10)長岡京跡左京第 577 次(7ANBKD-2地区) 森り

本町高田

   ~左京一条三坊七町、一条条間小路・東三坊坊間西小路交差点、高田遺跡~

 本調査地は現地表標高 15.2 m前後の氾濫原に位置する。長岡京では左京一条三坊六・五町、一条条

間南小路南北側溝・東三坊坊間西小路東側溝交差点に相当する。また、弥生時代の集落である高田遺跡

の北部に相当する。南北 30 m、東西5mのトレンチを設定して調査を実施した。その結果、中世の3

~4期にわたる素掘り溝群、長岡京期の条坊交差点および南北方向の掘立柱柵列を検出した。調査地の

基本層序は、上から盛土(1.5 m)、黒色土[旧耕作土]、灰黄褐色土[床土]、黄褐色土となる。

 条坊交差点は、東西方向の一条条間南小路が優先された形で検出されている。ただし、路面上にやや

湾曲する長岡京期の溝が見られる。北側溝が南側溝に比して著しく浅いことから、北側溝と南側溝間の

バイパス溝とも考えられる。ただし、溝は東側溝の延長線上から東にずれ、かつやや蛇行していること

から人為的に掘られたものではなく、あふれた水によって掘り込まれた可能性がある。条坊側溝は一条

条間南小路南側溝SD 57756 と東三坊坊間西小路東側溝SD 57757 が幅広で深いことから、両溝が主な

排水路としての役割を担っていたと考えられる。南北方向の柵列は、左京一条三坊七町の西外郭施設と

考えられる。柱間は 3.2 ~ 3.7 mと不等間である。

 遺物は、各時期の溝から長岡京期の土師器や須恵器、瓦、中世の瓦器などが少量出土した。

 今回の調査では、ほぼ推定位置で条坊交差点を確認し、一条条間南小路が優先されていることを確認

することができた。南側で実施されている左京第 244 次で検出されている弥生時代や縄文時代の遺構や

遺物を検出することはできなかった。� (松崎俊郎)

調査地全景(南から)

Page 36: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 33 ―

調査地平面図(長岡京期、1:150) 調査地全景(上が北)

Page 37: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 34 ―

(11)長岡京跡右京第 1090 次(7ANBSM-6地区) 寺戸町芝山

五塚原古墳第6次(4PFBSM-6地区)   ~右京一条二坊八町、前方部~

 調査地は標高約 60 mの段丘高位面に位置する。当該箇所は長岡京の復原によれば右京一条二坊八町

の中央部にあたる。また、白鳳期の宝菩提院廃寺の寺域に近接する。

 今年度の調査は、前方部の範囲内容確認として東側斜面及び南東隅角に調査区を設定し、前方部の形

状と段築の有無、葺石の施工状況などを確認するとともに墳丘の遺存状況の把握を主眼において調査を

実施した。また、昨年までに確認されなかった、古墳に伴う遺物の確認にも注意を払った。

 調査成果は、次の4点にまとめることができる。①前方部の平面形態が細長い「撥形」であることを

確認したこと、②前方部東側斜面は二段に築かれ、途中に設けられた平坦面は墳頂の勾配と同じように

くびれ部側から前方部先端に向けて高さを増していくこと、③墳丘は凹凸のある丘陵地形を整地して、平

坦な基底面がつくりだされて築かれていること、④古墳に伴う遺物は出土しなかったこと、などである。

 五塚原古墳前方部の構造上の最たる特徴は、「斜路状平坦面」に象徴される後円部と分離した前方部

の段築構造に集約される。本墳の後円部の平坦面はほぼ水平にまわるが、いっぽうの前方部は勾配をも

たせて先端側を高くしている。このような側面観の不整合が生じる理由は、前方部頂を先端に向けて大

きくせり上げた形にするためであり、途中の平坦面もこれに合わせる必要があったためと考えられる。

 こうした墳丘の築成法は、奈良県桜井市箸墓古墳の築造法と共通するものであり、本墳の築造には箸

墓古墳の大きな影響があったことを発掘調査によって具体的に確かめられたと評価できる。�(梅本康広)

 文献:『向日市埋蔵文化財調査報告書-第 102 集-(2015)』

調査地全景(東から)

Page 38: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 35 ―

第1・2次調査

第3次調査

第2次調査

第1次調査

第4次調査

第4次調査

第1・2次調査

第6次調査

第6次調査

4PG-1

4PG-2

4PG-3

寺戸村

Y=-27,550

Y=-27,600

X=-116,800

X=-116,850

20m0

調査地平面図(1:500)

Page 39: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 36 ―

(12)長岡京跡右京第 1105 次(7ANFKR-6地区)� 上う の

植野町吉び

備寺

   ~右京四条一坊七町~

 調査地は標高 26 mの小畑川氾濫原に位置する。長岡京の復原では、右京四条一坊七町に位置する。

また、西側に隣接して西国街道が通過し、現在の小畑川も併走する。

 調査地の一帯は、現在の小畑川堤帯沿いの微高地帯にあたる。これは 13 世紀末から 14 世紀前半に発

達した河川地形を人為的に固定した痕跡でもあり、河道を制御して土地開発をすすめた中世以降の歴史

的な景観が遺存しているともいえる。

 既往の調査としては、西国街道をはさんで西隣で右京第 896 次調査が実施されており、昭和 40 年代

の堤防改修に関わる斜行堆積物を確認している。また、東側では右京第 212・248・261・319 次等の調

査の蓄積がある。しかしながら、旧小畑川の氾濫堆積物と中世以降の耕作関連遺構が確認されているも

のの、長岡京期の遺構は未確認である。本調査地では堤防や街道から外れた位置での土地利用の実相を

把握できるものと期待が寄せられた。

 調査区は東西5m、南北6mの範囲とし、調査対象地の北東側で地下埋設物を避ける形で設定した。

調査では大型重機を使用して表土から面的な掘り下げを行いながら、土層の変化を確認していった。し

かしながら、現状地盤から3mまで掘削したが、その全域が既存建物および埋設物による攪乱を受けて

おり、旧来の地層、遺構、遺物は一切確認されなかった。以深での掘削作業は、安全対策上の限界から

断念し、調査を終わらせた。� (梅本康広)

 文献:『向日市埋蔵文化財調査報告書-第 104 集-(2016)』

調査区全景(北から)

Page 40: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 37 ―

調査地周辺地形図(1:100)

調査地周辺の景観(南から)

Page 41: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 38 ―

(13)中海道遺跡第 69 次(3NNANK- 69 地区)� 物も ず め

集女町ヲサン田

   ~中海道遺跡北東部~

 調査地は縄文時代晩期~中世の複合遺跡、中海道遺跡が営まれた低位段丘の北端に位置する。標高約

24.9 m、低地との落差4mが過去約3~5万年間の京都盆地西縁の変動地形的履歴を示唆する。右頁の

周辺調査成果図では中世の谷池灌漑の棚田景観下に弥生後期~古墳時代初期集落痕跡を確認できる。

 調査成果は a:中世耕作地痕跡の確認、b:平安前期~中期の建物利用の一端の確認、c:古墳時代

初頭以降の集落変遷的資料の入手に整理しうる。aは東西溝群を確認した。掘削・埋め立て・作土ない

し盛土被覆、地ならしを連続的におこなう。閉渠構造とみられる。浅層地下水の湧出場における排水痕

跡と推察される。掘削加工面(鋤先痕跡)が遺存し牛の足印を残す箇所も確認しえた。14 世紀中葉以

降、山林開発・池水資源利用による集約的生産に関わる情報に相当する。二毛作が可能な棚田景観の成

立である。bは平安京近郊地の荘園景観復原に資する成果である。10 世紀前半下限を示す砂質盛土下

位において、隅丸方形的掘方をもつ掘立柱2群を検出した。隅柱を伴うグループは掘方間距離 1.8・2.1

mである。なお検出レヴェルから一部古墳時代にのぼる可能性は否定できない。遺構層序資料の仔細

の検討を要す。cでは溝(破砕土器類の層状分布、一部完形資料の法・底面配置、SD14:布留式古相、

SD18:庄内式新相)、井戸状遺構(SE17・22:深い椀形断面、地下水昇降を示唆する構成層 /基盤層

界変形を伴う)、竪穴住居痕跡(SX16:壁溝、庄内式新相か)、ピットを確認した。古墳時代初期の神

社施設と目される大形建物を確認した第 32 次調査地に接することから、今回の古式土師器資料を活用

し調査地双方の遺構群の変遷史的検証・再構成を試みたい。� (中塚良)

調査区全景(上:北西から、古墳時代~古代遺構群配置)西区遺構精査過程(右、北から)

Page 42: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 39 ―

中海道遺跡調査地位置図・周辺調査成果図(1:1250)、遺構配置図(1:250)

Page 43: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 40 ―

(14)詳細分布調査 平成 26(2014)年度は、168 件の詳細分布調査を実施した。前年度と比較して、25 件の減少である。

調査原因の内訳は、個人ないし集合住宅の小規模開発 114 件、事務所、倉庫など小規模店舗建設4件、

上下水道管布設工事 11 件、宅地造成工事7件、ガス低圧管入替または新設工事 10 件、学校耐震補強工

事1件、広告板設置工事3件である。�

平成 26(2014)年度詳細分布調査一覧表

調査次数 地区名 遺跡名 所在地 調査期間 工事内容 備考

1 13189 7AMBHT 物集女車塚周辺遺跡 寺戸町八反田36-6 14.3.27~4.10 個人住宅兼工場又は店舗

2 14001 7ANDKT 長岡京跡、渋川遺跡 森本町上森本22-2 14.4.14~4.15 通信基地局3 14002 7ANBHN 長岡京跡、森本遺跡 寺戸町東ノ段32-21、32-23 14.4.1~4.7 宅地造成4 14003 3NNANY 中海道遺跡 物集女町中条8-7 14.4.1 個人住宅5 14004 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-9(4号地) 14.4.1・4.4 個人住宅6 14005 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-12(7号地) 14.4.1・4.3 個人住宅7 14006 7ANCMM 長岡京跡、

近世向日町遺跡向日町南山1-1(A号地) 14.4.2 個人住宅 燻瓦片

8 14007 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-18(13号地) 14.4.3 個人住宅9 14008 7ANEAC 長岡京跡 鶏冠井町荒内95-28�№6 14.4.21 個人住宅 土師器・燻瓦類10 14009 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-6(1号地) 14.4.10 個人住宅11 14010 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-11(6号地) 14.4.11 個人住宅12 14011 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-21(16号地) 14.4.10 個人住宅13 14012 7ANFGB 長岡京跡 上植野町五ノ坪17-1他2筆 14.4.14~4.16 露天駐車場 灰釉陶器壺か、須

恵器甕14 14013 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-10(5号地) 14.4.17 個人住宅15 14014 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-13(8号地) 14.4.17 個人住宅16 14015 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口3-20 14.4.22 店舗17 14016 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野8-21 14.4.25 個人住宅18 14017 7ANBKJ 長岡京跡、寺戸城跡 寺戸町古城6-29 14.4.25 個人住宅19 14018 7ANBKT 長岡京跡 寺戸町岸ノ下4-1の一部、

3の一部14.5.1・5.8 個人住宅 緑釉陶器鉢(火舎

か、平安前期、表採)

20 14019 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口25-2 14.4.25 個人住宅 燻軒瓦、平・丸瓦21 14020 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-15(10号地) 14.5.1 個人住宅22 14021 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-19(14号地) 14.4.28 個人住宅23 14022 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-20(15号地) 14.4.28 個人住宅24 14023 7ANFKN 長岡京跡、

吉備寺遺跡上植野町角前5-6 14.5.7 個人住宅

25 14024 6NJANN 南条遺跡 物集女町長野1-48 14.5.1 個人住宅26 14025 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口3-15 14.5.14 看板設置27 14026 7ANBSW

2NKBSW長岡京跡、渋川遺跡 寺戸町渋川22-2の一部 14.5.14~5.22 個人住宅

28 14027 7ANBKT 長岡京跡、森本遺跡 寺戸町岸ノ下22-6 14.5.20 個人住宅29 14028 7ANFSC 鴨田遺跡、長岡京跡 上植野町庄ノ内地内 14.5.19~7.18 配水支管布設替 古式土師器、須恵

器、瓦片、石包丁、弥生土器

30 14029 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野15-14(9号地) 14.5.21 個人住宅31 14030 7ANBOK 長岡京跡 寺戸町大牧1-28 14.6.5・6.9 個人住宅32 14031 7ASBMT 笹屋遺跡 寺戸町向畑1-47 14.5.31~6.2 個人住宅

Page 44: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 41 ―

33 14032 7ANEHC 長岡京跡 鶏冠井町堀ノ内62-1、64-4、4 14.5.30 個人住宅34 14033 7ANBKD 笹屋遺跡 寺戸町小佃12-3 14.6.2~6.27 建物解体35 14034 3NNANY 中海道遺跡 物集女町中条29-1の一部、

29-314.6.10 個人住宅 寛永通宝、陶器

(表採)36 14035 7ANBNM 長岡京跡 寺戸町二枚田9-10、4-11 14.6.13 個人住宅37 14036 7ANEGZ 長岡京跡、森本遺跡 鶏冠井町極楽寺地内 14.6.12 補助配水支管布

設替・消火栓設置

38 14037 7ANDTR 長岡京跡 森本町天神森地内 14.6.16~7.11 補助配水支管布設替

39 14038 7ANEHC 長岡京跡 鶏冠井町堀ノ内14-1 14.6.12 個人住宅40 14039 7ANCKM 長岡京跡 向日町北山36-3 14.6.23 個人住宅41 14040 7ANEDN 長岡京跡 鶏冠井町大極殿58-16 14.7.2 個人住宅 燻瓦片42 14041 7ANFKZ 長岡京跡、

西小路遺跡上植野町北小路16-3の一部(1・2号地)

14.7.3 寄宿舎

43 14042 7ASBSY7ANBMT

笹屋遺跡 寺戸町笹屋39-11、寺戸町向畑143

14.7.7・7.8 個人住宅 須恵器

44 14043 7ANFKZ 長岡京跡 上植野町北小路16-3の一部(3号地)

14.6.30 個人住宅

45 14044 7ANFKZ 長岡京跡 上植野町北小路16-3の一部(4号地)

14.6.30 個人住宅 土師質土器

46 14045 7ANBOK 長岡京跡 寺戸町大牧14-22 14.7.9~7.23 ガス低圧管入替及び引込管入替

47 14046 7ASBSY 笹屋遺跡 寺戸町笹屋20-8 14.7.10 個人住宅 土師器片、須恵器片、古銭

48 14047 7ANFGN 長岡京跡、吉備寺遺跡

上植野町御妙林3-8-31 14.7.23 個人住宅

49 14048 7ANFTB 長岡京跡、鴨田遺跡 自)上植野町十ヶ坪7-1至)上植野町十ヶ坪8-18

14.7.24 ガス低圧管新設

50 14049 7ANBHG 長岡京跡、森本遺跡 寺戸町東野辺地内 14.7.17、14.7.18~8.1

補助配水管布設替

土師器、須恵器、原始灰釉、瓦

51 14050 7ANEYT 長岡京跡、南開遺跡 鶏冠井町山畑2-32 14.7.17 個人住宅 磁器片(盛土)52 14051 7ANBDC 長岡京跡、殿長遺跡 寺戸町殿長9-1、9-19の一部 14.7.22・7.31 個人住宅 燻瓦片53 14052 7ANBNM 長岡京跡、渋川遺跡 寺戸町二枚田13-80 14.7.24・8.4 個人住宅54 14053 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口3-19�No.11 14.8.1 個人住宅55 14054 7ANBHN 長岡京跡、森本遺跡 寺戸町東ノ段32-12 14.8.6 個人住宅56 14055 7ANCMM 長岡京跡、南山遺跡 向日町南山 向陽小学校内 14.8.7~8.12 学校耐震補強 軟質燻軒丸瓦(初

期向陽小所用か)57 14056 7ANFTB 長岡京跡、鴨田遺跡 上植野町十々坪地内 14.8.4・8.7 補助配水管布設58 14057 7ANFMR 長岡京跡、

中福知遺跡上植野町持丸地内 14.8.11~8.12 補助配水管布設

59 14058 7ANEBD 長岡京跡 鶏冠井町番田1-4 14.8.2 個人住宅60 14059 7ANEAC 長岡京跡 鶏冠井町荒内35-49 14.8.7・8.11 宅地造成61 14060 7ANBKJ 長岡京跡 寺戸町古城7-7 14.8.6 個人住宅62 14061 7ANESN 長岡京跡 鶏冠井町沢ノ西2-41(2号地) 14.8.6・8.20 個人住宅63 14062 7ANESN 長岡京跡 鶏冠井町沢ノ西2-41(1号地) 14.8.6、

14.8.19~8.20個人住宅

64 14063 7ANBOK 長岡京跡 寺戸町大牧14-61、14-62 14.8.8 個人住宅65 14064 7ANEAC 長岡京跡 鶏冠井町荒内35-49の一部

(2号地)14.8.25 個人住宅

66 14065 7ANEHC 長岡京跡 自)鶏冠井町堀ノ内59至)鶏冠井町堀ノ内62-1

14.8.18・8.19 ガス低圧管新設及び引込管新設

磁器・施釉陶器

67 14066 7ANFMR 長岡京跡 上植野町持丸 14.8.18・8.19 ガス低圧管新設68 14067 7ANEHI 長岡京跡、

内裏下層遺跡鶏冠井町東井戸23-8 14.8.20 個人住宅 施釉陶器・軟質燻

瓦類

Page 45: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 42 ―

69 14068 4PIBOK 乾垣内遺跡 寺戸町大牧地内 14.8.20~9.2 配水支管布設替70 14069 7ANEDN 長岡京跡、

内裏下層遺跡鶏冠井町大極殿18-8及び18-9 14.9.2~9.3 個人住宅 土師器供膳具類・

古代瓦類71 14070 6NJANN 南条遺跡 物集女町長野1-36(20号地) 14.8.29 個人住宅72 14071 3NNAKC 中海道遺跡 物集女町北ノ口6 14.9.3 個人住宅73 14072 7ANDST 長岡京跡、森本遺跡 森本町下森本43-105,106 14.9.10 個人住宅 イネ科種実化石群

(炭化米か)74 14073 7ANDTK 長岡京跡 森本町高田5-1他 14.9.3~9.25 店舗増築75 14074 7ANESN 長岡京跡 鶏冠井町沢ノ西16-5 14.9.6 個人住宅76 14075 7ANBHN 長岡京跡 寺戸町東ノ段32-23(D号地) 14.9.3 個人住宅77 14076 7ANBKT 長岡京跡 寺戸町岸ノ下25-155 14.9.10・9.11 個人住宅 施釉陶器京焼、

磁器、燻瓦類78 14077 7ANFMK 長岡京跡 上植野町南開44-7、44-8 14.9.16~9.19 個人住宅 根石クラス礫材

(礎石建物関連か)79 14078 7ANFKZ 長岡京跡、

西小路遺跡上植野町北小路地内 14.9.9~11.28 仮称向日市南部

避難拠点施設土師器・須恵器・瓦器・施釉陶器・焼締陶器・磁器・瓦類

80 14079 7ANEAC 長岡京跡 鶏冠井町荒内地内 14.9.10~11.17 補助配水管布設替

土師器、古代瓦類、施釉陶器、磁器

81 14080 7ANFGN 長岡京跡 上植野町御妙林11-3の一部(A号地)

14.9.11 個人住宅

82 14081 7ANFMK 長岡京跡 上植野町南開11-39 14.9.18 個人住宅83 14082 7ANBHD 長岡京跡 寺戸町初田地内 14.9.16・9.17 水路築造84 14083 7AMAMO 物集女車塚周辺遺跡 物集女町豆尾36-14 14.9.22 個人住宅85 14084 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口3-18(12号地) 14.9.29 個人住宅86 14085 7ANBNO 長岡京跡 寺戸町西野地内 14.9.29~10.2 補助配水管敷設

工87 14086 7ANBNM 長岡京跡 寺戸町二枚田4-78 14.10.3 個人住宅88 14087 7ANBNO 長岡京跡 寺戸町西野地内 14.10.1~10.10 ガス低圧管新設

及び引込管新設89 14088 7ANFMR 長岡京跡、

中福知遺跡上植野町持丸5-21(2号地) 14.10.9 個人住宅

90 14089 7ANFMR 長岡京跡、中福知遺跡

上植野町持丸5-26(6号地) 14.10.9 個人住宅

91 14090 7ANFMR 長岡京跡、中福知遺跡

上植野町持丸5-26(7号地) 14.10.9 個人住宅

92 14091 7ANEJK 長岡京跡 鶏冠井町上古5-16 14.10.15 個人住宅93 14092 7ANFSR 長岡京跡 上植野町下川原40 14.10.24 個人住宅94 14093 7ANEAC 長岡京跡 鶏冠井町荒内23-3 14.10.27 個人住宅95 14094 7ANBHG 長岡京跡、森本遺跡 寺戸町東野辺35-8 14.10.29 個人住宅96 14095 7ANFKM 長岡京跡、鴨田遺跡 上植野町鴨田8-6 14.10.29 個人住宅97 14096 7ANFGN 長岡京跡 上植野町御妙林11-3(A号地) 14.10.28・10.30 宅地造成98 14097 7ANFGN 長岡京跡 上植野町御妙林11-3の一部

(B号地)14.10.27・10.30 宅地造成

99 14098 7ANFNC 長岡京跡、中福知遺跡

上植野町中福知地内 14.10.29~15.1.28

配水支管布設替 瓦器(SX1409801)

100 14099 7ANBHD 長岡京跡 寺戸町初田他地内 14.11.18~12.17(夜間)

水路築造

101 14100 7ANEAC 長岡京跡 鶏冠井町荒内35-49の一部(1号地)

14.10.30・10.31 個人住宅

102 14101 7ANBNM 長岡京跡 寺戸町二枚田10-43(7号地) 14.10.30 個人住宅103 14102 7ANBHG 長岡京跡 寺戸町東野辺3-7 14.10.31 個人住宅104 14103 7ANBNM 長岡京跡 寺戸町二枚田10-43(6号地) 14.10.30 個人住宅

Page 46: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 43 ―

105 14104 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口3-17(№13) 14.11.10 個人住宅106 14105 7ANFKI 長岡京跡 上植野町北淀井4-2、4-17、

4-19の一部14.11.20 店舗

107 14106 7ANFKD 長岡京跡 上植野町北ノ田10 14.11.19 個人住宅108 14107 7ANDSB 長岡京跡、石田遺跡 森本町四ノ坪地内 14.11.25~

15.1.19配水支管布設替

109 14108 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野 14.11.27、15.1.13~2.3

花壇設置、駐輪場、公共歩廊等

須恵器片

110 14109 7ANFSC 長岡京跡、鴨田遺跡 上植野町庄ノ内1-30 14.12.5 個人住宅111 14110 7ANEDN 長岡京跡 鶏冠井町大極殿56-3、58-3 14.11.27 家屋解体112 14111 7ANFKM 長岡京跡、鴨田遺跡 上植野町鴨田3-7、4-6 14.12.1 個人住宅113 14112 7ANEKS 長岡京跡、

沢ノ西遺跡鶏冠井町草田1-8、8-1、1-138、8-5

14.12.4~12.8 個人住宅

114 14113 7AKBUU 久々相遺跡 寺戸町瓜生27-24 14.12.11 個人住宅115 14114 7ANBHS 長岡京跡、渋川遺跡 寺戸町東田中瀬15-51、15-49 14.12.13 個人住宅116 14115 3NNAKN 中海道遺跡 物集女町クズ子17-12

(E号地)14.12.10 個人住宅

117 14116 3NNAKN 中海道遺跡 物集女町クズ子17‒7(B号地) 14.12.10 個人住宅118 14117 3NNAKN 中海道遺跡 物集女町クズ子17-10

(D号地)14.12.10 個人住宅

119 14118 3NNAKN 中海道遺跡 物集女町クズ子17‒8(C号地) 14.12.10 個人住宅120 14119 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口13-12 14.12.19 個人住宅121 14120 7ANFGN

7ANFMZ長岡京跡 自)上植野町御妙林

至)上植野町南小路14.12.12 ガス低圧管及び

引込管新設122 14121 7ANFKD 長岡京跡 上植野町北ノ田前 14.12.17 車輪旋盤基礎改

良123 14122 7ANBHN 長岡京跡、森本遺跡 寺戸町東ノ段32-21,32-23の一

部14.12.18 個人住宅

124 14123 7ANBND 長岡京跡 寺戸町西ノ段4-13 14.12.22 個人住宅125 14124 7ANFKI 長岡京跡、

中福知遺跡上植野町北淀井5-56 15.1.6 個人住宅

126 14125 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口3-16�№14 15.1.10・1.13 個人住宅127 14126 7ANFNE

~ESN長岡京跡、沢ノ西遺跡

自)上植野町野添2-3至)鶏冠井町沢ノ西14-2

15.1.7~継続中 ガス低圧管入替

128 14127 2NKBHS 渋川遺跡 寺戸町東田中瀬9-2-20 15.1.13 個人住宅129 14128 7ANBDC 長岡京跡 寺戸町殿長35-15 15.1.9・1.10 個人住宅130 14129 3NNAKN 中海道遺跡 自)物集女町クズ子16

至)物集女町クズ子1715.1.13~1.19 ガス低圧管新設

及び引込管新設燻瓦片

131 14130 7ANBUU 久々相遺跡 自)寺戸町瓜生18-10至)寺戸町瓜生22

15.1.19~継続中

ガス低圧管新設

132 14131 7ANBHG 長岡京跡、岸ノ下遺跡

寺戸町東野辺62 15.1.16 個人住宅

133 14132 7ANFKZ 長岡京跡 上植野町北小路41 15.1.15~1.19 公園整備134 14133 6NJANJ 南条遺跡 物集女町南条 15.1.16~2.10 道路改良135 14134 7ANEKT 長岡京跡・

近世向日町鶏冠井町楓畑地先 15.1.19~2.2 道路改良

136 14135 7ANFJN 長岡京跡、鴨田遺跡馬場遺跡西方

上植野町定使田 15.2.2~3.1 道路改良 古式土師器甕、土師器片、須恵器片(甕底部)

137 14136 7ASBSY 笹屋遺跡 寺戸町笹屋20-20 15.2.13 個人住宅138 14137 7ANFKM 長岡京跡、鴨田遺跡 上植野町鴨田4-34、4-36、

4-3815.1.29~1.30 個人住宅

139 14138 7ANFKZ 長岡京跡、西小路遺跡

上植野町北小路37-4 15.1.31 個人住宅

140 14139 7ANFHD 長岡京跡 上植野町菱田9の一部 15.1.30 建植広告物

Page 47: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 44 ―

141 14140 7ANBHG 長岡京跡、森本遺跡 寺戸町東野辺22-47 15.2.6 個人住宅142 14141 7ANFKD 長岡京跡 上植野町北ノ田16-5 15.2.5 個人住宅143 14142 7ANBNM

~BKT長岡京跡、森本遺跡渋川遺跡

自)寺戸町二枚田12-39至)寺戸町岸ノ下25-50

15.2.19~継続中

ガス低圧管入替

144 14143 7ANBMT 笹屋遺跡 寺戸町向畑20-23 15.2.13~2.20 個人住宅 古代土師器(供膳)145 14144 7ANDYR 長岡京跡、森本遺跡 森本町藪路46-15、48-4、

63-1115.2.18 個人住宅

146 14145 7ANEMN 長岡京跡、鶏冠井清水遺跡

鶏冠井町南七反田14-1、14-2、15-1、15-2

15.2.20~継続中

露天資材置場 土師器、須恵器、瓦器、古代瓦類

147 14146 7ANBHG 長岡京跡、森本遺跡 寺戸町東野辺37-17 15.2.20 個人住宅148 14147 7ANFKZ 長岡京跡、

西小路遺跡上植野町北小路37-2 15.2.20 個人住宅

149 14148 7ANDTR 長岡京跡、森本遺跡 森本町天神森18-3 15.2.20 個人住宅 土師器細片150 14149 7AKBSS 久々相遺跡 寺戸町修理式地内 15.2.20~3.24 道路拡幅 土師器・須恵器・

施釉陶器・磁器151 14150 7ANEMD 長岡京跡 鶏冠井町門戸地内 15.2.24~3.26 歩道設置 古代瓦類152 14151 7ANDSD 長岡京跡 森本町下町田17-1 15.2.27 個人住宅153 14152 7ANBNO 長岡京跡 寺戸町西野8-6(2号地) 15.2.26 個人住宅154 14153 7ANBNO 長岡京跡 寺戸町西野8-10(6号地) 15.2.26 個人住宅155 14154 7ANBOK 長岡京跡 寺戸町大牧1-175 15.3.5 個人住宅156 14155 7ANFNM 長岡京跡 上植野町野上山31-19 15.3.4~継続中 宅地造成157 14156 7ANBNC 長岡京跡、殿長遺跡 寺戸町中垣内15-1 15.3.2 個人住宅 磁器染付(供膳具)158 14157 7ANDYR 長岡京跡、森本遺跡 森本町藪路2-1、3-1 15.3.6 個人住宅159 14158 3NSBHC 修理式遺跡 寺戸町八ノ坪25-1の一部 15.3.11 集合住宅160 14159 7ANDST 長岡京跡、森本遺跡 森本町下森本47-81、47-82、

47-8315.3.17 個人住宅

161 14160 7ANEKS 長岡京跡 鶏冠井町草田29-9 15.3.11 個人住宅162 14161 7ANDSB 長岡京跡 森本町四ノ坪28-10 15.3.18 集合住宅163 14162 7ANFKK 長岡京跡 上植野町切ノ口3-15�№15 15.3.19・

15.3.20個人住宅

164 14163 7ANBNN 長岡京跡 寺戸町中野20-2 15.3.23 広告板165 14164 7ANDII 長岡京跡、戌亥遺跡

東土川遺跡森本町戌亥地内 15.3.20 フェンス取替

166 14165 7ANEHI 長岡京跡、内裏下層遺跡

鶏冠井町東井戸57の一部(1号地)

15.3.23~継続中

個人住宅

167 14166 7ANBNB 長岡京跡 寺戸町西野辺14-3 15.3.27 宅地造成 土師器細片(造成土)

168 14167 7ANEHC 長岡京跡、南開遺跡 鶏冠井町堀ノ内54-13、54-15、54-17

15.3.30~継続中

宅地造成

Page 48: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

梅本 康広

公益財団法人向日市埋蔵文化財センター -年報 都城27-45-66頁,2016年2月

「天満塚」出土埴輪とその意義―向日丘陵古墳群とその周辺古墳の基礎研究(4)―

Ⅲ 研 究 報 告

Page 49: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人
Page 50: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 47 ―

「天満塚」出土埴輪とその意義―向日丘陵古墳群とその周辺古墳の基礎研究(4)―

梅本康広

1 はじめに 京都大学考古学研究室が所蔵する長岡宮跡の初期調査出土遺物の資料調査で、思いがけない発見が

あった。乙訓地域で周知されていない首長墓の存在を示す前期古墳の埴輪である。

 当センターでは設立 25 周年記念事業の一環として、平成 25(2013)年度に記念展示会『桓武天皇の

王宮-長岡宮の実像-』を開催した。本事業は 60 年に及ぶ長岡宮跡の調査成果を総括し、これからの

調査研究課題を明確にするために二箇年の研究計画をたてた。とくに、京都大学が実施した長岡宮跡の

初期(註1)

調査資料の全容を把握することに重点をおいた。

 この資料には中山修一氏が採集したか、もしくは同氏のもとに寄せ集められたとみなしうる長岡京期

以前の遺物も含まれており、埴輪は約 20 点の破片が一箱にまとめて収蔵されていた。すべての破片に

注記があったため、出土地点を同じくする一括資料で、その位置も特定できることがわかった。

 初期調査資料の図面および主要な遺物については、京都大学考古学研究室の理解と協力を得て分析と

検討を行うために借用し、一部は展示会に出品した。このとき、埴輪資料についても長岡京成立前史の

究明に必要な資料として借用し図面、写真記録を作成した。

 本稿は上記のような経過で発見した埴輪について資料化し、桂川流域の古墳研究の新たな材料を提供

するものである。

2 埴輪の出土地点について 埴輪の破片には、出土した場所や採取した日付が記されている。「長岡西陣町出土」や「西北崖より」、

「1960.6.18」などのほかに、土地を所有する企業の名がみえる。

 これらの記述から、埴輪の出土場所は現在の「長岡京市天神二丁目」にあたることが判明する。この

一角には注記にある企業が現在でも所在しており、埴輪はその敷地内西北で掘削工事が行われた際に、

露出した崖面から出土していたことが推測できる。

 なお、地名変更前の「天神二丁目」は、大字「開田」小字「天満塚」と「西陣町」、「天神山」に分か

れていた。昭和 11(1936)年の地形図をみると、該当する敷地中央には東側に張り出す尾根地形の傾

斜変換点に字界が北西南東方位にはしり、東半は「西陣町」、西半が「天満塚」に属していたことがわ

かる。昭和 40(1965)年の地形図にみえる企業の敷地範囲を参照すれば、「西北崖」の位置は小字「天

満塚」地内の東側斜面に想定できる。公図や地形図からは、古墳の痕跡を見いだすことはできなかった

が、土地の名称そのものが埴輪の来歴を示唆している。

 後述するように、埴輪は若干の土が付着したままで磨滅がなく、円筒埴輪の底部が三個体確認できる

ことから、埴輪列が削られて出てきた可能性も考えられる。したがって、字「天満塚」と名付けられた

ひとつの尾根筋のなかで、その突端付近に古墳が築かれていた可能性を推定することができる。

 一方、長岡京市教育委員会が発行する『長岡京市遺跡地図』によれば、当該箇所は「西陣町西遺跡」

にあたり埴輪の散布地として周知されている。その発端となった埴輪の詳細については明らかではない

が、中山修一氏が作成した遺物分布図をもとに散布地として周知させたらしい(註2)

 本稿で取りあげる埴輪は、中山氏が分布図に記すことになった原資料とみて誤りないと思われる。ま

Page 51: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 48 ―

図1 埴輪出土地点周辺図

Page 52: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 49 ―

た、上記のような脈絡で埴輪の出土経緯をみてくると、長岡天満宮を中心に形成された周辺の歴史環境、

景観のなかに古墳が存在したからこそ、それが「天満塚」と呼ばれ地名にも刻まれたと推測できる。

 それゆえに、埴輪の帰属先として、本稿では「天満塚」の名称を使用する。

3 京都盆地の埴輪の分布と変遷(1)埴輪出土古墳の分布傾向

 現在の京都市、旧乙訓郡がひろがる京都盆地北部(巨椋池・宇治川以北)、いわゆる「葛野」の範囲には、

総数 900 基以上の古墳が確認される。このうち、桂川右岸には 360 基以上が分布し、前方後円墳 29 基、

前方後方墳2基、円墳 302 基、方墳 27 基の割合となっている。埴輪は 81 地点で確認されているが、確

実に古墳に伴う事例は 56 基である。また、埴輪棺は5例あり、遺構は確認できないが埴輪がまとまっ

て出土することから古墳の存在が見込まれている事例が 10 例ほどある。残る事例は、台帳の記載はあ

るが詳細や原資料の所在がわからないものである。

 時期別にみると前期 18 基、中期 31 基、後期 31 基、不明1基である。埴輪を採用する古墳は、都月

型の特殊器台形埴輪を備えた元稲荷古墳にはじまり、中期前葉の前半まで首長墓に限られたが、同後半

から古式群集墳の築造がはじまり、埴輪をもつ古墳が中小規模にまでひろがった。横穴式石室を内蔵す

る新式群集墳の成立後は、首長墓に限られ、桂川流域では後期中葉の物集女車塚古墳、宇治川流域では

後期後葉まで続き門ノ前古墳が最後となる。

 埴輪の分布は 14 地点を除けば、桂川右岸に偏在し、首長墓の分布と傾向を同じくする。後期前葉か

らは、嵯峨野に盟主的な首長墓が継起的に築かれ、盆地周縁には群集墳の築造が展開した。

 このように、古墳の築造動向や埴輪の分布傾向から見ると、桂川左岸以東の開発は古墳時代中期後葉

以降に進展し、それまでは桂川右岸に人口が集中し、闊達な人の往来があり、この地域が政治・経済の

中心地として発展してきた様子をうかがい知ることができる。

(2)埴輪の変化と出土古墳の動向

向日丘陵における埴輪の出現 弥生時代後期の吉備で王墓のまつりに使われた特殊器台・特殊壺は、立

坂型、向木見型、宮山型と変化し、次の都月型にいたり埴輪へ転化したとの見方が一般的である。土器

から埴輪へ変化する指標は、筒状の胴部に施されていた文様の退化、省略化と基底部の脚が消失したと

ころにあるとみられる。これらの有無は重要で、特殊器台の中で脚があるのに文様が無い例はみあたら

ず、文様が無ければ脚はまず無いと判断できることからも変化の指標としては妥当と思われる。また、

大量配列を大きな画期とする見方もあるが、増量化への段階的な推移を考えるべきである。

 なお、都月型とされる特殊器台形埴輪は、ひとつの古墳でも確認できる数量は少なく、限定的な配

置に留まっていたと考えられる。また、全形を復原できる個体は、ほかに都月1号墳と矢部B42 号墳、

矢部堀越遺跡の事例があるにすぎない。

 元稲荷古墳では、後方部頂と前方部頂の二箇所に分けて置かれていた。前方部側では、大小につくり

分けた特殊器台形埴輪6~7個体をならべていた。半数は壺をのせ、大型の特殊器台形埴輪と高さを揃

わせていた。蕨手文と斜線文を組み合わせた文様帯は、ごく一部を表現するに留めている。最上段口縁

部に見られた鋸歯文も省略され、受け口状の口縁から直立するものへ変化が起きていた。

 以上の特徴から、元稲荷古墳の埴輪は、都月型のなかでは最終形態に位置づけられる。なお、天理市

西殿塚古墳では、普通円筒埴輪の大量配列がはじまっていたが、元稲荷古墳はその築造法の影響は受け

たものの埴輪の組成や配列方式については一部の要素を受容したに留まる。

Page 53: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 50 ―

図2 桂川流域の埴輪出土地点

Page 54: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 51 ―

表1 京都盆地北部の埴輪出土地点一覧

№ 古 墳 名 所  在  地 墳 形時  

規模(m)

特殊器台形

壺  

普通円筒

朝顔形

鰭付円筒

楕円形

形   象

鶏家盾蓋人物動物甲冑

1 天塚古墳 京都市右京区太秦松本 前方後円墳 後期 712 清水山古墳 京都市右京区太秦松本 前方後円墳 後期 603 広隆寺旧境内 京都市右京区太秦蜂岡 不明 後期4 吉田二本松8号墳 京都市左京区吉田二本松町 方墳 中期5 八坂古墳 京都市東山区下河原 方墳 中期 306 稲荷山命婦谷遺跡 京都市伏見区深草藪之内 埴輪棺 前期7 仁明陵北古墳 京都市伏見区深草瓦 不明 前期8 伏見城跡 京都市伏見区桃山町永井久太郎 不明 中期9 黄金塚2号墳 京都市伏見区桃山東山 前方後円墳 前期 14010 鳥羽離宮跡第106次 京都市伏見区竹田小屋ノ内 円墳 中期 2011 鳥羽離宮跡第96・121次 京都市伏見区竹田浄菩院 不明 中期12 鳥羽離宮跡第135次 京都市伏見区中島堀端町 不明 不明13 稲荷塚古墳 京都市山科区西野山中臣 円墳 後期 1814 梅小路古墳 京都市下京区梅小路頭 円墳 後期 1515 穀塚古墳 京都市西京区松尾山田葉室 前方後円墳 後期 4116 天鼓の森古墳隣接地 京都市西京区上桂森上町 前方後円墳 後期 8017 山田桜谷1号墳 京都市西京区山田桜谷 前方後円墳 後期 4818 山田桜谷2号墳 京都市西京区山田桜谷 不明 後期19 巡礼塚古墳 京都市西京区松尾下山田 前方後円墳 中期 5020 天皇の杜古墳 京都市西京区御陵塚越 前方後円墳 前期 8621 百々池古墳 京都市西京区樫原百々池 円墳 前期 5022 東山4号墳 京都市西京区大枝南福西 円墳 後期 4023 鏡山古墳 京都市西京区大原野上里 円墳 中期 3024 堂ノ上古墳 京都市西京区大原野上里南ノ町 方墳 中期 3025 牛廻り古墳 京都市西京区大原野上里 円墳 中期 4026 牛頭塚古墳 京都市西京区石見上里東山 不明 中期27 石作所在古墳 京都市西京区大原野石作町 円墳 後期 1028 芝1号墳 京都市西京区大原野石見町 前方後円墳 後期 3829 中海道遺跡 向日市物集女町中海道 不明 中期30 物集女車塚古墳 向日市物集女町南条 前方後円墳 後期 4631 南条3号墳 向日市物集女町南条 円墳 中期 2432 乾垣内遺跡 向日市寺戸町乾垣内 埴輪棺 前期33 寺戸大塚古墳 向日市寺戸町芝山 前方後円墳 前期 9834 妙見山古墳 向日市寺戸町芝山 前方後円墳 前期 11535 元稲荷古墳 向日市向日町北山 前方後方墳 前期 9436 中ノ段古墳 向日市寺戸町中ノ段 円墳 後期37 射鶴古墳 向日市寺戸町中ノ段 不明 中期38 山畑1号墳 向日市鶏冠井町大極殿 方墳 後期39 山畑2号墳 向日市鶏冠井町山畑 方墳 後期40 山畑3号墳 向日市鶏冠井町山畑 方墳 後期 1141 山畑4号墳 向日市鶏冠井町大極殿 方墳 中期 1742 大極殿古墳 向日市鶏冠井町大極殿 前方後円墳 中期43 東井戸古墳 向日市鶏冠井町東井戸 不明 後期44 御塔道古墳 向日市上植野町御塔道 不明 前期45 西小路古墳 向日市上植野町西小路 前方後円墳 後期46 南小路古墳 向日市上植野町南小路 円墳 後期 2047 井ノ内車塚古墳 長岡京市井ノ内向井芝 前方後円墳 後期 3948 井ノ内3号墳 長岡京市井ノ内宮山 方墳 後期 1749 今里庄ノ淵古墳 長岡京市今里庄ノ淵 前方後円墳 中期 4050 今里車塚古墳 長岡京市今里 前方後円墳 中期 7451 カラネガ岳2号墳 長岡京市粟生鷹子ヶ岳 前方後円墳 中期 3452 長法寺南原古墳 長岡京市長法寺南原 前方後円墳 前期 6053 南原東2号墳 長岡京市長法寺南原 不明 中期54 南原東3号墳 長岡京市長法寺南原 埴輪棺 前期55 長法寺遺跡 長岡京市長法寺清水ヶ瀬 埴輪棺 前期56 天満塚古墳 長岡京市天神 不明 前期57 舞塚1号墳 長岡京市今里舞塚 前方後円墳 後期 3958 宇津久志2号墳 長岡京市天神 方墳 中期 759 開田5号墳 長岡京市開田 方墳 中期

Page 55: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 52 ―

向日丘陵からのひろがり~前期中葉の動向~ 元稲荷古墳で埴輪が導入され以降、向日丘陵では寺戸大

塚古墳をへて妙見山古墳にいたるまで、埴輪が採択された。とはいえ、三代続く首長墓の埴輪には、そ

れぞれに最新の技法的要素が採用されており、古墳の造営ごとに異なる埴輪製作者が関与していたのは

間違いない。向日丘陵では五塚原古墳を嚆矢とする四代の大型古墳が、大王墳や大和の巨大古墳の直接

的な影響を受け、それらの主要な要素が確実に備えられている。埴輪についても同様な脈絡で大王墳と

その周辺の巨大古墳に技術系譜を求めてよいものと考える。

 妙見山古墳築造後、首長墓は向日丘陵の南方にも展開し、大山崎町境野1号墳、後葉にかけて長岡京

市長法寺南原古墳が築造される。墳丘はともに 60 m級の規模をもち、後者は西山丘陵に立地して葺石

をもたない前方後方墳であるのに対し、前者は淀川合流部正面の独立小丘陵上に立地する葺石、埴輪を

もつ前方後円墳で、恵解山古墳と同じく王権が定めた「戦略的要地」につくられたとみて間違いない。

 円筒埴輪の変化としては、鰭付円筒埴輪もしくはその規格が採用される。また、透孔がこの段階から、

縦列に二孔配置となる。

首長墓築造の最盛期~前期後葉の動向~ 妙見山古墳に後続する盟主的な首長墓は、樫原地域の天皇ノ

杜古墳である。桂川を遡上して古山陰道につながる丘陵越えの道に沿ってつくられ、佐紀陵山古墳に近

似する墳丘形態をとるものの、段築の構成は一段分を省略してその規模は墳丘長 83 mにとどまる。鰭

付円筒埴輪を備え、この時期の長岡京市今里車塚古墳、大山崎町土辺古墳の埴輪と近似した要素を有し

ている。

 今里車塚古墳は墳丘長 70 mの前方後円墳で、乙訓地域最大の8条突帯9段構成をとる特大品が備わ

り、その大きさは全高 111㎝、口径 53㎝、底径 38㎝に復原が可能である。土辺古墳は一辺 13 mの方墳

でありながら、精巧で完好な家形埴輪が確認でき、鰭付円筒埴輪の技法や胎土、焼成等の特徴は今里車

塚古墳の事例に最も近似する。

 これらの他に、向日市伝高畠陵古墳に近接する乾垣内遺跡では、京都市黄金塚2号墳と同工の盾形埴

輪が埴輪棺として転用されている。妙見山古墳に後続して、向日丘陵の盟主墳に連なる伝高畠陵古墳は、

№ 古 墳 名 所  在  地 墳 形時  

規模(m)

特殊器台形

壺  

普通円筒

朝顔形

鰭付円筒

楕円形

形   象

鶏家盾蓋人物動物甲冑

60 開田6号墳 長岡京市開田 不明 後期61 開田10号墳 長岡京市開田 前方後円墳 後期62 開田13号墳 長岡京市開田 方墳 中期 1463 開田17号墳 長岡京市長岡 円墳 後期64 東羅5号墳 長岡京市馬場 不明 中期65 東羅6号墳 長岡京市開田 方墳 中期66 東羅9号墳 長岡京市開田 不明 中期67 東羅10号墳 長岡京市開田 不明 中期68 塚本古墳 長岡京市開田 前方後円墳 後期 3069 丸藪古墳 長岡京市東神足 前方後円墳 後期70 神足遺跡 長岡京市東神足 埴輪棺 中期71 勝龍寺城跡 長岡京市勝竜寺 不明 中期72 恵解山古墳 長岡京市久貝 前方後円墳 中期 12073 南栗ヶ塚古墳 長岡京市久貝 方墳 中期 1774 久保1(境野6)号墳 長岡京市久貝 方墳 後期75 久保2(境野7)号墳 長岡京市久貝 方墳 後期76 久保3(境野8)号墳 長岡京市久貝 方墳 後期77 境野5号墳 大山崎町下植野宮脇 方墳 後期 1678 境野1号墳 大山崎町下植野境野 前方後円墳 前期 5879 鳥居前古墳 大山崎町円明寺鳥居前 前方後円墳 中期 6080 下植野南遺跡 大山崎町下植野五條本 不明 前期81 土辺古墳 大山崎町下植野土辺 方墳 前期 10

Page 56: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 53 ―

円墳でありながら直径 70 mの規模をもち、埴輪棺墓はこの古墳の築造が契機となって成立したとみら

れる。

 なお、黄金塚2号墳の埴輪列に備わる盾形埴輪は奈良市山陵町遺跡出土例と施文技法に共通性が見ら

れ、佐紀陵山古墳に後出する前期末の要素を有している。また、円筒埴輪には規則的な静止ヨコハケを

施す一群があり、この技法の出現を遡上させて考えることができる。

円筒埴輪の調整技法の変化~中期初頭の動向~ 円筒埴輪の器面調整の変化として、ハケ工具の動作を

断続的に横方向へ静止させる技法が定着する。黄金塚2号墳でごく一部に採用されだし、長岡京市カラ

ネガ岳2号墳と大山崎町鳥居前古墳で一定の導入がはかられている。

 カラネガ岳2号墳は、桂川流域では最初の帆立貝式古墳で全長 35 mの規模を有する。埴輪の外面調

整は回転性の強い断続ヨコハケが多い。透孔は円形が主体で、2孔を直行させて配置する。二点の船絵

線刻がみられ、いずれも準構造船で櫂の有無により、航行船と停泊船を表現したものと考えられている

(森田 2014)。

 鳥居前古墳は巴形銅器、三角板革綴短甲を有していることから、その被葬者は津堂城山古墳にはじま

る古市古墳群を形成した河内の大王墓造営勢力と最初に結びつき、算用田・下植野遺跡など小泉川河口

付近に基盤をおく境野1号墳に連なる首長の系譜に属したと考えられる。その円筒埴輪は突帯設定技法

が用いられず、突帯間隔が揃わない点で規格性が乏しい。蓋形埴輪は「津堂城山タイプ」(松木 1990)

の影響を受けたものだが、表現技法などで変容が認められ、恵解山古墳の事例が王権中枢と遜色ない同

タイプのものであることと好対照である。

盟主的首長墓の埴輪~中期前・中葉の動向~ 河内で大王墓の築造が開始されてしばらくの後、5世紀

にはいると山城地域では首長墓の数が減少する一方で、わずかに築かれた盟主的な首長墓は巨大化する。

中期前葉に長岡京市恵解山古墳(墳丘長 120 m)、中期中葉には城陽市久津川車塚古墳(墳丘長 180 m)

が築かれた。

 盟主的首長墓の埴輪は、大小異なる規格を複数採用しているが、その中で標準型としては4条突帯5

段構成を採るものが多い傾向にある。恵解山古墳の埴輪は、底径 20㎝、口径 30㎝、全高 70㎝の大きさで、

胴まわりの細いタイプとみられる。外面調整はBc種ヨコハケである。一方の久津川車塚古墳では、底

径 33㎝、口径 45㎝、器高 75㎝であり、恵解山古墳例とくらべて格段に大きくなっている。外面調整は

断続的なヨコハケが主体である。両古墳とも3つの規格を採用する。

 陪塚については、久津川車塚古墳には梶塚古墳が伴うことが知られているが、恵解山古墳については

南栗ヶ塚古墳を考えたい。主墳が野焼き、陪塚が窖窯焼成となる点は、久津川の事例と同じである。同

じ規格品が供給されている久津川に対し恵解山では大小つくりわけて墳丘の規模に見合う埴輪がたてら

れていた。しかし、両古墳の円筒埴輪に使用された刷毛工具の幅はほぼ同じで、ともにBc種ヨコハケ

が施されている点は重要視でき、それぞれの製作時期が近いことを傍証している。

中小古墳への埴輪の供給~中期中・後葉の動向~ 中期中葉以降、古式群集墳の築造がはじまり、埴輪

をもつ古墳が中小規模にまでひろがった。向日市域では物集女南条古墳群、鶏冠井山畑古墳群、長岡京

市域では開田古墳群、京都市域では左京区の吉田二本松古墳群、伏見区の鳥羽古墳群などがあげられる。

 長岡京が造営された地域では、群小古墳の多くが破壊されていることから、消滅した古墳は相当数に

のぼるものとみられる。なかでも、大極殿・朝堂院の下層から見つかった山畑古墳群は、前方後円墳の

大極殿古墳を盟主とし、乙訓地域で最も精美で鹿の線刻画も施された円筒埴輪が備えられている。

 中期後葉からは首長墓は山田地域での築造が継続する。Bd種ヨコハケを施した埴輪をもつ山田桜谷

2号墳からタテハケ主体の埴輪に変わる同1号墳へと、樫原丘陵の稜線に並列して盟主墓が推移する。

Page 57: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 54 ―

丘陵の末端付近でも巡礼塚古墳や帆立貝式の穀塚古墳などが築造されている。また、後期中葉には清水

塚・天鼓森古墳が築かれて、嵯峨野と拮抗する勢力が並立した。

埴輪の終焉~後期の動向~ 後期中葉のはじめまでは、天塚古墳、芝1号墳、塚本古墳、西小路古墳な

どのように円筒埴輪の製作にあたって乾燥工程をもうけて直立する精美な形状を維持したものがつくら

れた。焼成も良好である。その後半になると、井ノ内車塚古墳や物集女車塚古墳などのようにゆがみや

変形を調整せず、胎土や焼成の悪い埴輪が生産された。

 物集女車塚古墳は墳丘長約 46 mの前方後円墳で、外表施設には段築、葺石、埴輪を備え、埋葬施設は「畿

内型」横穴式石室を築いている。また、組合式家形石棺を配置し、冠、装飾大刀・馬具、武器、装身具

など当代随一の優品を副葬する。古墳の築造年代は6世紀中葉と考えられる。

 埴輪は円筒埴輪、朝顔形埴輪、東海系埴輪、形象埴輪(石見型、人物、動物)の種類が確認されている。

これらの配置は、墳頂部、くびれ部、造り出しの3箇所に限定されている。もはや、墳丘に埴輪をめぐ

らせることはしていなかった。円筒埴輪は大半が茶色、暗燈色、白褐色で全体的に粗雑である。ところ

が、1点だけは精美でシャープなつくりの個体が含まれている。その胎土中には花崗岩、泥岩、チャー

ト、角閃石の砂礫が含まれるなど、その採取地としては安威川付近に推定できるとの指摘もある。また、

石見型埴輪は段構成と線刻表現の共通性から、新池窯の供給先のひとつである川西4号墳例と近似する。

この種の埴輪は、高槻市新池窯の埴輪工人との関わりを想起させるだけでなく、製品供給をも視野に入

れて理解することが可能である。

 なお、断続ナデ技法は物集女車塚古墳のすべての円筒埴輪にみられるほか、鶏冠井東井戸古墳でも確

認することができる。

4 埴輪の編年的位置づけ(1)出土埴輪の観察所見

 確認された埴輪はすべて破片であり、総数 20 点のうち図化可能であった 14 点について概要を記す。

 1は口縁部片。口縁端部は屈曲する。外面は磨滅が著しいが、内面にはヨコハケがわずかに残される。

復原径 31.8㎝、残存高 6.4㎝、器壁 0.5㎝。色調は外面浅黄橙色、内面黄橙色。

 2は胴部片。外面はタテハケの後、ナデを加える。内面はナナメハケを施す。残存高 6.8㎝、器壁 0.8

㎝。色調は外面がにぶい黄橙色、内面は燈色を呈する。

 3は胴部片。器面調整は内外面ともにナナメハケの後、ナデを加える。残存高 4.2㎝、器壁 0.8㎝。

 4は突帯を付す胴部片。突帯は断面台形を呈し、器面への貼りつけはしっかりとナデ付けられている。

外面はナナメハケ、内面は突帯背面の下部はタテハケ、上部にはナナメハケを施す。残存高 12.0㎝、器

壁 0.9㎝。色調は外面が明黄褐色を基調とし、黒斑がつく。内面は燈色である。

 5は胴部片。外面はナナメハケ、内面はタテハケの後ヨコナデを加える。残存高 10.2㎝、器壁 1.0㎝。

外面は燈色、内面は黄橙色。

 6は胴部片。内外面ともにナナメハケを施す。残存高 8.3㎝、器壁 1.0㎝。内外面ともに燈色を呈する。

 7は朝顔形埴輪の壺部下端付近の破片である。筒部最上段に円形の透孔を穿つ。突帯より上部は内湾

する。外面にはわずかにヨコハケが残る。内面はナナメハケを施す。残存高 7.3㎝、器壁 0.8㎝。色調は

外面燈色、内面浅黄橙色を呈する。

 8は朝顔形埴輪の壺肩部である。内外面ともにヨコハケを施し、色調はにぶい黄橙色である。残存高

7.4㎝、器壁 1.0㎝。

 9は朝顔形埴輪の壺肩部である。内外面ともにナナメハケを施し、色調はにぶい燈色を呈する。残存

Page 58: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 55 ―

図3 「天満塚」出土埴輪実測図-1

Page 59: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 56 ―

図4 「天満塚」出土埴輪実測図ー2

Page 60: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 57 ―

図5 「天満塚」出土の主要な埴輪

 1 普通円筒埴輪口縁部  2 円筒埴輪胴部

 3 朝顔形埴輪壺部・胴部 ( 円形透孔)  4 朝顔形埴輪二次口縁部

 5 円筒埴輪基底部

Page 61: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 58 ―

高 7.7㎝、器壁 1.1㎝。

 10 は朝顔形埴輪の一次口縁部片。外面はタテハケの後、ヨコナデ。内面はナナメハケを施す。色調

は内外面ともににぶい燈色。残存高 4.6㎝、器壁 1.0㎝。

 11 は朝顔形埴輪の二次口縁部を復原したもので3片からなる。外面は口縁部の下方にヨコハケ、突

帯の上部にタテハケを施す。口縁部径 53.4㎝、残存高 13.0㎝、器壁 1.0㎝。色調は外面明黄褐色、内面

黄橙色。

 12 は底部片。突帯は方形を呈し、器面の貼りつけはしっかりとナデつけている。外面はナナメハケ

の後、軽度のナデを加える。内面はタテハケを施す。残存高は 20.6㎝であり、突帯上辺から下 17.6㎝ま

で残る。器壁は底部で 1.1㎝、二段目が 0.8㎝。色調は内外面ともに燈色。西北崖より出土。

 13 は底部片。外面はナナメハケ、内面は垂直方向にタテハケを施す。内外面ともに黄橙色。外面の

上部に赤色顔料が残る。底部径は 33.2㎝に復原できる。器壁は概ね均一な厚みで 1.2㎝。底部から 25㎝

上まで遺存する。粘土帯は低く、高さ3㎝程度である。0.5~ 0.8㎝大のチャート細礫を含む。白色微砂粒、

赤色斑粒を含む。西北崖より出土。

 14 は底部片。突帯は台形で、下面の器壁への貼りつけはあまく、隙間が生じている。内外面ともに

垂直方向のタテハケを施す。内面は縦方向のユビナデが強く加わる。また、突帯背面にはヨコナデが丁

寧に施されハケメが消されている。底端部はナデが施され、平滑な面をもつが内面側の調整までは及ば

ず、わずかに粘土が突きだしたままとなっている。粘土帯は低く、高さ 3㎝ほどである。残存高が 27.4

㎝あり、底部高は 25.5㎝であることが判明する。底部径は 22.6㎝に復原できる。色調は内外面ともに燈

色である。チャート主体で白色微砂粒、赤色斑粒を含む。

 破片資料であるため、全体の形状、段構成、突帯間隔、突帯設定技法、器面調整などはわからない。

そのなかで、最たる特徴としてあげられるのは、基底部が高い埴輪を備えることである。最上段の高さ

は 6.4㎝以上あるものが含まれている。粘土帯は低い。突帯の断面形は方形や台形を呈する。外面調整

にはごく一部にヨコハケが看取される。赤色顔料を塗布し、黒斑がつく。胎土にはチャート、長石、石

英、赤色斑粒が含まれ桂川流域で製作されたと考えられる。鰭付円筒埴輪の有無はわからないが朝顔形

埴輪は確認できる。

 以上のことから、川西宏幸氏編年のⅡ期、前期後半の埴輪と考えられる。

(2)編年的位置付け

 埴輪の時期的特徴は底部の高さに示されている。表1の法量一覧をみると、底部高が 25㎝前後を示

すのがⅡ期の埴輪に限られていることがわかる。この傾向は山城地域に限らず王権中枢の時期的特徴で

もあり、この段階で確立する鰭付円筒埴輪の規格性に由来するものと考えられている(廣瀬 2015)。

 これまでに筆者は、山城地域の円筒埴輪の変遷について技法的要素の差異から6形式 19 型式に類別

したうえで4つの型式群を設定し、これを様式としてとらえ、さらに9つの細別様式に区分して編年観

を述べたことがある(梅本 2003)。

 ここで扱うⅡ期に対しては、Ⅱ-1式(園部垣内古墳、ヒル塚古墳、女郎花遺跡、瓦谷古墳群1・5・8・

9・10 号棺)、Ⅱ-2式(長法寺南原古墳、天皇ノ杜古墳、今里車塚古墳、庵寺山古墳、黄金塚2号墳、

御塔道古墳)と評価した。

 現在では廣瀬覚氏によって、Ⅱ期の細分案が提示されている(廣瀬 2015)。筆者の理解については、

大枠としての変更は必要ないと考えている。ただし、廣瀬氏は王権中枢およびその周辺での埴輪の細部

の変化や各地への波及展開を可能な限り追究し新古を見いだそうと試みており、これからの検討にあ

Page 62: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 59 ―

図6 「天満塚」出土埴輪の参考事例

Page 63: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 60 ―

たっては参考にしておきたい。

 廣瀬氏の評価は次の通りである。

 Ⅱ-1女郎花遺跡、瓦谷古墳群1号棺、Ⅱ-2境野1号墳、長法寺南原古墳、Ⅱ-3乾垣内遺跡、今

里車塚古墳、天皇ノ杜古墳、黄金塚2号墳、Ⅱ-2か3ヒル塚古墳、Ⅱ-4鳥居前古墳、庵寺山古墳

 廣瀬氏と異なる点は、境野1号墳と長法寺南原古墳、ヒル塚古墳の位置づけである。境野1号墳の埴

輪は、近年発掘調査が進められ良好な資料がまとまって得られており、Ⅱ-1式に修正しておきたい。

その特徴として、朝顔形埴輪は鰭を貼り付けないが、東大寺山古墳例と規(註3)

格や形態が近似している。ま

た、突帯設定技法に方形刺突のほかに断続凹線がある。突帯の貼り付けには補充技法が用いられる。

 一方で長法寺南原古墳は外面調整に断続的なヨコハケを施す個体が半数程度占めており、その技法的

特徴は突帯付近のみにヨコハケを加える境野1号墳よりも天皇ノ杜古墳や今里車塚古墳に近い。突帯間

隔は境野1号墳が 15㎝前後、長法寺南原古墳が 12㎝前後に集中する。以上のことから、境野1号墳は

長法寺南原古墳よりも古い要素を備えているとみてよい。

 ヒル塚古墳については変更を要しないと考えている。ヒル塚古墳の円筒棺資料に着目し、萱振1号墳

の鰭付円筒埴輪と規格が一致するとみたのは高橋克壽である(高橋 1992)。萱振1号墳例の中で復原寸

法や突帯間隔、全体の形状がわかる6個のうち1本(711)だけが近似するが、ヒル塚例との共通性の

高さが重要視された。

 今日では同一の規格としては、渋谷向山古墳の陪塚とみられる上ノ山古墳の鰭付円筒埴輪の方がむし

ろ一致性が高いように思われる。いずれにせよ、この段階の埴輪は「鰭付円筒埴輪によってⅡ群の形態

的な特徴が規定されていた」(廣瀬 2015)とみることができるから、ヒル塚古墳は萱振1号墳や上ノ山

古墳と同じ「Ⅱ-2期」が妥当かと思われる。

 なお、4~5段以下になると、女郎花遺跡と瓦谷古墳群 21 号棺のように、小型品のあいだで規格が

共有されている状況が看取される。

 「天満塚」については、すでに述べたように基底から第一段突帯まで高さのある基底部を特徴として

捉えた。山城でⅡ期に属する埴輪の中では、最下段突帯を省略する女郎花遺跡の事例を除いて、境野1

号墳が最も高い。しかし、これにつづくのが黄金塚2号墳になるため、基底部の高いことが古い特徴の

指標とは言いがたい側面もある。それでも、17~20㎝の規格が出現しているなかで園部垣内古墳の23㎝、

ヒル塚古墳の 24㎝は高い部類に入るから、黄金塚2号墳の 26㎝前後の規格は同時代的要素ではなく特

定の工人系譜に由来する古い規格の伝習を想定すべきであろう。また、第一段目の外面調整で比較すれ

ば、黄金塚2号墳ではタテハケの後ナナメハケもしくはヨコハケが施されている例が多く、一方、それ

より古相を示す事例ではタテハケを垂直方向に丁寧に施すものが多い。

 「天満塚」出土埴輪については、確認できる資料の範囲での厳密な位置づけは難しいが、外面調整に

ヨコハケを施す個体が少ないことや基底部の高さを勘案すれば、筆者のいう「Ⅱ-1式」の範疇でとら

えることも可能である。

5 首長墓系譜論からみた「天満塚」の評価 古墳の出現と展開について特定の地域を対象に考える場合、全国に共通した編年基準にもとづき旧国

単位で古墳の消長を把握する方法が採られることが一般的である。とくに、和田晴吾氏による古墳の「様

式編年」(和田 1987)、もしくは、広瀬和雄氏の「前方後円墳集成編年」(広瀬 1992)が安定的な枠組み

として定着している。

 そして、「首長墓系譜論」の現在は、上記の編年基準をもちいて首長墓系譜を正確に把握し、地域ご

Page 64: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 61 ―

表2 山城の古墳出土埴輪の法量一覧

時期型式群

古墳名

所在地

底部高

突帯間隔

最上段高

底部径

口縁部径

器高

段構成

前 期

Ⅰ元稲荷

向日市

15・21.5

10・13.5

10.5・13.5

31.5・32.5

33.5・35.5

76・103

6条7段

寺戸大塚

向日市

15.4・19.5

15.5~16.5

10.5

29.4・35~40・50

27・37

784条5段

平尾城山

木津川市

20~22

19~21

2~5

27~29・33~34

27・39・42.5

--

園部垣内

南丹市

20・23

188.5・7

23・27

33-

-女郎花

八幡市

17・31

157

22・30

3273+α

(5条6段)

境野1

大山崎町

17・22・29

14.5~15

6.5

27~30・32・34

34(73)

4条5段

ヒル塚古墳

八幡市

2415.5~16

15.5

30.5

35.5

103.5

5条6段

長法寺南原

長岡京市

20.5~21.5

11~13・15~16

6.5・11.5

25~26・28~30・32~34

28~31・33~38

735条6段

天皇の杜

京都市

18.5~20.5

138~10

28・31

40-

-今里車塚

長岡京市

2012・15

8.5~9.6

2726・36

--

黄金塚2

京都市

16・18・20・24~2613・14~16・18

9~11・15

20~22・25~29・32

29~42

64・74・81・84.5

4条5段

庵寺山

宇治市

16~18

11~12

1122~25

36~42

906条7段

中 期

鳥居前

大山崎町

17.5

12~15

8~9.5

2226・30・32

--

宇治二子山北宇治市

16~17

1311・13

19~22

30~33

66~68

4条5段

カラネガ岳2長岡京市

18・21

1310.5

24・28・32

37・45

63・67

4条5段

堂ノ上

京都市

13.5

--

17・20

--

-恵解山

長岡京市

12・13・16

1211・13

 20・23・36

28・33・45

-4条5段

久津川車塚

城陽市

12.5・15~17

11~12・14~15

14~15・18

28~30・35

40~43・45~48

75~80

4条5段・5条6段

梶塚

城陽市

14~16

13~15

15~16

30・35・40

38~42・44~45・48~50

72・78

4条5段

芭蕉塚

城陽市

12.5~14

11~13

1333・23~26

42・30

--

上人ケ平5

木津川市

9~10・12~13

10~11

5~8

25・28・31

24~30・35~40

62・70

6条7段

上人ケ平8

木津川市

12.5

8~9.5・12

6~8

2830・35・43

--

上人ケ平14

木津川市

11.5

11~13

1316.5

2549

3条4段

山田桜谷2

京都市

-10.5

--

--

-瓦塚

宇治市

9.5~11

11ー

-13~17・23~25・30

-3条4段

後 期Ⅴ

穀塚

京都市

6・8.5・10.5

9~9.5

-13~19

--

-宇治二子塚

宇治市

10・23

9・14

916~18・20・25

38~40

67.5

 -  ・5条6段

塚本

長岡京市

8~9・10~11

10~12

8~10

16~18・20

24~27

49~56

4条5段

舞塚

長岡京市

10~11

88

10~14

18・22~22

37~40

3条4段・4条5段

芝1号

京都市

9~11.5

1110.5

17.5~20

2955

4条5段

井ノ内車塚

長岡京市

11・13

11・13

9~10

1528

42~45

3条4段

天塚古墳

京都市

13.5

13.5

1123

28(65)

4条5段

物集女車塚

向日市

7・11

6~10

14~16

1930・32

604条5段

木幡南山117宇治市

9.5~12

12~14

10.5~12

18~22

25~30

--

門ノ前

宇治市

8・10・15・18

7.5~12.5

6~12

17~22

22~30

504条5段

堀切7

京田辺市

259・11~13

10・15

28.5

30・35

532条3段・3条4段

 (数値は㎝)

Page 65: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 62 ―

とに政治構造の分析が進められ、王権が引き起こす「政治変動」の影響についても検証が行われている

(都出 1999)。

ところで、作業概念である「首長墓系譜」とは、「一定の地勢的な単位のなかに、築造時期を違えた

同格の古墳が複数存在する場合、それらを同一の集団が累代的に築造した古墳」を示すともいえるが、「継

起的な古墳築造の累積を系譜と表現して適切か」どうかを問題とする見方がある(大久保徹也 2005)。

「系譜」を前提とする古墳築造状況の捉え方には、図式化したときに多様な首長墓の築造背景が縦の

枠組みに縛られ既定的な解釈を導き出す可能性が危惧され注意を要する。このことから、系譜論とは別

に「同じ墳形や副葬品の共有などで関係づけられる首長連合の横の関係の実態」を考える上での「系

列」という「同列的序列的な一連の関係」を示す概念を補完するなどの備えも必要である(岸本道昭

2004)。また、「変質を遂げ、群小古墳との質的境界が曖昧化した前方後円墳やその系列」(松木 2000)

については地域に応じて適切な評価が求められる。

都出氏は盟主墳の断絶と移動が首長間の序列の変化によるものとみて首長系譜の変動に対し4世紀

代後葉、5世紀前葉、5世紀後葉、6世紀前葉の4つの画期を見出し、この現象の背後に中央権力が介

入した全国的な政治変動(都出 1988・1999)、もしくは「地域編成原理の変動」(都出 1989)を想定する。

また、和田氏は古墳築造状況の変化について、前方後円墳の出現、急増、築造規制、小・中型の増加、

減少、消滅という動静から五つの段階と六つの画期で捉えた。なかでも、第3段階の中期が古墳の編成

秩序がもっとも整備され、首長層の序列化を背景に「首長連合体制」が確立したとみる(和田 1988)。

とくに、築造規制はより制度的であったことを指摘する(和田 1998)。両者は桂川や木津川流域のケー

スワークから首長墓系譜の消長に基づく画期を見出している。

 いっぽう、広瀬氏は首長墓の消長と墳形の変化は4-5期の境に画期があり、5期以降に出現する帆

立貝式古墳や円墳は4世紀末葉に大和政権が「新しい政治秩序を樹立」し、「地方支配の再編」を主導し「単

なる規制というよりは大和政権の構造そのものに大きな変化が生じていて、それが墳形の変更に表れた」

とみて「政治的序列化を伴った地方中小首長の前方後円墳国家への吸収」を考える(広瀬 2003)。

 首長墓系譜の研究はまだ進展途上にあり、厳密な古墳編年の構築と分析手法の研鑽がさらに求められ

る。それだけに、「天満塚」のような消滅した首長墓の復元作業は、首長墓系譜論を進めるための基礎

研究として重要な意味を有する。

 さて、「天満塚」については「長岡南系譜」に帰属させて考えることにしたい。筆者は長岡京市域の

首長墓系譜について、都出氏による「上里・井ノ内・長法寺系譜」を統合して「長岡北系譜」、「今里系

譜」を「長岡南系譜」に置き換えて検証を試みたことがある(梅本 2012)。

 本来、「首長墓系譜論」の基礎作業には、集落遺跡の分布と消長を念頭において、造墓主体の動向を

探り一地域の政治構造を究明する分析過程があることを留意する必要がある。ところが、この作業は決

して容易ではない。とくに、集落遺跡の実態把握には、調査の有無や成果の多寡に制約を受けることが

大きく、河川流域を主とする地形条件をもとに周知の分布状況や範囲、相互関係性を類推しながらどう

にか首長墓との関連づけが試みられてきたのが実際のところである。したがって、一連の首長墓群とそ

れらの基盤領域たる集落グループの厳密な比定は不可能と考える。また、単純に時期と地域から首長墓

のまとまりを仕分けしていくと、その最小単位が多くできるだけであるから、系譜設定にあたっては古

代寺院や郡の成立までを視野に入れた地域権力の伸張過程を参考にする必要がある。こうした観点に立

ち、小畑川以南については、三つの系譜に整理を行った。

 「長岡南系譜」では、「天満塚」を嚆矢に、今里車塚、今里庄ノ渕、恵解山とつづく。中期中葉・後葉

に断絶をはさんで、後期前葉から舞塚1号、塚本、今里大塚がつづいていく。

Page 66: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 63 ―

図7 淀川流域の首長墓系譜からみた「天満塚」の位置

系 譜

水系

郡域

乙訓

葛野

紀伊

宇治

久世

相楽

桂川

鴨川

淀川

北岸

宇治

川木

津川

安 威土 室

福 井奈 佐 原

天 神 山安 満

山 崎長 岡 南

長 岡 北

向 日 南

向 日 北樫 原

山 田嵯 峨 野

初 頭 前 葉 中 葉 後 葉 前 葉 中 葉 後 葉 前 葉 中 葉

前 期 中 期 後 期9

綴喜

五塚

原元

稲荷

北山

寺戸

大塚

妙見

伝高

畠陵

一本

松塚

百々

天狗

御塔

中海

大極

殿

南原

カラ

ネガ

岳2

鏡山

恵解

境野

鳥居

今里

車塚

今里

庄ノ

物集

女車

西小

芝1

井ノ

内車

井ノ

内稲

荷塚

今里

大塚

巡礼

桜谷

穀塚

桜谷

清水

天鼓

ノ森

片平

大塚

深 草桃 山

宇 治広 野

久 津 川男 山

八 幡美 濃 山

大 住飯 岡

鞍 岡吐 師

椿 井木 津

南小

富 野時 期 寺

院卍

蜂岡

寺卍

長岡

寺卍

乙訓

寺卍

樫原

廃寺

卍山

崎廃

寺卍

法琳

寺卍

梶原

寺卍

芥川

廃寺

卍太

田廃

寺卍

大鳳

寺卍

岡本

廃寺卍

広野

廃寺

卍平

川廃

寺卍正

道廃

寺卍

卍志

水廃

寺美

濃山

廃寺

卍三

山木

廃寺

卍高

麗寺

嶋上

嶋下

卍乙

訓郡

衙下

層卍 鞆

岡廃

初 頭 後 葉

 大

王墓

天満

1087654321

天塚

清水

蛇塚

大塚

天上

平尾

城山

稲荷

山瓦

谷1

上人

ヶ平

上人

ヶ平

七ッ

塚3

七ッ

塚2

七ッ

塚4

七ッ

塚5

天竺

堂1

音乗

鞍岡

山3

庵寺

一本

金比

羅山

車塚

芭蕉

箱塚

丸塚

梶塚

青塚

赤塚

梅ノ

子塚

坊主

山1

坊主

山2

長池

冑山

黄金

塚1

黄金

塚2

南条

塚ノ

本天

皇ノ

梅ノ

子塚

2牛

廻し

舞塚

塚本

観音

池山

二子

山北

二子

山南

門ノ

二子

瓦塚

一ノ

三ノ

二ノ

番神

茶臼

石不

動西

車塚

東車

南塚

車塚

ヒル

王塚

車塚

ゴロ

ゴロ

平谷

トヅ

薬師

弥陀

岡本

弁天

大蔵

司西

郡家

車塚

前塚

闘鶏

紫金

山将

軍山

南塚

昼神

車塚

今城

太田

茶臼

青松

海北

土保

中将

慈願

寺山

萩之

庄1

塚原

D1

二子

番山

石山

焼山

宮山

芝ヶ

原11

芝ヶ

原10

芝ヶ

原9

黒土

石神

宮ノ

平1

宮ノ

平2

宮ノ

平3

芝ヶ

堀切

安威

耳原

箸 

西殿

行燈

渋谷

向山

宝来

五社

津堂

城山

仲津

石津

大山

譽田

御廟

土師

ニサ

ンザ

岡ミ

サン

ザイ

今城

河内

大塚

見瀬

丸山

平田

梅山

堂ノ

八坂

Page 67: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 64 ―

 かくして、一連の首長の系譜をいかに読み解くかが求められるのであるが、ここで首長墓系譜論の問

題点が立ちふさがる。はたして、首長墓は被葬者の拠点領域にすべてが築かれているのかという疑問で

ある。

 たとえば、恵解山古墳を考えてみると、その築造場所からこの造営者集団は今里遺跡を中心とする領

域に拠点をおいていたと想定されがちだが、はたしてこのことを保証する根拠はどれだけ用意できるの

であろうか。実は無いに等しい。

 中期前葉は首長墓が減少する一方で、限られた首長墓は巨大化し、地勢的に完結した地域では1基に

絞られるなど、王権の地域統制が強く打ち出された状況が看取される。この時期に登場する大型・巨大

古墳は王権が重視する「戦略的要地」に築かれている点が特色でもある。淀川合流点の水陸交通の要衝

をおさえた恵解山古墳も同様である。このように考えれば、「長岡南系譜」に特定せずに桂川流域全体

から出身基盤を見直す必要がある。かつて、都出氏が恵解山古墳の被葬者像について、「向日グループ

あるいは長岡グループを出身基盤」(都出 1975)と想定したように、前代からの有力集団の中からその

出現を考えてもよい。多様な首長墓の築造背景を「系譜」という縦の枠組みに縛られて既定的な解釈に

陥らないように注意が必要である。

 したがって、この種の系譜図もしくは首長墓の変遷図のなかで時系列にならぶ古墳間には、いかなる

関係が介在するのかも想定しておく必要があろう。それは、一代一墳的にひとつの首長一族が造墓活動

を行った蓄積の結果を捉えたケースもあれば、異なる首長が墓域を近接させた結果とも考えられる。あ

るいは、全く別の領域から王権の政治的誘導によって進出したケースもあり得よう。

 それぞれを見分けるためには、古墳の属性を整理し前後の古墳どうしで比較しながら相互関係性を見

いだすしか手だてはない。しかし、王権との関係や首長どうしの結びつきが異なれば、古墳ごとに構成

要素の違いが生じて来るのは当然であり、したがって相互関係性が見えないケースも多く、これは埴輪

の分析でもいえることである。

 「天満塚」の位置づけについては、前期中葉の中で捉える一方で、その時間的な評価の確定が難しい

状況のなかでは、後葉まで下がる可能性も考えておかなければならない。その場合は、今里車塚古墳と

ほぼ同じ時期に相当し、系譜図では二基が横並びで表現されることになろう。桂川流域では首長墓の数

が最も多く、7基が出現するなど、こうした解釈をめぐってさらなる憶測が出されることになる。

6 おわりに 今回の資料化により、「天満塚」という前期後葉の首長墓の存在を掘り起こすことができる意義を改

めて強調しておきたい。埴輪は川西宏幸氏の編年でいうⅡ期に属するがその細分については、筆者の「Ⅱ

-1式」(前期中葉)に相当する可能性について指摘した。ただし、破片資料 20 点から考えた評価であり、

確定できるものではないため、首長墓系譜のなかで位置づけるときには、「Ⅱ-2式」(前期後葉)とし

てみたときの解釈を用意した。

 さいごに、首長墓群を「系譜」というキーワードで築造の背景に迫ろうとした学史的意義は有効性を

保持しており、これを継承しながら桂川流域の古墳時代政治社会構造の検討を重ねていくことにしたい。

謝辞 埴輪の資料化にあたり、所蔵機関である京都大学考古学研究室、ならびに京都大学大学院文学研究科

吉井秀夫氏、阪口英毅氏より格別のご配慮とご協力をいただいた。

 埴輪出土地一覧表の作成では、丸川義広、山本輝雄、山本雅和、中島皆夫、古閑正浩、阪口英毅の各

Page 68: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 65 ―

位からご教示いただいた。また、埴輪研究の最新成果については、廣瀬覚氏の著作を参考とした。

 首長墓の分析方法と理解をめぐっては、都出比呂志、和田晴吾、広瀬和雄の各先生よりこれまでにい

ただいた学恩に負うところが大きい。

 本稿作成にあたり、以上の皆様に深く感謝申し上げる次第である。

(1)ここでいう初期調査とは、京都府教育委員会が国庫補助金によって確認調査が実施されるまでの第1次~9次までのことを指す。(2)山本輝雄、岩崎誠両氏のご教示による。(3)東大寺山古墳の鰭付朝顔形埴輪 90(M7)は、突帯間隔 15㎝、円筒部最上段高7㎝であり、墳野1号墳とほぼ一致する。

引用・参考文献

一瀬和夫 2005『大王墓と前方後円墳』 吉川弘文館岩崎 誠編 2015『史跡恵解山古墳保存・整備事業報告書』長岡京市文化財調査報告書第 67 冊 長岡京市教育委員会宇野隆志 2012『平安京以前-古墳が造られた時代-』京都市文化財ブックス第 26 集 京都市梅本康広 1994「桂川流域の埴輪編年と地域性」『年報�都城』6 財団法人向日市埋蔵文化財センター梅本康広 1998「山背北部における前方後円墳の終焉」『前方後円墳の終焉』 埋蔵文化財研究会梅本康広 1999「御塔道古墳の埴輪とその意義」『年報都城』10 財団法人向日市埋蔵文化財センター梅本康広 2003「山城の円筒埴輪概観」『埴輪論叢』第5号 埴輪検討会梅本康広 2005「向日丘陵古墳群から見た玉手山古墳群の構成」『玉手山古墳群の研究』Ⅴ総括編 柏原市教育委員会梅本康広 2007 a「淀川流域の東海系埴輪とその製作動向」『埴輪論叢』第6号 埴輪検討会梅本康広 2007 b「畿内大型横穴式石室の構造-石室規模にみる秩序形成の基礎的検討」『近畿の横穴式石室』 横穴式石室研究会梅本康広 2012「摂津・山城」『古墳時代の考古学』2 古墳出現と展開の地域相 同成社梅本康広編 2015『元稲荷古墳の研究』向日丘陵古墳群調査研究報告第2冊 公益財団法人向日市埋蔵文化財センター大久保徹也 2005「古墳祭祀と王統譜」『王統譜』 青木書店小田木治太郎・藤原郁代編 2010『東大寺山古墳の研究』 東大寺山古墳研究会ほか鐘方正樹 2003「古墳時代前期における円筒埴輪の研究動向と編年」『埴輪論叢』第4号 埴輪検討会川西宏幸 1978「円筒埴輪総論」『考古学雑誌』第 64 巻第2号 日本考古学会古閑正浩編 2007『境野1号墳』大山崎町埋蔵文化財調査報告書第 34 集 大山崎町教育委員会岸本道昭 2004「播磨の前方後円墳とヤマト政権」『古墳時代の政治構造』 青木書店高橋克壽 1992「萱振1号墳の埴輪とその意義」『萱振遺跡』大阪府文化財調査報告書第 39 輯 大阪府教育委員会高橋克壽 2004「埴輪の成立と展開」『畿内の巨大古墳とその時代』季刊考古学・別冊 14 雄山閣高橋克壽 2012「埴輪」『講座�日本の考古学�古墳時代』(下) 青木書店田辺昭三 1970「古墳と県主」『京都の歴史』1 京都市都出比呂志 1974「古墳出現前夜の集団関係」『考古学研究』第 20 巻第4号 考古学研究会都出比呂志 1975「島本のあけぼの」『島本町史』 島本町都出比呂志 1983「古墳出現の前夜」『向日市史』上巻 向日市都出比呂志 1988「古墳時代首長系譜の継続と断絶」『待兼山論叢』 大阪大学都出比呂志 1990「桂川流域における鳥居前古墳の位置」『鳥居前古墳-総括編-』大阪大学文学部考古学研究報告第1冊 大阪大学考古学研究室都出比呂志 1989「六�交易圏と政治組織�第四章�地域圏と交易圏」『日本農耕社会の成立過程』 岩波書店都出比呂志 1999「首長系譜変動パターン論序説」『古墳時代首長系譜変動パターンの比較研究』 大阪大学文学部中島皆夫 2003「埴輪出土地点一覧表」『長岡京市埋蔵文化財調査報告書』第 27 集 財団法人長岡京市埋蔵文化財センター原田昌浩 2015「古墳時代中期の埴輪生産-京都府久津川古墳群の分析事例から-」『考古学研究』第 61 巻第4号 考古学研究会広瀬和雄 1992「前方後円墳の畿内編年」『前方後円墳集成』近畿編 山川出版社広瀬和雄 2003『前方後円墳国家』角川選書 355 角川書店広瀬和雄 2007「前方後円墳研究の一情況」『古墳時代政治構造の研究』 塙書房廣瀬 覚 2015『古代王権の形成と埴輪生産』 同成社松木武彦 1990「蓋形埴輪の変遷と画期-畿内を中心に-」『鳥居前古墳-総括編-』大阪大学文学部考古学研究報告第1冊 大阪大学考古学研究室

Page 69: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

― 66 ―

松木武彦 2000「古墳時代首長系譜論の再検討」『考古学研究』第 47 巻第1号 考古学研究会丸川義広 2002「京都盆地における古墳群の動向」『田辺昭三先生古稀記念論文集』 田辺昭三先生古稀記念の会森田克行 2014「史・資料にみる古代船」『古墳時代の船と水運』平成 26 年度秋季特別展図録 高槻市立今城塚古代歴史館山本輝雄 1996「乙訓における古墳の出現」『長岡京市史』本文編一 長岡京市山本輝雄 2014「長岡京跡右京第 376 次調査~古墳時代・長岡京期 開田古墳群、古墳・土坑等出土資料~」『長岡京市埋蔵文化財発掘調査資料選(四)』公益財団法人長岡京市埋蔵文化財センター和田晴吾 1987「古墳時代の時期区分をめぐって」『考古学研究』第 34 巻第2号 考古学研究会和田晴吾 1992「山城」『前方後円墳集成』〈近畿編〉 山川出版社和田晴吾 1994「古墳築造の諸段階と政治的階層構成」『ヤマト王権と交流の諸相』古代王権と交流第5巻 名著出版和田晴吾 2013「古墳群の把握と理解」『百済文化』第 48 輯 公州大学校百済文化研究所

Page 70: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人

平成28(2016)年2月22日 印 刷平成28(2016)年3月1日 発 行

平成26年度 公益財団法人向日市埋蔵文化財センター年報 都城27

発 行 公益財団法人向日市埋蔵文化財センター Ⓒ〒617-0004 京都府向日市鶏冠井町上古23番地電 話 075-931-3841FAX 075-931-4004http://mukoumaibun.or.jp/E-mail:[email protected]

印 刷 三 星 商 事 印 刷 株 式 会 社〒604-0093 京都市中京区新町通竹屋町下ル電 話 075-256-0961FAX 075-231-7141

Page 71: 都城 - mukoumaibun.or.jp€¦ · 第2回 「平安宮ひとめぐり~王宮の四周と神泉苑~」(約5.5㎞) 平成26年7月6日(日)JR二条駅集合・解散 参加者25人