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をモデル する らい 題/ 1.研究のねらい たち 、一 を扱う らず、 をモデル する する づけている。 し、 をうけ、 くされた。しかし され、 するこ きた。 あり、 インフラに する した。 された。 した され、 された。 した える だろうか。 ように い。 った伊 体がインフラを し、ライフラインを し、 すれ する えられてきたし、 そう あった えよう。しかし、 いささか を異にして いる。右 がり くこ 待しにくい にあって に、 退、 退、大 インナーシティプロブレム いった 域が から えていた するこ る。 さにこ ケースに該 する。 において しかった)、 、コミュニティ いった した。こ むこ むこ を意 するこ った。 に対する による い援 をうけ、インフラ すっかり した。また する 員、そして によって まれている。これら みに対し て、 による 待されている。 にみれ よう まれた すれ にお ける えよう。こ よう から モデルケースにしよう」 いう 運が巻き っている。 しく らし された。 たち グループ スタンスを っている。 2.研究テーマと研究方法 (1) 研究テーマ たち している 題を 握しつつ、大学を する グループ びかけ、 テーマを した。テ ーマ ように きよう。 * 山古志の産業振興に関する研究 をモデル する らい センタープロジェクト2リーダー 大学ライフデザイン学 デザイン学

旧山古志村復興をモデルとする 中山間地域振興の研 …91 旧山古志村復興をモデルとする中山間地域振興の研究のねらいと主要課題/内田雄造

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旧山古志村復興をモデルとする中山間地域振興の研究のねらいと主要課題/内田雄造

1.研究のねらい

筆者たちは、一連の研究を旧山古志村の復旧・復興

を扱うのみならず、旧山古志村復興をモデルとする中

山間地域振興に関する研究と位置づけている。

2004年10月に山古志村(当時)は中越地震で被災し、

激甚な被害をうけ、続く冬の間、村民は全村避難を余

儀なくされた。しかし2007年12月には、仮設住宅団地

も閉鎖され、希望者は全員帰村することができた。

この間、国や新潟県の手厚い助成もあり、道路、河

川、砂防などの地域のインフラに関する復旧工事はほ

ぼ完成した。小中学校、保育所、市役所支所なども再

開された。被災した戸建住宅も改修や新築され、公営

住宅も建設された。

では旧山古志村の復旧・復興は一段落したと言える

のだろうか。筆者には、とてもそのようには思えない。

戦災や高度成長期に襲った伊勢湾台風などの災害は、

政府や自治体がインフラを整備し、ライフラインを回

復し、個々人が住宅を再建すれば、地域はおのずと復

興すると考えられてきたし、実際にもそうであったと

言えよう。しかし、今日ではいささか様相を異にして

いる。右肩上がりの時代が続くことが期待しにくい現

在にあっては、災害を機に、中山間地域の衰退、中心

市街地の衰退、大都市のインナーシティプロブレムと

いった地域が従来から抱えていた弱点が露出すること

になる。旧山古志村の震災とその復旧・復興過程もま

さにこのケースに該当する。山古志においても、農業

の不振(林業はもともと皆無に等しかった)、人口の減

少と高齢化、コミュニティの弱体化といった中山間地

域の様々な生活困難が顕在化した。この意味で旧山古

志村の復興に取り組むことは、中山間地域の振興に取

り組むことを意味することとなった。

一方、震災復興に対する国や新潟県による手厚い援

助をうけ、インフラはすっかり復旧・復興した。また

旧山古志村村民、長岡市山古志支所を中心とする旧山

古志村職員、そして長岡市によって旧山古志村の生活

復興も熱心に取り組まれている。これらの試みに対し

て、財政的にも新潟県の災害復興基金による助成が今

後も期待されている。

客観的にみればこのような好条件に恵まれた旧山古

志村の復興が成功裏に進展しないとすれば、日本にお

ける中山間地域の振興は、殆ど不可能と言えよう。こ

のような背景から現地では「山古志復興を中山間地域

振興のモデルケースにしよう」という機運が巻き起こ

っている。長岡市には新しく(財)山の暮らし再生機構が

設立された。私たち研究グループも同様のスタンスを

とっている。

2.研究テーマと研究方法

(1)研究テーマ

筆者たちは一方で山古志地区の当面している問題を

把握しつつ、大学を中心とする研究者に研究グループ

への参加を呼びかけ、具体的なテーマを設定した。テ

ーマは当面次のように整理できよう。

*山古志の産業振興に関する研究

旧山古志村復興をモデルとする

中山間地域振興の研究のねらいと主要課題

福祉社会開発研究センタープロジェクト2リーダー東洋大学ライフデザイン学部人間環境デザイン学科

教 授 内田 雄造

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東洋大学/福祉社会開発研究 創刊号(2008年3月)

振興分野と山古志のコミュニティ生活の分野について、

気がついた点を述べておきたい。

(1) 地域産業の振興をめぐって

①農 業

山古志において、かつての主要産業は米作と言えた。

ただし棚田が多く、用水も山からの湧水が中心で、稲

作の条件はきびしかった。今日ではすべての棚田でト

ラクター耕作が可能であり、夏季には昼夜の温度差が

大きいので、特に粘土質の水田ではおいしい米が収穫

される。村民は住宅近くの畑で野菜も作っている。

山古志に生活において、今日でも農的生活が大きな

位置を占めていることは確かであるが、農業が成り立

っているとは言い難い。稲作の場合も自家飯米用もし

くは他所で住んでいる息子、娘、親族へのプレゼント

用が殆どであり、野菜は加工に回される神楽なんばん

などを除き、出荷されていない。しかし、春には豊富

な山菜が収穫される。これらの農業生産物をどう産業

*山古志の福祉社会計画に関する研究

*山古志の健康計画に関する研究

*山古志の次世代育成に関する研究

*山古志の文化に関する研究

*山古志の住生活ならびに住宅計画に関する研究

*山古志の景観に関する研究

*山古志復興のパイロットプロジェクトに位置づけら

れている油夫パイロットプロジェクトに関する研究

*山古志の復旧・復興プロセスに関する研究

その他に未着手であるが、

*住民相互、住民と行政、介護施設、医療施設などを

つなぐ情報ネットワーク計画

*医療計画

などが挙げられよう。医療計画については、研究スタ

ッフの面から本研究では対象外とする他はないが、情

報ネットワークの計画については、いずれ対象として

取り組んでいきたいと考えている。

(2) 研究方法

本研究は山古志の復興計画に即した実践的な研究で

あり、住民、地域のNPOや社会福祉法人、(財)山の暮ら

し再生機構、行政とのコラボレーションによる研究を

考えており、場合によっては研究グループなり研究者

が計画づくりに参加するという参与型研究もあり得よ

う。

当面5年間を研究機関として設定しており、各研究グ

ループ共、

①山古志での問題把握と課題の設定、

② 同じような問題や課題に取り組む他地域の先進事例

調査、

③山古志に即した計画提案、

④中山間地域一般に対する提案、

のプロセスを考えている。

3.山古志の産業振興とコミュニティ生活運営に

関する若干のコメント

山古志の振興にあたり当面する問題について、産業

写真1 棚田の景観

写真2 山古志野豚の放牧の様子

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旧山古志村復興をモデルとする中山間地域振興の研究のねらいと主要課題/内田雄造

として展開していくのかが課題である。

農的生活を営む住民の高齢化も著しく、耕作放棄さ

れる棚田も増加している。農業振興を考えれば、コア

となる若い世代の地域への定住が不可欠であり、農地

の共同利用といった新しい仕組みも必要である。また、

グリーンツーリズム、クラインガルテン、生産物の産

地直送といった都市生活や都市生活者との連携を考え

たい。このような試みの拠点として山古志では油夫の

パイロットプロジェクトを位置づけていきたい。

②畜産業

山古志においては、従来から肉牛の飼育が行われて

いる(その一部として角突き用の牛の飼育も行われて

いる)が、震災で畜舎が崩壊し、飼育牛が死亡や負傷

するなど、畜産業者は大きな被害をうけた。

現在、牛舎の再建など復旧が進みつつあるが、牛肉

の一層の貿易自由化が進むことを考えると、前途はき

びしいと思われる。山古志ブランドも単に山古志で飼

育したというだけではなく、かつて宮本常一が提案し

たように、山地で豊富に自生する葛を飼料として活用

するなど、山古志スタイルの飼育方式をつくりえるの

かが問われる。また山地での放牧も考えられるが、越

冬施設は必要となろう。いずれにせよ、濃厚飼料によ

る大量肥育方式では困難も多いと思われる。

震災後、長岡市内の学校給食の残飯を活用した養豚

が試みられ、山地や放棄されていた畑地で放牧され、

山古志野豚と命名されている。春先に子豚を購入し、

積雪期前に出荷するシステムである。興味深い試みで

あるが、糞尿の処理や新たな放牧地の取得、結果的に

豚耕された畑地の活用など課題も多い。

肉牛の飼育にせよ、豚の放牧にせよ、農という全体

のサイクルの中でどう位置づけるかが問われていると

いえよう。

③養鯉業

山古志は小千谷と共に錦鯉の発祥地とされ、伝統的

に錦鯉の養殖が盛んである。村内には、水田を転用し

た養殖用の棚池や鉄骨造の越冬施設も目につく。錦鯉

の愛好者にとって山古志は一度は訪れるべき聖地とな

っている。専業・兼業の養鯉業者が180軒(うち専業20

軒)位存在し、若い家族の従事者も多く、「鯉御殿」と

称される豪邸も存在する。

しかし、広島をはじめとする他地域でも錦鯉の養殖

は盛んになり、イスラエルや中国などの外国産との競

争も激しくなっている。また近年、鯉ヘルペスが国内

で蔓延し、海外輸出の比重の高い(日本の錦鯉は生産

量の9割が輸出である)養鯉産業に影を落としている。

山古志では高級(高価)な錦鯉の養殖が追求されてい

るが、鯉ヘルペス対策とならび、どのような養鯉路線

を目指すかが問われている。

山古志は錦鯉のメッカと称されているが、山古志の

錦鯉は春から秋にかけては泥田で、冬期は越冬施設内

で飼育され、山古志の景観の形成に錦鯉は殆ど参加し

ていない。この点も課題といえよう。

写真3 棚池を利用した錦鯉の養殖

④ツーリズム

山古志は棚田が多く、はざ干し米が収穫されている。

村内に残る闘牛場では牛の角突きが行われ、錦鯉の養

殖は盛んであり、春には山菜が豊かに萌え出づる。山

古志が日本の原風景と称される所以である。

山古志を訪れる写真愛好家や旅行者も多く、ツーリ

ズム特にグリーンツーリズムは将来の山古志の基幹産

業の一つとして期待されている。そのためには、ツー

リストへの情報発信、ルーリストを受け入れる研修施

設、宿泊施設の整備が問われる。隣接する柏崎市高柳

のじょんのび村には大規模な研修・宿泊施設が整備さ

れている。別稿で記述されている油夫パイロットプロ

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東洋大学/福祉社会開発研究 創刊号(2008年3月)

ジェクトの中で「山の学校」構想も提案されているが、

今後の検討課題と言えよう

(2)高齢な村民への生活自立支援の試み

山古志地区の人口減少は近年著しく、1950年代前半

には7,000人を超えていた人口は震災直後で約2,300人、

帰村者人口は最終的に1,500人位と予想されている。人

口の高齢化も著しく、高齢化率(65歳以上の人口が総

人口に占める割合)も30%を超えたと推計されている。

目下調査中であるが、高齢な夫婦や高齢な単身者も目

立つ。いくつかの小規模な集落(被災後、再建された

集落が多い)は人口も減少し、住民の高齢化率も50%

を超える「限界集落」になると予想されている。

豪雪地帯に位置する山古志では積雪期の車の運転は

難しく、高齢者には、車を保有していない、若い者優

先で車を自由に使えない、運転が不安である、運転が

できないといった各種の「トランスポーテーション プ

アー」が数多く存在する。特に高齢者のみからなる家

族にとって問題は深刻である。

震災前は、旧山古志村の助成をうけた過疎バスが走

り、朝夕には長岡や小千谷への便も確保されていたが。

今日では過疎バスの運行も廃止されている。こうなる

と若い者と同居しない「トランスポーテーション プア

ー」の高齢者にとって、市街地の病院への通院が難し

い。特に積雪期には、遠出は勿論、村内の友人との交

遊や買い物も制限されることとなる。コミュニティの

高齢化が進み、まちに出る若い者に買い物を依頼する

ことも難しくなっている。結果的に買い物は移動販売

車に頼ることとなり、多くの高齢者は冬ごもりの生活

を余儀なくされよう。交通相互扶助としてNPOや旧村

レベルの組織によるマイクロバスの運行やいわゆる福

祉タクシーの運行サービスも必要となろう。

山古志の生活において、コミュニティの果たす役割

は大きい。かつて道路の雪掘りはコミュニティの仕事

であったし、家族が高齢で屋根の雪下ろしができない

家屋の雪下ろしもコミュニティが行っていた。今日で

は一定の費用負担の下にコミュニティの有志や村内の

建設・養鯉業者が雪下ろしや落雪した雪の排除を請負

っている。しかし、コミュニティとしての請負は、

徐々に不可能となっている。新しいネットワークを活

用したコミュニティの再編が不可欠であろう。

山古志では新しいメディアによる各種のコミュニケ

ーションの可能性も模索されている。従来は有線放送

ネットワークを活用したCATVなどが有力なメディアと

期待されていたが、今日では、携帯電話、テレビ電話、

パソコンを活用したITネットワークなどが可能となりつ

つある。長岡市内の福祉法人「こぶし園」はテレビ電

話を活用した介護システムを開発している。

今後山古志でも新しいメディアを活用し、見まわり

サービス、声かけサービス、ヘルパーの派遣などの介

護に関わるサービス、高齢者の健康維持や医療システ

ム、山古志支所との連絡、更には友人相互の交流など

の可能性を追求したい。

以上、山古志の当面する産業復興とコミュニティ生

活の問題点や課題を整理した。研究の展開は今後とな

るが、現時点での報告としたい。