14
285 外での観察と共に示相化石の観察が重要視され,「地学」 では地層と化石の調べ方と同時に,化石を用いた古環境 推定法を学ぶことが必要とされている (文部科学省, 2009)。さらに中学校および高等学校の授業では,野外 で自然物を観察する経験の重要性も指摘されている (相 場・小林, 2008 など)。生徒が初めて化石を観察する場 合,顕微鏡を用いずに扱えるサイズの標本で,アサリや サザエのように食用でなじみ深い貝類の化石は,彼らの 1 .はじめに 文部科学省の学習指導要領では,中学校の理科分野に おいて,学校付近の野外で地層や化石を観察し,地層が 堆積した当時の環境の推定には過去の環境の指標となる 「示相化石」が有効であることを,生徒に気付かせるこ とが重要とされている (文部科学省, 2008)。高等学校の 理科科目「地学基礎」では,学習指導要領で,地層の野 小沢 広和 ・中井 静子 ** ・中尾 有利子 *** ・小島 仁志 **** The molluscan fossil assemblage from the upper Pleistocene Fujisawa Mud(ca. 0.13–0.12 Ma; Marine oxygen Iso- tope Stage 5e or 5.5) of the middle to upper Quaternary Sagami Group located in the southern part of the Kanto Plain is well-preserved and easily accessible in Sakaigawa-yusuichi Park, Yokohama City, Kanagawa Prefecture, central Japan. These fossils are relatively easily prepared, and can be identified to species level using illustrated reference books for Japanese Mollusca. This fossil assemblage is thus suitable for a science exercise on the paleontological and paleoenviron- mental survey of facies fossils, intended for inexperienced college- or junior/senior high school-level students. The paleo-water-depth range, latitude, and surface water temperature of marine molluscan fossil habitats can be estimated, based on those data of living marine molluscan species. This survey method for paleoenvironmental estimation is very simple, and is ideal for a science lecture at the junior and senior high school level. This paper described the paleontologi- cal survey exercise for college students studying to become science teachers at the junior or senior high school level in the near future. This exercise demonstrates Quaternary paleoenvironmental estimation with photographs of molluscan fossil specimens. Keywords: Quaternar y, late Pleistocene, paleoenvironmental analysis, molluscan fossils, paleontological sur vey exercise, Fujisawa Mud, college students, junior/senior high school students, science teacher, science lecture, southern part of the Kanto Plain, Yokohama City, central Japan 教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習 神奈川県立境川遊水地公園産の後期更新世化石群による例Education Note: Paleontological and Paleoenvironmental Survey Exercise Using Quaternary Molluscan Fossils: A Case Study of Late Pleistocene Fossils from Sakaigawa-yusuichi Park in Yokohama City, Kanagawa Prefecture, Central Japan Hirokazu OZAWA , Shizuko NAKAI ** , Yuriko NAKAO *** and Hitoshi KOJIMA **** Accepted November 11, 2015日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要 No.51 2016pp.285 297 209 Earth Sciences Laboratory, College of Bioresource Sciences, Nihon University: 1866, Kameino, Fujisawa, Kanagawa 252-0880, Japan ** Department of Marine Science and Resources, College of Bioresource Sciences, Nihon University: 1866, Kameino, Fujisawa, Kanagawa 252- 0880, Japan *** Department of Geosystem Sciences, College of Humanities and Sciences, Nihon University: 3-25-40, Sakurajosui, Setagaya-ku, Tokyo 156-8550, Japan **** Department of Bioscience in Daily Life, College of Bioresource Sciences, Nihon University: 1866, Kameino, Fujisawa, Kanagawa 252- 0880, Japan 日本大学生物資源科学部地球科学研究室: 252-0880 神奈川県藤沢市亀井野1866 ** 日本大学生物資源科学部海洋生物資源科学科: 252-0880 神奈川県藤沢市亀井野1866 *** 日本大学文理学部地球システム科学科: 156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40 **** 日本大学生物資源科学部くらしの生物学科: 252-0880 神奈川県藤沢市亀井野1866

教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習 · This paper described the paleontologi-cal survey exercise for college students studying to become science

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外での観察と共に示相化石の観察が重要視され,「地学」

では地層と化石の調べ方と同時に,化石を用いた古環境

推定法を学ぶことが必要とされている (文部科学省,

2009)。さらに中学校および高等学校の授業では,野外

で自然物を観察する経験の重要性も指摘されている (相

場・小林,2008など)。生徒が初めて化石を観察する場

合,顕微鏡を用いずに扱えるサイズの標本で,アサリや

サザエのように食用でなじみ深い貝類の化石は,彼らの

1.はじめに

文部科学省の学習指導要領では,中学校の理科分野に

おいて,学校付近の野外で地層や化石を観察し,地層が

堆積した当時の環境の推定には過去の環境の指標となる

「示相化石」が有効であることを,生徒に気付かせるこ

とが重要とされている (文部科学省,2008)。高等学校の

理科科目「地学基礎」では,学習指導要領で,地層の野

小沢 広和*・中井 静子**・中尾 有利子***・小島 仁志****

The molluscan fossil assemblage from the upper Pleistocene “Fujisawa Mud” (ca. 0.13–0.12 Ma; Marine oxygen Iso-tope Stage 5e or 5.5) of the middle to upper Quaternary Sagami Group located in the southern part of the Kanto Plain is well-preserved and easily accessible in Sakaigawa-yusuichi Park, Yokohama City, Kanagawa Prefecture, central Japan. These fossils are relatively easily prepared, and can be identified to species level using illustrated reference books for Japanese Mollusca. This fossil assemblage is thus suitable for a science exercise on the paleontological and paleoenviron-mental survey of “facies fossils” , intended for inexperienced college- or junior/senior high school-level students. The paleo-water-depth range, latitude, and surface water temperature of marine molluscan fossil habitats can be estimated, based on those data of living marine molluscan species. This survey method for paleoenvironmental estimation is very simple, and is ideal for a science lecture at the junior and senior high school level. This paper described the paleontologi-cal survey exercise for college students studying to become science teachers at the junior or senior high school level in the near future. This exercise demonstrates Quaternary paleoenvironmental estimation with photographs of molluscan fossil specimens.

Keywords: Quaternary, late Pleistocene, paleoenvironmental analysis, molluscan fossils, paleontological survey exercise, “Fujisawa Mud”, college students, junior/senior high school students, science teacher, science lecture,southern part of the Kanto Plain, Yokohama City, central Japan

教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習―神奈川県立境川遊水地公園産の後期更新世化石群による例―

Education Note: Paleontological and Paleoenvironmental Survey Exercise Using Quaternary Molluscan Fossils: A Case Study of Late Pleistocene Fossils from Sakaigawa-yusuichi Park in Yokohama City,

Kanagawa Prefecture, Central Japan

Hirokazu OZAWA*, Shizuko NAKAI**, Yuriko NAKAO*** and Hitoshi KOJIMA****

(Accepted November 11, 2015)

日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要

No.51 (2016) pp.285-297

209

* Earth Sciences Laboratory, College of Bioresource Sciences, Nihon University: 1866, Kameino, Fujisawa, Kanagawa 252-0880, Japan

** Department of Marine Science and Resources, College of Bioresource Sciences, Nihon University: 1866, Kameino, Fujisawa, Kanagawa 252-0880, Japan

*** Department of Geosystem Sciences, College of Humanities and Sciences, Nihon University: 3-25-40, Sakurajosui, Setagaya-ku, Tokyo 156-8550, Japan

**** Department of Bioscience in Daily Life, College of Bioresource Sciences, Nihon University: 1866, Kameino, Fujisawa, Kanagawa 252-0880, Japan

* 日本大学生物資源科学部地球科学研究室: 〒252-0880 神奈川県藤沢市亀井野1866 ** 日本大学生物資源科学部海洋生物資源科学科: 〒252-0880 神奈川県藤沢市亀井野1866 *** 日本大学文理学部地球システム科学科: 〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40 **** 日本大学生物資源科学部くらしの生物学科: 〒252-0880 神奈川県藤沢市亀井野1866

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小沢 広和・中井 静子・中尾 有利子・小島 仁志

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興味や関心が高いことが予想される。また貝類図鑑を用

いれば種の同定も比較的行いやすいため,高い学習効果

が期待されている (川村,2001など)。しかし近年は各地

で宅地開発などが進み,生徒が野外で地層や化石を直に

触れる事のできる場は,ごく少ないのが現状である (宮

下,1999;植木ほか,2012など)。

相模湾に面した神奈川県南部の藤沢市を所在地とす

る,日本大学生物資源科学部では,理科教員の養成を目

的とした教職課程科目「地学実験」(教職課程 4年次必

修科目) の一部として,化石を用いた古環境推定に関す

る基礎的な実習を行っている。中学校・高等学校の理科

教員の免許状取得を目指し,次年度以降にすぐに教員と

なり得る,理系 8学科の 4年生と科目等履修生の40名

前後が毎年この科目を受講している (小沢・中尾,2014,

2015)。本科目では 2回の実習を費やして,貝化石を用

いた古環境解析法の初歩を学ぶ。実習の材料としては,

横浜市泉区に位置し,キャンパスから約 2kmの距離に

あって比較的アクセスしやすい,神奈川県立境川遊水地

公園産の第四紀の貝化石を用いている。多くの大学の例

と同様に,受講生のほとんどは,化石の観察,同定,解

析になじみが無いまま,地学実験を履修する。また宅地

開発などの進んだ昨今では,卒業後も彼らがこのような

実習を行う機会はとても少ないことが,十分に予想され

る。そのため彼らにとって「地学実験」は化石に直に触

れて学ぶ,数少ない貴重な機会となっている。

横浜市の境川遊水地公園 (図 1) では公園整備時の土

木工事で,藤沢泥層 (ふじさわでいそう;成瀬,1952)

という,第四紀に堆積した地層を掘削している。工事で

出た排土には,貝化石が多く含まれており,地学分野の

学習で有効活用できる。神奈川県藤沢土木事務所と公園

の許可を得れば,教育活動の目的で学校などの団体利用

での化石採集や,公園の自然観察会などのイベントで貝

図 1 化石採集地点の位置図

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教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習

211

域で気温や水温が現在より低かった氷期 (大陸氷河の多

い時期) と,現在と同じか,やや高かった間氷期が,4

万年~10万年おきに繰り返し訪れた時代である (池谷・

北里,2004)。そのため更新世は地球の歴史の中でも,

気温・水温の大きな変動が比較的短期間で何度も起きた

時代である。現在の地球は,大陸氷河が氷期よりも少な

いので,繰り返し訪れている温暖な間氷期に相当し,最

終氷期の後なので,後氷期とも呼ばれる。

更新世の最後の間氷期は,現在から見て最後 (最新)

の間氷期なので,最終間氷期 (Last Interglacial Period;

13~12万年前) と呼ばれる (池谷・北里,2004など)。

藤沢泥層はこの最終間氷期に,相模湾につながる水深

10mほどの入り江のような浅い海の底で堆積したと考

えられている (樽,2004;田口ほか,2007;小荒井・馬

場,2010;図 2)。13~12万年前は,最終間氷期の中で

も最も温暖な時期で,現在よりやや温暖な環境であった

と推定されている。この温暖期は,日本列島の環境変動

史では下末吉期 (しもすえよしき) と呼ばれる。この名

称は,この時期に堆積した地層を以前はよく観察でき

た,神奈川県横浜市鶴見区の下末吉 (しもすえよし) と

いう地名に因んでいる。

3.藤沢泥層産貝化石の概説

藤沢泥層からは,計100種ほどの浅海生の貝化石が報

告されている (岡ほか,1979;田口ほか,2007;神奈川

県立境川遊水地公園,2009;小荒井・馬場,2010;神奈

川県藤沢土木事務所,2011)。境川遊水地公園の藤沢泥

層から産する貝化石として,著者たちが採集した標本の

写真を図 3に示す。

この中で,殻サイズが大きくて産出数が多いため,特

に目立つのが二枚貝 (二枚貝綱) のカガミガイ (Phacosoma

化石を比較的容易に採集できる (神奈川県藤沢土木事務

所,2011;小沢ほか,2014など)。ここは多くの生徒に

よる化石の採集・観察実習に適しているため,研究者の

学術的な調査 (田口ほか,2007; Irizuki et al., 2009など)

以外にも,児童・生徒の化石採集会を行う場として利用

されてきた (小荒井・馬場,2010;神奈川県藤沢土木事

務所,2011)。

藤沢泥層産の貝化石については,大塚 (1930),成瀬

(1952),岡ほか (1979),田口ほか (2007) などの多くの

学術論文や報告書が出版されている。これらの文献は産

出する貝化石の種構成と,それを基に推定した古環境を

詳しく述べており,専門家が古環境学・古生物学的な研

究を行う上でとても重要である。しかしこれらは多くの

専門用語を用いて書かれているため,初学者の学習には

適していない。そのため境川遊水地の貝化石と古環境推

定法に関して,初学者を対象とした実習の手引きとその

実践例の提示が必要である。

そこで本稿は,これまで化石の観察や古環境推定の手

法を学ぶ機会がほとんど無かった学生が,それらの理解

を深めるための初歩的な実習の概略と手順を,藤沢泥層

の貝化石を例として提示する。またこのような実習によ

る古環境推定結果の妥当性や,藤沢泥層産貝化石の教材

としての評価についても簡潔に述べる。

2.藤沢泥層の概要

藤沢市と横浜市泉区には,藤沢泥層 (Fujisawa Mud)

が分布する (岡ほか,1979)。この地層名は成瀬 (1952)

が提唱し,1970~80年代の宅地造成が盛んに行われた

頃までは,藤沢市内や周辺の横浜市南西部の崖などで観

察できた (岡ほか,1979)。その後の造成工事で,露頭

(地層の露出した所) は宅地で覆われ,今では観察でき

る場所はほとんどない。

藤沢泥層は,主に泥質砂層や泥層で構成され,複数の

貝化石密集層が報告されている (田口ほか,2007; Irizuki

et al., 2009;小荒井・馬場,2010)。藤沢泥層では,年代

をはっきりと示す火山灰層や示準化石は,今のところ見

つかっていない。しかし周囲に分布する別の地層 (藤沢

市白旗付近の伊勢山辺シルト層) に含まれる 2枚の火山

灰層 (TAu-6,TAu-10) の年代と,藤沢泥層の分布域の標

高や産出する貝化石種などから,堆積した年代は13~

12万年前 (酸素同位体ステージ5eまたは5.5) と推定さ

れている (田口ほか,2007;小荒井・馬場,2010)。

この地層が形成された13~12万年前は,地質学的に

は新生代第四紀後期更新世と呼ばれる。更新世は,今か

ら約260万年前から 1万年前にあたり,地球の多くの地

図 2 採集地点周辺の古地理図

樽 (2004),神奈川県藤沢土木事務所 (2011) を改編.

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小沢 広和・中井 静子・中尾 有利子・小島 仁志

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図 3 藤沢泥層産の貝化石写真 (一部の種)1. ダンベイキサゴ;2. シドロガイ;3. ハナツメタ;4. バイ;5. コロモガイ;6. トカシオリイレ;7. ヤカドツノガイ;8. ゲンロクソデガイ;9. アカガイ;10. イタヤガイ;11. ブラウンスイシカケガイ;12. ゴイサギ;13. エゾマテガイ(一部欠損);14. イオウハマグリ;15. カガミガイ;16. ウラカガミ;17. オオノガイ(一部欠損). スケールバー:1cm.

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教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習

213

24年11月10日,36名) の受講生が参加した。化石採集

時には,同じ種の貝ばかりを集めるのではなく,殻の形

の観察を基に,できる限り多くの種 (10種程度) を採集

するように指示した。採集時間はおおよそ60分間とし

た。

5.野外で採集した貝化石を用いた室内実習の準備

と実践

室内作業の事前準備として,神奈川県立境川遊水地公

園 (2009) を参考に,本層から産出しそうな約70種につ

いて,Oyama (1973) と奥谷 (2000) を基に種ごとの現

在の生息環境情報 (生息水深と緯度の範囲) のまとめ表

を作成し,配布した。

室内実習では,受講生 4人 1組の班を作り,野外で採

集してきた化石に付着している砂泥 (例えば図 5) を,

歯ブラシを用いて水で洗い流し,化石をクリーニングし

た (図4-2)。クリーニング後に種の同定を行い,産出種

リストを作成した。貝類の同定では,遊水地公園発行の

化石図版(神奈川県立境川遊水地公園,2009)や現生貝

類図鑑 (奥谷,2000),関東地方産の更新世貝化石写真が

多く掲載された論文 (Oyama, 1973) の図版を参考にし

た。次に生息環境まとめ表を基に,産出した貝化石の生

息環境情報を抽出し,後述のVDM (Vertical Distribution

Means) 特性曲線とHDM (Horizontal Distribution Means)

特性曲線 (伊田,1956) を作成して,古環境を推定した。

全受講生が採集した貝化石種の同定結果を,著者らが

確認した結果,計46種が認められた。各種の生息環境

情報 (水深・緯度範囲) を表 1に示す。なお表 1にタイ

ワンシラトリ (Tellinimactra edentula) が列記されてい

japonicum),ウラカガミ (Dosinella angulosa),アカガ

イ (Scapharca broughtonii) である。二枚貝では,これ

らの 3種より小さなゴイサギ (Macoma tokyoensis) や,

2cm弱で小型のゲンロクソデガイ (Jupiterina (Saccella)

confusa) もよく見られる。巻貝 (腹足綱) では,バイ

(Babylonia japonica),ハナツメタ (Glossaulax reiniana),

ダンベイキサゴ (Umbonium giganteum),コロモガイ

(Cancellaria (Sydaphera) spengleriana) が多い。この他

に,巻貝や二枚貝とは異なる角貝 (つのがい;掘足綱)

に属するヤカドツノガイ (Dentalium (Paradentalium)

octangulatum) も産する。

図 3の化石は工事の排土から得た標本で,地層から直

に採集したものではない。ただし種構成を見ると,田口

ほか (2007) が報告した貝化石の密集する 4枚の層のう

ち,貝化石密集層B (Shell bed B) に含まれる種が多い。

小荒井・馬場 (2010) は,この地点で露頭がまだ観察可

能であった時期に地質柱状図を作成して貝化石の構成種

を検討し,この地点の化石産出層は田口ほか (2007) の

密集層Bと同一であると述べている。そのためおそらく

田口ほか (2007) の密集層B産の貝化石を,私たちの実

習では主に扱ったと考えられる。

4.野外実習の実践

本実習は貝化石を用いた古環境復元を行うため,野外

実習を 1回,室内作業を 1回とし,計 2回の実習を設け

た。野外実習では,境川遊水地公園北端部の遊水地で貝

化石を各自がスコップで排土を掘って探し,あるいは排

土の表層から手で拾って採集し,実験室に持ち帰った

(図4-1)。野外での化石採集には,40名前後 (例:平成

図 4 実習の様子の写真

野外 (1)および実験室内 (2).

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小沢 広和・中井 静子・中尾 有利子・小島 仁志

─ ─290( )214

表1 産出した貝化石全種リストと生息環境情報

タイワンシラトリとイオウハマグリの学名および生息環境情報:波部 (2011) に基づく.2種以外の種の学名:奥谷 (2000) に基づく.2種以外の種の生息環境情報:Oyama (1973),奥谷 (2000) に基づく.

腹足綱:Gastropoda(巻貝類)/18種

和名 学名 生息緯度・水深帯

キサゴ Umbonium costatum (Valenciennes, 1838) 31-35, N1ダンベイキサゴ Umbonium giganteum (Lesson, 1833) 31-36, N1レイシガイ Thais (Reishia) bronni (Dunker, 1860) 25-42, N0-1シドロガイ Strombus (Doxander) japonicus Reeve, 1851 26-35, N1ツメタガイ Glossaulax didyma (Röding, 1798) 0-42, N1

ハナツメタ Glossaulax reiniana (Dunker, 1877) 26-35, N1-3アカニシ Rapana venosa (Valenciennes, 1846) 22-42, N1ハナムシロ Zeuxis castus (Gould, 1850) 0-35, N1-4ミクリガイ Siphonalia cassidariaeformis (Reeve, 1843) 31-35, N1-2バイ  Babylonia japonica (Reeve, 1842) 25-35, N1

コロモガイ Cancellaria (Sydaphera) spengleriana Deshayes, 1830 0-39, N1-2トカシオリイレ Cancellaria (Habesolatia) nodulifera Sowerby, 1825 31-39, N1モミジボラ Inquisitor jeffreysii (Smith, 1875) 33-42, N1-3マキモノシャジク Tomopleura nivea (Philippi, 1851) 20-36, N1-2コゲチャタケ Pristiterebra tsuboiana (Yokoyama, 1922) 35-37, N1

イボヒメトクサ Granuliterebra bathyraphe (E. A. Smith, 1875) 22-36, N1-2コシイノミガイ Pupa strigosa strigosa (Gould, 1859) 25-38, N1マメウラシマガイ Ringiculina doliaris (Gould, 1860) 31-42, N1-3

掘足綱:Scaphopoda(角貝類)/1種

和名 学名 生息緯度・水深帯

ヤカドツノガイ Dentalium (Paradentalium) octangulatum Donovan, 1804 20-42, N1-3

二枚貝綱:Bivalvia(二枚貝類)/29種

和名 学名 生息緯度・水深帯

ゲンロクソデガイ Jupiterina (Saccella) confusa (Hanley, 1860) 31-35, N2-4 & Bアカガイ Scapharca broughtonii (Schrenck, 1867) 26-41, N1サトウガイ  Scapharca satowi (Dunker, 1882) 31-35, N1-2サルボウガイ Scapharca kagoshimensis (Tokunaga, 1906) 26-40, N0-1イタヤガイ Pecten albicans (Schröter, 1802) 25-42, N1-4

ナミマガシワ Anomia chinensis Philippi, 1849 23-42, N0-1ブラウンスイシカケガイ Clinocardium (Fuscocardium) braunsi (Tokunaga, 1906) (絶滅種)

バカガイ Mactra chinensis Philippi, 1846 31-41, N0-1オオトリガイ Lutraria maxima Jonas, 1844 23-35, N1チヨノハナガイ Raetellops pulchellus (Adams & Reeve, 1850) 0-42, N1-3

タイワンシラトリ Tellinimactra edentula (Spengler, 1798) 0-25, N1モモノハナガイ Moerella jedoensis (Lischke, 1872) 20-35, N1オオモモノハナ Macoma praetexta (Martens, 1865) 23-38, N1ゴイサギ Macoma tokyoensis Makiyama, 1927 32-39, N1-2ヒメシラトリ Macoma incongrua (Martens, 1865) 31-44, N0-1

キヌタアゲマキ Solecurtus divaricatus (Lischke, 1869) 22-35, N1エゾマテガイ Solen kurusensternii Schrenck, 1867 34-45, N1ハナガイ Placamen tiara (Dillwyn, 1817) 0-35, N1-2イオウハマグリ Pitar sulfureum Pilsbry, 1904 23-35, N0カガミガイ Phacosoma japonicum (Reeve, 1850) 31-42, N0-1

ウラカガミ Dosinella angulosa (Philippi, 1847) 14-41, N1スダレガイ Paphia lischkei Fischer-Piette & Métivier, 1971 26-39, N1-2イヨスダレ Paphia undulata (Born, 1778) 32-35, N1マツヤマワスレ Callista chinensis (Holten, 1803) 23-39, N1ウチムラサキ  Saxidomus purpurata (Sowerby, 1852) 32-42, N1

オオノガイ Mya (Arenomya) arenaria oonogai Makiyama, 1935 32-45, N0クチベニガイ Solidicorbula erythrodon (Lamarck, 1818) 10-35, N1

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教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習

215

生息水深範囲をまとめた。今回採集した全種についてこ

れらを総括すると,図 6の左図のように示すことができ

る。この図で重複する種数が最も多い水深区分を,この

化石群が過去に生息した水深,すなわちその地層の堆積

当時の古水深と推定する。

HDM特性曲線から古水温を求めるには,産出した貝

化石の種ごとの生息緯度範囲を知る必要がある。Oyama

(1973) は,例えばP30-35のように種ごとの緯度分布

を表示している。この例は「現在の日本列島の太平洋沿

岸では,北緯30~35°にこの種が分布する」ことを意味

する。Pは太平洋 (Pacific Ocean) 沿岸の略称である

が,本稿ではPを省略して示す。これらの情報を全種に

ついて総括すると,図 6の右図のように示すことができ

る。この図で重複する種数の最も多い緯度を,この化石

群が過去に生息した緯度と推定する。HDM特性曲線で

推定した緯度を,現在の緯度ごとの表層水温データ (表

3) と照らし合わせることで,過去の海洋表層水温 (夏

期・冬期) を推定できる (小笠原,1993;Ogasawara,

1994)。

るが,貝化石の形態的特徴を基に,本地点でこの種をツ

クバシラトリ (Psammotreta tsukubaensis) に同定してい

る研究論文もある (小荒井・馬場,2010)。これら 2種の

形態的特徴はきわめて類似しており,その形態差異につ

いては,著者らは貝化石形態を専門的に研究しておら

ず,両種の詳細な形態差異を認識できない。そのためこ

の種を含む本地点の貝化石の各種の同定については,田

口ほか (2007) と神奈川県立境川遊水地公園 (2009) に基

本的には従い,本稿はこの種をタイワンシラトリに同定

した。

6.貝化石種を用いた古環境の推定法

第四紀の貝化石には,現在までに絶滅した種はごく少

なく,ほとんどが現在も生息する「現生種」 (げんせい

しゅ) である。そのため貝化石群に含まれる現生種の生

態学的情報を基に,古環境を推定できる (例えば,小荒

井・馬場,2010)。関東地方南部の第四系の貝化石の産

出を総括したOyama (1973) には,種ごとに現在の海洋

における垂直分布 (生息水深範囲) と,水平分布 (生息緯

度範囲) の情報が掲載されている。この他に,比較的近

年に発行された他の現生貝類に関する文献 (奥谷,2000)

の水深・緯度分布データも参考にした。化石として産出

した種と,それらの垂直・水平分布データを利用する

と,地層の堆積当時の水深 (古水深) と水温 (古水温) を

推定することができる。

前述のVDM特性曲線から古水深を求めるためには,

産出した貝化石の種ごとの生息水深範囲を知る必要があ

る。大山 (1952) およびOyama (1973) は水深範囲を,

表 2のようにN0, N1, N2, N3, N4, Bの 6段階に区分し,

図 5 クリーニング前の貝化石の写真

表 2 Oyama (1973) による現生貝類の生息水深区分

深度区分 略号 深度範囲

潮間帯 N0 潮間帯

上浅海帯 N1 潮下帯~水深20-30 m中浅海帯 N2 水深20-30 m~50-60 m亜浅海帯 N3 水深50-60 m~100-120 m下浅海帯 N4 水深100-120 m~200-250 m漸深海帯 B 水深200 m~1,000 m

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図 6 現生貝類の生息環境情報(生息水深・緯度範囲)の表現例と解析例

小林ほか (1988) を改編.

表3 緯度ごとの表層水温.小笠原 (1993),Ogasawara (1994) に基づく . 年較差:夏季と冬季の差異.

海域 緯度(ºN) 年平均水温(ºC) 2月平均水温(ºC) 8月平均水温(ºC) 水温年較差(ºC)

カムチャッカ半島南 52 - 0 10 1050 - 0 10 1048 4 0 10 1046 5 0 10 10

択捉島 45 6 0 12 12

知床半島沖 44 7 0 16 16釧路沖 43 8 1 18 17襟裳岬沖 42 9 2 20 18下北半島沖 41 10 4 21 17三陸北部沖 40 12 7 22 15

大船渡-気仙沼沖 39 13 8 23 15仙台湾南部 38 14 10 23 13いわき沖 37 15 12 24 12鹿島-銚子沖 36 16 15 25 10房総半島-三浦半島沖 35 18 16 26 10

熊野灘(紀伊半島沖) 34 20 16 27 11日向灘(宮崎沖) 32 22 18 28 10種子島-屋久島 30 24 20 28 8奄美諸島 28 24.5 21 28 7沖縄本島南 26 25 21 28 7

八重山諸島 24 - 21 28 7台湾南端 22 - 22 28 6台湾/フィリピン 20 - 25 28 3

15 - 25 28 3フィリピン中央 10 - 26 28 2

5 - 28 28 0ボルネオ 0 -  28+  28+ 0

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─ ─293 ( )

教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習

217

石採集で特定の貝化石種を選択的に採集した際,選り好

みの影響が,古環境の解析結果にどのように現れるのか

を調査した。彼らは本稿の実習地と同様に,境川遊水地

公園内のほぼ同じ地点を調査対象としている。ただし彼

らが指導した児童・生徒達は,工事の排土からではな

く,露頭の地層から直に化石を採集している点が,私た

ちの実習とは異なる。小荒井・馬場 (2010) は,児童や

生徒達による,選り好みの影響を受けて採集された化石

群に基づくVDMおよびHDM特性曲線を作成した。さ

らに研究者である両氏が,1cm以下の微小な貝化石ま

で採集した化石群データに基づく特性曲線と比較した。

その結果,VDM特性曲線による水深推定では,両者の

グラフでピークの現れた水深の結果は同じであった。一

方,HDM特性曲線による緯度推定では,ピークの現れ

る緯度が 1~ 2°異なり,児童・生徒によりばらつきが

出ることが指摘された。

今回の実習でも,水深範囲については各人がN1とい

7.貝化石種を用いた古環境推定実習の結果

実習では受講生に,各自がクリーニングした貝化石

(1人あたり10個前後)を種同定させ,10種前後の産出

種リストを作成させた。このリストと,配布した生息環

境のまとめ表 (表 1はその一部) を基に,VDM特性曲線

とHDM特性曲線を作成させた。その結果,VDM特性

曲線では,全員が水深区分N1にピークが現れるグラフ

を作成した (図 7左)。HDM特性曲線では,北緯35°前

後にピークの現れるグラフが多かった (図 7右)が,複

数の緯度にまたがった結果となった (図 8)。

8.学生が選択的に採集した化石を基に推定した古

環境の妥当性

今回用いた化石試料は工事の排土から,学生が自分の

目についた大きさ数cm前後かそれ以上の比較的大型の

貝化石を,拾い集めたものである。一方,研究者が貝化

石を用いて古環境を解析する場合は,定量的な調査法を

用いる。例えば露頭から,貝化石を含む堆積物を一定の

体積を決め,つるはし,ハンマー,タガネなどを用いて

ブロック状に取り出し,2mm目のふるいなどにかけ,

大きさが 1cm以下の微小な貝化石まで取り出してク

リーニングし,種を同定する (例えば,佐藤・下山,

1992;鎌滝,1999)。

この実習では時間の制約で,工事で出た排土から目に

ついた貝化石を,手やスコップで拾い集めた。このよう

な場で受講者が貝化石を採集すると,大型で目につきや

すい特定の種を集めやすいという,いわゆる選り好み

(えりごのみ) が生じる事が指摘されている (川村,

2001;小荒井・馬場,2010など)。小荒井・馬場 (2010)

は,小中学校・高等学校の児童および生徒が,野外の化

図 7 産出した貝化石の一部の種の生息水深・緯度範囲に基づくVDMおよびHDM特性曲線 (受講生の一例)

図 8 受講生15名の解析結果におけるHDM特性曲線ピークの現れ方

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小沢 広和・中井 静子・中尾 有利子・小島 仁志

─ ─294( )218

い実習では,この点に注意する必要がある。

試しに今回の全受講生が同定した,のべ46種のデー

タ (図 9;表 1) を総合して古環境を解析したところ,緯

度のピークが北緯35°に見られた (図10右)。このデー

タに基づけば,緯度は現在の南関東沿岸とほぼ同じで,

表3に基づくと表層水温は夏季水温26℃,冬季水温16℃

(年平均18℃,夏季と冬季の差10℃) と推測できる。こ

れらの結果から,貝化石実習では採集前に「よく目につ

う同じ区分の結果を得たが,緯度では受講生によって結

果がやや異なり (図 8),小荒井・馬場 (2010) の事例と

同様の傾向が見られた。このような実習で推定する緯度

に,なるべくばらつきが出ないようにするためには,で

きる限り多くの種の貝化石を扱い,1cmに満たない微小

な貝化石まで採集することが推奨されている (小荒井・

馬場,2010)。今回のように,時間や用具の制約などで

定量的に採集できない,または多くの標本を採集できな

図 9 産出した貝化石全種の生息水深・緯度範囲

Oyama (1973),奥谷 (2000) に基づく.絶滅種ブラウンスイシカケガイは除外した.

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─ ─295 ( )

教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習

219

貝化石が必要になった際に,必ずしもすぐに入手できる

とは限らないことである。このため公園職員の方から,

現場の工事などの情報を予め入手しておく必要がある。

また排土置き場は工事現場なので,参加者の安全確保と

共に,現場では工事関連の器具に触れないよう,事前に

注意点をしっかり伝えておく必要がある。

(3)古環境解析の方法

VDM・HDM特性曲線は,単純な折れ線グラフによっ

て結果が示され,グラフのピークを基に水深などの古環

境を推定する。このようなきわめて簡易な方法で,地層

が堆積した時代の過去の水深範囲や緯度,夏と冬の表層

水温を具体的な数値として推定し,議論ができる。その

ため中学・高等学校の理科の授業の実習や部活動の探求

活動のテーマにも,適している。

現在の境川遊水地公園の遊水地の標高は9~15mであ

る (田口ほか,2007)。VDM特性曲線を用いた貝化石群

による生息深度の推定から,約10万年前のこの地点

は,水深20~30m以浅 (水深区分N1) の浅い海の底で

あったことが判明した。学習の次のステップとして,現

在は標高10m前後に位置する陸上に,水深20~30mの

海底に分布していた貝類の化石を含む地層が,なぜ存在

するのかを,受講生に地球科学的な観点で考えさせるこ

とができる。この理由としては,地殻変動 (地盤の隆

起),環境変動による海面変化,相対的な海水準変動な

どが挙げられ,これらについて考えさせることができ

る。

またHDM曲線から,古水温と現在の周辺海域 (今回

の場合は相模湾) の水温との違いや類似点,水温差があ

く同一種ばかりでなく,できる限り多くの種を集めるこ

と」と「大きさが 1 cm以下の微小な貝化石も注意して

集めること」をより強調して指導し,特性曲線を描く際

は「自分 1人の産出種リストだけでなく,実験室で同じ

班や席の近い受講生などの他の人の産出種データも合わ

せて,グラフを作る」ように指示する必要がある。時間

に余裕があれば,緯度ピークをよりはっきりと示すこと

ができるように,実習参加者全員が同定した全種を 1つ

のリストにまとめ,それを基にVDM・HDM特性曲線

のグラフを作成することが望ましい。

9.教材としての評価

(1)実習の行いやすさ

排土の砂泥は,もともと固結度の低い堆積物を,さら

に土木工事用重機などの機械で砕いたものであるため,

水洗いだけでほとんどの化石のクリーニングが済む。こ

のため比較的短い時間の単純な作業で,実習用標本をク

リーニングできる。また比較的新しい時代の化石なの

で,殻の保存状態が良くて壊れにくく,種の同定も行い

やすい。さらに大型化石なので標本観察の際,顕微鏡な

どの高額な機器を必要としない。排土の入手にも費用が

かからない。絶滅種もほとんど含まれないので,書店で

入手しやすい現生貝類図鑑を用いて,種レベルの同定ま

で行いやすい。

(2)実習用化石試料の入手

境川遊水地公園で掘削工事が行われていて,事前に許

可を得ることができれば,貝化石を排土置き場から入手

できる可能性がある。欠点としては,急に実習で多くの

図10 産出した貝化石全種の生息水深・緯度範囲に基づくVDMおよびHDM特性曲線

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小沢 広和・中井 静子・中尾 有利子・小島 仁志

─ ─296( )220

とをまったく知らず,それを知ってとても驚いた」,「化

石から,とても簡単な方法で過去の環境が分かるのはす

ごいことだと思った」,「生物の種の学名を学ぶ機会がこ

れまでほとんど無かったので,英語のようなつづりの種

名は新鮮に感じた」,「生き物の外形をじっくり見る実習

は,これまでほとんど無かったので,貝化石の種同定の

作業は思ったより面白かった」などの様々なコメントが

寄せられた。これらを見る限りでは,今回の実習で,化

石を用いて地質時代の過去の環境を推定する手法や,そ

の手法における示相化石の有効性について,おおむね理

解が得られたようである。このような地球科学分野のご

く初歩的な調査に関わった体験を,受講生には近い将来

に,各自の学校現場での教育活動で活かしてほしいと,

私たちは考えている。

なお図 3の貝化石は,平成24年度に日本大学生物資

源科学部の「地学実験」を受講した計36名の 4年生およ

び科目等履修生が同定した標本で,神奈川県立境川遊水

地公園で許可を得て採集された。これらの標本の一部

は,平成25年度に日本大学生物資源科学部博物館へ寄

贈された。

謝辞

本稿で扱った化石の採集には,神奈川県藤沢土木事務所の

スタッフの皆さま,神奈川県立境川遊水地公園のスタッフの

皆さま,元スタッフの鬼丸真光氏 (東日本旅客鉄道株式会社),田中雅宏氏,髙橋奈々氏 (日本大学生物資源科学部博物館) にご協力いただいた。蒔田美穂氏,中久喜友紀氏 (日本大学生物資源科学部)には,境川遊水地の化石採集および

地学実験を実習助手として支援していただいた。安倍 弘氏(日本大学生物資源科学部) には地学実験について多くのご助言をいただき,化石標本撮影用機材を貸していただいた。

谷村好洋氏 (国立科学博物館地学研究部),相田吉昭氏 (宇都宮大学農学部),塚脇真二氏 (金沢大学環日本海域環境研究センター),田辺智隆氏 (長野市立博物館分館・戸隠地質化石館),河潟俊吾氏 (横浜国立大学教育人間科学部),矢沢勇樹氏 (千葉工業大学工学部) には実習内容についてご指導いただき,多くの文献と様々な情報を提供していただいた。金

原守人氏 (日本大学生物資源科学部博物館学生ボランティア) には多くの化石標本を整理していただいた。佐藤慎一氏(静岡大学理学部)には粗稿を丁寧に査読していただき,多

くの有益なご助言をいただいた。地学実験の受講生諸氏から

は,実習時の質問や提出レポートを通じて,実験内容を改善

する上で多くのヒントをいただいた。以上の方々に厚く御礼

申し上げる。

る場合はその原因について,考えさせることができる。

10.おわりに

ここまで述べてきたように,藤沢泥層の貝化石を調べ

ると過去の一時代の相模湾の環境の一端を,簡便な手法

で明らかにできる。また本稿では詳しく述べなかった

が,この貝化石群には,最近10万年前後の間に日本沿

岸では自然消滅したタイワンシラトリや,近年は相模湾

を含む日本近海で絶滅が危惧されているバイ,イオウハ

マグリ (Pitar sulfureum),ウラカガミ,オオノガイ

(Mya (Arenomya) arenaria oonogai) なども含まれる (池

田ほか,2001;田口ほか,2007;葉山しおさい博物館,

2010;千葉県環境生活部自然保護課,2011;日本ベント

ス学会編,2012;環境省,2014)。そのため藤沢泥層の貝

化石群の調査は,地質時代を通した日本列島における海

洋生物種の地理分布の変化,絶滅・衰退の時期やそれら

の要因などを探るきっかけにもなり得る。このような調

査テーマは,地球規模の気候・環境変動と生物種の盛衰

との因果関係,この両者の変遷の歴史,人間活動が生物

種に及ぼす影響などを解き明かす上で,多くの貴重な機

会を私たちに与えてくれる。

シドロガイ (Strombus (Doxander) japonicus) やトカシ

オリイレ (Cancellaria (Habesolatia) nodulifera) などの

やや変わった形をした貝の化石を集めて,殻を眺めてい

るだけで,生物の形や生態に興味のある私たちのような

古生物学の研究者には,わくわくする人も多い。しかし

ただ漫然と眺めているだけでは,化石は黙ったままで,

形の面白さや美しさ以上のことを何も語ってくれない。

それでも「この化石から情報を何とかして引き出してや

ろう」という態度で調べ始めると,藤沢泥層の貝化石も

過去の地球環境変動の歴史を知るきっかけや,道しるべ

となり得る。過去の地球がもたらした,このような貴重

な財産が,私たちの足元にもひっそりと眠っている。本

稿を読んで,これらの事実も少しでも知っていただけた

ら幸いである。

私たちの行った地学実験で,貝化石実習後に受講生か

ら寄せられた感想として「毎日通っているキャンパスの

これほど近い所から,たくさんの貝化石が出ることや,

キャンパスの地下にもたくさんの化石が埋まっているこ

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─ ─297 ( )

教育ノート:第四紀の貝化石を用いた古環境解析の実習

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