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く論文〉 EIL (国際語としての英語)をめぐる 議論と英語教育 一一英語(音声)学習モデルに関する中・高教員と ALT の意識をもとに一一 <Abstract> Nowpeopleinever-increasingnumbersareusingEnglishallovertheworld, and English is often perceived as a Worldwide Common Language" which serves as a tool for both intranational and international communication.With this spread of Englishthroughouttheworld,themajorityof Englishusers haveshiftedfrom native speakers ofEnglish" to non-native speakers ofEnglish." Wi this background, some linguists and educators have begun to insist that English should nolonger be viewed as the exclusive asset of native speakers" but as an interna- tionalpossessionrefe edtoasEIL (EnglishasanInternationalLanguage) or EFL(EnglishasaLinguaFranca).Atthesametime,therehas beenagrowing sensethatWorldEnglishes,thenewvarietiesofEnglishmainlyspokeninthe OuterCircle countries(Kachru,1985),shouldberespectedas proper Englishes as much as native varieties of English." Onthecontrary,despitethe growing spreadof Englishoutsideth.eInner Circle countries,otherlinguistsandeducatorsstillbelievethatEnglishlanguageteach- ingshouldcontinuetoadoptanESL(EnglishasaSecondLanguage)modelor anEFL(Englishas aForeignLanguage)modelwhichare basedon ENL(Engl- ishasaNativeLanguage) asanexclusivenorm. Thisbelief impliesthat the implications of the changing function of Englishand the values of EIL and World Englishes are still not recognized,let alone accepted. This studydiscussesthesignificance ofEILand WorldEnglishesintoday s internationalcommunitiesandintheJapanesecontext. Specifically, thefinal purposeofthispaperistotrytoestablishabetterframeworkforteachingthe phonology of English for Japanese learners by incorporating EIL/World Englishes perspectives.For that purpose, the first chapter begins with an overview of the studieson EIL/W orldEnglishes both inside and outside Japan.The second chapterfocusesingreaterdetailonthecontroversiesovertheidealmodelfor teachingEnglish,namely 1. anExonormative (NativeSpeaker) Model,2. an Endonormative (NativisedEnglish) Model,and3.aLinguaFrancaApproach. ThethirdchapterdiscussestheeffectsofLFC (LinguaFrancaCore) whichis proposedasayardstickofEIL(EFL) inJenkins'epoch-making book, The Pho-

EIL (国際語としての英語)をめぐる 議論と英語教育 · eil (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 ー 3一 語を学ぶのか」という理念を問い直し,英語と我々とのより良い関係を模索するためにも必要な作

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く論文〉

EIL (国際語としての英語)をめぐる

議論と英語教育一一英語(音声)学習モデルに関する中・高教員と ALTの意識をもとに一一

中 井 英 民

<Abstract>

Now people in ever-increasing numbers are using English all over the world,

and English is often perceived as a“Worldwide Common Language" which serves

as a tool for both intranational and international communication. With this spread

of English throughout the world, the majority of English users have shifted from

“native speakers of English" to“non-native speakers of English." Wi出 this

background, some linguists and educators have begun to insist that English should

no longer be viewed as the exclusive asset of“native speakers" but as an interna-

tional possession refe汀 edto as EIL (English as an International Language) or

EFL (English as a Lingua Franca). At the same time, there has been a growing

sense that World Englishes, the new varieties of English mainly spoken in the

Outer Circle countries (Kachru, 1985), should be respected as“proper”Englishes

as much as“native varieties of English."

On the contrary, despite the growing spread of English outside th.e Inner Circle

countries, other linguists and educators still believe that English language teach-

ing should continue to adopt an ESL (English as a Second Language) model or

an EFL (English as a Foreign Language) model which are based on ENL (Engl-

ish as a Native Language) as an exclusive norm. This belief implies that the

implications of the changing function of English and the values of EIL and World

Englishes are still not recognized, let alone accepted.

This study discusses the significance of EIL and World Englishes in today’s

international communities and in the Japanese context. Specifically, the final

purpose of this paper is to try to establish a better framework for teaching the

phonology of English for Japanese learners by incorporating “EIL/World

Englishes”perspectives. For that purpose, the first chapter begins with an overview

of the studies on EIL/W orld Englishes both inside and outside Japan. The second

chapter focuses in greater detail on the controversies over the ideal model for

teaching English, namely 1. an Exonormative (Native Speaker) Model, 2. an

Endonormative (Nativised English) Model, and 3. a Lingua Franca Approach.

The third chapter discusses the effects of LFC (Lingua Franca Core) which is

proposed as a yardstick of EIL (EFL) in Jenkins' epoch-making book, The Pho-

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-2- 外国語教育

nology of English as an International Language (2000). The fourth chapter intro-

duces the results of the author’s research on Japanese English teachers' and

ALTs’perceptions of the model for teaching the phonology of English used in the

Japanese English classroom. The fifth chapter tries to propose a hybrid frame-

work for the better model of teaching English based on the implications from

EIL/W orld Englishes studies.

<キーワード>

英語教育, EIL,ELF, World Englishes,英語(音声)学習モデル

はじ め に

現在,「国際的共通語」としての英語は,グローパル化時代の到来とともに,加速度的に世界に広

がっている。もはや英語を公用語や準公用語などの第二言語として使用する者と外国語として学習( 1)

する者の総数は,第一言語として英語を話す者(以降便宜的に,「ネイティブスピーカー」と呼ぶ)

の数をはるかに超えて,実に世界人口の 3人に 1人が何らかの形で英語に関わっているとまで言わ

れている。この英語の世界的な拡散を受けて,学習言語としての英語を,従来の ESL(English as

a Second Language,第二言語としての英語)およぴ EFL(English as a Foreign Language,外

国語としての英語)という,「ネイティブスピーカーの英語Jをモデルとした枠組みから捉えるので

はなく, EIL(English as an International Language,国際語としての英語)や WorldEnglishes (世

界の多様な英語)もしくは NewEnglishes (新英語)といった,「ネイティブスピーカーの英語」と

は一線を画した枠組みから捉えなおそうとする議論が起こっている。

EILという呼称が登場した背景には,英語はもはやアメリカ,イギリス,カナダ,オーストラリア,

ニュージーランドのような「ネイティブスピーカー」の国の言語であることを越え,コミュニケー

ションのための世界の共通語になっていること,そのため「ネイティブスピーカーの英語」と彼ら

の国々の文化を学習モデルとしない英語変種(variety)の確立が求められているという認識がある。

また WorldEnglishesという呼称が登場した背景には,世界には英語を公用語や準公用語などの第

二言語とする様々な国・地域があり,例えば「シンガポール英語」,「ケニア英語J,「インド英語」

等,それぞれの地域内で用いられる共通言語として確立された英語変種が多数存在し,それらはこ

れまでのように「本物の英語ではない劣った変種」という扱いを受けるのではなく,「アメリカ英語J'( 2)

「イギリス英語J等と同様の「正統な英語変種」として尊重されるべきであるという考えがある。( 3)

本稿の目的は,わが国の英語教育における英語学習モデル,特に英語音声の学習モデルのあり方

について考察することにあるが,そのためには EIL/WorldEnglishesを視点とした考察が不可欠で、

あると考えている。これまで,そして現在も,わが国では「アメリカ英語」もしくは「イギリス英

語」が理想的な英語の学習モデルとされてきた。しかし今,海外での EIL/World Englishesに対す

る研究を受けて, 日本でも新しい英語学習モデルに関する様々な考察と提言がなされている。筆者

も,英語教育に EIL/World Englishesの視点を導入することは,「何のために英語,もしくは外国

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 ー 3一

語を学ぶのか」という理念を問い直し,英語と我々とのより良い関係を模索するためにも必要な作

業だと考えている。

本稿では,第一に,これまで海外と日本でなされてきた EILおよぴ WorldEnglishesに関する議

論の経緯を明らかにし,第二に,「ネイティブスピーカーの英語」, WorldEnglishes, EILのどれを

学習モデルとして採用するべきかに関する議論について概観したい。第三に,英語音声指導の観点

から LFC(Lingua Franca Core)という学習モデルを提案した JenniferJen kinsの分水嶺的な研

究を中心に,学習モデルとしての EILの可能性を探りたい。第四として,筆者が奈良県に勤務する( 4)

中・高の英語科教員と ALTたちに対して行った,英語音声学習モデルに関する意識調査の結果につ

いて考察し,最後に, EILの理念をもとにした,より良い英語学習モデルについて提案したい。

1. EILと WorldEnglishesをめぐる議論の経緯

1 -1 ESL/EFLか EIL/World Englishesか一一英語教育の現実

現在英語が,コミュニケーションの道具として世界でもっとも広範に使われている言語であるこ

とには誰も異論を持たないであろう。また大学を含む教育の現場では,だからこそ英語を学ぶ必

要があるのだと説明されることが多い。往々にして英語は, InternationalLanguage, Global

Language, Universal Language, World Common Languageなどと呼ばれるが,これらの呼称が

意味するところは,「今や英語は世界中で使われている国際的な共通言語」であるということであろ

う。このように英語を「国際的共通語」と捉えたとき,これまで学習言語としての英語は,それが

学ばれる環境によって, ESL(第二言語としての英語)もしくは EFL(外国語としての英語)と位置

づけられてきた。それらは言うまでもなく,「ネイティブスピーカーの英語」を規範として成立して

おり,例えば日本の学習環境における英語は EFLであり,「ネイティブスピーカーの英語」は常に

我々にとって理想のモデルとして存在してきたし,今も学習者(およぴ英語教員)の大半にはその

ように認識されている。

しかし一方,英語が世界に拡散するにしたがって, ESL/EFLに取って代わる変種としての EIL/

World Englishesという存在が意識されるようになっていった。 EIL/World Englishesが ESL/

EFLと異なる点は,それらは「ネイティブスピーカーの英語」と一線を画している点にある。 EIL/

World Englishesに関しては,これまで国際的に,また国内的にも多様な議論の積み重ねがあり,英

語を EIL/World Englishesの観点から捉えなおすことの意義は,現在多くの研究者や教育者に共有

されるようになっている。しかし逆に, EIL/World Englishesモデルに疑問を呈する研究者も多く,

また英語教育の研究外では,その存在と意義が十分に認知・支持されているとはさらに言いがたい。

例えばわが国の学習指導要領には,英語を「国際的共通語」と捉える姿勢は窺えても,そこには

EIL/W orld Englishesの視点が十分に確保されているとは思われない。 2002年に文部科学省は「「英

語が使える日本人JI の育成のための戦略構想一英語力・国語力増進プラン」を, 2003年には「『英語

が使える日本人』の育成のための行動計画」を策定し英語教育の「抜本的な改革」を始めたが,「戦

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- 4ー 外 国 語教育

略構想Jにも,例えば「ALT配置の強化や有効活用」(当然, ALTとは「ネイティブスピーカー」

を中心とした指導助手のことである。),「外国人(ネイティブ)の正規の教員への採用の促進」(下( 5)

線は筆者による)と言った文言が並ぴ,やはり「ネイティブスピーカーの英語」を規範とした英語

教育の枠組みからは抜け出せていないのが現状であろう。

以下ではまずこのような EIL/World Englishesをめぐる議論の現実を考察する前に, EIL/

World Englishes論がどのように国際的に,また日本国内で醸成されてきたかについて概観する。

1 -2 「英語の所有者論」「言語(英語)帝国主義論」から EIL/World Englishesへ

国際的に EILや WorldEnglishesという概念が,それまでの英語変種に関する研究を受けて頻

繁に登場するようになったのは,主に1980年代に入ってからのことである。 WorldEnglishesという

機関誌が1982年に創刊され,この頃から Englishesという英語の複数形が知られるようになった。

その後,英語を話す国と地域を 3つに分類し,「ノンネイティブスピーカー(NNESs)」の立場から

英語教員論を展開した Kachru( 1985)や,これからの EILの可能性について展望した Strevens( 6)

(1987)など多くの研究者による「ノンネイティブスピーカ-Jにとっての英語に関する研究が進ん

だ。特に Kachruが示した英語を話す国と地域を三重の同心円で示した図(ThreeCircles of Engl-

ish)は,その後 EIL/World Englishesを語る際の基準となっていった。同心円は内側から, Inner

Circle (第一言語として英語を使うイギリス,アメリカなどの国), Outer Circle (公用語や準公用

語などの第二言語として英語を使うインド,シンガポール,南アフリカなどの国),そして Expand-

ing Circle (英語を外国語とする日本,韓国,中国,ロシアなどの国)となっている。後に Crystal

(1997)が Kachruのデータに加えた数字を用いれば, InnerCircleの話者は 3億 2千万から 3億 8

千万人程度, OuterCircleがI億 5千万人から 3億人程度,そして ExpandingCircleは1億人から

10億人程度に及ぶ。つまり,最大では16億人を超える人々,つまり世界人口の 3人に 1人が,何ら

かの形で、英語を使ったり学んだりしていることになる。しかもこの数は,年々加速度的に増加して

いる。

1990年代に入札英語の拡散が及ぽす政治的,社会的,文化的な影響に関する研究は, Phillipson

(1992)の唱えた「言語帝国主義論Jによりいっそう進むことになる。 Phillipsonは,支配言語への

乗り換えは「宗主国Jに対する軍事的,経済的,文化的な支配につながることを指摘し,また「理

想的な英語教員はネイティブスピーカーでなくてはいけない」という社会通念を, NativeSpeaker

Fallacy (ネイティブ話者の誤謬)と呼んだ(1992:193-199)。 Phillipson(フィリプソン2000:98-99)

はまた,アメリカやイギリスは両国の利益に資するため, TESOL(Teaching English to Speakers

of Other Languages)や ELT(English Language Teaching)という名のもとに,世界中に ESL/

EFLとしての英語を普及させてきたと主張し,またブリティッシュ・カウンシルや, CIAに援助を

受けたアメリカ財-団がそのために果たしてきた役割についても言及している。

この時期には同時に, OuterCircleや ExpandingCircleに属する多くの研究者により,「英語の

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 ー 5一

所有者論」や「ノンネイティブ英語教員(NNESTs)が英語教育に果たす役割」に関する研究も大

きく進められた。「英語の所有者論」についてデンマーク人である Widdowson(1994: 384)は,そ

のエポックメイキングな著書, TheOwnership of Englishで以下のように述べている。

The very fact出atEnglish is an international language means出atno nation can

have custody over it. To grant such custody of the language is necessarily to

a汀estits development and so undermine its international status. It is a matter of

considerable pride and satisfaction for native speakers of English出attheir

language is an international means of communication. But the point is出atit is

only international to出eextent that it is not their language. It is not a possession

which they lease out to others, while still retaining the freehold. Other people

actually own it.

つまり,いまやいかなる国も EILとしての英語の所有権を主張することはできず,それを許せば英

語の発展と国際的地位は低下することにつながる。もはや英語は「ネイティブスピーカー」だけの

所有物ではなく,また彼らが他者に貸し出しているものでもない,ということである。事実 Crystal

(1977)によれば,もはや英語は「ネイティブスピーカー」よりもはるかに多くの「ノンネイティブ

スピーカー」によって使われており,使用者人口でも「ネイティブスピーカー」はすでに凌駕され

ている。現在英語は InnerCircleだけでなく, Outercircleや ExpandingCircleにも共有されてい

る財産であり,そのため EIL/World Englishesとしての英語のアイデンティティをいかに確立する

かが,研究課題となっていった。また「ノンネイティブ英語教員」に関する研究では, Medgyesや

Canagrajahに代表される研究者たちによって,「ネイティブ英語教員」と「ノンネイティブ英語教

員」の長所と短所の分析,両者の役割分担などについての研究が多数発表された。現在世界中で,

英語教育における「ノンネイティブ英語教員」が担う役割はますます大きくなっており, Canagrajah

(1999b)によれば,世界的にはすでに英語教員の80%以上が「ノンネイティブ」だと 1,,う報告もある。

そして極めつけとして,いまや EIL/World Englishesを語るときには必ず引き合いに出される

Jennifer Jen kinsの分水嶺的な著書, ThePhonology of English as an International Languageが

2000年に出版された。この著書は,その後の EIL/World Englishesの議論に多大な影響を与え,

Jenkinsの主張に対する支持,誤解,反発といった様々な反応を引き起こすことになった。 (Jenkins

が提唱する, EILとしての音声学習モデル (LFCニ LinguaFranca Core)については後に考察す

る。)

Jenkinsは現在, EILに代わり ELF(English as a Lingua Franca)という呼称を使うことにこ

だわっているが,その理由は, EIL(English as an International Language)もしくは往々にしてそ

の短縮形と捉えられる InternationalEnglishは,そこに含まれる Internationalという語のもつ含

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- 6ー 外 国 語教育

意のために,また同様に EGL(English as a Global Language)および GlobalEnglishもそこに含

まれる Globalという語の合意のために,それらは「正統であるべきENL(English as a Native

Language),つまり「ネイティブスピーカーの英語」を規範とする変種」という間違った認識を助

長するからだとしている (Jenkins(2007: 3-4))。彼女は, ELF(English as a Lingua Franca)に含

まれる LinguaFranca (リンガフランカ)という語が持つ,「複合語であることも,発音などに使用

者の L1(第一言語)の名残があることも許される,「ノンネイティブスピーカー」どうしがコミュ

ニケーションのために用いる共通語」という合意に意義があるのだと主張している。第二に, EIL

もしくは InternationalEnglish, EGLもしくは GlobalEnglishには,それぞれが oneclearly dis-

tinguishable, codified and unitary variety (明確に識別される,理解可能な単一の言語)であると

の誤解を生むからだとしている。つまり Jenkinsは, ELFとは決して単一の体系化した言語ではな

し LinguaFranca Coreを中心にした英語変種の複合体と捉えていることが分かる。ともかく,学

習言語としての英語の呼ぴ名を ESL/EFLから ELFに変えることにより,そこから ENL(「ネイ

ティブスピーカーの英語」)の呪縛を取り除くことが, EFLとし追う用語にこだわる彼女の理由であ

る。ただし,彼女の意向に反し, EILに代わる ELFという用語はいまだ認知度が高くないと考える

ので,本稿では主に EILの呼称を使うことにする。

1 -3 「ネイティブスピーカー」とは誰か,「ネイティブスピーカーの英語」とは何か

これまで本稿では,第一言語として英語を話す者のことを便宜的に「ネイティブスピーカー」と,

また「ネイティブスピーカーの英語」の主な 2つの変種を「アメリカ英語J,「イギリス英語」と呼

んできたが,議論を進める前にこれらの用語について検証しておきたい。というのも,現在英語を

語るとき頻繁に使われる「ネイティプスピーカー」や(「彼ら」の英語の「代表」としての)「アメ

リカ英語J,「イギリス英語」といった用語は,言語学的にはきわめて不正確で、あるからだ。

すでに述べたように,これまで世界には様々な地域に独自の英語変種が派生してきたが,それぞ

れの地域での英語使用の状況も実に多様なものとなっており,もはや Kachruが英語使用地域を 3

つの同心円(ThreeCircles of English)で示したような明確な分類法は,厳密に言えば言語学的に

可能で、はない。例えば, Kachruが呼ぶ InnerCircle (第一言語として英語を使う,イギリス,アメ

リカなどの国)でも言語使用状況の多様性から英語を第一言語として使わない話者が多く存在する

し,逆に OuterCircle (公用語や準公用語などの第二言語として英語を使うインド,シンガポール

などの国)でも英語を第一言語として使う話者が多数いるからである。また後述するが, Outer

CircleとExpandingCircle (英語を外国語とする日本,韓国,中国,ロシアなどの国)の境界線も

暖昧になってきていることが知られている。 Kirkpatrick(2007)も Kachruに則した英語使用地域

の分類法を取っているが,自らが使う「nativevarieties (Inner Circleで使われる英語変種)-

nativised varieties (Outer Circleで使われる「土着(母語)化」した英語変種)」というこ分法,さ

らには「nativespeaker -non-native speaker」という二分法の不正確さを指摘している。つまり,

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 ー 7ー

彼は OuterCircleで「土着(母語)化」した英語を話す話者を「ノンネイティブスピーカー」と呼

べるかどうかに疑問を呈している。しかしそれでも彼は,“Thedistinction between native and

nativised varieties can become important, however, in contexts where a so-called native

variety, such as British or English, is set against a so-called nativised variety, such as

Malaysian English." (pp. 5-10)と述べ, EILや WorldEnglishesを語る上では,対立概念として

の「ネイティブスピーカーの英語(nativevarieties)一土着(母語)化した英語(nativisedvarieties)」

という分類が必要だとの見解を取っている。また Jenkins(2000: 9-10)も nativespeakerという

用語の不正確さを指摘し, nativespeakerを MES(Monolingual English Speaker)と BES

(Bilingual English Speaker)に分類し,できる限りこれらの用語を使用すると述べているが,別の

著書や論文では「nativespeaker -non-native speaker」とし寸分類法に頼っている現実がある。こ

のように研究者の間では,英語変種とその使用状況の多様性が研究上重要な意味を持つため,使用

する用語には厳密になりつつも,一方議論を進める上では,あえて社会通念に合わせて,「ネイティ

プスピーカー」(NESs),「ノンネイティブスピーカー」(NNESs)などの用語に頼らざるを得ない状

況(ジレンマ)がある。

このことは「ネイティブスピーカーの英語」の「代表」として往々に引き合いに出される,「アメ

リカ英語」,「イギリス英語」という用語についても当てはまる。英語の変化(variation)は,異なっ

た変種 (inter-varieties)間だけでなく,同ーの変種のなかでも起こっており,アメリカやイギリス

国内にも様々な英語変種 (intra-varieties)が存在する。従ってアメリカやイギリスで話されている

様々な英語を,単純に「アメリカ英語」,「イギリス英語」などとーまとめに呼ぶこともまた正確で

はない。 EIL/World Englishesの分野でも,同一英語変種聞の多様性は重要な研究テーマとなって

いるが,ここでも用語に関するジレンマが生じている。 Jenkinsを含む多くの研究者は,発音に関し

ては「アメリカ英語」,「イギリス英語」の代わりに,それぞれ GA(E) (General American English),

RP (Received Pronunciation,「容認発音」)という用語を用いているが,それらも正確ではいとい

う理由(例えば, RP話者はイギリス人口全体の 3~ 5%しかいない,等)から,結局は「アメリカ

英語, AmericanEnglish」,「イギリス英語, BritishEnglish」という用語を使う研究者も多い。Swann

(2007)は,「イギリス英語」,「インド英語」,「スコットランド英語」というような便宜的な分類が,

言語学的な記述や分析の出発点としては有益で、あること, しかしそれは言語学的には仮想的であり,

変種間に明確な境界線を引くことは難しいというジレンマを,以下のように説明している。

Linguists tend to rely on certain categories as a basis for discussing diversity: they talk

about ‘British English,,‘Indian English', and ‘Scotland English' ( or ‘Englishes’) . Such

categories are useful as a starting point for linguistic description and analysis, but I have

suggested出atthey are idealisations. It is difficult to draw definitive boundaries, according

to linguistic criteria, around different varieties of English. (p. 28)

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- 8ー 外 国 語教育

上記のような理由から,内外の EILや WorldEnglishesの研究では,英語変種の実態について言

語学的に正確な記述が求められる一方で,言語使用や言語政策の観点からは,便宜的に,また社会

通念に則して,不正確で、はあるが「ネイティプスピーカー」や「アメリカ英語J,「イギリス英語」

といった用語が使われることが多い。それはたぶんに EIL/World Englishesに関する議論と分析を

容易にするための「象徴的な」用語の使用だと言える。

本稿でもこのような文脈により,これ以降も便宜的に Kachruの ThreeCircles of Englishに則

り,「InnerCircle内の英語第一言語話者」を「ネイティブスピーカー」と,また「標準的なアメリ

カ英語」と「標準的なイギリス英語」(もちろんこれも正確ではないが)をそれぞれ,「アメリカ英

語」,「イギリス英語」と呼ぶこととする。ただしこれらの用語の言語学的な暖昧さと,ステレオタ

イプ化した概念がもたらす弊害については,常に心しておきたい。

1 -4 わが国における「英語教育目的論」「英語帝国主義論」と EIL/World Englishes

わが国での EIL/World Englishesに関する議論は,英語教育の目的をめぐる議論と日本版「英語

帝国主義論」の延長として発展してきたと言える。そしてそれらの議論の萌芽となったのは,やは

り有名な平泉・渡辺論争(平泉・渡辺, 1975)であろう。ここでは平泉・渡辺論争以降に起こった

諸議論について簡単に整理しておきたい。

まず平泉・渡辺論争とは,「実用的英語運用能力を保障しない英語教育」を批判した国会議員の平

泉渉氏と,「教養としての英語教育」に執着した言語学者の渡辺昇一氏との間で交わされた議論のこ

とである。いま論争を読み返してみると,どちらの主張も十分に理解されていたとは思われず,世

間的には「英語教育の目的は実用か教養か」という表層的なテーマばかりが注目を集めた結果となっ

た。また渡辺の主張も,堀部(2002:137)が述べるように,英語教育の目的としての教養に,「古典

を読むことによる知的訓練」というような高度な水準を求めたことから,あまり支持を得られなかっ

た。ただし結果的には,この論争の後,実用中心の英語教育が大きく支持されていくことになる。

1980年代に入り世界的な「コミュニケーション能力」を重視する指導法の隆盛を受け, 1989年公示

の学習指導要領では,その総目標が「コミュニケーション能力の育成」になり,さらに1998年公示

の学習指導要領では「実践的コミュニケーション能力の育成」に強化された。 2000年代に入ると「グ

ローパリゼーション」と「IT社会」の到来により「グローパル・リテラシーとしての英語運用能力

の必要性」が叫ばれ, 2002年の「『英語が使える日本人Jの育成のための戦略構想」が発表され,現

在に至っている。つまりこの間,「実用としての英語」派が絶えず優勢の立場を取ってきた。

ただし一見支持を集めなかった「教養としての英語教育」を重視した渡辺の主張も決して無意味

ではなかった。それはその後の種々な「実用としての英語教育」へのアンチテーゼにつながって行

くことになったからである。まず登場するのは,大石,津田といった研究者による,日本版「英語

帝国主義論」だった。大石は英語を支配・抑圧の装置だとして日本人の「ネイティブスピーカ一信

仰」を批判し,言語・文化相対主義,多言語教育の必要性を説いた;また津田も英語という大言語

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 - 9ー

偏重による不平等を警告し,「メタ英語教育」(言語の普遍的価値を考え,人格形成や異文化理解を

培う教育)の必要性を説いている。さらに中村は,検定教科書執筆者の立場から,その著書『英語

とはどんな言語かj(1989)で英語の持つ帝国主義的な側面を論じ,教科書執筆者は英語という言語

の負の側面を自覚し,単に英語運用能力を培うだけでなく,英語を超えて「ことば」への意識を高

め,題材を通じて人権・平和に資する英語教育を目指すことを提唱した。英語偏重の姿勢に対して

反対の立場をとり,小学校への英語教育導入に異議を唱える大津(2006)も同じ流れから「メタ英

語教育」を提唱し,英語を相対化することや,英語を通じて健全な言語意識の育成を目指すことの

必要性を主張している。言語観に関する大津(2001:58)の以下の主張は,英語を教える教員にとっ

ては傾聴に値すると考える。

筆者は,教員の側に完壁な英語運用能力を期待しているのではありません。ある程度は教員の

発音が狛特の癖を持ったものでもかまいません。しかし,教員が持っていないと困るものがあ

ります。それは, しっかりとした言語観(外国語観を含む)と言語教育観です。なぜ英語を教

える必要があるのかという問いに対し,教えなくてはならないからであるとか,国際共通語で

ある英語を身につけるのは問うまでもなく当然のことである,といった程度の意識しかない教

員による教育がどれほど危ういものであるかはいくら強調しても強調しすぎることはありませ

ん。

大まかにまとめると,これらの議論は,英語教育においては,英語と I,'う言語の持つ支配性に注意

し,英語の相対化を図ることが大切で、あること,母語を含めた言語全体への健全な意識を培う英語

教育の構築と,多言語主義に立つ必要があることを説いている。ただし,これら「英語帝国主義J

反対を唱える研究者たちの主張は,英語の持つ負の側面を指摘することに重点が置かれ,彼らから

EIL/W orld Englishesを学習モデルにすえた英語教育への具体的な提言は,あまり聞かれない。

1 -5 EIL/W orld Englishesと日本の英語教育

直接,間接に上記の議論に影響を受け,わが国の英語教育にも EIL/World Englishesを学習モデ

ルとすることを提案する議論が派生してきたが,そこには二つの立場があると思われる。一つは,

中村の流れを汲む,英語教育の立場や検定教科書執筆者の視点から英語学習モデルとしての EIL/

World Englishesについて考察する,森住衛,斉藤栄二,伊原巧,堀部秀雄といった研究者の立場で

あり, もう一つは,本名信行,竹下裕子,日野信行ら,アジアにおける様々な英語変種に関する研

究を通じて, WorldEnglishesの一つである「日本英語」を英語学習モデルとして提唱する研究者の

立場である。

まずは,教科書執筆の立場を見る。森住(1996)は1947年の学習指導要領の目標にあった,「われ

われの心を,英語を話す人々の心と同じように働かせること」という精神の英語化(Anglicization)

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-10ー 外 国 語教育

を求める意識は今も続いているとし,「外国語教育=英語教育」という構図が与える弊害を指摘して

いる。また森住(1995)は英語の有用’性を認めつつ,英語という大言語のもつ「陰」の部分に意識を

払うことや,英語を「世界共通語Jと認識する必要性を訴え,そのためにも WorldEnglishesや

Japanese Englishが果たし得る可能性に注目している。また森住(2008)は,英語の呼称である「世

界共通語」を一歩進め,学習言語としての英語を EIAL(English as an International Auxiliary

Language,国際補助語としての英語)と位置づけ,積極的に人権・平和・環境などの GlobalIssues

を教科書の題材とすることで,確かな言語文化観と批判的思考能力を育成する英語教育の構築を提( 9)

唱している。森住の用いる呼称である EIALには, Jenkinsが用いる ELFと同じく,学習言語とし

ての英語を,なおいっそう「ネイティブスピーカーの英語」をモデルとした ESL/EFLから引き離

す意図が込められている。もちろん英語教育の目的(の一つ)は学習者に英語運用能力を保障する

ことであるので,教科書執筆者にとって検定教科書作成は「実用」と「理念」のバランスの上に立っ

た妥協の作業と言える。しかし現在出版されている各社の中学・高校の英語検定教科書を見れば,

それらがおおむね GlobalIssuesを主な題材とし,世界市民育成を目指す内容となっていることが

分かる。このことは,教科書執筆者の多くが技能習得を超えた英語教育の目的を意識していること

を示していると,筆者は考えている。

次に,「アジアの英語」や「国際英語」を研究する人々の立場を見る。中でも本名は,アジア各国

での英語使用と英語教育について調査し,多くの著書や論文により,英語がすでに多くの国や地域

で共通言語のーっとなっていること,またそれらの多様な英語はそれぞれが使用される地域の理論

構造や世界観を反映したものであることを指摘してきた。この立場から本名は,「私たちも「ニホン

英語」を肯定的に考える理論を持たなければならない。日本人はその理論を確立すれば,英語を発

信型コミュニケーションのなかで,異文化間理解の言語として運用する能力を本格的に育成できる

ようになるだろう。」(2006:175-176)と述べ, WorldEnglishesのーっとしての「ニホン英語」の

可能性を主張している。また竹下(2004)はさらに進んで,「日本人の英語は JapaneseEnglishと

して,世界のさまざまな英語のうちのひとつの変種に数えられている。 NewEnglishesを構成する

ひとつの要素である。(中略)アメリカ人やイギリス人,オーストラリア人とニュージーランド人は,

たしかに英語のネイティプスピーカーである。しかし,日本人一人ひとりが, nativespeaker of

Japanese English (日本人英語のネイティプスピーカー)であるという考え方も,大変に重要な意味

を持っているのである。」(pp.13-14)と,明らかに JapaneseEnglishが英語の変種としてすでに確

立されているとの認識に立っている。同じく「アジアの英語」や「国際英語」を研究分野とする日

野(2001)は,本名,竹下などとは少し違った立場をとり,多様な英語を尊重しながらも, World

Englishes論よりもむしろEIL論に基づいた「国際英語教育」の必要性を主張している。

かくしてわが国の英語教育界でも,世界的な EIL/World Englishesに関する議論の進展を受け

て,「ネイティブスピーカー」の英語を超えた英語教育の学習モデルを模索する動きは,徐々にでは

あるが一部の研究者の間に広がっている。

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育

1-6 日本の英語教育関係学会での EIL/World Englishesの扱い(10)

-11ー

2003年度の JACET(大学英語教育学会)全国大会では,「「国家戦略」としての外国語教育一ーそ

のあるべき姿を求めてJというテーマのもと,台湾,韓国から国家の言語政策を担い英語教育改革

に取り組む専門家を招聴して,それぞれの国(地域)の英語教育の現状と課題について講演が行わ

れ,アジア各国の英語教育への関心の高さが示された。 2004年度の JACET大会では,議論を一歩

進め,「「国際語Jとしての英語一ーその教育目標と基準Jが大会テーマに選ばれ,すでに第二言語

として確立された英語変種をもっインドとマレーシアから研究者を招き,それぞれの国の英語学習

の課題が報告された。さらに 4年後の, 2008年9月の JACET大会では,「グローパルな英語コミュ

ニケーション能力とは一一英語教育再考Jという大会テーマのもと,いっそう EIL/World

Englishesの視点から英語教育を考える議論が深められた。基調講演,招待講演では, EIL/World

Englishesの研究で知られる JenifferJenkins, Salikoko Mufwene,矢野安剛が,それぞれの立場か

ら,これからの学習言語としての EIL/World Englishesについて考察と提言を述べた。また同じく(13)

2008年11月の JALT(全国語学教育学会)の全国大会(兼, PAC7: Pan Asian Consortium)でも,

ゲストスピーカーとして EIL/World Englishesを主な研究分野とする DavidGraddol, Andrew

Kirkpatrickが招聴きれ,英語の未来や EIL/World Englishesの可能性についての講演が行われ

た。特に Kirkpatrickは, HongKong Institute of Educationの英語学科長としての立場から,

World Englishesのーっとして確立された HongKong Englishを例にとり,これからの英語教員

は,多言語・多文化主義の立場を取り,英語の発音,語葉,文法,文化の 4領域における多種・多

様な英語変種の特徴に精通する必要性があると提起した。このように最近のわが国の英語教育諸学

会での基調テーマを概観すると,英語教育関係者の間で EIL/World Englishesに関する意識が,一

見,醸成されつつあるように思われる。

しかしことはそう単純で、はない。これらの学会の大会でも,基調テーマや理念として EIL/World

Englishesが登場し,これに関する一般参加者からの発表もいくつか見受けられたが,他方,大多数

の発表では EIL/World Englishesは意識されず,あくまで“authenticEnglish" (本物の英語=「ネ

イティプスピーカーJの英語)を学習モデルとし,いかにしてそれに近づくかが研究課題とされて

いる現実があった。このように,学会においても理念と現実には大きな事離があり,参加している

教育関係者の意識にも二極化の傾向が見られた。印象としては参加者の大半にとっては,いまだ

EIL/W orld Englishesは理念の域を超えていないように感じられた。学会においてすらこの状況で

あるな仏教育現場で英語を教える教員に EIL/World Englishesという概念が理解・共有されてい

るとは,いっそう考えにくしミ。

2.理想的な英語学習モデルをめぐって一一一ENLか WorldEnglishesか EILか

2 -I 学習モデルに関する議論

現在,内外の英語教育研究の文献にも, EIL/World Englishesという用語が頻繁に登場するよう

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- 12ー 外 国 語教育

になっている。伊lえば Richards(2003)は“CurrentTrends in Teaching Listening and Speaking"

と題する論文の官頭で, EILについて以下のように述べている。

Today, like it or not, English is the language of globalization, international cornmunica-

tion, commerce and trade, the media and pop culture, and this affects motivations for

learning it. English is no longer viewed as the property of the English-speaking world but

is an international commodity sometimes refe汀 edto as World English or English as an

International Language (EIL). The cultural values of Britain and the US are often seen as

irrelevant to language teaching, except in situations where the learner has a pragmatic

need for such information. (p. 3)

つまり,もはや英語は,英語圏だけの財産ではなく, EILと位置づけられる国際的な所有物であり,

イギリスやアメリカの文化的価値観は,特にそれらの情報を必要とする学習者を除色英語学習に

とっては無関係である,ということである。

しかし,この一見もっともらしい英語学習モデルとしての EIL論は,本当に国外(そして園内)

の英語教育の研究者によって共有されているのだろうか。また英語変種が実際に使用言語として確

立された国や地域はともかくも,わが国のような ExpandingCircleに属する国において, World

Englishesのーっとしての「日本英語」が学習モデルとなり得るのだろうか。さらに, EIL/World

Englishesという概念は,どれだけ英語教員たちに意識・理解されているのだろうか。この章では,

理想的な英語学習モデルとして研究者たちが提唱する 3つの学習モデルに関する,賛成・反対を含

めた様々な立場からの議論について考察したい。英語学習モデルについて Kirkpatrick(2007: 184-

194)は, 1.an Exonormative Native Speaker Model (国外基準的,「ネイティブスピーカ一英語」

モデル), 2. an Endonormative Nativised Model (国内基準的,「土着(母語)化された英語」モ

デル),そして 3.a Lingua Franca Approach (リンガフランカ・アプローチ)の 3つに分類して

いる。以下ではこの分類法に沿って議論を進めることにする。

2 -2 An Exono口nativeNative Speaker Model (国外基準的,「ネイティブスピーカ一英語」モ

デル)

ここでまず思い起こされるのが Quirkの立場であろう。 Quirk(1990: 9)は, localcontextに合

致したそれぞれの英語変種の意義を主張した Kachruに間接的に反論して,“aglobal standard to

maintain comprehensibility among different nations" (異なった国家間で相互理解が保障される

ための世界基準)の必要性を論じ,標準的イギリス英語もしくはアメリカ英語が国際的なコミュニ

ケーションでの standardとなるべきであり, OuterCircleの国々における教室でも,「ネイティブ

スピーカーの英語」をモデルとして教え込む必要があるとしている。これに関して,筆者の知る限

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 -13-

り英米の研究者から積極的な支持は聞かれないが,それは ENLを支持することにより受ける反発

を恐れているからかもしれない。 Holliday(2005: 9)も BritishESOLの教育者の言を引用して,

「Jenkinsのような EILを支持する考えは,「ネイティブスピーカーJが英語支配という罪悪感を薄(14)

めるための言い訳ではないか。Jと示唆しており,英米の研究者の中にも本音では EILを支持しな

い者が多く存在することが窺える。

また, OuterCircleや ExpandingCircleに属する研究者の中にも,「ネイティブスピーカ一英語J

モデルを支持するものが多く存在する。例えば「ノンネイティブスピーカーJの英語教員について

研究するハンガリ一人の Medgyes(1999)は, InternationalEnglishは「単なる理想的概念J(a

mere idealization),「教授不可能な非言語的な存在J(unteachable nonlinguistic entity)だとし(pp.

177-195),「ネイティブ,ノンネイティプのすべての英語変種を許容するイギリス英語かアメリカ英(15)

語をモデルとして選択することが妥当で、ある。J(pp. 185-186)と結論付けている。また OuterCircle

や ExpandingCircleの学習者や教員には ENLに対する ambivalent(相反する)な感情や意識が

あることも事実である。例えば,確立された varietyとしての「インド英語Jを持つインドでも, IT

産業に就職するためにアメリカ発音を学ぶことが一般的となっていることはよく知られている。さ

らに ExpandingCircleにおいては,いっそう ENLこそが学習モデルであるとの意識が強いと思わ

れる。日本の研究者からも,英語学習モデルとしての ENLを支持し, EIL/World Englishesモデ

ルに疑問を呈する意見が多く聞かれる。例えば大谷(2007:193)は EILに関する本音と建前に言及

して,「学校英語教育は,いまや「国際語としての英語J教育という聞こえのよい一枚看板を下ろす

べきではないか。JとEILに対して否定的である。斉藤(2008)の以下の発言にいたってはさらに辛

らつで, WorldEnglishesや ELFの意義をにべもなく否定している。

英米の学者の中には, リベラリズムの立場を崩さずに自分たちの学問的影響力を増大させるべ

く,多分に英語学習者に対するリップサービスの意味合いも込めて,「もはやネイティブとノン・

ネイティブの区別はないJと唱える人が少なくないが,そのような言葉も無批判に援用される。

だが,英語の世界的展開をめぐる論考をつぶさに見れば,発音や綴りや墳末な文法事項の変異

を百倍くらい拡大して組み込んだ WEモデルが,きわめて標準的な英語で議論されている逆

説一一言い換えれば,世界には色々な英語があっていいとする議論そのものが,文化・学術レ

ベルで使用するのはやはり標準英語でなければならないという暗黙の了解を保証しているとい

う矛盾一一に気づくであろう。(p.41)

残念ながら,国内の一般的な英語教材は ESLや EFLの名のもとに,「ネイティプスピーカーの英

語Jを純然たる学習モデルとしており,大半の教員はそのことを疑わず,世間にいたっては EIL/

World Englishesなどといった概念は,いまだ周知もされていないのが実情であろう。わが国では,

一般大衆にとっても,英語教員の多くにとっても,また一部を除いた英語教育の研究者たちにも,

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- 14ー 外国語教育

「本物の英語=「ネイティブスピーカーJの英語」という考えは,いまだ根強いと考えられる。

2 -3 An Endonormative Nativised Model (国内基準的,「土着(母語)化された英語Jモデル)

次に,学習モデルとしての WorldEnglishesについて考えてみたい。 WorldEnglishesの研究者

の多くは OuterCircleに属しており,彼らはそれぞれの国(地域)の言語的状況と文化的価値観を

持つ土着の英語変種使用の意義を認め, ENLを規範としない独自の英語学習モデル,つまり an

Endonormative Nativised Modelを樹立する必要性を説いている。例えば,香港で英語教育に携わ

るKirkpatrickは, OuterCircleにおける「ノンネイティブ英語教員Jの備えるべき資質として,

1. 多言語・多文化主義を体現していること, 2.地元での教育的,社会的,文化的な背景を理解

していること, 3.様々な英語変種の音韻的,語葉的,文法的,修辞的・文化的な違いに精通して

いること, 4.地元での英語の役割と他の言語との相関性を認識していること, 5.現地の文化に

根ざした教材を開発し,独自の英語変種も ENLを含む他の様々な英語変種も同等に価値を認めて

いること,の 5点を挙げている(2008:13-14) o Kachru, Y. and Nelson, C.L. (2006: 125)も,英語

教員は学習者に,「英語には劣った varietyと優れた varietyがある」といった考えを持たせないこ

とが大切だとしている。ただし,このような指摘が必要で、あること自体が, KachruとNelsonも認

めるように,いまだ OuterCircle内では ENLが,形式的にも機能的にも,どの non-Inner-Circle

varietyよりも優れているという意識が根強く残存していることの表れであろう。しかし, Outer

Circleにおけるそれぞれの英語変種は,今後確実にそれぞれの地の共通言語として定着し, an

Endonormative Nativised Modelのあり方に関する研究は進んでいくものと思われる。そして地域

変種をモデルとした英語教育は,おそらく ENLをモデルとした英語教育へのアンチテーゼと

なっていくことは石室かだろう。

nativised varieties (「土着(母語)化された変種J)に関しては,現在 ExpandingCircleに属す

る国々(地域)で起こっている英語変種に関する変化も見ておく必要がある。というのも,現在,

Kachruが分類した古典的な InnerCircle, Outer Circle, Expanding Circleとし寸分類やその境界

線は暖昧になってきているからである。これまで nativisedvarietiesの派生は OuterCircleでの現

象だと思われてきたが, ExpandingCircleに属する国々でも,それぞれの国における土着の英語変

種が生まれていることが指摘されている。例えば Kirkpatrick(2007: 192)は, ExpandingCircle

に属する中国では独自の「nativisedChinese EnglishJができつつあることを指摘している。ただし

彼も,同じ ExpandingCircleに属する日本では「nativisedJapanese EnglishJの成立が遅いとし,

その理由のーっとして日本の英語教育がアメリカ人教員の影響を強く受け,「アメリカ英語Jをモデ

ルとした EFLの習得が英語学習の主な目標となっていることを挙げている。また彼は, Expanding

Circleに属するインドネシアでは,独自の varietyではないが,地理的・文化的・宗教的な近さか

ら,隣国のマレーシアで使われている「nativisedMalaysia EnglishJを言語政策として学習モデル

に採用している事実を紹介している。(pp.191-192)

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 -15-

Mesthrie and Bhatt (2008: 208)は,比較的に分類がしやすい OuterCircleの ESLvarieties

(nativised Englishes)と比べて, ExpandingCircleの英語について,“Bycontrast EFLs are more

diffuse and do not yet lend themselves to systematic comparisons with each other.,,と述べ,現

在 ExpandingCircleで使われている英語の分類の難しさを指摘している。二人はまた,ヨーロッパ

の中でもノルウェー,スウェーデン,オランダなどの国は OuterCircleとExpandingCircleの中

間に位置すること(p.211)や,ヨーロッパ全体として,二つの EuroEnglishesが出来上がりつつ

あることを指摘している(pp.213-215)。その一つは, Mid-Atlanticと呼ばれる,「アメリカ英語J

と「イギリス英語Jをもとにしたハイブリッドな nativisedvarietyであり,もう一つは, ELF(EIL)

と呼べる,「一つの言語として識別できるほどには発展していない中間言語の寄せ集めとしての英

語Jであると述べている。このように, ExpandingCircleにおける英語の多様化に伴い, nativised

variety はOuterCircleとExpandingCircleの垣根を越えて,これかも増え続けていくものと考え

られる。従って今後は ExpandingCircleのそれぞれの地域でも,従来の ENLをモデノレとする英語

教育と地域変種をモデルとした英語教育との対立が起こることが予想される。

ただしこのことは,独自の nativisedvarietyを持たないわが国に当てはまるかどうかは,は

なはだ疑問である。もちろん「日本英語Jモデルに関する議論は,例えば鈴木孝夫がかねてより(16)

Englicの確立と使用を提唱してきたように,いくらか存在してきた。また前掲の本名や竹下ら「ア

ジア英語」の研究者は,「日本英語jがわが国の学習モデルとなるべきであると主張している。しか

し筆者には「日本英語Jモデルが現実的で、あるとはとても思われない。なぜなら,日本では現在の

ところ英語が国内的な生活言語として使用される必然性が,まったくないからである。

2 -4 A Lingua Franca Approach (リンガフランカ・アプローチ, EILモデル)

現在の ELTの世界では,リンガフランカ・アプローチ(EILモデル)はどれくらい支持されてい

るだろうか。それよりもまず, EIL(EFL)をモデルにした英語教育とはどのようなものだろうかo

bαching Eηiglish a.s an International L仰伊勾e(McKay: 2002)でも,英語は f国際的な共通語1で

あり, EILアプローチとはそれぞれの学習環境の文化に配慮した英語教育のことであるとの意味合

いでしか語られていない。 Kirkpatrick(2007: 198-195)によるリンガフランカ・アプローチの説明

でも, Anglo-Americanの規範の代わりに地元の文化的・語用論的な規範を導入するべきことが述べ

られている程度である。また二人に共通しているのは, リンガフランカ・アフローチにとっては

Jenkinsの音声学習モデルについての提案(LinguaFranca Core)は指導法上貴重であるとの意見

だけで,それ以上に EIL(EFL)の言語的な特性について具体的な言及はない。また,その他の EIL

の研究者たち,たとえば2008年の JACET大会で講演した Mufweneと矢野も, EIL(ELF, EGL)

モデルは今後進むべき方向ではあるが,言語的には多様な英語変種の緩やかな集まりになるだろう

との見解を示すにとどまっている。つまり, Jenkins以外には EIL(EFL)の内容について具体的な

提起をするものはおらず,英語学習モデルとすべき EIL(ELF)の言語的な詳細については,これか

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- 16ー 外国語教育

らの研究課題であると思われる。

では日本の場合はどうだろうか。前述したように,これまで中・高の検定教科書執筆に携わる研

究者の中には, EILを学習モデルとすることを提唱している人々がいる。例えば伊原(2006:79-84)

は, EFL教育と EIL教育を明確に区別し,「英語のモデルは, EFL教育の場合のように例えば「ア

メリカ英語」でなければならないということはなく,学校で教えられる英語異種なら母語話者,非

母語話者いずれの異種でもよい。その学習と使用は学習者の土地でその文化を背景にして行わざる

を得ないので,これは学習者に都合が良い,自分の側に引き寄せた学習と使用を許容する。」と述べ

ている。また「国際英語」を推奨する一人である森住は,「中・高の教科書における「国際英語JJ

という一文(2007:44-45)で,中学 NewCrown (森住衛[他編],三省堂,現行版を含む過去3版〉

では「NewEnglishesJを取り上げていること,また高校 Crown(霜崎賓[他編],三省堂2006)で

は「シンガポール英語Jが,高校 Unicom(安吉逸季[他編],文英堂2006)では「Englishas a World

LanguageJが,高校 EncounterReading(渡部昇一他,秀文館2004)では「Englishas an International

LanguageJがそれぞれ本課の題材として取り上げられていることを紹介し, EIL(EIAL)の視点が

検定教科書に広がっていることを歓迎している。ただし,伊原にしても森住にしても,「国際英語」

もしくは EILの実態に関する認識は暖昧であり,時には EILとWorldEnglishesが同義に捉えら

れていたり,「国際英語教育Jで扱われる「文化モデルJの問題は議論されても, EILの語葉,文法,

発音がどうあるべきかについては,ほとんど言及していない。つまり彼らにとっても EILは理念の

域を出ていないものと思われる。 EILを支持する山田(2005:215-216)も,「EIL自体は,理念であっ

て,「誰かの英語Jというわけではない。それは,あえて言うなら,「それぞれの英語Jである。「そ

れぞれの英語Jとは,すなわち,アメリカやイギリスの英語であり,アフリカやアジアの英語であ

る。地球上にある「いろいろな英語」を自由に使えば,それば EILの思想、を実践することになる。J

と述べている。果たして多くの研究者が言うように, EILは進むべき方向や理念にすぎないのであ

ろうか。それとも EILはモデルとなるべき言語的な実態を伴うことができるのだろうか。以下の章

では,これについて検証する。

3. EILは具体的な英語学習モデルとなり得るか

3 -1 EILの実態一一言語としての 4領域

World Englishesの諸研究では,それぞれの EndomormativeNativised Englishが,語葉,文法,

音声,そして文化的文脈で, ENLと異なった独自性やアイデンティティを持ち得るかについての研

究がなされている。しかし学習モデルとしての EILには,これら 4領域の実態があるだろうか。こ

れまでの国内の研究を見る限り, EILとしての統ーした語葉,文法のあり方に関する議論は,一部(17)

の例外を除いてあまりされてこなかったと言える。またこの状況は世界的な文脈でも変わらないも

のと思われる。ただし,学習モデルとしての EILを文化的側面と音声面から論ずることは,これま

でも国内外で一部の研究者によって行われてきたし,特に EILの音声については, Jenkinsが

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 -17-

Lingua Franca Core (LFC)を提唱し反響を呼んで、以来,俄然脚光を集めている。以下では, EIL

が言語としての実態を持ち得るのかについて,文化的側面と音声の観点から検証する。

3 -2 英語学習モデルにおける文化の問題

Jenkinsが EILとしての音声のあり方について言及するまでは, EILの具体的な内容について最

も多く語られてきたのは, EILの文化的な側面であろう。

言語と文化は不可分の関係にある。これまで,わが国の英語教育では,英語と英米の文化は常に

一体のものであり,時には学習指導要領で,「英語を通じて英米人の精神に学ぶこと」が目標とされ

た時期すらあった。この意識は今も完全に払拭されているとは言えず,例えば現在でも,英語は国(18)

際理解教育に資するとされながらも, ALTの大半が InnerCircleの出身であったり,英語を通じて

教えられるコミュニケーション・パターンや語用論的表現は英米の文化に根ざしたものが中心と

なっている。また小学校に実質的に導入された英語活動は「国際理解の一環」と位置づけられてい

るが,子どもたちが「ネイティブスピーカーJの ALTとハイタッチで“Hi.”と挨拶している姿は,

どう見ても国際理解というより英米理解に近いだろう。これまでの EFLを学習モデルとする英語

教育では,常に英米の文化が重要な学習内容となっていた。

そのため, EILを学習モデルとして提唱する研究者たちからは,英米の文化だけでなく,世界の

様々な文化と自らの土着の文化についても教えようという提起がなされてきた。例えば, Mckay

(2002)は,以下のように英語教育における多文化主義の必要性を説いている。

To begin, all cultural content should be approached reflectively: learners should be

encouraged to consider why the topic was chosen, how it is written about, and what other

ways the topic could have been presented. In addition, it should be approached in such a

way as to develop a sphere of interculturality, in which students learn about another cul-

ture as a basis for reflecting on their own. (pp. 128 129)

また語用論的表現においても,「ネイティプスピーカー」の文化に拠らない独自の英語表現を目指

すべきであるとの意見も聞かれるようになってきた。例えば森住は,高校検定教科書, ExceedRead-

ing (改訂版,三省堂, 2009年度より使用予定)で「WorldEnglishes」という題の本課を執筆し,日

本人が使用する英語では“Thisisn’t very delicious, but please help yourself.”というような日本

文化に根ざした英語表現が許容されるべきであると示唆している。(前記したように,森住にとって

は「国際英語」(EIL)とWorldEnglishes は明確に分類されていない。)ただし EILに否定的な立

場を取ると思われる大谷のような研究者にとっては,英語と英米の文化はあくまで不可分で、あり,

英米の文化を教えることこそが英語理解につながる(2007:225)との意識はいまだ根強い。また

EILの研究者たちからも,どのような文化内容を学習目標にするのかについて,具体的な提案はあ

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- 18ー 外 国 語教育

まり聞かれない。

この点, Horibe(2008: 241-253)による「EILにおける文化の位置づけ」に関する提案は,今後

の一つの方向性を示すものと思われる。 Horibeは,英語学習における文化を,「社会習慣としての

文化J,「語用論的文脈における文化」,「意味論的文脈における文化」の 3つに分類し,「社会習慣と

しての文化」の観点からは,英米の社会習慣よりも地元の社会習慣を重視することを提起している。

「語用論的文脈における文化」では,英米の文化に根ざしたイデオムを避け,森住が挙げた例のよ

うに地元の文化に根ざした語用論的表現が容認されるべきだと主張している。ただし Horibeは,唯

一「意味論的文脈における文化」において,英米の文化を学ぶことの意義を認めている。例えば,

日本語の「腰」は英語では「waist,hip, back, lumber, knees」などに相当するが,それら英単語の

裏には英米の文化が存在するように,英語の単語はもともと意味論的に英米の文化に深く根ざして

おり,英語の単語と英米の文化を分けることは不可能で、ある。よってEILを学習モデルとする際も,

意味論的な文脈では英米の文化に拠らざるを得ないとしている。これについては森住(2004)もそ

の著書『単語の文化的意味Jにおいて,語葉と英米文化は不可分の関係にあることを論じ,英単語

を通じて英米の文化を学習することは異文化理解に寄与するという立場をとっている。 EILと文化

の関係についても,今後さらに研究が進むことを願っている。

3-3 音声指導の観点から一一Jenkinsの主張をめぐって

前述したように, 2008年度の JACET大会では, EIL/World Englishesを研究するたniffer

Jenkins, Salikoko Mufwene,矢野安剛が,同じ2008度の JALTの全国大会では, DavidGraddol,

Andrew Kirkpatrickがゲストスピーカーとして招聴された。この中で Kirkpatrickだけが香港英

語を例にして WorldEnglishesの可能性について語ったのに対して,他の 4人は EIL(もしくは

ELF: English as a Lingua Franca, EGL: English as a Global English)の可能性とその将来像につ

いて意見を述べた。 Mufweneは, EGLは進むべき方向ではあるが,決して単一の言語にはならな

いであろうと述べるにとどめた。矢野も, EILは,やはり単一の言語ではなく,どの変種を話す話

者にも理解・使用される「様々な変種の緩やかな連合体」だと述べ, EILの語葉,文法,発音,文

化的側面における可能性を提示した。 Graddolも,白書 TheFuture of English? (1997)の結論で述

べたのと同じく,世界的には単一の「StandardEnglish」が発展する可能性はあまりなく,今後も多

極的状況が続くだろうと予言した。しかしこれらの研究者の中でやはり異彩を放っていたのは

Jenkinsで、あり,彼女も EIL(ELF)が単一の言語ではないと断りながらも, ELFに必要な条件は

intelligibility (異なった英語変種間でのコミュニケーションが理解可能で、あること)だとし,音声面

での具体的な LinguaFranca Core ( = LFC:異なった英語変種間でのコミュニケーションで雌離

を起こさないための音声的な基本的共通項)を ELFの必要条件にすることを提唱し忽つまり,彼

女だけが一歩踏み込んで、, EIL(ELF)は単なる理念にとどまらず,具体的な言語としての特徴を持

ち得ると主張しているわけで,彼女の主張が ELTの世界に衝撃を与えた理由はここにある。

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 -19-

Jenkinsは自らの著書(2000,2003, 2007)で,音声面での intelligibilityに関する自身と他の専

門家の研究をもとに,自らが選定した LinguaFranca Coreを提示している。具体的には,音声的

要素を, ELFにとって必要なもの(LinguaFranca Core)と不必要なもの(non-LinguaFranca (21)

Core)に分類して,それぞれを以下のように示した。

I EFLにとって必要な音声的要素(LinguaFranca Core) I

1.子音 */0/, /5/以外のすべての英語の子音は必要。

2. 異音

3.子音連結

4. 母音

5.核強勢

* rhotic /r /を採用。(米音で発音される母音の後の/rん英音は否定)

*母音聞の /tiを採用。(英音を採用。米音の日at(たたき音)は否定)

*IP!, Itん/k/のあとの気音は必要。

*fortis (/p/, /f/)と lenis(/b/, / v /)の前の母音の適度な長さは必須。

*語頭および語中のみ必要。

*母音の長短の区別は必要。

*不可欠。 (Icame by TAXI.とICAME by taxi.は強勢により異なる意味

を持つ)

I ELFにとって不必要な音声的要素(non-LinguaFranca Core) I

1.母音 *地域方言ごとの母音の特徴は不必要。

2. §§形 * intelligibilityの助けにならない。 (Id/を用いた弱形全般を否定)

3. 語聞の音連続 *重要で、ない。もしくは助けにならない。(特に同化は不必要)

4. 強勢リズム *不必要。(英語の stress-timedrhythmを否定)

5. 語ストレス *柔軟性に欠けるため,指導不可能。(語アクセントを否定)

6. 音調 *不必要。指導不可能。(いわゆるイントネーションを否定)

Jenkinsは Phonologyof English as an International Language (2000)で,発音面の研究,特に

母語からの転移(transfer)が intelligibilityに与える影響に関する研究から,上記のように LFCに

とって必要な要素と不必要な要素をまとめ,それぞれの項目に対する考察を行った。それまで,こ

れほど EIL(ELF)の言語的属性について具体的な提案をした研究が存在しなかったことが,一躍

JenkinsをEIL(ELF)の提唱者として際立たせることになった。その後 Jenkinsの主張は,他の

研究者が EILに言及する際に頻繁に登場するようになるが,あたかも EILがひとつの学習モデル

として確立されたと歓迎する単純な見方から, ENLモデル以外を認めないとする研究者による

Jenkinsの提案の全面否定や, WorldEnglishesの研究者による「LFCの内容には,様々な英語変

種の実態と矛盾するものがある」という部分的な批判にいたるまで,さまざまな反応を引き起こし

た。これに関して Jenkins(2007)は, ELFに対する一番の誤解は,「ELFの目的はすべての英語

使用者が従うべき単一の規範を作ることにある,との意見である。」(p.19)とし,またべつの誤解

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- 20- 外国語教育

として,「ELFは, native-likeEnglishなど学ぶ必要がないと,学習者に押し付けがましい態度を

とっている(patronize)と指摘する研究者がいる。Jとし,それに対しては,「どのような学習モデ

ルを選ぶかは学習者自らが選択すべきである。J(p. 21)と反論している。

3 -4 LFCの限界一一EIL(ELF)は英語音声指導モデルとなり得るか

しかし,いかに Jenkinsが ELFは単一の言語ではないと弁明しようとも,彼女が提唱した LFC

の具体的な記述を見る限りは,彼女自身は ELFが個別言語としての特徴を持ち得ると考えている

と捉えざるを得ないだろう。従って多くの研究者が Jenkinsの研究に言及し,単一言語としての

EIL (ELF)のあり方に異議を唱えていることは理解できる。また Medgyes(1999: 185)も,

“So long as International English is a nonlinguistic entity, it is unteachable, too. What is teach-

able is a large stock of native and non-native varieties of English.,,だと述べ, EILにはいまだ言

語としての実態がないと批判している。前述した Mufwene,矢野, Graddolもこの立場を取るもの

と思われる。

またミクロ的に LFCを見ても, Jenkinsが選定した LFCにとって必要な要素と不必要な要素に

は,筆者自身,日本での英語音声指導モデルの観点から多くの疑問を持たざるを得ない。例えば,

rhotic /r IをLFCに含めているのは,ぞれが正書法的に教えやすい(スペルと発音が一致する)か

らだとしているが,日本語話者にとっては Ir/自体が存在しない音であり,米音の postvocalic

Ir I (母音の後の/r/)を真似ることはそう簡単なことではない。もっとも疑問を持つのは,個々の

音素(segmentals)の点では, 101,lo!を除くほぼ全ての母音と子音(と一部の異音)は必須とし

ながらも,韻律面(suprasegmentals)では, 1~1 を用いた弱形全般,語聞の音連続,語ストレス,

音調(イントネーション)など,これまで「英語音の根幹Jだと考えられてきた項目を,ほぽ否定

していることである。その極めつけは,これこそが英語の韻律を特徴付けるものと考えられてきた

強勢リズム(stress-timedrhythm)の否定である。ただし Jenkinsは,これらは WorldEnglishes

を中心とした「ノンネイティブJ聞のコミュニケーションの研究から導き出された結論であると述

べており, Kirkpatrick(2008)も香港英語を例に取り,アジア・アフリカで話される多くの英語変

種は,母語の影響を受け音節リズム(syllable-timedrhythm)で発音きれるため,彼らの英語に強

勢リズム(stress-timedrhythm)を押し付けることに疑問を呈している。 Davies(2005: 143-144)

は,「現時点で EILが地域的にニュートラルになる,つまりアメリカ英語とイギリス英語の特徴をな

くすことは考えにくい。Jとしながらも,ヨーロッパでの多言語状況では Jenkinsが述べるように

accomodation (社会言語学的に言う「ノンネイティブスピーカーJの英語に適応すること)が起こっ

ており,将来的には EILが確立される可能性があると述べており, Jenkinsを支持する研究者もい

る。

しかしこれらの知見は,すべて OuterCircleの英語変種に関する研究か, ExpandingCircleで

あってもヨーロッパのようにほぼ OuterCircle化した地域での研究をもとにしており,例えばわが

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 ー 21一

国のように独自の英語変種を持たない国や地域で学習される英語教育では, Jenkinsの LFCが英語

音声の学習モデルになり得るとは考えにくい。また近年わが国の英語教育では音読やシャドーイン

グに対する関心が高まっており,英語音素(segmentals)の習得の点からも韻律(suprasegmentals)

の習得の点からも「ネイティブスピーカーの英語」を真似ることが奨励されている。これに関して

竹内(2003)は「英語達人」たちの学習法の調査から,「達人」たちが「ネイティブスピーカー」の

発音と韻律に高い関心を持ち,真似ることに努めたことが彼らの上達のー要因であると結論付けて

いる。このように音声面の指導に限っても,特に OuterCircleでの英語教育においては,「ネイティ

プスピーカーの英語」をモデルにすべきとの意見が優勢で、あるように思われる。

やはり残念ながら, OuterCircleに属する日本のように生活言語としての英語を持たない国では,

「ネイティブスピーカーの英語」を音声モデルとするほかないのかもしれない。事実 Jenkins(2000:

2265-226)でさえ,「イギリス発音(RP)とアメリカ発音(GA)は,規範としてはふさわしくない(23)

が,学習者の発音が大きく逸脱することを防ぐモデルもしくは参考点にはなり得る。」と「イギリ

ス英語」と「アメリカ英語」をモデルとすることの可能性を全面的には否定していない。しかし次

なる問題は,ふたたぴ「ネイティブスピーカーの英語Jとは, 日本人にとって何を指すのかという

ことである。

4.発音指導における ENL(「ネイティプスピーカーの英語」)モデルの課題

4 -1 ふたたび日本人にとって「ネイティブスピーカーの英語」とは何か

発音指導に高い関心を持つ静は,月刊『英語教育J(2005年6月号)で,小学校への英語教育導入

に関して,まず第一に「native-like」な発音(segmentals)とリズム(suprasegmentals)の指導が

必要であるとの一文を寄せている。さらに同誌, 2008年3月号の「WorldEnglishes・・一・・でもそんな

のカンケーネー!」と題した一文では,現在 EILや WorldEnglishes論の広がりとともに発音指導

を軽視する意見があるが, Jenkinsでさえその LFCでは 101,lo!以外のすべての音素は必須だと

述べているではないかと, EIL/World Englishesを一蹴している。さらに同誌, 2008年7月号での

「世界水準の発音力を習得させる「訓練力J」と題する論文でも,再度 Jenkinsの LFCを引き合い

に出して,「世界水準の発音力J,つまり「native-like」な発音力習得の必要性を説いている。(ただ

し, Jenkinsの LFCにほとんどの英語音素が含まれていることは紹介しても,彼女が英語本来の韻

律の習得ではその要素の大半を不必要としていることには言及していない。)

静が「世界水準の発音力」と言うとき,それはあくまで「ネイティブスピーカー」の発音を基準

としていることは明らかだが,彼が言及する「native-like」な発音とは具体的に誰の発音を指してい

るかについては明確にされていない。それは静に限ったことではない。わが国の英語教育と英語教

育産業の世界では至極当たり前のように「ネイティブスピーカーの英語」という文言が登場するが,

それが誰の英語であるのかについては,あまり問題にされることはない。このようにわが国では,

「ネイティブスピーカーの英語Jという概念は,その実態を問われることなく自明のこととして存

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- 22- 外国語教育

在する。

ただし,あえて「ネイティプスピーカーの英語」とは何なのかと問い掛けられれば,わが国の英

語教員の多くは,(標準的な)「アメリカ英語Jか「イギリス英語」のどちらかだと答えるのではな

いだろうか。それでは次に,わが国の英語教育において「アメリカ英語」と「イギリス英語」がど

のように位置づけられ,また認識されているのかについて見ていくことにする。

4 -2 「アメリカ英語」か「イギリス英語」か一一わが国の英語教育での学習モデルの現状

Inner Circleの英語変種にも様々なものがある。そのため,「ネイティプスピーカーの英語」を「ア

メリカ英語」と「イギリス英語」の二つだけに限定するのは公平で、はないとの批判もある。最近で

は,英語能力テストの一つである TOEICが,「“国際コミュニケーションのためのテスト”(TOEIC

のIはInternationalの略)と呼ぴながらも,アメリカ英語のみをモデルとしている」という批判を

受けて, リスニング問題に「アメリカ英語」のほかに「イギリス英語J,「オーストラリア英語Jな

どを使用するようになった。しかし, Strevens(1992: 32)も述べているように,すべての英語変種

は大きく分ければ「アメリカ英語Jか「イギリス英語」のどちらかに属すると考えるのが妥当であ(24)

り,「アメリカ英語」と「イギリス英語」の背景にある文化的・社会的な支配・被支配の問題を別に

すれば,音声学習モデルとしてこのどちらか, もしくは両方を選ぶことは現実的で、あると思われる。

ただしその際も,「アメリカ英語とイギリス英語が正当な英語で,オーストラリア英語などは劣って

いる」という優劣の意識を排除することが必要で、あることは言うまでもない。

わが国の英語教育でも,これまで「アメリカ英語」と「イギリス英語」が英語音声学習のモデル

とされてきた。学習指導要領(中学校外国語)を例に見ると,「言語材料における音声」として, 1947

年公示版では「英米の相違に注意し,米語に習熟する」とあり,その後1969年公示版までは「現代

の英または米の標準的な発音」とされたが, 1977年公示版以降現在までは,「現代の標準的な発音」

と表現を変え「英米」の文言をはずしている。ただし検定教科書にはもっと顕著な傾向が窺える。

中学英語教科書では,全体のシェアの 9害I]弱を占める 3教科書のうち, NewHorizon (東京書籍)と

Sunshine (開隆堂)は,「アメリカ英語Jをモデルにしており,唯一 NewCrown (三省堂)だけが(25)

「アメリカ英語」と「イギリス英語」を折衷的に使用している。高校教科書でもほぼアメリカ英語

が学習モデルとなっており,中学・高校の教科書とも,発音記号でも米音を記載するか,米音・英

音の両者を併記する場合も米音を先に載せている。(例えば,中学教科書でも「箱」の発音記号は

/baks/と米音が使用されている。)

大学入試センター試験には2006年度より英語の試験にリスニング問題が導入されたが,これまで

録音はすべて「アメリカ英語」(もしくは「北米英語」)を話すスピーカーによってなされており,

米音独特の弱化(reducedforms)や語聞の連続・同化といった音声上の特徴になれていなければ点

数が取れないようになっている。これについては,アメリカ以外の InnerCircle出身の英語教員か

ら不満の声も聞かれる。センタ一入試が高校の英語教育に与える影響の大きさを考えても,「アメリ

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EIL (圃際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 - 23ー

カ英語」中心のテスト構成が持つ意味は大きい。また,その他の検定試験(たとえば英語検定)や

他の入学試験のリスニング問題でも,傾向は同じであると息われる。このようにわが国では,公教

育で使用される検定教科書も,検定試験,入学試験も,ほぽ fアメリカ英語J中心に作成されてお

り,文部科学省も事実上これを容認している。

では実際,中・高の英語科教員は,「アメリカ英語Jと「イギリス英語Jのどちらをより学習モデ

ルとして意識し,授業で、使っているのだろうか。また日本の授業での実態について,大半が Inner

Circle出身者である ALTたちはどのような感想を持っているだろうか。以下では,筆者が奈良県

に勤務する中・高の英語科教員と ALTに対して行った,英語(音声)学習モデルに関する意識調

査の結果について報告し,考察をする。

4-3 英語音声学習モデルに関する中・高英語科教員の意識

日本人英語教員の英語音声学習モデルに対する意識を見る前に,一つ確認しておきたいことがあ

る。それは, ExpandingCircleの英語話者には,どの英語変種の accent(発音・なまり)が理想と

されているかということである。この聞いに関しては, Jenkins(2007)が行った以下の調査が一つ

の尺度になるものと忠われる。 Jenkinsは「ELFaccent attitudes elicited」(pp.147-196)の項で,

オーストリア,ブラジル,中国,フィンランド, ドイツ,ギリシャ,日本,ポーランド,スベイン,

スウェーデン,台湾,カナダで英語を教える fノンネイティプスピーカー」(カナダの場合は一時的

に滞在している「ノンネイティブ」の教員)に対して行った,英語変種の accent(発音・なまり)

に関する意識調査の結果を詳細に報告している。 Jenkinsが回答者に出した事実上最初の質問は,

「あなたが BestEnglish Accentと思うものを 5つ答えなさい」と自由回答させるものであり,調

査に応じた326人のうち, 292人がこの聞いに回答し,結果は以下であった。

Best English Accentとして,一番目に上げられたもの:

1位イギリス英語 167人(回答者比で58.2%,回答者比は筆者の計算による)

2位アメリカ英語 100人(回答者比で34.2%)

3位オーストラリア英語 5人(回答者比で 1.7%)

4位カナダ英語 5人(回答者比で 1.7%)

5位アイルランド英語 4人(回答者比で 1.4%)

他,オランダ英語3人,フランス英語,インド英語,日本英語,スウェーデン英語,各2人

(pp. 156 157)

「BestEnglish AccentJとして 1住に選ばれたイギリス英語が2位の「アメリカ英語」を大きくヲ|

き離しているというこの結果は,大方の日本人の想像と反するものではないだろうか。その後,「Sec-

ond Best English AccentJ,「ThirdBest English Accent」に選ばれた変種についても結果が報告さ

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-24- 外国語教育

れているが,全体の傾向には大きな差がなく.特徴としては,「イギリス英語J,「アメリカ英語jが

回答者の圧倒的多数によって理想的な発音だとされたことと,「イギリス英語J,「アメリカ英語Jと

それ以外の英語変種の聞には大きなギャップがあるということであった。(「SecondBest English

AccentJに挙げられたのは,一位が「アメリカ英語J(98人),二位が「イギリス英語J(92人)であ

り,両者は措抗するものの, 3位は fカナダ英語J(36人)' 4位は「オーストラリア英語J(18人)

と,上位2変種とそれ以下との差は大きい。)

次に,筆者が奈良県に勤務する中・高英語科教員に対して行った調査の結果を見てみよう。筆者

は2003年度から2007年までの 5年間,「『英語が使える日本人jの育成のための行動計画Jの一環と

して実施された,全中・高英語科教員に対する「悉皆研修Jで講師を務める機会を得たが,そのう

ち, 2005年度, 2006年度, 2007年度の研修の場において,直接参加者に対面して調査を行った。こ

こでは調査の結果の一部のみを使うが,本来の調査項目は中・高教員の発音指導に対する総括的な

意識と状況を明らかにするためのもので,全体の結果については「日本の英語教育環境における理

想的な発音指導のあり方」を考察する別の機会に使用したい。また,以下で報告する ALTたちに

行った調査と合わせるために,ここでは2005年と2006年のデータのみについて報告する。

|英語音声学習モデルに関する中・高英語科教員への意識調査:全回答者数 209人 j

性別~ (男87人,女125人) 校種(中学123人,高校86人)

勤務年数( 5年未満17人, 10年未満 1人, 20年未満81人, 30年未満87人, 30年以上5人)

(間い 5. と6.以外の調査項目については Appendixを参照のこと)

5. あなたは発音指導や音読指導のとき,どのような英語の varietyを使用していますか。

ア アメリカ英語,もしくはどちらかといえばアメリカ英語に近い発音。

イ イギリス英語,もしくはどちらかといえばイギリス英語に近い発音。

ウ 意図的に(単語などによって),アメリカ英語とイギリス英語を使い分けている。

エ 英語の varietyについて,ほとんど意識したことがない。

オその他

聞い 5.九の阻害:l自主主者数 209人

アアメリカ 英語: 144人,回答者比 68.9%(中学92人 74.8%,高校52人 60.5%)

イ イギリス英語: 6人,回答者比 2.9% (中学 3人 2.4%,高校 3人 2.4%)

ウ使い分けている: 13人,回答者比 6.2%(中学 7人 5.7%,高校 6人 7.0%)

ヱ意識したことなし: 39人,回答者比 18.7% (中学16人 13.0%,高校23人 26.7%)

オ そ σ〉 他: 7人,回答者比 3.3% (中学 5人 4.1%,高校 2人 2.3%)

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 ー 25ー

まずデータについては,中・高別に分析をしたが,際立つた特徴はなかった。問い 5. で「アメ

リカ英語Jと答えた教員は中学の方が10数ノf一セントほど多く,その分「意識したことなしJを選

んだ高校の教員が10数パーセントほど多かった程度である。回答者たちには意図して本人の年齢で

はなく勤務年数を聞いたが,勤務年数への回答を見れば分かるように,教員歴が5年未満, 10年未

満の教員は極端に少なく, 20年未満81人, 30年未満87人, 30年以上5人といぴつな構成となってお

り,年齢的には,若くても30歳代半ばから,大半は40歳代と50歳代の教員が中心を占めていること

が分かる。結果を教員歴別に抽出して分析を試みたが,ここでも際立つた特徴はなかった。

この結果から明らかになったことは,日本人英語教員の圧倒的多数が,「アメリカ英語Jを英語発

音指導の学習モデルに選んでいることである。 Jenkinsの世界的な規模での調査では,回答者に「優

れた発音Jと認識する変種を聞いているので, Jenkinsの調査結果とこの調査結果は直接の比較対象

にはならない。もし回答者に「どの変種を使うべきだと思うかJと聞けば,それは回答者の価値観

を問うことになるので,違った結果になっていたと思われる。しかしそれは別にして,この結果か

ら見る限り,中・高の英語科教員には英語音声学習モデルとして「アメリカ英語Jがほぼ独占的に

使用されていると言える。「アメリカ英語Jと答えた者が144人,「イギリス英語Jと答えた者が6人,

という大差がついた。次に注目すべきは,「エ 英語の varietyについて,ほとんど意識したことが

ないJと回答した教員が39人もいて,全回答者の約 2割にのぽることである。(中学の教員中では

13.0%,高校の教員中では26.7%)これほどの数の英語を教える教員が,きわめて明確で、身近で、あ

るはずの英語の 2変種の違いを意識していないということは驚きであった。この結果を見てもやは

り,多くの英語教員には EILに関する議論が周知・理解されているとは考えにくい。

次に,問い 6. の結果を見るが,この間いでは英語発音指導に関して今日的な課題を 4つ例に挙

げて(Appendix参照),自由記述を求めた。コメントは全回答者209人中43人から寄せられたが,「国

際語としての英語Jに関するものは 8編のみであり,そのうち「国際語としての英語Jを一応支持

していると思われる記述は4編であった。(詳しくは Appendix1.問い 6.記述回答Jを参照のこと。)

4 -4 日本の教室で使用される英語発音モデルに対する ALTたちの意識

次に,筆者が奈良県の中・高(一部は教育委員会)で働く ALTたち111人に対して行った, 日本

の教室での英語発音モデルの実態に対する意識調査の結果を見る。筆者は1998年度から2006年度ま

での 9年間,奈良県国際課の依頼を受け,毎年8月に開催される ALTへの研修会で「日本の人権

問題と人権教育Jについての講座を担当した。毎回その際に人権問題に関する意識調査を行ったが,

2005年度と2006年度の研修では以下の二つの項目を調査内容に加えた。(実際の問い 5. と6,の質

問内容については Appendix2.を参照のこと。)

|英語音声学習モデルの実態に関する ALTへの意識調査:全回答者数 111人 l

国籍: アメリカ 62人(初年度 ALT29人,着任2年目, 3年目 ALT33人)

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- 26ー 外国語教育

イギリス 22人(初年度 ALT11人,着任2年目, 3年目 ALT11人)

その他 27人(初年度 ALT15人,着任2年目, 3年目 ALT12人)

他の国籍は,カナダ 8人(初年度 ALT5人,着任2年目, 3年目 ALT3人)

オーストラリア 6人(初年度 ALT2人,着任2年目, 3年目 ALT4人)

ニュージーランド 6人(初年度 ALT3人,着任2年目, 3年目 ALT3人)

アイルランド 2人(初年度 ALT1人,着任2年目, 3年目 ALT 1人)

ノルウェー 2人(初年度 ALT1人,着任2年目, 3年目 ALT 1人)

南アフリカ

スウェーデン

2人(初年度 ALT2人)

1人(初年度 ALT1人)

問い 5:あなたは日本の教室で英語を教える際に最も使われている英語変種は何だと思いますか。

以下からえらんでください。

a. アメリカ英語(GA) b. イギリス英語(RP) C. その他

問い 5. の結果:

全回答者の結果 (回答者数 111人)

a_アメリカ英語(GA)

b. イギリス英語(RP)

C. その他

アメリカ人の回答(回答者数 62人)

a アメリカ英語(GA)

b. イギリス英語(RP)

C. その他

イギリス人の回答(回答者数 22人)

a アメリカ英語(GA)

b. イギリス英語(RP)

C. その他

英米人以外の回答(回答者数 27人)

a アメリカ英語(GA)

b. イギリス英語(RP)

c_その他

103人(全回答者比 92.8%)

3人(全回答者比 2.7%)

5人(全回答者比 4.5%)

56人(回答者比 90.3%)

2人(回答者比 3.2%)

4人(回答者比 6.5%)

22人(回答者比 100%)

0人(回答者比 0%)

O人(回答者比 0%)

25人(回答者比 92.6%)

1人(回答者比 3.7%)

1人(回答者比 3.7%)

問い 6:あなたは日本の英語教育ではどの英語変種が教えられるべきだと思いますか。コメントを

歓迎します。

a. アメリカ英語(GA) b. イギリス英語(RP) C. その他

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 - 27 -

間い 6. の結果:

全回答者の結果 (回答者数 111人)

a アメリカ英語(GA) 10人(全回答者比 9.0%)

b. イギリス英語(RP) 9人(全凹答者比 8.1%)

C •その他 92人(全回答者比 82.9%)

アメリカ人の回答(回答者数 62人)

a アメリカ英語(GA) 7人(回答者比 11.3%)

b. イギリス英語(RP) 3人(回答者比 4.8%)

C. その他 52人(回答者比 83.9%)

イギリス人の回答(回答者数 22人)

a アメリカ英語(GA) I人(回答者比 4.6%)

b. イギリス英語(RP) 3人(回答者比 13.6%)

c. その他 18人(回答者比 81. 8%)

英米人以外の回答(回答者数 27人)

a アメリカ英語(GA) 2人(回答者比 7.4%)

b. イギリス英語(RP) 3人(回答者比 11.1%)

C その他 22人(凪答者比 81.5%)

この調査を実施した ALTへの研修会は毎年8月末に聞かれ,初年度 ALTは7月に日本に赴任

し初任者研修を受けている最中である。つまり,彼ら・彼女らの日本滞在期間は短く,日本での勤

務が2年目もしくは 3年目の ALT(ALTの任期は原則,最長 3年まで)とは体験が異なる。しか

し,ほぼすべての項目の結果に際立つた差は見られなかった。

聞い 5. への回答では,まず会回答者(lll人)の大半である103人(92.8%)が,日本の英語教

育では「アメリカ英語」が採用されていると答えている。またこの回答に対しては,出身地別の差

もほとんど見られなかった(アメリカ人90.3%,イギ 1)ス人100%,その他の国籍92.6%)。これは,

上記の1i1・高英語科教員への調査結果と合致しており,日本人教員も ALTも, 日本で使用されて

いる英語発音モデルは圧倒的に「アメリカ英語」中心だと認識していることが分かる。

次に,問い6. の,「日本で教えられるべき英語変種」に関する回答を見る。この結果からは,日

本の英語教育で使用されている学習モデルとその状況に対する ALTたちの意識が良く窺える。全

凶答者111人のうち, 92人(令回答者比82.9%)がモデルとすべき変種に「その他」を選んで、おり,

国籍別に見てもほぼ同等の数値が出ている(アメ 1)カ人の83.9%,イギリス人の81.8%,その他の

国籍の81.5%)。また回答者の大半が「学ぶべき英語変種」の具体例を挙げているが,その内容につ

いても全体,国籍別に大きな速いはない。記述内脊の大半は,「両方j,「どちらでもいいj,「どれで

もかまわないJ, もしくはそれらに近い回答であった。ただし,「学ぶべき英語変種Jとして「アメ

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-28- 外国語教育

リカ英語Jと「イギリス英語」を選んだ回答者の数値は,国籍によって若干の異なりを見せている。

「アメリカ英語」と答えたのは,全回答者数111人中10人(9.0%)だったが,そう答えたアメリカ

人は 7人(全アメリカ人の11.3%),イギリス人は 1人(全イギリス人の4.6%),その他の国籍では

2人(その他の国籍の7.4%)だった。また「イギリス英語」と答えたのは,全回答者数中 9人(8.1%)

fごったが,そう答えたアメリカ人は 3人(全アメリカ人の4.8%),イギリス人は 3人(全イギリス

人の13.6%),その他の国籍では 3人(その他の国籍の11.1%)だった。つまりアメリカ人とイギリ

ス人のデータが対照的であり,「アメリカ英語Jを選んだアメリカ人の率と「イギリス英語」を選ん

だイギリス人の率がほぽ同じとなっており,その他の国籍の ALTはほぽ同じ率でアメリカ英語と

イギリス英語を選んで、いる。

次に問い 6. に対して自由記述されたコメントを見てし...く。驚いたことに,全回答者の半数以上

が何らかのコメントを寄せており,中には長文にわたる記述もあり,意識の高さを窺わせた。(詳し

くは「Appendix2.記述回答例(特徴的なもの,重要と思われるもの, 18編)」を参照)コメントは

その内容から二つに分けられる。一つは,「日本で教えられるべき英語変種」に対する自己の回答に

つけられていた説明もしくは理由(Appendixコメント 1)であり,二つ目は,英語変種に関する自

己の価値観を記したもの(Appendixコメント 2)である。

問い 6.で「 C. その他」を選んだ理由として書かれた多数の記述,;i,“Doesn’tmatter. English

is English. As long as it is understandable, the Japanese can and should cultivate their own

dialect.”(回答 1.アメリカ人)に代表されるように,「どれでもいい」,「理解できればいいJ,「ミッ

クされたものJ,「アメリカ英語,イギリス英語だけにこだわらない」などが圧倒的に多かった。な

お「a.アメリカ英語Jを選んだ理由として記述があったのは 3つ(回答6. 7. 8.)だ、けだ、った。

そのうち二つは「アメリカ英語がもっともグローパルだと聞いた」(回答6.アメリカ人),「残念な

がら,アメリカ英語のほうがよりインターナショナル」(回答7.アメリカ人)と謙虚な記述である

が,「アメリカ英語は事実上の世界基準だ」(回答8. アメリカ人)と断定している意見は一つだけ

であった。もちろんアメリカ人 ALTの側に遠慮があるのかもしれず,これだけでは「アメリカ英

語Jを選んだアメリカ人 7人の本音までは窺えなし" o「b.イギリス英語」を選んだ理由についても,

明確な記述は少なかった。

ただし,次の「コメント 2 (自己の価値観に関するもの)」に多くあった,「なぜ日本ではアメリ

カ英語ばかり教えるのか」という記述は,アメリカ以外から来た ALTたちから多数寄せられてい

た(回答9.~13.を参照)。同等の記述は全体で20編あった。 ALTとして少数派のスウェーデンと

ノルウェー(Outer Circleに近い国々)から来た ALT二人が,日本の英語教育のアメリカ英語偏

重を指摘しており(回答10.12.),スウェーデン人 ALTは「イギリス英語のほうを好む」と答え

るなど,ヨーロッパで、のイギリス英語に対する人気を窺わせる。また,明らかに「アメリカ英語」

を使うように求められたことを不快に感じているイギリス人の記述(回答13.)もあり,また一見ア

メリカ英語の使用に寛容的なコメントに思われるが,あくまで「アメリカ英語」だけを「標準的で

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 - 29一

正しいものと教えないでほしい」との強いメッセージが読み取れるものもあった(回答14. ニュー

ジーランド人)。さらに,「アメリカ英語J,「イギリス英語Jだけにとどまらない,世界の様々な英

語変種,例えば「アフリカの英語J,「インドの英語Jなどにも,ぜひ学習者の意識を広げてほしい

とのメッセージ(回答14.~17.)もあり,実に興味深い。その中には,「世界にはアメリカ,イギリ

スの英語と両国の文化以上の多様性があるんですよ。J(回答17.)という,南アフリカ出身の ALT

の意地が感じられる記述もあった。最後に,アメリカ人 ALTからも,「たとえ同じ国の中にも英語

には多様性があることを考えれば,英語教育で扱う対象を一つの国に限定してしまうことは,日本

の生徒が英語でコミュニケーションをする能力をとても狭めてしまうことになる。」(回答18.)な

どの,英語変種に対する極めて公正な視点を持つ意見が寄せられていたことも紹介しておきたい。

5.二つの提案-EILをもとにした英語教育の構築を目指して

5 -1 日本人教員と ALTに対して行った調査の結果をもとに

日本人教員と ALTに対して行った二つの調査から垣間見えたことは,当然予想されたことであ

るが,日本の英語教育では「アメリカ英語Jが英語音声学習モデルとしてほぽ独占的に使用されて

いるということであった。次に二つの調査の結果が教えてくれたことは,日本人教員と ALTの聞

には,英語変種に対する意識において極めて大きな差があるということであった。日本人教員から

は,使用している学習モデルが偏っているという自覚がほとんど感じられなかった。それは寄せら

れたコメントの数と内容からも明らかである。つまり,「国際語としての英語Jを支持するコメント

は, 4編しかなかった。それどころか,中学教員の13.0%と高校教員の26.7%が,「英語の variety

について,ほとんど意識したことがない」と答えており,英語変種自体への意識のなさを示した。

それに対して, ALTたちは,「使用すべき英語変種」に対してほとんどの者が「こだわらない」と

答え,次にその半数以上が英語変種に関する何らかの自らの意見を寄せてきた。

ALTが書いたコメントから分かることは,「アメリカ英語」の優位性を信じる数名のアメリカ人

を除き,どの国籍の ALTにも,たとえそれが「アメリカ英語」であろうが「イギリス英語Jであ

ろうが,学習モデルとしての英語変種にはこだわらないという姿勢である。次に顕著なことは,多

くの ALTが日本の英語教育ではアメリカ英語に対する傾斜が強すぎると感じていることである。

このような記述は,特にアメリカ人以外の ALTたちから多く寄せられた。第 3の特徴としては,

英語には様々な変種と文化の多様性があり,多くの ALTが日本の学習者にもこれらの多様性につ

いて学んでほしいと願っていることである。これらのことから, EILや WorldEnglishesの持つ意

義は, 日本人教員よりも「ネイティブスピーカー」を中心とする ALTたちに,より理解されてい

るものと推測される。

2つの調査の結果から感じたことは,やはりわが国の英語教育のどこか偏ったあり方である。そ

れは,たとえ独占的に使用されている英語学習モデルが,「アメリカ英語」でなくて「イギリス英語J

fごったとしても変わらない。前述したように,日本のような英語学習環境では独自の英語変種が育

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- 30ー 外国語教育

つことはまずあり得ない。であれば「ネイティブスピーカーの英語J,それも「アメリカ英語」か「イ

ギリス英語」のどちらかを音声学習モデルとして選ばざるを得ない。ただ問題は,その裏にある意

識であり,学習モデルに対する姿勢である。最後に,本稿を終えるにあたり, EILの視点からわが

国の英語教育に対する提案を二つ述べておきたい。

5-2 提案 1.EILとWorldEnglishesの視点を持った英語教育への転換を!

EIL (ELF)が実体を持った言語としてわが国の英語教育における英語学習モデルになり得るか

に対する答えは,これまで見てきたように,現在のところ否定的である。それに対して JanSvartvik

and Geoffrey Leech (2006: 234)は以下のように述べている。

It will be a log time before this conception of ELF gains general acceptance, if it ever

does. But a start has already been made on a project of studying implications for the

future samples and describing their regularities, with interesting implications for the future

of learning English. Yet it will take a long time to overcome the weight of tradition

favouring the teaching and testing of English using standard native-speaker norms.

(下線は筆者による)

つまり,将来的に ELF(EIL)が言語としての規則性を持つ潜在性は認めているものの,それが一般

的に認知されるのには時間がかかるだろう,また教員が規範としての「ネイティブスピーカーの英

語」を好むという伝統を乗り越えるにも,かなりの時間を要するだろう,ということである。

しかし,たとえ EILが実態のある英語学習のモデルとなり得なくても,多くの研究者が認めてい

るように, EILは大切な概念であり理想である。「ノンネイティプスピーカー」が ESL/EFLとして

「ネイティブスピーカーの英語」を学ぶことは,英米の文化について学ぶことも意味している。そ

してそこには,常に文化的な支配・被支配の問題が付随している。この問題は,学習モデルを「ア

メリカ英語」にしようが「イギリス英語」にしようが,避けることはできない。その点,確かに実

態の定まらない EILではあるが,前述した Mufweneや矢野が考えるように, EILを「どの変種を

話す話者にも理解・使用される様々な変種の緩やかな連合体」だと捉えるなら,単一のモデルに拠

らない発音や特定の文化に拠らない表現などの領域では,日本の英語教育に即した選択可能な連合

体としての日本版 EILの構築は可能で、はないだろうか。特に発音に関しては,提案 2. として以下

に試案を提示したい。

World Englishesの観点からは,前記したように,わが国独自の英語変種が確立される可能性は,

現時点では極めて低いと考えるが,ここでも理念の問題としての WorldEnglishesの持つ意義は大

きいと考える。英語が OuterCircleや ExpandingCircleに拡散するにつれ,「ネイティブス

ピーカーの英語」ではないそれぞれの英語のアイデンティティの確立が,英語を使う人々によって

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 ー 31ー

進められている。今,世界の言語教育の流れは, EU諸国やアメリカも含めて,多言語主義に移行し

ている。わが国の英語教育でも,英語を相対化し,日本語を含めたすべての言語に対する尊重の気

持ちを育むことは可能であり,そのための議論は十分蓄積されてきたと考える。今,わが国に求め

られているのは,確かな言語観を育成する英語教育ではないだろうか。そのためには,例えば森住

たちが提起してきたように,英語教科書に WorldEnglishesに関わる教材を常に準備し,教員は必

要に応じて世界の様々な英語変種に言及し,英語(言語)には優れた変種も劣った変種もないこと

を生徒たちに伝えることではないだろうか。また Brown(1995: 233-235)が提案しているように,

World Englishesの視点を教員養成のフ。ログラムにしっかり組み込むことも一つの方策だろう。こ

のことはまた,英語学習モデルに対する偏った姿勢を持つわが国の英語教育にとって,特に必要な

ことだと思われる。

5 -3 提案 2. 「日本版 EILJをもとにした,ハイブリッドな英語音声学習モデルの構築を!

日本にはまだ圏内的共通言語となった nati vised English,は存在しない。よって,WorldEnglishes

のーっとしての「日本英語Jがない限り,それにもとづいた英語音声学習のモデルはない。「カタカ

ナ発音でいいじゃないか」という極論もあるが,それでは音素の面でも音韻の面でも intelligibility

は確保できない。では EILをもとにした音声学習モデルの方向性はどうだろうか。これも,現在の

ところ,すべての国や地域に適合した,英語音声学習モデルとなるべき EIL(EFL)としての必須要

素(LFC)については,合意がない。そのため,発音面の学習では「ネイティブスピーカーの英語」

を基準点とするしかないであろう。しかし「アメリカ英語」と「イギリス英語Jのどちらか片方に

準拠するのではなく,絶えず両者の違いに言及し,発音を通じて言語の多様性とことばを学ぶこと

の楽しさを生徒たちに伝えたいものである。また時には他の変種の音声も教材として使えれば,さ

らに生徒たちの意識を一つの変種に限定することを避けられるだろう。また日本語話者である学習

者にとって学ぴやすいモデル,それも生徒が個々の項目から選択ができるような緩やかなモデルを

構築することが必要で、あり,それがひいては, Jenkinsの研究を受け継ぎ,「日本版 EILJをもとに

した英語学習モデルの構築につながっていくものと考えている。

Jenkinsが提起した LFCは,主に OuterCircleの英語変種聞の intelligibilityに関する研究から

生まれているため,我が国の英語学習状況には不十分な,また不適切な点が多い。そのため Jenkins

の LFCを参考にして,日本の学習環境に適した,「アメリカ英語」と「イギリス英語」の両者の利

点に準拠した,緩やかで、ハイブリッドな英語音声モデルを構築することが必要だと考える。例えば,

個々の音素の指導では,日本語話者が「/詑/一/A/」(bad-bud, track -truckなどのミニマルペア

における 2つの音素)を識別するうえでは,米音の/re/のほうが英音よりも発音時により緊張を伴

う(より tenseである)ため,有利で、あるだろう。また,英音では/;〉ん米音では/a/を使う語,

例えば, hQt,bQX, f QX, b旦dy等では,英音の/コ/に近い日本語の/オ/を代用することが多い日本語

話者に,無理に /alを使わせる必要はないと考える。また Jenkinsは,「h呈_rd-h盟主d」の英音であ

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- 32ー 外国語教育

る/a:/一/a:/よりも,米音の/or//ar /のほうが正書法的に理解しやすいという理由で米音を採

用しているが,日本語話者にとっては米音の post-vocalic/ r /の発音は容易で、はなしまた英語は

正書法的にはもともと全般的に崩れている言語なので,この程度の「発音とスペルの一致」はたい

した助けにはならない。であれば,日本人話者には英音の/a:/一/a:/のほうが発音しやすいと考え

る。ただしこれらについても,「こちらのほうが望ましいJ程度の提示しかできないだろうし,その

ためには,やはり学習者に標準的な米音と英音の違いについて指導することは,ある程度しかたが

ないと考える。

次に音韻的な要素でも,日本では学習モデルとして「ネイティブスピーカーの英語Jを使用せざ

るを得ないであろう。日本語からの転移である「音節リズム(syllable-timedrhythm) Jで英語を発

音しては,教材の聞き取りや ALTとのコミュニケーションが阻害される。従って, Jenkinsとは異

なるが,音韻的には英語本来の特徴である「強勢リズム(stress-timedrhythm) J,語聞の連結

Oinking),同化(assimilation)などは指導せざるを得ないと考える。このように,日本語話者の

音声特徴に合わせた,より学ぴやすく教えやすい日本独自の指導モデルを作成すべきだと考える。

今後は,我が国の英語学習環境に合った,緩やかで、ハイブリッドな「英語音声学習モテツレ」のあり

方を模索していきたい。

|緩キかで人イう・リッドな英語発音学習モデルの一例!

1. Segmental Soundsに関するモデル * /re/は米音が,英音の/re/より三乏ニ。

*/コ/と /alでは,英音の/コ/が三之二。

*英音の Ia:/-/a:/が米音の/or/一/ar/より三之ニ。

2 . Suprasegmental Features *「強勢リズムJ,語聞の連結,同化等は指導すことが望主Lと。

発音は,自らのアイデンティティを示す重要な要素の一つである。月並みな表現で恐縮だが,た

かが発音,されど発音である。「ネイティブスピーカーの英語Jをモデルとしながらも,一つの発音

(accent)に偏ることのない音声指導のフレームワーク作りが必要で、はないだろうか。またそのこと

が,「日本版 EILJにつながっていくものと考えている。

まとめにかえて

これまで見てきたように EILや WorldEnglishesをめぐっては,英語教育の研究者の間でも実

に様々な意識が存在する。 EILや WorldEnglishesに対する姿勢は大きく分かれ,一部の研究者を

除いて, EILや WorldEnglisesを学習モデルとすることは支持されていない。また英語教育関係の

学会でも, EILや WorldEnglishesの扱いは「理念」としての域を出ていないように思える。さら

に中・高の英語教員の間では, EILや WorldEnglishesの認知度はさらに低く,一般社会では周知す

らされていないのが現状ではないだろうか。しかし,英語がますます「国際的共通語」となってい

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 -33-

る現在, EIL/World Englishesの視点から英語教育のあり方を考えることの意義は,いっそう重要

になっていくものと考えている。

World Englishesの観点から,わが国で国内的に使用される nativisedlocal varietyとしての「日

本英語」がただちに誕生する可能性は薄い。しかし英語教育を通じて WorldEnglishesについて学

ぴ,世界中のすべての英語変種を尊重する姿勢を身につけることは,これからの国際社会に生きて

く人々にとって有益で必要なことではないだろうか。そして WorldEnglishes以上に,わが国の英

語教育にとって求められるのは, EILを視点とした新しい学習モデルの構築だと考えている。今後,

この分野での研究が進むことを期待している。

英語教育に限らず,何事にも完全に中立であることはむつかしい。しかし筆者には,わが国の英

語教育には音声指導モデル以外にも,偏った指向が少なからずあると考えている。例えば,ビジネ

スモデルを中心に構成されている TOEICが,単なる ESPのー領域であることを超えて,あたかも

学習者の英語運用能力全体が測定できる万能の試験のごとく学校教育で偏重されていることも,そ

の一つではないだろうか。現在,国際社会には,山積する政治的,経済的,社会的な諸問題への反

省から,これまでの一元的な価値観を改め,「違い」を寛容し,多様な価値観を認め,多文化との共

生の道を模索することが求められていると言える。いまだ理念の域を出ない EILではあるが,今後

わが国の英語教育がその意義と可能’性を探っていくことは,多様性尊重の精神に立脚し,自立した

言語政策と言語教育を構築する一助になると,強く信じている。

2王

(1) 本稿では「ネイティブスピーカーJという用語を,「英語を第一言語として使用するイギリス,アメ

リカ,オーストラリア等の人々」,つまり InnerCircle (本稿では 1-2に初出)に属する人々とい

う意味で便宜的に用いている。(また EILや WorldEnglishesの研究分野でも同様の意味で用いら

れることが多い。)ただし, InnerCircle内の英語使用者だけでなく InnerCircle外の英語使用者の

状況の多様化により,言語学的に誰をもって「ネイティブスピーカー」とするかはきわめて暖昧で

ある。これについては,本稿 1-3で補足説明をする。

( 2 ) 上記の「ネイティプスピーカ-」という用語と同様に,同一地域内での英語変種の多様性から,「ア

メリカ英語」「イギリス英語」等の表現も言語学的に正確ではない。しかしそれらがあえて EILや

World Englishesの研究分野で用いられている理由についても,本稿lー3で補足説明をする。

( 3 ) 本稿は, 2006年1月14日(土)に行われた「第 7回天理大学英語教育研究会」(兼,関西英語教育学

会(KELES)奈良地区セミナー, NaraJALTセミナー)での中井による発表:「NETsand

NNETs -Do they speak the same“Ian思1age”?」をもとに加筆したものである。

( 4) ALTとは,厳密には JETプログラム(「語学指導等を行う外国青年招致事業」, TheJapan

Exchange and Teaching Programmeの略)により,主に英語を第一言語として使用する国や地域

から日本に招聴きれ,小・中・高の教育現場などで英語を教える AssistantLanguage Teacher (英

語指導助手)のことである。 JETプログラムは,地方公共団体が総務省,外務省,文部科学省及び

財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力のもとに実施している。

( 5 ) 文部科学省(2002)「「英語が使える日本人Jの育成のための戦略構想一一英語力・国語力増進プラ

ン」中の「主な政策課題」と「主要な施策」を参照。

( 6) Kachru, B. B. (1985). Standards, codification, and sociolinguistic realism: The English language

in the outer circle. In R. Quirk, & H. Widdowson (Eds.), E昭 lishin tル world.:η'achingand

learning the langi«ぬ~e and literatures. Cambridge: Cambridge University Press.と Strevens,P.

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-34- 外 国 語教育

(1992). English as an International Language: Directions in the 1990s. In B. B. Kachru (Ed.),

The other tongue: Englishe across cultures (2nd ed., pp. 25-47). Urbana: University of Illinois Pre-

ss.ただfしStrevensの初出は EnglishTeaching Forum, October 1987による。

( 7 ) 大石俊一(1990)『英語イデオロギーを問う』開文社出版および,(1993)「「英語支配」終罵にむけ

ての個人的感想一一イデオロギー批判とユートピア思考一一」『英語支配への異論』津田幸男(編),

第三書館, pp.69-118を参照。

( 8 ) 津田幸男 (1990)『英語支配の構造J第三書館,(1993)『英語支配への異論JI第三書館, (1996)『英

語支配と言葉の平等一一英語が世界標準語でいいのか?』慶応大学出版会を参照。

( 9 ) 筆者は,森住衛を主管とする,三省堂,高校英語教科書,『Exceedシリーズ(英語I,英語II, Reading,

Writing) JI (2002~現在)の執筆委員の一人であるが,本教科書では「人間教育」を目標にして,題

材中心主義をとり,「ことば」に対する感性を磨く教材,人間教育(人権教育)に資する教材,異文

化理解教育に資する教材にこだわった編集をしている。

(10) 2003年9月,仙台市,東北学院大学にて開催。

(11) 2004年9月,名古屋市,中京大学にて開催。

(12) 2008年9月,東京,早稲田大学にて開催。

(13) 2008年11月,東京,オリンピック記念青少年会館にて開催。

(14) Hollidayは“Similarly,Chris, a British ESOL educator with extensive international experience,

wonders if‘this [Jenkins' idea] is something that native speakers have thought up to make

ourselves feel less “guilty…,と述べている。

(15) 正確には,“Formost of us, the obvious choice is between British and U.S. English, which does

not rule out familiarity with other native and non-native varieties and tolerance toward non-

standard norms.”(pp. 185-186)と述べている。

(16) 鈴木孝夫は,かねてより英語はもはや世界的なコミュニケーションの道具に過ぎないとし,例えば

その著書,『英語はいらないJI (2001),『日本人はなぜ英語ができないかJ] (2006)で日本独自の英語

である「Englic」を使用し,日本人が英語を使う際のカタカナ発音の容認することなどを提起してい

る。

(17) 前掲の鈴木孝夫による「Englic」構想では,国際会議などでのイデオム(英米文化から派生した表現)

の禁止を提起している。

(18) 2007年度, ALT4,404人の国籍は,対 ALT比で上位から,アメリカ61.3%,カナダ13.4%,イギリ

ス12.6%,オーストラリア0.6%,ニュージーランド0.5%,アイルランド0.2%(以下,省略) (JET

Programmeホームページ[URL:http://jetprogramme.org/ e/ introduction/]をもとにした,拝田清

が2008年9月, JACET大会で使用した発表資料による。)

(19) 矢野の意見は,大会で配布された資料には,“EILis not a single, monolithic standard English but

a loose league of varieties of English which are used and understood by the educators and

speakers of any varieties, both native and nonnative speakers.”とある。

(20) The Phonology of English as an International Lang;似事e.(Jenkins, 2000: p. 95)では, Lin思la

Franca Coreについて,“Somesort of international core for phonological intelligibility: a set of

unifying features which, at the very least, has the potential to guarantee that pronunciation will

not impede successful communication in EIL settings.”と説明している。

(21) English as a Lingua Franca: Attitude and ldentiか.(Jenkins, 2007: 23-24)を基に, WorldEnglishes:

A resource book for students. (Jenkins, 2003: pp. 126-127)の記述を加えて, 日本語でまとめた。

(22) Kirkpatrick (2008: 13)は“Thequestion then need to be asked, Why tηy and make As必nand

Africanゆeakersof English adoρt syllable-timing? Might it not make more sense to encourage

them to retain their syllable-timing, given that it does not affect their international intel-

ligibility, and may even enhance it.”と述べている。

(23) Jenkins (2000: 225-226)は“itis not appropriate to regard RP or GA as a norm against which

L2 pronunciation is judged (and inevitably found wanting), but agreed that they can provide

useful classroom models or‘point of reference' to prevent learner accents from diverging too

far in different directions.”と述べている。

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育 -35-

(24) Strevenの記述は以下である。“TheBritish-American differentiation is of particular con・

sequence, since every subsequent form of English has affinities with one of the main branches,

BE or AE, rather than the other. In practice this means that English in Canada, Puerto Rico,

the Philippines, and American Samoa is recognizably related to American English; all other NS

and NNS varieties are recognizably related to British English, in this derivational and

linguistic sense.”

(25) 発音表記では, NewHorizon, Sunshineは米音を基準とした発音記号に統一しているが, NewCrown

では英音・米音を折衷的に使用している。例えばla/とIJ/では,米音の /alを優先し, body

[badi]のように表記しているが,逆に米音の postvocalic/ r /は一切使用せず,英音の Ia:/, I θ=I や h:/を米音の/or/,/dr/, I訂/に優先きせ, farm[fa:m], world [wd:ld], before [bib:]の

ように/r/をつけずに表記している。

References

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(文部科学省検定,高校英語教科書)三省堂

文部省告示,中学校・高校新指導要領(中学1998年発表,高校: 1999年発表)

文部省告示,中学校新指導要領(2008年発表)

山田雄一郎(2005)『日本の英語教育J岩波新書943 岩波書店

Appendix

1. 中・高英語科教員へのアンケート

発音指導について調査しています。アンケートにご協力ください。

あなたについて:所属は(中学・高校) 性別は(男・女)

教員歴は:( 5年未満・ 10年未満・ 20年未満・ 30年未満・ 30年以上)

(該当する項目にoをつけてください。「その他」の場合は,良ければ内容をご記入ください。)

1.あなたは自分の英語音声に関する知識と指導技術に自身がありますか。

アかなりある イ あるほうだウ まあまああるエあまりなないオ まったくない

2. あなたは授業を通じて,どのように発音(個々の単語の発音)をしていますか。

(以降,問 2から問 4まで,選択肢は紙面の関係で割愛する)

3. あなたは発音を教える際に,発音記号について指導していますか。

4. あなたはイントネーション(stress,pitch, rhythmなど)をどのように指導していますか。

5. あなたは発音指導や音読指導のとき,どのような英語の varietyを使用していますか。

ア アメリカ英語,もしくはどちらかといえばアメリカ英語に近い発音。

イ イギリス英語,もしくはどちらかといえばイギリス英語に近い発音。

ウ 意図的に(単語などによって),アメリカ英語とイギリス英語を使い分けている。

エ 英語の varietyについて,ほとんど意識したことがない。

オそ の他

6.発音指導について,何かご意見がありましたらお書きください。例えば,

*これから日本人が話す「国際語としての英語」の発音確立について

*小学校への英語教育導入によって,今後中・高に求められる発音指導について

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- 38ー 外 国語教育

*発音記号を教えることの是非について

*発音(個々の音素)指導とイントネーション(韻律)指導の優先)I鼠について

*その他

川三三言せられた「国際英語」に関する全記述回答, 8編 i

(中学)

1. 「私は,教える英語は JapaneseEnglishでいいんじゃないかと思う。」

2.「やはり発音では CommunicativeCompetenceが大切。通じなければいけないので,カタカナ発音

はだめ。」

3. 「東南アジアの人々程度の実用的な発音を目指すべきだと思う。」

(高校)

4. 「国際語としての英語では日本語的な発音が許されるかもしれないが,生徒はそれ以前の問題とし

て,友だちの日を気にしてカタカナ発音に執着し英語らしく発音しようとしない。」

5.「私の学校では ALTは一人がニューヨークなまり,もう一人がイギリスなまり。英米以外の国の姉

妹校からの生徒が来ることもあり,生徒には「通じればL' い」という意識が強い。」

6. 「WorldEnglishesに関して,ネイティブ自身が意識を変えられるかが問題。J

7. 「インド英語,シンガポール英語があるように,ネイティブの英語に神経質になるのはよくない。」

8. 「やはり発音は米語でいい。教材化しやすい。」

2. ALTへのアンケート

Questionnaire (Please circle the item or write comments)

This is your (first/ second/ third) year in Japan as an ALT.

Your Nationality: ( ) Male/ Female

(問 1~問 4は,人権問題に対する認識などについてのものであるため,割愛する。)

5) Wbat do you think is the most commonly taught English variety in Japan? (Comments are

welcome.)

a. American English (GA) b. British English (RP) c. Other

6) "''bat variety of English should we teach in Japan? (Comments are welcome.)

a. American English (GA) b. British English (RP) c. Others

I Comments (記述回答例:特徴的なもの,重要と忠われるものゴ扇町

コメント 1(問い 6. の英語変種を選んだ理由)

f C,その他」を選んだ理由・

1. Dゅesn’tmatter. English is English. As long as it is understandable, the Japanese can and should

cultivate their own dialぽ t.(国籍:アメリカ, ALT歴: 2年目)

2 . All varieties should be taught for better understanding and involvement of cultures. (アメリカ, 1

年目)

3. There should be a mixture of accents and dialects. Not solely based on American or British, as

more counties speak English. (イギリス, 2年目)

4. Usable English, the kids need to be taught that生息XEnglish is good as long as th巴yare

understood. (アメリカ, 2年日)

5. I think that both American and British (along with other types of) English should be taught. (ア

イルランド, 2年目)

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EIL (国際語としての英語)をめぐる議論と英語教育

「a. アメリカ英語」を選んだ理由:

- 39ー

6. Only because I was told that American English has a special status as the “most”universal/

global. (アメリカ,初年度)

7. Unfortunately, I believe American English is becoming more universal than British, through films,

politics, and international business. Thus, perhaps American English might be more professionally

useful to students in their adult life. (アメリカ,初年度)

8 . American English is the de facto world standard. (アメリカ,初年度)

「b. イギリス英語」を選んだ理由:

9. I think British English is the version which should be taught, but apparently, some (or most?)

Japanese people find the American accent easy to understand. (イギリス,初年度)

コメント 2 (学習モデルや英語変種に関する自己の価値観)

10. I prefer British English. Don’t focus on American English. (スエーデン,初年度)

11. They shouldn’t be advocating American English only. (オーストラリア, 2年目)

12. Personally I find that Japan tends to focus too much on the U.S. (ノルウェー,初年度)

13. I do not agree with people that ask native teachers to teach only American English when they are

of different nationalities. This situation has arisen a couple of times. (イギリス, 2年目)

14. It’s fair enough to choose American English but this needs to be taught as a variety of English,

not some kind of standard / correct English. (ニュージーランド, 3年目)

15. I think it’s important to let people know that there are several different types of English!羽市at

about Indian English? African English? It is a language with huge differences even within the UK,

let alone the rest of the world. (イギリス,初年度)

16. The more varieties you have, the better. (ニュージーランド,初年度)

17. The world is more diverse than just American and British English and culture. (南アフリカ,初年

度)

18. Given the differences in the English language even in the same country, limiting English education

to one country really only limits the ability of Japanese students to communicate in English

effectively. (アメリカ,初年度)