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社会イノベーション事例集 2008 内閣府経済社会総合研究所 編

内閣府経済社会総合研究所 編 社会イノベーション …謝辞 「社会イノベーション事例集 2008」は、内閣府経済社会総合研究所の平 成19年度委託事業「イノベーション国際共同研究」における「社会イノベー

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社会イノベーション事例集

2008内閣府経済社会総合研究所 編

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謝 辞

「社会イノベーション事例集 2008」は、内閣府経済社会総合研究所の平

成19年度委託事業「イノベーション国際共同研究」における「社会イノベー

ション研究会」(座長:渡辺 孝・東京工業大学大学院 特任教授)の研究活

動の一環として、東京工業大学大学院ノンプロフィットマネジメントコー

スおよび同大学院国際的社会起業家養成プログラムの協力を得て、その研

究・活動成果をとりまとめたものです。

本事例集の作成にあたっては、以下の社会起業家の方々に多大なるご協

力をいただきました。

ここにあらためて御礼を申し上げます。

ソヒニ・バタチャリア 氏(Ashoka:Innovators for the Public)

村 瀬 誠 氏(特定非営利活動法人 雨水市民の会)

飯 島 博 氏(特定非営利活動法人 アサザ基金)

佐 藤 留 美 氏(特定非営利活動法人 NPO birth)

古 野 隆 雄 氏(古野農場)

藤 田 和 芳 氏(株式会社 大地/大地を守る会)

石 川 治 江 氏(特定非営利活動法人 ケア・センターやわらぎ/社会福祉法人 にんじんの会)

戸 枝 陽 基 氏(社会福祉法人 むそう/特定非営利活動法人 ふわり)

佐 野 章 二 氏(有限会社 ビッグイシュー日本/ビッグイシュー基金)

石戸奈々子 氏(特定非営利活動法人 CANVAS)

平成20年3月

内閣府経済社会総合研究所

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CONTENTS

イントロダクション渡辺 孝 東京工業大学大学院 ノンプロフィットマネジメントコース 特任教授

概論 社会イノベーションと社会起業家

特別インタビュー社会を変える社会起業家たちソヒニ・バタチャリア 「アショカ」 南アジア・パートナーシップ ディレクター

社会起業家の事例紹介

1 雨水利用/村瀬 誠

2 霞ヶ浦再生ネットワーク/飯島 博

3 地みどりのまちづくり/佐藤 留美

4 合鴨農法/古野 隆雄

5 大地を守る無農薬野菜/藤田 和芳

6「介護はプロに」/石川 治江

7 障害者福祉からのまちづくり/戸枝 陽基

8 ホームレスの自立支援/佐野 章二

9 子どもの創造性教育/石戸 奈々子

解説 社会起業家をめぐる動き

参考文献

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地球規模で生まれてきている社会起業家と社会イノ

ベーションの潮流が意味するのは、社会に直接的イン

パクトを与えるイノベーションへの期待が高まってい

るということである。その背景には、科学技術イノベ

ーションの恩恵よりもその副作用に敏感に反応する

人々、あるいは、その恩恵を受けられない多くの人々

が同じ地球に生きているということに、本当の豊かさ

を感ずることができない人々が増えているということ

がある。世界の社会起業家を支援している組織「アシ

ョカ」は別名を“Innovators for the Public”(人々のた

めの変革者たち)としている。社会起業家は、政治や

制度や規制を直接的に変える活動を優先するのではな

く、新しいアイディアを実行することにより、経済社

会の枠組みを実質的に変えてしまうことに挑戦してい

る。議論より実行優先である。

● ●●

社会起業家と呼ぶべき人々は古くから存在した。こ

の決して新しくない概念がにわかにクローズアップさ

れてきたのは、近年、かつてないスケールで事例が生

まれてきているからに他ならない。社会のイノベーシ

ョンを志向する人と、それをサポートする人のネット

ワークが次々に形成され、広く、速く広がる大きな潮

流が動きだしている。日本ではまだこの潮の流れが目

に見えていないが、確実に動きはじめている。

この事例集で取り上げた事例は、日本で起こりつつ

ある潮流のごく一部である。まだまだ多くのケースが

あるであろうし、近い将来において代表的事例になり

うるひな鳥もたくさん存在する。この事例集を参考に、

この領域の広がりを感受していただき、ネットワーク

拡大の一助になれば幸いである。

“Change the World”(世界を変えよう)—。

大げさにも聞こえるこのフレーズが、いま地球規模

で広まっている。

2004年に出版された『How to Change the World』

(翻訳書:「世界を変える人たち」)は、現在、多くの国々

の人に読まれている。この本の著者デービッド・ボーン

ステインが1996年に書いた『The Price of a Dream』は、

貧困からの自立のためのマイクロファイナンスをはじ

めたグラミン銀行創設者のユヌス博士を取り上げ、注

目を集めた。その後、ユヌス博士が2006年にノーベル

平和賞を受賞し、政治でもなくビジネスでもない手法

で、社会問題解決のために新しいアイディアを実現さ

せる「社会起業家」の存在が広く世界に知られるように

なった。社会起業家が問題に取り組む手法はさまざま

で、ビジネス手法に近いものから、ストリートチルド

レン救済のホットラインのようなものまで幅広いが、

共通していえるのは、世界に広がる威力を持っている、

あるいは広げる意志を持っているということ。それが、

“Change the World”といわれる理由だろう。

● ● ●

新しいアイディアを実現させ、社会経済にインパク

トをもたらすことを「イノベーション」という。イノベ

ーションが大きな意義を持つのは、科学技術の領域や

ビジネスの世界だけではない。貧困、環境、人権等々、

市場経済のメカニズムが機能しない、また、政府が効

果的に対応できない課題領域は広がりつつあり、その

ような領域のさまざまな課題に対して、政府や市場と

は異なる第三の領域でのイノベーションが存在する。

そのイノベーションの担い手となる変革者を「社会起

業家」、彼らによって世界に広がる手法を「社会イノベ

ーション」と呼んでいる。

東京工業大学大学院ノンプロフィットマネジメントコース

特任教授

渡辺 孝

イントロダクション

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テインは、不屈の精神でビジョンの実現を目指し新し

い発想をどこまでも広げていく、「世界を変える勢力」

が社会起業家だと述べています。

このほかにも、社会起業家のビジネスやマネジメン

トの手腕に着目した解釈や、社会起業家はヒーロー的

な人物か草の根的な起業家か、個人だけでなく団体組

織も含まれるか、営利企業はどうか、といった議論が

起こるなど、さまざまなとらえかたがされています。

これらのような定義に共通する点を総合すると、社

会起業家とは、「これまでにない革新的な手法を用いて

問題を解決し、新たなしくみを創り出すことで、社会

イノベーションを達成する起業家」ということになるで

しょう。

この『社会イノベーション事例集』では、このように

「社会起業家」の概念を比較的広くとらえ、最初に、「ア

ショカ・人々のための変革者たち」を例として、社会起

業家の取り組みを支援することの意味と重要性を具体

的に解説します。続いて、日本でこのような取り組み

を実践している社会起業家の事例を紹介します。ここ

で取り上げているのは、環境、有機農業、社会福祉、

ホームレスの自立支援、子どもの創造性教育などの分

野に新風を吹き込み、これまでのしくみを変えるよう

な大きなインパクトを与える事業を展開している社会

起業家たちです。彼らがどのようなバックグラウンド

を持ち、どんな思いに突き動かされて、問題にどう取

り組んできたか、そしてどのような将来ビジョンを描

いているのかを紹介します。

こうしたインパクトを持つ社会イノベーション事例

は日本ではまだごく少数ですが、小さな取り組みは私

たちの身の回りでも起こりつつあります。身近な社会

問題への小さな取り組みが、問題の原因となっている

既存の社会システムの枠を打ち破って、社会起業家に

よる社会イノベーションへと成長・普及するためには、

どのような政策的支援が必要なのか、事例集の最後で

解説します。

ラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス氏がマ

イクロクレジットという革新的な手法でバ

ングラデシュの貧困問題に取り組み、その

功績により2006年にノーベル平和賞を受賞したこと

が、世界の社会起業家たちの取り組みと、その背景に

ある社会問題に多くの人々の目を向けさせる大きなき

っかけとなりました。日本でも、2007年には多くのメ

ディアに「社会起業家」「社会的企業」「チェンジメー

カー」などの文字が踊り、身近な社会問題を解決するた

めに今までにない新しいしくみを求める社会イノベー

ションへの機運が徐々に高まってきています。

この「社会起業家」とは具体的にどのような人たちを

指すのでしょうか。

じつは「社会起業家」という言葉にはまだ決まった定

義がありません。社会起業家研究がもっとも進んでい

る米国においても、研究者や関連の団体組織によって

とらえかたがまちまちです。

たとえば、米国における社会起業家研究の第一人者

である J・グレゴリー・ディーズ教授は、「社会的価値

の創出をミッションとする」「ミッションのための機会

追求」「継続的な改革」「資源に制約されない」「説明

責任」という5つの要件を定義していますが、米国の非

営利セクターに理論的解釈を与えた画期的な学術書の

著者であるピーター・フラムキン教授は、「起業家精神

を媒介として商業目的と慈善目的を結びつける社会的

企業を創出する」のが社会起業家であると分類してい

ます。

また、社会起業家支援組織の先駆けである「アショ

カ・人々のための変革者たち」の創設者ビル・ドレイト

ンは、社会システムや国の政策までも変えてしまうよ

うなインパクトをもつ事業を生み出す存在として社会

起業家を位置づけ、彼らを「非常に限られた種」と呼ん

でいます。この「アショカ」が支援した社会起業家を中

心とした事例集『世界を変える人たち―社会起業家た

ちの勇気とアイデアの力』の著者デービッド・ボーンス

社会起業家とは

社会起業家による社会イノベーション

概論社会イノベーションと社会起業家

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こともあり、「アショカ」という組織名も、紀元前に活

躍したアショカ王に由来しています。「アショカ」にとっ

て、インドは特別な場所なのです。

現在「アショカ」は、ニューデリー、ムンバイ、カ

ルカッタの3つのオフィスをインドに展開しています。

もっとも規模が大きいのが、バタチャリアさんが働く

ニューデリーです。「インドのプログラムは急成長して

います。毎年20~25人の『アショカ・フェロー』を新

たに選んでいますが、この数を40人くらいにしたい。

スタッフの数も2年以内に10人ほど増やす予定です」

(バタチャリアさん)

「アショカ」では、独自の厳格な審査によって「アシ

ョカ・フェロー」を選びます。事例によって幅がありま

すが、「フェロー」になると、平均で3年間、支給金が

給付されます。そのあいだに社会イノベーションのア

イディアを実行し、運営を軌道に乗せて、持続可能な

組織の基盤を築くのです。

「金銭的な援助の期間が終わっても、人脈やアイディ

アの提供など、『アショカ』による社会起業家のサポー

トは生涯続きます。2008年春の時点でインド人の『フ

ェロー』は累計329人。約100万ドルの年間予算でそ

れだけの人数を支援するのは、なかなかたいへんです。

だから事務所の運営経費は節約しているんです。オフ

ィスは質素だし、私たちスタッフの給料も決して高く

ありません」と、バタチャリアさんは語ります。「でも、

給料の低さを補って余りあるものをもらっている。や

りがいのある仕事だし、自分のアイディアを実行でき

特別インタビュー

社会を変える社会起業家たち

「アショカ」の支援がめざすもの

「私が『アショカ』に入った2000年当時、社会起業

家の存在はあまり知られていませんでした。『社会起業

家? 何それ?』という反応がほとんどで……。とこ

ろが、8年経って状況は大きく変わりました。いまは多

くの人が社会起業家に注目している。『アショカ』にとっ

てもエキサイティングな時期。ここで働くことができ

て、ほんとうに幸せです」

ソヒニ・バタチャリアさんはとびきりの笑顔で、そう

語ります。バタチャリアさんが働く「アショカ・人々の

ための変革者たち」のインド・オフィスは、15人のス

タッフを抱えるアジア最大の拠点です。

すぐれた社会起業家を発掘、支援する組織として世

界的に知られる「アショカ」は、1981年、ビル・ドレイ

トンさんによって設立されました。その活動は世界

63ヵ国に広がり、これまでに2000人以上の社会起業

家を支援しています。

「アショカ」が支援する社会起業家を「アショカ・フェ

ロー」と呼びますが、その第1号となったのが、画期的

な教育プログラムをインド全土に普及させたインド人

のグロリア・デ・ソウザさんでした。ドレイトンさんが

高校時代からインドの歴史や思想に関心を寄せていた

インタビュー

アショカ で働くということ

国際シンポジウムで基調講演を行うソヒニ・バタチャリアさん

(2008年春)

アジア最大の「フェロー」輩出国インド

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さんにとって忘れられない「フェロー」のひとりです。

「ムンバイでは、ゴミ収集は貧しい女性の仕事でした。

社会的地位はとても低く、賃金も安い。ジョーティは

それを変えようとしたのです。女性たちを組織化し、

健康保険も用意。長靴やゴム手袋などを配って、汚い

仕事というイメージを払拭しました。そして、女性た

ちが経済的に自立できるように、さまざまなスキルを

教えた。その結果、女性たちは人間としての尊厳を取

り戻しました。それがもっとも重要なことなんです。

る自由があるのは幸せなことだと思います」

もっとも魅力を感じているのは、「フェロー」の発掘

や選考を通じて、たくさんの興味深い人に出会えるこ

と。「社会起業家が取り組んでいる課題を聞くことで、

社会を取り巻くさまざまな問題について学ぶことがで

きる。特に女性からは大きな刺激を受けますね」

印象に残っているフェローのひとりにシャヒーン・ミ

ストリさんがいます。インドの裕福な家庭に生まれ、

海外で教育を受けた彼女は、18歳のとき大学をやめ、

スラムに住む貧しい子どもたちのためのアフタースク

ール「Akanksha」を開きます。スラムの子どもたちの

可能性を拓くため上質の教育の機会を与えたい―そ

んな願いが出発点でした。

「『Akanksha』とは、強い願いという意味です。スラ

ムにも学校はありますが、先生の質が低く、教科書も

よくなかった。そこでシャヒーンは企業や美術館と交

渉し、営業時間後に場所を貸してもらってアフタース

クールを開いた。すばらしい環境で英語や数学を教え

たのです。その後、教える側の先生のトレーニングに

も力を入れ、この取り組みは各地に広がっていきまし

た。シャヒーンは18歳でこのプロジェクトをはじめた

んですよ! モデルのようにきれいだし、母親として

も尊敬できる。彼女自身がインドの子どもたちのロー

ルモデルになっているんです」

「Akanksha」はその後も発展を続け、現在50ヵ所以

上の研修センターと10校の学校を運営しています。

ジョーティ・マープシーカーさんも、バタチャリア

Sohini Bhattacharyaプロフィール

ソヒニ・バタチャリア●社会起業家支援組織「アショカ・人々のための変革者たち」南アジア・パートナーシップのディレクター。1989年に大学を卒業し、インド、カルカッタにある母子保健センター「チャイルド・イン・ニード・インスティテュート(CINI)」の活動に参加。女性の人権問題や経済的自立の支援に取り組む。92年から4年間はデリーに移り、伝統工芸の職人たちの経済活動

を支援。96年、「CINI」に戻って、女性向けのマイクロクレジット・プログラムの開発に携わると同時に、女性の人権に関する情報センター「ジェンダー・ライツ・センター」の立ち上げを助ける。2000年3月、「アショカ」に入り、ムンバイで「アショカ・フェロー

(『アショカ』が支援する社会起業家)」の候補者の発掘や選抜などに従事する。2005年、ニューデリーに移り、現職に就く。

上/アフタースクール「Akanksha」で生き生きと学ぶ子どもたち 下/尊厳を取り戻し経済的自立を果たしたムンバイの女性たち

尊敬される社会起業家たち

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ジョーティは社会起業家として優れているだけでなく、

才能ある劇作家であり、歌手でもある。そういう点で

も尊敬しています」

インド女性の経済的自立を支援し、その尊厳を取り

戻すことは、バタチャリアさんの関心事でもありまし

た。2000年に「アショカ」に入るまでの10年間、彼女

自身もさまざまな形で、女性たちの支援に取り組んで

いたのです。

バタチャリアさんはインド東部で生まれました。母

親は教師、父親は会社員。教育方針はとてもリベラルで、

「経済的にも、精神的にも、しっかり自立できるように

なりなさい」と言われて育ちます。母親の影響で小さ

い頃から読書が好きだったバタチャリアさんは、大学

でも英文学を専攻。将来は母親と同じような道を歩む

ことを漠然とイメージしていたそうです。

転機は大学を卒業した89年に訪れました。

「私の大学では、卒業後は海外に留学するのがあたり

まえだったんです。私もアメリカのコロンビア大学大

学院に行くことが決まっていた。専攻は文学かコレオ

グラフィー(舞踊などの振り付け)にしようと……イ

ンド東部の芸術的な地域に育ったので、ダンスや演劇

にも親しんでいたのです。でも、大学院の授業がはじ

まる9月までは時間がある。知人に誘われて、軽い気持

ちで『チャイルド・イン・ニード・インスティテュート

(CINI)』の仕事を手伝いはじめたら、それがとてもお

もしろかったんです」

「CINI」は、貧困地域に住む母子の生活や健康を守る

NGOです。バタチャリアさんは、基金集めや、母親た

ちの人権意識を演劇を通じて高める活動などを担当し、

この仕事に夢中になります。

「『CINI』の仕事を続けたいから、留学を1年先に延ば

したい、と両親を説得しました。母親はしばらく口を

きいてくれませんでしたね」

1年後「自分のやりたいことはこれだ」と確信した彼

女は、大学院進学をやめてNGOの活動に専念します。

興味の対象も、女性の経済的な自立へとシフト。刺繍な

ど針仕事が得意な女性たちを集め、作成した工芸品を売

ってお金を稼ぐというプロジェクトを立ち上げます。

「インドでは夫婦共働きなのに、女性の労働には経済

的な価値が認められていなかった。家計を握っている

のは男性で、女性は子どもにお菓子を買ってやるお金

さえ持てない。そういうことが許せなかったんです。

私の育った家庭では、母が財布を握っていましたから。

それに当時のインドのNGOでは、福祉サービスを提供

することが主流でした。でも、単なる慈善活動ではなく、

私は彼女たちをエンパワーしたかった。仕事のスキル

を教え、自立を促したかったのです」

こうした思いは、のちの活動でも貫かれます。92年

から4年間、伝統工芸の職人たちの経済活動を支援し

たときも、不当なマージンを取る仲買人を排して、職

人が市場と直接取り引きできる環境を整備。展示会や

バザーを開催したり、マーケティングの概念を教えて、

売れる商品の開発を支援したのです。

96年には「CINI」に戻り、女性向けのマイクロクレ

女性の自立支援 実現の場くれた「アショカ」

教師志望からNGO活動へ

左/「Akanksha」のシャヒーン・ミストリさんとバタチャリアさん 右/貧しい女性の社会的地位を高めたジョーティ・マープシーカーさん

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「アショカ・人々のための変革者たち」は、社会起

業家を発掘、支援するグローバルな組織です。設立

は1981年。活動は世界63ヵ国に広がり、支援する

社会起業家は2000人を超えています。その功績か

ら、創設者のビル・ドレイトンさんは「社会起業家

の父」と呼ばれています。

1943年ニューヨークに生まれたドレイトンさん

は、ハーバード大学を卒業後、オックスフォード大

学大学院やイェール大学ロースクールで学び、コン

サルティング会社「マッキンゼー」に勤務します。

失業や環境問題など公共性の高い課題に取り組ん

だ後、米環境保護庁(EPA)に転じ、CO2排出権取

引の立案に尽力。一方で、かねてより構想していた

社会起業家の支援組織の立ち上げ準備に入ります。

1981年、インドで候補者の発掘をはじめ、白羽の

「アショカ」の役割は「社会変革を起こす可能性

のある人」を見つけ出し、さまざまな形の支援を

彼らに提供することです。手法はベンチャー・キ

ャピタルに似ていますが、大きく異なるのは、投

資に対する見返りが、金銭的な利益ではなく「社

会を変えること」であること―貧困に苦しむ人

を救ったり、安全な水を届けたり、教育を豊かに

するといった社会問題の解決が、「アショカ」の求

める〝見返り〟なのです。

毎年160~170人の社会起業家が「フェロー」

として選ばれますが、その選考基準はとても厳格

だといわれています。選考の際に着目するのは次

の4つです。

「目標設定と解決策が独創的であること」

「起業家にふさわしい資質を持っていること」

「強い倫理観を持っていること」

「そのアイディアが社会的なインパクトを持つ可能

性のあること」

こうして選ばれた「フェロー」たちは期待通り活

躍を見せており、「アショカ」の調査では、支援開

始から5年で「政策の変更につながった」取り組み

例が、全体の約6割に達しているそうです。「アショカ・人々のための変革者たち」創設者ビル・ドレイトンさん

「アショカ」の支援が〝社会を変える〟

Ashoka:Innovators for the Public

アショカ・人々のための変革者たち について

©Photo by Aurora Photos/AFLO

ジット・プログラムの開発に携わります。バングラデシ

ュ・グラミン銀行のモデルをインド向けに改良。お金

を貸すだけでなく、事業のアドバイスや啓発活動にも

注力し、利用者を増やすことに成功します。並行して

女性の人権に関する情報センター「ジェンダー・ライツ・

センター」の立ち上げにも取り組みました。

その後、夫の転勤でムンバイに移り、2000年「『ア

ショカ』が人を探している」との噂を耳にします。興味

を持って応募したところ、これまでの活動が評価され

て採用が決まります。そして、ムンバイを中心とした

インド西部の仕事を任されたのです。

「最初は自分の家がオフィスでした。『フェロー』候

補者を探し出して、審査をすることが主な仕事で、4年

間で30人の社会起業家の選抜に関わりました。月の半

分は出張していましたね」

2005年、夫の転勤でニューデリーに移り、現在の部

署に。資金集めや他団体との提携、組織のマネジメン

トなどを担当するとともに、「アショカ」の認知度向上

にも貢献しています。「『アショカ』には、社会セクタ

ーの未来図がある」と語るバタチャリアさん。3年前に

ひとり娘も生まれ、公私共に充実した日々を送ってい

ます。

矢を立てたのが、「アシ

ョカ・フェロー」第1号

となったグロリア・デ・

ソウザさんでした。彼

女の開発したカリキュ

ラムは、のちに学校教

育に正式に採用され、

インドの教育を変えて

ゆくのです。

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事例1

プロフィール

これまでの歩み

村瀬 誠

雨水利用

1976 年 修士課程を修了して墨田区保健所衛生監視員となる

1985 年 国技館に雨水利用システムを導入

1994 年「雨水利用東京国際会議」実行委員会の事務局長を務める

1995 年 「雨水市民の会」を設立して事務局長に就任

1996 年 東邦大学で薬学博士の学位を取得

2002 年 「ロレックス賞」準入賞

Makoto MURASE

〝恵みの雨〟で地球を救う雨水博士

村瀬誠さんは1949年生まれ。1976年に千葉大学大

学院薬学研究科修士課程を修了し、東京・墨田区の保

健所で衛生監視員として働きはじめます。80年代初頭

から雨水の活用を訴え、墨田区の雨水利用政策をリー

ドしてきました。のちに全国に広がる雨水利用の先例

となったのは、両国の新国技館に日本最大規模(当時)

の雨水利用システムを導入したこと。また94年に開催

された「雨水利用東京国際会議」では、実行委員会事

務局長を務め、国内外に雨水利用の重要性を訴えまし

た。この分野の第一人者として、海外では通称「雨水

博士(Dr. Rainwater)」として知られています。

一方、95年に設立された「雨水市民の会」(理事長・

バングラデシュの人々に雨水タンクの説明をする「雨水市民の会」徳永理事長

徳永暢男)の事務局長として、雨水利用推進のための

市民活動も行っています。防災町づくりのシンボル「路

地尊」に、消火や非常時の飲料水用の雨水タンクを設

置する地域活動をはじめ、井戸水の砒素汚染に苦しむ

バングラデシュで、雨水を安全な飲み水として普及さ

せるための国際協力活動「スカイウォーター・プロジェ

クト」を展開。公・民の枠にとらわれない精力的な活動

を行っています。同プロジェクトでは、竹筒で簡単に

雨を集めるしくみを提供するほか、地域のNGOと連携

して安価な雨水タンクを開発、マイクロクレジットを

活用して希望する家庭に設置する活動などに取り組ん

でいます。

むらせ・まこと●1949年生まれ。墨田

区の環境保全課環境啓発主査。国内外

に知られる墨田区の雨水利用政策の中

心的存在。また、95年、雨水利用を推

進するためのNPO「雨水市民の会」の事

務局長にも就任。バングラデシュで雨

水を安全な飲み水として活用する国際

協力活動などを展開する。96年東邦大

学で薬学博士の学位を取得。98年より

同大学薬学部非常勤講師も務める。そ

の活動が「革命的」と評価され、2002年

「ロレックス賞」準入賞。著書に『環境

シグナル』『やってみよう雨水利用』『都

市の水循環』など。

No More Tanks for War, Tanks for Peace 。戦車はいらない、雨水タンクを――。そう訴えて、雨水を安全な飲み水として普及させる国際プロジェクトを展開。雨水を貯めて地域の防災や洪水対策に活用するしくみづくりにも尽力しています。

©Rolex Awards

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墨田区の保健所で地域の問題に取り組む

集中豪雨後の墨田区・錦糸町界隈(1980年代)

イノベーター・ステップSTEP1

雨水利用システムで都市型洪水を防ぐ

アントレプレナー・ステップSTEP2

安全な飲み水・雨水をバングラデシュに

ディフュージョン・ステップSTEP3

社会イノベーション・プロセスP R O C E S S

事例1:雨水利用

1976年、千葉大学大学院薬学研究

科修士課程を修了した村瀬さんは、東

京・墨田区の保健所で衛生監視員とし

て働きはじめます。主な仕事は、飲食

店の営業許可や飲み水の衛生指導な

ど。まず最初に力を入れたのは、不衛

生な「貸しおしぼり」の問題でした。

通常の消毒指導だけに留まらず、塩素

が効かない特殊な菌の存在をつきとめ

て、おしぼりの新しい洗濯方法を確立。

国の衛生基準づくりへとつなげました。

また、都市型洪水で水没したビルの衛

生指導をきっかけに、都会では雨水が

地面に浸透せずに一挙に下水道に流れ

込むため、洪水が起こることを発見。

都市型洪水を防ぐため、「雨を流さず

に、溜めるしくみ」をつくるべく、解

決策を模索するのです。

両国の新国技館に、屋根に降る雨を

集めて有効利用する「雨水利用システ

ム」の導入を提案し、それを実現させ

ます。設置された雨水タンクの容量は

1000トン。理論上は、この雨水で相撲

興行時に必要な水の70%を賄うことが

できます。これが突破口となり、墨田

区内の公共施設のほか、各地で雨水利

用が広がります。一方、地域住民の防

災まちづくりのシンボル「路地尊」に

雨水タンクの導入を提案したのを機に、

彼らと意気投合し、市民運動にも関わ

るようになります。94年には「雨水利

用東京国際会議」を開催。その収益で

阪神淡路大震災の被災地に雨水タンク

100基を設置したほか、ガイドライン

の作成など、墨田区における雨水利用

の政策化(95年~)も進めました。

バングラデシュの人々の生活を支える雨水タンク

震災直後の神戸で雨水タンクに給水を受ける住民

NPO法人「雨水市民の会」の事務局

長として、雨水利用推進のための市民

運動でも中心的な存在として活躍しま

す。活動は海外にも広がり、井戸水の

砒素汚染に苦しむバングラデシュで、

雨水を飲み水として普及させる「スカイ

ウォーター・プロジェクト」にも着手しま

した。同プロジェクトでは、地域NGOと

の連携で、安価な雨水タンクを希望す

る家庭に設置する活動も行っています。

2009年には、現地に事務所を開く予定

です。また、海外では「雨水博士」と

して知られ、著書は英語、ベトナム語、

ポルトガル語、中国語、韓国語などに

翻訳されています。国内では、雨水法

の必要性を訴えており、2008年8月発

足する産官学民の「雨水ネットワーク

会議」での議論に期待をかけています。

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学博士でもある村瀬さんは、「現場から科

学する」という視点を大切にしています。

現場は研究テーマの宝庫。現場から発想し、

科学者の目線で問題の本質を追求、解決策を提示する

――そんな仕事にやりがいを感じているそうです。

東京都墨田区の職員になり、本格的に取り組んだの

が不衛生な「貸しおしぼり」の問題です。塩素が効かな

い特殊な菌の存在をつきとめて、新しいおしぼりの洗

濯方法を確立、国の衛生基準づくりへとつなげました。

雨水利用を思いついたのも、やはり現場からの発想

でした。1980年代初頭、墨田区では、大雨が降るた

びに下水道が逆流し、地下の飲み水タンクが下水で汚

染されるという問題が起こっていました。下水道は区

ではなく東京都の管轄ですが、「住民の方々の役に立ち

たい」と、仲間と自主研究をはじめたところ、都市の

水循環システムそのものの問題に気づきます。東京の

下水道は降水量の5割が地中に浸み込む前提で作られて

いますが、アスファルトに覆われた都会では、雨水は

わずかしか地面に浸透せず、一挙に下水道に流れ込み

ます。それが都市型洪水の原因だったのです。

「それを知ったときはショックでした。区という行政

の末端で自分たちに何ができるのだろうと悩んだ結果、

『雨を流さずに溜めるしくみを作ればいい』というシン

プルな結論にたどり着いた。墨田区の年間降雨量2000

万トンは、区民が1年間に使う水道水の量と同じ。貴

重な水資源を使わずに捨てていた。『流せば洪水、溜め

れば資源』だと考えました」

ちょうどその頃、同区内では新国技館をつくる計画

が進んでいました。村瀬さんは、国技館の屋根に降る

雨水を溜め、冷房やトイレの水に使うことを提案しま

すが、前例がないことを理由に、周囲の理解は思うよ

うに得られませんでした。最終的に墨田区長の理解を

得て、役所内にプロジェクトチームが発足。区長が日

本相撲協会を説得して、1000トンの容量の雨水タンク

が国技館に設置されます。

以降、各地で雨水利用システムの導入がはじまりま

した。いまや、韓国ソウルやドイツのサッカースタジ

アムや、北京オリンピックの施設など、その動きは世

界中に広がっています。

墨田区では95年から雨水利用を政策化しており、

500㎡以上の土地を開発する場合は雨水タンクを設置

することも義務づけられました。しかし村瀬さんは「政

策化したらそれで終わりではない」と力説します。

「雨水利用が社会システムにビルトインされなければ

いけない。雨水を貯留、浸透、利用することは、洪水、

渇水、防災対策になる。気候変動によって短時間に集

中して大雨が降るようになり、都市で下水道が逆流す

る危険性は、以前より高まっているんですよ」

もうひとつ重要だったのは、「雨水市民の会」での活

動を通じて地域の人々と連携したことです。「地域から

役所を見るようになった」ことで柔軟な発想も生まれま

した。バングラデシュで雨水を飲み水として普及させ

る国際協力活動など、〝志を同じくする仲間〟との活動

は、近年大きな広がりを見せています。公務員として

の仕事でもNPO活動でも「雨水を活用することが地球

を救う」との信念に揺らぎはありません。

雨水利用施設の先駆けとなった両国の国技館

つねに現場から発想し、問題を解決するインタビュー

国技館に雨水タンクを設置全国に普及する突破口に

地域住民との連携に活路市民活動に邁進する

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身近な材料でつくる簡単なしくみが安全な飲み水を集めてくれる

世界的な水不足が懸念される時代。資源としての雨

水に、いま注目が集まっています。こうした動きは、村

瀬さんが雨水に取り組みはじめた四半世紀前には予想

もできなかったこと。「時代の大きな波が自分に向かっ

て来ている」と実感しているそうです。

地方公務員としては異色の存在ですが「墨田区から

発信して、地球の命を救う仕事をしている」と自負し

ています。

同区を訪れる見学者は海外からも含めて年に5000人

以上で、雨水に対する関心の高さがうかがえます。ま

た2008年8月には産官学民による「雨水ネットワーク

会議」も発足します。これは、国土交通省や自治体の

担当者連絡会、「雨水市民の会」などが参加して、気候

変動に伴う洪水、渇水、防災対策に雨水を活用する方

法を議論する場。「雨水利用が社会システムにビルトイ

ンされるよう尽力したい」と、村瀬さんも意気込んで

います。

また、世界には安全な飲み水を確保できない人が11

億人もいるため、雨水を安全な飲み水として活用して

もらうための国際ボランティア活動も10年以上続けて

います。たとえば、地下水が有害な砒素で汚染されて

いるバングラデシュでは、せっかく井戸を掘っても、

その水を飲んだ人が深刻な健康被害を受けてしまいま

す。そこで、誰もが簡単に手に入れられる〝天の恵み〟

資源としての雨水の価値に着目地方行政での実践を国の施策へ

社会的価値

「No More Tanks for War, Tanks for Peace」。戦車は

いらない、雨水タンクを、と呼びかけています。国内

では「雨水法」も必要でしょう。やりたいことをやって、

それが世の中の役に立っているのはありがたいこと。

公務員はもうすぐ定年ですが、行政で培ってきたこと

を市民運動や国際協力活動で活かしてゆくつもりです。

将来ビジョン

の雨水を活かして、人々の命を救おうというのです。

名付けて「スカイウォーター・プロジェクト」。

「竹筒で簡単に雨を集めるしくみをつくったら、

『Sweet waterだ!』と喜んでくれました。日本に降る

雨はインドやバングラデシュの上空からやって来る。

恵みの雨を運んでくれるインドに困っている人がいる

のなら、その手助けをすることで少しでも恩返しをし

たい。世界の空はつながっているんです」

「雨水市民の会」では、地域のNGOと連携して、コン

クリート製のリングを重ねた安価な雨水タンクを開発、

マイクロクレジットを活用して希望する家庭に設置す

る活動を行っています。2009年には現地に事務所を開

き、さらに活動を拡大する予定です。

「持続可能な運営にするため、フェアトレード製品を

販売したり、エコツアーを開発するなどして資金を確

保したい。『水商売』をはじめるんですよ(笑)」

事例1:雨水利用

天の恵みの雨水で命を救いたい

持続可能な組織運営をめざして

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事例2

プロフィール

これまでの歩み

飯島 博

霞ヶ浦再生ネットワーク

1981 年 「霞ヶ浦をよくする市民連絡会議」を結成

1995 年「アサザ基金」を設立アサザプロジェクト第1回植えつけ

1997 年 「一日きこり」を開始

1999 年 「アサザ基金」がNPO法人格を取得

2000 年国土交通省と大規模な自然再生事業を実施(湖内11ヶ所)

2004 年「環八郎潟・未来の流域フォーラム」をきっかけに八郎潟と連携を開始

2005 年 「愛・地球博」に出展

2008 年 アサザプロジェクトの参加者はのべ16万人に達する

Hiroshi IIJIMA

〝つながる力〟で自然ごと取り戻す地域コミュニティ

中学生の頃から自然と人間の共存に関心を持ってい

た飯島さんは、1970年代から急速に進んだ霞ヶ浦の環

境悪化に心を痛めていました。1981年「霞ヶ浦・北浦

をよくする市民連絡会議」を結成し、政府や行政に条

例案や政策提言を行うと同時に、霞ヶ浦とその流域で

の環境調査を実施してきました。

その活動のなかで構想したのが、95年にはじまった

湖の再生事業「アサザプロジェクト」です。最初はシン

プルに、アサザという水草の苗を育てる〝里親〟を募集

して、湖岸へ植えつけることからはじまりましたが、

初年度から小中学生を中心に約200人の参加があるな

ど、大きな手応えを得ました。さらに、「総合学習」の

教材としてアサザを活用してもらうことで、この活動

は一気に広がり、流域にある170校以上の小学校が参

加する一大プロジェクトとなったのです。また、「アサ

ザプロジェクト」を推進するため、95年「アサザ基金」

が設立され、99年にNPO法人格を取得しています。

アサザの植えつけからはじまった「アサザプロジェク

ト」は、その後、さまざまな事業に発展。市民を中心に、

行政、企業、森林組合、漁業組合、農協、大学、研究

機関などが連携して多方面に広がり、水源の山林や水

田から下流の湖で、流域全体をおおう取り組みを展開

してきました。これまでに参加した市民の数は、2008

年春現在で、のべ16万人に達します。市民主導のこう

した自然再生、地域社会づくりの取り組みを、飯島さ

んは「市民型公共事業」と呼んでいます。

いいじま・ひろし●NPO法人「アサザ基

金」代表理事。1956年長野県生まれ。

1981年「霞ヶ浦・北浦をよくする市民

連絡会議」を結成し、95年、霞ヶ浦の

環境再生をめざす「アサザプロジェク

ト」を構想。同プロジェクトを推進す

るため、95年「アサザ基金」を設立し(99

年、特定非営利活動法人に)、流域の

170の小学校や企業、行政、森林組合、

漁業組合などと協働で市民型公共事業

を行っている。主著に『よみがえれア

サザ咲く水辺―霞ヶ浦からの挑戦』『自

然再生事業―生物多様性の回復をめざ

して』(ともに共著)。

霞ヶ浦の水面に黄色い可憐な花を咲かせる水生植物アサザ。その激減が教えてくれた水質悪化の問題に真正面から向き合った飯島さんは、原因を探るうち、自然と地域コミュニティを分断してきた境界線に気づきます。

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霞ヶ浦4周 足を棒にしてひらめいた

イノベーター・ステップSTEP1

アサザが咲く湖の自然を取り戻せ

アントレプレナー・ステップSTEP2

地域に広がる自然再生ネットワーク

ディフュージョン・ステップSTEP3

社会イノベーション・プロセスP R O C E S S

事例2:霞ヶ浦再生ネットワーク

中学生の頃、水俣病などの公害問題

をきっかけに、環境問題に興味を持っ

た飯島さんは、以来、「どうすれば、

自然と人間が共存する社会がつくれる

か」を考えてきました。つくば市にあ

る農業環境技術研究所で、里山の野生

生物や環境についての調査研究に従

事。1981年には「霞ヶ浦・北浦をよく

する市民連絡会議」を結成します。そ

の背景には、1970年代から急速に進ん

だ霞ヶ浦の水質汚濁や環境悪化への懸

念がありました。「行政の対策は抜本

的な解決には結びつかない。自分なり

の解決法を考えよう」と思い悩み、現

場を知るために湖を歩き回ります。そ

してひらめいたのが、霞ヶ浦に自生す

る水草・アサザの活用でした。

最初に構想したのは「アサザの里親

制度」による湖の再生でした。絶滅危惧

種になっているアサザの種を採取して

希望する人に配り、苗を育ててもらう。

それを湖岸に植えつけることで、開発に

よって失われた湖岸植生帯を復元しよ

うとしたのです。これを「アサザプロジ

ェクト」と名づけ、事務局となる「アサ

ザ基金」を95年に設立。地元の小学生

に支えられて、活動は大きく広がりま

す。アサザなどの水草を育てながら霞ヶ

浦の環境や自然再生について学ぶ総合

学習プログラムは、流域の小学校の9割

に普及し、ビオトープを設置した学校

も110校以上になりました。植えつけた

水草の定着を促すため、間伐材でつく

った粗そ だ

朶を消波堤として設置するな

ど、森林保全にも貢献。この粗朶が魚

礁になるといった相乗効果もあげてい

ます。

2004年からはじまった地酒づくり

波を抑える自然のはたらきを教えてくれたアサザ

農家の休耕田を活用した水質浄化、

外来魚駆除と有機農業の連携による水

質改善事業(外来魚を魚粉化して有機

肥料として流通させる)など、ユニー

クな事業を次々に展開。また、NECや

三井物産などの企業、地元の酒造会社

と協力して、水源地である谷津田(谷

間の水田)を再生し、育てた酒米で地

酒をつくるプロジェクトなどを実施、

企業とのコラボレーションも進めてい

ます。「アサザプロジェクト」は、市民

主導の湖の再生事業であると同時に、

地域振興や地域ぐるみの環境学習プロ

グラムとしても機能しており、これを

モデルに、秋田県の八郎湖などでも同

様の取り組みがはじまっています。

70年代の開発でみるみる水質が悪化した霞ヶ浦

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ヶ浦は2200平方キロメートルという広大

な流域を持つ日本で2番目に大きい湖です。

1970年代にはじまった水源開発によっ

て、霞ヶ浦の水質は悪化。アオコの大発生や腐敗臭に、

流域の住民はあきらめさえ感じていました。飯島さん

もそのひとりで、「何をどうしていいか、解決方法が思

い浮かばなかった」と語ります。

水俣病の問題を知ったことなどをきっかけに、飯島

さんは中学生のときから「自然と人間の共存」について

考えてきました。1981年には「霞ヶ浦・北浦をよくす

る市民連絡会議」を結成し、霞ヶ浦流域の環境調査を

行っていたのです。

「霞ヶ浦の環境を取り戻すという名目で行政がはじめ

た活動も、さらなる環境破壊を惹き起こしていた。行

政や市民団体や研究者が取り組んでも、問題の解決は

難しかったんです。そこで、日本で最初に環境保護運

動を行った田中正造の現場主義に倣って、とにかく湖

を歩いてみようと思った。現場に出ることで新しい発

想が生まれるのではと、1日12 時間くらい湖を歩き、

湖への理解を深めたんです」

そして思いついたのが、市民型公共事業「アサザプ

ロジェクト」です。子どもからお年寄りまで、誰もが

参加できる自然再生プロジェクトが市民の支持を集め、

流域の小学校を中心に、またたく間に活動が広がりま

した。

1995年からはじまった飯島さんたちの活動で、特に

重要な役割を果たしたのは子どもたちです。「アサザプ

ロジェクト」は別名「小学生による公共事業」といわれ

るほど。流域の170を超える小学校で湖の再生をテー

マにした環境学習が取り入れられたことで、小学校の

校区という地域コミュニティがネットワークのように

つながり、3県28市町村の縦割り組織で分断された流

域全体を、ひとつの自然空間としてまとめ直すことが

できたのです。

「子どもたちによる〝空間の読み直し〟が、すべての

事業をつなげてくれた」と、飯島さんは話します。

霞ヶ浦の現状は「社会の限界を映す鏡」だと、飯島さ

んは考えています。生物の多様性の低下や絶滅は、人間

で考えれば、コミュニティや世代の分断、消失と置き換

えられるからです。

「その背景には、組織の縦割りや学問の専門分化が進

み、ネットワークが喪失されたことがある。そこで、失

われた連続性をなんとか取り戻そうと考えました。社会

的・人的なネットワークを再構築すれば、自然環境の連

続性もおのずと取り戻せる、というのが、『アサザプロ

ジェクト』の考え方なんです」

重要となるのは、「縦割りの〝壁〟を壊すのではなく、

それを溶かす」という発想です。

「想定外の結びつきをつくることで、組織を隔てる

〝壁〟を溶かして〝膜〟に変える。『アサザプロジェクト』

では、1 万人の子どもたちが湖に入って活動することが

〝壁〟を溶かしてくれた。NPOや社会起業家にもこうし

た役割が求められている。NPOが社会的な触媒として働

き、〝壁〟で仕切られた既存の組織を結びつけることで、

新たな機能や価値が生まれるのだと思います」

「子どものときに憶えたことは忘れない」大人になったとき社会を変える力になる体験

子どもたちとアサザが溶かす〝社会の限界〟インタビュー

誰もが参加できる自然再生小学生が主役に

縦割りの〝壁〟を溶かして膜にネットワークを広げる

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「アサザプロジェクト」は湖と森と人を結ぶ「市民型

公共事業」を謳っています。アサザの植えつけ、上流

の森の手入れを手伝う「一日きこり」など、誰もが参加

できるボランティア活動を用意して、市民が積極的に

活動できる場を提供しています。

また、地元の農林水産業者や企業、行政、学校など

に働きかけて、独自の事業を展開。自然再生だけでなく、

地域産業の活性化、環境学習プログラムの提供なども

行っています。湖、川、水田、森林に対して、行政が

ばらばらに行っていた公共事業を、市民主導で相互に

連携させることで、事業の効率化と活性化を図ってい

るといえるでしょう。

「水質保全、生物多様性保全、農業、漁業、地場産業、

環境教育など、いままで行われてきた対策はすべて自

己完結型ですが、我々は事業間の〝壁〟を溶かして循

環型にした。すべての分野で自己完結しない事業展開

をめざしています」(飯島さん)

たとえば、アサザなどの水草の定着を促すため設置

した消波堤には、丸太で組んだ枠のなかに雑木の枝を

束ねた粗そ だ

朶を詰めまし

た。この粗朶の材料に

里山の間伐材を使うこ

とで、流域の森林保

全活動にも寄与。さ

らに、消波堤が漁礁

になるという付加価値

組織や事業を超えてつながる力「市民型公共事業」の波及効果

社会的価値

水質が悪化した浅い湖である霞ヶ浦は、途上国に多い

タイプの湖。我々は、地域コミュニティを活かした環境

再生を10年余り実践してきましたが、このモデルを、欧

米型とは異なるアジア発の自然保護・環境保全戦略とし

て途上国に紹介したいと考えています。この技術移転を

成功させて、日本が誇れる事例にしたいですね。

将来ビジョン

も生まれました。

また、 農 家の協 力

で、休耕田をビオトー

プにして生き物の生息

地を増やしたり、水源

地である谷津田(谷間

の水田)を再生して、

地酒づくりにつなげる

取り組みのほか、湖の外来魚を駆除して魚粉化し、こ

れを肥料にして育てた有機農作物を「湖がよろこぶ野

菜」として販売するなど、農業、林業、漁業の〝壁〟を

超えた事業を展開しています。

「アサザ基金」の運営資金は、市民からの会費や寄付、

行政からの助成金や委託事業の収入に加え、NECや三

井物産といった企業に協働事業を持ちかけることで調

達しています。「企業や行政に提案をするときは、相手

が何を望んでいるかをきちんと踏まえて具体的な事業

計画をつくっています。付加価値を共有することで、

ネットワークはさらに広がると思います」と飯島さんは

話します。また、73年以来閉鎖されている湖の「逆水門」

を柔軟運用することも提案。「逆水門を開けることで、

漁業の振興や水質改善、自然再生のほか、湖の汚濁原

因となるリンやチッソの回収もでき、経済効果は大き

い」と訴えています。

事例2:霞ヶ浦再生ネットワーク

広がる企業との提携

駆除された外来魚は有機農業の肥料に

酒米の稲刈りは大イベントのひとつ

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事例3

プロフィール

これまでの歩み

佐藤留美

地みどりのまちづくり

1998 年 「NPO birth(バース)」を設立

1999 年パートナーシップ型シンクタンク「里山タスクグループ」発足

2001 年 NPO法人格を取得しNPO法人「NPO birth」となる

2005 年 「愛・地球博」に「まちに地みどり館」を出展

2006 年狭山丘陵の都立公園指定管理事業「西武・狭山丘陵パートナーズ」に参加

Rumi SATO

自然 社会 経済 をつなぎ自然と共生する社会へ

佐藤さんは、大学の卒論のテーマに「身近な自然の

価値を考える」を選ぶなど、学生時代から自然と人の

共存について考えてきました。卒業後は自然教育や里

山保全の調査に携わり、里山保全の市民団体事務局や

環境NGOで働きます。98年、現在の理事3人と、中間

支援型の環境NPO「NPO birth」を設立することに。日

本野鳥の会と「里山シンポジウム」を開催したり、身近

な自然の保全について調査研究するシンクタンク「里

山タスクグループ」を発足させます。「NPO birth」の活

動の目的は、人と自然のより良い関係を守ること。暮

らしのなかの身近な緑や里山の保全のため、市民、行政、

企業のパートナーシップを推進したり、草の根の市民

団体の活動をサポートしています。

狭山丘陵でのイベントには多くの人がつめかけ、スタッフ総出で活動を支援します

2001年にはNPO法人格を取得し、日米の市民参加

型公園緑地に関する調査研究、海外の公園緑地NPOと

の国際交流事業も実施。また、2005年「愛・地球博」

では地球市民村に「まちに地みどり館」を出展しました。

佐藤さんたちは、地元で愛される緑を、親しみを込め

て「地みどり」と呼んでいるのです。2006年からはじ

まった狭山丘陵の都立公園指定管理事業では、これま

でのノウハウを結集し、都民協働業務やパークレンジ

ャー業務などを担当しています。

さとう・るみ●NPO法人「NPO birth」事

務局長。1967年、仙台の材木商の娘と

して生まれる。東京農工大学農学部に

学び、「身近な自然の価値を考える」を

テーマに卒論を執筆するなど、在学中

から環境問題に関心を持つ。卒業後は

自然教育や里山保全調査に携わり、里

山保全の市民団体の事務局、環境NGO

などで働く。98年「NPO birth」の設立メ

ンバーとなり、アメリカのNPOでイン

ターンも経験。2001年「NPO birth」事

務局長に就任する。

愛すべき身近な自然〝地みどり〟を守る活動を行うNPO birth(バース)。地域ぐるみで緑とともに暮らしてきた先人たちの知恵に学びながら、持続可能なまちづくりのための、人と自然の出会いと協働を支援しています。

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NPOを設立し自然保護のあり方を追求

草の根の活動でひとつになった創設メンバーたち

イノベーター・ステップSTEP1

見えてきた「NPO birth」のミッション

アントレプレナー・ステップSTEP2

緑をつなぐ、人をつなぐ 中間支援

ディフュージョン・ステップSTEP3

社会イノベーション・プロセスP R O C E S S

事例3:地みどりのまちづくり

大学時代から自然と人の共存につい

て考えていた佐藤さんは、卒業後、自

然教育や里山保全調査に携わります。

また、市民団体の事務局や環境NGOの

仕事にも従事。98年、草の根の市民団

体でボランティア活動をしていたメン

バーと、「NPO birth」を立ち上げます。

「NPO birth」の設立の背景には、創設

メンバーたちが、これまでの自然保護

活動に対して限界を感じていたことが

ありました。「NPO birth」は身近な緑

を守るためのプロフェッショナルな団

体、専門家集団をめざしますが、しば

らくは活動のあり方を模索する時代が

続きます。組織も非常に小さく、唯一

の職員だった佐藤さんも、他の仕事と

掛け持ちをしながら活動を続けるとい

う状況でした。

日本野鳥の会と「里山シンポジウム」

を開催し、99年には里山保全のための

調査研究を行うパートナーシップ型シ

ンクタンク「里山タスクグループ」を立

ち上げます。また、佐藤さんがアメリ

カ、サンフランシスコのNPOでインタ

ーンを経験。組織運営ノウハウを吸収

すると同時に、市民セクターが社会で

存在感を発揮する様子に刺激を受けて

帰国します。2001年、「NPO birth」が

NPO法人格を取得、環境省や地方自治

体からの委託事業、協働事業もはじま

ります。日米の公園緑地NPOとの国際

交流事業もスタート。自治体や環境市

民団体からの相談も増えるなか、「自

分たちのやるべきことは、さまざまな

団体の活動をコーディネートする中間

支援活動ではないか」との認識が高ま

り、中間支援活動を本格化します。

大勢の入場者でにぎわう「まちに地みどり館」

緑と人のつながりつむぐ国際交流事業(2001 年)

「緑をつなぐ、人をつなぐ」をキャッ

チフレーズに、市民、行政、企業の協

働を推進する「パートナーシップ事業」

や、草の根の団体を支援する「市民団体

サポート事業」などを展開。2005年「愛・

地球博」では、地球市民村に「まちに地

みどり館」を出展し、地元で愛される

緑・「地みどり」の大切さを訴えました。

06年には職員を8人に増員して、狭山丘

陵の都立公園指定管理事業を受注しま

す。日本古来の循環型社会システム「環

境入い り

会あ い

」の枠組みを活かした都民協働

や、パークレンジャー業務を担当。市

民協働型の公園管理モデルを他の公園

に応用することも視野に入れて、活動

を展開しています。

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PO法人「NPO birth」が2005年の「愛・地球

博」に「まちに地みどり館」を出展したとき

のコンセプトには、こうあります。

アマゾンの緑を守ろう。ご近所の緑も守ろう。

世界的な森林の減少に関心のある人は46パーセントい

ますが、まちの緑を守ろうと思う人は17パーセントで

す。まちは、人にいちばん近い自然の一つです。身近な

緑を守ることから環境保全に取り組んでいきたい、人と

人とのつながりを作っていきたいと考えます。

この短い文章が「NPO birth」の活動の目的をうまく表

現しています。

「緑の保全というと、アフリカの熱帯雨林や、尾瀬、

知床といった〝遠くの緑〟を思い浮かべることが一般的

です。でも、私たちは、自分たちのごく身近にあるご近

所の『地みどり』にも目を向けよう、暮らしのなかに緑

を取り入れて、自然と共にある生活をしよう、と提案し

ているんです」と、佐藤さんは語ります。

2000年頃から注目を集めるようになった「里山」も

「地みどり」の代表例といえます。里山とは、田畑、雑

木林、小川、池などの身近な自然環境の総称です。か

つて日本には、こうした緑を地域ぐるみで大切に守るし

くみがありました。自然と共生する暮らしを取り戻すた

めに、佐藤さんは、里山を中心とした地域社会に学ぶこ

とを提案しています。

「里山は日本の伝統的な循環型社会システムであり、

自然と人が共存する持続可能な環境でした。里山の自然

はとても壊れやすいため、継続的に手入れをしないとす

ぐに荒れてしまいます。そこで地域の人が助け合う必要

があった。そして、協働によるコミュニティがつくられ

たのです」

着目したのは「環境入会※」というしくみです。里山

の社会では、「自然」「社会」「経済」の3つの環境がう

まく調和していました。つまり、自然環境をベースに、

コミュニティ(社会)を形成し、経済的に担保される活

動をすることで、持続可能な地域社会を維持していたの

です。

「かつては自然という大きな土台があり、そのうえに

社会、経済がありました。ところが現代では経済が肥大

化し、逆三角形になってしまった。人々の価値観が経済

を重視する方向に変化したからです。重要なのは価値観

を方向づけること。たとえば『持続可能なまちづくり』

という価値観が人々に広がれば、それを実現するため

に、企業、行政、市民それぞれの役割も決まり、規則

(法律や制度)も定まる。私たちの仕事は、価値観を方

向づけて、人々の行動を変え、社会を変えること。身近

な緑を守ることを通じて、新しいコミュニティをつくる

ことが使命だととらえています」

「NPO birth」では、この「環境入会」のフレームを活

かして草の根の市民団体をサポート。地主と住民が協力

して雑木林を残していこうと活動する「こげらの森づく

りの会(小平市)」や、NPO法人「畑の教室(練馬区)」の

農家による市民体験農園など、緑のあるまちづくりを支

援しています。

N

代表的な「地みどり」 古きよき里山の風景

地域ぐるみで自然と共に暮らす里山の知恵インタビュー

里山をモデルに自然と共生する暮らしを

昔ながらの日本人の知恵を活かし「環境入会」のシステムをつくる

※「入会」とは、ある地域の住民が、その集団の規制にしたがって山林などの土地を共同で利用・管理する慣行のこと。

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「環境入会」のフレームを実現し、新たなコミュニテ

ィをつくるには、人々が助け合う「協働」のしくみが重

要です。日本には古くから「民が公の仕事を担ってき

た歴史があった」と、佐藤さんは語ります。「江戸時代、

人口100万人の江戸に、役人は290人しかいなかった

そうです。ところが高度経済成長期以降、公共事業は

行政の仕事になった。公の場で人々が出会うことがな

くなり、コミュニティが崩壊したんです」

協働とは、持ちつ持たれつで助け合うことですが、

それをうまく進めることは容易ではありません。中間

支援型のNPOとして各地の市民団体、行政、企業にコ

ンサルティングを行う「NPO birth」は、市民、行政、

企業のパートナーシップによる新たなコミュニティづ

くりの実践を重ね、協働のマネジメントに関するノウ

ハウを蓄積してきました。

そのノウハウが最大限に活かされているのが、2006

年にスタートした狭山丘陵の都立4公園の指定管理事

助け合いが築く新しいコミュニティ協働する場所と機会づくりが使命

社会的価値

設立以来、いつでも勝負をかける気持ちでしたが、指

定管理事業を請け負ってからは、運営資金もうまく回り

はじめました。この機会を利用して市民協働型の公園管

理モデルをつくり、他の公園にも応用したい。そして、

公園や身近な緑が「人と自然、人と人との出会いの場」

となるようなしくみを提供していきたいですね。

将来ビジョン

業といえるでしょう。「NPO birth」を含む5法人からな

る共同事業体「西武・狭山丘陵パートナーズ」が、野山

北・六道山公園など4つの都立公園のパークマネジメン

トを実施するこの事業では、都民協働の推進やイベン

ト業務、パークレンジャー業務を「NPO birth」が担当

しています。この事業のために、「NPO birth」では職

員を増員。2008年春現在、12人のうち8人を「西武・

狭山丘陵パートナーズ」に出向させています。

都民協働業務では、公園の将来像や運営方針を市民

と共有すること、段階的な参加のしくみをつくること、

そして多様な受け皿を用意することで、市民の自発的な

参加を促しています。

「気づく」(気軽に参加できるイベントやガイドツア

ー)、「考える」(里山学校などの各種講座)、「行動する」

(里山保全などのボランティア活動)など、参加の各段

階に合わせたプログラムを用意。敷居を低くすることで

参加者の裾野を広げ、市民ボランティアの数を増やすこ

とに成功しました。「長いスパンでボランティアが活動

できるよう、工夫しています。『公園をもっとよくする』

というミッションを共有すれば、人々の眠っている力を

引き出すことができる。印象的なのは、公園の稲刈りの

イベントなどで、若い女性がとても生き生きとしている

こと。『こうした機会や場所が求められているのだな』と

実感しています」

事例3:地みどりのまちづくり

市民の眠っている力を引き出す

上/子どもたちに人気のパークレンジャー下/大自然のなかで汗を流し思わずはじける笑顔