27
. じめに . . ドイツ :「 される」 . わが における .ま 1. はじめに による より した めるこ する いう される がある 。 かつ いう意 する以 、こ 、そ えた えられる。 そ において いう 」が つ意 するこ され あろ う。 一 みによって ( ) -・- する 』( 院、 ) (第 )』 ( 閣、 )

行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

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目 次

1. はじめに

2. 問題の構造

3. ドイツ基本法 20 条 3 項後段:「執行権と裁判は、 法律と法に拘束される」

4. わが国判例における行政活動の適法性判断

5. まとめ

1. はじめに

法律による行政の原理は、 行政活動の適法性の判断基準を何よりも国民

代表議会の制定した法律に求めることを特徴とするという指摘がなされる

ことがある1。 近代的な行政法が人の支配と袂を分かつという意味での法

の支配を存在理由のひとつとする以上2、 この指摘は、 その本質的な特徴

を捉えたものと考えられる。 その限りで、 今日においても法律という適法

性の根拠の 「形式」 がもつ意義を過小評価することは許されないであろ

う3。 一方、 行政活動の適法性が個別具体的な法律の規定のみによっては

(名城 '14) 64-1・2-253

論 説

行政活動の適法性の憲法的条件

その根拠と限界に関する比較法的考察

渡 邊 亙

1 参照、 藤田宙靖 『行政法総論』 (青林書院、 2013 年) 54 頁。2 参照、 高橋和之 『立憲主義と日本国憲法 (第 3 版)』 (有斐閣、 2103 年) 24-26 頁。3 参照、 最判昭和 62 年 10 月 30 日判例時報 1262 号 91 頁。

Page 2: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

判断することができない場合があることも、 従来の判例や学説において広

く認められてきたところであった。 行政活動が 「法の一般原則 (原理)」

に違反しているとされるケースは4、 その代表的な例であるが、 ここには

法律の規定それ自体とは異なる行政の適法性の判断基準が示されていると

いうことができよう。

わが国では法の一般原則として、 通常、 信義誠実の原則 (信義則)、 比

例原則、 平等原則などがあげられている5。 これらの諸原則は、 判例上そ

れに違反することが行政活動の違法原因となり得るとされたものであり、

必ずしも行政の適法性の判断基準を体系的に表現したものではなく、 その

個別的な現れとみるべきであろう。 これらの諸原則の存在は、 行政の適法

性が実定的な法律の規定を中心としながらも、 これにさまざまな法原則が

重なり合って判断されているというイメージを抱かせる。 本稿は、 こうし

た重層的な構造をもつ行政の適法性の判断について、 そのドグマティクを

構成するとともに、 わが国の学説・判例の議論の特徴を明らかにすること

を目的とするものである。

こうした目的にとって比較法的見地から興味深いのは、 「法律制定は、

憲法的秩序に拘束される。 執行権と裁判は、 法律と法に拘束される。」 と

規定するドイツ基本法 (以下、 単に 「基本法」 ということがある。) 20 条

3 項である。 本条項は、 後に明らかにするように、 わが国でも知られるナ

チス時代における 「法律による不法」 の経験に鑑みて Gustav Radbruch

に代表される 「実質的法治国 (materieller Rechtsstaat)」 の思想の影響

を受けて制定されたものである6。 この思想をもっとも端的に表現するの

論 説

64-1・2- (名城 '14)254

4 「法の一般原則 (原理)」 と題する章ないし節をもつ行政法概説書としては、 塩野宏 『行政法Ⅰ [第 5 版補訂版]』 (有斐閣、 2013 年) 82-85 頁、 宇賀克也『行政法概説Ⅰ [第 5 版]』 (有斐閣、 2013 年) 43-64 頁、 大橋洋一 『行政法①[第 2 版]』 (有斐閣、 2013 年) 46-62 頁、 阿部泰隆 『行政法解釈学Ⅰ』 (有斐閣、 2008 年) 195-197 頁などがある。

5 註 4 の諸文献を参照。 宇賀 (註 4) は、 さらに 「透明性と説明責任の原則」、「必要性・有効性・効率性の原則」 をあげている。

6 参照、 塩津徹 『現代ドイツ憲法史』 (成文堂、 2003 年) 123 頁、 アルトゥール・

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が前段の規定を保障する意味をもつ憲法裁判制度であろうが、 後段の規定

における 「法律と法」 の文言にも共通する趣旨が含意されており、 上記の

ような行政の適法性の判断がもつ重層的構造が示されていると考えられる。

しかし、 この規定についてわが国公法学では、 さほど関心がもたれたこと

はないようである7。

本稿では上記のような問題関心から、 まず、 行政活動の適法性の判断と

法律の規定との関係を構造的に示した後 (2)、 基本法 20 条 3 項の 「法律

と法」 という文言について制定の経緯や議論の展開を跡付ける (3)。 その

うえで、 わが国の判例を中心に分析を加え、 行政の適法性の判断基準およ

びその特徴を明らかにすることを試みたい (4)。

2. 問題の構造

(1) 先に、 行政の適法性は法律の規定にさまざまな法原則が重なり合って

判断されているという、 やや抽象的な表現をしたが、 以下では、 こうした

重層性を 「法律による行政の原理」 との関連において具体的に示すことに

より、 本稿で検討する問題の所在を明らかにすることにしたい。

法律による行政の原理は、 Otto Mayer 以来、 「法律の優位」、 「法律の

留保」 および 「法律の法規創造力」 という原則から構成されるとされ、 同

様の理解はわが国でも多くの学説にみられるところである8。 これらの学

説には多少の理解の相違は見られるが、 法律の優位は、 あらゆる行政活動

が法律の規定に違反しないこと、 法律の留保は、 一定の行政活動 (とくに

侵害的行政) について個別的な法律の根拠 (いわゆる 「作用法上の根拠」)

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-255

カウフマン (中義勝・山中敬一訳) 『グスタフ・ラートブルフ』 (成文堂、 2002年) 184‐208 頁。

7 わが国で基本法 20 条 3 項に触れた文献として高田敏 『法治国家観の展開』 (有斐閣、 2013 年) 90 頁以下がある。

8 藤田 (註 1) 56 頁、 塩野 (註 4) 68-69 頁、 宇賀 (註 4) 26-42 頁、 小早川光郎 『行政法 上』 (弘文堂、 1999 年) 79 頁。 なお、 法律の法規創造力の原則を法律の留保の原則の一つとして位置づけることも珍しくない。 参照、 大橋 (註4) 25 頁。

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にもとづいて行われること、 法律の法規創造力は、 国民に対して直接効力

を有する法規範である法規が法律に基づいて制定されることをそれぞれ求

めるものと、 ここでは理解しておこう。 ある行政活動がこれらの要求を充

たしていることを、 以下では 「行政活動が法律に適合している」 と表現す

るが、 その結果、 当該行政活動は適法と評価され、 逆に法律に適合してい

なければ違法と判断されることになる9。 これが行政の適法性判断におけ

る原則であることはいうまでもないが、 この原則については、 以下、 ①と

②に例示するような 2 つの異なる方向性をもつ例外が考えられることには

注意が必要である。

①まず、 それ自体は法律に適合している行政活動であっても、 必ずしも常

に適法と評価されるわけではなく、 以下のように例外的に違法と評価され

るケースがあり得よう。

第 1 は、 行政活動の根拠となる法律それ自体が違憲・無効と判断された

ため、 それに基づく行政活動も違法となるというケースである。 また、 あ

る法律が違憲と判断される恐れがあるため、 合憲限定解釈を加えられた結

果、 当該法律にもとづいて行われた行政活動が違法と判断されるケースも、

ここに含めてよいであろう。

第 2 は、 (それ自体は有効な) 法律に形式的には適合した行政活動であ

りながら、 何らかの法の一般原則に違反したが故に違法とされるというケー

スであり、 これについてはすでに触れたとおりである。

第 3 に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

は考え難いにもかかわらず、 これを違法と評価すべき場合が存在し、 その

論 説

64-1・2- (名城 '14)256

9 わが国では法律の適合性は、 その文言だけでなく、 さまざまな法原則ないし要素を加味して判断されることがある。 後に見る憲法適合解釈や、 いわゆる覊束裁量の概念を 「法律が予定する客観的な基準が存在する、 と考えられる場合である」 とする把握の仕方は、 その代表的な例といえよう。 しかし、 本稿では、「法律に適合している」 とは、 もっぱら法律の規定の文言を基準としてなされた判断を指し、 それ以外の適法性の判断要素を一括して 「法」 と呼ぶことにする。 後者の内容を明らかにすることが、 本稿の目的とするところだからである。参照、 藤田 (註 1) 99 頁、 104 頁註 (1)。

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根拠についても様々な理論構成が提案されてきている。 こうした不作為の

違法については、 法律適合性とは異なる適法性の判断基準が存在すると考

えざるを得ないであろう。

②つぎに、 法律に適合していない行政活動であっても必ずしも常に違法と

評価されるわけではなく、 以下のように例外的に適法と評価されるケース

があり得よう。

第 1 は、 ある行政活動に法律の根拠が必要とされているにも拘わらず、

それが存在しない場合、 原則として、 その行政活動は違法と判断されるが、

これにも例外があると考えられる。 その例としては、 ある行政処分が行わ

れたが、 公益上の理由により法律の根拠なくこれを撤回したというケース

が想定されよう。

第 2 は、 戦争・内乱・災害などの緊急事態において、 平常時であれば法

律に適合していないと判断される行政活動が適法と評価される場合である。

こうした事態においては行政権の行使に対して通常の法的規律が行われる

わけではなく、 概括的な法的根拠しか有しない行政活動による国民の基本

権の制限が認められるからである。

第 3 に、 国家賠償法 (以下、 「国賠法」 という) 1 条における 「違法」

の解釈として、 公務員の職務上の行為が法律の規定に違反していることに

より直ちに違法の評価を受けるわけではなく、 さらに職務上の注意義務に

違反していることが必要であるとする 「職務義務違反説」 が、 判例上、 有

力となっている。 そこには、 法律と異なる行政の適法性の判断基準がある

と考えざるを得ないであろう。

(2) 以上は、 「法律による行政の原理」 に対する 2 つの異なる方向性をもっ

た例外について考えられるケースを列挙したものであるが、 ここで改めて

整理を加えてみると、 (α) 原則として、 法律に適合していれば適法、 適

合していなければ違法な行政活動であるのに対して、 例外的に、 (β) 法

律に適合しているが違法な行政活動、 (γ) 法律に適合していないが適法

な行政活動が存在しているということになる (図参照)。 ここからは、 ま

ず、 行政の適法/違法を根拠づける、 法律とは異なる何らかの法規範の存

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-257

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在に思い至る。 そして、 その法規範は 「法律による行政の原理」 と重なり

合いながらも、 適法性の判断において微妙なズレを示しているというイメー

ジが得られよう。 こうしたイメージをもつとき、 先に引用した基本法 20

条 3 項の 「執行権……は法律と法に拘束される」 という規定にもまた適法

性判断の重層性が表現されていることに気がつく。 このような観点から同

条項の規定に関するドイツ公法学の解釈を明らかにすることが、 本稿の課

題のひとつである。

上記の例は、 さらに、 行政活動の適法/違法の判断が必ずしも実定的な

法規範のみから導かれるものではないことを示唆している。 しかし、 法規

範以外の要素を根拠として行政活動の適法/違法を判断することは、 とく

に 「法律に適合していない行政活動であっても、 必ずしも常に違法と評価

されるわけではない」 という場合、 公権力の制限という立憲主義の趣旨か

らして重大な問題が含まれていることは、 改めて指摘するまでもない。 そ

の根拠や範囲について考察を加えておくことには、 少なからぬ意義が認め

られよう。 この点を、 比較法的考察を踏まえつつわが国の判例に照らして

明らかにすること、 これが本稿の第二の課題である。

3. ドイツ基本法 20 条 3 項後段:「執行権と裁判は、 法律と法に拘束される」

以下では、 まず、 基本法 20 条 3 項の 「法律と法」 (以下では 「Gesetz

と Recht」 ということがある。) の関係について歴史的・法理論的考察を

加えた数少ないモノグラフィーである Birgit Hoffmann 『Gesetz と

論 説

64-1・2- (名城 '14)258

図:行政活動の法律適合性と適法性の関係

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Recht の関係:基本法 20 条 3 項の憲法および憲法理論的考察』10 をよすが

として、 Gesetz と Recht の概念の歴史、 同条項の制定過程を確認し、 そ

の解釈をめぐる判例と学説の展開を跡付ける。 同書の議論の多くは、 裁判

の Gesetz と Recht による拘束に関するものであるが、 基本法 20 条 3 項

の理解に資するところが少なくないからである。 そのうえで、 本稿の検討

と関連のある範囲で、 同条の具体的内容に関する今日の理解を検討し、 そ

の特徴を明らかにすることを試みたい。

(1) 前史と基本法制定過程

西洋における不文の 「法」 と成文の 「法律」 という概念上の区別は、

2000 年以上前の ius と lex のそれに遡る11。 ドイツでは、 19 世紀前半に制

定された初期立憲主義の諸憲法のなかで、 基本権の制約を規定した条文に

Gesetz (lex) と Recht (ius) という文言を用いている例がある12。 もっ

とも、 ここでの Recht は必ずしも不文法を意味しているわけではなく、

Gesetz との区別は曖昧であった13。 20 世紀に入って制定されたヴァイマ

ル憲法 (1919 年) や 1945 年以降に制定された州憲法では、 基本権の制約

は Gesetz によるとのみ規定されている14。 結局、 基本法 20 条 3 項の前身

といえる内容をもつ条文は、 ドイツ憲法史に存在しないといってよい。

必ずしも相容れない要素をもつ Gesetz と Recht という概念の淵源は、

第二次世界大戦直後のいわゆる 「自然法の再興」 における議論に求められ

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-259

10 Birgit Hoffmann, Das Verh�ltnis von Gesetz und Recht: Eine verfassungs-rechtliche und verfassungstheoretische Untersuchung zu Art. 20 Abs. 3 GG,2003.

11 Hoffmann (Fn. 10), S. 27 f. mit Fn. 2 m. w. N.12 Vgl. Ernst Rudolf Huber (Hrsg.), Dokumente zur deutschen Verfassungs-

geschichte, Bd. 1, 3. Aufl., 1978, S. 224 f., 242, 257, 268 und 307; Hoffmann(Fn. 10), S. 29 f.

13 Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S. 30 mit Fn. 14 bis 17 m. w. N.14 ヴァイマル憲法 111-118 条、 ヘッセン憲法 2 条 2 項など参照。 Hoffmann (Fn.

10), S. 30.

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る15。 その嚆矢を放ったとされる Radbruch は、 1946 年公表の論文 「法律

による不法と法律を超えた法」 において 「Radbruch の定式」16 と呼ばれ

る次のような見解を明らかにしている。

「正義と法的安定性との衝突は、 次のように解決することが許される

であろう。 実定法、 すなわち規定と権力によって確保された Recht

は、 それが内容的に不公正であり非合目的的であっても優位する。 た

だし、 実定上の Gesetz と正義との矛盾が耐えられない限度にまで達

し、 Gesetz が 『不正な Recht』 として、 正義から離れざるを得なく

なった場合は別である。 Gesetz による不法の場合と不正な内容にか

かわらず有効な Gesetz とを明確に区別することは不可能である。 他

の区別は、 しかし、 完全に明確に行うことができる。 それは、 正義が

目指されることがまったくないところ、 すなわち、 正義の核心を成す

平等が実定的な法を制定する際に意図的に無視されたところでは、 法

は、 『不正な Recht』 といったものですらなく、 そもそも法的性質が

欠けているのである。」17

この見解の文脈では Recht は、 正義 (Gerechtigkeit) を体現すべきも

のと捉えられているといえよう。 もっとも、 ここで正義の内容について平

等がその核心を成すというほかに説明があるわけではなく、 そこにいう

Rechtの不明確性や 「認識ではなく告白にすぎない」 といったイデオロギー

性への批判は少なからず存在する18。 しかし、 上記の引用からも明らかな

論 説

64-1・2- (名城 '14)260

15 Hoffmann (Fn. 10), S. 32 ff.16 Hoffmann (Fn. 10), S. 33 mit Fn. 28 m. w. N. もっとも、 Radbruch がナチ

ス時代を経て厳格な実証主義者から古典的な自然法論者へと立場を変えたという単純な見方にも、 疑問が示されている。 Hoffmann, aaO., S. 35.

17 Gustav Radbruch, Gesetzliches Unrecht und �bergesetzliches Recht, in:S�ddeutsche Juristenzeitung, 1946, S. 107. 『ラートブルク著作集 第 4 巻』(東大出版会、 1961 年) 260-261 頁 (小林直樹訳) 参照。 Hoffmann (Fn. 10),S. 34.

18 Horst Dreier, Die Radbruchsche Formel - Erkenntnis oder Bekenntnis? in:

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ように Radbruch の見解は必ずしも Recht の一方的な優位を説くもので

はなく、 その後の議論においても Gesetz と区別される Recht の存在意義

が否定されているわけではない19。

さて、 Radbruch の定式以降も実質的価値の思想やキリスト教的倫理に

基づく自然法論が陸続と著され、 「自然法の再興」 といわれる時代背景の

なかで基本法の制定作業は進められることになる20。 その過程では、 へレ

ンキームゼーにおいて作成された草案に 「裁判官は、 法律およびその良心

にのみ従う」 という 20 条 3 項と同様の趣旨を思わせる規定 (132 条) が

見られるが21、 「Gesetz と Recht」 という文言をもつ条文は存在しなかっ

た。 それが現れたのは、 同草案の審議を行った議会的審議会

(Parlamentarischer Rat. 1948-1949) においてであった。 すなわち、

1948 年 10 月 14 日に基本方針委員会に提出された草案には 「裁判と行政

は Gesetz の下に置かれる」 という規定があったが、 同年 11 月 16 日の全

体編集委員会において Thomas Dehler 議員 (FDP) が 「立法は憲法的秩

序に、 裁判と執行権は、 Gesetz と Recht に拘束される」 という文言を提

案する。 この文言は圧倒的多数で採択され、 「裁判」 と 「執行権」 の語順

を入れ替えたうえで基本法 20 条 3 項の規定となる22。

ここにいう Gesetz と Recht の理解は、 全体編集委員会における議論の

議事録が存在しないため明らかではない23。 しかし、 議会的審議会では各

議員が立場の違いを超え、 ナチス時代の経験に鑑みて基本法が実質的な法

治国として構成されなければならないという確信をもっており、 その現れ

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-261

Festschrift Robert Walter, 1991, S. 117 ff. Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S. 37 mitFn. 52 m. w. N.

19 Stellvertretend J�rn Ipsen, Staatsrecht I, 25. Aufl, 2013, S. 218.20 Z. B. Helmut Coing, Die obersten Grunds�tze des Rechts. Versuch einer

Neubegrundung des Naturrechts, 1947; Heinrich Rommen, Die ewigeWiederkehr des Naturrechts, 2. Aufl. 1947. Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S. 43mit Fn. 79 m. w. N.

21 Der Parlamentarische Rat, Bd. 2, S. 432 ff. Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S. 52.22 Hoffmann (Fn. 10), S. 54.23 Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S. 53.

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が基本法 20 条 3 項とりわけ 「Gesetz と Recht」 への拘束の文言であった

ことは広く指摘されている24。 議会的審議会において中心的な役割を果た

した Hermann von Mangoldt は、 その基本法コンメンタール 『ボン基本

法』 初版 (1953 年) において基本法 20 条について次のような解説を加え

ている。 すなわち、 「ナチス時代におけるこの [法治国] 思想への止むこ

とのない衝突からは、 ヴァイマル憲法とは反対に法治国性を明確に確定す

ることに重点が置かれたのは十分に理解できる」。 20 条 3 項の Gesetz と

Recht という定式は、 「ふたつの概念の、 矛盾にまで至り得る永遠の緊張

関係を示しているのである」。 そして、 基本法は 「Gesetz よりも Recht を

という思考 (Recht-vor-Gesetz-Denken)」 を要求しているのである、 と25。

(2) 戦後における判例と学説の展開

連邦憲法裁判所の 1950 年代および 60 年代の判決には、 ナチス・イデオ

ロギーに基づく法や命令の効力との関わりで Radbruch の定式に言及し、

あるいは実質的に同様の考え方を述べるものがあった26。 しかし、 時代が

進み、 こうした例外的ケースを審査する機会がなくなるとともに、 実定法

に依拠する傾向が強まって行く27。 そうしたなか連邦憲法裁判所は、 1973

年の 「ソラヤ判決」 において基本法 20 条 3 項の解釈に関する詳細な見解

を示すことになる28。 本件では、 元イラン王妃ソラヤが捏造インタビュー

の公表による損害賠償を出版社および編集者 X らに求めた事件において、

論 説

64-1・2- (名城 '14)262

24 Stellvertretend Klaus Stern, Das Staatsrecht der Bundesrepublik Deutsch-land, Bd. 1, 2. Aufl., 1984, S. 798. Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S. 56 mit Fn. 139m. w. N.

25 Hermann v. Mangoldt, Das Bonner Grundgesetz, 1953, Art. 20. Anm. 6, S.139 f. Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S. 56 f.

26 BVerfGE 3, 58 (119); 6, 132 (198); 23, 98 (106). Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S.67f. 同書では、 連邦通常裁判所の判決にも同様の傾向が見られることが指摘されている。 Vgl. BGHZ 3, 94 (107); BGHSt 2, 234 (238 f.). Vgl auch Hoffmann(Fn. 10), S. 82 ff.

27 Hoffmann (Fn. 10), S. 96.28 BVerfGE 34, 269. 参照、 『ドイツの憲法判例』 (信山社、 1996 年) 303 頁以下。

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連邦通常裁判所が賠償請求を認めたのに対して、 X らが、 同判決はドイ

ツ民法典 253 条が精神的損害に対する損害賠償を規定していないにもかか

わらず下された権力分立原則に反するものであると主張して、 憲法異議を

提起した。 連邦憲法裁判所は、 連邦通常裁判所の判決を合憲であると判断

するなかで基本法 20 条 3 項について次のような解釈を示している。

「伝統的な Gesetz による裁判官の拘束は、 権力分立原則そして法治

国原則を支える構成要素であるが、 基本法においてその規定の仕方は、

裁判官は 『Gesetz と Recht』 に拘束される (20 条 3 項) というもの

へ と 修 正 さ れ た 。 こ れ は 一 般 的 に 偏 狭 な 法 律 実 証 主 義

(Gesetzespositivismus) を否定したものと考えられている。 この定

式は、 Gesetz と Recht は事実上、 重なり合うことが一般的であるが、

必ず、 そして常にというわけではないという意識に忠実なものである。

Recht は、 成文の Gesetz の総体と同一なのではない。 実定的な国家

権力の規定に対して、 状況によっては意味の総体としての憲法に適合

した法秩序に法源を有し、 成文の Gesetz に対する修正として働くこ

とができる何かが法に加わり得るのである。 これを発見し判決のなか

で実現することが、 裁判の任務である。」29

この判示においても、 基本法 20 条 3 項の制定過程を踏まえた Gesetz

と Recht の相違が明示されているが、 注目すべきは Recht の法源が先に

見た Radbruch の定式における 「正義」 と異なり 「意味の総体としての

憲法に適合した法秩序」 に求められている点である。 これは、 Recht の存

在根拠を自然法といったいわば超実定的な法に求めるのではなく、 あくま

でも実在する憲法の解釈を通じて Recht を導こうとするものにほかなら

ない。 こうして Gesetz と Recht は、 憲法に適合した法秩序という枠組み

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-263

29 BVerfGE 34, 269 (286 f.).

Page 12: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

のなかに位置づけられることとなったということができよう30。

同様の展開は、 戦後の指導的な公法学者の議論にも確認できる。 先に見

た 「自然法の再興」 の議論には、 基本法 20 条 3 項を自然法と関連付ける

傾向が強くみられる31。 もっとも、 その議論自体のなかで、 すでに自然法

がもち得る主観的性格に対する警戒も示されていた。 Otto Bachof は、

1951 年の 「憲法違反の憲法規範?」 という論考のなかで、 「法律を超える

法」 を語りながらも、 それは客観的な秩序であり個人の良心とは区別され

るべきものであることを強調している32。 1959 年には Ernst Forsthoff が、

Gesetz と Recht の解釈が 「倫理、 自然法、 社会国家性などの大きなイデ

オロギー的重圧による負荷を受ける」 ことにより、 執行権および裁判の拘

束を不安定にすることを警告している。 なぜなら 「いつ Gesetz に拘束さ

れ、 いつ Recht を引き合いに出して Gesetz の拘束から免れるかは、 今日

では裁判官自身が判断しているからである」。 こうした懸念から彼は、

Gesetz と Recht の定式の機能を、 今日の複雑に絡み合った法秩序におい

て生じうる、 Gesetz の規定の適用による明らかに不公正な結果といった

「技術的な誤り」 を修正することに限定すべきと提案するのである33。

ここにみられる超実定的な法への警戒はさらに強まり、 1960 年代以降、

基本法 20 条 3 項に関する文献から超実定的な法による拘束を説く見解は

あまりみられなくなる34。 これは自然法的解釈の立場から見れば、 Recht

に固有の意味が認められなくなり、 その結果 Gesetz と Recht の区別が意

義を失ったことを意味するのかもしれない。 しかし、 有力な見解によれば、

それは結局、 先のソラヤ判決と同様、 憲法に適合した実定的な法秩序を

論 説

64-1・2- (名城 '14)264

30 Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S.76 f.31 Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S.97 ff.32 Otto Bachof, Verfassungswidrige Verfassungsnormen?, in: Recht und Staat

in Geschichte und Gegenwart 163/164, 1951, S. 29 ff.33 Ernst Forsthoff, Die Bindung an Gesetz und Recht (Art. 20 Abs. 3 GG), in:

Die offentliche Verwaltung, 1959, S. 43 f.34 Vgl. Hoffmann (Fn. 10), S. 110 ff.

Page 13: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

Recht とみることにほかならない。 代表的な基本法コンメンタールの表現

を借りれば 「正義は、 基本法の枠内において、 基本法の諸規定により、 そ

してそのなかで包括的に立憲化されている (konstitutionalisiert) ので

ある」35。

こうして Gesetz と Recht は、 基本法制定当初の自然法的解釈をいわば

換骨奪胎する意味付けを与えられて今日に至っているといえよう。 こうし

た観点から執行権の Gesetz と Recht による拘束の理解を検討することが、

次の課題である。

(3) 今日における法治国原則の理解

基本法下の判例や学説において Recht の根拠に関する見解の変遷があっ

たにせよ、 成文の Gesetz に形式的に適合することにより国家活動の適法

性を根拠づけることができない場合があるという考え方自体は、 ほぼ一貫

して受け入れられてきたということができる。 こうした考え方は、 しば

しば 「形式的法治国 (formeller Rechtsstaat)」 と 「実質的法治国

(materieller Rechtsstaat)」 の対置という図式で説明されるが36、 ここで

注意が必要なのは、 後者は前者を否定するものではなく、 むしろその存在

を前提としているという関係である。 国家活動の適法性は、 原則として法

律の規定を基準として判断すべきものであり、 それによれば不合理な結論

(例えば、 憲法に適合した法秩序に違反する結論) に至らざるを得ない場

合に、 例外的に何らかの実質的な観点が取入れられることになるという筋

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-265

35 Roman Herzog/Bernd Grzeszick, in: Maunz/Durig (Hrsg.), Grundgesetz-Kommentar, 70. Erg�nzungslieferung, 2013, Art. 20 Rn. 69. Vgl. auchHelmuth Schulze-Fielitz, in: Dreier (Hrsg.), Grundgesetz-Kommentar, Bd.2, 2. Aufl. 2006, Art. 20 Rn. 94; Karl-Peter Sommermann, in: vonMangoldt/Klein/Starck (Hrsg.), Kommentar zum GG, Bd. 2, 6. Aufl., 2010,Art. 20 Rn. 236, 265, 267.

36 Stellvertretend Christoph Degenhart, Staatsrecht I, 29. Aufl., 2013, Rn. 137;Michael Kloepfer, Verfassungsrecht I, 2011, § 10 Rn. 12 ff. Kritisch hierzuKatharina Sobota, Das Prinzip Rechtsstaat, 1997, S. 448; Phillip Kunig, DasRechtsstaatsprinzip, 1986, S. 25 f.

Page 14: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

合いのものだからである37。

したがって、 国家活動の適法性の判断にとって重要な問題は、 それぞれ

の法治国原則が具体的に何を要求しているのかということになる。 この点

について判例や学説の見解は必ずしも一致していないが、 これは、 「法治

国」 の内容や 「原則」 概念の理解自体に相違があることによると思われ

る38。 もっとも、 これまで見てきたように、 国家活動の適法性をめぐる議

論が形式的および実質的な法治国原則の両者への適合を必要とするという

文脈にある限りでは、 ある適法性の条件がどちらの原則に分類されるべき

ものであるかは、 もっぱら理論構成の問題にとどまり、 結論に影響を与え

ないであろう。

こうした記述的な観点から、 これまでの議論を集約して体系的に示す近

年の国法学概説書では法治国原則を形式的要素と実質的要素に分類したう

えで、 それぞれの具体的内容を次のように明らかにしている39。 そこでは、

まず 「形式的な法治国性」 について 「あらゆる国家権力を法と法律に拘束

するものであり、 このことは、 様々な手続きおよび組織について具体化さ

れた憲法秩序の規定により保障されている。 それにより法律は、 法治国の

中心的な要素となり、 同時に、 議会のコントロールのもとにある、 国家の

権力行使の主要な手段となる。」 という説明を加えている。 これに対して、

法治国が有する実質的な内容について 「その意義は、 国家権力の抑制およ

び―これに伴って―国家による自由の過剰な制約から個人を守ることにあ

る。 この意味での実質的法治国は、 とくに実定法 (国家により制定された

法) により保障されている。 この思想の憲法上の表現が、 基本法 1 条 3 項

によるすべての国家権力の基本権への拘束である (以下略)。」 とされる40。

具体的には、 (1) 法治国原則の形式的要素として、 ① (垂直的) 権力分

立、 ②法律の優位と法律の留保の原則から成る国家活動の法律適合性、 ③

論 説

64-1・2- (名城 '14)266

37 Vgl. Schulze-Fielitz (Fn. 35), Art. 20 Rn. 49.38 Sobota (Fn. 36), S. 471 f.39 Christoph Gr�pl, Staatsrecht I, 5. Aufl., 2013, Rn. 443 ff.40 Gr�pl (Fn. 39), Rn. 448 ff.

Page 15: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

裁判を受ける権利、 刑事手続に関する諸権利等の手続的レベルが、 (2) 実

質的要素として、 ④基本権、 ⑤信頼保護および国家活動の明確性を内容と

する法的安定性、 ⑥比例原則、 ⑦恣意の禁止、 ⑧国家補償があげられてい

る41。 このように包括的に示された要素のうち、 本稿のテーマとの関連で

は、 ⑤法的安定性の一内容である信頼保護について、 それは法治国原則な

いし法的安定性のみから導かれるものではなく、 基本権とくに財産権の保

障、 職業の自由、 一般的行動の自由が根拠とされていることは、 注目に値

する42 。 この点は、 しばしば指摘されるように、 連邦行政手続法

(Verwaltungsverfahrensgesetz) が違法な行政行為の取消しを原則とし

て認めながらも、 金銭や物品の給付を内容とする授益的なものについては、

取消しを制限していることに (48 条) よく表れているということができ

よう43。

以上の法治国原則の説明は、 その形式的要素である法律への適合性を基

本としつつ、 それが実質的要素である国家権力の抑制を趣旨・目的とする

ことを求めるものと要約することができよう。 そして、 この実質的要素は

「立憲化された正義」 の議論と同様、 自然法ではなく実定憲法を根拠とし

て導かれていることには注意が必要である。 その結果、 これらの要素は、

もはや自然法的な正義を体現する要素というよりも、 専ら国家活動の内容

に関する要素であり、 その意味で 「実質的」 というよりは 「実体的」 な要

素と訳したほうがむしろ適切なものとなっているということができよう44。

(4) 小括

以上に概観してきた基本法 20 条 3 項に関する議論は、 2. 問題の構造で

示した 「法律に適合している行政活動であっても、 必ずしも常に適法と評

価されるわけではない」 というケースに関するものであり、 「法律に適合

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-267

41 Gr�pl (Fn. 39), Rn. 450.42 Gr�pl (Fn. 39), Rn. 514.43 Kloepfer (Fn. 36), § 10 Rn. 12.44 Gr�pl (Fn. 39), Rn. 498.

Page 16: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

していない行政活動であっても、 例外的に適法と評価されるケース」 に当

たるものではない。 同条項の自然法論的理解に基づく 「法律よりも法をと

いう思考」 によれば、 後者のケースに当たる結論も導き得ないことはない

ように思われるが、 「国家権力の抑制を旨とする憲法に適合した法秩序」

という今日の考え方にとっては、 それは想定の範疇を超えた議論というこ

とになるのであろう。 このことは、 しかし、 後者のケースが存在しないこ

とを意味するのではない。 これに関する議論が 「法律と法による拘束」 と

いう文言の解釈として統一的に展開されていないということに過ぎない。

以下では、 この点を含めて、 わが国における行政の適法性の憲法的条件を

探求して行くことにしよう。

4. わが国判例における行政活動の適法性判断

上記のように、 ドイツでは行政活動の適法性の条件について基本法 20

条 3 項の解釈として、 いわば演繹的に問題の検討が行われているのに対し

て、 わが国ではこうした検討のあり方はあまり見ることができず、 判例の

なかで示されている個別的な判断が重要な鍵となっている。 ここから、 い

わば帰納的に行政活動の適法性に関するドグマティクを構成することが以

下の課題である。

(1) 法律に適合している行政活動が違法と判断される場合

①憲法違反・憲法適合解釈

ある法律が違憲と判断された結果、 それに基づく行政活動が違法と判断

された著名な判例としては、 薬事法適正配置規制違憲判決45があげられる。

最高裁は、 当時の薬事法による薬局等の適正配置規制を憲法 22 条 1 項に

違反し、 無効であるとして 「不許可処分の効力を維持すべきものとした原

審の判断には、 憲法及び法令の解釈適用を誤つた違法」 があると判断して

論 説

64-1・2- (名城 '14)268

45 最判昭和 50 年 4 月 30 日民集 29 巻 4 号 572 頁。

Page 17: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

いる。 本稿の検討の観点からは本判決は、 それ自体は薬事法の適正配置規

制に適合して行われた不許可処分を、 当該規制が営業の自由を保障した憲

法 22 条 1 項の規定に違反するため違法と判断したものと要約できよう。

つぎに、 ある法律が合憲限定解釈を加えられた結果、 当該法律にもとづ

いて行われた処分が違法と判断された代表的なケースとして、 善意第三者

所有物没収違憲判決46をあげることができよう。 最高裁は、 関税法 83 条 1

項の規定 (「犯罪ニ係ル貨物又ハ其ノ犯罪行為ノ用ニ供シタル船舶ニシテ

犯人ノ所有又ハ占有ニ係ルモノハ之ヲ没収ス」) の趣旨を 「第三者におい

て、 貨物について同条所定の犯罪行為が行われること又は船舶が同条所定

の犯罪行為の用に供せられることをあらかじめ知つており、 その犯罪が行

われた時から引きつづき右貨物又は船舶を所有していた場合に限り、 右貨

物又は船舶につき没収のなされることを規定したもの」 と解して、 所有者

たる第三者が善意の場合に貨物または船舶を没収することは、 憲法 29 条

に違反するという判断を示している。 憲法適合解釈は 「法令正当化機能」

をもつなどとして、 もっぱら法律の合憲性判断とのかかわりで注目され、

違憲審査制の趣旨と必ずしも相容れない側面のあることが指摘されること

が多い47。 しかし、 行政活動に焦点を当てた場合には、 先に見た違憲判断

と同様、 法律に加えて憲法を 「行政を拘束する法」 としているという趣旨

があることに気がつくであろう。

②法の一般原則違反

以上のようなかたちで法律の上位規範として憲法を行政活動の適法性の

判断基準と捉えることには、 憲法 98 条 1 項の趣旨からしても異論はなか

ろう。 このように考えるとき、 法の一般原則である比例原則や平等原則を

憲法上の原則から導き出すことも、 やはり十分に可能と考えられよう48。

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-269

46 最判昭和 32 年 11 月 27 日刑集 11 巻 12 号 3132 頁。 参照、 最判昭和 59 年 12 月12 日民集 38 巻 12 号 1038 頁。

47 参照、 佐藤幸治 『日本国憲法論』 (成文堂、 2013 年) 652 頁。48 参照、 塩野 (註 4)。 高木光 「比例原則の実定化」 芦部信喜古稀 (有斐閣、 1993

年) 209-234 頁。

Page 18: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

すなわち前者は、 不必要ないし過剰な人権制限を違法とすることにより実

効的な人権保障を図るものと見ることができるし、 後者は、 憲法 14 条が

規定する法の下の平等が行政活動へ適用されたものであることは、 いうま

でもないからである。

比例原則や平等原則に言及した判例は少なくないが49、 法律適合性との

関係において最も注目される内容をもつのは、 すでに指摘がある次の大阪

高裁昭和 44 年 9 月 30 日判決50の判示であろう。 すなわち、 「法定の税率に

よる税金と……軽減された税率による税金の差額を、 実際に追徴したこと

がなく且つ追徴する見込みもない状況にあるときには、 租税法律主義ない

し課・徴税平等の原則により、 みぎ状態の継続した期間中は、 法律の規定

に反して多数の税務官庁が採用した軽減された課税標準ないし税率の方が、

実定法上正当なものとされ、 却つて法定の課税標準、 税率に従つた課・徴

税処分は、 実定法に反する処分として、 みぎ軽減された課税標準ないし税

率を超過する部分については違法処分と解するのが相当である」、 と。 こ

うした判断については租税法律主義の基本原則を否定しているという批判

があるが51、 この点について立ち入ることは本稿の目的ではない。 ここで

は、 以上のような裁判所の判断が導かれた背景としては、 行政活動の適法

性の判断基準となる 「実定法」 を法律ではなく、 その上位規範である憲法

に求めたと考えられることを指摘しておくにとどめたい。

さて、 やはり法の一般原則とされる信義則について、 代表的な行政法概

説書は、 これを 「信頼保護の原則」 とも称したうえで、 「私人間に妥当す

る法原理の行政関係への適用である」 と説明している52。 そして、 「信義則

を適用すると、 実は法律に違反するという状況が生じてしまう」 という問

論 説

64-1・2- (名城 '14)270

49 比例原則について参照、 須藤陽子 「比例原則」 法学教室 237 号 (2000 年) 18頁以下。

50 大阪高判昭和 44 年 9 月 30 日高民集 22 巻 5 号 682 頁。 宇賀 (註 4) 55-57 頁参照。

51 宇賀 (註 4) 58-59 頁参照。52 塩野 (註 4) 84 頁。

Page 19: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

題について、 最高裁昭和 62 年 10 月 30 日判決53の 「法律による行政の原理

なかんずく租税法律主義の原則が貫かれるべき租税法律関係においては、

右法理 [引用者注:信義則] の適用については慎重でなければならず、 租

税法規の適用における納税者間の平等、 公平という要請を犠牲にしてもな

お当該課税処分に係る課税を免れしめて納税者の信頼を保護しなければ正

義に反するといえるような特別の事情が存する場合に、 初めて右法理の適

用の是非を考えるべきものである」 という見解に与している54。 これは、

本稿冒頭でも指摘したように、 法律による行政の原理の存在理由という観

点から首肯できる考え方であるが、 上に見た比例原則や平等原則と比較す

ると、 この原則の位置づけはいかにも不安定だといわざるを得ない。 これ

は信義則が民法に由来する原則であるために、 行政法との関係が必ずしも

明確でないことに起因するものと考えられよう。

もっとも、 以上の論点に信頼保護の原則をめぐる問題及び解決が尽きる

わけではあるまい。 先にドイツにおける信頼保護の原則を検討した際に明

らかにしたように、 信頼保護の原則は信義則を含むより広範な原則であり、

そのなかには憲法に根拠を有する内容も含まれていると考えられる55。 そ

うである以上、 先に見たドイツ行政手続法が規定する法理は、 信義則にお

けるような留保を付することなく、 わが国においても妥当すると考えるこ

とができよう。

③行政の不作為の違法性

法律の優位や法律の留保の原則は、 基本的に行政活動が行われたことを

前提にその適法性を判断するものであって、 行政の不作為が少なくとも直

ちにこれらの原則に違反するとは考え難い。 もっとも、 行政の不作為を

「法律に適合している」 と表現することが適切でないことも、 また確かで

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-271

53 最判昭和 62 年 10 月 30 日判時 1262 号 91 頁。54 塩野 (註 4) 83 頁。55 これとは異なる構成をとるものとして参照、 乙部哲郎 『行政法と信義則―判例

を中心に』 (信山社、 2000 年) 376 頁以下。

Page 20: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

あり、 ここで 「法律に適合している行政活動が違法と判断される場合」 と

して論じることは適当ではないかもしれない。 しかし、 行政の不作為を違

法とする際の 「法」 とは何かを明らかにしておくことは、 行政の適法性の

条件を明らかにするという本稿の目的に資すると思われる。

行政の不作為を違法とする理論構成には、 裁量零収縮説、 作為義務説、

裁量権消極的濫用説といったさまざまなものがあるが56、 これらの理論構

成を採用した諸判例に対して、 「私人の自由と財産を規制し得ることを定

めたに過ぎない筈の法律の規定が、 何故特定の場合には規制しなければな

らないことを定めていることになるのか、 ということについての理論的な

説明は……未だ十分に明確になされているとは言い難い」 という指摘があ

る57。 これは本稿のテーマとの関連でも重要な意味をもっており、 以下、

検討を加えておきたい。

判例における行政の不作為を違法とする説明には、 「知事の発する改善

命令は宅地造成に伴う崖崩れなどの災害より住民の生命財産を護ろうとす

るものであるから、 ……知事が改善命令を発せず、 その執行をしないこと

が違法であつて、 これがため、 被告……の不完全な擁壁の築造等と相俟つ

て、 人の生命財産に危害が生じたときは、 その損害賠償責任の問題が生ず

る」58、 「個人の生命、 身体等に対する危険な状況が発生した場合には、 そ

の状況に即応して、 それらの保護のために必要な措置を講ずべき法律上の

義務を負う警察官としては……自らまたは他に依頼して右砲弾類を積極的

に回収するなどの措置を講じ、 もつて砲弾類の爆発による人身事故等の発

生を未然に防止すべき法律上の義務があつた」59、 「国民の生命・身体・健

論 説

64-1・2- (名城 '14)272

56 行政の規制権限の発動義務に関する検討として、 宇賀克也 『国家補償法』 (有斐閣、 1997 年) 237-256 頁、 西埜章 『国家補償法概説』 (勁草書房、 2008 年)56-65 頁参照。

57 藤田 (註 1) 494 頁。 参照、 渡邊亙 「行政法における国家の保護義務の意義」白�大学法科大学院紀要第 5 号 (2011 年) 159-162 頁。

58 大阪地判昭和 49 年 4 月 19 日下裁民集 25 巻 1~4 号 315 頁 (下線は引用者。 以下同じ)。

59 東京地判昭和 49 年 12 月 18 日民集 38 巻 5 号 503 頁。

Page 21: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

康に対する毀損という結果発生の危険があつて、 行政庁が規制権限を行使

すれば容易に結果の発生を防止することができ、 行使しなければ防止でき

ないという関係にあり、 行政庁において危険の切迫を知り、 または容易に

知り得べかりし情況にあつて、 被害者として規制権限の行使を要請し期待

することが社会的に容認され得るような場合には、 規制権限を行使するか

否かについての裁量権は収縮・後退して、 行政庁は権限の行使を義務づけ

られ、 その不行使は作為義務違反として違法となる。」60、 といったものが

ある。

これらの判示からは、 行政の規制権限の行使が義務づけられる特定の場

合とは、 何よりも国民の生命・身体等に危険が生じているときであるとい

うことが分かる。 そして、 先に引用した指摘にあるように、 これらの判決

では、 その根拠が明確に述べられているわけではないが、 行政庁ないしそ

の活動は、 国民の生命や身体を保護することを義務づけられているという

観念が前提とされていることは明らかであろう。 その根拠が、 行政活動の

制限を趣旨とする行政法規には見当たらないのは、 ある意味で当然のこと

であり、 その発動により国民の生命や身体を保護する国家の義務に求める

ほかないであろう。 ここからは、 国家の保護義務は、 行政の不作為を違法

とする根拠のひとつとなっているという仮説が導かれよう。 これは、 次に

みる問題群の検討においても、 重要な役割を果たす視点となる。

(2) 法律に適合していない行政活動が適法と判断される場合

先に述べたように本稿では、 行政活動が 「法律に適合している」 とは、

もっぱら法律の規定の文言を基準として、 法律の法規創造力、 法律の優位

および法律の留保の原則に適合している状態を表現している。 以下では、

個別的な法律の根拠が必要であるとされているにもかかわらず、 それなし

で行われた行政活動が適法とされた判例に検討を加え、 その理由を明らか

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-273

60 東京地判昭和 53 年 8 月 3 日判例時報 899 号 48 頁。

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にすることを試みよう。

①授益的処分の撤回

伝統的な学説は、 私人に権利・自由を与え、 あるいは義務を免除するよ

うな処分は、 相手方の責めに帰すべき事情がない限り、 法律の根拠がなけ

れば、 これを撤回することができないと説いてきた61。 これは、 授益的処

分の撤回を私人に不利益な行政活動と見て、 これを法律の留保の原則に服

せしめようとする趣旨にほかならない。 しかし、 判例には、 法律の明文の

根拠なく行われた授益的処分の撤回を一定の条件のもとで適法と認めてい

るものがある。 近年の学説においてもこの考え方に同調するものが有力と

なっており、 その根拠や条件をめぐる議論が展開されている。

判例では、 医師会が優生保護法 (当時) 上の指定医師の指定を法律の根

拠なく撤回したことの違法性が争われた事件において、 最高裁が上告人で

ある医師の行った実子あっせん行為の法的問題点、 指定医師の指定の性質

等に検討を加えたうえで、 「指定医師の指定の撤回によって上告人の被る

不利益を考慮しても、 なおそれを撤回すべき公益上の必要性が高いと認め

られるから、 法令上その撤回について直接明文の規定がなくとも、 指定医

師の指定の権限を付与されている……医師会は、 その権限において上告人

に対する右指定を撤回することができる」 としている62。 また、 最高裁は、

医薬品の製造承認の撤回について、 法律の明文の根拠がない場合であって

も、 「製造の承認がされた医薬品が、 その効能、 効果を著しく上回る有害

な副作用を有することが後に判明し、 医薬品としての有用性がないと認め

られるに至った場合には、 厚生大臣は……製造の承認を取り消すことがで

きる」 として、 その根拠を薬事法の目的が医薬品の品質面のみならず副作

用を含めた安全性の確保にあること、 製造の承認に当たって厚生大臣が医

薬品の副作用を含めた安全性についても審査する権限を有することに求め

論 説

64-1・2- (名城 '14)274

61 参照、 田中二郎 『新版行政法上巻 (全訂第 2 版)』 (弘文堂、 1974 年) 131 頁、156 頁。

62 最判昭和 63 年 6 月 17 日判時 1289 号 39 頁。

Page 23: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

ている63。

こうした判例の見解と法律の留保の原則との関係について、 近年の学説

では侵害的な処分と授益的行為の撤回を区別し、 後者が少なくとも前者と

同様のかたちでは法律の留保の原則に服さない場合があるとする見解が有

力になっている64。 その理論構成は様々であるが、 基本的に授益的行為に

は何らかの存続の条件があり、 その条件が充たされなくなった場合には法

律の明文の根拠がなくとも撤回され得るというものであるといってよい。

本稿の関心事は、 なぜ法律に適合しているか否かが、 ある意味で疑わしい

行政活動を適法とすることができるのかという根拠である。 ここで注目さ

れるのは、 このような 「黙示の撤回権の留保の存在」 を認めるべき場合に

関する 「今日の判例・学説上における最大公約数を成す」 ものとして示さ

れた次のような考え方である。

「少なくとも 『人の生命・身体・財産等に対し重大な侵害をもたら

しまたもたらし得る事態であって、 当該行政行為が行われた時点にお

いてそのような事態が存在していたならば、 当然当該行政行為は行わ

れていなかったであろうと考えられるような事態の発生があった場合』

はこれ [黙示の撤回権の留保の存在を認めるべき場合] に当る」65

この考え方の根底には、 先に見た行政の不作為の違法性に関する検討で

現れた国家の保護義務の観念があることは明らかであろう。 すなわち、 行

政の不作為の場面では保護義務の不履行がその違法性を導いたのに対して、

ここでは保護義務の履行が法律の適合性に疑いのある行政活動を適法性を

与える源泉となっているのである。 こうした関連性からも明らかなように、

行政活動の適法性の憲法的条件

(名城 '14) 64-1・2-275

63 最判平成 7 年 6 月 23 日民集 49 巻 6 号 1600 頁。64 参照、 塩野 (註 4) 173-174、 藤田 (註 1) 238-241 頁、 中川丈久 「『職権取

消しと撤回』 の再考」 水野武夫古稀 (法律文化社、 2011 年) 366 頁以下。65 藤田 (註 1) 240 頁

Page 24: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

国家の保護義務は、 行政の適法性を判断するうえで憲法とならぶ重要な役

割を果たしていると考えられる。 もっとも、 両者の関係が必ずしも親和的

なものでないことは、 次に見る問題においてより明確に表れることになる。

②国家緊急権の発動

国家緊急権とは、 例えば 「戦争・内乱その他の原因により、 平常時の統

治機構と作用をもっては対応できない緊急事態において、 国家の存立と憲

法秩序の回復を図るためにとられる非常措置権」 と定義され、 その例とし

て大日本帝国憲法が規定する緊急勅令 (8 条) や戒厳令 (14 条) があげら

れる66。 日本国憲法には、 国家緊急権に関する規定が存在しないために、

その憲法との関係が議論されることがあるが67、 現実に国家緊急権を前提

とした法律は、 少なからず制定されている68。 これらを本稿の問題意識か

ら見た場合、 概括的な法的根拠しか有しない行政活動による国民の権利制

限が認められていることが注目される。

その代表的な例としては、 災害対策基本法が規定する 「災害緊急事態」

(105 条~109 条の 2) 布告時の政令があげられよう69。 すなわち、 「国の経

済の秩序を維持し、 及び公共の福祉を確保するため緊急の必要がある場合

において、 国会が閉会中又は衆議院が解散中であり、 かつ、 臨時会の召集

を決定し、 又は参議院の緊急集会を求めてその措置をまついとまがないと

き」 に、 内閣は生活必需物資、 物の価格、 役務等の対価、 金銭債務の支払

などについて規制を行う政令を制定することができる。 これらのいわば

「緊急政令」 が制定された場合、 内閣は、 直ちに国会の臨時会の召集を決

定し、 又は参議院の緊急集会を求め、 当該政令に代わる法律が制定される

論 説

64-1・2- (名城 '14)276

66 例えば、 佐藤幸治 『日本国憲法論』 (成文堂、 2011 年) 50 頁。67 参照、 新正幸 「緊急権と抵抗権」 樋口陽一編 『講座憲法学 1』 (日本評論社、

1995 年) 213-246 頁。68 佐藤 (註 66) 50 頁では、 警察法、 自衛隊法に加えて 「国家緊急権の趣旨をよ

り明確に現す法律」 として武力攻撃事態対処関連 3 法および有事関連 7 法があげられている。

69 そのほかに、 武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(「国民保護法」) 2 条 3 項、 5 条 2 項も参照。

Page 25: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

などの措置をとらなければならない。

国民の権利を規制する政令は、 原則として個別的な法律の授権なしに制

定することはできないため、 災害対策基本法の概括的な授権規定は、 内閣

法 11 条にいう 「法律の委任」 として通常想定されているものとは異なる。

したがって、 上記の 「緊急政令」 には通常の政令にはない独自の適法性の

根拠があると考えられるが、 それは災害対策基本法の 「国土及び国民の生

命・身体・財産を災害から保護するため必要な体制を確立し……」 (1 条)

という趣旨・目的に求めるのが妥当であろう。 ここにも再び国家の保護義

務の趣旨が現れていると見ることができるが、 これまでの例と比較すると

国家緊急権が発動されることにより憲法が規定する基本的人権や権力分立

との緊張関係は最も高まることになる。 そのため同法は、 こうした行政活

動を、 法律の制定という正式な措置が採られるまでの暫定的なものとした

と考えることができよう。

③国賠法 1 条

国賠法 1 条の解釈における職務義務違反説によれば、 公務員の職務行為

の違法性は職務上の注意義務違反という基準により判断され、 法律に適合

しない行政活動が国賠法上の違法と評価されない場合がある。 これは同説

が、 国賠法上の違法の有無を主観的要素を含めた総合的な観点から判断し

ようとすることによる。 したがって、 職務義務違反説による 「法律に適合

していない行政活動が適法と判断される場合」 は、 基本的にこれまで検討

してきたものとは趣旨を異にするということができよう。 そこでは結局、

国賠法上の違法が法律適合性とは異なる観点から限定的に判断されている

に過ぎないと考えられるからである。 もっとも、 法律に適合していない行

政活動を職務義務違反説により国賠法上違法ではないと判断することが、

憲法上の原則に照らして不合理であると考えられる場合には、 その判断が

修正されることになる。 これは、 むしろ先に検討した 「(1) 法律に適合し

ている行政活動が違法と判断される場合」 に近いが、 ここで検討を加えて

おくことにしよう。

職務義務違反説によれば、 賠償責任の成立には公務員が職務義務を個別

行政活動の適法性の憲法的条件

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Page 26: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

の国民に対して負担していることが要件とされ、 規制権限の不行使につい

てこの要件を否定した判例がある70。 ところが、 やはり規制権限の不行使

に賠償責任を認めた裁判例には、 国家賠償制度の趣旨について、 「公権力

の行使に当たる公務員の行為によって国民が被った損害の公平な分担とい

う理念に立脚する制度として規定されて」 おり、 国民の受けた被害を当該

国民のみに負担させるのが許容し得ないようなときには、 「当該規制権限

の不作為は、 当該損害を受けた者との関係において、 国賠法 1 条 1 項の適

用上違法となる」 という見解を示しているものがある71。

この判示は、 規制権限の不行使が職務義務違反説によれば原則として違

法とは評価されない場合であるにもかかわらず、 「損害の公平な負担」 と

いう観点から違法と判断されたものと捉えることができる。 損害の公平な

負担は国賠法 1 条の文言には明示されていないものの損失補償制度のみな

らず国賠制度の重要な根拠であることは、 比較法的にも確認できるところ

であり、 わが国の判例・学説においてもしばしば言及がみられる72。 これ

は憲法の平等原則が要請するところとみることができ、 それ故、 国賠法の

解釈である職務義務違反説の原則を修正することがあると考えられよう。

この論理は、 先に見た合憲限定解釈のそれと同じ構造をもったものであり、

その意味で行政権の 「法」 による拘束のひとつの現れと評価することがで

きるであろう。

5. まとめ

本稿では冒頭に、 行政活動の適法性の重層的な構造についてドグマティ

クを構成するとともに、 わが国の学説・判例の議論の特徴を明らかにする

という目的を示しておいた。 これは理論的には、 ①法律に適合している行

政活動であっても、 必ずしも常に適法と評価されるわけではない、 ②法律

論 説

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70 参照、 最判昭和 60 年 11 月 21 日民集 39 巻 7 号 1512 頁。71 大阪地判平成 19 年 6 月 6 日判例時報 1974 号 3 頁。72 詳細は、 渡邊亙 「国家賠償制度に対する憲法上の要請」 名城法学 63 巻 3 号

(2013 年) 1 頁以下を参照。

Page 27: 行政活動の適法性の憲法的条件 - 名城大学law.meijo-u.ac.jp/staff/contents/64-1_2/6401_0210_watanabe.pdf第3に、 行政の不作為は、 法律の優位や法律の留保の原則に違反すると

に適合していない行政活動であっても、 例外的に適法と評価されることが

あるという 2 つの事象において考察されるべき問題であるというのが、 本

稿の考察の視点であった。 それぞれの事象に関する検討の重要な結果は、

次のように要約できよう。

①法律に適合している行政活動を違法とする根拠は、 ドイツにおいて戦後

当初、 自然法に求められたこともあった。 しかし、 こうした超実定法的な

法への志向は、 それがもつ不明確性やイデオロギー性への危惧により次第

に影を潜め、 憲法に適合した法秩序という実定法上のものへと限定される

ようになった。 同様の考え方は、 わが国でも合憲限定解釈や法の一般原則

といった法原則にみることができる。 これらは、 国家権力の制限による国

民の権利の保護という立憲主義の趣旨から導かれるものといってよい。 し

かし、 行政活動の適法性は、 必ずしも実定法により遍く説明をすることは

できない。 例えば、 行政の不作為を違法とする根拠は、 国民の生命、 身体

等を保護する国家の義務にあると考えられる。

②国家の保護義務は、 わが国の判例や立法において、 法律に適合していな

い行政活動を適法と評価する根拠ともなっていることが確認できる。 この

ことは、 ドイツにおける超実定的な法への志向に対するのと同様の懸念を

招くものかも知れない。 保護義務の内容や範囲は、 必ずしも明確ではなく、

国民の人権保障との緊張関係が生ずることもあり得るからである。 しかし、

神をも根拠とし得る自然法と異なり、 国民の生命、 身体等を保護するとい

う国家の義務を、 憲法の解釈を通じて否定することはできない。 これを上

記の立憲主義の趣旨とどのように両立させるのかは、 したがって、 公法学

にとって不可避の課題といわざるを得ないのである。 この課題については、

しかし、 機会を改めて論じることにしたい。

行政活動の適法性の憲法的条件

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