12
量子化学計算(FMO 法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所 福澤 薫 みずほ情報総研 はじめに 近年、国際的な構造ゲノミクス/プロテオミクスプロジェクトの進展により、世界全体 でタンパク質立体構造データベース(Protein Data Bank; PDB)への登録数が急増しており、 2006 5 月現在、36,000 件以上の立体構造が登録されている。日本においても、理化学研 究所の構造プロテオミクス研究推進本部 (RIKEN Structural Genomics/Proteomics Initiative; RSGI)が中心となって「タンパク 3000 プロジェクト」のもとに X 線及び NMR によるタンパク質の立体構造解析が強力に推進されており、決定されたタンパク質の立体 構造に基づいた創薬(Structure Based Drug Design; SBDD)への期待が高まっている。これ まで薬物設計の分野では、定量的構造活性相関 (Quantitative Structure-Activity Relationship; QSAR)や、1980 年代以降はそれに加えて計算機上で医薬品候補化合物を標 的タンパク質に結合させるドッキング法が主に使われてきた。しかしながら、分子間の相 互作用は古典力学的な力場関数や経験的なスコア関数では精度よく記述できない場合が多 く、第一原理(量子力学)に基づいた、タンパク質のような巨大分子系にも適用できる分 子計算手法の実現が待たれていた。 本稿では、産業技術総合研究所の北浦により提唱されたフラグメント分子軌道法 (Fragment Molecular Orbital method; FMO )について、その概要と生体高分子への応用 例を紹介する。FMO 法は、量子力学に基づいて生体分子の電子状態計算を行うことができ るため、分極や電荷移動を伴う分子認識や、酵素反応、さらには光合成反応のようなタン パク質の励起状態にも適用可能な方法である。 非経験的分子軌道(ab initio MO)法は、低分子化合物の電子状態、物性、構造の計算など に大きな成果を挙げてきた。しかしながら、この方法は計算時間やメモリー使用量が莫大 なうえ並列化が難しいため、生体分子への応用は、先駆的な研究は出ているものの、その 数が限られていた。ところが FMO 法の出現により、生体高分子の電子状態を丸ごと計算す スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006

量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

量子化学計算(FMO 法)

中野達也 国立医薬品食品衛生研究所

望月祐志 立教大学理学部

甘利真司 東京大学生産技術研究所

福澤 薫 みずほ情報総研

はじめに

近年、国際的な構造ゲノミクス/プロテオミクスプロジェクトの進展により、世界全体

でタンパク質立体構造データベース(Protein Data Bank; PDB)への登録数が急増しており、

2006 年 5 月現在、36,000 件以上の立体構造が登録されている。日本においても、理化学研

究所の構造プロテオミクス研究推進本部 (RIKEN Structural Genomics/Proteomics

Initiative; RSGI)が中心となって「タンパク 3000 プロジェクト」のもとに X 線及び NMR

によるタンパク質の立体構造解析が強力に推進されており、決定されたタンパク質の立体

構造に基づいた創薬(Structure Based Drug Design; SBDD)への期待が高まっている。これ

まで薬物設計の分野では、定量的構造活性相関 (Quantitative Structure-Activity

Relationship; QSAR)や、1980 年代以降はそれに加えて計算機上で医薬品候補化合物を標

的タンパク質に結合させるドッキング法が主に使われてきた。しかしながら、分子間の相

互作用は古典力学的な力場関数や経験的なスコア関数では精度よく記述できない場合が多

く、第一原理(量子力学)に基づいた、タンパク質のような巨大分子系にも適用できる分

子計算手法の実現が待たれていた。

本稿では、産業技術総合研究所の北浦により提唱されたフラグメント分子軌道法

(Fragment Molecular Orbital method; FMO 法)について、その概要と生体高分子への応用

例を紹介する。FMO 法は、量子力学に基づいて生体分子の電子状態計算を行うことができ

るため、分極や電荷移動を伴う分子認識や、酵素反応、さらには光合成反応のようなタン

パク質の励起状態にも適用可能な方法である。

非経験的分子軌道(ab initio MO)法は、低分子化合物の電子状態、物性、構造の計算など

に大きな成果を挙げてきた。しかしながら、この方法は計算時間やメモリー使用量が莫大

なうえ並列化が難しいため、生体分子への応用は、先駆的な研究は出ているものの、その

数が限られていた。ところが FMO 法の出現により、生体高分子の電子状態を丸ごと計算す

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -63-

Page 2: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

ることが、比較的小規模な PC クラスターでも実用的な計算時間で可能になった。

FMO 法は、分子の電子状態の近似計算法であり、「フラグメント」MO 法の名前のとお

り、分子をフラグメントに分割して計算を行う。ただし、フラグメントに分けてはいるも

のの、多体効果を効果的に取り込んでいることが理論的にも数値的に示されている。その

ため、通常の ab initio MO 法と同等の結果を得ることができる。しかも、分子系の大きさ

を N とすると、通常の Hartree-Fock (HF)法では )( 42−NO の計算時間がかかるが、FMO 法

ではそれを )( 21−NO に落とすことができる。また、並列化計算にも向いている。

FMO 法の実装としては、産業技術総合研究所の Fedorov らによる GAMESS 版[1-10]、

豊橋技術科学大学の関野らによる NWChem への組込み[11-13]、現在文部科学省次世代 IT

基盤構築のための研究開発プログラム「革新的シミュレーションソフトウェアの研究開発

(RSS21)」プロジェクト及び JST CREST「フラグメント分子軌道法による生体分子計算シ

ステムの開発」プロジェクトを中心に開発が進められているABINIT-MPなどがある[16, 18,

19, 22-25, 27, 29, 31-43] 。 ABINIT-MP の 最 新 版 は RSS21 の ホ ー ム ペ ー ジ

(http://www.rss21.iis.u-tokyo.ac.jp/result/download/)から無償でダウンロードできる。以下

の章では、FMO 法の概要と ABINIT-MP による応用計算例を紹介する。

フラグメント分子軌道(FMO)法

FMO 法[14-18]では、分子を fN 個のフラグメント(モノマー)に分割したときの、モノ

マー I の Hamiltonian IH として次の形のものを用いて Schrödinger 方程式を解く。

IIII E Ψ=Ψ elecH (1)

∑∑ ∫∑

∑∑ ∑

∈ ≠ ∈

∈>∈ ∈

⎥⎥⎦

⎢⎢⎣

−+⎟⎟

⎞⎜⎜⎝

−−+

−+

⎥⎥⎦

⎢⎢⎣

⎡⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

−−+⎟

⎠⎞

⎜⎝⎛ ∇−=

Ii IJ i

J

JA i

A

Ijiji jiIi IA i

AiI

d'Z

Z

'')(

121H

,

2

rrr

rAr

rrAr

ρ (2)

ここで )( 'J rρ はモノマー J に含まれる電子の位置 'r における電子密度である。この

Hamiltonianには周囲の 1−fN 個のモノマーからの環境静電ポテンシャル(式(2)第 3項)

が含まれている。このため、全てのモノマーについて電子分布が自己無撞着 (self

consistent)になるまで繰り返し計算(self consistent charge 計算、SCC 計算)を行う。

フラグメントペア(ダイマー) IJ についても、モノマーと同様に、次の Schrödinger 方

程式を MO がダイマー内に局在するようにして解く。

IJIJIJIJ E Ψ=Ψ elecH (3) ダイマーの Hamiltonian は環境静電ポテンシャルが 2−fN 個のモノマーからの寄与となる

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -64-

Page 3: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

以外、モノマーのものと同じである。分子の全エネルギー E は、モノマー及びダイマーの

エネルギー( IE と IJE )を用いて、近似的に次のように計算できる。

∑∈

> −+=

IBABA

BAII

ZZEE,

elec

AB (4)

∑∈

> −+=

IJBABA

BAIJIJ

ZZEE,

elec

AB (5)

∑∑ −−≅> I

IfJI

IJ ENEE )2( (6)

また分子の全電子密度 )(rρ も同様に計算できる。

∑∑ −−≅> I

IfJI

IJ N )()2()()( rrr ρρρ (7)

FMO 法の計算手順を図 1 に示した。 分子をフラグメントに分割し、電子を割り当てる

フラグメントの初期電子密度を計算する

与えられた電子密度を用いてフラグメントのハミルトニアンを構成し、フラグメントのエネルギーと電子密度を求める

与えられた電子密度と得られた電子密度の差が

閾値よりも小さい

収束したフラグメントの電子密度(SCC)を用いてフラグメントペアのハミルトニアンを構成し、フラグメントペアのエネルギーと

電子密度を求める

分子の全エネルギーおよび全電子密度を計算

No

Yes

図 1 FMO 法の計算手順

FMO 法による全エネルギー E の式を変形すると、全エネルギーをフラグメント間相互作

用エネルギー(Inter-Fragment Interaction Energy; IFIE) IJEΔ と環境静電ポテンシャル

からの寄与 IV を除いたモノマーのエネルギー III VEE −=' の和

∑∑ +Δ=> I

IJI

IJ EEE ' (8)

で表すことができる[8, 13, 19]。ここで、

( ) ( )IJIJJIIJIJ TrEEEE VPΔ+−−=Δ ''' (9)

である。IJPΔ はモノマーとダイマーの電子密度行列の差分行列であり、 IJE ' はダイマーに

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -65-

Page 4: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

対する環境静電ポテンシャルの寄与 IJV を除いたダイマーのエネルギー IJIJIJ VEE −=' であ

る。IFIE を用いることで、例えば受容体タンパク質の各アミノ酸残基とリガンドとの相互

作用を定量的に解析することができる。

分子のフラグメントへの分割方法は、FMO 法の計算精度に影響する。一般論としてフラ

グメントサイズを大きくすることで計算精度は向上するが、計算時間も増大するため、バ

ランスのとれた分割方法が必要となる。ポリペプチドの場合、デフォルトでは 2 残基単位

で分割する(図 2)。残基数が奇数の場合は、C 末端の残基を 1 フラグメントとする。フラ

グメント間相互作用解析を行う場合は、1 残基で分割すると解析結果が見やすくなる。

H2N

R1HN

O R2

O

NH

HN

R3

O

NH

R4

O R5

O

OH

図 2 ポリペプチドの分割

ジスルフィド結合で結合した二つのシステイン残基は図 3 に示したように分割する。

CαHN

SS

CαNH

O

O

図 3 ジスルフィド結合の分割

DNA については図 4 で示したように分割する。図 4(b)のように塩基をフラグメントに分

けると計算精度は低下するが、塩基間の相互作用を解析する場合に便利である。

N

NN

N

NH2

O

H

HHHH

HO

NH

N

N

O

NH2N

O

H

HHHH

OPO

O

O-

N

NH2

ON

O

HO

HHHH

OPO

O-

O

PO

O-

O-

N

NN

N

NH2

O

H

HHHH

HO

NH

N

N

O

NH2N

O

H

HHHH

OPO

O

O-

N

NH2

ON

O

HO

HHHH

OPO

O-

O

PO

O-

O-

(a) (b)

図 4 DNA の分割

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -66-

Page 5: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

実際の FMO 計算では、計算時間がかかる環境静電ポテンシャルを近似することや十分離

れたダイマーのエネルギーを静電相互作用エネルギーのみの計算で求めることにより、ほ

とんど精度を落とすことなく高速な計算が可能である[18]。

ABINIT-MP は最初、PC クラスタのようなスカラーパラレルアーキテクチャを念頭に開発されて

きたが、現在は、地球シミュレータのようなベクトルパラレルアーキテクチャにも対応している。

Hartree-Fock (HF)レベルのFMO計算プログラムをベクトル化する際のボトルネックとしては下記

の二点が上げられる。

1) 積分計算のベクトル化

2) Fock 行列生成のベクトル化

1) については、ABINIT-MP で使用している小原法[20]の漸化式を全て展開し、その外側の原

始ガウス型関数(primitive GTF)と短縮殻(contracted shell)から構成されるベクトル化ループ長

をできるだけ長くするという方針で修正を行った。2) については、止まり木アルゴリズム[21]を採用

し、修正を行った。これらの修正により、ポリグリシン 160 残基の FMO-HF/STO-3G 計算において、

地球シミュレータ 128 ノード(1024 プロセッサ)を用い、ベクトル化率 98.2%、並列化率 99.9%、実

効フロップス値 1.3TFLOPS を達成した。

タンパク質のような生体系分子においては、水素結合や van der Waals相互作用が重要である。

HF 法レベルでも、水素結合については半定量的に記述することが可能であるが、分散力に基づ

いた van der Waals 相互作用や疎水性相互作用を記述するためには、電子相関を考慮すること

が必須である。このような計算には、化学反応の計算によく用いられる密度汎関数法は、分散力を

適切に記述することができないため、必ずしも適しておらず、Post-HF 法の中では、2 次の

Møller-Plesset摂動論に基づいた MP2法が計算コストの面から最初の選択となる。FMO法では、

モノマー及びダイマーの MP2 相関エネルギーを、それぞれMP2IE , MP2

IJE とすると、系全体の

MP2 相関エネルギーMP2E は、

∑∑ −−=> I

IfJI

IJ ENEE MP2MP2MP2 )2( (10)

で計算される。したがって、IFIE の MP2 法による補正MP2IJEΔ は、

MP2MP2MP2MP2JIIJIJ EEEE −−=Δ (11)

となる。ABINIT-MPには望月により開発された、並列化された高速な積分直接駆動型MP2計算

エンジン[22, 23]が組み込まれており、タンパク質やDNAのような巨大分子系のFMO-MP2計算

が可能となっている[24]。また、相関エネルギーだけでなく、電子密度についても計算できる。この

MP2 計算エンジンは、ループの最深部が全て BLAS でコーディングされているため、修正を行う

ことなしに地球シミュレータ上で稼働することができた。実証計算として、ビタミン D 受容体タンパク

質のFMO-MP2/6-31G計算を、地球シミュレータ 64ノード(512プロセッサ)で行ったところ、計算

時間は 3.3 時間であった。これにより、電子相関を考慮したタンパク質の電子状態計算が実用化さ

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -67-

Page 6: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

れ、地球シミュレータの創薬への応用の道が開かれた。

FMO 法による分子計算の実際

まず最初に DNA 鎖を含む生体高分子系への第一原理計算の応用例として、福澤らによる

転写における分子認識機構の解析について紹介する[24]。cAMP 受容蛋白質 (cAMP

Receptor Protein;CRP) は、シグナル伝達物質である cAMP (cyclic 3’:5’-adenosine

monophosphate)との結合によって DNA 結合が誘発され、糖代謝系遺伝子の転写を促進す

る転写制御因子である。例えば、大腸菌のラクトースオペロンの転写に対しては、転写を

抑制するラクトースリプレッサーとともに二重調節の機能を果たしている(図 5)。

図 5 大腸菌ラクトースオペロンの転写制御

これらの転写制御機構を明らかにするためには、まず DNA と転写因子との間の特異的相

互作用について理解する必要があり、これまでに多くの実験的研究がなされてきた。特に

CRP はコンセンサス配列 5’-(TGTGA)-3’との特異的な認識機構を持つことが実験的に明ら

かにされている。ここでは、それらの実験結果に理論的解釈を与えることを目的として

FMO 法を用いた DNA-CRP 相互作用解析を行った一例を紹介する[24]。

生体内では、CRP と cAMP との複合体は二量体となって DNA に結合することが知られ

ているが、我々はまず単量体に対する計算を行った。電子状態計算では、FMO-MP2/6-31G

レベルでの1点計算を行った。またフラグメント分割はタンパク質では1アミノ酸残基単

位、DNA では塩基部分と主鎖部分を別フラグメントとした。CRP は 200 残基、DNA 鎖は

11 塩基対からなり、cAMP を含めた全原子数は 3932 である。全電子状態計算と共に IFIE

解析を行い、残基・塩基単位での DNA-CRP 間相互作用を解析した。計算機は Dual Xeon

2.2GHz のクラスターを 8 ノード(16CPUs)用い、計算時間は 551.0 時間を要した。

大腸菌 CRP と cAMP、DNA との複合体の FMO 計算結果を図 6 に示した。

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -68-

Page 7: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

図 6 FMO-MP2/6-31G 計算による DNA-CRP-cAMP 複合体の IFIE 解析の可視化[24]

図 6(a)は CRP-cAMP 複合体と各 DNA 塩基および主鎖との相互作用を表す。特に濃い赤色

を示し強く安定化しているのは、DNA 主鎖のうちコンセンサス配列とその周辺

5’-(aaaaTG)-3’ の部分であり、周辺との強い相互作用を表している(コンセンサス配列を大

文字、その他の配列を小文字で表した)。ところが塩基との相互作用においてはコンセンサ

ス配列 5’-(TGTGA)-3’との相互作用が最も強く、特に 5 位と 7 位の G:C 塩基対において強

い配列特異性を表すという実験結果と一致する結果が得られた。一方、図 6(b)は DNA 鎖と

各アミノ酸残基および cAMP との相互作用を示しており、DNA 鎖から見た場合にどのアミ

ノ酸残基が安定化及び不安定化に寄与しているのかがわかる。これらにより、どのアミノ

酸や塩基に変異を加えると DNA-タンパク質の結合性が効果的に変化するか、などの知見

を得ることができる。ここではタンパク質や DNA 全体とその他のフラグメントとの相互作

用を紹介したが、もちろん個々のアミノ酸残基や塩基ごとの IFIE も得られるため、2本鎖

DNA 内の水素結合やスタッキング相互作用を解析することも可能である。

次に、FMO 法によるタンパク質の励起状態計算について紹介する。ABINIT-MP には、

望月により開発された CIS 計算エンジンを用い、系全体を FMO-HF 法で解いた後、クロモフ

ォア領域(光応答タンパク質の中心領域)に対してのみ CIS 法を適用する MLFMO-CIS 法

が実装されている[25]。図 7は、残基数 125の好塩細菌の光活性黄色タンパク質(Photoactive

Yellow Protein; PYP)であり、赤い部分がクロモフォアの領域を示している。PYP の

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -69-

Page 8: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

MLFMO-CIS の全計算時間は Xeon(3.06GHz)64 台で 11.2 時間、CIS のカーネル時間のみ

なら僅か 24.4 分であり、実用性を実証している。

図 7 PYP のクロモフォア(左側赤色表示部分)。右下の軌道から右上の軌道へ電

子が励起する。

また、アドバンスソフト研究開発センターの田中により、Head-Gordon らの CIS(D)法[26]を

CSFベースで定式化した新しいCIS(D)法が開発され、この方法に基づいたCISに軌道緩和エネ

ルギーと MP2 基底状態との差分相関エネルギーの補正を行う高精度励起状態計算エンジンが、

FSIS プロジェクトで開発された CIS 計算エンジン[25]を元に望月により開発された[27]。この

CIS(D)計算エンジンは、MP2 計算エンジンと同じく、最深部は BLAS で記述されているため、地

球シミュレータ上でも高いベクトル化性能が期待できる。PYP のモデル系の励起エネルギーの実

験値 2.78eV に比して過大見積もりとなっていた CIS 法による計算値 4.28eV が、CIS(D)法では

大幅に改善されるなど、励起状態の計算に電子相関を考慮した効果が表れている[27]。

望月により提案されたsize-consistent/extensiveな軌道緩和法であるconcurrent electron

relaxation functional (CERF) [28]をFMOの文脈に応用して開発されたconfiguration

analysis for fragment interaction (CAFI) [29]は、生体系あるいは溶液系で重要な水素結合

に伴う電荷移動(CT)に注目して、フラグメント間の水素結合ネットワークのトポロジーを定量的・可

視的に解析する手法である。CAFIをABINIT-MPへ実装することにより、生体系において重要な

水素結合の、電子の移動方向まで含めた軌道レベルの解析が可能となった。図8は(Gly)5につい

て分子内の水素結合-NH…OをCAFIで解析した例である。空孔軌道は赤‐青で、粒子軌道は緑‐

黄色で表示されている.ここでは、カルボニル基の軌道からNH側に電子が移動したことを示して

いる。CAFIにより相互作用の大きさだけでなく、電荷移動の向きや移動量についても解析すること

が可能となった。また、BioStation Viewer [30]に、CAFIの可視化機能を組み込み、グラフィカル

な解析を可能にした。

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -70-

Page 9: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

図 8 CAFI による解析例。Gly3 のカルボニル基から Gly5 の

NH へ電子が移動していることが分かる。

甘利らにより開発された visualized cluster analysis of protein-ligand interaction

(VISCANA) は、受容体タンパク質に対して複数のリガンドとの IFIE 解析を行い、得られた IFIE

に基づいたクラスタ解析により、受容体結合におけるリガンドの類似性を抽出する手法である[19]。

VISCANA は、virtual ligand screening (VLS)における候補化合物の選択や、受容体側の機

能解析に役立つとことが期待される。アンドロゲン受容体と複数のリガンドについて BioStation

Viewer [30]を用いた VISCANA による解析を行なった例を図 9 に示す.中央のカラムにリガンド

分子名とリガンド結合エネルギーがカラースケールで表示されている。その右側にリガンド分子と受

容体タンパク質の各アミノ酸残基との相互作用エネルギーの大きさがカラー表示されている.左側

には,クラスタ解析の結果が樹形図として表示され、相互作用パターンが類似するリガンドが同じク

ラスタに分けられていることが確認できる。また、リガンド名を選択し”View”ボタンをクリック

することでリガンドと周辺残基との相互作用の状態が表示される。

図 9 BioStation Viewer を用いた VISCANA による解析例

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -71-

Page 10: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

FMO 法の今後の展開

本稿で紹介したように北浦により提唱された FMO 法は、巨大分子系の電子状態計算法と

して極めて有効であり、今後のさらなる発展が期待される。スペースの関係で紹介できな

かったが、FMO 法に基づいたタンパク質の構造最適化[17]や ab initio MD (FMO-MD)[31,

32, 38, 40]も実用化されつつある。RSS21 プロジェクトでは、さらに実用性を高めるため、

FMO 法に基づいた QM/MM 法の開発を行っている。

また平成 16 年から開始された JST CREST の「フラグメント分子軌道法による生体分子

計算システムの開発」では、CASSCF 法、分極率等の物性値の計算[33]、モデル内殻ポテ

ンシャル(MCP)法による重元素の取り扱い[34]、FMO-DFT 法の組込み[35]、三体項を考慮

した FMO3 法、周期境界条件 FMO(PBC-FMO)法の開発を行っており、プロジェクト終了

時には実用的な生体分子計算システムが完成するものと期待している。

最後に、PC クラスタはスーパーコンピュータ(SC)と比較すると限られた演算能力しか持

たないが、長時間ジョブを流しっぱなしにできるという利点がある。一方 SC は極めて高い

演算能力を持つが共同利用という利用形態から、多数のノードを長時間占有し続けるのは

なかなか難しい。しかし、今後重要性が増すと予想されるタンパク質の ab initio MD シミ

ュレーション分野では、SC を使うことで各タイムステップの計算時間が大幅に短縮される

ことから、アプリケーション側でジョブのリスタート機能を工夫することで、一つのジョ

ブの計算時間の制限を克服し、SC の性能を 100%引き出すことが可能になる。このように

SC を使いこなすためには、アプリケーション側の対応が必須であり、それをサポートする

ための情報基盤センターの役割は益々重要になると考えられる。

謝辞

本研究は、文部科学省次世代 IT 基盤構築のための研究開発プログラム「革新的シミュレ

ーションソフトウェアの研究開発(RSS21)」プロジェクト及び JST CREST「フラグメント

分子軌道法による生体分子計算システムの開発」プロジェクトの支援を受けています。ま

た、海洋研究開発機構の支援により、地球シミュレータを利用しています。FMO 法は北浦

博士を始め、多くの方々の協力により開発が進められています。ここに全員のお名前を挙

げることはできませんが、ご協力頂いた皆様に感謝いたします。

参 考 文 献

[1] D. G. Fedorov, R. M. Olson, K. Kitaura, M. S. Gordon, S. Koseki, J. Comput. Chem. 25,

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -72-

Page 11: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

872-880 (2004).

[2] D. G. Fedorov and K. Kitaura, J. Chem. Phys. 120, 6832-6840 (2004).

[3] D. G. Fedorov and K. Kitaura, Chem. Phys. Lett. 389, 129-134 (2004).

[4] D. G. Fedorov and K. Kitaura, J. Chem. Phys. 121, 2483-2490 (2004).

[5] D. G. Fedorov and K. Kitaura, J. Chem. Phys. 122 (2005) 054108.

[6] D. G. Fedorov, T. Ishida, K. Kitaura, J. Phys. Chem. A. 109, 2638-2646 (2005).

[7] D. G. Fedorov and K. Kitaura, J. Chem. Phys. 123 (2005) 134103.

[8] T. Nemoto, D. G. Fedorov, M. Uebayasi, K. Kanazawa, K. Kitaura, Y. Komeiji, Comput. Biol.

Chem. 29, 434-439 (2005).

[9] T. Ishida, D. G. Fedorov, and K. Kitaura, J. Phys. Chem. B 110, 1457-1463 (2006).

[10] D. G. Fedorov, K. Kitaura, H. Li, J. H. Jensen, M. S. Gordon, J. Compt. Chem. 27, 976-985

(2006).

[11] H. Sekino, Y. Sengoku, S. Sugiki and N. Kurita, Chem. Phys. Lett. 378, 589-597 (2003).

[12] S. Sugiki, N. Kurita, Y. Sengoku and H. Sekino, Chem. Phys. Lett. 382, 611-617 (2003).

[13] S. Sugiki, M. Matsuoka, R. Usuki, Y. Sengoku, N. Kurita, H. Sekino, S. Tanaka, J. Theor.

Comput. Chem. 4, 183-195 (2005).

[14] K. Kitaura, T. Sawai, T. Asada, T. Nakano, M. Uebayasi, Chem. Phys. Lett. 312, 319-324

(1999).

[15] K. Kitaura, E. Ikeo, T. Asada, T. Nakano, M. Uebayasi, Chem. Phys. Lett. 313, 701-706 (1999).

[16] T. Nakano, T. Kaminuma, T. Sato, Y. Akiyama, M. Uebayasi, K. Kitaura, Chem. Phys. Lett. 318,

614-618 (2000).

[17] K. Kitaura, S. Sugiki, T. Nakano, Y. Komeiji, M. Uebayasi, Chem. Phys. Lett. 336, 163-170

(2001).

[18] T. Nakano, T. Kaminuma, T. Sato, K. Fukuzawa, Y. Akiyama, M. Uebayasi, K. Kitaura, Chem.

Phys. Lett. 351, 475-480 (2002).

[19] S. Amari, M. Aizawa, J. Zhang, K. Fukuzawa, Y. Mochizuki, Y. Iwasawa, K. Nakata, H.

Chuman, T. Nakano, J. Chem. Inf. Model. 46, 221-230 (2006).

[20] S. Obara and A. Saika, J. Chem. Phys. 84, 3963-3974 (1986).

[21] Y. Mochizuki, M. Matsumura, T. Yokura, Y. Hirahara, and T. Imamura, J. Nucl. Sci. Tech. 39,

195-199 (2002).

[22] Y. Mochizuki, T. Nakano, S. Koikegami, S. Tanimori, Y. Abe, U. Nagashima, K. Kitaura, Theor.

Chem. Acc. 112, 442-452 (2004).

[23] Y. Mochizuki, S. Koikegami, T. Nakano, S. Amari, K. Kitaura, Chem. Phys. Lett. 396, 473-479

(2004).

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -73-

Page 12: 量子化学計算(FMO法)量子化学計算(FMO法) 中野達也 国立医薬品食品衛生研究所 望月祐志 立教大学理学部 甘利真司 東京大学生産技術研究所

[24] K. Fukuzawa, Y. Komeiji, Y. Mochizuki, A. Kato, T. Nakano and S. Tanaka, J. Comp. Chem. 27,

948-960 (2006).

[25] Y. Mochizuki, S. Koikegami, S. Amari, K. Segawa, K. Kitaura, T. Nakano, Chem. Phys. Lett.

406, 283-288 (2005).

[26] M. Head-Gordon, R. J. Rico, M. Oumi and T. J. Lee, Chem. Phys. Lett. 219, 21-29 (1994).

[27] Y. Mochizuki, K. Yamashita, T. Nakano, T. Ishikawa, S. Amari, K. Segawa, T. Murase, H.

Tokiwa, M. Sakurai, and K. Tanaka, J. Chem. Phys., submitted.

[28] Y. Mochizuki, Chem. Phys. Lett. 410, 165-171 (2005).

[29] Y. Mochizuki, K. Fukuzawa, A. Kato, S. Tanaka, K. Kitaura, T. Nakano, Chem. Phys. Lett. 410,

247-253 (2005).

[30] 加藤昭史, 福澤薫, 望月祐志, 甘利真司, 中野達也, 可視化情報学会誌 26、124-129

(2006).

[31] Y. Komeiji, T. Nakano, K. Fukuzawa, Y. Ueno, Y. Inadomi, T. Nemoto, M. Uebayasi, D. G.

Fedorov, K. Kitaura, Chem. Phys. Lett. 372 , 342-347 (2003).

[32] Y. Komeiji, Y. Inadomi, T. Nakano, Comput. Biol. Chem. 28, 155–161 (2004).

[33] Y. Mochizuki, T. Ishikawa, K. Tanaka, H. Tokiwa, T. Nakano, S. Tanaka, Chem. Phys. Lett. 418,

418-422 (2006).

[34] T. Ishikawa, Y. Mochizuki, T. Nakano, S. Amari, H. Mori, H. Honda, T. Fujita, H. Tokiwa, S.

Tanaka, Y. Komeiji, K. Fukuzawa, K. Tanaka, E. Miyoshi, Chem. Phys. Lett., submitted.

[35] Y. Shimodo, K. Morihashi, T. Nakano, J. Mol. Struct.(Theochem), submitted.

[36] Y. Inadomi, T. Nakano, K. Kitaura, U. Nagashima, Chem. Phys. Lett. 364, 139-143 (2002).

[37] K. Fukuzawa, K. Kitaura, K. Nakata, T. Kaminuma, T. Nakano, Pure Appl. Chem. 75,

2405-2410 (2003).

[38] T. Ishimoto, H. Tokiwa, H. Teramae and U. Nagashima, Chem. Phys. Lett. 387, 460-465 (2004).

[39] K. Fukuzawa, K. Kitaura, M. Uebayasi, K. Nakata, T. Kaminuma, T. Nakano, J. Compt. Chem.

26, 1-10 (2005).

[40] T. Ishimoto, H. Tokiwa, H. Teramae, U. Nagashima, J. Chem. Phys. 122 (2005) 094905.

[41] T. Ishimoto, M. Tachikawa, U. Nagashima, J. Chem. Phys. 124 (2006), 014112.

[42] K. Yamagishi, K. Yamamoto, S. Yamada and H. Tokiwa, Chem. Phys. Lett. 420, 465-468

(2006).

[43] K. Yamamoto, D. Abe, N. Yoshimoto, M. Choi, K. Yamagishi, H. Tokiwa, M. Shimizu, M.

Makishima, and S. Yamada, J. Med. Chem. 49, 1313-1324 (2006).

スーパーコンピューティングニュース Vol. 8 No. Special Issue 1, 2006 -74-