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-1- 聖地のこどもニュース オリーブの木 No. 20 2006 年 8 月 NPO 法人 聖地のこどもを支える会 事務局:  164-0013 東京都中野区弥生町 1-19-1-201 Tel & Fax : 03-3379-5571 e.mail : [email protected] ホームページ:http://www.ne.jp/asahi/seichi-no-kodomo/org 郵便振替:00180-4-88173 支援者の皆様、一ヶ月あまりに及んだ中東の戦争もようやく停戦にこぎつけました。 その間に、レバノンでもイスラエルでも、女性や子どもを含めた数多くの人々が犠 牲となり、町や村が徹底的に破壊されました。いったいこの戦争の意味は何だった のでしょうか。《オリーブの木》今号では、緊迫した情勢のさなかにイスラエルと パレスチナから私たちに送られてきた生のメッセージをお届けいたします。 折しも日本人の私たちは、広島・長崎の原爆投下記念日や終戦記念日を迎え「戦 争」と「平和」について考える機会を与えられています。彼らの声が皆様のご参考 になれば幸いです。今後とも子どもたちの平和教育のためにご協力下さいますよう、 お願い申し上げます。 感謝をこめて。     井上 弘子  スタッフ一同

聖地のこどもニュース オリーブの木 - ne連帯事務局長 ピエトロ・フェレット神父のメッセージ 希望、それは平和への道のともしび 2006年8月11日

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ナザレのアラブ人高校生:「平和を願う対話の旅」で

交流した。この学校では付近のイスラエルの高校生と平和

のための対話交流を活発に続けている。この町にもヒズボ

ラのロケットが着弾し、犠牲者が出ている。

聖地のこどもニュース

オリーブの木No. 20 2006年8月

NPO法人 聖地のこどもを支える会〠事務局: 164-0013 東京都中野区弥生町1-19-1-201

Tel & Fax : 03-3379-5571 e.mail : [email protected]ホームページ:http://www.ne.jp/asahi/seichi-no-kodomo/org

郵便振替:00180-4-88173

支援者の皆様、一ヶ月あまりに及んだ中東の戦争もようやく停戦にこぎつけました。その間に、レバノンでもイスラエルでも、女性や子どもを含めた数多くの人々が犠牲となり、町や村が徹底的に破壊されました。いったいこの戦争の意味は何だったのでしょうか。《オリーブの木》今号では、緊迫した情勢のさなかにイスラエルとパレスチナから私たちに送られてきた生のメッセージをお届けいたします。 折しも日本人の私たちは、広島・長崎の原爆投下記念日や終戦記念日を迎え「戦争」と「平和」について考える機会を与えられています。彼らの声が皆様のご参考になれば幸いです。今後とも子どもたちの平和教育のためにご協力下さいますよう、お願い申し上げます。 感謝をこめて。     井上 弘子  スタッフ一同

連帯事務局長 ピエトロ・フェレット神父のメッセージ

希望、それは平和への道のともしび                           2006年8月11日日本の支援者の皆様、

 今、イスラエル・レバノン・パレスチナの悲惨な写真や報道が、居間でテレビを見ている私たち

の心を締めつけます。政治家たちは現実のセンスと良識を失ってしまったのでしょうか。

 8月6日ベイトサフール(ベツレヘムの近く、羊飼いの野の村)で、キリスト教徒とイスラム教

徒がともに象徴的な《葬式》のために集まり、国連・アラブ連盟・人間の良心のために三つの棺を

担いで歩きました。国際外交の無力さ、アラブ諸国の無関心、そして蹂躙された人間性、これらが、

恐ろしい無意味な暴力の波を新たに引き起こしているからです。

 私はつい最近、フィレンツェの元市長ジョルジョ・ピラ(1904~1977)に関する素晴らしい記事

を読み、彼の主張を現在の中東の状況に置き換えてみました。

 《もし私たちが、自分と同じ人間に対して戦争を仕掛けるなら、どんな権利があって自分は文明

人だといえるのか?》「民主主義者」で「自由な人」が文明人でしょうか? ブッシュ氏は本当に

民主的で自由な人ですか? 自分と同じ人間に対して戦争を仕掛けているのに? 民主主義とは

「輸出」するものではありません。それは人間の心から、各民族の心の奥底から生まれるものでは

ないでしょうか? もちろんすべての人はまことの「自由」を求めています。しかし中東世界はア

メリカ式民主主義も、強い者に弱い者を支配する権利を与えるような「自由」も必要としていない

と、私は確信しています。

 《もし一人の人を殺すことが大罪であるなら、ましてや一つの国を殺すことは比較できないほど

大きな罪ではないか?》 アメリカでも他の国でも、殺人犯を死刑にするところがあります。では

一つの民族の存続を脅かし、町や村を完全に破壊し、食料や医薬品を運ぶ人道的支援の輸送隊まで

も攻撃する国に対してはどうすればよいのでしょうか?

 私は、アメリカ大統領ブッシュ氏とその政府、イスラエル首相オルマート氏とその内閣、ヒズボ

ラの指導者ナスララ師とその軍隊、パレスチナ議長アッバス氏とその首相、G8大国の指導者たち、

アラブやヨーロッパの政治家たちに聞きたい。あなた方が人々のための政治を行うに当たって何を原

動力としているのですか? 9月11日やホロコーストの犠牲者の記憶ですか、シオニズム(=イスラ

エルの国)を破壊したいという欲求ですか、侵害され、踏みにじられた権利を取り戻すためにはあえ

て暴力手段も許されるという考えですか。過去の歴史は未来を構築するための教訓となるべきであっ

て、いかに正当防衛とはいえ、決して相手を破壊し尽くすための口実となってはならないのです。

 日本の皆様、どうぞあなた方も心の奥底から、まことの「平和の道具」をとり出して活用してく

ださい。それは信仰者としての希望--キリストの復活、アブラハムの信仰、世界と人類の造り主

である偉大な、慈しみ深い神の愛に基づく希望です。神はすべてのものを善いものとしてお造りに

なりました。それを疑わないでください。私たちの中にある悪、あるいは私たちが作り出した悪は

必ず滅ぼされるでしょう。

 ジョルジョ・ピラとともに私は申し上げたい。「すべての人は、愛する家族のための住まいを、

教育を受けるための学校を、働くための工場を、治療を受けるための病院を、祈るための教会(モ

スク、シナゴーグ)を持つ権利がある」と。1965年、教皇パウロ6世は国連での演説で「ノー・

モア・ウォー(もう決して戦争を繰返さないように)」と言われました。私も今申し上げたい。

 -- もう決してイスラエル・パレスチナ・レバノンの人々の間に憎しみや対立がないように。

 -- もう決して人々の家が破壊されないように。

 -- もう決して核シェルターや青空刑務所が造られないように。

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 -- もう決して死者や負傷者が出ないように。

 -- もう決して難民も避難者も出ないように。

 現在、ヒズボラのロケット砲を逃れてガリラヤから避難してきた

人々がエルサレムにもベツレヘにもテルアビブにもあふれています。

ヨルダンには、イスラエルの空爆を逃れてきたレバノンの人々が大勢

います。これらの人々の苦しみを前に私たちは何を考え、何をすれば

よいのでしょうか。彼らの望みはただ一つ、1日も早く戦火が止み、

できるだけ早く自分の家に帰ることです。

 中東の平和のため、世界の平和のためにご一緒に祈り続けましょう。私たちの祈りは、希望の灯

火をともし続ける油となることでしょう。

 日本の皆様のご支援にいつも心から感謝しております。

                 ピエトロ・フェレット(イエスの聖心会司祭)              聖地における学校学院のための連帯事務局長

この度の戦争の間、昨年の「平和をつくる子ども交流プロジェクト」に参加したイスラエル人とパレスチナ人から日本の支援者へのメッセージが寄せられました。彼らの苦悩と希望がうかがえます。その内のいくつかをご紹介します。(編集部)

 僕たちが日本に行ってからもう 1年がたちました。あれ以来変わっ

たことも沢山あるし、変わってないことも沢山あります。兵役につい

てもう10カ月、今では軍隊にすっかり慣れました。僕は軍の一員と

して、自分の国を守る任務を果たすことを誇りに思います。僕は戦闘

部隊ではなく情報部隊に所属しています。

 仕事はとても興味深く、自分の時間の全てを軍務に費やしています。約 2週間に1度の割

合で3日間帰宅し、また軍に戻ります。友人もみんな軍にいるので、帰宅した時にお互いに

会って話をしています。

 友人の多くが現在レバノンに送られ、また対テロリスト作戦でガザやその他の西岸のアラ

ブ人都市にも送られて戦っているので心配です。「ナブルスでの作戦で、数名の兵士が負傷

し、1人が死亡した」などというニュースを聞くと、もしかしたら友人を失うかもしれない

という言い知れぬ恐怖を感じます。

 僕の彼女は、ガザの北部キャンプで看護兵として服務しています。この基地はイスラエル

領内ですが、境界の塀に接する場所にあり、ガザからテロリストが発射したロケットが何度

も命中しています。またテロリストがしばしば基地への侵入を試みています。彼女とも2週

間に1 度しか会えないので、会うときはいつも、神が彼女を守り、無事に帰宅させてくれた

ことを感謝しています。彼女は入隊してもう1年、僕よりも長く軍にいます。女性の兵役は

2年なので、除隊まではあと1年です。

 日本の友人のみなさん、あなたたちに会えなくてとても寂しく思います。また近いうちに

会えるといいですね。来年数週間の休暇を取って、日本に行ってみなさんに会うことができ

るかもしれません。僕のことはあまり心配しないでください。これがイスラエルの現実です。

ここに住んでいると、この現実に慣れっこになってしまってあまり恐れを抱かなくなります。

 僕の今の生活について少しお話ししましたが、戦争やイスラエルの状況について、あれや

これやとあまり語りたくありません。テレビで見ることを何でも信じないようにしてくださ

い。あなたとあなたの家族のご無事と幸福を祈ります。

                         7月20日 オメル・ケシェット  -3-

戦時下の国から日本の友へイスラエルからのメッセージ

兵役についた

オメル からイスラエル

ミハルからのメッセージは 7月 30日、レバノン南部のカナで一般市民や子どもが 50数人犠牲になった翌日に送られてきました。(編集部)

‥‥昨日殺された罪のない人たちを思うととても辛く悲しい‥‥。この深い悲しみを表すふさわしいことばが見つかりません。 一方皆様には、私たちイスラエル人の苦しみを十分理解していただけないかもしれません。戦死した兵士の母親や家族の暮らしは瞬時にして永遠に変わり果ててしまうのです。イスラエル北部の負傷者や一般市民が100万人以上、家を離れて3週間たちます。お金も引っ越す力もないお年寄りたちは3週間もシェルターにいます(編集部注:アラブ人の中にはシェルターがない人もいる)。 イスラエル北部全体が、そして世界中のイスラエル人がヒズボラの標的となっています。昨日の出来事は同じようにこちら側でも起こりうるのですが、こちらではみなシェルターに避難したり、家を空にしているので、悲惨な映像は見られません。わが家でも北から逃れてきた何家族かをお預かりしましたが、みな恐怖におののき、トラウマにとりつかれていました。特にここ数週間、ロケット砲撃にさらされてきた子どもたちの恐怖感は深刻なものがあります。 “人間”と私がいう時、双方の人間についてです。だから昨日の出来事は本当に辛いのです。でも聞いてください。聞き及ぶところ、ヒズボラがあの子供たちを“人間の壁”として爆撃に備えていたということ、一般の人々を人間シェルターとしてその家からイスラエルに砲撃していたということです。この事実をどう思われますか? 人間性など、どこにあるでしょうか? 建物に人間を閉じ込めておいたのは世界の世論を動かすべく、悲惨な映像が必要だったからです。メディアが利用されています。 一方、こちらでは負傷者を見せつけません。それが私たちの人間の尊重の仕方であって、亡くなった兵士への悲嘆は飲み込むのです。命はこの上なく大切なものですから、あの人たちのように悲嘆を売り物にしません。 この惨禍を止める唯一の方法は話し合いだと確信しています。願わくは平和の対話が早く実現しますように。 皆さんには事実についても知っていただきたかったのです。今なお対話の力を信じ、心から平和を求める私のようなものにとっては厳しい日々です。ヒズボラが望んでいることはただ一つ、無実のイスラエル人を殺すことです。彼らがイランと組んでイスラエルを認めず、攻撃している以上、イスラエル市民でありユダヤ人である私としては、この戦争を容認せざるを得ませんでした。もちろん戦争は悪。戦争は人間性に反します。しかし、一国民として私たちには自らを守る権利があります。でも戦争は更なる憎しみと過ちを引き起こします。昨日のカナの出来事のように‥‥‥。              7月30日    ミハル・イラン 

 私たちのことを心にかけて下さって本当にありがとうござ

います。私自身北イスラエルと南レバノンに大変関わりがあ

るので気がかりです。1948年以来難民となった親戚が大勢

南レバノンに住んでおり、身内もハイファやアッコの近くに

住んでいるからです。私は今ハイファやテルアビブでの反戦行動に関わり、忙しい日々を送っ

ています。妹がテルアビブでの抗議デモで暴力をふるわれました。歴史は繰り返します。私

も1982年のデモで殴られました。私の隣で一緒にデモをしていたのは誰あろう、現イスラ

エル国防相、アミル・ペレツでした。今彼は戦争指導者になっているのです!

-4-

ミハル・イランから(イスラエル)

ワルダ・サダ から(イスラエルのアラブ人・教師)

 オメルのメール(3ページ参照)を見て、悲しかったこと! 多くのユダヤ人の友人は反対で、

イスラエルの過剰な報復を責めています。ナスララ師がイスラエル兵を2人拉致したのは、

イスラエルに捕まっている自分の兵士を取り戻す交渉をしたかったからです。その日、イン

ターネットで出来事を知り、ハタと考えました。「イスラエルの次なる一手は?」イスラエ

ルが新たなページを開いて捕虜を返し、自国の兵を取り戻してく

れますようにと願いました。しかし半日もせぬうち戦争が始まっ

てしまいました。イスラエルはレバノンを爆撃し、ナスララはナ

ハリアを攻め返した。イスラエルはベイルートを攻撃し、翌日ナ

スララはハイファに反撃を加えました。

 イスラエル北部に住んでいる私の家族もアラブ人とユダヤ人の

友だちもみんな苦しんでいます。レバノンの人々の果てしない苦

しみは言うまでもありません。少なくともここ、イスラエル南部

は戦争から逃れられる場所です。私の家では2家族をお世話しました。アラブ人の家族を1

週間、翌週はユダヤ人の親子を。レバノンには、安全な場所がありません。イスラエルが南

部も北部も攻撃しているからです。

 ナスララの攻撃を阻止するために戦争が必要だとオメルが考えているのは、何ともやりき

れません。必要な戦争などないのです。‥‥‥

 アミル・ペレツがこの戦争を動かしているというのも悲しいことです。貧困の問題、労働

者の権利、アラブ人の権利、これらを一番心にとめているイスラエル人のはずなのに。更な

る貧困や苦難をこの地に加えているのですから。事態が重く胸にのしかかります。勝者など

いないのです。本当です。平和から5000歩も後退しているだけです。

 アラブ・ユダヤ双方の真の友人たち共々、この戦いに抗議しつづけます。レバノンはいま

や新たなるヒロシマです。友人のタマル(ユダヤ人)は私の広島土産の本を開いて言ってい

ます。「もう、そっくりそのままね。」

 戦争と苦しみを止めるよう、どうぞ日本が進んで行動してくださいますように。アメリカ

はもう正当な世界平和のリーダーではありません。ひたすらわがままな幼児のように9月11

日の事件を恨んで全世界を罰しようとしているようです‥‥‥。

                         8月6日  ワルダ・サダ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 

~次のメッセージは、停戦直後にワルダが送ってきたものです。~ ‥‥‥数時間前にとうとう停戦が実現しました。でもこの停戦協定に効果があると思いますか? 私はとても懐疑的です。もしイスラエル軍がレバノンにとどまるなら、ヒズボラが承知しないでしょう。イスラエルは国連軍が派遣されるまでは、レバノンを撤退することはないでしょう(編集部注:国連軍派遣には少なくとも2週間はかかりそうだ)。‥‥‥イスラエルは停戦

直前10分間で2万kgもの爆弾をレバノンに落とし、ヒズボラは250発ものロケットをイスラエルに打ち込みました。つまり、互いに《どうだ、こっちの方がもっと強いぞ、どんな仕返しをするか見ていろ》とでも言い合っているようです。‥‥‥停戦したとはいえ、まだ再燃の危険は残っています。数多くのレバノン人が殺され、200万人が避難を余儀なくされ、住まいを破壊されました。イスラエル側では52人の一般市民、115人の兵士が犠牲となりました。その中の3人は私がよく知っている人で、心からの悲しみを覚えています。中でも伯父の隣人だった67歳のアラブ人の女性はとても親切な人で、私がまだ小さかった頃、よくアイスクリームやお菓子をくれたし、私の祖母をしばしばを訪ねてくれました。もう一人

-5-

は有名なイスラエルの作家の息子です。彼は最初はこの戦争を支持していましたが、その後テレビで反戦を訴えるようになりました。そしてわずかその1週間後、息子はレバノンで戦死したのです。なんと痛ましいことでしょうか!

このようにイスラエルにもたくさんの悲劇があります。愛する人を失って悲嘆に暮れる家族、破壊された数々の家、経済的な打撃など。しかし何といってもレバノンがイスラエルの過剰な攻撃によってこうむった被害は計り知れません。 軍部は、戦争経験のない現在のイスラエル政府を誤った方向に導いたと思います。イスラエルは勝利を得たのでしょうか? 答えは否です。私が前に、政治家たちをヒロシマに送って戦争とは

なにか、平和とはなにかについて学ばせるべきだと言っていたのを覚えていますか? 私の意見はいまだに変わっていません。 日本の平和と静かさのなかで生きておられる皆様のことを思っています。 愛をこめて。                     8月14日  ワルダ・サダ

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 激しい空爆とロケット砲の応酬が5週間も続いたイスラエルとヒズボラの戦

争も8月14日とうとう停戦合意が実現した。それぞれ国益しか考えない外

交の駆引きで、国際社会が迷走を続けている間、双方がこうむった被害は甚

大で、計り知れないものがある。

レバノンでは千数百人に及ぶ人命が失われ、町や村、橋や道路が徹底的に破壊され、電気、水道、ガ

スなどの社会基盤の機能が完全に失われてしまった。イスラエルでも何千発ものロケット弾が降り注い

だガリラヤでは150人以上が犠牲となり、大打撃を受けた。

いったいこの戦争は何だったのか? 一応停戦が実現した今、その意味と責任を問う声は大きい。イ

スラエルの戦争の目的であった、拉致された2名の兵士の救出、武装勢力ヒズボラの徹底的無力化など

は実現していない。後に残されたもの、それはレバノン国民の怒りと憎しみと悲しみだ。彼らの間では

皮肉なことにヒズボラへの支持が高まっている。中東紛争の火種がまた一つ増えた。

一方、国際社会の目がレバノンと北イスラエルに向けられていた間にも

続行していたもう一つの軍事行動は、ほとんど忘れられていた。6月下旬の

イスラエル軍兵士ギレアドの拉致に端を発したガザへの攻撃はすでに2カ

月近く続いている。7月だけでヨルダン川西岸地区を合わせると未成年者と

女性を含めて約190人、負傷者は1000人以上に及ぶ。7月12日には10

人の少年たちがイスラエル軍の爆撃から身を守るために隠れていた井戸にミ

サイルが命中し、6人が即死、数人が重傷を負ったそうだ。6月28日にはガザ唯一の発電所が爆撃され、電気と水道の供給は数日間完全にストップ、現在やっと電気が6~7時間、水道が2~3時間使えるようになった。とはいえ、人口密度が世界でもっとも高く(注:365km2の土地に人口は1,400,000人、その内3分の2が難民)、しかも真夏の気温が30~40℃にも達するガザで、冷蔵庫も扇風機もテレビも動かず、人々がどれほど困難な生活を強いられているかは想像にかたくない。夏休みで学校がない子どもたちは、どこにも遊びに行けず、イスラエル軍戦闘機が超音速の低空飛行を1日に何度もするので、心理的に非常におびえ、精神障害を来す子どもが多くなっている。もう一つ忘れてはならないのは、ヨルダン川西岸地区と東エルサレムのことである。私たちがレバノンに目を奪われている間、イスラエルによる土地の搾取、入植地の建設、分離の壁の建設が着々と進み、検問所では自由な通行が妨害され、《テロリスト掃討作戦》と称するイスラエルの軍事行動による犠牲者がたえない。和平への糸口がほとんど見えない中で、私たちに求められていることは、それでも希望を失わず、絶えず祈り、「平和」を信じてわずかな一歩でも踏み出すことではないだろうか。 (文責・井上 弘子)

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レバノン停戦と忘れられたもう一つの《戦争》

2005年度収支報告        2005年 4月 1日~2006年 3月 31日  (単位:円)

科 目 金 額 各科目合計 総合計 I 収入の部  1 会費・入会金収入    入会金収入    会費収入  2 寄付金収入    NPO法人への支援金および寄付金    青少年国際交流事業への      支援金および寄付金  3 青少年国際交流事業への助成金  4 預金利息

0210,000

11,663.859

5,630,2672,200,000

22

210.000

17,294,1262,200,000

22 当期収入合計(A) 19,704,148 II 支出の部  1 事業費  (1)教育支援事業費  (2)普及啓発事業費  (3)報告会講演会開催事業費  (4)情報収集事業費  (5)青少年国際交流事業費 *平和をつくる子ども交流プロジェクト *平和を願う対話の旅  2 管理費    交通費    通信費    消耗品費    広報費    払込料金    事務所経費    会議費    その他

8,050,3001,156,421

00

14,552,377784,960

103,86058.62349,00225,20087,170300,00026,13730,496

24,544,058

680,488   当期支出合計 (B) 25,224,546  当期収支差額 (A) - (B) △ 5,520,398  前期繰越収支差額 (C) 7,910,246  次期繰越収支差額 (A) - (B) + (C) 2,389,848

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 2006年度の総会のご報告 去る6月3日14:00~16:00サンパウロにて当NPO法人の総会が開催されました。

2005年度事業報告および収支決算、2006年度の事業計画と予算案が全会一致で承認され、

滞りなく終了したことをご報告いたします。

個人の支援者:(アイウエオ順) 匿名希望の方を含め、約690名の方々です。Fr. G. Boudreault 相澤 佳子 青木  泉 青木 伸子 青山 清子 青山 範行青山美恵子 明石 久子 浅沼 誠子 東  純子 東  幸江 安達マサエ 新  圭子新  直己 新井 郁子 新井 栄一 荒井 恵子 新井テイ子 荒井 俊光 荒井 信子新井 道成 荒川  淑 荒川純太郎 荒川奈津江 粟屋 美帆 安藤美紀子 安藤 幸子飯室 種夫 五十嵐京子 五十嵐澄子 五十嵐洋枝 五十嵐美保子 五十嵐康人 井口 利一池田 淑子 池永 廣美 伊澤 純子 石井 英子 石井とき江 石川 智子 石川めぐみ石崎由紀子 石田 朗子 石原登志子 石村 信子 伊集院 正 和泉セツ子 磯部 富子磯部 雅子 扇谷 良廣 扇谷ウタ子 石村 唯彦 板倉るり子 市居 潤子 市川 黎子井手 雄一 伊藤多恵子 伊東止女子 伊藤 容子 伊藤 レイ 稲垣  純 今井  泉今井 暘子 今村 聖子 井上 慶子 井上千賀子 井上 春代 井上 弘子 入江 友子岩崎姫公子 岩崎 正幸 岩下 直子 岩田 卓三 岩永千代子 尹 得漢・マリア岩永 千一 岩見 和子 岩本 憲嗣 岩本八智子 岩本ヨシエ 上野 瑤子 梅津明生神父植松 敦子 宇田八重子 内田 芳人 内山 正幸 宇根  功浦田 義子 浦野 洋司 榎本 文子 江口フサ子 江波戸晴夫海老原牧枝 遠藤恵美子 遠藤香恵子 呉  蓮子 及川 幸子大岡よし江 大黒 洋介 大沢美知子 太田 啓子 大谷ダニエル大谷 東洋 大友 幸子 大西 茂雄 大西 美恵 大西 美絵大野 直美 大原 邦清 大部  優 大水 継圭 大八木氾子大藪善次郎 岡  優子 岡  捷子 緒形 隆之 岡田 友治 緒形 博之 緒方 貴子岡野 道子 小川  茂 小川 和子 小川千枝子 小川千都子 小川 博正 小川 泰弘奥原 芳子 奥宮 鉄野 奥村  聡 尾崎 和子 押谷 菊治 小田 怜子 小野佐代子小野 譲冶 恩地 誠神父 恩地 節子 甲斐 節子 加賀屋ケイ子 匂坂 良子 影山セツ子笠原 篤子 加藤喜代子 加藤 恵子 加藤岱艶子 加藤千恵子 加藤 朋子 加藤  翠加登本 拡 金栄 優子 金指ゆうか 金澤 仁志 蕪木 直江 鎌内 直子 鎌田まさ子釜谷 公子 栢森 雅子 川井田 元 川口 昌子 川崎 裕子 川島 好枝 河角 広子河田 昌世 川波多香惠 川平 俊子 川村 直道 川本 和子 菊池 景子 菊池マリロ菊地美恵子 北垣 陽子 北楯 暢子 北原 豊子 木下 新一 キム ゼルツルタ 木村千慧子  木村則子 木村 治子 木村ひな子 木村 浩之 木村 康子 木村 淑子喜山 聖子 清藤 富世 久家 康雄 Cameron & Sachiko Dent 楠瀬 輝代 國井 悠加久保  陽 窪 宏太郎 窪  久子 熊谷マリ子 栗林 淳二 栗原ちぐさ 黒田 道子鍬田 麗子 桑野まり子 小池 章子 小池 久子 小久保俊三 小坂田裕子 小坂田さち子輿石 修古 小谷美絵子 小藤  道 小西 一枝 小西 羊一 小西 みと 小林 明子小林久美子 小林 光子 小牧 寿子 小俣きよ子 五味美香子 小宮 静江 小山 義平今 満里子 権田 良枝 崔  海珍 斉藤 栄子 斉藤 英夫 斎藤真理・由紀 坂上好登阪口 敏子 坂下実千代 坂下 一江 帘_功 神父 坂牧・金澤(NHK) 坂本 雄郎坂本 昌巳 相良 敦子 匂坂 良子 作下 猛朗 佐久間景子 佐倉  泉 桜井 房子佐々木郁子 佐々木俊之 佐々木羊子 佐渡 一邦 佐藤アツ子 佐藤  治 佐藤 和子佐藤 てる 佐藤 政信 佐藤 トシ 佐藤 俊彦 佐藤 朝子 佐藤 正恵 佐藤 英夫佐藤 光子 佐藤美津子 佐藤 裕子 佐野 澄子 更田 晴子 椎川  茂 塩原いね子塩原 裕喜 滋賀 秀三 重石恵美子 重野よしを 志摩 頼子 島田ミサオ 島田みち子島本 恵子 清水志おり 清水三千子 清水 淡子 清水紀代子 清水 侑子 下川 由子下田 定吉 白岩 博子 白柳 誠一枢機卿 白柳 隆明 白取 節子(次ページへ続く)

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2005年4月1日から2006年3月31日までに

支援してくださった個人・団体のお名前

城前 チエ 白水 明代 末広 洋子 菅野 ウメ 菅原 友明 杉原キミヨ 杉山 信彦鈴木キクイ 鈴木登喜子 鈴木 典子 鈴木ヒロ子 鈴木美津子 鈴木 幸雄 住吉 幸子関根由利子 瀬戸徹・孝子 妹尾 誠子 先崎子之吉 外山 憲子 孫  順玉 田井恵美子垰田 栄子 高井多可ゐ 高島 文枝 高田留奈子 高田  統 高田多基子 高田由美子高津久美子 高野 千草 高橋 和子 高橋 要順 高橋 玲子 高原 徳子 高見沢利夫高比良國廣・テイ子 高見カルメン 田川 照子 滝  陽子 武井  博 竹内三喜男竹葉 純子 建部 正秋 竹村 皓恵 竹本朱美恵 田島久仁子 田代 弘子 伊達由美子舘林 信義 立脇 和夫 田中 あお 田中いづみ 田中 栄子 田中 晶子 田中 志郎田中 節子 田中 初代 田中  翠 田中 睦子 田中 猛嗣 谷  陽美 田畑 孝子谷岡影幸・睦子 谷口寿美枝 田花 安子 玉井 光江 玉藤  務 丹呉喜美子 千葉  隆千葉ツネコ 辻  知子 辻部  寿 土本志保子 土屋 正彦 土屋 道子 筒井 茂夫筒井三喜子 堤  律子 都藤 清美 角井 正義・真由美 鶴  初美 手子ヤエノ手嶋 直美 寺尾 築子 寺田 英子 寺田 和子 寺田 京子 滕  春江 唐木三重子時田トシ子 徳本 茂孝 富田 恭子 富田 道代 トム・フィッツギボン 豊田 昭子鳥居  司 内藤 千早 内藤三重子 中  具巳 長井外美子 中尾 由美 中川 十郎中里千代子 中里 光代 中島冨美子 中島 光一 中島 敏夫 中島 福美 中島 祐子長島由紀子 長田 満江 永富久雄神父 長坪  光 長野 浩二 中野 幸子 永野 寿子中野 裕明 永野 博信 中野里晃祐 中村 啓一 中村 正明 中村ミツノ 中村 義子永吉 恵子 難波 嗣朗 浪冶三重子 南家美緒子 西   勝 西嶋由紀子 西田 雅代西田 泰子 西村 恵子 ニシムラ ヒデカズ 西山美代志 仁藤 秀子 任  明江野坂 静子 野島美津江 野田 榮三 野田 鈴枝 野田 征子 野田  寛 ノックス和美野中  修 野本 芳子 乗倉 寿明 橋本 堅太郎・昭子 橋本 和子 長谷川光恵服部 智裕 花房 史子 羽戸 廣子 浜崎キミエ 浜田 達男 早川 和子 早崎 明子林  一江 林  あい 林  淳子 林  敏恵 林  朋子 早副  穣 早田 治子原清・瑛子 原  桂子 原田 典佳 半田 和巳 東山 愛子 樋口世喜夫 日紫喜満章肥田  潔 平井真由美 平田 敦也 蛭田幼一・文江 廣田 直也 夫  福敬 深澤美知子深田 久子 深堀  柱 福井  潔 福岡いさ子 福田 青柳 福本  敏 藤岡 明美藤田美世子 藤田 能孝・美智子 藤村栄三郎 藤村 宏子 藤原真理子 伏谷 温子古垣 保幸 古谷広志・和子 古田 瑩子 古本佳世子 古屋 敦子 古屋 恵子 星本 龍和星野剛一・陽子 堀田 静穂 堀  容子 堀川 経子 堀口 弥生 本田 敬子 本間 早苗本間 紅子 前田 静子 前田トシ子 前田 弘子 牧野 洋一 馬越 由美 真崎 晃郎真柴フミ子 真下まゆみ 桝居 文子 益田  弦 増田 京子 桝谷 紀子 増満由美子松井 瞭博 松岡 啓貴 松岡 玲子 松崎 武晴 松崎 道明 松下 起子 松末 鈴江松田タキ子 松永千歳世 松原 一郎 松本 信子 真山かほる マリー セレクシヨ ン三木 信芳 右田拓磨神父 三島八重子 水上みち子 水川 玲子 水野 勇人 水野三千代溝井 光子 道又 賢一 光藤  操 宮川 園絵 宮倉 満子 三宅 哲子 三宅英美子三宅 順子 宮下 幸恵 宮下良平神父 宮野美智子 三好 和枝 村井嘉惠子 村岡 秀子村上  和 村上 則子 村上 泰子 村田 和樹 村田 志津 村田 尚美 持留ヨハナ本山 良高 森  秀機 森  武敏 森川 美江 守口 せつ 森本 忠子 森山 信三門間都喜郎 八木 伸子 八木 康江 彌重 仁也 安田 浩行 安田美知子 宿澤 恵子柳川 廣子 柳田 和佐 矢部  円 山内 亨子 山賀 路子 山形みゆき 山上 道子山内恭子・真人 山来真理子 山口千代子 山口 裕子 山崎  彰 山崎 幸子 山田 瞭子山田 克世 山田 千秋 山田  剛 山田 正子 山田 康子 山田由美子 山手 一枝山ノ井秀子 山ノ内 茜 山ノ内ワグリ 山本 敦子 山本 綾乃 山本 和代 山本 恭子山本 貞代・ 圭子 ・ 尚子 杠愛子・隆志 横山キヨ子 吉川美恵子 吉川八重子 吉川 陽子吉田 恵子 吉田三代江 Sr. 吉田有子 吉中佐和子 吉野 尚江 吉村 糸子 依田のぞみ米津千鶴子 米林 慶子 米山 和利 若林ハナエ 鷲巣 幸子 和田みすず 渡辺驥一郎渡辺 節子 渡辺美恵子 渡部美佐子 その他匿名希望の方:約14名

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団 体:以下、2005年4月から2006年3月までに、支援金をお送り下さった教会、修道会、幼稚園、さらにバザーの出店を許して下さった小教区など約130団体のお名前です。(宗)広島キリスト教会 カトリック大浦教会教会学校の子供達 カトリック小野田高千帆教会カトリック下松教会  カトリック金剛教会社会活動部 カトリックザビエル教会カトリック鷺沼教会内古着プロジェクト カトリック多久教会  カトリック豊中教会  カトリック十和田教会カトリック名寄教会  カトリック新居浜教会  カトリック二宮教会福祉部 カトリック二本松教会カトリック能代教会  カトリック花巻教会  カトリック本郷教会  カトリック本庄教会 カトリック松戸教会クッキー販売係 カトリック松山教会福祉社会委員会 カトリック岬教会 カトリック焼津教会  カトリック百合丘教会コーヒー・コーナー カトリック手稲教会 カトリック戸畑教会  カトリック富岡教会  カトリック松原教会  カトリック瑞浪教会カトリック鷺沼教会 カトリック三軒茶屋教会 カトリック富士見教会 カトリック松戸教会カトリック雪ノ下教会  カトリック百合丘教会 聖心インターナショナルスクール日本キリスト教団巣鴨ときわ教会  日本キリスト教団逗子教会  ハーハンズ日本キリスト教団茅ケ崎恵泉教会教会学校  愛徳カルメル修道会鳥取修道院 別府ルーテル教会 アシジの聖フランシスコ宣教修道女会   イエズス会 いずみの会 援助修道会市谷修道院・修練院 援助マリア修道会 長崎修道院 大阪聖ヨゼフ宣教修道女会 幼き聖 マリア修道会本部瀬戸修道院 ガールスカウト大分第六分団 カトリック大阪大司教区シナピスカトリック聖母カテキスタ会 カルメル修道会お告げの聖母修道院 カルメル修道会聖ヨゼフ修道院 岸和田地区福音宣教評議会 キリスト ・ イエズスの宣教会 クリスチャンクラブ・みんなの輪 汚れなきマリアのクラレチアン宣教修道女会   ケベック・カリタス修道女会 ケベックカリタス修道女会中野島修道院  厳律至聖贖罪主女子修道会茅野修道院厳律至聖贖罪主女子修道会長崎修道院   厳律至聖贖罪主女子修道会西都修道院厳律シトー会伊万里の聖母修道院     厳律シトー会那須の聖母修道院厳律シトー会天使の聖母 トラピスチヌ修道院  御受難修道女会 サレジアン・シスターズ管区本部     三位一体の聖体宣教女会 シャルトル聖パウロ修道女会 淳 心 会  聖アンナこどもの家園児一同 聖ヴィアンネ会修道院 聖 ドミニコ宣教修道女会坂出聖マルチン修道院 聖 セシリア小学校父母会聖ベルナルド女子修道会 聖母の騎士会 代表 江原 聖母被昇天修道会 聖母訪問会 東京カルメル会 女子修道院 ドミニコ会聖ヨゼフ修道院 ドミニコ会雪の聖母修道院 パリ外国宣教会コーナン・ミシェル神父 広島キリスト教会 中高生会福音史家聖ヨハネ布教修道女会 双百合幼稚園 ベタニア修道女会フランシスカン奉仕活動支援有志の会代表半澤保 ベトレヘム外国宣教会アントニオ・ツゲル神父 聖心の布教姉妹会本部 道の会 宮崎カリタス修道女会総本部修道院宮崎カリタス修道女会井荻第二修道院 宮崎 カリタス 修道女会井荻第一修道院 宮崎 カリタス修道女会名瀬修道院宮崎カリタス修道女会管区本部修道院  木村 洋行(株) ㈱ フランストラベルセンター

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* ヤッファ キリスト教修士会カレッジ(ラサール) 15名* エルサレム 聖ディミトリ学校 59名* エルサレム テラ・サンクタ学院(男子) 20名* エルサレム キリスト教修士会カレッジ(ラサール) 25名* ベイト・ハニナ ロザリオ学校 20名* エリコ シラ特殊養護学校 17名* ベイト・ハニナ アル・フォルサン学校 3名* エルサレム 聖ジョージ学院 10名* ベツレヘム ダル・アル・カリマ学校 20名* ベイト・サフール ルーテル羊飼学校 52名

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2005年度

援助を受けた学校名と

子どもたちの人数

* エルサレム エフェタ学院(聾学校) 7名* ラマラ アラブ福音学院 17名* ラマラ 福音ルーテル学校《希望》 12名* ラマラ フレンズ・スクール 9名* エルサレム 聖タルクマンハッツ中学校 22名* ベツレヘム ロザリオ学校 5名* エルサレム シュミットスクール 9名* エルサレム ピラールカレッジ 11名* ベイト・ジャラ ギリシャ正教幼稚園 32名* エルサレム テラ・サンクタ学院(女子) 11名* タイベ ギリシャ正教学校 64名* ベツレヘム 善き羊飼い学校 64名* ベツレヘム キリスト教修士会カレッジ(ラサー ル) 24名* ベツレヘム 聖 ヴィンセンシオ・ア・パウロ幼稚園 1名* ベツレヘム ルーテル養成学校 1名* その他 数名

 ★ わたしは、あまり平和について考えた事がありません。

日本は戦争もしてなければ、テロもないので、平和でない事は、

無えんのような気がしていました。けれども、イスラエルとパレスチナのわたしと同じくら

いの子や、もっと幼い子は、戦争に近いげんじょうに立ちむかっているので、たくましいと

思いました。また、このような所に住んでいる人たちは、このげんじょうを目の前にして、

どのような事を考えているのかと思いました。★ わたしは、戦争やあらそいの中にいる人たちは、自分の事を第一に考え、やられたらやり返す人になってしまうと思っていましたが、ホームステイ(注:石黒朝香が)をした一家は、客人の事を第一に考えていたそうなので、苦しい環境にいながらも、自分より相手の事を考え、道を見失わない人達は、本当に立派だと思いました。★ ‥‥‥実際に、コンクリートのかべを作っている国があるなんて、本当におどろいたし、悲しいことだと思いました。またむすめをなくした家族が、そのむすめを殺した人をゆるすことができるなんて、やっぱりとても心の温かい人だということを感じました。もし、わたしの大切な人が殺されてしまったら、殺した人をにくむし、絶対にゆるすことはできません。★ ‥‥‥今回、わたしが感じたのは、平和でない国の人が、すごく優しいことです。平和な国の人は、「ゆるす」ということを忘れかけているのかと思います。今、地球上には苦しんでいるのに、相手をゆるすことのできる人がいることを忘れずにいたいです。

★ わたしは今までパレスチナやイスラエルについてあまり聞いたことがなかったし、初め

て知ったことがたくさんありました。まず、町のあちらこちらに“高いへい”があることで

す。もう1つは「い族の会」のことです。家族が殺されたりしたら、わたしは一生復しゅう

したい思いでいっぱいになります。でも許すというのはとてもすごいと思います。多分わた

しは家族が殺されたりしたら、パニックになってしまいイエス様がおっしゃった言葉でも、

とても思い出せません。わたしはお話を聞いて、自分はどれだけ平和な国に生まれたんだろ

うと思いました。戦争で苦しんでいる人たちがいることを忘れずに毎日生活したいです。

(イラストの一部は池永廣美さんから頂きました。感謝!)-11-

おかげさまで今年学校に行けた子どもたちの数は、約530名です。ありがとう!

  シュークラン!

去る3月の「平和を願う対話の旅」に参加した岩田可愛と石黒朝香が、横浜雙葉小学校6年生のために、自分たちの体験をとおして見たイスラエル・パレスチナ紛争についての話をしました。以下その時の 生徒たちの素晴らしい感想をいくつかを抜粋してご紹介します。文章は原文のままです。

日本の小学生の

平和への想い

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フォトアルバム今回はレバノン・イスラエルの戦争およびガザの悲劇をうけて戦争の厳しさと悲惨さを伝える写真をお届けいたします。これが戦争です。

上:レバノンに進攻したイスラエル兵士:1ヶ月で百数十人の若者が戦死した。

右上:ベイルートの町の廃墟右下:ガラスの壊れた車

で自分の村に帰る母と子

上:ガザでの銃撃の後、抗議する婦人(後ろの建物は銃撃で穴だらけ)

右上:8/14の停戦顔

 ヒズボラ指導者の写真を掲げて

 勝利を宣言しつつ帰還するレバノン人

右下:父の死を

 悲しむ

 ガザの姉妹

左:パレスチナ人のお年寄りを助けるイスラエル兵士