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1 はじめに
仏教徒人口が約93%(1)
を占めるタイにおいて、近年、仏教式学校という
文部省主導の国家プロジェクトが展開されている。2002年に始まったこの
プロジェクトは、その後活動範囲を広げ、2006年段階で全国約3万校の
小・中・高校のうち、約63%が参加するまでに至った [文部省・基礎教育
委員会事務局・教育運営刷新発展課における取材、2006年8月]。この仏教
式学校(タイ語でローングリアン・ウィティー・プット Rongrian Withi
Phut)とは、学校において仏教教理の授業科目を設置するというものでは
ない(そのような科目は以前から設置されている)。このプロジェクトが
目指すものは、急激な社会変化にさらされ、様々な問題に直面する子ども
たちの問題を解決するために、学校生活の中で仏教実践を応用し、さらに
学生の家族、学校を取り巻くコミュニティおよび、寺院をもこの生活実践
の中に取り込もうというものであり、それを全国的な運動として広めてい
くことにある。
本稿ではこの運動の特色と形成経緯の紹介を行ない、そこからタイにお
ける宗教行政とりわけ国家行政の仏教活動(国家が国民統合や行政サービ
ス提供のために、仏教の思想・実践・仏教徒を用いる活動)の特色、近年
の教育改革の余波について言及し、加えてこのような行政主導の宗教活動
や社会活動をどのような視点から捉える事が可能かについて考察する。と
駒沢大学『文化』第27号 平成21年3月(1)164
タイにおける国家行政の仏教活動―仏教式学校プロジェクトの事例から―
矢 野 秀 武
はいえ現段階では事実関係について把握し切れていない点も多く、また分
析視点も模索の途についたばかりである。その意味では本論考は後に詳細
な記述と考察を進めるための土台作りの段階のものと位置付けておきた
い。
2 仏教式学校プロジェクトへの注目理由
具体的な事例紹介に入る前に、そもそもなぜ筆者が政府の仏教式学校プ
ロジェクトに着目したのかについて、宗教行政研究の意義、そして仏教式
学校プロジェクトの位置づけという点から述べておきたい。
2-1タイの宗教行政に関する研究の問題点
まず、筆者の関心は、タイにおける宗教行政の全体的な把握にある。こ
こで言う宗教行政とは、宗教集団への統制と支援を通じ、国家が国民統合
や行政的サービスの提供を行なうものと暫定的にとらえておきたい。
このような国家と宗教集団とりわけ上座仏教の出家者組織であるサンガ
との関係については、これまでいくつかの重要な研究がおこなわれてきた。
まず筆頭にあげるべきものとして石井米雄による『上座部仏教の政治社会
学』(1975)がある。ついでS・J・タンバイアのWorld Conqueror and
World Renouncer, 1976 があり、そしてタイ人研究者としては、ソンブー
ン・スクサームランの Buddhism and Political Legitimacy, 1993による研究な
どがあげられる。これら諸研究は現代タイ仏教研究の基本文献と言うべき
ものである。しかし、宗教行政の研究という視点から以下3つの問題点が
指摘できる。
問題点の1つ目は、彼らの研究、とりわけ石井とタンバイアの研究は、
上座仏教国の伝統社会に見られる王権とサンガの相互支援関係を、現代社
会へも連続するものとして論を展開しており、その点でタイ以外の上座仏
教社会の過去と現在に広く適用できる基本モデルを提供しているが、現代
163(2)
国家行政の活動や役割が十分に考察されていない。端的に言えば、国家行
政が宗教活動の主体になる、という視点からの研究がなされていない。
石井の場合、1960年代から軍事独裁政権下の下で進められた国家開発計
画へのサンガの協力についても論じ、これをサンガの非宗教的機能の再強
化運動だとも述べているが[石井 1975: 254]、一方で王権・政府による
サンガへの経済・政治的支援、他方でサンガによる王権・政府への支配の
正統性付与といった、伝統的互酬モデルが説明の基本となっている。
人類学者のS・J・タンバイアの場合、宗教行政を担うサンガに国家予
算を配分する宗教局に着目し、各行政レベルと政治家・寺院・僧侶の関係
を細かに追っている。また、国家開発計画へのサンガの協力と言う点につ
いては、宗教局など行政との密接なつながりを指摘している。しかしこれ
については、国民統合や王権崇拝維持などと言った、いわば国家政策への
サンガ側からの正統性付与といった伝統的互酬モデルの範囲でしか語られ
ていない[Tambiah 1976:396-397]。
このような互酬関係に注目するだけでは、宗教行政における事業活動の
解明に十分とはいえない。なぜならタイにおけるサンガは、私的な宗教集
団と言い切ることのできない、きわめて公的要素の濃い集団であり、その
点からいえば、一定程度の相互補完関係にあることは当然と言えるからで
ある。そして、そのような前提に立つならば、現代タイの仏教を国家レベ
ルの制度的見地から把握するということは、一方で行政の概念を宗教(仏
教)側に少しばかり広げ、他方で宗教(仏教)の概念を行政の側に拡大し、
両者の重なる領域を近代の宗教行政制度の一種として扱う必要が出てく
る。具体的には、特定の政治目的のために国家がサンガの宗教活動に関わ
る事象や、サンガではなく行政が主導で宗教活動を展開する事例、逆にサ
ンガが行政事業に特定の目的を持って参画する事象等などについて、法制
度的条件や運営方式や組織構造など、決め細かな議論がなされなければな
らない。
タイにおける国家行政の仏教活動(3)162
この点を若干踏み込んだ政治社会学者ソンブーン・スクサームランは、
国家開発計画へのサンガの協力について、国家がサンガを経済的に支援し、
サンガが国家統合と開発を支援するといった、国家とサンガの共棲関係
(伝統的互酬関係とその拡張)から説明するだけでなく、さらに共産主義
の広がりや社会変動の中でサンガが生き残りをかけた活動でもあるとも述
べている[Somboon 1993: 62-67]。
1975年以後、カンボジアで生じた大虐殺と仏教弾圧や、ラオスにおける
宗教活動の厳しい統制という事情を考えてみると、タイ・サンガの国家支
援活動は、軍事政権への単なる迎合というだけでは済まない状況があった
と言えよう。つまり、国家開発計画への僧侶の協力は、政治権力者と政策
への正統性付与により、経済的支援を得るというだけではなく、サンガ側
の主体的な生き残り戦略という点も考慮する必要がある(2)
。その点でソン
ブーンの見解は重要な指摘をしている。しかし、国家の側については、非
宗教的目的によるサンガの宗教活動の利用という枠組みは抜け出していな
い。行政自体が宗教活動の主体となるという視点は見られない。これは石
井やタンバイアにおいても同様である。つまり先に述べたように、行政の
概念を宗教(仏教)側に少しばかり広げる、という発想はとっていない。
ところが現実には、タイの国家行政は様々なプロジェクトを持って、サ
ンガと協力しつつ、宗教活動を展開している。公立学校においては週に2
時間の宗教(多くの場合仏教)の授業が設けられており、その教科書は文
部省が策定したガイドラインに即し作成される[矢野 2008]。週2時間の学
習となると、寺院で仏教に接するよりも、学校で仏教を習う時間の方が多
いという子供たちもかなりの数になっているだろう。
寺院や地域コミュニティの中での宗教活動を研究してきた人類学的研究
もこの点を見落としがちであった。人類学的な宗教研究においては、仏教
教理の正統的な解釈や経典内容の学習を、一部の僧侶など宗教エリートの
実践ととらえ、一般民衆がその一部を日常の儀礼的実践に取り込み、独特
161(4)
な信仰体系を紡ぎだしている様子は語られているものの、行政活動の一環
として正統解釈や経典内容を子どもたちに週2時間教えているという事象
は、この説明図式の中に取り込まれていない。それは、宗教活動の主体を
サンガか一般民衆とのみ考えることによるものであろう。これに対し、国
家が宗教活動の主体になっているという点は、むしろ教育学者が早くから
注目してきた。野津隆志は「学校仏教」(学校で指導される仏教)として
生徒への国民教育の影響を考察している[野津 2005]。筆者は、このよう
な教育学者の指摘をさらに敷延し、宗教研究を主軸にして、行政の宗教活
動という事象を明らかにしようと考えている。その一環としてまず文部省
の仏教式学校プロジェクトに注目しているのである。
既存研究の問題点の2つ目は、先述の諸研究はすでに時代的に情報が古
いものとなっている点である。石井やタンバイアの書籍は1975年、1976年
に出版されたものであり、ソンブーンの研究は1970年代に政治活動に関わ
った僧侶の事例などが主に論じられている。それ以後、タイ仏教と国家に
ついて包括的に論じた研究は見られない。1970年代以降のタイ社会の変化、
とりわけ仏教界の変化は、これらの書籍では十分に扱われていない。
特に注意すべきは、1990年代以降タイで教育改革が行われ、その成果の
1つといえる国家教育法(1999年)が制定されており、これが宗教行政に
変化をもたらしたという点である。後に詳しく述べるが、文部省の仏教式
学校プロジェクトや、文部省から分離した文化省の中の宗教局の新プロジ
ェクトには、僧侶が公教育に参入するものがある。これらの新規プロジェ
クトには法律改定が影響していると考えられる。
さらにタイ社会のさらなる変化も考慮に入れなくてはならない。仏教教
育に関わる僧侶や官僚たちの心配ごとの1つは、寺に来ない人が増えてい
るということである。多大な仏教徒人口を抱え、かつ公教育において仏教
教育が行われていたとしても、このような心配がなされている。本当に寺
院へ足を運ぶ人が減っているのか、寺院での様々なコミュニティ活動が減
タイにおける国家行政の仏教活動(5)160
少しているのかについては、実証的なデータに基づく判断が必要だが、少
なくともそのような仏教衰退を危惧している仏教者が、仏教式学校プロジ
ェクトの活動を展開し、寺院中心の活動ではなく学校中心の仏教活動に重
点を移している。したがって、このような近年のタイ社会の(少なくとも
認識における)変化を踏まえた宗教行政研究が必要となるのである。
タイの宗教行政研究における3つ目の問題点は、上座仏教と王権・国家
との相互関係を特別視しすぎ、上座仏教圏以外の近代宗教行政と比較する
ための共通基盤を築けていない点である。タイの場合、国教についての明
確な規定はなく、仏教も憲法上国教とは記されていない。しかしながら、
仏教をはじめ、イスラーム、キリスト教、バラモン・ヒンドゥー教、シー
ク教の公認された団体は、国家予算から活動資金を分配される対象となり、
公教育において宗教科目として教えることが許される。このような制度を
公認宗教制度と呼ぶが、宗教と教育・政治(行政)との比較的厳格な分離
を掲げるアメリカ合衆国や日本では、このような制度は憲法に反するもの
となり、公認宗教制度下で可能となる宗教行政の諸活動の多くは目にする
ことはない。しかし、第二次世界大戦前の日本も形は異なるものであるが
公認宗教制度であったとも言え、また現在の世界の国々の中にも、公認宗
教制度や国教制度(ないしは国教とそれ以外の公認宗教を定めた制度)な
ど、近代の行政システムの一部として宗教活動を組み込んでいる国家は多
い。多大なイスラーム人口を抱えているがイスラームを国教とはせず、い
くつかの公認宗教の1つとして認定しているインドネシアなどはその典型
的事例であろう。そのような制度的状況を、前近代の名残や非近代的なも
のとして扱うのでなく、近代行政制度の一種として理解することは、現代
世界の多様な宗教実践の理解や、異文化理解に寄与するものである。また、
より緻密な比較研究も可能となり、日本の宗教状況について広い視点から
考察する可能性を広げることとなろう。
159(6)
2-2 仏教式学校プロジェクトの位置づけ
以上の観点から、宗教行政の一事例として仏教式学校プロジェクトを本
稿で取り上げるわけであるが、様々な国家プロジェクトの中でなぜ仏教式
プロジェクトを選定したのかについて若干の説明が必要であろう。タイの
宗教行政全体を把握するという点からいえば、数あるプロジェクトのうち
いずれから取り上げても実際のところ、それほど大差はないかもしれな
い。
しかし、現在筆者が入手している限りでの情報から判断すると、仏教式
学校プロジェクトは、以下の理由から、国家行政とサンガの新たな協働関
係を示す典型的な事例と言える。第1にこのプロジェクトには教育改革に
よる制度変革の影響が強く表れており、時代の変化を映し出す事例になっ
ているといえる。第2に、文部省のこのプロジェクトには、文化省宗教局
や国家仏教庁といった別の行政組織が、それぞれサンガからの支援を得な
がら協力姿勢を示しており、現在の複雑な宗教行政の姿を炙り出してくれ
る。第3に、このプロジェクトには、サンガと民間の宗教活動・教育活動
家や社会活動家も協力している。そのため、このプロジェクトは民間・行
政・サンガのそれぞれの運動が相互に連携しながら展開しているネットワ
ーク的な集団形体を持ち、宗教・社会運動として特殊な様相を帯びてい
る。
また、このように宗教・社会運動という特色を持っているが、行政活動
であるため評価と予算配分といった枠が課せられている。このような運動
に対しては、宗教運動の展開過程を追う議論よりも、アドミニストレーシ
ョンやマネジメント(経営・運営)、ガバナンス(統治)といった視点か
らの分析が有効かと思われる。このような点から、仏教式学校プロジェク
トという対象は、宗教研究の新たな手法の模索につながる事例と言えよ
う。
以下、仏教式学校の活動内容、プロジェクトの成り立ち(活動経緯・組
タイにおける国家行政の仏教活動(7)158
織)、プロジェクト周辺の協力者について述べていきたい。
3 仏教式学校の活動内容
仏教式学校とはいかなるものなのか。文部省が作成した冊子『仏教式学
校の運営方法』(2003)には、次のような定義が記されている。
「仏教式学校とは、通常の教育制度に基づいた学校であるが、仏教の基
本的教えを教育の場に生かし、また教育の運営方法として仏教の教えを応
用し、教育の場の発展とともに学習者の成長を促し、とりわけ三学の統合
的な実践に基づいた成長の在り方を重視する学校のことである」
[Krasuwang Suksathikan 2547:3]。
まず通常の教育制度に基づいた学校ということは、仏教式の特別な学校
やカリキュラムがあるわけではないということである。沙弥や比丘が通う
僧侶学校や、仏教的理念を重視した私立学校というわけでもない。公立学
校そのものを仏教式学校にするということであり、さらに生活様式を仏教
化するということである。
3-1 3つの特色
それでは公立学校が仏教式学校になるという事は何を意味するのであろ
うか。どのような活動を実践すれば仏教式学校と言えるのであろうか。こ
の点については、3つの特色がある。1つは、先の定義に見られるように、
「三学」の実践を基本に据えるということである。三学とは、戒・定・慧
といった仏教における3つの基本修行項目である。戒とは戒律、定とは禅
定・瞑想、慧とは智慧のことであるが、これを単に出家者の修行内容と解
するのではなく、一般の在家者、しかも生徒・学生の生活を改善するため
の実践枠組みとして捉えている。
このような考えは、文部省独自のものというわけではなく、後述のよう
に、文部省がこのプロジェクト立ち上げの際に相談したタイの著名な学僧
157(8)
ポー・オー・パユットー(P.A.Payutto)師(現在の位階名はプラプロー
ム・クナーポン [Phraphrom Khnaphon])の解釈に依拠している(3)
。パユッ
トー師は、人間の特徴は学習し開発(発展・成長)できることにあり、正
しい学習と善き成長のためには、三学の実践が必要と考えている。また、
その実践は個々人で完結した行いではなく、社会関係の中で実践されるも
のであり、個々人の成長が社会の発展につながると考えられている。例え
ば、戒の実践とは、個々人が物理的外界と社会的外界と交渉する際に使用
する感覚器官と、その作用に注意を向けることを意味する。定の実践では、
外部環境との交渉において生じる心の働きに注意を向けることであり、慧
の実践では知識・理解・思考といった点に注意を向けることを意味する
[ポー・オー・パユットー 2008:344-363]。
このような三学の実践をまずは学校の至る所で行うことが仏教式学校の
活動となる。そのキャッチフレーズは、「食・住・視・聴などにおける正
しい生活のあり方(Kan kin yu du fang pen)」を学ぶことにある。つまり、
日常生活における感覚器官の作用に注意を向けることで、智慧を持って生
活改善を行おうというわけである。これが第2の特色となる(具体的事例
は後に述べる)。
また、もう1つのキャッチフレーズが、「ボー・ウォー・ン」である。こ
の言葉は、バーン(Baan)・ワット(Wat)・ローングリアン(Rongrian)、
つまり家庭や地域共同体、寺院、学校を意味するタイ語の頭文字をつなげ
たものであり、また語呂合わせで「卓越した・最高の」といった意味も持
つ。これが第3の特色である。つまりこの活動の対象は学校の生徒だけで
はなく、家庭・地域共同体・寺院を活動に巻き込むというものである。生
活の改善が必要とされるのは生徒・学生だけではない。学校の教員や家庭
の保護者、ときには僧侶も互いに向上し、支援し合うことが運動の目的と
なっている。理想視されたタイの伝統的共同体の姿を構築しようというわ
けである。
タイにおける国家行政の仏教活動(9)156
このような地域ぐるみの実践という考えにおいても、パユットー師の仏
教教理解釈の影響がある。例えば、師は三学実践に導く前段階としての外
部要因(周囲の良き人々や良い慣習や社会規範など。『善友(ぜんう)
[Kalayanamit]』という用語で表現)と内部要因(自身で理路整然と考察す
る能力。『如理作意(にょりさい)[Yonisomanasikara]』という用語で表現)
を整える点も強調している。つまり、生徒・学生の三学実践の前提として、
教員や保護者そして僧侶など周囲の人々の支援が必要であり、しかもそれ
が善き支援であるためには、教員・保護者・僧侶も正しい行いの実践が必
要となる。そのような循環を通して、個々人の改善を社会の改善につなげ
ようというのが、パユットー師の思想であり、仏教式学校の理念である
[ポー・オー・パユットー 2008:364-367, Phraphrom Khnaphon 2547b:
(8),11-13,17]。
ただしこのような地域ぐるみの活動への注目は、単純に仏教的理念から
のみ導かれたものだとも言えない。プロジェクトの責任者達は次のように
説明している。
急激なグローバル経済の浸透によってタイ社会は大きく変化し、子供た
ちの生活習慣や道徳観念が乱れ、問題を抱えるようになった。そのような
問題の克服にタイでは仏教を用いる選択が考えられるが、現在、寺を訪れ
る人々が減り、仏教への信仰も薄らぎ、慣習儀礼として関わっているにす
ぎない人が増えている。したがって、仏教の教えを伝えようとしても寺院
を中心とした活動では目的が達せられない。しかし、学校にはいつも生
徒・学生がおり、行事があれば保護者たちも集まってくる。それならば、
学校を仏教教育の中心とし、そこに家庭・地域共同体や寺院が協力するこ
とを通じて、生徒・学生の精神的成長のみならず、地域社会全体の改善に
つなげるという手法を選んだ方がよいだろう[文部省・基礎教育委員会事
務局・教育運営刷新発展課における取材、2006年8月]。
155(10)
3-2 実践の事例
以上述べてきた理念に基づいて、仏教式学校の運営は行われる。その実
践方法は多様かつ変化に富んでいる。このプロジェクトの解説書で何度も
指摘されるような定番の活動もあれば、特定の学校のみで行われているも
のもある。また学校内の簡単な活動から、地域共同体と一体となった組織
的な活動までと、活動範囲も様々である。しかも活動は固定したものでは
なく、状況に合わせて変化していく。以下、具体的な方法のいくつかを紹
介する。
プロジェクト解説書に記載されている定番としては、食育があげられる。
これは飲食物摂取という外界と自己の接触行為について、智慧を持って考
察しながら飲食するというものである。もともとは、僧侶の修行のひとつ
であり、飲食の本来的価値、つまり何のために飲食すべきなのかを反省す
る行為である(4)
。つまり自分の体を壊す暴飲暴食、人に自慢して相手の心
を乱すような飲食、環境を害する飲食、さらに、食事をしないことでイラ
イラして人に当たるような空腹感は、本来のあるべき飲食のあり様ではな
い。自身の社会における責務(学生の学業など)へ従事する力を得ること
が飲食の本来のあり方であると言う。その上で、食事を用意してくれた周
りの人々に感謝の念を持つ。そういったことを念頭に置きながら、学校で
の昼食の前に食の考察の言葉を唱え[Phraphrom Khnaphon 2547a:14-20]、
食後には自分で食器を洗い、自身の責務を全うし自立心を養うようにする。
またそのような活動を家庭においても進めていく。
他の定番的活動としては、朝礼時や授業開始前に少しばかり瞑想を行う
こと、学校の環境を清潔にかつ美しく整えることなどがある。あるいは仏
教祭礼の際に、学校行事として托鉢僧への寄進を行うという活動も多い。
また、道徳・仏教実践をテーマとしたキャンプ(課外活動)なども多い。
これらの活動は、学校によってはこのプロジェクトが始まる以前から行っ
ていたものである。このプロジェクトでは、無理をせずできることから始
タイにおける国家行政の仏教活動(11)154
めることが指導されているため、活動としてそれほど特別なことを行って
いないというケースも見られる[KRWP 2548]。
このプロジェクトで実践する内容は、生徒・学生の生活改善や道徳教育
に寄与し、社会とのつながりを作る実践であればどんなものでもよい。特
殊な実践のケースとしては、菜食の実践、体から心を制御するストレッチ
体操、伝統楽器の演奏や読書習慣を身につける実践事例など[KRWP 2548]、
(事例報告の内容が不十分なだけかもしれないが)どのような意味合いで
仏教実践としてそれらが行われているのかと、いささか首をかしげるもの
もある。
また、日常の挨拶である「サワッディー」という言葉を、聞きなれない
「タンマ(仏法)・サワディー」という言葉に言い換えて、仏教への意識
喚起を行うと言う実践もある。また「タンマ・サワディー」に慣れてきた
ら、新たな挨拶用語を作り出すという臨機応変な対応をしている。その他、
国語・社会・数学などいろいろな学科教育において扱う事例から、仏教的
な教えや実践をそこに導入するという試みもある[仏教式学校プロジェク
ト・サンガ担当者プラマハー・ポンナリン師への取材。2008年1月12日]。
活動のしっかりした学校では、学校内の様々な問題を持ちより、智慧を用
いて正しい在り方に改善しようという組織だった実践も見られる[KRWP
2548:28]。
学生以外の人々を巻き込んだ活動としては、地域の農業についての学習
を仏教式理念に基づいて行うと言った活動や、食・医療・健康・伝統文
化・習慣についての有用な知識を、学生達が村人から聞き取って学校に持
ちより、それを印刷して逐次各村に配布する活動を行っている学校もある。
寺院の祭礼手伝いを始め、村の中での様々なボランティア活動に学生が参
加するという事例もある。また、教員自身の生活改善も活動の目的の一つ
であり、仏教式学校の指導者向けの研修会なども行われている。学校によ
っては、教員・学生・父母がいっしょに活動する道徳訓練のキャンプなど
153(12)
を行っているケースもある[KRWP 2548]。
これらの実践については、仏教式学校プロジェクトを管理・運営する文
部省やサンガの責任者により、情報収集と指導・研修などが随時行われて
いる。プロジェクトの展開としては、まず第1段階で、仏教が心に起因す
る問題を解決でき、道徳的な改善を行う能力があるのだと、子どもたちに
伝え、第2段階で、子供たちの学習様式や生活様式を整えるよう工夫し、
第3段階で、寺と学校と地域社会が一緒になってこれらの実践を維持し安
定した状態を保つ、というプロセスを想定している[仏教式学校プロジェ
クト・サンガ担当者プラマハー・ポンナリン師からの聞き取り。2008年1
月12日]。先述の瞑想や挨拶などの簡単な実践例は、第1段階を重視した実
践と言えよう。また、実際としては第3段階に達しているケースはあまり
ない。場合によっては、順調だった活動が、村落内のもめ事や教員の移動
で振り出しに戻ると言うこともある。その時には、地道に第1段階から再
出発するのだと、プロジェクトの総合管理の一翼を担う僧侶は述べている
[仏教式学校プロジェクト・サンガ担当者プラマハー・ポンナリン師への
取材。2008年1月12日]。
4 プロジェクトの成り立ち
4-1 プロジェクト形成の経緯
仏教式学校プロジェクトの特色は、上記のような活動形体だけではなく、
その形成過程と組織構造のありかたにも見られる。仏教式学校のプロジェ
クト開始の正式な日付は、2002年12月25日となっている。これは「タイ児
童発展の新カリキュラム」会議において、ワチラウット大学のチャイアナ
ン博士が仏教の教えを基盤に運営を行う学校づくりを提案し、これを当時
のタックシン首相が了承した日である。仏教式学校プロジェクトは、文部
省の4種の特殊学校プロジェクトの1つとして了承された(5)
。その後プロジ
ェクトを具体化していったのが当時の文部副大臣シリコーン・マニーリン
タイにおける国家行政の仏教活動(13)152
(Sirikon Manirin)であった(実務レベルでは文部省・基礎教育委員会事務
局・教育運営刷新発展課のスタッフが担当)。シリコーン副大臣は、翌年2
月に先述のパユットー師を訪れ仏教式学校の運営についての意見を求め、
解説書を執筆してもらっている。また同時に、僧侶や在家の専門家から意
見を聴取し、別の解説書も作成している。同年5月には、このプロジェク
トへの第一次募集が始まり、同年6月には文部省主催の会合を開き、タイ
仏教の2宗派の仏教大学から知識と人員の提供を得ること、および地方サ
ンガの協力を得ることが了承された。とりわけ、マハーチュラーロンコー
ン大学の学長であるプラタンマ・コーサーヂャーン(Phrathamma Khosacan)
(プラユーン・タンマヂットー[Prayun Thammacito])師(6)
と、バンコクの
名刹サケート寺の住職でタイ・サンガ最高議決機関である大長老会議の重
鎮の一人であるソムデット・プラ・プッターヂャーン(Somdet Phra
Phuttacan)師が積極的な支援を行うようになる。その後は、様々な地域に
おいて仏教式学校の会議を開催し、学校関係者へのオリエンテーションを
行っていった。
公式の形成経緯は上記のようなものであるが、公式な形では前面に出て
こないキーパーソン達がこの他にもいる。仏教式学校プロジェクトが、政
府の社会事業でありながら宗教運動でもあるといった柔軟な活動様式を形
成している一因は、これらキーパーソン達の活動にある。そのキーパーソ
ンの一翼を担うのは、仏教式の教育を導入し試行錯誤を重ねてきた私立学
校の関係者達である(これら私立学校の活動については、後の章で紹介す
る)。また、彼らのノウハウをサンガに伝え、仏教式学校プロジェクトに
関わる多くの僧侶の研修などを行っている、スタット寺のプラマハー・ポ
ンナリン(Phramaha Phongnarin)師も、プロジェクト形成初期から重要な
役割を果たしている。文部省のプロジェクト会議において、私立学校にお
ける仏教式の教育活動を紹介したのも、このプラマハー・ポンナリン師で
あった[プラマハー・ポンナリン師からの聞き取り。2008年1月12日]。ま
151(14)
た師は、インターネットなども利用したモラル・プロジェクトという自身
のプロジェクトも立ち上げ、仏教式学校の活動に組み込んでいる。
4-2 プロジェクトへの加入
以上、プロジェクトを形作った中心的なスタッフについて述べてきた。
次にプロジェクトに参加する側(学校)についての概況を記しておく(7)
。
まず、全国32,411校の公立学校のうち、このプロジェクトに参加している
学校の数は、プロジェクトを立ち上げた2002年には、89校の参加数にすぎ
なかったが、2004年には約11,000校に急増し、2006年8月には20,475校(全
体の63.11%)にまで伸びている。地域別(2006年8月)で見てみると、北
部が68.29%、南部が32.35%、中部が67.51%、東部が72.15%、東北部が
67.69%となっており、イスラーム人口の多い南部を除き、どの地域でも約
7割の学校が参加している様子が見て取れる(8)
。とはいえ、コミットの度
合いはさまざまであり、非常に熱心に取り組んでいる学校もあれば、とり
あえず参加登録をしただけという学校もある。
文部省のプロジェクトとは言え、強制参加ではなく、各学校に予算配分
がなされるわけでもないので、参加・不参加は各学校の代表者・活動担当
者の意志による。参加を希望する場合には、学校の代表者が各学区(全国
で178学区)の教育指導主事内のプロジェクト担当者に連絡して登録を行
う。各学区のプロジェクト担当者は、プロジェクトの登録者への連絡、研
修や効果測定などを行っている。
また登録校には、仏教式学校の理念・経緯・活動方法・活動事例・評価
方法などを記した、以下のような書籍とビデオCD(VCD)のセット、お
よび他の参考書籍が配布される。
配布セット
・文部省『仏教式学校の運営方法』(内容:活動の理念や方法の概説)
・文部省・基礎教育委員会事務局・教育運営刷新発展課『仏教式学校の
タイにおける国家行政の仏教活動(15)150
運営自己点検』(内容:活動の評価方法)
・プラプローム・クナーポン(ポー・オー・パユットー)『基礎から学
ぶ 実りある学習と教育』(内容:仏教思想の観点から仏教式学校の
活動を解説)
・VCD①『仏教式学校 タイにおける教育の美』、『仏教式学校運営の考
え方』
・VCD②『ソムデット・プッターヂャーン師講演(於「仏教式学校発展
の戦略」会議)』、『プラテープ・ソーポン師 法話 本当の道・仏教
式学校』
・VCD③『プラプローム・クナーポン(ポー・オー・パユットー)法話
仏教式学校・総合的な教育改革』
その他の配布書籍
・プラプローム・クナーポン(ポー・オー・パユットー)『食住のあり
方から始まる学習』(内容:仏教的観点から躾について解説)
・プラプローム・クナーポン(ポー・オー・パユットー)『学校がタイ
社会を救う 精神の成長を促し智慧を身につける』(内容:仏教式学
校の理念・教義的背景を解説)
・文部省・基礎教育委員会事務局、国家仏教庁『仏教式学校発展の戦略』
(内容:仏教式学校に関する合同会議の記録)
・文部省・基礎教育委員会事務局・教育運営刷新発展課『仏教式の善き
学校』(内容:仏教式学校のモデル校の活動内容紹介)
・プラタンマ・コーサーヂャーン(プラユーン・タンマヂットー)
『積極的伝道』(内容:仏教伝道の方法について、自らの外国伝道経験
を踏まえた論考)
5 仏教式学校プロジェクトの周辺
先述の仏教式学校のプロジェクトの成り立ちからわかるように、このプ
149(16)
ロジェクトは文部省の一部局によって主導されてきたものであった。しか
しその活動内容は、単なる政府プロジェクトというよりも、臨機応変に活
動内容を展開する運動としての特質も持っている。このような弾力的対応
をもたらしているのは、このプロジェクトがこの部局内で完結せず、外部
の関係者を数多く巻き込んでいることが一因と考えられる。以下、仏教式
学校プロジェクトの周辺で協力している外部の関係者について、彼らがど
のような方法でプロジェクトへ協力しているのか、また彼らが協力する理
由について述べておきたい。ここでは、外部関係者としてサンガと私立学
校を取り上げる。
5-1 サンガによる協力
サンガが仏教式学校プロジェクトに協力するようになった背景には、
1997年以降の制度的変容がある。1992年からの民主化運動・政治改革運動
の結果、1997年には新たな憲法が発布され、その後、「仏暦2542年(西暦
1999年)国家教育法」が制定された。この新たな教育法には、この時期に
始まる教育改革が強く影響している。またその教育改革には、省庁外の改
革派知識人の影響が見られ、加えて1997年に生じた通貨危機への反省やグ
ローバル化する社会状況への対応が見られる[平田・森下 2000、鈴木・森
下・スネート2004、船津2007:176-178]。
そしてこの新たな「国家教育法」に即し、学習カリキュラムの全面的な
見直しが行われ、「仏暦2544年(西暦2001年)基礎教育カリキュラム」が
作成された。この基礎カリキュラムでは、タイ人らしさとともに国際性が
重視され、また社会全体が教育に参加することが提唱され、さらに学習者
中心の教育、地域の事情に合わせた弾力的カリキュラム構成、多様な形態
の教育を提供することなどを、基本的な原理として掲げている[タイ文部
省 2004:9]。一方では改革派の見解やグローバル化への適応が基礎カリ
キュラムの特色となっているが、他方で従来のようにタイ文化を重視した
タイにおける国家行政の仏教活動(17)148
内容も盛り込まれている。
2002年に始まった仏教式学校のプロジェクトは、この一連の制度改革の
影響を少なからず受けている。例えば、当時の文部大臣は仏教式学校の会
議の開会式において、学習者を中心とする教育改革が現在推進されており、
仏教式学校は真の意味での教育改革であると述べている[SKKKP 2547:
9]。
ただしこの表現は、教育改革と仏教式学校プロジェクトの接点について
言及しているにすぎず、サンガが公教育に組織的に関与するということへ
の言及は見られない。
この点からさらに一歩進み、サンガがこのプロジェクトに関わるための
正当化を行ったのが、プロジェクトの中心的指導者の1人であるプラタン
マ・コーサーヂャーン(プラユーン・タンマヂットー)師(当時の僧位名
はプラテープ・ソーポン[Phrathep Sophon] 師)である。師は、新たな国
家教育法とそれに基づく新カリキュラムを、サンガが一般の公教育に参入
する大きなチャンスだと捉えている。2004年の仏教式学校プロジェクトの
会議において、師は、「仏暦2542年(西暦1999年)国家教育法」の第8条第
2項にある「社会が教育に関わること」という文言を指摘し、その意味を、
学校だけが教育の主役ではなく地域社会や宗教集団も主役の一部となり、
僧侶が一般の公立学校で教育を行う扉が開かれたのだと、解釈している
[SKKKP 2547:26-27]。
なお文部省は2002年に、「仏暦2544年(西暦2001年)基礎教育カリキュ
ラム」に即した仏教教育の学習内容(9)
を作成するよう、プラタンマ・コー
サーヂャーン(プラユーン・タンマヂットー)師に依頼している。師はこ
れを承諾し、加えて同年に始まる仏教式学校の支援にも携わるようになっ
た。この点からみても、新たな教育法の施行、そしてそれに即した新カリ
キュラムの制定(その原理の中にも、社会による教育や、学習者中心とい
う考えが記されている)というものが、仏教式学校に強く影響していると
147(18)
言えよう。
ただし先述の2004年の会議において、サンガの大長老会議の重鎮メンバ
ーであるソムデット・プラ・プッターヂャーン師は、仏教式学校の活動に
ついていささか保守的な視点から評価する意見を述べている。例えば、仏
教式学校のプロジェクトは、タイのアイデンティティである仏教に基づく
教育であり、民族の智慧の保持につながるものであり、タイ社会の礎であ
る民族・仏教・国王のうち仏教の部分を堅固にする活動だと述べている
[SKKKP 2547:18-19]。もっとも、このような保守的見解と、社会による
教育・学習者中心といった改革派的見解やグローバル化への対応の必要性
という考えが混在しているのが「仏暦2544年(西暦2001年)基礎教育カリ
キュラム」の特色でもあるので、必ずしも奇異な意見ではない。
このような法解釈や活動意義のもと、サンガはこの行政プロジェクトに
協力するようになっていった。プロジェクトの中核指導員でもあるプラマ
ハー・ポンナリン師によると、このプロジェクトに関わっている僧侶は、
全僧侶約30万名のうち1万名程度だとされている [プラマハー・ポンナリ
ン師への取材。2008年1月12日]。しかしそのような協力の多くは、サンガ
が直接行っているものではない。その大きな理由は、プロジェクト活動を
行う資金は、ほとんど局付きの政府予算として配分されているからである。
したがって仏教式学校へのサンガによる協力は行政経由で行われている。
しかも文化省宗教局、国家仏教庁、仏教大学といった複数ルートからの協
力を行っている。
このようなサンガと行政の複雑な関係が生じている背景には、教育制度
改革によって、2002年10月に省庁再編が行われたことが影響している。そ
れ以前は、宗教関連の部局が全て旧文部省に属していた。例えば、旧文部
省には、宗教局、芸術局(遺跡管理なども行う部局)、宗派別の仏教大学
局、教育水準研究事務局(指導要領の作成や教科書の作成・検定を行う部
局)などが属していた。しかし、教育改革とそれによる混乱や仏教保守派
タイにおける国家行政の仏教活動(19)146
の台頭により、現在、宗派別の仏教大学局と教育水準研究事務局は「文部
省」に残り、宗教局と芸術局は新設の「文化省」に移動し、旧宗教局の仏
教管理部門が独立して新設の「国家仏教庁」となっている(ただし、次に
述べるように、現在の宗教局も仏教管理業務を継続している)。
このような分裂状況において、学校や教員の管理を主要な業務とする文
部省が、仏教式学校プロジェクトを立ち上げたわけである。そしてサンガ
は、分裂した省庁の各ルートから、仏教式学校に協力を行っている。例え
ば、宗教局は自身の部局にいくつものプロジェクトを抱えており、その中
で関連する「夏期の沙弥出家」プロジェクトや、「一般学校の道徳授業へ
の僧侶教師派遣」プロジェクト(10)
を通じて仏教式学校プロジェクトに協力し、
さらに教材提供などを行っている[SKKKP 2547:31-32]。また国家仏教庁
は、説法やパーリ語などの専門家を多く有しているので教師派遣などで協
力可能であり、またプロジェクトの1つ学生向けのキャンプ(仏法修行と
善徳キャンプ)でも協力できるとしている[SKKKP 2547:33-34]。
以上の点をまとめると、まず、サンガによる仏教式学校への協力は、一
方で社会による教育や学習者中心の教育といった改革的な理念の延長にあ
るが、他方では、民族・宗教(仏教)・国王といった従来型のナショナリ
ズムを強化するものとしても行われている点が指摘できる。
ついで、サンガは国家規模の宗教活動において主導権を持っていない様
子が見えてくる。しかし、他方で国家レベルの宗教活動が行われている点
も明らかである。それは行政主導の宗教活動として行われている。なぜそ
のような形になっているのかといえば、活動の資金が、サンガに由来する
ものではなく、政府予算として下りてくるからである。
ただし、国家行政全体で統合された宗教活動が展開されているというわ
けではない。実情は局主導の多様なプロジェクトが展開されており、中に
は業務的に重複していると思われるものもある。とりわけ宗教局の仏教管
理業務と国家仏教庁の業務は、どのような基準で業務を分担しているのか
145(20)
明確ではない。これはおそらく局単位で予算作成・使用の権限を持ってい
るためであろう。セクショナリズムが反映しているように思われる。
しかし、このセクショナリズムは、サンガが特異な形式で影響力を行使
するルートとなっているようにも見える。つまりサンガ全体としては仏教
式学校のプロジェクトのような大きな活動を主導することはできないが、
行政の各部局とサンガ内の特定派閥や人脈とのコネクションを通じて、影
響力を行使するということが考えられる。例えば、現在の文部省はマハー
ニカーイ派および同派の仏教大学に、強いルートを持っているようである。
例えば仏教式学校の中心的な支援者であるパユットー師、プラテープ・ソ
ーポン師、プラマハー・ポンナリン師は、いずれもマハーチュラーロンコ
ーン仏教大学(マハーニカーイ派の仏教大学)の関係者である。
5-2 仏教式の私立学校による協力
次に、政府の仏教式学校プロジェクトに大きな影響を与えている、いく
つかの私立学校の試みを取り上げる。その私立学校とは、トーシー学校
(Rongrian Thawsi)、ルン・アルン学校(Rongrian Rung Arun)、ヌー・ノー
イ学校(Rongrian Nu Noi)であり、いずれも政府の仏教式学校プロジェク
ト開始以前から、仏教式学校の教育を模索し実現してきた学校である。こ
の3つの学校は相互に協力関係にある(11)
。これら3つの学校は、政府の仏教
式学校プロジェクトに活動方法や運営方法などを提供してきた、いわば民
間のパイロット校である。以下、政府プロジェクトに特に影響を与えてい
る、トーシー学校とルン・アルン学校について紹介する。
トーシー学校
トーシー学校は、創立者・校長のブッパーサワット・ラッチャタータナ
ン(Bupaswat Rachatatanun)を代表に、1990年にバンコク都市部の幼稚園
として始まった。1998年には初等部を設立している。初等部を設立後、仏
教式学校と称するようになった[Rongrian Thawsi ホームページ,Prawat
タイにおける国家行政の仏教活動(21)144
Khawam Pen Ma]。先述のプラマハー・ポンナリン師(政府の仏教式学校
プロジェクトにおけるサンガ側からの指導員)は、この学校で仏教式の教
育法を学び、その情報を文部省に提供をしている。また、本校は、政府の
仏教式学校プロジェクトに運営上のアドバイスを行なっている。
トーシー学校の教育方針は、知識重視の教育ではなく、体験し楽しみな
がら、生徒が学べる教育にある。そして仏教を人格教育として捉え、学校
教育のなかに取り込む試みを行っている。つまり試験のための教育や手に
職を付けるための教育でなく、人生をより良いものし、自己・家族・社会
のためになる人間の育成を目指すと述べている。そのため、現在のサンカ
ラート(サンガの最高権威者)であるソムデット・プラ・ヤーンサングオ
ゥン(Somdet Phra Yan Sagwon)師や、革新的な仏教思想家として有名な
プッタタート(Phuttathat)比丘、仏教実践の社会性を強調する先述の学僧
パユットー師、国際森の寺(Wat pa nana chat)の元住職チャヤサロー
(Cayasaro)師の教えを教育に取り入れようとしている。特にチャヤサロー
師は、本校の顧問となっており、仏教式学校としての初等部設立の際には、
学校側から相談を受けている。
仏教式学校としての本校の教育目的は、智慧を持つ人々の共同体・社会
の形成にあると言う[Rongrian Thawsi ホームページ、Prawat Khawam Pen
Ma]。具体的には、子供・親・教員の共同体を形成することや、如理作意(12)
に基づく理解力・分析力を養う教育を目指している[Rongrian Thawsi ホー
ムページ、Prachaya Lae Nayobai]。
トーシー学校では、生徒に課題を与え、生徒自らが本などの参照物を使
ってその課題の答えを導き出す学習なども行っている。その際、教師は一
方的に知識を与える指導者になるのではなく、生徒からの質問に答えなが
ら生徒自身の体験や思考を促すサポート役となるよう努める。また仏教的
な教育という面では、瞑想や五戒を唱えるなど仏教独自の実践も行われて
いるが、その他については仏教知識の教育として特に時間を持つことはな
143(22)
く、仏教的用語や考え方を通常の授業の中に織り込み、日常的に使える考
え方として学ぶという方法をとっている[Nissara Horayangura 2004]。
ルン・アルン学校
ルン・アルン学校も私立の仏教式学校として注目を浴びている学校であ
る。また本校は、政府の仏教式学校向けの研修会に、運営・指導方法を伝
える人員を派遣している。
ルン・アルン学校は1997年にバンコクに設立された。幼児部と初等部・
中等部・高等部の学校を持っている。設立者の1人プラパーパット・ニヨ
ム(Prapapat Niyom)が、全体を代表する校長となっている。また、プラ
パーパット校長は、政府の仏教式学校の研修コーチングチームのカリキュ
ラムを作成している人物でもあり、その点からルン・アルン学校は、現在、
政府系の仏教式学校にもっとも影響を与えている私立学校と言える[仏教
式学校プロジェクト・サンガ担当者プラマハー・ポンナリン師への取材。
2008年1月12日]。
ルン・アルン学校の教育目標は、生徒・学生にホリスティック教育を提
供することにある。競争教育・入試のための教育ではなく、身体・感情・
社会性・精神性を育む教育をめざしている[Rongrian Rung Arun ホームペ
ージ、Khwam Pen Ma Haeng Rongrian Rung Arun]。例えば、米についての
学習ならば、実際に米作りを行い、それを通じて稲や土についての知識、
稲作にまつわる伝統儀礼、農作業と環境問題なども総合的に学べるような
学習環境を提供する[Nissara Horayangura 2004]。
また単に体験重視の教育というだけではなく、先のトーシー学校と同様
に仏教式の教育を行っている。特に、パユットー師(先述のように政府系
の仏教式学校にも協力している学僧)を学校の最高顧問に迎え、師の説法
にあるキン・ユー・ペン(食住の正しい行い方)を、様々な学習を通じて
生徒・学生に教えている[Nissara Horayangura 2004]。
財団として現在運営されているこの学校は、他の財団や財界の代表5名
タイにおける国家行政の仏教活動(23)142
による土地と資金の提供を得て設立された。学校設立後にこの5名の支援
者により学校委員会が構成され、委員長にはNGO連絡組織の代表であり著
名な知識人であるプラウェート・ワシー(Prawet Wasi)医師が就任してい
る。彼らは、この学校への支援を利益のためではなく、社会のための投資
と考えており、特定の人のための学校ではなく社会の共有財産として運営
することを目的としている。とりわけ、最高の教育を用意するよう心がけ、
スタッフへの教育も欠かさず常に教育方法を発展させる学校運営を目指
し、そしてその成果・方法を他の学校に提供することで、タイ社会の教育
問題の解決に寄与することを目的として掲げている[Rongrian Rung Arun
ホームページ、Khwam Pen Ma Haeng Rongrian Rung Arun, Prawat Kan Roem
Kotang]。政府系の仏教式学校への、研修支援もこのような理念のもとに
なされていると考えられる。
以上の内容から見えてくることは、まず政府の仏教式学校プロジェクト
以前に、民間の学校において仏教式学校教育を普及する運動が展開してい
たと言う点、ついでそのような民間の宗教的な社会運動が政府系プロジェ
クトである仏教式学校に理念・運営方法・人材などを提供しているという
点、しかもこれら民間の学校は改革派知識人・改革派僧侶などの影響が顕
著であるという点があげられる。
6 まとめと課題
本稿では、タイの文部省が推進している仏教式学校プロジェクトの活動
内容と特色、活動形成の経緯、サンガや私立学校といった政府外組織の協
力について、主としてプロジェクト推進者側の見解や広報内容をもとに概
説してきた。最後に本節では、今後の研究の土台・展望を、まとめと課題
に分けて述べておきたい。
6-1 まとめ
141(24)
まず、第1に述べるべき点は、タイでは行政が主導する仏教活動が展開
されているということである。仏教式学校プロジェクトの活動主体は、文
部省・基礎教育委員会事務局・教育運営刷新発展課である。この事例では、
主として教育現場を活動の拠点と定めているが、活動内容は狭義の世俗的
教育や、宗教性を排した道徳教育ではない。仏教は、道徳や生活様式を伝
える教育の役割を担うという考えのもとに、教育現場に仏教的価値観や思
考・行動様式を取り入れている。
第2に、一方でこのプロジェクトは、文部省の一部局のみによる活動で
はなく、行政の他の部局のプロジェクトとも連携し、加えて行政外部の集
団や運動の協力も得ており、多様な運動・プロジェクトが連接した集団構
成をなしている。
第3に、この政府プロジェクトには、パユットー師など社会派の学僧や、
改革派知識人の影響を受けた私立学校が大きな影響を与えてきた。またこ
れら私立学校は、パイロット校としての実験的役割だけでなく、理念や方
法や人材までも提供している。
第4に、他方でサンガにおける保守的な見解を持つ僧侶達をも活動に組
み込んでいる。これにより、多くの僧侶の協力を得やすくなったといえよ
う。
6-2 課題
次にこのような行政の宗教活動としての仏教式学校プロジェクトを考察
する際、どのような点に着目すべきかを、課題として述べておきたい。
まず第1に、これまでタイ仏教において論じられてきたような、サンガ
と王権の相互支援、ないしは僧侶の政治参加とは異なる形での、サンガと
国家の関係が、本稿が取り上げた事例から見えてくる。十分に確証できる
段階ではないが、サンガがタイ社会において組織的な活動を展開する際、
サンガ全体の意向やサンガ主導の活動としてではなく、サンガ内の特定の
タイにおける国家行政の仏教活動(25)140
人脈・集団が、行政の特定部局に働きかけるという形をとっている可能性
がある。位階を与えるばかりで、現実社会への対応力のないサンガといっ
た巷に流布しているイメージは、このようなサンガと行政の複雑な関係を
把握・分析し切れていないことに由来する面もあるのではないだろうか。
第2に、現代タイの行政と仏教について論じるのであれば、教育改革や
サンガ法の一部改訂などの制度改革の内容、およびその影響を把握してお
くことが必要であろう。いわゆる開発僧の活動が、サンガもサポートして
いる社会福祉的活動にまで広がっているという報告もあり[岡部 2008]、
サンガの活動と行政府の活動において、新たな状況が生まれている可能性
も指摘できる。
第3に、事例収集をさらに広げ、近代以降の国家行政における宗教活動
(国家が国民統合や行政サービスの提供のために、宗教の思想・実践・成
員を用いる活動)の特色を把握することが必要であろう。国教制度や公認
宗教制度を持つ国々では、本稿の事例のような行政主導の宗教活動が、少
なからず行われているのではないかと考えられる。したがって、そのよう
な視点から提供される情報は、現代世界の宗教事情を理解する際に基礎的
な知識となるであろう。なおこのような行政主導の宗教活動に対して、信
教の自由や政教分離の原則などを厳格に適用して批判することも、それな
りに有益な面もあるかもしれない。しかし、ともすれば遅れた国々という
レッテル貼りに終わる可能性もある。そうならないためにも、制度的に政
教関係が強い国々の実情を冷静に捉え、宗教と行政の接点でどのような活
動可能性があるのかを見極めることが必要となろう。そのような視点は、
近現代社会の多様性を理解する上でも有用と思われる。
第4に、より宗教社会学的な観点からの研究も課題として必要となるだ
ろう。本稿で紹介してきた仏教式学校プロジェクトの様子は、活動を指導
する人々の見解にのみ基づくものであり、ホームページの記事は広報とし
ての役割を持った文面である。これらの情報が活動推進者側によるもので
139(26)
あると言う点には注意を払うべきだろう。その上で、活動全体と社会階層
や地域性との関連などを問い、活動推進者の主張からは距離をとった事象
の理解が必要となるだろう。例えば、都市の改革派知識人が、このプロジ
ェクトの思想・方法・人材を提供してきた点を見逃してはならない。この
ような改革派知識人の意向が、行政内部に取り入れられていくことの是非
について、実情を踏まえた考察が必要であろう。プロジェクトの成果如何
によっては、逆に仏教保守派の台頭や、宗教と行政のつながりへの批判に
至る可能性もありうる。また、都市の改革派知識人は比較的裕福な階層に
あるといった点も見落としてはならない。トーシー学校もルン・アルン学
校も、地方村落ではなく、バンコクに設立されている。これら私立学校の
学費も安くはないし、保護者の社会階層も決して低くないと思われる。そ
のような階層の生活様式に由来する活動が、国家レベルそして地方村落部
の学校でどう受容されていったのかについて、把握する必要もあるだろ
う。
第5として、このような行政プロジェクトとしての宗教活動を、特殊な
宗教運動といった視点から考察する必要もある。なぜならばこのプロジェ
クトは、一方で私立学校における社会改革の実践から派生し、それを国家
レベルで広めようとしている社会運動の要素を持ちつつ、他方で、通常の
宗教運動とは異なり、予算に縛られたプロジェクトだからである。仏教式
学校は、政府予算がつかなければ瞬時に終わる活動なのである。この点か
らは、行政学や経営学などの視点を加味した、アドミニストレーションや
マネージメントの分析が必要になるのではないだろうか。
例えば、予算編成の変遷、行政プロジェクトに関わるアクター分析(民
間非営利セクターのサービスを行政主導で提供するエージェント型や、政
府の財源を用いて民間非営利セクター主導でサービスを提供する協同型な
ど(13)
)[藤田1998:242]、中央行政府のプロジェクトと地方自治体行政の関
係(地方分権の問題)、近代行政における宗教の位置づけといった行政学
タイにおける国家行政の仏教活動(27)138
的枠組みからの考察が必要となる。これらの行政学的視点は、先の国教・
公認宗教制度の特質をより具体的に描くためのツールになると思われる。
他方、プロジェクト運営や現場の活動については、カリスマではなくリ
ーダーシップとミッションの在り方、成果評価、資源利用など宗教活動・
教育活動のマネージメントといった経営学的枠組みからの考察が有効であ
ろう。その上で、宗教活動と企業活動・NGO・NPOのマネージメントにお
ける比較研究にまで射程を広げ、宗教集団におけるマネージメントの特異
性を浮き彫りにすることは、新たな宗教研究の形成に寄与するのではない
だろうか。もちろん思想的側面や信仰という宗教独特な要素を、宗教集団
のマネージメントから切り離すことはできないと思われる。しかし、宗教
集団のマネージメントのあり方にできるだけ特化し、宗教集団の特質のみ
ならず、運営・経営の適切性や問題性を明らかにすることは、宗教集団と
一般社会の接点を構築し、異なる宗教集団間の相互理解にも寄与しうるの
ではないだろうか。
このような点を考慮しながら、宗教と行政についての研究、宗教と公的
領域の接点についての研究を進めていくことが必要かと思われる。
注
(1)ごく少数の中国系・ベトナム系大乗仏教徒も含むが大半は上座仏教
徒。
(2)仏教大学における人材活用の問題から、サンガの社会事業参加につ
いて論じたものとしては、[矢野 2007]などがある。
(3)パユットー師の経歴とその思想については、[矢野 2008a]にて概要
が述べられている。
(4)パユットー師は、このような食育思想の基本として、僧侶も子供も
他者からの食の施しに頼って生きている存在とみなせるといった、共
通点を指摘している。つまり、施しによって生命を維持する僧侶は、
137(28)
仏法に基づいて自身の向上に励み、善き人となり、社会の礎となって
仏法が社会で実践されるよう努力することを責務として課されている。
同様に、子供たちは親などの施しによって生きているのであり、善き
人となるよう学習する責務を負っている。飲食への考察は、このよう
な人間観がその背後に見られる。とはいえ、パユットー師は、タイ随
一の学僧ではあるが、子供の教育のスペシャリストではない。このよ
うないささか堅苦しい理念を小学生たちが、理解し実践するとは思え
ない。つまり、このような人間観や基本的発想は、あくまで仏教に根
ざした実践であるためのガイドラインであり、個々の実践に行き詰っ
た時に帰るべき理念と言えよう。実際の活動の場においてはより簡略
化した説明や実践がなされている。
(5)仏教式学校以外に、「一郡に1校、夢の学校を設立」、「ICT式の基礎学
校」「語学学校」といったプロジェクトがある。
(6)1997年から学長に就任。仏教式学校プロジェクトに関わり始めた頃
の位階名は、プラタンマ・コーサーヂャーンではなく、プラテープ・
ソーポン[Phrathep Sophon]であった。
(7)この概況は、2007年8月に筆者が行った文部省・基礎教育委員会事務
局・教育運営刷新発展課における聞き取りと、その際に入手した資料
に基づく。
(8)タイ南部のパタニー県、ヤラー県、ナラティワート県の一部の区で
は、このプロジェクトへの参加率がひと桁台と全国の最低レベルにあ
る。これらの地域は南部のムスリム中心地であり、今日、爆弾テロ事
件が頻発しており、ムスリム・仏教徒を問わず多くの犠牲者を出して
いる。
(9)学校で使用する教科書は、この学習内容・項目に即したものでなく
てはならない。
(10)これは宗教局が重視しているプロジェクトであり、おそらく2004年
タイにおける国家行政の仏教活動(29)136
から開始されている。これもまた教育法の改定と関連があると思われ
る。
(11)この3つの学校いずれにおいても、女性が校長・創立者である。タイ
の教育界では女性の教員・管理職などが多い。
(12)如理作意については本稿3-1を参照。
(13)仏教式学校のプロジェクトの形態が、エージェント型なのか、協働
型なのかという問題もあるが、そもそもタイ・サンガと行政の関係を、
このような型で捉えてよいのかについても考察する必要があるだろう。
引用文献(著者名冒頭の括弧内は、筆者による略称)
藤田由紀子 1998「NPO」森田朗編『行政学の基礎』岩波書店、233-247。
船津鶴代 2007「教育制度改革「教育」の改革から「教育省」改革へ」玉田芳
史・船津鶴代編『タイ政治・行政の変革 1991-2006年』アジア経済研究所、
159-201。
平田利文・森下稔訳 2000『タイ 仏暦2542(西暦1999年)国家教育法』。
石井米雄 1975『上座部仏教の政治社会学 国教の構造』創文社。
Krasuwang Suksathikan 2547 Naeothang Kan Damnoengan Rongrian Withi Phut(文部
省仏暦2547[西暦2004]年『仏教式学校の運営方法』)
(KRWP)Khrogkan Rongrian Withi Phut, Samanak Phatthana Nawatakam Kan
Catkansuksa, Samnakgan Khanakammakan Kansuksa Khan Phunthan, Krasuwang
Suksathikan 2548 Rongrian Di Withi Phut(文部省・基礎教育委員会事務局・教
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Dai Phon. Samnak Phathtana Nawatakam Kan Catkansuksa, Samnakgan
Khanakammakan Kansuksa Khan Phunthan Krasuwang Suksathikan(プラプロー
ム・クナーポン(ポー・オー・パユットー)仏暦2548(初版2543)[西暦
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Phrathamma Kosacan (Prayun Thammacitto) 2549 Kan Peiphae Chang Ruk. Khrogkan
Rongrian Withi Phut Samnak Phatthana Nawatakam Kan Catkansuksa Samnakgan
Khanakammakan Kansuksa Khan Phunthan Krasuwang Suksathikan(プラタン
タイにおける国家行政の仏教活動(31)134
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