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文学研究論集第 論文受付日 二〇〇五 『元良親王集』に 語性の特徴を考 しているが、同集 ている。また、同集の おいても特徴的であり、『 歌群、それに伴う物語的モチー 1その物語性を中心とし 【キーワード】 物語的家集、歌群、伊 》ωε身oh..ζ08図oω匡ω 博士前期課程 日本文学専攻 二〇〇四年度入学 ω国Oロ一「o崔匹 【論文要旨】 本論では物語的家集と分類される『元良親王集』を取り上げ、その物 語性を主に二つの観点から考察した。一つは歌のつながりによる歌群構 成から見られる物語性である。歌の配列による連続性や関連性は歌群と して捉えられ、各歌群における話の展開や心情の表出が物語化を進めて いる点を明らかにした。もう一つは『伊勢物語』からの影響と見られる 「色好み」や「禁忌の女」のモチーフが担っている同集の物語性である。 それにより歌群の内容は深化され、物語としての様相をさらに帯びるこ とになる。特に冒頭の詞書で「色好み」と示されていることは元良親王 の人物像をあらわし、同集を統一する概念となっている。 加えて、『元良親王集』と他分野の作品を比較することで、同集の物 はじめに 十世紀から十一世紀に成立した私家集には物語的家集と分 (1) のがある。それらを物語的とする要素として、詞書が三人称で書 いる点があげられる。三人称が用いられることにより、詞書あるいは に客観的な視点が付加されて、物語的な構成を成り立たせている。 代表的な物語的家集として『伊勢集』『本院侍従集』『一条摂政御集』 などがあげられるが、その一つとして『元良親王集』に注目してみたい。 『元良親王集』の冒頭歌は以下のようになっている。 陽成院の一宮もとよしのみこ、いみじきいろこのみにおはしまし ければ、よにある女のよしときこゆるには、あふにも、あはぬに も、文やり歌よみつつやりたまふ、げんの命婦のもとよりかへり 給ひて くやくやとまつゆふぐれといまはとてかへるあしたといつれまされり 冒頭の長い詞書により元良親王の人物像が示される。「いみじきいろ 一379一

『元良親王集』についての一考察...1その物語性を中心としてー 【キーワード】 物語的家集、歌群、伊勢物語、色好み、禁忌の女 》ωε身oh..ζ08図oω匡ω三目o午ω旨.、

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文学研究論集第24号06・2

論文受付日 二〇〇五年十月二日

掲載決定日 二〇〇五年十一月十九日

『元良親王集』についての一考察

語性の特徴を考察した。歌物語では散文と歌の関連によって物語を構成

しているが、同集では歌群という形がとられることで物語化を成し遂げ

ている。また、同集の構成は『後撰集』『拾遺集』の共通歌との比較に

おいても特徴的であり、『元良親王集』の物語性は歌のつながりによる

歌群、それに伴う物語的モチーフに依拠していることが明確になった。

1その物語性を中心としてー

【キーワード】 物語的家集、歌群、伊勢物語、色好み、禁忌の女

》ωε身oh..ζ08図oω匡ω三目o午ω旨.、

博士前期課程

日本文学専攻

瀬  尾

二〇〇四年度入学

  博  之

ω国Oロ一「o崔匹

【論文要旨】

 本論では物語的家集と分類される『元良親王集』を取り上げ、その物

語性を主に二つの観点から考察した。一つは歌のつながりによる歌群構

成から見られる物語性である。歌の配列による連続性や関連性は歌群と

して捉えられ、各歌群における話の展開や心情の表出が物語化を進めて

いる点を明らかにした。もう一つは『伊勢物語』からの影響と見られる

「色好み」や「禁忌の女」のモチーフが担っている同集の物語性である。

それにより歌群の内容は深化され、物語としての様相をさらに帯びるこ

とになる。特に冒頭の詞書で「色好み」と示されていることは元良親王

の人物像をあらわし、同集を統一する概念となっている。

 加えて、『元良親王集』と他分野の作品を比較することで、同集の物

はじめに

 十世紀から十一世紀に成立した私家集には物語的家集と分類されるも

  (1)

のがある。それらを物語的とする要素として、詞書が三人称で書かれて

いる点があげられる。三人称が用いられることにより、詞書あるいは歌

に客観的な視点が付加されて、物語的な構成を成り立たせている。

 代表的な物語的家集として『伊勢集』『本院侍従集』『一条摂政御集』

などがあげられるが、その一つとして『元良親王集』に注目してみたい。

 『元良親王集』の冒頭歌は以下のようになっている。

   陽成院の一宮もとよしのみこ、いみじきいろこのみにおはしまし

   ければ、よにある女のよしときこゆるには、あふにも、あはぬに

   も、文やり歌よみつつやりたまふ、げんの命婦のもとよりかへり

   給ひて

  くやくやとまつゆふぐれといまはとてかへるあしたといつれまされり

 冒頭の長い詞書により元良親王の人物像が示される。「いみじきいろ

一379一

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このみにおはしましければ」と述べられることで、「色好み」としての

親王の人物像が設定され、それを受けて同集は続いていく。元良親王と

様々な女性との贈答歌、また大納言の北の方や京極御息所との禁忌の恋

は元良親王の色好みを端的にあらわしていると言えるだろう。そこでは

人物像が統一性を持ち、同集の物語化の傾向が見られる。同時に「色好

み」は歌物語、特に『伊勢物語』の主題の一つであり、同集が歌物語か

らの影響を受けて構成されていることが示唆され、その「色好み」とい

うモチーフが集全体を貫いて一つの物語を作り上げていると考えること

ができる。

 関根慶子氏は同集について、長い詞書が少なく歌ばかりが数首続いて

いる歌群もあるため物語性を完全には認められないとしながら、「冒頭

の色好みの親王の歌を集めて語ろうとする意図的なものの及ぶ範囲とし

て、恋関係の統一からみて、終りまでを、不完全な歌物語化として一応

       (2)

みることもできよう」と述べている。

 関根氏の指摘にあるように『元良親王集』には、元良親王の恋歌を集

            (3)

めた恋物語という統一性があり、『伊勢物語』や『大和物語』の恋物語

の章段を意識した構造になっている。それは収められている歌のいくつ

かが歌群として構成されていることと深く関係し、歌群という単位で物

語的な展開を示すことに依拠している。

 物語的家集の特徴としてはじめに三人称を用いた詞書について触れた

が、本論ではそれに加えて、『元良親王集』の構成を歌群を中心に考察

し、その物語性を把握することを目的とする。また、考察においては歌

集の物語化と関連があると見られる「色好み」などのモチーフについて

も重要視するとともに、

の特徴を考えてみたい。

歌物語や勅撰集との比較を通して同集の物語化

二.物語化の構造

 『元良親王集』は物語的家集とする分類に含まれており、歌を中心と

して物語が形成される『伊勢物語』『大和物語』等の歌物語とは異なる

ジャソルの作品として捉えられている。

 同集と歌物語を隔てる要素としては、まず同集の詞書と歌物語の散文

の異なる性格があげられる。端的に違いが見られるのはその長短である

が、同集でも比較的長文化の傾向が見られる詞書を持つ歌がいくつか採

られている。

『元良親王集』三四番歌

   このきたのかた、うせ給ひにければ、御四十九日のわさにしろか

   ねを花ごにつくり、こがねをいれて御ず経にせられけるにそへ給

   ひける

  きみを又うつつにみめやあふ事のかたみにもらぬみつはありとも

『元良親王集』六七番歌

   きたのかた、みやにむしことてさぶらひける、めしければ、かむ

   しにおきたまてけるを、をとこみや、こまのの院におはしましけ

   るに、むしこがたてまつりける

  かずならぬ身はただにだにおもほえでいかにせよとかながめらるらむ

『元良親王集』 一〇九番歌

   のぼるの大納言のみむすめにすみたまけるを、ひさしにおましし

一380一

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   きておほとのこもりてのち、ひさしうおはしまさで、かのはしに

   しかれたりしものはさながらありや、とりやたてたまし、とのた

   まければ、女

  しきかへすありしながらに草まくらちりのみぞゐるはらふひとなみ

                       (4)

 以上にあげた歌の詞書では長文化が見られるものの、場面設定や状況

説明など与えられる情報量は最小限に留められている。そのため、同集

の物語化をその詞書が担っているとは考えにくい。そこには別の物語化

の要素が必要とされる。

 そこで、本論では同集の物語化が詞書のみではなく、歌本体あるいは

数首で構成される歌群に依拠していると想定して論を進めていく。短い

詞書と歌のつながり、あるいは歌にあらわされたそれぞれの心情が物語

を形成している。同集では散文に頼らず、歌の連関における歌群の構造

により物語化が行われているのである。

三.『元良親王集』の歌群について

 『元良親王集』の構造については木船重昭氏、山口博氏等により同集

                         (5)

を大きく四つの群に区分して把握する論が提出されている。群による区

分によって歌集を把握することは、同集の物語性や成立を把握する上で

重要な観点となっている。本節ではこの区分を参考としながら、同集を

数首からなる歌群とした観点から考察していく。中でも、物語性が強く

あらわれており、同集の中軸をなすと考えられる歌群を中心として同集

の構造を見ていきたい。

 同集は長い詞書を持つ冒頭歌より始まるが、冒頭の長い詞書は同集全

体に係るものと考えてよいだろう。山口氏は冒頭歌の詞書について「単

に歌の集積を目的とした歌集には必要以上の詞書である」とし、編者の

          (6)

物語化の意識を見ている。元良親王の人格が設定されることは、歌集に

統一性を与え、物語化を進める要素となっている。

 冒頭の詞書に続き、「げんの命婦のもとよりかへり給ひて」を起点と

して同集は展開される。

『元良親王集』冒頭歌から四番歌

   (詞書前略)げんの命婦のもとよりかへり給ひて

  くやくやとまつゆふぐれといまはとてかえるあしたといつれまされり

   といでたまへば、ひかへて、女

  いまはとてわかるるよりもたかさごのまつはまさりてくるしてふなり

   いとをかしとおぼして、人人にこの返しせよとのたまへば

  ゆふぐれはたのむこころになぐさめつかへるあしたぞわびしかるべき

   又かくも

  いまはとてわかるるよりもゆふぐれはおぼつかなくてまちこそはせめ

   これをなんをかしとのたまひける。

 冒頭歌から四番歌の歌群では「げんの命婦」を相手として歌の贈答が

なされている。歌によって状況説明が行われ詠者の心情が描かれている

ことは、物語としての趣向を持ちながら、歌集として歌に重点がおかれ

ていることを示している。また、四番歌に続いて「これをなんをかしと

のたまひける」というように後書風の散文で歌群がまとめられているこ

とは『伊勢物語』をはじめとした歌物語の形式に類似している点で注目

一381一

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される。

 一二番歌から二七番歌にかけての「いはやきみ」との贈答歌群では、

計一二首の歌のやりとりが見られる。当該歌群では、歌と詞書により物

語化が行われている。

『元良親王集』一二番歌

   びはの左大臣殿に、いはやきみとてわらはにてさぶらひけるを、

   をとこありともしり給はで御文つかはしければ

  おほぞらにしめゆふよりもはかなきはつれなきひとをたのむなりけり

 冒頭では「をとこありともしり給はで」という特殊な状況が説明され

る。以下贈答歌が続くが、一八番歌の後に続く詞書は物語化という意味

で注目される。

『元良親王集』 一九番、二〇番歌

   かくてこの女こと人にあひて宮のうらみたまければ

  よしのがはよしおもへかしたきつせのはやくいひせばかからましやは

   宮ことわりとて

  あきかぜに吹かれてなびくをぎの葉のそよそよさこそいふべかりけれ

 女が「こと人」と結婚することが詞書によって示され、親王から送ら

れた恨みを寄せた歌に対して女の返しがなされている。ここでは詞書に

よる物語的な展開を見ることができる。同歌群は二七歌で締めくくられ

る。『

元良親王集』二七番歌

   宮の御ぶくにおはしけるに

  すみぞめのふかきこころのわれならばあはれと思ふらんひとやなか

  らむ

 同歌群は一九番歌の詞書によって物語化が行なわれるが、詞書が短い

ため補足するように心情表現をあらわす歌がよまれる形となっている。

それは、例えば『伊勢物語』二一段に見られるような歌による心情の表

出、物語の展開と類似しており、歌物語の段構成の形式を漂わせている

と言えるだろう。

 三三番、三四番歌は「おひねの大納言のきたのかた」との歌の贈答が

描かれている。

『元良親王集』三三番、三四番歌

   その宮の御をば、おひねの大納言きたのかたにておはしけるを、

   いとしのびてかよひ給ひけり、きたのかた

  あるるうみにせかるるあまはたちいでなんけふはなみまにありぬべ

  きかな

   このきたのかた、うせ給ひにければ、御四十九日のわざにしろか

   ねを花ごにつくり、こがねをいれて御ず経にせられけるにそへ給

   ひける

  きみを又うつつにみめやあふ事のかたみにもらぬみつはありとも

 三三番歌では禁忌性を意識させる大納言の北の方との恋愛が語られる

が、続く三四番歌の詞書に「きたのかた、うせ給ひにければ」とあるこ

とでその死が示され、親王が彼女を悼む歌をよむ。大納言の北の方は二

首に登場するのみであるが、禁忌性や女の死といった物語的なモチーフ

が用いられ、深い内容の歌群となっている。

一 382一

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 三五番歌では「京極のみやす所」が登場する。同集に散在して配列さ

れている「京極御息所」に関する歌群は「禁忌の女」のモチーフを示し

ている。

『元良親王集』三五番、三六番歌

   京極のみやす所を、まだ亭子院におはしけるとき、けさうしたま

   ひて、九月九日にきこえたまける

  よにあればありといふことをきくのはななほすぎぬべき心地こそすれ

   ゆめのごとあひたまてのち、みかどにつつみ給ふとてえあひ給は

   ぬを、みやにさぶらひけるきよかぜがよみける

  ふもとさへあつくそありけるふじの山みねにおもひのもゆる時には

 「禁忌の女」のモチーフは『伊勢物語』における「二条后物語」「斎宮

物語」を踏襲していると見られ、「ゆめのごとあひたまて」は『伊勢物

    (7)

語』六九段の表現とも類似している。「禁忌の女」のモチーフは同集で

も重要視されており、「京極御息所」との贈答はこれ以降にも分散した

形で置かれている。

『元良親王集』六四番、六五番、六六番歌

   おなじおほん中にまだしくおはしけるとき、この宮におはしはじ

   めて又の日、京極のみやす所のおもとにたてまつりたまひける

  いとどしくぬれこそまされからころもあふさかのせきみちまどひし

  て

   宮す所の御返し

  まことにやぬれけりやとくからころもここにきたらばとひてしほらむ

   さきさぎかよはせ給ひける御文とても、いまかへしたてまつれた

   まふとて、宮す所

  やればをしやらねばひとにみえぬべしなくなくもなほかへすまされり

『元良親王集』一二〇番歌

   こといできてのち、宮す所に

  わびぬればいまはたおなじなにはなるみをつくしてもあはんとそ思ふ

『元良親王集』一五三番歌

   京ごくの宮す所

  ふく風にあへてこそちれむめのはなあるににほへるわが身となみそ

『元良親王集』一六六番歌

   京極御やす所

  思ふてふことよにあさくなりぬなりわれうくばかりふかき事せじ

 以上八首が京極御息所関連歌である。六四番歌は、修子内親王に通い

始めた翌日に御息所に手紙を差し上げるという大胆な行為による歌の贈

答がなされており、「色好み」「禁忌の女」といった歌集の物語性を示す

モチーフが重なり合ってあらわれている。藤城憲児氏が当該箇所につい

て「高貴な内親王を妃とした翌日、これまた高貴な御息所を求めて恋情

                            (8V

を訴えるところ、好色者元良親王の面目を表す」と述べるように、同歌

群では親王の「色好み」の人格が描かれており、そのモチーフを受けて

物語化が進行していることも注意される。

 一二〇番歌の詞書「こといできてのち」とあるのは、二人の仲が露見

               (9)

してしまったことを指すとされるが、その内容は『伊勢物語』六五段で

男が「思ふにはしのぶることそまけにけるあふにしかへばさもあらばあ

れ」とよむのを連想させる。『伊勢物語』との類似は同集そして元良親

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王が「禁忌の女」「色好み」のモチーフを受け継いでいることを想起さ

せ、それらが活かされることにより同歌集は物語化を推進する。

 また、同歌集の最後半の一首となる一六六番歌も注目される。その歌

には「ふかき事せじ」とあるように諦めのような心情があらわれている。

木船氏は一六六番歌が含まれる第四部について「なにか人生の秋を思わ

せる元良親王を間接に偲ばせる」とするが、同歌にも寂々とした心情表

現からその一端が垣間見られる。それは同歌集が元良親王を主人公とし

て、弱いながらも時間的な意識を持っていることを示すと考えられる。

 六〇番から六三番歌、六九番から七一番歌は修子内親王に関連した歌

群である。

『元良親王集』六〇番、六一番歌

   かくさだめなくあくがれたまけれど、いとこころありてをかしう

   おはするみやときき給ひて、大夫の宮す所の御はらの女は、宮に

   あはせたてまつりてあしたに、をとこ宮

  ほどもなくかへるあしたのからころもこころまどひにいかできつらん

   返し

  ときのまにかへりゆくらんからころもこころふかくやいろのぞまぬと

 「かくさだめなくあくがれたまけれど」により、親王の女性遍歴そし

て「色好み」な姿が提示される。

                            (10)

 「大夫の宮す所の御はらの女」は修子内親王を指すと考えられ、六〇

番歌の詞書により親王と内親王の結婚が示されているが、この二首では

早くも二人の仲が順風でないことが明らかになる。親王が六〇番歌で

「こころまどひにいかできつらん」と結婚に不満を述べ、内親王がそれ

を六一番歌で嘆くという歌の応酬がなされている。

『元良親王集』六三番歌

   かくてすみたてまつりたまけれど、ほかあるきをしたまければ、

   つらげなるけしきにおはしけれど、みしらぬやうにいで給ひけれ

   ば、女宮

  ねにたかくなきそしぬべきうつせみのわが身からなるうきよと思へば

   とのたまひければ、あはれあはれとてとどまり給ひにけり。

 「ほかあるきをしたまければ」とあり親王の「色好み」な様がここに

も描かれている。しかし、親王が他の女性のもとに通い続けることを恨

み内親王が六三番歌をよむことで、その歌を親王は「あはれあはれ

と」思って他の女性のところに行かずに留まったとする内容となってい

る。 

女の歌により男の愛情をとどめる話は『伊勢物語』二一二段、『大和物

語』一五八段に見られるが、それは「歌徳説話」の話型に依拠している

と見られる。同歌もその話型を踏襲しており歌物語からの影響を捉える

ことができる。

 六九番から七一番歌は内親王の亮去を悼む親王の歌を中心に歌群が構

成されている。

『元良親王集』六九番から七一番歌

   をんな宮うせ給ひにければ、をとこみや

  きしにこそよよをぱへしかいつみがはことしたもとをひたしつるかな

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   又のとしの十月に、これひらの中将まゐりたるおほんみきのついでに

  神無月しぐれはなにぞいにしへを思ひいつればかわくまもなし

   宮

  いにしへをおもひにあへぬからころもぬるるほどなくかわきこそすれ

 七〇番歌でこれひらの中将が「たもとをひたしつるかな」と悲しみの

涙をよんだのに対し、「いにしへを思ひいつればかわくまもなし」とす

る返歌は「内親王を思い起こすことによる深い愛情で涙は乾いてしま

う」との歌意をあらわし、同歌群では親王の内親王への切実な愛情が示

されている。六〇番から六三番歌では浮気な/色好みな人格として親王

は描かれていたのだが、六九番から七一番歌の歌群ではその誠実な人格

が強調されている。

 女を追悼する話は、『伊勢物語』四五段にも見られ、自分に思いをか

けた女を悼んで歌をよむ男の姿には誠実さが読みとられる。元良親王は

『伊勢物語』の色好み像を踏襲していると想定されるが、その影響は女

性を追悼する誠実な姿にも見ることができる。

 複数の歌群に登場する女性として京極御息所を取り上げたが、山の井

の君に関する歌群も分散されて歌が配置されている。

『元良親王集』八八番、八九番歌

   山の井のきみにすみたまて、ひさしくありてみやにまゐりて、よ

   ふけてまかりてければ、くらくはいかがとのたまければ、女

  くらしともたどられざりきいにしへを思ひいでてしかへりこしかば

   おくりの人につけてきこえたりけり

  かへりくる袖もぬるるをたまさかにあぶくまがはのみつにやあるらん

 夜になり、帰って行った山の井の君に対して、親王が「くらくはいか

が」と声をかけたことに対して彼女がよんだ二首が載せられている。

『元良親王集』一一五番、 一一六番歌

   山の井のきみのいへのまへをおはすとて、かへでのもみちのいと

   こきをいれたまへりければ

  おもひいででとふにはあらじあきはつるいろのかぎりをみするなり

  けり

   又、ほどへてとひたまはずとうらみて

  山の井にすむとわが名はたちしかどとふひとかげもみえずもあるかな

 離れがちな親王の訪れを山の井の君が恨んだ歌である。

 山の井の君は同集の最後半部一六一番歌に再び登場する。

『一

Y良親王集』 一六一番歌

   たへはて給ひぬとみて、山の井の君

  山の井のたえはてぬともみゆるかなあさきをだにも思ふところに

 一一五番、二六番歌では途切れがちな訪問が恨まれ、一六一番歌で

は詞書に「たえはて給ひぬ」とあることで事態の進展が見られ、同歌に

は親王の訪れが絶えてしまったことを悟った山の井の君の心情がよみ込

まれている。

 注意したいのは歌群を通じて山の井の君がよんだ歌のみが載せられて

おり、山の井の君と親王の歌の贈答という形は示されていない点であ

る。同歌集には親王が関係を持った女の歌が多く収集されているが、同

歌群のように親王の歌が一首もないことは特異である。そこには同集の

一 385一

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物語性の一端が垣間見られるのではないだろうか。

 同集では元良親王の歌を載せることだけではなく、親王を含めた人間

関係と歌を描くことを目的としている。そのため、人間関係や親王のエ

ピソードを示すことに重点が置かれた山の井の君歌群においては、親王

の歌が一首も載せられないという特異な状況が生まれたと考えられる。

同歌群の特異な構成は、同集が親王の歌を集めた歌集というよりも、親

王周辺の物語性を意識して構成された歌集であるという一面をあらわし

ている。

            (11)

 三七番歌からは関院の姫君たちとの恋歌の贈答が描かれている。

『元良親王集』三七番から四二番歌

   かん院の大君にもののたまて、又つとめて

  からにしきたちてこしちのかへる山かへるがへるも物うかりしか

   みや、うらみたまければ、女

  よの中のうきもつらきもとりすへてしらするきみや人をうらむる

   ほどなくかれたまければ、女

  しら雪にあらぬわが身もあふ事をまつはのうらにけふはへぬべし

   みやの御返し

  まつ山のまつとしきけばとしふともいうかはらじとわれもたのまむ

   又、女

  きみによりこころづくしのわかたつのはかなきねをもなきわたるかな

  うぐひすといかでかなかぬふりたててはなごころなるきみをこふとて

   かくうらみきこえけれど、はてはては返事もしたまはさりけり

 当該歌群では、親王と大君の逢瀬から「はてはて返事もしたまはさり

けり」と親王の訪れがなくなるまでが描かれている。詞書が短文である

ため状況描写は詳細ではないが、贈答歌による心情の描写が歌群を構成

している。

 次に中の君との贈答歌群が続く。

『元良親王集』四三番から五〇番歌

   またおなじかむ院の中のきみをけさうし給ひけるに、女

  あま雲をかりそめにとぶとりならばおほそら事といかがみざらむ

   あひたまひてのち、宮

  おもふともこふともきみはしたひものゆふてもたゆくとけむとをしれ

   をんなのきこえけることども

  おもひをばゆふてもたゆくよけなましいつれか恋のしるしなりける

  したひものゆふぐれごとにながむらんこころのうちをみるよしもがな

  むらどりのむれてのみこそありときけひとりふるすになにかわぶらむ

  うきふしのひとよもみえぱわれぞまつつゆよりさきにきへはかへらん

  やどりゐるとぐらあまたにきこゆればいつれをわきてふるすとかいふ

  おなじえにおひいつるやどもなきものをなににかとりのねをばなく

  べき

 歌群の冒頭に説明的な短い詞書があり、「あひたまひてのち」に続い

て親王のよんだ一首の後は、中の君の歌が六首続いている。同歌群では

詞書による叙述は少なく、中の君の歌の連続を中心に構成されている。

四七番歌「むらどりのむれてのみこそありときけ」、四九番歌「やどり

ゐるとぐらあまたにきこゆれば」とあるのは、中の君が親王の「色好み」

一386一

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のうわさを恨む表現であり、「色好み」のモチーフを確認できる。

 続いての歌群は関院の三君との贈答歌で構成される。

『元良親王集』五一番から五九番歌

   又関院の三君にいなりにまであひ給ひて、宮はしり給はらぬを、

   女はしりてまゐりてかへりて、きこえける

  ぬばたまの山にまじりてみし人のおぼつかながらわすれぬるかな

   などきこえてあひにけり、さて、宮

  むもれぎのしたになげくとなとりがはこひしきせにはあらはれぬべし

   をんな

  わがかたにながれてかゆくみつぐきのよるせあまたにきこゆればうし

  ながれてもたのむこころのぞはなくにいつをほどにかかげのぞふべき

  こがくれのした草なればみねのうへのひかりもつひにたのまれなくに

  つきもせぬ事のはななりとみながらもたのむといふはうれしかりけり

  風吹けば身をこすなみのたちかへりうきよの中をうらみつるかな

  むばたまのよるのみ人をみるときはゆめにおとらぬここちこそすれ

  なみだがはながれてきしをくづしてはこひやるかたもあらじとそお

  もふ

 同歌群にも先行する大君、中の君との歌群と類似した形が見られる。

すなわち、歌群が前半の親王の二首と、三首目以降の女君の歌によって

構成される形であり、歌群の中心は女君の歌にあるという点で類似する。

 五五番歌「よるせあまたにきこゆればうし」五六番歌「つきもせぬ事

のはななりとみながらも」とあるように親王の「色好み」が非難の対象

となっている。親王の「色好み」な態度は四三番から五〇番歌で中の君

によって非難され、また大君も四二番歌で「はなごころなるきみ」と親

王の態度を恨んでいる。関院の姫君の歌群においては、「色好み」な親

王に対する非難を共通して見ることができる。

 以上のように、三七番歌から五九番歌の歌群では関院の三姉妹との恋

愛が描かれている。五九番歌から続く六〇番歌の詞書冒頭には「かくさ

だめなくあくがれたまけれど」とあるが、これは親王の関院の姫君たち

との恋愛を端的にあらわしており、加えて同歌群ではそれぞれの姫君と

恋仲になるという親王の「色好み」がモチーフとして強調されている。

歌集冒頭に「いみじきいろこのみにおはしましければ」とあることか

ら、岡部由文氏は同集について「元良親王の好色ぶりを形象化すること

                  (12)

を主眼に編集されている」と論じているが、その一例として関院の姫君

たちとの恋愛には冒頭に示された歌集全体に底流している「色好み」と

しての親王の姿が色濃く反映されている。

 以上のように『元良親王集』は「げんの命婦」「いはや君」「大納言の

北の方」「京極御息所」「修子内親王」「山の井の君」「関院の姫君たち」

などの幾人かの女性との贈答歌による歌群を軸として構成されている。

各歌群では登場する女との逢瀬や別れが展開を見せながら描かれてい

る。それぞれの歌群は単独でも成立しているが、「色好み」としての親

王の人格や、「禁忌の女」のモチーフが度々あらわれることで歌集は物

語的な連関をもって形成されている。

 また、「京極御息所」「山の井の君」に関する歌群が分散して歌集内に

配置されている構造は、『伊勢物語』における「二条后物語」などの方

一387一

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法を連想させ、同歌集が全体を通して親王を主人公とした一貫した物語

性をもっていることを示している。

   四.歌物語との比較

 『元良親王集』と『伊勢物語』『大和物語』はその作品形態はもちろん、

作品の構造や内容においても関連が見られる。例えば、『伊勢物語』か

らは短小段同士のつながりによる構成や「色好み」「禁忌の女」などの

             (13)

モチーフにおいて影響が考えられ、『大和物語』については成立過程や

              (14)

題材などで関連性が指摘されている。本節では『伊勢物語』『大和物語』

と比較対照を行ないながら『元良親王集』の物語性を考えてみたい。

一)

w伊勢物語』との比較

 歌物語は歌と散文の関連による物語化が見られるが、一見すると物語

性が希薄に受け取られかねない短小段ー『伊勢物語』や『大和物語』に

見られる、短い散文と一首あるいは二首で構成されている段1の場合に

              (15)

おいても同様の構造がとられている。『伊勢物語』の例をあげてみたい。

『伊勢物語』三五段

   むかし、心にもあらで絶えたる人のもとに、

    玉の緒をあわ緒によりて結べれば絶えてののちもあはむとそ思

    ふ

『伊勢物語』三六段

   むかし、「忘れるなめり」と、問ひ言しける女のもとに、

    谷せばみ峰まではへる玉かづら絶えむと人にわが思はなくに

            (16)

 上記二段の歌は各々『万葉集』七六三番歌、三五〇七番歌と類歌の関

係にある。

『万葉集』七六二番、七六三番歌

   紀女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌二首

  神さぶと否にはあらずはたやはたかくして後にさぶしけむかも

  玉の緒を沫緒に嵯りて結べらばありて後にも逢はさらめやも

『万葉集』三五〇七番歌

   谷狭み峰に延ひたる玉葛絶えむの心我が思はなくに

 『万葉集』では散文による状況説明はほとんどなされていないが、『伊

勢物語』三五段、三六段では短いながらも散文によって歌がよまれた経

緯が説明されている。そして、歌によって心情があらわされることで

『伊勢物語』は物語性を持つのである。ここには散文と和歌が関わりあ

った歌物語の形態が見られ、短小段における散文の意義があらわれてい

る。 

次に『元良親王集』の歌群構成について考えてみたい。同集では詞書

あるいは歌群が形成されることにより物語化が進められている。

『元良親王集』四五番から五〇番歌

   をんなのきこえけることども

  おもひをばゆふてもたゆくとけなましいつれか恋のしるしなりける

  したひものゆふぐれごとにながむらんこころのうちをみるよしもが

  な

  むらどりのむれてのみこそありときけひとりふるすになにかわぶらむ

  うきふしのひとよもみえばわれぞまつつゆよりさきにきえはかへらん

一388一

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  やどりゐるとぐらあまたにきこゆればいつれをわきてふるすとかいふ

  おなじえにおひいつるやどもなきものをなににかとりのねをばなく

  べき

 四五番歌から五〇番歌は四三番歌から続く歌群の一部であるが、詞書

もなく歌が載せられているのみであり、『伊勢物語』に見られたような

散文と歌が一体となった物語化は見られない。しかし、四七番「ひとり

ふるすになにかわぶらむ」四八番「われぞまつつゆよりさきにきえはか

へらん」五〇番「おなじえにおひいつるやどもなきものを」とあるよう

に、恋をするわが身の「はかなさ」の心情をよんだ歌が続いていること

で、統一性をもった歌群として物語性を読み取ることができる。ここで

は歌による心情表現が歌群として構成されることで物語性があらわれて

いる。

 次に『元良親王集』に見られる一首が独立している歌を取り上げる。

木船重昭氏は同集の構成について「贈答歌にのみ頼るものではない。一

                  (17)

首一歌連の構成も意外と多い」としているが。それらの歌がどのように

物語化されているかを考えてみたい。その指標として『伊勢物語』は参

考となる。

 先ほども述べたように『伊勢物語』には短小段とされる段が少なくな

い。短小段は単独での物語性は薄いが、他段と関連することで物語とし

ての機能を拡大する。

『伊勢物語』=段

   むかし、男、あづまへゆきけるに、友だちどもに、道よりいひお

  こせける。

    忘るなよほどは雲居になりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで

『伊勢物語』五四段

   むかし、男、つれなかりける女にいひやりける。

    ゆきやらぬ夢路を頼むたもとには天つ空なる露や置くらむ

『伊勢物語』五五段

   むかし、男、思ひかけたる女の、え得まじうなりての世に、

    思はずはありもすらめど言の葉のをりふしごとに頼まるるかな

 それぞれの段は散文部分が短く、示す内容も抽象化されて物語性は希

薄であるが、他段と関連付けられることで物語性が見出せる。一一段は

その配置により、七段から一五段の「東下り・東国物語」の一部として

認識される。五四段と五五段は「得ることの難しい女」に対して恋心を

寄せるというモチーフで共通しており、そのモチーフが物語に散在して

いることで物語全体を通した解釈が可能となる。このように『伊勢物

語』では短い散文で構成された段であっても、段の配置やその内容、モ

                     (18)

チーフにより物語に組み込まれることが少なくない。

 『伊勢物語』における短小段の物語性を考慮しながら、『元良親王集』

の一首一歌連を見てみたい。

『元良親王集』九五番から九八番歌

   かものまつりのひ、かつらのみやの御くるまにたてまつりたまひ

   ける

  しらねどもかつらわたりときくからにかものまつりのあふひとにせん

   又もののたまふ女どもへ、てらにまであひたまて、みつろのしる

   りへにたちたまていとよくみたまてつかはしける

一389一

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  よの中にうれしきものはとりべ山かくるる人をみつるなりけり

   わすれ給ひにける女、きよみつにまうであひたてまつりて、みや

   はしらぬかほにていで給ふにきこえける

  わたつみにありとそききしきよみつにすめるみつにもうきめありけり

   しがにかりし給ふときのやどに、ある女まうであひて、はしらに

   かいつけける

  かりにくるやどとはみれどかまししのおほけなくこそすままほしけれ

   おなじところにて、つねにみ給ふ女に、しのだけのふししげきを

   っつみてたまける

  しのだけのふしはあまたにみゆれどもよよにうとくもなりまさるかな

   おなじひとに、みや

  いかにしてくりそめてけるいとなればつねによれどもあふよしのなき

 九五番歌から九八番歌において、親王の相手はそれぞれ異なる女性で

あり、各歌は一首一歌連の構造をもっている。各歌は単独でも機能して

いるが、前後の段とつながりを持つことで意味を拡大する。九五番歌と

九六番歌は同じ日時「かものまつりのひ」が設定されており、九七番歌

は「きよみずにまうで」とあることで九六番歌の「てらにまであひたま

て」と関連している。九九番歌と一〇〇番歌は同一の女で歌群を形成す

るが九九番歌の詞書に「おなじところにて」とあるため、九八番歌も巻

き込む歌群が浮き上がってくる。

 以上のように九五番歌から九八番歌は一首一歌連の構造となっている

が、それぞれの詞書と歌が前後の歌と連関し合い、物語性を持つように

なる。それは『伊勢物語』が短小段同士のつながりによって物語化を進

めた構造と類似している。歌同士が関連し合うことで、同集の物語性は

一首一歌連という構成の中でも発揮されていると言えるだろう。

 また、『元良親王集』では「三.『元良親王集』の歌群について」で考

察したように、京極御息所関連歌群の「禁忌の女」、関院の姫君関連歌

群などの「色好み」のモチーフが見られた。それらは『伊勢物語』の主

要モチーフでもあることから同集の『伊勢物語』からの影響、またその

モチーフが同集の物語化に貢献しているものと考えられる。

二)『大和物語』との比較

 ここでは『大和物語』と『元良親王集』の共通歌を考察することで、

二つの作品について考えていきたい。

 『元良親王集』一〇七番、一〇八番歌は『大和物語』=二九段歌と一

致する。

『元良親王集』一〇七番、一〇八番歌

   そ行殿の中納言君にほどなくかれたまひにければ、をんな

  ひとをとくあくたがはてふつのくにのなにはたがはぬものにざりける

   かくてものもくはでなくなくこひきこへてまつに、雪のふりかか

   りたりけるにつけてきこえける

  こぬひとをまつのえだにふる雪のきえこそかへれあかぬおもひに

『大和物語』一三九段

   先帝の御時に、承香殿の御息所の御曹司に、中納言の君といふ人

  さぶらひけり。それを、故兵部卿の宮、わか男にて、一宮と聞え

  て、色好みたまひけるころ、承香殿はいとちかきほどになむありけ

一390一

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  る。らうあり、をかしき人々ありと、聞きたまうて、ものなどのた

  まひかはしけり。さりけるころほひ、この中納言の君に、しのびて

  寝たまひそめてけり。ときどきおはしましてのち、この宮、をさを

  さとひたまはざりけり。さるころ、女のもとよりよみて奉りける。

    人をとくあくた川てふ津の国のなにはたがはぬ君にぞありける

  かくて物も食はで、泣く泣く病になりて恋ひたてまつりける。かの

  承香殿の前の松に雪の降かかりけるを折りて、かくなむ聞えたてま

  つりける。

    来ぬ人をまつの葉にふる白雪の消えこそかへれあはぬ思ひに

  とてなむ、「ゆめこの雪おとすな」と、使ひにいひてなむ、奉りけ

  る。

 二つの作品を比較すると、『大和物語』では物語の設定となる時、場

所、人が明確に提示されているのに対し、『元良親王集』では中納言君

との関係について最小限の記述がなされているのみである。

 『大和物語』は各段が独立しているため、=二九段のように散文での

設定の提示が必要となる。歌はその設定を背景とすることで中納言の君

の心情をあらわすが、散文の物語性に寄り添う形で歌がおかれていると

言える。一方、『元良親王集』の二首では詞書は最小限の設定を提示す

るのみであり、中納言君の歌を中心とした構成がなされている。また、

「ゆめこの雪おとすな」以降は『元良親王集』には見られないことも、

『大和物語』の散文による物語性を示していると言えるだろう。

続く一〇九番から一一二番歌は「のぼるの大納言のみむすめ」との贈

答歌で構成されており、『大和物語』一四〇段と類似が見られる。

『元良親王集』 一〇九番から一一二番歌

   のぼるの大納言のみむすめにすみたまけるを、ひさしにおましし

   きておほとのこもりてのち、ひさしうおはしまさで、かのはしに

   しかれたりしものはさながらありや、とりやたてたまてしと、の

   たまければ、女

  しきかへすありしながらに草まくらちりのみぞゐるはらふひとなみ

   ときこへたりければ、宮

  くさまくらちりはらひにはから衣たもとゆたかにたつをまてかし

   又、をんな

  からころもたつをまつまのほどこそはわがしきたへのちりもつもらめ

   かくておはしてのち、うちへ返しになむどのたまへれば、女

  みかりするくりこま山のしかよりもひとりぬる身ぞわびしかりける

『大和物語』 一四〇段

   故兵部卿の宮、昇の大納言のむすめにすみたまうけるを、例のお

  まし所にはあらで、廟におまししきて、おほとのこもりなどして、

  かへりたまうて、いと久しうおはしまささりけり。かくて、のたま

  へりける。「かの廟にしかれたりし物は、さながらありや。とりた

  てやしたまひてし」と、のたまへりければ、御返りごとに、

    しきかへずありしながらに草枕ちりのみぞゐるはらふ人なみ

  とありければ、御返しに、

    草枕ちりはらひにからころもたもとゆたかに裁つを待てかし

  とあれば、また、

一391一

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    からころも裁つを待つまのほどこそはわがしきたえのちりもつ

    もらめ

  となむありければ、おはしまして、また「宇治へ狩しになむいく」

  とのたまひける御返しに、

    み狩する栗駒山の鹿よりもひとり寝る身ぞわびしかりける

 のぼるの大納言のみむすめ関連歌群は『大和物語』一四〇段と対応し、

簡略化はあるものの詞書と散文の内容もほぼ共通している。一=一番歌

の詞書では話の展開が見られ、同集の物語的要素が強く見られる歌群が

構成されている。

 当該歌群が女の歌を中心に構成されている点に注意したい。同集は元

良親王の歌を中心に編まれているが、親王の周辺状況や人間関係を描写

する物語性が付加されることで、相手の女からの歌が中心とされる場合

もある。特に当該歌群では物語的な文脈で歌がよまれるため、物語の中

心となる女の歌で構成された形がとられている。

 =二〇番、二二一番歌も女の歌で構成されており、また『大和物語』

八段の歌と類似している。

『元良親王集』一三〇番、一三一番歌

   げんの命婦にかたふたがりければとのたまへりければ、女

  あふことのかたはさのみはふたがらむひとよめぐりのきみとみつれば

   ときこえたりければ、さしておはしたりけり、又、ひさしくおは

   せで、さがの院にかりしにとてなどのたまへりければ、女

  おほさはのいけのみつくきたえぬともさがのつらさをなにかうらみむ

『大和物語』八段

   監の命婦のもとに、中務の宮おはしまし通ひけるを、「方のふた

  がれば、今宵はえなむまうでぬ」とのたまへりければ、その御返り

  ごとに、

    あふことの方はさのみぞふたがらむひと夜めぐりの君となれれ

    ば

  とありければ、方ふたがりけれど、おはしましてなむおほとのこも

  りにける。かくてまた、久しく音もしたまはさりけるに、「嵯峨院

  に狩すとてなむ、久しう消息なども物せざりける。いかにおぼつか

  なく思ひつらむ」などのたまへりける御返しに、

    大沢の池の水くき絶えぬともなにか恨みむさがのつらさは

  御返し、これにやおとりけむ、人忘れにけり。

 親王の相手が、『元良親王集』では「げんの命婦」、『大和物語』では

「中務の宮」とされている点に違いは見られるが、歌と散文/詞書が示

         (19)

す内容は類似している。

 『元良親王集』 =二〇番、一三一番歌は、詞書にある「かたふたがり

ければ」「さがの院にかりし」といった親王の行動が物語的な展開を進

めているが、歌をよむ主体はげんの命婦である。詞書の主体と歌のよみ

手が異なっており、元良親王の行動に対するげんの命婦の歌という形が

とられていることは注意される。ここでは女が歌をよみながらも、話の

内容を進めているのは親王の行動であり、同集が親王を中心に展開され

ていることを示している。

 一四二番歌は『大和物語』一三七段の歌と共通しているが、一四二番

歌の詞書と一三七段の散文部分には大きな違いが見られる。

一 392一

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『元良親王集』 一四二番歌

   しがの山こえのみちに、いもはらといふ所もたまへりけり、そこ

   にごがくれつつ人みたまけるをしりて、としこがかいつけける

  かりにのみくるきみまつとふりでつつなくしが山はあきぞかなしき

『大和物語』一三七段

   志賀の山越の道に、いはえといふ所に、故兵部卿の宮、家をいと

  おかしうつくりたまうて、ときどきおはしましけり。いとしのびて

  おはしまして、志賀にまうつる女どもを見たまふ時もありけり。お

  ほかたもいとおもしろう、家もいとをかしうなむありける。とし

  こ、志賀にまうでけるついでに、この家に来て、めぐりつつ見て、

  あはれがりめでなどして、書きつけたりける。

    かりにのみ来る君待つとふりいでつつ鳴くしが山は秋ぞ悲しき

  となむ書きつけていにける。

 =二七段では散文により詳細な状況説明がなされている。としこの

「あはれがりめでなどし」とする心情や、親王を待つ女の悲しい心情も

あらわれている。 一方、『本良親王集』一四二番歌では簡素化された詞

書がおかれているのみである。内容としてはほぼ一致しているが、『大

和物語』では物語的なふくらみが見られる。

 『元良親王集』と『大和物語』の比較では、歌物語の散文による詳細

な状況描写と物語的家集の簡略化された詞書との性格の違いが明らかに

なった。散文による説明の不足は『元良親王集』の物語性が『大和物語』

と比べると希薄化している一因となっている。しかし、一方で同集は別

の形で物語化を進めている。それは、歌群としてのまとまり、私家集と

いう形をとりながら親王の歌だけでなく周辺状況や人間関係を描写する

物語性が付加されている点である。同集は歌物語とは異なるアプローチ

                (20)

によって物語化を行なっているのである。

五.勅撰集との関連

 『後撰集』『拾遺集』の両勅撰集には『元良親王集』との共通歌、また

詞書から元良親王に関わると判断される歌がいくつか収められている。

ここではそれらの元良親王関連歌について物語性の観点から中心に考察

する。

一)

w後撰集』との関連

 はじめに『後撰集』の元良親王集関連歌をいくつか見てみたい。

『後撰集』五一〇番、五一一番歌

   あひ知りて侍ける人のもとに、「返事見む」とてつかはしける

  来や来やと待つ夕暮と今はとて帰る朝といつれまされり 元良の親王

   返し

  夕暮は松にもかΣる白露のをくる朝や消え果つらむ 藤原かつみ

 五一〇番歌は『元良親王集』冒頭歌と一致する。『元良親王集』では

げんの命婦との贈答歌となっており、続く三首で歌群が構成されている

が、藤原かつみのよんだとされる五一一番歌は見られない。

次に『後撰集』五二二番歌と『元良親王集』一五七番歌を取り上げる。

一 393 一

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『後撰集』五二二番歌

  いつしかとわが松山に今はとて越ゆなる浪に濡るx袖哉

『元良親王集』一五七番歌

   もののたまふ女、こと人もののたまふときこしめして、宮

  いつしかとわがまつ山のいまはとてこゆなるなみにぬるる袖かな

 『後撰集』には詞書がないが、直前の五一二番歌「わがごとくあひ思

ふ人のなき時は深き心もかひなかりけり」により、別に思う人がいる相

手に対して恨みを述べた歌であると解釈される。『元良親王集』では一

五七番歌から新たな歌群が始まるため、詞書による状況説明がなされて

いると考えられる。

『後撰集』九六〇番歌

   事出て来てのちに京極御息所につかはしける 元良の親王

  わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はんとそ思

『元良親王集』一二〇番歌

   こといできてのち、宮す所に

  わびぬればいまはたおなじなにはなるみをつくしてもあはんとそ思ふ

 詞書はほぼ一致している。両歌とも詞書は最小限に留められている

が、「事出て来てのちに」により禁忌性をともなう京極御息所との恋事

が明示される。そして、歌により「禁忌の女」のモチーフと親王の情熱

が浮上し、同歌のもつ物語性が強調されることになる。

『後撰集』 一四三番歌

   たまさかにかよへる文を乞ひ返しければ、その文に具してつかは

   しける                元良の親王

  やれば惜しやらねば人に見えぬべし泣く泣くも猶返すまされり

『元良親王集』六六番歌

   さきざきかよはせ給ひける御文とても、いまはかへしたてまつれ

   たまふとて、宮す所

  やればをしやらねばひとにみえぬべしなくなくもなほかへすまされり

 歌は共通しているが、『後撰集』では元良親王が、『元良親王集』では

御息所がよんだ歌とされている。『元良親王集』六四番から六六番歌で

は御息所との恋事による歌群を形成しており、「ひとにみえぬべし」と

御息所が思い悩むことで「禁忌の女」としてのイメージが強調され、そ

の女に挑む親王の情熱を映し出すことになる。そのような物語性を引き

出すために『元良親王集』では御息所がよんだ歌とされたものと考えら

れる。

『後撰集』一二一一番歌

   つきもせずうき事の葉の多かるを早く嵐の風も吹かなん

『元良親王集』 一六四番歌

   いとあだにおはすとききて、女

  つきもせずうき事のはのおほかるをはやくあらしのかぜもふかなむ

 『後撰集』一二一一番歌には詞書もよみ人も記されていないが、『元良

親王集』では一六二番歌からの歌群となっており「うこ」とされる女性

         (21)

との贈答になっている。同歌では浮気心を恨む女に対して親王がそれを

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なだめている構図があらわれ、歌群としての物語性が見られる。このよ

うに『元良親王集』で歌群を形成している歌が『後撰集』に単独で採ら

れている例も見られる。以下を見てみたい。

『元良親王集』一二一番から一二四番歌

   かねもとのむすめ、兵部のもとにいまこむとのたまて、おはせざ

   りける又の日のつとめて、女

  ひとしれずまつにねられぬありあけの月にさへこそねられさりけれ

   あしぶちといふむまにのりたまへりけるころ、女のもとにひさし

   くおこせざりけるころ、女

  ありながらこぬをもいはじあしぶちのこまのこゑこそうれしかりけれ

   これにおどろきてをんなのもとのおはしたるに、あけぬ、とくと

   きこえければ、かへりたまて、宮

  あまのとをあけぬあけぬといひなしてそらなきしつるとりのこゑかな

   返し

  あまのとをあくとも我はいはさりきよにふかかりしとりのねにあかで

 一二三番歌は『後撰集』六二一番歌と共通している。

『後撰集』六二一番歌

   女につかはしける          よみ人しらず

  天の戸を明けぬ明けぬと言ひなして空鳴きしつる鳥の声哉

 『後撰集』六二一番歌では抽象的な詞書がおかれているのみであるが、

『元良親王集』 一二四番歌は歌群が構成されていることで、贈答歌とし

ての意味が鮮明になり物語化が進められている。そこには『元良親王集』

の歌群による物語性が見られ、『後撰集』と比較して物語化の意識が強

いことが確認できる。

二)『拾遺集』との関連

 次に『拾遺集』の元良親王関連歌についていくつか見てみたい。

『拾遺集』九一八番歌

   元良の親王、小馬の命婦に物言ひ侍ける時、女の言ひ遣はしける

  数ならぬ身はただにだに思ほえでいかにせよとかながめらるらん

『元良親王集』六七番歌

   きたのかた、みやにむしことてさぶらひける、めしければ、かむ

   しにおきたまてけるを、をとこみや、こまのの院におはしましけ

   るに、むしこがたてまつりける

  かずならぬ身はただにだにおもほえていかにせよとかながめらるらむ

 『元良親王集』の物語化が見られる歌である。詞書で「きたのかた」

にとがめられた「むしこ」が、「こまのの院」にいる親王に歌を送った

と状況が説明されており、「むしこ」の切迫した心情が伝わってくる。

『拾遺集』にも説明的な詞書がおかれているが、『元良親王集』では「北

の方」「むしこ」「親王」の三老を登場させ、さらに物語化を進めている。

『拾遺集』一二六九番歌

   元良の親王、久しくまからざりける女のもとに、紅葉をおこせて

   侍ければ

  思出でて訪ふにはあらず秋はつる色の限を見するなりけり

『元良親王集』一一五番歌

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   山の井のきみのいへのまへをおはすとて、かへでのもみちのいと

   こきをいれたまへりければ

  おもひいでてとふにはあらじあきはつるいろのかぎりをみするなり

  けり

 二つの歌は『後撰集』四三九番歌ともほぼ一致する。

   忘れにける男の紅葉を折りて送りて侍りければ

  思出でて問にはあらじ秋果つる色の限を見するなるらん

 注意したいのは『元良親王集』一一五番歌のみが、女から送られてい

る点である。同歌の詞書で指示される山の井の君は歌集内で八八番、八

九番、一一六番、=七番、↓六一番歌にも登場しており歌群として捉

えられるが、その歌群は山の井の君からよまれた歌のみで構成されてい

る。一一五番歌は歌集における山の井の君関連歌群を通した論理に従っ

ており、そこには『元良親王集』の統一性を見ることができる。

六.おわりに

 本論では物語的家集である『元良親王集』について、どのように物語

性が形成されているのかを中心に考察してきた。歌物語との比較がなさ

れることが多い物語的家集であるが、その物語化は歌物語の影響を受け

ながら、また異なる側面からも行なわれている。

 物語的家集の性格の一つとして歌群による物語化があげられる。『元

良親王集』では、歌は単独で配されているだけでなく、物語的な歌群と

して歌同士が結びつけられていることが少なくない。それらの歌群は、

親王の相手となる女性との贈答歌によって構成されており、詞書による

状況設定や歌によって詠者の心情描写を行ないながら、物語的な展開を

示すことになる。また、京極御息所や山の井の君の歌群は歌集内で分散

されて配置されているが、それは歌物語と類似した形態であり、同集の

物語性につながるものと考えられる。

 また、歌群が物語性に関わるモチーフを用いていることも重要な要素

である。歌物語-特に『伊勢物語』-ではその物語性を示すモチーフが

見られたが、『元良親王集』でも軸となる歌群はモチーフによって構成

されている。京極御息所、大納言の北の方には「禁忌の女」のモチーフ

が見られ、関院の姫君たちとの恋愛には冒頭にも提示された「色好み」

というモチーフが強くあらわれている。それらが歌群に取り込まれるこ

とにより、同集は全体を統一した物語性をもつことになる。

 歌物語との比較によっても同集の物語的性格を見ることができる。歌

物語が散文と歌の関連によって物語として構成されているのに対して、

物語的家集では別の面から物語化が進められている。家集では詞書/散

文による物語性は弱いが、歌群としての構成、歌のつながりによる物語

化が行われているのである。

 同様に『元良親王集』と『後撰集』『拾遺集』の関連歌を見た場合に

も、『元良親王集』の物語的家集としての物語性を見出すことができた。

『元良親王集』と両勅撰集との同一歌をいくつか取り上げたが、それら

を比較することで歌群や歌のつながりによる『元良親王集』の物語性が

より明らかになった。

 以上の考察により物語的家集である『元良親王集』の物語性を見るこ

とができた。『元良親王集』は私家集でありながら、歌群の構成や物語

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的モチーフを採用することで、物語性を創出することを可能とした。そ

れは元良親王の歌やエピソードが物語的要素を持っていたことに加え

て、構成の段階で物語への志向性があらわれたことに依るものが大きい

と考えられる。

注(1) 物語的家集については平野由紀子氏(「物語的家集」『王朝私家集の成立

  と展開』一九九二年風間書房)をはじめとした考察がある。本論の物語的

  家集の定義はそれらの先行論文を参考にした。

(2) 関根慶子「歌物語化の風潮と伊勢集」『中古私家集の研究』(一九六七年

  風間書房)

(3) 木船重昭氏は現存の同集について、他撰による女性との交渉歌を中心に

  取捨再編集されたものと推測している。(『元良親王集注釈』一九八四年大

  学堂書店)

(4) 冒頭歌には長い詞書がおかれているが、それは歌集全体の冒頭という要

  素が含まれる特異なものであるためここでは取り上げていない。

(5) 山口博氏(「元良親王集の物語性」『王朝文学研究25』一九六〇年)、は

  同歌集を『新編国歌大観』の歌番号で一番から七一番歌、七二番から一〇

  六番歌、一〇七番から一四二番歌、一四三番から一六九番歌の四群に分類

  した解釈を行っている。木船重昭氏3同前掲書の分類もこれに近いものと

  なっている。

(6) 山口博4同前掲論文。

(7) 『伊勢物語』六九段の以下の表現に類似が見られる。

  『伊勢物語』六九段

    (前略)男、いとうれしくて、わが寝る所に率て入りて、子一つより

    丑三つまであるに、まだ何ごとも語らはぬにかへりにけり。男、いと

    かなしくて、寝ずなりにけり。つとめて、いぶかしけれど、わが人を

    やるべきにしあらねば、いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれて

    しばしあるに、女のもとより、詞はなくて、

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     君や来しわれやゆきけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか

    男、いといたう泣きてよめる、

     かきくらす心のやみにまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ

    とよみてやりて、狩にいでぬ。

(8) 藤城憲児コ兀良親王集の虚構」『湘南文学』 一九九三年三月

(9) 木船重昭3同前掲書。

(10) 木船重昭3同前掲書の指摘による。『新後拾遺集』(新編国歌大観)=

  四四番歌は『元良親王集』六〇番歌と一致しており、「大夫の宮す所の御

  はらの女八の宮にあはせたまひて」と詞書があり、『日本紀略』(国史大系

  本)に「承平三年二月五日辛亥。無品修子内親王莞。先帝第八皇女」とあ

  ることから木船氏は判断している。

(11) 『尊卑分脈』(国史大系本)には源宗子の項に女子が二人示されており、

  その一人に関院の大君とある。

(12) 岡部由文「元良親王と大和物語」『國學院大學文学研究科論集』(}九七

  七年三月)

(13) 伊藤颯夫『伊勢物語の享受に関する研究 第一巻 平安朝編一』(一九

  七五年桜楓社)では、『伊勢物語』と『元良親王集』との比較がなされて

  いる。

(14) 岡部由文氏のH同前掲論文、加藤悦子氏(「元良親王集について」『薩摩

  路』一九七五年三月)、山口博氏の4同前掲論文などの論文では、『大和物

  語』と『元良親王集』の成立における関係性が指摘されている。特に山口

  氏は『元良親王集』の詞書などから『大和物語』の影響を受けて『元良親

  王集』が創作されたとの見解を示している。

(15) 中田武司「伊勢物語序説」『泉州本伊勢物語の研究』(一九六八年白帝社)

(16) 本文は『新編日本古典文学全集』によった。

(17) 内訳として「元良親王歌一首のみによる歌連が九連、対者の女性歌のみ

  による歌連が八連」としている。

(18) 片桐洋一「現存本伊勢物語の成立」『伊勢物語の研究 研究篇』(一九六

  八年明治書院)や深町健一郎「定家本『伊勢物語』の構造をめぐって」

  (『中古文学』一九八四年十月)他の論文などで、短小段関連についての言

  及がある。

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(19) 『日本古典文学大系』補注では「この歌と、直ぐ前の「あふことの」の

  歌の二首とともに、元良親王御集に見え、同親王に対して監の命婦が贈っ

  たものとしている」とあり、『大和物語』と『元良親王集』の類似性を見

  ている。

(20) 阿部俊子氏は歌物語との相違点ということで「歌の配列に年代的系列

  も、時期の変移もなく、相手の人物や歌の種類によるまとまりもない」

  (「元良親王集の性格」『学習院女子短期大学紀要』一九七〇年二月)と述

  べており、「歌物語と比べてみる時、終始はっきりと一人の元良親王が自

  らの歌を示し、女に歌をよませている」という贈答歌による歌集としての

  構成にっいて言及している。

(21) 木船重昭3同掲書によれば「うこ」は「うこん」を指すとされる。

本文については、『元良親王集』は『新編国歌大観』、『伊勢物語』『大和物語』

は『新編日本古典文学全集』、『後撰集』「拾遺集』は『新日本古典文学大系』

によった。

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