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ロシアNIS調査月報201112月号 44 特 集 ソ連解体とNIS諸国の独立から20年 はじめに ロシアの資本主義化20年を人的ネットワー クと関連づけて論じることが本稿の目的であ る。その過程は、「ドル経済化」と「擬似会社 国家化」のふたつの段階に大別することができ る。ここでは第1に、ロシアの資本主義化が過 度の自由化によって大きく歪められ、それが 「ドル経済化」につながり、大企業の形成に影 響をあたえた側面に注目したい。第2に、プー チン大統領就任後、財政資金の拡大をテコに、 プーチン人脈と結びつくことで構築された大 企業ネットワークを分析する。これは、いわゆ る「グローバリゼーション」に呼応する形で進 んだから、国家を会社のように経営するという New Public Managementという世界的潮流に沿 って展開された。これを、本稿では「擬似会社 国家化」とみなす。最後に、若干の展望を示し たい。 1.「ドル経済化」のもとでの大企業形成 ソ連崩壊後の混乱のなかで、自由化が急速に 推進されたことは周知のとおりである。価格、 商業、貿易、資本移動、労働力などにかかわる 自由化が進められたわけだが、これが「ドル経 済化」につながった 1) 。交換手段としても価値 尺度としても、信用を得られなかったルーブル は長く貨幣としての役割を十分には果たしえ なかったのである。この「ドル経済化」をロシ アの資本主義化の最重要問題であると明確に 意識するところから出発しなければならない。 この基本認識にたつと、ロシアのもつ天然資源 輸出を通じて、ドルを入手するという方法がき わめて有効な手段であったことに気づくだろ う。そこにつけ込んだのが石油、天然ガス、石 炭などの天然資源の輸出を通じて利益を得よ うとした人々である。ただし、これには海外か ら輸出を手引きしたり、資金を海外にため込ん だりするのを手助けする人々も必要であった。 具体的にいえば、トレーダーやディーラーと呼 ばれるような仲介者であり、会計や法律などの コンサルタントである 2) 。資本主義への移行問 題の核心は「ドル経済化」であり、その問題を ロシア経済の分析視点としなければ、ロシア経 済の「現実」に肉迫することはできないのであ 3) ガスプロム、ルクオイルなどの石油ガス会社 の民営化の過程については、過去に何度も解説 したことがある 4) 。ロシアの大企業に注目する 場合、ソ連時代に形成されていた、比較的規模 ロシア資本主義化20年の軌跡 ―人的ネットワークを中心に― 高知大学 人文学部 塩原 俊彦

ロシア資本主義化20年の軌跡db2.rotobo.or.jp/members/all_pdf/m201112No.05doy.pdfロシアにおけるtwgの利益を代表する立場か ら去った(この際、クラスノヤルスクやブラー

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ロシアNIS調査月報2011年12月号 44

特 集 ソ連解体とNIS諸国の独立から20年

はじめに

ロシアの資本主義化20年を人的ネットワー

クと関連づけて論じることが本稿の目的であ

る。その過程は、「ドル経済化」と「擬似会社

国家化」のふたつの段階に大別することができ

る。ここでは第1に、ロシアの資本主義化が過

度の自由化によって大きく歪められ、それが

「ドル経済化」につながり、大企業の形成に影

響をあたえた側面に注目したい。第2に、プー

チン大統領就任後、財政資金の拡大をテコに、

プーチン人脈と結びつくことで構築された大

企業ネットワークを分析する。これは、いわゆ

る「グローバリゼーション」に呼応する形で進

んだから、国家を会社のように経営するという

New Public Managementという世界的潮流に沿

って展開された。これを、本稿では「擬似会社

国家化」とみなす。最後に、若干の展望を示し

たい。

1.「ドル経済化」のもとでの大企業形成

ソ連崩壊後の混乱のなかで、自由化が急速に

推進されたことは周知のとおりである。価格、

商業、貿易、資本移動、労働力などにかかわる

自由化が進められたわけだが、これが「ドル経

済化」につながった1)。交換手段としても価値

尺度としても、信用を得られなかったルーブル

は長く貨幣としての役割を十分には果たしえ

なかったのである。この「ドル経済化」をロシ

アの資本主義化の最重要問題であると明確に

意識するところから出発しなければならない。

この基本認識にたつと、ロシアのもつ天然資源

輸出を通じて、ドルを入手するという方法がき

わめて有効な手段であったことに気づくだろ

う。そこにつけ込んだのが石油、天然ガス、石

炭などの天然資源の輸出を通じて利益を得よ

うとした人々である。ただし、これには海外か

ら輸出を手引きしたり、資金を海外にため込ん

だりするのを手助けする人々も必要であった。

具体的にいえば、トレーダーやディーラーと呼

ばれるような仲介者であり、会計や法律などの

コンサルタントである2)。資本主義への移行問

題の核心は「ドル経済化」であり、その問題を

ロシア経済の分析視点としなければ、ロシア経

済の「現実」に肉迫することはできないのであ

る3)。

ガスプロム、ルクオイルなどの石油ガス会社

の民営化の過程については、過去に何度も解説

したことがある4)。ロシアの大企業に注目する

場合、ソ連時代に形成されていた、比較的規模

ロシア資本主義化20年の軌跡 ―人的ネットワークを中心に―

高知大学 人文学部

塩原 俊彦

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ロシア資本主義化20年の軌跡

ロシアNIS調査月報2011年12月号 45

の大きな「企業合同」と呼ばれた組織や、産業

別省庁そのものの民営化に注意を払わなけれ

ばならないが、ここでは、トレーダーに注目し

ながら、1990年代の石炭、アルミニウム、鉄鋼

などの産業がどう支配されるようになったの

かを示したい。「ドル経済化」のなかで急成長

した、ドルを稼げる組織の優位性に着目するた

めである。

まずチェルノイ兄弟(レフ、ミハイル、ダヴ

ィド)に注目してみよう。チェルノイ兄弟はも

ともと、1989年ころから、ソ連から西側に鉄鉱

石 や 石 炭 な ど を 輸 出 す る 会 社 Trans

Commodities(ソ連から鉄鉱石、コークス、石炭

を西側に輸出)にかかわることで、輸出による

利益にめざめたと思われる。1990年には、オー

ストリア・ユーゴスラビアの合弁会社Metal

Antstaltとコークスの大規模な供給契約を締結

するに至った。1992年になると、レフとミハイ

ルのチェルノイ兄弟はモナコにTrans CIS

Commodities Ltd.を登録し、Trans Commodities

の事業を兄弟で引き継いだ。同年、英国のビジ

ネスマン、サイモン・ルーベンらと知り合い、

レフとルーベンは、ロシア政府からアルミニウ

ムの関税なしの輸出とアルミナの関税なしの

輸入という許可(いわゆる「トーリング取引」

を意味している)を与えられた、Trans World

Group (TWG)というオフショア会社を設立、そ

れがチェルノイ兄弟(レフとミハイル)による

アルミニウム産業支配につながっていった。さ

らに、石炭や銅など、輸出にかかわる産業を支

配下に置いて利益を得ようとしたのである。ミ

ハイル・チェルノイの立場からみると、輸出に

よる利益の見込めるアルミニウムについては、

デリパスカ(UC Rusalなどを中心に展開)と、

銅については、マフムドフ(ウラル鉱山冶金会

社を中心に展開)と、それぞれ協力関係を構築

した(Le Monde, Nov. 28, 2002)。ミハイルは

MDM銀行のセルゲイ・ポポフとも協力関係を

形成した。

兄弟のうち、弟ミハイルは1997年にTWGや

レフとの関係を断ち、サヤン・アルミニウム工

場に対する支配権を確立し、独自のビジネスを

展開するようになった。サヤン・アルミニウム

工場の社長に当時、26歳だったデリパスカが任

命されたとき、ノヴォリペツク冶金コンビナー

トを主導するリーシンが会長(取締役会議長)

であった。これに対して、兄レフも2000年1月、

ロシアにおけるTWGの利益を代表する立場か

ら去った(この際、クラスノヤルスクやブラー

ツクのアルミ工場株をアブラモヴィッチらに

売却)。他方、ミハイルによるロシアでの事業

中心に展開が継続された。だが、2002年、ミハ

イルはロシアにおいて彼に属していたすべて

の資産を売却したといわれている。アルミニウ

ム製錬工場はデリパスカグループに、銅や石炭

の採掘・選鉱などの工場(クズバスラズレズウ

ゴリやアルタイコークスなど)や製鉄関連の製

鉄所など(カチカナル鉱山選鉱コンビナートな

ど)はマフムドフグループに譲渡された5)。

敷衍していえば、アルミニウムを中心とする

貿易で得た利益に基づいて、アルミニウム、銅

製錬、製鉄などの企業の統合が主としてチェル

ノイ兄弟によって推進されたことになる。ほか

にも、鉄鋼メーカーのメチェルは、ジュージン

同社会長の経歴からわかるように、実は、石炭

輸出で儲けた資金によって形成された。1994

年、彼は鉱山ラスパツカヤの対外経済部門をも

とに会社ウグレメトを組織し、ラスパツカヤで

採掘された石炭の輸出権を得た。この輸出利益

によって、3年後、ウグレメトは石炭会社ユー

ジヌイ・クズバスの支配権をもつまでに至り、

1999年、彼は同社会長に就任した。ユージヌ

イ・クズバスは1993年、いくつかの石炭採掘会

社と選炭会社が統合して設立されたもので、ウ

グレメトはクズバスのもう一つの有力な選炭

会社である中央選鉱工場シベリアと協力して

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特集◆ソ連解体とNIS諸国の独立から20年

ロシアNIS調査月報2011年12月号 46

ユージヌイ・クズバスを支配下に置いた。ユー

ジヌイ・クズバスはMMKとチェリャビンスク

冶金コンビナートに石炭を供給していたから、

これが川下の鉄鋼メーカー支配へとつながっ

ていったのである。

アブラモフによって率いられる鉄鋼メーカ

ー、EVRAZ Groupもトレーディング会社を出

発点として成長してきた。1992年、アブラモフ

を筆頭とする学者・技術者グループは、ロシア

とウクライナで鉄鋼、鉄鉱石、石炭などを取引

するトレーディング会社エヴラズメタルを設

立した。後に、No.2となるフロロフはアブラモ

フと同じモスクワ物理工科大学の出身で、1994

年ころにアブラモフらと合流した。1995年、ス

イスの会社Dufercoのパートナーとして、外国

での冶金取引をするようになった。同年2月ま

でに、グループEAMが設立され、それが一時

期、持ち株会社としてグループの中心となった。

いずれにしても、鉄鋼や石炭などの輸出によっ

て大きな利益を得たことが、その後のグループ

の発展につながっていったのである。なお、エ

ヴラズメタルは後に、有限会社・商社エヴラズ

ホールディングに改編される。当時のエヴラズ

ホールディングのアブラモフ社長は、借り入れ

を得やすく、また、投資資金を集めやすくする

ために、エヴラズホールディングを管理会社と

して、鉄鋼メーカーなどの株式を集中管理し、

それらを単一株式化することを計画していた。

この段階では、エヴラズホールディングの支配

下に、西シベリア冶金コンビナートやニジニタ

ギル冶金コンビナートなどが入っていた6)。

こうしてみると、貿易にかかわる利益がいか

に大きく、それがロシア国内の有力企業の買収

にかかわっていたことに驚くかもしれない。こ

の際、特徴的なのがオフショア会社の活用であ

る。冶金会社の多くがオフショア会社を通じて

支配されている点に注目しなければならない。

ラシニコフの支配する鉄鋼メーカー、マグニト

ゴルスク冶金コンビナート(MMK)の株式86%

はキプロスの Mintha Holding Ltd. と Fulnek

Enterprises Ltd.を通じて支配されている。ノヴ

ォリペツク冶金コンビナート(NLMK)の株式

77%はキプロスのFletcher Holding Ltd.によっ

て支配されている。アルミニウム産業を中心に

さまざまの事業を展開するデリパスカは、英領

バ ー ジ ン 諸 島 に 登 録 さ れ た A-Finance や

B-Finance、さらに、Element、En+というオフ

ショア会社を通じて支配を行っている。アルミ

ニウム事業はジャージー島に登録されたUC

Rusalによって展開されている。ウラル鉱山冶

金会社(UGMK)はマフムドフらによって4

つのオフショア会社を通じて支配されている。

ルクセンブルクに登録されたEVRAZ Groupに

ついては、アブラモヴィッチやアブラモフらに

よってキプロスのLanebrook Ltd.などを通じて

支配されている。モルダショフはキプロスの

Frontdeal Ltd.を通じてセーヴェルスターリを

支配している。ノリリスクニッケルもオフショ

ア会社を通じてポターニンによって支配され

ている。プロホロフもキプロスにOneximグル

ープを支配するために、キプロスにオフショア

会社を登録した7)。

こうしたオフショア会社の利用は、①ロシア

国内での課税を回避し、脱税・節税につなげる、

②法律や司法制度が腐敗や政治的圧力で歪曲

されやすいロシア国内ではなく、所有権者の権

利が司法制度で比較的堅固に守られている海

外に利益を海外にため込み、自己資産の安全保

障を高める――といった理由から広がったも

のである。しかも、1990年代の早い段階から、

輸出を通じて、海外での節税・脱税を熟知した

仲介者と接点をもっていたことがオフショア

利用を容易にしたと考えられる。

ここまでの記述をもとに、「ドル経済化」の

もとに形成された大企業と人的ネットワーク

を略記したのが図1である。矢印部分が点線で

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ロシア資本主義化20年の軌跡

ロシアNIS調査月報2011年12月号 47

図1 「ドル経済化」のもとに形成された大企業と人的ネットワーク

ある場合には、過去の支配や売却を示している。

実線の場合には、現在の支配を表しているが、

実際の支配は、すでに指摘したように、オフシ

ョア会社を利用して行われているケースが多

い。ここまで説明のないロゴヴァズは1989年こ

ろに設立された、スイスのアンロスという会社

とロシア側の合弁会社で、ベレゾフスキーが関

係していた自動車メーカー、AvtoVAZの自動車

の販売で利益をあげた。一説には、ウクライナ

などの「外国」に輸出すると申告した自動車を

ロシア国内で販売するなどして、不正な儲けを

得たという。こうした利益が政治的にエリツィ

ンを支援し、政商へとのし上がったベレゾフス

キーを支えていたのだ。リーシンについて、若

干の説明を加えておくと、彼は1990年代はじめ、

ロンドンに本拠をおく Trans World Group

(TWG)の雇われマネジャーだった。リーシ

ンはクラスノヤルスク・アルミニウム工場、サ

ヤン・アルミニウム工場、ノヴォリペツク冶金

コンビナート(NLMK)、マグニトゴルスク冶

金コンビナート(MMK)の取締役に就任した。

1994年にはTWG側がNLMK株の36%、リーシ

ン側が約12%保有するようになった。リーシン

はTWGに頼まれて、約50%の株式を保有する、

もうひとつの大株主であったレフォルマ・グル

ープ(ボリス・ヨルダンが主導)がNLMKの経

営に関与しないようにした。ところが、1997

年、リーシンは突然、TWGからレフォルマに

寝返り、レフォルマの株を買い取った。怒った

TWGは株式をポターニンが主導するインター

ロスに売却した。リーシンはインターロスが支

配するノリリスクニッケルの少数株主から株

式を買い集め、同社の取締役になるという奇策

に打って出た。2002年、ついにインターロスは

リーシンにNLMK株34%を売却し、リーシンの

NLMK支配は確立した。

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特集◆ソ連解体とNIS諸国の独立から20年

ロシアNIS調査月報2011年12月号 48

2.「擬似会社国家化」のもとでの大企業

「ドル経済化」を特徴としていたロシア経済

は1998年夏に表面化した金融・経済危機で大き

く変化した。それは、ルーブル切り下げによっ

て、いわゆる「オランダ病」からの脱却への道

筋への転換を余儀なくされたことに関係して

いる8)。とはいえ、ドルやユーロなどのハード

カレンシー獲得の重要性は基本的に変わって

いない。依然として、資源輸出の重要性に変化

はみられないからである。だからこそ、現在で

もロシアからの資本流出が継続しているし、オ

フショア会社の広範な利用も続いている。ただ、

金融・経済危機後、製造業の漸進的回復、資源

価格の高騰による財政資金の増加によって、プ

ーチン政権下の大企業は国家との「癒着」を強

めていく。2003年に起きた石油会社ユコスのハ

ダルコフスキー(ホドルコフスキー)社長の逮

捕によって、政府の方針に反した独自の動きを

する企業家には鉄槌が下されるという「脅し」

が大企業の経営者に浸透した結果、もはやドル

だけを利益追求の対象とする時代は終わった。

その一方で、政府資金が投入される道路や建物

の建設に伴う資金の一部を横領するといった

形での、政府と企業の「癒着」が目立つように

なっている9)。あるいは、国家コーポレーショ

ンの設立にみられるような、政府主導によるビ

ジネスへの関与も増えている。ここではまず、

過去の「ドル経済化」から「擬似会社国家化」

をつなぐ事例について検討し、ついで、後者の

もとでの大企業について考察したい10)。

プーチン政権下の大企業の変遷を考察する

うえで、貿易で儲けた例と関連づけて論じると

するならば、ティムチェンコに注目する必要が

ある11)。1952年生まれの彼は1982年から、ソ連

対外貿易省レニングラード代表部に勤務、そこ

でカトコフやマロワに知り合った。1987年1月

から、ソ連は70の大規模企業が自主的に貿易を

できるようになり、3人の尽力で、レニングラ

ード州キリシ市にある製油所キリシネフチオ

ルグシンチェズがリストに入った12)。この際、

輸出企業キリシネフチヒムエクスポルトが設

立された。これを3人が主導した。1990年にな

ると、パニコフ元KGB将校が加わった。翌年

には、同社はレニングラード市当局から15万t

の石油製品を輸出できる割当を受け取り、その

代わり、同市に食糧を渡すことになった。これ

は言わばバーター取引の一つだが、これを組織

化した対外関係委員会を主導していたのがプ

ーチンだ。同社と同委員会の協力は継続した。

1992年、双方と、上記パニコフの設立した合弁

会社ユラルス(ロシアとフィンランドの合弁会

社)はサンクトペテルブルグ港でターミナルを

建設するために会社ゴールデンゲートを設立

した。そのねらいは失敗したが、このおかげで

ティムチェンコはプーチンと知り合いになっ

たと言われている。もう一つ別のプロジェク

ト・キンエクスによってティムチェンコはセー

チンとも知り合った。このキンエクス(キリシ

ネフチヒムエクスポルトが名称変更)のプロジ

ェクトは1993年にレニングラード州バタレイ

ナヤ湾にターミナルを建設し、キリシ製油所と

石油パイプラインで結ぶことを提案した。キン

エクスは後に民営化され、それがコヴァリチュ

ークの支配する銀行「ロシア」との友好関係に

つながる。

ティムチェンコは1991年から、ユラルスのフ

ィンランドの下部機関で働いていた。その後、

同社はInternational Petroleum Products Oyに改

名した。石油製品の貿易に関連する会社だ。

1995年ころになると、ティムチェンコはこの

IPPを主導するようになった。IPPのパートナー

は石油会社スルグートネフチガスであった。テ

ィムチェンコはスルグートネフチガスのボグ

ダノフ社長と協力関係を構築した。ボグダノフ

は同社に属するキリシ製油所で生産された石

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ロシア資本主義化20年の軌跡

ロシアNIS調査月報2011年12月号 49

油製品や原油を輸出するのに、ティムチェンコ

の助力を求めたわけである。

1998年になると、ティムチェンコと銀行「ロ

シア」との「連合」が生まれた。前記のキンエ

クスが銀行口座をトコバンクから銀行「ロシア」

に移し、同時にキンエクスの共同保有者らは銀

行「ロシア」の資本の一部を受け取ったのであ

る。銀行にとっては、キンエクスが稼ぎ出す外

貨は利益をもたらすものだった。

こうしたなかで1990年代後半になると、ティ

ムチェンコは石油トレーダー業の発展に力を

入れたが、カトコフとマロワの関心は薄れた。

その結果、ティムチェンコはスウェーデン人の

元BPトレーダー、トルンクヴィストとともに

石油製品の貿易会社を1997年に設立した。これ

がGunvorだ。石油トレーダーとして、同社は

成長し、ロシア産原油の輸出量は同年の20万t

程度から2007年には約180万tにまでなった。

Gunvorは、セーチン副首相が取締役会議長(会

長)を兼務してきた国営石油会社ロスネフチの

原油輸出の約6割(Gunvorは3~4割と主張)

を取り扱うまでになった。

Gunvorの急成長の背後には、ティムチェン

コとプーチンの親しい関係があるとみなされ

ている13)。両者の関係を直接、裏づける証拠で

はないものの、ティムチェンコはサンクトペテ

ルブルグの柔道クラブ「柔-ネヴァ」の創設者

の一人であり、プーチンはそのクラブの名誉総

裁を務めている。クラブの最高経営責任者はロ

ーテンベルグ兄弟の兄である。同クラブ監査委

員会の議長は第一副首相のズプコフであり、ク

ラブの管理会を主導するのはソチ冬季オリン

ピック開催のために設立された国家コーポレ

ーション・オリンプストロイのトップ、ボロエ

フだ。加えて、ティムチェンコは原油や石油製

品の鉄道輸送に関連するロシア鉄道のトップ、

ヤクーニンとも親しい(息子はGunvorの法務

担当取締役)。幹線石油パイプラインを管理・

運営する国営企業トランスネフチのトカレフ

社長とも親密だ。ティムチェンコの交流関係は

プーチンの親しい友人と重なる部分が多いこ

とがわかるだろう。

他方で、輸入によって利益を得る方法もあっ

たことを忘れてはならない。たとえば、セルゲ

イ・ポポフは1993年に、ロシアへの食料輸入を

扱うソユーズコントラクトのパートナーとな

り、この事業で利益をあげ、それがメリニチェ

ンコと共同によるMDM銀行の支配につながっ

た。あるいは、プーチンが医療機器の輸入に絡

んで、怪しい取引に関与していたことが知られ

ている。その一端は独シーメンスによる腐敗事

件で明らかにされた。シーメンスはロシア、リ

ビア、ナイジェリアなどで賄賂を使って取引を

拡大した。ロシアでは2007年に、地域通信会社

の20人の経営者に200万ユーロの賄賂が渡され

たとみられている。別の情報では、シーメンス

は2008年、米国の公聴会で、2000年から2008

年までにロシアにおいて国家発注を受けるた

めに5,500万ドルを賄賂として支出したことを

明らかにした。とくに、医療機器に絡んで賄賂

が使われたもので、それにプーチンと親しいニ

コライ・シャマロフと息子ユーリーが関係した

ことは確実だ。ニコライは1992年から2008年ま

で、シーメンスの北西部医療機器部門のトップ

として勤務しており、ユーリーも1997年から

2003年まで、モスクワのシーメンス医療機器販

売部の副部長として仕事をしていた。つまり、

シーメンスによる腐敗はプーチンの腐敗に大

いに関係していると思われる。

「擬似会社国家化」と結びついて大企業の分

析に入る前に、プーチンの初期時代の企業関連

人脈を示しておきたい。その最大の特徴は、有

名な別荘協同組合オーゼロの共同創設者との

きわめて親密な関係をもとにプーチンの人的

ネットワークが形成されてきたという点であ

る。サンクトペテルブルグの郊外の湖畔に自ら

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特集◆ソ連解体とNIS諸国の独立から20年

ロシアNIS調査月報2011年12月号 50

図2 銀行「ロシア」の「ビジネス帝国」

(出所)Немцов, Б. & Милов, В. (2008) «Путин и «Газпром», Ведомости, Sep. 20, 2010.

図3 プーチンを中心とするビジネス人脈

(出所)Новая газета, Apr. 15, 2011.

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ロシア資本主義化20年の軌跡

ロシアNIS調査月報2011年12月号 51

の別荘だけでなく、多数の別荘を建て、ひと儲

けを企んだプロジェクトだが、その共同創設者

には、プーチン以外に、ユーリー・コヴァリチ

ューク(銀行「ロシア」を支配)、弟のミハイ

ル(シュブニコフ記念ロシア科学アカデミー結

晶学研究所所長)、フルセンコ(2004年3月か

ら教育科学相)、ヤクーニン(ロシア鉄道会社

社長)、コージン(大統領実務管財人)などが

いた。とくに、コヴァリチュークの銀行「ロシ

ア」に注目すると、図2のような支配構造が構

築されている。図2作成時点では、ガスプロム

銀行株の50%+1株をリーデルが保有するよ

うになったように描かれている。だが、これは

正確ではない。実際には、ガスプロム銀行株

50%+1株を所有しているのはガスフォンド

だ。このうち、株式7.11%はガスフォンドが直

接保有し、8.57%はリーデルのもとに信託され

ており、 17.15%は GAZ-Servis 、 17.17 %は

GAZKONのもとにある。これらの株の多くも

リーデルに信託されている。他方、ガスプロム

銀行は2005年7月、ガスプロムから100%子会

社ガスプロム・メディアを1.66億ドルで購入し

ていた。リーデルはガスプロム・メディアを支

配下に置いたガスプロム銀行を安く入手した。

なお、マスメディア支配については、銀行「ロ

シア」経由で、ナショナル・メディア・グルー

プ(NMG)による支配も積極化している。2011

年7月、連邦反独占局は同グループから申請の

あったコンチネント株100%の買収を承認した。

コンチネントはロシア・ニュース・サービス

(RSN)を管理する会社で、ロシア・メディア・

グループによって支配されてきた。同年6月、

ルクセンブルクにあるRTL GroupはNMG株

7.5%と交換にREN-TV株30%をNMGに譲渡し

た。図2と異なって、NMGには、2011年8月

現在、REN-TV株のほか、第5チャンネル株

72.4%、新聞イスベスチヤ株51%、有限会社ラ

ストルコム経由で第一チャネル株25%が属し

ている。6月、石油ガス会社・イテラ、銀行「ロ

シア」、NMGの組織はアルファグループから持

ち株会社STSメディア株25.2%を10.71億ドル

で買収した。

複雑になるために図には示さなかったが、銀

行「ロシア」は2010年8月にガスエネルゴプロ

ム銀行を合併する手続きを終えた。2009年末の

純資産で、前者は34位、後者は32位であったが、

後者は支配下にあるソビン銀行の再建中であ

り、銀行「ロシア」への合併により、経営基盤

を強化するねらいがある。といっても、ガスエ

ネルゴプロム銀行の株式の7割強はガスプロ

ムの子会社メジレギオンガスの子会社、ガスプ

ロムレギオンガスに属しており、今回の合併劇

の背後には、ガスプロムと銀行「ロシア」との

「不可思議な関係」があることはたしかだと思

われる。

近年、コヴァリチュークが注目しているのは

道路建設だ。図2にあるFarncombe Ltd.はキプ

ロスに2007年秋に登録された会社で、「グラヴ

ナヤ・ダローガ」と「スタリーチヌイ・トラク

ト」(図2では割愛)を100%子会社としていた。

いずれも道路建設請負業者だ。モスクワからサ

ンクトペテルブルグやベラルーシのミンスク

に向かうハイウェイ建設が計画されており、多

額の連邦予算資金が投入されることから、これ

らの請負業者は長期間にわたって道路建設か

ら利益を得ようと目論んでいる。請負業者の選

定に際しては、不可思議な入札が実施されてお

り、ここでもプーチン首相の「友人」が有利な

状況にある。

最近、明らかにされたプーチンの腐敗として

は、モナコのソトラマ(Sotrama)という会社

をめぐる資金洗浄疑惑がある(Новая газета,

Apr. 11, 2011)。同社は、スキギン(2003年死亡)

という人物が社長を務めていた会社で、彼が最

終恩恵享受者であるルクセンブルグにある会

社が設立したものだが、石油の転売に従事して

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特集◆ソ連解体とNIS諸国の独立から20年

ロシアNIS調査月報2011年12月号 52

いた。いわば、トレーダーであったことになり、

ここにも、すでに説明した「ドル経済化」の影

響がみてとれる。同社の子会社 Horizon

International Tradingは、ルクオイル、タトネフ

チなどの石油会社から原油を購入して、英国の

BP、フランスのトタール(Total)などに販売

していた。こうした取引が可能であった背景に

は、プーチンがサンクトペテルブルグの副市長

で対外関係委員会の議長であったころから、ス

キギンと知り合いであったことがある。同じよ

うに、プーチンは盟友ティムチェンコが経営す

る石油トレーダー会社(Gunvor)と密接な関

係をもっている。どうやら、プーチンは石油会

社も支配下に置き、自分の息のかかったトレー

ダーに原油を安く販売させ、それを市場価格で

再販させることで、トレーダーに利益を蓄積し

て、その一部を掠め取るシステムを構築してい

るように思える。しかも、スキギンは、サンク

トペテルブルグの石油ターミナルや海洋港を

めぐってトラベルという、タンボフ・マフィア

と呼ばれる犯罪集団と関係をもった人物とビ

ジネスを展開しており、プーチンとマフィアと

の関係も疑われている(Новая газета, Apr. 20,

2011)。スキギン、トラベルと親しい関係をも

った人物として、ガスプロムネフチの会長ドュ

ーコフがいることも興味深い。ここで説明した

内容を示したのが図3である。前節で開設した

プーチンの取り巻きが数多く登場する。まさに、

プーチンを中心とする腐敗構造の一端を垣間

見ることができる。

つぎに、「擬似会社国家化」と結びついた形

で経営されている大企業について考察したい。

ロシアでは、この現象は国家コーポレーション

という不可思議な形態によるビジネスや、国営

企業の経営への政治家や官僚による干渉とい

う形をとって現出している。国家コーポレーシ

ョンについては、すでに過去に解説したことが

あるので、ここでは割愛する14)。

表1 2011年7月1日までに取締役会や監査会議

から離脱しなければならない副首相および大臣 閣僚名 会社名

ズプコフ第一副首相

ロシア農業銀行** ロススピルトプロム* ロスアグロリーシング*

セーチン副首相 ロスネフチ* ロスネフチガス* インターRAO EES*

クドリン副首相 (当時)

銀行VTB** ALROSA**

シュマトコ・ エネルギー相

ルスギドロ* ガスプロム* ザルベジネフチ*

レヴィチン運輸相 国際空港シェレメチェヴォ* ロシア航空会社アエロフロート*

ショゴレフ通信 マスコミ相

第一チャンネル* スヴャジインベスト*

スクルィニク農業相 統一穀物会社*

セルジュコフ国防相 アバロンサービス*

(注)*取締役会メンバー。**監査会議メンバー。 (出所)http://www.klemrin.ru

国営企業については、副首相や大臣による国

営企業の取締役会や監査会議のメンバーへの

兼務を禁止するという、メドヴェージェフ大統

領の方針が打ち出され、若干の改善がみられる。

2011年4月、大統領は「ロシア連邦における投

資環境条件改善のための第一順位措置実施委

託リスト」を承認し、そのなかで、7月1日ま

でに、表1にしたがって副首相および大臣を国

家が株式を保有している株式会社の取締役会

ないし監査会議のメンバーからはずし、彼らに

代えて政府と無関係の独立した取締役ないし

代理人を選任する決定を株主総会で採択する

ように主導するよう、プーチン首相に求めた。

また、7月1日までに、表1に含まれていない、

国家が株式を保有している株式会社の取締役

会ないし監査会議のメンバーから、副首相、大

臣、大統領府を含む連邦執行機関の長をはずし、

彼らに代えて政府と無関係の独立した取締役

ないし代理人を選任する決定を株主総会で採

択するように主導するよう、プーチンに求めた。

さらに、10月1日までに、国家が株式を保有す

る株式会社の取締役会ないし監査会議の議長

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ロシア資本主義化20年の軌跡

ロシアNIS調査月報2011年12月号 53

に国家公務員でない人物を選ぶことを保証す

るよう、命じた。これらの方針は、外国投資家

からみてロシア政府が株式を保有する株式会

社に取締役などの形で大臣などが就くのは政

府による株式会社への過度の干渉や政府要人

と企業との腐敗につながりかねないという意

見に配慮したものだ。なお、取締役を兼務して

も、副首相、大臣をはじめとする公務員への役

員報酬は支払われていない。

表1に示されているのは17社で、8人が対象

になっている。ガスプロムの場合には、7月1

日までにシュマトコ・エネルギー相およびナビ

ウリナ経済発展相が取締役兼務を解消した。一

方、10月1日までに取締役会議長を務めている

ズプコフ第一副首相も取締役を辞め、議長職も

失わなければならはずであったが、結局、これ

は実現していない。その背後には、後述するよ

うに、必ずしもプーチン支配が盤石ではないた

め、議長ポストを手放したくない事情があるよ

うだ。

もちろん、政府は民営化を漸進的に実施して

おり、2010年12月には、2011~13年の国家資産

民営化プログラを承認した。2011年7月には、

さらに民営化を積極化するために、2012~17

年までの民営化計画が討議され、シュワロフ第

一副首相は大統領に民営化計画を積極化する

報告を渡した。8月、メドヴェージェフはこれ

を一部、変更したうえで承認した。それによる

と、2017年までに、ロスネフチ、VTB、ルスギ

ドロ、ザルベジネフチ、統一穀物会社、インタ

ーRAO統一エネルギーシステム、ソヴコンフ

ロート、シェレメチェヴォ、アエロフロート、

アルロサ、統一ロステレコム、ロスセルボズ銀

行、ロスアグロリーシングという13社は完全民

営化する(一部については、黄金株[定款変更、

会社の改編などに関する株主総会での議決に

拒否権を行使する権利]が政府に残される)。

こうした国家保有株の売却の問題と、上記の兼

務解消の問題を合わせて表示したのが表2で

ある。

プーチンの腹心、セーチン副首相のロスネフ

チ、インターRAOエネルギーシステムからの

兼務離脱はプーチン陣営にマイナスの影響を

およぼしかねない。だが、それらの社長はプー

チンに近い人々で占められており、あまり影響

はないとの見方も可能だ。一方で、プーチンに

近い人物が入り込むケースもある。トランスネ

フチの会長(取締役会議長)になったヴァルニ

グはプーチンが東ドイツに勤務していた当時

からの友人である。彼は、東独の諜報機関のエ

ージェントであったとみられ、プーチンが西側

でスパイをリクルートするのを助けていたと

いう。ヴァルニグは2003年からロシアで働き始

め、2006年まで独ドレスナー銀行の在ロシア店

に勤務した。2007年から、バルト海海底を通っ

てドイツに天然ガスを輸送するためのガスパ

イプライン、ノルドストリームの建設オペレー

ター会社を主導してきた。2007年にVTBの監査

会議のメンバー、2008年に銀行「ロシア」の取

締役会のメンバーを兼務するようになった。

2011年9月には、連邦国家資産管理庁のペトロ

フに代わって、ロスネフチの取締役にもなった。

その直前の7月には、トランスネフチの取締役

会議長に就任した。シュマトコ・エネルギー相

と交代したものだ。この直前、ヴァルニグは欧

州へのガス販売に従事するGazprom Schweizの

指導者に就任した。

紙幅の関係から、個々の企業とプーチン首相

との関係はこれ以上の説明は割愛する。ガスプ

ロムとプーチンとの関係については別の拙稿

を参考にしてほしい。いずれにしても、多岐に

わたる国営企業がいまなお、民営化を控えてい

る状況であることがわかる。まだまだ、プーチ

ンに近い人々が国営企業に影響力を発揮でき

る状況が続いているのだ。プーチン政権下で広

がった、政府主導による国営企業への「干渉」

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特集◆ソ連解体とNIS諸国の独立から20年

ロシアNIS調査月報2011年12月号 54

会社

2011年

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ロシア資本主義化20年の軌跡

ロシアNIS調査月報2011年12月号 55

11

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所)Эксперт

, No.

28,

201

1, Ведомости

, Jul

. 12,

Jul

. 25,

Jul

. 27,

Aug

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011,

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, May

18,

Jul

. 27,

201

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, A

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, 201

1.

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特集◆ソ連解体とNIS諸国の独立から20年

ロシアNIS調査月報2011年12月号 56

や政府主導によるビジネスの展開を抑制しよ

うというのがメドヴェージェフの政策にみえ

る。だが、今回の措置はメドヴェージェフとプ

ーチンの「共同決定」であり、メドヴェージェ

フが単独で主導したものではない。

メドヴェージェフには信頼関係にある経営

者がいるようにはみえない。彼は、一時期、世

界有数のエネルギー企業であるガスプロムの

会長を兼務していたが、同社はプーチンの支配

下にあり、メドヴェージェフの影響力をおよぼ

せるとみられるのは現在、法務部長のドゥビク

程度にすぎない。かつて、ガスプロムの重役会

メンバーでもあったチュイチェンコは、メドヴ

ェージェフの大統領就任後、大統領補佐官に任

命されたから、もはやメドヴェージェフがガス

プロムに経営に干渉するのは、プーチンに比較

して困難な状況にある15)。

3.若干の展望

ロシアの資本主義化を歪めたのは過度の自

由化であった。その過度の自由化を利用した

「ドル経済化」のなかで「不正蓄財」を行い、

隆盛したのがいわゆる「オリガルヒ」(新興財

閥)であった。プーチン政権下では、過度の自

由化は部分的に修正されたが、改革は既得権の

保持を前提に進み、新規参入を妨げ、資本主義

のダイナミズムをそいでしまった。第1に必要

なのは、過去の政策の誤りを正し、過度の自由

化を抜本的に改めることである。具体的にいえ

ば、オフショア会社利用を厳しく制限すべきだ。

第2に、矛盾するように思われるかもしれない

が、いまこそ細心の注意を払いながら、選択の

自由を拡大する制度変更を促進すべきだ。個人

や企業の安全保障を確保した上で、職業選択の

自由、参入障壁の撤廃などを実現しなければな

らない。

メドヴェージェフ大統領がとってきた政策

はプーチン首相と協議して決められてきた。と

すれば、プーチンが大統領に復活しても、「プ

ーチン1.0」時代の権威主義的で自由を抑圧す

るような政策に戻るとは思えない。むしろ、プ

ーチンがヴァージョン・アップして、「プーチ

ン2.0」に転換することを期待したい。そのた

めには、プーチン自身が大きく転換する必要が

ある。プーチンとのグレーなつながりに基づい

て利益を得てきた人々を逮捕・起訴するくらい

のことを行い、自らの腐敗の構造にまで手をつ

ける、大胆な転換が求められている。だが、先

輩・後輩関係や恩義に厚い、体育会系のプーチ

ンがこうした冷徹さを示せるかどうか、はなは

だ疑わしい。とすれば、悲観的にならざるをえ

ない。

それでも、ソ連崩壊後、強まった「グローバ

リゼーション」という潮流のなかで、もはや一

国だけが孤高をかこつことなど、できないので

ある。各国の行財政改革にしても、企業統治に

しても、反腐敗政策にしても、国際レベルの運

動として強いられた部分がある16)。あるいは欧

州人権裁判所を通じて、ロシア政府による人権

侵害に厳しい注文をつけることもできる。こう

したロシアのおかれた状況変化は「プーチン

2.0」への転換を促す面がある。

いずれにしても、過去の「プーチン1.0」が

「プーチン2.0」に転換するかどうかを見極め

るためには、ここで示したような人的ネットワ

ークに基づく細心の研究が必要なのである。そ

の意味で、今後も丹念な考察を継続しなければ

ならない。

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ロシア資本主義化20年の軌跡

ロシアNIS調査月報2011年12月号 57

【注】 1)筆者は「ドル経済化」がきわめて重要な問題で

あることを以前から意識しつづけている。関心の

ある読者は拙著『現代ロシアの経済構造』の129

頁にある半頁ほどの註を熟読されたい。商業の自

由化では、1992年1月29日付大統領令「商業の自

由化について」が決定的に重要である(拙著『ロ

シア経済の真実』p.262参照)。

2)ドル経済化を推進した国際通貨機関(IMF)な

どの背後に、こうした自由化で利益を得られる

人々がいることを忘れてはならない。急速な自由

化は経済理論として誤っているだけでなく、特定

の利害関係者の利益のために不当に導入されたと

みなすべきであろう。こうした人々は、自由化の

背後に、オフショアを通じた秘密の厳守、司法権

の排除を満喫する人々がいることを隠蔽してきた。

だが、ようやくこうした事実にスポットを当てる

著作(たとえば、N. Shaxson, Treasure Island, 2011

やEmile van der Does de Willebois, Emily M. Halter,

et al., The Puppet Masters, World Bank, 2011)が相次

いで出てきていることに注意を喚起しておきたい。

3)もう一つ、大切なのは過度の自由化という視点

である。あまり指摘されていないが、ロシアの資

本主義化を考えるうえできわめて重要な事実を紹

介しておきたい。それは、2001年8月8日付の連

邦法「法人および個人企業家国家登録について」

にかかわる過度の自由化である。同法によって導

入された、「単一国家法人リスト」に法人を登録さ

せる制度において、登録拒否ができるのは提出文

書の不完全さや法人所在地と異なる場所での登録

の場合に限られていた。このリストは課税のため

の基礎となる重要なデータだが、連邦徴税局には、

提出情報を検査する権限が与えられていなかった。

その結果、虚偽の書類に基づいていかがわしい企

業が数多く登録され、それが「レイデル」という

「企業乗っ取り」の舞台となったわけである。1997

年7月21日付連邦法「不動産所有権およびその取

引の国家登録について」では、「単一国家不動産所

有権リスト」が導入されたが、これを所管する連

邦登録局は提出される書類が十分かどうかを検査

する権限を与えられていなかった。「レイデル」は

この制度の欠陥を利用して不動産取引に絡んでも

「乗っ取り」を行うようになった。そして、それ

は「有価証券保有者リスト」についても同じ構図

であった。こうした過度の自由化こそロシアの資

本主義を大いに歪める結果をもたらしたのである。

4)ガスプロムについては、拙稿「ガスプロム」『石

油・ガスとロシア経済』(2008)や拙著『ロシア資

源産業の「内部」』(2006)を参照。ルクオイルな

どの石油会社については、拙著『現代ロシアの経

済構造』(pp.26-33, 2004)を参照。

5)のちに、ミハイル・チェルノイは2006年、彼に

属していたルサール株20%の賠償を求めてデリパ

スカをロンドンの裁判所に提訴した。このように、

チェルノイとその協力者との関係が現在に至るま

で、必ずしも良好であるわけではない。

6)こうした戦略は、EVRAZ Group S.A.の登場とと

もに大きく変化することになる。2004年末になっ

て、ルクセンブルクにEVRAZ Group S.A.という会

社が登録された。その年次報告によると、EVRAZ

Groupは株式の95.8%をもつMastercroftを通じて、

鉄鋼(ニジニタギル冶金コンビナート、エヴラズ

ホールディングなど)、鉄鉱石(ヴィソコゴルスク

鉱山・選鉱コンビナート、ノヴォクズネツク冶金

コンビナートなど)、石炭(ネリュングリウゴリな

ど)、商業・物流(ナホトカ海洋港など)の4部門

の会社を傘下に置いていた。その後、2005年5月

までに、Mastercroftの株式はEVRAZ Groupに移さ

れた。2006年6月、EVRAZ Group株82.67%を保有

していたCrosland Global Ltd.がLanebrook Ltd.にそ

の株式を移譲し、Lanebrook Ltd.の持ち分50%を

Greenleas International Holdings Ltd.に売却するこ

とになった。同年、8月、取引が実際に行われ、

企業家アブラモヴィッチが事実上、支配する

Millhouse Capital の 支 配 下 に あ る Greenleas

International Holdings Ltd. が 間 接 的 に EVRAZ

Group株の41.3%を保有するようになった。もっと

も新しい情報では、Lanebrook Ltd.はEvraz Group

株72.25%を保有しており、実質的な恩恵享受者ご

とにみると、アブラモヴィッチが34.63%、アブラ

モフが24.62%、フロロフが12.31%、シュヴィドレ

ルが3.5%を保有している(РБК-daily, Oct. 20,

2011)。2011年10月、EVRAZ Groupは自らの株式

を英国のウェールズに登記されたEvraz PLC

(Public Limited Company)の株式に交換すること

を明らかにした。期限は11月4日。交換比率は、

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特集◆ソ連解体とNIS諸国の独立から20年

ロシアNIS調査月報2011年12月号 58

EVRAZ Group株1株に対してEvraz PLC株9株、海

外株式預託証券(GDR)株1株に対してEvraz PLC

株3株である。Evraz PLCはロンドン証券取引所

(LSE)に上場され、FTSE 100(英FT[フィナン

シャル・タイムズ社]とロンドン証券取引所グル

ープの合弁会社であるFTSEが公表する株価指数

で、LSEに上場されている時価総額が最も大きい

100社を対象とし、1983年12月31日の株価を基準値

1,000として時価総額加重平均で算出される)に加

えられる予定だ。このために、EVRAZ Groupはル

クセンブルクから英国に本拠地を移すことにした。

FTSEに入れば、注目度が高まり、投資信託に組み

込まれるなどして株価が高まる可能性が高いため

である。Evraz PLCの取締役会議長(会長)はアブ

ラモフが務め、彼のパートナーであるフロロフは

社長の地位を継続する。アブラモヴィッチは第三

番目の地位のままであるという(Ведомости, Oct.

18, 2011)。

7)実際には冶金会社だけではなく、他の大規模会

社がオフショア会社を通じて支配されている。た

とえば、ロシアでスーパーマーケットの小売網を

停会するX5 Retail Group N.V.はオランダに登録さ

れている。IT企業のIBSはマン島に登録されたIBS

Group Holding Ltd.によって支配されている。こう

した現状がロシア国内に与える影響に注意を払う

必要がある。オフショアについては、塩原『ミク

ロ分析 経済危機下のロシア』(2010)やШиобара,

“Вопросы модернизации в современной

России,”Япония наших дней, Институт Дальнего

Востока РАН, No. 1 (3), 2010を参照。

8)この問題については、田畑伸一郎・塩原俊彦「財

政・金融制度の改革と現状」『ロシア研究』(No.36,

2004)に詳しい。

9)「ドル経済化」の時期にも、財政資金に頼る動

きは存在した。その典型は、財政資金を銀行口座

に受け入れ、それを短期間でも、外貨運用するな

どして利益を得ようとする形をとった。詳しくは

拙著『現代ロシアの経済構造』(pp.118-211。とく

に、137-138)を参照。

10)「擬似会社国家」は、「むき出しの国家」から「隠

蔽された国家」を経てグローバリゼーションのも

とで、政府自体が会社のように経営される指向性

を強めているという認識に基づいている。詳しく

は、拙著『パイプラインの政治経済学』(pp. 204-249)

を参照。

11)ティムチェンコについては、拙稿「ガスプロム

の政治的考察」(『ロシアNIS調査月報』2011年1

月号)、拙稿「ガスプロムの政治経済学(2010年版)」

(法政大学イノベーション・マネジメント研究セ

ンターWorking Paper No. 108, 2011)を参照。2011

年末までに刊行予定の拙著『プーチン2.0:ロシア

の腐敗から読み解く』(仮題、東洋書店)でも紹介

している。

12)キリシ製油所はプーチンの初期の「悪事」に絡

んでいる。サンクトペテルブルグでは、ガソリン

などの石油製品の市営企業への安定供給をめざし

てペテルブルグ燃料会社が設立され、1995年、同

社に自動車燃料の取得と保管が委託された。これ

は、同社がガソリン市場で独占的とも言えるほど

の力をもつことを意味し、その株主に銀行「ロシ

ア」が入った。

13)もっとも、ティムチェンコ自身はこれを否定し

ているし、プーチンとの「腐敗」に関するネムツ

ォフとミロフのリポートを2010年9月に名誉毀損

で訴えてもいる。だが、2011年9月28日、プーチ

ンは彼と知り合いであった事実を作家らとの会談

であっさりと認めた。

14)国家コーポレーションについては、拙稿「国家

コーポレーションを探る:ロシアテクノロジーを

中心に」(『ロシアNIS調査月報』2010年9-10月号)

を参照されたい。

15)2011年9月の出張で入手した情報によると、プ

ーチンはガスプロムを彼の言いなりに従属させて

いるわけではない。詳しい時期や内容までは不明

だが、1969年からガス産業で働いてきたアナネン

コフ取締役副社長はプーチンの提案に対して、毅

然として反対し、提案を認めなかったとされる。

プーチンも職業的専門家の立場を尊敬する態度を

示したという。

16)たとえば、反腐敗政策は、国連腐敗防止条約や、

欧州評議会の「腐敗に対する犯罪法取り決め」、

OECDの外国公務員贈賄防止条約などを批准した

うえで、これに沿う形で各国政府ごとに対策がと

られている。にもかかわらず、腐敗問題の分析で、

こうした言及のない研究が多いのにはあきれるば

かりだ。