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数学教育研究 41 2012 71 ピタゴラス音律 ピタゴラス音律 ピタゴラス音律 ピタゴラス音律 ピタゴラス音律 小学校専門科目「数学」での実践 よし とも (大阪教育大学 数学教育講座) ( 平成 24 3 31 日受付 ) 概要:2011 年度の小学校専門科目「数学」の授業で「ピタゴラス音律」と「平均律音律」 を取りあげ, 数学者がどのように「音楽」分野の基礎作りに係わってきたかについて 講義を行った。この論文では, 全2回の講義の1回目, 「ピタゴラス音律」に関する 1時間半の講義の内容を詳述し, 最後に受講生の反応を紹介する。 検索語:ピタゴラス音律 I. 始めに 太古の昔から人々は歌うことを自然に行っていたようだが, 現代のように万人が同じ楽曲を共有 , 共にそれを楽しんだり, 音楽を教養として生きる糧にする, というようなことの素地作りを 行ったのは数学者であった。この講義では, そのような数学者の仕事について話そう。 まず始めに, 「ド」とか「ラ」とかいう音がどのような高さの音を意味するのかというルール作 りをしたのは ( と言っても, 当時『「ラ」は 440 Hz 』というような絶対的な音高の概念はなかっ たので, あくまでも「ド」という音と「ラ」という音の関係はどのようなものであるか, という 意味である ), 古代ギリシャの数学者ピタゴラス ( 580BC 頃~ 500BC ) の学派によってであっ た。ピタゴラス学派の作ったルール (「ピタゴラス音律」と呼ばれる ) により, 音楽を記録する 楽譜が生まれたり, 楽譜を見て音楽を再生することが可能となったり, 楽曲を分類整理し, より複 雑な音楽の発生を促すことになった。 また, 現在通常使われている平均律音律 ( 次回の講義で話をする予定。現在, ピアノはこの音 律で調律されている ) , 1636 年にマラン・メルセンヌ ( 1588 年~ 1648 , フランスの神学者。 数学, 物理に加え哲学, 音楽理論の研究もしていた。メルセンヌ数 ( メルセンヌ素数 ) の名の由 来ともなり, また音響学の父とも呼ばれる ) が著書「普遍的調和:音楽の理論と実際」で確立した ものである。「パスカル伝 ( 田辺保 ) 」によると, 『当時( 17 世紀 )の科学者達にとって音楽は数 学の応用部門であって, 楽器の構造に通じていることも, 力学, 和声学の知識との関連から, 相応 に評価されていた』ということである。

ピタゴラス音律 - Osaka Kyoiku Universityybaba/onritsu1.pdf74 馬 場 良 始 という指数関数(高校の「数学II」) で表される。よって, もし1種類の弦だけを同じ張力で使っ

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数学教育研究 第 41号  2012 71

ピタゴラス音律ピタゴラス音律ピタゴラス音律ピタゴラス音律ピタゴラス音律

— 小学校専門科目「数学」での実践 —

馬ば

場よし

良とも

(大阪教育大学 数学教育講座)

( 平成 24年 3月 31日受付 )

概要:2011年度の小学校専門科目「数学」の授業で「ピタゴラス音律」と「平均律音律」

を取りあげ, 数学者がどのように「音楽」分野の基礎作りに係わってきたかについて

講義を行った。この論文では, 全2回の講義の1回目, 「ピタゴラス音律」に関する

1時間半の講義の内容を詳述し, 最後に受講生の反応を紹介する。

検索語:ピタゴラス音律

I. 始めに

 太古の昔から人々は歌うことを自然に行っていたようだが, 現代のように万人が同じ楽曲を共有

し, 共にそれを楽しんだり, 音楽を教養として生きる糧にする, というようなことの素地作りを

行ったのは数学者であった。この講義では, そのような数学者の仕事について話そう。

 まず始めに,「ド」とか「ラ」とかいう音がどのような高さの音を意味するのかというルール作

りをしたのは (と言っても, 当時『「ラ」は 440 Hz』というような絶対的な音高の概念はなかっ

たので, あくまでも「ド」という音と「ラ」という音の関係はどのようなものであるか, という

意味である ), 古代ギリシャの数学者ピタゴラス ( 580BC頃~ 500BC頃 ) の学派によってであっ

た。ピタゴラス学派の作ったルール (「ピタゴラス音律」と呼ばれる ) により, 音楽を記録する

楽譜が生まれたり, 楽譜を見て音楽を再生することが可能となったり, 楽曲を分類整理し, より複

雑な音楽の発生を促すことになった。

 また, 現在通常使われている平均律音律 (次回の講義で話をする予定。現在, ピアノはこの音

律で調律されている ) は, 1636年にマラン・メルセンヌ ( 1588年~ 1648年, フランスの神学者。

数学, 物理に加え哲学, 音楽理論の研究もしていた。メルセンヌ数 (メルセンヌ素数 ) の名の由

来ともなり, また音響学の父とも呼ばれる ) が著書「普遍的調和:音楽の理論と実際」で確立した

ものである。「パスカル伝 (田辺保 ) 」によると, 『当時( 17世紀)の科学者達にとって音楽は数

学の応用部門であって, 楽器の構造に通じていることも, 力学, 和声学の知識との関連から, 相応

に評価されていた』ということである。

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72 馬 場 良 始

II. ピタゴラス音律

1. そもそもどのような切っ掛けでピタゴラスは・・・

 ピタゴラス学派は, そもそもどのような切っ掛けで音楽理論の問題を扱うことになったのだろう

か? 次のような説がある。ある日のこと, 道を歩いていたピタゴラスが鍛冶屋の前を通り掛かっ

たところ, 中では数人の男たちがハンマーを振るっている最中であった。何気なく鉄床に打ち付け

られるハンマーの音を聞いていると, 互いに響き合って快い音色を出すハンマーの音と, そうでな

いものとがあることに気づいた。不思議に思って, 互いに響き合うハンマーだけを選んで調べて見

ると, ハンマーの重量の間にごく単純な整数比の関係が見られることが分かった。その後, このよ

うな研究を効率的に続けるために, 金属製のハンマーをモノコードと呼ばれる一弦琴に替え, さら

に研究を深めていった。この説の真偽の程はともかく, 後世まで延々と続く音律・音響の研究は,

このようなふとした「気づき」から生まれたのかもしれないのだ。

2. オクターブ(完全8度)

 目の前に一弦琴があったとしよう。これを弾くと音が出る。もし, この弦の長さを半分にすると

どんな音が出るか。答えは, 現在の言葉で「1オクターブ高い音」である。(これを「1オクター

ブ高い音」の定義と考えてもよい。) 逆に, 弦の長さを倍にすると, 「1オクターブ低い音」が出

る。この教室で今からみんなで「かえるのうた」を歌うと, 通常, 男性は女性の1オクターブ下の

音を歌っている。しかし, 別段そんなことを気にせず, 同じ音だと思って歌っていることが多い。

つまり, それくらい「1オクターブ高い音」や「1オクターブ低い音」は「似ている音」なのであ

る。(理由は次回の講義で。)ピタゴラス学派も, このことを認識していて, 1オクターブを1つ

の大きな単位とし, これをどう分割し, 音を配列させるのかを(つまり, 現在の「ド」,「ド ♯」,

「レ」, . . . をどのように作っていくかを)考えた。

 その話は, また後にすることにして, まず音がどのように鳴るのかを次のセクションで確認して

おこう。

3. 音の振動数

 弦をはじくと, 弦が振動し, 回りの空気を揺らせる。その音は, 「疎密波」と呼ばれる空気分子

の振動でこちらに伝わってくる。空気は粘度を持っており (だから飛行機も飛べる ), 文字通り,

空気がぎゅっと詰まった「密」な部分と, その反動で「疎」になった部分が交互に耳の鼓膜に届き,

人間は, 1秒間にそれが何回繰り返されるのかを音の高さとして, そしてどれだけ「密」・「疎」な

のかを音圧として感じる。揺らされ方は, どれだけ「密」なのかを y 軸正方向に (ということは,

どれだけ「疎」なのかを y 軸負の方向に ) 取り, t 軸で時間の流れを表すと, 正弦波

y = sin t

(高校の「数学 II」) の形になる。

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ピタゴラス音律 73

[2, p13] から引用

1秒間に, 440 回揺らされる (振動させられる ) とき, この音は 440 Hz の振動数の音と呼び,

y = sin(440 · 2π t) ( t :秒 )

と表される。440 Hz の音とは, オーケストラのチューニングに使われている「ラ」の音であり, 時

報の最後の音以外の音 (ピッピッピッ ) である。

問.� � もし 440 Hz の音が出る一弦琴の弦の長さを半分にしたら (つまり, 1オクターブ高い音にしたら ) , その振動数はどうなるか?� �

答 : 倍の 880 Hz になる。

つまり, ピタゴラス学派が「似ている音」と認識した「1オクターブ高い音」とは, 振動数が倍の

音だったのである。(時報の最後の音 (ピー ) は, 1オクターブ高い 880 Hz の「ラ」。)この事実

は, 1636年にマラン・メルセンヌが著書「普遍的調和:音楽の理論と実際」に於いて発表した次

のような振動数の公式から導かれる。

振動数 = k ×√張力

(弦の長さ ) ×√単位長さ当たりの弦の質量

この公式より, 反対にもし音が1オクターブ低くなる, つまり振動数が1

2になったとき,「張力」

と「単位長さ当たりの弦の質量」が変わらなかったなら, 「弦の長さ」だけが 2 倍になったという

ことになる。さらにこの事実を拡張すると, 「張力」や「単位長さ当たりの弦の質量」が一定の場

合, 弦の長さが 1である基準となる音があるとき, その音の x オクターブ下の音が鳴る弦の長さ y

y = 2x

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という指数関数 (高校の「数学 II」) で表される。よって, もし1種類の弦だけを同じ張力で使っ

てピアノが作られているなら, ピアノというものは次のようなものであるはずである。

1. 形は, 指数関数のグラフ (ピアノは低い音が左側だから, y = 2−x ) の形。

2. つまり, 1オクターブ低くなる (ピアノのキーを考えると, 16.5 cm 左のキー ) につれ, 弦

の長さが倍倍になる形。

3. ということは, ピアノは 88鍵あり7オクターブと4音を出せるので, 1番高い音 (「ド」)

の弦の長さが 5 cm であったとすると (ハンマーで叩くので, これくらいは最低必要。実際

コンサート・グランドピアノの最高音の弦の長さは 5~ 5.6 cm ), 7オクターブ下の「ド」の

弦の長さは, 5 cm× 27 = 640 cm = 6m 40 cm !!

これは我々が知っているグランドピアノの形ではない。ではどうして, グランドピアノはあの形で

収まっているのだろうか? もう一度メルセンヌの公式

振動数 = k ×√張力

(弦の長さ ) ×√単位長さ当たりの弦の質量

をながめよう。この公式は, 同じ音, つまり「振動数」が同じとき, もし「張力」が変わらないで,

「弦の長さ」が1

3になったとき, 「単位長さ当たりの弦の質量」は 32 = 9 倍になるということ

も示している。そして実際に, 1番大型の (スタインウェイ ) コンサート・グランドピアノのピア

ノ本体の長さは約 274 cm で, 最低音の「弦の長さ」は約 205 cm ( 640 cm の約1

3) なので, 1

番低い音の弦の「単位長さ当たりの弦の質量」は約 32 = 9 倍になっているのかもしれない。実際,

ピアノの中を覗くと, 高音部から中音部に移行するに従い, 線を太くして質量を増し, さらに低

音部に移行するに従い, 芯線 (ピアノ線と呼ばれる炭素鋼の線 ) の回りに銅線を巻いて質量を増

している様子が見られる。(ちなみに, 弦は細い方が振動しやすく, クリアーな音が出る。反対に,

太い巻線の弦はボアンとした音になる。また, 弦は長ければ, 振幅が大きく音量豊か, 音は伸びや

かで, 低い音も基音がしっかり出て深々と鳴り, 弦振動の減衰が遅くなるため余韻のある響きにな

るらしい。)

 さて, 史上最大のピアノと思われるものに, “Klavins Mod. 370” (次のページの写真参照 ) と

いうものがある。最長弦は 303 cm で, 最低音である 27.5 Hz を基音から楽々再生する。あまりに

も巨大で移動はできない。

 では, Klavins Mod. 370 と コンサート・グランドピアノを, ドビュッシーの「沈める寺」(前奏

曲集・第 1巻 ( 1909年~ 1910年 ) の第 10曲)の 22~ 30小節 ( [19, p39]より引用した次のペー

ジの楽譜参照 ) で聴き比べてみよう。28小節目にピアノで1番低い「ド」の音 (C1=32.7 Hz ) が

出てくる (次のページの楽譜では, 下の段の 3小節目の 1拍目 )。一般に, コンサート・グランドピ

アノでは 50 Hz 辺りより低い音で基音が出にくいとされている。演奏は, Gulsin Onay が Klavins

Mod.370 を弾いた 1989年のライブ録音と, アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ (音の

響きにこだわり, 1980年の来日の際は, 日本に持ち込んだ 2台のピアノ双方のコンディションに

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ピタゴラス音律 75

満足できず (日本の湿度が理由? ), やむなくヤマハのピアノを使用したが, 演奏を行ったのは1

公演だけであり, 他の公演は全てキャンセル。怒った日本の招聘元がミケランジェリのピアノを差

し押さえるという事件が起こった ) の弾くコンサート・グランドピアノ ( 1971年のライブ録音だ

が録音は極めて優秀 ) である。(実際に聴き比べを行う。少し退屈そうにしていた学生が, 気持ち

を集中させる。)

http://www.klavins-pianos.com/index en.htm より引用

注釈. 私見では, この2つのピアノは, 「ピアノ」という同じ名称を持っているが, 響きはかなり

異なり, 同種の楽器とはとても思えない。Klavins は, コンサート・グランドピアノに比べ, 低い

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音が楽々・深々と出ており, しかも少し強目に張られた長く細い弦をハンマーで叩くので, 打楽器

的な鋭くクリアーな音が矢のように飛んでくる。Klavins を聴いてからコンサート・グランドピア

ノを聴くと, 浮ついた腰の軽い音で, 低音は無理して (頑張って ) 出しているように聴こえてしま

う。一方, コンサート・グランドピアノを先に聴き, その聴き慣れた音を楽しんだ後で Klavins を

聴くと, 耳慣れない, 打楽器的要素の強い別種の楽器による演奏を聴くような居心地の悪さを感

じてしまう。(音響の評価は, 慣れの要素も大きいようである。歴史的に見ても, 改良された新種

の楽器は当初必ずしもいい評価を得ているわけではない。例えば, 16世紀半ばに生まれたヴァイ

オリン (現存する世界最古のバイオリンは, アンドレア・アマティの 1565年頃の作 ) は当初, 14

世紀頃から作られていたヴィオールに比べ「音が大きいだけで倍音成分が少ない」「甲高い音」と

いう評価がされていたようだ。) 実際の聴き比べは, Klavins → コンサート・グランドピアノ →

Klavins の順に行った。聴き比べに慣れていない多くの学生達が, このような違いをどれ位感じて

くれたかは不明である。(感想は「おもしろかった」「びっくりした」レベルであった。)

4. 音律と音階・旋法の定義

 「音階」という言葉は, 小学生時代から慣れ親しんだものであると思われるが, もしかすると

「音律」は始めて耳にする言葉かもしれない。ピタゴラス音律を紹介する前に, 用語の定義をして

おこう。

 音楽で使う「音」とそれらの音程関係を, 音響的・数学的に規定したものを「音律」 (music

temperament ) と呼ぶ。(規定された音を鍵盤に並べた楽器がピアノ, 楽曲を規定された音を

使って記録したものが楽譜。) 「音律」では, 各音の絶対音高ではなく相対音高が基礎となる。つ

まり, 音の振動数そのものではなく, 振動数の比率が問題になる。

 そして, 実際の楽曲は, 音律からさらに幾つかの音を選び出して, それを主に使う。使われてい

る主要な音を, 1オクターブ内に音の高さの順に階段的に並べたものを「音階」 ( scale ) と呼ぶ。

例えば,

• ハ長調の音階は 「ド,レ,ミ,ファ,ソ,ラ,シ,ド」 (2212221)

• ニ長調の音階は「レ,ミ,ファ♯,ソ,ラ,シ,ド ♯ ,レ」 (2212221)

• イ短調の音階は「ラ,シ,ド,レ,ミ,ファ,ソ,ラ」 (2122122)

(括弧の中は音の間隔が半音幾つ分かを示す。1なら半音分, 2なら全音分離れているとする。)

(2212221) の音間隔の音列による音階は長音階と呼ばれ, (2122122) の音間隔の音列による音階は

短音階と呼ばれる。いろいろな音から始まる長音階・短音階があることは皆さんご存知のことと

思う。

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ピタゴラス音律 77

 その他にも, 上記の音階の起源と考えられる, 下記のような「教会旋法」 ( church mode )

(もしくは, グレゴリオ聖歌の音階 (gregorian mode ) ) と総称されるものがあった。

• 「ド」を終止音とするイオニア旋法は「ド,レ,ミ,ファ,ソ,ラ,シ,ド」(2212221)

• 「レ」を終止音とするドリア旋法は「レ,ミ,ファ,ソ,ラ,シ,ド,レ」(2122212)

• 「ミ」を終止音とするフリギア旋法は「ミ,ファ,ソ,ラ,シ,ド,レ,ミ」(1222122)

• 「ファ」を終止音とするリディア旋法は「ファ,ソ,ラ,シ,ド,レ,ミ,ファ」(2221221)

• 「ソ」を終止音とするミクソリディア旋法は「ソ,ラ,シ,ド,レ,ミ,ファ,ソ」(2212212)

• 「ラ」を終止音とするエオリア旋法は「ラ,シ,ド,レ,ミ,ファ,ソ,ラ」(2122122)

• 「シ」を終止音とするロクリア旋法は「シ,ド,レ,ミ,ファ,ソ,ラ,シ」(1221222)

補足説明.

ここでは, 講義よりも少し詳しく, 教会旋法を解説してみよう。

1. 「教会旋法」は, カトリック教会で歌われている聖歌を分類するために作られたもので, ロー

マ教皇グレゴリウス 1世 (在位 : 590年~ 604年 ) がまとめたものが起源とされている。こ

の教皇は, ローマ典礼 (ローマ・カトリック教会が行う公の儀式 ) を改革し, ミサでキリエ

を歌うようにしたり, 従来復活節でのみ歌われていたアレルヤ唱を1年を通して歌うように

したことでも知られ, 自ら多くの聖歌を作曲したとも伝えられている。

2. 「教会旋法」はグレゴリオ聖歌で用いられたので,「グレゴリオ聖歌の音階」とも呼ばれる。

グレゴリオ聖歌とは, ローマ・カトリック教会の典礼 (礼拝 ) のための単旋律・無伴奏の音楽

で, 中世から現在にかけて歌い継がれてきた。現在残されているヨーロッパ音楽の中で, 再

現することが可能な最古の音楽であり, ヨーロッパ音楽の源流といえる。名称は上記1で紹

介したローマ教皇グレゴリウス 1世に由来するが, 実際には 8世紀頃以降, ローマ聖歌を中

心に, ガリア・ゲルマンを含むヨーロッパの広い地域のもろもろの音楽的要素を同化・融合

しつつ, 徐々に形成されていったと考えられている。そして, 実際にその楽譜が現れるのは,

やっと 9世紀の中頃になってからである。

3. 教会旋法が隆盛を誇っていた中世では, 『「ラ」は 440 Hz』というような絶対的な音高の概

念はなかった。よって, 上記で『イオニア旋法は「ド,レ,ミ,ファ,ソ,ラ,シ,ド」』と紹介し

たが, 現在の我々がイメージを得やすいように説明しただけであり, 実際には, 終止音 (下

記 6 参照 ) から順に (2212221) の音間隔の音列による旋法という意味である。

 注. 『「ラ」(ピアノ中央の「ド」のすぐ上の「ラ」のこと ) の振動数は 440 Hz』と定め

られたのは, 1939年 5月にロンドンで開催された標準高度の国際会議に於いてであり, アメ

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78 馬 場 良 始

リカの主導により決まった。現在, これは「国際標準ピッチ」と呼ばれている。それ以前は,

各国によって, また同じ国でも都市・時代によって音高は異なっていた。「ラ」の振動数は,

17世紀頃は 370~ 560 Hz の範囲であり, バッハの頃は 415 Hz, モーツァルトの頃は 422

Hz, 1800年代初頭は 428 Hz が主流であったという説もある。ただ, 都市やオーケストラ

によってまちまちであることは 19 世紀後半でも続いていたようで, このような状況を見か

ねた作曲家ジュゼッペ・ヴェルディはその政治力を発揮し, 1884年にイタリアの法律で 432

Hz に定めさせたこともあったようである。(この音高は現在「ヴェルディピッチ」と呼ばれ

ている。歌手に負担の掛からないピッチであると言われ, また知覚心理学的に人間にとって

最も心地よい周波数であるという研究もあり, シュタイナー教育にも取り入れられている。)

実は, 現代に於いては, 国際標準ピッチよりもやや高い 442~ 448 Hz で演奏されることが

多い。(ピッチが高い方が華やかに聞こえるという説があり, 時代と共にだんだん高くなっ

ていく傾向にある。カラヤン時代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ( 1955年~ 1989

年 ) は 446 Hz であったと言われている。)

4. 「レ」,「ミ」,「ファ」,「ソ」を終止音とするドリア旋法, フリギア旋法, リディア旋法,

ミクソリディア旋法は, グレゴリウス 1世の頃に認定された「公式旋法」と呼ばれるもので

ある。そして, 「ド」,「ラ」,「シ」を終止音とするイオニア旋法, エオリア旋法, ロクリア

旋法はその後の時代に使われるようになったもので, 「非公式旋法」と呼ばれる。「非公式旋

法」のうち, イオニア旋法, エオリア旋法は 1525年になってようやく「公式」と認められ

ている。(元々単旋律だった教会音楽に多声音楽が導入されるようになり, 和声的に好都合

な旋法としてイオニア旋法とエオリア旋法が自然発生的に広まったのを追認したという背景

があったようだ。)

5. (次回の講義で詳しく説明するが ) イオニア旋法とエオリア旋法は, 現在の長音階と短音階

になった (発展的に解消した ) 。それ以外の旋法は 1600年代の末頃にはすたれ, 19世紀末

に長調・短調の2つの調性音階とは異なる新たな響きを求めて, 再び使われるようになった。

6. 上記に紹介した教会旋法は,「正格旋法」と呼ばれるものだけである。実際には,「公式旋法」

には, 同じ終止音をもつ「変格旋法」と呼ばれるものがある。名称は正格旋法の名称に「ヒ

ポ」を付けたものになる。つまり,

• 「レ」を終止音とする変格旋法はヒポドリア旋法 (もしくは第2旋法 ) と呼ばれる。

(これに対し, ドリア旋法は第1旋法 とも呼ばれる。)

• 「ミ」を終止音とする変格旋法はヒポフリギア旋法 (もしくは第4旋法 ) と呼ばれる。

(これに対し, フリギア旋法は第3旋法 とも呼ばれる。)

• 「ファ」を終止音とする変格旋法はヒポリディア旋法 (もしくは第6旋法 ) と呼ばれ

る。(これに対し, リディア旋法は第5旋法 とも呼ばれる。)

• 「ソ」を終止音とする変格旋法はヒポミクソリディア旋法 (もしくは第8旋法 ) と呼

ばれる。(これに対し, ミクソリディア旋法は第7旋法 とも呼ばれる。)

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ピタゴラス音律 79

「正格」と「変格」の違いも含めた旋法の分類法は, 次のようなものである。

 まず, 曲の終わりの音(これを「終止音」(finalis ) と呼ぶ)を基準として, 曲全体がど

のような音を用いて作られているか, つまり終止音から半音何個分離れた音がその曲で使わ

れているかを調べ, 現在我々が使っているピアノの白鍵だけで弾けるように音名(「ド」とか

「レ」とか ) を当て嵌めてみる。そしてそのとき, 終止音に対応している音名を見る。例えば

終止音が「レ」に対応していたなら, 正格の「ドリア旋法」か変格の「ヒポドリア旋法」の

どちらかであることになる。

 さらに, 「正格」と「変格」の見分け方だが, たいていのグレゴリオ聖歌は, 終止音より

高い音域でメロディー・ラインが上下し, 終止音まで少し音が下がってきて曲が閉じられる

のであるが, その間, 終止音からかなり高い音まで使われているときが「正格」(もっと詳し

く述べると, 終止音から 8度高い音まで, 時として 9度 10度高い音まで使われており, 終止

音より低い音は, 原則として 2度位までしか使われていないとき ), あまり高い音まで使わ

れていないときが「変格」(もっと詳しく述べると, 原則として終止音から高い方も低い方

もともに 5度の範囲で使われているときだが, 時として高い方は 6度 7度上まで使われてい

ることがある ) と分類する。

7. 各旋法に特有の性格は, はっきりと出るようである。次のようなことが言われている。ドリ

ア旋法は, 教会旋法の中で最もスタンダードといえる旋法。落ち着いた安定感のある旋律を

作り出し, 「平安の旋法」と評される。フリギア旋法は, 終始フワフワしたような独特の甘

美な旋律を生み出す。「天と地の間に浮かびながら停止する旋法」と評される。リディア旋法

は, 流麗・快活・すがすがしいイメージを持ち, 「各種の多様な感情表現に不足することの

ない旋法」と評される。ミクソリディア旋法は, 響きが豊かで開放的な明るい旋律を生み出

し,「超長旋法」と評される。

8. 『「ド」を終止音とするイオニア旋法』と『ハ長調の音階』は, 一見同じものに見えるかも

しれない。しかし実際にはこれら2つの呼称には大きな差異がある。教会旋法は, 上記 6 で

詳述したように, 聖歌のたゆたうような単旋律のメロディー・ラインに注目して聖歌を分類

したものだが, 『ハ長調の音階』は, 次回の講義で説明するトニック・ドミナント・サブドミ

ナント等と呼ばれる役割をもった和音の機能的な連結を意識する, と宣言する術語である。

(以上で「補足説明」終わり。 )

 そして, 教会旋法 (ミクソリディア旋法 ) が使われている 20世紀の楽曲の例として, ビート

ルズの「ノルウェイの森」取りあげ, まず, Kawai のスコア・メーカー (パソコン・ソフト ) を

使って, 次ページの楽譜を見ながら, ミクソリディア旋法の音階と「ノルウェイの森」のメロディ・

ラインのみの体験を行い, その後でビートルズの演奏を聴いた。(少し退屈そうにしていた学生が,

また気持ちを集中させる。)

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80 馬 場 良 始

「ノルウェイの森」のメロディー・ライン

 次に, グレゴリオ聖歌の体験もしてもらった。曲はドリア旋法による「天よ, 上より雫をしたた

らせよ」で, フーベルト・ドップ指揮のウィーン・ホーフブルクカペレ・コーラルスコラ ( 1983年

録音 ) による演奏。

 さらに, 「かえるのうた」を題材にして, 原曲と, それをドリア旋法風, フリギア旋法風, リ

ディア旋法風にしたものを, 下の楽譜を見ながら, 聴き比べを行った。教会旋法の音階を用いると,

よく知っている「かえるのうた」がグレゴリオ聖歌風になるところを体験してもらえたと思う。

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ピタゴラス音律 81

 さらに, 5音音階 (ペンタトニック・スケール pentatonic scale ) と総称される, 1オクター

ブから 5つの音だけを選んで使う音階がある。世界各地の民族音楽にこの音階が見られるが, 日本

で使われているものを幾つか見てみよう。

• ヨナ抜き長音階 「ド,レ,ミ,ソ,ラ,ド」(22323) (主音から 4つ目と 7つ目の音がない長音

階 ) は世界に共通する音階であり, 日本には奈良時代に中国から雅楽の音階として伝えられ

た (そのときは,りょ

呂音階と呼ばれた )。しかし, 雅楽が日本化された平安時代以降から, 日

本化された律音階 (下記参照 ) のみが用いられるようになり, 理論上の音階になってしまっ

ていた。そして, 明治時代に西洋音楽が流れ込み, その視点からヨナ抜き音階と呼ばれ, 以

後日本の音楽教育や童謡・演歌などで多用され続けている音階である。

• 日本の伝統的な音階としては, 次の 5つの 5音音階が代表的である。

(1)りつ

律音階 は「レ,ミ,ソ,ラ,ド,レ」(23223) で, 雅楽・しょう

声みょう

明 (仏典に節をつけたもので,

儀礼に用いられる仏教音楽 ) で用いられた音階。

(2)みやこ

都ぶし

節音階 は「ミ,ファ,ラ,シ,ド,ミ」(14214) で, 江戸時代に都会で発生し流行した義太

夫や長唄などに多くみられるところから命名された。「陰音階」と呼ばれることもある。

(3) 田舎節 は「レ,ミ,ソ,ラ,ド,レ」(23232) で, 主に民謡に用いられているところから命名さ

れた。「陽音階」と呼ばれることもある。

(4) 民謡音階 は「レ,ファ,ソ,ラ,ド,レ」(32232) で, 日本の民謡・わらべ歌によく使われてい

る音階であることから命名された。さらに, 明治時代に西洋音楽の視点からニロ抜き短音階

(主音から 2つ目と 6つ目の音がない短音階「ラ,ド,レ,ミ,ソ,ラ」(32232) ) とも呼ばれる

ようになった。

(5) 琉球音階 は「ド,ミ,ファ,ソ,シ,ド」 (41241) で, 沖縄・奄美諸島の音楽に多く見られる

音階。明治時代に西洋音楽の視点から, ニロ抜き長音階 (主音から 2つ目と 6つ目の音がな

い長音階 ) とも呼ばれるようになった。

5. ピタゴラス音律

 繰り返しになるが, 最初に音について体系的に研究し, 現在一般的に使われている「平均律音

律」の元 (しかも, かなり完成度の高いもの ) を作り上げたのは, 紀元前 500年ごろのギリシャ

のピタゴラス学派であり, その音律は現在「ピタゴラス音律」と呼ばれている。

 「現在, 1オクターブの間を何故 12 個の音に分けているのか?」という問の答えは, 下記に説

明する通り, ピタゴラス学派の音律の作り方をするとたまたまそうなって, しかもこの音律はその

後2千年以上も使われ続け, その短所を克服すべく新たに作られた音律も, 「ピタゴラス音律」を

如何に改良 (マイナーチェンジ ) するかという目標を掲げて作られたからである。

「ピタゴラス音律」の特徴として, 次のようなことが言われている。

1. (グレゴリオ聖歌のような ) 単旋律音楽では, 独特の美しい特徴があらわれる。

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82 馬 場 良 始

2. 平均律音律に比べて, 長調はより長調らしく, 短調はより短調らしくなる。

3. バランスのとれた, しかし少々冷たい感じの響きがする。

4. 少なくとも 16世紀頃までは, 最もポピュラーな音律として君臨し続けた。

5. 和音を使用しないなら, 最高の音律とも言える。(次回の講義で説明するが,「ド・ミ・ソの

長3和音が重要性をもったこと」, これがピタゴラス音律の改良版が必要となった理由。)

 道草が長くなった。そろそろ, ピタゴラス学派は, どのような方法で, 1オクターブを分割し

て, 現在の「ド」,「ド ♯」,「レ」, . . . という 12個の音を作っていったかを説明しよう。

 ピタゴラス学派は「万物の根源は数である」と考えていた。

参考:哲学者ターレス「万物の根源は水である」

   哲学者ヘラクレイトス「万物の根源は火である」

   哲学者デモクリトス「万物の根源は原子である」

つまり, 「自然現象は一定の法則に支配されており, しかもその法則は数式で表せる」と考えてい

た。また, すべての数は分数 (数の比 ) で表せる。つまり現在の言葉で言えば, 「数はすべて有

理数である」とも考えていた。そしてピタゴラス学派は,2

3という,{

x : 有理数

∣∣∣∣ 1

2< x < 1

}に属する (分)数の中で, 最も簡単な形のもの, 別の言い方をすると, 素数の中で1番小さい 2 と

次に小さい 3 で作られる分数にこだわり, 今から述べる方法でピタゴラス音律を作り上げた。も

ちろん, 一弦琴での実験により,2

3がこだわるに足る顕著な性質を備えた分数であることを確か

めた上でのことではあったが。

 では, 12個の音を作る作業を始めよう。

作業1.ピタゴラスは, 同じ一弦琴を 2つ用意して (話を簡潔するために, 弦の長さは 1 であっ

たとする ), それらの開放弦の音を 1番目の音と定めた。(例えば, これが今で言う「ド」の音で

あったとしよう。) そして, 1つを開放弦, もう1つを弦の長さを短くして同時に弾き, 2つの琴

が心地よいハーモニーを奏でる (協和する ) 弦の長さを調べた。その結果, 1番協和したのは, 長

さが1

2のときで (つまりオクターブ上の音 ), すでに述べたように, これらが同質の音であるこ

とを確認し, これも 1番目の音と同じ音 (つまりこれも「ド」という名前の音 ) と定めた。

作業2.そして, 同質の音としたこれら 2つの音の隔たり (今で言う「1オクターブ」)を単位

とし, これら 2つの音の間で (つまり, 長さが1

2より真に大きく, 1 よりも真に小さい範囲で ),

開放弦 ( 1番目の音 ) と一番協和する音を探した。(当然, その音高は 1番目の音「ド」より高い

ものになることを注意しておく。) その結果, 長さが2

3の音が1番協和することが分かった。こ

れを 2番目の音と定める。

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ピタゴラス音律 83

( 1番目の音が「ド」なら, 2番目の音はその上の「ソ」の音になる。)

注 1. 「ド」とその上の「ソ」の隔たりは半音7つ分であり,「完全5度」と呼ばれる。

注 2. 次回の講義で述べるが, 上記「長さが2

3の音が, 1番協和することが分かった」という部

分は, 20世紀に入り心理学分野の論文で再び検証された。

注 3. 最初の方に紹介したメルセンヌの公式より, 「振動数」は「長さ」と反比例するので, 「ソ」

の弦の長さが「ド」の弦の長さの2

3倍であることから, 「ソ」は「ド」の

3

2倍の振動数

であることが分かる。これは, 「ソ」と「ド」の振動数比は 3 : 2 とも言い換えられる。

作業3.次に, 1番目の音を基準にして 2番目の音を定めた作業2の方法を, 今度は 2番目の音を

基準にして行う。2番目の音「ソ」より高い音で, オクターブを除いて 2番目の音と1番協和する

音は, 弦の長さが 2番目の音の2

3倍の音, つまり弦の長さが

2

3× 2

3=

22

32=

4

9

の音であるので, 作業2と同様に, この音を 3番目の音としたいのだが, 今は1番目の音「ド」

(弦の長さ 1 ) とその上の「ド」 (弦の長さ1

2)の間を分割する作業をしているので, 弦の長さ

が4

9の音は範囲外である。したがって, この音と同質の音であり, 弦の長さが範囲内である, 1

オクターブ低い音, つまり弦の長さが

4

9× 2 (=

23

32) =

8

9(>

1

2)

である音を 3番目の音と定める。

( 3番目の音の最初の候補であったものは, 1番目の音「ド」の1オクターブ上の「ド」の隣の「レ」

の音。2番目の音「ソ」とこの「レ」の音の隔たりはもちろん完全5度 (半音 7つ分 ) 。そして,

最終的に 3番目の音と定めたのは, その1オクターブ下の「レ」で, これは 1番目の音「ド」の隣

の音であり, 2番目の音「ソ」との隔たりは半音 5つ分で, 完全4度 と呼ばれる隔たりである。完

全4度は, 完全5度の転回音程 ( 2つの隔たりを足すと半音 12個分, つまり1オクターブになる

ときこのように呼ぶ ) であり, 完全5度に次ぐ協和音程であることを次回の講義で説明する。

 したがって, この作業内容は次のようにも言い換えられる。基準としている音の完全5度上の

音が範囲内なら, この音を次の音として定める。しかしもし範囲外なら, 基準としている音の

完全4度下の音を次の音として定める。)

作業4.だいぶ作業内容分かってきたと思われるが, 念のため, 作業4も丁寧に述べよう。

3番目の音「レ」より高い音で, オクターブを除いて 3番目の音と1番協和する音は, 弦の長さが

3番目の音の2

3倍の音, つまり弦の長さが

23

32× 2

3=

24

33=

16

27(>

1

2)

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84 馬 場 良 始

の音であり, しかもこの長さは範囲内であるので, この音を 4番目の音と定める。

(これは「ラ」の音。)

作業 n+ 1. 後は同じ。n 番目の音より高い音で, オクターブを除いて n 番目の音と1番協和す

る音は, 弦の長さが n 番目の音の2

3倍の音であり, もしこの音の弦の長さが

1

2より大きけれ

ば, この音を n + 1 番目の音と定め, もし小さければ, その1オクターブ下の音, つまり弦の長

さが n 番目の音の2

3× 2 倍の音を n+ 1 番目の音と定める。

 この作業をどんどん繰り返していくと, 次の表のような音列が作成できる。ただし, この表で

「振動数は何倍か」の欄は, その音が「長さ 1 の弦の振動数」の何倍になっているかを表している。

メルセンヌの公式より, 弦の長さと振動数は反比例することが分かったので, この値は

1

弦の長さ

を計算することにより得られる。

作業の順番 音名     弦の長さ 振動数は何倍か

1 ド 1 1

2 ソ 1× 2

3=

2

3; 0.667

3

2= 1.5

3 レ2

3× 2

3× 2 =

23

32; 0.889

32

23; 1.13

4 ラ23

32× 2

3× 1 =

24

33; 0.593

33

24; 1.69

5 ミ24

33× 2

3× 2 =

26

34; 0.790

34

26; 1.27

6 シ26

34× 2

3× 1 =

27

35; 0.527

35

27; 1.90

7 ファ♯27

35× 2

3× 2 =

29

36; 0.702

36

29; 1.42

8 ド ♯29

36× 2

3× 2 =

211

37; 0.936

37

211; 1.07

9 ソ ♯211

37× 2

3× 1 =

212

38; 0.624

38

212; 1.60

10 レ ♯212

38× 2

3× 2 =

214

39; 0.832

39

214; 1.20

11 ラ ♯214

39× 2

3× 1 =

215

310; 0.555

310

215; 1.80

12 ファ215

310× 2

3× 2 =

217

311; 0.740

311

217; 1.35

13 ド217

311× 2

3× 2 =

219

312; 0.987

312

219; 1.01

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ピタゴラス音律 85

最後の1行に注目すると, 13回目の作業で, 元の「ド」の長さ 1 に近似した約 0.987 が現れてい

る。ここでピタゴラス学派は, この 13番目の音を「13番目の音」と定めることをせず,

「オクターブを 1番目から 12番目までの音に分割した」

ことにして, この一連の作業を中止している。

注. 本当は, 1 が再び現れるのが理想であるが,2m

3n(ここで m, n: 自然数 ) という形の分

数が 1 になる (言い換えれば, 自然数 m, n をうまく取れば 2m = 3n となる ) ことがあ

り得ないのは, 2 と 3 が互いに素な自然数であることから明らかである。つまり, この作業

は, どこかで妥協して終わらねばならないことは明らかなのである。ちなみに, もしこの作

業をさらに続けたとすると, 25 回目に約 0.973, 37 回目に約 0.960 と再び 1 に近い数値に

なるが, いずれも 13 回目の約 0.987 程には 1 に近づかない。

とにかくこれで, 「ド」と1オクターブ上の「ド」の間が 12分割されたことになる。

 ピタゴラス音律の制作方法から言えることは, 最後に定めた「ファ」とその上の「ド」 (これは

1番目に定めた音の1オクターブ上の音として, 1番初めに定められた ) 以外の完全5度はすべ

て, 弦の長さの比が

1 :2

3= 3 : 2  (もちろん, 3の方が低い方の音 )

振動数の比で言えば,

2 : 3  (もちろん, 2の方が低い方の音 )

になっている, ということである。 (このようなとき, 完全5度は純正であるとか純正5度であ

ると呼ぶ。 )

 一方,

12 ファ215

310× 2

3× 2 =

217

311; 0.740

311

217; 1.35

であったので, 最後に定めた「ファ」とその上の「ド」の間の完全5度に関する弦の長さの比は,

217

311:1

2; 3 : 2.03

で, 3 : 2 より少しだけ比が小さい。ついでに振動数に関しても計算しておくと,

311

217: 2 ; 2 : 2.96

で, 2 : 3 より少しだけ比が小さい。つまり, 音程差が少しだけ狭い。このずれ ( 1% を超えるず

れ。約 1/4半音 ) を「ピタゴラスのコンマ」と呼ぶ。 (実際にピタゴラス音律を使用するときに

は, このずれは, 必ずしも「ファ」とその上の「ド」の間に置かれるわけではなく, 慣習的に 9番

目の音「ソ ♯」と 10番目の音「レ ♯」の間に置かれることが多い。)

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86 馬 場 良 始

 さらに, 1番目の「ド」から 7番目の「ファ♯」までを使って, 史上初の音階であるピタゴラス音

階「ド,レ,ミ,ファ♯,ソ,ラ,シ,ド」(2221221) が作られた。すでに述べたように, この時代は絶対

的な音高の概念 (「ラ」は 440 Hz ) はなかったので, この音階 (2221221) を現在のピアノの白

鍵に当て嵌めてみると,

「ファ,ソ,ラ,シ,ド,レ,ミ,ファ」(2221221)

となる。これは, 上述したとおり, 後のグレゴリオ 1世の時代に「リディア旋法」として公式に認

められるものと同じ並び方をしている。

注1. 弦の長さが 1 のときの音名を, とりあえず「ド」とおいて上記の作業を行ったが, もち

ろんこの音名は何でもよかった。もしピタゴラス音階を臨時記号 ♯ なしで導入したい場合,

弦の長さが 1 のときの音名を「ファ」とおいて作業を始めればよい。このとき, 2番目の音

として「ド」が, 3番名の音として「ソ」が, ...と, 番号がひとつずつずれて現れてくる。

よって 7番目の「シ」までを並べると, 「ファ,ソ,ラ,シ,ド,レ,ミ,ファ」(2221221) が得ら

れる。

作業の順番 音名 弦の長さ 振動数は「ファ」の何倍か

1 ファ 1 1

2 ド 1× 2

3=

2

3; 0.667 1.5

3 ソ2

3× 2

3× 2 =

23

32; 0.889 ; 1.13

4 レ23

32× 2

3× 1 =

24

33; 0.593 ; 1.69

5 ラ24

33× 2

3× 2 =

26

34; 0.790 ; 1.27

6 ミ26

34× 2

3× 1 =

27

35; 0.527 ; 1.90

7 シ27

35× 2

3× 2 =

29

36; 0.702 ; 1.42

注2. 1番目から 7番目までの 7つの音を使ったのがピタゴラス音階であったが, 1番目から 5

番目までの音を使うとヨナ抜き長音階「ド,レ,ミ,ソ,ラ,ド」 (22323) が得られる。

5. 「ピタゴラス音律」,「平均律音律」,「純正律」の比較

 このセクションでは, 昨年の講義では述べることのできなかった内容, つまり「ピタゴラス音

律」が, 次回の講義で解説する「平均律音律」 (現在普通に使われている音律 ) や「純正律 (ハ長

調 ) 」 (和音が美しく協和する音律 ) と, どれくらい違っているのかを解説する。

 音程差は, 「セント」( cent ) という単位 (音の差を測る物差し ) を使うと分かりやすい。まず

その定義をしよう。

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ピタゴラス音律 87

 最初に, 1オクターブの音程差を 1200セントと定める。そして,「X」という音の振動数が,「Y」

という音の振動数の x 倍 (ただし x ≥ 1, つまり「X」は「Y」より高いか同じ音とする ) であ

るとき, それらの音程差のセント値を, 2 を底とする対数関数 (高校の「数学 II」) を用いて

1200 log2 x

と定める。平均律音律では, どの半音間の振動数の比率も 1 : 2112 であるので, それらの音程差は

1200 log2 2112 = 1200× 1

12= 100 (セント)

となる。つまり, 平均律音律は 1オクターブをキッチリ 12 等分していることが, セントという単

位を使うとハッキリ分かる。(平均律音律は, 指数関数 y = 2x を用い, 1オクターブを x 座標上

の長さ 1 に対応させ, これを 12等分した各値に対応する y の値として定義されているので, 指数

関数と対数関数は互いに逆関数であることと合わせて考えると, これは当然の結果である。)

 では, どれくらい違っているかを表にしてみよう。ただし, この表の「振動数は何倍か」の欄は,

その音の振動数が「下のド」の振動数の何倍かを表し, 「セント」の欄は, その音の高さが「下の

ド」から何セント離れているかを表している。また, ピタゴラス音律は「ピタゴラスのコンマ」を

「ソ ♯」と「レ ♯」の間に置く慣習的な計算法を用いた。(よってもちろん, 「レ ♯」,「ラ ♯」,「ファ」

の「振動数は何倍か」欄の値は, 3ページ前の表のものと異なっている。 )

ピタゴラス音律 平均律音律 純正律 (ハ長調 )

音名 振動数は何倍か セント 振動数は何倍か セント 振動数は何倍か セント

ド 1 0 1 0 1 0

ド ♯37

211=

2187

2048; 1.07 ; 113.69 2

112 ; 1.06 100

レ32

23=

9

8; 1.13 ; 203.91 2

212 ; 1.12 200

32

23=

9

8; 1.13 ; 203.91

レ ♯25

33=

32

27; 1.19 ; 294.13 2

312 ; 1.19 300

ミ34

26=

81

64; 1.27 ; 407.82 2

412 ; 1.26 400

5

22=

5

4= 1.25 ; 386.31

ファ22

3=

4

3; 1.33 ; 498.04 2

512 ; 1.33 500 22 · 3−1 =

4

3; 1.33 ; 498.04

ファ♯36

29=

729

512; 1.42 ; 611.73 2

612 ; 1.41 600

ソ3

2= 1.5 ; 701.96 2

712 ; 1.50 700

3

2= 1.5 ; 701.96

ソ ♯38

212=

6561

4096; 1.60 ; 815.64 2

812 ; 1.59 800

ラ33

24=

27

16; 1.69 ; 905.87 2

912 ; 1.68 900

5

3; 1.67 ; 884.36

ラ ♯24

32=

16

9; 1.78 ; 996.09 2

1012 ; 1.78 1, 000

シ35

27=

243

128; 1.90 ; 1, 109.78 2

1112 ; 1.89 1, 100

3 · 523

=15

8; 1.88 ; 1, 088.27

ド 2 1, 200 2 1, 200 2 1, 200

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88 馬 場 良 始

この表を元に, 各音律の差をセントで表してみると, 次のようになる。

音名 (ピタゴラス音律 ) − (平均律音律 ) (ピタゴラス音律 ) − (純正律 ) (平均律音律 ) − (純正律 )

ド 0 0 0

ド ♯ 13.69

レ 3.91 0 −3.91

レ ♯ −5.87

ミ 7.82 21.51 13.69

ファ −1.96 0 1.96

ファ♯ 11.73

ソ 1.96 0 −1.96

ソ ♯ 15.64

ラ 5.87 21.51 15.64

ラ ♯ −3.91

シ 9.78 21.51 11.73

ド 0 0 0

この表から, これは作り方から当然のことであるが, 「ピタゴラス音律」と「純正律」の「ファ」

と「ソ」の音程が完全に一致する (「ファ」が一致する理由は, 「ピタゴラスのコンマ」を「ソ ♯」

と「レ ♯」の間に置いたため, 「ファ」を「上のド」の純正 5度下 (振動数2

3倍 ) として取った

ことによる ) だけでなく, 「レ」も一致していることが分かる。

 また, 合唱の授業や吹奏楽の部活等の経験のある方は, 「ド・ミ・ソ」の長3和音を奏でるとき,

『第3音の「ミ」の音のパートは低めに』という指導を受けたことはないだろうか? 表を見てみる

と, 「平均律音律」の「ミ」の音は純正律より 13.69 セントも高く, 平均律音律の音程に慣れてし

まっている我々が長3和音をきれいに響かせようとするとき, 意識的に「ミ」の音を低めに取らな

ければならないことが分かる。そして「ピタゴラス音律」の「ミ」の音は, 「平均律音律」よりさ

らに高い音であり, 「ピタゴラス音律」での長3和音は, 気持ちよく響き合った和音ではないだろ

うことが見て取れる。

 さらに, ヴァイオリン奏者で「純正律音楽研究会」代表もされていた玉木宏樹氏は [10] に於い

て (その内容は, 現時点では玉木氏のウェッブ・ページで読むことができる ), 『平均律音律は人

工的な音律なので, ヴァイオリンには向きません。平均律のピアノには堂々とピタゴラス音律で演

奏してください』と述べられている。ヴァイオリン・ソナタをヴァイオリンとピアノで合奏すると

き, 2人が違う音律で弾いていて大丈夫なのかという疑問が湧くが, 考えてみれば, ヴァイオリン

という楽器は, 低い方から「ソ」,「レ」,「ラ」,「ミ」の完全 5度間隔の 4つの弦を, 隣り合う 2

本の弦がきれいに響き合うように調弦する (したがって振動数比はきっちり 1 :3

2となり純正で

ある ) 楽器であり, 上記の表の通り, 純正 5度は約 701.96 セント。それに対し, 平均律音律で調

律されているピアノの完全 5度はちょうど 700 セントであるので, そもそも調律の時点から, こ

の2つの楽器は異なった音律なのである。さらに, ヴァイオリンは, 主にメロディーを担当するの

であるから, メロディーに適したピタゴラス音律を用いるのは, その点からも理にかなっているの

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ピタゴラス音律 89

かも知れない。また玉木氏はピタゴラス音律と純正律の性格の違いについて『協和を無視しても動

きを重視するピタゴラスは男性的, 協和を重んじて静的な美しさの純正律は女性的といえるでしょ

うか』と述べられ, ヴァイオリン演奏に於いては, 『 ♯ も ♭ もつかない 7つの音の音階の場合, メ

ロディックにはピタゴラス, 和声的な場合には純正律と使い分けて演奏します。タンゴもよく演奏

しますが, この時は目一杯ピタゴラスです。また, 4声体のコラール的な曲は (特に弦楽四重奏曲

の場合 ), もちろん純正律です。このように微妙な音程の違いでガラリと音楽の表情が変わること

がとてもすばらしく, 平板で変化のない平均律のピアノのピッチで奏くことは考えられません』と

述べられている。ピタゴラス音律は, 過去の遺産ではなく, 現代でも第一線で活躍している音律

だったのである。しかし, ピタゴラス音律のどこにメロディーを美しくする秘訣があるのだろう

か? 上の表で平均律音律と比較すると, 音程が高めの音が多いが, そのどこかに秘密が隠されて

いるのだ。

5. 講義の最後に

 ピタゴラス学派が取り組んだ「音高」と「数の比」の関係の研究は, その後中世にかけて音楽

論の中心的問題になった。プラトンを初めとする古代ギリシャ人は, この「数の比」の関係にこそ

「調和」 (ハルモニア harmonia : 「ハーモニー」の語源 ) の秘密があると考えた。つまり, こ

の世に存在するすべての根源には数理的原理があり, 宇宙の秩序であれ, 物質の構成であれ, 「徳

の高い魂」であれ, そこには「調和」があり, それは「数の比」で表せると考えた。そして, この

全世界に見られる「調和」の法則を解明することによって宇宙の秘密を解くことができるのだとも

考え, そのような「調和」の原則を学ぶ学問を「ムジカ」 (musica :「音楽」の語源 ) と呼んだ。

この場合の「ムジカ」はもちろん実際の演奏とは次元を異にする「思弁的音楽」の世界である。し

かし, その原則を理解しない者は真の音楽家とはみなされなかった。

 このような考え方は, 6世紀初頭に活躍したローマ人ボエティウスによって中世ヨーロッパに

紹介され, キリスト教にも受け入れられて教会付属学校の教科に組み入れられた。800年に皇帝と

なったカール大帝は, 教会や宮廷を中心に熱心に教育の重要性を説き, その結果, ヨーロッパ各地

に教会学校や修道院付属学校が普及していくことになるが, その際に高等教育の必須課目と考えら

れたのが「自由 7科」 (Seven Liberal Arts ) と呼ばれる

1. 文法

2. 修辞学

3. 弁証法

4. 算術 (基本的な数の関係を学ぶ )

5. 幾何学 (数の関係を平面に応用する )

6. 天文学 (天体の数学的関係を分析する )

7. ムジカ (宇宙全体の数的構成を分析する )

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90 馬 場 良 始

であった。12世紀になって, イタリアやフランスを中心に大学が誕生した際も, 究極の学問であ

る神学・法律学・医学に進む前に, 教養人と認められるためにもまず学ばなくてはならなかったの

がこの「自由 7科」である。15世紀になって, レオナルド・ダ・ビンチが, 「なぜ大学は音楽を教

えるのに, 美術は無視するのか」とぼやいたという話も伝えられている。

注 . 現在, 大学での人文科学・社会科学・自然科学を包括する専門分野 (教養学科 ) を意味す

るリベラル・アーツ ( liberal arts ) の起源は, この「自由 7科」である。ちなみに, リベ

ラル・アーツの原義は「人を自由にする学問」, つまり「それを学ぶことで非奴隷たる自由

人としての教養が身につく」というものである。

 そして, 日本語の「芸術」という言葉は, 明治時代初期の官僚・啓蒙思想家・教育者であっ

た西周が, リベラル・アーツの訳語として造語したものである。

 さて, 9世紀頃にスイスで, 複数の旋律を同時進行させるポリフォニー (多声音楽 ) が生まれ,

12世紀以降のゴシック期のフランスを中心に発展していった。さらに, 16世紀のルネサンス時代に,

ポリフォニーによる声楽が教会を中心に宗教曲の中で発展していった。ハーモニーを重視し, それ

を楽しむ音楽が, この時代からスタートしたと考えられる。初期バロック時代 ( 1600年~ 1650

年 ) には, より感情と結びついた音楽表現ということで, 不協和音も積極的に試みられる。このポ

リフォニー音楽の発展が, 「ピタゴラス音律」の弱点を明らかにし, そのマイナーチェンジを促す

ことになった。次回の講義では, その辺りについて解説する。

III. 講義に対する受講生の反応

 この講義で学んだことや感じたことを自由に記述してもらったところ, 下記のような意見が寄せ

られた。講義の目標はどうやら達成できているようである。(括弧内は学生の所属専攻名。)

• 数学と音楽がつながっているものだと知り面白かった。(幼稚園専攻)

• 数学が実際身近なところに使われていることを知りました。(幼稚園専攻)

• いつも使っている音が, 数学を使って定められたということが, とてもすごいなーと思いま

した。数学ってすごいです。(幼稚園専攻)

• 音楽がこんなにも数学を使っていたかを学びました。科目的に正反対な教科だと思っていた

ので驚きました。(幼稚園専攻)

• 音楽はすべて計算されたて音ができていることは, 少し考えたら分かるはずなのに, 今日の

授業で初めて気付かされた。(幼稚園専攻)

• 音は人が生きていく中で自然にできてきたものだと思っていたけれど, こうして綿密に計算

されて出来たことに驚いた。(幼稚園専攻)

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ピタゴラス音律 91

• 音楽は人が自然と口ずさんだり歌ったり踊ったりして生まれてきたものと考えていたので,

まさかこれほどまでに計算式が使われているとは思いもしませんでした。(幼稚園専攻)

• 私は吹奏楽をしていて, 後輩に音符の長さについて教えるとき, 「音楽は数学なんだよ」と

教えていましたが, ルートが出てきたり, sin が出てきたり, こんなにも数学と思っていな

かったので, 驚きました。(幼稚園専攻)

• ドからドに分割する仕組みに納得させられ感心しました。音が 12分割されている訳が知れ

てよかったです。(幼稚園専攻)

• 音楽というのは, すべて計算されて1つの美しい音楽, 曲ができあがるのだということを,

改めて学んだ。(幼稚園専攻)

• 音楽と数学というのは, あまり直接つながっているイメージはなかったけれど, 密接した関

係だと思った。(幼稚園専攻)(教育科学専攻)(国語教育)(美術教育)

• 音楽を数学の観点からみるというのは初めてで, とても新鮮でした。(幼稚園専攻)

• 音階は複雑な仕組みがあるんだなと分かった。数学者が, 音楽について深く考えていたこと

に驚いた。数学者の探求心は本当にすごいと思う。(幼稚園専攻)

• 私は小さい頃から音楽をやっていたので, 音楽についての昔の話を聞けて, 苦手な数学が楽

しく感じました。(教育科学専攻)

• 最も低音の出るピアノについて, 形から音までとても不思議で, 一度弾いてみたくなる魅力

を感じました。(教育科学専攻)

• 音楽と数学を関連させて考えるという, 今までにない授業で興味深かった。(教育科学専攻)

• ピタゴラス学派は倫理でも勉強していたので, 知らなかったことも新しく分かって良かった。

(教育科学専攻)

• 音律など, 音の高さと弦の長さが数学的な関わりを持って変化していっており, 今まで関係

ないと思っていた音楽と数学が美しく融合しているということを学ぶことができました。(教

育科学専攻)

• ピアノのあの独特の丸のある形は, 弦の長さと関係しているんだと思いました。「発見」が

できてうれしかったです。(教育科学専攻)

• 音楽という存在が数学に支えられているという事実だけで, 大いに学ぶことができたと思

う。(教育科学専攻)

• 音楽が数学と関係があるということはなんとなく知っていましたが, ここまで綿密な計算か

ら決められたピタゴラス音律などがあったことに驚きました。もう少し考える時間が頂ける

と嬉しいです。(教育科学専攻)

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92 馬 場 良 始

• 今あたりまえのようにやっている音楽がこんなに古くからこれだけ考えられているというの

に驚いた。音楽をやっているので, 音楽理論を勉強してみたいと思った。(教育科学専攻)

• 今までなにも考えないでピアノを弾いたりしていたが, 音律・1オクターブがどのようにし

て出来たかを知ることができ, とても勉強になりました。(教育科学専攻)

• 音楽を聴いたり, 音楽を奏でたりする際に数学のことを考えたりしないが, きちんと数学で

作られていてすごいと思いました。(教育科学専攻)

• ピタゴラス学派が音の高さに関してのルールを作っているのを聞いてびっくりした。むつか

しい数学でも身近なものに結びついていることに驚きました。(教育科学専攻)

• 今の音階の基礎が, かなり数学的考えに裏打ちされているものだと知らなかった。正直, 絶

対音感の人が発明したと思っていたからである。(教育科学専攻)

• 数学がこのように, 知らないところで係わっていることがあるなら, 知りたいと思った。(教

育科学専攻)

• 小さい頃からドレミファソラシドという音が当たり前のようにあったので, 改めてこのよう

なことを学ぶことができ, また作り方を知ることができてよかった。(教育科学専攻)

• 音楽は元々数学の応用という部分が1番印象に残りました。教科として見ると結びつきそう

もないものだけれど, 計算で音程を求めることができることなどが知れて勉強になりました。

(教育科学専攻)

• 数学で音楽のことをやるのは驚きましたが, 終わってみるとなるほど音楽の根源は数だな,

と思いました。(教育科学専攻)

• 音楽は偶然の産物のような印象を持っていたが, 今日の授業で音楽は論理的なもので, 緻密

な計算によって成り立っていると聞いて驚いた。(教育科学専攻)

• 私もピアノを弾くことが好きなのですが, 現在使われているピアノの音律を作ったのがピタ

ゴラス学派で, 2500年以上前のものだということに驚きました。そういったことわ考えると,

ピタゴラス学派の「万物の根源は数である」という言葉も, 深いなぁ, と感じました。確か

に, 今までも, 楽譜ってすごく数学的だなぁと思うことがあったので, 今日の講義はすごく

面白かったです。(教育科学専攻)

• 今まで意識していなかったが, 私達が当たり前のように使っているピアノにも音階を設定す

る上で数学が使われており, 身の回りのものに数学があふれていると感じられた。(教育科

学専攻)

• 私はピアノをやっているので, 音の話を数学から見て面白かったです。弦の長さのことなど

考えたこともなかったけれど, ピアノを弾くとき少し頭に浮かべてみようかと思いました。

(国語教育)

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ピタゴラス音律 93

• 算数の時間に, 「音楽と算数の難しいのとは係わってるんやで!」って伝えてみたいと思っ

た。(国語教育)

• 音楽の知識として知っていることも, 数学的に説明できることにびっくりしました。興味深

かったです。(国語教育)

• 数学の授業で「音楽」を聴くとは思わなかったが, 眠気もさめてよかった。(国語教育)

• 気付かないうちに, 私たちの生活の中には数学が深く関わり, 非常に重要な役割を果たして

いると感じました。音楽など, 身近な中にも, これだけ数学が潜んでいたことにものすごく

感銘を受けました。また理論だけではなく, 実際に音を聞くことで, 自分の耳で体験できた

のは良かったです。難しいですが, 面白かったです。(国語教育)

• 数学者は数学の世界のみを研究していると思っていましたが, 音楽の世界にも大きな影響を

及ぼしていたことを初めて知り驚きました。(美術教育)

• 音楽は感覚的なものというイメージがあるが, 実は数学というとても論理的なものによって

形作られている。このことから数学の及ぶ世界の広さが分かる。(特別支援)

• 専門が音楽で, ピタゴラス音律の定義や周波数に関することは知っていたため, それらの復

習になった。(音楽教育)

謝辞.

 声楽家の真木喜規氏にはこの論文を通読頂き, ピタゴラス音律と自然倍音列 (純正律) や平均律

音律との振動数の差異を記載すべき等のアドバイスを頂きました。また, 大阪市立大学特任教授の

住岡武先生には, Klavins Piano に関する取り扱い方でアドバイスを頂きました。さらに, 大阪教

育大学客員教授で広域大学知的財産アドバイザーの大西雅雄先生には, 著作権についてアドバイス

を頂きました。感謝致します。

参考資料

[1] 安藤洋美, 高校数学史演習, 1999, 現代数学社

[2] 岩宮眞一郎, CDでわかる 音楽の科学, 2009, ナツメ社

[3] 小方厚, 音律と音階の科学, 2007, 講談社

[4] 金澤正剛, 新版古学のすすめ, 2010, 音楽之友社

[5] カワイ音楽企画, すぐに役立つ 音楽用語ハンドブック – 音楽・教育・保育に携わる人々に –, 1999, カワイ楽器製作所・出版事業部

[6] 菊池有恒, 楽典 音楽家を志す人のための 新版, 1979, 音楽之友社

[7] 島岡譲, 和声と楽式のアナリーゼ, 1964, 音楽之友社

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94 馬 場 良 始

[8] 高田美佐子, 宮川彬良, 音楽耳実践ドリル!! CDでわかる楽典, 2009, ナツメ社

[9] 田辺保, パスカル伝, 1999, 講談社

[10] 玉木宏樹, 音階と音程、その歴史と謎, 弦楽専門誌「ストリング」に 2003年 9月から 2006年 3月まで計 31回にわたり連載, レッスンの友社

[11] 田村和紀夫, 名曲に何を聴くか, 2004, 音楽之友社

[12] 田村和紀夫, 新名曲が語る音楽史, 2008, 音楽之友社

[13] 田村和紀夫; 鳴海史生, 音楽史 17の視座, 2008, 音楽之友社

[14] 田村和紀夫, ビートルズ音楽論, 1999, 東京書籍

[15] 水嶋良雄, グレゴリオ聖歌, 1970, 音楽之友社

[16] 皆川達夫, 中世・ルネサンスの音楽, 1977, 講談社

[17] ドナルド・ジェイ グラウト; クロード・V. パリスカ (著), 戸口 幸策; 寺西 基之, 津上 英輔 (翻訳),グラウト/パリスカ 新 西洋音楽史〈上〉, 1998, 音楽之友社

[18] 新音楽辞典 楽語, 1977, 音楽之友社

[19] C. Debussy, Complete preludes Books 1 and 2, 1989, Dover publications, Inc.

[20] The Beatles complete scores, 1993, Hal Leonard Publishing Corportion and Wise Publications

[21] Gulsin Onay live on Klavins Mod. 370, Klavins KM007 (CD)

[22] Arturo Benedetti Michelangeli plays Debussy, Deutsche Grammophon 449 438-2 (CD)

[23] Gregorian Chant Gregorianischer Choral, Choralschola der Wiener Hofburgkapelle, P. Hubertt DopfS.J., Philips 32CD-36 (CD)

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この論文の続編として, 下記の2編が書かれています。

(1) 馬場良始, ピタゴラス音律から新しい音律へ – 小学校専門科目「数学」での実践 – ,

数学教育研究 42 (2013), 37–59.

(2) 馬場良始, 音律の探求 (16世紀以降)–小学校専門科目「数学」での実践– ,

数学教育研究 42 (2013), 61–85.