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37 INDO WATCHER Vol.54(2002.1) 昨年 12月、 バジパイ首相が来日されました。このコーナーを 担当されているアショク・チャウラ氏も、その際の首相同行通訳 として来日されました。今回は、『インド社会における女性の地 位』をお休みして、バジパイ首相の素顔が伺える貴重な体験を 手記にしていただきました。チャウラさんの人柄もよく分かるバ ジパイ首相訪日随行記です。 インドの社会を知る 22 今回、私は、バジパイ首相の訪日に通 訳として随行してもらうかもしれないから準 備しておくように、といわれていました。日 本に来たことはこれまでに20 回以上、長い ときには2 年、短いときは1日半の出張もあ りました。また、急な仕事で来日することも あったので、急いで準備することには慣れ ていますし、 私にとって日本はセカンド・ ホームなので特別な準備もいりません。 し かし、 首脳会談に限らず、会議ではどん な話が飛び出すか予測がつきません。 今 まで経験したトップレベルの会議でも、 た いていの場合スピーチ原稿が手に入るのが 開始数十分前というのは普通のことです。 そして、その内容が最終的にどこまでその まま使われるかはわからないのです。 今回、大変すばらしいチャンスが与えら れて、 本当に嬉しいという気持ちの反面、 もし本番でミスでもしたら大変なことになると 恐ろしいという気持ちもありました。 訪日が正式に公表され、 いよいよ出発 の時が近づいてくると、 いろいろな手続き であっという間に時間が過ぎてしまいました。 幸いに出発の数日前に森元総理が小泉首 相の特使として訪印し、バジパイ首相に会 われた時には通訳としてアテンドでき、出発 前の日本のプレスとの会見でも通訳を任さ れたので少しは心の準備ができました。 ま た、 忙しくて心配する暇もなかったことも一 つありがたいことだったと思います。 出発前夜になって、突然スピーチの資料 が手に入りました。 インドの国としての立 場、 取り上げられるポイントなどの方向性 について少し理解できるようになりましたが、 部厚い資料なので目を通すだけで朝となっ てしまいました。 そのまま、首相専用機が 待機する空港へと向い、車中の約1時間で バジパイ首相のそばで バジパイ首相訪日随行記 頭を冷やそうと思っていたら、ぐっすりと眠っ てしまいました。空港では、国際線の特別 ラウンジのわきに特設テントが張られ、 専 用機で随行する人のためのチェックイン・カ ウンターが用意されていました。 そこに集 まっているのは、あらゆる分野の優秀な人 たちです。荷物検査はテントの入り口のとこ ろで終わり、 それ以降はVIP 扱い。 10 もするとすべての手続きが済んでしましまし た。出発まで2 時間半もあり、ラウンジで待 つよりは搭乗してしまって仕事をしようと飛行 機の方に向かいました。その際、デリゲー ション・メンバー・パスをくれ、それを首か らぶら下げていればどこにでも自由に動け るようになりました。 専用機とはいっても普通の飛行機でした が、なんとなく広々としていて豪華な雰囲気 がありました。もらった資料をもう一度読もう と思っていると、ヒンディー語のスピーチ担 当者はすでに手元に一部原稿を持ってお り、これが最新版だという話し声が聞こえて きました。自己紹介をしてスピーチのコピー をもらうと、これがまったく違う内容でした。 最終的なスピーチ原稿を手に入れようと機 内を次から次へと紹介してもらうと、 5 分も するとその在り処にたどりつきました。専用 機ですから、 機内には簡単な事務所が設 置され、コンピュータもプリンタも使えるよう になっていました。 そして、半分以上の人 は静かに仕事をしていました。 私は初めて の経験でしたので、まずは自分のノート PC から機内プリンタで印刷できるかどうかを チェックしました。使ったことのないプリンタ でしたが、プリンタ・ドライバをインストール せずに印刷を実行したところ、 ちゃんとプリ ントアウトされたので、もう大丈夫だとほっと しました。 午前 10 10 分前、温かい声が機内放 送に流れると、 それがバジパイ首相を迎え るアナウンスでした。 私も自分の席にもど り、ちょうど出発予定時刻の10 時に飛行機 が動き始めました。離陸してから 20分後に ノート PC を開きスピーチの和訳をはじめま した。私の担当はヒンディー語から日本語 への通訳でしたが、 原稿を訳せば役立つ だろうと思ったのです。最初のスピーチを 半分以上訳したとき、事務関係者からこれ がスピーチの最終版だといって新しい原稿 を渡されました。 それまで訳したものと 1 以上変わっていましたが、どこがどう変更さ れたかわからないので、全体を和訳して印 刷をしておきました。 私のように機内で仕事をしていた人に は、スチュワーデスも邪魔をしないように食 事などは持って来ませんでした。そして、仕 事が終わったのを見計って、 何をお持ちし ましょうかと丁寧に聞きにきたのでした。専 用機の中ではどこにも書かれていない特別 ルールがあると感じました。 自分の仕事場 と同じように仕事ができる環境もそろってい ました。 ちょうど食事が終わった時、総理府の人 がきて、 「首相がスピーチの中でこの英文 の詩を使うかも知れないから大体の意味を ヒンディー語に訳してくれ」と言われました。 日本語にすると「泡」という詩でした。数字 や経済などと違って文学作品というのは、 単に言葉を置きかえればよいのではなく、 その面白さをそのまま伝えることがいかに 難しいかをはじめて体験しました。ヒン ディー語の専門家の助けを借りつつ、何と か翻訳をしました。 首相にみせる時には、 なんと言われるかと心配でしたが、翻訳は 誉めてもらいました。 しかし、首相自身が 言葉を選び仕上げをすると、 ヒンディー語 でも立派な作品となりました。 こんな近くで 接っしたのははじめてでしたが、さすが大 した詩人だと思いました。 大阪に着いて形式的な行事も終わり、ホ テルにチェック・インすると、すぐに携帯電 話を持たされました。部屋番号などはインド にいるときから決まっていたのでそのまま部 屋に入り、 翌朝まで予定は入っていなかっ たので、 ゆっくりしようと思っていたところ、 携帯電話が鳴りました。それから、 スピー チに関する打ち合わせが始まり、 最終ス ピーチができたのは朝の4 時。 これが、想像もできなかったことが次々と 続く 4 日間の始まりでした。ホテルのVIP ロアにあった首相の事務所もデリゲーション

バジパイ首相のそばでibcjpn.com/member/pdf/library/shakai/Vol.54.pdf最近の変わり種は、ホテル"Garden House"にある中華風・イン ド風の焼きそば、焼きうどんが食べられるお好みコース・レストラン。野菜・肉・麺などを自分で選んで、自分の好みの味付けで目の前

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Page 1: バジパイ首相のそばでibcjpn.com/member/pdf/library/shakai/Vol.54.pdf最近の変わり種は、ホテル"Garden House"にある中華風・イン ド風の焼きそば、焼きうどんが食べられるお好みコース・レストラン。野菜・肉・麺などを自分で選んで、自分の好みの味付けで目の前

37INDO WATCHER Vol.54(2002.1)

昨年12 月、バジパイ首相が来日されました。このコーナーを担当されているアショク・チャウラ氏も、その際の首相同行通訳として来日されました。今回は、『インド社会における女性の地位』をお休みして、バジパイ首相の素顔が伺える貴重な体験を手記にしていただきました。チャウラさんの人柄もよく分かるバジパイ首相訪日随行記です。

第    回

インドの社会を知る

2 2

今回、私は、バジパイ首相の訪日に通

訳として随行してもらうかもしれないから準

備しておくように、といわれていました。日

本に来たことはこれまでに20回以上、長い

ときには2年、短いときは1日半の出張もあ

りました。また、急な仕事で来日することも

あったので、急いで準備することには慣れ

ていますし、 私にとって日本はセカンド・

ホームなので特別な準備もいりません。し

かし、首脳会談に限らず、会議ではどん

な話が飛び出すか予測がつきません。今

まで経験したトップレベルの会議でも、 た

いていの場合スピーチ原稿が手に入るのが

開始数十分前というのは普通のことです。

そして、その内容が最終的にどこまでその

まま使われるかはわからないのです。

今回、大変すばらしいチャンスが与えら

れて、 本当に嬉しいという気持ちの反面、

もし本番でミスでもしたら大変なことになると

恐ろしいという気持ちもありました。

訪日が正式に公表され、いよいよ出発

の時が近づいてくると、 いろいろな手続き

であっという間に時間が過ぎてしまいました。

幸いに出発の数日前に森元総理が小泉首

相の特使として訪印し、バジパイ首相に会

われた時には通訳としてアテンドでき、出発

前の日本のプレスとの会見でも通訳を任さ

れたので少しは心の準備ができました。ま

た、忙しくて心配する暇もなかったことも一

つありがたいことだったと思います。

出発前夜になって、突然スピーチの資料

が手に入りました。 インドの国としての立

場、 取り上げられるポイントなどの方向性

について少し理解できるようになりましたが、

部厚い資料なので目を通すだけで朝となっ

てしまいました。 そのまま、首相専用機が

待機する空港へと向い、車中の約1時間で

バジパイ首相のそばで バジパイ首相訪日随行記

頭を冷やそうと思っていたら、ぐっすりと眠っ

てしまいました。空港では、国際線の特別

ラウンジのわきに特設テントが張られ、専

用機で随行する人のためのチェックイン・カ

ウンターが用意されていました。 そこに集

まっているのは、あらゆる分野の優秀な人

たちです。荷物検査はテントの入り口のとこ

ろで終わり、 それ以降はVIP扱い。 10分

もするとすべての手続きが済んでしましまし

た。出発まで2時間半もあり、ラウンジで待

つよりは搭乗してしまって仕事をしようと飛行

機の方に向かいました。その際、デリゲー

ション・メンバー・パスをくれ、それを首か

らぶら下げていればどこにでも自由に動け

るようになりました。

専用機とはいっても普通の飛行機でした

が、なんとなく広々としていて豪華な雰囲気

がありました。もらった資料をもう一度読もう

と思っていると、 ヒンディー語のスピーチ担

当者はすでに手元に一部原稿を持ってお

り、これが最新版だという話し声が聞こえて

きました。自己紹介をしてスピーチのコピー

をもらうと、これがまったく違う内容でした。

最終的なスピーチ原稿を手に入れようと機

内を次から次へと紹介してもらうと、 5 分も

するとその在り処にたどりつきました。専用

機ですから、 機内には簡単な事務所が設

置され、コンピュータもプリンタも使えるよう

になっていました。そして、半分以上の人

は静かに仕事をしていました。私は初めて

の経験でしたので、まずは自分のノートPCから機内プリンタで印刷できるかどうかを

チェックしました。使ったことのないプリンタ

でしたが、プリンタ・ドライバをインストール

せずに印刷を実行したところ、ちゃんとプリ

ントアウトされたので、もう大丈夫だとほっと

しました。

午前 10 時 10 分前、温かい声が機内放

送に流れると、 それがバジパイ首相を迎え

るアナウンスでした。 私も自分の席にもど

り、ちょうど出発予定時刻の10時に飛行機

が動き始めました。離陸してから20分後に

ノートPC を開きスピーチの和訳をはじめま

した。私の担当はヒンディー語から日本語

への通訳でしたが、原稿を訳せば役立つ

だろうと思ったのです。最初のスピーチを

半分以上訳したとき、事務関係者からこれ

がスピーチの最終版だといって新しい原稿

を渡されました。それまで訳したものと1割

以上変わっていましたが、どこがどう変更さ

れたかわからないので、全体を和訳して印

刷をしておきました。

私のように機内で仕事をしていた人に

は、スチュワーデスも邪魔をしないように食

事などは持って来ませんでした。そして、仕

事が終わったのを見計って、 何をお持ちし

ましょうかと丁寧に聞きにきたのでした。専

用機の中ではどこにも書かれていない特別

ルールがあると感じました。自分の仕事場

と同じように仕事ができる環境もそろってい

ました。

ちょうど食事が終わった時、総理府の人

がきて、「首相がスピーチの中でこの英文

の詩を使うかも知れないから大体の意味を

ヒンディー語に訳してくれ」と言われました。

日本語にすると「泡」という詩でした。数字

や経済などと違って文学作品というのは、

単に言葉を置きかえればよいのではなく、

その面白さをそのまま伝えることがいかに

難しいかをはじめて体験しました。 ヒン

ディー語の専門家の助けを借りつつ、何と

か翻訳をしました。首相にみせる時には、

なんと言われるかと心配でしたが、翻訳は

誉めてもらいました。しかし、首相自身が

言葉を選び仕上げをすると、 ヒンディー語

でも立派な作品となりました。こんな近くで

接っしたのははじめてでしたが、さすが大

した詩人だと思いました。

大阪に着いて形式的な行事も終わり、ホ

テルにチェック・インすると、すぐに携帯電

話を持たされました。部屋番号などはインド

にいるときから決まっていたのでそのまま部

屋に入り、 翌朝まで予定は入っていなかっ

たので、ゆっくりしようと思っていたところ、

携帯電話が鳴りました。それから、スピー

チに関する打ち合わせが始まり、 最終ス

ピーチができたのは朝の4時。

これが、想像もできなかったことが次々と

続く4日間の始まりでした。ホテルのVIPフ

ロアにあった首相の事務所もデリゲーション

Page 2: バジパイ首相のそばでibcjpn.com/member/pdf/library/shakai/Vol.54.pdf最近の変わり種は、ホテル"Garden House"にある中華風・イン ド風の焼きそば、焼きうどんが食べられるお好みコース・レストラン。野菜・肉・麺などを自分で選んで、自分の好みの味付けで目の前

38 INDO WATCHER Vol.54(2002.1)

ムンバイ NOW世 界 の 料 理 が 集 ま る ム ン バ イ へ よ う こ そ

2001年 10 月、ムンバイのオベロイ・ホテルに、アメリカの"紅

花"で働いたことのあるタイ人シェフが料理する『鉄板焼きレストラ

ン』、その名もインディ・ジョーンズならぬ" インディア・ジョーンズ

" がオープンし、好評を博している。同店のビーフの鉄板焼定食

には、ごはんと味噌汁がついてくる。ごはんはタイ産日本米。

ムンバイには、バンガロールの" ダリア(天竺牡丹)"、チェンナイ

の " 赤坂"、"天竺牡丹"、ニューデリーのホテル ・ニッコーの"さ

くら"や"田村"のような日本食レストランがなかったため、ようやくこ

こまできたかの感がある。

ムンバイでは、日本食料理の他には、国際色豊かな下記のレス

トランがお勧め。

☆ コンチネンタル Indico、 Athene、 Side Walk

☆イタリア料理 Frangipani (オベロイ)、Little Italia

☆中華料理 O r i e n t a l B l o s s o m (マリン・プラザ) 、

Ling Pavilion、 Ming Palace、Kamlin (水炊き)

☆メキシコ料理 El Mexicano (オベロイ)

☆タイ料理 Thai Pavilion (プレジデント)、Sanuk Thai)

最近の変わり種は、ホテル"Garden House" にある中華風・イン

ド風の焼きそば、焼きうどんが食べられるお好みコース・レストラン。

野菜・肉・麺などを自分で選んで、自分の好みの味付けで目の前

で料理してもらうというもの。小奇麗な店の様子といい、料理の仕

方といい、インドとは思えない雰囲気である。

また、映画館近くには往年の映画スターのスチール写真を壁に

貼った、映画喫茶、映画レストランという雰囲気の、映画好きには

うってつけのレストランもオープンした。

加えて"Barista" というドドールコーヒー、いやスターバックスもどき

のコーヒー ・ショップ・チェーンが町角のあちこちに開店し、しばし

インドを忘れさせてくれる。

一方、ファスト・フードの外資系レストランはマクドナルド、 ドミノ・

ピザなどがあり、 いずれも若者、家族連れでにぎわっている。ハン

バーガーは勿論、

目 の 前 で 鉄 板 焼 の 技 が 見 ら れ るレストラン “イ ン デ ィ ア ・ジ ョ ー ン ズ ”

チキンと野菜で牛肉

は使っていない。

かつて、インド人

はインド料理しか食

べず、なかなか他の

料理を食べないと

か、手で食べる習慣

があるので、中華を

はじめ外国料理はな

じまないといわれてい

たが、ムンバイのような

大都会では今やそれ

は昔話だ。 S.I (日系企業ムンバ イ駐在員)

事務所も24時間動いていて、電話、ファッ

クス、コピー機は何台もありましたが、いつ

行っても順番待ちでした。しかし、どんな偉

い人も事務方も協力的で、「こういうことで

困っている」と助けを求めると、すぐ適切な

人に連絡をとってくれてその場で問題解決。

最初のスピーチが計画通り無事に終わる

と、次は在日インド人と日本人が多く集まっ

てくれた歓迎のレセプション、大阪城見学、

大阪府知事とのレセプション、東京に移っ

てからは小泉首相への表敬訪問、天皇へ

の謁見等々、 次から次へと忙しいスケ

ジュールが続き、部屋に戻って少しでも時

間があれば次のスピーチの準備。すべて

のスピーチは和訳、コピーして配布する決

まりでしたので、滞在期間中に私がとった

全睡眠時間はついに2、 3 時間にしかなり

ませんでした。 そんなスケジュールでした

から食欲もなくなりました。しかし、面白い

ことに一度もきついとか、大変とか思ったこ

とはありませんでした。

2 日目からはスピーチに関して首相との

連絡が効率的になり、 実際にスピーチの1時間か 2 時間前に首相のところに呼ばれ、

スピーチをどこで区切るかなどの打ち合わ

せができました。首相は原稿なしのスピー

チが得意なことで知られています。私もそ

れを体験しました。しかし、原稿なしで話

すと通訳が困ることは、首相自身もよくわ

かっているということも知りました。原稿から

離れる場合にはちゃんと合図をしたり、 簡

単な言葉使いをしたり、 ゆっくり話すなど、

自ら通訳に対して配慮をしてくれていまし

た。そして、次のスピーチのときからは部

屋から現場に向う途中でいろいろと話をしな

がらチューニングを深めてくれました。

首相の鋭い知能も目の当たりにしました。

首相の周りにはいつも優秀なアドバイザー

が少なくとも5、6 人はついています。首相

は、 彼らからあらゆるテーマに関するアド

バイスを受け、 それらを素直に聞きます。

ほとんどの場合いっさい反応はしません。

ただし、本番のスピーチではスピーチ前に

指摘された点はすべて、 首相自身の言葉

で表現されていました。 「郷に入っては郷

に従え」。日本の習慣、風習に従い、出

された食事にはすべて口をつけてみる。自

分の意見をはっきりと伝えながら、相手のこ

とをよく聞き、理解してあげたりと、とても印

象深い態度でした。

私は、出発してから日本で最後の行事が

終わるまで、1度も空を見ることもなく、大好

きな日本食も食べることなく帰りの飛行機に乗

りましたが、2度とできない短くも長い4日間

だったと思いました。深い経験をたくさん積

むことができました。首相と一緒に働く人たち

によれば、何もいわれないというのは、よく

できたということ、一方、何かミスをした場合

には必ずペナルティがあるそうです。

今回随行してみて、首相は同じ人間なが

ら、やはり違う人間だと感じました。頭の回

転の速いこと、どんな質問に対してもバラン

スのとれた適切な回答をすること、答えるべ

きことは瞬時に回答し、不適切な場合には

反応しないこと、目を閉じていてもすべてが

見えている、聞いていないように見えるとき

でもすべてが聞こえている、怒りの代わりに

機知をもって返すことなどは、数多い特徴

の中から特に指摘できるものです。

バジパイ首相は本当の意味の政治家

(Statesman)といえます。

( 執筆アショク・チャウラ、監修加藤)