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エレン・ケイ (1849-1926)
『児童の世紀』
「20世紀は児童の世紀」
ペスタロッチ (1746-1827)
『隠者の夕暮れ』 「玉座の上にあっても、木の葉の陰に住まっても」
「生活が陶冶する」
フレーベル (1782-1852)
『人間の教育』 「すべてのもののなかに、永遠の法則が宿り、働き、支配する」
「幼稚園(Kindergarten)の創設者」
「恩物(Gabe)を考案」
モンテッソーリ (1870-1952)
『子どもの発見』(1948)
1907年「子どもの家」を設立
ロック (1632-1704)
白紙説(タブラ・ラサ) 『人間悟性論』『教育論』
コメニウス (1592‐1670)
『大教授学』(1657)
『世界図絵』(1658) 世界最初の絵入りの教科書
直観教授= 実物を提示して子どもの感覚に働きかける。
ルソー (1712-1778)
『エミール』 (1762)
子どもの発見者
オーベルラン (1740-1826)
世界で一番古い保育施設『幼児保護所』を『編物学校』内に開設。
オーウェン (1771-1858)
自身の経営する紡績工場内に「性格形成学院」を創設(1868)
デューイ (1859-1952)
シカゴ大学実験学校
「問題解決学」・コアカリキュラム
『学校と社会』(1899)
ブルーナー
『教育の過程』(1960)
発見学習!
スキナー(1904- 1990)
プログラム学習:(オペラント条件付け)を基本原理とする学習法。
キルパトリック(1871-1965)
プロジェクトメソッド “See Plan Do See”
パーカスト (1887-1937)
モンテッソーリ・メソッドに着想を得て、ドルトン・プラン(実験室案)を創始(1920)。
Cf. ウィネトカプラン:
ウォッシュバーンが提唱:必修すべき基本教材:個人差に応じた自学自習を中心、学習進度に応じて進級。
ソクラテス 470-399B.C.
「無知の知」
「産婆術」
プラトン 427-347B.C.
『ポリティア(教育論)』
「アカデメイア」 創設
ヘルバルト (1776-1841)
教育目的は倫理学から、教育方法は心理学から!
4段階教授法 (明瞭-連合-系統-方法)
ハッチンス (1899 –1977)
『学習社会』(1968) 「価値の転換に成功した社会をつくらなければならない!」
ラングラン (1910~2003)
『生涯学習入門』(1965)
ユネスコ成人教育推進会議で 「生涯教育論」を提唱。
貝原益軒 (1630-1714)
教育書の『養生訓』、『和俗童子訓』、『五常訓』。
日本のJ・ロック!
倉橋惣三 (1882-1955)
『幼稚園雑草』 『幼稚園保育法眞諦』
児童中心主義 倉橋VS城戸
「生活を生活で生活に」
城戸幡太郎 (1893-1985)
保育問題研究会の会長。庶民の子ども達の生活に目をむけた「社会協力の訓練」を説いた。
倉橋惣三の児童中心主義に対し、社会中心主義とも呼ばれる。
倉橋VS城戸
赤澤鐘美(仲子夫人) 1867-1937
新潟静修学校創設
伊沢修二 1851-1917
『楽石全集』
明治・大正期の日本の教育者、教育学者。近代日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者
松野クララ 1853-1941
東京女子師範学校付属幼稚園は、文部大輔の田中不二麿が東京女子師範学校長中村正直の協力を得て開設したもので、ドイツ人松野クララを主任保母として、フレーベルの恩物を主体とした保育が行われた。
森有礼 1847-1889
初代文部大臣(1885)
初代文部大臣として「諸学校令」をとおして国家主義教育政策を成立させた人物。
私塾創設者
福澤諭吉:慶應義塾(1858)
緒方洪庵:滴々斎塾(1838)
吉田松陰:松下村塾(1856)
シーボルト:鳴滝塾(1842) 吉田松陰
緒方洪庵 福澤諭吉
シーボルト
八大教育主張(1921)
1.樋口長市:「自学教育論」 2.河野清丸:「自動教育論」 3.手塚岸衛:「自由教育論」 4.千葉命吉:「一切衝動皆満足論」 5.稲毛金七:「創造教育論」 6.及川平治:「動的教育論」 7.小原國芳:「全人教育論」 8.片山伸:「文芸教育論」
山本 鼎(かなえ) 1882-1946
自由画教育運動
自由画教育運動の展開 1921-1933
山本の提唱した自由画教育運動は全国的に教育現場で迎えられた。長野県では当時盛り上がっていた自由教育・個性教育思潮があることもあり、自由画教育運動は急速に普及した。
荻生徂徠 1000-1000
江戸時代の儒学者 主著:『弁明』 『弁道』
石井十次 1865-1914
岡山孤児院(1887)
石井亮一 1867-1937
知的障害児施設・滝乃川学園(1891)
高木憲次 1888-1963
1932年「光明学園」 (日本初の肢体不自由児学校)を設立
1942年「整肢療護園」)を設立
留岡幸助 1864~1934
明治・大正・昭和初期の社会事業家。
岡山県高梁市出身。同志社大学卒業。京都丹波第一教会の牧師を経験後、北海道空知集治監の教誨師に就任。囚人達との面談・調査、および欧米の動向研究により、監獄改良よりも根本的な対策と感じ取った少年感化事業に関心を持ち、明治32年に東京巣鴨に
「家庭学校」を創立し、少年の感化事業に尽力した。また、大正3年には自己の社会事業の集大成として、
感化部と理想農村から成る「北海道家庭学校」を設立した。
糸賀一雄 1914-1968
近江学園 びわこ学園
「この子らを世の光に」知的障害者福祉の父
野口幽香(ゆか) 森島峰(美根)
二葉幼稚園
二葉保育園は、1900年(明治33)に華族女
学校付属幼稚園に勤務していた野口幽香と森島美根によって設立された。二人は貧児にも華族幼稚園の子どもたちと同じ様に保育したいと願い、麹町の借家で6人の子どもたちを集めて開園した。