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1 マサイのローカル NGO による代替儀礼の分析 ―「教義」の内容に着目して― 大阪府立大学人間社会システム科学研究科 林 愛美 はじめに マサイ(Maasai)は、東アフリカのケニア共和国西部からタンザニア連合共和国北部に 至る高原地帯に居住し、マサイ語 1 を使用する人びとである。乾燥・半乾燥帯に暮らす彼ら は、牛牧畜を中心的な生業とし、独自の社会、文化を築いてきた。 マサイの社会では、通過儀礼の際、男女に割礼/性器施術が課される。マサイの社会にお いて割礼前の子どもは生殖に関わることはできない(Talle 1988:111)。特に性器施術を受 けていない女性が妊娠した場合は、堕胎が強制されるか、ただちに施術が行われる(リード 1988:115-116)。マサイの社会において通過儀礼として行われてきた慣習であるが、世界保 健機関(World Health Organization: WHO)によると、女性の性器施術は心身に深刻な弊 害を与える(WHO Website)。そのため、「国連女性の 10 年(United Nations Decade for Women)」中間年にあたる 1980 年にコペンハーゲン世界女性会議において議論がなされ 1 マサイ語は、東ナイル系に属するマア語の下位言語であるケニア南部マア語(Sommer and Vossen 1993:32 )の慣習的な呼び名である。

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マサイのローカル NGOによる代替儀礼の分析

―「教義」の内容に着目して―

大阪府立大学人間社会システム科学研究科

林 愛美

はじめに

マサイ(Maasai)は、東アフリカのケニア共和国西部からタンザニア連合共和国北部に

至る高原地帯に居住し、マサイ語1を使用する人びとである。乾燥・半乾燥帯に暮らす彼ら

は、牛牧畜を中心的な生業とし、独自の社会、文化を築いてきた。

マサイの社会では、通過儀礼の際、男女に割礼/性器施術が課される。マサイの社会にお

いて割礼前の子どもは生殖に関わることはできない(Talle 1988:111)。特に性器施術を受

けていない女性が妊娠した場合は、堕胎が強制されるか、ただちに施術が行われる(リード

1988:115-116)。マサイの社会において通過儀礼として行われてきた慣習であるが、世界保

健機関(World Health Organization: WHO)によると、女性の性器施術は心身に深刻な弊

害を与える(WHO Website)。そのため、「国連女性の 10年(United Nations Decade for

Women)」中間年にあたる 1980 年にコペンハーゲン世界女性会議において議論がなされ

1 マサイ語は、東ナイル系に属するマア語の下位言語であるケニア南部マア語(Sommer and Vossen

1993:32)の慣習的な呼び名である。

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て以降、賛否を巻き起こしながらもこの慣習を廃絶するための運動が世界レベルで展開さ

れてきた(富永 2004:170-173)。

国際社会の動きを受けて、ケニアでも国内外の非政府組織(Non-Governmental

Organizations: NGO)が廃絶運動を行い、2001 年に女性の性器施術(Female Genital

Mutilation/Cutting: FGM/C2)は法律で禁止された。また、マサイが多く暮らすナロク州

(Narok County)においても現地の人びとの主導でローカルな FGM/C廃絶運動が展開さ

れている。中でもケニア政府や各 NGO が注目し、実施してきたのが代替通過儀礼(以下、

代替儀礼)というプログラムである。これは、NGOなどが FGM/Cを伴わない儀礼を提案

する FGM/C廃絶手法の一つであり、ケニアでは国内NGOと国際機関との共同で 1996年

に初めて実施された(Mohamud and Radeny et al 2006:77)。

これにならい、1999 年に立ち上げられたマサイのローカル NGO もナロク州で代替儀礼

を行っている。同NGOによる代替儀礼は、マサイの社会と通過儀礼の知識を十分に有する

マサイのスタッフによって構築されている。しかしその内容は他の NGO のものと似てお

り、4日間の啓発教育と FGM/Cを代替するためのキリスト教式のお祈りが行われるのみで

2 本稿では、女性の性器施術を表す言葉としてFemale Genital Mutilation / Cuttingの略称であるFGM/C

を使用する。FGM/Cは他にも「女子割礼(Female Circumcision、FC)」や「女性性器への切れ込み(Female

Genital Cutting)」など様々な用語があり、論者の立場に応じて選択的に使用されている。FCは慣習が行

われている文化的文脈を重視する用語であり、FGC は行為の暴力性に言及しつつ現地の人びとの営みを批

判することへの配慮を有する中立的な立場であるとされる(UNICEF 2013:7)。一方FGMは、Mutilation

(切除)の語が示すようにこの行為の残虐性や暴力性を強く非難する用語であり、この慣習を行っている人

びとに対する配慮に欠ける用語であるという批判もある(宮脇 2007:281)。筆者の立場としては FGC を

使用したいが、マサイの慣習は外性器をそぎ落とすなど明らかに「性器への切れ込み」では表せない行為を

含んでいる。そのため本稿では、UNUCEFやUNFPAが近年ハイブリッドな用語として使用しているFGM

とFGCと合わせた造語であるFGM/C(UNICEF 2013:7)を使用する。

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ある。このプログラムは様々な面においてマサイの通過儀礼とは大きく異なっており、通過

儀礼に代わるものとなるかどうかは疑問である。

そこで本稿は、マサイの代替儀礼が FGM/Cを含む通過儀礼を代替しうるかについて検討

することを目的とする。そのため、マサイのローカルNGOが行う FGM/Cの代替儀礼にお

いて特にその理念が色濃く表れていると考えられる 4 日間の講習の内容に着目しながら分

析する。そして、マサイの活動家による FGM/C廃絶の理念を読み解き、民族社会の伝統的

価値と比較しながらプログラムが代替儀礼として機能しているかどうかについて考察する。

1. マサイの社会における FGM/C

1.1 現地調査

本稿で使用するデータは、ケニアのマサイの集落にて参与観察と聞き取り調査を行って

収集した。現地調査は、2012 年 12 月~2016 年 1 月にかけて断続的に合計 11 か月間行っ

た3。調査地は、ケニアのリフトヴァレー地域(Rift Valley)ナロク州、ナロク北部(Narok

North Constituency)にある人口約 1400 名(当時)の村である4。特に FGM/C について

は、調査地の既婚女性 21 名と未婚女性 3 名の合計 24 名を対象に、自らの FGM/C 経験に

関する半構造化インタビューを行った。インタビューの内容については調査助手やインタ

3 本稿に関わる調査は「2015 年度竹村和子フェミニズム基金」および「日本学術振興会特別研究員奨励費

(科研費領域番号15J06996)」の支援を受けて可能となった。 4 本稿では、現在ケニアで違法とされている慣習についての調査結果を提示する。住民のプライバシー保護のため、調査地の詳細な位置や名前は明らかにできない。

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ビュイーの親族など最低 3 名ずつに対してできる範囲での事実確認を行った。女性の成人

儀礼(以下、成女儀礼)および FGM/Cについては、このインタビュー結果を中心に記述す

る。

1.2. マサイの社会と身体加工

ローカル NGOが行った代替儀礼について分析するため、ここではマサイ社会の通過儀礼

とそれを規定している年齢体系について記述する。

マサイの人びとは、年齢体系と呼ばれる制度に従った一生を送る。年齢体系は年齢階梯

(age grades)と年齢組(age sets)から成る。年齢階梯は時系的に連続する社会的地位で

あり、年齢組は割礼を受けた男性だけが加入する組織である(Spencer 1993:140)。人びと

は、年齢階梯に応じて立ち居振る舞いを劇的に変化させる。

男性の年齢階梯は主に 3段階から成る。男性は出生から割礼を受けるまでを「少年」とし

て、割礼を含む通過儀礼を経てから結婚するまでを未婚の青年である「モラン」5(olmurrani:

複数 ilmurran)として、結婚してから死ぬまでを「長老」として過ごす。全ての男性は割

礼を受けると年齢組に所属し、その後は年齢組の仲間と集団で年齢階梯を移行する。

一方、女性は年齢組を組織せず6、男性に依存した形で社会的に位置づけられる。女性は

結婚するまでを「少女」として過ごし、成女儀礼の終わりに結婚すると「成人女性」の年齢

5 先行研究においてモランは「戦士」などと訳されてきたが、中村(2011)はモランに戦士の意味合いがな

いことを指摘し、カタカナでモランと表記することを提唱しており、近年のマサイ研究(目黒 2014、林 2018)

ではモランと表記する傾向がある。 6 タンザニアに暮らすマサイの下位集団Parakuyoの社会においては、例外的に女性が年齢組を組織すると

報告されている(Mitzlaff 1994)。

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階梯になる。女性は結婚して初めて成人の階梯へと移行することができる(Spencer

1998:141-143)。マサイの社会には性別役割分業制度があり、人びとの活動内容と行動領域

は年齢階梯に基づいて規定される。

マサイの人びとは、年齢に応じて身体に加工を施していく。子供は 10歳頃までに下の前

歯を二本ほど抜かれる。大人たちは村の中で下の前歯が生えている子どもを見つけると、ス

プーンなどを使って素早く抜歯をする。その後は体に焼印を施す。子どもたちは大人のいな

い場所に集まって自分たちだけで焼印を行う。焼印の方法は、小さな布を丸めて先端部を熱

し、それを腕や足など印をつけたい部分の皮膚に押し当てて火傷の跡を付ける、というもの

である。

その後、耳にピアスを開ける。ピアスは、抜歯や焼印など幼少期の身体加工とは異なり、

通過儀礼を受ける資格が与えられたことを公に表す印であるため、父親の許可が必要であ

る。耳たぶや耳の軟骨への加工は、熱した鉄やナイフを使って大人が行う。

耳にピアスを開けるといよいよ通過儀礼が行われる。通過儀礼において最も重要なこと

はエムラタ(emurata)である。エムラタはマサイ語で男女の性器変工を意味する。男性の

エムラタは陰茎の包皮切除(割礼)であり、女性のエムラタはクリトリス切除と大陰唇およ

び小陰唇の切除を伴う FGM/Cである。マサイの社会ではエムラタによって子ども時代のよ

ごれ(dirt / oloirerio)を取り除くことで大人になれると考えられている(Talle 1988:105)。

マサイの社会において子どもと大人を分かつ最大の特徴は、生殖に関わることが社会的に

認められるかどうかである。性的に未分化な存在とされている子どもが性器に加工を施す

ことで、男女どちらかのジェンダーを手に入れるとされている。そのため、この行程が生殖

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に関わることを承認させる契機となっているのではないかと考えられる。なお、通過儀礼以

降に人びとが再び身体に加工を施すことはない。

1.3. マサイの成女儀礼における FGM/C

男性にとって通過儀礼は、割礼を受けた男性のみで組織される年齢組への加入儀礼でも

ある(Spencer 1988)。男性の場合、割礼を受けるとモランとなり、その後は数年にわたっ

て食事や性行動などについて様々な決まりを守って過ごす。数年間にわたっていくつもの

儀式が執り行われる男性の通過儀礼は人類学的関心を集め、様々な研究(Jacobs 1965=cf.

Hodgson 2004, Spencer 1988, 1993)が蓄積されてきた。

一方、成女儀礼については Talle(1988)とMitzlaff(1994)を除けば体系的な記述はほ

とんど見られない。本稿では、以上の文献のほか、いくつかの先行研究(Spencer 1988, リ

ード 1988)に見られる断片的な記述にあわせて、筆者のこれまでの調査結果をもとにマサ

イの成女儀礼と FGM/Cについて記述する。

少女が思春期を迎え、第二次性徴期に入ると、成女儀礼を受ける準備ができたとみなされ

る(Talle 1988:104)。FGM/Cを含む通過儀礼は、少女が新婦という新しい地位となり、

再生産のステージに入ることを意味する(Talle 1988:108)。少女の母親たちが儀礼の具体

的な時期を相談した後、保護者が儀礼にかかる費用を準備する(リード 1988:117)。儀礼

の各プロセスの内容は地縁組織や血縁組織(クラン)によって若干の差がある。本稿ではケ

ニアのマサイの中で最大の下位民族であるプルコ(Puruko)の人びとを対象としている。

プルコの通過儀礼は以下の順序で執り行われる

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①儀礼開始の合図

儀礼の開始を示す儀式として、儀礼を控えた少女の家の前にオリーブの枝が二本置かれ

る。クランによっては、儀礼用のベッドを作るために近所の女性たちがオリーブの木と葉を

森に取りに行く。もしくは、祝宴のための地酒造り用の水を川に汲みに行くことが儀礼開始

の合図とされる。

②剃毛

儀礼初日の夜に少女は髪の毛を全て剃り落とされる。これは FGM/Cに備えて少女期の髪

の毛を取り除くためである。少女はこれ以降、儀礼が終了するまで何か月間も髪の毛を伸ば

したままにしなければならず、髪を洗うことも許されない。

③沐浴

翌早朝、少女は施術前の沐浴をする。川に近い家の娘は川へ沐浴へ行く。それ以外の家庭

では家で水浴びをする。早朝に冷たい水で沐浴することには、体の感覚を麻痺させる麻酔的

な効果が期待されているという。

④FGM/C

その後、FGM/Cが行われる。施術は母親の家の扉の外、もしくは家の中で子牛小屋(olale:

複数 ilaleta)にて行われる。施術を受ける際、少女は 3 人の既婚女性に体を取り押さえら

れる。2人が少女の足首を押さえ、残る一人が背中側から少女の太ももを抑える。体を支え

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た女性たちには謝礼として家畜の肉が贈られる。女性と幼い子どもたちは施術を見学でき

る。既婚女性が施術師に対して「もっと切れ!」といった野次を飛ばすことも少なくないと

いう。

施術はエンカムラタニ(enkamuratani: 複数 inkamuratak)と呼ばれる熟練した年配の

女性施術師が行う。施術師は集落で大変尊敬を受ける職業であり、彼女には十分な謝礼が支

払われなければならない。

FGM/C の方法には地域差や年代差があるが、調査地では 1990 年代まではクリトリスと

小陰唇および大陰唇の切除が行われていたようである。それが 90年代以降はクリトリスの

みの切除に変化している。

施術師は剃刀を使って切除する。民族誌(Talle 1988, Mitzlaff 1994)の記述および調査

地の古老の証言によると、かつてはトタンを研磨して作った剃刀(olmurunya: 複数

olmurunyani)が使用されていた。しかし調査地では、1980 年代以降になると工業製品の

剃刀が使い捨てされるようになっていたようである。1990 年代以降は薬局などで購入でき

る医療用ナイフが用いられている。

施術が終わると、その日のうちに村人を招いての祝宴が盛大に行われる。女性たちは少女

の多産を祈るための歌をうたう。FGM/Cは新しい成人の誕生を意味し、マサイの人びとに

とって子どもの成長と幸福を連想させるものである(Talle 1988:106)。

親は、娘のために小家畜を屠畜する。施術後は治療のために羊の脂肪を食べることが良い

とされているため、たいていは羊が屠られる。羊の脂肪は少女のために調理され、尻尾の部

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分の肉は施術師に贈られる。肉の部分は施術時に少女の体を支えた女性 3 名に贈られ、残

った部位は祝宴のために調理される。

⑤隔離期間―リミナルな地位

FGM/Cを終えた少女は、エンカイバルタニ(enkaibartani, 複数 inkaibartak)と呼ばれ

る少女と成人女性の中間の地位になる。彼女は母親の家に留まるが、様々な決まりを守って

非日常的な行動を取る。

施術を終えた少女は 2 週間から 1 か月程度、傷が治るまで療養する。療養中の少女に与

えられる食事は家畜の脂肪のほか、ミルクや肉など栄養価の高いものである。エンカイバル

タニには「世話される人」という意味があり、傷が癒えるまでは出産直後の女性と同じよう

な配慮をすることが求められる(Talle 1998:106)。

施術の傷が癒えると、エンカイバルタニは特別な衣装を身に着け、友人や親戚を訪ねて回

る。彼女は家の外に出るときには必ず頭や首に儀礼用の装身具をつけていなければならな

い。

エンカイバルタニはほとんどの時間を集落の成人女性とともに過ごし、成人女性の仕事

や振る舞い、生き方について学ぶ。彼女はこの期間を通して来るべき結婚生活に備えること

が期待されている。一方、少女時代に行動を共にし、恋人関係を結んでいたモランたちとは

交流しなくなる。

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エンカイバルタニは、体や衣服に家畜の脂を塗って常に光沢を保つようにしなればなら

ない。このために少女の親は儀礼期間中、定期的に屠畜を行う。たいていの少女は、1~4か

月程度をエンカイバルタニとして過ごす。

⑥結婚

結婚が決まると、リミナルな地位は終了する。たいていは儀礼が始まるときには少女の結

婚は調整されているものである(Talle 1998:108)。少女がエンカイバルタニとしての髪の

毛を剃り落とすと次の日に結婚相手の一団が実家に到着して結婚式となる。結婚儀礼の始

まりとともに通過儀礼は終了する。

家庭によって若干の差はあるものの、プルコ・マサイの成女儀礼は概ね以上のようなプロ

セスで執り行われる。マサイの FGM/C は出産の準備として行われることが明白である。

FGM/Cを受けていない女性が妊娠してしまった場合、直ちに FGM/Cが施される。かつて

は堕胎が強制されていたほどである。一方、FGM/C を受けていれば未婚であっても、生物

学的父親が誰であっても女性の妊娠はそれほど問題にはならない。また、女性が結婚するに

あたって処女であることは全く期待されていない(リード 1988:115-116、Talle 1988:110)。

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2. FGM/C廃絶運動

2.1. FGM/C廃絶運動と禁止法

マサイの例で示したように、通過儀礼としてアフリカの諸社会で行われてきた FGM/Cで

あるが、古くは 17世紀頃から西洋の医師や宣教師によって医学的・道徳的理由から非難さ

れてきた(富永 2004:170)。ケニアでは植民地期に Local National Council による FGM/C

規制やキリスト教会による反 FGM/Cキャンペーンが行われたが、地元の人びとによる激し

い抵抗が起きて挫折している(プレスリー 1999、額田 2000、2010、Thomas 2003)。特

にケニア中央部におけるキャンペーンへの強い抵抗は、独立教会運動と結びついてケニア

の独立運動へと取り込まれていった(額田 2000:56)。こうした経緯から、サハラ以南アフ

リカにおける反 FGM/Cの議論は 1980年代まで沈静化していた。

ケニア独立以降になると、1970 年代に醸成されたラディカル・フェミニズムの影響を受

けた FGM/C廃絶の議論が登場する。1975~85年にかけて採択された「国連女性の 10年」

期になるとWHOを窓口とした FGM/C廃絶運動が動き出した(富永 2004:170)。「国連

女性の 10 年」の中間年にあたる 1980 年には、コペンハーゲンで開かれた世界女性会議に

おいて FGM/Cが取り上げられた。しかしながら、120か国から 8千人が参加したNGOフ

ォーラムで欧米のフェミニストが FGM/Cを極めてセンセーショナルに取り上げたため、こ

れに抗議したアフリカ地域のフェミニストたちが会議をボイコットする事態に発展した

(宮脇 2007:272)。この会議において、以前から問題視されていた欧米のフェミニストに

よる FGM/Cの扱い方に対し、自文化中心主義やレイシズム、そして新植民地主義的である

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という批判が顕在化した。これを受けて活動家は、FGM/C廃絶のためには当該諸国の人び

とと共に特別なプロジェクトや教育を計画し、実行する必要性を認識するに至った

(Dorkenoo 1994:63)。

1984年にはダカールにてWHOと国際連合児童基金(United Nations Children's Fund:

UNICEF)、および国際連合人口基金(United Nations Population Fund: UNFPA)共催

のセミナー「女性と子どもの健康に有害な伝統的慣習」が開催され、アフリカ 20か国から

多くの参加者があった。同年、アフリカ 28 か国の女性たちが連帯し、FGM/C 廃絶運動に

取り組むためのネットワークである「伝統的慣習に関するアフリカ横断委員会(Inter-

African Committee on Traditional Practices: IAC)」が組織された(長島 2009:57)。IAC

はアフリカ 28か国に支部を持ち、欧米 10か国およびニュージーランドと日本に 15の協賛

団体を持っている。IAC はさらに、国連経済社会理事会の協賛資格と WHO の公式資格、

およびアフリカ連合のオブザーバー資格を有する。

1990年になると「女性差別撤廃委員会」が一般勧告第 14条で「FGMのような有害な慣

習を継続させる文化的、伝統的、経済的抑圧に対する深い懸念」を示した(額田 2010:70)。

1993 年にはウィーン世界人権会議において FGM/C は女性に対する暴力の一つに位置付け

られた(UNICEF 2013:11)。

こうした国際機関およびアフリカ諸国における動きを受け、ケニア政府も FGM/C政策に

着手した。モイ大統領は 1982年に FGM/Cを非難する声明を公式に発表して以降、1990年

代まで FGM/Cを辞めるよう発信し続けた。その後、2001年に成立した「子ども法(Children

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Act)」の第 14 条および第 20 条において 18 歳未満の子どもに対する FGM/C の実施が違

法とされた(UNICEF 2013:10-11)。

2011年には「FGM禁止法(Prohibition of Female Genital Mutilation)」が成立し、全

ての女性に対する FGM/Cの施術が禁じられた(The National Council for Law Reporting

2012)。この法律を受けて 2013年には「公共サービス青年ジェンダー省」内に FGM/C 廃

絶に向けたアドボカシー活動を目的とした The Anti-Female Genital Mutilation Board(以

下、Anti-FGM Board)が組織された(Anti-FGM Board Website)。これらの政策と並行

して国内外の NGO による FGM/C 廃絶プログラムが行われるなどケニア国内における

FGM/C廃絶運動は加速していった。

2.2. ナロクのローカルな FGM/C廃絶

ケニア政府の政策を受けて、マサイが多く暮らすリフトヴァレー地域ナロク州において

も FGM/C 廃絶運動が開始された。1999 年には地元のマサイの女性がローカル NGO のタ

サル・トモノク・イニシアティブ(Tasaru Ntomonok Initiative: TNI)を立ち上げて少女

や女性にとって有害な慣習を廃絶するのためのプロジェクトに着手した(Equality Now

2011:15)。TNI はスタッフにマサイの男女を擁しており、FGM/C および早期婚の廃絶に

向けて地域に密着した活動を展開してきた。TNI は国連人口基金や国際 NGO の V-day な

どから資金援助を受けており、地域密着型のスタイルを取りながらも、地元住民を巻き込ん

だ大規模なプロジェクトを持続的に展開しているという特徴をもつ。

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以下では TNIについて、近年パートナーとして活動している国際NGO、Equality Now

の報告書(Equality Now 2011)および筆者の現地調査の結果をもとに記述する。TNIが行

っている主要な活動は①少女の保護、②地域との交渉、③代替儀礼、④啓発活動、⑤職業訓

練の 5 つに分類できる。少女の保護は早期婚や FGM/C から逃れた少女をレスキューセン

ターにて保護する活動であり、地域との交渉とは少女に早期婚や FGM/Cを強制しないよう

保護者や地元住民と話し合って少女と地域との和解を支援する活動である。また、代替儀礼

は FGM/Cを伴わない通過儀礼を提案、実行する活動である。そして啓発活動は少女に対す

る抑圧的な慣習を改革するための広報および教育活動である。さらに職業訓練では FGM/C

禁止法の影響で職を失った施術師に対して施術に代わる収入源を提供している。

これらの活動の中でも、代替儀礼は Anti-FGM Board も重要な FGM/C 廃絶手法の一つ

に挙げており、ケニア各地で行われてきた。ここからは、TNIがマサイの少女たちを対象に

行った代替儀礼プログラムについて詳しく見ていく。

3. 代替儀礼

3.1. タサル・トモノク・イニシアティブによる代替儀礼

FGM/C廃絶運動の手法を調査し、分類した Badri(2004)によれば、代替儀礼とは通過

儀礼として FGM/Cが行われないよう、FGM/Cに代わる儀礼を提案するものである(cf. 長

島 2010:76)。また、ケニアの Anti-FGM Boardは代替儀礼を、少女から大人への移行を

切ることなくして刻み込む手法である(Anti-FGM Board 2018:v)と説明している。

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Equality Nowによれば、TNIの代替儀礼は 4日間の講習期間と 5日目の修了式から構成

される。4日間の講習でマサイの少女たちは FGM/C およびリプロダクティブ・ヘルス/ラ

イツに関する教育を受ける。この講習では、少女たちが性や出産について主体的な選択がで

きるようになることが目指される。5日目には修了式が行われ、少女の保護者などが出席し、

少女が FGM/Cを受けずに大人になれることを盛大に祝福する(Equality Now 2011)。

筆者は許可を得て 2015 年 8 月 14 日の修了式に参加することができたため、当日の聞き

取りおよび観察に基づき修了式の内容を記録する。TNIのスタッフによると、2015年の代

替儀礼には FGM/Cを経験していない 15歳までのマサイの少女約 100名が参加した。参加

者の少女たちはナロク州内の様々な地域から招待されており、一部は TNI の少女レスキュ

ーセンターに保護されている少女たちであった。

代替儀礼は 8月 10日に開始され、少女たちは 13日までの 4日間で講習を受けた。14日

にはゲストを招いての修了式が行われた。会場となったのはナロク北部にあるプライベー

トの女子小学校である。国際 NGO の支援で建てられたこの学校は NGO と提携しており、

レスキューセンターに保護された少女たちも通っている。

3.2. TNIの代替儀礼における「教義」

代替儀礼の修了式は小学校のホールで行われた。ホールには 4 日間の講習で使用された

ポスター教材が確認できただけで 43枚掲示されており、修了式の参加者はそれらを見るこ

とができた。「環境づくり(Climate Setting)」という項目を見ると、代替儀礼における

達成目標が提示されていた(写真 1)。

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写真 1:代替儀礼における目標

2015年 8月 14日筆者撮影

この時の代替儀礼では、次のことが達成目標とされていた。それは、少女が「自分たち自

身について、子どもの権利について、通過儀礼について、問題に対処する方法について、

HIV/AIDSについて、他人を尊敬する方法について、将来良い妻になる方法について学ぶこ

と」である。さらには、「FGMに No と言えるようになること、そして少女たちが大人に

なるために備えること」を目指すと掲げられている。

以上の目標を達成するためのテーマが複数設けられ、講習ではそれに基づいた授業が行

われたようであった。講習のテーマは全部で 14に分類できる。順不同で述べると、Female

Genital Mutilation、伝統(Traditions)、少女について(The Girl Child)、教育の重要性

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(Importance of Education)、人生の価値(Values of Life)、個人の健康(Personal Hygiene)、

精神的な結びつき(Spiritual Relationship)、目標(Goals)、薬物乱用(Drug Abuse)、

性感染症(Sexually Transmitted Infections)、レイプや冒涜(Rape and Defilement)、

自尊心(Self Esteem)、人間関係の種類(Types and Relationships)である。これらのテ

ーマに基づいた授業を、TNI のスタッフおよび会場となった小学校の教員が講師となって

行った。こうしたテーマには、TNIの目指す女性のエンパワーメントの理念が表れている。

以下では、FGM/C 廃絶に向けた TNI の理念が特に読み取れるテーマについて詳しく取り

上げる。

TNIはまず、FGM/Cについて「文化的理由もしくは治療ではない理由によって女性の性

器の一部または全部を取り除いたり、傷つけたりする全ての行為」と説明している。また、

WHOの説明を援用しながら FGM/Cには 3つのタイプがあると述べ、短期的、長期的な身

体への弊害があることを紹介している。FGM/Cが行われる理由については、ポスター教材

で次のように説明されている。それは、「伝統であるから、通過儀礼であるから、同輩から

の承認を得るため、少女や女性の性的な欲望を抑制するため、少女が結婚できるようにする

ため、高い花嫁代償を保証するため、少女の両親にコミュニティにおける付加的な地位を与

えるため」である。

TNIはまた、マサイの社会には FGM/Cにまつわる次のような「神話」があると指摘して

いる。その神話とは、FGM/Cは「衛生上の目的で行われており、貞節を保つことにつなが

り、また出産を容易にする」というものである。また、「未割礼の少女は出産できないが、

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それはクリトリスが出産時に子どもに害を与えるからである」という。さらには、「貫通の

際にクリトリスは男性にとっての毒になる」という「神話」も紹介されている。

TNIはさらに、伝統についての議論も試みている。ポスター教材では、伝統は「実践、信

仰、慣習、意見、価値などの世代から世代へ口頭で伝えられるもの」と定義されている。マ

サイの伝統の例としては「女性割礼(Female Circumcision)、早期の強制的な結婚、体へ

のタトゥー、教訓、妻の相続および共有、子どもの名づけ、抜歯、耳のピアス、衣服の着こ

なし、挨拶」が挙げられている。そのうえで TNI は伝統を「良い伝統」と「悪い伝統」に

区別することを試みている。「良い伝統」としては、「挨拶、子どもの名付け、服装」が挙

げられており、「悪い伝統」としては「女性割礼、早期の強制婚、妻の相続、身体へのタト

ゥー、抜歯」が挙がっている。したがって、ここで「悪い伝統」とされているものについて

は、TNIが廃絶すべきまたは推奨すべきではないと考えていることが分かる。

TNI はまた、マサイの少女がコミュニティでさらされている問題についても議論してい

る。ポスター教材によれば、マサイの少女は「差別されており、過重労働を課されがちであ

る」という。少女はまた、「家庭の収入源とみなされており、教育を与えてもらえない」。

さらに、彼女は家長の「財産」と考えられており、生産「資源にはアクセス」できない。そ

の他、少女は「自由な時間がない、性的客体として扱われる、家庭内で疎外されている、決

定権がない」といった問題を抱えている。以上の資料からは、家父長的性質の強い村落部に

おいてマサイの少女が置かれている難しい立場について指摘しようという TNI の意図が見

受けられる。

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こうしたマサイの「悪い伝統」や少女の置かれた難しい立場を改善する方策として、教育

の重要性が 23の項目にわたって説明されている。ポスター教材において教育は「読み書き

ができるようになるため、雇用機会を得るため、自らの権利を知るため、貧困や病気や無視

を減らすため、将来両親を助けるため、周りの人を教育するため、ロールモデルとなるため、

高等機関にいる人びととコミュニケーションをする手助けとなるため」に必要であると述

べられている。これを見ると、ここでの教育とは、学校における西洋近代的な教育を指して

いることがわかる。さらに「良い伝統と悪い伝統を区別できるようになるために」も教育が

重要であると述べられている。TNIは、教育を受けた少女は「適切な年齢で、適切な人物と

結婚でき」るようになり、「早期婚することはない」と述べている。そして「少女に教育を

与えることは社会全体を教育することである」とまとめられている。

一方、「精神的な結びつき」と題された教材には、「神(God)や宗教上の人びととの結

びつきや神についての特別な言葉に基づく宗教的な関係」が重要であると説明されている。

また、「洗礼は特別な方法で神とつながっているという感覚を与えてくれる」とも述べてい

る。このことから、ここでの精神的な結びつきとは、キリスト教的精神を指していることが

わかる。そして、この代替儀礼がキリスト教的価値観の下で行われていることが示されてい

る。

以上、代替儀礼の講習期間に少女たちに対して教えられたいくつかのテーマについて記

述した。TNIは、FGM/Cについての国際標準の知識を提供するとともに、少女の社会的地

位について啓発し、教育を通じて「良い伝統」と「悪い伝統」とを区別できるようになるこ

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とを目指している。そしてこうした理想の根底にはキリスト教的価値観があることが読み

取れる。これらは、代替儀礼における TNIの「教義」であると言える。

3.3. 修了式におけるうたと TNIが目指す女性のエンパワーメント

8 月 14 日の修了式では参加者への講演会、少女たちによる歌の披露、そしてプログラム

修了証書の授与が行われた。TNIのスタッフによると、修了式に参加していたのは、成人男

性約 100 名、成人女性が 200 名以上であった。参加者の内訳としては、少女の親族、会場

の近隣に住む地域住民、ケニア国内で FGM/C廃絶運動を行っている NGOの代表たち、ナ

ロク州教育省の役員およびキリスト教の牧師であった。参加者に向けた講演会はマサイ語

を中心にスワヒリ語も交えながら行われた。

代替儀礼に参加した少女たちには、修了式に ‘Eyieu Ntoie Enkisuma’と書かれたTシャツが配られ

た。これは、マサイ語で「少女に教育を(直訳:少女は教育を受けたい)」という意味であり、ここで

も教育についてのメッセージが掲げられている。

修了式で少女たちは何組かに分かれてマサイ語やスワヒリ語の歌をゲストに披露した。ど

の歌も FGM/Cを受けない、早期婚を拒絶する、という少女たちの意思を表明するものだっ

た。スワヒリ語の歌のうち一つは次のようなものであった。

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表1:代替儀礼で少女たちが披露した歌

スワヒリ語 日本語訳

Hatutaki tohara

Ee tohara ×4

Ndoa za mapema zote tunakataa ×4

Tunataka masomo

Ee masomo ×8

Tunataka digrii

Ee degree ×4

Tutakuwa pilot

Ee pilot ×8

Tutakuwa professor

Ee professor ×4

Tutapata masters

「割礼」はいやだ

「割礼」はいやだ ×4

早く結婚するのは嫌だ ×4

勉強がしたい

そう勉強が ×8

学位がほしい

そう学位が ×4

パイロットになるの

そうパイロットに ×8

教授になるの

そう教授に ×4

修士号を取るわ

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Ee masters ×4

Tunamshukuru Agnes

Ee Agnes

Tunamshukuru Agnes kwa maendeleo ×4

Abarikiwe

Abarikiwe

Abarikiwe kwa maenledeo ×2

修士号を ×4

アグネス7に感謝する

そうアグネスに

進歩について彼女に感謝する ×4

彼女に神のご加護を

神のご加護を

神は彼女のもたらした進歩にご加護を×2

出典:2015年8月14日 筆者採録

この歌は TNI のスタッフが制作して少女たちに歌わせたものであり、歌詞からは NGO

の意図が読み取れる。この歌詞には、FGM/C や早期婚を拒否する意思が表明されている。

そして、教育を受けて職業に就くことが奨励されている。ここからは、教育を受けて職業を

持ち、社会的地位の上昇をはかることや経済的な自由を手に入れることが、FGM/Cや早期

婚の否定につながるというストーリーが読み取れる。

ここまで見てきた講習の内容および少女たちの歌からは、TNI が FGM/C を家父長制の

産物であると捉えていること、そしてそれを廃絶するためには女性の社会的地位の向上が

必要であると考えていることがわかる。女子教育の普及は、ジェンダー・ギャップの大きな

7 アグネスはTNI代表の名前である。

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社会において女性が社会的地位を向上させるための一般的な手法であり、TNI はオーソド

ックスなエンパワーメントのモデルを有していることがわかる。

少女たちがこのような歌を披露した後、キリスト教の牧師の主導によって人びとは少女

のために神に祈りを捧げ、これをもって切除の代わりとされた。

写真 2:代替儀礼で少女のために祈りを捧げる人びと

2015年 8月 14日筆者撮影

4. 考察―代替儀礼の「教義」と伝統的価値との乖離

ここまで見てきたように、代替儀礼は少女の解放と自己開発を目指して十分に計画された

プログラムであるといえる。ただし TNI の「教義」は、マサイの伝統的な価値観とは相容

れない部分が多くある。

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3.2.と 3.3.で見たように、代替儀礼ではリプロダクティブ・ヘルス/ライツを重視したエ

ンパワーメント教育が行われる。代替儀礼で少女が披露した歌の一つ(表 1)では、FGM/C

と早期婚を否定して教育を受け、職業に就く女性像が歌われている。TNI は教育の重要性

を 23の項目にわたって説明しており、修了式では「少女に教育を」というスローガンが書

かれた Tシャツを少女たちに贈っている。これらのことから TNIは、女子教育の普及によ

って女性の社会的地位の向上を目指すというモデルを有していることがわかる。TNI の資

料には、教育を受けた少女は「適切な年齢で、適切な人物と結婚でき」るようになり、「早

期婚」することはないとも記されている。TNIの「教義」からは、学校教育によって少女が

FGM/Cや早期婚を自ら拒否することができるようになるという理想が読み取れる。

しかしながら 1.2.で述べたように、年齢体系に基づいてマサイの女性は男性に依存した形

で社会的に位置づけられており、少女は結婚することで初めて成人女性の年齢階梯に移行

できる(Spencer 1998:141-143)。1.3.で記述したように、FGM/Cを終えた少女はエンカ

イバルタニと呼ばれるリミナルな地位となり、成人女性と生活を共にしながら来るべき結

婚生活に備え、妻として母として必要なことを学び取る。マサイの人びとにとって成人女性

であることは、妻であり母であることと同義である。

さらに、FGM/Cと再生産の規範とは分かちがたく結びついている。1.3.で述べたように、

マサイの社会では女性は FGM/C によって子ども時代のよごれを取り除くことで大人にな

り、初めて生殖に関わることができるとされている(Talle 1988:105)。したがって FGM/C

を受けていない女性は、出産することを社会的に認められない。FGM/Cを受けていない女

性が妊娠してしまった場合、直ちに FGM/Cが行われる。かつては堕胎が強制されていたほ

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どである(リード 1988:115-116、Talle 1988:110)。このように、マサイの人びとは生殖

に関して強い社会的統制を受ける。

TNI が教育の推進によって年齢体系に基づく伝統的な役割期待を突き崩し、リプロダク

ティブ・ヘルス/ライツ教育によって FGM/Cと生殖の価値体系を解きほぐそうとしている

ことは理解できる。しかしながら、伝統的な価値が慣習や儀礼に浸透している状況において、

代替儀礼による数日間の教育は少女たちの考え方を変えるのに十分だろうか。代替儀礼に

参加した少女たちの母親世代は、一般的に学校教育を経験していない人も多く、また、TNI

が挙げるようなフォーマル・セクターでの就労を経験している人もほとんどいない。代替儀

礼における TNI の理想はマサイの一般の女性の生き方とあまりにかけ離れており、それを

実現させるための筋道が見えにくい。代替儀礼の修了式では親世代や男性への啓発教育も

行われているが、一度のセミナーによって人びとの価値観と生き方を変えることは容易で

はないだろう。社会の中に埋め込まれた役割期待と生殖に関する価値規範を変革するため

には、代替儀礼だけではない持続的なアプローチが必要であるように思われる。

さらに、代替儀礼には文化的な要素がほとんど見られない点も指摘したい。マサイの成女

儀礼は、地域の家父長制および年功序列制度の中に埋め込まれ、生殖にまつわる規範を伝え

るものである。それは、少女を抑圧する一方で少女に民族的アイデンティティを付与するも

のでもある。儀礼は保護者の主導によって企画され、儀礼の準備、プロセス、施術において

コミュニティのマサイの女性たちが重要な役割を担う。祝宴では、地域の人びとが皆で少女

の成長を祝う。しかしながら、NGOが主催し、少女と講師だけで行われる講習では、こう

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した家族や地域社会との結びつきは弱まっているため、人びとが代替儀礼に文化的要素を

見出すのは難しいと考えられる。

おわりに

本稿を通じて見てきたように、TNIによる代替儀礼には様々な課題がある。TNIの「教義」はマ

サイの伝統的な価値とはかけ離れており、儀礼の文化的要素も薄れている。そのため、少女や親たち

がこの行事をもって成女儀礼が代替されたとみなすことは難しいと考えられる。代替儀礼は、通過儀

礼を代替するという点においては課題が多い。しかしながらその「教義」には、マサイ社会が抱える

ジェンダー的な課題が多く示されており、地域主体の女性のエンパワーメントに役立てることのでき

る視点を多く含んでいる。

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