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2017年6月7日の夜明け前、スペインのバルセロ ナのように綺麗に区画整理された街並みが地平線まで 広がる景色を飛行機の中から覗き見て驚いた時から、 早 2 年が経ちました。ブエノスアイレスは気温的には 日本の九州程度で、冬(6月~8月)は肌寒い日もあ りますが雪が降ることはありません。夏も雨が降る日 は少なく日本と比べるとカラッとした気候で過ごしや すい都市です。晴れた日には、ブエノスアイレス市内 にも多数ある広大な公園の芝生が日向ぼっこをする 人々で溢れかえり、街には牧歌的な雰囲気が漂いま す。一般的にアルゼンチンといえば、リオネル・メッ シ選手擁するサッカー代表チームやデフォルトを繰り 返している国ということ程度しか思い浮かばない方も 多いと思いますが、昨年が日本との外交関係樹立 120 周年であったように、日本との長い二国間の歴史を持 ち、南米でブラジル、ペルーにつぐ 3 番目の規模とな る約65,000人の日系人が存在しています。また既に 100 社 2 の日系企業が当地に進出しており、昨年には 牛肉輸出が日亜相互で解禁されアルゼンチンのおいし 1本文中の意見については、全て筆者の個人的な見解であり、筆者の所属する組織を代表するものではございません。 2外務省海外在留邦人数調査統計(2017 年) い牛肉が日本でも食べられるようになるなど、経済面 でも日本との結びつきを強めています。本稿では、ま ずは足元の経済・政治情勢につき簡単に解説しつつ、 硬軟織り交ぜながら地球の裏側にあるアルゼンチンの 人々の営み緩くご紹介できればと思います。 1 アルゼンチン経済の特徴 (1)アルゼンチン経済と米ドル アルゼンチンの経済はドル化した経済と言われてお ります。歴史的にデフォルトおよび高インフレーショ ン、時には預金封鎖も経験してきたアルゼンチン国民 は、自国通貨ペソを信頼せず、米ドルでの貯蓄もしく は(特に外貨取得規制があった期間は)実物資産への 投資を選好する傾向があります。通貨の 3 つの基本機 能(支払決済手段、価値尺度、価値保蔵)のうち、現 在のペソは価値保蔵の機能を失っていると言えるで しょう(逆に、値段表示や支払いはペソが一般的であ るなど、残りの2つの機能は引き続き保たれていま FOREIGN WATCHER 海外ウォッチャー アルゼンチンの肖像 ~ドル経済、大統領選挙、サッカー、野球、そして沖縄~ 在アルゼンチン日本大使館 二等書記官  仲里 康徳 1 到着時に飛行機内から撮影したブエノスアイレス市の夜景 ホテル到着後ベランダより撮影 56 ファイナンス 2019 Jul.

アルゼンチンの肖像...1年で1ドル=18.77ペソ(2017年12月末時点)か ら37.81ペソ(2018年12月末、出典:アルゼンチン 中央銀行)まで101.4%減価し、輸入物価上昇等に

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Page 1: アルゼンチンの肖像...1年で1ドル=18.77ペソ(2017年12月末時点)か ら37.81ペソ(2018年12月末、出典:アルゼンチン 中央銀行)まで101.4%減価し、輸入物価上昇等に

2017年6月7日の夜明け前、スペインのバルセロナのように綺麗に区画整理された街並みが地平線まで広がる景色を飛行機の中から覗き見て驚いた時から、早2年が経ちました。ブエノスアイレスは気温的には日本の九州程度で、冬(6月~8月)は肌寒い日もありますが雪が降ることはありません。夏も雨が降る日は少なく日本と比べるとカラッとした気候で過ごしやすい都市です。晴れた日には、ブエノスアイレス市内にも多数ある広大な公園の芝生が日向ぼっこをする人々で溢れかえり、街には牧歌的な雰囲気が漂います。一般的にアルゼンチンといえば、リオネル・メッシ選手擁するサッカー代表チームやデフォルトを繰り返している国ということ程度しか思い浮かばない方も多いと思いますが、昨年が日本との外交関係樹立120周年であったように、日本との長い二国間の歴史を持ち、南米でブラジル、ペルーにつぐ3番目の規模となる約65,000人の日系人が存在しています。また既に100社*2の日系企業が当地に進出しており、昨年には牛肉輸出が日亜相互で解禁されアルゼンチンのおいし

*1) 本文中の意見については、全て筆者の個人的な見解であり、筆者の所属する組織を代表するものではございません。*2) 外務省海外在留邦人数調査統計(2017年)

い牛肉が日本でも食べられるようになるなど、経済面でも日本との結びつきを強めています。本稿では、まずは足元の経済・政治情勢につき簡単に解説しつつ、硬軟織り交ぜながら地球の裏側にあるアルゼンチンの人々の営み緩くご紹介できればと思います。

1 アルゼンチン経済の特徴(1)アルゼンチン経済と米ドル

アルゼンチンの経済はドル化した経済と言われております。歴史的にデフォルトおよび高インフレーション、時には預金封鎖も経験してきたアルゼンチン国民は、自国通貨ペソを信頼せず、米ドルでの貯蓄もしくは(特に外貨取得規制があった期間は)実物資産への投資を選好する傾向があります。通貨の3つの基本機能(支払決済手段、価値尺度、価値保蔵)のうち、現在のペソは価値保蔵の機能を失っていると言えるでしょう(逆に、値段表示や支払いはペソが一般的であるなど、残りの2つの機能は引き続き保たれていま

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アルゼンチンの肖像~ドル経済、大統領選挙、サッカー、野球、そして沖縄~在アルゼンチン日本大使館 二等書記官 仲里 康徳*1

到着時に飛行機内から撮影したブエノスアイレス市の夜景

ホテル到着後ベランダより撮影

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*3) インフレ率:2017年は24.8%、2018年は47.6%。

す)。彼らは日々値段が上昇するインフレーション*3

の中で、日常の買い物でさえドルに換算すればいくらだろうと考えるようで、為替の動きに敏感です。為替の振れ幅が大きい日にテレビを付ければまるで天気予報のようにドル・ペソレートが画面脇に表示されていることに驚きます。

(2)「為替危機」の割には平穏?2018年には年初以降の米国の長期金利上昇により

新興諸国から資金が引き上げ、特に(外貨建て債務比率が高い)財政赤字や貿易赤字など、マクロ経済に脆弱性を抱えていたアルゼンチンは大きな影響を受け、

テレビに為替レートが表記される様子

図1 2017年1月以降の為替・外貨準備・政策金利・インフレ率の推移

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2‒Jan‒17

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2‒Mar‒17

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2‒May‒17

2‒Jun‒17

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2‒Sep‒17

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為替危機期2018年4月末~10月

ペソ急落1ドル20→40ペソ超へ

4月7月 10月 4月 7月 10月2017年1月

2019年1月

29.9 29.1 28.3 27.4

24.021.8 21.4 22.8

23.8 22.7 22.424.8 25.0 25.4 25.4 25.5 26.3

29.531.2

34.4

40.5

45.948.5 47.6

49.351.3

54.7 55.8

20

30

40

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4月2018年1月

外貨準備(億ドル、右軸)為替(ペソ/1ドル)政策金利(%)

インフレ率(%、前年比)

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Page 3: アルゼンチンの肖像...1年で1ドル=18.77ペソ(2017年12月末時点)か ら37.81ペソ(2018年12月末、出典:アルゼンチン 中央銀行)まで101.4%減価し、輸入物価上昇等に

1年で1ドル=18.77ペソ(2017年12月末時点)から37.81ペソ(2018年12月末、出典:アルゼンチン中央銀行)まで101.4%減価し、輸入物価上昇等によってインフレ率も47.6%(2018年12月時点)まで上昇しました(図1参照)。しかし、前述のドル等での貯蓄を考慮すれば、国民の貯蓄の多くがダイレクトにペソ減価の影響を受けるわけではなく、また、タイムラグはあるものの、強い労働組合を背景にインフレ率を考慮してペソ建て賃金も適宜引き上げられるため、ペソ急落と高インフレによって国民生活が完全に崩壊するようなイメージで捉えてしまうと実態を見誤ってしまいます。

(3)アルゼンチン経済「ペソ化」への道のりアルゼンチン経済の脆弱性は、恒常的なインフレ・

ペソ安及び金融機関への不信を背景に、国内金融機関への貯金率が低く、国内の資金がそれを必要とする各産業に回るような国内金融システムが育っていないため、海外からの借り入れに依存するしかないという構造にあります。現マクリ政権ではこの根本原因たるインフレを退治し為替の安定を取り戻すべく金融引き締め政策(2019年5月末時点で政策金利は70%超)を行っていますが、国民のペソへの信任回復にはまだまだ道半ばという状況です。例えば、定期預金は5月末時点で年利は約50%もありますが、前述の通り2018年に通貨が101.4%減価したことを考慮すれば、それでもドルで運用した方が良いと思う国民は多いでしょう。高金利もあって足下では、ペソ建て定期預金残高も増加傾向にはありますが、大半が1、2ヶ月の超短期の定期預金となっており、定期預金を利用する人も日々の為替相場のボラティリティをチェックしながら、「今月はドルで持っておいた方が得か、それともペソの定期預金に入れた方が得か」を毎月判断しているようです。国民がペソへ信任を取り戻すことは一朝一夕で達成できるものではなく、経済を安定させるためには引き続きの辛抱強い政府のコミットが求められます。

*4) 2018年11月8日中銀コミュニケA 6595:金融機関が海外から短期の資金調達を行う場合に、調達額の一定比率分を中銀の準備預金(無利息の当座預金)に預け入れることが義務づけられた。

2  2019年10月の大統領選挙を 取り巻く政治情勢

(1)マクリ政権の評価マクリ政権は、2001年末のデフォルト以降12年も

続いた左派のキルチネル政権(夫ネストル・キルチネル:2003年5月-2007年12月、妻クリスティーナ・フェルナンデス・キルチネル:2007年12月-2015年12月))、特に2011年11月以降の第二次クリスティーナ・フェルナンデス政権が行った外貨取得規制などの閉鎖的な経済政策及び汚職蔓延への反動として支持を集め、2015年12月に誕生しました。マクリ政権は前述の前政権における内向きの規制を撤廃し、為替の自由化、外貨取得規制の撤廃など自由開放的な経済政策を行いました。これらは経済界からは評価された一方で、ホットマネー対策としての海外からの短期投資資金の滞留義務も撤廃したことが、高金利のペソでのキャリートレードが活発化するなど短期資金流入を招き、2018年初頭からの新興国からの資金引き上げ局面での脆弱性を自ら高める結果となったとも言えます。2018年11月には形を変えてホットマネー対策を導入*4し、他にも政権交代を機に輸出振興を財政再建より優先して輸出税の漸次撤廃を進めたものの、財政収支目標達成のために2018年9月から全ての財・サービス輸出への課税を再導入するなど、一部政策の揺り戻しが見られたように、政権当初の改革は一部時期尚早だった面があったものの、オーソドックスな経済政策を採用し、政権幹部の多くが民間出身でクリーンなイメージのあるマクリ政権は、昨年の経済危機に際しても迅速にIMFの支援を取り付け、G7も改革努力へのコミットメント支持を表明するなど、国際的な評価は引き続き高いと言えます。私が着任してからも、2017年12月のWTO閣僚会合(MC11)、2018年3月の米州開発銀行(IDB)年次総会の他に、2018年のG20ホスト国として毎月のように閣僚会合が行われ、11月30日及び12月1日にはG20首脳会合が成功裏に開催されるなど、様々な国際会議がアルゼンチンで開催され、マクリ政権になって国際社会でのアルゼンチンの存在感は確実に増しました。日本との関係

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でも、2016年以降毎年首脳会談が行われ、昨年のG20サミットの際には投資協定の署名や租税条約の実質合意が実現するなど二国間関係は飛躍的に強化されました。なお、マクリ政権幹部は前述のとおり多くが欧米民間企業で活躍していた人が多く、英語が堪能な人が多い点でも過去の政権と比べて評価されている点です。

一方で、国内的には昨年の為替危機を背景とするインフレ率が年明け以降も治まらず4月末時点で前年比55.8%とマクリ政権で最悪を更新するなど、財政緊縮・金融引締めを行い国民に負担を強いているにもかかわらず、その成果が出ず苦しい状況です。10月27日の大統領選挙前に景気後退局面を脱することができるかが重要になりそうです。政権発足時には60%を超えていた高い支持率も落ち込み、今では調査によっては対抗馬のキルチネル派の支持率を下回っています。

(2) 対抗馬のアルベルト・フェルナンデス 元内閣官房長官

5月18日に、政治的に大きなサプライズがありました。アルゼンチンの二大政党制の左派を担うペロン党の中でも極左と言われるキルチネル派のクリスティーナ・フェルナンデス元大統領は、貧困層などからの3割程度の強固な支持基盤を持ち、大統領候補として立候補すると見られていたところ、元部下であったアルベルト・フェルナンデス元官房長官が大統領候補として出馬し、彼女自身は副大統領として出馬すると発表されました。同元官房副長官はクリスティーナ前大統領の傀儡にすぎないという見方や、中道派グループへの歩み寄り無しには選挙に勝てないと判断したとの見方もあるなど判然としない状況ですが、経済政策的には、同官房長官は直近のインタビューでも無難な回答に終始し、また、海外投資家への説明をして回っているとも報道され、経済チームの一員と見られるエコノミスト等も第二次クリスティーナ政権時代の閉鎖的な経済政策を批判するなど、前大統領には見られなかった穏健な主張が目立っていることから、同サプライズは市場関係者に好感を持って受け入れられているように思います。キルチネル両元大統領は、2000年代のコモディティ価格上昇等を背景とするアルゼンチンの歴史上稀に見る経済の長期に亘る高成長

時代を享受できたことで、国内産業保護政策や公共料金を補助金で支援するといったポピュリズム政策を推進し一部から強固な支持を得ることができましたが、こと今となってはバラマキ政策をするにも財源がない状況であり、仮に政権を取ったとしても多額の融資を受けているIMFに背を向けてはいられないということでしょうか。

(3)第三の候補は、勢力を集合できるかマクリ大統領及びアルベルト元官房長官の他には、

ラバーニャ元経済大臣がマクリ陣営でもフェルナンデス陣営でもない中道を標榜して若干の支持を集めていますが、今のところ、政権を奪うほどの勢いは感じられません。今後は、ペロン党の穏健派の動向、つまり、独自に候補を立てるのか、ラバーニャ陣営やマクリ陣営に近づくのか、それともペロン党キルチネル派と集合してペロン党統一候補としてアルベルト・フェルナンデス元官房長官を支持するのかという点が注目されます。

(4)今後の見通し政治的には、6月22日に大統領選の予備選挙候補

者が締め切られ、そのタイミングで大方の勢力図が見えてくるでしょう。前回の2015年大統領選挙でも、12年間続いたキルチネル政権の行き詰まりを背景に、マクリ候補とキルチネル派のシオリ候補が共に反欧米的な外交政策の転換を唱えるなど、実質的な政策的争点がなかったように、今回大統領選においても、野党の左派勢力が穏健な姿勢に(少なくとも見かけ上は)シフトしつつあり、一方でマクリ大統領もペロン党穏健派の取り込みを図っていることからも、最終的には政策論争なきイメージ合戦となるのではないかと予想しています。日本企業にとっては、もし、アルベルト・フェルナンデス元官房長官が大統領になった場合に、前政権ほどの過激な規制は行われないとしても、どの程度の揺り戻しが起きるのかが注目されます(図2参照)。

また、選挙動向が経済に与える影響という点では、アルゼンチンの大統領選挙年の傾向として、「選挙前のドル高・ペソ安」が起こる点に留意が必要です。昨年以降のIMFによる融資や中国との通貨スワップ拡

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大により、例年レベルのペソ安に耐えるに十分な外貨準備高があると言われていますが、もし、穀物の輸出シーズンが7月頃に終わり、市場への外貨供給量が低下する中で、8月11日予備選挙において、過激な政策を提言する候補者がトップの得票率を得るといった

「悪いサプライズ」があれば、ペソ安が一挙に進むような展開も有りうるかもしれません。

3 サッカー観戦記アルゼンチンは言うまでもなくサッカーの国です。

決してサッカーについて特別詳しいわけではありませんが、私が滞在中に遭遇した印象に残っている3試合をご紹介させてください。

(1) 2018年ロシア・ワールドカップ出場を決めた南米予選最終第18節 【2017年10月10日:アルゼンチンVSエクアドル】

アルゼンチンはこの試合の前の段階では、2017年3月の対チリ戦に勝利して以降、ボリビア(2−0で敗戦)、ウルグアイ(0−0)、ベネズエラ(1−1)、ペルー(0−0)と決めきれず、ワールドカップ出場権のある4位、更には大陸間プレーオフに回る5位にも入らない6位で最終節を迎え、勝利しなければ予選敗退が濃厚という状況でした。代表監督を2回交代しても波に乗らないアルゼンチン代表チームに対する国民のフラストレーションは溜まり、その矛先は当然エースのメッシ選手に向かいます。しかも、最終節に対戦するエクアドルは高地ということもありアウェイでは過去5試合で1勝1分3敗と苦手な相手で、ネガティブな論調が目立っていました。そして、迎えた最終決戦。家のベランダからは家族皆で代表ユニフォームを着て、テレビの前で

図2 アルゼンチンの主な外貨関連規制の変遷概要

1ドル=1ペソ固定時代(1992年~)

2001年末デフォルト後~

第2次クリスティーナ政権(2011年12月~)

マクリ政権(2015年12月~)

流入資金滞留義務導入

輸出代金の

国内還流義務復活

外貨取得規制導入(対外資産形成※

【2003年6月】•ホットマネー対策として海外からの流入資金に180日の亜国内滞留義務。

【2005年5月】•滞留義務が365日に拡大。【2005年6月】•流入資金の30%を無金利口座に預け入れ。

【2001年12月6日】(※銀行口座封鎖発表の4日後)•経済危機下で、輸出代金の国内送金・両替義務が復活。同月17日、国内還流の期限が公布。(還流期限は品目により、出荷後15日、30日、120日又は180日以内。※その後、国内還流の期限の品目構成や日数は何度も修正される。)

【2011年10月】※クリスティーナ大統領再選直後•(免除されていた)石油会社・鉱山会社の輸出代金の国内送金・両替義務が復活。

•1964年4月、急進党イリア大統領時代、輸出代金の国内送金・ペソ両替が義務付け。•1991年3月、ペロン党メネム大統領時代、上記義務が撤廃。

※外貨取得規制の一例として、対外資産形成をピックアップ。この他にも、輸入代金支払、サービス代金支払、利益・配当の送金、対外債務返済、海外に居住する家族への仕送り、外貨建てアルゼンチン国債の購入にそれぞれ両替規制が行われた。

【2016年5月】•全品目の国内還流の期限を365日に修正。

【2016年8月】•全品目の国内還流の期限を1825日に(事実上の廃止)。

【2017年1月】•期限を3650日に修正。【2017年11月】•同義務の廃止。

【2002年9月】•個人・法人による外貨購入額の上限を10万ドル/月に設定。

(※その後数後の上限引き上げ後、)【2008年11月】•外貨購入額の上限を200万ドル/月に引き上げ。

(※2010年1月レドラド元中銀総裁辞任)【2010年6月】•外貨購入が25万ドル/年を超過する場合、資産・収入の証明が義務付け。

【2011年10月】•外貨購入に際しては、AFIPの事前承認を得ることが条件化。

【2012年4月】•ペソ建銀行口座から引き落とされるデビットカードを利用した、海外での外貨現金引き出し不可に。

【2012年5月】•海外旅行用の外貨購入も、AFIPの事前承認の対象に。

【2012年6月】•預金目的の外貨購入が事実上禁止。

【2012年7月】•対外資産形成目的の外貨購入禁止。

【2015年12月17日】•AFIPによる事前承認等、一連の外貨制限を廃止。個人・法人による外貨購入の上限は、外貨制限以前の水準である200万ドル/月に設定された。

【2016年5月】•外貨購入の上限が500万ドル/月に引き上げられた。

【2016年8月】•外貨購入の上限を撤廃。 ※現金による両替の上限は、2500ドル/月に引き上げ。

【2015年12月】•マクリ政権発足直後に、滞留義務を120日に短縮。

【2017年1月】  •滞留義務を撤廃。

【2015年12月】•無金利口座への預け入れ義務は撤廃。

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両手を合わせている各家庭の姿が見えます。1点入る度に街中から雄叫び。最終的にメッシ選手のハットトリックで3−1で勝利し、見事ワールドカップ出場を決めました。翌日の新聞の見出しは『Gracias, Messi!(ありがとうメッシ!)』。ワールドカップに向けて一気に街がお祭りモードになりました。いつもはお堅い経済レポートを共有してくれる当地のシンクタンクから、グループリーグも始まらないタイミングで、『アルゼンチンがワールドカップ決勝トーナメントのファイナルまで進む確率:100%』と予想するレポートが配信されたときは笑いました。優勝する可能性を100%としないのは、彼らなりの謙遜なのかもしれません。

(2) コパ・リベルタドーレス2018決勝 (セカンド・レグ)での暴動事件 【2018年12月9日:リーベル・プレートVSボカ・ジュニアーズ】

この試合は最終的にスペインのマドリッドにあるサンチアゴ・ベルナベウというレアル・マドリードのホームスタジアムで行われ、延長の末、リーベル・プレートが3−1でボカ・ジュニアーズを下しました。本来であれば、ファースト・レグをボカ・ジュニアーズのホームスタジアムで終えた後のセカンド・レグは、当然リーベル・プレートのホームスタジアムで開催されるはずだったのですが、ボカ・ジュニアーズの選手を乗せたバスがリーベル側のサポーターに襲撃される事件が発生し、試合は延期され、最終的にマドリードで行われたのでした。この襲撃の様子が日本のテレビでも動画で流されたようですのでご存知の方も多いかもしれませんが、会場入りしようとするボカ・ジュニアーズの選手を乗せたバスに対して、ホーム側のリーベル・プレートのファンらがビンなどを投げつけ、窓ガラスが割れて歓声が上がる様子は大変ショッキングでした。この2チームはともにブエノス・アイレス市をホームとするアルゼンチンの2大人気チームであり、この両者が対戦する試合はスーペル・クラシコと呼ばれるアルゼンチンの人々が最もエキサイトする試合の1つです。そして、コパ・リベルタドールという大会は、ヨーロッパでいうところのUEFAチャンピオンズリーグに該当する、南米で最も強いクラブチームを決める大会であり、その決勝でアルゼンチン

の2チームが激突するということで、両チームのサポーターのテンションはまさに最高潮という中で前述の事件は起きてしまいました。アルゼンチン人の名誉のために付言すると、当然ながら大半のアルゼンチン国民はこの事件に私と同じようにショックを受け、批判し、「一部のサッカー狂には理性がない」と嘆いていました。なお、この大会の名前になっている「リベルタドール」とは解放者を意味し、つまりは南米独立運動の指導者を指す単語ですが、その名を冠する大会の決勝が元宗主国のスペインで行われるとは、何とも不思議な結末です。

(3) レコパ・スダメリカーナ2019(セカンド・レグ)(2019年5月30日、リーベル・プレートVSアトレチコ・パナエレンセ)

この試合は、幸運にも観戦する機会を得られました。レコパ・スダメリカーナという大会は、前述のコパ・リベルタドールの勝者と、ヨーロッパでいうUEFAヨーロッパリーグに当たるコパ・スダメリカーナの勝者が対戦する、南米で最も大きな試合の1つです。リーベル・プレートについては前述のとおりですが、対戦相手のアトレチコ・パナエレンセというのはブラジルのクリチバにホームを構えるチームで、ファースト・レグはクリチバのホームスタジアムでリーベル・プレートを1−0で下し、優位な状態でブエノスアイレスに乗り込んできていました。試合は両チームともチャンスを作りながら決めきれない展開が続きましたが、後半65分、ホームのリーベル・プレートがハンドからPKを獲得し、一度はキーパーに止められながらもこぼれ球を角度のないところから押し込み、ファースト・レグの結果も踏まえると同点に。さらに、後半ロスタイムにリーベル・プレートが2点追加し見事優勝しました。なお、アルゼンチンで行われる試合は、過去にサポーター同士の小競り合いから死者がでるような事件に発展してしまったこともあり、基本的にホームチームのサポーターしか入れません。よって私も熱狂的なリーベル・サポーターに囲まれながらの応援になったのですが、目を付けられないように、知らない応援歌などは適当に体を上下させてしのぎました。といっても実際は(勝ったからかもしれませんが、)とてもフレンドリーな雰囲気で、決勝点が入っ

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Page 7: アルゼンチンの肖像...1年で1ドル=18.77ペソ(2017年12月末時点)か ら37.81ペソ(2018年12月末、出典:アルゼンチン 中央銀行)まで101.4%減価し、輸入物価上昇等に

たときには近くの観客と一緒に抱き合いながら喜び合えました。1つ、周りの声援を聞いていて興味深いと感じたことがありました。私は、南米のサッカーに対して「ずる賢い」というイメージを持っており(主人公がアルゼンチンにサッカー留学する『俺達のフィールド(作:村枝賢一)』という漫画を読んだ影響かもしれません)、実際、前回ワールド・カップでもブラジルのネイマール選手がファールを受けた際のリアクションが過剰だとして批判されたこともあったように思います。しかし、リーベル・プレートのサポーターはそれを良しとはせず、軽い接触で倒れる自チームの選手に対して「Levantate!(立て!)」と怒号を飛ばします。相手がブラジルのチームということで相対的にそういう構図になったのか、真相は私には分かりませんが、この南米ナンバーワンになったリーベル・プレートは、「走る」チームでもあり、最後まで集中を切らさないその姿に、私が(勝手ながら)持っていた南米のイメージは覆されました。参考までに、リーベル・プレートやフランスのモナコ、パリ・サンジェルマンでも活躍し元アルゼンチン代表でもあるマルセロ・ガジャルド氏が監督に就任して以降リーベル・プレートは全盛期を迎えており、同氏は将来のアルゼンチン代表監督との声もあるようです。

4 アルゼンチン野球事情アルゼンチンで野球ができるとは考えてもいません

でした。メッシ選手などアルゼンチン代表も練習を行うエセイサ国際空港近くのアルゼンチンサッカー協会の練習場に隣接する形で、立派な天然芝の野球グランドがあります。ここ以外にもブエノスアイレス市内から車で行くことができる範囲にいくつもグランドがあり、シーズン中は毎週試合が行われています。残念ながらプロリーグはなく、競技レベルは日本に比べると落ちてしまうかもしれませんが、私が参加している1956年設立のLMB(Liga Metropolitana de Béisbol)というリーグはブエノスアイレス首都圏近郊の約20チームで3部構成されており、それなりの競技人口が存在します。アルゼンチンならではの興味深い点として、中南米各国の移民の方々がチームを作っていることが挙げられます。私が所属しているチームは日系人を主な構

成員とするチームですが、その他にも、キューバ、ベネズエラ、ドミニカ共和国など中南米各国の移民の方々からなるチーム等が存在し、国際色豊かな野球体験が可能です。ちなみに、バットは木製、球は硬球であり、運動不足の身には少しつらいものがあります。野球道具については、一応アルゼンチンにも国産のバットはあるものの、それ以外の道具を国内で調達するのは難しいです。私的に行った米国のマイアミ旅行で購入したバットがすぐに折れたときは絶句しました。野球以

日亜学院野球チームの集合写真

チームメイトの別荘でのアサード(焼肉)

同別荘でのキャッチボール

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Page 8: アルゼンチンの肖像...1年で1ドル=18.77ペソ(2017年12月末時点)か ら37.81ペソ(2018年12月末、出典:アルゼンチン 中央銀行)まで101.4%減価し、輸入物価上昇等に

外でも、チームメイトの郊外にあるプール付別荘でアサードと呼ばれる肉料理を味わうなど、地球の裏側でも野球を通じて様々な思い出を作ることができました。

5 沖縄系移民の歩み最後に、日系人の方々の歩みについて、ごく一部で

すがご紹介できればと思います。冒頭で、現在65,000人の日系人コミュニティが存在していると述べましたが、過去から現在に至るまで、日本人からの移民のマジョリティは沖縄の方々です。『アルゼンチン、沖縄移民100年の歩み(2016年出版、在亜沖縄県人連合会)』によれば(以下、特段の断りなければ同書を参照して記述)、日本からの最初の移民は1886年にアルゼンチンに到着した牧野金蔵という方だとされていますが、最初の沖縄からの移民は1908年の笠戸丸によるもので、乗船者781名のうち325名(50家族)が沖縄出身者であったとされます。ブラジルへの最初の移民として、神戸港を出発し、シンガポール、ケープタウンを経由し、ブラジルのサントス港に到着後、コーヒー農園に配属されたものの、日本での宣伝文句とは全く異なる過酷な労働環境から逃げ出し、325名のうち130名がアルゼンチンにたどり着きました。このように、アルゼンチンへの移民の多くは戦前はブラジルやペルーから、戦後はパラグアイやボリビアからの転住者や、移民会社と労働契約を結ばずに渡航する自由移民でした。他の南米諸国への移民と異なるのは、都市部で働く者が多く、文化や生活への順応が早いうちに行われた点です(ブラジル、ペルーでは集団移民が主流であり、移民先でもある程度日本的な生活が維持されていました)。彼らが、故郷から、家族や移民を希望する者を呼び寄せ、移民の連鎖が生まれたことがアルゼンチンに沖縄系が多い最大の理由とされています。今回、日系移民の中でも特に沖縄系に着目してご紹介しようと思った理由は、私の父方の祖父母が共に沖縄生まれであり、私はリトル沖縄とも呼ばれる大阪市の大正区(造船所や製鉄所などの工場が集積していたことから沖縄から働き口を求めて移住者が多く集まったとされる)の祖父母の家でよく沖縄料理を食していた経験から、私自身は大阪出身で沖縄在住の親戚には会ったことすらないものの、沖縄系としての

アイデンティティを有しており、またそれをアルゼンチンの地で意識させられることが多々あったためです。当地で日系人の方々に会った際に、「名前的に沖縄の人だね。沖縄のどこ出身かい。」と何回か聞かれました。知らなかったので、両親に連絡して祖父母が暮らした町を聞きました。その次に聞かれた際にその町を答えると「その町からアルゼンチンに来た仲里という人はいないから、多分君の親戚はこっちにはいないよ。」とのことでした。アルゼンチンの日系コミュニティは非常に組織化されており、沖縄系にいたっては出身地ごとに市町村人会が形成されているようです。そのため、上記のようなことがすぐに把握できるようでした。その他、アルゼンチン政府の人と話していても、「沖縄の名前だね。祖父が沖縄の人で少しだけ日本の血が入っているんだ。」という会話が偶然にも行われたりしました。

沖縄からの初期移民は、湾港労働、工場労働、家庭奉公といった労働者として雇用される立場の仕事が圧倒的多数であったものの、1920年代、30年代になるとカフェ経営や運転手など経営者として事業を興すケースが増え、戦後はクリーニング店、野菜つくり、花卉栽培に従事するものが増え、戦後アルゼンチンの日本移民一世を象徴する三大職業として知られ、特にクリーニング店は日本人の代名詞とも言われるほど隆盛したそうです。比較的歳を召されたタクシー運転手から「日本人か。日本人といえば、昔はクリーニング屋を経営しているというイメージだった。とてもいい仕事をしていた。でも今の日本はハイテクの国なんだろう?」と話しかけられたことがあります。

アルゼンチン移民の典型的なストーリーとして、一世は、仕事に苦労しながらも子供を熱心に学校の勉強

2018年10月28日世界のウチナーンチュの日の様子

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に取り組ませるなど教育に投資し、二世は懸命に勉強に励んで、教師や弁護士、薬剤師や医者などの専門職や技術者としてアルゼンチン社会で活躍していくというものがあります。では、私と一緒に野球をしているような三世はどうかというと、一世、二世らの苦労を知ってか知らずか、もう少し自由で楽天的な印象を受けます。翻って我が家を考えてみると、亡くなった祖母は口を開けば「あんたは一生懸命勉強して医者になりなさい」と五月蠅く言っていたことを思い出します。私の祖母にも沖縄から見知らぬ地に飛び出した一世の苦労があったのだろうな、と今更ながら地球の裏側で思い至る次第です。

6 最後にアルゼンチンで既に二年を過ごし、牛肉やワインを

代表とする食文化や、日本でも有名なイグアスの滝を筆頭に国内の観光資源も数え切れないほどあり、まだまだご紹介したいものは沢山ありますが、紙面の都合上とても書き切れません。日本ではペルーのマチュピチュやボリビアのウユニ塩湖の方が有名かもしれませんが、南米に旅行に行かれることがあれば、比較的治安も良いアルゼンチンまで足を伸ばされることを自信を持ってお勧めいたします。

また、この二年間は仕事面でも、G20等の国際的な大型会議に携わった他、二国間条約交渉の側面支援を行うなど、外交官として多岐に亘る経験を積むことができました。外交官の仕事の1つである、赴任地の魅力をより多くの人に伝えるということを、本稿でも少しでも果たすことができていれば大変嬉しく思います。

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