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シューベルト
「冬の旅」について
飯田永久
「冬の旅」のイメージ図
作詩者J.L.ヴィルヘルム ・ ミュラーJohann Ludwig Wilhelm Müller1794年10月-1827年10月。32才で没。ドイツの詩人。シューベルトの歌曲集「美しき水車屋の娘」と「冬の旅」の作詩者として知られる。
作曲者フランツ ・ ペーター ・ シューベルトFranz Peter Schubert1797年1月-1828年11月。31才で没。オーストリアの作曲家。各分野に名曲を残したが、とりわけドイツ歌曲において功績が大きく、「歌曲の王」と呼ばれる。
詩人ミュラー と 天才作曲家シューベルト
ミュラー 詩人、学者、出版社の編集長、宮廷顧問官など、マルチタレントだった。抗ナポレオン戦争に加わり各地を転戦。さらには学術調査団の一員としてギリシャやエジプトを訪問した。結婚し2人の子供を得たが、その一人が後に英国に渡り東洋学者となったマックス・ミュラーである。多忙の中にあっても旅を愛し、公務と旅行の疲労から1827年の春、体を壊し、同年10月1日に心臓発作のため32歳で死去。シューベルトオーストリア、しかもほとんどウィーンにしか住まなかった。作曲での収入は少なく、生活は困窮しており、友人たちの支援が生活の支えとなっていたとされる。シューベルトには多くのファン、支援者がいた。その象徴が、シューベルティアーデと呼ばれるサロンコンサートである。
「冬の旅」は、同じ二人による作品の歌曲集「美しき水車(小)屋の娘」とは対照的である。制作時の二人の環境に変化があったと思われる。「美しき水車(小)屋の娘」も、若者が失恋する物語だが、物語性ははっきりしている。この曲集は、曲のイメージからも、多くの場合、Lyric Tenorの歌手によって歌われる。
「冬の旅」の深刻さは、ミュラーの従軍体験などの、厳しい経験が元になったとする説がある。シューベルトは、長引く体調の不良や敬愛するベートーベンの死などで落ち込んでおり、ミュラーの「冬の旅」の詩に強く共感したと思われる。ちなみに、この二人は、直接触れ合う機会はなかった。
19世紀初頭のヨーロッパでは、イギリスで始まった「産業革命」が大陸にも波及し始めた頃であり、フランス革命後のナポレオンの盛衰と戦乱、各国の王制の変遷と相まって、変化の多い時代であった。
「冬の旅」は、具体的なストーリーの描写はなく、主人公である若者の心象風景が描写される。ミュラーが詩を作った時の政治的社会的制約も影響していると思われる。
「冬の旅」の特徴のひとつは、次のような、客観的な事象の音による表現である。・木の葉のさざめき(第5曲 菩提樹)・馬車の音、ラッパの音(第13曲 郵便馬車)・カラスの飛ぶ様(第15曲 カラス)・葉っぱのきらめき(第16曲 最後の望み)・鎖の音(第17曲 村で)・ライアーの音(第24曲 ライアー弾き)
他の特徴は、全曲がモノローグだが、自分自身や自分の心や涙を、第2・3人称とした歌詞が多いことである。・彼(第2曲 風見の旗)・私の涙(第3曲 凍る涙)・私の心(第7曲 流れの上で、 第13曲 郵便馬車)
よく出てくる歌詞(ドイツ語)
次の歌詞が何度か出てきます。聴き取ってください。
• Ich イッヒ 私• Schnee シネー 雪• Winter ヴィンテル 冬• Eis アイス 氷• Tränen トゥレーネン 涙• Mein Herz マイン・ヘルツ 私の心• Und ウント そして• Hund フント 犬
「冬の旅」の解説本は多い。
梅津時比古 著 Ian Bostridge 著
「冬の旅」ほどに複雑で強い情感を呼び起こす作品を演奏するということは、それにあらゆる面でかかわるということだ。1828年に文化という大海原に流された、瓶に入れられたメッセージが、いまに生きる私たちにどんな意味を持つのかを理解することでもある。この作品は私たちの現在の関心事にどう関連するのだろうか? まったく予期しなかったようなかたちでも、私たちとのつながりが見つかるのだろうか? ・・・・Ian Bostridge
1.0+0.2
第1曲 Gute Nacht お休み
主人公の若者は、かつての恋人に「Gute Nacht!」と書き残して、町を去る。しかし、この失恋の経緯は、詩の中にははっきりとは描かれていない。そもそも若者は、この夜、彼女の家にいたのか、それとも別の家にいたのか?彼女が「金持ちの花嫁」と言われるのは、金持ちの家の娘だったのか、金持ちの男の嫁になるからなのかも判然としない。このように、冬の旅の歌詞は、聴く人に多くの可能性を残したままである。このためもあって、「冬の旅」の解釈・解説本は多い。
ドイツの職人は多くの場合、まず徒弟(見習い工)として就職しながら職業学校に通い、若しくは1年間のワルツ(Walz、放浪修行)で専門知識や技術を習得し、次段階の熟練工の試験を受け、熟練工になった後もファッハシューレにて3 - 5年間技術の研修を積んでマイスター試験を受ける。ワルツ期間中はいかなる事情・理由があろうとも出身地の半径50キロメートル以内には立ち入れない規定まである(親族の死に目には立ち会える)。
第2曲 Die Wetterfahne 風見の旗
風見鶏
第5曲 Der Lindenbaum 菩提樹
第11曲 Frühlingstraum 春の夢
第13曲 Die Post 郵便馬車
第15曲 Die Krähe カラス
第16曲 Letzte Hoffnung 最後の希望
第20曲 Der Wegweiser 道しるべ
第21曲 Das Wirthaus 宿屋
23.Die Nebenssonnen 幻の太陽幻の太陽
誠実、希望、生命の3つにもたとえられる。
幻日といわれる自然現象:北海道など、各地で見られる
第24曲(終曲)Der Leiermannライアー弾き(ライアーマン、ライエルマンまたは、辻音楽師)
Leierライエル/ライアー
Leiermannライアー回し=ライアー弾き=ライエルマン
辻音楽師
Hurdy gurdyハーディ・ガーディ
ハンドルを回すと、木製の回転板が弦をこすり、音が出る。
(機械式バイオリンのようなもの)