16
大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) ―受講の有無、卒業後の目標の有無からの分析― 若 山   昇 大学生の論理的な思考力の向上が求められており、高等教育において もクリティカルシンキングが取り入れられる傾向にある。本研究の第一 の目的は、クリティカルシンキングの授業を半期の受講で集中して学ん だ学生と、全く授業を受講しなかった学生を比較分析し、授業の効果を 明らかにすることである。具体的には、半期のクリティカルシンキング の授業の前後に、質問紙調査を行ない、受講しない統制群を用いて、ク リティカルシンキングに対する志向性と認知欲求の変化を測定した。そ の結果、クリティカルシンキングの授業を受講した学生が、受講しない 学生よりもクリティカルシンキングに対する志向性と認知欲求が有意に 伸びており、クリティカルシンキングの授業の効果が示唆された。 また、クリティカルシンキングの伸びには授業以外のさまざまな要因 が考えられる。そこで、本研究の第二の目的は、公務員志望等の卒業後 の目標を持っている学生と、それ以外の学生を比較分析し、卒業後の目 標を持つことの影響を確認することである。授業効果の測定と同様に統 制群を用いた質問紙調査の結果、公務員志望等の卒業後の目標を持って いる学生が、それ以外の学生よりもクリティカルシンキングに対する志 向性の探究心と客観性が有意に伸びており、卒業後の目標の有無がそれ らの伸びに影響する可能性が示唆された。 〔キーワード:クリティカルシンキング、大学、授業効果、統制群、志 向性、認知欲求〕 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 35

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

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Page 1: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2)―受講の有無、卒業後の目標の有無からの分析―

若 山   昇

大学生の論理的な思考力の向上が求められており、高等教育において

もクリティカルシンキングが取り入れられる傾向にある。本研究の第一

の目的は、クリティカルシンキングの授業を半期の受講で集中して学ん

だ学生と、全く授業を受講しなかった学生を比較分析し、授業の効果を

明らかにすることである。具体的には、半期のクリティカルシンキング

の授業の前後に、質問紙調査を行ない、受講しない統制群を用いて、ク

リティカルシンキングに対する志向性と認知欲求の変化を測定した。そ

の結果、クリティカルシンキングの授業を受講した学生が、受講しない

学生よりもクリティカルシンキングに対する志向性と認知欲求が有意に

伸びており、クリティカルシンキングの授業の効果が示唆された。

また、クリティカルシンキングの伸びには授業以外のさまざまな要因

が考えられる。そこで、本研究の第二の目的は、公務員志望等の卒業後

の目標を持っている学生と、それ以外の学生を比較分析し、卒業後の目

標を持つことの影響を確認することである。授業効果の測定と同様に統

制群を用いた質問紙調査の結果、公務員志望等の卒業後の目標を持って

いる学生が、それ以外の学生よりもクリティカルシンキングに対する志

向性の探究心と客観性が有意に伸びており、卒業後の目標の有無がそれ

らの伸びに影響する可能性が示唆された。

〔キーワード:クリティカルシンキング、大学、授業効果、統制群、志

向性、認知欲求〕

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 35

Page 2: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

はじめに

高等教育における学士力の重要性が指摘されており、情報や知識を複

眼的、論理的に分析し、表現できる論理的思考力や、問題を発見し、解

決に必要な情報を収集・分析・整理し、その問題を確実に解決できる問

題解決力を培うことが必要とされている(文部科学省 2008)。このよう

に、思考力を培う積極的な教育が必要とされており、自ら考える力、論

理的な思考力を養成することが重要な課題となっている。そこで、クリ

ティカルシンキングを、授業に取り入れることが、論理的思考能力の向

上に効果があると考えられており、心理・教育系、医療・看護系、経営

学系、法律系等の高等教育においてクリティカルシンキングの授業が行

なわれつつある。

クリティカルシンキングとは、何を信じ何を行なうかを決定すること

を中心にした、合理的な思慮深い考察(Ennis 1993)とされている。ま

た、適切な基準や根拠に基づく、論理的で、偏りのない思考(廣岡ほか

2000)とされ、具体的な思考内容が示されている。さらに、先入観に囚

われず、論理的に考え、合理的な決定を導き出す能力と意思(若山

2009)と定義されている。前回の研究(若山 2009)においてはクリ

ティカルシンキングの演習授業を受けた学生は半期の短期間で、クリ

ティカルシンキングに対する志向性が伸びているが、その授業を受けて

ない学生との比較がない。そこで本研究は、前回の研究の結果を受けて、

クリティカルシンキングの授業の受講の有無によって、クリティカルシ

ンキングの伸びに差異があるかを確認し、クリティカルシンキングの授

業との関連をさらに検討する。さらに、授業以外でもクリティカルシン

キングの伸びが考えられるので、卒業後の目標の有無がクリティカルシ

ンキングの伸びに与える影響を明らかにする。

36

Page 3: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

1.研究目的

本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

期の授業を集中して行ない、その授業を受講して学んだ場合の学生の変

化と、全く授業を受講しなかった場合の学生の変化、及び授業の効果に

焦点をあてた。クリティカルシンキングに対する志向性は、クリティカ

ルシンキングを行なおうと思うことであり、クリティカルシンキングの

教育においては、これを向上させることは能力や技術を高めることより

も重要である(廣岡ほか 2000)と報告されている。クリティカルシン

キングに対する志向性は、授業を行なうことにより向上するとされており

(若山 2009)、クリティカルシンキングの授業を全く受けない統制群に

おいては、クリティカルシンキングに対する志向性の伸びが、授業を受け

た群の伸びよりも小さいことが想定されるので、まずこれを確認する。

次に、認知欲求とは、クリティカルシンキングに対する志向性と関連

した概念であり(廣岡ほか 2000)、個人が思考活動に従事し楽しむ傾向

である(Cacioppo et al. 1982)。そこで、この認知欲求も、クリティカル

シンキングに対する志向性と同様に、クリティカルシンキングの授業を

全く受けていない統制群と、授業を受けた群の関係を検討する。つまり、

授業を受けない群においては、認知欲求の伸びが、授業を受けた群の伸

びよりも、小さいことが想定される。これらの 2点を確認し、授業との

関係を明らかにすることを第一の目的とする。

さらに、本研究では、大学生のクリティカルシンキングに対する志向

性と認知欲求の伸びに焦点をあてた。これらの伸びは、授業以外でもさ

まざまな要因が考えられる。大学卒業後の目標を持っている方が、これ

らの伸びが大きいと思われるので、公務員になる等の就職の受験目標を

持っている学生群が、それ以外の学生群よりも伸びが大きいことが想定

される。これを確認し、卒業後の目標の有無がクリティカルシンキング

に対する志向性と認知欲求に与える影響を明らかにすることを、第二の

目的とする。

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 37

Page 4: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

2.研究方法

2.1 調査時期

クリティカルシンキングの授業による変化を測定するため、半期ごと

の授業開始時期(以下 Preとする)と終了時期(以下 Postとする)に調

査を実施した。クリティカルシンキング受講の有無による分析において

は 2008 年度の前期の 4月と 7月、及び後期の 9月と 2009 年 1 月に合計

4 回、目標の有無の分析においては 2008 年度の後期の 9 月と 2009 年 1

月に 2回行なった。

2.2 調査対象

クリティカルシンキング受講の有無による分析においては、A大学及

び B大学において学部の半期の授業に出席した第 2年次以上の学生 305

名のうち、クリティカルシンキングの授業を受講し、質問紙に回答した

者 192 名、及びクリティカルシンキングを全く受講していない者で、同

時期に同様の質問紙に回答した者 68 名を、その統制群として分析対象

とした。本研究は、教育のための調査研究であり、現状の教育現場を所

与の条件としており、本研究のためにあえて新たに調査対象として統制

群を厳格に選定したのではない。このため、測定に用いた尺度は後述の

「尺度及び分析方法」に詳しく記載しているが、大学間では差がないと

されているクリティカルシンキングに対する志向性の尺度(廣岡ほか

2000)を用いている。加えて認知欲求の尺度(神山ほか 1991)を使用

しているが、両尺度ともに全ての因子で Preにおける実験群と統制群の

差異分析を行なっている。なお、その詳細は「結果」に記載している。

また目標の有無の分析においては、A大学において法学部の授業を受講

し、質問紙に回答した者 61 名を分析対象とした。

なお、分析対象から重複した回答者及び欠損値のある回答を除いてお

り、留学生は含まれていない。年齢は 19 歳から概ね 22 歳であった。

38

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2.3 調査方法

無記名・自記式質問紙調査を行なった。倫理的配慮として、成績に無

関係であること、教育・研究目的以外には使用しないこと、さらに記入

内容の利用を望まない学生は成績発表の後でもよいので教員に連絡する

ことを説明した。正直に記入すること、また調査対象者を追跡するため

に、携帯電話の下 4桁を記入することを依頼した。

2.4 尺度及び分析方法

クリティカルシンキングの伸びを測定する尺度は、先行研究(若山

2009)に沿って、以下の 2 尺度を採用した。分析方法については、

SPSS17.0 を用いて、因子分析を行ない、項目合計得点を対象として

Pre-Postの差について分析を行なった。なお、両尺度とも使用許諾を得

ている。

(1)クリティカルシンキングに対する志向性尺度(廣岡ほか 2000):

これはクリティカルシンキングを行なおうと思うかの尺度であり、30

項目から構成されている。この尺度はクリティカル・シンカーの特徴が

幅広く取り入れられており、志向性の獲得、向上にはどのような教育が

必要かを検討していくのに資し、同時に思考力の育成といった大学教育

の効果を測定するメジャーにもなると考えられている(廣岡ほか 2000)。

回答者自身がどの程度自分に当てはまると思うかを、「非常によくあて

はまる」から「まったくあてはまらない」までの 7段階で評定した。

(2)認知欲求尺度(神山ほか 1991):

これは Cacioppo et al.(1982)が検討した思考活動に従事し楽しむ傾

向についての尺度であり、神山ほか(1991)及び神山(1993)は、これ

を受けて日本語版の認知欲求尺度を作成し、信頼性と妥当性が検証され

ている。これは、1 因子 15 項目で構成されており、回答者自身が、認

知欲求特性についてどの程度自分に当てはまると思うかを「非常にそう

である」から「まったくそうでない」までの 7段階で評定した。

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 39

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3.結果

3.1 クリティカルシンキングに対する志向性の因子分析

クリティカルシンキングに対する志向性の Pre-Postにおける変化を明

らかにし、クリティカルシンキング演習授業による変化を検討するため

に、あえてクリティカルシンキングについて全く学習していない Preを

基準とし、Preのデータを対象に因子分析を行なうこととした。この尺

度を開発した廣岡ほか(2000)の先行研究に沿って、30 項目を主因子

法プロマックス回転により、探索的に因子数を変化させたところ、この

先行研究とほぼ同様の結果を示したため 3因子解を採用した。なお、因

子負荷量は .375 以上の 27 項目を採用した(表 1)。

因子分析の結果、第 1因子は「他の人の考えを尊重することができる。」

「自分とは別の意見を理解しようと努める。」「他の人が出した優れた主

張や解決案を受け入れる。」などの項目から構成されており、「誠実さ」

因子とした。第 2因子は「他の人があきらめても、なお答えを探し求め

続ける。」「問題を解決することに一生懸命になる。」「自分の立場に有利

なものも不利なものも含めて、あらゆる根拠を求めようとする。」など

の項目から構成されており、「探究心」因子とした。さらに第 3 因子は

「興奮状態でものごとを決めたりすることはせず、冷静な態度で判断を

くだす。」「根拠に基づいた行動をとる。」「論理的に議論を組み立てるこ

とができる。」などの項目から構成されており、「客観性」因子とした。

これらの 3因子は廣岡ほか(2000)の先行研究と同様の命名である。各

下位尺度の信頼性係数(Cronbachの α)は .723 ~.800 であり、各下位因

子の相関は .455 ~.596 であった。

3.2 クリティカルシンキング受講の有無

実験群は当該調査時期を含めてクリティカルシンキング授業を受けた

ことのある群(以下、受講有群)とし、統制群はクリティカルシンキン

グの授業を全く受けてない群(以下、受講無群)として、Pre-Postの対

40

Page 7: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 41

因子

Ⅰ Ⅱ Ⅲ

初期の固有値

初期の寄与率(%)

初期の累積寄与率(%)

    Ⅰ因子間相関 Ⅱ Ⅲ

Ⅰ -

Ⅱ -

Ⅲ -

項目

自分の立場に有利なものも不利なものも含めて,あらゆる根拠を求めようとする。

.437

.489

.489

.518

.533

.597

.610

.612

.675

.070

.098

.070

.267

.065

.185

.130

.054

.246

.014

.246

.013

.072

.021

.191

.056

.010

.010

6.666

24.689

24.689

-.033

.143

-.032

-.021

.117

.109

-.103

.125

-.230

.662

.527

.518

.476

.474

.467

.459

.453

.424

.389

-.281

.121

.192

.075

.123

.031

.073

-.090

2.328

8.621

33.310

.016

-.082

-.035

-.199

-.110

.060

.291

-.013

.220

-.053

-.034

.181

-.068

-.051

.281

.072

-.079

.094

.179

.648

.578

.575

.537

.451

.426

.388

.379

1.620

6.001

39.311

.481

.596

.455

他の人の考えを尊重することができる。

自分とは別の意見を理解しようと努める。

他の人が出した優れた主張や解決案を受け入れる。

必要に応じて妥協することができる。

自分の考えも一つの立場にすぎないと認識している。

偏りのない判断をしようとする。

判断をくだす際には,自分の好みにとらわれないようにする。

自分の立場に反するものであっても,正しいことは支持する。

独断的で頑固な態度にならない。

他の人があきらめても,なお答えを探し求め続ける。

問題を解決することに一生懸命になる。

一つのやり方で問題が解決しない時には,いろいろなやり方を試みる。

新しいものにチャレンジするのが好きである。

考える限りすべての事実や証拠を調べる。

根拠が弱いと思える主張に対しては,他の可能性を追求する。

ふつうの人が気にもかけないようなことに疑問を持つ。

一つ二つの立場だけではなく,あらゆる立場から考慮しようとする。

いったん判断したことは最後までやり抜く。

興奮状態でものごとを決めたりすることはせず,冷静な態度で判断をくだす。

根拠に基づいた行動をとる。

論理的に議論を組み立てることができる。

問題と関係あることと無関係なことをきちんと区別できる。

結論をくだすべき時にはちゅうちょしない。

判断をくだす際には,義理人情よりも事実や証拠を重視する。

いろいろな分野について,本を読み,精通している。

何事も,少しも疑わずに信じ込んだりはしない。

表 1 クリティカルシンキング志向性の因子分析

Page 8: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

応のある t 検定を行なった。この結果(表 2)から、クリティカルシン

キングに対する志向性においては、受講有群では、全ての下位因子の得

点が有意に上昇したが、受講無群では変化に有意差はなかった。分散分

析(反復測定)を行なった結果、Pre-Post×クリティカルシンキング受

講有無の交互作用(授業の受講効果)が、クリティカルシンキングに対

する志向性の誠実さと探究心において有意となり、志向性全体では有意

傾向を示した。さらに、調査対象者毎に各因子の伸び(Pre-Postの差)

について、受講有群と受講無群との差異を検定したところ、交互作用と

同じ有意水準の結果が得られた。

また、認知欲求においては、受講有群では、得点が有意に上昇したが、

受講無群では変化に有意差はなかった。分散分析(反復測定)を行なっ

た結果、Pre-Post×クリティカルシンキング受講有無の交互作用(授業

の受講効果)が、有意となった。さらに、調査対象者毎に各因子の伸び

(Pre-Postの差)について、受講有群と受講無群との差異を検定したと

ころ、交互作用と同じ有意水準の結果が得られた。

一方、これらの統制群は、学生自身がクリティカルシンキングの演習

授業の受講を選択するか否かという区別によるものだけであり、この点

において厳格に統制がとれているとは言いきれない。そのため、Preの

群間の得点差を確認する必要があるので、Preにおけるクリティカルシ

ンキング受講の有無による差異の検定を実施した。その結果、クリティ

カルシンキングに対する志向性の各因子及び志向性全体には、有意差が

みられなかったものの、認知欲求だけには有意差が認められた。このた

め Preの認知欲求については、さらなる分析が必要となった。そこで

Preにおいて、全員の認知欲求因子得点の平均点で Pre認知高群と Pre

認知低群に分けて、各々でクリティカルシンキングの受講有群と受講無

群に分け、Pre-Postの対応のある t 検定を合計 4件行なった。その結果、

Pre認知低群であり、かつクリティカルシンキング受講有群のみが、有

意に伸びており( t(79)=- 5.645、p <.001)、他の 3件が伸びていな

かった。さらに、Pre認知低群においてクリティカルシンキング受講有

42

Page 9: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

群とクリティカルシンキング受講無群で t 検定を行なったところ、Pre

認知欲求因子得点には有意差はなかった。

3.3 卒業後の目標の有無

A大学法学部は、所謂中位の大学といわれ、法学部としても卒業生の

進路として公務員を掲げており、法科大学院に進学する学生もいるので、

法科大学院または公務員の受験目標を持っている学生群と、どちらの受

験目標も持っていない学生群を、分析の対象とした。目標の有無による

影響を明らかにするために、この受験目標有群と受験目標無群において、

クリティカルシンキングに対する志向性の下位因子の項目合計得点及び

認知欲求の因子得点を対象に、Pre-Postの対応のある t 検定を行なった。

その結果(表 3)から、受験目標有群では、探究心、客観性及びクリ

ティカルシンキングに対する志向性全体で有意に上昇したが、受験目標

無群では、有意ではなかった。さらに、分散分析(反復測定)を行なっ

た結果、Pre-Post×受験目標有無の交互作用(受験目標を持つ効果)が、

クリティカルシンキングに対する志向性の探究心において有意となり、

志向性全体では有意傾向を示した。

一方、この統制群は、学生自身が法科大学院または公務員の受験目標

を持っているか否かという学生自身の申告による区別によるものだけで

あり、クリティカルシンキング受講の有無の場合と同様に、厳格に統制

がとれているとは言いきれない。そこで受講開始前の群間の得点差を確

認する必要があり、Preにおける差異を検定したところ、誠実さだけに

有意差が存在した。従って、法科大学院または公務員の受験目標を持っ

ている学生は、誠実さの得点がより高いことが示された。

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 43

Page 10: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

44

CT志向性

**

†27

28126.71

133.18

-3.373

22125.55

126.91

-1.700

3.087

-.373

①誠実さ

9*

3046.63

47.90

-1.642

2343.39

44.22

-0.306

.119

-2.125

②探究心

**

1029

47.52

49.83

-2.606

2348.09

47.30

0.186

5.335

.408

③客観性

8*

2932.72

34.97

-2.720

2233.59

34.91

-1.983

.049

.050

認知欲求15

3264.53

66.78

-1.540

2363.65

64.91

-0.017

.171

-.178

 

× 有無

nN

  t値

N  t値

  F 値 

 t値

† p<.10,  * p<.05,  ** p<.01,  *** p<.001  

Post

Pre

Pre

Post

Pre-Post

法科大学院・公務員の受験目標有

受験目標無

Pre時点の

有無の差異

CT志向性27

164123.76

128.92

-5.462***54121.06123.15-1.700†

3.026†

-1.740†

-1.503

①誠実さ9173

43.77

45.57-4.221***59

42.9243.08-.306

4.247*

-2.061*

-1.323

②探究心

*10

173

47.41

48.99-3.669***58

46.2146.07

.186

4.218

-2.054

-1.374

③客観性8

†171

32.53

34.30-4.540***56

32.1833.36-1.983

.543n.s.

-.737

-.703

認知欲求

**

*15

170

65.20

67.81-3.736***61

61.9061.92-.017n.s.4.216

-2.053

-1.982

† p<.10,  * p<.05,  ** p<.01,  *** p<.001

Post t 値

t値

Nn

NPost  t値

有無の差異

× 有無

対象者毎の

伸びの変化

t 値

  F 値

CT受講有

CT受講無

Pre-Post

Pre時点の

Pre

Pre

表2受講の有無におけるクリティカルシンキングに対する志向性・認知欲求の変化

表3将来の受験目標の有無におけるクリティカルシンキングに対する志向性・認知欲求の変化

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4.考察

4.1 クリティカルシンキングに対する志向性の伸びと演習授業の関係

クリティカルシンキングの授業設計では、グループによる課題発表を

中心に置いた。学生が課題発表の準備を行なうにあたっては、学生自身

が課題を特定しなくてはならない。課題をパワーポイント等にまとめて

発表するので、学生が自分達で考えて、分析する必要がある。さらにそ

れをグループでまとめて、授業で説明する方法を検討する。加えて、発

表を行なうには聞き手の様々な質問を想定して、学生自身が様々な立場

にたって準備をする必要性があった。そこでは、他人の考えを尊重し、

理解し、受け入れることが必要となった。これらのことが、誠実さの伸

びに寄与したことが推察される。また、想定される学生や教員からの質

問に対して答えを準備する過程は、探究心の伸びに寄与したことが考え

られる。

一方、授業では学生による主体的な授業参加を促すために、教員は

ファシリテータ役にしかすぎないこと授業内で宣言した。そのうえで、

学生の思考を促すため、効果的であるとされる質問技法(King, 1995)

を取り入れ、クラス討議、グループ討議では学生間で積極的に質問する

ことを奨励した。さらに、学生との双方向性コミュニケーションを確保

するために授業中のみならず、授業終了時のミニレポートには携帯メー

ルを活用し、次回の授業開始までには Eメールを利用した。この授業の

例のように、授業設計の段階から多方向・双方向性のコミュニケーショ

ンを積極的にとることを重視するのは、クリティカルシンキングの演習

授業が有する特徴である。かかる手法等で学生の思考を促した場合には、

半期の短期間でもクリティカルシンキング授業を集中して学べば、その

前後において学生のクリティカルシンキングに対する志向性の伸びが報

告されている(若山ほか 2008、若山 2009)。また、先行研究においては、

心理学入門の授業において、演繹法など一般的なクリティカルシンキン

グの教材を学んだ群は、クリティカルシンキングのテストの得点が有意

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 45

Page 12: 大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) · 1.研究目的 本研究では、関心が高まるクリティカルシンキングの授業について半

に伸びたが、学ばなかった群は伸びなかった例(Solon 2007)が報告さ

れている。

本研究においては Preの差異検定では有意差がなく、受講有無により

誠実さと探究心に交互作用(授業の受講効果)がみられた。従って、ク

リティカルシンキングに対する志向性の誠実さと探究心の因子を伸ばす

には、クリティカルシンキングの演習授業を受講することが有用である

と示唆された。なお、客観性では交互作用には至らなかったものの、受

講有群は受講無群より得点の伸びが大きいことは、誠実さ、探究心と同

様である。この客観性のみは、クリティカルシンキング受講無群におい

てもその伸びに有意傾向がみられている。これは、クリティカルシンキ

ングの受講をしていなくても、大学の他の教科で学問を学ぶ過程におい

ても、伸びる可能性が推察される。

4.2 認知欲求の伸びと演習授業の関係

授業においては、教員は、学生が考えようとすらしていないこと、さ

らには学生の思考が停止していることなどに気がつくことができる機会

を、なるべく多く提供した。例えば、なぜ家庭のお茶碗はお茶用でなく、

湯呑はお湯用でないのか? なぜ、カカオを食べることはないのに、「カ

カオ風味」がチョコレートの宣伝文句なのか? 学生はこのようにして

自らの「無知の知」を学ぶこととなった。さらに、なぜ車内禁煙なのに

車内禁イヤホンではないのか? なぜ電車の中のお化粧は良くないのか?

なぜ自動車の定員は厳守されるのに、電車は厳守されないのか? なぜ、

電卓は単純な割り算の計算を間違えるのか? さらに、なぜ、表計算ソ

フト(Excel)を使ったコンピュータでさえも、単純な引き算や割り算

の計算を正確にできないのか?等など、学生にとってできるだけ興味の

あることを取り上げた。さらに、たとえ学生が思慮不足で間違いや勘違

いをしても、教員による否定的なコメントを避け、「なんでそうなる

の?」「なにがうれしいの?」「他の案はないの?」「本当なの?」等、

疑問形を用いて再考を促す方法を採用した。これらの手法により、自ら

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楽しんで課題に取り組むことが可能となり、何とかして答えに行き着こう

とする意欲を促し、自ら懸命に対処し、熟考することになると考えられる。

認知欲求は刺激や情報を精査しようとする内発的な動機づけとされており

(神山ほか 1991)、これらの手法がその伸びに寄与したことが推察される。

長期的にみると、認知欲求は大学 2年間(1 ~ 2 年次)では有意な差

は見られない(小川ほか 1999)ことが報告されているが、クリティカ

ルシンキングに対する志向性と同様に、半期の短期間でもクリティカル

シンキング授業を集中して学んだ場合には、その前後において学生の認

知欲求得点の伸びが報告されている(若山ほか 2008)。

本研究では、認知欲求の Preにおけるクリティカルシンキング受講の

有無による差異の検定の結果、クリティカルシンキングに対する志向性

とは異なり、有意差があった。従って、クリティカルシンキングの受講

を選択する時点で既に、考えることをより楽しめる学生がクリティカル

シンキングの授業を選択していることが考えられたので、Pre時点での

この差がその後の認知欲求の伸びの理由である可能性を検討した。つま

りこれは、Preの時点で認知欲求が高かったからその後も認知欲求が伸

び、Preの時点で認知欲求が低かったからその後も伸びなかったという

可能性である。そこで行なわれた Pre認知高低別、受講有無別の 4件の

対応ある t 検定の結果、Pre認知低群かつ受講有群のみが有意に伸びて

いたことによって、Preの認知欲求が低くても認知欲求得点が大きく伸

びることが示された。さらに、Pre認知低群においてクリティカルシン

キング受講有群と受講無群で Pre認知欲求得点に差がなかったことに

よって、表 2の認知欲求においてクリティカルシンキング受講無群が伸

びない理由は、Preの認知欲求の低さに起因するのではないと、考えら

れることになる。

従って、これらの考察に加えて、認知欲求においてもクリティカルシ

ンキングに対する志向性と同様に、受講有無による交互作用(授業の受

講効果)があることから、認知欲求を伸ばすには、クリティカルシンキ

ングの受講が有用であると示唆された。

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 47

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4.3 卒業後の目標の有無による影響

半期という短期間の授業ではあるが、クリティカルシンキングに対す

る志向性の探究心と客観性、さらに各因子の合計である志向性全体にお

いて、受験目標有群で有意に伸び、受験目標無群では有意ではなかった。

先行研究においては、学年別に調査した結果として、1年次~ 2 年次で

はクリティカルシンキングの志向性及び認知欲求がともに伸びていない

(小川ほか 1999)。しかし、元吉ほか(2001)は、1年次~ 4年次ではク

リティカルシンキングに対する志向性の伸びに有意または有意傾向がみ

られており、客観性と探究心はいったん下降するが 4年次にもっとも高

まることが明らかになったと、4年次に向かって上昇することを報告し

ている。学生の客観性と探究心が伸びている点は、本研究の結果と類似

している。さらに、先行研究において 4年次に向けて客観性と探究心が

伸びている理由は、学年ごとによる学習内容の差異の可能性は否定でき

ないものの、卒業後の目標が明確になってくる時期に一致している。つ

まり、客観性と探究心は卒業後の目標を持つようになると、伸びること

が推察される。

また、卒業後の目標の有無による伸びの交互作用については、クリ

ティカルシンキングに対する志向性の探究心においてのみ確認された。

この理由は、探究心における「問題を解決することに一生懸命になる」

「一つのやり方で問題が解決しない時には、いろいろなやり方を試みる」

等の問題解決に対する探究心が、就職時に重視される内容だからである

と推察されるものの、探究心は認知欲求との強い相関があるとの報告も

あり(小川ほか 1999)、今後の検討課題である。

本研究結果及びこれら先行研究から鑑み総合的に考察すると、卒業後

に対する具体的な目標とクリティカルシンキングに対する志向性の伸び

の関係については、学生にとっての関心事といわれている卒業後の就職

に関する目標を持つことが、クリティカルシンキングに対する志向性の

探究心と客観性の伸びに影響していると示唆された。

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おわりに

半期という短期間においてもクリティカルシンキング授業の受講の有

無により、クリティカルシンキングに対する志向性の誠実さと探究心、

及び認知欲求に有意な差と交互作用がみられており、クリティカルシン

キングの演習授業の有用性が示唆された。さらに、クリティカルシンキ

ングに対する志向性の探究心と客観性を伸ばすには、卒業後の目標を

持っていることが影響していると考えられた。

本研究では、現状の教育現場を所与の条件としているため、本研究の

ためにあえて新たに統制群を厳格に選定していないことによる限界が

あった。今後の課題として、可能であれば統制群を厳格化することで信

頼性を向上させることがあげられる。また、卒業後の目標の有無を、ク

リティカルシンキング演習授業の受講の有無別に分析可能となる程度ま

でサンプル数を増やすこと、さらに、因子分析で 3因子解が得られたが

説明率があまり高くなく、因子数及び下位因子を検討することも必要で

あろう。また、授業の選択・必修の別、学生の出席率、学力水準、大学

での年次、クラス人数の多寡等も今後の検討の対象とすべきであろう。

大学におけるクリティカルシンキング演習授業の効果(2) 49

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