3
45 63 3 号(2019 3 月号) カム機構活用の新たな展開 特集 はじめに 近年の急速な高齢化に伴い変形性膝関節症など の膝疾患患者が急増しており,関節部を人工物に 置き換える全人工膝関節置換術 1), 2) は,日本にお いて一般的な手術の 1 つとなってきている。この 際,手術後の歩行能力を回復させるためにはリハ ビリテーションが必須である。これは手術前の変 形した膝関節での歩行の癖が手術後の関節の形状 に適した歩行とは異なるため,正常な歩行パター ンを再獲得する必要があるためである。このこと から筆者らは歩行リハビリテーションを支援する ための膝関節アシストロボットを開発してきた 3) 特にこのロボットでは膝関節の屈曲・伸長の際に ロールバック運動 4) に追従した回転滑り運動で 動作を支援する機構を有している。このロールバ ック運動は膝関節の動きが屈曲角度15°から90° の範囲の場合に発生し,膝関節の回転中心が膝後 方に滑りながら回転する運動のことである(図1)。 この現象はこれまで開発されてきた多くの人体装 着型ロボットでは考慮されてこなかったが,人工 膝関節に置換した後の歩行リハビリテーションで は,アシストロボットの動作が膝の動きを確実に 追従する必要があることから,非円形ギヤと溝カ ムを組み合せた特殊なギヤカム機構を用いている。 現在,臨床研究において右脚用と左脚用の 2 種類 のギヤカム機構を使用して有効性や安全性の検証 を進めている。 このような膝関節アシストロボットを普及させ るためには機能の有効性だけでなくコスト削減が 必須であり,右脚・左脚どちらの脚にも装着でき るロボットが実現できれば導入コストを大幅に削 減できることから,両方向ロールバック動作を有 する構造が望まれている。一方,これまで開発し てきたロールバック対応可能なアシストロボット では,膝関節運動に基づく仮想回転中心に溝カム を用いた機構を用いている 5) 。この考え方を用い て両方向対応の溝カムを創成すると,溝カムの形 状は左右対称形状を有するものの中央部で切り下 げが発生し,従動ローラの不安定な動きが発生す る(図2)。この問題のため従来のロールバック対 応の構造では両方向ロールバック動作には適用で 両方向ロールバック機能を有する 歩行アシストロボット用ギヤカム機構の開発 山梨大学 寺田 英嗣 *てらだ ひでつぐ: 大学院総合研究部工学域機械工学系,工学部情報メ カトロニクス工学科 教授 図1 ロールバック運動 膝関節回転 頚骨 各回転角における 接触位置 仮想中心 ロールバック 大腿骨 テーマ6

両方向ロールバック機能を有する 歩行アシストロボット用ギ …...46 機 械 設 計 きない。 そこで両方向ロールバック動作を実現するため,中心軌跡と膝関節の回転中心軌跡が一致しない溝

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 両方向ロールバック機能を有する 歩行アシストロボット用ギ …...46 機 械 設 計 きない。 そこで両方向ロールバック動作を実現するため,中心軌跡と膝関節の回転中心軌跡が一致しない溝

45第 63 巻 第 3 号(2019 年 3 月号)

カム機構活用の新たな展開 特集

はじめに

 近年の急速な高齢化に伴い変形性膝関節症などの膝疾患患者が急増しており,関節部を人工物に置き換える全人工膝関節置換術1),2)は,日本において一般的な手術の1つとなってきている。この際,手術後の歩行能力を回復させるためにはリハビリテーションが必須である。これは手術前の変形した膝関節での歩行の癖が手術後の関節の形状に適した歩行とは異なるため,正常な歩行パターンを再獲得する必要があるためである。このことから筆者らは歩行リハビリテーションを支援するための膝関節アシストロボットを開発してきた3)。特にこのロボットでは膝関節の屈曲・伸長の際にロールバック運動4)に追従した回転―滑り運動で動作を支援する機構を有している。このロールバック運動は膝関節の動きが屈曲角度15°から90°の範囲の場合に発生し,膝関節の回転中心が膝後方に滑りながら回転する運動のことである(図1)。この現象はこれまで開発されてきた多くの人体装着型ロボットでは考慮されてこなかったが,人工膝関節に置換した後の歩行リハビリテーションでは,アシストロボットの動作が膝の動きを確実に追従する必要があることから,非円形ギヤと溝カムを組み合せた特殊なギヤカム機構を用いている。現在,臨床研究において右脚用と左脚用の2種類のギヤカム機構を使用して有効性や安全性の検証を進めている。 このような膝関節アシストロボットを普及させるためには機能の有効性だけでなくコスト削減が

必須であり,右脚・左脚どちらの脚にも装着できるロボットが実現できれば導入コストを大幅に削減できることから,両方向ロールバック動作を有する構造が望まれている。一方,これまで開発してきたロールバック対応可能なアシストロボットでは,膝関節運動に基づく仮想回転中心に溝カムを用いた機構を用いている5)。この考え方を用いて両方向対応の溝カムを創成すると,溝カムの形状は左右対称形状を有するものの中央部で切り下げが発生し,従動ローラの不安定な動きが発生する(図2)。この問題のため従来のロールバック対応の構造では両方向ロールバック動作には適用で

両方向ロールバック機能を有する歩行アシストロボット用ギヤカム機構の開発

山梨大学 寺田 英嗣*

*てらだ ひでつぐ:�大学院総合研究部工学域機械工学系,工学部情報メカトロニクス工学科 教授

図1 ロールバック運動

膝関節回転

頚骨

各回転角における接触位置

仮想中心

②②

ロールバック

大腿骨

テーマ6

Page 2: 両方向ロールバック機能を有する 歩行アシストロボット用ギ …...46 機 械 設 計 きない。 そこで両方向ロールバック動作を実現するため,中心軌跡と膝関節の回転中心軌跡が一致しない溝

46 機 械 設 計

きない。 そこで両方向ロールバック動作を実現するため,中心軌跡と膝関節の回転中心軌跡が一致しない溝カムを用いた,アシスト機構の新しい構造を提案する。さらにセルフロック動作を解消するための

設計条件も検討した。最後に有効性を検証するため試作機を用いて左右膝のアシスト動作の運動特性を評価した。

ギヤカム機構の設計

 両方向ロールバック動作をアシストするため非円形ギヤと2つの溝カムからなる膝関節アシストギヤカム構造を提案した(図3)6)。この機構は従来のギヤカム機構と基本構成は同一であるが,大腿側フレームの中央部に配置される駆動ギヤにより駆動される非円形ギヤは,対称形状を有しており両方向のロールバック運動を生成する。また2つの溝カムの軌跡はいずれも膝関節の仮想回転中心の軌跡と一致しないなど従来の構造とは異なる点がある。 提案する機構は平均身長170±5 cmの日本人の膝動作7),8)に基づいて設計されており,非円形ギヤかみ合い中心軌跡と溝カム軌跡は,カム曲線の1つである非対称変形台形曲線9)によって生成される。なお,減速時間に対する加速時間の比は,下肢座標系の矢状面で分割された水平(進行)方向図2 従来型溝カムにおける切り下げの発生

右膝屈曲左膝屈曲

従節ローラ切り下げ

図3 両方向ロールバック運動機能を有するギヤカム構造(人体外側から図示)

仮想回転中心軌跡

従節ローラA1従節ローラB2

駆動ギヤ

B2側ロールバック運動生成溝カム

大腿側フレーム

非円形ギヤ

下腿側フレーム

右膝屈曲方向 左膝屈曲方向

A1側ロールバック運動生成溝カム

Page 3: 両方向ロールバック機能を有する 歩行アシストロボット用ギ …...46 機 械 設 計 きない。 そこで両方向ロールバック動作を実現するため,中心軌跡と膝関節の回転中心軌跡が一致しない溝

47第 63 巻 第 3 号(2019 年 3 月号)

カム機構活用の新たな展開 特集

に2:3,垂直(重力)方向に3:2としている。このため,下腿座標系Sx,Syの矢状面上の無次元変位は,非対称変形台形曲線の関数として計算される。なお,式⑴を用いて膝屈曲角θから無次元時間T

を計算する。

  T=θ-θs

θe-θs,(θs ≤θ≤θe,θs<θe) ⑴ 

したがって下肢座標系の矢状面上のロールバック運動量hxとhyは,式(2)のように定義される。  hx=hxmax・Sx,hy=hymax・Sy ⑵ また各変数は表のように定義されている。 これらに基づき膝関節仮想回転中心の軌跡Pimcは以下のように定義される。  Pimc=rke jθk ⑶ ここでこのベクトル長さrk,方向θkは次のように計算される。  rk= hx

2+hy2,θk=atan2(hx,hy),

(θe ≤θ≤θmax) ⑷  前述した式と平均的な身長を有する日本人の膝の平均動作量に基づいて,図4に右膝の標準的な回転中心軌跡の計算結果を示している。この結果はロールバック発生時の最大膝屈曲角度が125°の場合であり,また水平・垂直方向の変位より膝の回転中心総移動量が約15 mmである。さらに膝の回転中心ずれ方向は最終的に約55°膝後方にずれることが確認できる。なお健常者の場合はほぼ左膝の運動は右膝と対称な運動を有している。 一般的にロールバック運動は膝回転角度が

125°までで発生するが,膝関節は正座などの深屈曲動作が可能なため,約125°から約165°まで回転できる。このため,本設計では最大膝回転角をθmaxと定義する。一方,反対側の脚の仮想回転軌跡は対称形であると仮定し,開始および終了のロールバック運動および最大膝回転角度と同様に,最大水平方向変位の符号が負になる。このため従動ローラA1,B2の中心軌跡Pa1,Pb2は次のように定義される。  Pa1=ra1e j(θ+θa1)+rke jθk ⑸   Pb2=rb2e j(θ+θb2)+rke jθk ⑹  このため溝カム輪郭は,これらの中心軌跡の包絡線から計算され,計算された軌跡をオフセットする包絡線の軌跡に一致する。このときの中心軌跡P

a1,P●

b2の接線ベクトルは接線方向をφa1,φb2,各長さをds1,ds2として,極複素ベクトルを用いて式⑺のように定義される。したがって溝カム輪郭軌跡Pcam1およびPcam2は式⑻によって定義される。  P

a1=ds1e jφa1,P●

b2=ds2e jφb1 ⑺ 

  Pcam1=Pa1+rfej(φa1±

π2 ),

� Pcam2=Pb2+rfej(φa1±

π2 ) ⑻ 

表 各変数の定義

記号 項目

hxmax 下肢座標系最大水平方向変位hymax 下肢座標系最大垂直方向変位ra1 従節ローラA1初期配置半径θa1 従節ローラA1初期配置角度rb2 従節ローラB2初期配置半径θb2 従節ローラB2初期配置角度rdg 駆動ギヤ初期配置半径θdg 駆動ギヤ初期配置角度θs ロールバック開始角度θe ロールバック終了角度rf 従節ローラ半径 図4 膝仮想回転中心軌跡(右膝)

0

5

10

15

垂直方向変位[mm]

水平方向変位[mm]

15mm

55°

0 5 10 15