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2012 11 月より物質化学科に着任しました助教 の藤井一郎です.本稿では私がこれまでに行った非 鉛圧電材料の開発について簡単にご紹介します. 1.はじめに 圧電材料は,電気と機械的な力を変換する圧電効 果を持つ材料である.つまり,電圧の印加により材 料が伸び縮みし,周りのものを押したり引っ張った りすることができる.これはインクジェットプリン ターのインク吐出装置やディーゼルエンジンの燃料 噴射装置に利用されている(アクチュエータ応用). 一方,逆に押されることにより電圧が生じ,これは 圧力センサーやボタン式のライターの着火装置に利 用されている.この他にも,胎児を見るためのエコ ー診断装置の超音波発生・受信部や電気回路の発振 子やフィルターなどに使われている.また,将来の ロボット用アクチュエータやセンサ応用などの需要 があり,今後も圧電材料が必要になると予想される のでその将来は明るい. 圧電材料がアクチュエータに用いられる際の重要 な性能指標には圧電定数 d33 とキュリー温度 Tc ある.d33 は小さい電圧でどれだけ材料が歪むかと いう指標であり,Tc はどれだけ高い温度までその 圧電特性を保つことができるかという指標である. 具体的な応用によってかわるが,例えば d33500 pm /V, Tc200℃ という一般的なアクチュエータ用圧 電材料に求められる性能を満たすのは,現在,チタ ン酸ジルコン酸鉛(Pb Zr,TiO3, PZT)に代表され る鉛系圧電材料だけである.しかしながら鉛は有毒 であり,ヨーロッパを中心にした環境問題への関心 の高まりから RoHS 指令などによりその使用が規 制されている.鉛はこれまでに圧電材料としての他 にハンダやガラス,自動車用鉛蓄電池に使われてき た.ハンダやガラスでは非鉛化が行なわれ,リチウ ムイオン電池の発展に鉛蓄電池の代替のメドが立っ ているなか,圧電材料には有一代替材料が見つかっ ていない.そのため特例扱いを受け現在も鉛が使わ れている.しかし有毒元素の使用は避ける必要があ り,非鉛圧電材料が活発に研究されている.図 1 鉛系材料とこれまでに開発された非鉛系圧電材料の d33 Tc の関係を示す.d33 Tc にはトレードオフ の関係があり,非鉛系圧電材料は鉛系圧電材料に比 べて特性が低いことが分かる.またデバイスに要求 される特性値を満たしていないので,高い d33 Tc を持つ高性能な非鉛圧電材料が求められている. 解説 ナノドメインエンジニアリングによる高性能 非鉛圧電材料の開発 Ichiro FUJII 理工学部物質化学科 助教 Assistant Professor, Department of Materials Chemistry 14

ナノドメインエンジニアリングによる高性能 非鉛圧電材料の …つまり,MPB 組成のPZT は非MPB 組成に比べて 非常に細かいドメインを持つこと2),さらにドメイ

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  • 2012年 11月より物質化学科に着任しました助教の藤井一郎です.本稿では私がこれまでに行った非鉛圧電材料の開発について簡単にご紹介します.

    1.はじめに

    圧電材料は,電気と機械的な力を変換する圧電効果を持つ材料である.つまり,電圧の印加により材料が伸び縮みし,周りのものを押したり引っ張ったりすることができる.これはインクジェットプリンターのインク吐出装置やディーゼルエンジンの燃料噴射装置に利用されている(アクチュエータ応用).一方,逆に押されることにより電圧が生じ,これは圧力センサーやボタン式のライターの着火装置に利用されている.この他にも,胎児を見るためのエコー診断装置の超音波発生・受信部や電気回路の発振子やフィルターなどに使われている.また,将来のロボット用アクチュエータやセンサ応用などの需要があり,今後も圧電材料が必要になると予想されるのでその将来は明るい.圧電材料がアクチュエータに用いられる際の重要な性能指標には圧電定数 d33とキュリー温度 Tc がある.d33は小さい電圧でどれだけ材料が歪むかという指標であり,Tc はどれだけ高い温度までその圧電特性を保つことができるかという指標である.

    具体的な応用によってかわるが,例えば d33>500 pm/V, Tc>200℃という一般的なアクチュエータ用圧電材料に求められる性能を満たすのは,現在,チタン酸ジルコン酸鉛(Pb(Zr,Ti)O3, PZT)に代表される鉛系圧電材料だけである.しかしながら鉛は有毒であり,ヨーロッパを中心にした環境問題への関心の高まりから RoHS 指令などによりその使用が規制されている.鉛はこれまでに圧電材料としての他にハンダやガラス,自動車用鉛蓄電池に使われてきた.ハンダやガラスでは非鉛化が行なわれ,リチウムイオン電池の発展に鉛蓄電池の代替のメドが立っているなか,圧電材料には有一代替材料が見つかっていない.そのため特例扱いを受け現在も鉛が使われている.しかし有毒元素の使用は避ける必要があり,非鉛圧電材料が活発に研究されている.図 1に鉛系材料とこれまでに開発された非鉛系圧電材料のd33と Tc の関係を示す.d33と Tc にはトレードオフの関係があり,非鉛系圧電材料は鉛系圧電材料に比べて特性が低いことが分かる.またデバイスに要求される特性値を満たしていないので,高い d33と Tcを持つ高性能な非鉛圧電材料が求められている.

    解説

    ナノドメインエンジニアリングによる高性能非鉛圧電材料の開発

    藤 井 一 郎Ichiro FUJII

    理工学部物質化学科 助教

    Assistant Professor, Department of Materials Chemistry

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  • 2.PZT の高い圧電特性の起源

    それではなぜ PZT は高い圧電特性を持つのであろうか?まずこの問に答える前に,圧電応答がどのようなメカニズムで起こるかを知る必要がある.圧電応答は 2つのメカニズムが原因となって起こる.ひとつは電界に対する結晶格子自身の伸縮である.PZT に代表されるアクチュエータや超音波発生源に使われる圧電材料の多くは図 2(a)に示すようなペロブスカイト型結晶構造を持つ.電界の印加に伴い,陽イオンと陰イオンが変位するので結晶格子が歪み,材料が伸びる(図 2(b)参照).もうひとつはドメイン反転である.PZT の結晶格子は図 2(b)に示すように電界が印加されなくても Zr イオンと Ti イオンが結晶格子中心位置からずれている.そのため PZT は分極を持ち,これは自発分極と呼ばれる.また結晶格子は自発分極方向に伸びている.自発分極の向きは複数の結晶格子間で揃う性質があり,向きが揃っている領域はドメインと呼ばれる.電界が印加されると,図 2(c)に示すように電界の向きに自発分極を持つドメインが大きくなり,一方それ以外のドメインは小さくなる.このため,PZT は電界方向に伸びる.ここで,自発分極が電界により反転する特性を強誘電性と呼び,強誘

    電性を持つ物質を強誘電体と呼ぶ.さて,始めの問に戻ると,その答えは PZT がモ

    ルフォトロピック相境界(morphotropic phase bound-ary, MPB)構造を持つからである.図 3にチタン酸鉛(PbTiO3, PT)-ジルコン酸鉛(PbZrO3, PZ)2元系状態図を示す1).この状態図は化学組成と温度を変えた時の結晶構造の変化を示している.室温において,PZT は PT の多い組成で〈001〉方向に伸びた結晶構造(正方晶)を持ち,PZ の多い組成で〈111〉方向に伸びた結晶構造(菱面体晶)を持つ.PZ : PT=52 : 48の組成は MPB と呼ばれ,正方晶と菱面体晶が共存しており,d33に比例する電気機械結合係数が大きく向上する(図 4参照).近年,PZTが MPB で大きな圧電特性をもつ原因を解明すべく活発に研究が行われた.その結果,特に透過型電子顕微鏡(TEM)観察により重要な結果が得られた.

    図 1 鉛系圧電材料と非鉛系圧電の圧電定数d33とキュリー温度 Tc.

    図 2 (a)ペロブスカイト構造,(b)結晶格子と時間 t1<t2,(c)ドメインの電界応答の概念図.

    図 3 PbZrO3-PbTiO3状態図1).

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  • つまり,MPB 組成の PZT は非 MPB 組成に比べて非常に細かいドメインを持つこと2),さらにドメインの中にナノサイズのドメイン(ナノドメイン)が存在するナノ-マクロ複合ドメイン構造を持つことが示された3, 4).このナノドメインは正方晶と菱面体晶の界面における結晶構造の違いに伴うひずみを緩和させるために導入されると考えられ,PZT はMPB で図 5のような複合ドメイン構造を持つと考えられる.また,MPB 組成の PZT はナノドメインを多く含む試料ほど大きな圧電特性を示すことを明らかになっており,これはナノドメインのドメイン反転が容易に起こるためと説明されている3).このようなことから,PZT の圧電特性を超える

    非鉛圧電が持つべき新たなドメイン構造の概念図を図 6に示す.目指すべきドメイン構造はナノドメインをマトリックスとして,マクロドメインが島状に均一に分布する構造である.これは前述のマクロドメインの中にナノドメインが分布する PZT の構造と,ナノドメインとマクロドメインの割合という点で異なる.つまり,PZT を超える圧電性能を得るためには,PZT と同じドメイン構造では得られないので,ナノドメインの割合を増やすのである.

    3.ナノドメインエンジニアリングによる高性能非鉛圧電セラミックスの創生

    3. 1 BaTiO3-Bi(Mg1/2Ti1/2)O3-BiFeO3系圧電セラミ

    ックスの作製と微構造観察

    本研究では,ドメインをもつ強誘電体にドメインを持たないリラクサーという材料を固溶することでナノドメインが得られると仮説を立てた(図 7 参照).これをナノドメインエンジニアリングと呼称する.

    図 4 Pb(Zr,Ti)O3の誘電率と電気機械結像係数1).

    図 5 MPB 組成における PZT セラミックスの微構造の模式図.正方晶(T)構造と菱面体晶(R)構造のマクロドメインが交互に並びとその間のナノドメインでPZT セラミックスは構成されている.

    図 6 ナノドメインマトリックス中にマクロドメインが島状に存在する複合ドメイン構造の概念図.

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  • 非鉛ペロブスカイト型リラクサーの代表的な材料としてチタン酸ジルコン酸バリウム(Ba(Zr,Ti)O3)があるが,Tc に相当する比誘電率が最大になる温度 Tmax は室温以下にあり,これを用いて 200℃以上の Tc を持つ圧電材料を開発することは難しい.近年,チタン酸バリウム(BaTiO3, BT)とビスマス系ペロブスカイト酸化物:スカンジウム酸ビスマス(BiScO3, BS),亜鉛酸チタン酸ビスマス(Bi(Zn1/2Ti1/2)O3, BZT),マグネシウム酸チタン酸ビスマス(Bi(Mg1/2Ti1/2)O3, BMT),ニッケル酸チタン酸ビスマス(Bi(Ni1/2Ti1/2)O3, BNT)の固溶体:BT-BS5),BT-BZT6),BT-BMT7),BT-BNT8)が研究され,これらが比較的高い Tmax をもつリラクサーであることが報告された.本研究では Tmax=290−400℃の BT-BMT をリラクサー材料と選択した.一方,強誘電体としては Tc の高いビスマスフェライト(BiFeO3,BF)(Tc=830℃)を選択した.種々の化学組成の BT-BMT-BF 系セラミックスを通常の固相反応法により作製した9).出発原料には純度 99.9%以上の酸化物粉末を用いた.始めに組成ごとに焼結条件の最適化を行った結果,化学組成に関わらず 94%以上の緻密なセラミックスを得ることができた.

    X 線回折(XRD)測定および TEM 観察の結果を図 8に示す.XRD 測定より,BT に近い組成は正

    方晶構造であったが BMT や BF が 10% 以上固溶すると擬立方晶構造に変化した.また BF に近い組成は菱面体晶構造に帰属できた.本研究で合成した組成の大部分は擬立方晶構造である.

    TEM 観察の結果は,3種類の微構造に分類することができた.XRD 測定から菱面体晶構造に帰属できた領域ではドメイン構造が観察された.一方,BT-BMT リラクサー領域ではドメイン構造は観察できなかった.他の大部分の領域ではナノドメイン構造が観察された.前述のように,本研究で目指す微構造は,ナノドメインとマクロドメインの複合ドメイン構造である.そこで 2種類のドメイン構造の境界領域において詳細な TEM 観察を行った.その結果,図 9に示すように 0.3 BT-0.1 BMT-0.6 BF セラミックスにおいて,ナノドメイン構造の中に数μm のマクロドメイン構造が存在する複合ドメイン構造の作製に成功した.(TEM 観察の制限視野回折像からはマクロドメイン構造領域で BF と同様な超格子構造に由来するスポットが観察されており,このことからマクロドメインの結晶構造は BF に近い構造をもつことが明らかになった.)以上の結果より,リラクサーと強誘電体の組み合わせである BT-BMT-BF 系セラミックスにおいて,図 6 に示すような PZT を超える圧電特性が期待されるナノーマクロ複合ドメイン構造の創生に成功した.

    図 7 ナノドメイン構造を持つセラミックスの材料設計指針.

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  • 3. 2 BT-BMT-BF 系セラミックスの誘電・圧電特

    上記のセラミックスを 4×1.5×0.4 mm3の大きさに加工し,最大面積を持つ両面に金電極をスパッタ法にて作製し,300℃で熱処理した後,誘電・圧電特性を評価した.まず,比誘電率の温度依存性を測定し,Tc の測

    定を行った.BT-BMT-BF 系セラミックスは組成に

    よってはリラクサーとなる場合もあるので,1 MHzで比誘電率の温度依存性を測定したときの比誘電率が最大となる温度(リラクサーではこの温度が測定周波数によって変わる)を Tc と定義した.図 10にTc の化学組成依存性を示す.BT 含有量が 60 mol%以上で Tc は 300℃ 以下であるのに対し,BT 含有量の減少とともに Tc は高くなり,BT 含有量が 20%以下では Tc は 500℃ 以上であった.先の TEM

    図 8 XRD 測定および TEM 観察結果.

    図 9 0.3 BT-0.1 BMT-0.6 BF セラミックスの TEM 観察結果とその模式図.

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  • 観察より理想的な複合ドメイン構造を判断された0.3 BT-0.1 BMT-0.6 BF セラミックスの Tc は 450℃であり,PZT セラミックスと比較して高いことが明らかになった.続いて電界誘起歪測定を行った.試料に室温,

    0.1 Hz で 60 kV/cm(Emax)の電界を印加し,そのときの歪み量 smax を Emax で割った値,すなわち歪み-電界曲線の傾きを動的な見かけの圧電定数 d33*(=smax/Emax)と定義し,これを用いて試料の圧電特性を比較した.その結果,TEM 観察で明らかになった複合ドメイン構造近傍で高い圧電特性が得られた.0.3 BT-0.1 BMT-0.6 BF セラミックスにおける電気歪の電界依存性を図 11に示す.参考のために市販の 2種類の PZT セラミックス(ソフト PZT とハード PZT)を同じサイズに加工し,同じ条件(0.1Hz,室温)で測定した結果も示した.これより 0.3BT-0.1 BMT-0.6 BF セラミックスの電気歪みは市販の PZT を大きく超える歪み量を示すことが分かった.しかも,Tc は 450℃と PZT に比べて 100℃近く高い.一般に,図 1に示したように圧電特性と Tc

    にはトレードオフの関係があるが,この結果はこのトレードオフの関係を打ち破っており,ナノドメインエンジニアリングという材料設計指針は PZT を凌駕する圧電材料を作る手段として間違っていないことを示唆する.

    図 10 誘電特性の温度依存性と TC の組成依存性.

    図 11 0.3 BT-0.1 BMT-0.6 BF セラミックスと市販の PZT セラミックス(Soft とHard PZT)の歪み-電界曲線.

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  • 4.おわりに

    本研究では図 6に示したナノドメインとマクロドメインの複合ドメイン構造の導入という,PZT セラミックスを超える非鉛圧電材料開発の設計指針を示し,これを実証することができた.このことは今後新たな化学組成を持つ高性能圧電材料の開発指針として,リラクサーと強誘電体を組み合わせることの重要性を示すとともに,この指針を満足する材料が数多く存在することを意味する.従って,ナノドメインエンジニアリングによる新規高性能圧電材料の開発は今後さらに重要になると思われる.

    5.謝辞

    本研究は山梨大学の和田智志教授の指揮のもと,和田研究室の学生諸子,中島光一助教,熊田伸弘教授とともに行われました.ここに感謝いたします.また,TEM 観察やその解釈に多大な貢献を頂い

    た CANON 社研究グループ(代表:福井哲朗氏)に深く感謝いたします.本研究は文部科学省の元素戦略プロジェクトの支援のもとに行われました.

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