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ベートーヴェン・ピアノソナタが与えた ロマン派音楽への影響についての考察 北海道教育大学札幌・岩見沢校 教科教育専攻 音楽教育専修 8629 佐々木 沙織

ベートーヴェン・ピアノソナタが与えた ロマン派音 …ベートーヴェン・ピアノソナタが与えた ロマン派音楽への影響についての考察

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ベートーヴェン・ピアノソナタが与えた ロマン派音楽への影響についての考察

北海道教育大学札幌・岩見沢校 教科教育専攻 音楽教育専修

8629 佐々木 沙織

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ベートーヴェン・ピアノソナタが与えた ロマン派音楽への影響についての考察

序 論 ――――――――――――――――――――――――――――――― p.1

第 1章 ベートーヴェンの時代のピアノの発展 ―――――――――――― p.2

第 1節 ピアノ誕生の過程と作曲家たち ――――――――――――――― p.2

第 2節 ベートーヴェンが使用したピアノの発展と作品への影響 ―――― p.11 第2章 古典派のピアノソナタの考察 ―――――――――――――――― p.22

第 1節 ハイドンのクラヴィーアソナタとモーツァルトのピアノソナタ ― p.22

第 2節 ベートーヴェンのピアノソナタ ――――――――――――――― p.31 第3章 ベートーヴェン後期ピアノソナタとロマン派音楽への影響 ――― p.45

第 1節 ベートーヴェンのピアノソナタ作品 101と ―――――――――― p.45

シューマンの幻想曲作品 17の共通性

第 2節 ロマン派の音楽 ―――――――――――――――――――――― p.53 結 論 ――――――――――――――――――――――――――――――― p.60 注 釈 ――――――――――――――――――――――――――――――― p.61 参考文献 ――――――――――――――――――――――――――――― p.63

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1

序 論

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770~1827)が生き

た 18 世紀後半から 19 世紀前半は、世界の情勢が革命的な変化を遂げた時代であった。ヨ

ーロッパでは、フランス革命による共和制の台頭と封建制国家の衰退と貴族社会の崩壊、

また、アメリカ合衆国のイギリスからの独立など、世界的に新しい思想が社会情勢を変化

させていった時代であった。

その中で、ヨーロッパの音楽も、ハイドン、モーツァルトに代表される形式を重んじる

古典派音楽とシューマン、ショパンなどに代表される個性の尊重を掲げたロマン派へと変

化した時代であった。その古典派音楽とロマン派音楽の狭間に存在し、古典派の形式を発

展させ、新しい作風を展開し、ロマン派の作曲家に大きな影響を与えたのがベートーヴェ

ンである。また、ベートーヴェンの生きた時代は、ピアノという楽器が、大きく改良され

現在のピアノの基礎を築いた時代でもあった。チェンバロ、クラヴィコードというピアノ

の前身楽器は、表現の幅が小さく、音域も狭かった。それらの楽器で作曲をしたハイドン

や、初期のピアノを使って作曲をしたモーツァルトの作風は、明らかにベートーヴェンの

作風とは異なる。その事実を踏まえ、ベートーヴェンの 32 曲のピアノソナタがピアノの

発展と古典派音楽からのどのような影響があったのか、また、ロマン派の音楽にどのよう

に影響したのかを見直した。

第 1 章では、ピアノの発展の変遷を再検討し、第 2 章では、古典派の作風の楽器の発展

との関連性を検証し、古典派音楽の特徴として挙げられるソナタ形式を詳しく調べた。第

3 章では、第 1 章、第 2 章の検証をもとに、ベートーヴェンの作風がロマン派の音楽家に

与えた影響を考察した。特にシューマンの楽曲とのベートーヴェンの後期のピアノソナタ

との類似点に着目し、その作品を比較検討した。

本論文は、ベートーヴェンの生きた時代が、変革の時代であったことに着目し、ベート

ーヴェンの音楽が同時代といわれる古典派の作曲家の作風との相違点がどこにあったのか、

そして、楽器の改良によってベートーヴェンの作風がどのように変化したのか、また、そ

の新しい作風がロマン派の音楽家にどのような影響を与えたのかを考察した。古典派、ロ

マン派、ピアノの発展という視点から、その時代におけるベートーヴェンの位置を探るも

のである。

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第 1 章 ベートーヴェンの時代のピアノの発展

ピアノは 18 世紀後半、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven

1770~1827)の時代に飛躍的な発展をした。ベートーヴェンは、彼の作曲活動の最初から

ピアノを使用した作曲家であり、それに対して、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz

Joseph Haydn 1732~1809)やヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang

Amadeus Mozart 1756~1791)は、ピアノの前身であるクラヴィコードやチェンバロで作

曲していた。同じ古典派の作曲家であるハイドンやモーツァルトの作風とベートーヴェン

の作風とでは、作品の内容に大きな相違点がある。それは、ピアノの発達の過程による部

分が多い。ベートーヴェンが作曲活動の当初からピアノを使用して作曲していたことで、

ベートーヴェンの作品が斬新で強弱の差が激しい楽曲になったことは明白である。

この章では、ピアノの前身の楽器まで遡り、ピアノとの違いを明確にさせ、その違いが

ベートーヴェンの音楽にどのような影響を与えたのかを考察する。

第 1 節 ピアノ誕生の過程と作曲家たち

A.クラヴィコード

ピアノの前身であるクラヴィコードは、16 世紀から 18 世紀のバロック時代に普及して

いた鍵盤楽器の一つで、単純なモノコード1)から発展していき、音が静かなことから家庭

での独奏用の楽器として広く用いられた。クラヴィコードは四角く軽量な木製楽器で、左

側に鍵盤、右側に響板が位置し、響板の下の空洞が共鳴箱になっている(図 1)。音域は 4

~5オクターブ内で作られ、構造はヒッチピンとチューニングピンの間に弦が 1本張られ、

打鍵するとタンジェントと呼ばれる金属片が弦を突き上げることによって発音する簡単な

構造で作られている(図 2)。またクラヴィコード特有の演奏法として、打鍵したあとに鍵

盤を左右に揺らすことによって、ポルタート2)をかけることが可能で、さらに上下に揺ら

してビブラートをかける「ベーブンク」という手法も可能であり、強弱をつけることもで

きた。これらの手法は、C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714~1788)3)の作

品にみられ、ベーブンクは「 … 」と記譜されていた(譜例 1)。

2

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【図 1】ヨハン・アドルフ・ハス作のクラヴィコード

【図 2】クラヴィコードのアクション

【譜例 1】C.P.E.バッハ クラヴィーア・ソナタ ロ短調 Wq.63 No.4 第 2 楽章

.チェンバロ

バロもクラヴィコードと同時期に普及したが、クラヴィコードとは異なり、

第 24 小節

B

一方、チェン

在のグランドピアノに近い形で作られ、音量もクラヴィコードより比較的大きかった(図

3)。チェンバロは、「ハープシコード」(Harpsicord)や「クラヴサン」(Clavecins)とも

3

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呼ばれ、音域は 4~5 オクターブでクラヴィコードと同じであるが、構造はクラヴィコー

ドとは異なり、プレクトラムと呼ばれる爪が弦を弾くことによって発音された(図 4)。

クラヴィコードのような強弱の変化は不可能であったが、J.S.バッハ(Johann Sebastian

図 3】ヨハン・アドルフ・ハス作のチェンバロ

【図 4】チェンバロのアクション

C.クリストフォリのピアノ

長所である、クラヴィコードの音の強弱とチェンバロの大き

Bach 1685~1750)やヘンデル(Georg Friedrich Händel 1685~1759)などの作曲家は、

クラヴィコードとは違う音色を奏でるこの楽器で、多くの作品を残している。その例とし

て、J.S.バッハ作曲の『チェンバロ協奏曲』や『ゴルトベルク変奏曲4)』、ヘンデル作曲の

『ハープシコード組曲』などがある。

この二つの楽器それぞれの

4

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図 5】クリストフォリのアクション

また、ハンマーが弦を打ったあと、弦の振動を保たせるために、ハンマーを弦から離脱さ

ア、フラン

けたのが、ドイツのゴットフリート・

音量を活かし、ピアノという新しい楽器を最初に作り上げたのは、イタリアの楽器製作

者であったバルトロメオ・クリストフォリ(Bartolomeo Cristofori 1655~1731)である。

クリストフォリは音の強弱を可能にしたことから、「弱音(ピアノ)と強音(フォルテ)付

きのチェンバロ」という意味で「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・フォルテ」

(Gravicembalo col pian’e forte)と名づけ、弦をハンマーで叩いて発音するという新しい

構造のピアノという楽器を生み出した。このクリストフォリのピアノのアクションは突き

上げ式と呼ばれ、キーを下に押すとジャックがハンマー・レバーを押し上げ、ハンマーが

跳ね上がることにより、ハンマーが弦を下から打って発音するという仕組みであった(図

5)。

せる「エスケープメント(離脱装置)」というメカニズムを導入したことで、弦の振動を保

った発音をさせることが可能であった。さらに、クリストフォリのピアノには、ウナ・コ

ルダペダルが備わっており、ペダルを踏むと鍵盤が横へ動き、2 本の弦のうち 1 本だけを

打弦することで、音量を半減することができた。以上のことから、クリストフォリのピア

ノは、現代のピアノが備えているすべての機構を備えていたことがわかる。

また、クリストフォリのピアノの発明以後、ドイツやイギリス、オーストリ

などのヨーロッパ各地でピアノが製造された。

特に、クリストフォリのピアノに最初に影響を受

ルバーマン(Gottfried Silbermann 1683~1753)である。ジルバーマンは、ドイツ語翻

訳されたクリストフォリのピアノに関する論文を読むことで、自分のピアノ製作の中にそ

5

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の技術を取り入れた。

D. ルバーマンのピアノ

アクションは、クリストフォリの技術をそのまま取り入れたが、

な作曲家である J.S.バッハは、当時、クラヴィコードやチェンバロ

.ツンぺのピアノ

拓した技術は、弟子であったヨハネス・ツンぺ(Johannes Zumpe

17

6)を製造し、

ジルバーマンのピアノの

ダルはクリストフォリのピアノのウナ・コルダペダルに加え、弦を開放し、響きを持続

させるダンパー・ペダルを備えた。このダンパー・ペダルは、指で操作を行うため、演奏

している間、自由に操作を行うことはできなかったが、ダンパー・ペダルの存在は、後の

ピアノの構造には欠かせないものとなり、多くの作曲家がダンパー・ペダルの効果を作品

の中に取り入れた。

バロック時代の代表的

で作曲や演奏活動を行っていたが、フリードリヒ二世(FriedrichⅡ 1712 ~1786)5)の宮

廷でジルバーマンのピアノに触れる機会があった。その際に、バッハはそのジルバーマン

のピアノの欠点について「タッチが重い、高音が弱い」と批判したといわれている6)。バ

ッハと親交があったジルバーマンは、その後バッハの感想や意見をふまえて、ピアノの改

良を行っていった。

E

ジルバーマンが開

35?~1783)に引き継がれた。この頃、プロイセンとオーストリアの間に起っていた七年

戦争(1756~1763)によって、ジルバーマンのドイツのピアノ製作所は戦場となり、ツン

ぺを含む弟子たちは、プロイセンに味方していたイギリスへと移住した。この出来事によ

り、ジルバーマンのドイツのピアノの技術は、イギリスへと移入された。

ツンぺはイギリスでクラヴィコードのようなスクエアタイプのピアノ(図

アクションは、クリストフォリのピアノとは異なり、ジャックがハンマー・レバーの先端

に取り付けられた単純な構造で(図 7)、これはイギリス式のシンプルアクションと呼ばれ、

のちのブロードウッドなどのイギリス式アクションのピアノへと発展していった。イギリ

ス式アクションは、鍵盤の沈みが深くタッチは重いが、和音がよく響き、低音部分も厚み

のある響きが出ることが特徴である。

6

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【図 6】ツンぺのスクエア・ピアノ

【図 7】ツンぺのアクション

F.シュタインのピアノ

製作技術は、弟子のツンぺによってイギリスに移入されただけで

ジルバーマンのピアノ

なく、同じくジルバーマンの弟子であったハインリッヒ・ジルバーマン(Heinlich

Silbermann 1722~1799)によって、ウィーンにも移入された。ウィーンに移入された G.

ジルバーマンのピアノ製作技術は、H.ジルバーマンの弟子であったヨハン・アンドレア

ス・シュタイン(Johann Andreas Stein 1728~1792)によって、G.ジルバーマンらのピ

アノとは全く異なる発展を遂げた。クリストフォリや G.ジルバーマン、ツンぺたちとの大

きな違いは、アクションの構造である。それまでのイギリス式アクションは、図 7 のよう

にハンマーの位置がキーの先端方向に付いていたのに対し、シュタインの新しいアクショ

ンの構造は、図 8 のようにキーに対するハンマーの位置が逆であり、演奏者側にハンマー

が付いていた。キーを押し下げると先端のカプセルが上がり、ビークがエスケープメント

の先端のくぼみで押さえられるため、反対側にあるハンマーが跳ね上がって弦を打つ構造

になっている。

7

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【図 8】シュタインのアクション

のシュタインのアクションは、ウィーン式の跳ね上げ式アクションと呼ばれ、軽く、明

.エラールのピアノ

に、イギリスやドイツ、オーストリアでピアノの製造が活発的に行

このようなピアノの発展の過程の中で、バロック期にクラヴィコードやチェンバロから

快な響きが得られた。ウィーン式アクションは、ドイツやオーストリアで多く使用され、

モーツァルトの後期の作品やベートーヴェンの初期の作品は、このウィーン式アクション

のピアノを用いて作曲された。

G

これまで述べたよう

れている中、この時期のフランスでは、ツンぺや H.ジルバーマンなどに代表されるイギ

リスやドイツのスクエア・ピアノが輸入されていた。フランスでのピアノの製造は、イギ

リスやドイツのピアノの製造過程と比べると比較的遅れていたが、パリのピアノ製造者で

あったセバスティアン・エラール(Sebastien Erard 1752~1831)が、ツンぺのイギリス

式アクションをモデルにしたスクエア・ピアノを製造したのが、フランスのピアノ製造の

最初であった。エラールのピアノのアクションは、音域が 5 オクターブあり、ツンペのピ

アノの様なイギリス式のシンプルなアクションで人気を博したが、ブロードウッドなどの

グランドピアノの製造の研究を重ねたのち、イギリス式アクションにウィーン式の軽快な

アクションも兼ね備えた新しいピアノを作り上げた。この両方のアクションを取り入れた

ピアノは、のちにベートーヴェンに贈呈されている(第 2 節参照)。

ピアノが誕生し、ヨーロッパ各地で古典期にかけて新しいアクションや構造をもつピアノ

8

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が製造されていった。

次に、ピアノの誕生と発展がハイドンやモーツァルトの作品にも見られ始める例を以下

イドンは、1770 年から 1780 年代にかけてのソナタ集で、「クラヴィチェンバロ用の 6

譜例 2】F.J.ハイドン ソナタ Hob.XVI.27

示す。

のソナタ集」、「クラヴィチェンバロ用のディヴェルティメント」などとチェンバロ用の

ソナタとして作曲していることから、作曲にはピアノを使用していなかったことがわかる。

しかし、自筆譜には「クラヴィチェンバロのためのソナタ」と書かれてあり、出版社によ

って「クラヴィチェンバロまたはフォルテピアノのためのソナタ」と書いて出版した楽譜

もある。これは、ピアノが普及し始めたことによる、出版社側の配慮であった。しかし、

Hob.XVI.27 からのソナタには、初めて譜面上に f、p などのデュナーミク記号やテヌート

やスラーなどのアーティキュレーションが記された(譜例 2)。ここから、ハイドンはすで

にピアノの性能を知っていたということが考察できる。その後、ハイドンは 1788 年にウ

ィーン式アクションで 5 オクターブの音域をもち、膝ペダルが備わったヨハン・シャンツ

のピアノを実際に購入した7)。このシャンツのピアノの購入によって、それ以降のソナタ

には、f、p に加え、cresc.やスタッカートなどの記号が多く書き入れられている(譜例 3)。

このように、チェンバロでは表現できないデュナーミク記号が使われている事から、こ

時期の作曲活動には、ピアノを用いていたと推察できる。

9

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【譜例 3】F.J.ハイドン ソナタ Hob.XVI.48

また、ハイドンは晩年の 3 曲のソナタをイギリス式のピアノで作曲している8)。前に述

べたように、イギリス式アクションは重みがあり、低音部と和音の響きが特徴であるが、

Hob.XVI.52 のソナタの冒頭では、このピアノの性能を生かし、3 和音と 4 和音のアルペッ

ジオを同時に使うことで、和音や低音の豊かな響きを強調する手法で書いている(譜例 4)。

さらに、ディミヌエンドやレガート、スタッカートなどのピアノ独特のアーティキュレー

ションも頻繁に用いられている。

【譜例 4】F.J.ハイドン ソナタ Hob.XVI.52 第 1 楽章 冒頭部

演奏旅行の為、ヨーロッパ各地のピアノに触れる機会

多かったことから、そのメカニズムや構造、音色の違いなどをよく理解していた。モー

で、18 曲のピアノソナ

タもクラヴィコードやチェンバロではなく、すべてピアノのために作曲されている。特に、

一方、モーツァルトは幼少期から

ツァルトの鍵盤楽器のための作品は、ピアノのために作られたもの

10

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モーツァルトはウィーン式のピアノを好んだ。その中でも、1783 年頃のウィーン式のピア

ノでは、何種類ものペダルが備わったものがあり、その特徴を生かしてピアノ・ソナタ第

11 番 K.331 の第 3 楽章<トルコ行進曲>が作曲された。このピアノには、ウナ・コルダ

ペダルやダンパーペダルの役割をするペダルの他、ファゴット・ペダルが備わっており、

g1より下の音域の弦の上に羊皮紙をのせ、ファゴット独自のバジング・トーン9)を作り出

ペダルも備わっていた。このペダルを使うことによって、第 3 楽章<トルコ行進曲>の

18 世紀後半、ピアノの改良と普及はめざましく、1780 年から 90 年代には、かつてのチ

ェンバロに取って代わり、ピアノが鍵盤楽器の主流となった。1782 年から 1823 年にかけ

てパリで出版された音楽事典には、すでに「ピアノ」という項目があり、この事典にベル

ギーの音楽理論家モミニー(Jérome-Joseph de Momigny 1762~1842)が、以下のように

とは、表情、つ

り演奏者が感情を自由に表現するのに役立つ。ピアニストのタッチからは一種の魔術的

活気が生み出され、音にあらゆる性格をあたえる。この楽器は、和声によって情熱が強

させるので、演奏者が

奏部である小太鼓の表現を明瞭にすることができた(譜例 5)。

【譜例 5】W.A.モーツァルト ピアノ・ソナタ第 11 番 K.331 第 3 楽章

このように、バロック期に誕生したピアノは、作曲家たちの作曲活動の背景で発展して

いき、それぞれの作品の中でその機能が反映されていった。その中でも、特にベートーヴ

ェンの作曲活動の背景で、ピアノという楽器は大きく変化していった。

第 2 節 ベートーヴェンが使用したピアノの発展と作品への影響

筆している10)。

≪ピアノは、指が音の強弱を決定できるという利点をもっている。このこ

調されているような曲に、とくに適している。ハンマーが指を疲労

れやすいのが欠点ではあるが、大家たちがハープシコードよりもピアノで作曲すること

11

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を好むのは、ピアノの方が、より明確な効果をもたらすことができるからである。≫

第 1 節で述べたヨーロッパ各地におけるピアノの発展は、ベートーヴェンが活動してい

た時代に大きく変化し、発展していった。この第 2 節では、ベートーヴェンが使用してい

さまざまな種類のピアノの発展と特徴について、ピアノソナタの作品を取り上げながら

781年のモーツァルトが 25歳の頃で、ウィーンに住みついてからであった。これに対し、

このピアノの発展は、ベートーヴェンのピアノソナタの作品の中からみ

ることができ、それぞれの時期に使用していたピアノの特徴を作品の中に生かしているこ

考察していく。

バロック、または古典派の作曲家たちの中で、その作曲歴の初めからピアノに触れ、主

要な曲をピアノで作曲した最初の音楽家は、ベートーヴェンである。また、彼が生きた時

代は、ピアノという楽器が最も急激に変化した時代であった。モーツァルトが作曲し始め

た頃は、チェンバロやクラヴィコードを使用し、本格的にピアノに切り替え始めたのは

1

ートーヴェンは 1786 年、彼がボンにいた 16 歳の頃、すでにピアノという新しい楽器を

弾いていた。若い時期のベートーヴェンが使用していた楽器は、ウィーン式の跳ね上げ式

メカニズムのピアノであったが、その後 40 年の間に発展途上のさまざまなピアノを使用

することになる。

が見出せる。また、ベートーヴェンは数々の種類のピアノを使用していたが、その中で

もエラール、ブロードウッド、グラーフの 3 台のピアノは現存している。

これからベートーヴェンが使用してきた数々のピアノを、4 つの時期に分けて検証する。

それぞれの 4 つの時期に使用されていたピアノは、次の通りである。

ピアノの種類 音域 メカニズム 特徴 作品

第1期

ウィーン式 ・2 本弦 ピアノ協奏曲第 番、

フォーゲル製

(1792~1795 年頃) 5Oct. F1-f3

ピアノソナタ Op.2 1

第 2 番

ヴァルター製ウィーン式 ・2 本弦

(1795~1803 年頃) 5Oct. F1-f3

ピアノソナタ Op.7,Op.10,Op.13,Op.14,Op.49

12

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*現存しているピアノ

1 期 )

1790 年代からウィーンへ移り住み、その時から使用したのは、ウィーン式の跳ね上げ式

アクシ の で のフ ノ

カール・リヒノフスキー侯爵(Carl von Lichnowsky 1756~1814)11)から、部屋一

共に ので ォーゲル製のピ ーブ(F1-f3)の音

域をもち、 音に対して 本弦を 膝ペダルが付いていた。1792 年から 1795 年頃ま

アノソナタ作品 2、ピアノ協奏曲第 1 番、第 2 番などが作曲され

た。

爵邸を出たあとは、膝ペダル付きのウィーン式アクションで、

5

ヴェンが所有していた楽器の音域とほぼ相応しており、5 オクターブの音域内で作

ヤケッシュ製ウィーン式 ・2 本弦 .28,Op,31

ピアノ協奏曲第 3 番

第 (1782 年~1802 年

ョンのフォーゲ 製ル ピアノ あった。こ ォーゲル製のピア は、音楽好きの

貴族

室と 提供されたも ある。フ アノは、5 オクタ

1 2 備え、

(1800~1802 年頃)

5Oct. F1-f3

ピアノソナタ Op.22,Op.26,Op.27,Op

第2期

エラール製* (1 )

5Oct.+5 ・3 本弦 ・力強い

・低音域がよく響く

ピアノソナタ Op.53,Op.54,Op.57,Op.78,Op.7ピアノ協奏曲

803~1809 年頃 F1-c4 イギリス式 音 9 第 4 番

第3期 (1809~1818 年頃) F1-f4 イギリス式 ・鍵盤の深さが増し、

音が増大

Op.81a,Op.9Op.106(Ⅰ・Ⅱ)

5

シュトライヒャー製 6Oct.

ピアノソナタ 0,Op.101

ピアノ協奏曲第 番

第4期

ブロードウッド製* (1818~1822 年頃)

6Oct. C c4 イギリス式

・ダンパーペダルが 高音と低音で 2 つ

タ Op.106(Ⅲ・Ⅳ),

,Op.1111-

に分かれる

ピアノソナ

Op.109,Op.110

グラーフ製* (1823 1825

6Oct.+4f4 ウィーン式 ・音量を増すための

~ 年頃) C1- 特殊設計

で使用され、その間にピ

1795 年にリヒノフスキー侯

オクターブ(F1-f3)の音域をもつヴァルター製とヤケッシュ製のピアノを使用してい

た。当時のウィーンのピアノの音域は、F1-f3までの 5 オクターブが標準であった。ヴァ

ルター製は 1795 年から 1803 年頃まで使用され、ピアノソナタ作品 7、10、13、14、49

などが作曲され、ヤケッシュ製は 1800 年から 1802 年頃まで使用され、ピアノソナタ作品

22、26、27、28、31、ピアノ協奏曲第 3 番などが作曲されている。

この第 1 期に作曲された 20 曲のピアノソナタと 3 曲のピアノ協奏曲は、この時期にベ

ートー

13

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ノ・ストップ12)」

(第 128 小節)

【譜例 7】ベートーヴェン:ピアノソナタ Op.27 -2

されている。しかし、これらの作品の中には、オクターブ進行でのキーの不足など、ベ

ートーヴェンにとって音域の不都合さが譜面上に現れているものもある(譜例 6-a,6-b)。

また、この時期のピアノソナタの中にみられる特徴的な変化は、譜面上に「con sordini

(弱音ペダルを使って)」と「senza sordini(弱音ペダルを外して)」の指示が書き込まれ

るようになったことである(譜例 7)。当時のウィーンのピアノの中には、現代でいうシフ

トペダル(弱音ペダル)と同じ役割をもち、手で操作する「ソルディー

いう装置が付いているものがあったことから、ソルディーノ・ストップが備わっていた

ピアノをベートーヴェンが使用していたことも推察できる。

【譜例 6-a】ベートーヴェン:ピアノソナタ Op.2-3 第 2 楽章(第 26 小節)

【譜例 6-b】ベートーヴェン:ピアノソナタ Op.10-1 第 1 楽章

14

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第 2 期(1803 年~1809 年)

1803 年、ベートーヴェンはパリの楽器製造者であったセバスティアン・エラールから一

台のピアノを贈られた。このエラール製のピアノは、現存しているベートーヴェンの三台

のピアノのうちの最初の一台である。このエラール製のピアノは、それまで 5 オクターブ

った音域は、高音域が 5 度拡大され、5 オクターブ+5 度(F1-c4)をもっていた。弦

と強化された。ペダルも今まで膝ペ

ダルだったものから木製の吊りペダルへと変化した。吊りペダルは 4 本備えられ、左から

順に、

1. フェルシーブング(現在のソフトペダル)

2. ピアノ(フェルト膜を挟むソルディーノ)

3. ダンパー・ペダル(現在のダンパーペダル)

ラール製のピアノは、1803 年から 1809 年頃まで使用され、作曲された作品の中

ン』や作品 57『熱情』がある。これらの

域を得意とするエラール製の新しいピア

ュタイン』冒頭部(譜例 8)の、低音域

の変化(譜例

ーヴェンがピアノの新しい性能をよく吟味し、作品に生かしていたこと

はウィーンのピアノが 2 本弦だったのに対し、3 本弦

4. ラウテンツーク(ピッチカートに似た鼻をつまんだような音になる)

なっている。

アクションは、イギリス式の突き上げ式アクションで、より力強い音を出すことができ

た。しかし、今まで使っていたウィーン式アクションと比べてハンマーを突き上げるレバ

ーが、鍵盤の側に付いていたため、鍵盤の沈みが深く、タッチも重いものだった。ウィー

ン式の軽い明快な響きのピアノとは反対に、速いパッセージは演奏しづらかったが、その

一方で和音がよく響き、低音域も大きな音量を出すことができた。

このエ

には、ピアノソナタ作品 53『ヴァルトシュタイ

作品を見てわかるように、ベートーヴェンは低音

ノの性能をすぐに作曲に反映させた。『ヴァルトシ

の響きや高音域と低音域とを極端に対比させる手法や、『熱情』の急激な強弱

9)など、ベート

わかる。

15

Page 18: ベートーヴェン・ピアノソナタが与えた ロマン派音 …ベートーヴェン・ピアノソナタが与えた ロマン派音楽への影響についての考察

【譜例 9】ベートーヴェン:ピアノソナタ Op.57 『熱情』

【譜例 8】ベートーヴェン:ピアノソナタ Op.53 『ワルトシュタイン』

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第 3 期(1809 年~1816 年)

ベートーヴェンが第 3 期に使用した楽器は、シュトライヒャー製であったことは、表 1

ライヒャー製のピアノの音域

と合致しないものがある。第 2 期に使用していたエラール製とシュトライヒャー製の音域

には、明らかに違いがあり、エラール製が、5 オクターブ半であったのに対し、シュトラ

イヒャー製は、6 オクターブである。

第 3 期に書かれた、1809 年作のピアノ協奏曲第 5 番作品 73『皇帝』と 1810 年作のピ

アノソナタ作品 81a『告別』は、エラール製の楽器の音域を超える音域で作曲されている。

また、ピアノソナタ作品 90 の音域は、再び、エラール製の音域内にとどまり、その後に

作曲されたピアノソナタ作品 101 では、楽章によって音域が異なっていることがわかる。

つまり、この時期、ベートーヴェンは、知られているシュトライヒャー製の楽器だけでは

なく、少なくとも 3 台のピアノを所有していたか、借りていたと推察できる。

1809 年から 1816 年に作曲された楽曲は、以下のような音域を持っている。

① ピアノ協奏曲作品 73『皇帝』 6 オクターブ(F1-f4)

ピアノソナタ作品 81a『告別』

ピアノソナタ作品 90 5 オクターブ半(F1-c4)

1・2 楽章

に示したが、この時期に作曲されたピアノソナタは、シュト

ピアノソナタ作品 101 の第

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ピアノの音域が少しでも広くなるとそれを作品に

『君の店の入口のドアのそばに置いてあるピアノフォルテが、私の耳の中で鳴り続けてい

だろうということは

確か

記している14)ことからも推察できる。この手紙によってシュトライヒャーは、ベート

、生

活のさまざまな細かい世話をナネッテに任せていた。ベートーヴェンは 1817 年のナネッ

さて、シュトライヒャー氏に大変なお願いがあります。あなたの所のピアノを私の弱っ

耳に合うように、できるだけ音を大きくしていただきたいのです。』

ピアノソナタ作品 101 のフィナーレ 6 オクターブ(E1-e4)

このように、エラールのピアノの音域を超える音域のピアノで楽曲を書いていることや、

ピアノソナタ作品 101 のように、一つの楽曲でも音域を統一せずに、楽章によって音域の

幅を広げて書いていることで、使用した

映させていることから、この時期のベートーヴェンにはエラール製のピアノの音域では

満足していなかったことも推察できる。さらに、ベートーヴェンは当時、親交のあったピ

アノ製造者であるアンドレアス・シュトライヒャー13)宛ての手紙(1810 年)に、

『僕のフランス製のピアノはもうあまり役には立たない。事実、もうこれはほとんど使用

に堪えないのだ。』

るのを、どうにもとめられない。この楽器を選んだことで感謝される

だ。だから、それを送ってくれ。』

ヴェンが望んだピアノを貸した、あるいは『皇帝』を作曲している時にすでに貸してい

たと考えられる。これは、シュトライヒャーのピアノの音域が 6 オクターブ(F1-f4)を

もち、『皇帝』と『告別』の曲の音域に相応するからである。

ベートーヴェンは、シュトライヒャーの妻ナネッテ・シュトライヒャー15)とも深い親

交があり、彼女もまたピアノ製造者であった。ベートーヴェンはこの頃すでに難聴で

テ宛てに手紙を送っている16)。

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シュトライヒャーは楽器の改良のためにもベートーヴェンの要望に応えた。シュトライヒ

ャーのピアノは 3 本弦からなり、エラールのイギリス式アクションを取り入れながら、ド

ツ式のメカニックを残し、鍵盤の深さを増して音の増大を計ったことなどが特徴として

、足でシフトペダルを踏ん

鍵盤を横へずらし、ハンマーが一弦だけを打つようにするもので、この時期のシュトラ

4 期(1817 年~1822 年)

の贈り物として、ベート

あげられる。また、作品 101 のソナタの第 3 楽章には、「sur una corda(1 本の弦)」(譜

例 10-a)と「poco a poco tutte le corde(3 本の弦)」(譜例 10-b)の指示がある。それ

は、ベートーヴェンの作品の中では初めてのシフトペダルの指示である。この指示は、前

に述べた手で操作する「ソルディーノ・ストップ」とは異なり

ヒャーのピアノには、鍵盤が横に移動するシフトペダルも備わっていたことが推察でき

る。

【譜例 10-a】ベートーヴェン:ピアノソナタ Op.101 第 3 楽章

【譜例 10-b】

1817 年、ロンドンのブロードウッド社が一台のピアノを誕生日

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ーヴェンに送った。これが現存するベートーヴェンの二台目のピアノである。

このブロードウッドのピアノはイギリス式の突き上げ式アクションで、音域は 6 オクタ

ーブ(C1-c4)であった。ペダルは 2 本付いていて、一つは鍵盤が横に移動するシフトペ

ダル、もう一つはダンパーペダルである。ダンパーペダルはさらに 2 つに分けられ、その

うち、右側のペダルは高音域のダンパーを持ち上げるため、左側のペダルはバスの弦のダ

ンパーを持ち上げるために作られていた。ベートーヴェンはこのピアノを終生所有してい

が、彼の死後にはリストに贈られ、現在はハンガリー国立博物館が所蔵している。

製は 1818 年から 1822 年頃まで使用され、この頃の作品にはピアノソナ

タ作品 106 の『ハンマークラヴィーア』からの晩年の 4 曲のソナタが作曲されている。し

かし、『ハンマークラヴィーア』の 2 楽章までは、このブロードウッドのピアノが来る前

にすでに出来上がっていたため、2 楽章まではそれ以前に使用していたシュトライヒャー

のピアノの音域(F1-f4)で作曲されている。

さらに、この後の二つのピアノソナタ作品 109 と作品 111 では、最高音が c♯4と e♭4で

かれてあり、ブロードウッドのピアノの音域 6 オクターブ(C1-c4)を超えていること

で作曲されていないことが考察できる。この時期のウィー

いた17)

1と Cis1の 2 音は巻き線各 2 本、次の D1・

Es

ブロードウッド

から、ブロードウッドのピアノ

のピアノには、6 オクターブ以上の高音は演奏可能な音であり、実際に、1812 年頃に製

作されたウィーン製のブロトマンのピアノは、6 オクターブ半(C1-f4)をもって

とから、この作品 109 と作品 111 はおそらくウィーン製のピアノで作曲されたと考えら

れる。

以上の事から、ベートーヴェンは作曲をする過程の中でピアノの音域に不満をもち、少

しでも広い音域をもつピアノを要求したことがわかる。また、各種類のピアノの音域の最

低音と最高音を必ず作品に反映させたことも推察できる。

最後にベートーヴェンが所有したピアノは、グラーフ製のピアノであった。これは現

るベートーヴェンのピアノの三台目である。

このグラーフ製は 1823 年から 1825 年頃に使用していた。また、このピアノは、耳が聞

こえなくなったベートーヴェンのため、少しでも大きな音が出せるようにと特殊設計で製

作されたもので、音域も 6 オクターブ半(C1-f4)とベートーヴェンの生涯で最大の音域

をもっていた。特殊設計というのは、最低音の C

1・E1の 3 音は細い巻き線各 3 本、F1以上のすべての音には各 4 本ずつ張られ、少しで

も音量を増すことに努めたことと、ピアノの蓋は横にも開けることができるが、前方にあ

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生み出されたといえる。このことは、同じ古典派の作曲家であるハイドン、モー

まり役に立たず、この時期の

詳しく検証していく。

る譜面台に立てかけて音が演奏者の耳に聞こえやすいよう、工夫が施されていた。また、

ペダルは吊りペダルが 3 本あり、左から順にシフトペダル、ピアノ、ダンパーペダルが備

えられていた。ベートーヴェンは、ピアノの発達に期待し、ピアノ製造者にたくさんの助

言をした。そのため、このようなベートーヴェンの為だけの特殊設計によるグラーフ製の

ピアノが

ァルトには見られなかった行動である。ベートーヴェンがピアノの発展に大きな貢献を

したことは明確である。

しかし、これらの特殊設計は、ベートーヴェンの耳にはあ

ートーヴェンは病床に着くことが多かったため、このグラーフ製のピアノによってピア

ノソナタや協奏曲の作曲をすることはなかった。

以上のように、ベートーヴェンが作曲活動の初めから使用してきたピアノの構造や音域

の変遷を、ピアノソナタの作品と照らし合わせながら検証してきたが、ベートーヴェンは

ピアノの新しい構造やアクションの変化、また音域の拡大などのピアノの発展を、忠実に

ピアノソナタの作品に反映させていることがわかった。また、ベートーヴェンのピアノ製

作者たちに対する要求が、ピアノという楽器の急激な発展に大きく貢献してきた一つの要

因ともいえる。この急激なピアノの発展は、ベートーヴェン自身のピアノソナタの作風に

も大きな影響を及ぼし、クラヴィコードやチェンバロを主に使用していたハイドンや発明

初期のピアノを使用していたモーツァルトの軽やかなピアノソナタの作品と比べ、ベート

ーヴェンの音楽は、ピアノの性能を十分に活かした、豊かな和音の響きや強弱の変化が激

しい作風が特徴だといえる。

第 2 章では、この章で述べたピアノの性能の発展を踏まえながら、ベートーヴェンのピ

アノソナタの作風の変遷を