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追手門学院大学文学部紀要27 廿1993年5月31 a ハンナ・アレントの政治哲学(4) -『レッシング考』から90年代フェミニズムの課題ヘー Hannah Arendt's PoliticalPhilosophy (4) From “Thoughts about Lessing"to '90*sFeminism-working Kiyoko Shimizu 〈は に〉 「果たして21世紀があるのだろうか?」と問いかけだのはサルトルだった。 ボーヴォワール とともに,東西冷戦の膠着状態の緊張が続くなかで,その生涯を賭けて核戦争の脅威を語り, 戦争回避のために知識人は何をしなければならないか? を問うたのだったが,彼らが相次い でこの世を去った80年代半ば-1985年に,旧ソ連の最高指導者としてM.ゴルバチョフが登 場して以来,それまでの冷戦の構図は大きく転回し, 89年は「ベルリンの壁」に象徴される 旧秩序の崩壊が相次いだ。 中でも劇的な出来事は,91年のソ連邦の崩壊である。 あまりにも 早すぎたその変革の中で, 90年代は,深刻な民族紛争の危機の真っ只中にある。 しかし当初,こうしたカオス状態の中に,人々は「核戦争による人類の破滅」が遠退く確か な手応えを感じることができた。なお幾多の困難が予想される地球の未来にむけて,それでも 希望を託すことのできる政治家が現われたということは,多くの,とりわけ西側に属する一般 市民に,平和・人権・正義などを,体制の違いを越えて話し合えるという安堵感・期待感を与, えるものだった。ゴルバチョフの人気が西側の市民層の開で高かったのは,それだけ政治に対 して市民の関心が高かったことの証しでもあったといえる。従来のような暴力装置を廃して, 人類の悲願であった非軍事的手段による平和共存の方向が仄かに見えてきたように思われたの である。政治や政治家に人々が期待し,希望を託すことは,時代が曲がり角にきている確かな 証拠でもあった。 しかし, 90年8月のイラクのフセイン大統領のクウェート侵略に始まる「湾岸戦争」は。 -243-

ハンナ・アレントの政治哲学(4) -『レッシング考』から90 …ハンナ・アレントの政治哲学(4) ポスト冷戦の方向を一挙に暗転させる衝撃的な出来事であった。果てしない軍拡競争に終止符

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追手門学院大学文学部紀要27 廿1993年5月31 a

  ハンナ・アレントの政治哲学(4)

-『レッシング考』から90年代フェミニズムの課題ヘー

       志 水 紀 代 子

   Hannah Arendt's PoliticalPhilosophy (4)

From “Thoughts about Lessing" to '90*sFeminism-working

Kiyoko Shimizu

〈は じ め に〉

 「果たして21世紀があるのだろうか?」と問いかけだのはサルトルだった。 ボーヴォワール

とともに,東西冷戦の膠着状態の緊張が続くなかで,その生涯を賭けて核戦争の脅威を語り,

戦争回避のために知識人は何をしなければならないか? を問うたのだったが,彼らが相次い

でこの世を去った80年代半ば-1985年に,旧ソ連の最高指導者としてM.ゴルバチョフが登

場して以来,それまでの冷戦の構図は大きく転回し, 89年は「ベルリンの壁」に象徴される

旧秩序の崩壊が相次いだ。 中でも劇的な出来事は,91年のソ連邦の崩壊である。 あまりにも

早すぎたその変革の中で, 90年代は,深刻な民族紛争の危機の真っ只中にある。

 しかし当初,こうしたカオス状態の中に,人々は「核戦争による人類の破滅」が遠退く確か

な手応えを感じることができた。なお幾多の困難が予想される地球の未来にむけて,それでも

希望を託すことのできる政治家が現われたということは,多くの,とりわけ西側に属する一般

市民に,平和・人権・正義などを,体制の違いを越えて話し合えるという安堵感・期待感を与,

えるものだった。ゴルバチョフの人気が西側の市民層の開で高かったのは,それだけ政治に対

して市民の関心が高かったことの証しでもあったといえる。従来のような暴力装置を廃して,

人類の悲願であった非軍事的手段による平和共存の方向が仄かに見えてきたように思われたの

である。政治や政治家に人々が期待し,希望を託すことは,時代が曲がり角にきている確かな

証拠でもあった。

 しかし, 90年8月のイラクのフセイン大統領のクウェート侵略に始まる「湾岸戦争」は。

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              ハンナ・アレントの政治哲学(4)

ポスト冷戦の方向を一挙に暗転させる衝撃的な出来事であった。果てしない軍拡競争に終止符

が打たれ,兵器や軍備そのものの縮小が,当然次の課題になる筈であり,起こり得る多くの困

難は,それにかt随するものと希望的に考えられていた矢先のこの戦争は,世界に今なお未解決

のまま放置されてきたさまざまな歴史的矛盾を,一挙に露呈させることになった。平和への期

待を無残に打ち砕き,平和を希求して止まない多くの市民に,再び暴力装置の必要性を,失望

感と共に印象づけることになったのである。この戦争の中で我々に衝撃的だったことは,とり

わけ悲惨な状況下におかれたパレスチナ難民をはじめとする歴史の狭間に生きてきた人々の存

在であった。国家の後盾を持だない彼らは,居住地を追われ,長年月にわたって人権を揉願さ

れ,世界の中で棄民として打ち捨てられてきたのである。彼らには,しばしばテロや暴動とい

う危険な手段しか残されていないことが多い。パレスチナ難民の「弱者の正義」がフセインに

取り込まれるまで,その存在や彼らの主張を迂闘に見過ごしてきた西側市民が,どのような正

義を主張し人権擁護を唱えても,それは所詮西欧優位の思想に裏打ちされた正義,彼らに敵対

する「強者の正義」に取り込まれていくだけのものであった。

 さらにまたこのことは,冷戦構造の崩壊の中で,西側陣営が軍縮に踏み切り,武器や兵器製

造に注ぎ込む費用を東側の経済復興や援助に振り向け,民需転換の支援体制を取る世論が形成

されるための絶好の機会を奪うことになり,結果的に東欧や旧ソ連への経済支援や援助の遅れ

につながって,一連の悲惨な民族抗争の引き金になったことも否めない。

 いまや内戦が泥沼化している旧ユーゴスラビアの情勢は,ある意味で,人類が目指す理想的

な方向に向けて世界をリードしてきたこの国の,これまでの輝かしい「非同盟」・自主管理社

会主義の独自の路線が空中分解してしまっただけに,一層衝撃的で悲惨な出来事であるといわ

ねばならない。旧ソ連の崩壊やEC統合などの周辺の変動に加えて,超インフレの経済伏態の

中で,これまで外圧によって辛うじて抑えられてきた異民族間のわだかまりが一挙に吹き出し

てその方向を見失い,その原因究明・事態解決のための交渉のテーブルにつき得ないままに,

人々は今や複雑に入り組んだ多民族国家の中で,ある民族が他の民族をその居住地から追い出

すという「民族(人種)浄化」=ホロコーストの悪夢に取りつかれ,「狂気の世界」を再現して,

世界に大きな衝撃を与えることになった。居住地を追われた人々は難民化して周辺諸国に流れ

こんでおり,その数は,すでに全体で250万人以上にもおよぶという。

 エスニシティ問題が大きく浮上してきた「ポスト湾岸戦争」の今日,難民化した彼らに連帯

出来ないもどかしさや苛立ちもさることながら,もはや強権で暴力装置を用いることにおいて

は解決しえない多くの問題の所在を知ることにおいて,人々がそこに大きな発想の転換を求め

ていることはたしかである。アメリカ国民が湾岸戦争の勝利者ブッシュに替えてB・クリント

ンを大統領に選んだことは,その象徴とみられることかもしれない。この混迷の時代に未知数

の若さに期待するエスニシティの超大国アメリカのこの選択は,アメリカ社会のさまざまなマ

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                 志 水 紀代子

イノリテイが,たまたま思いを同じくすることにおいて実現しえたと解釈することもできる。

 だが,東ドイツを吸収合併した統一ドイツで,ネオ・ナチやスキンヘッズの若者が外国人排

除のデモンストレーションや暴動を起こすことが伝えられ, EC統合を積極的に推し進めてき

たフランスのミッテラン大統領のお膝元で,与党であった社会党が,地滑り的な大敗北を喫し

たニュースが報道されてもいる。これらに共通することは,現実生活に関わる経済問題がその

もっとも大きな要因になっているということであり,生活者である市民の意識やモラルがいっ

そう世界の動向を左右するようになってきているという現実である。資本主義経済が世界を市

場化し,情報化が進む程に,世界はいよいよ狭くなって,生活格差,貧富の差が多数の人々の

前に一目瞭然となって,ますますこれらに繋がる経済問題が他のすべての政治問題の根本原因

となってきていることは今や周知の事実であり,またこのような時代にあって,世界の世論が

これ程大きなインパクトを持つようになったこともかつてなかったことであろう。確かに世界

や時代に対して関心を持ち,意思表示をしていかなければ,人類全体が危機に瀕してしまう程

環境破壊が深刻化してしまっているという事実がある。サルトルやボーヴォアールが懸念した

超大国による核戦争の危機が僅かに遠退いたとしても,確実に我々の生存環境は悪化の一途を

辿っていることに,多くの人々が気付き始めているのである。だがその手当てや処方籤は,

いったいどこにあるのだろうか? 人口増や食糧危機,熱帯雨林の消滅などの情報がもたらさ

れる時,人々は保守化し,不必要な,無価値な人間が死滅することがもっとも今必要なことで

あるという弱者切り捨ての論理や戦争の必要性を,究極において求めないだろうか?

 20世紀がこれまでに経験してきたさまざまな事実をもとに,21世紀にむけて人々が抱く不

安や絶望は,アレントがすでに現代世界の危機意識として見通し,繰り返し警告を発してきた

ことであった。

 絶望的な「暗い時代」に,「国家権力」によって故国を追われ, 20年近くも亡命者として生

きてきた彼女は,「国家」の後楯を持だない人間(難民)が,如何に生存の危機に曝されるか

を自ら体験し,単なる人間の本性は,難民にとっては何の資格も与えないことを明らかにして

いる。彼女は,非人間的な出来事の奥にある「人間欧」を問い,人々が関わり合って生きてい

る政治的世界を鋭く洞察して,複数の個々人が自由に政治参加をして,新たな世界形成をして

いくことというきわめてユニークな政治哲学を打ち出したのである。

 さて,前回私は,〈ハンナ・アレントの政治哲学(3)-『人間の条件』とフェミニズムー〉に

おいて,アレントのかかる主張とフェミニズム理論の近似性を明らかにし,アレントの「支配

しない知」の理論の中に,個々のフェミニズム理論が批判的にすべて包含されうることを結論

としたのであったが,なおフェミニズムの理論は,さらに発展していくものであることも同時

にそこに付記した。今回は『レッシング考』のなかでの彼女の主張が, 90年代のフェミニズ

ム運動の行方を模索する金井淑子の『フェミニズム問題の転換』の中で主張されていることに

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               ハンナ・アレントの政治哲学(4)

繋がる視点であることを明らかにしてみたい。

 金井はこの著書において,フェミニズム運動が,男なみの権利を求める「平等主義」から,

ウーマン・リブ以降の「分離主義」路線を経て,今「身体性のレベルでの自己抑圧からの解

放」というまったく新たな解放の方向性を目指すべきことを示唆している。アレントが『レッ

シング考』の中で取り上げている自由の中の自由として,歴史的にもっとも古く,また人間に

とって行動のための不可欠の条件である「運動の自由」は,金井が90年代のフェミニズムの

課題として挙げる「身体性のレベルでの自己抑圧からの解放」という主題に繋がるものではな

いだろうか?さらにまたアレントが,政治的人間レッシングを評価する過程で深い関心をよせ

だのが,近代市民社会における知識人の「現実からの逃避」であり,「政治からの自由」とい

うことであったが,それらはこの著書の中で,金井が注目している(文化解体派フェミニス

5)ム」の立場をとる大越愛子らがj鋭く知識人に問い掛ける問題点でもある。これらを軸にしな

がら,困難な今日的状況を読み解き,解決に向けての視点を確保するためにこの小論を展開し

ていきたいと思う。さらに最後に,私自身の結論として,それがアムネステイ・インターナ

ショナルの運動理論にある「死刑廃止の論理」に繋がる考え方であることを明らかにしたい。

【現代人の世界への関係】

 さて,私たちが,世界との関わりと人間に対する信頼を失うことなく,なお真理を追求して

いくためには,どのような視点に立って人々と関わっていくことが必要なのであろうか?

『レッシング考』の中でアレントが問題にしていることはこのことである。

 『レッシング考』は,もともと彼女が1954年にハンブルク自由市でレッシング賞を受賞した

時の受賞演説である。彼女はここで,自らが受賞することで世界とどのような関わりを持つこ

とになるかについて,次のように述べている。

 「(受賞の)そうした名誉は,世界に対して表明すべき謝意を強く想起させるだけでなく,

我々を極めて強く世界に対して義務づける。我々は常にそうした名誉を拒否出来るが故に,そ

れを受諾することで,世界内部での自分の立場を強化するだけでなく,世界とのある種の関わ

り合いをも受け入れることになる。」しかしながら,一般論として見るとき,今日的状況は

(名誉が我々に課し,その存在が強調するような,公的に表れるものと和合する事ほど承認さ

         6)れがたいものはない」。

 しかしながら西欧諸国に住む多〈の人々が,「古代世界の没落以来,〈政治からの自由〉を基

本的自由の一つとみなすようになっており,この自由を行使して世界と世界内部での義務から

           7)逃避してきた」のである。

 「世界から逃避することは必ずしも個人を害するものではない。個人は偉大な才能を天才の

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                志 水 紀代子

域にまで高めることができるし,そうした迂路を経ることで再び世界にとって有用なものとな

ることもできる」からである。しかしながら,こうした逃避によって,世界にとって明らかに

ある損失が生じる。「失われるものは,こうした個人とその舛I間との間に形成されたはずの,

独特の価値を持ち,他のものによっては償うことの出来ない人と人との間の関係としての世

界」である。

 アレントがここで示唆していることは,彼女が『人間の条件』の中で,人間の営みを「活動

的生活」(vita activa)と定義づけ,その基本的な活動を,目的に応じて「労働」(labor),「仕

事」(work),「活動」(action)に区分しているなかで,もっとも重要な人間の条件として「活

動」(action)を取り上げることに対応している。「活動」(action)とは,「物あるいは事物の介

入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり,多数性(plurality)という人問

の条件,すなわち,地球上に生き世界に住むのは一人の人間(Man)ではなく,多数の人間

(men)であるという事実に対応した活動」である。やがてこのことは,『レッシング考』第m

部において,「暗い時代」の政治的態度として「内的亡命」(inner emigration)という現象が,

第二次大戦中,当時のドイツに存在したこと,それが実に奇妙で曖昧な現象だったこと,しか

も「明らかに耐え難い現実に直面して,世界とその公的領域から内面的生活に移ろうとする,

あるいは単にくあるべき〉もしくはくかつて存在した〉想像上の世界によって,現実の世界を

無視しようとする誘惑がドイツの内外でことのほか強かった」こと,さらに「こうした亡命の

形態がドイツにしか存在しなかったと想像することは,こうした亡命が第三帝国の終焉ととも

に終わりを告げたと想像することと同じく誤りである」という重要な指摘に繋がっていく。彼

女はここにおいて,どのような理由であれ現前する政治から内面世界に逃避することがいかに

危険であるかを強調するのである。そして,困難な政治的状況を打開する唯一の方向を,く政

治的人間レッシングの世界に対する態度〉に託して説明している。

【レッシングの世界に対する態度について】

 世界に対するレッシングの態度は「肯定的でも否定的でもなく,徹底して批判的であり,そ

の時代の公的領域に対しては,完全に革命的」で,しかしそれは,「[仕界に自己の存在を負い

ながら,同時に世界の確実な基盤を,決して放置しようとはせず,また極端に感傷的なユート

ピア主義にも決して赴こうとはしない」とアレントは説明している。 しかも彼は,「彼が住ん

だ世界と決して和解しようとしなかった」のである。その点て彼は「普通の意味での寛容

(tolerance)とは殆ど無関係であった」。彼は常に論争的であり,しかも「問題になっている事

柄の真偽の程度は一応度外視して,それが,公衆によって如何なる評価を受けているかに従っ

て攻撃あるいは弁護することができた」のであり,また彼は無神論者であるにも拘らず牛リス

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               ハンナ・アレントの政治哲学(4)

ト教をめぐる論争においては,場合によってはキリスト教の消滅を恐れてそれを擁護したり,

終始一貫して固定した立場をとることがなかった。このような彼の態度は,一見して曖昧で定

見がなく,無責任であるかのようにみえるのだが,それは,彼の第一義的な関心が自由

(freedom)一就中「運動の自由」(freedom of movement)に対するものであり,さらに「世界

への関心」であることに由来するものなのである。ここにおいて「運動の自由」とは,自由と

いう言葉によって連想されるあらゆる特殊な自由(liberty)の中で,歴史的に最も古くまた基

                                         13)本的なものであり,それはまた,行動のための不可欠の条件であるとアレントは説明する。

 さらにレッシングの場合,批評するということは,「常に世界の側に立ち,あらゆる事柄を

その時点での世界における位置によって理解し評価しようとすること」を意味している。そし

て彼の〈世界への参加の姿勢〉はといえば,「無矛盾性の公理や首尾一貫した整合性への要求

をさえも犠牲にするところまで貫かれている」のである。 アレントは次のように言う。「レッ

シングのこのような精神に我々が負うところは大であるが,しかし一方それを学ぶことが我々

にとっては極めて困難になっている。それは,我々が啓蒙哲学や十八世紀の人間性に対する信

仰を信じていないからではない。‥十九世紀が抱いた歴史への幻想とイデオロギーへの傾倒と

                                  16)は,依然として現代の政治的思考に大きな影を落としている」からである。ここで先にあげた

『人間の条件』において,マルクス主義が,やはり十九世紀の思考枠に捉われていたことをア

                           17)レントが問題にしていたことを思い起こしてみる必要がある。ここには教条主義的な思考の枠

に縛られてきたこれまでの学問体系や「政治思考」(political thought)そのものに対する彼女

の不信感や批判が語られている。

 彼女は「思考」(thought)について,さらに言及する。

 もし「思考」というものが,歴史や強制的な論理に支えられない完全に自由なものであるな

らば,我々はそれが何らの権威も持たないものであるかのようにみなしてしまう傾向にある。

本来〈思考〉は,自立的思考(Selbst-denken)でなければならず,単に知性と深遠さだけでは

なく,勇気を要求するものなのである。アレントは,レッシングが誰からも強要されることを

望まず,また誰にも強要することを好まないで,「推論や脆弁によって,あるいは強制的な論

証によって思考を支配しようと試みる専制者を,正統派学説よりも自由にとって危険なものと

みなした」ことをあげ,彼が「知識の酵母」(fermenta cognitionis)という「他の人々に自立

的思考への刺激を与えようとするもの」を世間に流布させたことに注目する。そして,我々と

レッシングを隔てる200年間に,この「医界」をめぐる多くの事柄が変化してきたにも拘らず,

よりよい方向への変化は殆どみられず,「(彼の隠喩を引くなら)熟知された真理の支柱は,当時

は動揺していたが,今日では破砕されており‥‥我々がこうした支柱のまさしく破片の堆積の

中に立っていることを理解するには,ただ周囲を見回すだけで十分である」とシニカルに述べ

ている。そして,「今やある意味では,こうしたことはある新しい型の思考,すなわち支柱も

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                 志 水 紀代子

柱石も,あるいは基準も伝統もともに必要とせず,く未知の上地を杖なしに自由に歩き回る思

考〉(引用者強調)を推進するという利点になりえている」と明言する。「未知の土地を杖なし

に自由に歩き回る」新しい型の思考は,しかしながら,世界自体がこれを利点とすることはで

きないのである。何故なら「真理の支柱は,同時に政治的秩序の支柱であること,そして世界

は(そこに住み,その中を自由に動き回る人々とは対照的に)連続性と永続性とを保証するためにこ

うした支柱を必要とするのであり,それなしに世界は,死ぬべき運命にある人間が必要とする,

相対的に安定し,相対的に不朽の安息所を与えることができないということは古来より明らか

である」からである。さらに付け加えて「世界がもはやいかなる種類の永続性も持だない運動

の中に暴力的に引き込まれる時,世界は非人間的で,人間的要求一死すべき運命を持つものの

                         22)要求-に応え得ない荒廃したものになる」と述べている。彼女がここで指摘していることは,

今日民族抗争の最中にある世界の各地で枚挙に暇の無いほど,その例を挙げることが出来るだ

ろう。

 彼女はこの後さらに続けて,「それ故にこそフランス革命という偉大な失敗以降,人々はか

つて破壊された支柱を,ただそれらが先ず動揺し,ついで崩壊するのを繰り返し見るためにの

       23)み再建してきた」と述べる。そして,「政治的領域における復古は決して新たな基盤の代わり

にはならず, (それは)革命と呼ばれている基盤づくりが失敗した際に不可避的な,せいぜいの

                        23)ところ一時的な目安にすぎない」ことを明らかにする。最後に「このように繰り返される公的

秩序の土台の脆さは,崩壊のたびますます明らかにならざるをえないのであり,その結果究極

的に公的秩序は,ほんの一握りの人間が未だ密かに信じている〈熟知された真理〉(best-

                                       2.1)known truths)を人々がまさに自明なものとみなすことに基づくものとなる」という。彼女が

ここで,暗に指摘しているのは,いずれも近代市民社会にみられる家父長的な権力主義的な発

想に基づく人間の営みの繰り返しのことである。それはこれまでいわば人類の歴史的進歩のプ

ロセスとしてある種の諦念をもって達感的・半ば肯定的に語られてきたことだと言いうるだろ

う。

【同情心(compassion)と友情(friendship)のちがいについて】

 ところで,諦念を越えて人々が連帯し,よりよい世界形成に積極的に携わっていくのにもっ

とも必要な人間の条件とは何であろうか? アレントはこの問いに答えるためにここで,ル

ソーの挙げる「同情心」とレッシングの挙げる「友情」とを比較するのである。

 アレントによれば,「同情心」は,万人に共通する人間本性を発見し確認する上で,極めて

大きな役割を果たしてきたものである。その文脈が全く異なるものであったにしても,レッシ

ングとルソーのいずれにとってもそうであったし,それはまた,ロベスピエールにおいて初め

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               ハンナ・アレントの政治哲学(4)

て「革命の中心的な起動力」ともなったのである。それ以来同情心は,ヨーロッパの革命史に

おいて革命と不可分の関係にあり,紛れもなくその一部分をなしてきている。しかしながら,

「革命的志向をもった十八世紀の人道主義者たちは,同情心を通じて不幸な人々・悲惨な人々

との連帯を達成しようとした」のであり,その努力は,「まさに同胞兄弟の域に達しようとし

ていた」のである。「今や同情心は疑いもなく自然な人間的感動であり,苦しむものを見れば

たとえそれが外国人であろうと,普通の人なら無意識のうちに突き動かすものであるため,そ

れが全人類に及ぶことで人間が真に同胞兄弟となるような社会を設立しようとする感情の,理

論的な基盤になると思われた」のである。「最下層民が光の代わりとしている温かさが,ある

がままの世界に絶望し,その結果不可視なものに逃げ込もうとしている人々に大きな魅力を与,

えることもたしかである」。しかし,「この種の人道主義(その純粋形態は最下層の特権である)は,

伝達不可能であり,最下層に属さない人々には容易に習得されえないことがすぐに明らかにな

る]のであり,そして,「辱められ,傷つけられた人々の人間性は,解放の時代にはほんの一

瞬たりとも生き残りえない。このことはそれが無意味であったということではない。事実それ

は侮辱と迫害を耐ええるものにするから。しかし,それは政治的な意味では全く不適当なもの

であった」と明言している。つまり, (同情心も,あるいは苦難を現実に分かち合うことも。

                            28)それだけでは(連帯の為には一引用者)十分ではない」のである。アレントはここで直重にも,

「万人の為に正義を確立することよりもむしろ不幸な人々の運命を改善しようとする企てに

よって,同情心が現代革命の中に導入されたことの弊害を論ずる事は出来ない」と断って,一

定の理解を示している。 しかし結局アレントによれば,「十八世紀の合理主義(rationarity)と

感傷主義(sentimentality)とは,楯の両面にすぎず,両者とも個人が万人との同胞愛

(brotherhood)の絆を感ずる際の熱狂過剰へと導きうるもの」であり,「いずれの場合にも,

こうした合理性と感傷性とは不可視性の領域の中で,共通の可視的な世界の喪失を,心理的に

代用したにすぎなかった」と批判することになる。

 さてアレントは,我々自身が「感情の現代的様式についてささやかな展望を獲得する」ため

に,さらに古代世界の同情心について言及している。

 古代においては,同怖じは恐怖心と同様に,それが抵抗出来ない程に我々を圧倒するもので

あるが故に,「最も同情心に富む人を最も恐怖心の強い人同様に,最良の人と呼ばれる資格を

持だない人とみなした」アリストテレスの例をあげる。あるいはまた,「何故助けを与えられ

る時にも,むしろ憐れみを与えようとするのか?あるいは我々は,憐れみを持たずに親切であ

ることは出来ないのであろうか?」というキヶ口の問いかけは,換言すれば,「人間は他人の苦

痛をみることで,自分自身の苦痛に駆られ,かつ言わば強制されるのでなければ人間的に行動

出来ない程卑しい存在なのであろうか?」ということと同じだと解説する。

 彼女は,このような古代人の例を引き合いにしながら,「……快楽と苦痛とは,あらゆる本

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                志 水紀代子

能的な事柄と同様,沈黙に赴く傾向があり,たとえ音声を発するとしても言語を生み出さず,

また確かに対話を生み出しばしない」と言い,ギリシャ人にとって何より重要な人間関係は,

「友情」であり,その本質は対話の中にあったのだと説明する。「対話の中で,友情の政治的重

要性とそれに囚有な人間らしさとが明らかにされる」からである。アレントはこうした対話の

重要性について,「共通の世界は,それが絶えず人々に語られるのでなければ,まさに文字通

り非人間的なままである」と言って,「人間によって作られているからと言って|旦界は人問的

になるわけではなく,……ただ,世界が人間的となるのはそれが語り合いの対象となった場合

に限る」と説明している。そして「我々は世界において,また我々自身の中において進行しつ

つあるものを,それについて語ることによってのみ人間的にするのであり,さらにそれについ

て語る過程で我々は人間的であることを学ぶ」のであると言う。このような友情ある語り合い

の中で達成される「人間らしさ」(humanness)が,ギリシャ人の「人間愛」(philanthropia)

であり,それは,それ自体他の人々と世界を共有する心づもりを表明するものでもあった。こ

のようなギリシャの博愛は,やがてローマに入ってローマ的フマニタス(humanitasう になる

過程で,いくらかの変更が加わり,中でも「人間性」(humanity)という言葉に教育の効果を

見るようになるのである。つまり人間らしさとは,感傷的ではなく,冷静なもの,そして,人

間性とは,同胞愛ではなく友愛において示されるものであること,そして「友情」とは,「個

人的な親密さに関わるものではなく政治的要求を掲げて世界について論究し続けるものである

こと」と言い切っている。これらはすべて,レッシングの戯曲『賢者ナータン』の中で示され

ているものである。この戯曲の劇的な緊張は,友情と,真理を備えた人間性との間に生ずる相

剋の中にある,とアレントは説明するが,彼女はここにおいて,こうした原理や相剋が現代人

の我々にもっとも重要なヒントを与えていることを示唆しているのである。

【フェミニズム問題転換の視点】

 さて,以上に述べてきたような『レッシング考』におけるアレントの視点が,フェミニスト

を自認する金井淑子の『フェミニズム問題の転換』のそれと重なることに注目してみたい。

 金井によれば,一般的に言ってフェミニズムとは,「女性の視点から,これまでのすべての

学問の対象認識や方法論に内在する男性中心主義のバイアスを批判的に問題化し,諸学問の視

点を「説中心化」することを課題とするものであり,従って,各学問領域を越境して,文化に

内在する男性中心的な象徴秩序や,女性抑圧の根深い文化的背景を読み解く理論的作業を目的

とするものである」ということであった。

 金井はすでに,『転機に立つフェミニズムエ『ポストモダン・フェミニズム』等の多くの著

書や論文において,さまざまなフェミニズム運動を理論的に分析し,これらを思想として深

-251-

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               ハンナ・アレントの政治哲学(4)

化・発展させてきた学者であるが,今回の『フェミニズム問題の転換』において,これまでの

フェミニズム理論の総括を行い,フェミニズムが,思想として,また社会理論として,市民権

を得,かっまた学の普遍性を獲得したことを明らかにしてみせる。そして彼女はこの中で,自

らのフェミニストとしての存在根拠を問いつつ,フェミニズムの今日的状況にコミットしてい

く。この著書は3部構成になっているが,主としてここでとりあげるのは,この著書全体のタ

イトルにもなっている第�部の〈「フェミニズム問題」の転換〉の部分である。

 さて著書の冒頭において,金井は次のように述べている。

 1992年の現時点においてフェミニズムの課題を問おうとすれば,ここ数年の間にフェミ

ニズムの内と外で起こった三つのできごとを不問にはできない。すなわち,内側においては,

上野千鶴子氏のフェミニズム論をめぐって戦わされたフェミニズム論争かおり,そして外側

でのできごとは,いうまでもなく「湾岸」戦争であり,また「1989年」ベルリンの壁に象

徴される世界史的転換であった。 とりわけ後者の,東欧の自由化に端を発した「1989年」

状況は,ついにソ連邦解体にまで帰結したのであった。本書は,こうした歴史の歯車の巨大

な動きを固唾をのんで見守るなかで,同時に前著『ポストモダン・フェミニズム』以来の一

貫したモチーフである「フェミニズムの近代主義からの脱コード的主体化」という問題を。

                            :m)この歴史的できごとに重ね合わせて考えようとしたものである。

 彼女は,まず1968年のウーマン・リブ運動がフェミニズムの全く新しい要求水準を提起し

た女性解放運動であったことを高く評価し,それが,黒人解放運動,スチューデント・パワー

運動の新しい波に典型される戦後世界秩序に抗する新しい社会運動に連なる形で新しい主役と

して登場したことに歴史的な意味を認めている。 すなわちそれは,「男性中心的秩序の世界に

主体的参入という形をとって統合化されていかざるをえないそれまでの解放要求のおり方に対

して,初めて〈女であることのアイデンティティ〉の追求や〈性的自立〉という課題が, フェ

                               35!ミニズムの要求として提起された」ということを意味したからである。しかしながら,このよ

うなウーマン・リブ運動が起こる背景には,当時の黒人解放運動やニューレフトの諸運動の

担い手たちの意識の中に抜きがたく存在する「運動の中の性差別」に対する批判がその契機に

なったのであり,このことが,その後の運動の展開の方向性に大きく影響するのである。「解

放の普遍的理念を目指すべきイデオロギーとその身体性との矛盾,彼らの無意識的実践に体質

化されているセクシスト的身体性の問題」は,彼女たちを「抑圧を内面化した身体の主体的隷

属の根源にむけた問い」に導き,やがてそれらは「家父長制」と定義づけられ,批判されるこ

とになる。そしてこれを運動理論として取り込んだ,ラディカル・フェミニズムの中に,「性

的分離主義」の立場を生み出すことになったのである。このような立場に立って日本のフェミ

                    -252 -

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                志 水 紀代子

ニズム運動の先頭に立ってきたのが,上野千鶴子であり,彼女はエコロジカル・フェミニズム

の立場に立つ青木やよひとともに,その論争を通して日本のフェミニズム理論形成の中心に

なってきたのである。彼女らを中心にしたさまざまなフェミニズム論争が,フェミニズム理論

の深化を多面的にもたらしたとして金井は高く評価している。

 ところで年代的にみる時, 80年代は,フェミニズム内部のエコ・フェミ論争にとどまらず,

国民的な広がりをみせたアグネス論争や,フェミニズムの解放戦略をめぐる「総撤退論争」,

あるいはまた,現実的な女性政策レベルでの「雇用均等法」をめぐっての,さまざまな論争が

展開されたが,金井はそれらを「論争の内在的原理においては,基本的に同じことがらの多様

な現われ」であり,ここで問題になっていることは「新しい形での女性の自立や解放のおり方

の模索であった」と整理する。

 しかしながら,特に「湾岸」戦争後,フェミニズムは大きな宿題を抱えることになった。そ

れは,フェミニズムと反戦・平和の問題との関わりにおいて,もはや「女性は平和勢力」とい

う構図が成り立だなくなったこと,しかも戦闘に女性兵士が参加したことに「銃をもち戦闘活

動に参加する平等」をNOW(全米女性会議)が要求したことがフェミニストの間でも議論にな

り,多方面に大きな波紋をなげかけることになったからである。金井はつぎのように述べる。

 戦争体験をもつ世代のノーモア・ヒロシマの意識と「生命を産み育てる母の立場」に立つ

平和運動が,戦後のある時点までもちえたインパクトを否定するつもりは少しもない。しか

し問題は,もはやそのような意識と論理に依拠しただけでは,「湾岸」のような戦争状況に

対する反戦意志の主体は立てにくい。「生活私民主義」が戦争体験を急速に風化させている

現実は,否定しようもない。もはや「ノーモア」意識は反戦・平和の原動力にはなりにくい

のみならず,ときとして「被害者意識に立つ運動」や,「母の論理」は,運動を内側から脅

かす危うさをもっているという認識が不可欠である。…フェミニズムは女性と戦争,あるい

はフェミニズムと軍国主義の関係について,「銃後の戦争協力」の歴史を反面教師として,

この負の歴史を思想的に徹底して自己切開する課題を含めて,理論的決着を問われている。

 金井は,フェミニズムが「前線の女性兵士」や「銃後の母」に滑り込まない女性の主体性を

どのように確保していくか?が問われていることを指摘して,これまでにフェミニズムが獲得

した三つの基本的な主体像をあげる。ひとつは平等主義の徹底化の中で「男性的自我への同一

化」をもって立てられた主体概念であり,もうひとつはこの男性自我への同一化を拒否すると

ころに立てられた「分離主義」の同性愛的主体化であり,そして第三は女性性や母性原理への

回帰を謳う本質主義であるが,彼女はこれらのいずれもが概念的に不備であることを明らかに

しながら,彼女独自の「身体の私権」と「主体の複数性」というキーワードをもってラデイカ

                    oe;q

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               ハンナ・アレントの政治哲学(4)

ル・フェミニズムとエコロジカル・フェミニズムを止揚したひとつの立場に到達する。ここに

我々は,アレントの「身体の自由」のもつ意味内容に極めて近い一つの結論を見い出すことが

できるのである。彼女はこのことについて次のように述べている。

 女性と反戦・平和をつなぐ視点の形成にとって不可欠の思想的軸として私か射程にいれて

いるのは,ラディカル・フェミニズムとエコロジカル・フェミニズムの二つの軸である。と

いうのも,ラディカル・フェミニズムこそ,もっとも個体的な権利として,「身体の私事

性・私権」の視点,すなわち「自己決定権」という発想をフェミニズムに引き入れたという

意味で,フェミニズムの平等概念の価値前提を根底的に転換する契機を作ったとみることが

できる。とすれば,このラディカル・フェミニズムの俗体のレベルでの権利意志が「身体の

法」として普遍化され,フェミニズムが父権的秩序に対する「反エディプス的主体形成」へ

の倫理的支柱の確立につながるためには,もうひとつ思想的な原理の介在が必要となってく

る。そこに私は,エコロジカル・フェミニズムへの正当な評価も不可欠となるのではないか

と考えている。」

 金井はこのことをさらに言い換えて,「平等主義」に替わるフェミニズムの新たな価値軸に

は,フェミニズムに「倫理」への視点を導くうえでのエコロジカル・フェミニズムがどうして

も必要になるという。そして,「主体の複数性」や「複数の自己」の現実的なイメージとして,

「国家や企業にからめとられない主体の連合のあり方」を考える時,今日的な課題に関わるこ

ととしてフェミニズムと女性政策をめぐる問題の中での「多元的ネットワーク」の問題意識に

つながっていくことをさしあたって確認することができるだろうと説明する。

 ところで, 90年代になると,フェミニズム理論は,社会理論としてのフェミニズムの方法

論をめぐって,本格的な上野フェミニズムに対する批判が始まる。その口火を切ったのが,大

越愛子である。 彼女の主張は, 80年代を通しての日本のフェミニズムの全体的な状況に対す

る危機感を背景にしたもので,その問題意識は,フェミニズムの「体制内化」,あるいは「風

化」状況に対する深い危機感と苛立ちから発せられており,それは,「上野批判であると同時

に,日本の思想状況,特に日本的ポストモダンの知的状況が論点の軸をなしていた」と金井は

解説している。大越は,自ら「文化解体派フェミニズム」を称し,フェミニズムが本来の体制

批判の理論としての原点に立ち戻るべきことを強く押し出したのである。彼女はこのような立

場から,従軍慰安婦問題を取り上げて,戦前戦後を通じて変わることなく日本の文化に温存さ

れている性風土を洗い直し,日本文化批判が, 90年代のフェミニズムの論争軸であることを

強く主張するのである。

 大越は従軍慰安婦問題について次のように言う。

-254-

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                 志 水紀代子

 「私は,日本のフェミニズムの加害責任のとり方は,これを徹底的に性暴力,性差別の問題

として捉え,それを生み出した日本の性風土を解体していくことだ,と考えている。この日本

の恐るべき性風土の餌食となった元従軍慰安婦の方々に誠実に謝罪し,補償することを政府に

要求していくと共に,このような悪夢を生み出した日本的性風土の実態を徹底的に追求してい

くことが,是非とも必要である。性暴力,性差別を容認する性風上の中で,女の性をあらゆる

面から利用する植民地政策がとられ,性を通しての同化政策がとられ,その極限に性を通して

の民族抹殺政策がとられた,その恐るべき性蔑視思想を告発していくことである]。

 このような大越の主張に,我々はアレントが第二次大戦後のドイツの風潮に対して厳しく問

いかけたことにつながる視点,重要な問題意識の共有があるのをみることができるだろう。

 アレントは『レッシング考』のなかで,戦後のドイツに広く見られた傾向として,「そこで

は,!933年から1945年に至る歳月が存在しなかったかのように,ドイツおよびヨーロッパの

歴史の,従って世界史のこの部分が削除されうるかのように,万事は過去の「否定的」側面を

忘れ去り,恐怖を感傷的なものに変えることに依存しているかのように振る舞われてきた。」

と述べている。

 また,「過去の克服」(mastering of the past)と称して,著しく種と質を異にする戦争に関

する著作が氾濫してきたことも挙げて,「それは当然のことながらドイツばかりでなく,戦争

を蒙ったすべての国に起きたことである」と断言している。彼女自身が問題にしているのは,

まさにこの点である。そしてこうした場合,達成されうる最良のことは,「過去が何であった

かを正確に知り,こうして得られた知識に耐え,さらに知りかつ耐えることから何か生ずるか

を待ち望むことなのである」と述べている。

 ナチスの人種理論が原理的にいかに非科学的であっても,実際的な政治的結論は,完全に論

理的であったことをアレントは否定しない。そしてそのような政治理論が,「人種浄化」とい

う「狂気の世界」を現出させてきたことをこそ彼女は問題にするのである。そのことはまた戦

争システムの中に戦術として組み込んで,組織的にうら若い朝鮮人女性をレイプしておきなが

ら,「皇軍の士気を高め,一般子女を凌辱しないため」の性の捌け口として[合理化]したこ

とにも通じるものである。「法的,道徳的,あるいは宗教的厳格さ」ですらもその口実に使わ

れ,こうした仮に捉われてきた従軍慰安婦たちは,戦後も自ら蒙った甚大な被害を訴えること

もできずに,閉ざされた人生を送らざるをえなかった。文字通り戦後を,歴史の狭間で棄民と

して生きてきたのである。実際には,編され,強制連行された10万とも20万とも言われる朝

鮮人女性たちの多くが,連れていかれた戦場で殺され,あるは自殺し,そしてあるは置き去り

にされて廃人になっていった。この事実から逃避することなく,一体我々はどのように過去を

克服できるだろうか?このような大越の「文化解体派フェミニスト」としての告発が,先のア

レントの視点に重なることは明白であろう。

                   -255-

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ハンナ・アレントの政治哲学(4)

 アレントは「過去をく克服することが可能であるとすれば,それは起こった事柄を関連づけ

ることにある」と言う。 しかし,「こうした叙述は,それが歴史を形づくるにしても,問題を

解決することはないし,苦痛を和らげることもない。またそれが,何かを一挙に克服したりす

ることはない。…むしろ,出来事の意味が生き続けている限りーしかもこうした意味というも

のは非常に長期に渡って存続できるのだがー〈過去を克服すること〉は,絶えず反復される叙

述という形をとることができる」と示唆するのである。

【むすびにかえて】

 混迷する今日的状況の中で,敵対する者同士,あるいは敵対する当事者とそれを傍観する者

との開にアレントの挙げる最良の人間関係としての「真の友情」を育むにはどのようにすれば

いいのであろうか?,最後にこれまで述べてきたことにもとづいてそのことを考えてみたい。

 「真の友情」を培うには,言葉の最も深い意味における政治から生まれるはずの共感を分か

ち合うことだとアレントは言う。それは,世界の出来事やその中の事柄について,絶え間なく

頻繁に語り合い,世界を人間的にすることに互いに関心を寄せあうことにおいて,しかも,

「兄弟」としてではなく,一定の距離を保った「友人」として関わり合っていくことで初めて

可能になるという。それは,逃避することなく現実に対して真摯に向き合うことからしか始ま

らないのである。

 ここで彼女が示唆しているのは,『人間の条件』の中で挙げている「活動」(action)である。

地球上に生き世界に住むのは,一人の人間(Man)ではなく,多数の人間(men)であるとい

うことに対応した活動をすることである。国家や法律や道徳や宗教的厳格さからも自由になっ

た精神-レッシングの思考-にしてはじめて,この事をよくなし得るのである。それは今日の

具体的活動の観点から言えば,例えば国家の枠を越えて政治犯の釈放を求め,国家の名におい

て行なわれる死刑廃止を訴えるアムネステイの精神に通づる考え方であると言い得るだろう。

「国家」の名において死刑を実施する文化は,「国家」の名において徴兵する文化に繋がってい

るのであり,このような大義名分が先立つ文化に対して,挑戦してきたフェミニズムが獲得し

た視点が,金井の言う「身体の私権」であり,「主体の複数性」であり,さらにそれは,大越

の「文化解体派フェミニズム」の主張につながる人権の問題でもあるからである。

 死刑廃止を訴えるアメリカの女性ドロシア・モアフィールドは,息子を彫殺された後,犯人

の死刑を断念するまでの自らの心境の変化について,つぎのように語っている。彼女の言葉の

中に,凄惨な復讐の根を断つ深い英知がこめられているのを我々は知ることが出来るだろう。

あなた方の愛するものが,意味もなく殺されるということに対して,それまでの人生の中に,

                  -256-

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                志 水 紀代子

あなた方の心の準備をさせる事のできるようなものは何ひとつありません。‥私はその時には,

私自身の手で彼(犯人)を殺すことができたらとさえ思いました。 ‥何年も経った今になって

も,私はこれは当然のことだったということができます。私か感じた感情は殺人にたいする正

常な反応であると。この憎悪,この燃え盛る復讐への欲求は,もし私か心を癒されたいのなら

ば,まともに向かい合い,関わりあっていかねばならない,今一つの重荷でした。…その憎し

みのために消耗しきってしまうことは,リックの殺人者に私と私の家族を破壊させることと理

解しなければなりませんでした。もし私に対して憎しみが,失った穏やかでいとおしい息子と,

その息子への愛とに,私の気持ちを集中することを妨げさせ続けているのなら,その間は私は

深い哀悼を彼に捧げることはできないのです。‥私は,愛を選択しました,だから深い悲しみ

に浸ることができました。そして憎しみを消すと,復讐を求める必要もなくなりました。

 死刑は実際,社会に対する回答でも,犠牲者に対する回答でもなく,究極の臆病の行動なの

です。私たちはただ犯罪者をコントロールできないことを恐れて死刑を行います。この私たち

の側の自信のなさと,社会の側の臆病さとは,近代文明社会の中で私たちがそれによって生き

てきた社会規範そのものを弱めます。

                                      拘 犠牲者の遺族は,慰めと愛と理解とを求めていることを私たちは知らねばなりません。

 彼女の苦悩と愛は,真の,又はあるべきフェミニストのそれであるといいうるだろうと私は

考える。そして,そのことを真に理解していくことこそが,アレントの求めた真の友情の実質

的な内容ではなかろうかと。

 最晩年のアレントは,敬愛してやまなかったカントの政治哲学を,全く新しく解釈し直すこ

とによって,絶望的なこの困難な時代の深い闇を照らす為の松明をかざすことができたといい

うるだろう。フェミニズムの理論が,彼女の『人間の条件』に示唆を受け,運動理論として発

展し,社会理論として市民権を得てきている昨今,そのルーツを辿ればカントに行き着き,更

に遡ればポリスのアゴラで青年に議論を吹っかけていたソクラテスに行き善くことを確かな手

応えをもって今とらえることが出来ないだろうか。アレント自らが示唆した通りに。彼女は,

その意味で,真に「現代の啓蒙の哲学者」であったといい得るだろう。そして今やその重い課

題が,フェミニストたちによって受け継がれようとしていることも付け加えておく必要かおる

だろう。                                     (了)

               〈本文中におけるアーレントの著作〉

『全体主義の起原』(The Origins of Totalitalianism: published as The Burden of Our Time

   Seeker and Warburg, 1951)(邦訳:いずれもみすず書房)

   第一巻「反ユダヤ主義」大久保和郎訳 1972年

   第二巻「帝国主義」大島通義・かおり訳 1972年

-257-

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               ハンナ・アレントの政洽哲学(4)

   第三巻「全体主義」大久保和郎・大島かおり訳 1975年

『人問の条件J (The Human Condition, University of Chicago Press, 1958)(邦訳:志水速雄訳

   中央公論社, 1973年)

『レッシング考』(Men in Dark Times : On Humanity in Darktimes; Thoughts about Lessing,

   Jonathan Cape, 1970)(邦訳:阿部 斉訳 河出書房新社, 1972年)

『カント政治哲学の講義』(Hannah Arendt: Lectures on Kants Political Philosophy ; Edited

   and with an Interpretive Essay by Ronald Beiner, Chicago 1982)(邦訳:演田義文監訳

   法政大学出版局, 1987年)

                      (註)

∩ 太田一男は,社会主義思想が,資本制社会の矛盾を克服するという近代の社会関係の中から生まれ

  たことを指摘して,「(社会主義)国家は,生産力の拡大と配分の社会化の中で,人間の欲望を満た

  しうるものという仮設を前提としていた」ことに注目している。そして,「(社会主義)田家が,共

  産党勢力を中心として,権力による富の再分配関係の構築を追求しているその期間に,否定さるべ

  き資本主義靖国から,新しい社会関係・文明が生まれ,しかも(社会主義)諸国の人々がそれと

  〈同質の文化〉を求め始めたところに,今日の(社会主義)諸国の混迷の基本問題がある」ことに

  言及する。氏によれば,今日,先進資本主義諸国を母体として形成発展してきている く新しい文

  明〉は,高度に発達した科学技術を細織して工業的にあらゆるものを商品として生産する生産様式

  を土台とする社会関係の上に成立しており,このような文明は,構造的に,アジア,アフリカ,ラ

  テン・アメリカ等,全世界の経済的,社会的弱者の犠牲の上に成立する文化を内含している。氏は,

  このような新しい生産様式を「高度科学技術工業制商品生産様式」(Highly Advanced

  Scientific Technological Industrial Commodities Productions System),略して「HASTIC

  生産様式」と呼ぶ。それは,「高度に発達した科学技術を組織して,ほぼすべてのものを工業制製

  品として生産し,世界の市場に同時的に送り出す生産様式であり,世界の市場関係が「同一的単

  一的同質的同時的なもの」となり,「人間の社会的な諸関係も,国家の枠組を越えてに世界単一的

  同次元的相瓦関係的なものとなるものが多〈なり,人々を〈世界市民〉イヒしてきている」という。

   太国一男著『棄民の構造と現代の人権』(谷沢書房 1992年)(18ページ)

2)

3)

4)

5)

6)

7)

『全体主義の起原』第二巻,「帝国主義」の第五章「国民岡家の没落と人権の終焉」参照。

ハンナ・アレントの政治哲学(3)-『人間の条件』とフェミニズムー(追手門学院大学文学部紀

要第24号所収 1990年)

『フェミニズム問題の転換』金井淑子著 勁草書房 1992年

後述するように,大越らは,」二野(千鶴子)フェミニズムを批判して,フェミニズムが本来の体制

批判の理論に立ち戻ることを主張し,日本のフェミニズムは「女性の個としての自立の前に立ちは

だかる特殊日本的文化土壌への文化解体的な実践という難題かおるのに,いまだ‥欧米移人思想の

域を越ええず,日本主義と親和的なポストモダン風潮の中で知的遊戯化に堕している」と批判する。

特に日本的な仏教のセクシズム批判,とりわけ「場の論理」や「和の論理」への批判的視点を抜き

にしては,日本のフェミニズムが,主体をたえず無化する自らの文化土壌の中で自立する道はない

と主張し「文化解体派フェミニズム」を自認。機関誌『フェミローグ』を発刊して論陣を張る,今

もっとも注目されるフェミニストの一人である。(『フェミニズム問題の転換』, rフェミローグ』2

他参照。)

『レッシング考J p. 3 (邦訳11 ~12ページ)

同上 p. 4 (同13ページ)

-258-

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               志 水 紀 代 子

同上 pp. 4-5 (同13ページ)

『人間の条件J p. 7 (邦訳9~10ページ)

『レッシング考J pp. 18-19 (邦訳30~31ページ)

同上 p. 5 (邦訳14ページ)

同上

同上 p. 9 (邦訳18ページ)

同上 p. 9 (邦訳18ページ)

『カント政治哲学の講義J p.31-32 (邦訳42~45ページ)参照。

 アレントは,カント講義の中(第5講)で批判という語が,「批判(criticism)の時代」,すな

わち啓蒙の時代から示唆を受けたものであろうと指摘して,「啓蒙を本来構成するものは,ただそ

の消極的態度である」というカントの言葉を挙げて,この場合の啓蒙とは,「偏見からの自由,権

威からの自由であり,浄化の行事を意味していると述べている。さらにまた,批判的思考とは,思

考の新しい道であって,新しい理説の単なる準備ではないという。そしてここにおいて,カントを

啓蒙の哲学者として,それ以降のドイツ観念論者と截然と区別する。彼女は「愛知の学」としての

哲学(philosophia)の継承者,つまり啓蒙の哲学者として,ソクラテスとカントを繋ぎ,さらに

自らにつないで,いわゆる「体系の哲学」と決別するのである。

『レッシング考J p. 8 (邦訳17ページ)

『人間の条件J p. 116(邦訳121ページ)

『レッシング考J p. 8 (邦訳18ページ)

上上上上

同同同同

p。10(同20ペーの

pp. 10-11(同20ページ)

同上 p. 11(同20~21ページ)

同上。(同21ページ)

同上 p. 14(同24ページ)

『レッシング考J p.14 (邦訳24ページ)

[言トヒ p.16(同26ページ)

同上 pp. 16づ7 (同27ページ)

同上

同十 p. 16(同27ページ)

同上 p. 15(同25ページ)

同上 pp. 24-25(同37ページ)

金井叔子「ウーマンリブ登場から80年論争まで」(『フェミニズム入門』所収 JICC出版局 1990

年)

『フェミニズム問題の転換』はじめに

同上

同上

同上 174~175ページ

同上 181ページ

同上 218ページ

大越愛子『フェミニズムは問われている一従軍慰安婦問題と日本的性風土』(『↑青況J 1992年6月

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Page 18: ハンナ・アレントの政治哲学(4) -『レッシング考』から90 …ハンナ・アレントの政治哲学(4) ポスト冷戦の方向を一挙に暗転させる衝撃的な出来事であった。果てしない軍拡競争に終止符

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ハンナ・アレントの政治哲学(4)

号所収)

『レッシング考J p. 19(邦訳30ページ)

同上 p. 20(同31ページ)

同上 p. 20(同31ページ)

大越は特にこの点について日本における仏教の果した役割・責任について鋭く糾弾する。

『レッシング考J P.21(邦訳33ページ)

同上 p. 21(同33ページ)

(「死刑廃止国際条約の批准を求める四国フォーラム・92報告集の基調講演一磯村弘子訳」より)

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