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Hitotsubashi University Repository Title Author(s) �, Citation �, 38: 63-95 Issue Date 2019-12-27 Type Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/31072 Right

アイルランド共和国における農村アクセス問題 URL Righthermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/31072/... · きなり「もう入るな」とか言われると、何やねん

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Hitotsubashi University Repository

Title アイルランド共和国における農村アクセス問題

Author(s) 北島, 義和

Citation 一橋大学スポーツ研究, 38: 63-95

Issue Date 2019-12-27

Type Departmental Bulletin Paper

Text Version publisher

URL http://doi.org/10.15057/31072

Right

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本日はお呼びいただき、ありがとうございます。

釧路公立大学経済学部に所属しております北島と

申します。今日はお手元のレジュメに沿って発表

のほうを進めていこうと思います。

基本的には去年書いた本の内容を中心に今日は

発表させていただければというふうに思っており

ます。一応、パワポ的なものもありますので、何

となく写真も時々見ながら進めていこうかなとい

うふうに思います。

まずは自己紹介を兼ねた私の研究関心というこ

とで、私の専門は社会学で、主には何社会学なの

か、だんだん自分でも分かんなくなってきたんで

すけど、地域社会学ということに一応しておりま

す。あと、環境社会学とか農村社会学みたいなこと

をやっているような感じになっております。最近

どれも何だかはまらないような気がしてるんです

けど、一応、社会学を中心に大学院を出ています。

基本的には、関心事としては、そこにも書いて

おりますが、農村地域における自然資源のレクリ

エーション利用と、そのような利用を巡る、いろ

んなアクター間のあつれきというものに関心があ

りまして、なので、環境社会学のようなことを中

心的には勉強してまいりました。特にその中でも、

土地所有者とそこに入ってくるレクリエーション

利用者の間の対立的な状況を、勝手に私が呼んで

いるだけですけども、農村アクセス問題と呼んで

研究をしてまいりました。

これまでは主に、農村アクセス問題が現在社会

問題化していますアイルランド共和国という、イ

ギリスのお隣の国ですけども、そこで調査研究を

博士課程の時に行って、それで博論を書いて本を

出しました。時々日本でも似たような話を聞きに

行ったりもしております。本日は、そのアイルラ

ンドでの研究の成果の著書に基づく報告をさせて

いただければというふうに思っております。ちな

みに、余談ですけど、今年度から科研研究として

新しく、イギリス領北アイルランドって、今、ブ

レグジットで問題になっているあそこですね。あ

そこ、特に首都のベルファスト近郊の丘陵地帯の

調査なんかをやっておりまして、紛争経験とアク

セス問題の関係について考える予定ですが、未定

ですという感じになっております。横に載っけて

いるのが私の本でございます。

では、本題のほうに入らせていただこうかなと

思います。私の研究の背景になっている事象がど

ういうものかというところからご説明いたしま

しょう。特に近代以降の先進諸国、日本も含めで

すけども、の農村地域という所においては、特に

農村におけるさまざまな自然資源が、いわゆる観

光とかレクリエーションの眼差しというものを受

けるようになり、特に都市住民を中心とした公衆、

一般の人々による、そういった自然資源のレクリ

エーション利用というものが進んでいるという歴

史があります。

そういった中で、農村でのレクリエーションの

ために私的所有地、これは私有地であろうと共有

地であろうと、いわゆる私権というものが土地に

設定されているような土地に入ってレクリエー

ション活動をやろうという人々と、その土地の法

的な所有者の間でしばしば対立的な状況が発生す

るということがあります。これを農村アクセス問

題というふうな名前を付けて一応呼んでおりま

す。私だけですけど、こんな名前を使っているの

は。そういった対立というのが先鋭化していくと、

それまで人々がレクリエーションのためにアクセ

スをしてきた土地の所有者が「お前ら、もう来ん

な」という感じになって、そういったアクセスを

ブロックする事態なんかも起きて、幾つかの西洋

北島 義和 釧路公立大学准教授

アイルランド共和国における農村アクセス問題 〈ゲスト研究会報告・討論〉

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諸国では、特に一番有名なのはイングランドです

けど、社会問題化してきたという歴史があります。

この問題の特徴というか、背景にあることは、

そういった農村において、私的所有権というもの

が設定されている土地のオープンアクセス的、つ

まり、いろんな人がそこへ入ってくるという形の

レクリエーション利用が、しかも多地点的、つま

り、どこか1個の地域だけじゃなくて、あっちこっ

ちで発生しているというような状況がその背景に

はあるということです。つまり、これはどういう

ことかというと、その問題が発生している当該社

会においては、土地所有者とレクリエーション利

用者というものが互いに不特定多数のアクターと

して相対してしまうことになるというわけです。

つまり、土地を持っている人からすれば、よく分

からない人がいっぱい入ってくるということにな

りますし、レクリエーションする人にとっても、

別に1個の山だけ登っているわけではないので、

あっちの山に登ったりこっちの山に登ったりし

て、かつ、その山も別に1人だけが土地を持って

いるわけじゃないので、いろんな人が土地を持っ

ている所を横断しながら歩いて行くので、レクリ

エーションする人にとっても、向こうの人たちは

顔が見えない不特定多数なわけですよね。お互い、

不特定多数vs不特定多数になる状況がしばしば

あるということなんです。そういうアクターとし

て相対することになるという特徴があるというこ

とです。

ちなみに、日本でもそういう事象はないわけで

はなくて、ご存じの方、いらっしゃるかもしれま

せんが、根室のほうにこうやって牧草地を横切る

トレイルなんかが作られたりしているんですけ

ど、何年か前にこんなのができたりしました。通

行の皆様へという看板で、最近、放牧地のウシを

呼び寄せて写真撮ったりする人がいるけど、農家

が迷惑になるからちょっとやめてちょうだいみた

いなものがあって。余談ですけど、この牧草地を

突っ切るルートはつい2カ月前にルート変更に

なって、ここはもう入れない。これ、NHKでこ

のトレイルが紹介されて、人がいっぱい来るよう

になっちゃって、いろいろ問題があったりして。

そういうことがあったりとか、これは学生と

ちょっと地域調査みたいなことをやっている、屈

斜路湖という、内陸に湖があるんですけど、その

周辺の農地なんかにもこんな、ここは釣りの人か

な。釣りの人がよく来て、湖岸に車とめちゃって

いくんだけど、そこは畑のあぜ道というか、通り

道だったりして、地主がちょっと困っちゃうとい

うことがあったりするんです。こういう事象が日

本でもないわけではないんですが、西洋諸国では

結構こういう事態が社会問題化しているところが

あったりするということです。

中村英仁:すみません。そもそも論なんですけど、

なんでこんな私有地を通ることに誰がしちゃって

るんですか。

北島:それは日本の場合でしょうか。それとも。

中村:海外。普通に考えたら、東京とかだったら、

そんな私有地通るって結構…。家の中を通るとか

も難しそうな感じがする。

北島:まず、私のアイルランドとか、あるいはヨー

ロッパ全般の場合で言うと、もう何か通っちゃっ

てたっていう歴史があるんです。それは、一番古

くは旅行者とか、つまり向こうは田んぼとかじゃ

なくて、基本的に放牧地なので、歩けるといえば

歩けるんですよね。そういう旅をする人とかが

パーッと通るとか、あるいは、そこまでいかなく

ても、普通にちょっと地域でミサに行く時に横切

るとかっていうことがあったりして、その延長線

上でレクリエーション的にそういう所を使うって

いう利用の蓄積があったりするんです。それに対

して日本の場合は、そういう目的で観光用として

新しく道を作って、さあどうぞっていうパターン

なので、ちょっと違う。日本の場合は、どちらか

というと、例えば登山道みたいなものがそれに近

いかもしれません。あれは、いつ始まったという

よりかは、人々が勝手に登っていて、たまたまそ

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こが私有地だったみたいなことがあるので、日本

のこういうフットパスよりかは登山道のイメージ

のほうがもしかしたら海外は近いかも。実質的な

現場の利用の蓄積があっちゃったもんだから、い

きなり「もう入るな」とか言われると、何やねん

とかいう話になるっていう。大丈夫でしょうか。

中村:はい。大丈夫です。

北島:すみません。私も慣れないもので、もし何

か分からないことがありましたらご自由にご質

問、途中でも頂ければと思います。

どこまでこういう話をしようかなとも思ったん

ですけど、社会学的な話も一応しておこうかなと

思います。こういった複数の種類の利用あるいは

アクターが競合するような自然資源の管理につい

ての社会科学的な研究、環境社会学が中心ですけ

ど、その中でも特にコモンズ論とか環境ガバナン

ス論と呼ばれるようなものがあったりするんです

けども、そういった研究が、こういう複数の種類、

アクターが競合する自然資源に関してどういう切

り口でこれまで分析をしてきたかということを、

あくまで便宜的な区分ですけど、ご紹介しておき

ましょう。

1つは、私が勝手に対話アプローチという名前

で呼んでいるようなものです。これは環境社会学

の井上真さんとか、あるいは海外でもコ・マネジ

メントとかっていう概念の下によく論じられてい

るんですけど、要は、競合しているんだから話し

合えばいいじゃないかというか、そういう話し合

いの場みたいなものに注目する。そこにも書かれ

ていますように、複数のアクター間でのやりとり、

対面的な相互行為とかネットワークとかいったも

のに注目しながら分析を進めていこうっていうア

プローチです。ただ、これでカバーできないよう

な状況もあって、特に農村アクセス問題なんかは

そうなんですけど、そりゃ会えたり話し合えたら

いいんだけど、さっきも言いましたが、不特定多

数の所にぱっと入っていったり、不特定多数の人

がぱっと入ってくると、それはもう話し合いの場

とかじゃないだろうという場合があるわけです。

なので、この対話アプローチというのは有効では

あるんですけど、そういう場面ではなかなか持ち

にくい分析視角だったりするんです。

2番目は、私が勝手にシステムアプローチと呼

んでいるものです。これは、複数のアクターの利

用形式を調停するための何らかの諸制度の体系み

たいなものに注目する、それを分析していくとい

うようなやり方です。例えば、シナリオという制

度だと、一番典型的なのはお遍路とかですね。お

遍路は1つのシナリオを受け入れの人もやってく

る人も共有していますよね。ということは、利用

にある程度の枠がかかるわけです。なので、お互

いの利用が調停できたりする。あるいは、そこに

書いてある環境サービス支払いという制度は、例

えば自然資源には、かっこ付きですけども、公益

的な機能があったりする。何でもいいですけど、

水源保全とか。そういう時は近くに住んでいてそ

の資源の管理を担う人にお金なんかを払ってあげ

ようというようなことです。負担のあるアクター

に何らかの報酬を与えたりすることによって、い

ろんな利用を調停するというような制度です。あ

るいは、もうちょっと物理的に、ゲートを作って

入場料を取るという形でも良い。そういうお互い

の利害を調停するためのシステムに注目しながら

分析を加えていこうというアプローチです。ただ、

それはそれで有効なんですけども、どこでもそん

な仕組みがうまく機能するわけがないだろうとい

う、私のうがった見方があって、じゃあ、そういう

システムが成立あるいは機能していないような土

地においては、人々はどうやって対処できるのと

いう問題があるわけです。後でも話しますが、ア

イルランドはそういう場面が結構あったりする。

3つ目は、私が勝手に正義アプローチと呼んで

いるものです。これは、複数の競合するアクター

間での権力のありよう、例えば権力プロセスみた

いなものに注目するとか、あるいはもう一歩踏み

込んで、そこにおいて展開されている不正義なん

かに注目して、そういうものを正していこうとい

うアプローチです。これは環境社会学者の宮内泰

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介という人が言っているレジティマシー、つまり

ある種の正当性みたいなものが争われる過程を追

うとか、あるいは海外ではポリティカルエコロ

ジーと呼ばれるような、いわゆる政治経済学と生

態学を合わせたような分野があるんですけど、そ

ういう研究のアプローチです。こういう場合も、

そういった複数の正義を落ち着かせるような契機

というのは、だいたい対話しろとか、何かシステ

ム作れとかいうところに落ち着いちゃうので、結

局、1番目と2番目のアポリアが入っちゃって、

対話ができなかったりシステムができなかったり

したらどうするのかという問題があります。ある

いは、不正義を正すっていうパターンだと、そん

な明白な正義がその現場にない場合は、じゃあ、

どうするのかとかいう問題があったりするわけで

す。そういうところにはなかなか手が届かないア

プローチではあるよなと。

といった形で、これまで対話とかシステムとか

正義とかっていうような分析視角を持ちながら、

こういった複数の種類のアクターや利用が競合す

る自然資源について主に社会学的な研究というの

はアプローチしてきました。これは便宜的な区分

なので、もちろんこの複数のアプローチを組み合

わせながら実際にはいろんな研究が行われている

わけなんですけど。ただ、そういったアプローチで

は手が届かないような場面というのが、どうも農

村アクセス問題とか研究しているとあったりする

というのがその次です。本書の問いでもあったわ

けなんですけども、農村アクセス問題を抱えた社

会においてはこれらの分析視角とかその組み合わ

せとかでは必ずしも論じられないというか、うま

く捉えられないような現場というものも発生した

りするわけなんです。つまり、お互いがお互い、顔

を合わせる場面があるわけでもなく、かといって

お互いの利害を調停するようなシステムがうまく

作れているわけでもなく、かといってどっちがい

い、悪いとかいう話でもなく、みたいな場面です。

そういった対話とかシステムとか正義とかがう

まいこと成立しないような現場において、しかし、

対立性を含んでいるような不特定多数の他者の存

在とか資源利用を承認する術はないのかというの

が本書の問いであるわけです。なので、後ろ向き

といえばずいぶん後ろ向きなわけです。つまり、

それは言い換えれば、かっこ付きですけども、た

とえ「望ましい資源管理」、つまり、みんなで話

し合おうよとか、うまい仕組みを作ろうぜとか、

疎外されている人々を助けようとかっていうよう

な話にはならないような、そういう望ましい資源

管理が実現できてないような、ある種の失敗の現

場だったとしても、でも、そこに生きる人々はい

るというわけです。各アクターは、そこで別に対

話ができなかろうがシステムができなかろうが、

生活は続けていかなくちゃいけない。そういった

現場において、望ましい、みんながハッピーな状

況ってないんだろうけど、少なくとも絶望的な状

況にならないように済む契機というのがないんで

すかねというようなことが本書の問いになりま

す。ということなので、残念ながらあまりすてき

な解決策とかを提示するものではありません。

本書においては、アイルランド共和国という場

所における山歩き、ヒルウォーキングと呼ばれる

んですけど現地では、を巡る、先ほど申し上げた農

村アクセス問題について取り上げて、その主要な

アクターであるウォーカー、これは山歩きをする

人たちのことをそう呼んだりするんです。ウォー

カーとかヒルウォーカーと呼んだりするんですけ

ど。それと農民、主な土地所有者である農民の実

践について調査をして、そういった対話とかシス

テムとか正義とかではないような、両者の間に成

立する関係性がどんな感じのものかということに

ついて考察をしたという本になっております。

ご存じのない方も多いかと思うので、アイルラ

ンドってどんな場所かを説明します。イギリスの

ブリテン島のお隣がアイルランド島で、北の、上

のほうが先ほど申し上げた北アイルランドです。

そして南側のほうが、アイルランド共和国です。

面積はそこに書いてあるとおりで、北海道より

ちょっと小さいぐらいです。アイルランド島自体

が北海道ぐらいなので、そこよりちょっと小さい

です。割と平坦な土地ではあるんですけども、沿

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岸の、西のほうなんかを中心に丘陵が連なってお

ります。ただ、山と言うにはちょっと低い感じで、

最も高い山でも1,041メートルぐらいなので、ア

イルランド人はみんな、あれはヒルだと、マウン

テンじゃないと言っています。人口は書いてある

とおりです、最近は500万人近くなってきました

ので、ちょっと古いデータですけど。農村人口は

その38%ぐらいで、農家数は約14万軒、だいた

いは家族経営の、小さい農場を持っている感じの

ところが多い所です。農地面積は国土の7割ほど

です。先ほどもちらっと申し上げましたけども、

そのほとんどはウシやヒツジの放牧地とか牧草地

として使われていますので、穀物が植わっている

土地は少ない。ジャガイモとか有名ですけど、実

はそんなにジャガイモは植わってない。森林はほ

とんどなくて、国土の11%ぐらいしかないとい

うような所です。

ここでちょっと法的な権利の話をします。実は

アイルランドにおいて私的所有地、つまり私権が

設定されている土地を人々が歩く方法っていうの

が、法的な意味合いにおいてないわけではないん

です。それが、公衆の歩く権利というものです。

英語ではPublic rights of wayといいますが、こ

れはいわゆるコモンローの中から生まれてきた公

衆の権利です。つまり、コモンローが適用される、

特にイギリス圏に広く存在する権利で、コモン

ローなので判例の積み重ねの中で生まれてきた権

利なんですけど。どういう権利かというと、私有

地上の道を公衆が歩くことができるという権利で

す。この権利に関してはイングランドが一番有名

で、イングランドでは1930年代に、20年か30年か公衆が使っていたらそこにそのような権利が

成立する、というような実定法も作っているんで

すけど、アイルランドにはそういう法律はないん

です。なので、裁判とか司法の場で逐一、これが

公衆に権利を与えていい道なのかどうかが判断さ

れるっていうような状況なんです。それも相まっ

て、イングランドには結構この権利が設定されて

いる土地が多いんですけど、それと比べると、ア

イルランドには、こういう公衆の歩く権利のある

場所というのは極めて少ないといわれています。

誰も数えたことがないんですけども、明らかにイ

ングランドとかと比べるとずいぶん少なかったり

すると。

先ほど裁判で決まると申し上げましたけど、も

う1個、これを作る手段があって、それは何かっ

ていうと、自治体が作れるんです、作ろうと思え

ば。自治体はその地域内の公衆の歩く権利を、そ

れがあると思しき場所のリストを作ったり、地図

を作ったりすることによって保護できるとされて

いるんですけども、実際のところは、私有地の上

にそういうものを作っちゃうというか、そういう

ものを確認しちゃうって言ったほうがいいです

ね。ただ、そういう確認をしちゃうと、土地所有

者からしばしば反発を受けるので、そういうこと

を嫌がる自治体も多くて、実際にそういったリス

トの作成みたいなものに乗り出すところは少数

だったりします。それに、作成したとしても、そ

の道が管理されるかどうかは定かではなくて、こ

れ、ダブリンの近くのPublic rights of wayです。

こんな感じで、割と草ボーボーだったりします。

こういう道が一応公衆の権利として私有地上に存

在する。

坂なつこ:ゲートがありますよね。

北島:そうですね。おそらく農業用か何かで付け

られているんだと思います。でも、あんまり使わ

れてない感じなので。

ちなみに、この公衆の歩く権利というのはあく

まで直線上の権利なんです。つまり、私有地上を、

実際にしっかりした道があるか、ないかは別にし

ても、真っすぐ一直線に横切る権利なので、歩き

回ったりとか、そういう権利ではないんです。な

ので、ここにも書いているとおり、私的所有地上

を公衆が歩き回る権利に関してはコモンローの中

では存在していないことになっているので、それ

は認められてないんです。イングランドなんかは

別にそれがOKな法律を作っちゃってるんですけ

ど、実定法として。アイルランドはそういう法律

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を作ってないので、コモンローだけでやっている

ので、基本的には歩き回ることはできないとされ

ているんです、この公衆の歩く権利では。

もう1個、アイルランドには私的所有地に公衆

がアクセスする方法があって、それは何かってい

うと、許可をもらってアクセスするということで

す。これは割とシステマティックな形になってい

て、政府が公認する公式のレクリエーショントレ

イルみたいなものがアイルランド各地にありま

す。スポーツ庁みたいなところが管轄している

National waymarked waysというトレイルとか、

あるいは観光庁みたいなところが管轄している

Looped walksというトレイルがあって、これら

は自治体とか、あるいは地元有志の委員会などが、

うちにこういうウォーキングトレイルとかレクリ

エーショントレイルを作ろうじゃないかというこ

とでプランを立てて、私有地を通ったりすること

もしばしばあるので、その場合はそのトレイルが

通る土地の所有者なんかに掛け合って、もちろん

その全員の許可を取った上で、あと政府のお墨付

きをもらった上で設置されるというようなもので

す。土地所有者の許可はいつでも取り消し可能で、

さっきも北根室の道がルートが変わった、みたい

な話をしましたけども、土地所有者がもう嫌だと

言ったら地元の委員会とか自治体とかは、どっか

別の迂回路はないかなと、あれやこれや探す羽目

になるわけです。

ダブリンからウィックローという隣の県までの

山を伝って伸びるウィックローウェイというトレ

イルがあるんですけど、これはそのスタート地点

です。こんな感じで、気前のいい所は駐車場を整

備したりとか、あとこういう案内板やこういう道

標みたいのが立っていて、こっちですよと道を教

えてくれる。こういうのが全国に何個かあるって

ことです。Waymarked waysのほうは割と直線

のトレイルで、Looped walksは名前のとおり出

発点とゴール地点が同じ場所になっているんです

けど、後者はどっちかというと短めで、前者はどっ

ちかというと長めのハイキングって感じのトレイ

ルです。土地所有者全員の許可を取らなきゃいけ

ないという問題があったりするので、トレイルの

大部分は公道を通ることが多かったり、あるいは

政府機関が所有しているような土地を通ることが

多いです。その辺は、許可は普通もらえると。

もう1個、これはどっちかというと本報告で扱

う山歩きに関わるものなんですけど、マウンテン

アクセススキームというスキームを2009年から

政府が始めています。どっちかというと、先ほど

のレクリエーショントレイルは平地にある場合が

多いんです。それに対してこちらは山歩きを想定

しています。山歩きのために、その山に登ってい

くような道を整備するためのスキームで、後でも

少し出てきますけど、山の土地っていろんな人が

所有しているので、関連する土地所有者全員の許

可を取って、その山の高地へ至る道とか、あるい

はその入り口あたりの駐車場なんかも整備してい

こうというスキームです。ただ、そうやって山の

上に登った後、アイルランドの山って、後でも

ちょっと写真をお見せしますが、木がないので、

そこを歩き回ることができる。そして、みんなそ

れを楽しみに山歩きをやっているんですけど、そ

の歩き回る行為についてはこのスキームでは特に

明確にされてないんです。ただ、事実として、そ

れはまあいいだろうということになっているとい

うような感じです。こういう感じで、一応、私的

所有地への許可に基づいたアクセスっていうのも

あるわけです。

こういった法的あるいは制度的な状況がある中

で、今回お話しする、特に丘陵地での山歩きを巡っ

て、ここ20年ぐらいかな。20 ~ 30年ぐらいア

イルランドでは割と議論になっているんです。そ

の歴史の話を次に少しさせていただければと思い

ます。先ほどもちょっと申し上げましたけども、

こういった、特に山を歩くレクリエーション利用

者、ウォーカーというのは、記録をさかのぼる限

り、19世紀にはすでに存在していることが分かっ

ています。特にこの時代は、アイルランドって長

らくイギリスの植民地だったので、いわゆる植民

地支配層なんかが割とこういうことをやっていた

ような記録が残っております。なので、レクリエー

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ション的に山を、特に私有地を横断しながら山を

歩くようなウォーカーは、19世紀ぐらいから存

在はしています。

イングランドなんかはこの辺の問題がもう19世紀終わりとか20世紀初めぐらいから社会問題

化しているんですが、アイルランドは割とのんび

りしていて、1980年代ぐらいまでは割と自由に

そういう人たちが山へ登りに行ってたんです。ア

クセスを巡る問題とかをほとんど意識することな

く、丘陵に登るために、後でちょっと写真をお見

せしますけども、低地の農道や農地からアプロー

チをして、高地の、上のほうに行くと、そこを自由

に歩き回って、楽しいねと言って帰っていくみた

いなことがなされていたんです。問題がなかった

わけじゃないんですけど、少なくとも社会問題と

しては認識がされていない程度のものだったと。

それが、1980年代ぐらいから雲行きが怪しく

なってきて、特に1994年からアイルランドはめ

ちゃくちゃ景気が良くなるんです。12年間ぐら

い、ケルティックタイガーと呼ばれる空前の好景

気を迎えて、今ではもはや日本より物価が高いぐ

らいなんですけど。それによって人々が、ある種、

初めて余暇とか、あるいは健康とかに費やせる、

あるいは車とかに費やせる十分なお金を得るよう

になったんです。それで都市の人々がいっぱい農

村とかに遊びに行くようになっていったと。そう

いう農村レクリエーションの隆盛に伴って、そう

いった山歩きを巡る、ウォーカーと農民の間の対

立的な状況というのが次第に顕在化してくるよう

になってきました。昔もなかったわけじゃないの

で、社会的に注目を浴びるようになってきたと

言ったほうがいいかもしれません。同時に、農民

によるアクセスのブロック、つまり、「もう入っ

てこないで」っていうことも増えました。いろん

な、入ってこないようにするやり方があるんです

けど、後でも少しお見せしますが、看板を出す場

合もあれば、現場で「お前、出てけ」って言う場

合もある。そういうアクセスのブロック、つまり、

それまで使っていた場所が「もう来ないで」とい

うことになることも増えていって、1990年代後

半ぐらいには新聞やテレビのメディア等でも取り

上げられる、ある種の社会問題として議論される

ようになってまいりました。

これに対して、2004年に政府も、「どうにかし

よう」となって、全国的な、後でも少しご紹介する、

利害関係団体を集めた話し合いの場を作るんで

す。Comhairle na Tuaitheという名前の委員会

です。これはアイルランド語で、人口の1%ぐら

いしか日常的にしゃべってない、すごい少数言語

なんですけど、一応、ナショナリズムの関係で政府

がそれを表看板に出すので、だいたいの組織はこ

んな名前が付きます。このComhairle na Tuaitheは、英語で言うとCountryside commissionで、

CNT って略されます。これを設置して、対立が

深まってきたアクセスについて話し合えというよ

うな場所を作ったんです。ただ、話し合いはして

るんだけど、なかなかブレークスルーが見つから

ず、後でも少しご説明しますが、近年では割と活

動や議論が停滞傾向にあるという感じです。

長らく説明しましたが、アイルランドの丘陵地

は、だいたいこんな感じになっています。アイル

ランドは割と放牧地が広がっていて、ポツン、ポ

ツンと散村形式で家がある感じになっていて、低

地のほうはちょっと小さめの、こういう放牧地と

か牧草地が広がっていて、高地のほうはバーッと

開けた感じになって、木はほとんど生えてないで

す。高地は共有地になっている所が結構あって、

近隣の農民が所有しています。この山は私有地っ

ていうか、1人で所有している土地なんですけど。

こういう感じの山があって、だいたいこういう山

には伝統的に農民がヒツジを上げるために使って

いる道が、この辺にこうあったりするんです。こ

の道は上のほうへ行っちゃうと、もう消えちゃう

んですけど。そこを使って、ウォーカー、レクリ

エーションをする人たちもここに登って、高地を

歩き回って帰っていくというようなことをしてい

ます。

こういう場所では、農家の方が山を使っている

わけです、農地なので。こんな感じで、だいたい

ヒツジの放牧に使うことが多いです。最近はあま

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り徒歩では山に行かなくて、こういうクオッドっ

ていう機械を使って彼らは行くことが多いです。

あと、ヒツジなので、牧羊犬とかを連れて行った

りします。低地のほうはこんな感じになっていて、

そこからだいたい山へ登るいろんなルートがあっ

たりして、これがその一つです。特に、夏に山の

上に上げるんです、ヒツジを。春に子ヒツジが生

まれるんですけど、子ヒツジが生まれてしばらく

たった段階で、こうやって夏場は外、上に上げて、

この辺の山の上のほうで自由に草食ませといて、

その間に下の農地では牧草を育てておいて、それ

を刈って冬場の飼料にするっていう感じです。上

のヒツジは、子ヒツジのほうはもう秋口になった

らだいたい売りに出しちゃって、幾らか残した雌

ヒツジを下ろしてきて種付けやって、冬場、下の

ほうで刈った草を与えながら面倒を見て、冬越し

て、春、また子ヒツジが生まれたら上登らせてっ

て感じです。高地に登らせている間でも、例えば

毛刈りとか投薬とか、そういう関係で何度か下ろ

してくるタイミングもあったりします。毛刈り

だったかな、に同行した時に、この辺の農家が、

ヒツジをバーッて山から下ろしていたんですけ

ど。こんなふうに何回か下ろしたりもするわけで

す。こんな感じで農家は山を使っています。

こういった山にウォーカー、レクリエーション

利用者が長らくやってきていたんです。だいたい

近くの都市とか、あるいはちょっと離れた場所か

らやってくることが多くて、個人でやってきたり、

グループでやってきたりするんですけども。近く

の、こういう、駐車場がある場合もあるんですけ

ど、ない場合が多いので、こういう路肩で車をと

められそうな所を、だいたい彼らは知ってるんで

す。なので、そこに停めて、じゃあ行こうかって

準備しているところです。

先ほどゲートの話がありましたけど、だいたい

農地ってゲートがあるんです。こんな感じで、家

畜が逃げないようにするためにゲートとかフェン

スとかがあったりするんですけど、彼らはもう慣

れたもので、長らく使ってるところだったら、別

に誰の許可も得ず、勝手にゲートを開けて入って

いくんです。複数の土地を結構横切ったりするの

で、途中でこういう股下ぐらいまであるワイヤー

のフェンスが各土地の境界線にあるんですけど、

それもひょいひょいと超えていったりもする。だ

から、別に1人の人が所有している土地だけにと

どまっているわけじゃなくて、フェンスをひょい

ひょいと乗り越えながら歩いて、山の上のほうに

登ったら割と景色がきれいなんで、「わあ、きれ

いだね」と言って1日ぐるぐる歩いて帰っていく

みたいなことをやっていたりするわけです。こう

いう利用が、農民の人がヒツジを放牧していると

ころでなされています。

こういう両者の間で、先ほど申し上げたような

あつれきというのが、はっきりとは90年代から、

80年代からもやんわりとはあったんですけど、

出てきて、こういう感じで農民の中には、「もう

やめて」と言う人たちが出てきました。こういう、

例えば「ヒルウォーカーは農民の権利を踏みにじ

るな」とかって看板を出したりとか、あるいはゲー

トに、これはかなり強硬な人ですけど、No admittance, private propertyって書いたりとか。

許可なく入るな、私有地だぞという看板を出して、

この人はかなり怒ってたんで、ゲートにロックを

付けちゃって、その上にバリケードも作っちゃっ

たんですけど。こんなにひどい人はあんまりいな

いんですけど、Private propertyみたいな看板を

出すぐらいの人はいるし、「帰れ」って現場で言う

人も中にはいて、あつれきというのが社会の中で

注目されるようになっていったということです。

こういった中で、先ほど申し上げたように、政

府は、じゃあお前ら話し合えという感じで、全国

的な団体が話し合う場を作ったんです。そこでは

どういう人たちがどんな主張をしているかを、次

にちょっとご紹介いたしましょう。先ほど申し上

げたCNTに参加して議論に加わっている全国的

な利害団体を、主なもの3つほどご紹介しようと

思います。一つはKeep Ireland Open(KIO)と

いうグループです。これは、ちょうどこの問題が

クローズアップされだした頃にできた団体なんで

す。1994年にできたボランタリー団体でありま

70

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して、彼らが言うには、数十年前まで可能だった、

農村における伝統的なアクセスというものが失わ

れてきていると。先ほど申し上げたように、イン

グランドなんかはこれを法律で認めているんで

す。なので、それと同様のアクセス権の法制化と

いうものを求めるということをやっております。

自分たちは法的な権利が欲しいっていうことで

す、アクセスのために。

彼らがどんな権利を欲しいと言っているかとい

うと、主な要求としては、人家から離れた放牧地、

先ほどご覧に入れたように、高地なんかは人家か

らずいぶん離れていたりするので、あそこはもう

歩き回っていいじゃないかと言っています。別に

誰かに迷惑掛けるわけでもないしと。なので、法

的な、公衆の歩き回る権利をあそこには設定して

くれと。ちなみに、イングランドでは設定されて

おります。低地のほうは、あそこは土地も少々小

さいし、家畜もいるかもしれないから、あそこを

歩き回るようなことは言わない。だけど、あそこ

にせめて山に登ったりとか、何か珍しいものが

あったらそこへ行けるような一本道の権利ぐらい

はくれと。つまり、そういう低地に、先ほど申し

上げた歩く権利、道の権利を設定してほしいとい

うことを彼らは要求しているわけです。

別に彼らも無理やり押し入ったり、農民がすご

い被害を被っている所に行こうとは言わないんで

す。ただ、何も被害がないのにブロックするとは

どういうことかみたいなことを彼らは言うわけで

す。なので、被害もないのにアクセスをブロック

する農民とかを、彼らはきつく非難するんです。

別に問題が起きている所に僕らは行こうとしてる

んじゃないと。「問題がないのに何でブロックす

るんだよ、お前」ということを言うわけです。彼

らが言うには問題がないと。後でも申し上げるよ

うに、公衆のアクセス権みたいなものを農民団体

は全然認めないんですけど、彼らに対しても、公

衆の楽しみとか、あるいはそういったレクリエー

ションに基づいた観光産業の発展を阻害している

と非難しています。彼らは、言うなれば、これま

で享受してきたわれわれの権利をちゃんと保護し

なさいという、ある種の正義に基づいたような主

張をやっているわけです。

実はレクリエーションの利害団体は、彼らだけ

じゃないんです。もう1個あって、CNTに参加

している団体で、実はこっちのほうが規模は大き

いです。Mountaineering Ireland(MI)という団

体で、1971年にできた、主に登山者を中心とし

た団体です。彼らは、法的な権利とかいうことは

あんまり言わないんです。何と言ってるかという

と、やんわりした言い方をするんです。オープン

な山地、さっきみたいな、割と開けた山地と、あ

と海岸部ぐらいの所でのリーズナブルなアクセス

が欲しいとかって言うんです。そして、そういう

丘陵地とか沿岸地に至るためのルートがもし私有

地を通らなきゃいけなかったりするんだったら、

そこには許可か、できたら歩く権利なんかによる

アクセスのルートがあったらいいよねっていうこ

とを言ったりする。先ほど見たような丘陵地のよ

うな、最低限の農業活動しかおこなわれていない

オープンな高地とか沿岸地域については、何か法

的なフレームワークがあったらいいよねと、やん

わりした言い方をするんです。

つまり、彼らのスタンスとしてはこうなんです。

アクセス権は欲しいんだけど、その早急な法制化

は求めないんです。まずは農民とパートナーシッ

プを作る、つまり「お互いパートナーシップを築

いて話し合いで何とかやっていきましょう。そこ

からだよね、権利とかは」という話なんです。な

ので、彼らは、基本的には私的所有権を尊重しつ

つやっていきたいという立場を取るんです。なの

で、事実としてウォーカーは私的所有地にアクセ

スをしているんですけど、そのアクセスを必ずし

も当然とせずに、何か機会があったら土地所有者

と話をして、全員に許可取ることは無理かもしれ

ないけど、その地域で話をつけておくべき人くら

い分かるだろうみたいなことを言うわけです。話

をして、アクセスが可能か、多少確認したほうが

いいんじゃないのってことを言うわけです。つま

り、できるだけ農民とパートナーシップを築きな

がら法的権利はゲットできたらいいかな、みたい

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なスタンスなわけです。なので、対話を先に持っ

てくる。正義より対話のほうが大事。

もう1個は、農民団体です。いくつかの農民団

体がCNTに参加しているのですが、だいたいス

タンスは同じなので、最も大きい農民団体のスタ

ンスをご紹介しておこうと思います。Irish Farmers' Association(IFA)と呼ばれる団体で、

彼らは1950年設立の、アイルランド最大の農民

団体です。今ではアイルランドはGDPのうち農

業の比率は1%ぐらいしかないんですけど、しか

し彼らは政治的には極めて強い力を今でも保持し

ています。彼らがこのアクセスに関して何を言っ

ているかというと、基本的には関係者の合意を通

じたアクセス、つまり、ちゃんと話をしに来てく

ださいよということです。なので、先ほど申し上

げたような法的なアクセス権を公衆に与えるとい

うことに関しては、それは私的所有権の侵害であ

るという形で強く反対をするわけです。別に歩く

権利とかは差し上げない、話し合いで俺たちがい

いって言ったら入っていい、俺たちが駄目って

言ったら入っちゃ駄目、別にその理由をとやかく

詮索されるいわれはないということなんです。な

ので、ここにも書いたとおりですけど、アクセス

は基本的には農民の好意によるものだから、農民

が、もしその本人が望むのであれば、いかなる場

合においても、いかなる理由であろうとも公衆の

アクセスを拒否する権利は持っている。それがた

とえ人家から離れていようと人家の近くであろう

と、別にそれは変わらない、同じ私的所有地だと

いうスタンスです。KIOなんかが、あそこは何

十年も行けたのに行けなくなっちゃったじゃない

かみたいなことを言ったりすると、個別のアクセ

ス問題に関してはその農民の決めることだから、

自分たちが団体として何かしら言うことはない、

指図することはないというようなことを言う。つ

まり、いわゆる私的所有権というものを最大限尊

重せよというスタンスを彼らは取っていると。「ど

うしてもアクセスしたいんだったら話し合いで何

とかしようや。でも、別に権利はあげないよ」っ

ていう立場を取っているわけです。

CNTには他にも団体が参加しているんですけ

ど、主にはこの3つの立場がある。そして、喧々

諤々の議論をやっているんですけども、なかなか

話が進まないんです。というのも、CNTで話し

合われている幾つかのトピックがあるんですけ

ど、それがなかなか難しかったりするんです、解

決というか、対処が。どういうトピックがあるか

というと、まず1個は、こういった農民団体のほ

うに、ウォーカーが入ってきたら何か農民の財産

とかに被害があるんじゃないかっていう懸念が

あったりするわけです。例えば、先ほどゲートを

見ましたけど、ゲートを理解のないウォーカーが

開けっぱなしにしちゃったりしたら、中にヒツジ

なんかがいるわけだから、それがもしかしたら農

地の外に出ちゃったりしたら、それをまた回収す

るのはすごく大変なんだと。あるいは、アイルラ

ンドの田舎の道は結構狭いですから、そこに理解

のないウォーカーが駐車しちゃったりしたらトラ

クターが通れないじゃないかとか、あるいは、ア

イルランドではイヌを連れて歩く人が多かったり

するんで、農地にイヌ連れてきてしまって、その

イヌがヒツジを追いかけてヒツジを流産させ

ちゃったりしたらどうすんだとか、そういう感じ

で、農民の財産に対して何か被害があるんじゃな

いかという懸念があるわけです。

これに対して、CNTとかは、一応、対処はい

ろいろしているんです。例えば、ここにはちょっ

と持ってこれませんでしたけども、レクリエー

ションマナーみたいなものを書いた冊子なんかを

作ってネットとかで公開したりとか、あるいは、

先ほどお話ししたような、National waymarked waysみたいな公式のトレイルでは、そういう被

害をできるだけなくすためのインフラを整備して

います。それがこちらの写真のようなものですけ

ども、これ、National waymarked ways の一個

だったと思いますけど、例えば、そもそもゲート

を開けたりしないで済むように、ここに踏み越し

段を作ってるんです。ここを通ればいいでしょ、

ゲートの開け閉めとかやらなくていいからという

わけです。これが例えばフェンスにも付いていた

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りする時もあるんです。フェンスを越えて次の土

地に行く時にこういうのを作っておけば、フェン

スを直接乗り越えて損傷させたりしなくて済みま

すよねとかっていう感じでやっています。あるい

は、この辺にイヌとか持ち込んじゃ駄目ですよみ

たいな看板を付けておくとかっていう、できる限

り農民の財産に被害がないようにするためのイン

フラを作るということをしている。少なくとも公

式のトレイルにおいては、そういう対処はなされ

ている。

2番目の、よく議論になる論点は、これ、最近、

日本のフットパスとかロングトレイルでもよく問

題になっているんですけど、その土地の土地所有

者の管理責任がどこまであるのかという問題で

す。つまり、そこへやってきて歩いた人が怪我な

んかしちゃったら、それは誰が責任を取るのかと

いう問題です。この問題は、アイルランドでは

1980年代ぐらいから議論されるようになってき

たんですけど、これに対しても、一応、それなり

の対処はされていて、アクセスが大きく問題にな

り始めた頃の1995年に、政府が法律を作ったん

です。管理者責任を、ある種、明確化するための

法律です。これまでは割とコモンロー、つまり裁

判で、どっちに責任があるかみたいなことが決

まっていたんですけど、それをレクリエーション

利用者に対しては、地主はこういう責任があるっ

ていうのをある程度規定した法律を作ったんで

す。これで何とかはっきりしたでしょって。どう

いう責任かというと、意図的な危害を加えたりし

ないことと、あと、あまりにもひどい無視はしな

いこと。あまりにもひどい無視が何なのかってい

うのがその後議論になるんですけど、とにかくあ

まりにもひどい無視はしないことと具体的に危害

を加えないことをしなければ別に土地所有者に責

任はないってことにしたんです。あと、公式のト

レイルに関しては、政府がもう肩代わりしちゃっ

てるんです、責任を。農民の側、土地所有者の側

は、「もう君たち、免責だよ」って。「僕らが管理

するから」って言ってるんです。ここの場合は、

政府が責任を持っているってことになっていま

す。そういう対処がされているわけです。

3つ目によく論点になるのが、商業利用の問題

です。というのも、アイルランドにはご覧になっ

たように、割と風光明媚な土地があったりするの

で、こういう所でウォーキングツアーとかをやっ

てガイドをする人がいたりするんです。つまり、

それ、私有地の上でガイドしているんだけど、別

にその所有者に許可を取っているわけじゃないん

です。伝統的にそこでレクリエーションしてきた

から、その延長線上でガイドしているっていう。

そこまでいかなくても、例えばウォーカーがやっ

てきたら、遠くから来た人だったらその地域のレ

ストランを使うとか、そこのホテルに泊まったり

するかもしれないけど、でも、その人たちが歩く

土地の土地所有者には何も恩恵がないじゃない

か、ということを農民団体が長らく言っていたん

です。俺たちに一銭も入ってこないじゃないか、

周りのショップとかは金もうけてるのに、と言う

わけです。

これも政府が何とか対応しようと、2007年に

ウォークススキームっていう制度を導入したんで

す。これは何かっていうと、こういう公式のウォー

キングトレイルが通っている土地所有者がそのト

レイルのメンテナンス作業、何でもいい、草刈り

でもいいし、フェンスを直すんでもいいんですけ

ど、そういうメンテナンスをしたらそれに応じて

時給って形でお金を差し上げようっていう制度で

す。それによって君たちも多少なりとも金銭をレ

クリエーション利用から得られるよねと。つまり、

土地所有者がアクセスによって利益を得られる仕

組みっていうのを一応作ったわけです。

こういう感じで問題があり、一応、それへの対

処をやっているんだけど、しかし、なかなかうま

くいってないところがないわけではない。なぜか

といいますと、最初に申し上げたように、対話と

かシステムとか正義みたいなものに依拠した対処

というのがなかなか難しかったりするんです。こ

れらって、結局、対話による対処が困難だから生

まれてきている問題なんです。言い換えれば、不

特定多数のウォーカーの多地点的な利用を巡る問

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題だということです。つまり、訳分からんやつが

入ってきて何かするんじゃないかとか、訴えるん

じゃないかとか、金もうけるんじゃないかってい

う話は、CNTのようないわゆる話し合いの場に

出てきている人はいいんだけど、そうじゃない人

たちの問題なんです。なので、話し合う人たちの

間で信頼関係ができたところで、そっちの人たち

がどうかって問題なので、討議とか、あるいは一

緒に作業して汗かいてみたいな話ではカバーしき

れない話だということです。対話による対処では

なかなか難しいので、議論が堂々巡りだったりす

るんです。俺たちの間では仲良くできるんだけど、

そこにいない人たちをどうするかみたいな話であ

るわけです。

一応、そこにいない人たちに対処するいろんな

システムは、アイルランドにも、先ほど申し上げ

たように、ありはするんです。インフラを作って

みたりとか、免責の規定を作ってみたりとか、土

地所有者にお金を差し上げる仕組みを作ってみた

りとかってことをやっている。ただ、そのシステ

ムによる対処も限界というか、困難がある。それ

は何かっていうと、全部をシステムで埋め尽くす

ことはできないってことです。つまり、先ほど申

し上げたような、政府が管轄しているトレイルと

かならばできるんだけど、別にそういう政府が関

係しない場所にもウォーカーがやってきたりする

んです。そういう場所はカバーできないってこと

です。つまり、地理的な限界がある。政府が管轄す

るような場所だったら、免責規定とか、ウォーク

ススキームを導入できるんだけど、アイルランド

の全部の土地にそれを広げるわけにはいかない。

かつ、財政的な限界もあったりするわけです。

さっきのウォークススキームなんかは、政府側が

お金を支払うことになっている。でも、ご存じか

もしれませんが、10年ほど前にアイルランドは

すごい経済危機に陥って、今ではずいぶん景気回

復しましたけど、あの時、何が起こったかってい

うと、ウォークススキームは2007年にできたん

ですが、その後の2008年から2009年に、経済が

クラッシュしたんです。そこで何が起こったかっ

ていうと、ウォークススキームをもうこれ以上広

げられないって政府が言ったんです。その結果、

ウォークススキームでカバーされているトレイル

と、カバーされていないトレイルができたんです。

当然ながら、カバーされない人たちは、何やねんっ

て言うわけです。もちろん、トレイルすらないよ

うな場所の人は、そもそもトレイルができてない

し、何やねんって話をするわけです。なので、財

政的な状況に左右されてしまうって面もあるとい

うことです。つまり、システムによる対処は、さ

れているところはされているんだけど、それは

ウォーカーにアクセスされる全ての土地をカバー

するようなものにはなってないし、そうすること

はなかなか難しい。

かといって、先ほど申し上げたように、権利を

ウォーカーに与えるのか。つまり、ウォーカーが

不当に締め出されているから、彼らにアクセスの

権利を与えるみたいな話はよくイングランドでさ

れたりするんですけど、それもなかなか難しかっ

たりするんです。というのも、アイルランドって、

先ほど申し上げたように、イギリスの、大帝国の

植民地だった時代が長くて、その時代は多くのア

イルランド農民は小作人として農業をやってい

て、イギリス人地主とかが大きい土地を持って小

作料を取る形だったんですが、19世紀の終わり

から20世紀の初めにかけて土地改革、日本と同

じようなものですけど、を通して自作農化してい

くという、言わば弱者が土地の所有権を取り戻し

ていくという歴史があるわけです。このへんは大

土地所有が今も存在しているイングランドとはず

いぶん違ったりする。さらに、こういうアクセス

問題が起こるのはアイルランドの北とか西の地域

が多いんです。そこはどういう地域かというと、

アイルランド農業の中でも割と細々やってるとこ

ろなんです。つまり、経済的にあんまり豊かでは

ないような農業をやっている場所で割とこの問題

は起こっているんです。なので、イングランドの

アクセス問題は、ある種の勧善懲悪で分かりやす

かったりするんです。でっかい土地を所有してい

る地主がいて、その人がアクセスをブロックして

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いて、一般の人々がそれはわれわれの権利だと

言って取り戻していくみたいな、割と分かりやす

いストーリーができるんだけど、アイルランドは

そうはいかない。土地を持っている側も割とカツ

カツでやってたりするっていうことです。だから、

公衆の権利を取り戻すんだっていう正義の論理、

KIOが言うような論理っていうのはあんまり通

用しない。KIOはあんまり支持を受けてないん

です、アイルランドにおいて。

かつ、レクリエーションの隆盛っていうのは、

先ほども申し上げたように、アイルランドにおい

ては近年になってからなんです。北欧なんかは、

割と伝統的に公衆のアクセスの権利というのが成

立している。土地所有者も利用者側も、お互いだ

いたいそれがどんなものかっていうのを分かって

たりするんです。「万人権」っていう名前で、公

衆のレクリエーションとか、私的所有地の上で歩

き回る権利とかが認められていたりするんです。

けど、アイルランドにおいては、レクリエーショ

ンの隆盛は近年になってからなので、そもそも公

衆の権利としてアクセスを捉える基盤っていうの

が弱いし、それがどんな権利なのか、どこまで歩

けるのかみたいなことも別に社会的に合意がある

わけじゃないんです。そういう背景があるので、

正義の観点から公衆に法的なアクセス権を付与す

るってこともなかなか難しい。なので、なかなか

話し合いもうまく進まなかったりするということ

です。

こういう状況にある中で、じゃあ現場にいる人

はどうやって生き延びているというか、対処して

いるのかっていうことを次にお話をしていこうか

なと思います。一応、事例研究ということで、特

にアイルランドの丘陵地帯の中でもこういう農村

アクセス問題が深刻化した地域の一つを選んで、

そこに1年ちょっとほど滞在をしながらフィール

ドワークをやってみました。

私がフィールドワークを行ったのは、アイルラ

ンド北西部、つまり先ほど言った、あんまり経済

的にはかんばしくない農業が行われているような

所です。そこに、2つの県にまたがった、結構大

きな丘陵地帯があります。だいたい南北に10キロ、東西に15キロぐらい。そこでどんな感じの

ことが起こっているかを、調査してみました。こ

の山地は近隣の諸村落の農民たちが使用する幾つ

もの私有地とか、あるいは共有地、共有地っていっ

ても2人での所有から10人ぐらいで所有してい

るものまでいろいろあるんですけど、からなって

います。先ほどまでの写真はだいたいこの場所で

撮った写真なので、ご覧になったとおりですけど

も、農民はだいたいこの土地でヒツジの放牧をメ

インにやって、特に夏場は上げて冬場は下ろすこ

とをやったりする。そこは、近隣あるいは遠方か

ら来る個人や登山クラブによる山歩きの場でも

あって、20世紀の初めぐらいからそういう利用

がされていたということは一応分かっておりま

す。結構でかい丘陵地帯なので、このウォーカー

が山に登るためのアクセスルートは25カ所ぐら

いあります。そのルートの多くは、その近隣の人々

が共有している農道か、私有地上を通っている私

道か、私有の農地上の道はないんだけどウォー

カーが慣習的に使っている場所です。このルート

でだいたい高い所、高地まで達すると、先ほども

ご覧いただいたように、割と開けていたりするの

で、ウォーカーは、1日、特に日曜なんかにそこ

を自由に歩き回って、降りて帰っていくというよ

うなことをやっているわけです。

この場所はアクセス問題がアイルランドの中で

も深刻化している地域です。何でそんなことに

なったかというと、まず1993年に地元の地域振

興団体が地域を盛り上げようと、山歩きのための

ガイドブックを作ったんです。まだそんなにアイ

ルランドでアクセス問題が深刻化してない時期

だったので、このガイドブックは割とルーズな感

じで作っちゃったんです。農民に許可を取れると

ころは取ったけど、取れない所はまあいっかって

作っちゃったんです。なので、それが出た瞬間に、

許可を求められなかった農民の一人が怒ってしま

いまして、「もう来んな」みたいなことを言い始

めた。そのルートはウォーカーがずっと使ってき

たルートだったので、その後2000年代初頭に、

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特に何も考えずにやってきたウォーカーに対し、

その農民が暴力を振るうという事件が起こり、

2004年にもこの農民は同様の暴力事件を起こし

て、裁判沙汰になりました。そういう事情から、

アイルランドでもアクセス問題が先鋭化した地域

として割と有名な場所であります。また、この地

域では、アイルランドの全国傾向と同じように、

1990年代以降、山歩きをするウォーカーが増え

ていったので、それも相まって、現在でも複数の

農民がアクセスをブロックしているような丘陵地

帯です。

そのような場所なんですけども、地域の人たち

も何も対処をしてこなかったわけじゃなくて、特

に2003年からは数年間にわたって、地元の利害

関係者、有志の農家とか、後で説明する登山クラ

ブとか、観光組合みたいな人たちが集まって、何

とかしようという対話の場は作ったんです。でも

結局、ここも全国レベルの議論と同じような点で

行き詰まったんです。つまり、ここでの話し合い

はともかくとして、そうじゃない人たちをどうす

るかという問題について、そのためにはお金が

要ったりとか人手が要ったりするんだけど、それ

をうまく調達できなくて、じゃあ政府が何とかし

てくれるのを待つしかないじゃないか、みたいな

話になって、結局、休会状態になっちゃった。た

だ、その政府はどうかというと、この丘陵地帯は、

先ほど申し上げた行政のシステム、つまり公式の

トレイルが通っているわけじゃないんです。そう

いうものなしにウォーカーが利用してきた場所な

ので、特に保険が与えられるわけでもないし、イ

ンフラが整っているわけでもないし、土地所有者

が利益を得られるような制度が提供されているわ

けでもないんです。そういうシステムが成立して

おらず、かといって、先ほど申し上げたように、

地域の人々が自前でそういったシステムを作る、

つまり、そこら中に踏み越し段を作りまくると

かっていうような人的な、あるいは財政的な資源

を別に確保できたわけでもなかった。

じゃあ、こういう場所でウォーカーのほうはど

うやって対処しているか。ここにやってくる

ウォーカーはいろいろいるんですけど、一つの典

型例として、特にこの丘陵地帯の近くに本拠を置

くある登山クラブが何を考えて何をやっているか

ということを、お話していきましょう。この登山

クラブは1974年に設立され、メンバーは90人ほ

どで、先ほど申し上げたMIに加盟しております。

この丘陵地帯近隣のある都市に基盤を置いてい

て、だいたいメンバーはこの都市の住民です。ま

れにダブリンの人もいたりしますけど。彼らは、

夏場はみんな自分たちの予定があるからっていう

んで、夏場を除く毎週日曜にこの丘陵地帯での山

歩きを中心としたウォーキング活動を行っていま

す。私が滞在していた2009年11月から2010年10月のウォークの平均参加人数は21.5人、少な

い時は5人ぐらいの時もあるし、多い時は50人ぐらいの時もありました。

私は1年ほどこのクラブのメンバーになって、

クラブ内でアクセス問題について何かしらの発言

権を持っていたり行動をしたりしている主要メン

バーへのインタビューと、クラブの活動の参与観

察をおこないました。クラブのみんながアクセス

問題に関心を持ったり、何かアクションを起こし

たりしているわけじゃないので。そこから見えて

きたことというのは、彼らは私的所有地へのアク

セスについて、だいたい2種類に分けて考えてい

るということです。これはKIOとかMIが考えて

いるものと極めてよく似ていました。つまり、彼

らは、低地から高地に至るアクセスルートと、高

地で歩き回ることを分けて考えているんです。ア

クセスルートは、彼らが言うには、農民の許可が

必要なアクセスだと言うんです。なぜなら、下の

狭い放牧地とかを通ったりとか、農民の家屋の近

くを通ったりすることもあるからとか、いろいろ

言い方はあるんですけど。ただ、高地を歩き回る

ことに関しては、あれは自分たちに権利があるっ

て彼らは言うんです。なぜかというと、これもい

ろいろ言い方があるんですけど、あそこは別に牧

草を育てているわけじゃないからとか、別に家屋

が近くにあるわけじゃないからとか、あるいは共

有地であることも多いから、共有地だったら1人

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が駄目って言っても別にそれはその人の意見で

しょとか。なので、そこは自分たちに歩く権利が

あると。そうやってアクセスを2種類に分けて考

えていることが多くて、対処もこの2種類に応じ

てなされているんです。

アクセスルート、つまり山に登っていくルート

のほうに関しては、このクラブは山の近くの都市

に本拠を置いているので、そこの山に住む農民の

何人かとは顔見知りの関係を築いているんです。

なので、知っている農民の所だったりしたら、必

要に応じてちょっと声を掛けたりするってことが

あるんです。例えば、2003年ぐらいのアクセス

問題が先鋭化した時期なんかは、知っている農民

に対しては、「行っていいかな」みたいなことを

聞いたりもしているんです。だけど、先ほど申し

上げたように、この丘陵地帯には25カ所ぐらい

アクセスルートがあるんです。しかも、そこには

共有道みたいな所もいっぱいあったりするわけで

す。なので、彼らは、地元の利を生かして知って

いる農民は何人かいるけど、全部の所有者を把握

しているわけじゃないんです。なので、話せる所

は話すんだけど、分かんない所は、もう何も言わ

ずに行っているんです。アクセスルートはこんな

感じですが、高地に関しては、先ほど申し上げた

ように、彼らは自分たちに権利があると思ってい

るので、こちらも別に農民に話し合いに行くこと

はないんです。なので、特に対話する必要性も感

じないわけです。

先ほど、話しに行ける農民がいるっていう話を

しましたけど、アクセスルートを巡るクラブと農

民との対話関係というのは、時々、彼らにだけ許

される「閉じられたアクセス」みたいなものを生

み出したりすることもあります。つまり、農民の

側が「お前らはいいけど、他の人は来ちゃ駄目」っ

ていうことをやったりすることがあるわけです。

それに対して彼らは、例えばクラブでそこに行っ

た時にメンバーに対して、その交渉をした人とか

が「これって一応うちとこの人とのプライベート

アレンジメントだから、君らが他の機会に行っ

ちゃ駄目なんだよ」みたいなことを言ったりする。

そういう、閉じられたというか、限られた、自分

たちだけに与えられたアクセスを享受する場合も

あるんですけど、しかし、同時に、この登山クラ

ブは公衆全体に開かれたアクセスに尽力すること

もあるんです。例えば、知り合いの農家の所に話

しに行って、「みんなのためにここを開けてくれ

ないか」と交渉することもあるし、さっき地元の

人たちの話し合いの場があったって申し上げまし

たけど、そこには、一応、彼らはウォーカーの代

表として行っている。なので、そういうプライベー

トアレンジメントを持ちつつも、みんなのために

交渉する場面もあったりする。彼らは必ずしも自

分たちだけがよければいいと思っているわけでも

ないんです。こういう閉じられたアクセスをKIOなんかはすごく批判しています。「お前ら、自分

たちだけアクセスして」と。でも、そうじゃない

ところでも彼らは尽力している。

同時に、彼らは地元の丘陵地帯をメインに歩く

んですけど、この場所以外にも丘陵地帯はアイル

ランドにいっぱいあるんで、そこにも月1とか2カ月に1回ぐらいの頻度で行ったりするんです。

地元の丘陵ばっかりだと飽きちゃうから。そうい

う場合は、農民と知り合う術なんかないから、ア

クセスルートだろうと上の高地だろうと、そこを

所有する農民と知り合う契機はほとんど持たず

に、匿名的にアクセスをしています。なので、ぱっ

と見、一貫性がないといえばないんです。地元の

丘陵地帯に関しては、知り合いの農民と話をつけ

る場合には話をつけるけども、そうじゃない農民

もそれなりにいて、高地の場合は別にそんなこと

しなくていいと思っていて、そしてアレンジメン

トの中には自分たちだけのアクセスという場合も

あるけど、みんなのアクセスを求めることもあっ

たりする、かつ、その地域外に出ていく時は別に

そこの農民のことを知らないので、アクセスルー

トだろうと高地だろうと、取りあえず行くってこ

とになっているわけです。

それについて「矛盾ないんですか」みたいなこ

とを聞くと彼らは言葉を濁すんですけど、ただ、

彼らは別にどうもそれほど矛盾を感じているわけ

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でもないらしい。というのも、メンバーに聞くと、

彼らは「農民との良好な関係」みたいな話をよく

するんです。例えば、農民の暴力事件が起こった

時に、全国団体のKIOがこのクラブに対して、「こ

んなことがあっちゃいけないから、一緒にプロテ

ストウォークみたいなことをやろうぜ」と呼び掛

けたけど、それを彼らは断ったらしいんです。何

で断ったかっていうと、当時の責任者はこう言う

んです。「摩擦とかを起こしたくないんです。わ

れわれはクラブとしてそういうことを決してやっ

てこなかったし、35年間、農民と良好な関係を

持ってきたんだ」って。あるいは、先ほど申し上

げたように、「自分たちだけのプライベートアレ

ンジメントを持っていることを、KIOは怒って

ますけどね」みたいな話を振ったりすると、「でも、

そうやることで僕らは農民との良好な関係を保て

るからね」ってことを言ったりするわけなんです。

つまり、良好な関係を35年間保ってきたって

いうのが彼らのスタンスなんだけど、ただ、先ほ

ど言ったように、その良好な関係っていうのは別

に話し合いをすることではないらしいんです。

だって、アクセスルートで話し合いのできる農民

なんて限られているから、話し合ってどうのこう

のとかではどうもない。ただ、農民とのあつれき

をできるだけ起こさないようにやっていきたい、

それが楽しい山歩きなんだっていうことを彼らは

よく言うんです。農民とたまに出会って喋ったり

するのが楽しいんだよ、みたいなことを彼らは言

う。なので、彼らの言う、農民の良好な関係って

いうのは、農民との対話を別に伴おうが伴うまい

が、構わないんです。あるいは、それは権利があ

ると思っている場所であろうがなかろうが、関係

ないんです。例えば、先ほど申し上げた、暴力事

件を起こした農民は高地も所有していたんですけ

ど、つまり権利があると思っている場所も所有し

ていたんですけど、それでも彼らは抗議をしない

んです。自分たちに権利があるんだけど、別にそ

れを声高に主張はしないというスタンスを取るん

です。かつ、閉じられたアクセスルートであろう

が開かれたアクセスルートであろうが、構わない

んです。つまり、自分たちのプライベートアレン

ジメントであっても良好な関係だし、良好な関係

を保ちつつできるだけみんなに開いていくので

も、構わないんです。

つまり、農民と対立せず彼らと友好なやりとり

を行う、ちょっと出会って「やあ」とかって言っ

たりすることが彼らの楽しい山歩きなので、彼ら

としては、この一見矛盾したような、いろんなス

トラテジーの間に、そんなに齟齬はないらしいん

です。なので、アクセスがブロックされた場所に

行くことは、彼らは極力控えるんです。それは何

かあつれきを生んじゃうから。それは権利がある

と思っていようとなかろうとそうするということ

なんです。ただし、それに諾々と従っているかっ

ていうと、そうでもなくて、ぶつくさ文句は言う

んです、「これまで行けたのに」とか。あるいは、

何とか抜け道を見つけようとしたりもするんで

す。クラブで行くのは駄目でも俺1人で行くのは

いいんじゃないかとか、そういう感じで何とか行

こうとはするんだけど、しかし、向こうの人と何

かあつれきとかが起こりそうだったら、ちょっと

やめとこうかなっていう感じになる。なぜなら、

彼らは、農民のおっちゃんと「やあ」みたいなこ

とをやったりすることが楽しい山歩きだと思って

いるからです。そこが壊れちゃうと、それは権利

うんぬんとか対話うんぬんとか別にして、駄目

だって言うんです。

なので、この対処のあり方はKIOともMIとも

ちょっと異なっている。KIOは、われわれの権

利が奪われたんで取り戻せって言っていて、MIは、取りあえず話し合おう、できるだけ話し合お

うって言っているわけですが、そのどっちでもな

いんです、彼らは。権利があると思っている所で

も遠慮したりするし、話し合いができなくてもま

あまあ仕方ないって行ったりするんです。だけど、

向こうが嫌だとかいう感じになってくると、行か

ないですってなる。それは楽しくないからですっ

て。そういうことをやりながら、山歩きを続けて

いる。

この対処法は、結局、アクセスの地点ごとに自

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分たちの立ち位置とか状況が変わっても、つまり

相手のことを自分たちは知っているとか、知らな

いとか、あるいはそこにトレイルがあるとか、な

いとか、そういう状況がアクセスの地点ごとに変

わったとしても、取りあえず不特定多数の農民と

できるだけ共存を図りながら、かつ、できるだけ

これまでどおりの山歩きを行っていくことを可能

にするというか、そういうことを目指したやり方

なんです。だから、MIみたいに、これまでと違っ

てやっぱり対話が大事だよ、とかはやらない。相

変わらず対話をしない所はしない。できるだけこ

れまでどおりのことを続けていきたいっていう対

処をしている。こんな感じで、文句は言いつつも

何とか、ウォーキングというか、山歩きを毎週続

けているんです。

じゃあ、この丘陵地帯で土地を所有する農民の

側は何をやっているかという話もします。こちら

のほうも、ウォーカーによって利用される私有地

あるいは共有地を所有している農民25人ほどに

インタビューしてみたりとか、彼らの農業の参与

観察をやってみたりしたんです。そこから何が見

えてきたかっていうと、多くの農民は全国レベル

の議論と同じようなことをぶつくさ言うわけで

す。つまり、「あいつら、金もうけてるんじゃな

いか」とか、「あいつら、もしけがしたりしたら

訴えるんじゃないか」とか、「何かまずいことを

起こすんじゃないか」とか、一応、言ったりはする。

あと、自分の許可がないままにほとんどのアクセ

スがなされることに対しても不快感を持ったりも

します。つまり、「あそこ、うちの土地なんだけ

どね、一言も言ってこないよね」ということを言っ

たりもする。もちろん、IFAと同じで、ウォーカー

に法的な権利を与えることに対しても大概反対す

るんです。「いや、あれ、うちの土地だから。あ

いつらに権利とか与えるのは、ちょっと」って言

うわけです。他方で、実際にウォーカーに対して

何らかのブロックを行っているとか、行ったこと

がある農民は、この25人のうちでは8人ほどで

した。その他の農民がブロックをやらない理由っ

ていうのはいろいろ語られ方があって、農地があ

ちこちに散らばっているんで、それ全部カバーす

るなんて無理とか、先ほど申し上げたように、高

地は共有地が多かったりするんで、俺1人の独断

で何かすることはできないとか、そういうことを

言ったりもするんだけど、ただ、そこにも収まり

きれない論理みたいなのもあったりして、それが

なかなか興味深い。

彼らがアクセスは構わないって言ったりする時

に、たまに次のような語りというか、観点が出る。

それはどういうものかっていうと、農民たちは、

自分たちの土地所有は家族による土地継承の歴史

の一部にすぎないと感じていて、ウォーカーをブ

ロックするような行為というのはそういう身分の

自分にはちょっと行き過ぎである、みたいなこと

を言うことがあるんです。例えば、この語りはあ

る兼業農家の人の語りですけど、彼はあるアクセ

スルートを所有していて、そこには毎週末のよう

に人が来たりするんです。彼は、別にそれは構わ

ないって言うんです。これまで大した被害に遭っ

たことないからとか、いろいろ言うんですけど、

その中の一つの理由として、こういうことを言う

んです。「だって、あの山の道ってこれから何百

年もあそこにあるんでしょ」って、「それは神様

のみぞ知ることだ。それで腹を立ててもしょうが

ないじゃないか」って。つまり、自分の家族の土

地なんだけど、ただ、これは代々家族で継承して

いくものだから、僕だけのものじゃないみたいな

感覚というか、論理を使うんです。「これは別に

僕が死んでからもある土地だよね」みたいなこと

を言って、「僕が死んでからもウォーカーとか来

るんでしょ」と言ったりするわけです。そして、「そ

れをプンプン怒ってもしょうがないじゃないの」

みたいなことを言う。「僕が管理してるの、30年ぐらいなんだよ」と。

ちょっと面白いのは、この論理はアクセスをブ

ロックする人も使うことがあるということです。

というのは、代々の家族による土地継承っていう

話では、あくまでこの土地はきちんと管理されて

いるという考えを自分が持てる状態で受け継がれ

ていくことが、どうも重要らしくて、それがあん

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まりされてないなと思う時にはアクセスはブロッ

クされるということです。例えば、この語りは、

3人で所有されている共有道を所有する、ある農

民の語りなんですけども、彼は行政から「この道

をウォーキングトレイルにしないか」みたいなこ

とを言われた時に、それを断った。それについて

彼は、「だって、人がいっぱい来たりしたらヒツ

ジとかが被害を受けるかもしれないじゃないか」

と言う。ただ、その時に彼はどういう論理でそれ

を言うかっていうと、「土地っていうのは未来も

そこにあって、僕らはそれに永遠に付随するガー

ディアン、守り手なんだよ。だから、そんなウォー

カーの人たちがいっぱい来たら何か被害があるか

もしれないから、そんなのは認められない」みた

いなことを言うんです。つまり、同じレトリック

なんです。つまり、家族の土地継承という同じレ

トリックを使って、ある時、ウォーカーを認めて、

ある時、ウォーカーを認めないんです。

これというのは、ある種の通時的な管理の感覚

から生まれる、農地に対する道義的な感覚なんだ

ろうと。ウォーカーによる被害を受けていても、

この論理を用いて「構わない」って言う人もいれ

ば、被害を受けてない段階から、この論理を用い

て「何か起こるかもしれないから駄目」って言う

人もいるので、実際の不利益の有無というよりも、

農民の人たちが家族の財産の所有者としてその土

地をきちんと管理できていると考えるかどうか、

考えられるかどうかが、彼らがブロックをするか

どうかの分水嶺になっているようだということで

す。なので、家族の財産の所有者であるという論

理のゆえに公衆のアクセスは容易にブロックされ

ないんだけど、同時に、家族の財産の所有者であ

るという論理のゆえに、それがおびやかされる契

機が感じられると何らかのブロック措置が取られ

ることになる。ある種のコインの裏表のような感

じでこれが展開されていると。

これは、いわゆる「所有者が絶対なんです」み

たいな近代的所有権、特にIFAが主張しているよ

うな私的所有の論理とはちょっと異なっている。

自分の前と後ろがあるみたいな感覚です。彼らは、

これは自分の土地だとは言うんです。だから、

ウォーカーに権利を与えることは駄目って言うん

です。これは自分の土地なんだけど、しかし、代々

受け継いでいくものだからということを言ったり

する。これは自分が死んでもあるものだからみた

いなことを言ったりする。この論理を使うことに

よって、時には不特定多数のウォーカーが入って

きても、「まあまあ」ってなるわけです。ただ、

これは「まあまあ」でしかないので、農民たちの

アクセスを巡る懸念とか不安を和らげるものでは

ないんです。だから、彼らは「ブロックはしないよ」

とは言うんだけど、でも、「あいつら、俺に一声

掛けてくれよ」とか、「あいつら、もし何かけが

して訴えてきたらどうしよう」みたいなことは言

うわけです。不満はたらたらなんだけど、アクセ

スを全く認めないというわけでもない、というよ

うなところでぼちぼちやっているという感じであ

るわけです。

以上をまとめると、最後、この本の微妙な結論

なんですけど、結局、彼らはお互いに話し合って

解決しようとしているわけでもなければ、互いの

利害を調停するような仕組みを作っているわけで

もないし、どっちが正しいみたいな話で正義を

争っていたりするわけでもないし、何か絶対的な

弱者がいるわけでもないんだけど、ただ、彼ら、

農民とウォーカーはお互い、自分たちの日常的な

実践、例えば土地をきちんと耕作して次の代に渡

していくとか、楽しいウォーキングをするみたい

な、反復的で継続的な行いをしていく中で、あく

までその論理の中で、不特定多数であるお互いの

存在とか、あるいはその資源利用を承認する、そ

ういう術を、ある種、結果的になんですけども、

展開している。そして、異なるアクターが共にそ

ういう術を有していると、お互いがお互い、そう

いう感じで互いの存在を包摂し合って、それが交

差して、両者の利用が並び立つ場合があったりす

る。結果的にですけど。そういう事態がこのフィー

ルドでは、ちょこちょこ現れたりもする。その時

には、対話や正義やシステムが必ずしも成立して

いるわけじゃないんです。彼らは話し合ってこん

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なことをしているわけじゃないし、良い感じの仕

組みを作ってこんなことをしているわけじゃない

し、どっちが正しいんだってことを求め合ってい

るわけでもないんだけど、そういう事態がちょこ

ちょこ現れたりする。

ただ、別にこれは農村アクセス問題の解決策に

は全然なっていない。これは単に局所的に達成さ

れる状態でしかなくて、別に安定的な資源管理と

か、そういうものでは全然ないし、ウォーカーや

農民自身も、別段、その状態がいいと思っている

わけじゃないんです。先ほど申し上げたように、

農民もウォーカーも現状には不満たらたらなんで

す。もうちょっと話し合いの場が作られたらなと

か、もうちょっといいシステムが作れたらなと彼

らは思っているわけなんで。そういう意味合いに

おいては、農村アクセス問題を、かっこ付きです

が、解決に導くような契機であるわけでもないん

です。ただ、少なくともこの状態だと、いずれか

のアクターが「お前ら、もういなくていい」とは

ならない。つまり、いずれかのアクターの日常的

な生活が決定的に破壊される事態はせいぜい防止

される。「君たちはいてもいい」と言っているわ

けだから。つまり、その意味において、これはあ

る種の生活環境の保全、自然環境よりは生活環境

の保全の形なのかなという感じです。

ということで、やんわりした結論ではあるんで

すけども、最初に申し上げたように、望ましい資

源管理の達成という意味では、ある種、失敗して

いる地域ではあるんです。あつれきが残りまくっ

ているし、話し合いがちゃんとできてないし、い

い感じの仕組みはできてないし、そういう意味合

いにおいて失敗した現場なんですけど、ウォー

カーと農民はそれぞれの日常生活を手がかりにし

て、この農村アクセスを巡る対立的な状況と向き

合って、納得はしてないけども、まあまあお互い

に共存はしている。相手の存在を頭ごなしに否定

することはない。ただ、対立はしているんですけ

ど。つまり、この実践というのは、そこにも少し

キャッチフレーズ的に書きましたけど、「失敗を

乗り越える」というものじゃなくて、ある種、「失

敗と一緒に生きていく」ような実践なんだと。こ

ういう関係の築き方もあるんだなというのが、本

書での、私の調査の中でのファインディングだっ

たということです。

ということで、あんまり政策的な示唆があった

りするわけじゃなかったりします。失敗の現場に

行って失敗から学ぶっていうのは、よく成功への

架け橋にするみたいな感じだったりするんですけ

ど、そうじゃなくて、ずっと失敗なんだけど、そ

こでも人は生きていくしかないから、そこでどう

するのみたいなことで、こういう対処の仕方もあ

るんだなということが学べた、という感じのこと

です。すみません、大変お粗末なものでございま

したが、最後にヒツジの写真でも見ていただいて

和んでもらって、以上です。すみません、時間が

長くなりましたけど、ここまでにさせていただき

ます。どうもありがとうございました。

質疑応答

鈴木直文:ウィニー・ザ・プー(くまのプーさん)

にTrespassers will(willの後の部分が読めなく

なっている)という看板が出てくるんです。それ

をみてプーが何かセリフを言うのですが、今日の

お話はそういう世界なのかなと思って、なんだか

うれしかったです。

坂:ウィニー・ザ・プーはイングランドでしたよ

ね。

鈴木:そうです。あと、共有地というのは、私有

地の合間に共有地がポコポコあるような土地とい

う意味ですか。

北島:そうですね。基本的に下の低地のほうの、

こういう感じの所が私有地が多くって、山の上が

微妙なところで、共有地が7割、8割ぐらいなん

ですけど、2割ぐらいでっかい私有地がボーンっ

てあったりするみたいな感じで。

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鈴木:そこに特に区切りがあるわけじゃない。

北島:それが微妙で、私有地の場合はフェンスが

あるんです。共有地の場合はめんどくさいんで、

誰もフェンスを作らなかったりするので、そうい

う感じで分かる。共有地はダーッと広がってる感

じなんだけど、私有地だけボーンとフェンスが

あったりする。

坂:共有地の共有の仕方が、個別になってるのか、

それとも大きな土地をみんなで一緒に使おうねっ

ていうふうになってるのか。

北島:基本的には後者に近い感じではある。山は

だだっ広いので、共有地といっても、ヒツジは結

構いろんな所に行ったりする。よその共有地で草

を食むこともあったりするんで、そこはまあまあ

まあとは言われたりする。なので、だだっ広い土

地ではあるんです。ただ、その共有地が実は2人の所有とかいうこともあったりするんですけど。

坂上康博:不思議ですね。日本の場合、村が持っ

てたりするんだけど。

北島:そうなんです。それが入会とはちょっと違

くて、入会は集団に権利があるんですけど、これ

は完全に個人です。なので、まれにですけども、

全然関係ない土地の人が所有権を持ってたりしま

す。不在地主、「何であの人、持ってるんだろう」

みたいのがあったりします。

坂:歴史的な経過。

鈴木:共有地は個人が持ってるんですか。

北島:複数の共有、シェアっていう形なんですけ

ど。

鈴木:複数所有者。

北島:君は2つのシェアを持ってて、君は3つの

シェアを持っててみたいな感じで。

坂上:複数者所有ってことですね。

北島:そうですね。

鈴木:共有地も私有地の一種ということになるの

ですね。

北島:うん。私有地はほんとに私有地なので。こ

の共有地の権利は売買可能なので、日本の村みた

いには・・・。

坂:それで全然関係ない人が持ってたりする。

北島:あんまりないですけど。めったにないです

けど。こんな所、持っててもしょうがないので。

なので、村的な管理じゃないってことです。ほん

とに個人の集まりで、そこの人たちが一緒にヒツ

ジ上げたり、ヒツジ、一緒に下ろしたりする時に

一緒に作業することもあれば、本当に個人でやっ

てるだけ、本当に一緒に持ってるだけで、全部作

業は個人でやってるってパターンもあるので。

鈴木:じゃあ、誰でもアクセスしていい所ではな

いんですね、そもそも。共有地とはいえども。

北島:一応、法的にはそうです。

鈴木:共有してる人たちだけが使うという。

北島:法的にはそうなってますけど、ビジュアル

的にはだだっ広い、ただの土地なので、特にその

近くに家があるわけでもないので、割とこういう

ウォーカーなんかはぽいぽいぽいとテリトリーに

入ってたりするという感じですかね。

坂上:私有地だ。

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坂:私が北島さんのお話聞いて非常に面白かった

のは、最後におっしゃってましたけど、失敗から

学ぶとか、何かそこから方程式持ってくるとかで

はないっていうところが非常に面白くて、対立は

してるけども相手を否定しないであるとか、対話

をするとか、正義のアプローチとかっていうのは

スポーツの場面でもよく出てくるというふうに思

うんですけれども、そうじゃない場合っていうの

をどういうふうに乗り越えるかっていうか、対立

はしてるけども否定しないっていうようなあり方

であるとか、非常に面白いなというふうに思いま

した。

近代スポーツの始まりが囲い込みから始まって

いると言われていて、それまでは自由に使ってい

た所が囲い込みされることによって農民や民衆の

娯楽が非常に制限されてくる。他方で、グラウン

ドであるとかパブリックスクールであるとかで近

代スポーツが成立してくるというのが一方であっ

たと思うんですけど、そういったものを、歴史を

戻していくような、そういう話でもあるなと思い

ました。

中村:発表ありがとうございました。すごく面白

くて、ちょっと議論してみたい点があります。

所有権の論理とか、何かそういうものと規範と

いうのがあって、所有権の論理とかはたぶん新し

く出てくるものなんだけど、規範というのはずっ

とその社会に残ってる伝統的な考え方みたいなも

の。これのコンフリクトが起きてるんじゃないか

なみたいなふうに捉えています。たぶん経済のロ

ジックが規範を侵食していく研究って結構、そん

な研究しなくてもよく分かるっていうか、どう

やって規範というのを押し殺していくかみたいな

ものはよく分かるんです。でも、規範のほうがど

うやって経済のロジックみたいな、所有権のロ

ジックみたいなものを抱き込んでいくかみたいな

ことってすごく大事なことだと思うんで、それに

ついてはもうちょっと深く議論してみたい。どう

議論するかというと、今は結論のところが、その

人の、家族財産の所有者として土地をきちんと管

理できてるかとかっていう、ある個人の属性みた

いなものに少し帰属させてますけども、実際、ど

ういう議論をしてきたのかっていうのはあまりき

ちんと追われていないんですよ。例えば、要する

に、いろんな言い方、指摘するわけじゃないです

か。所有権の論理からしたらこうだよ、権利から

したらこうだよとか。あるいは、こういう人もい

ると思うんです。いやいや、もっと儲けの方法だっ

てあり得るじゃないかって。例えば、全体的に見

るとないかもしれないけど、あるエリアだけやた

ら商業化してて、アクセスをきれいに管理、上手

に商売の種として利用しようとするっていうの

は、例えばトイレ設置するか分かりませんけど、

駐車場を経営するとか、そういう人たちもいるか

もしれなくて。じゃあ、実際、そういう人はいる

んですかっていうのが私の質問です。たぶん質問

ももちろん含めてなんですけども、そうやって経

済の論理みたいな、あるいは所有権の議論みたい

なものに乗っかっていくパターンと、乗っからず

に、まあまあみんなで吸収しようじゃないです

かっていう話なのか、混ざりながら解決していっ

たのか、混ざらずに規範の側で、もうそういうの

はしょうがないんだからもういいじゃんみたいな

感じの解決なのか、どっちだったんでしょうかっ

ていうところは聞いてみたいところです。

北島:後者の質問から先に申し上げれば、商業利

用しようとする農民はいました。一部、特によく

使われてるアクセスルートを所有する農民が一時

期、もうコントロールできないなら駐車場とか

作ったら良いんじゃないかって、それで駐車場収

入で何とかしようじゃないかみたいなことはあっ

たんですけど、その地域で。それは、結局、補助

金をゲットできなくて本人が諦めました。あるい

は、先ほども申し上げた、話し合いの場が地域に

あった時に、取りあえず何か1個、駐車場とか作っ

てみて、農民とかに利益があるようなプランニン

グとかすればうまくいくんじゃないかみたいなこ

とをやったんですけど、それも補助金が結局もら

えなくって駄目になったってことがあったりし

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た。なので、そういう論理がないわけじゃないん

だけど、そういうシステマティックな解決が今一

つうまくいかなかった地域だったというのが後者

の答えです。所有権vs、あるいは経済論理vs規範みたいな話で言いますと、ちょっと面白いのは、

アイルランドって極めて私的所有権を強固に、少

なくとも理念上は持ってるんです。憲法にも規定

されてるんです、土地の私的所有権みたいのが侵

されてはいけないみたいなことが。おそらく歴史

的な理由からだと思うんですけど、つまりイング

ランド地主から土地所有権を取り戻してきたって

いう歴史があるからだと思うんですけど。

ちょっと面白いのは、微妙な、この2つの、農

民とウォーカーの両立の仕方って、土地所有権の

論理をギリギリ侵してないんです。つまり、農民

の思いは尊重されてるし、ウォーカーも嫌だった

らそこに行かないんです。だから、見かけ上は近

代的所有権と大して変わらないように見えるんで

す。なので、両立するんです、アイルランドが社

会的あるいは法的に私的所有権を尊重してきたと

いう歴史と。だから、おそらく別々なんだけど、

しかし、よく似てたりするので、どうもそこが完

全にバッティングするようなことにはなってない

というか。

中村:でも、それは最初からそうだったのか、誰

かがそういうふうになるように、何かそういうプ

ロセスがあったのかみたいな。いや、例えば社会

学の研究で、コンピーティングするロジックが

あった場合にどうなるかっていうのを類型化した

研究があって、一つはドミナンス、1個がどっち

かを丸呑みする。もう一つが、この境界線が全く

なくなる。もう一つは、共存するっていうパター

ンがあるっつって、ハイブリッドに見えてるんだ

けど、実はただ機能分化してて、ある時にはこっ

ちが優位に立って、ある時はこっちが優位になら

ないみたいな話だったりとか、あとプロダクティ

ブテンションっていって、4つ目が、共存してる

んです。コイグジスタンスしてるんだけど、両者

の間に適度な緊張関係があって、その4つのパ

ターンぐらいを類型化してる議論があります。そ

ういうのからすると、今、いい感じで共存してるっ

ていう形の3つ目に聞こえたんですけど、でも、

それは、その研究でも、最初からそういうのがあっ

たっていうわけじゃなくて、ちゃんと順を追って

いくと、そういう役割分担が後々できあがったっ

ていうパターンと、役割分担じゃなくて、生産的

な緊張関係になって、敵対というか、全く違うも

のなんだけど、2つが共存するようにいろいろ社

会が働くみたいな、そういう言い方をしてる研究

もある。

北島:そうなんです。私の研究の、おそらく一番

弱いところは、動的なプロセスがあんまり追えて

ないってことなんです。つまり、この実践がどの

ような過程を経て出てきたのかっていうところが

追えてないのが一番弱いところで、これは認めざ

るを得ない。つまり、農民のこの態度がいかにし

て形成されたかとか、ウォーカーのこの態度がい

かにして形成されたのかまでは歴史的に跡付けら

れていないので、どうしても共時的なところでし

か追えてないので、もうちょっとそこを今後は

やっていきたいなと思っているところです。すみ

ません。お答えになってないんですけど。

坂上:北欧との比較で言うと、段階論的に言うと、

そこまでウォーカーの権利が認められる段階に達

してなくて、強く主張できない段階ということで

しょうか。94年以降ぐらいにようやくそれが流

行してきたがまだそれが権利として社会的に承認

されるに至ってない段階。しかし、他方で、土地

の所有権というのは明確に認められているという

力関係の中で生じてるバランスで、どういうふう

に類型化していいか分からないけど、文化的な解

決の仕方というか、規範というか、互いのことを

譲り合いながら、相手が一番許せないところには

入っていかない。その微妙なところでお互いが譲

り合いながら、そこでとどまってるみたいなイ

メージと言ったらいいのかな。それはシステムで

もなく、日本の古い農民の共同体の中での解決の

84

Page 24: アイルランド共和国における農村アクセス問題 URL Righthermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/31072/... · きなり「もう入るな」とか言われると、何やねん

仕方に近い気もしますね。そこでの伝統的なやり

方というのは、何日も会議を開いて、結論が出な

かったら別の話題に振り替えて、ぐるぐるぐるぐ

る回しながらみんなが納得するまでやるみたい

な、最後までとどめを刺さない。バックボーンと

してみんな仲良くやる。

ちょっと話は違いますけど、Aクラブの実践の

中で出てくる生きてる楽しみっていうのは、地元

の人々との交流であってそれが山歩きの楽しさの

一つ、声掛け合うみたいなことだと思うんですけ

ど、それは日本の山歩きの人たちも大事にしてる

ことの一つですよね。そういうものも含めた関係

のあり方みたいなもの、仲良くやっていく、アイ

ルランドの農村的なと言えばいいか、共同体的な

ものが、ドンと文化的な基盤としてあるみたいな、

そんな感じにもちょっと聞こえたんです。

鈴木:僕は、それだったら理解できる状況なんだ

けど、そうじゃないから不思議だっていうのが北

島さんの出発点だったのかなという気がするんで

す。

北島:統一的な規範みたいのがあるようにはどう

も見受けられなくって。お互いがお互いに別のこ

とをやっているんだけど、しかし、それぞれのやっ

ていることの中に相手側がいてもいいという論理

があるっていう、何というか、互いに包含関係に

あるだけで、そこに統一的なルールが何かあるわ

けではどうもない感じがするんです。農民のおっ

ちゃんは別に、ウォーカー、迷惑な時は迷惑です

から。いっぱい来てくれって言っているわけじゃ

ない。特に彼らと仲良くしようと思っているわけ

ではないので。ウォーカーの側はワーイってやり

たいんですけど、農民の側は別にウォーカーと仲

良くしなくても、彼らが来ようが来まいが、別に

彼らは生きていくので。

坂:暴力事件の話も面白くて。

北島:対立もあります。

坂:結構ボコボコにするっていう。

北島:すごいボコボコにしました。

鈴木:むかつくけど一緒に生きていかなきゃいけ

ないんだからって言って、対立しないように調整

するっていうことじゃないわけですね。農民の側

からすれば、いなくても生きていけるのに通り過

ぎていくやつがいる。一緒に仲良くやろうよとい

う対話の場にも来ないくせに、通り抜けてくるや

つがいるという状況。そこが不思議なんですよ

ね、きっと。

北島:そうですね。

鈴木:だから、コミュニティーじゃないんですよ

ね。相互に依存して生きなきゃいけないわけじゃ

ないから。

北島:別々の存在なんだけど。

坂上:両者の関係はね。

北島:なぜかしら、お互い。

坂上:アイルランド人ゆえの?

鈴木:それはちょっと広すぎるのではないでしょ

うか。

坂:海外からの観光客はこの中に入ってこないん

ですよね。

北島:どこまでこの議論が普遍性を持つかってい

うのは難しいところです。基本的に、ちょっとあ

いまいな言葉、「日常的実践」くらいのところで

とどめているのは、少なくともこれはどっちも、

自分たちの暮らしを守ろうとする、あるいは実践

を守ろうとする中で出てきている態度だからで

す。物見遊山でぱっと来てぱっと帰る観光客にお

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そらくこれはできないことだろうというのは分か

るし、土地を次々転売していくようなディべロッ

パーとかにもできない態度だと思います。代々土

地を受け継いでいくとか、来週もあそこの山へ行

くとかってことにならない限り生まれてこない実

践であるので、ある種の継続性とかを持っていな

いと駄目だろうぐらいまでは言えるんですけど、

ただ、残念ながら、この実践がどこまで広がりを

持つかは調べようがない。量的な研究ではなく、

質的な研究だったりするものですから、そこまで

かなという感じです。例えば、このクラブには海

外出身者、ドイツ人がいたりするんです。別にア

イルランド人だけじゃないんです。ドイツ人とか

ポーランド人のメンバーもいたりして、彼らもこ

の規範の中でこのクラブのルールに従ったりする

ので、アイルランド人の個性とかではないのでは

ないかなと思います。

鈴木:うまく説明できるかどうか分かんないんで

すけど、先行研究に挙げられた3つのアプローチ

が成り立たないという前提がもしかしたら違うの

ではないかという感じがしています。まず確認さ

せていただきたいのですが、歩く権利というのは

何に基づいて認められ得るんでしょうか。

北島:法的なものですよね。

鈴木:そうです。

北島:一応、法令上はどうなってるかっていうと、

地主がそれを与えたということになってるんで

す。ただ、与えたのがもし何百年も前だったりし

たらそれはたどりようがないので、公衆が利用し

ていることをもってそれに代えるという論理に

なってるんです。

中村:実質的にということ。

北島:そうです。なので、法令上は全部地主が与

えたことになってるんです。

鈴木:基本的人権みたいなものとは結び付いてい

ない。

北島:結び付いてないです。だから、例えば行政

がその道に金を払った記録があったりすると、こ

れは地主がきっと行政にそれを管理していいって

ことにしたに違いないとかいう推定の下でやって

いく。いちいち裁判でそれを確かめるのが、面倒

くさいんです。

中村:あったじゃないですか。この間も東京の道

が、ある高校が所有権持ってて、今まで生活道路

として通してたんだけど、急に通さなくなって、

裁判になって、学校が確か負けました。

鈴木:それで、それはともかく、何でこういう状

況になってるかというと、これ、基本的には極め

て外部性の高い私的財を持っていて、その外部効

果を享受する人たちが一定数いる。つまり準公共

財的性格を持っている。これを一定数の人がずっ

と使ってた。準公共財なので、一定数以下であれ

ば問題がない。ところが、一定数を超えると競合

が起きて大変になる。そういう状況なんじゃない

かと理解しました。この紛争状況をどうやって解

決できるかという話で、この3つのアプローチと

いうのが出てきたのかなと思ったんです。

結論としては、対話もしてないし、ちゃんとし

たシステムを作ってもいないし、誰が正しいとい

う話もしてないのだけれど、ある状態で落ち着い

ている。お互い距離感を保ちつつ、嫌な顔をされ

たらやめるとか、嫌だけど我慢するとかっていう、

お互いやり過ぎないっていうところでなんとか

やっているということのように思えたんです。そ

ういう状況は、実はオストロムが想定していたよ

うな、共有地が悲劇に陥らないのは何でだろうっ

ていうような状況に似てるような気もする。ある

いは、コースの定理で想定してるような状況にも

似てるような気がします。つまり、共有地を維持

するにあたって、ここまで侵食されてしまうと、

この財を私が私的に資源を投じて維持することが

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できませんという限界点があるという話で、そう

いう状態をどうやって解決するかというと、コー

スの定理は何やっても不合理は解決されませんと

いう結論だったと思うんですけど。

何が言いたいかというと、そういうジレンマ的

な状況を、何となくお互い不満足なんだけど我慢

できないでもない、というオプションを行使する

ことで均衡させているのだと解釈できそうです。

そういう意味では、極めてゲーム理論的な状況の

ような気がする。そうだとすると、それは明示的

な合意に基づいたシステムではないんだけども、

自然と均衡するシステムが機能しているという言

い方ができそうな気がする。そうすると、実は明

示的に合意しなくても均衡は起きるみたいな意味

で、システムアプローチが適用できる可能性があ

るのではないかと。

坂上:それもシステム? 黙示的なシステム?

鈴木:と言い得る。つまり、制度的に明文化して

こういう合意をしましょうと言って落ち着くとこ

ろと、合意がなくても落ち着くところがあまり変

わらないっていうようなことだとすると、ちょっ

とコースが言ってることと似てるような気がする

んです。そうすると、明示的に合意しようがしま

いが同じぐらいのところに落ち着くなら、合意し

ようなんていう努力がコストだからやめとこうみ

たいな、そんな感じを覚えたんですけど、いかが

でしょうか。

坂上:さっき言った準公共財的というのは、公共

性があるという前提の下での暗黙のシステムみた

いなことですか。

鈴木:そうです。つまり、共有地をいま私的所有

をしてる人も、自分の私的所有状態は一時的なも

の、もっと公共的なものを一時的に所有している

だけなんだというような意識もあるし、歩く権利

というのも、歩ったって誰も損しないし、ちょっ

と通り抜けてあそこまで行くアクセス権ぐらいは

当然くれよ、みたいなことですよね。あなた、全

然これで損するわけじゃないでしょっていうよう

な、減るもんじゃないんだからっていう考え方が

根底にあるような気がして、それって公共財とい

うことかなと思ったんです。でも、それが減り始

めちゃったら、おいおい、減らしてくれてんじゃ

ないよって言わざるを得ないっていう。

北島:よく分かる話だと思います。オストロムは

違うような気もするんですけど。オストロムは制

度を作りたい人なので、どっちかといえば、僕の

言う対話とシステムを合わせたようなことをやっ

ている人だと僕は理解しているんです。もう1個のゲーム理論的均衡のほうは、これも僕の弱い点

ではあるんですけど、均衡なのかが問題なんです。

つまり、これ、一時的にすっと認め合う場面がで

きるだけで、持続可能なシステムとかを作り上げ

ているわけじゃないってことなんです。ここに何

か変なものが入ってきたらすぐに壊れちゃうよう

なものだったりするので、これが均衡しているの

かっていうと微妙なラインで、局所的にそういう

事態がちょっとできたりする以上のことにはなっ

てないんです。せいぜい生活を壊さないというの

はそのレベルでしかなかったりするので、これが

ゲーム理論的に均衡していると言えるのかって、

ちょっと微妙なところだったりする。均衡という

のは、一応、静的に安定した状態が少なくとも一

定期間続くようなものを僕は想定してるんですけ

ど、そういうものでもない。お互いが、いてもい

いよねぐらいのところだったりするので、何かし

らの持続性があるものではないという意味におい

て、政策的示唆がまるでない結論なんですけど、

ただ、まあまあまあっていうことはできる。

坂:システムを維持してるわけじゃないじゃない

ですか、全員が。

北島:全体のシステムが均衡してるわけではな

いっていう。

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坂:いてもいなくてもよくて、いないほうがまし

なんだけど、いるからしょうがないっていうよう

な形で言うと、均衡にはならないっていうか。

システムとして成立しないっていうか。その時

その時は均衡してるかもしれないけど。

鈴木:いや、ちょっとちゃんと言えなくてすみま

せん。でも、均衡してるって言っていいと思うん

ですけど、お互いが選んだところがそこになって

るっていう、そこに落ち着くっていうのが均衡で、

囚人のジレンマも繰り返すと協力するようにな

るっていうふうにおっしゃったように、継続的に

関係があるからここに落ち着いているという話と

かも、似てるなとそういうふうに考えることがで

きないかと。

北島:囚人のジレンマは、おそらくあれはずっと

関係性を続けるからできるんで、この場合はお互

いよく分かんない同士がずっと続いてるので、お

互いの関係性を続けてこれができているわけでは

なくて、お互いが自分のコミュニティーの中での

実践をやってるから入れちゃったみたいなこと

だったりするので、囚人のジレンマ的な均衡では

ないとは思うんです。

坂:関係性がない。

中村:でも、規範を用いながらでも均衡してるよ

うには見えなくはないかなというのは思います。

というのは、純粋なマーケットでも規範がすごい

重要なマーケットとかあるじゃないですか。例え

ば、オークション会場で、特にこれは日本の古物

商の研究の人に聞いたんですけど、オークション

だからマーケットなんだけど、そこはすごい規範

があって、新参者が入ってきて、変な入札をする

とバツが飛んでくる。暗黙のバツが。

坂:一見さん。

中村:そうそう。一見さんに対する。だから、こ

れも確かに話し合いの機会はなくて。何が取引に

なってるかってすごい難しいかもしれないんだけ

ど、でも、ある種の均衡に向かってお互いにやり

とりが発生してる中で、じゃあ、周りの人が

「ちょっとそれ、やり過ぎじゃん」とかって言っ

たりとかしてるような、やり過ぎにならないよう

に、「じゃあ、ちょっとまあまあ、こういうこと

にしとこうよ」とかって言ってるような感じもな

くはないとは思いますけど。でも、どっちが正し

いとかっていうのはたぶん言えなさそうな感じが

するんですけど。両方でも捉えられるような状況

な気がしますけど。

だから、議論としては、僕も問題解決のマネジ

メントとは言いづらいけど、問題にならないマネ

ジメントみたいなことは言えます。でも、何で問

題解決って言えないのかなっていうのが気になっ

て。

鈴木:以前、JICA研究所の資源管理をテーマに

した研究会に参加しました。主に途上国の資源管

理問題を扱う研究会でした。そこである先生が

言っていたのは、決めきらないから決まるってい

うことがよくあるということでした。決めきらな

い部分を残した制度のほうが実は合意を形成しや

すい、合意の基盤になりやすいって話をしてたん

です。きっちり全部決まっちゃうと全部には合意

できないんだけど、この辺で折り合うみたいな幅

を持ってる制度だと、まあまあまあっていうのが

できると。

中村:さっきのプロダクティブテンションもその

話です。だから、全然決まってないっていうのが

すごい大事だっていうふうにやっぱり研究されて

ます。

北島:資源管理でも、いわゆる順応的管理という

か、アダプティブガバナンスという概念があって、

それは常に議論を続けていくことによって不測の

事態にも対処できるようにシステムを変えていこ

うみたいな議論で、それに対して、そうなんだろう

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けど、しかし、そもそもそのための話し合いの場と

かがなかったりする時にはどうなのかなっていう

のをやってみたかったってところはあるんです。

鈴木:だから、話し合わなくても、あうんの呼吸。

北島:何かできちゃう場面がないわけではないよ

ねっていうのを言ってるということにすぎないん

です。

中村:でも、その場合は、どっちかのサイドが妥

協っていうか、妥協していくっていうのがすごい

重要な方法になってるかもしれないですよね。そ

れはすごくお伺いしたいんですけど、対話して問

題解決してるのか、「いや、それ、しょうがないじゃ

ん」ってお互いに慰め合ってるっていうか、で解

決したのか、慰めじゃなくって、違う何かが働い

てるのかっていう。

坂:コンプロマイズ感はあるんですか。それぞれ

に。

北島:それぞれには確かにあります。それは、ご

本人としてはまあまあまあって言ってるっていう

ところ、つまり自分たちが納得できる解決ではな

いという意味合いにおいてコンプロマイズ感は満

載ですよね、確かに。

中村:それは対話のコンプロマイズなのか、対話

せずにこっちだけで、そうだね、しょうがないねっ

て言い合ってコンプロマイズしてるのかっていう

のは気になります。

北島:あんまり対話してる感はないですけど。自

分たちがやってる中で、向こうがいてもいいけど、

不満はたらたらで、というようなものでしかない。

自分たちのことをやってたら向こうが入ってもい

い余地ができちゃった、くらいのところでしかな

かったりするので、何か交渉しながらコンプロマ

イズをしてる感じじゃないというか。

坂:交渉する気もないというか。

北島:交渉する時はするんですけど、別にそれが

絶対ではないというか、そうならない相手も一応

認めておく余地があって。しかし、ご本人たちは

不満たらたらで、もうちょっと対話があったほう

がいいとか、もっとうまい感じのシステムを作れ

ればいいとか本人たちは思ったりするので、解決

が何かって問題もあるんですけど、ご本人たちに

とっては全然解決にはなってないと思うんです。

鈴木:解決しないからほっといたほうがましみた

いな状況はありますからね。

北島:僕も、この場所はもうちょっと政府が手を

入れてやったらいいんじゃないかとはすごく思っ

たりするし、もうちょっと話し合う余地はあるだ

ろう、そんなに意固地にならんでもと思うことは

いっぱいあるんですけど、ただ、ご本人たちはそ

れでも何とか生き延びている、というところでし

かない。なので、ご本人たちにとっても僕にとっ

てもあんまり望ましい状態ではないなとは思って

るんですけども、しかし…というところなんです。

鈴木:僕は今、東京の真ん中のほうで、神田とか

御茶ノ水とか、あの周辺でまちづくり的なことを

やってるんです。前提としては、楽しいことって

いうのを核に、スポーツもそうですけど、いろん

なことをやるとうまくいく時があって、それはな

ぜなのかということを考えてるんですけど、そう

いう意味では、この場合の楽しみは一方的な楽し

みなんですよね。農民は楽しくないという話でい

いんですよね。

北島:そうです。

鈴木:これは確認でした。それはともかく、楽し

いことを使って神田、御茶ノ水で何かせよと言わ

れていて、何をせよと言われると、あの辺って大

手のデベロッパーがたくさん土地を持っていて、

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開発するんです。ただ、そうすると、彼らは金も

うけしたいんだけど、同時に巨大な土地を占有し

ている後ろめたさみたいなのがあって、地域に貢

献したいと思うわけです。高層ビルを建てながら、

オープンスペースのたっぷりあるデザインをする

ところが多いわけです。私的所有地なんだけども、

どうぞ共有地として使ってくださいっていうか。

公共用地として使ってほしいようにデザインし

てるんだけど、やっぱり100%、どんどん何でも

やっていいよとはならなくて、管理を掛けながら、

地域の人にいろんな使い方をしてほしいんですけ

ど…みたいなジレンマを抱えている。そういう商

業ビルのひとつを使って、僕たちが遊び方を提示

するというのを今度やるんです。これが今回のお

話に形としては似てるのではないかと思いまし

た。だいぶ状況は違いますけど、都市の文脈でも

成立しうるのではないかと。僕の場合には、歩く

のではなくて、もっとここで遊ばせろみたいなや

り方をやってみたい。でも、遊び始めたら危ない

じゃないですか。その敷地内で大けがされたらっ

ていうような話も出てくるから。そういう意味で、

もしかすると都市で囲い込まれた土地がそういう

アイルランド的な状況になってきてるのかもしれ

ないと思ったんです。

北島:農民の方は別に無関心ですから。この土地

を皆さんに使っていただきたいとは思ってなかっ

たですし。

鈴木:そこはそうです。都心のビルの所有者たち

は、取りあえず通り抜ける権利なんていうのは余

裕で認めてるわけですよね。必ずこっちからあっ

ちまで通り抜けられるようにビルも作ってある

し。

都市の場合は。でも、権利の主張みたいのはな

いので、農村だからそういう問題にもなっている

のかなと思って聞いていました。

北島:都市の公共スペースの、しかもデベロッパー

の共有スペースの場合はいろいろかぎかっこが要

りますよね。ホームレスが入ってきたら、まずお

前ら、排除するんだろとか、いろいろありますけ

ど。

それは誰を入れるのかをもう決めてないか、と

か。

鈴木:たぶんきれいな使い方しかさせてもらえな

いんですけど。

北島:そういう使い方しかさせてもらえないだろ

うなとか、君ら結局その土地を売るんだろとか、

いろいろありますから、なかなか難しいところは

ありますけど。

鈴木:別の機会には、道を使ってもっと遊ぼうよ

みたいな感じの企画で、本当に道使って遊んでい

いんですねって言っていろんなアイディアを出し

たら、そんなには使えません、と。結局、コイン

パーキングのメーターの置いてある所、ここは

メーター止めれば使えますみたいな。車を止めて

道路全面を使うのはちょっと…とか言われてし

まった。それなら最初から言ってくれたらよかっ

たのに。

坂:今、ラグビーのワールドカップの関係で、東

京駅の丸の内あたりで、いわゆる道でラグビーを

しようという企画があるじゃないですか、オリ・

パラ関係とか。それに近いですよね。一見、すご

く自由そうっていうか、公共性高そうに見えるん

だけど、実はもう最初から既に囲い込まれてて、

この人は駄目、この人はいいというような、もう

そこから排除の方式が既に決まってるっていう

か、ある一定の人しかそこで遊べないという、そ

れに加担しようとしてる。

鈴木:でも、だから、僕が似てるかもって思った

のは、結局、みんなが遊びたいと思うような所は、

全部線引いて私有地になってしまっているんだけ

ど、でももし遊びたい人は遊びたい人で入ってく

るから、じゃあどうしようもないか、しょうがな

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いからちょっとぐらい使わせてやるか、みたいな

ことが起きる可能性があるのではないか。もしか

したらアイルランドの歩く権利と同じような感じ

かもしれなくて。都市では純粋な意味での公共空

間がほとんど失われていっているわけですが、そ

れが行き過ぎると、もしかするとそういう私有地

を渋々遊ばせてやる人が出てきてくれるかもしれ

ない。そうなったらいいなって思ったんです。

北島:基本的にこの議論、都市に応用するとだい

たい正義論になっちゃうんですよね。公衆の権利

をデベロッパーから守るんだみたいな議論が、都

市社会学だと結構ありますよね。

鈴木:それって負けるじゃないですか、今のご時

世。負けるんだけど、そこで公共の論理じゃなく

て、「俺は遊びたいだけなんだ」みたいな、全く

私的な論理のものが突破口になるのじゃないか

と。

坂:パルクールとかスケートボードを勝手にやっ

ちゃうみたいな、都市を全然違う使い方をしちゃ

うっていうような。それがスケートボードパーク

みたいに作られるとまたデベロッパーに吸収され

ちゃうっていう。渋谷の宮下公園みたいな話。

鈴木:そういうケースもありますけど。

青野桃子:今の話、イングランドのほうと同じパ

ターンですよね。大地主がいて、そこを通らせて

やってもいいとか、ちょっと遊んでもいいみたい

な感じで、さっきおっしゃってた、アイルランド

の調査に入られてた所は零細というか、農家の所

が多くてってなると。

鈴木:そうか。零細が多いのか。

坂:細切れになってる。

青野:使う道路が最初の2メートルは誰々さんの

土地で、次が誰々さんの土地でっていうような。

北島:ものすごい面倒くさい。

青野:めちゃくちゃミックスになってる都市道路

みたいなことになっちゃうんで、そうすると、じゃ

あ、それぞれに連絡を取って権利っていうと

ちょっと大変だなってなると、なあなあでちょっ

と遊ばせてもらおうかなみたいな、になるんじゃ

ないかと想像します。

北島:そうなんですよね。厳密にやっちゃうと、

1人が駄目って言ったらもうアウトになっちゃう

ので、逆にこのやり方じゃないと遊べないってい

うか、このやり方を続けているから遊べていると

ころがあって。「断られたら帰るけど?」という感

じのところでとどめておくとこの遊び方できると。

青野:筋通さないからこそできるギリギリのライ

ンを狙っていく感じですよね。

北島:それはそのとおりです。

坂上:どこが解決に当たるのか。政府とか、いろ

いろ出てくるけど、こういう問題だと自治体が基

本的に一番その近くで見ているわけで、主体的に

動くというのが自然じゃないかと思いますが、そ

ういう姿が見えない。

北島:自治体も結構動いているんですけど、この

場所はあまりに対立がひどくなったので、自治体

が尻込みして手を付けなかったんです。

坂上:そういうことですか。

北島:あまりにホットなイシューになっちゃった

んで、自治体はもう怖いからって手を付けなくて、

ほっといたんです。だから、地元の関係者会議も

全然自治体は出てこなかったです。

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中村:でも自治体のロジックも追ってほしいんで

すけど、昔は、何で問題が起きたら逃げちゃうか

の、自治体の正当化のロジック。

例えば、だから、どういう元々どういう自治体

かによるかもしれないですが、あるいは市長に

よって意見が変わっちゃうとか。

坂上:自治体もわれわれがイメージしてるのと違

うのでは。

坂:カウンティですか。

北島:カウンティです。そんなに権力ないんです

けど、アイルランドの自治体って。

坂上:条例が持ってる力とかは。

北島:基本ラインは、やっぱり私的所有権の尊重

なんです。なので、これはしょうがないだろうっ

ていうスタンスになっちゃいがちですよね、どう

しても。

坂:私的所有権の使い方ですよね。考え方ってい

うか。

青野:所有権と使用権が違うんじゃないですか。

持ち主であるってところは動かさないまでも、通

過するレベルの使用はまたちょっとギリギリ認め

るみたいな。

坂:認めてない人もいるわけですもんね。

北島:うん。

坂上:空間の所有だからシャットアウトできるん

だと思う。

北島:だから、自治体のスタンスとしては民事な

んです。つまり、この人とこの人が争うだけなら、

お前ら、勝手にやってくれっていうスタンスでで

きちゃうので。自分たちが積極的に介入しようと

思わない限りは。そういう自治体もあるんだけど、

しかし、ホットイシューになってしまうと、「君

たちの問題でしょ」って、「民と民の問題でしょ、

そっちで解決してね」っていう投げ方に。

坂:私的所有権だからねっていう。国有地じゃな

いからって。

中村:でも、例えば。

北島:いや、解決しようとする自治体もあるんで

すけど、ここの場合には。

中村:でも、そうか。それは民事の問題だな。

北島:だから、警察とかは出てこないです。暴力

沙汰にならない限りは。

鈴木:そういうふうに考えると、歩く権利を主張

するのがもう無理筋にしかならないじゃないです

か。

坂:正義アプローチ。

鈴木:だから、やっぱりKeep Ireland Openの人

がこれを、何を根拠に主張できるのかって気にな

るんですけど。

北島:これは、おそらくは、基本的には伝統的な

権利を保護してほしいってことと、それと、あと

は近くにイングランドという、ウォーカーに権利

を与えてしまった国があるんです。あれと同じこ

とを大して土地利用も変わらないうちができない

はずがないと彼らは思ってるっていう。

鈴木:じゃあ、基本的には、ずっと通らせてきた

だろっていう、当然、伝統だろっていうことにな

りますか。

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北島:そうですね。利用の蓄積があるから、これ

をいきなりシャットアウトするのは、俺たちの、

既得権じゃないですけど、実質的に持っていた権

利を、私的所有権を盾にしてシャットアウトする

のはおかしいんだというのが、彼らのある種の、

これはイギリスでもなされた正義的な権利の主張

です。同じことを彼らは言おうとしているんだけ

ど、ちょっとその素地が、社会的に私的所有権が

大事だと思っている国なので、あんまり共感を得

られてないっていう。だから、彼らは常に少数派

なんです、ウォーカーの中では。

坂上:たとえば国民の健康とか、医療費削減といっ

た国家的な課題で正当化したら、ぐっと権利性が

強くなって突破できるように思うが、そんないや

らしい突破の仕方はやらないんじゃないか。

北島:それも言います。いろんな論理を使うんで

す。健康にいいじゃないかとか、農村振興になる

じゃないかとか、俺たちが元々持っていた権利だ

とか、農民の補助金は税金から出ているんだから

俺たちも多少の発言権があるだろとか、ロジック

は1つだけじゃないです。いろんなものを投げな

がら、取りあえず権利をくれ、それが一番早いか

らっていう話をする。

鈴木:ちょっと身勝手ですね。

北島:そうですね、そうかもしれません。

川田幸生:地元登山クラブAの実践のところとか

で、最小の人数から最大の人数とかまでご説明い

ただいたんですけど、設立年とか見ると、今まで

で50年ぐらいずっと続いてるのか、途中、全然

活動してなかったのか、その50年の蓄積がある

中で、例えば、その前に書いてあるアクセス問題

じゃないですけど、何か問題を起こして、このク

ラブの中から、ちょっとこいつはほんとに問題を

起こし過ぎだろうみたいな感じで除外されるじゃ

ないですけど、中で、もうこれは一緒にやってる

と問題行動ばっかりやるからちょっとクラブ活

動、一緒にできないやみたいなのとかってあった

のかなっていうのがまず質問1つと、あと、ここ

で中心的に活動されてるメンバー 7名のインタ

ビューってあったと思うんですけど、そういう主

要メンバーって方は、年代にもよるのかもしれな

いですけど、もう何十年も活動をずっとやってき

てるから引っ張ってるっていう意味の主要メン

バーなのか、年代バラバラあって、若手で今後の

続けていく主要メンバーというか、そういう意味

での主要なのか、クラブの中身がどんな感じなの

かなって少しご説明いただきたい。

北島:1点目については、個人的な事情があって

仲違いした人たちはいるんですけど、アクセスの

仕方とかをめぐってとかではないです。そういう

人はいないかな。

2点目ですけど、基本的には、この7人は古参

です。だいたいこういう問題に関わるのは古参の

人だったりするんで。新参の人も1人いるんだけ

ど、その人は結構年配で、元々ウォーキングとか

ずっとやっていて、この都市に引っ越してきたか

ら入ったっていう人です。なので、この後、そう

いう古参のメンバーがダイアウトしていく中で、

このクラブがどう変わっていくのかってことも、

ちょっと面白いかなと思っています。というのも、

さっき楽しいって話がありましたが、彼ら古参の

メンバーは、その楽しかった時代を知っている人

たちなんです。つまり、アクセス問題とかが先鋭化

する前にワーイってやっていた時代を知っている

人たちで、「あれが本当のウォーキングなんだか

らこうしなければ」っていうのが基本的なスタン

スにある。その思い出を持ってない人がこのクラ

ブのリーダーシップを担った時に何が起こるのか

は見てみる必要があるのかなという気がします。

鈴木:なるほど。そうか。

坂:どうしたんですか。

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鈴木:いやいや、安倍政権しか知らないみたいな

話と似てるなと。

青野:他のやり方が分からないっていう。

鈴木:前の時代を知ってたら我慢できないはずだ

みたいな。

坂:じゃあ、逆に言うと、そうなった時に、権利

主張しだすっていう可能性も出てくる。

北島:あるいは、もっとナイーブに許可を取りだ

すか、どっちかっていう。後者のほうが可能性は大

きいと思います。なぜなら、Keep Ireland Openは常に少数派で、常にMIのほうが多数の支持を

得ているので、これを徹底する人のほうが出てく

る可能性は高いと。なあなあをやめようじゃない

かっていう話のほうが出てきそうです。分かんな

いですけど。

坂:でも、MIのほうは対話路線なんですよね。

北島:MIは、できるだけ対話しよう。全部は無

理かもしれないけど、可能な限り対話をしようと

いう路線です。

青野:話を伺ってて、世代の差が出てきた時はど

うなるかなと思って。土地を持ってる方と歩いて

る方が、ある意味、昔の状況とか今の状況ってい

うことを両方知ってた上で、今は何となくあまり

ぶつからないようにってやってるのだとしたら、

どっちかが代替わりした時に、歩くメンバーが急

に若くなったりとか、土地所有のメンバーが代替

わりした時に、ちょっと今までのやり方ではうま

くいきませんよねっていうのをどちらかが言い始

めるんじゃないかなっていう。

北島:それはあると思います。先ほどのご質問に

あったように、ちょっと動態的なところは追えて

ない。あくまで代々やってる農民とか、割と古参

のクラブメンバーに話を聞いてきているところが

あるので、もしかしたらその土台が変われば何か

しらの実践の変化があるのかもしれないけど、そ

こは残念ながらまだ追えてないという感じです。

なので、この実践がどこから来るのかという実証

がちょっと不十分というのは、課題として残って

います。

中村:あと、教えていただきたいのが、僕、あい

まいな中で質問するんですけど、正義アプローチ

での理解なんですけど、今、だから、複数の正義

があって明白な正義が存在しない場合とかってい

う話、おっしゃってますけど、だから、たぶん正

義論もいろいろあるじゃないですか。あるってい

うのは、だから、コミュニタリアンみたいな立場

に立って考えたら、共同体の正義っていうのがあ

ると。それらが別にリベラルに定義できる絶対的

な正義じゃなくて、ある共同体でどう正義を定義

するかというのをちゃんと自分たちで考えて、そ

れでその定義に基づいていろんなことを解決すれ

ばいいみたいな立場を取れる人たちがいるとしま

しょう。そしたら、この問題って、先ほど、不特

定多数のアクターが確かに対立してるんですけ

ど、ここに住んでる人たちはコミュニティーを

作ってて、この人たちがこう解決するぞみたいな

ことを決めて、これに対してどう解決する。だか

ら、法律作って解決もあるし、妥協して、あんま

り問題化しないという解決でいいじゃんみたいな

ことを定義してるかもしれなくて、自分たちで。

そしたら、正義アプローチでも解決できそうな問

題じゃないのかなって最後に思ったんですけど。

北島:この正義アプローチは、基本的には研究者

のスタンスを指しています。基本的に研究者が、

虐げられている人たちの、いわゆる解放アプロー

チとしてやるものを想定している。本来、コミュ

ニタリアン的なものができればおそらくこの地域

もよかったんだろうけど、という話なわけです。

地域で何か正義の落とし所とかを見つけてもよ

かったんだろうけどそれはできなかった、という

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のが落ち着かせる契機のほうです。なので、明白

な正義というのも、研究者のスタンスを想定して

います。これはよくありますよね、それこそ都市

の文脈とかでよくあります。

中村:そうそう。妥協して、「これでもいいじゃ

ない」は、それは正義じゃないんですか、その人

たちにとって。つまり、正義とは、それでいいじゃ

ない、これがうちの町なんだよみたいな、もうあ

いまいでいいじゃないみたいな。

北島:そこまでできればいいんですけど。

中村:そういう状態でもない。

北島:ない。だから、「これでいいじゃない」っ

ていう合意ではないんです。

中村:だから、合意にもなってない。

北島:合意にもなってない。こっちはこっちでやっ

てて、あっちはあっちでやってて、お互いまあま

あまあってなっているだけなので。全体として、

これでいいじゃないというコミュニタリアン的な

正義が成立しているわけではない。もちろんそれ

ができればいいんでしょうけど。

中村:そうでもない。

北島:それは対話とかでも近い話なのかもしれま

せんけど。

坂:サバイバルユニットになってない、あるけど。

青野:不満があるんですよね、お互いに。

北島:不満はたらたらなんです。だから、彼らと

しては、政府がもうちょっと農民に補助金とか出

せばいいんじゃないのとはずっと言ってるんで

す。農民も言ってるし、ウォーカーの側もそう言っ

てるんです。もうちょっと農民に何かあればいい

んじゃないのとかいう話はしてるんです。

なぜか知らないけど、やらないんです、政府。

坂:ということで、よろしいでしょうか。ちょっ

と時間が超過いたしましたが、ありがとうござい

ました。

北島:とんでもない。

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