7
1 【研究背景】 触媒とは化学反応を促進し、それ自身は変化しない物質のことである。生体内では酵素が触媒の 働きを担っている。酵素は数万から数 10 万の分子量を有する物質で主にタンパク質で出来ている。 酵素の触媒活性部位の近くには鍵穴と呼ばれる空洞があり、特定の原料化合物(基質)を選択的に 取り込み(基質選択性 10 )、特定の化学反応を促進し(反応選択性 11 )、目的の生成物にしたのち、 鍵穴から放出して、元の酵素の状態に戻る。酵素はこの一連の触媒作用を繰り返すため、基質に対 しごく少量あれば反応が続くことになりよいことになる。酵素の鍵穴は特定の反応を促進する上で 極めて重要な役割を担っている(図 1)。 [掲載誌] アメリカ化学会誌 [掲載日] 2018117日にweb公開(DOI: 10.1021/jacs.8b09974O O O O B O O B C6F5 C6F5 C6F5 B C6F5 C6F5 C6F5 R 1 R 1 N N H O R 2 + n CHO R 3 R 2 R 3 n H キラルU字型超分子触媒 多重選択性制御 (n = 1, 2) 配向選択性 反応選択性 鏡像異性選択性 基質選択性 位置選択性 [掲載論文題目] プロパルギルアルデヒドの多重選択的ディールス・アルダー反応に有効なキラル超分子U型触媒 [著者] 波多野学(准教授)、阪本竜浩(D3)、水野智一(博士)、後藤優太(博士)、石原一彰(教授) グラフィカルアブストラクト この度、名古屋大学大学院工学研究科の 石原 一彰 教授、波多野 准教授らの研究グ ループは、予め分子設計した小分子の酸と塩基を混ぜるという簡単な操作で調製した U 型超分子 1 錯体を有機反応の不斉触媒 2 として用い、これまで合成が困難であった望みの 物質を高選択的かつ高収率 3 で得ることに成功しました。この成果によって、触媒の活性 中心近傍の U 字型の鍵穴が反応性と選択性に極めて有効であることを実証しました。この 成果は、従来のレディメイド(汎用)触媒とは一線を画すものであり、言わば、酵素のよ うな鍵穴をもつテーラーメイド触媒の創製です。 望みの物質だけを選択的に合成するのは容易なことではなく、多くの場合、様々な反応 が同時に起こるため、生成物はその混合物となります。この問題に対し、野依本学特別教 授らは鏡像異性体 4 を選択的に得るための不斉還元触媒の研究でノーベル化学賞を受賞し ています。しかし、反応の選択性には鏡像異性選択性 5 以外にも、様々な選択性(立体選 択性 6 、配向選択性 7 、位置選択性 8 、官能基選択性 9 、基質選択性 10 、反応選択性 11 など) があり、これらの選択性を同時に制御できなければ、望みの物質を自在に得ることはでき ません。有機反応を自在に操る触媒設計法の確立が強く求められており、その切り札が今 回の成果である「U 字型超分子 1 錯体」であり、非常に大きな前進と言えます。本研究成 果は平成 30 11 7 日に米国化学会誌電子版に掲載されました。 望みの物質を自在に化学合成するための人工酵素の開発 U 字型不斉触媒の有効性を実証!

G>GwGcG1G9GyG0GdGGGVGwG=GV...2018/11/21  · G>GwGcG1G9GyG0GdGGGVGwG=GV この度、名古屋大学大学院工学研究科の 石原 一彰 教授、波多野 学 准教授らの研究グ

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1

【研究背景】

触媒とは化学反応を促進し、それ自身は変化しない物質のことである。生体内では酵素が触媒の

働きを担っている。酵素は数万から数 10万の分子量を有する物質で主にタンパク質で出来ている。

酵素の触媒活性部位の近くには鍵穴と呼ばれる空洞があり、特定の原料化合物(基質)を選択的に

取り込み(基質選択性 10)、特定の化学反応を促進し(反応選択性 11)、目的の生成物にしたのち、

鍵穴から放出して、元の酵素の状態に戻る。酵素はこの一連の触媒作用を繰り返すため、基質に対

しごく少量あれば反応が続くことになりよいことになる。酵素の鍵穴は特定の反応を促進する上で

極めて重要な役割を担っている(図 1)。

[掲載誌] アメリカ化学会誌[掲載日] 2018年11月7日にweb公開(DOI:10.1021/jacs.8b09974)

O

O

O

O

B

O

O

B

C6F5C6F5

C6F5

B

C6F5C6F5

C6F5

R1

R1

N

N

H

O

R2

+

n

CHO

R3R2

R3

n

H

キラルU字型超分子触媒

多重選択性制御

(n = 1, 2)

配向選択性

反応選択性

鏡像異性選択性

基質選択性

位置選択性

[掲載論文題目] プロパルギルアルデヒドの多重選択的ディールス・アルダー反応に有効なキラル超分子U型触媒[著者] 波多野学(准教授)、阪本竜浩(D3)、水野智一(博士)、後藤優太(博士)、石原一彰(教授)

グラフィカルアブストラクト

この度、名古屋大学大学院工学研究科の 石原 一彰 教授、波多野 学 准教授らの研究グ

ループは、予め分子設計した小分子の酸と塩基を混ぜるという簡単な操作で調製した U 字

型超分子 1 錯体を有機反応の不斉触媒 2 として用い、これまで合成が困難であった望みの

物質を高選択的かつ高収率 3 で得ることに成功しました。この成果によって、触媒の活性

中心近傍の U 字型の鍵穴が反応性と選択性に極めて有効であることを実証しました。この

成果は、従来のレディメイド(汎用)触媒とは一線を画すものであり、言わば、酵素のよ

うな鍵穴をもつテーラーメイド触媒の創製です。

望みの物質だけを選択的に合成するのは容易なことではなく、多くの場合、様々な反応

が同時に起こるため、生成物はその混合物となります。この問題に対し、野依本学特別教

授らは鏡像異性体 4 を選択的に得るための不斉還元触媒の研究でノーベル化学賞を受賞し

ています。しかし、反応の選択性には鏡像異性選択性 5 以外にも、様々な選択性(立体選

択性 6、配向選択性 7、位置選択性 8、官能基選択性 9、基質選択性 10、反応選択性 11など)

があり、これらの選択性を同時に制御できなければ、望みの物質を自在に得ることはでき

ません。有機反応を自在に操る触媒設計法の確立が強く求められており、その切り札が今

回の成果である「U 字型超分子 1 錯体」であり、非常に大きな前進と言えます。本研究成

果は平成 30 年 11 月 7 日に米国化学会誌電子版に掲載されました。

望みの物質を自在に化学合成するための人工酵素の開発

U字型不斉触媒の有効性を実証!

Page 2: G>GwGcG1G9GyG0GdGGGVGwG=GV...2018/11/21  · G>GwGcG1G9GyG0GdGGGVGwG=GV この度、名古屋大学大学院工学研究科の 石原 一彰 教授、波多野 学 准教授らの研究グ

2

一方、従来の化学触媒(人工酵素)は数百の分子量で比較的単純な形状をしており、酵素のよう

な精巧な鍵穴を持たないため、基質選択性や反応選択性などの機能をもっていない(図 2)。そのた

め、化学合成で望みの物質だけを選択的に合成するのは容易なことではなく、多くの場合、様々な

反応が同時に起こるため、生成物はその混合物となる。

この問題に対し、野依特別教授とノールズ博士は鏡像異性体 4を選択的に得るための不斉還元触

媒の研究で、また、シャープレス教授は鏡像異性体 4を選択的に得るための不斉酸化触媒の研究で

ノーベル化学賞を同時受賞している。野依らが開発した BINAP•ルテニム触媒 12を例にすると、触

媒活性部位のルテニウムの近傍に浅い空洞があり、この空洞が鏡像異性体 4を選択的に得るために

重要な役割を果たす。還元反応では水素(H)が、酸化反応では酸素(O)「かたち」をもたない点状の

一元素反応剤となるため、触媒はアルケン(平面状の基質)の表裏を識別すればよい。

しかし、炭素—炭素結合形成反応の場合、基質も反応剤も炭素を含む固有の「かたち」を有する

ため、基質と反応剤のどの位置で反応するかで何通りもの可能性が生じる。そのため、反応の選択

性には鏡像異性選択性 5 以外にも、様々な立体選択性 6、配向選択性 7、位置選択性 8、官能基選択

性 9、基質選択性 10、反応選択性 11 などがあり、これらの選択性を同時に制御できなければ(多重

選択性制御、遠隔制御)、望みの物質を自在に得ることはできない。酵素がもつ空洞を精密に分子

設計し、化学触媒の活性点近傍に賦与することは決して容易ではない。そのため、有機反応を自在

に操る触媒設計法の確立が強く求められており、その切り札が今回の成果である「U 字型超分子錯

体」であり、非常に大きな前進と言える(図 3)。様々な反応のなかでも、炭素-炭素結合形成反

応は有機物質を合成する際の要の反応であることは言うまでもない。

【今回の研究に繋がった過去の重要な成果】

ジエン(基質)とアルケン(基質)との[4+2]環化付加反応をディールス・アルダー反応と呼

び、この反応は一挙に 2 つの炭素-炭素結合を作って 6 員環を構築する有機合成上とても有用な反

応である。図 3 にシクロペンタジエンとアクロレインとのディールス・アルダー反応を示す。この

反応では 2 種類の立体異性体(エンド体、エキソ体)が生成するが、基質(原料)に依存してエン

ド体が主生成物として得られる(基質依存性)。エンド体、エキソ体それぞれに鏡像異性体が存在す

るため、1 種類の異性体を選択的に合成するには不斉触媒を用いて一方の鏡像異性体が選択的に得

られるようにすることが必要である。既に、かなり多くの優れた触媒が開発されているが、4 種類

の異性体全てを作り分けることはできていなかった。そこで、我々は今回と同じ超分子の概念を利

用して三成分(ルイス酸、キラル配位子、嵩高いテンプレート)を混ぜて U 字型のテーラーメイド

超分子触媒を調製し、世界で初めてこの 4 種類の異性体すべてを作り分けることに成功した。図 4

にその具体的な成果を示す(2011 年に Angew. Chem. Int. Ed.に論文発表)。

基質 基質 生成物

遷移状態

活性化エネルギー 安定化誘導適合

反応を促進 基質選択性

立体選択性 位置選択性

官能基選択性

+

触媒

図1 . 触媒の働き

酵素: 生体触媒(5〜20nm)

単一分子触媒(数nm以下)

特徴数万〜数十万の分子量のタンパク質(S体のみ)基質特異的反応特異的改変可能高次選択性(鏡像異性、立体異性、配向性、位置、反応、基質、官能基などの選択性の多重・遠隔制御)

特徴数百の分子量両鏡像体(R/S体)基質一般性反応汎用性精密設計は困難高次選択性は困難(基質依存性)鏡像異性体の識別は可能

テーラーメイド触媒 レディメイド触媒

特徴数千の分子量両鏡像体(R/S体)基質選択的反応選択的精密設計が可能高次選択性が可能

ナノ分子触媒(数nm〜10nm)

生体触媒(酵素)

鍵穴の超空間制御が鍵!

図2 . 生体触媒と化学触媒の違い

化学触媒

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3

【本研究成果】

[基質選択性の制御]

今回、上記の超分子設計戦略を元に予め分子設計した 3 種類のボロン酸、キラル配位子、トリス

(ペンタフルオロフェニル)ボランを 1:1:2 のモル比で混ぜるという簡単な操作で U 字型の超分子

錯体(分子量:1954)を調製し、この錯体をシクロペンタジエン(基質)とプロパルギルアルデヒド

(基質)の[4+2]環化付加反応(ディールス・アルダー反応)の触媒として試した。その結果、U 字

型の鍵穴がディールス・アルダー反応の鏡像異性選択性 5と同時に基質選択性 10を制御し、これま

で合成が困難であった物質を高選択的かつ高収率で得ることに成功した(図 5)。この反応では 6

種類の生成物が得られる可能性があるが、望みの生成物を高収率で得ることができた。この成果は

従来の不斉触媒研究とは一線を画すものであり、酵素に匹敵する高度な多重選択性を初めて人工触

媒で達成したことになる。

DFT 計算(密度汎関数法(量子化学計算の一つ))によって超分子触媒の鍵穴のサイズを見積も

ったところ、超分子触媒の鍵穴は開いているが、鍵穴の中心奥にあるホウ素活性中心(ルイス酸性

が最も強い)に基質であるプロパルギルアルデヒドが配位することによって鍵穴のサイズが狭くな

ることがわかった(図 6)。その狭い鍵穴にシクロペンタジエンが鍵穴の立体障害を避けるように

近づき、選択的に望みの生成物を与える(図 7)。その後、生成物は鍵穴から排出されると同時に

鍵穴が開き、次のプロパルギルアルデヒドを取り込む(図 6)。このように基質から生成物に至る過

程で鍵穴の形も都合よく変化することがわかる。このコンフォメーション 13変化は酵素の誘導適合14と同じである。触媒が U 字型で適度なしなやかさをもっているがゆえに誘導適合機能を発現した

と考えることができる。一方、O 字型の触媒の場合は、しなやかなコンフォメーション 13変化は期

図3 . ディ ールス・ アルダー反応

OHC CHO

レディメイド触媒(従来の触媒)

エンド体合成用

R R

L1 L1

+CHO

CHO

CHOCHO

CHO

鏡像異性体

立体異性体

エンド

エンド

エキソ

エキソ

L2 L2

深く狭い鍵穴 深く広い鍵穴

浅い鍵穴

M

M M

L LM

超分子化

自己組織化

テーラーメイド触媒

エキソ体合成用

エンド選択性(基質依存性)

嵩高いテンプレート

キラル配位子

ルイス酸

図4 . ディ ールス・ アルダー反応

エンド及び鏡像異性選択的 エキソ及び鏡像異性選択的

P

P

O

O

O

O

B

OO

OO

CF3

CF3

B

C6F5C6F5

C6F5

B

C6F5C6F5

C6F5

3,3’-ホスホリル型

エキソエンド

+CH2Cl2, MS 4Å

–78 or –98°CR CHO

+(10 mol%)

エンド エキソ

+

CHO

RR

CHO

(R = Me, F, Cl, Br)

Hatano, M.; Mizuno, T.; Izumiseki, A.; Usami, R.; Asai, T.; Akakura, M.; Ishihara, K.

超分子触媒

O

O

B

B

C6F5C6F5

C6F5

Br

Br

N

O

O

N

B

C6F5C6F5

C6F5

3,3’-アミド型

ArAr

ArAr

CH2Cl2, MS 4Å

–78 °CCHO

+(5 mol%)

HCHO

CHO

HH

Angew. Chem. Int. Ed. 2011, 50, 12189.

H

H

RO

H

B

狭くて深い鍵穴

HO

H

B

H

H

広くて浅い鍵穴

超分子触媒

up to 93:7 (99% ee) up to 20:80 (93% ee)

図5 . 鏡像異性選択的・ 基質選択的ディ ールス・ アルダー反応

O

O

B

N

O

O

N

C6F5

C6F5 C6F5

B

C6F5C6F5

C6F5B

O

O

3%

95%, 90% ee

ArF

OH

ArF

B

O

O

O

O

O

O

N

N

B

ArFArFBArFArF

H

H

遷移状態

OH

OH(HO)2B

N

O

O

N

C6F5

C6F5 C6F5

B

C6F5C6F5

C6F5B

O

O

キラル配位子 嵩高いテンプレート

ルイス酸超分子化

自己組織化

分子量1954

H

O+ CHO

シクロペンタジエン

プロパルギルアルデヒ ド

CH2Cl2, MS 4Å

–78 °C, 3 h

超分子触媒

(10 mol%)

6種類の生成物が

できる可能性がある。

嵩高いテンプレート

CHO

4種類の異性体

超分子触媒

図6 . U字型超分子触媒の誘導適合機能 +

ArF

OH

ArF

B

O

O

O

O

O

O

N

N

B

ArFArFBArFArF

H

H

遷移状態

O

O

O

O

B

O

O

B

C6F5C6F5

C6F5

B

C6F5C6F5

C6F5

R1

R1

N

N

HO

H

キラルU字型超分子触媒

O

O

O

O

B

Ar

B

C6F5C6F5

C6F5

B

C6F5C6F5

C6F5

N

N

誘導適合

H

O

H

O

O

O

O

B

Ar

B

C6F5C6F5

C6F5

B

C6F5C6F5

C6F5

N

N

H

O

H

CHO

鍵穴が

狭くなる

ArFArF

B

O

O

RO

OR

O

O

N

N

B ArF

ArF

B

ArF

ArF

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4

待できず、硬い器となるため触媒活性が発揮されない。

次に、同じ超分子触媒を用いて 2-アルキルシクロペンタジエン(基質)とプロパルギルアルデヒ

ド(基質)とのディールス・アルダー反応に展開した(図 8)。2-アルキルシクロペンタジエンは

1-アルキルシクロペンタジエンとの混合物としてしか入手できない(分離できない)ため、混合物

を原料にプロパルギルアルデヒド(基質)とのディールズ・アルダー反応を試したところ、2-アル

キルシクロペンタジエンが基質選択的、鏡像異性選択的、配向選択的に反応し、72 異性体のうち望

みの異性体を高収率で得た。

この反応が実現できたことで、林民生博士(京都大学名誉教授・国立シンガポール大学教授)に

よって開発されたキラルジエン配位子 15を 3 段階で安全かつ効率よく合成できるようになった(図

9)。また、コーリー教授(ハーバード大学)によって開発されたキラルジエン配位子 15 や抗生物

質(+)-サルコマイシンの短段階合成も可能になった(図 10)。

[基質の配向選択性制御]

次に、同じ超分子触媒を用いて 1-アルキルシクロペンタジエン(基質)とプロパルギルアルデヒ

ド(基質)とのディールス・アルダー反応に展開した(図 11)。1-アルキルシクロペンタジエンは

酸によって容易に異性化や重合することが知られているが、この超分子触媒を用いることにより、

鏡像異性選択的、立体選択的、基質選択的、反応選択的に望みの異性体を高収率で得ることができ

た。また、2-メチルシクロヘキサジエン(基質)とのディールス・アルダー反応では、触媒なしの

加熱条件と同じ生成物の鏡像異性体を選択的に得ることに成功した(図 12)。一方、興味深いこと

に、1-メチルシクロヘキサジエンとのディールス・アルダー反応では、触媒なしの加熱条件ではほ

157.9° 158.9°

5.0–5.5 Å5.5–6.0 Å

(a) (b)

図7 . U字型超分子触媒の誘導適合機能       ( DF T計算による鍵穴のサイズ)

図8 . 超分子触媒による鏡像異性選択的、 配向選択的、 基質選択的ディ ールス・ アルダー反応

H

O

+ CHO

R

+CHO

RCH2Cl2, –78 ºC

MS 4Å

RR

+

55:45 ~ 60:40

超分子触媒

(10 mol%)

+

分離できない

CHOR CHO+

R

O

O

B

B

C6F5C6F5

C6F5

O

N

O

ON

B

C6F5C6F5

C6F5

O

89% ee

94% ee

97% ee

96% ee

98% ee

94% ee

>99% (83:6:11:0)>99% (>99:0:0:0)

92% (99:1:0:0) >99% (83:17:0:0) 92% (97:3:0:0)

>99% (81:19:0:0)

超分子触媒

CHO

Me

CHO CHO

CHO

CHO

CHO

4 ~ 21 h

EtO

97% ee

80% (94:6:0:0)

96% ee

84% (76:24:0:0)

CHOBr

97% ee

93% (92:8:0:0)

CHOO

O

CHO

Bn

MeO2C

72種類の生成物の一つ

図9 . キラルジエン配位子(R ,R)-Bn-nbdの3 段階合成

SiCl3Cl3Si

HSiCl3[PdCl(p-C3H5)]2

(R)-MeO-MOP

no solvent0 ºC, 3 days

OH

HO

O

O70%収率

85%収率

TfO

OTf Fe(acac)2BnMgCl

THF, NMP0 °C, 5 min

98%収率

総収率45% (5段階)

78%収率

1) MeOH NEt3

2) H2O2, KHF2 THF, MeOH

1) 2-PyNNTf22) KHMDS

THF, –78 °C

>99% ee

Bn

Bn

(R,R)-Bn-nbd*

Norbornadiene

林らの方法

THF, –78 ºC to r.t., 5 h

Ph

OAcPd(PPh3)4HCOOH

NEt3

DMF, r.t., 2 h

Bn

BnBn

90% 収率

(純度94%)75% 収率 (純度100%)

(R,R)-Bn-nbd*then AcCl, r.t.

CHO

Bn

PhMgCl

(純度94%) 総収率54% (3段階)

DMSO(COCl)2

Et3N

CH2Cl2–78 ºC to rt, 4.5 h

1) Hayashi, T.; Ueyama, K.; Tokunaga, N.; Yoshida, K. J. Am. Chem. Soc. 2003, 125, 11508.

今回の方法

2) Berthon-Gelloz, G.; Hayashi, T. J. Org. Chem. 2006, 71, 8957.

80%収率, 97% ee

腐食性、 爆発性、 沸点32 °C

図1 0 . Coreyジエン配位子及び(+ )-サルコマイシンの合成

CHO CO2Me

92%収率

(2段階)

MeLi

CO2Me

OBn

O

COOH

(+)-サルコマイシン

Me

OH

Me

Coreyジエン配位子 (ref. 1)

69% 収率

93%, dr = 98:2

BnOH

KH, 15-クラウン -5安定 不安定

抗生物質

ref. 2

1) Brown, M. K.; Corey, E. J. Org. Lett. 2010, 12, 172.2) Linz, G.; Weetman, J.; Hady, A.; Helmchen, G. Tetrahedron Lett. 1989, 30, 5599.

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5

とんど得られない生成物の鏡像異性体を選択的に得ることに成功した(図 12)。これらの選択性は

触媒の鍵穴によって制御された結果である。

[反応サイトが複数ある基質の位置選択性制御]

一つの分子内に反応サイトが複数ある場合の反応例を図 13 に示す。最初の例では反応サイトが

2 箇所あるトリエンを基質に用い、その一方の反応サイトと位置選択的、配向選択的、鏡像異性選

択的に反応し、望みの生成物を高収率で得ることができた。生成物へのさらなるディールス・アル

ダー反応やトリエンの重合反応は抑制された(基質選択的、反応選択的)。二番目の例では反応サイ

トが 3 箇所あるテトラエンを基質に用い、その一方の反応サイトと位置選択的、配向選択的、鏡像

異性選択的に反応し、望みの生成物を高収率で得ることができた。ここでも、生成物へのさらなる

ディールス・アルダー反応やトリエンの重合反応は抑制された(基質選択的、反応選択的)。

【要約】

超分子 U 字型不斉触媒を開発し、デイールス・アルダー反応の多重選択性を制御することに成功

した(図 14)。

図1 1 . 超分子触媒による鏡像異性選択的、 立体選択的、 基質選択的、 反応選択的ディ ールス・ アルダー反応

OBn

H

O

+ +

CH2Cl2, –78 ºC

94%, 94% ee 0%

超分子触媒

(10 mol%)

MS 4A, 3 h

CHO

H OBn

CHO

H

BnO

O

O

B

B

C6F5C6F5

C6F5

O

N

O

ON

B

C6F5C6F5

C6F5

O

超分子触媒O

HO

H

H

OBn

H

OBn

vs.

27% (70:30) 25%

OBn

H

O

+ +

CH2Cl2, MS 4A

0 ºC, 15 h:

CHO

H OBn

CHO

H

BnO + CHO

OBn

15% (61:39) 83%rt, 12 h:

cf. 触媒なしの加熱条件

図1 2 . 超分子触媒による鏡像異性選択的、 配向選択的、 基質選択的、 反応選択的ディ ールス・ アルダー反応

cf. 触媒なしの加熱条件CH 2 C l2 , 加熱還流, 15 h

H

O+

Me CHO

Me

CHO+

Me

1%

CH2Cl2, MS 4Å

–78 °C, 4 h

超分子触媒1

(10 mol%)

89%86% ee

:

2-メ チルシクロヘキサンジエン

0%96% :

H

O

+ +

CHO CHOMe

Me

Me

0%

CH2Cl2, MS 4Å

–78 °C, 31 h

超分子触媒2

(10 mol%)

3% :

65% :

1-メ チルシクロヘキサンジエン

95%90% ee

cf. 触媒なしの加熱条件CH 2 C l2 , 加熱還流, 15 h

20種類の生成物ができる可能性

20種類の生成物ができる可能性

O

O

B

B

C6F5C6F5

C6F5

O

N

O

ON

B

C6F5C6F5

C6F5

O R

R

超分子触媒

1: R = c-pentyl

2: R = i-Pr

図1 3 . 超分子触媒による鏡像異性選択的、 配向選択的、 基質選択的、 位置選択的、 反応選択的ディ ールス・ アルダー反応

H

O

+

CH2Cl2, –78 ºC

MS 4Å

超分子触媒

(10 mol%)

21 h0%

CHOMe

94%, 97% ee

MeCHO

Me

H

+

50%50%cf. 触媒なしの加熱条件CH2Cl2, 加熱還流, 12 h :

反応サイト

反応サイト

+

CHO

H +

CHO CHOH

H

O

+

CH2Cl2, –78 ºC

MS 4Å

超分子触媒

(10 mol%)

3 h0% 97%, 95% ee

70%0%cf. 触媒なしの加熱条件CH2Cl2, 加熱還流, 12 h :

反応サイト

反応サイト

30%

0%

O

O

B

B

C6F5C6F5

C6F5

Oi-Pr

N

O

ON

B

C6F5C6F5

C6F5

Oi-Pr

超分子触媒

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【成果の意義】(図 15)

(1)金属有機構造体(MOF)16のようなコンフォメーション 13の硬い O 字型ではなく、配座柔軟性のあ

る U 字型の超分子触媒を設計することで、酵素の特徴である誘導適合 14 という機能を人工触媒

に付与することができた。この機能により触媒回転効率を格段に上げることができた。

(2)触媒内に深い U 字型の鍵穴を作ることにより、多重選択性の制御に成功した。

(3)石原が提唱する酸塩基複合化学 17 の概念を利用して開発した超分子錯体はユニット分子を混ぜ

るだけで調製できる。複数の分子を混ぜた際に、目的とする超分子錯体が最も触媒活性が高く、

不完全な錯体が共存していても反応に影響しないとため、超分子錯体を単離・精製する必要がな

い。

(4)今回の不斉超分子触媒はその分子サイズが従来の分子触媒と比べ、一回り大きく、その鍵穴も深

い。この違いが高度な選択性を獲得する鍵となっている。

【今後の展開】(図 15)

望みの物質を選択的に得るために、基質や反応に応じて最適なテーラーメイド触媒を創製する必

要があり、高度な精密触媒分子設計法の確立は新物質の合成や既知物質の短工程合成に不可欠な技

術である。その切り札が「酸塩基複合化学 17を基盤にする超分子触媒の設計」であり、今回の成果

を例に、他の反応へと展開していきたい。

【用語説明】

注1) 超分子:分子と分子が弱い分子間相互作用(水素結合や配位結合など)で会合した集合体

注2) 不斉触媒:一方の鏡像異性体を生成する反応を選択的に促進する触媒

図1 4 . 要旨

O

O

B

B

C6F5C6F5

C6F5

O

N

O

ON

B

C6F5C6F5

C6F5

O R

R

+H

O

CHO

H

O

+

CHO

R

H

O+

95%, 90% ee

up to >99%, 98% ee

超分子不斉触媒

基質選択性

鏡像異性選択性

配向選択性

反応選択性

鏡像異性選択性

基質選択性

R

or

94%, 94% ee

CHO

H

BnO

R

up to 99%, 97% ee

CHO

RH

O+

Me

Me

CHO

94%, 97% ee

H

配向選択性

反応選択性

鏡像異性選択性

基質選択性

配向選択性

反応選択性

鏡像異性選択性

基質選択性

位置選択性

[掲載誌] アメリカ化学会誌[掲載日] 2018年11月7日にweb公開(DOI:10.1021/jacs.8b09974)

O

O

O

O

B

O

O

B

C6F5C6F5

C6F5

B

C6F5C6F5

C6F5

R1

R1

N

N

H

O

R2

+

n

CHO

R3R2

R3

n

H

キラルU字型超分子触媒

多重選択性制御

(n = 1, 2)

配向選択性

反応選択性

鏡像異性選択性

基質選択性

位置選択性

[掲載論文題目] プロパルギルアルデヒドの多重選択的ディールス・アルダー反応に有効なキラル超分子U型触媒[著者] 波多野学(准教授)、阪本竜浩(D3)、水野智一(博士)、後藤優太(博士)、石原一彰(教授)

グラフィカルアブストラクト

• 数ナノ~10ナノサイズの精密超分子触媒を開発

  ➡複数種の選択性を同時制御(多重選択   性制御)➡人工酵素の創製• 革新的合成技術:レディメイドから  テーラーメイド触媒へ  (1) 短段階合成➡合︎成効率の向上    ➡合成困難だった物質の製造・製品化  (2)新規化合物の創製➡探索研究の推進  ➡新薬・新能性材料の創出

図1 5 . 成果の意義と将来展望

Page 7: G>GwGcG1G9GyG0GdGGGVGwG=GV...2018/11/21  · G>GwGcG1G9GyG0GdGGGVGwG=GV この度、名古屋大学大学院工学研究科の 石原 一彰 教授、波多野 学 准教授らの研究グ

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注3) 収率:生成物モル量/基質モル量 x100

注4) 鏡像異性体:右手と左手の関係になる物質を互いに鏡像異性体と呼ぶ

注5) 鏡像異性選択性:鏡像異性体の生成確率

注6) 立体選択性:立体異性体の生成確率

注7) 配向選択性:基質と反応剤と反応する際の向きによって構造異性体が生じる際の異性体生成確

注8) 位置選択性:基質に同じ官能基が複数ある場合に、どの位置の官能基と反応するかの選択性

注9) 官能基選択性:基質に異なる官能基が複数ある場合に、どの官能基と反応するかの選択性

注10) 基質選択性:異なる基質が共存する際に、どの基質と反応するかの選択性

注11) 反応選択性:異なる反応が同時に起こり得る場合の選択性

注12) BINAP•ルテニム触媒:野依博士が開発した不斉還元触媒。鏡像異性選択性に優れたレディメイ

ド触媒の一例と言える

注13) コンフォメーション:分子の立体配座。結合を切断したり、新たな結合を作ることなく、ひねっ

たり曲がったりする分子運動のこと

注14) 誘導適合:酵素の鍵穴が化学反応を触媒するのに都合よく変化する現象

注15) キラルジエン配位子:炭素-炭素二重結合を分子内に2つ有する光学活性有機化合物で、遷移金

属のキラル配位子として有効であることが林民生博士らによって見出された

注16) 金属有機構造体(MOF):金属と配位子が3次元的に規則正しく配列した構造体のことで、MOF 内

にできる O 字型の空洞を利用してガスなどの小分子の吸着貯蔵物質として注目されている

注17) 酸塩基複合化学:予め分子設計した酸性物質と塩基性物質を複合させて高機能触媒を創製するた

めの化学で、石原が提唱している

【論文情報】

論文題目:Chiral Supramolecular U-Shaped Catalysts Induce the Multiselective Diels–Alder Reaction of Propargyl

Aldehyde

(プロパルギルアルデヒドの多重選択的ディールス・アルダー反応に有効なキラル超分子U型触媒)

掲載誌:Journal of the American Chemical Society アメリカ化学会誌

著 者:波多野 学(准教授)、阪本 竜浩(博士課程後期課程 3 年)、水野 智一(元大学院生、現博

士)、後藤 優太(元大学院生、現博士)、石原 一彰(教授)

掲載日:2018 年 11 月 7 日に web 公開

DOI:10.1021/jacs.8b09974

【謝辞】

本研究は科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)(研究領域:「プロセスイ

ンテグレーションに向けた高機能ナノ構造体の創出」)、日本学術振興会科学研究費助成事業

(JP17H03054、JP15H05755、JP15H058100)、名古屋大学博士課程教育リィーディングプログラム

IGER の支援により実施されました。ここに感謝申し上げます。