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HSC-for-Euclid Ultra-Wide Survey によるサイエンス HSC-Euclid サーベイサイエンス検討班: 宮崎聡 (NAOJ), 高田昌広 (Kavli IPMU), 今西昌俊 (NAOJ), 大栗真宗 (Kavli IPMU), 嶋作一大 (東京大), 千葉柾司 (東北大), 西澤淳 (Kavli IPMU), 浜名崇 (NAOJ) 2013 4 19 概要 2021 年打ち上げ予定の次世代 ESA 広視野衛星計画 Euclid の撮像サーベイを補完するす るために必要な地上望遠鏡多色サーベイとして、約 6000 平方度の HSC 多色撮像サーベイ (griz, i 25) を行う可能性が検討されている。本書では、この HSC Ultra-Wide (HSC-UW) Survey で可能になる宇宙論と銀河進化サイエンス、また Euclid のデータと組み合わせること で可能になるサイエンスの数例を示す。HSC-UW サーベイは究極的な統計研究を可能にし、 また北天領域に存在する SDSS 撮像・分光データと組み合わせることで可能になるサイエンス を議論する。このように HSC-UW の科学的価値は非常に高い。また北天領域の HSC 多色可 視光データのレガシー的価値も高く、日本の次期大型将来計画 TMTSPICA との様々なシ ナジーも考えられ、2020 年代以降の様々な天文学研究に半永久的に使われると予想される。 1 HSC Ultra-Wide Survey for Euclid 1.1 Eulcid 衛星計画 Euclid ESA の中型衛星計画 (M-calss) 1 つであり、 ESA の長期的戦略計画である “Cosmic Vision” プログラムの 1 つとして 2011 11 月に採択された。ESA および EU 各国政府間で予算 の確保は合意が取れており、2021 年の打ち上げを目指し、装置設計・開発もスタートしている実 現が既定路線の衛星計画である。2012 1 月には、米国から約 40 名の研究者 (senior scientists) Euclid 共同研究に参加することが ESA NASA の間で合意された。このように Euclid 計画 は、EU 各国の研究者および米国の研究者を含む巨大国際共同研究プロジェクトになっている (800Euros 予算規模、約 300 engineers + 600 scientists の総勢 900 人体制の規模)。詳細について は、Euclid ホームページ * 1 を参照されたい。 1 Euclid 衛星の現時点でのデザイン仕様および想定されているサーベイパラメータの概要 を示してある。基本的に Euclid の目指すサーベイは、黄道面を除く、ほぼ全天領域の 15,000 deg 2 の撮像、分光サーベイである。その特徴は、可視光においては各天体からの検出 S/N を稼ぐため に広波長帯域 (V + I + Z ; 550–900nm) 1 フィルターによる撮像サーベイ、またスペースからの * 1 ESA Euclid サイト: http://sci.esa.int/science-e/www/area/index.cfm?fareaid=102, 米国 Euclid サイ ト:http://euclid.caltech.edu, Euclid Definition Study Report (Red Book): http://sci.esa.int/science- e/www/object/index.cfm?fobjectid=48983# 1

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HSC-for-Euclid Ultra-Wide Surveyによるサイエンス

HSC-Euclidサーベイサイエンス検討班:

宮崎聡 (NAOJ),高田昌広 (Kavli IPMU), 今西昌俊 (NAOJ),

大栗真宗 (Kavli IPMU), 嶋作一大 (東京大), 千葉柾司 (東北大),

西澤淳 (Kavli IPMU), 浜名崇 (NAOJ)

2013年 4月 19日

概要

2021 年打ち上げ予定の次世代 ESA 広視野衛星計画 Euclid の撮像サーベイを補完するするために必要な地上望遠鏡多色サーベイとして、約 6000 平方度の HSC 多色撮像サーベイ(griz, i ∼ 25)を行う可能性が検討されている。本書では、このHSC Ultra-Wide (HSC-UW)

Surveyで可能になる宇宙論と銀河進化サイエンス、また Euclidのデータと組み合わせることで可能になるサイエンスの数例を示す。HSC-UW サーベイは究極的な統計研究を可能にし、また北天領域に存在する SDSS撮像・分光データと組み合わせることで可能になるサイエンスを議論する。このように HSC-UWの科学的価値は非常に高い。また北天領域の HSC多色可視光データのレガシー的価値も高く、日本の次期大型将来計画 TMT、SPICA との様々なシナジーも考えられ、2020年代以降の様々な天文学研究に半永久的に使われると予想される。

1 HSC Ultra-Wide Survey for Euclid

1.1 Eulcid衛星計画

Euclidは ESAの中型衛星計画 (M-calss)の 1つであり、ESAの長期的戦略計画である “Cosmic

Vision”プログラムの 1つとして 2011年 11月に採択された。ESAおよび EU各国政府間で予算の確保は合意が取れており、2021年の打ち上げを目指し、装置設計・開発もスタートしている実現が既定路線の衛星計画である。2012年 1月には、米国から約 40名の研究者 (senior scientists)

が Euclid共同研究に参加することが ESAと NASAの間で合意された。このように Euclid計画は、EU各国の研究者および米国の研究者を含む巨大国際共同研究プロジェクトになっている (約800Euros予算規模、約 300 engineers + 600 scientistsの総勢 900人体制の規模)。詳細については、Euclidホームページ*1を参照されたい。表 1に Euclid衛星の現時点でのデザイン仕様および想定されているサーベイパラメータの概要を示してある。基本的に Euclidの目指すサーベイは、黄道面を除く、ほぼ全天領域の 15,000 deg2

の撮像、分光サーベイである。その特徴は、可視光においては各天体からの検出 S/N を稼ぐために広波長帯域 (V + I + Z; 550–900nm)の 1フィルターによる撮像サーベイ、またスペースからの

*1 ESA Euclid サイト: http://sci.esa.int/science-e/www/area/index.cfm?fareaid=102, 米国 Euclid サイト:http://euclid.caltech.edu, Euclid Definition Study Report (Red Book): http://sci.esa.int/science-

e/www/object/index.cfm?fobjectid=48983#

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表 1 Euclid衛星計画の仕様とサーベイパラメータ

Surveys (for about 6 years duration)

Area Description

Wide Survey 15,000 deg2 4 dithers per step

Deep Survey 40 deg2 At least 2 patches of > 10 deg2, 2 mag depper than in Wide

Payload

Telescope 1.2m Korsch, 3 mirror anastigmat, f=24.5m

Instrument VIS NISP

FoV 0.787 × 0.709deg2 0.763 × 0.722deg2

Capability Imaging NIR Imaging NIR Spectroscopy

λ-range [nm] 550–900 Y (920–1146) J(1146–1372) H(1372–2000) 1100–2000

Sensitivity 24.5mag(10σ) 24mag(5σ) 24mag 24mag 3 × 10−16(3.5σ line)

(for extend. source) (for point source) [erg cm−2 s−1]

Detector 36 arrays 16 arrays

Technology 4k×4k CCD 2k×2k NIR sensitive HgCdTe detectors

Pixel size 0.1 arcsec 0.3 arcsec 0.3 arcsec

Spec. res. R ' 250

観測で威力を発揮する近赤外線 (Y, J,H)の撮像および低分散分光サーベイである。この超広視野サーベイの主サイエンスゴールは、撮像サーベイについては、重力レンズの精密測定によるダークエネルギー、ダークマターの性質の制限、分光サーベイについてはバリオン音響振動実験 (BAO)

により宇宙論距離測定からのダークエネルギーの制限である。特に、重力レンズ観測量と BAO振動実験を組み合わせることで、宇宙の構造形成の進化史からアインシュタイン重力理論を検証することも主サイエンスゴールになっている。また、太陽を背にし L2点の位置から天球をスキャンすることによりサーベイを行うため、黄北極 (NEP)および黄南極 (SEP)の領域は多数回スキャンされ、その NEP、SEP領域は宇宙論サーベイ領域よりも約 2等級深い領域 (Euclid Deep Survey)

になる (H = 26mag)。重力レンズ効果の測定からダークエネルギーの性質を調べるためには、各々の撮像銀河までの距離を測光的に測定するための測光的赤方偏移 (photometric redshift or photo-z) の情報を用いることが必要不可欠である。この理由で、近赤 Y, J,H 撮像データは、z >∼ 1の銀河についても十分な精度の測光的赤方偏移を得るために有用である。しかしながら、可視光帯については Euclid の可視光 1フィルターのデータだけでは十分ではない。このため、Euclid衛星計画は、15,000 deg2

の観測領域に griz の 4バンドデータを提供できる地上サーベイのパートナーを想定している。小口径望遠鏡の Euclidが必要とする可視光データは比較的浅く (i ∼ 25mag)、現存の広視野地上望遠鏡でも比較的容易に実行可能である。

1.2 これまでの経緯

上述したように Euclid計画は地上望遠鏡による可視光多色サーベイを必要とする (griz)。北天、南天領域それぞれ約 7,500 deg2 の領域のデータである。南天については、米国の Dark Energy

Survey (5,000 deg2, grizy, 2012 – 2017)、将来的には LSST (18,000 deg2, ugrizy, 2020–?) のデータを想定している。しかし、北天領域の地上データはまだ決定されておらず、早急に解決すべき重要課題になっている。Euclidで検討されるのは、(1) Subaru Hyper Suprime-Camによる

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表 2 Euclid 6000 deg2 領域のための HSC Ultra-Wide Survey (HSC-UW)

Survey Area 6,000 deg2

Filters g r i z

Exposure time [sec] ∼ 250 ∼ 250 ∼ 250 ∼ 250

Depth (5σ, for a point source, 2′′ dia. aper.) ∼26 ∼25.6 ∼25 ∼24.2

サーベイ、(2) Pan-Starrs2 (PS2=口径 1.8m望遠鏡 2台)によるサーベイ、あるいは (3) ESOの4m望遠鏡 (例えば 4.2m William Herschel Telescope)に広視野主焦点カメラを新たに製作し、占有的にサーベイを行う、という 3つの可能性である。この背景のもと、Euclid共同研究の Scientistsで構成される Euclidコンソーシアムの代表である Yannick Mellier 氏 (Euclid Consortium Leader=ECL) が 2012 年の 5/28–6/8 にかけて来日し、林台長、有本ハワイ観測所長、HSC サーベイ PI の宮崎聡氏、その他 HSC チーム関係者との会合を持った。Euclidからの正式な要請として、現在 HSCチームで計画されている HSC SSP

Survey(1,500 deg2, grizy; 以後単に HSC-W)に加えて、約 6,000平方度の領域を griz の 4バンド撮像サーベイを行い、北天で合計 7,500平方度の HSCデータを Euclidに提供して欲しいという提案が林台長に提出された。この提案を受け、これまで SAC主導のもとすばるコミュニティーで議論を重ねてきている。

1.3 提案されている HSC Ultra-Wide Survey

Euclid が必要とする地上可視光データは、すばる望遠鏡にとっては比較的浅いデータである。Yannick Melier氏との議論によれば、4m望遠鏡の DESのデータの深さ (各バンド約 1,000秒積分)で十分であるということなので、すばるでは (高結像性能の利点を無視したとしても)約 5分積分程度のデータで十分ということになる。HSC の視野 (約 1.7 deg2)を加味し、griz の各バンドについて約 250秒積分の深さで約 6,000 deg2 の領域をカバーするには正味約 130 晩のすばる時間が必要となる (1晩あたり平均で 9時間の観測時間を仮定した)。天候係数、オーバーヘッドを多めに考慮したとしても、約 200晩のすばる時間が必要になると考える。表 2 には、Euclid サーベイのために必要な HSC サーベイ (以後 HSC Ultra-Wide あるいは

HSC-UW)のサーベイパラメータを示す。各バンドの積分時間は、DES相当のデータを得るために単純評価したものであり、目指すサイエンスのために最適化した積分時間の評価にはなっていないことには注意されたい。

2 HSC Ultra-Wide Surveyで期待されるサイエンス前節で述べたように HSC Ultra-Wide (HSC-UW)サーベイが実現されれば、ほぼ北天全領域に渡り、i ∼ 25magの深さ、griz の多色、高結像性能の均一のデータを提供し、様々なサイエンスを可能にする。この節では、この HSC-UW のデータだけで、Euclid の近赤データだけで、あるいは HSCと Euclidのデータを組み合わせることで可能になるユニークなサイエンスについてその数例を示す。本書では、特に広視野データに直結する宇宙論、銀河・QSO進化、あるいは天の

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図 1 弱い重力レンズのシア二点相関関数から期待されるダークエネルギー性質への制限。(左)赤方偏移 z の関数としてダークエネルギーの状態方程式 w(z) がどの程度制限されるかをプロットしたもの。青の点線、破線、実線がそれぞれ HSC-W(現 HSC SSP 1500 deg2)、HSC-UW(6000 deg2)、両者を組み合わせた場合の制限に対応する。黒線と赤線はそれぞれDESと Euclidから期待される制限。(右)時間依存しないダークエネルギー状態方程式を仮定した場合の、それぞれのサーベイから期待されるダークエネルギーの存在量(ΩDE)と状態方程式(w0)への制限。

川銀河の性質についてのサイエンスケースについて例示する。この分野外でも面白いサイエンスの可能性があるかもしれないが、本書の執筆に関わっている研究者では網羅できていない。なおHSC-UWサーベイについては、大量のすばる時間を投入することで得られる Euclid側からの見返り、HSC-UWサーベイと HSC SSPサーベイあるいは PFS SSPサーベイの複数 SSPサーベイを実行する際のすばる時間の競合、また HSC-UWサーベイの時間的スケジュールの要求、などの政治的な問題があるが、ここでは触れない。HSC-UWのサイエンス的な価値についてのみ議論する。

2.1 宇宙論

宇宙論は HSC SSP サーベイ (以後 HSC-Wide あるいは HSC-W) の主要テーマの一つであり[17, 20]、HSC-UWでさらなる飛躍が期待できるサイエンステーマである。特に、ここでは重力レンズ効果を用いた宇宙論について議論する。HSC-UWは HSC-Wより浅く、それゆえ比較的低赤方偏移宇宙の密度分布を測定することになるが、HSC-Wに比べてより広い面積をサーベイするため統計誤差の小さい重力レンズ測定可能となり、その意味で HSC-W と HSC-UW は相補的であるといえる(図 1)。また南天の DESと比較しても、すばるの高結像性能の特性を活かし、系統誤差のより小さい (ローバスト)、より高精度の宇宙論パラメータの制限が期待できる。具体的には、ダークエネルギー制限の指標としてよく使われる Figure of Merit (FoM ≡ 1/det[Cov(w0, wa)]、ここでダークエネルギーの状態方程式として w(a) = w0 + (1− a)wa を仮定している; [1])を考えると、HSC-Wで FoM = 16、HSC-UWで FoM = 23、両者を組み合わせることで FoM = 41の制限の改善が期待できる。重力レンズ宇宙論は Euclidサーベイの主要テーマの一つであるため、Euclidサーベイが完結す

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ればさらに強力な宇宙論的制限が期待される(図 1)。HSC-UW データはこの解析において測光的赤方偏移 (photo-z) の測定のための色情報の提供に使われる予定であるが、Euclidの弱い重力レンズ測定においてはスペースにおける PSFの安定性、宇宙線や CCDの電荷転送効率等克服すべき多くの課題もあるため、HSC-UWの重力レンズ測定との相互比較により、系統誤差を慎重にチェックすることができるだろう。このとき、HSC SSPサーベイの重力レンズ解析で十分な経験を積み、2020年代の重力レンズ研究に臨めることも日本人研究者の利点である。また北天のほぼ全領域を掃く HSCサーベイは、Planckなどの “全天”宇宙背景放射 (CMB)の全天マップとの相互相関関数の研究にも適している。CMB-銀河相互相関で面白いシグナルの一つが、やはり大規模構造の重力レンズ効果である。z ' 1100の最終散乱面から発せられた CMB光子の経路は、その手前の大規模構造の重力レンズ効果で曲げられ、観測する CMBマップに特徴的な痕跡を残す。比較的に高赤方偏移 z ' 1 − 3 の大規模構造がこの CMB レンズに主に寄与することが分かっており、同じ大規模構造は HSC 撮像銀河にも同様に重力レンズ効果を引き起こす。つまり、CMBと HSCの相互相関を調べることで共通の大規模構造からの重力レンズ効果を制限することができる。CMBレンズと銀河レンズの解析は独立で有り、関与する系統誤差も全く異なる。この理由で、CMB-HSC重力レンズ効果を用いることにより、様々な系統誤差のチェックも可能になる。さらに、CMB偏光観測からインフレーション時の重力波によって励起され得る Bモード偏光を制限あわよくば発見することが、次世代 CMB実験の大きな科学目標であるが、HSC銀河サーベイはこれにも重要な役割を果たす。CMBレンズは二次的な Bモード偏光を引き起こすことが知られており、重力波起源の Bモード偏光を探す際にはノイズとなる。このため、十分に深いHSC銀河サーベイを用いることにより、重力レンズ効果の予想テンプレートを構築すること可能になり、CMBレンズ効果を除去し、より感度の高い重力波起源の Bモード探査を可能にする。このように HSC-UWは、Planckあるいは将来の CMB偏光実験ともシナジーがある。さらに、HSC-UW で実現される、広いサーベイ領域にわたる重力レンズ測定を用いることで、これまでなし得なかった新たな重力レンズ研究の展開も考えられる。その一つの例として、ボイド(低密度)領域の弱い重力レンズがある。SDSS等の分光銀河サンプルから検出されたボイド領域の重力レンズ信号を多くのボイドに対しスタックすることで、ボイドの「質量」を直接的に求めることが可能である [3, 6]。ボイドの存在確率およびその質量分布は、例えば修正重力モデルに非常に敏感なため [7]、 従来の方法とは異なるまったく新しい重力理論の検証が可能となる。視線方向の密度揺らぎに起因する測定誤差を抑えるためには広いサーベイ領域から選択された多くのボイドサンプルが必要となるが、N 体シミュレーションを用いた研究により、HSC-UWで実現される6000 deg2 のサーベイ面積の解析から広いボイド半径に渡って S/N = 5以上の有意な重力レンズ信号の検出が可能になり、ボイドの質量関数の直接的な検証が可能となると見積もられている。この応用は SDSSとサーベイ領域を共有する HSCサーベイで初めて可能であり、大きな分光サンプルをサーベイ領域内に有しない DES等では不可能であることを強調しておく。

2.2 銀河団

銀河団は宇宙論と銀河形成研究の両方において重要な役割を果たす天体である。その数密度の低さ故に、最大質量級の銀河団まで含む均一な均一な銀河団サンプルを構築するには広い領域のサーベイを行うことが本質的となる。例えば、そのような無バイアスサーベイから、高赤方偏移 z ∼ 1

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に 1015M を超える巨大銀河団を一つ発見するだけで、構造形成の標準シナリオに厳しい制限を与えることが可能である [13]。HSC-UWの限界等級は依然として z ∼ 1程度までの銀河団を探索するのに十分であり (z = 1で ∼ M∗ + 2等までの銀河を検出可能; [5])、HSC-Wに比べて 4倍以上のサーベイ面積があることからから期待される z ∼ 1の銀河団の数も 4倍以上が見込まれることとなる。さらに、Euclid で得られる Y JHK バンドの撮像データを組み合わせることで、z ∼ 2までの高赤方偏移宇宙まで信頼度の高い銀河団サンプルを構築することができるであろう。HSC-UW

が提供する可視の多色データは、例えばこれら高赤方偏移銀河団における星形成率の進化を調べる上で必要不可欠である。標準宇宙論モデルの検証に適した非常に質量の大きな銀河団 [4, 13] や、重力レンズ増光を利用した最遠方銀河探索に適したアインシュタイン半径の大きな銀河団 [16] といった、希少な銀河団の探索の面でも HSC-UWは興味深いサーベイとなるであろう。また HSC-UW が提供する可視多色データは、他波長銀河団サーベイの可視同定及び赤方偏移推定の面からも有用である。例えば eROSITAは 2014年に打ち上げが予定されている全天サーベイを目的とした X線衛星計画である。eROSITAは、z ∼ 1にある & 1014M の質量の銀河団からの X線放射を検出することが可能であるが [10]、この X線銀河団サンプルの活用においては対応する可視データの存在が、例えば銀河団の赤方偏移同定あるいは真の銀河団と AGN などの区別のために必要不可欠である。z ∼ 1 の銀河団銀河の検出は現存する SDSS や Pan-STARRS のデータでは浅すぎるため不十分であり、HSC-UWで達成される限界等級が必要である。HSC-W

と HSC-UWを合わせると銀河面を除く北天のほぼ全領域にわたり eROSITA銀河団サンプルの高精度の可視同定及び赤方偏移推定が可能となり、銀河団の統計的研究が飛躍的に進むものと期待される。

2.3 SDSS QSOおよび QSO吸収線系との相互相関

HSC-W 及び HSC-UW がターゲットとする北天の領域は SDSS のサーベイ領域であるため、SDSS-I/II/III サーベイで得られている大量の分光サンプル [18, 19] が存在し、競合する南天のDES あるいは将来の LSST と比べて、非常に大きなアドバンテージとなる。さらに、QSO 分光スペクトルから構築された QSO吸収線系 (MgII, CIVなど)のカタログも存在する。特に、SDSS

QSOあるいは QSO吸収線系サンプルと HSCサーベイから得られる撮像銀河との相互相関関数を調べることで、以下に述べるように z >∼ 1 の高赤方偏移宇宙に関する新しい研究分野を切り開くことが可能になる。SDSS分光サンプルはすでに公開されており、HSC-UWサーベイが行われれば、以下のサイエンスは Euclidデータを待つことなしに実行可能であることも強調したい。分光 QSOサンプルは文字通り赤方偏移、つまり正確な距離の情報がある。一方、HSC撮像銀河の最大の不定性は測光的赤方偏移 (photo-z)の不定性である。また、天球上でのそれらの数密度も大きく異なる。QSO は稀な天体であり、分光 QSOサンプルは単位赤方偏移、単位平方度あたりせいぜい 100個程度であるが、HSC撮像銀河は 1万個以上 ( >∼ 104 deg−2)もあり二桁以上多い。このため、QSO分光サンプルと HSC 撮像銀河の相互相関関数を調べることにより、互いの観測的欠点を補完することができる。図 2 は SDSS-QSO(あるいは QSO 吸収線系) と HSC 撮像銀河の相互相関関数の研究の概念図である。相互相関の大きな利点の 1つは、たとえ相関測定に用いるHSC 撮像銀河サンプルに測光的赤方偏移の系統誤差が大きい銀河 (photo-z outliers) が混ざっていたとしても、分光 QSOに物理的に付随する、すなわち QSOと同じ赤方偏移にある HSC銀河

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observer

SDSS QSO

with spec-z

QSO absorption system with

spec-z in the QSO spectrum

(e.g., MgII, CIV)

HSC galaxies with photo-z’s

(inc. early- and late-type galaxies)

R = DA(zspec )

gal1 gal2 gal3

図 2 SDSS-I/II/III の分光 QSO サンプルと HSC-UW の撮像銀河の相互相関関数 (cross-

correlation) の研究の概念図。ここでは QSO 分光サンプル、あるいは QSO 分光スペクトルからから構築されたガス吸収線系 (例えば Lyman-α, MgII, CIV)のカタログを想定している。これら分光 QSO, QSO 吸収線系と HSC-UWの撮像銀河との相互相関を調べることで、HSC

撮像銀河から分光サンプルに物理的に付随する銀河 (つまり分光サンプルと同じ赤方偏移にある銀河)だけを統計的に選択することができる。上の例の場合、HSC-UWの撮像銀河 1(“gal1”)

は QSO吸収線系と物理的に付随している (天球上での離散角が小さければ、同じ赤方偏移の大規模構造に存在すると言える)。銀河 3(“gal3”)と分光 QSOのペアについても同様である。一方、銀河 2(“gal2”) はどちらにも付随しない、photo-z の系統誤差による混合銀河サンプルの例を示す。

を統計的に区別できることである。photo-z outleirs は単に相互相関のシグナルを薄めるだけで、相互相関関数の形状は変えない。また、相互相関の測定の際に、QSO(あるいは QSO吸収線系)とHSC銀河のペア間の角度の関数として測定するのではなく、QSOの赤方偏移 (zQSO)から得られるペア間の投影距離、R ≡ DA(zQSO)∆θ、の関数として測定することで、QSOあるいは HSC銀河からの物理的な距離の関数としてシグナルを理解することができる。以下にこの相互相関関数を用いたサイエンスを議論する。

2.3.1 SDSS QSO-HSC銀河の相互相関によるバリオン振動実験相互相関の測定で可能になるサイエンスとして最初に議論するのが、バリオン振動実験による高赤方偏移 z > 1 の宇宙加速膨張の検証である。バリオン振動 (Baryonic Acoustic Oscillation:

BAO)とは、宇宙晴れ上がり以前の宇宙背景放射 (CMB)とバリオンの間の密な相互作用による音波振動の特徴的スケール (BAOスケール=約 150Mpc)の痕跡が宇宙の大規模構造のなかに残される現象である。CMBの物理には不定性が少ない、CMB実験により BAOスケールが高精度で制限されている、さらに BAOスケールの 150Mpcでは構造形成の非線形進化の効果は小さい、などの理由で、BAO実験は不定性が少ない、ローバストな宇宙論距離を測定する幾何学的な方法と認識されている。銀河、QSOあるいは銀河間ガスが大規模構造をトレースする限り、それらのクラスタリング相関関数から BAOスケールを測定することができる。このとき、天体の位置の観測量である天球上での位置 (角度)と赤方偏移と約 150Mpcの BAOスケールを結びつけることで、宇宙論距離 (ハッブル膨張則、角径距離)を測定することができる。これが BAOスケールが標準物差しとなる所以である。

SDSSサーベイなどのこれまでの BAO銀河サーベイは z < 1の宇宙膨張則に強い制限を与えている。今後の BAOサーベイが目標とするのは、減速膨張に転じる z > 1の宇宙の膨張則を制限す

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SDSS QSO 3D BAO

SDSS QSO-HSC 2D BAO (7500 sq. degs.)

図 3 SDSS 分光 QSO と HSC 撮像銀河の相互相関の BAO 実験 [15] による角径距離の決定精度 (±1σ)。ここでは HSC SSPサーベイ (HSC-W, 1500 deg2)と HSC-UW(6000 deg2) を合わせた 7500 deg2 の領域を仮定している。z = 3 の高赤方偏移に渡り、各赤方偏移ビンで約10%の相対誤差で角径距離が制限できる。各赤方偏移ビンでグレーのエラーは、SDSS QSOの自己相関を使った場合の精度。実線、破線はそれぞれダークエネルギー状態方程式パラメータを wDE = −1から wDE = −2/3あるいは-1.5 に変更させたときの角径距離の変化を示す。

ることであり、実際これが Euclidの分光サーベイのゴールになっている。しかしながら、z > 1の宇宙ではトレーサーである銀河はより暗くなるため、大口径の望遠鏡あるいは高感度の分光器が必要になり、観測的には非常に高価なプロジェクトになる。そこで有効になるのが、最近 Nishizawa et al.[15] で提案された分光 QSO と撮像銀河の相互相関関数を用いる方法である。QSO は十分に明るい天体であるため、2.5m SDSS 望遠鏡であっても、0 <∼ z <∼ 3 の広い範囲にわたり均一な分光 QSOサンプル (単位赤方偏移あたりの数密度が∼ 100 deg−2 でほぼ一定)が構築できている。しかし、QSOは稀で数密度が小さいため、QSOの自己相関関数の測定ではポアッソンノイズ統計誤差の影響を大きく受け、BAO 測定に適さない。HSC 撮像銀河の数密度は二桁以上多いので、SDSS QSO と HSC 撮像銀河の相互相関はこのポアッソンノイズの限界を解決することができ、 BAO実験を可能にする。このとき、分光 QSOの赤方偏移を用い、それぞれの QSO-銀河のペアについて投影距離、R = DA(zQSO)∆θ、の関数として相互相関 w(R) を測定することが重要である (図 2)。広い赤方偏移ビン幅にある分光 QSOサンプルを用いたとしても、R-相互相関の方法は BAOスケールを保持することができる。一方、通常よく用いられている θ-相互相関 (w(θ)) の場合、つまり天球上で同じ離散角 θ の QSO-銀河ペアだけを足し合わせる方法では、QSOの赤方偏移範囲ビンが広いときには様々な物理的距離を混合してしまい、相互相関上で BAOスケールを弱めてしまう。BAO実験には十分に大きなサーベイ体積が必要であるが、北天のほぼ全領域をカバーする HSC-UWのデータはこの QSO-銀河相互相関 BAO実験に理想的なデータである。ただし、この相互相関法では赤方偏移方向の情報は投影されるために角径距離のみが制限できることを注意しておく。図 3は、SDSS QSOと HSC銀河の相互相関の BAO実験で期待される角径距離の決定精度を示している。z ' 3の高赤偏移に渡り、各赤方偏移ビンで角径距離を約 10%の相対精度で決定できる。このように、新たな分光サーベイをすることなしに、HSC-UWサーベイは BAO測定も可能

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吸収線系 静止系波長 [nm] 吸収線系の赤方偏移Lyman-α 121.6 2.1 <∼ z <∼ 7.2

SiIV 140 1.7 <∼ z < 6.1

CIV 155 1.5 <∼ z <∼ 5.5

FeII 260 0.5 <∼ z <∼ 2.8

MgII 280 0.36 <∼ z <∼ 2.6

表 3 QSO吸収線系の静止系波長、可視光帯分光器 (380 ≤ λ ≤ 1000nm)の QSOスペクトルから同定され得る吸収線系の赤方偏移。

にする。

2.3.2 QSO吸収線系-HSC銀河相互相関で探る銀河間ガス雲の探求次に SDSSと HSC銀河の相互相関で可能になるサイエンスとして、SDSSの QSO吸収線系を用いる方法を議論する。QSOのスペクトルから、QSOの手前に存在する銀河間空間に存在するガス雲、例えば Lyman-α雲、MgIIや CIVなどの金属量を含むガス雲、を同定し、均一な吸収線系カタログを構築することができる [14]。このとき各々の吸収線系の赤方偏移は同定されている (図2参照)。これらガス雲の起源としては、これから銀河を形成するガス雲という先天的シナリオ、あるいはすでに形成された銀河からの銀河風などで吹き飛ばされたという後天的シナリオが考えれているが、まだ十分には理解されていない (例えば [8])。逆に、これらガス雲の物理状態、その起源、銀河との関係を観測的に調べることで、銀河形成シナリオを制限することが可能になると言える。しかしながら、銀河間ガス雲は星を伴わない (あるいは星集団に付随するとしても非常に暗い)

ため、直接観測は極めて難しく、QSOの吸収線系自体からの研究が大部分であり、銀河との関係は明らかになっていない。この問題を調べる新たな方法になるのが、図 2に示されるように SDSS

QSO吸収線系と HSC-銀河の相互相関を調べる方法である。構造形成シナリオでは銀河もガス雲もダークマターハロー内に形成されると考えられるので、銀河と吸収線系の相互相関を調べることで、ガス雲と銀河およびガス雲とダークハローの関係を観測的に明らかにすることができる。表 3

に示すように、可視光 SDSS で構築された吸収線系カタログの赤方偏移は高赤方偏移 1 < z < 7

に渡り、まさに銀河形成 (星形成)の激動期におけるガス雲を調べることができる。しかし、QSO

吸収線系と銀河の相互相関を調べるには、広視野に渡り z > 1の銀河を大量に含む銀河サーベイが必要となる。この意味で、SDSSの銀河サンプルは十分でなく (浅すぎる)、HSC銀河サーベイによって始めて開拓が可能になる新しい研究分野である。この方法においても、吸収線系の赤方偏移の利用により、HSC銀河の photo-z の系統誤差の不定性は影響しない (図 2参照)。図 4は、CFHT銀河サーベイデータ (約 200平方度)の銀河カタログを用い、SDSS QSO MgII

吸収線系と撮像銀河の相互相関の測定の初期結果 [11]、また HSC-UWサーベイで期待される結果を示している。CFHT カタログを用いた初期成果からは、銀河からの距離として約 80kpc以内にしかMgIIガス雲が存在しないことを示している。銀河スケールのダークハローではダークマターは 100kpcを超えて分布していることが分かっており、この結果はMgIIガス雲がダークハロー内でより銀河に近い領域、あるいはダークハローのより中心領域に分布していることを示唆し、銀河風などで形成された後天的シナリオを示唆している可能性がある。ただ約 200平方度の CFHT

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図 4 左図: Stripe 82 領域データ (約 200 平方度) の CFHT 撮像銀河の赤方偏移分布 (ただし photo-z による赤方偏移の推定)と SDSSデータのMgII吸収線系の赤方偏移分布。CFHT

データは十分でないが、十分に深い撮像データを用いることにより、QSO吸収線系の赤方偏移とオーバーラップする撮像銀河を用いることができる。右図: SDSS MgII吸収線と撮像銀河の相互相関。青データ点は、CFHTの Stripe 82領域のデータを使ったときに得られた初期結果[11] を示す。約 1Mpc/h 以内のインパクトパラメータの場合に、CFHT 銀河まわりに有意にMgII吸収線系が多いことを示している。緑データ点は、HSC UWで期待される相互相関。

データでは統計が十分ではなく、また QSO吸収線系の赤方偏移とのオーバーラップをもつには深さが十分とは言えず、HSCサーベイの測定が決定的になることは間違いない。また、HSCの多色データを用いることにより、銀河の性質 (星質量、星形成の兆候、環境など)の関数として、吸収線系と銀河の相互相関関数を調べることで、Lyman-α、MgII、CIVなどの異なるガス雲が銀河周りにどのように分布しているかを探るのは非常に面白いだろう。さらに、狭帯域フィルターのサーベイによる Lyman-α銀河サンプルを用いれば、z ∼ 5まで研究を発展させることも可能になるかもしれない。z ' 1–3の銀河とガス雲の研究は、将来計画 SPICA、TMTがターゲットとする銀河研究と密に関係しており、様々なシナジーが考えられる。

2.4 銀河形成

Euclid は、15, 000 deg2 のメインサーベイに加えて、2 つの黄極付近の合計 40 deg2 を深く(Y, J,H = 26 mag AB) 撮像するディープサーベイも行なう (Euclid Deep Fields: EDFs)。計画中のものを含め近赤外のディープサーベイは数多く存在するが、1 deg2 を優に超える広域サーベイの中で EDFs は群を抜いて深い。Euclid Definition Study Report (Red Book) にも述べられているように、この EDFs のデータから数百個の明るい 6.3 < z < 8.5 銀河が見つかると予想される。これらの明るい銀河は詳細な追観測に最適である。北黄極のフィールド (EDF North) はハワイから観測できるので、すばるや TMT で追観測することもできる。Euclid データだけからも、光度関数、空間分布、星形成率をはじめとした銀河の基本的性質が分かるほか、宇宙再電離過程の

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研究も行なえる。宇宙再電離は z ∼ 10 から z ∼ 6 の間に起きたと考えられており、Euclid がターゲットとする赤方偏移はちょうどこの期間に含まれる。なお、EDF North は、AKARI, Herschel,

Spitzer, BLAST のデータがあるほか、LOFAR 21 cm の観測も予定されている。SPICA の深探査領域の候補でもあり、将来性が高い天域である。可能なら HSC で EDF North 20 deg2 をしかるべき深さで観測しておきたい (HSC SSP では観測されない)。複数の広帯域バンドと狭帯域バンドを使うとすれば 20-30 夜程度の夜数になる。HSC データで Lyα より短波長側を押さえることができるので、前景銀河の混入率の低いクリーンな銀河サンプルにできる。HSC データで見つかる z < 7 銀河についても、Euclid Y JH を加えることで幅広い波長範囲で SED を調べることができる (z < 2 については星質量の推定も可能)。いずれにしても、6.3 < z < 8.5 という銀河形成と宇宙論の双方にとって重要な時期の明るい銀河のサンプルを手にすることができるのは、大きなメリットである。

2.5 高赤方偏移 QSO

太陽の 106 倍以上の質量を持つ超巨大ブラックホールに物質が降着する際に解放される重力 (位置)エネルギーを放射に変換して輝いている天体を、AGN(Active Galactic Nucleus; 活動銀河中心核)と呼ぶ。光度の大きな AGNは QSOと呼ばれるが、QSOは遠方にあっても明るくて研究しやすいことから、以下のような多くの科学研究に用いられる。

1. 高分散で高 S/Nのスペクトルを取得できるため、赤方偏移した Lyα 輝線より短波長側の信号を調べることにより、初期宇宙の銀河間空間の物理状態、中性度に関して、観測的に強い制限を加えることができる [12]。

2. エディントン光度よりも明るく輝けないという標準的な仮定を採用するならば、より高赤方偏移に、より明るい QSOが存在すれば、宇宙のより初期に、より大質量の超巨大ブラックホールを作り出さなければならなくなり、宇宙初期の超巨大ブラックホール形成理論により強い制限を加えることができる。赤方偏移 25付近で種族 IIIの星の超新星爆発の残骸として、200太陽質量程度の種となるブラックホールが生まれ、それがエディントン降着でずっと質量成長し続けた場合に、最も早く大質量の超巨大ブラックホールを作り出すことができるが、赤方偏移 6.5 付近で 109 太陽質量に到達できるものの、赤方偏移 7 以上では無理である (図 5)。従って、赤方偏移 7より遠方の宇宙に、109 太陽質量を超える超巨大ブラックホールが一般に数多く存在することが観測的に明らかになれば、超巨大ブラックホールの起源について、大きなインパクトを与えることができる。

3. QSO は密度揺らぎの大きな場所で形成されると考えられており、高赤方偏移宇宙に QSO

が見つかれば、その周囲に宇宙初期の原始銀河団を探す指標として使える。4. 光度が小さめに至るまでの QSOを見つけ、その数密度を求めることにより、宇宙のイオン化光子に対して、星生成と超巨大ブラックホールへの質量降着が、互いにどのように寄与しているかを、定量的に見積もることができる。

5. QSOは静止波長の紫外線に強い金属の輝線を示すため、赤方偏移 4を超える天体でも、観測の容易な可視光線から近赤外線にかけての分光観測で、金属量を導出することができる。それにより、金属を作る基となった宇宙初期の星生成の歴史に対して、重要な制限を加える

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図 5 標準的なシナリオによる、宇宙初期の超巨大ブラックホールの質量成長の様子。降着によって失うエネルギー Mc2 の 10%が放射に変換される (ε=0.1)という標準的な仮定を用いた。赤方偏移 z = 25 でできたMseed = 200M の種ブラックホールが、エディントン降着で質量成長をずっと続けた場合でも、赤方偏移 7を超える宇宙で 109 太陽質量 (図中の青の横線)の超巨大ブラックホールを作り出すことができないことがわかる。

ことができる。一方、星生成銀河の場合は、静止波長で紫外線の金属の輝線が弱いため、金属量を測定するには、静止波長で可視光線の輝線を用いなければならず、赤方偏移 3.5を超える宇宙での金属量の測定は極めて困難である。 

高赤方偏移 QSOは基本的に、水素の Lyα輝線 (静止波長=0.1215µm)より短波長側の信号が、QSO手前の銀河間空間の中性水素ガスによる吸収のために非常に弱くなるという性質を用いて見つけられるため、Lyα 輝線より長い側をカバーする探査が必要である。より高赤方偏移 QSO では、Lyα輝線がより長波長側にシフトするため、それを見つけるには、より長い波長で、充分な深さと広さの探査をしなければならない。日本は、すばる望遠鏡 HSCを用いた、波長約 1µm付近の y バンドを最も長い波長とする深くて広いサーベイ観測により、赤方偏移 7 付近の QSO を数多く (1000平方度で 30個程度)見つけ、上記のテーマに対して重要な成果を近未来に出すことが期待されている。Euclidは、より波長の長い近赤外線の Jバンド (波長 1.15–1.37µm)、Hバンド(1.37–2.00µm)を用いて、充分な深さ (24AB等級)で、充分な広さ (15000平方度)のサーベイを行う計画であり、赤方偏移 8、9の QSOが数 10個受かると見積もられる。すばる HSCを用いた研究を基に、北天の天体に関しては、すばる望遠鏡や TMT望遠鏡を用いた追観測から、本研究分野において、日本が後世に残る重要な成果を出すことが期待される。 

2.6 天の川銀河

Euclidによる Y JH バンドの広域サーベイでは、銀河面から離れた銀緯の高い空の領域を観測するので、赤外線の波長域では格好のターゲットとなり得る星間吸収の影響を受けた天体の探査、

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特に未同定の散開星団や球状星団を検出することが残念ながらできない。そこで、Euclidに関係した天の川銀河のサイエンスでは、必然的に銀河系ハローの領域にある天体がターゲットとなり得る。特に、これまでになく広いハローの空間領域を探査することを生かしたサイエンスが望まれる。たとえば、Euclidによる広域サーベイによって、明るい赤色巨星や漸近巨星分枝星をプローブとして新しい矮小銀河の発見などが期待され、以下に提案する HSC-UWサーベイの科学的意義のひとつと共通する。では、Euclidに合わせて HSC-UWサーベイ(griz 24-26 mag, 6000 sq. deg)が実現された場合、どのような天の川銀河サイエンスを推進できるだろうか。以下に 2つの提案を述べる。(1) 銀河系ミッシングサテライトの広域探査: 新しい ultra-faint dwarf galaxyと恒星ストリームの発見近年、SDSS などによる銀河系ハローの大規模サーベイによって、これまで見つからなかった非常に暗い矮小銀河(ultra-faint dwarf galaxies: UFDs)が銀河系の衛星銀河として多く存在することがわかってきた。また、これらの多くは 130 億歳前後と大変古く、さらに銀河系ハローにある金属量がかなり少ないフィールド星と同様の化学元素組成をしているので、宇宙初期における星形成史を知る上で大変重要な天体であることがわかってきた。ところが、SDSS の等級限界(r ∼ 22.2 mag)では、絶対等級が比較的明るくかつ距離が近い矮小銀河だけが発見され、図 6に示すようにもっと暗くて距離が遠い UFDsは検出できていない。実際、銀河系のダークハローは半径 300-400 kpc に渡って広がっていることが示唆されているので、まだ大きなハロー空間領域が未開拓な状況である。したがって、現時点ではいわゆる「ミッシングサテライト問題」と呼ばれる、CDMモデルが予言する数百以上に渡るサテライトが実際に存在するかどうかが不明である。特に、SDSSは遠くて暗い矮小銀河、さらに表面輝度が暗いものが検出できていないので、この問題に対する制限が全く不十分な状態にある。そこで、HSC-UWサーベイによってこれまでよりも深い領域を観測することにより、(モデル予言の不定性を含めても)約 40個前後もの新しい UFDs

が発見されると見積もられる。このような新しい UFDsの発見によって、(i) 銀河スケールにおける暗黒物質ハロー、特にサブハローの存在形態、(ii) 質量がもっとも小さいスケールにおける星形成過程と質量の大きな親銀河の形成過程との関連、に関して大変重要な知見が得られる。また、本サーベイによって、過去に銀河系に降着してきた矮小銀河や軌道運動している球状星団が起源で、銀河系の潮汐力によって破壊された残骸である恒星ストリームが多く発見されると期待される。このような恒星ストリームは、銀河系ハローの形成に関わる小銀河の合体史を調べることができると共に、球状星団起源の細いストリームの動力学解析に基づいて銀河系重力ポテンシャル分布の正確な決定 [2]を行うことが可能となる。(2) 銀河系ハローの広域 3次元マッピング: blue horizontal branch星の広域サーベイ前述のように、銀河系ハロー、特にその外側部分には小銀河の合体などによって銀河系がどのようにして形成されたか、どのような合体過程を経たのか、といった履歴が多く残っている。実際、ハロー形成の数値シミュレーションによると、ハロー領域には多くのサブストラクチャーが合体史を反映した形で存在していることが予想される。一方、SDSSなどによって探査された領域は、銀河系中心からせいぜい 40 kpc以内の限られたハロー部分にとどまっており、ハロー全体、特に外側のハローでサブストラクチャーが多く存在している広領域のマッピングが必要になる。このような目的では、出来るだけ明るい星でかつその距離決定が正確であり、さらに出来るだけハローに多く存在する星をトレーサーとして使うのがよい。そこで、最もふさわしいターゲットのひとつに

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図 6 様々な広域サーベイによる矮小銀河の検出限界。色のついた各点は、これまでの観測によって検出された矮小銀河の絶対等級と太陽からの距離。赤線(HSC-SSP)は提案中のすばる戦略枠プログラムにおける HSC wide-field survey (rlim = 26 mag)、青線(HSC-Euclid)は本文書の HSC-UW survey (rlim ∼ 25 mag)に対応した検出限界を示す。SDSSに比べて検出限界が格段に広がることがわかる。

青色水平分枝星(blue horizontal branch星: BHB星)がある。この星は g バンドの絶対等級が0.7magととても明るく、また色-等級図で水平分枝上にあって絶対等級の幅が狭いので距離決定が容易であるので、これまでもハローのトレーサーとして調べられてきた。SDSSでも探査が行われたが、前述のように r < 40 kpcに限定されていた。そこで、HSC-UWサーベイによって遠方にある多数の BHB 星を検出することにより、銀河系ハローの端まで(r < 400 kpc)見渡すことができるので、深くかつ広域なハローの 3次元マッピングを実現できる。この際、BHB星を抽出するには、griz の 4バンドの撮像を組み合わせることによって、同様の色を示す A型の星(blue

straggler星: BS星)や白色矮星、QSOなどから分離して BHB星を最大 80 %の高い確率で検出する方法が利用できる [21]。この方法では、z バンド付近のパッシェン系列にある吸収線の特徴が(星の表面重力の違いによって)BS星と BHB星で異なることを利用したものであり、通常用いられてきた uバンドを用いた方法に匹敵する BHB星検出率が得られると評価されている。これら2つの観測提案によって、天の川銀河の形成史に関する重要な手掛かりが得られると期待される。

3 まとめ本書で述べてきたように、HSC Utra-Wide (HSC-UW)サーベイのデータは様々なサイエンスを可能にし、特に宇宙論、系外銀河、近傍銀河について究極的な統計的研究を可能にするだろう。勿論、2014年からスタートが予定されている HSC SSPサーベイが統計的研究の第一段階であるが、HSC-UW は統計精度で HSC SSP を凌駕するサーベイになる。HSC UW サーベイを行い、

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2020年代のサーベイ天文学を牽引するだろう Euclid大型国際共同研究に参加することは、日本の光赤外天文学の国際化、学問的レベルの底上げに大きな貢献をすると考えられる。天文学的財産という観点からは、2020年代にスタートすると期待されている究極的な可視光占有サーベイ望遠鏡LSST(6.5m)がチリに建設されることが決まった以上、i ∼ 25 の深さで北天全領域をサーベイできる望遠鏡・装置は HSCの他にない。このため、HSC-UWが実現した際には北天領域の可視光多色データについては、SDSSデータに置き換わるレガシー的データになることは間違いない。例えば、今後益々天文データはデータベース化され、各天域で様々な他波長データが登録されることが予想できるが、HSC-UWデータが北天領域の基礎データになり、半永久的に使われると期待される。また、北天領域には 2000年代に構築された SDSS 撮像・分光データがあり、HSC-UWを組み合わせることで、様々なサイエンスを行えるだけでなく、10 年のタイムスケールにわたる時間変動サイエンスも探求することができる。超広視野データは稀少天体の発見には最適なデータであり、また Euclid の近赤データと組み合わせることで、より高赤方偏移、より興味ある稀少天体のカタログの構築を可能にし、TMTでの追分光観測などの長期的ロードマップも考えられる。さらに、北天極の数 10平方度の領域については、HSCの広帯域、狭帯域の深いデータ、Euclid Deep

の近赤の深いデータがあり、SPICAサーベイの最適なターゲット領域になるであろう。このように HSC-UWのデータは、日本の将来計画である TMT、SPICA との様々なシナジーが考えられる。このように HSC-UWサーベイは、科学的価値は非常に高く、サイエンスの観点からは推進すべき計画と考える。

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