24
-25- A - HUH " . ' ' 人文研究大阪市立大学文学部 42 巻第 8 分冊 1990 l 1 レヴィ=ブリュールの『融即』に 関するノート 景観 の参与的理解 のため に 「人間の作った景観の多くの諸特徴は、それらの空間形態を、神話や呪術の 信仰に負っている。これらの諸特徴を理解するために、われわれは空間を知 覚する際の神話的 ・呪術的様式の意義を理解しなければならない。われわれ の関心は景観に対するこの様式の働きかけにあるけれども 、神話的、呪術的 k.¥義のもっとも豊富な証拠は、地表上に見出されるのではなく、むしろ物語、 儀礼、呪文のような、シンボリックな形態のなかに見出される 。われわれは この様式の適用の結果生ずる、地上の形態やパターンを探るに先立ち、これ らの表現形態に注意を向けなければならない」九 ポ観は人間活動の地表上へのあらわれであって、それは人間の思考と志向 の発露した結果である。景観は「自然、の体系ではなく、倫理の体系として研 究されなければならない J 九 すなわち景観のデザインのなかに賦与された、 ぷ昧や価値が解説されなければならない針 このためには人間の景観への関 わり方、環境世界への接触の仕方がまず考慮されねばならない。 1 神話や呪 術は個人が臼然の物体と極度に近接し、集中し、情緒の上で高揚した関係に あるとき、無意識のうちに生起し得る。レヴィ=プリュールの用語で、は、こ の状況は神秘的融即を創り出し、われわれの用語では、融即および一般には 神話と呪術の前論理的特徴であるように思われるところの、指示物と シンボ ルの混同と融合を引き起こす・・・ J4)O 本稿の目的は、フランスの哲学者 ・社会学者、リュシアン・レヴィ =プ リュール L1icierlLbFBrut111857 1939)6 ) が、その「未関心性J の研究に 際して用いた『融即J (participation) 概念川こついて考察することにある 。 (595)

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-25-

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人文 研究大阪市立大学文学部第 42巻第8分冊 1990年

l鮒1

レヴィ=ブリュールの『融即』に

関するノート

景観の参与的理解のために

山 野 正 彦

「人間の作った景観の多くの諸特徴は、それらの空間形態を、神話や呪術の

信仰に負っている。これらの諸特徴を理解するために、われわれは空間を知

覚する際の神話的 ・呪術的様式の意義を理解しなければならない。われわれ

の関心は景観に対するこの様式の働きかけにあるけれども、神話的、呪術的

k.¥義のもっとも豊富な証拠は、地表上に見出されるのではなく、むしろ物語、

儀礼、呪文のような、シンボリックな形態のなかに見出される。われわれは

この様式の適用の結果生ずる、地上の形態やパターンを探るに先立ち、これ

らの表現形態に注意を向けなければならない」九

ポ観は人間活動の地表上へのあらわれであって、それは人間の思考と志向

の発露した結果である。景観は「自然、の体系ではなく、倫理の体系として研

究されなければならないJ九 すなわち景観のデザインのなかに賦与された、

ぷ昧や価値が解説されなければならない針。 このためには人間の景観への関

わり方、環境世界への接触の仕方がまず考慮されねばならない。 1神話や呪

術は個人が臼然の物体と極度に近接し、集中し、情緒の上で高揚した関係に

あるとき、無意識のうちに生起し得る。 レヴィ =プリュールの用語で、は、こ

の状況は神秘的融即を創り出し、われわれの用語では、融即および一般には

神話と呪術の前論理的特徴であるように思われるところの、指示物と シンボ

ルの混同と融合を引き起こす ・・・ J4)O

本稿の目的は、フランスの哲学者 ・社会学者、リュシアン・レヴィ =プ

リュール L1icierlLbFBrut11〈1857・1939)6)が、その 「未関心性Jの研究に

際して用いた『融即J(participation)概念川こついて考察することにある。

(595)

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『融即Jとは、例えばある人間主体が同時にインコやコヨーテなど他の動物で

あったり、遠く離れた別な場所にある事物と融合したり、住んでいる場所と

合体したりする状態のことである。『融即』の支配する思考は、われわれの思

考の基礎にな っている、認知経験に基づく 思考と異な っているので、 『融即』

についての考察は、自ずと認知や思考の相対性をめくる議論に発展 してい

く。 レヴィ =フリュールのこ の面での再評価も本稿のねらいの一つである。

かれこそ、未開人のもつ感性的で、画像的な思考特性を早く に注目した人物

であ った。

ところで、筆者はさきに長観と主体の相互関係を考えるにあたって、相貌

的あるいは観相的 (physiognom ic)な見方の概略とその有する意義について

考察したことがあるη。今回はそれに引き続いて、 子どもの相貌的見方と類似

の特徴を示す、 未開人の思~儀式について弔-えてみたい。 未開 (primitive)

という表現は、劣等、野窓、低級などを連惣させ立、ずしも好ま しいま坂とは

石えないが、この実在を示す適吋なことばが他に見当らないので、とりあえ

ずは使用せざるを得ない九 しかし少な くともここでの 長関ということばの

E要な内包は、われわれにと っての異世界一一科学的 ・合照的思考様式とは

異な った思考機よか文配し、自然とのi燐按性が;設かだと思われる世界という

ことである。 レヴィ =ブ リュールの業給の;ら義は、後述のように 「思考瞭エ1

の相対性J、すなわち科学的 ・合.flft的思考とは巡った思考桜式の存在を初め

て認めた点にある。このことはかれの考えが、エルンスト ・カッシーラー「

『シンボル形式の釘・学』 に小された考えに少なからぬ刺激を与・えた事実9)カ怖

も知られる 。 木開思考か文句:]忠Jj・ と fl~ ド的に述っ たi随時の ものであるかどうかは疑問なしとしないか、レヴィ =ブリュールの考え円、 一般に誤解されず

いるような、劣等な木!;日思考の存在を際立たせようとする積煩のものでない

ことは明らかどある。

無文ヰ (prclit c ra tr)、 lìíJ ïrrf業化 (prcindus tria l )、 科学l'~fJij ,prrば icntific)

の文化をも った人々に対する同欧の識者の関心円、すえ iこ!!H-kxο泊代勺とと

もに現われた。この|長j心の別人,t、必ずしも列強t、悦代地支配という政倒

的 ・粁済的欲求のみに発するとはai寸・えたし、。ロジャー ・ホート?はいわゆる

「米IHJJの思考に対寸る|共l心明人心)淑(lて、fkO!1点をあげている。(1)こ

の,思考・パターン lが科学の発述とともに失われた辿践し")~I:絡を !I羽 lらかにしてれる。(2)このlUj利・学的な思巧シ《片ムけltJF究を通じて科学の性質につい

の!リ]1僚な丸解を1t1・ることが δきる l九 産業化社会(、 ¥.H n lf4! ';'とFi!判.l

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レヴィ =ブリュールの 『融即』に関する ノート ー 27-

づいた合理的思考の不毛性を感じ、想像力と驚異に充ちた思考を求めるロマ

ン主義者の憧れはこうした動きを推進したl九 ロマン主義者の 「未開」は西欧

の一つの理想、を映す鏡であったとも言える。

一般に、西欧世界の中核に居ながら 「他者」性を備えたユダヤ知識人は、

「他者」の社会や文化の考察のための、冷静な判断と視角を保持していたよう

に思われる。いま思いつくままに名前をあげてみても、 E.カッシーラ一、 H.

ヴェルナ一、 A.シュッツ、 K.コフカ、 E.シュトラウス、 E.デュルケーム、

M.モース、そしてs.フロイトら、人間科学の発達に貢献した鈴々たる顔ぶ

1lJlI れの学者リストができる。時代の上でも、思想の上でも、レヴィ =ブリュー

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ルはこれらの人々の源に位置している。同時代人のデュノレケームの思想が、

直線的にA.ラドクリフ=ブラウン、 c.レヴィ =ストロース12)と、社会構造

の普遍的モデ、ルを求める説へと継承されていったのとは対照的に、 レヴィ =

ブリュールの思、想、は多系的な発展を示した。しかしかれの思想、は、象徴人類

学や発達心理学をはじめ、その後の人間科学のいろいろな分野に、豊かな可

能性を与える種類のものであったにもかかわらず、一般には誤解され、無視

されてきた。

しかし最近の文化人類学では、未開思考の研究に、「未開」のもつ積極的

(positive)な側面の再評価一一現代文明の逆照射のための一ーという意義が

認められているように恩われる。劣等なものとしてではなく、異なった論理

を含むものとして、「未開」をとらえようというのである。別のシンボル表現

の体系をもっ世界で、は、われわれの世界を記述するために用いられる思考様

式や言語が有効でないことも、フィールドワークの積み重ねとともに、次第

に理解されるようになってきた。このような思考や認知の相対性についての

窓識は、レヴィ=ブリュールに始まり、後述するように、エヴァンスコプ

リッチヤードやロドニー ・ニーダムらイギリスの社会人類学者の一群によっ

て育まれてきた。この問題は、人類学や人文地理学におけるフィールドワー

クで用いられる参与観察 (participantobservation)聞の方法論に関連する

重要な問題である。

以下、本稿ではまず、レヴィ=ブリュールの未関心性研究の概略について

考察し、『融即Jとはどのような概念で、その解釈がかれの研究と思索の深ま

りとともにどのように変化していったのかについてみる。そして次に『融即』

を基本とするレヴィ=ブリュールの「未関心性」に関する考えが、かれの時

代から今日に至るまで、どのような批判と評価を受けたのか、そのあらまし

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lレヴィ =プリュールの『融関)j Iに関するノート ー29ー

は、品初lの¥'1物で提起された基本的見解が大幅に改められているよう

'る。後期のレヴィ=プリュールは、未関心性のうちの神秘的 ・呪術的

が民の踊聞を制服する傾向が著しくなってくる。

明が拭みられたのは、未関心性に!到する次の2つの 4

:1) 信仰は、われわれのそれとは異なって方向づけ

l'脇的心性を含んでいる。

成している2古都合遊説とその迎繋は、『融関]Jの法

勺て組制きれ、そして協関!の居間fillには一向頓

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明.

30

の集団では、独・物、魚、実りの登凶、四季の規則的な移り変わり、降雨の規

則正しさは一定の人による祭式の執行、あるいは特殊の神通力をもっ神聖ム

人絡の列席、あるいはその健康と関係づ.けられる ・. .

静的融即と動的融即の区}Jljは、融即関係の無限の革大とともに消援する

|らjにある。

「・・・ たとえば、各トーテム集団とそれに属する一定の地点、との問、すれ

わちこのトーテム集閉とコンパスの方位との聞に神都的融即が存在するn こ

の東西尚北は(また神秘的融即によって)色彩、風、神話的勤物と、そし一

後者はまた川、聖なる森等々ほとんど無数のものと連繋されている。一定の

-、.る

いは物体や現象の一体系として現われないで一一一人、事

物であり刻れである神秘的な作用と反作用の変わりやすい総体、集団がそ

に係同するように集団に係凶する総体として現われて'ー

ところで『融即』は、人、動物、植物、無tl:物などが等しく神秘的に

しあって一つの全体をなしている状態であるが、このときそのτ臥

ている諸事物が、 1~1然的な同一性をもっているわけではもちろんr

しゃl'脳的『凶!R(]~ に支配されるこの心性は、われわれの思考のr1-l 1(こム叫

tA‘ ;JJ' Ji'Joll!を避けるように強制されることはな'l、。むしろ未関心性はそ

煎|湖心で、あり、かれらの経験が、かれらの思布のなかに浸透して神秘的

に疑問を抱くことはない(経験の不必述性)SUo したが勺てそ

自l~;i命F-I!的でもない問。未m~人 lの制度、儀式、 心仰

PH主義留学と災・iiil:的科学とが先述した地中泌文化から生まれた

) 83) とは見なって)jli:IJづけられた、Iljij,i命Pl!的 ・~IJ総的j 心性ιt

「この心性は、表:伎の内特が特に考lむされると lきは神秘的と

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それは Iù.~↑17の働さによるものであるが、 この例告はおらかじ

って社会的に決定されているのである向、そしてl個人の社会'Y}l引1~IJJ 、 およびそれらと ト ーテムや叩Ull 止の『融JijlJについ

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-31 -レヴィ =プリュールの r融即jに関するノート

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じられなくなる程度にしたがって、集合表象は、われわれが正しく観念と呼

ぶところのものに接近し、すなわち知的な認知的要素がそこでますます場所

を占めるようになってくる。それははじめにそれ自身を包んでいた、感情的

運動的要紫を排除する傾向をとり 、それ自身を分化させてしまうJ'旬。しかし

ながらこの考察は不徹底で、全体としてみれ

思考の米!万J:様式と文明様式を異なったパターンとして対比させることにある

という見方は否めないであろう。

『未!万j心性』や 『未開人の魂』は最初の書物に見 lられる主張の補強とデー

の補充を f~l 的とするものとみてよい。著者はこれらのなかでさらに多くの

例jを示しながら、『融即』の浸透する未関心性I、 -<....: ~人の心性にみられる

「矛盾律」や flg]巣律Jの無視あるいは無関心という特性を示すことを繰り起

し述べる。 <11益法使いが鰐であるというとき、鰐と魔法使いは一つの

もご.つの別々の物体でもない。 しかし未関心性は同時に二つの言説 I(し

することができ lる。観察者はこの融関]の性質を感ずるが、それを j

z!?をもたない>,11,。

「米!万j人に専念、したレヴィ =ブリ ュールの最初の 3つの作品"

かなりの関心を目党めさ十 、節々の考えや、異議、解釈を|喚起した ド。

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「未 1) 1'J心性にLlL念、した jl~後の 3mtの??物で、 レヴィ = ブリュールはその恩訟を洗練させ、限定した」州。 さきに述べたように、未関心性の特留についザ

のレヅィ =プリュールの考えは、 『未Bl]心性における超自然と 1I当然、Jj;l~

次第に変わってくる。多くの批判を浴びた 「前論理的」思考に代..J._ ザ

UI:J人の受l':.l'I N ~) , ~IJ格的で 日 にはえな い力の働きが、 「組 11然の感情的カテコリーJ(c川egoriea ffccU ve d l.l SU rna t:u rc;l)の活動という 人tt ~で 九;}

そして未開人はこの口に比えな い、 組fl然的なものをどのように

し、感じと り、 それがかれらの行動にどのように関わっているかが間関に

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レヴィ =ブリュールの 『融即』に関する ノート - 33ー

た色調あるいは音色からなるであろう。そこでは抽象とは認知の問題ではな

く感じの問題である。この感情的でしかも抽象的という性質を表わすため

に、それらが「感情的カテゴリー」に由来するとい ってはどうか。ここでの

カテゴリーとはアリストテレス的あるいはカント的な意味としてではなく、

いわば精神における統一要素として受け取られねばならなし、。未開人は自に

見えないカや超自然の影響により、かれの情緒の波が強くその意識を浸し始

めると直ちにそれを気取り、すでに以前に何度か経験した情緒の状態へと対

象を投入するところの一般的な音色と色調を帯びてくる。未開人はそれを認

識するために何らの知的な努力を必要としない。なぜなら超自然の感情的カ

テゴリーが作用しはじめるから〉州。

未開人の抽象や概念化の作業は、知的な活動によるものではなく、感情レ

ベルにおいて生ずる。 r超自然の感情的カテゴリー」の活動は、感覚器官で

は感知され得ない神秘的な直接経験であり、 一種の感じである。未開人は超

自然的な力と絶えざる接触状態にあり、この力の働きを極度に恐れている。

この力は自には見えず、触れられることもできないが、話しかけられ、聴か

れることはあり、それは未開人にとって不安の予期であり、恐怖として定義

されるものである倒。 r超自然の感情的カテゴリー」 の活動によって、未開

人たちは集合表象によって伝統的に予定されたかたちで、身のまわりの世界

とのさまざまな『融即』状態にはいる。

『未開神話学』は未関心性と神話の関係、とくに 「超自然の感情的カテゴ

リー」のはたらきと神話の関わりを考察したものである。 r神話のおかげで

未開人は目に見えない超自然的な力をもっ世界、しかも現実であり、それど

ころか知覚できる経験の世界よりもさらに現実的である世界に親しみを抱い

ているJ46)。

最後の著書である『未開人の神秘的体験と象徴』は、「最初の著作 (1910)

に提出された課題の象徴論的読みかえともいうべきものであるf九 ここでは

『融即』がシンボリックな関係として解釈されようとする。 r超自然、の感情

的カテゴリーJの活動で結ぼれた事物聞の象徴的同体関係が探られる。

ところで 1930年代に入って、インテンシブな参与観察に基づいた人類学

者の報告の多くに接したレヴィ=ブリュールは、最初の著作で示した未開人

の思考が文明人の思考と質的に異なった前論理的なものだとする見解を再考

し始める。かれの考えの変化と揺れのあとは、最後の著書の書かれた年

(1938)の『手帳Jの中に明瞭に見出される。

(603)

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34

「村l俗的とがj論理的という 2つの特徴によって他から区別される未関Jじ

というものはない。われわれ自身の社会より未開人の間で、より著しくより

容易に観察され得る神秘的心性はあるが、しかしそれはすべての人間務掬の

なかに得在するものであるJ48JOの示反透という考えを

という考え方を採用ム

明人と同じ常識の論理

晩年のレヴィ =ブリュールは、未開人におけるφ

改め、 [1常的経験と神絡的経験の聞の融合 した配

る。日常生活の実際的 ・技術的側面では、未開ノ

に立っていることが明らかになったとして、未|関心

間的思考Jという術語は撤I凶される州。この見解の変璽にi

る。なぜならこの結娘、文明心性においても、逆に神秘的

とられる可能性が暗示されたからである。未聞人の思勺

の作用カ -しかし文明思ム

には見出し縦い思考の不安定さ、流動性が顕著である。日常生活の常識恩

は、異常な状況、心配や危機が生じた段階では、すぐさま神秘的思

する。すなわち、日常生活のレベルと神秘的Jj向づけが支配的なレベルと

そのi克界がlリli然と灰日IJされていない60。

ここでレヴィ=ブリュールは、文明人の理解するような窓際で未闘人の

験をとらえてはならないことに、注怠を喚起する5U。われわれのような、日町、

的|世界を1:0

) 然、的態度で認知してねられたデータを心に移して文字どム

ージをイ乍り tBすという必昧での経験を、米関心性に求めることはで』ム

い。かれらの経験には、終閥的なrl然、の経験と「趨臼然の感情的カテゴ 1・ー

の活動によ勺てもたらされる悩緒的 ・神秘的なトーンや色合が混ヤ E 一る。,i-ぃJ負えれば未ljijj忠々においては、感日によって旬lq

ポ訟と~II.総的 jJの拶特による Ilt界の附絡的なIl&じがおヨ

tEをなしている。かれのj没後 lの持作で r ,~11総的路M

C)・なわちこれである。 .~II緒的経験は fl然的経験とと

の行動に路併を政ぼす。 r刷、同JJは感じられ

インでは、同11t即の本質は逃げてしまう。ィ

のが『凶tUJ]Jの状態の1,1Jを浮遊してい

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レヴィ=プリュールの『融即』に関するノート ー 35-

者や祖先、トーテム動物、自に見えない力をもった存在などが同ーの時空に

併存している。

ところで「融即の法員IJJという最初の表現は、『融即Jが法則ではなく具体

的 ・個別的な種々の事実であること、すなわちいろいろな種類の『融即』が

各地に見られること、また『融即』の存在がもっとも明瞭に現われるのは、認

知ト友象の関係のうちでなく、上述のように超円然、や自に見えない力を感じ

る状態の下であるから(それは人間精神の一つの状態であるゆえ、論理とし

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て考察され得ない)、正当な表現ではなかったとして使われなくなった問。し

制| かし『融即jという事実そのものは、「神秘的」という術語とともに、未関心性

け の-品本的特徴として最後まで繰り返し追究された。『手帳』の大半は『融即』を

限| めぐる思索に貨やされていて、かれのこの考えに寄せる想いを示している。

く融即は最初に与えられるもので、多少ともはっきり表象されたこ者の聞

に舵立されるのではない。融即は本質的に感じで、先立つ概念、なしに現われ

る感情的要採が優越したもの。すなわち論理的あるいは物理的に起こりうる

状態と凶係はない (1938年 1月20l:J) >制。<融即は感じられる実在

(rcality)であって、精神活動の所産で、ある概念、ではない (7月28日)>問。

く融凶]には感官を通じて知覚されるものは何もない。疑いなくそれは感じら

れるけれども、においや色のように感覚のかたちで感じられるのではない

(8 JJ 21 F:I) > 166)0 <融即はなお私には未関心性に本質的な何か、そしておそ

りく人間精神にとっても論理的思考の規則立った原理に対する補完物であ

り、平衡のための錘であるように思われる (8月 29日)>5九<超自然、の感

情的カテゴリーは融即である。事実、超自然の感情的カテゴリーは、 1910年

における私の融即の理解の仕方と今日における仕方との聞の橋渡しとして役

L った。融関}を説明するためには、感情のレベルにとどまることが大切であ

る(9月2日)>刷。<神秘的経験あるいは神秘的世界のリアリティーについ

て躍るとき、わたしは習しとして、それらが米関心性によって認知されると

いうよりも、 l~ じられるという (12 )=1 5日) >69)。

ここでレヴィ=プリュールが執劫にこだわっているのは、『融即』が西洋の

蝋理論が基礎にしてきた、プラトン以来の経験や信仰の認知的な過程での

リアリティーのとらえかたで・はなく、本質的に感情的な(すなわち未開的〉

むリアリティーの理解過程の存在である。感性的で、画像的な米関の思考法

への限定・しがここに見出される。レヴィ=プリュールの『融即』は実証主義

荷としてのかれの未|関思考分析の道具であったと同時に、ロマン主義者とし

h.司、

(605)

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-36-

てのかれの、 失われた世界」探索の扉を開く鍵であったのだ。

IV

レウィ=ブリュールの所説に対しては、すでに『低級社会の心的機能』の

発表l直前から多くの批判と論争があった。未開人の 「前論理的 ・神接的思考Jというかれのぷ現は、米関人を西欧の文明人と異なった劣等な迷“信に支配さ

れる人々であるとする主張と誤解されやすかった。今日でも、一般にかれの

説は誤り多いものとしてほとんど顧みられていない。かれが生涯、野外調

をしない世triの人であったということも弱点とみなされやすい。

T!iくは文化相対主義を強く i唱えた、アメリカのフランツ ・ボアズやその学

風を継示するポール ・ラディンらが、レヴィ =ブリュール批判の急先鋒で

あった。かれらは向民族rl:1心(優越)の見方を厳しく排除し、す

以旅は、基本的に精神活動の能力や織式に2まがなく、どの人間も科学的合理

的な思考が可能であり、結論をiijすために基づく前提はそれぞれ違っている

かもしれないが、論即の過艇は同ーであるとして、 レヴィ =ブリュールの前

論fJH的思考〈日IJな論理Hに以づく思考の存在.の仮定)という考えに反対した。

ラディンは未聞人は未だ論限的な思考の段階には達していないと考えてい

た刷。 文化相対15義者たちは、さまざまの入額や民族を横一線に並べて、そ

の相対性を説いてはいたが、認ぅ~lや思考の相対性を合之 、 L3.の怠昧での

化の訳文化性について認織があったとは思えなし、。なぜなら横一線に宣伝んた

iq介、どうしても文明や産業発艇という尺度での苛酷な対照が人々の心の

でえ1:まれてくるGI)。かれらがレヴィ =プリュールの説を、 , ,.~ ¥、劣等性を

1:仮するものとして解したことは、認を返せばかれらがそのよウむ読みしか

できなかったことを J、L.ているようにJ31われる。

ーノj、同じアメリカの人制学在口、・ト ・ローウィーは、レヴィ=ブリュー

ル悦の川地点とし工、 31;-ljil思考という米ljHilt界全体をおおう一般的な心判

タイプを求めようとしたこと、すなわちかれが但!し3変異を無視したこと

“:た『日ItHIJ.Jの法HIJは、 米!日J人の精神にのみ特.tiなものではt

人1/¥Jに共通したりLj点 (foible)であるという点号をあげている。そして に1でむく 、人|jilt3lJl考一般における JI:合Pi! |的な投 :\!t)lモ倒的なお~をあらたて強;制したことが、かれの論愉のh¥.t+!であったとす Z36

フレデリカ ・ド守 ・ラグーナの哨文は、 レヅィ =ブリュール品の総点と L

て、いケいうけ やn制 <...ht ‘ lnds) の ~IHJ ,C寸 1:があるはずなのに、ぞ L ア :L.F ~

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-・・冒・._-・.".,・--

レヴィ=ブリュールの 『融即』に関するノート -37 -

=ブリュールも理論上これを認めているのに、実際には未関心性一般として

地球上のあちこちの地域から集め られた事例がーまとめされ、文明人の心性

と比較されていることを指摘している問。 primitivementalityではな く

primitive mentalitiesの理解が求め られるべきだというのである。

~t ~ しかし少数ではあるがレヴィ =ブ リュールの考えを批判的に発展させる動

引 きがあった。イギリスの社会人類学者エ ヴァンス=プ リッチヤードは、人類

学者は 「一つの文化を別の文化に翻訳する」側ことを自らの課題とすると述

べるように、各々の文化をその文化に内在する思考や言語をも って解釈する

という立場をとる。このエヴァンス =プ リッチヤードは、若いころからレ

ヴィ=ブリュールの未関心性の研究に関心を寄せていた。かれは 1934年に

「未関心性についてのレヴィ =ブリュールの理論」という論文を書き側、それ

も 1 をレヴィ ヱブリュールに送って批評を求めたことがあ った。エヴァンス =フ

ì~H ~ リッチヤードの批判の要点は、レヴィ =ブ リュールが自説の根拠にした資料

・\'~ i とかれの比較法の不十分さ、まただれが未開人で、だれが文明人であるかと

いうことの暖昧さ(たとえば西欧の人間も昔は蛮人であったし、職業の違い

なども考慮に入れられねばならないのではないか)、また未開人も技術的な

t

'[11 I 活動の面では、客観的 ・因果的な論理にしたがっている、さ らに客観的 ・因

μl 果的説明と神秘的説明は、並存し得る、ということであった。これに対して、

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レヴィ =ブリュールは返事の書簡を送り側、エヴァンス =プリッチヤードが

かれの説の内容をおおむね正しく理解し、とくに 「レヴィ =フリュールの前

論理的内容は、未開人が首尾一貫した思考ができないとか文明人に比べて知

的に劣っているということを意味してはいない」と述べた点を、論文のなか

でもっとも自分を喜ばせた点であると謝意を表している6九 そしてエヴァン

ス=プリッチヤードのかれへの批判に対し、逐一誠実なコメントを与えてい

る。その内容は大体われわれがさきにみた、レヴィ =ブリ ュールの後期の考

えのラインに基づいている。

ここでエヴァンス=プリッチヤードはレヴィ =ブリュールの未開人の神秘

的思考に関する主要な論点は次の 2つの命題のなかに含まれ、自分としては

これを受け入れることができるとしていた附(レヴィ =ブ リュールもこれに

賛成したいと述べた)0(1)現象への注目は感情的選択により、この選択的関

心は社会により現象に与えられた価値によ って、大いに支配され、これらの

価値は思考と行動のパターン〈集合表象)に表現される。(2)思考と行動のパ

ターンが未開人と教育を受けたヨーロッパ人の間で広く異なっているゆえ

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(607)

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レヴィ =プリュールの『融即』に関するノート -39 -

験という語で示されるものの内容に大きな相違があることを指摘する。ニー

ダムにこのことを気づかせたのは、 上述のレヴィ=ブリュールの晩年の考え

であった。 iレヴィ=ブリュールは未開思、考においては、信仰と経験の間の

境界線が変化し移ろいやすく、消えることす らあると書いた。 ・・・ またか

れは未開人は信仰と経験の区別に無関心で、はないが、しかし、われわれに

とって疑いなく信仰であるところのものが、未開人によ ってどのように経験

だと考えられるのかという困難な問題が残ると主張したJ7九「われわれは信

仰の概念がすべての言語のなかで、表現されてはいないと結論するに足りる理

由を見つけだした。 ・・・ レヴィ =ブ リュールはその上、われわれがそれに

対して信仰の対照的なはたらきの輪郭を描くと ころの経験の表象が、もはや

一般的なものであるかどうかを疑わねばならない理由を示してしまったf九

このようにニーダムは、レヴィ =ブリュールは 「比較認識論 (comparative

epistemology)に道を開いた先駆者J78) として評価しているO

さてエヴァンス =プリッチヤードの亡 くなった 1973年、 一冊の論文集が

かれに捧げられた明。 この論文集の中心に置かれた命題は、 「西欧社会と非西

欧社会の(あるいは伝統的社会と現代社会の、前科学的に方向づけられた社

会と科学的に方向づけられた社会、文字のある社会と無文字社会などのよう

な)あいだに思考様式の基本的相違が存在するかJ80) ということであり、エ

ヴァンス=プリッチヤードから刺激を受けた社会人類学、哲学、 言語学者ら

による 12編の論文が収められている。はしがきで編者は、レヴィ =フ

リュールらのころと違って、最近ではこの問題を考えるための信頼できる

データが蓄えられてきた、いまや学際的な幅広い考察が試みられるべきだと

語っている8九

編者の一人ホ一トンは、この論文集に 「レヴィ=ブ リュール、デュルケー

ムと科学革命J82)という興味深い論説を寄せている。ホ一トンはまず、未関心

性に関するレヴィ=ブリュール説の解釈の鍵は、かれが未開思考が理性では

なく感情の果たす役割に顕著なものがあるとした点にあるとする。現代思考

はこれと反対に自然、的態度、客観的、帰納的、論理的態度によっており、世

界を知覚による表象とみなす点で、 霊的・感情的な作用の活動が支配する未

開思考と異なっている邸}。 現代思考も神秘的な認識をもたないわけではな

く、また未開人もいわゆる常識を欠いているわけではないが、レヴィ =フ

リュールは究極に常識の思考を科学の思考と一緒にまとめて、神秘的な思考

とラデイカルに対比させた制)。 レヴィ =ブ リュールは未開と現代の思考は正

(609)

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-40一

反対のものであり、前者から後者への運動はパターンの置き換えであると

えているが、一方デュルケームはこの両者を前者から後者への発展殴陪とし

て促えていた。両者には2つの思考様式を対比 ・転化 (contrast/:i:nversion

とみるか、述続 ・進化 (continuity/evolution)とみるかという見方の

がはっきり現れている向。 ホ一トンはこのあと対比 ・転化説を限る学者の

えが、西欧文化に対するペシミズムに担ざすもので、かれらは、 リベラ

ロマンギ極的な考えをもって、非

を求めていたことを指摘する邸込 「シュールレアリスト b

世界と超現実慨界に分割jする一方で、レヴィ =プリュ-)

然、と超臼然に分割する。 iiij者が恋!~:を有する

としてこのホートンの論文は、レヴィ =プリュールの時代に

t識の仏・がりつつある現代の学問の状況を明らかにして

求めるロマン主義的立.'闘の問題点を指摘しようとしたものと

さきの論文集を合めて 1970年代にはこの

.,T ,j_ ¥,,,""'¥ぐって、かなりの3jg;命があった腿込C.ll.ホ-)ω

.fth~J8{!) は、未l;ij思考と文明思考の制巡の滋1~1 として 、 ピ?ご

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の以翌日によって、 Aミ !;ij思考・を人間精神品 ~ ";\.l. ~ -,.、口Ll'U'L , _晶l・自由 _" -..ー ー

とはみたものである。かれはレヴィ =ブリーー

lジ品派の rüiH般的: 1的 (~) .I・C-Ol)CnrtofV) J聖断 lに代えて院駅されれ

よ帥}。またレヅィ = ブリュールのいう f融関]J は、 fJ黙の同州・唱 a t.~_ ..1 、

から 、 決して論JlUの似11刊に、A・ I~,,_" t _

ー句・1量量- 也 、1 ・.~ - 引,~.,....-旦宣司__.F司、 _-. ..... '"司., unu"" _._.、, 町一ー語 、""、ー 司司 事" tlllJT, 1-':、ー司、.'、コ巴司

とレヅィ ロブリュー )1,の『融関]J版企、が、1'-1.ヴ旦 ,n,十一‘コ

さらに lfアジ ι など、 i発~心1~1!'下にゆなか 117... j¥ ~ Illt 11減FLN1照応円五ずい JL_ -...

は、人度目学-J?にはあまり知られていない

ささにも触れたように、 子どもの11tP4は主存Jtとう?化心材述長 .一一日“ •

Jillでは未UH人のIU:'I,J.tと~l似しているが、 |吋ベ

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レヴィ =ブリュールの 『融即Jに関するノート - 41 -

~ I ~ 子どもの知覚の発達を分化としてとらえる考えを感じとり、また成人の世界

の相互に関連した要素の全体性についてのかれの観念を発達させた問。 また

ヴェルナーは未開人の思考の特徴として、物の概念的把握と、具体的描写が

分かちがたく融合していること側、さらに物の知覚のなかに運動的・情動的

川 ! 要素が浸透していることを挙げている判。そして未開思考が「神秘的」である

とするレヴィ =プリュールの用語法は適切でない。未開思考は自然的現象と

呪術的現象が未分化の思考であり、これは未開人にとっては自然的な思考な

のであるとする。 I自然事象と超自然事象とが完全に分離し、呪術が文化全

体に浸透することのなくなった高度文明においてはじめて、特殊に神秘的と

いう経験が登場してくるのであるJ96)。

ー,

エヴァンス =プリッチヤード、ニーダム、ホ一トンらの見解を受けて、リ

トゥルトンは「認知の相対性Jという観点で、レヴィ =ブリュールの思想、は

再評価される必要があると述べる。 I認知の相対性とは、われわれが世界に

t~ lr ついての記述にふり向ける論理は、普遍的なものではなく、むしろわれわれ

の!直接の技術環境の状、況と、われわれの特殊な言語学的 ・イ デオロギー的遺

産の関数であり、ど、の一つの論理も必ずしも何か他の論理より優れているわ

けではないという考えである」側。 リトゥルトンは象徴人類学、構造人類学、

認知人類学などの思想との関連で、レヴィ =ブリュールがもう一度読み返さ

れなければならないという。

最後に、レヴィ =ブリュールと現象学との関連についてごくわづかだけ触

れてみたい。E.フッサールがレヴィ =ブリュールの思考の相対性と個別性

に強い関心をもっていたらしいことは、すでにM.メルロ =ポンティによ っ

て制介されている9九 フッサールは 『未開神話学Jを読んだのち、異文化との

接触ということがらに関心をかきたてられ、レヴィ =ブリュールに宛てた手

紙 (1935.3.11)のなかで、次のように述べた。

「社会性という生きた伝統のなかに閉じこも って生きている人間性のうち

に共感しつつ入りこみ、それをその統一ある社会生活のなかで理解しようと

することは、高度に重要な、しかも成就可能な仕事であり、偉大な仕事でも

あります。この統一ある社会生活こそ、 当の人間性が世界をもっ際の基盤と

なるものだからです。もっとも世界といっても、それは<世界の表象>のこ

とではなく、 くかれらにとって現実に存在する世界>のことなのですがJ98)。

フッ サー Jレのこの発言は、現象学の、他者の実在を経験するということへ

の欲求を示したものだが、人類学や地理学の参与観察の意義と位置を示すも

(611)

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-42ー

のとして興味深し、。フッサールは、レヴィ=ブリュールが、未開人の生活世

界の諸事実を生気づけ、組織化し、そのコンテクストの中にとらわれている

人たちが体験するような姿で、米関人の環境を蘇らせて、人類学と現象学の

橋渡しをしたという点に、その功績を認めているのである。レヴィ=プ

リュールはドイツの 19.t世紀ロマン主義哲学に詳しかったし、あるいは、直

媛にフッサールの現象学がかれの 「認知の相対性Ji集合表象による他者との

概念、の共通性Jのアイデアに影響を及ぼしているのかもしれない問。『手帳」

のなかのリアリティーをめぐる記述の中には、現象学的な見方へのかなりの

接近が見られるように思われる。しかしレヴィ=ブリュールの書いたものの

なかに、フッサールからの引用は見出せない。

V

最終的に今日の目から見て、レヴィ =ブリュールは未開人の心性のカテゴ

リーではなく、(ヨーロッパ人から見た)i他者」のカテゴリーについての研

究へのよむを聞いたと評価され得.るように思われる。そしてまた一方で『融即』

という主本米分の悩絡を伴った思考の可能性についての検討材料を示してく

れたように忠われる。この後者は今日では、発述心開学的検討が試みられて

いるものであ lる。さらにホ一トンが示唆するように、未聞人の開界に没入し

たかれのロマン主義的感覚も、 「感性の党醍」を求める今日の人間科学の研究

の問題点を考えるうえで、材料を提供してくれる。かれは〈ヨーロッパ人に

とっての)Iうたわれた世界」から何かをくみとろうとしたのである。

術者は本総の考察の結巣として、われわれが再び利1秘的・呪術的な精神i世界へ戻って趨1:1然の感情的カテゴリーの活動に身を委ねることを求めるので

はなし、。ただ科学的・合耳目的な思考の適用し得るi吐界がわれわれのよ1:活1廿 |聞

の全域ではないこと、それ以外のfiIIi{ttfIや怠味の世界では別な思考が科学的思、

写の補完として探j刊される必裂があることを指摘したい附』。われわれは、 1'.

ヘーエルシ品トラントの「等)j↑liiqii;1」も、|司際空港のトランジットル-,b

のような「無文化qliij」も、低地シンハラ人の必誕退治の「儀礼常|品j

そして I~.I身の住む íi'M j t~ ~~ 11H Jも、(また憎むのであれば、「彼j;!のqlHjlも、)

問機に体験したい和引をもっている。ローカルな1:1;.活fH:~1!にと|ミきる憾なった

人々がそれぞれCIらの文イじゃネ:-1:会の示すH自主閥的な;様式(象徴体系)にしル

がって身の上わりのぷ慨を比たり感じたりするのであるならば かれらが地

!こに Jfht鈍する tt~u~0) .fl:l ~lやぷIb~ も当然!.i~なるであろうのそして 'Jl1なった午前・

612)

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可頑

レヴィ=ブリュールの 『融即Jに関する ノー ト -43一

世界の調査を進め、われわれにと っての異世界の景観や文化を理解しようと

する人文学者の採用する方法もまた参与的にならざるを得ない。

未開社会の儀礼や神話の多くは、人間と自然、の関係が、 「技術的Jであるよ

りは、「参与的」であるという感覚を包含している。そしてここでは主体と客

体の聞の距離が少ないだけに、環境世界の全体が活力をもって、主体ととも

に振動するかのような状況を呈する。われわれがもし「自然に対する謙譲や

畏怖」をこれからのモットーとして掲げるのならば、われわれはときとして

常識と神秘の世界を往来しなければならないのかもしれない。これが広い怠

味での学問 (Wissenschaften)の限界を拡張することになるのかどうかは、

この思考パターンの洗練化 (sophistication) にかかっているように思われ

る。

「レヴィ=ブリュ ールは人間性と思考のバランスが完全な人間であった。

すなわち人間性において思慮深く、思考の面で人間的であったJ101)0

1 ) Sack, R., Conceptions 01 space in social thought, London & Basingstoke,

1980. p. 144.

2) Evans=Pritchard, E.,‘Social anthropology: past and present', 1950. エヴ ァ

ンス=プリッチヤード、フアース他著、吉田禎吾訳『人類学入門J、弘文堂、 1970、

p.30.

3) 山野正彦 「村落の文化地理J、大島 ・浮田 ・佐々木編著『文化地理学』所収、古今

書院、 1989、pp.298-300.

4) Sack, R., i bid. p.146.

5) レヴィ=ブリューノレの伝記ならびに業績を要領よくまとめたものに、

Cazeneuve,1. (Eng. trans. Riviらre,P.〉,LdtJY=Bγuhl,Paris, 1963, (Oxford, 1972)

がある。この本は、伝記、著作目録、業績の解説、および原著の抜書から成る。また

内藤莞爾『レヴィ=ブリューノレJ、有斐閣、 1959、も小冊子ながら参考になる。

6) i分有Ji分与Ji参加」などとも訳される。

7) 山野正彦「観相学的視角について」、人文研究 35-10、1983、同 「子どもの空間

知覚一一スリランカと日本の調査事例」、岩田慶治編著『子ども文化の原像J所収、

日本放送出版協会、 1985、同「相貌的思考に向かつてJ、季刊 iichiko,11, 1989.

8) i未開」概念、をめぐっては、川田順造「なぜ未開概念、を問題にするか」、川田順造

編 Wi未開」概念、の再検討』所収、リプロポート、 1989、を参照のこと。

(613)

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レヴィ=プリュールの『融即』に関するノート -45 -

26) How natives think, p. 76. , r未聞社会の思惟』上、p.94.

27) ibid. pp. 76 -77.同書、 p.95.

28) ibid. p. 77.問書、 p.95.

29) ibid. pp. 77 -78.同書、 p.96.

30) ibid. pp. 98-99.同書、 pp.122-123.

31) (impermeabilite de l'expらrience),ibid. pp. 63・64.同書、 pp.78-79.

32) ibid. p. 78.同書、 p.97.

33) ibid. p. 29.同書、 p.35.

34) ibid. p. 78.同書、 p.96-97.

35) ibid. pp. 75 -76.同書、 p.93.

36) ibid. pp. 90-91.同書、 p.113.

37) ibid. p.120.同書、 p.149.

38) 子どもの実在把握に際しての‘participation' については、 Piaget,J. (trans.

Tomlinson, J. & A. ), The child's conception 01 the ωorld. London, 1973. p. 149以

下を参照。なおここからピアジェがレヴィ=ブリューノレの刺激を受けていることが

判明する。たとえば.p. 157.

39) How natives think. pp. 361-386. W未開社会の思惟J下、pp.167 -199.

40) ibid. p.375.同書、p.185.

41) Primitive mentality, p.55

42) Cazeneuve. J., ibid. p. 11.

43) ibid. pp. 11-12.

44) Primitives and the supematural, p. 32.

45) ibid. p. 35.

46) W原始神話学Jlp. 98.

47) 関一敏 「レヴィ =ブリ ュール一一未聞と文明」、綾部恒雄編著 『文化人類学群像

[l]Jl所収、アカデミア出版会、 1985. p.73.

48) The notebooks on primitive mentality. p. 101.

49) i bid. p. 37.

50) Horton, R., ibid. p. 257.

51) The notebooks on primitive mentality, p. 147.

52) ibid. p. 150.

53) ibid. pp. 60-61.

54) ibid. pp. 2 -5.

55) ibid. pp. 59-60.

56) ibid. p. 86 .

(615)

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116

57) ibid. p. 9

58) ibid. p. 106・

59) ibid. p. 150.

60) Littleton, C. S.. ibid. pp. xvi xvii. Goldst,ein. K...・Concεfsln

of "primitivi ty"'. in Dia:mond.

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1) 川悶順造、!日j俗説X、p

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2) Lo¥vie. R., lJistOl)' 01 cthnological ,thco,)'. NY. 193i. pp. 21 3)

' de Laguna, F.. 'Levy-sruhl's contributions to the stud

rncntality'. PhUosoρIzicol RCl'icu.-49. 1940. p.55~L p. 5

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Evans-Prilchard, E., .Social anl.hropolog}r: past and pr,esenf! 1晶,_

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7) ibid. p. 12

ibid.p.121

ibid. p. 1,21

70) Evans~Prit(~hnrd. E.. U'ilch

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71 ) Fritchard-15H ARift

72) Horl

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73) たとえば、マリノフスキーは rj.q.のトー ι ・・一

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70) i bid. p. 171

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レヴィ =プリュールの 『融即jに関する ノート -47 -

77) ibid. p. 175.

78) ibid. p. 176.

79) Horton, R. and Finnegan, R. (eds.), Modes 01 thought, London, 1973.

80) ibid. p. 11.

81) ibid. p. 11.

82) ibid. pp. 249 -305.

83) ibid. pp. 251-255.

84) i bid. pp. 256 -258.

85) ibid. pp. 268 -270.

86) ibid. pp. 292 -293.

87) ibid. p. 295.

88) 上掲のHorton,R. and Finnegan, R. (edsよModes01 thought, London, 1973.

のほか、 Man(n. s. )に掲載された次の論文がある。Cooper,D. E吋 'Alternative

logic in“primitive thought" " 10. 1975, pp. 238 -256., Hallpike, C. R.,‘Is there

a primitive mentalityγ, 11. 1976, pp. 253 -270., Salmon, M. H.,‘Do Azande

and Nuer use a non-standard logic?', 13. 1978, pp.444-454.

89) Hallpike, C. R., The loundations 01 primitive thought, Oxford, 1979.

90) ibid. p.50.

91) i bid. p.488.

92) Ash, M. G., 'The role of developmental concepts in the history of Gestalt

theory: the work of Kurt Koffka' , in Eckardt, G., Bringmann, W. G. and Sprung,

R. (eds.), Contバbutionsto a histo吟,01 developmental psychology, Berlin, 1985.およ

び、コフカ、平野直人、八田真穂訳 『発達心理学入門』、前回出版社、 1943.

93) Werner, H., Comparative psychology 01 mental development, NY. 1948. p. 267.

邦訳、鯨岡峻・浜田寿美男訳、 『発達心理学入門J、ミネルヴァ書房、 1976、p.266.

94) ibid. p. 337.同書、p.336.

95) ibid. pp. 351-352. 同書、 p.349.

96) Littleton, C. S., ibid. p. vi.

97) メルロ =ポンティ, M.,滝浦静雄、木田元訳 『眼と精神J、みすず書房、1966、pp.

86 - 88. 問、竹内芳郎他訳、 『シ ーニュ I ~、みすず書房、 1969. pp. 172-173.

98) メルロ =ポンティ,M.,滝浦静雄、木田元訳 『眼と精神』、p.86.

99) Li ttletonは、フッサールが 1925年 2月にソルボ ンヌで 2回の講演をしたと

き、レヴィ =プリュールがその聴衆のなかにいた可能性があると推測している。

Littleton, C. S., ibid. p. xvi.

100) Relph, E., ibid.

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