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デイヴィッド・ルイス『世界の複数性について』 解説 八木沢 敬 I. 形而上学者としてのルイス デイヴィッド・ルイスは、2001 年に 60 歳の若さで亡くなったアメリカ人哲学者であ る。今日の分析形而上学者たちのなかで、ルイスが 20 世紀後半から 21 世紀始めの形而 上学にもっとも大きい直接的影響を与えた数少ない哲学者のひとりである、ということ を疑う者はほとんどいない。本書は、真理に関する様相(必然性、可能性、現実性)の 概念を可能世界の枠組みを使って哲学的に分析するという、ライプニッツにまで遡り今 日多くの分析哲学者たちに支持されているプロジェクトを、独自の実在論的立場から遂 行しようとするルイスの有名な著書である。 形而上学者としてのルイスの力量は、ハーバード大学の大学院生時代に発表した論文 「同一説への議論」(Lewis 1966)ですでにあきらかである。脳神経生理学的状態と心 的状態の間の密接な関係をもっとも良く説明できるのは心身同一説だ、という「最良の 説明への推論」(inference to the best explanation)に基づくそれまでの議論とは打って変 わって、心的状態に関する「分析的機能主義」 (analytic functionalism)という画期的 な理論に基づいて心身同一説を擁護するこの論文は、心の哲学における古典のひとつと

I.vcoao0fk/ルイス解説.pdf1970a)でその問題に答えを出している。アンセルムスの存論的 論証(ontological argument)を論駁するなかで、現実世界の現実性について「指標理論」(indexical

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デイヴィッド・ルイス『世界の複数性について』

解説

八木沢 敬

I. 形而上学者としてのルイス

デイヴィッド・ルイスは、2001年に 60歳の若さで亡くなったアメリカ人哲学者であ

る。今日の分析形而上学者たちのなかで、ルイスが 20世紀後半から 21世紀始めの形而

上学にもっとも大きい直接的影響を与えた数少ない哲学者のひとりである、ということ

を疑う者はほとんどいない。本書は、真理に関する様相(必然性、可能性、現実性)の

概念を可能世界の枠組みを使って哲学的に分析するという、ライプニッツにまで遡り今

日多くの分析哲学者たちに支持されているプロジェクトを、独自の実在論的立場から遂

行しようとするルイスの有名な著書である。

形而上学者としてのルイスの力量は、ハーバード大学の大学院生時代に発表した論文

「同一説への議論」(Lewis 1966)ですでにあきらかである。脳神経生理学的状態と心

的状態の間の密接な関係をもっとも良く説明できるのは心身同一説だ、という「最良の

説明への推論」(inference to the best explanation)に基づくそれまでの議論とは打って変

わって、心的状態に関する「分析的機能主義」 (analytic functionalism)という画期的

な理論に基づいて心身同一説を擁護するこの論文は、心の哲学における古典のひとつと

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して今でも広く読まれている。その後ルイスは機能主義と物理主義の関係や理論的述語

の定義などについて掘り下げた論文をいくつか発表し、心の哲学・科学哲学の発展に大

きく貢献した。ハーバードでの博士論文は『規約―哲学的研究』という本(Convention:

A Philosophical Study, Harvard University Press, 1969)として出版された。ゲーム理論を応

用して社会的規約という概念を分析しようとするこの著作は、分析性や言語的意味とい

う概念に関する師の W. V. クワインの懐疑主義への答えの基盤となるもので、その後の

一連の論文でルイスはその答えの全貌を浮き彫りにする仕事をしている。

1970年代から 1980年代初期にかけてルイスの研究活動はさらに勢いを増し、その影

響力を考えると、プリンストン大学の同僚ソール・クリプキーと並ぶ分析哲学界の重鎮

の一人であったといっても過言ではない。クワインは、その独特の単刀直入な文体で哲

学問題を論理的に切り裁く哲学散文のスタイリストとして知られているが、ルイスは、

クワイン風の気取りを排除して地に足のついた、(分析哲学の専門家にとっては)読み

やすく簡潔明瞭かつ軽快で小気味良い語り口で知られている。

II. ルイスの様相理論の概要

『世界の複数性について』はルイスが 1984年の夏学期にオックスフォード大学で行

なったジョン・ロック講義に基づいて書き上げたものであり、哲学的思考がもっとも充

実しシステム構築型の傾向をもつ哲学者として熟成期を迎えつつあったルイスの仕事の

頂点をなす著作といっても過言ではないだろう。

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本書の中核となる対応者理論というルイス独自の理論は、すでに論文「対応者理論と

様相述語論理」(Lewis 1968)で発表されており、それ以来可能世界の枠組みを語るに

あたっては無視することのできない重要な理論である。また、可能世界の複数性を語る

際に欠かせないのは、数多くある可能世界のなかでどの世界が現実世界なのかという問

題に直面することであるが、ルイスは「アンセルムスと現実性」という論文(Lewis

1970a)でその問題に答えを出している。アンセルムスの存在論的論証(ontological

argument)を論駁するなかで、現実世界の現実性について「指標理論」(indexical

theory)と呼ばれる理論を提案しているのだ。現実性の指標理論は対応者理論と対にな

って、可能世界の複数性を主張するルイスの様相実在論の中核をなすものである。

ルイスが自身の様相形而上学をまとめた記述を最初に発表したのは、二番目の著書

Leiws (1973)においてである。「基礎」というタイトルの第 4章でルイスは様相実在論

を提示し、それを確立し擁護するための議論を試みる。12ページという短いこの章に

は、ルイス流様相実在論の核心がもれなく含まれているのみならず、哲学とはどういう

学問なのかについての彼の見解が簡潔に述べられている。それは彼がいかにして様相実

在論という一見突拍子もない理論に辿りつくに至ったかを知るために有益なので、ここ

に引用する。

人は哲学をする以前にすでに多くの意見を持っている。哲学の役目は、そういうす

でにある意見を大幅に弱めたり正当化したりすることではなく、そういう諸意見を拡

大し秩序立った体系を作るにはどうすれば良いかを探ることに尽きる。形而上学者は

心の分析をする際、心についてのわれわれの諸意見を体系化しようとしているのであ

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る。それが成功するか否かは、どれだけ体系的で、哲学以前にわれわれが固く抱いて

いる諸意見をどれだけ尊重するか、にかかっている。この二点に関して考えられる限

りもっとも優れた理論が、信用に値する理論なのだ。体系化と哲学に先立つ意見の尊

重を同時になし遂げるためには、ある程度の妥協はやむをえないが、それは大した問

題ではない。体系として美しい哲学理論であれば、広く受け入れられていて放棄しが

たい意見と見合っている限り信じるに値するので、広く受け入れられてはいるがそれ

ほど大切でない意見でその理論と相容れないものについては、立場を変えれば良いだ

けのことだ。(Lewis 1973: p. 88 引用は拙訳による)

ルイスによると、哲学が尊重すべき意見のなかには、テーブルや椅子が存在するとい

う素朴で極めて常識的な意見のみならず、そういうテーブルや椅子は現実とはちがった

ような位置関係にあったかもしれないという、これまた素朴で常識的な意見も含まれ

る。哲学以前にわれわれが持っているそういった様相に関する意見をうまく体系化でき

るのは様相実在論しかない、というのがルイスの立場なのである。ではルイスの擁護す

る様相実在論とはいったい何か。それはライプニッツが 18世紀初頭に提案した可能世

界の枠組みを、真剣に実在論的に解釈する態度から生まれた形而上学的理論である。ル

イスの様相実在論そのものを論じる前に、その可能世界の枠組みの理論的パワーを示す

例をまず見ることにしよう。それは、ほかならぬ反事実的条件文の真理条件を与える意

味論である。

ある特定のテーブルの前に、現実にひとつの椅子があるとしよう。その椅子が、テー

ブルの前にではなく上にあるということは可能である。テーブルの前に置いた人が、そ

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うする代わりにテーブルの上に置いたということは可能だからだ。これは可能性につい

ての常識的な意見だが、もう少し間接的でしかも哲学的に重要な、広く受け入れられて

いる意見がある。私以外誰もいない普通の部屋に普通の椅子が普通にあるとする。私は

その椅子から 3メートル離れて普通に立っており、特にその椅子に座ろうとはしていな

い。そして医学的に私に何ら異常はない。こういう状況について、次の文を考えよ。

(1)私がその椅子に座ろうと企てたとしたら、私はその椅子に座っていたはずだ。

設定された条件の下で(1)は真である。設定を誤解なく把握し、かつ(1)を正しく

理解すれば、ほとんどの人はこの判断に賛成するだろう。

(1)のような文は「反事実的条件文」と呼ばれ、その哲学的重要性は大きい。たと

えば 18世紀スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒュームが指摘したように、原因

の生起を否定する前件と結果の生起を否定する後件を持つ反事実的条件文の真理は、因

果関係の成立のための必要条件である。すなわち、もし出来事 Xが原因となって出来

事 Yが起きたとすれば、「Xが起きていなかったとしたら Yも起きていなかったはず

だ」という反事実的条件文は真である。因果関係は形而上学のみならず、認識論、科学

哲学、心の哲学、倫理学、その他哲学の諸分野において中心的な役割を担う概念なの

で、その分析は哲学全般にわたって非常に重要である。

反事実的条件文に関するルイスの意味論によると、(1)の真理条件は次の文で表現

される。

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(2)私がその椅子に座ろうとしたが座らなかった任意の可能世界wについて、wよ

りも現実世界に近い可能世界で、私がその椅子に座ろうとして座った世界があ

る。

一般に、「PだとしたらQであるはずだ」という反事実的条件文の真理条件は、「Pが

真でQが偽であるような任意の可能世界wについて、wよりも現実世界に近い可能世界

で、PとQがともに真であるような世界がある」というメタ言語の文で与えられる。

可能世界の枠組みがその真価を発揮するもうひとつの例は、論理学の基礎概念の分析

である。学問として論理学を学ぶ以前の段階で私たちが普通当たり前に「六郎は学生で

あり七子は計理士である」から「七子は計理士である」が論理的に帰結すると言うとき

の、「論理的に帰結する」という概念は通常次のように定義される。

(3)Pから Qが論理的に帰結するのは、Pが真で Qが偽であることが不可能なとき

そしてそのときに限る。

ここでいう「不可能」とはいかなる可能世界でも成立しないということなので、論理的

帰結は可能世界の枠組みを使って次のように分析されるのである。

(4)Pから Qが論理的に帰結するのは、Pが真で Qが偽であるような可能世界がな

いときそしてそのときに限る。

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これらの二つの例で明らかなように、可能世界の枠組みは哲学的に非常に有用であ

る。ではその枠組み自体は、いったいいかなる形而上学的基盤の上に成り立っているの

か。この問いに答えるべく様相実在論が登場するのである。

III. ルイスの様相実在論

可能世界を何らかの実体として認める理論はすべて、広い意味での様相実在論と言え

る。たとえば、極大無矛盾な(maximally consistent)命題の集合として可能世界を定義

するロバート・ M・ アダムズの理論は、命題や集合を実体として認める限り、広い意

味で様相実在論と言える。だがそれは狭い意味での様相実在論ではない。ルイスの理論

は狭い意味での様相実在論であり、広い意味での様相実在論とは二つの点で袂を分か

つ。ひとつは、非現実世界は現実に存在しないと主張すること。もうひとつは、可能世

界は抽象的対象(abstract object)ではなく具体的対象(concrete object)であると主張す

ることだ。

第一の主張は当たり前に聞こえる主張だが、広い意味での様相実在論者で「現実主

義」(actualism)という立場を取る様相形而上学者(たとえばアダムズ)にとっては偽

である。現実主義によるとすべての実体は現実に存在するので、哲学理論に使われる実

体もすべて現実に存在する。ということは、様相形而上学における哲学理論で使われる

可能世界も、それが実体である限り現実に存在する。では現実世界と現実でない単なる

可能世界の違いは何か。ここでもまたアダムズの理論を例に取ろう。アダムズによる

と、現実世界もそうでない可能世界もともに極大無矛盾な命題の集合であることにかわ

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りはないが、前者は要素として含まれている命題がすべて真である一方、後者はそうで

はない。これが現実世界と非現実世界のあいだの決定的な違いである。このように(ア

ダムズ流の)現実主義者は、命題の真理という概念によって現実世界を他のすべての可

能世界から区別する。そして、そうするために命題の真偽を、究極的には可能世界に相

対的ではないものとして扱う。それに対してルイスは、命題の真偽は究極的に可能世界

に相対的であるとする。

また、現実主義者が命題の無矛盾性という様相概念をそのまま仮定しているのに対

し、ルイスはすべての様相概念は可能世界とその部分という概念によって取って代わら

れるべきだ、という立場をとる。命題集合の無矛盾性とはその集合の全要素が真である

ことの可能性にほかならないので、現実主義者は可能性を含む様相概念の還元的あるい

は消去的分析を目的にしてはいない。それとは対照的にルイスは Lewis (1968)で、様相

概念の還元的分析を意図して、様相に関する文を対応者理論の文に翻訳する手引きを提

案した。たとえばクワインが「アリストテレス流本質主義」(Aristotelian essentialism)

と呼んだテーゼを必然性についての言語で表現すると、「ある個体xとある性質 Fに

ついて、『もしxが存在すればxは Fをもつ』ということは必然的である」となる

が、対応者理論の言語で表現すれば、「ある個体xとある性質 Fについて、xが対応

者をもつ可能世界ではどこでも、xの対応者は Fをもつ」となる(本質については以

下でも触れる)。

しかし 1986年に出版された本書(原書)ではルイスは、前者の後者への還元ではな

く後者による前者の消去を提唱する(クワイン流の本質主義の定義を表現のレベルでは

維持し存在論のレベルでは対応者理論によって真理条件を与えるのが還元、クワイン流

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の定義をそもそも認めず、対応者理論の言語で置き換えるのが消去である)。その理由

のひとつは、Lewis (1968)で提案された翻訳によって還元すると、現実に存在する何ら

かの個体が何らかの可能世界で対応者を欠いたとしても「現実に存在するものはすべて

必然的に存在する」という文が真になるか、あるいは、現実に存在する個体がすべてど

の可能世界でも対応者を持つのでない限り「現実に存在するもので、自分自身と同一で

ないことが可能であるようなものがある」という文が真になるかのどちらかになってし

まうから、ということである。還元を放棄すれば、この問題は即座に解消する。また、

対応者理論の言語で簡単に表現できる命題で、「必然的に」や「可能的に」や「現実

に」という文のオペレーター(sentential operator)のみに頼った述語論理では容易に表

現できないもの(たとえば、本書第 1.2節において言及される比較に様相が絡む事例)

もあるので、必然性や可能性についての言語は素通りして、可能世界とそこでの存在者

そしてそれら存在者どうしのあいだの対応者関係についての言語を使って様相に関する

話題を個々に扱えば良い、とするのである。

また、ルイス自身は強調しないが、様相の言語を可能世界理論の言語で置き換えるこ

とで、外延性の維持というもう一つの利点が得られる。しかし残念ながらスペースの関

係で、それをここで論じることはできない。

次に、可能世界は具体的対象であるという第二の主張を説明しよう。ルイスによると

可能世界は、命題や集合といった抽象的対象ではなく物理的な実体である。もう少し正

確に言うと、個々の可能世界は、時空的関係によって統合された実体の極大和である。

(さらに厳密には一般化して、何らかの自然的関係(natural relation)によって統合さ

れた実体の極大和であるとルイスは言うが、彼の議論はほぼすべて、時空的関係という

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特定の自然的関係を念頭におくだけで理解可能なので、ルイス哲学の解説者はそうする

のが普通になっている。ここでも、それに従う。)たとえば、私と私が使っているコン

ピューターは 50センチメートルという距離を置いて現在同時に存在する、すなわち、

何らかの時空的関係にある。よって、同じ可能世界に存在する。可能世界に存在すると

いうことは、その可能世界の時空的部分であるということにほかならないということ

だ。すべての可能者(単 possibile/複 possibilia)はそれぞれ何らかの可能世界の部分で

あるので、個体の存在という重要な形而上学的概念を時空的部分という日常的で分かり

やすい概念で置き換えることができるというのが、ルイスの様相実在論の魅力のひとつ

だといえる。

ルイスの可能世界の概念からただちに帰結するのは、異なった可能世界どうしのあい

だにはいかなる時空的関係も成立しないということである。つまり、二つの異なった可

能世界に共通の時空軸によって定義される場はない。そういう場は、そもそも意味をな

さない。可能世界が存在する場は物理的な時空によって定義されるのではなく、もろも

ろの相容れない物理的な時空を包容する超物理的(文字通り「メタ・フィジカル」な)

場なのである。ルイスはこれを「論理空間」と呼ぶ。私、私のコンピューター、あな

た、あなたの部屋、ジュリアス・シーザー、ローマ帝国、私たちが住んでいる地球、銀

河系、アンドロメダ星雲、等々といった可能者はすべてひとつの可能世界の部分として

その可能世界内に存在し、その可能世界はそのような可能者の時空的全体として論理空

間に存在する。その論理空間には他の可能世界が数多く存在して、そのおのおのが時空

的全体である。

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現実主義によると、現実世界は真理という概念によって選ばれる形而上学的、特に存

在論的に唯一特別な世界だが、ルイスによるとそうではない。現実世界はいかなる形而

上学的な意味でも、非現実世界より特権的な位置を占めているわけではない。真理とい

う概念に照らし合わせても何ら特別ではない。多々ある可能世界のひとつに過ぎない。

もちろん、ルイスは現実世界と非現実世界のあいだの区別を否定するのではない。とす

れば、その区別はいったいどういう区別なのか。形而上学的な区別でないならば、どの

ような区別なのか。

意味論的な区別、特に指標的意味論(indexical semantics)的な区別だ、というのがル

イスの答えである。端的に言えば、現実世界と非現実世界の区別は、今という時点と今

以外の時点の区別、あるいはここという場所とここ以外の場所の区別と緊密に類似する

区別である。今とはどの時点かと聞かれたら、「今」という語が発せられている時点だ

と答えるのが正しい。こことはどの場所かと聞かれたら、「ここ」という語が発せられ

ている場所だと答えるのが正しい。同様に、現実世界はどの可能世界かと聞かれたら、

「現実」という語が発せられている可能世界だと答えるのが正しい。たまたまある特定

の語が発せられているからといって、その発話の時点、場所、可能世界が形而上学的に

特別だということには全くならない。

私があるときある場所で「今ここで雨が降っている」と言えば、私のその発話がなさ

れる時点と場所で雨が降っているということが、私が言い表す命題の真理条件である。

あなたが別のときまたは別の場所で全く同じ文「今ここで雨が降っている」を使えば、

あなたのその発話がなされる時点と場所で雨が降っているということが、あなたが言い

表す命題の真理条件であり、これは私がそれを発話した場合とは別の真理条件である。

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同じ文でも発話の文脈(context of utterance)がちがえば異なる命題を言い表すことがで

きる。発話の文脈が命題表現に関わる指標(単 index/複 indices)を決定するからであ

る。時点、場所、可能世界の他に、発話者、聞き手なども指標として扱われる。「私」

や「あなた」という語の指示が発話の文脈によって変るのは、ごく当たり前に知られて

いることだ。私が「私」という語を発して私を指示できるからといって、私が形而上学

的に特別な個体であるということにはならない。

このように指標的意味論は、指示決定や命題表現という意味論的メカニズムをもって

形而上学的特殊性への言及を無用にする、という効果を持つ。私たちにとっての現実世

界は私たちが「現実世界」と呼ぶこの可能世界であり、別の可能世界に住む人間にとっ

ての現実世界は彼らが「現実世界」という名詞句(あるいは「現実世界」という名詞句

の彼らの言語への翻訳)で指示する可能世界である。ルイスによると、すべての可能者

は唯一の何らかの物理的全体の部分であるので、任意の可能者にとっての現実世界はそ

の可能者が部分である物理的全体である世界のことだ、ということになる。

あなたには少なくともひとつ本質的性質があるとしよう。たとえば生物であるという

性質がそうだとする(もしこの例が受け入れ難いならば、受け入れやすい別の例を取れ

ばよい)。その性質があなたにとって本質的だということは、任意の可能世界wについ

て、あなたはwに存在しないかあるいは生物であるかどちらかだ、ということではな

い。なぜなら、ルイスによればあなたは現実世界以外の可能世界には存在しないので、

もし現実世界であなたが Fである限り、任意の可能世界wについて、あなたはwに存

在しないか Fであるかどちらかであるため、あなたが現実にもつすべての性質が本質

的性質とみなされてしまうからである。生物であるという性質があなたにとって本質的

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だということは、任意の可能世界wについて、wにあなたの対応者がいないかあるいは

wでのあなたの対応者が生物であるかどちらかだ、ということなのである。

可能性についても同様のことが言える。あなたが現実にもつ職業とは別の職業につい

ていたかもしれないというのは、あなたがその別の職業をもつということは現実には真

でないが可能的には真だということである。可能世界の枠組みを使って言えば、あなた

は現実世界ではその職業をもっているわけではないが、あなたがその職業をもっている

可能世界がある、ということである。ここでルイスは、あなたがその職業を可能世界w

でもっているということを、あなたにはwにその職業をもっているような対応者がいる

ということだと分析する。あなた自身がwに存在しなくても、あなたに関して「wでそ

の職業をもっている」ということが真となりうるわけである。

ルイスによると一般に、任意の個体xと任意の性質 Fについて、可能世界wでxが F

をもつということは、xの対応者がwに存在してその対応者が F をもつということな

のである。これに対してよく言われる反論がある。それは、xの対応者yが Fをもっ

ていたとしても、それはyについての述定であってxについての述定ではないという反

論である。ヒューバート・ハンフリーが 1968年のアメリカ合衆国大統領選挙でリチャ

ード・ニクソンに勝った、ということは現実ではないが可能ではある。可能世界の枠組

みにおいては、このことは、ある可能世界にハンフリーとニクソンが存在し前者が後者

に勝ったとして分析されるべきだ、というのがその反論である。

これは、貫世界的述定を世界内述定と区別して扱うルイスの理論を正しく把握してい

ないがゆえに持ち出される反論である。ルイスによると、ある特定の可能世界w1に存

在するxについて、xはw1 で Fをもっていると言うときに言い表されている命題の真

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理条件は、xそのものが Fをもつということである一方、xは別の可能世界w2で Fを

もっていると言うときに言い表されている命題の真理条件は、xそのものがw2で Fを

もつということではなく、xの対応者がw2に存在してその対応者が Fをもつというこ

となのである。つまり、xは自分自身が存在しない可能世界では自分の対応者に肩代わ

りしてもらっているというのが、そもそもルイスの理論の中核をなしているのだ。

発表当時は「唖然たる眼差し」(incredulous stare)で迎えられるのが常だったという

有名な伝説があるルイスの様相実在論だが、その理論に賛同しなくても、それを擁護す

るルイスの議論から学ぶところは大きいということを認める分析哲学者が圧倒的に多い

という事実が、本書の重要性を確実に裏づけている。無数の可能世界が存在する論理空

間をディヴィッド・ルイスという無類の案内人に導かれて散策・探索するのは、分析哲

学の旅、分析形而上学の旅のなかでも、もっとも刺激的で得るところが多い知的旅行で

ある。その面白さ豊かさを身にしみて感じ取りながら最後のページまで楽しくたどり着

くことができた読者が数多くいることを願う。1

1 佐金武、小山虎、海田大輔、山口尚の四氏から、訳語や言葉使いについて的確で行き届いたコメントを

頂いた。大いに感謝する。もちろん、残存する誤りや至らない表現をふくめこの解説の文責はすべて私

にあることは言うまでもない。