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スポーツを通じた心の回復 ~途上国の子どもへの回復の可能性~ 20427013 国際学部・国際学科 牧田ゼミ 菊川 詩保乃

~途上国の子どもへの回復の可能性~...プレイセラピー(遊戯療法) 第3章 スポーツから見る心の回復への可能性と問題点 ・・・・・・・・・・11

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スポーツを通じた心の回復 ~途上国の子どもへの回復の可能性~

20427013 国際学部・国際学科

牧田ゼミ 菊川 詩保乃

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目次

はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第1章 スポーツによる国際協力 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

第1節 スポーツの可能性 1. スポーツの要素 2. スポーツの持つ力

第2節 スポーツによる国際協力の現状 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 1. 青年海外協力隊 2. 紛争予防 3. 学校体育向上に向けて 第2章 心の回復を目的としたスポーツの利用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

第1節 ストレスの対処法としてのスポーツ 1. スポーツ心理学 2. スポーツセラピー 不安、抑うつ気分の低減効果 第2節 スポーツを用いての心の回復を目指す ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 1. 小田原特別少年院 2. プレイセラピー(遊戯療法) 第3章 スポーツから見る心の回復への可能性と問題点 ・・・・・・・・・・11 第1節 戸塚ヨットスクールから見る、スポーツの可能性と問題点 1. 概要 2. ケーススタディー 3. 可能性と問題点 第2節 途上国におけるスポーツの可能性と問題点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・13 1. ボスニア・ヘルツェゴビナの青少年教育活動 2. 可能性と問題点 おわりに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 参考文献・参考 HP ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19

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はじめに 先進国ではスポーツは今や大衆化されており、学校教育ではもちろん、プロスポーツ、

スポーツ大会、スポーツジムなどから、障害者スポーツや、犯罪者の更正のためにもスポ

ーツが重要視されている。また、「する」だけではなく、「見る」ことも大きな存在となって

いる。しかし、発展途上国特に、貧困層ではほとんどスポーツの重要性が確立されていな

いのが現状である。筆者が、2006 年夏、カンボジア NGO 研修に行った際も、そこにはス

ポーツという習慣は見受けられなかった。学校教育の場では体育の授業はほとんど行われ

ず、何と言っても、設備も道具も十分な状態ではなく、すぐに始めることは難しい状態で

あった。 筆者は、高校、大学と運動部に所属し、スポーツと関わる時間が長かった。スポーツを

通して、ストレス発散になったり、達成感や集中力などを養うこともできたと思う。辛い

ときやケガをしてしまうこともあるが、自分自身と向き合うこと、チームメイトとの関係

を築くことにも繋がり、体を動かすことで得られることはとても大きいと感じている。ま

た、「病は気から」というように、体と心は密接に関係している。気分の良し悪しで、体が

だるくなったり、元気になったりと影響を及ぼす。 発展途上国のさまざまな問題に対して、識字教育、職業訓練、保護、貧困、医療などの

支援は行っているが、体を動かすことでの回復という形の支援が目立たないことに疑問を

持ったのが本論文のきっかけである。ストリート・チルドレン、孤児、児童虐待、人身売買

や子ども兵など、心に傷を負った子どもたちや、紛争時や紛争直後の恐怖や不安な状態か

らの身体的・精神的回復に、スポーツは有効であり、不安心理の穴を埋めるために役立ち、

平和を維持するためにも重要ではないだろうか。よって、健全な心身の発達のためのスポ

ーツと、ケガや病気予防のための保健教育などは、より安全に健康な生活を送るためには

欠かすことができないと筆者は考えている。 スポーツ開発は、選手育成や道具支援などのスポーツそのものを目標とするものと、ス

ポーツ・イベントに関係させたエイズ教育や紛争予防などのスポーツを開発目的の手段と

して使うものがある。スポーツは、言葉の壁なくプレーでき、万国共通である。心理的、

身体的に健康を改善する潜在的な力を持っている。 また、スポーツというと、私たちは、球技、陸上、水泳などの型にはまったものを考え

がちであるが、ここでは、競争や肉体的鍛錬に加え、遊戯的要素も含んで「スポーツ」を考

えて、その可能性を考察していく。本論文を通して、スポーツは、心身にどのような影響

を与えるのか、先進国ではどのように行われているか、また、発展途上国ではどんな可能

性が考えられるか研究したい。

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第1章 スポーツによる国際協力 本章では、まず、スポーツはどのような要素を持ち、私たち人間へどのような影響を与

えるのかを探る。それとともに現在、国際協力の場でスポーツを通じて実施されている支

援の活動例をいくつか取り上げ、その現状について考察していく。 第1節 スポーツの可能性 1.スポーツの要素

B・ジレは、スポーツの本質的な要素として、「遊戯性」「闘争性」「はげしい肉体活動」の

3 つを挙げている[日下 1999:132]。 まず第 1 に、スポーツは遊びの要素をもつ。遊びとは、その楽しさが人を夢中にさせる

自由な活動である。それは、日常とは異なった独自のルールを持ち、参加者だけが共有す

る一種のフィクションの世界である。また、それは個性的な自己表現の場でもある[日下 1999:132]。 第 2 に、スポーツは競争の要素をもつ。競争とは、自己と相手が一定の目標に向かって、

その能力の優位をめぐり展開する並行的な努力である。また、競争の目的は闘争とは異な

り、それは、特定の能力の卓越性を誇示することであり、スポーツの仲間は遊戯共同体で

ある。よって、相手は、尊重しなければならない[日下 1999:132]。 第 3 に、スポーツは全身的な運動の要素をもつ。自己実現や達成感を得るために、ある

一定の全身運動をとことん行うということである。よって、その過程においての、打ち込

み度や苦しさなどが、勝利と敗北に大きく関わってくる[日下 1999:132]。 このように、スポーツといっても、一概に単純化はできず、さまざまな側面を持ってい

ることが伺える。また、それは、それぞれの場面によっても変化するのである。

2.スポーツの持つ力 現代では、スポーツは多くの人々に親しまれるようになったが、そこには十人十色の、

スポーツに参加する意味が存在するであろう。 ・ 生理的な機能改善を目的とし、苦痛を伴わない活動を経験することを主としている。い

わゆる自己満足で行うことができる。 ・ 自分の仕事や家庭生活において否定されている、負の感情(ストレス)の発散の場とし

て求めることができる。 ・ 上記 2 つの感情を求める気がないにしても、活動を通じて余暇時間のために没頭できる、

趣味や気分転換(リフレッシュ)になる暇つぶしとして行うことができる。 ・ スポーツそのものが与えるもの以外に、スポーツがもたらす人付き合いや社会的活動を

求めることである。また、その反対として、スポーツが孤独を約束し、都会の喧騒から

逃れることができ、自分の活動に没頭できる。 ・ 「スポーツをする」ということ自体が、自己充足的な 1 つの目標となることである。そ

れは、一つの目標に向かって結果を出すために技術面をみがくといった、自己実現につ

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ながり、アイデンティティーが確立できる[中村 1983:参考資料 xxii]。 このように、スポーツには、身体的・精神的・社会的な側面において、人間に影響を与え

ることが出来るのである。また、スポーツは万国共通であり、年齢、性別、国境、言葉を

越えることも可能である。オリンピックやワールドカップなどを見て分かるように、スポ

ーツを通して世界がつながっているように体感できる。 第2節 スポーツによる国際協力の現状 前述のように、近年、スポーツの可能性がより注目されるようになってきている。国際

協力の場においても、スポーツという分野が確立されてきている。 ここで、スポーツと開発の関係についての分類を述べる。スポーツと開発の関係は、大

きく分けて「スポーツ開発(Development of Sports)」と「スポーツを通じた開発(DTS: Development through Sports)」に分類することができる。

「スポーツ開発」とは、スポーツの発展を主として考える活動のことで、具体的には健

康(疾病予防、健全な発育など)、青少年育成(組織化支援、結束力の向上など)、非行防

止(ドラック防止、エネルギーの放出)、経済発展(スポーツ産業、マネージメント)など

の目的を持った活動が含まれる。「スポーツを通じた開発」とは、アドボカシー(貧困撲滅、

環境維持など)、文化活動(民族スポーツ、民族格技の保持など)、教育(体育・学校スポ

ーツなど)、権利擁護(子どもの権利、女性と開発など)、その他(紛争予防、平和的和解

など)を目的とする活動のことである[mixiHP 2008,1.10]。 以下では、後者の「スポーツを通じた開発」での国際協力について、いくつかの実例を

挙げていく。

1.青年海外協力隊 まず、青年海外協力隊であるが、協力分野は農林水産、加工、保守操作、土木建築、保

健衛生、教育文化、スポーツの 7 部門、約 140 種と多岐にわたっている。その 1 つとして、

スポーツ部門は 1979 年以降に独立した分野で位置づけられている[JICA HP 2006, 10.10]。 青年海外協力隊では、スポーツの分野は、スポーツの技術や知識を伝授するだけではな

く、その国民に夢と希望と活力を与えることを目的としてきた。また、経済や物質の援助・

協力ではなし得ない効果をもたらすものとして、年間 200 人近い隊員を発展途上国に派遣

している[松浪 1991:.1-4]。 その活動の 1 つとして、パプアニューギニアの事例を取り上げる。パプアニューギニア

は 500 から 700 のメラネシア系の部族が共存する国である。そこで、スポーツが彼らをひ

とつにまとめる手段として利用されている。そのため、団体競技が主として行われている。

しかし、ルールの知識欠如、審判員の未熟な審判技術が原因で抗争が起きている。そこで、

全国民にその知識を理解させ、抗争を生むのではなく、正しい交流をさせることを目的と

して隊員が派遣されている。学校教育の場において、体育教育は十分とはいえない。協力

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隊員は、スポーツの意義や健康管理、体力養成などについて、またスポーツマン精神に基

づく正義感の重要性の認識を目指し、学校教育への定着と徹底のために活動している[松浪 1991:17-20]。 たとえば、ソフトボールを教えた隊員の例を挙げる。彼女は、国内におけるソフトボー

ル全般の指導に当たり、大学や高校での指導と各地で定期的に講習会を開き、技術、ルー

ル、審判方法、スコアブック記入方法を教えた。また、ソフトボール・コーチング・セミ

ナーの開催にもあたった。ソフトボールシーズンに入ると役員会議と全体会議を毎週開き、

3~4 時間の話し合いを行ってきた。その成果なのか、乱闘騒ぎなどは発生していないよう

である。また、審判の勉強会を催し、ルールの徹底を計るなどのさまざまな活動を行なっ

ている[松浪 1991:49-51]。 2.紛争予防

次に、スポーツを介しての紛争予防について述べたい。国連子ども基金(ユニセフ)と

国際サッカー連盟(FIFA)によるキャンペーンの事例である。「すべての子どもに保健・教

育・平等・保護を、という使命の達成をめざす[UNICEF HP 2006,10.10]」ユニセフと FIFAは、「子どものための、平和のための連帯」キャンペーン(UNITE FOR CHILDREN. UNITE FOR PEACE.)を開始した。両者は、これまで何年間も、すべての子どもが平和な世界で

生きる権利と紛争や虐待から解放される権利が満たされるために活動してきている。両者

の共同キャンペーンは、サッカーというスポーツを介して行われ、第 1 に平和の価値を推

進すること、第 2 に、広く存在している子どもへの暴力と差別の問題に取り組むことを目

的としている。 このキャンペーンは、2006FIFA ワールドカップに出場した世界の有名選手によってバー

チャルに構成された「チーム・ユニセフ」が参加する公共広告を製作し、また、暴力や紛

争の影響を受けた世界のさまざまな国の子どもたち 11 人がもうひとつの「チーム・ユニセ

フ」として、サッカーが自分たちの生活にどのような効果をもたらしたかを語るというも

のである。そして、このキャンペーンのゴールは、サッカープレーヤーたちが子どもたち

の夢を実現するための手本となり得ること、サッカーが非暴力・寛容・平和のメッセージ

を届ける強力なツールとなることを世界中に示すことにある[UNICEF HP 2006,10.10]。

アフガニスタン、シエラレオネ、グルジア、スーダン、バルカン半島諸国などの武

力紛争に悩まされる国で、子どもたちはサッカーをすることで紛争のストレスや不安

に立ち向かうことができました。2004 年、FIFA は、紛争国で平和構築を支援するた

めの資金として 25 万米ドルをユニセフに寄付しました。ユニセフと FIFA は、サッ

カーのパワーを通じ、複数のコミュニティ間の交流、元子ども兵士の社会復帰、遊び

を通じて子どもたちのフラストレーションやストレスを解消できるような安全な場

所の提供など、子どもたちを保護する環境を整える支援を行いました[UNICEF HP

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2006, 10.10]。 ここで、「チーム・ユニセフ」のメンバーの 1 人であるマハマット・アリ(13 歳)という

少年を紹介したい。 アリは、南チャドのアンボコにある難民キャンプで生活している。そこには、中央アフ

リカ共和国から逃れてきた 2 万 8 千人の難民1が生活している。彼はそのひとり。彼の両親

は、クーデターの混乱の中で殺害され、チャドに逃れてきた。彼は以前、サッカー選手に

なるのが夢であったが、両親の死によって生活は一変した。しかし、難民キャンプで再び

サッカーに打ち込むことで彼は変わった。「サッカーをやることで、学校のこと(学校で集

中して勉強すること)も大切に思えるようになりました。もうひとつサッカーが教えてく

れたことは、フェアプレイです。仲間とサッカーをするとき、自分がチームの一員だとい

うことがよくわかります[UNICEF HP 2006, 12.04]」とアリは言っている。 このように、ユニセフと FIFA との間では、「健全な発達のためのスポーツ」キャンペー

ンを通して、紛争予防としての「スポーツを通じた開発」が行われている。また、この活

動によって、地域の治安が回復している事実もあることが確認できる。 3.学校体育の向上に向けて 第 3 の事例として、途上国での学校体育について述べたい。日本の NGO ハート・オブ・

ゴールド(以下、HG と略称)の行っているプロジェクトを例として挙げていく。HG では、

カンボジアにおいて、小学校体育科指導書作成を JICA の草の根技術協力事業/草の根パー

トナー型プロジェクト2として行っている。目的は、体育指導者と小・中学生の体育授業を向

上することである。 カンボジアでは、体育という教科は建前上存在しているにもかかわらず、カリキュラム

のほとんどが機能していないのが現状である。その原因として、学校の二部制によって就

学時間が限られていることや、統一的な授業を行うための指導書がないことなどが挙げら

れるであろう。体育を通じたカンボジアの子どもたちの「人間の安全保障」を目指して、

このプロジェクトは始動し、実施されている[JICA HP 2006, 12.04]。 しかし、カンボジアにおいてこのプロジェクトを始動させるにあたって、指導書の前段

階となるべき体育に関する統計資料がなく、そこからのスタートとなった。プロジェクト

によって、体力測定や学校体育・スポーツ環境調査などが行われ、その結果の分析と日本

の体育科指導要領の翻訳を行いつつ、現在は体育専門用語の統一化を図るなどの土台作り

に至っている。

1 2003 年、中央アフリカ共和国で発生した軍事クーデター後に逃れてきた難民のこと。 2 発展途上国への支援について、一定の業績を有している NGO 等の団体が、これまでの

活動を通じて蓄積した経験や技術に基づいて提案する発展途上国への国際協力活動を

JICA が支援する事業のこと[山口 2006]。

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以上のように、発展途上国における開発の 1 つの方法として、スポーツが確立してきて

いることが分かる。国際機関から NGO までが、このようなプロジェクトを実施していると

いう現状をみて分かるように、スポーツの重要性・可能性が浸透してきていることが伺える。 しかし、これは一部に過ぎなく、子どもたちへの心の回復を目的としたスポーツの可能

性について、以下で掘り下げることにする。 第2章 心の回復を目的としたスポーツの利用 筆者は、スポーツを通して、心の変化を実感している。例えば、ストレスが溜まってモ

ヤモヤしている時、スポーツをしようと感じる。そして、活動後は爽快感や充実感に満た

されたり、日常に戻った時に困難に対していくらか対処しやすくなるのだ。そこで、本章

では心理的な側面に焦点をあて、そこから見えてくるスポーツの効果を考察する。また、

心のケアを目的としたスポーツを用いて行われている実例を取り上げ、スポーツの利用に

よっての心理的変化について論じていく。 第 1 節 ストレスへの対処法としてのスポーツ 1.スポーツ心理学 ● 定義 スポーツ心理学とは、「スポーツに関する心理学的な問題を研究し、スポーツの実践や指

導に科学的な基礎を与えることを目的とした心理学の一領域[上田 2000:4]」である。時代

や環境の変化に応じ、スポーツに対する考え方も次第に変化し、今日の私たちにとって生

活の一部となっている。それに伴い、スポーツを生活の中でより有効に活用するために、

スポーツ心理学の分野は確立してきたといえる。スポーツ心理学の扱うスポーツは各種の

技を競う活動として、あるいは活動自体を楽しむものとして考えられる。キャスパーソン、

パウエルとクリステンソンによれば、スポーツは、次のように分類できるという。 ① 競技スポーツ:競技性を強調するもの ② レクリエーションスポーツ:レクリエーション的な要素を強調するもの ③ 健康スポーツ:健康の維持・増進を目的とするもの ④ 生涯スポーツ:健康づくりや楽しみを優先させたスポーツ[上田 2000:4-8] このように、競技スポーツのみと考えるのではなく、広い意味でのスポーツ活動を対象

として考えているのがスポーツ心理学の分野である。 ● 目的 スポーツ心理学における基礎研究の目的は、運動やスポーツ活動の心理的メカニズムを

明らかにすることである。一方、応用研究としては、競技者の競技力向上はいかにすれば

可能か、運動・スポーツが個人に健康かつ健全な心身の形成にどのようにどの程度寄与し

得るかについての解明、およびそれらの目的に寄与する方法の開発と成果を実践へ効果的

に適用することをねらいとしている分野である[上田 2000:10]。 また、研究対象としては、幼児から高齢者までの運動・スポーツ行動である。近年は、

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競技者の競技力向上の研究にはとどまらず、性別、年齢、障害の有無を超え、レクリエー

ションや健康のためのスポーツ行動としての研究に関心が高まっている特徴がある[上田 2000:10]。 2.スポーツセラピー 不安、抑うつ気分の低減効果 「スポーツセラピー(sports therapy)は、スポーツと心理療法(psychotherapy)との

合成語と考えられるが、臨床心理学や精神医学などの領域でその存在が認められているわ

けではない[中込 2000:193]。」しかし、心理療法の補助としてスポーツの存在に関心が向け

られていることは事実であり、それを積極的にプログラムのなかに組み込んでいるところ

も増えてきている。 スポーツは、身体の健康づくりに加えて、身体運動の心理的効果も注目されてきている。

不安と抑うつについての研究はそれを語る上で、もっとも注目されているのである。以下

で、この 2 つについて説明する。 ● 不安 不安とは、対象が明確でない漠然とした恐れのことである。そして特に、長期的な運動

が不安低減に効果があるという研究結果がでている。ここで、ブルーメンタルらの研究を

その 1 つの例として挙げる。 ブルーメンタル、ウィリアムス、ワラスとニードルスは、10 週間に及ぶ規則的な運動プ

ログラム(散歩とジョギング)の研究を行った。そして、運動実験者の主観的な不安およ

び気分の自己採点により、運動が不安や緊張を顕著に取り除くことを明確にした。図 1 は

その結果を示したグラフである。図の左は状態不安3、右は特性不安4の結果を示している。

両方見て分かるように、統制群(対応なし)に比べ、運動群が大きな改善を示しているこ

とが伺える。 図 1.定期的な運動による不安低減

(出典:ブルーメンタルら、1982[上田 2000:304])

3 特定の状況に対する反応として一時的に起こる不安状態のこと[上田 2000:136]。 4 個人の過去経験うぃ反映して比較的安定した不安傾向のこと[上田 2000:136]。

29

30

31

32

33

34

pre(実験前) post(10週間後)

統制群

運動群

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30

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pre(実験前) post(10週間後)

統制群

運動群

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● 抑うつ 一方で、うつは気分障害である。抑うつ気分、焦燥感、悲哀感などが精神状態としてあ

らわれることである。現在のうつ症状の治療には、一般的に心理療法と抗うつ剤治療が行

われている。しかし、最近、アメリカでこれらの治療と併行して、運動療法も行われるよ

うになり、いくつかの報告では治癒効果が挙げられている[上田 2000:304]。 ハリスは、うつ患者にカウンセリングとジョギングを併用した治療を行い、カウンセリ

ングだけを行った患者と比較したところ、有意に改善しているという結果が出た。しかし、

これは 1 つの事例に過ぎなく、うつ状態の緩和のための運動形式、頻度、強度、持続時間

は明確にされていない。だが、抗うつ剤と比較して、副作用の危険性が低いのは確かであ

る[上田 2000:304]。 また、その他に運動は、心理的ストレスへの回復に影響を与える副交感神経機能の改善

につながり、病気予防に効果があるのである[上田 2000:305]。 スポーツをすることで、このような実験や結果がでていることは、今後のスポーツへの

関心が注目されるきっかけになるのではないかと筆者は考える。しかし、心理的なもので

あるために、研究の難度も問題になってくるのではないだろうか。 第 2 節 スポーツを用いての心の回復を目指す 1.小田原特別少年院 まず、特別少年院とは、「心身に著しい故障はないが、犯罪傾向に進んだ、おおむね 18歳以上 23 歳未満のものを収容する(少年院法 第 2 条 4)」という法の下に成り立っている

公的施設である。 小田原特別少年院では、「一面スポーツのルールを守る気持ちが社会のルールを乱さない

精神をつくる[菅野 1970:12]」として、スポーツを取り入れた更生を目指している。ここで

は特に、格技、持久走訓練とサッカー訓練を取り上げる。 ① 格技

剣道と柔道を中心に行われている。これは、遵法、協力、寛容の精神と態度を身につけ

るとし、「礼にはじまり礼に終わる」これらの訓練では、技能そのものより精神面に力が注

がれるという。 ② 持久走訓練

毎日、職員と少年が一緒になり 10000mを走るというもの。体育訓練の基礎、体力づく

り、忍耐、持久性、根性の養成と最後までやり通す努力、走り終えた感動、やれば出来る

という喜びを体得するという。 ③ サッカー訓練 個人訓練から集団訓練となるサッカーでは、協調性、寛容の態度を行動に示しつつチー

ムとして訓練に励むというもの[菅野 1970:14]。 筆者は、スポーツを通して、犯罪と向き合い、更生後への気持ちの改善に繋がると同時

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に、少年院の収容中の青年たちの何らかのストレスに対しての発散の手段としても、効果

的であると考える。 2.プレイセラピー(遊戯療法) 子どもは心の内面を言葉で表現することは困難であるが、遊びの中ではそれを表現でき

る [大石 2005:237]。子どもの遊びは、単に遊んでいるのではなく、心の安定を取り戻すた

めの手段として子ども自らが使っており、遊びであるとともに、生活であり、仕事でもあ

る。遊びは言葉であり、自己表現の手段でもある[東山 2005:12-13]。このように、子ども

にとって重要な遊びを使った心理療法のことをプレイセラピー(遊戯療法)という。 ここで、「遊び」について、説明を加えたい。子どもの発達においては、「遊び」が重要

である。子どもは遊びのなかで、無意図的にさまざまな心身の機能を使っている。それに

よって、表 1 のような遊びの価値が得られるのである。また、これは、子どもの自発的で

喜びをともなった活動を通して達成されることに大きな意義があるのである [新井 2006:49]。

表 1. 遊びの価値 ①身体的価値 遊びは身体的発達に支えられて生じることが多い。そして遊ぶことによって身

体・運動機能はさらに発達する。 ②教育的価値 遊ぶことによって次のような精神的な発達がもたらされる。

1. 知性の発達(比較、判断、類推、創造など) 2. 社会性の発達(競争、強調、譲り合い、助け合い、自己主張など) 3. 道徳性の発達(善悪の判断、思いやり、正義感など) 4. 情緒の発達(欲求不満耐性、自由な自己表現など) 5. 自我意識の発達(友達と自分を比較したり衝突することによって、自我

意識が発達する) ③社会的価値 人間は社会的な存在であるが、友達と遊ぶことによって、他者と共に生きてい

くことの喜びや連帯感を感じることができる。 ④治癒的価値 自由な雰囲気のなかで遊ぶことによって、怒りなどの抑圧されていた情緒を表

出したり、現実生活のなかでは充足することができない願望を満たすことがで

きる。それによって精神的に健康な生き方をとり戻すことが可能になる。 出典:[新井 2006:49]

また、sport という言葉の発生をたどっていくと、それは、ローマ・ギリシャ時代にさか

のぼり、その語源の示す意味は「気晴らしにする遊び」である。現代にかけて本格的に発

展したスポーツは、日常生活の気晴らしのための身体活動=遊びに、競争、ルール、設備、

用具、服装などが加わって形成されたものである。発生的にみても、スポーツの基本は遊

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びであり、活動自体に楽しさや喜びがあるのがスポーツ本来の姿である[上田 2000:325]。よって、スポーツと遊びが同じような効力を持つことは言うまでもないであろう。 以上のように、スポーツと遊びの関係性とともに、表 1 であげた遊びの価値のなかの、

治癒的価値として、プレイセラピーがあげられるのである。 プレイセラピーを行うためには、プレイルームが設けられ、子どもが遊ぶためにさまざ

まな遊具が用意されている。プレイルームに必要な玩具はクライエント(子ども)の年齢

やタイプによって異なり、治療者の個性にも関係するが、単に遊ぶためではなく、それら

を介して子どもが想像力をはたらかせ、心的世界を表現したり、治療者との関係を構築す

るための素材として意味をもつ[大石 2005:239]。 一般的に、人形や動物、怪獣などの玩具、食べ物や食器、調理器具などのままごと遊び

に関係する玩具、積み木やブロック、粘土のように造形できる玩具、描画のための画用紙

やクレヨンも重要である。ボールやバドミントン、卓球などは、子どもと治療者の関係を

構築する手段になることもあるし、より統制された攻撃性の表出にも利用される[大石 2005:239]。 また、プレイセラピーを進行させるための治療者の留意点として、アクスラインの「遊

戯療法の 8 原則」がある。

①治療者は、できるだけ早く良いラポール5ができるような、子どもとの温かい親密な

関係をつくる必要がある。 ②治療者はあるがままに子どもを受容する。 ③治療者は子どもが自由に気持を表現できるような許容的雰囲気をつくり出す。 ④治療者は子どもの表現している気持を察知し、子どもが洞察を得られるようにその

気持を子どもに反射する。 ⑤治療者は、子どもが自分で問題を解決できる能力を持っていることを信頼する。選

択したり変化させたりする責任は子どもにある。 ⑥治療者は子どもに指示しない。子どもがリードし、治療者がそれに従う。 ⑦治療はゆっくり進む課程であり、治療者は治療を早く進めようとしない。 ⑧治療者は治療を現実に繋ぎ留め、子どもにその関係のなかでの自分の責任に気づか

せるために必要な制限を設ける[大石 2005:238]。

プレイセラピーは、近年さまざまな場面で利用されている。たとえば、子どもの病院で

は、子どもの発達の促進、入院生活のストレスの発散、治療に立ち向かう勇気や意欲を喚

起するとして注目され、子どもの遊びの環境を整えることを重視している[野村 1998]。日

本でも最近取り組まれているが、スウェーデンでは先駆けて行われ、小児科のある 45 病院

5 ラポール 治療者とクライエント(子ども)の信頼関係のこと[大石 2005:238]。

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の全てにプレイセラピー科が存在している。 また、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療法の 1 つとしても用いられ、アメリカ同

時多発テロで父親を亡くした 2 人の子どもに対してもプレイセラピーが行われた。子ども

の表現をセラピストは無条件に受け入れることで、子どもたちはいろいろな感情が浄化さ

れ、不安感、怒りやフラストレーションの減少、安心感につながる。そして、プレイセラ

ピーを繰り返し行うことで、辛い出来事を乗り越え、克服していくための大きな助けとな

るのである。また、保護者の精神状態が子どもの心理状態に直接影響するため、保護者へ

の心のケア・サポートは必要不可欠である[坂上 2004:122-123]。 このように、スポーツが更生や病気への治療の一環として利用され、そこから、子ども

たちがストレスなどを克服することが可能であることが分かった。また、スポーツは遊び

の要素を持つことから、子どもにとって、受け入れやすいツールであると筆者は考える。 第3章 心の回復におけるスポーツの効果 本章では、スポーツを取り入れたことでの、さまざまな角度からの子どもたちの変化を

考察していく。そこで、2つの異なる場面から、スポーツを通しての心の回復の可能性と

問題点を探っていく。 第1節 戸塚ヨットスクールから見る、回復の可能性と問題点 1. 概要

1976 年、愛知県知多半島河和に戸塚ヨットスクールは開校した。初めは、オリンピック

級のヨットマンを育成するためのヨットスクールとしてスタートした。その後、偶然、1 人

の登校拒否の子どもが入校し、短期間の訓練で登校拒否が直ったことが評判となった。こ

れがきっかけとなって、スクールには登校拒否、非行、家庭内暴力などの問題を抱える子

どもたちの入校が増えることとなった[戸塚 2003:12-14]。スクールに入った頃はまともに

返事もできなかった若者が、1 年も経つと見違えるほど明朗闊達となっていき、これまで受

け入れた生徒は約 1200 人。その内の 600 人以上の子どもが更生し、スクールを卒業してい

ったという[日経ビジネス 2006:52]。 しかし、1983 年に起きた「戸塚ヨットスクール事件」で、訓練生の O 君ら 4 人の訓練生

が死亡したことによって、戸塚宏らコーチたちは逮捕され、スクールは閉鎖された(後に再

開)。この事件以降、スクールに対して体罰や暴行といったマスコミからのバッシングを受

けることとなった。2002 年に最高裁で実刑判決が確定した。 戸塚宏は、『脳幹論』という独自の理論を完成させ、これに基づいて子どもたちの指導を

行っている。情緒障害の予防策として、脳幹トレーニングを取り入れ、結果、脳幹が鍛え

られ、そのことが子どもたちの回復に有効的であるというものである。脳幹を鍛えるため

に、恐怖心からくる不快感を与えることが脳幹機能を向上させ、子どもたちの症状が回復

すると述べている[戸塚 2003:70]。1985 年に保釈され、スクールは再開、トレーニング法

はストレス病、難病、老人病克服などに画期的成果をあげているという。

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2. ケーススタディ 次に、戸塚ヨットスクールでのトレーニングで回復した例(ケース 1、ケース 2)と失敗例(ケース 3)を紹介する。 〈ケース 1〉 S 君(19)<無気力、家庭内暴力> 予備校に通っていたが、受験ノイローゼになり、家に引きこもる。溜まったものを発散

するかのように、家の中の物を壊し始める。両親の手におえなくなって、平成 9 年 12 月、

ガードマンに付き添われて入校。入校直後、脱走を試みるが、すぐに警察に保護された。

以後、非常にまじめに訓練を受けるようになり、やがてコーチ・他の生徒の信頼を厚く受

ける。ウィンドサーフィンもかなり上達。平成 11 年 1 月にスクールを卒業。歯科技工士の

専門学校を経て、平成 13 年春就職[戸塚ヨットスクール HP 2007, 12.11]。 〈ケース 2〉 Y 君(中 3)<非行> 小学校時代はとてもいい子だった。中 2 になって急に不良グループとのつながりが深ま

り、家出を繰り返すようになる。見かねた両親と親戚に付き添われ、平成 11 年 10 月入校。

3 度もの脱走を試みる。近くの運送業者に取り入ってお金をもらったり、自転車を盗んだり

するが、3 度とも合宿所からそう遠くない所で保護された。半年後くらいからやる気を出し、

卒業前にはウィンドサーフィンの全国大会でも他の選手に見劣りしないほどの技量となる。

平成 12 年 12 月卒業。本人の意思と両親の希望とにより、1 年間アルバイト生活。その後

改めて高校入試を受け、合格。平成 14 年 4 月より高校生となる[戸塚ヨットスクール HP 2007, 12.11]。 〈ケース 3〉 N 君(小 5)<不登校、無気力> いじめが原因で不登校となり、一時アメリカに渡るが、そこでもいじめをうける。平成

11 年 3 月、両親に付き添われて入校。親が金持ちで、自慢ばかりするため、スクールでも

嫌われる。訓練を通して、回復が見られ、平成 11 年 8 月まで訓練を続けたが、息子を溺愛

する父親が引き取りに来てしまう。人間性が出来かかってきたところだったが、親のエゴ

で結局ダメにしてしまった[戸塚ヨットスクール HP 2007, 12.11]。 このように、さまざまなケースによって入校し、回復をみせたケースと失敗に終わった

ケースをみることが出来る。さて、この結果をもたらす背景としての可能性と問題点を次

で考察したい。 3. 可能性と問題点 ●可能性 戸塚ヨットスクールは、原則的に合宿生活をとることになっている。これはプラス面の

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要因の 1 つとして挙げることが出来るであろう。合宿での共同生活や共にスポーツに励む

ことは、相互間にさまざまな刺激を受けることが出来る。まず、さまざまな年代と暮らし、

親の援助なしでの生活は、協調性を生み、自立を促進させるであろう。 また、ヨットという一種のスポーツを取り入れていること。ヨットをすることで基礎体

力の向上も期待できる。そして、他者とスポーツを競い、レベルアップし、技術の自信が

身につく。これは、社会に出て、壁にぶち当たったときの回復には効果的である。 体罰や暴力が良い悪いということは、とても難しい問題であるが、スポーツが子どもた

ちの精神に何らかの刺激となって回復していることには繋がるであろう。何らかのスポー

ツを打ち込むことによって、いずれ何かに打ち勝つことが必要になることがある。そのと

きの感情と、『脳幹論』は少し似ているかもしれない。 ●課題と問題点 戸塚ヨットスクールでは、「体罰」が一つの問題となっている。いくら言ったところで理

解してもらえなかったら、叱るということは一つの手段である。しかし、生徒と先生の間

の信頼関係がなければ、その行為は体罰になってしまうのではないかと考える。だが、親

は殴られ蹴られ、家の中の物は壊されという、行き場のない人が次々とスクールにやって

くるのも事実である。手におえない子どもたちの改善方法として、戸塚が編み出した一つ

の方法が、殴る蹴るの異常な方法であった[上之郷、若林 1983:239]。 しかし、一人の子どもも不幸にしてはいけないし、ましてや子どもの命をその教育によ

って奪いようなことは許されないということ[若林 1983:238]は、筆者も最重要と考えると

ころである。ヨットスクールにおいて、死者を 4 人も出してしまったことは、致命的であ

る。命を落としてしまったことで、すべては水の泡である。 一人として同じ人間は存在しない。よって、すべてが「体罰」によって解決できるとい

うことは考えにくい。その子どもに合った指導方法が、回復への近道になるのではないか

と筆者は考える。 第2節 青少年教育活動から見る、可能性と問題点 1. ボスニア・ヘルツェゴビナの青少年教育活動

これは、岡田千あきによって、青少年を対象に実施されたスポーツ活動の成果の検証を

目的にボスニア・ヘルツェゴビナ(以下 BiH)において、実施されたものである。 ここでいう青少年教育とは、「青少年に多く見られる諸問題の改善を促す教育活動」と定

義されている。また、青少年を取り巻く問題としては、非行・青少年犯罪、ドラッグ等が

挙げられる[岡田 2006:5]。以下では、いくつかのインタビューを抜粋し、考察したい。 まず、1)スポーツに対する意識:スポーツを通じて学んだことについての結果から見る。 図 2 が示すように、「チームワーク」、「協力」、「規則」、「コミュニケーション」、「他者尊

重」が上位を占めた[岡田 2006:18]。これらの結果から、スポーツ活動を通して、一つの目

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的に対して同じ気持ちを持ちプレーする事や協調性を身につけた参加者が多いと推測でき

る。またその半面、「忍耐」、「自信」、「努力」といった個人的な要素を学んだという回答が

少ない傾向にあるが、これはスポーツの形式や継続期間などで大きく変わるものであると

筆者は考えている。

[岡田 2006:18]より

続いて、2)スポーツを通じた青少年育成活動に対する意識:スポーツを通じた多民族交流

の機会についての結果から見る。 図 3 は、スポーツを通じた多民族交流の機会を楽しんでいるかを質問した結果である。「と

ても楽しんでいる」と「楽しんでいる」との回答が 75%を占め、「まあまあ」を含めた肯定

的回答は 90%を上回る結果となっている。また、図 4 は、多民族交流の機会についての考

えである。「とても良い」と「良い」を合わせた肯定的回答が 70%を超える結果となった[岡田 2006:21]。

2 つの結果から多民族交流について肯定的にとらえる人が多いことが伺える。また、スポ

ーツが受け入れやすく、「心」、「気持ち」の面に作用することが分かる。

図3 あなたはスポーツを通じた活動への参加を楽しんでいますか

59 31 20 4 6

0% 20% 40% 60% 80% 100%

とても楽しんでいる

楽しんでいる

まあまあ

それほどでもない

まったく楽しんでいない

NA

[岡田 2006:21]より

0 20 40 60 80 100人

図2 あなたはスポーツ活動の実施を通して何を学びましたかチームワーク

協力

規律

コミュニケーション

他者尊重

リーダーシップ

フェアプレイ

ルールの尊重

忍耐

問題解決

努力

自信

人間関係

その他

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図4 あなたは異なる民族の人々が同じ活動を行うことについてどう思いますか

56 32 28 4

0% 20% 40% 60% 80% 100%

とても良い

良い

どちらでもない

良くない

悪い

NA

[岡田 2006:21]より

最後に、3)スポーツを通じた青少年育成活動に対する意識:個人競技と団体競技について

の結果から見る。 図 5 は、異なる民族の人々とのスポーツ実施の形態に関する回答である。「とても良い」

と「良い」の合計を見ると、「チームメイトとして団体競技」で 60%を上回り、「チームメ

イトとして個人競技」でも 40%を占めている。したがって、各種のスポーツを異なる民族

が「チームメイトとして」実施することに意義を見出す傾向にあった[岡田 2006:21-22]。

図5 あなたの異なる民族の人々と共にスポーツをすることをどのように思いますか

52

16

33

14

26

10

16

7

21

30

34

24

2

27

9

28

1

15

7

20

18

22

21

27

0% 20% 40% 60% 80% 100%

チームメイトとして団体競技

敵として団体競技

チームメイトとして個人競技

敵として個人競技 とても良い

良い

どちらともいえない

良くない

悪い

NA

[岡田 2006:22]より

図 6 は、図 5 と同じスポーツ実施形態の項目について、その難度について聞いたもので

ある。「まったく問題ない」、「簡単」を合わせた回答は、図 5 の回答と同じく「チームメイ

トとして団体競技」、「チームメイトとして個人競技」、「敵として団体競技」、「敵として個

人競技」の順番となった。敵として戦いよりもチームメイトとして同じチームで戦うほう

がより組みやすいという、予想と反する結果となった。それと同時に、個人競技よりも団

体競技の方が容易であるとの傾向も現れた[岡田 2006:22]。

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図6 あなたは異なる民族の人々と共にスポーツをすることを難しいと思いますか

62

27

42

27

26

25

26

14

8

21

15

19

1

15

8

21

2

8

2

10

21

24

27

29

0% 20% 40% 60% 80% 100%

チームメイトとして団体競技

敵として団体競技

チームメイトとして個人競技

敵として個人競技 まったく問題ない

簡単

少し困難

困難

不可能

NA

[岡田 2006:22]より

図 5 と図 6 の結果、見えてくることは、「敵として」よりも「チームメイトとして」スポ

ーツを実施するほうが好ましく、「個人競技」よりも「団体競技」の方がより好ましいとい

うことである。青少年の間でも、他民族との交流を積極的にとろうとする傾向が強いとい

える[岡田 2006:22]。 筆者も、今までさまざまなスポーツと関わってきて、チームプレイから学ぶことが多い

と実感している。というのは、個人競技と違い団体競技は、自らの気持ちとチームメイト

との気持ちが同じ方向に向いていないと前には進めないということがあるからである。こ

れは、とても難しいことであるが、それ以上にやりがいがある。スポーツは、その過程か

らは他者とのコミュニケーションを習得し、成し遂げた時には、自らに対しての充実感や

爽快感などが習得できると感じている。 2. 可能性と問題点 ●可能性 青少年教育は、社会の一員としての態度や価値観を形成し、他者との平和的な共生へと

繋がる人材を育成することが目的である。そこで、コミュニケーション能力の形成が重要

となってくるのである[岡田 2006:14]。このとき、スポーツを通じて以下の 4 つの可能性が

得られる。 ①ルールの遵守:スポーツには、それぞれ競技を成立させるためのルールを有している。

競技者には同一のルールが適用され、これが、青少年の教育に寄与する効果を持つと期待

される。青少年らがルールに従って競技に参加することで、自己を統制し、「能動的な参加」

が自らの存在意義を確認するという結果が出ている。不安定な社会において行われている

プログラムに参加することで、社会的欲求を満たされ、自我欲求も満たされるという二重

の効果が期待できるのである[岡田 2006:15]。 ②他者との関わり:スポーツを行うことによって、他者との対話や協力を促すため、個

と個が対等で対称的な人間関係を結ぶための『つなぎ』としての役割を果たす。スポーツ

活動の場は、「ミニチュア化された社会」と喩えることができる。ミニチュア化された擬似

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的社会では、集団競技であれば役割分担やリーダーシップの取り方、責任感や協調性等を

習得可能であり、また個人競技であれば、自立心や忍耐力等が習得可能である。また、他

者との関わりを学ぶためには、教室型授業のみならず、教育の受け手の自主性を必要とす

る参加型の要素を含んでいることである[岡田 2006:15-16]。 ③社会との関わり:教育の場におけるスポーツの実施は、その特性から複数の他者との

距離感、大小に関わらずグループ内での人間関係や帰属の認識に敏感に作用する[岡田 2006:16]。 ④国民意識、国民統合:スポーツは、階級、民族、人種、宗教が異なる人々に、共有で

きるものを提供することによって国民統合に寄与するため、広域に国家への参加を促す機

会均等性を有している。紛争復興期の社会においては、国家への愛着や国民意識の高揚が

不可欠な場合が多く、スポーツを通じて良い形でのナショナリズムを発揚することにより

社会が活性化し、新生国家としての存在を明確化することが可能となる[岡田 2006:16-17]。 これらの結果を見て、感じることは、スポーツが平和的和解のための 1 つの手段として

有効であるということである。というのは、スポーツを通して、青少年たちは他の民族と

の間に友好な関係を築いているということである。図 1 で、スポーツを通して学んだもの

中で「コミュニケーション」がある。コミュニケーションは、社会の中で生活するには、

必要なことである。他者の話を聞くこと、自分自身の思いを伝えるという相互の関係が出

来るというのが欠けている青少年は途上国には数多く存在する。これは、前に挙げた青少

年の諸問題に加え、児童買春や少年兵、児童労働など、いけないと分かっていながら NOといえない子たちが増えてしまった結果であると考えている。

●途上国でスポーツを行うための課題と問題点 途上国でスポーツを実施するにあたっての問題点、また今後に向けての課題を以下で述

べる。 まず、第 1 に、スポーツの持つ危険性の存在についてである。スポーツは戦いの性質が

あるため、やり方を間違えると、攻撃への助長に繋がる場合があるということである。し

かし、インタビューによると、多くの青少年は他の民族とのスポーツに好印象であるとい

う結果が出ているように、良い傾向も見えるのは事実である。よって、スポーツを行う一

人一人が目的を明確に持つことが必要であると考える。 第 2 に、現在までの状況から見て、途上国でのスポーツの確立は不十分であるというこ

とである。長期的にスポーツを行うためには、場所や道具、教育者不足の問題の解決が必

要である。また、短期間のボランティアの介入やイベント開催が、果たして将来へのアプ

ローチに繋がるのかという意見も少なからずあり、「食事の問題がある子どもたちに対して、

スポーツが有効なのか」というようにスポーツは後回しになってしまう傾向が問題である

と考える。

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おわりに 本論文を通して、子どもにとってのスポーツ(遊び)の重要性を改めて感じることとな

った。子どもにとっては、体を動かすことからさまざまなことを習得することが可能であ

り、そして我々おとなたちはそのために的確にサポートをすることが重要であると筆者は

強く感じた。スポーツは、身体の栄養だけでなく、心の栄養に繋がるのはもちろんのこと、

潜在的な能力を秘めている。 国際協力の面から見ると、スポーツの重要性は最近になって徐々に増えてきてはいるが、

やはり、後回しにされる傾向が強い。しかし、第1章のスポーツの持つ力で見たように、

心の満足や他者との関係、社会でのマナー、自我の成長というように、与えて終わりでは

なく、スポーツは自立的に発展していくという意味で、将来への可能性に満ちていると感

じるのである。また、それは、個人の心の回復のみならず、平和和解の手段としても有効

であろう。 従来の支援者が与えるだけの援助では、我々の自己満足にしかならず、途上国の子ども

の現在にしか焦点があたっていない。これからは、将来のことも視野に入れ、途上国の子

どもたちの能動性を伸ばすことが必要になってくる。スポーツはそのための手段として、

とても効果的である。 先進国の子どもと途上国の子どもは、育っている環境は違っていても、子どもとしての

根本には何ら変わりはない。先進国には先進国の問題が存在し、途上国にも途上国の問題

が存在している。だからといって、先進国と途上国で解決方法が違うということは決して

ない。 そこで、途上国において、子どもたちの心の回復に向けての1つの方法として、スポー

ツを提案したい。筆者が考える一番好ましい方法は、やはり学校体育の確立によって、ス

ポーツを継続的に行うことが出来る環境を作ることである。しかし、途上国の子どもたち

の生活環境のことを考えると、すぐに確立することは困難である。筆者が今まで、何度か

海外でみた光景の中で、子どもたちが働く姿が印象に残っている。カンボジアやインドで

は、学校にも行かず家の手伝いをさせられる子どもが多く、このような状況が続くことも

子どもたちからスポーツ(遊び)の場を奪っている原因となっているのではないだろうか。 よって、まずは、ノンフォーマルな場所でもスポーツの機会を提供することが望ましい

と考える。それが、一時的なものであれ、社会の一員としての態度や価値観の形成に重要

である。例えば、運動会では、個人の勝敗もあるが、チームとしての協力や役割という面

もある。他者とのコミュニケーションの場となり、社会の一員としての役割の習得も可能

である。もちろん、この中で心の回復を目指すためには、娯楽的な要素を含むことがポイ

ントであり、それが、より多くの子どもたちへの提供の場が増えることに繋がると確信し

ている。 途上国でさまざまな問題を抱え、心に傷を負った子どもたちへの回復の手段として、今

後もっとスポーツを浸透させるべきである。

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